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[18444] ショート・オブ・ザ・レギオス
Name: 粒子案◆a2a463f2 ID:bc487448
Date: 2011/05/11 19:34

警告。

この作品は鋼殻のレギオスの二次制作です。
ギャグの作品が殆どです。
短編あるいは数話の短い話です。
超設定と超展開が盛り沢山です。
原作キャラに魔改造が施されています。
原作とは違った内容でレイフォンが不幸になります。
ネタを思いついた時のみ更新されます。
復活の時とは何の関係もありません。

以上の内容をよくご確認の上、苦手なようでしたらお引き換えしください。


更新記録
2010年4月28日 超槍殻都市グレンダンを投稿
2010年5月12日 超槍殻都市グレンダン2を投稿
2010年6月2日 超槍殻都市グレンダン3を投稿
2010年6月16日 超槍殻都市グレンダン4を投稿
2010年6月30日 超槍殻都市グレンダン5を投稿
2010年8月18日 血まみれのレイフォンを投稿
2010年11月3日 超堕落都市グレンダンを投稿
2010年12月29日 B B Rを投稿
2011年2月7日 死闘 ヴァン・アレン・デイ 前編を投稿
2011年2月14日 死闘 ヴァン・アレン・デイ 後編を投稿
2011年5月11日 超放浪バスの車内から 前編を投稿



[18444] 超槍殻都市グレンダン
Name: 粒子案◆a2a463f2 ID:bc487448
Date: 2010/12/29 19:43


 レイフォン・サイハーデンは武芸者である。
 今年十五歳になる彼の実力は、上の下。
 個人の戦闘能力としては上々で、組織の一員としては非常に使い勝手がよい。
 超至近距離の戦闘もそつなくこなすし、長距離からの支援攻撃もそこそこ出来る。
 何処で覚えたか不明だが、鋼糸を使った幼生体の虐殺なんて事まで出来るのだ。
 だが、その真価を発揮するのはやはり刀を使った接近戦。
 サイハーデンの名を僅か十二歳で受け継いだその実力は、驚愕することはないが賞賛されていた。
 だが、一部隊の指揮官としてはまだ経験不足もあり未知数だ。
 それでも、汚染獣との遭遇確率が極めて高いグレンダンという都市において、その実力は遺憾なく発揮されている。
 流石に老性体に一人で挑めとか言ったら瞬殺されるだろうけれど、雄性体一期までなら一人でも十分に戦える実力を持っているのだ。
 そんなレイフォン・サイハーデンは孤児院の運営資金を稼ぐために今日も戦っていた。
 そう。戦っていたのだ。

「あれ?」

 戦っていたのだが、気が付けば周りから仲間の姿が消えていた。
 これはたまにあることなので気にしてはいけない。
 何故たまにあるかと聞かれると、それは簡単。

「また、念威端子が故障したかな?」

 そう。レイフォンに張り付いているはずの念威端子は、一年の間に二度ほど故障してその役目を果たさなくなるのだ。
 始めの時はおおいに慌てた物だが、いい加減に五度目ともなるとなれるのが人の常。
 何時もならグレンダンの方に走れば事足りる。
 レイフォンが慣れたと同じだけ、仲間の方も慣れているのだ。
 おそらく彼らもグレンダンの方に移動してレイフォンを待ってくれているはずだ。
 戦闘も終演に向かいつつあることだし、みんなグレンダンの側でレイフォンを待っているに違いない。
 その結論に達したレイフォンが踵を返そうとしたのだが。
 今日は少しだけ様子がおかしかった。

「! あ、あれは!」

 今日の汚染獣は大盤振る舞いだった。
 幼生体五千。
 雄性体一期三十八。
 雄性体二期十九。
 雄性体三期八。
 雄性体四期三。
 雄性体五期二。
 そして止めとばかりに、老性体一期が三。
 念押しとばかりに、老性体二期以降が三。
 はっきり言って、グレンダン以外の都市だったら瞬殺されている戦力だ。
 だが、そこはそれ。
 天剣授受者九人が出撃して、老性体を始末に掛かっている。
 もちろんレイフォンだって頑張って戦っているのだが、所詮一般武芸者と天剣授受者では天地の実力差がある。
 それは問題無い。
 老性体の全てが駆逐され、ついでに雄性体五期と四期も始末された戦場で、残りはそれほど多くない。
 そう。問題なのは、柄の長さが三メルトル。その柄の先に一メルトルの直径の頭を持った、目標をたたきつぶすことだけに特化した白銀に耀くハンマーの形をした錬金鋼。
 それを持つ小柄と言って良い身体を視界に納めてしまった事の方だ。
 別段身体が大きければ武芸者として優秀という訳ではない。小柄だと言って無能だという訳でもない。
 問題なのはその身体に宿る剄脈の総量だ。
 だから小柄なのは問題無い。
 ヴォルフシュテインと背中に書かれた、汚染物質遮断スーツに比べたら、何の問題も無いのだ。

「リーリン・ヴォルフシュテイン・ユートノール」

 その人物の名を、震える唇が紡ぐ。
 戦場でヴォルフシュテイン卿の背中を見た者には、死が待っている。
 戦場伝説としてそう語られているのだ。
 実際に殺された人と会ったことはないし、その同僚とも遭遇したことはない。
 だが、往々にして戦場伝説とは何らかの真実を含んでいる物だ。
 それを認識しているからこそ、レイフォンは慎重に後ずさる。
 決してヴォルフシュテイン卿から視線をそらせてはいけないのだ。
 汚染獣の襲撃を背中から受けることがあったとしても、それを見ずに撃退しなければならないのだ。
 視線を外した瞬間、死んでしまうから。
 目の前で、巨大なハンマーを使い雄性体の三期らしいやつの頭を景気よく潰している天剣授受者に比べたら、他の汚染獣なんて雑魚でしかないから。
 そして慎重に間合いを計ること一分。
 やっと安全圏に脱出できたと思えたのだが。

「!! ひっぃぃ!」

 いきなり今まで感じたことのない悪寒から逃げるために、大地へとその身を投げ出す。
 直後、轟音を立てて何かが上空を通過したような気がする。
 巻き上げられた土煙から判断しても、おそらく間違いない。
 驚愕のために心臓がダッシュをしているが、何とか生き延びる事が出来た事に安堵している内に、辺り一面を席巻していた土煙が晴れて行く。
 恐る恐ると頭を上げてみると、二本の足らしき物があった。
 付近に他の武芸者がいなかった事は確認済み。
 自分の足がそこに立っているなどと言う事もない。
 汚染獣がこんな足をしているはずはない。
 残る確率は一つだけ。

「あれ? 君って誰?」

 同年代くらいの少女の声がかけられた。
 今まさに、必殺の攻撃をしてきたにもかかわらず、その声はどことなく良い運動をした満足感に満ちているような気がする。
 きっと気のせいではない。
 そして声をかけてきた人物とは、もちろんリーリン・ヴォルフシュテイン・ユートノールその人である。
 ここで名前を覚えられるのはあまり好ましくないと、そんな気がしてならない。
 レイフォンのこの手の直感は外れたことがないのだ。

「あ、あの。少々迷子になってしまった間抜けな武芸者で御座います」
「へえ。そうなんだ」

 どうやら、さほどの興味を引かずに済んだようだ。
 ゆっくりと立ち上がり、慎重に間合いを取りつつグレンダン目がけでダッシュするタイミングを見計らう。
 関わっては駄目なのだ。
 サヴァリス・クォルラフィン・ルッケンスと同じくらいに危険な天剣授受者。
 そう言う認識がグレンダン武芸者の中で確立している。
 だが!

「どっこん♪」
「ひぃぃぃ!」

 いきなりだった。
 何の前触れもなく間合いの計り合いも無しに、いきなり巨大なハンマーがレイフォンの頭頂部へと振り下ろされたのだ。
 辺りを支配する轟音と衝撃波。
 当然、渾身の力を振り絞って回避したのだが、はっきりと寿命が縮んでしまった。
 具体的に言うと三年二ヶ月くらい。

「う、うふふふふふふふふ」

 何故か楽しそうに笑うヴォルフシュテイン卿。
 バイザー越しで視線を確認できないのは、良いことなのか悪いことなのか。
 取り敢えず抗議をしておきたいところではある。

「い、いきなり何を?」
「うふふふふふ。なんだか、避ける仕草が可愛かったから、つい」

 とても物騒なことをおっしゃるヴォルフシュテイン卿。
 表情は見えないはずなのに、舌なめずりをするところを容易に想像できてしまったりする。
 兎に角、抗議も終わったので逃げようとしたのだが。

「ねえ君」
「は、はい?」

 逃げるタイミングを逸してしまったようだ。
 これ以上ないくらいにやばい予感が、全身にみなぎってきてしまうくらいに、危険極まりない。

「そこに雑魚が一匹残っているから始末しておいてね♪」
「ざ、雑魚ですか?」

 雑魚と言うからには幼生体の生き残りとか、せいぜいが雄性体の一期くらいだろうと判断する。
 雄性体は雑魚では済まされないのだが、天剣授受者にとっては間違いなく雑魚だ。
 まあ、それくらいの危険でこの場を逃れられるのならば、収支は著しく黒字だと判断した。

「かまいませんよ」
「じゃあよろしくね」

 そう言うと、旋剄を使って戦場から離脱するヴォルフシュテイン卿。
 そして、振り返り理解した。
 天剣授受者とははっきりと化け物の集団なのだと。

「ど、何処が雑魚なんだ?」

 その複眼でレイフォンをにらみ据えているのは、雄性体の二期にしか見えない巨大な汚染獣。
 はっきり言ってレイフォンの許容量をオーバーしている。

「お、落ち着くんだ。僕がここで戦っていることは念威繰者が確認しているはずだ」

 レイフォンの側にあるはずの端子は故障しているが、グレンダンには天剣授受者の中で良識派と呼ばれるキュアンティス卿がいる。
 彼女ならば少々距離のあるグレンダンからでも、ここを探知していてくれるはずだ。
 そうなれば応援が来るのも時間の問題。
 仲間が駆けつけてくれるまで持ちこたえることが出来れば、はっきり言って勝ち戦だ。
 だが!

「へえ。彼がそうなのですか?」
「ええ。避ける姿がとっても可愛いの」

 背後からそんな声がした。
 恐る恐る振り返ると。
 口の部分に何か細工が施されているらしい遮断スーツを着た長身の男性と、先ほど立ち去ったはずのヴォルフシュテイン卿がいらっしゃるような気がする。
 脳内で高速検索。
 結論はすぐに出た。
 いや。一目見る前からおおよそ見当は付いていたのだ。

「クォルラフィン卿?」
「やあ。面白い武芸者がいるって言うのでね、老性体と遊んだ帰りに寄ってみたんだよ」

 老性体と遊べるという神経がまず信じられないが、実際に遊び感覚だったのだろう。
 熱狂的戦闘愛好家であるクォルラフィン卿ならば、十分にあり得る。

「さあ。君の力を僕にも見せてくれ給え。大丈夫だよ。きっと死にかければ未知なる力に目覚めるから」
「う、うわぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」

 天剣授受者が後見人だと思えば、これ以上ないくらいに心強いのだが、この場にいる二人ならばきっと死ぬまで手を出さないだろう。
 そう言う核心がある。

「ほら。前見ないと危ないわよ?」
「どわぁぁぁぁん!」

 天剣授受者二人に気を取られていて反応が遅れたが、雄性体二期の攻撃がレイフォンを襲う。
 それを紙一重で避けつつ、とっさに刀を振り攻撃を打ち込む。
 精神的な動揺とは別に、身体はきっちりと仕事をこなし、有効打をこつこつと送り込む。
 幼生体くらいならば今の一連の攻撃で仕留められただろうが、残念なことに相手は雄性体二期。
 与えた程度の攻撃でどうにかなる訳ではない。

