ネトウヨの反日思想、覚え書き



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2010-12-07

朝鮮王室儀軌(朝鮮王朝儀軌)が、宮内庁にある経緯

日韓併合湖にらい病(ハンセン氏病)患者が宮城(現ソウル)で騒動を起こした。
当時のらい病は、不治の病で、生きながら身体が腐り、また感染するので
彼らは家族からも見放されて川のそばで死ぬまでの長い間を過ごす
集落を作っていた。

彼らは新たに支配者になった大日本帝国が善政を敷いていると聞き、
日本が朝鮮半島を支配して初めてのデモを彼らが行った。。
彼らは、自分たちを保護してほしい。せめて迫害されずに夜露をしのげるところがほしい、と嘆願した。

総督府は資金がないので非常に困った。 
朝鮮半島を併合した日本は、
世界最貧国の一つであった朝鮮の近代化、
国土の緑地化・大規模土木・学校建設といったインフラ建設のため、
国債まで発行して日本の国費を大量につぎ込んだ。
海軍の近代化更新を遅らせるほどに資金調達したが、
すべて使い果たされ、日本本土の国家運営にも影響がでるほどであった。

万策の尽きた総督府は、時の明治天皇陛下に謁見し、「いかがしましょうか」
とお尋ねしました。
明治天皇は「彼らもわが臣民である」と仰せになり、
皇室財産を下賜。また、それを伝え聞いた実業家たちから寄付の申し出、
小鹿島に療養所をたてた。

皇室に納められている朝鮮王室儀軌の写本は、
そのお礼に、と総督府が宮内庁に奉納した、
“当時の実記の写本”である。
写本に使用した用紙は、総督府で公式書類に使われていた和紙であり、
表紙も飾り気のない赤表紙である。

このような経緯で納められたものを盗んだ、「返せ」といわれるのは
筋違いである。
2010-12-07 │ 日本統治時代の朝鮮