東日本大震災を機に高まりを見せる反原発世論。原発の危険性は、これまでもさまざまなジャンルの表現を通じて描かれてきた。改めて注目を浴びるこれらの作品に触れ、そのメッセージの重い意味を考えた。【井田純】
今、インターネット上で無料公開され、多くの読者を得ているのが漫画家、山岸凉子さんの「パエトーン」だ。ギリシャ神話の少年の名を冠したこの作品は、「神の火」原子力の潜在的な恐怖を、暴走する太陽神の馬車がすべてを焼き尽くそうとするさまになぞらえて描く。
最初に月刊誌に掲載されたのはチェルノブイリ原発事故から2年後の88年だが、福島第1原発の事故直後からネット上などで話題になった。これを知った山岸さんの意向で、3月25日に版元の潮出版社が電子書籍としてサイト上に公開したところ、先週までに60万回を超えるアクセスがあったという。作中で山岸さんは、放射性物質が健康に及ぼす影響や、原発の構造を解説。日本の原子力事情をふまえて、「チェルノブイリの悲劇」を繰り返さないようにと警鐘を鳴らしていた。
「(原子力が)誰にも消すことのできない『神の火』であることを目の当たりにして恐怖している」。今回の事故について山岸さんはそう語り、「一つずつでも止めていかねばと強く思う」と、原発依存からの脱却を訴える。
<原発という怪物は、人間がわずかでも隙(すき)を見せた瞬間、取り返しのつかない暴走を始める>。序章からこんな不吉な警告に彩られているのが、真山仁さんの小説「ベイジン」(幻冬舎文庫)だ。
舞台は中国。北京五輪の開幕にあわせて進む世界最大規模の原発建設を軸に、日本人技術者と中国人責任者の協力と対立、中国共産党内の暗闘などが重層的に絡む物語だ。週刊誌での連載が始まったのは北京五輪前年の07年6月だった。
クライマックスでは、小さなミスが電源喪失、火災、爆発と重大事故に発展していく巨大原発の姿が息詰まるような筆致で描かれている。
タイトルからは原発がテーマとわかりづらいが、口コミで火が付いたのか、4月第1週に前週のほぼ倍の販売を記録。新たに帯で「原発の現実がここに」とうたったところ、さらに毎週、倍々ペースで伸び続け、売れ行きは震災前の約10倍に達したという。
必ずしも「反原発」を掲げてはいないが、新聞記者出身の著者らしく、綿密な取材に裏付けられた知識が盛り込まれているのが特徴だ。真山さんは、文庫版刊行時に記した文章の中で、温室効果ガス対策が原発の「追い風」になっていると指摘。「心配性の私は大いなる疑問と不安を抱いている」と表明し、「何よりもまず安全を最優先に」「原発をブームにしてはならない」と訴えていた。
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逃げまどう群衆の阿鼻叫喚(あびきょうかん)。画面いっぱいに次々と噴き上がる炎が、そびえる富士と背景の空を真っ赤に染める。「噴火したのか、富士山が」と驚く主人公に、突き刺さるような声が飛ぶ。「あんた知らないの? 発電所が爆発したんだよ、原子力の!」。黒沢明監督最晩年の映画のひとつ「夢」(90年)。8本のエピソードのうちの第6話「赤富士」では、黒沢監督の核への怒りが生の形で表れる。
93年のインタビューで、原子力について問われた黒沢監督はこう答えている。
<これは作った場合にさ、人間では制御できない性質を持ってるわけでしょ? それを作るっていうのがそもそも僕は間違いだと思う>
<いかにあれが恐ろしいものであるかっていうことを認識する必要があるよね。それからだろ、いろいろ考えなきゃなんないのは。何となく使って何ともないからっていって平気でいるけどさ、起こったらこれは完全に日本が全滅する話だよ。そんなものを何故取り扱うかっていうことはさ、もっと真面目に考えていいんじゃないの?>(ロッキング・オン社刊「黒澤明、宮崎駿、北野武」)
黒沢監督が作品の中で核を扱ったのは「夢」が初めてではない。「生きものの記録」(55年)では、原水爆への恐怖からブラジル移住計画を進める老人の姿を悲劇的に描いた。前年の「七人の侍」を含む数々の映画で、すでに世界的な評価を確立していた黒沢監督だが、この作品は興行的には大失敗に終わる。「黒澤明の世界」などの著作がある映画評論家の佐藤忠男さんは言う。「核、原子力は黒沢さんが取り組んだテーマの中で最も重要なものだった。作家の良心としてこの問題を外すわけにはいかないと、思い詰めていたことは確か。だからもう一度描いたんです」
だが「夢」での表現は「生煮えで、必ずしも成功していない」と佐藤さんは言う。「例えば戦争映画なら、ドラマの定型があり、泣かせることもできる。ホラー映画にも定型がある。けれど核、放射能の問題は、怖いといっても目に見えないし、ドラマとして非常に処理しにくいのです」。「赤富士」では、放射性物質に着色する技術が開発された、との設定を盛り込み、主人公が赤や黄の煙を懸命に払う姿が描かれる。苦心の跡だろう。
「今、この現実を黒沢さんが見たら、今度こそ綿密な調査で、核時代というものを大きいドラマとして描いたんじゃないでしょうか」
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<東海地震もそこまで来てる だけどもまだまだ増えていく 原子力発電所が建っていく さっぱりわかんねえ 誰のため?>。キヨシローが、エディ・コクランの「サマータイム・ブルース」にこんな日本語詞をのせ、あの声で歌い上げたのが88年。故・忌野清志郎さん率いるRCサクセションのアルバム「カバーズ」の中の一曲だ。
同じく核への「NO」を突きつけた「ラヴ・ミー・テンダー」なども収められたこの作品は当初、8月6日の広島原爆忌に発売予定だった。が、所属会社の東芝EMIは理由を明確にしないまま発売中止を決め、8月15日に別の会社からリリースされた。
音楽評論家の富沢一誠さんは振り返る。「音楽状況的には、70年代のようなメッセージソングはもうなかった。バンドブームを経て巨大化していったロックビジネスに、清志郎が一撃を食らわしたということじゃないか」
チェルノブイリ後に言いはやされた「日本の原発は安全です」というセリフを揶揄(やゆ)し、<電力は余ってる 要らねえ 欲しくない 原子力は要らねえ 危ねえ>と叫ぶキヨシローの声に耳を傾けると、同じメッセージが色あせない今のこの状況が苦い。
ただ、「37個」と歌われた国内の原発の数だけは1・5倍近くに増えた。キヨシローなら今、何を歌うだろうか。
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毎日新聞 2011年5月12日 東京朝刊