「成る程。なかなか良い動きですね」
「でしょうでしょう?」

 なんだか後ろの二人は喜んでいるが、レイフォンはそれどころではない。
 普段使わない頭を必死に使って、生き残る道を探す。
 天剣中でもっとも危険な二人が居る以上、仲間が来ることは殆ど考えられない。
 誰だって自分の命が惜しいのだ。
 グレンダンに向かって逃走するというのもおそらく無理だ。
 水鏡渡りは旋剄を超える超高速移動だが、相手は天剣授受者だ。
 間違いなく途中で追いつかれる。
 追いつかれたらおそらく命はない。
 残る選択肢はただ一つ。
 目の前のやつを何とかする。
 はっきり言ってレイフォンの実力を超えているのだが、やるしかないのだ。

「ええい! こうなればやけだ!」

 戦場でヴォルフシュテイン卿の背中を見たら死ぬ。
 その本当の意味はもしかしたら、今レイフォンが遭遇している状況なのではないかと思うのだが、もはや逃げることは出来ないのだ。
 ならば全力を持って戦い、生きて帰るしかない。

「僕には死ねない理由があるんだ! お前なんかに殺されてたまるか!」
「そうだ! その意気込みで僕とも殺し合おう!」
「ああ素敵! やっぱり君ってとっても素敵!」

 外野がうるさいが、目の前の敵に集中し始めたレイフォンにはもう関係がない。
 そして刀争が始まる。
 
 
 
 戦いは三日三晩続いた。
 そして驚いたことに、レイフォンは生き残ることが出来た。
 しかも、ほぼ単独で雄性体二期を始末することが出来た。
 奇跡の勝利だと断言できる。

「はあ」

 グレンダンから仲間がやってきて、戦い終わり精根尽き果てたレイフォンを回収してくれた。
 そうでなければのたれ死んでいただろう。
 回収された時には既に眠っていたようだし。
 天剣授受者二人は、終わる頃には飽きていたのか姿が消えていたそうだ。
 グレンダンに辿り着いてもなお、二日二晩眠り続けていたそうだ。
 身体が動くようになるまでに、更に五日ほどかかった。
 そんなこんなで、やく十日ぶりに家に帰り着くことが出来た。
 再び帰ることが出来たことに、誰かに向かって感謝したいくらいだ。
 その感謝の念と共に、孤児院の扉を開けて。

「ただいま?」

 玄関の扉を開けて、踏み出しかけた足が空中で急停止。
 目の前にある物がなんなのか、映像を脳内で処理する。
 何かの団子のように見える。
 まだら模様というか、脈絡のない色使いをしている。

「ああ! 兄ちゃんだ」
「お帰り兄ちゃん」

 弟と妹の声がするところを見ると、目の前の物体の構成物質には人間が混ざっているようだ。
 だが、なんだかおかしい。
 何時もなら目の前の構成要因の一部になっているのは、レイフォン自身のはずだ。
 一番下にしかれて瀕死の状態で助け出されるのが、戦い終わって帰って来たレイフォンを迎える儀式のはずだ。
 外から見ると、なんだか壮絶な儀式ではあるが、それでも生きて帰ったことを実感できる。

「誰?」

 問題なのは、レイフォンではない誰かが儀式の犠牲者になっていると言う事だ。
 細く白い手が助けを求めるように、パタパタと動いているような気がする。
 犠牲者は女性らしい。
 ここを訪れる女性のリストを作る。
 だが、そのリストの中に目の前で動いている手の持ち主はいない。
 何故かと問われるのならば、その手は間違いなく武芸者の物だからだ。
 しっかりと鍛えられて、掌が硬くなっているし、剄の輝きも見える。
 そこまで考えてから、間違いに気がついた。

「その前に助けないと」

 思わず詮索することを優先してしまって、助けるという最も早くやらなければならないことを怠ってしまったのだ。
 普段ならやらない間違いなのだが、なぜだか助けてはいけないような気がするのだ。
 きっと気のせいだけれど。

「ほらどいて。こら! 僕に抱きつくんじゃないの」

 標的をレイフォンに移そうとする子供達を捌きつつ、順繰りにどけて行く。
 そして思う。

「悪夢だ」

 大勢の子供の下から現れたのは、ややくすんだ金髪を持った同年代の少女。
 右目に眼帯をしていることも確認した。
 子供達に押しつぶされかけて皺だらけになっているが、とても仕立ての良さそうな服を着て剣帯に錬金鋼をいくつか差している。
 間違いなく武芸者だ。
 しかも良く知っている。
 そして、こんなところにいていい人でないことも間違いない。
 再び子供達の下敷きにして、全力でグレンダンから逃げ出すべきかも知れないと思ったが。

「いやぁ。助かったわ。有り難うレイフォン」

 朗らかに笑いつつ何故か名前を呼ばれた。
 まあ、それは当然かも知れない。
 雄性体二期とやり合って勝ったのだ。
 その功績は評価されているだろうし、そうなれば名前が分からない訳無いのだ。
 報奨金を放棄してでも名無しの武芸者で通したかったのだが、生憎と周りがそれを許してくれなかったのだ。
 人身御供というか生け贄というか。

「い、いえ。ご無事で何よりですヴォ」

 いきなり唇に人差し指が当てられた。
 もちろんレイフォンの唇にだ。
 そして、すぐ目の前に眼帯と左目が現れた。
 超接近戦がお望みの様だ。

「リーリン・マーフェスよ? もう忘れたのレイフォン?」

 とても親しそうな口調でそう言うのだ。
 つまりは、秘密にしろと言うことなのだろう。
 有名人なので無駄だと思うのだが、従わないという選択肢を選んだ場合、天剣授受者と戦わなければならない。
 勝てるはずのない戦いに挑むという精神構造は、レイフォンの中にはないのだ。

「う、うん。ちょっと忘れていたかも知れない」

 取り敢えず従う方向で話を進める。
 ただ問題なのは、何故こんなところにいるかと言う事だ。
 ここはレイフォンの家と言える孤児院で、ヴォルフシュテイン卿が興味を持ちそうな物は無い。
 レイフォンを除いて。

「ま、さか」
「うふふふふふ」

 どうやら最悪の予測が当たっているようで、にこやかに笑うヴォルフシュテイン卿。
 その視線は激しい熱とあふれる湿気に満たされ、じっとりとレイフォンを見つめている。
 恋する視線だったとしたら非常に迷惑な話だが、明らかに違う。
 言うなれば、獲物をいたぶって楽しむ猫の視線かも知れない。
 今の状況に比べたのならば、王家の人間に恋されるという迷惑の方が、まだましかも知れない。
 レイフォンがそんなことを考えている間に、ヴォルフシュテイン卿の右手が剣帯に伸びているのだ。
 天剣は持ってきていないようだが、例え素手でも一般武芸者を瞬殺することくらい訳ないのが天剣授受者だ。
 なので、レイフォンのとれる行動はただ一つ。
 ゆっくりと後ずさる。
 逃げるという選択肢も存在していないのだが、それでも後ずさってしまう。
 一秒でも長く生きるために。
 そして、ふと、後ろに何か気配を感じた。

「い?」

 振り向いてみた。
 それが寿命を縮めることだと知っていたのだが、それでも確認してみたかったのだ。
 あまりにも良く知っている気配だったから。

「レイフォン」

 何故か刀を復元した父であるデルクがいるのだ。
 非常に攻撃的な剄をみなぎらせて。
 技的には逆捻子か鎌首だろう事が予測できるが、今の体制で避けきる自信は全く無い。

「リーリン殿に言い寄って関係を結んだそうだな」
「い?」
「いかにリーリン殿がお許しになろうと、私はお前を許さん! 今この場で成敗してくれる!」

 どういう理由でそんな事になったのか甚だ疑問ではあるが、それでも弁明一つせずに殺されたのでは溜まったものでは無い。
 それ以前に、ヴォルフシュテイン卿を押し倒すなどと言う行為が出来るほど、レイフォン・サイハーデンは優秀な武芸者ではないはずだ。
 更に基本的な事実として、レイフォンの様になると近所の男の子が言えば、それはつまり、自分に好意を持ってくれている女の子を、合意の上でも押し倒せないヘタレになるという意味だ。
 そんなヘタレのレイフォンが、天剣授受者で王家の人間に迫り関係を結ぶ。
 それはこの世が終わるまでに一度起これば多い程度の確率でしかないのだと言う事を、デルクにはきっちりと知っておいてほしかった。
 そんな抗議の意志を込めて、レイフォンも刀を復元しようとして。

「じょっきん♪」
「ひぃぃぃぃん」

 突如首筋に感じた寒気から逃げるために、思い切ってデルクに抱きつく様に前に飛び出す。
 頭の上で金属同士がこすれる音が聞こえたような気がするし、髪の毛が何本か切られたような気もするが、取り敢えずまだ生きている。
 そして、恐る恐ると上を見上げて。

「鋏?」

 全長二メルトルになろうかという、巨大と呼ぶにはあまりにも大きな鋏が、視線の先で停止している。
 もちろんその鋏の取っ手を持っているのは、先ほど子供達の下敷きになり助けを求めていた、白くて細い手だ。

「うふふふふふふふふふ」

 何故か非常に楽しそうに笑うヴォルフシュテイン卿。
 今にもよだれを垂らさんばかりに、お喜びになられている。

「リーリン殿?」
「どうせ切るんだったら自分でやった方が気持ちいいですから」

 デルクの問いにそう答えているところを見ると、やはり目的はレイフォンの命だったようだ。
 あまりにも大きな問題を前に、レイフォンの思考は急停止。
 やはり、ここには帰らずにグレンダンを逃げ出すべきだったかも知れないと思わなくも無いが、既に遅い。

「まあ、さっきのは冗談ですよ。私が関係を結ぶとしたらそれなりの人ですから」
「そ、そうでしたか。いや。そうとは知らず見苦しいところをお見せいたしましたな」

 レイフォンを抜きにして会話が弾んでいる。
 取り敢えず子供達の方を見ると、何故か楽しそうに笑っている。
 拍手しているのもいたりする。
 きっと何かのコントだと思ったのだ。
 命がけだけれど。

「それで本題なんですけれど」

 突然、後ろにしゃがんで視線を合わせるヴォルフシュテイン卿。
 レイフォンの命を狙う以外に、何か用事があるようだ。

「何でしょうか?」
「天剣授受者に挑んでみない?」
「挑みません」

 即答である。
 武芸者ならば誰でも一度は目指す天剣授受者の座。
 それに届かないことが分かったとしても、それでも諦めきれずに鍛錬を続けるのが普通である。
 だが、レイフォンは少し違う。
 生まれ持った才能だろうが、剄の動きをその目で捉えることが出来るのだ。
 だから、一度見た技の殆どをかなりの確率で会得することが出来る。
 千人衝や咆剄殺も威力には天地の開きがあるが、それでも再現できるのだ。
 鋼糸だけはかなり苦労したが、それでも何とか幼生体くらいになら使えるレベルになっている。
 千体を超えるような事態には当然対応できないけれど。
 その剄の流れを見ることが出来るという能力のために、実力差を誰よりも正確に知ることが出来るのだ。
 そしてそれは諦めにつながってしまった。

「何故だレイフォン? お前ならば挑戦するに不足はあるまい?」
「有るよ!」

 認識がずれているのか、それともレイフォンの事を過大評価しているのか、デルクがなにやら残念そうにそう言うのだ。
 と、ここで子供達が大勢こちらを見ていることに気が付く。
 レイフォンが天剣授受者になるところを想像しているようで、みんなの瞳がキラキラと輝いている。
 非常に迷惑な期待だと言わざる終えない。

「二人ともこっち!」

 ヴォルフシュテイン卿とデルクの手を引き、併設されている道場へと引っ張る。
 これ以上は一般人に聞かせることは拙いと判断したのだ。
 子供達の喜ぶ姿をこれ以上見たくないという、レイフォンの事情もあるけれど。

