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2006年05月29日

ベクテル社という企業を知っているか(EJ第1128号)

 レーガン政権がどのような政権だったかを知る前に、「ベクテ
ル社」という企業について知る必要があります。「ベクテル社を
知らずしてアメリカを語るな」ともいわれます。大韓航空007
便撃墜事件の謎もベクテル社を調べることによって自然に解けて
きます。
 現在ベクテル社の年間の売上高は4兆円を軽く超えており、世
界最大の巨大企業といってよいでしょう。IBMとAT&Tを合
わせたよりも大きく、日本の建設会社を15〜16社束ねたより
も巨大であるにもかかわらず、株式非公開の個人企業であるため
その知名度は非常に低いのです。あなたは、このEJを読む前に
「ベクテル社」という名前をご存知でしたか。
 そんな知名度が低くても大丈夫なのかと心配する必要はないの
です。別に企業の存在を隠しているわけではないのですが、ベク
テル社にとってはその方がかえって都合がよいのです。なぜなら
一般大衆の支持や注文などは、一切必要のない「政府がらみの巨
大受注」だけでやっていける企業であるからです。
 いったい何をする企業かですが、日本経済新聞社の『外国会社
年鑑』によると、次のように出ています。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 世界最大級の建設・エンジニアリング・グループ。株式、財務
 内容ともに未公開。設立以来、世界7大陸140ヶ国で、1万
 5000を超えるプロジェクトに従事。
           ――『外国会社年鑑』1998年版より
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 ベクテル社は、あらゆる分野において、産業設備と開発を手が
けていて、大きなことは何でもやれる企業です。とくに力を入れ
ているのは、原子力発電関係と空港新増設分野、宇宙開発分野、
軍事関係の分野などであり、なかでもNASAと手を結んでの宇
宙開発、軍事関係分野については、その力量は世界一といわれて
いるのです。
 ベクテル社内には、次の6つのグループ企業があります。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 1.ウエスタン発電会社  ・・・ 原子力・火力発電
 2.ベクテル会社 ・・・・・・・ 石油パイプラインなど
 3.ベクテル商社 ・・・・・・・ 石油・石油化学など
 4.ベクテル開発 ・・・・・・・ 輸送・開発・水源・通信
 5.ベクテル・ナショナル会社 ・ 防衛・宇宙
 6.ビーコン建設 ・・・・・・・ 建設とその付随業務
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 これだけの規模の企業でありながら、すべての株はベクテル一
族と約80人の幹部社員が持ち合っており、決して上場しないの
です。そのため一般的知名度は低く、企業の実態は知られていな
いが、知る人は知っているという不思議な企業です。
 ベクテル社は、1872年に米国中西部の農民の子として生ま
れたウォーレン・ベクテルがカルフォルニアで始めた会社ですが
最初は数頭の騾馬で砂を運ぶ零細企業だったのです。しかし、州
内の鉄道工事を請け負ったことで、大金を掴み、次第に事業の幅
を広げ、1928年にウォーレンは米国ゼネコン連合会長の座を
射止めるのです。この連合会は、政界への強力な圧力団体であり
連合会長のポストは大口の受注を受けるのに絶好なのです。
 そして、1930年に、総工費4900万ドルのコロラド川の
ダム建設――当時はボールダー・ダム、後のフーバー・ダムの工
事を6社共同の企業体の社長として受注するのです。ここからベ
クテル社は、大飛躍を遂げることになります。
 しかし、その事業でウォーレンは、800万ドルの運転資金が
必要になったのですが、そのとき、その資金を供与するとともに
事業についてのコンサルティングを申し出たのが、ヘンリー・シ
ュローダーとロックフェラー・グループだったのです。
 ウォーレンがこれを受け入れると、彼らは事業資金を融資する
と同時に、J・ヘンリー・シュローダー社副社長であるジョン・
ローリー・シンプソンをベクテル社財務委員会の委員長として送
り込んできたのです。
 このJ・ヘンリー・シュローダー社というのは金融商会、つま
り銀行なのです。同社は、第1次世界大戦後のドイツをめぐる取
り引きで巨額の利益を上げ、途方もない人脈と金脈を保有する企
業だったのです。
 6月13日のEJで私は「国際ビジネスマン」ということばを
使いましたが、このヘンリー・シュローダーとロックフェラー・
グループなども国際ビジネスマン――というより「国際金融家」
の方が名称にふさわしいかも知れない――といえます。
 このJ・ヘンリー・シュローダー社とドイツ側との賠償交渉で
活躍した超有名人がいます。
 ジョン・フォスター・ダレス―――第2次大戦後、アイゼンハ
ワー大統領のもとで国務長官に就任し、「ダレス外交」の名をほ
しいままにした、あのダレスです。当時、ダレスは、サリバン・
アンド・クロムウェル法律事務所に属し、ベルリンでのドイツ側
との交渉で、米国の銀行を代表していたのです。
 ダレスには弟がいます。アレン・W・ダレス――弟のダレスは
第2次大戦中にOSS(オフィス・オブ・ストラテジック・サー
ビス/戦略情報事務局)のスイス支局長を務めています。
 このOSSは、第2次大戦直後の1947年に組織再編され、
CIA(中央情報局)になるのです。そして、1953年にアレ
ン・W・ダレスは、ついにCIA長官に就任します。職員数1万
数千人予算額7億5000万ドルを擁するCIAのトップになっ
たのです。
 この2人のダレスは、第2次大戦後にそれぞれの分野で大活躍
をするのですが、彼らは長い間にわたり、J・ヘンリー・シュロ
ーダー社の役員を兼ねており、同社に莫大な利益をもたらしたの
です。このように、ベクテル社はJ・ヘンリー・シュローダー社
と仕事をするようになって、国際的な諜報活動網を入手するよう
になって、ますます発展するのです。 −−−[大韓航空026]

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