東日本大震災:ヨーグルトでしのぎ 9日ぶり生還の2人

2011年3月20日 19時37分 更新:3月21日 0時54分

地震で倒壊した家屋から助け出され、救助隊員の手を握る阿部寿美さん=宮城県石巻市で2011年3月20日午後4時55分、森田剛史撮影
地震で倒壊した家屋から助け出され、救助隊員の手を握る阿部寿美さん=宮城県石巻市で2011年3月20日午後4時55分、森田剛史撮影

 孫は動けない祖母を守り続け、9日間耐え抜いた。東日本大震災で壊滅的な被害を受けた宮城県石巻市で20日、217時間ぶりに救出された高校1年、阿部任(じん)さん(16)と祖母寿美(すみ)さん(80)。2人は倒壊した自宅の冷蔵庫にあった水やヨーグルトなどを口にして助けを待った。救助された時、寿美さんは救急隊員の励ましに何度もうなずき、「孫はどこ?」と任さんを気遣った。助け出した警察官らの泥まみれの顔に涙が伝った。【大場弘行、前谷宏】

 旧北上川の河口から数百メートルの石巻市門脇町。救出の現場に記者2人は居合わせた。

 ◇がれきの中「助けて」

 津波に襲われたこの一帯で救助活動中だった県警石巻署員が、「助けて」という少年の声を聞いたのは午後4時ごろ。がれきをよじ登り、板を引きはがしながら奥に進むと、倒壊した家の屋根に乗った少年が「うちの中にばあちゃんがいます。助けてください」と叫んだ。ジャージーの上下にバスタオルを数枚巻いただけ。靴もはいていない。任さんだった。

 署員がさらに進むと、倒れたクローゼットの上に布団にくるまった寿美さんがいた。署員と目が合うと、「よかった」と涙を流し、「足が悪くて動けない」と訴えたという。

 地元の消防隊員のほか、新潟県の隊員らも駆け付ける。上空には救出に備え鹿児島県警のヘリが舞う。

 ◇「ここ、外ですか」

 約1時間後、寿美さんが担架で運ばれて出てきた。隊員たちが「頑張れ」と声をかける。ヘリでの搬送のため毛布が取られると、寿美さんはまぶしそうに「ここ、外ですか」。黒いジャンパーを着ていたが、足は素足で青白い。消防隊員が「地震からずっとおうちにいたの」と聞くと、「はい」と答えた。

 健康状態などを確認する隊員に、寿美さんは「孫はどこさいる?」と自宅の方向を見やった。隊員に抱きかかえられながらロープでヘリに引き上げられる時、放心状態の任さんも救出された。ヘリを見上げる地元の消防隊員(38)は涙ぐみながら「よかった」と何度もうなずいた。

 地震の際、2人は2階の台所で食事中だったという。救出時、そばにはパンや冷凍たこ焼き、焼きのりなどの袋もあった。おばあちゃん子の任さんは、動けない寿美さんのために隣室から毛布を運び、励まし続けた。任さんは「がれきに閉じこめられていたけど、余震が落ち着き、今日ようやく外に出られた」と署員らに話したという。同署は屋根裏に通じる隙間(すきま)から体を入れ、屋根を突き破って外に出たとみている。任さんは、署員が差し出したお菓子をおいしそうに食べたという。

 気象庁によると、震災後、石巻市の南西約40キロの仙台市で18日に最も低い氷点下4.1度を記録。16日からの4日間は冬型の気圧配置の影響などで最低気温が氷点下の日が続き雪も降った。石巻市の観測データは地震の影響で12~18日は欠測していた。

 ◇父「信じていた」

 救助された阿部任さんの父明さん(57)が20日夜、次男任さんと寿美さんが搬送された石巻赤十字病院で記者会見。「一報を聞いた時に救われる思いがした。絶対に生きていると信じていた。本当にありがとうございました」と頭をさげた。祖母を励まし続けた任さんに「よく頑張った」とねぎらいの言葉をかけたという。

 明さんによると、地震翌日の12日朝9時、いったん寿美さんの携帯電話につながり、任さんが出て「家は全部つぶれたけど、今台所にいる」と話した。しかし、家があった場所には家屋がなく、母、兄、叔母が捜索していたという。2人は家ごと津波に流されたとみられる。

 一方、安否不明者が多数いることに触れ、「私たちだけこんな幸せを味わうことを申し訳なく思う。何か役立つことをしようと家族で話し合いたい」と話した。

 会見に同席した石巻日赤の小林道生・救急救命センター副センター長によると、寿美さんは軽い脱水症状で、任さんも左足にはれがあるが、2人とも他に目立った症状はなく元気という。小林副センター長は2人の生還について「奇跡的に冷蔵庫や台所に近いところに閉じ込められ、水と食料があったことや、体がぬれなかったことがよかった」と話した。【比嘉洋】

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