「あのですね。僕はそれなりには優秀な武芸者です」

 道場に到着して扉を閉めて、二人が座るのを待ってから話を始める。
 当然誰も覗いてない事を常に確認しつつだ。

「平均的なグレンダンの武芸者の剄量を百とすると、父さんの最盛期でおおよそ百八十から二百」

 物心ついた時に既に引退していたデルクだが、聞いた話や今の状況から推測するとこの程度の数値になる。
 それを踏まえた上で、話を続ける。

「それで、僕の剄量が今のところ二百程度」

 これは恐らく、客観的にも正しいはずだ。
 よく一緒の隊になる武芸者の意見も聞いたところで、多分間違いない。

「それで、ヴォルフシュテイン卿を始めとする天剣授受者なんだけれど、おおよそ一万から一万二千」

 これも恐らくかなり正確な数字のはずだ。
 目の前のヴォルフシュテイン卿から感じる剄量も、おおよそこの範囲に落ち着くのだ。

「つまり、僕は五十倍くらいの剄量がないと天剣にはなれないんですよ」

 五倍だったら将来的には勝てるかも知れないし、三倍だったら今でも何とか互角には戦えるはずだ。
 だが、五十倍以上となると話は全く違うのだ。
 雄性体二期を雑魚と呼ぶような化け物に挑んで、怪我をするような真似は出来ないのだ。

「へえ。そうなんだ」
「う、うむ。そうであったのか」

 二人からは、ややずれた反応しか返ってこない。
 もしかしなくても、過大評価していたのだろう。
 非常に迷惑な話だ。
 特に、何時も一緒にいるデルクがきちんと評価してくれていなかったことに、少々では済まない驚きを覚えてしまっていた。

「剄量だけが問題なんだ」
「い、いや。それはまあ、技量だけならそこそこの自信はありますけれど、絶対的に剄量がたりませんよ」

 ヴォルフシュテイン卿が、なにやらにやりと笑ったような気がしたのだが、気のせいであって欲しい。
 そもそも、武芸者の本質とは剄脈だ。
 武芸者とは呼吸する剄脈と言えるほどなのだ。
 その剄脈が小さいと言う事は、それだけで武芸者として失格と言う事になると言えるほどに、重要なのだ。
 それを理解していないとは思えないのだが、なんだか非常に怖い。

「う、うむ。技量だけならば天剣になれたのか。だが、剄量が足らなければ意味はないな」

 デルクの方はきっちりと理解してくれたようだ。
 かなり嬉しい。

「成る程ね。うんうん」

 なにやら納得しているヴォルフシュテイン卿がかなり怖いが、取り敢えず理解してくれたようでこちらも嬉しい。
 このままの勢いで、天剣授受者に挑むという話を終わりにさせるために、一気にたたみ込む。

「そのような訳で、天剣に挑むなんて論外です」

 これで、ただの武芸者に戻ることが出来る。
 そう思ったのだが。

「別になる必要なんか無いのよ? 挑むだけで」
「絶対に嫌です」

 ヴォルフシュテイン卿とかクォルラフィン卿なんかに挑んで、毎日命の危機に陥っていてはやっていられない。
 いや。ヴォルフシュテイン卿とかなら、なんの脈絡も無しに襲ってきそうで怖いのだが、それでも、他の天剣授受者と戦わずに済むだけで、かなりましだ。

「ええええ! 避ける姿がこれ以上ないくらいに可愛いのに?」
「止めて下さい!」

 これは非常に拙いかも知れない。
 レイフォンの危機感知本能とも呼べる場所が、今までに聞いたことの無いほど大きな警報を鳴らしている。
 鳴っているだけできっと無駄だけれど。

「うんうん。天剣に挑むくらいの武芸者なら、レイフォンに可愛く避けられるくらいの実力が必要よね」
「どんな実力ですか!」

 なにやら非常に怖いことになりつつあることだけは、間違いない。
 解決することも回避することも出来ないけれど。

「うんうん。第一選考基準に加えておくわね」
「お願いですから止めて下さい」

 相手はユートノール家の一人娘だ。
 天剣授受者に挑戦する条件に、本当にレイフォン絡みの項目を追加しかねない。
 と言うよりも、本気だ。

「じゃあ、今日はこれで帰りますね」
「二度と来ないで頂けると嬉しいんですけれど」
「あら? 私をあんなに燃え上がらせたのにそんなことを言うのは、この口かしら?」

 何時の間にか復元されていたおろし金の角が口の中に押し込まれていた。
 これはかなり不味い。

「と、とんでも御座いません! 何時如何なる時でも我が孤児院はヴォルフシュテイン卿のご来訪を心よりお待ちしております!」

 デルクが平身低頭している。
 残念ながら、今を生き延びる手立ては他にない。
 非常に残念ではあるが。

「でしょうでしょう?」

 とても嬉しそうにおろし金を待機状態に戻したヴォルフシュテイン卿が、道場を去っていった。
 後に残るのは脱力したデルクと、これからの人生に恐怖を覚えているレイフォンだけだった。
 
 
 
  後書きに変えて。

 はい。復活以外のレギオス作品です。
 事の発端は、レイフォンがリーリンに茨の鞭で打たれなければどうなっただろうという疑問からでした。
 結局打たれてしまいそうですけれどね。
 正直こんなのを書いている暇があったら、復活を書けと思うんですが、なんだか微妙にノリノリで書いてしまいました。
 おかげで執筆計画に一週間から十日の遅れが。
 ちなみに超槍殻都市グレンダンは、二話か三話の構成の予定です。
 次の更新がいつになるか分からないのが問題ではありますが。
 



[18444] 超槍殻都市グレンダン2
Name: 粒子案◆a2a463f2 ID:51013a3f
Date: 2010/12/29 19:44


 レイフォン・サイハーデンは武芸者である。
 今年十五歳になる彼の実力は、上の下。
 個人の戦闘能力としては上々で、組織の一員としては非常に使い勝手がよい。
 超至近距離の戦闘もそつなくこなすし、長距離からの支援攻撃もそこそこ出来る。
 何処で覚えたか不明だが、鋼糸を使った幼生体の虐殺なんて事まで出来るのだ。
 だが、その真価を発揮するのはやはり刀を使った接近戦。
 サイハーデンの名を僅か十二歳で受け継いだその実力は、驚愕することはないが賞賛されていた。
 と言っていられたのは二週間ほど前までの話だ。
 少々前の出来事だが、雄性体二期をほぼ一人で殲滅した事により、かなり優秀な武芸者として周りに認識されている。
 そのときの報奨金は何故かかなりの金額だったのだが、ただいま現在その理由を直感的に認識してしまう事態に陥っていた。

「糞餓鬼! 糞避けるな! 糞当たれ! 糞忌々しい! 糞すばしっこい! 糞面倒くさい! 超ウザイ! 糞死ね!」
「どわ! およ! のび! ほげ! まち! どび! ひょ! しゅ! ひょ!」

 そう。今のレイフォン・サイハーデンは猛烈に危険な状態に置かれているのだ。
 天下の往来だというのに、ブレイクオープンリボルバー二丁を持った派手な格好の女性に、延々と撃たれ続けているのだ。
 当然ではあるのだが、それを延々と回避し続けている状況だ。
 そして、レイフォン相手にこんな地獄の攻めを行っているのは、言わずと知れた天剣授受者。
 バーメリン・スワッティス・ノルネその人である。
 スワッティス卿が現れた直後、周りにいた人達が悲鳴を上げつつ高速で避難。
 近くにあった家や商店は完全防御の態勢を確保。
 当然レイフォンも一緒に逃げたかったのだが、ある一定以上スワッティス卿から離れる事が出来なかった。
 後一歩でも前に進めば、惨殺されるという変な確信があったのだ。
 この手の直感が外れた事は殆ど無い。
 そして、おそらく今回も当たっているのだろう事が予測できた。
 スワッティス卿が放った剄弾が、レイフォンが逃げるのを諦めた少し先でいきなり消滅しているのだ。
 こんな事が出来る人間を一人だけ知っているだけに、何とか生き残るためにスワッティス卿の隙をうかがわなければならない。
 もし、いきなり天剣を使われていたのならば、会敵必殺で消滅していただろうが、幸か不幸か彼女が使っているのは対人用の小型拳銃だ。
 小型拳銃と言っても、その威力は当たればレイフォンを殺す事が出来るという代物だ。
 それが一秒間に六発という連射速度で延々と撃たれ続けている状況でも、何とか生きていられる事にこそ驚くべきなのかも知れない。
 とてもレイフォン本人にそんな実感はないけれど。
 だが、転機は唐突に訪れた。

「超ウザイ! 一発で決める!」

 何を思ったのか、小型拳銃二丁を放り出すスワッティス卿。
 放り出したはずだと言うのに綺麗な動きを見せて、何本も身体に巻き付けて有る鎖に、待機状態になってぶら下がる錬金鋼。
 そして次の瞬間、悪夢が顕現した。
 白銀に耀き上下に砲口が並んだそれは。

「天剣」

 天剣授受者の膨大な剄量を受けても、壊れる事のない究極の錬金鋼。
 すでにチャージは完璧な様で、砲口に剄のきらめきが見えたりしている。
 ここは町中である。
 外苑部が近いとは言え、まだまだ人の住む地区があるこんな場所で天剣を使ったりすれば、大惨事間違い無しだ。
 それ以前に、レイフォンは消滅しているけれど。
 この事態を何とかしなければならないのだが、あいにくと時間がなさ過ぎる。
 銃使いの特色として、チャージしておけばいつでも撃てるし、剄を全て活剄に回す事も出来るのだ。
 どう考えても全力の天剣授受者から逃げるなどと言う事は無理だ。
 もしかしたら、剄の収束率を限界まで上げているのかも知れない。
 レイフォンが今立っている場所の両脇一メルトルだけを綺麗に消し飛ばす様に。
 これなら町の被害は限定的な物になるし、レイフォンを綺麗に殺す事も出来る。
 完璧な狙撃と言えない事はない。
 どうがんばってもレイフォンは死ぬけれど。
 だが、更に驚愕の事態が訪れた。
 なにやら耳障りな音がスワッティス卿の首もとからしたかと思うと、いきなり天剣が消失。
 待機状態になっただけだろうけれど、後数秒は生きていられそうだ。

「糞時間切れか。糞運の良い奴め! 糞今度は殺してやる。糞覚悟しておけ!」

 そう言うといきなりスワッティス卿の姿が消えた。
 何がどうしたかはさっぱり分からないが、とりあえず生き残る事が出来た様で嬉しい。
 服の袖や裾がボロボロに焼き切れていたり、剄弾がかすったためにあちこちから軽く出血をしているが、まだ十分に生きていると言える状況に、一安心する。
 普通の銃使いならば、銃口に注意を払っておきさえすれば、攻撃を避ける事は難しくない。
 銃弾は真っ直ぐしか飛ばないし、発射のタイミングを見計らって射線上から逃げればそれで良いだけなのだ。
 だがスワッティス卿は流石に違った。
 銃弾が曲がったのだ。
 かすった傷は全て曲がる銃弾の軌道を読み間違えた物だし、中にはレイフォンを追尾してくるという反則の攻撃まであった。
 今生きていられる事が不思議な戦闘だったのだ。
 そして時間切れといった事も含めて、色々疑問があるから試しに聞いてみる事にする。

「サーヴォレイド卿。その辺にいらっしゃったら返事して頂きたいのですが?」

 レイフォンの周りを未だに囲っているのは、間違いなくサーヴォレイド卿の鋼糸だ。
 スワッティス卿の剄弾を無効化したり、レイフォンが気が付かない内に周囲を囲ったりと言う事が、その辺の武芸者に出来るはずはないのだ。
 そうなると必然的に答えはたった一つ。
 天剣最強と唄われる、偏執的数字愛好家たるリンテンス・サーヴォレイド・ハーデンだ。
 自室から外の汚染獣を虐殺できると言われているから、この付近にいるかどうか分からないが、聞くだけで命を狙われる事はないだろうという計算もあった。
 だが、それは甘い予測だった様だ。

