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これが言いたい:TPPの問題は農業への打撃だけではない=色平哲郎

 ◇参加は医療基盤崩壊への道--佐久総合病院・地域ケア科医長、色平哲郎

 東日本大震災の被災者救済を迫られ、原発事故収束の見通しも立たぬ中、環太平洋パートナーシップ協定(TPP)への参加を促す議論が経済界などから出ている。

 日本経団連は4月19日に発表した「わが国の通商戦略に関する提言」で早期参加を訴えた。だが、TPP参加は被災地の基幹産業である農漁業への打撃だけでなく、医療基盤の崩壊を通じても国民の苦境に追い打ちをかける恐れが十分にあると警告したい。

 大震災では、地域医療態勢の疲弊が浮き彫りになった。 福島県南相馬市では、多くの入院患者が近隣の市町村に移送された。しかし、収容能力には限界があり、遠く離れた会津地方や新潟県などに移った人も少なくない。患者と家族が離ればなれになったケースもある。病院が機能を弱める中、それを補完する在宅ケアの態勢構築も課題だ。

 国民の命を支える皆保険制度は元々、医療費膨張による財政悪化と医療への市場原理導入という二つの危機に直面していた。

 TPP参加は「最後の一撃」になりうる。米国が日本に医療市場開放を迫っているからだ。米国政府が日本に突きつけた08年の年次改革要望書には「医療制度改革で米国業界の意見を十分に考慮せよ」「米国製薬業界の代表を中央社会保険医療協議会(中医協)薬価専門部会の委員に選任せよ」など露骨な要求が多く盛り込まれている。

 最大の狙いは、医療側が勝手に値段をつける「自由診療」と公定価格(診療報酬)に基づく「保険診療」を組み合わせた「混合診療」の全面解禁だろう。混合診療は日本でも一部の先進医療に限って認められており、現行制度をうまく運用すれば患者の多様なニーズに対応できる。

 しかし、混合診療が全面解禁されれば、効果が不確かな保険適用外の薬や治療法を多用し利幅を広げる動機付けが医療側に生じる。裕福な患者を優遇する医療機関が現れ、製薬会社も利益拡大のため、あえて薬の保険収載(公的保険の対象とすること)を望まなくなる。

 もうけの薄い農山村地域や救急医療などの分野では医師不足に拍車がかかり、満足に医療を受けられない国民が増えるだろう。所得による医療格差が大きな問題になっている米国と同じような状況になりかねない。

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 私は、佐久総合病院(長野県佐久市)の院長で農村医学の先駆者として知られた故・若月俊一先生に師事し、同県南相木村の国保診療所長を98年から10年間務めた。人口約1000人の同村には鉄道も国道もないが、都市部にとっても貴重な水源を守っている。田畑は食料を生産するだけでなく、ダムと同じ保水機能で水害や土砂災害を防いでいる。人口は少なくても、農山村は国土の「背骨」の役割を果たしているのだ。

 TPPで利益を得るのは多国籍化した大企業であり、土地に根ざして生きる人々ではない。一般庶民にも恩恵をもたらすと考えるのは、あまりにも楽天的であろう。むしろ、TPP参加は国の背骨を壊す。その影響は都市住民にも間違いなく及ぶ。

 「トモダチ作戦」などで支援してくれた米国の要求は断りにくいという意見もある。しかし、支援への感謝と国の在り方をめぐる選択は別次元だ。最近は米国や中国でも、日本と同じ国民皆保険制度を導入する動きがある。世界最速で高齢化が進む日本こそ、50年間維持してきた同制度を守り育てるべきだ。

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 「これが言いたい」は毎週木曜日に掲載します

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 ■人物略歴

 ◇いろひら・てつろう

 東大中退、世界を放浪後に京大医学部卒。外国人HIV感染者の支援にも携わる。

毎日新聞 2011年5月19日 東京朝刊

 

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