「ひぃっ!」

 突如として、スワッティス卿の攻撃の比ではない寒気を感じて、全力で上半身をのけぞらせる。
 顎の少し前を何かが通過した様に感じるよりも早く、腹筋を使って強引に下半身を跳ね上げる。
 身体がほぼ水平になった状態で鋼鉄錬金鋼を復元して、それを路面に突き立て強引に身体の向きを変える。
 更に足の裏から衝剄を放った反動で、空中で姿勢を制御。
 大きく刀を振って更にひねりを加えつつ、掌から衝剄を放ち上空へと身体を押し上げる。
 端から見ていると空中浮遊をしながら、変な踊りを踊っている様に見えるかも知れないが、実は全て鋼糸による攻撃を避けているのだ。
 スワッティス卿の攻撃に比べて、遙かに変化に富んでいるために直前まで攻撃を予測できないという、恐るべき鋼糸からの死を回避し続ける。
 これははっきり言ってレイフォンの限界を超えた動きだった。
 鋼糸から放たれる衝剄で身体のあちこちから出血しているのだが、それでもまだ致命傷や運動能力を減衰させる負傷はしていない。
 奇跡的と言うよりははっきり言って奇跡だ。
 二度目はおそらく無い。
 だが、その恐るべき攻撃も突如として終わった。

「はあはあはあはあ」

 乱れていた剄息を整えつつ、次に何が起こるか分からない今日を少しだけ呪ってみた。
 正確を期すならば、戦場でヴォルフシュテイン卿の背中を見てからこちら、こんな日が来る事だけは予測していた。
 だが、一日の内に天剣二人から襲われるなどと言う事は、流石に予想外だ。
 空前にして絶後であってほしいと心から願う。
 そうでなければ本当に死んでしまうからだ。

「?」

 突如として、視界の端に人影らしい物が見えた。
 路面上に立っている訳ではないようで、その足の下を日差しが素通りしている。
 こんな事が平然と出来る人をレイフォンは一人しか知らない。
 正確を期すならば、やらせられる人と言うべきだろうが。
 そして視線を上げてみる。
 見えたのは足が二本。
 白くて短い靴下と茶色の革靴を装備している。
 恐る恐る更に上を見てみると、クリーム色のスカートが風にたなびき薄桃色の三角の布が見えるような気がする。

「大胆な覗きね。いやん」

 感情の起伏が感じられない声が、レイフォンを批難するように響いた。
 見られている事を全く気にしていないように見下ろしているのは女性だ。
 それは良い。これで男だったら間違いなくショック死しているから。
 だが、問題は見下ろしている女性だ。
 天剣最強を唄われるリンテンス・サーヴォレイド・ハーデン。の妹さん。リディア・ハーデン。推定三十三歳。
 念威繰者としてはそれなりの実力を持ち、何度か彼女のサポートの元戦った事がある。
 その念威によるサポートは平均的で、レイフォンとしても安心して戦えるのだが、彼女に関して言えばもう一つ重要な要素があるのだ。
 それは覗き趣味があると言う事。
 巨大な望遠鏡をどこからとも無く調達してきて、それを使ってあちこちに覗き行為を行っているのだ。
 その被害にレイフォン自身が合った事も、一度や二度ではない。
 出来れば会いたくない人だ。
 会ってしまっているけれど。

(ああ。なんだか疲れたな。このまま死ねたらさぞかし楽だろうな。いっそのこと貝になってしまったりとか? いや。眼球になってその辺転がっていたらもしかしたら幸せになれるかも)

 今日という日に、全身全霊を使いきってしまったレイフォンは全ての力が抜けてしまい、その場にへたり込み、胎児のように身体を丸めて永遠の眠りにつこうとした。
 だが、世の中はレイフォンにそんな幸せを用意してくれていないようだ。

「さっさとおきなさい」

 感情のないその声と共に、容赦なく蹴られた。
 何故かスパイク付きの革靴で。

「ぐえ! わ、分かりました起きますから蹴らないで」

 このままでは、鋼糸による攻撃を何とか生き抜いたにもかかわらず、念威繰者に蹴り殺されるという不本意極まりない死に方が待っていそうだったので、全身の疲労を活剄で何とかごまかしつつ起き上がる。
 そして路面に降り立ったリディアを見る。
 明らかに三十を超えているはずなのに、二十代中盤にしか見えない外見をした女性だ。
 無表情にこちらを見下ろしているが、これは念威繰者の特色である無表情が原因で他意はないのだと判断する。

「兄から伝言です」
「はあ」
「普通の武芸者なら千の破片になっているところだが、わずかに四十八カ所の怪我でしのいだのは評価に値する。億千万の戦場を生き抜くには足らない物もあるが褒めてやる」

 あのサーヴォレイド卿から褒められたのだ。これは喜んでも良いのかも知れない。
 全然嬉しくないのはきっと気のせいだろうと判断する。

「聞きたい事があったようですが?」
「・・・。ああ。あります」

 何故サーヴォレイド卿に声をかけたのか、一瞬思い出せなかったが何とか記憶の糸をたぐり寄せる。
 そして、答えを聞いて絶望するかも知れないと言う懸念が頭をもたげてきた。

「前回の雄性体の報酬ですが」
「はあ」

 聞く前に答えてくれるようだ。
 その親切心が心に痛い。

「あれは死亡保険金の前払いです」
「・・・・・・・」

 聞かなければ良かったと思い、今度こそ眼球になるために身体を丸める。
 蹴られても起きないぞと心に誓いつつ。

「などと言う事はありません」
「・・・・? はい?」
「あれはミンス・ユートノールから貴方への心ばかりのお礼だそうです」
「ミンス・ユートノールって?」

 記憶に間違いが無ければ、ヴォルフシュテイン卿の叔父に当たる人だ。
 何でそんな王家の人から礼をされなければならないのかと思い、更に絶望の淵にたたき落とされそうになった。
 王家の人から何かもらう事など会ってはならないのだ。
 きっとその見返りに命をよこせと言われるから。

「貴方のおかげで安心して眠れるようになったと」
「・・・・・。なるほど」

 一瞬の思考の後理解してしまった。
 叔父である人からしても、ヴォルフシュテイン卿は恐ろしいのだ。
 いつ襲撃されるか分からないという恐怖に震えなくて済むと、そう言う事なのだろうと推測してしまう。
 普通に考えてありそうな話だ。

「さあ。もう夕方です。家へと帰りなさい」

 リディアが手をさしのべてくれた。
 今日も何とか家へ帰る事が出来る。
 その一心でリディアの手を掴んで、ようやっと立ち上がった。

「今週の天剣授受者による襲撃は無い予定です」
「・・・・・。今週?」

 今の一連の話を総合すると、来週にはまた天剣の襲撃があると言う事になってしまう。
 それは命の危険がこれからも続く事を意味しているように思えてしまうのだが。

「安心してください。サヴァリスさんが貴方を殺す権利を取得しています。彼の事ですからもっと強くなってからでなければ、行動を起こさないでしょう」

 つまりそれは、この襲撃は天剣による鍛錬と言えない事もないのかも知れない。と言う事かも知れない。
 もし生き残る事が出来れば、猛烈に腕が上がる事は間違いない。
 生き残れるとは思えないけれど。

「時間はそれぞれ一分間。天剣の使用は禁止。それによって剄量も制限を受けています」

 スワッティス卿がいきなり攻撃を止めたのもその辺に原因があるのだろう。
 そうでなければ本格的に死んでいたはずだし。
 だが、レイフォンの精神は限界を超えてしまった。
 これからも続く地獄の戦場に心が折れてしまったのだ。
 ゆっくりと暗くなる視界の中、リディアの唇が歪むのを認識してしまった。
 きっとこの事態を心から楽しんでいるのだと。そう確信させるゆがみ方だった。
 
 
 
 レイフォンは死ななかった!
 心が完全に折れて砕けていたにもかかわらず、その身体は順調に回復してしまったのだ。
 とは言え、天剣二人の連続攻撃は凄まじい疲労をレイフォンの身体に残した。
 結局のところ入院一週間だった。
 その間、武芸者になれなかった医師や看護師から握手を求められた。
 準天剣級の実力者だと誤解されているようだ。
 同じく入院中の武芸者からも羨望の眼差しで見られたが、見舞いに来た武芸者からは哀れみの視線で見られた。
 事情を知れば羨望の眼差しを送れる人間など、そうそうはいないだろう。
 デルクを始めとする家族が見舞いに来てくれた。
 これは嬉しかった。
 傷つき疲れ果てた心が癒された。
 砕け散ったと思ったのだが、そうでもなかったのかも知れない。
 そして、ヴォルフシュテイン卿とクォルラフィン卿も、見舞いという大義名分の襲撃に来てくれた。
 これは全然嬉しくないけれど。
 そして、とうとう退院の日だ。
 この建物を出た次の瞬間に天剣の襲撃があるかも知れない。
 エアリフォス卿やヴァルモン卿が襲ってきたら、今のレイフォンに逃げるだけの体力はない。
 だが、事態は最悪を更に超えて突き進む。
 病院の玄関を出て十五メルトル。
 そこに一人の武芸者が佇んでいる。
 同年代と思われる黒髪の少女だ。
 整った顔立ちと育ちの良さを伺える佇まい、そして何よりも仕立ての良さそうな服装。
 これはもしかしたら、また王家の人間の襲撃かも知れない。
 関わっては駄目だ。
 ヴォルフシュテイン卿とはやや違う感じの嫌な予感がレイフォンに警告を発する。
 今回も無意味だろうけれど。
 そして、実はもう一度入院するという選択肢も既に無いのだ。
 ヒシヒシと感じるのだ。リディアの気配を。
 戻ったが最後、是非とも忘れたい暗黒の歴史を誰かに告げられてしまうかも知れない。
 それは避けたい。
 消去法で前方の少女を撃破して家に逃げ帰る道を選択する。
 出来るという保証は何処にもないけれど。

「念のために確認いたしますが」
「レイフォン・サイハーデンです」

 聞かれることが分かっていたので、先に答えておく。
 機先を制することこそ重要なのだ。
 そして、レイフォンの予測通りの反応が向こうに現れた。
 その愛らしいとさえ言える顔が花のような笑顔に包まれたのだ。
 美少女と呼んで問題無い人の笑顔を、レイフォンに生み出す事が出来たのだ。
 本当なら喜ぶべき事柄なのだろうが、とてもそんな気分にはなれない。
 そして一歩こちらに近付く。
 右手は既に剣帯に伸びている。
 問答無用で襲ってこないだけましなのかも知れない。
 スワッティス卿とかサーヴォレイド卿とか見たいに、いきなりでは心臓に悪いのだ。

「申し遅れましたが、わたくしクラリーベル・ロンスマイアと申します」
「!」

 若干引く。
 いや。思いっきり引いてグレンダンを逃げ出したいくらいだ。
 よりによって、ロンスマイア家の後継者に襲撃されているのだ。
 ヴォルフシュテイン卿の従兄弟だという話は聞いているから、どっちが先にレイフォンを殺せるかとか言う賭をしているのかも知れない。
 有りそうで怖い。
 だが、レイフォンのそんな憶測など知らぬげに事態は進む。
 機先を制したのは最初の一瞬だけ。
 既に相手のペースになってしまっている。

「突然で申し訳ありませんが」
「は、はい?」

 死んで下さいと言われることを覚悟する。
 死ぬ気はないけれど。

「一手立ち会って頂けますか?」
「・・・? は?」

 一瞬何を言われたのか理解出来なかった。
 ヴォルフシュテイン卿の背中を見てからこちら、襲ってきたのはもはや化け物としか言いようのない天剣授受者だけ。
 手加減してくれているので何とか生きているけれど、クォルラフィン卿は何時か殺すと宣言しているのだ。
 王家の人間なら、先にレイフォンを殺して手柄にしようとか言い出すだろうと思っていた。
 だというのにこの展開。
 少々では済まない驚きを覚えたのだが。

「幸いにして、すぐそこに病院が有りますから、即死しなければどうと言う事はありませんし」
「・・・・・・・・・・・・・。は?」
「ですから、わたくしの攻撃で貴男が即死しなければそれで良いのです」

 認識が間違っているようだ。
 いや。合っていたというべきかも知れない。
 やはり殺すつもりで襲ってきているのだ。
 そして、既にクラリーベルは間合いのすぐ外。
 もはや死にものぐるいの一撃を放ち、生き残る以外の方法はない。

「準備はよろしいですわね?」
「全然良くないですよぉぉ」

 こちらの都合を聞いてくれていることに、少々感謝してしまう。
 天剣授受者にはない心遣いだ。
 全然嬉しくないけれど。
 そんな事を考えたのも一瞬。
 クラリーベルが動く。
 その動きに無駄はなく流れるような足運びから、風を微かに揺るがせて上体が捻られる。
 だが、ここでおかしなことに気が付いた。
 遅いのだ。
 動き事態は美しく洗練されているのに、その速度はあまりにも遅く、まるでスローモーションのように遅いのだ。
 だが、異常はそれだけではなかった。
 レイフォンの動きも遅い。
 クラリーベルに合わせて抜き打ちを放ったのだが、足運び腕の動き刀の復元から斬撃に至るまで、全てがどうしようもなく遅い。
 身体を支える活剄を総動員しているはずなのに、イライラするほどに遅い。
 その割に今まで感じたこともないほど、技の切れが良いのだ。
 そのギャップに戸惑うのも束の間。
 足を踏み出しつつの抜き打ちは速度以外には、レイフォンが思った通りに発動している。
 勝ちを確信しているクラリーベルの顔を見ることも出来れば、その腕の斬線もきちんと見える。
 だからレイフォンはその斬線にぴたりと合わせて刀のハバキ元をそっと押し当てる。
 そのまま繊細且つ最速でもって切っ先まで使って腕を切り裂く。
 何の抵抗も感じなかった。
 刀は滑るように腕の中を通り抜け、速度を保ったまま右上へと流れる。
 どうしようもなく遅く感じるが、それでもクラリーベルに比べると速かったようだ。
 そこで時間が元に戻った。
 棘々の付いた護拳を持った、紅玉錬金鋼製の短めの剣に引っ張られ、右前腕半分が飛んで行くところを視界に納めてしまった。

「うわ!」

 思わず、反射的にそれが地面に落ちないようにスライディングキャッチする。
 細かい描写は省くが、少々では済まない動揺を覚えてしまった。
 人間を切った事が初めてという訳ではない。
 汚染獣戦へ出る前の試合で、何度となく人間相手に戦い斬撃を放ってきた。
 勝つ度に血を流してきたのだ。
 当然だが、負ける時にはレイフォン自身が激痛に見舞われ血を流した。
 だが、思わず落ちそうになった腕をキャッチするなんてことは初めてだった。
 何でそんな事をしようと思ったのか非常に疑問だが、やってしまった以上仕方がない。
 そして恐る恐るクラリーベルの方を見る。
 王家の人間の腕を飛ばしてしまったのだ。
 絞首刑くらいは覚悟しなければならない。

「あ。ああああああ」

 だが、そこに見えたのは全く別種の表情。
 切り飛ばされた腕の断面を見つめる、潤んで熱を帯びた視線。
 荒くなった呼吸と上気した頬。
 そしてその唇から漏れる、うっとりとした溜息にも似た吐息。
 これはもしかしたら。

「な、何をやっているんですか!」

 事ここにいたってやっと、表の騒動に気が付いた病院のスタッフが駆けつけてきた。
 全然嬉しくないけれど。
 それを認識したレイフォンは、どうした物かと考えたが、当然何か良いアイデアなど浮かばない。
 結局のところ成り行きに任せる事にした。

「ク、クラリーベル様」

 駆けつけてきた中の一人がクラリーベルの事を知っていたのか、驚愕と共に恋する乙女モードの少女を見る。
 もしかしたら、傷害罪でやっぱり逮捕されて絞首刑かも知れない。
 いや。その方がましな人生かも知れない。
 だが、事態は少々違う方向へと進む。

「は、速く手当を!」
「そうです。今なら完璧にくっつきますから」

 ここは戦闘の多いグレンダンだ。
 クラリーベルも言っていた通りに、即死しなければ元通りになる確率は極めて高い。
 恐ろしく運が悪くて、剄脈に異常が出てしまえば少々違ってくるが。

「そうですわね」

 夢心地といった感じのクラリーベルがレイフォンを見る。
 その視線は、自分を傷付けた男を見る物では断じてない。
 どんな角度から見ても、恋い焦がれる少女が思い人を見つめる視線だ。
 これは拙い。
 ヴォルフシュテイン卿以上に拙いかも知れない。
 もう遅いけれど。

「私の腕を治すのは仕方が御座いませんわね」

 おかしな事をおっしゃるクラリーベル様。
 これ以上は常人が踏み込んではいけないのだと、本能が理解している。
 もう遅いけれど。

「この切断面。痛みはおろか出血さえ全くありません」
「え?」

 言われて慌てて周りを見てみる。
 確かに血痕が飛び散った後は、全く無い。
 恐る恐る手に持った腕へも視線を向けてみる。
 血色の良い肌をそのままに、こちらも出血の痕跡はない。
 それどころか、今まで見た事の無いほど凄まじい切断面を見せている事に、やっと気が付いた。
 向こうの切り口と合わせてみたら、そのままくっついてしまいそうな程だ。

「ですが、あちらは真空の冷凍保存で永遠にこの瞬間を留めておいて下さいませ」

 なにやらとんでもない事をおっしゃるクラリーベル様。
 驚いたのは病院関係者も一緒だったようだ。
 一歩二歩と引いている。
 レイフォンなんか三歩は引いている。

「ああ! これほどの斬撃を放てるなんてレイフォン様。貴男は最高に素敵ですわ! リーリンが襲ってしまうのも頷けますわ」

 絶望的な事態がやってきた。
 これを回避する事は至難の業だが、何とか自分の腕を冷凍保存して記念品にするなどという変態的行為からは、遠ざからなければならない。

「そ、そんな事言っている場合じゃないですよ! ほ、ほら。これをピッタリとくっつけないと!」

 かなり慌てて、持っていた腕を本体にくっつける。
 これを機にヴォルフシュテイン卿やクォルラフィン卿が、本格的に襲撃してきては生きていられないから。

「そ、そうですクラリーベル様。今なら完璧にくっつくのですからそのようなお戯れは」

 病院のスタッフも同じ意見のようだ。
 医療従事者としての本分なのだろうけれど。

「そんな事をする必要はありません。腕などまた生えてくるのですから」
「来ませんって!」

 どうしてこう王家の人間と言うのは非常識な人達ばかりなのだろうと考えつつも、必死に腕を本体に押しつける。
 そして違和感を感じた。

「・・・・・・・・・・・・・・・・」

 なんだか変だ。
 猛烈に変だ。

「仕方が御座いませんわね。これ以上皆様をお騒がせするのはわたくしの良しとするところでは有りません」

 渋々とだが、腕をくっつける事に同意してくれたようだ。
 これはこれで良いのだが、なんだか猛烈な違和感を感じる。

「ああ! それにしても先ほどの一撃! まさに見事の一言に尽きますわ」
「そ、それはどうも」

 違和感をそのままに、レイフォンは取り敢えず会話を続ける。
 剣を持ったままの腕を抱きしめて身もだえしているクラリーベル様を見て思う。

「危ないですから仕舞った方がよろしいのでは?」
「? ああ。そうですわね」

 剣を持ったままでは、流石に治療は出来ない。
 なので、クラリーベル様は基礎状態にした紅玉錬金鋼を剣帯へと納められた。
 そう。一度握ったらちょっとやそっとでは手から離れないはずの、護拳の付いた小振りな剣を何の問題も無く、剣帯に仕舞ったのだ。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 レイフォンの背中を冷たい汗が下がって行く。
 幼生体一万に匹敵するその集団を認識している最中、周り中の人間がその異常さに気が付いたようだ。
 そう。クラリーベル様は右手で錬金鋼を扱っていらっしゃるのだ。
 もしかしたら、完璧にくっついてしまっているのかも知れない。
 そうとしか思えないほど、何の違和感もない動きだった。
 そしてレイフォンは気が付いていたのだ。
 先ほど感じた違和感の正体とは、切り落としたはずの腕から脈動を感じた事だった。

「・・。もしやレイフォン様?」
「あ、あう」
「これほどの使い手でいらっしゃったとは」

 普通に考えたのならば、一度切り離した腕や足は、きちんとした医療機関でないと治せないはずだ。
 だというのに。

「ああ! なんて素敵なんでしょうか? これほどの体験が出来るなんて! 神なぞという滅んだ存在にはとうてい出来ない事ですわ!」

 何か勘違いしているようで、猛烈に嬉しそうだ。
 レイフォンにしてみれば、死に神に溺愛されているとしか思えないが。

「と、兎に角雑菌が入っているかも知れませんから、検査の方を」
「・・・・・。無粋ですわね」

 好意というか、常識的な事を言った医師らしい青年に向かって、クラリーベル様の殺意の視線が突き刺さる。
 その視線に恐れおののいた青年だが、それでも躊躇したのは一瞬の事。

「私は医師です。治療するためならば無粋の一つや二つはいたします」
「・・・・。詰まりませんわね」

 非常に不本意そうだったクラリーベル様だったが、何か思いついたのか一瞬でその表情が明るい物に変わった。
 そして、レイフォンの方を見る。
 その視線は期待に満ちあふれ、直視出来ないほどの輝きを放っている。
 と言うか、直視したくない。

「さあ。レイフォン様」

 そう言いつつ腕を差し出すクラリーベル様。
 思わずその手を見つめてしまう。
 何の問題も無いようにしか見えない。

「もう一度切り落として下さいませ」
「・・? は?」

 今この人はなんと言ったのだろうか?
 そう思うまもなく、事態は更に突き進む。

「いえ。これは失礼の極みですわね」

 手を戻して、剣帯に伸ばす。
 これはつまりあれだ。

「私を殺す覚悟で参って下さいませ。いえ。むしろこの場で斬り殺して下さいませ」

 恋という熱病にうなされた少女の視線で、自分の死を願うクラリーベル様。
 ヴォルフシュテイン卿以上に拙いと感じたのは、間違いではなかったのだ。
 だが、考える時間はない。
 既にクラリーベル様はやる気満々。
 殺さなければ殺される事が確定している。
 そしてサイハーデンの目的は、生き残る事。
 ならば方法はただ一つ。

「サイハーデン逃走術最終奥義!」

 ゆっくりと抜き打ちの構えを取る。
 誤字ではないのだよ! 誤字ではな!

「逆水鏡渡り!」

 期待に胸ときめかせるクラリーベル様の表情が、急激に遠のきつつ呆気に取られる。
 背中に迫った壁の気配を、速度をそのままに跳躍して回避。
 空中で姿勢を制御。
 更に水鏡渡りを発動してクラリーベル様から遠ざかる。
 そう。逆水鏡渡りとは、敵に向いたまま全速力でその場を逃げ出すための秘奥なのだ。
 障害物を見ないで避けつつ、旋剄を超える超高速移動をする。
 これがどれほど恐ろしいかは想像に難くない。
 レイフォンだってこんな物騒な技は使いたくないのだ。
 だが、使わなければならない。
 一時の逃げで全てが上手く収まるとは思えないが、いや。事態が悪くなる事は理解しているが、それでも逃げてしまうのだ。
 三十六計逃げるにしかずと言うし。
 きっと間違っていないのだと信じる。
 正しいとも思えないけれど。
 それでも逃げる。
 そして絶望していた。
 グレンダン王家とは、変態や変質者の集団なのだと。
 そんな人達が支配する都市に住まなければならないのだと。
 それを認識してしまったから。
 
 
 
 後書きに代えて。

 はい。超槍殻都市グレンダンの二話目です。
 ぜろぜろわん様。ヨシヲ様。蜃気様。水城様。外剛様。K・U様。武芸者様。
 そのほか名を知らぬ読者の皆様、お待たせしました。
 ご期待に添える作品になったかどうか非常に疑問ですが、ここに二話目をお送りいたします。
 って! 何やってるんだ俺! 復活の時の執筆スケジュールが予定が締め切りが!
 こんな事をしているとギャグ作家として定着してしまいそうだ。
 更に、二話から三話で終わるはずのこのシリーズ、最低四話かかってしまう事が判明。
 これ以上予定を狂わせてどうするんだか?



[18444] 超槍殻都市グレンダン3
Name: 粒子案◆a2a463f2 ID:7f76877d
Date: 2010/12/29 19:44


 レイフォン・サイハーデンは武芸者である。
 だが、今の状態はそんな些細な事柄とは全く無縁だ。
 クラリーベル様の精神攻撃で瀕死の重傷を負ってしまったが、その傷が急速に癒されているのを感じている。
 家と呼べる孤児院に帰ってきて、弟や妹たちの下敷きになっている今この瞬間、レイフォンは幸せなのだ。
 別段、息も出来ないほどの猛烈な重量で押さえつけられている事に快感を覚えている訳ではない。
 子供特有の高い体温を全身に感じる事が出来ている今が、幸せなのだ。
 これのためになら、ヴォルフシュテイン卿やクォルラフィン卿の攻撃も、何とか回避して生き延びる事が出来る。
 それ程までにレイフォンにとって幸せと、生きている事を実感させてくれる儀式なのだ。
 断じて虐められて喜んでいる訳ではない。
 だが、そろそろ本格的に死にそうなほど息が苦しくなってきているのも事実。
 何時もなら誰か年長組が止めに入ってくれるのだが、残念な事に今日は全員が参加しているのだ。
 退院したレイフォンを迎えるために、総出で歓迎してくれているのだ。
 いつも以上に幸せと息苦しさを感じている状況のまま、死ぬ事が出来たのならば楽かも知れないと思わない事はない。
 ミンス・ユートノールからの礼金で当分孤児院は困らないし、それも良いかもしれないと思っていたのだが。

「レイフォン?」

 心配げな父の声が聞こえた辺りで、上に乗っていた子供達が徐々にしかし確実に数を減らして行く。
 これは少しだけ寂しいかも知れない。
 取り敢えず生きている事をデルクに伝えるために、手をパタパタと動かしておく。
 ほぼ全員がレイフォンの上からどいたのはそれから一分ほど経ってからだった。
 やはり少し寂しい気がする。

「ただいま父さん」
「う、うむ。相変わらずボロボロだな」
「うん。でもまだ生きているよ」

 どう言って良いか分からないといった感じのデルクが、へたり込んでいるレイフォンを心配気に見下ろしている。
 それはいつも通りでかまわないのだが、危険な存在が近くにいる事も一緒に感じてしまっていた。
 殺剄を使っているらしいのだが、スワッティス卿やサーヴォレイド卿との戦闘は、レイフォンの中の何かを間違いなく変えていた。
 その変化につられるように、その存在を感じてしまっていたのだ。
 だが、何時ものように一触即発的な気配と言った物は感じない。
 騒がれるのが面倒だから隠れていると言った感じだ。
 なので、割と冷静に聞く事が出来た。

「お客さん?」
「う、うむ。お前に客なのだが、道場の方が良かろうと思う」

 危険ではないが、少々面倒な客のようだという理解は出来た。
 こうなればレイフォンにとれる行動はただ一つ。

「ほらみんな。夕飯の準備をする。宿題は終わったの? お風呂とトイレの掃除の手を抜いちゃ駄目じゃないか」

 等々と、家事の指示を飛ばしつつ弟や妹たちを散らせて行く。
 そして、おおかたいなくなったところで道場へと移動する。
 もちろん、着いてくる子がいない事を確認しつつなのは当然だ。
 ヴォルフシュテイン卿のように正面から来る事がなかった以上、話は内密な物であるかも知れないから。
 そして、道場の扉を閉めて、デルクの側に人がいる事を確認して、最終的に絶望した。

「ノイエラン卿」

 今日もまた天剣授受者の襲撃を受けてしまった。
 長い白髪と真っ白な髭で覆われた顔と、表情が読みにくい細い瞳をした老人。
 天剣授受者の中で良識派と呼ばれ、女王の安全装置と武芸者から頼られている、ティグリス・ノイエラン・ロンスマイアその人だ。
 天剣の襲撃自体は、最近の恒例行事と言えない事もないのだが、今回だけは事情が違う。
 理由はもちろん、クラリーベル様の祖父であるという一点においてだ。
 孫娘の腕を切り飛ばされた祖父が、平和的な目的でレイフォンの元にやってくる。
 そんな事態を想像出来るほど、レイフォンは平穏無事な生活を送っていない。
 特にここ最近は。

「まずは座るが良い。小僧」

 威圧感バリバリの声でそう命じられた以上、従わない訳には行かない。
 問答無用で消滅させられないだけましだと判断したいところだが、もしかしたらそちらの方が遙かに幸せに近いかも知れない。
 そして、レイフォンが座るよりも早くノイエラン卿が口火を切ってしまった。

「聞いた話なのだが、おぬしクラリーベルを傷物にしたそうじゃな?」
「き、傷物ですか?」

 中腰で一瞬止まった後に、きっちりと座ってから考える。
 傷物というと、まあ、確かに傷物にしたと言えない事はない。
 事態は理解していないだろうが、恐らくノイエラン卿が言った意味でない事を理解しているデルクは、やや落ち着いた表情でレイフォンを見ているような気がする。
 内心ハラハラしているのだろうが、それでもまだ落ち着いていてくれているようだ。

「えっと、恐らく意味が違うと思うのですが」
「どう違うというのだ?」

 威圧感が二割ほど増したような気がする。
 ここで選択である。
 腕を切り落としたと正直に伝えるのがまず一つ目。
 貞操絡みの傷物という線で話を進めるのが二つ目。
 三つ目として逃げる。
 どれが最も安全かと考えてみたのだが、どれもあまり結果が変わらないような気がする。
 ならば、正直に話した方がまだましだと判断した。

「先ほど退院したばかりの病院で」
「ぬん! 病院でだと! その年ですでにコスプレか!」
「お、おちついてください」

 なにやら思春期真っ盛りな少年のように、変に興奮なさるノイエラン卿。
 その外見で今の反応は少々怖いので止めて欲しいところだ。

「建物の外へ出たところでですね」
「ま、まさか! 青姦などと言うのか!!」
「話の途中ですから、お願いですから落ち着いて下さい」

 どうも、外見通りの人物ではないようだ。
 いや。やはり王家の人間だと納得するべきなのだろうか?

「クラリーベル様に襲撃されまして」
「! ま、まさか貴様! おなごに!」
「・・・・・・。お茶でもいかがでしょうか?」
「うむ。頂こう」

 ここまで来れば話は見えてくる。
 ノイエラン卿はそう言う話に持って行きたいのだと。
 理由は今のところ分からない。
 分からないが、レイフォンとしてはあまりありがたくないのも確かだ。
 クラリーベル様は確かに美少女だが、性格と立場にかなりの問題が有りすぎるから、あまり関わりになりたくない。
 道場に用意してあるお茶のセットを使い、手早くしかし確実に緑茶を淹れる。
 それをノイエラン卿の前に置いてから話を再開する。

「それでですが、立ち会いを求められまして」
「何じゃつまらん。立ち会ってお主が勝っただけか」

 出されたお茶をすすりつつ、実につまらなそうにそうおっしゃるノイエラン卿。
 実に外見通りの穏やかな空気になっている。
 非常に嬉しいと言って良いのだろうか? あるいはこの先に恐るべき罠が待ち受けていると恐怖した方が良いのだろうか?

「はい。抜き打ちの勝負となりまして」
「? お主がここに居ると言う事は、クラリーベルは負けたと言う事じゃな?」
「そうなります」

 切り落としたはずの腕が、その場でくっついたとか言う話をしたら、間違いなく一戦覚悟しなければならないので、絶対に話す事は出来ない。
 なので結果だけを伝える。

「なんじゃ。傷物にされたと聞いて安心しておったのじゃがな」
「何処をどう取れば安心できるのですか?」

 孫娘が貞操的な意味で傷物にされて、安心するという祖父の考え方が理解出来ない。
 と言うか理解したくないと勘が告げている。

「クラリーベルは昔から少々困った性癖を持っていてな」
「はあ」

 確かにあれは困った性癖だ。
 断じて少々と呼べる範囲で収まっていないけれど。

「じゃからな。やっと男と縁を結ぶ事が出来たと喜んでおったのじゃが」
「後継者の問題が有りますからね」

 王族である以上、後継者を作る事は義務となっている。
 グレンダン王家で言えば、王家同士、あるいは天剣授受者と婚姻する事が定められている。
 もちろんレイフォンはどちらでもない。

「クラリーベル様との婚姻など、僕には出来ないはずですが?」
「問題無かろう? クラリーベルが負けたとならば、しかもお主に目立った傷はないとならば、それは圧勝だったのだろう?」
「い、いえ。抜き打ちですから勝つにしても負けるにしても一撃で勝負は付きますから」
「まあ、どちらにせよ勝ったのならばお主の実力は相当な物という証拠じゃ」

 どうやら、結果だけを伝えてもあまり事態は変わらないようだ。
 思い切ってあそこで負けて再入院の方が、まだましな結果だったかも知れないと、今頃気が付いた。
 もう少し頭を使う事を覚えた方が良いのかも知れないと思うが、すでに事は起こってしまっているので無駄だ。

「ならば、手頃な天剣が居ない以上お主でもかまわんじゃろうて」
「いえいえ。独身の天剣授受者で男性もいますから」
「問題有る連中ばかりじゃがな」

 そう言われてみて思い返すまでもなく、現在の天剣授受者は性格に問題のある人間ばかりだ。
 サーヴォレイド卿を筆頭にクォルラフィン卿にヴォルフシュテイン卿にスワッティス卿と、若い天剣授受者はおおむね性格に問題が有る。
 唯一許容出来るのは、エアリフォス卿くらいな物だろうか?
 女性だからクラリーベル様の結婚相手にはなれない事が、玉に瑕かも知れない。

「そこへ行くとお主は剄量は兎も角として、技量だけならば天剣級じゃ」
「剄量が少ない以上あまり意味はないと思いますが」
「謙遜をするで無い小僧。そもそも、剄量を問題にするのならばクラリーベルの方が遙かに・・・・・・。なに?」

 ノイエラン卿が何かに思い至ったようで、話の途中で考え込んだ。
 そしてレイフォンは気が付いてしまった。
 明らかにクラリーベル様の方が剄量が多かったと。
 なのに、勝ってしまったのだと。
 これは、天剣に挑まないための口実であるところの、剄量の不足を使えなくなるかも知れないと言う事に他ならない。

「お主。お主の剄量を二百とする場合、クラリーベルはおおよそ六百五十前後じゃろう?」
「そ、そのようですね」

 グレンダンの一般的武芸者を百とした場合、レイフォンは二百ほどでクラリーベル様はおおよそ六百五十から七百だろう。
 それはおそらく間違いのない事実のはずだが、今日体験したこととは明らかに矛盾してしまう。
 圧倒的とは言わないが、かなりの実力差でレイフォンが負けなければおかしい。
 確かに、三倍程度の剄量ならば負けない戦いが出来るとは思うが、思うのだが。

「あうあう。飯はまだかのぉじいさんや?」

 取り敢えずぼけて誤魔化してみる事にしたが。

「愚か者が!」
「この知れ者め!」
「ぐべら」
「それはボケの方向が違う!」
「儂がやってこそのボケじゃろうが!」

 二人から渾身の突っ込みを貰ってしまった。
 物理的な突っ込みと共にレイフォンを打ちのめしつつも、その瞳からは好奇心の色が消えていない。
 折角身体を張ったボケだったのだが、残念な事に意味をなさなかったようだ。
 だが、事態は更に爆走する。
 何処かで聴いたメロディーが道場に響く。
 それが、少女向けアニメの主題歌である事を認識。
 何故知っているのかと問われれば簡単で、小さな妹たちと一緒に見ているからだ。
 かなり強制的な視聴で、戦闘による批難などで放送時間が変わったとしても、毎回女の子に取り囲まれて見ているのだ。
 聞き間違えるはずはない。
 そして、そんなメロディーが何処から流れているのかと探って行き、そして恐怖におののいた。
 そもそもここには三人しかいない。
 デルクもレイフォンも携帯端末など持っていない。
 ならば残る人物はただ一人。
 おもむろに、威厳に満ちた表情と動作でノイエラン卿が懐に手を伸ばし、つまみ出したのはパステルピンクの携帯端末。
 なにやら猫を図案化したシールが一個、蓋の中央付近に貼ってあったりしている。
 滅茶苦茶少女趣味な携帯端末だ。

「はいはい」

 それを取り出したノイエラン卿は、今までの厳かさなど何処へ行ったのか、非常に機嫌良く通話を開始。
 相手は誰だろうかとか思っていると、すぐにその疑問は解決した。

「おお! クララか。怪我をしたと聞いたが平気か? ・・・・・。なに? これから修行に行くので暫く家には戻らない? 待つのだクララよ。いくら何でも腕はまだ着いておらんだろうに? ・・・・・・! な、なに? 切られたけれど治療も無しにくっついたじゃと!」

 ここで、ノイエラン卿の視線がレイフォンを捉える。
 今までの好々爺と言った雰囲気は一変し、そこには不動の天剣と呼ばれた、最強の武芸者の迫力が宿っていた。
 そして、それは脇で話を聞いていたデルクの視線も同じなのだ。
 これはやばいかも知れない。
 やばいなんて生やさしい状況ではないかも知れない。
 二人の視線の意味はたった一つ。
 試してみたい。

「あ、あう」

 ノイエラン卿が通話を終えて携帯端末を懐にしまう。
 その動作に全く隙はなく、何時でも攻撃を撃ち放てる状態である事が伺える。
 そして、デルクも剣帯に手を伸ばしているのだ。
 これはかなり危険な状況だと認識する。
 相変わらず、認識しているだけで何も変わらないけれど。

「小僧。よもやここまでの使い手だったとはな」
「レイフォン。私など遠の昔に追い越していたのだな」

 二人とも目の色が違う。
 あえて言うならば、戦ってみたい。
 徐々にしかし確実に、二人との間合いが狭まって行く。
 二対一では勝ち目がない。
 そもそも、ノイエラン卿と戦うだけで生き残る確率は極めて低いのだ。
 だが、事態は急変を迎える。

「ティグリス様。ここは師である私にお譲り下さいませんか?」
「ぬん? まあ良かろうて。お前が鍛え上げた者の真価を問う権利は有ろう」

 短い会話で話が付いたのか、ノイエラン卿がやや後退して、デルクが一歩前へと出る。
 そして、問答無用で抜き打ちの構えを取るデルク。

「と、父さん」
「さあレイフォン! お前の実力を私に見せてみろ!」

 第一線を引退したとは言え、熟達の武芸者だ。
 その身のこなしには無駄が無く、剄の走りも十分である。
 まさに一撃必殺の構えだ。
 少しずつ後ずさりながら逃げられないかと考える。
 デルクとレイフォンの安全も確保できればこれ以上ないくらいによいことなので、必死に頭を使い一つだけ思い付けた。

「え、えっと。病院の側の方が良いんじゃ?」
「愚か者が! 道場を出てすぐ目の前が病院だ」
「ああ。そう言えばそうだったね」

 怪我をする事が日常茶飯事である以上、病院の側に道場を作る事がグレンダンでは普通に行われている。
 それはここも同じだ。
 クラリーベル様の認識と行動も、これが根底にあったのだろう事が分かる。
 全然尊敬とかは出来ないけれど。
 そして、もうデルクは間合いのすぐ外。
 レイフォンも心を決めなければならない。
 あの時と同じ心境にはなれないかも知れないが、それでも全力の一撃を打ち込まなければ、デルクは納得してくれないだろう。
 潔い生き方など習った事はないが、今は全力を尽くすのみ。

「私を殺すつもりでかかって来るがよい!」

 クラリーベル様と同じようなことを言うデルクだが、その迫力は桁外れに巨大だ。
 そして、デルクが軸足を前に踏み出す。
 それに合わせるようにレイフォンも一歩踏み出す。
 復元の光を伴った斬撃が、双方の左腰付近から迸り、お互いの腕を切り裂こうと疾走する。
 そして原因は不明だが、かなりの余裕を持ってレイフォンの斬撃がデルクの腕に到着し、前腕半分を切り飛ばす。

「おお!」
「なんと!」

 ノイエラン卿とデルクが感嘆の叫びを上げるのを聞きながら、再びレイフォンは思わず半分ほどになった前腕を捕まえるためにダイブしてしまっていた。
 だがふと思う。
 クラリーベル様の時には時間が間延びして感じられたはずだが、今はそれがなかった。
 それは何でだろうとか考えているのは、いくら同意の上だったとは言え、養父の腕を切り落としてしまったと言う、精神的な重圧からの逃避に他ならない。
 腕を拾ってしまったのもクラリーベル様との一戦から時間が経っていないためで、別段変な趣味に目覚めたという訳ではないのだ。

「見事だレイフォン」
「あっぱれだ小僧」

 大人二人はなんだか納得したようで、微笑みつつレイフォンを見ているのだが、そんな事は後からだっていくらでも出来るのだ。
 兎に角、腕を何とかしなければならない。

「と、兎に角これを速くくっつけに」
「そうだな。奇跡の技を見たい物だ」
「そうじゃな。早う元通りにして見せい」

 あんな事がしょっちゅう出来るはず無いと思うのだが、取り敢えず腕を本体にくっつける。
 だが、くっつけた直後駄目だと言う事は分かった。

「駄目だよ父さん。脈動を感じない! 速くくっつけに行かないと!」

 慌てているのだ。
 確率的には低いが、万が一にでも剄脈異常なんかが起こったら、レイフォンは自分を許せない。
 だからデルクを急かせて向かい側の医者の元へと向かおうとした。

「落ち着くのだレイフォン。これほどの斬撃ならば剄脈異常など起こらぬ」
「そうじゃ小僧。これほど見事な切断面ならば、異常など起こらぬ」

 落ち着き払っている二人には悪いのだが、ここ最近あり得ない事が立て続けに怒っているだけに、レイフォンの焦りは収まらない。

「と、兎に角医者に」

 慌てて道場を出ようとしたのだが、それは無駄な行動だった。
 なぜならば。

「成る程。これは見事な切り口ですね。私も長い間ここで医者をやってますが、これほどのは見た事がありませんよ」

 後方からそんな声が聞こえてきたからだ。
 振り返ってみるまでもなく、事態は理解出来てしまった。
 かかりつけの医師が道場に上がり込み、傷の手当てをしているのだ。
 いつからいたか全く気が付かなかった。
 ノイエラン卿の気配には気が付いたのだが、人間とは不思議な生き物だ。
 もしかしたら、老年にさしかかった人だから、武芸者以上に気配を消す心得があるのかも知れないと疑ってしまうくらいだ。

「そうでしょう。私もこれほどのは見た事がない」
「儂の長い人生でも五指に入る切り口じゃな」

 老人三人は酷く喜んでいる。
 呆然としているレイフォンを置いてけぼりにして。

「ならばこそ、クラリーベルが敗れるのも無理は無いじゃろうて」

 ゆっくりと立ち上がるノイエラン卿。
 その全身に剄がみなぎり、制御に失敗している訳でもないのに、陽炎のように空気を揺らめかせている。
 退院直後に一戦して、帰宅直後に二戦するという、つい一月前までは考えられなかった事態に陥ってしまっている。

「お主の強さの秘密、それは瞬発力じゃ」

 ゆっくりとした動作だが全く隙を見せないノイエラン卿が、白金錬金鋼の長弓を復元。
 何時も通り天剣ではないようだが、レイフォンに死をもたらすには十分すぎるはずだ。
 ゆっくりと剄を練り上げつつ、レイフォン本人でさえ理解していない、強さの秘密を語り出すノイエラン卿。

「百分の四秒程度のごく短い時間だけ、貴様の剄脈は爆発的な力を発揮する」

 そんな事が出来る人間がこの世にいるとは思えないが、レイフォン自身がそれだと言う事が全く信じられない。
 出来れば誰かに代わって欲しいとさえ思えるが、無くなったら最後死んでしまうかも知れないので、このままの方が良いのかも知れない

「その短い時間の爆発力で全てを決しているのじゃ」
「そ、それだと、スワッティス卿とかサーヴォレイド卿とか」

 ヴォルフシュテイン卿やクラリーベル様の場合には、今の説明で何とか辻褄が合うが、先週の襲撃を生き延びる事が出来た理由にはならない。
 双方一分という時間襲われ続けたのだ。

「感嘆じゃ。短い爆発を繰り返しておったのじゃな」
「な、なるほど」
「そのせいで剄脈の疲労が大きかったんじゃろうな。入院はそれが原因じゃ」

 納得している場合ではない。
 目の前には、レイフォンの強さの秘密を解き明かした最大級の危険人物がいるのだ。
 逃げるために、道場の扉の方へと後ずさる。

「安心せい。他の天剣と同じように、一分間じゃからな」

 そう言いつつ発動しているのは、どう見ても迷霞。
 スワッティス卿のように、最終的には点の攻撃ではない。
 サーヴォレイド卿のような線でもない。
 面の攻撃である。
 これは避けるのが非常に難しいと思うのだが、ノイエラン卿に何か言っても聞いてくれそうもない。

「そら行くぞ小僧!」
「ま、まって!」
「問答無用!」

 いきなり道場内で発動する迷霞。
 逃げるために扉の方に移動していたレイフォンだが、慌てて全力で横に飛んで面の攻撃を回避。
 扉を含めた直径二メルトルの壁が粉砕される。
 これは好都合かも知れない。
 逃げ道が増える。

「ふはははははは! 踊れ踊れ小僧!」
「どわわわわわわわ!」

 と思ったのも束の間。
 連続で繰り出される迷霞があっという間に道場を瓦礫の山に変えてしまった。

「ま、待って下さい! 孤児院が!」
「安心せい! お主が逃げる方向に気をつければそれでよいのじゃ!」
「無茶言わないで下さいよ!」
「ほれほれ! 恐れおののけ! 逃げ惑え!」
「のわぁぁぁ!」
「貴様にはもう安息の地など無いのだ! 怯えて眠るが良い!」
「と、父さんならきっと分かってくれるはず!」

 デルクが武芸者モードというか戦いたい人間になってしまったら、間違いなくレイフォンに安心して眠る場所は無くなってしまうが、きっと分かってくれると信じている。
 うん。信じたい。

「どうしたどうした!」
「ひぃぃぃん」
「この儂の首を取ってみぃ!」
「無理です!」

 何処から取り出したか不明だが、錬金鋼をとっかえひっかえ面の攻撃を繰り出し続けるノイエラン卿。
 剄の制御が完璧だったら冷却期間を考えずに攻撃が続けられる。
 非常に上手い方法だが、レイフォンにとっては最悪の先方だ。

「儂の首を取る事が出来たのならば、貴様に天剣ノイエランをくれてやろう!」
「いりません。他の天剣に本気で殺されます!」
「ならば、ロンスマイア家はどうじゃ? 明日から王族になれるぞ!」
「絶対にいりません!」
「クラリーベルはどうじゃ? これならば何の不足もあるまい!」
「一番いりません!」
「お、おのれ小僧! クララをいらんというか!」

 どうやら地雷を踏んでしまったらしい。
 いきなり今までとは違う銀色に耀く錬金鋼が復元された。
 おおよそ都市を一つ壊滅させるだけの威力の剄が注ぎ込まれる。
 間違いなく、レイフォンを殺す気だ。

『お待ちなさいティグリスさん』
「! その声はデルボネか」

 あわやという一瞬。
 いきなり蝶のような念威端子から声が掛かり、動きを止めるノイエラン卿。
 もっと速く止めてくれればいいのにと思ってしまうのは贅沢だろうか?

『いくら何でもそれはいけませんよ』
「ぬ、ぬん? そうじゃな。儂とした事が大人げない」

 そう言うと、天剣が待機状態へと戻された。
 代わりに白金錬金鋼の長弓が復元しているが。
 そしておもむろに着ている服を脱ぐ。
 その下から現れたのは、三十本以上の錬金鋼。
 次から次へと攻撃を撃ち出す準備に他ならない。

「良かろうて。貴様がクラリーベルと結婚させて下さいと言うまで攻撃し続けてくれよう」
「そ、それはルール違反では?」
「・・・・・。ふむ。サヴァリスは兎も角としてリーリンに顔向け出来んのは、少々心苦しいな」

 納得してくれたようだが、攻撃態勢は全く変わらない。
 と言うか、錬金鋼が赤熱化しているような気がする。
 今までの三倍の剄が注ぎ込まれているのかも知れない。
 はっきり言ってよほど必死になっても大けが間違い無しだ。

「さあ再開しようぞ! 安心せい! 今週は儂とリヴァースじゃ」
「イージナス卿ですか?」
「じゃから二分でも良かろう」
「お願いですから止めて下さい!」

 防御専門のイージナス卿ならば、襲いかかってくる確率は極めて低い。
 つまり、ノイエラン卿から何とか逃げられれば来週まで生きていられる。
 俄然やる気が出てきた。
 非常に珍しい事だ。

「どわ!」

 とは言え、天剣授受者相手に楽な戦いなど有るはずもない。
 結局命を削るような逃げ方をする羽目になった。
 その最中、レイフォンは疑問に思った。
 ノイエラン卿からいつまで経っても電子音が聞こえないのだ。
 それを聞こうにも、そんな余裕はレイフォンにはない。
 本気になるまでは、それなりに会話を交わすことが出来ていたのだが、そんな状態は遠の昔に終了している。
 結局精根尽き果てた頃になって、キュアンティス卿から制止の声が掛かるまで面の攻撃を放ち続けられた。

『タイマーのセットをお忘れですねティグリスさん』
「おお? そう言えばそうじゃったかも知れんのぉ」
「そ、そう言うボケ方は止めて下さい。他の人も真似しますから」
「あうあう。クララよ。飯はまだかのぉ」
「それも止めて下さい!」

 まさかこれも計算ずくなのかも知れないとも思うが、確かめても無駄な事は分かっている。
 それなので抗議を送ってみる事にした。
 キュアンティス卿に向かって。

「分かっていたのならば止めて下さいよぉぉ!」
『あらあら。天剣の皆さんが貴男に襲いかかるのをずっと見てきたのですが、私にも武の力がありましたら襲いたくなるほど見事な逃げ方でしたので』
「お願いですから止めて下さい」
『ウフフフフ♪ 残念ですわね。とても可愛らしくていらっしゃるのに』

 王家と天剣授受者に関わってしまったがために、レイフォンの日常は波瀾万丈になってしまった。
 道場の再建資金はノイエラン卿が出してくれるそうだが、しばらくは鍛錬を他でやらなければならないようだ。
 そして気が付いたのだが、デルクの目が危険なのだ。
 間違いなく、レイフォンと戦いさらなる高見へと上ろうとしている武芸者の目になっている。
 本当に怯えて眠る事しか出来そうにない現実に、絶望が更に深くなった。
 
 
 
 後書きに代えて。
 はい。超槍殻都市グレンダン3をお送りいたしました。
 百人目様。外剛様。ギギナ様。ヨシヲ様。愚者の戯言様。K・U様。武芸者様。諫早長十郎様。お待たせしました。
 そのほか名も知らぬ読者の皆様も、お楽しみいただければ嬉しいです。
 それと、1と2の誤字やおかしな所を修正しました。愚者の戯言様。ご指摘ありがとう御座いました。
 ごらんの通り、今回難産でした。何が難産かと言えば、予定の半分しか書けていないのにこの量。
 更にギャグが少ないし、中途半端なシリアスがあるし、女の子が出てきていない。とどめとばかりにおじいさんとおばあさんが大活躍をしている。
 でも、ここを通らないと次につなげることが出来ないのもまた事実。
 一服入れると言う事でお見逃しください。
 ちなみに、予定が狂ってしまったので、五話くらいになると思います。
 泥縄になってきているかも知れない。



[18444] 超槍殻都市グレンダン4
Name: 粒子案◆a2a463f2 ID:eee05dd9
Date: 2010/12/29 19:44


 レイフォン・サイハーデンは武芸者である。
 つい三ヶ月前までは普通の武門の継承者であり、普通の武芸者だった。
 時々やってくる汚染獣と戦い、そうでない時には門下生に指導を行うと言う、継承者としては普通の人生を送っていた。
 だが今は、明らかに普通ではない生活を送っている。
 何しろ毎週毎週、入院していない時は毎週天剣授受者の襲撃を受けているのだ。
 こんな生活を送っているのはグレンダンでただ一人。
 そして、天剣授受者なんて人類外知的生命体が居るのはグレンダンだけ。
 いや。天剣授受者に知性があるか疑問ではあるのだが、それは考えるだけ無駄なので無視しておく。
 そうなると恐らくでは有るのだが、人類全体でただ一人レイフォンだけがこの地獄を生きているのだ。
 それ以外にも、天剣授受者になろうとする武芸者に襲撃されたり、時々養父に襲われたりと心休まる暇が無い日々が続いていた。
 だがしかし! 今目の前にある危機に比べればその全てはどうと言う事はない。
 実戦経験が豊富なためだろうが、今なら雄性体二期をたったの一日で倒すことも出来るほどに、腕が上がっている。
 ヴォルフシュテイン卿の背中を見た時には三日かかったのにだ。
 それだけの実力を付けたとしても、何にもならない事態という物があるのだ。
 例えば、サイハーデンの道場で鉢合わせして、レイフォンの目の前で睨み合っている美少女二人から逃げるというような。

「「うふふふふふ」」

 二人とも異口同音にお笑いになられていらっしゃる。
 二重敬語を使うくらいにレイフォンは恐れおののいているのだ。
 当然だが、睨み合っているのはリーリン・ヴォルフシュテイン・ユートノール卿と、クラリーベル・ロンスマイア様だ。
 グレンダン屈指の美少女と言えない事もない二人が睨み合っているのは、実はレイフォン絡みの問題なのだ。

「何故貴女がここに居るの?」
「レイフォン様にお会いいたしたく参りましたの」

 表面上穏やかに話し合っているように見える二人だが、実はかなり雰囲気が違う。
 ヴォルフシュテイン卿は挑戦者のように、余裕のない笑みを浮かべているのに対し、クラリーベル様は明らかに勝者の余裕を持った笑みを浮かべていらっしゃるのだ。
 実は一週間前の話なのだが、レイフォンはクラリーベル様に完敗してしまっているのだ。
 生きていられるだけ増しだと言えるくらいに完璧な敗北だった。
 事の発端はいきなり孤児院に現れたクラリーベル様の台詞から始まった。
 何処かに修行に行っていたという話だったが、それが終わったのだという事は分かったので、戦闘態勢を取るレイフォンにかけられた台詞とは。

「あの時は失礼いたしました。ただ一時の快楽のために我を見失ったわたくしはおろかでした」

 深々と頭を下げられてしまった。
 まあ、これは問題無いだろう。
 いくら同意の上とは言え、ロンスマイア家の跡取りを殺してしまったのならば、今以上の地獄は覚悟しなければならない。
 どう少なく見積もっても、凶暴化したノイエラン卿が襲ってくる事は間違いなかったので、何の問題も無い。
 だが。

「これから先、何度も何度も切り刻んで頂けるというのに、一度の快楽に身を滅ぼしかけたわたくしの目を覚まさせるためにお逃げになったレイフォン様のお気持ち、しかと受け止めさせて頂きました」

 こう続いたのはどう評価したらよいのか、未だにレイフォンは分からない。
 分からないが、その結果が今の危機を招いてしまった事だけは間違いない。

「あのねクララ。弱いくせに出しゃばると死ぬわよ?」
「理解しておりますわ。そして、レイフォン様に殺される事こそがわたくしの望みですもの」
「へえ。力量はわきまえているんだ? いつぞやレイフォンに瞬殺されかけたって聞いたけれど」
「はい。あの時は右腕を切り落として頂きました」
「なっ! み、右腕を切り落としてもらえた?」

 頬を染めてもじもじと身をくねらせつつ、あの時の事を事細かに説明なさるクラリーベル様。
 それを聞いているヴォルフシュテイン卿の表情が怒りに染まって行く。
 いや。台詞の一部に妙な言い回しが入っていたような気がするのだが、きっと気にしてはいけないのだろうと必死に現実逃避気味に他の事を考える。
 とりあえずクラリーベル様の腕を切り落としたことが発端となり、色々と面倒になったとあまり逃避にならない逃避をしてみる。
 あの事件がなければ、デルクがあちら側に逝く事はなかったのだと思うのだが、既に後の祭りである。
 そんなレイフォンの事などお構いなし気味に話は全て終わったようだ。

「ああ! 弱いという罪に下された罰なのですわ」
「っち! 強すぎるっていやねぇ」

 罪に対する罰と言いつつ、何故か非常に嬉しそうなクラリーベル様と、不機嫌がますます大きくなるヴォルフシュテイン卿。
 非常に危険だという事は分かっているのだが、毎回の事だが回避する事は出来ない。
 出来ないが、それでも何とかしなければならない。
 ノイエラン卿に破壊された道場は新築されたのだが、またすぐに壊される訳には行かないのだ。

「あ、あのぉぉ? っひぃ」

 決死の思いで二人の対立の間に入ったのだが、一睨みで沈黙させられてしまった。
 これはきっと女同士の戦いだから、当事者であろうともレイフォンには関係ないと言う事だろう。
 関係ないついでに、別なところでやって欲しいと思うのは駄目な人間の証拠だろうか?

「その時のわたくしの謝罪とお礼の意味を込めまして、先週お菓子を持参いたしましたの」
「お菓子で釣ろうというの? まさか? 死ぬほど不味いお菓子を食べさせて復讐を?」
「それは有りませんわ。リーリンだって食べたじゃありませんか」
「ああ。あれは確かに美味しかったわね」

 確かに、クラリーベル様の持ってきたお菓子は美味しかった。
 かなりの量があったので当然の成り行きとしてみんなで食べた。
 孤児院の他の子達にも好評だった。
 だが、いや。だからこそレイフォンは敗北を喫してしまったのだ。

「でもその中にレイフォン様用の一品がありまして」
「まさか毒入り?」
「いえいえ。しびれ薬を入れただけですのよ」

 そうなのだ。
 全て食べたはずなのに、何故かどこからとも無く現れた最後の一個。
 それをクラリーベル様が自らレイフォンに食べさせて下さったのだ。
 もちろん、あーんをしつつ。
 弟や妹が一杯居るところでやられたので死ぬほど恥ずかしかったのだが、断るという選択肢はなかった。
 謝罪と礼という建前もそうだが、弟や妹たちが興味津々とレイフォンを見つめていたからだ。
 ここで断ったら教育上悪い影響が出るかも知れない。
 そう判断したからこそ必死の思いで食べたのだが、それこそがクラリーベル様の来訪目的だったのだ。
 しびれ薬が効くまで僅かに五分。
 体調に違和感を覚えたレイフォンは道場へと移動してしまった。
 道場ならばいざという時、スイッチ一つで医者がすぐに来てくれるから安全だと思ったのだ。
 クラリーベル様も一緒に来てくれるというので更に安心していたのだが。

「活剄が使えないので効果時間は三時間ほどでしたか」

 活剄を使って代謝を促進すれば、それ程長い時間身体が動かないなどと言う事はなかったのだが、しびれていては剄を練る事も出来なかったのだ。

「その間レイフォン様はわたくしだけの物でしたの」

 頬を染めて恥じらうクラリーベル様と、ぐぬぬぬぬと唸るヴォルフシュテイン卿。
 恥じらう場所が違うと思うのだが、きっとクラリーベル様にとってはまさに恥じらうべき場所なのだろうし、唸っているヴォルフシュテイン卿も、まさに唸るべき場所なのだろう。
 レイフォンには理解出来ないけれど、きっとそうなのだろう。

「ああ! レイフォン様を膝枕した感覚と言ったら」
「ひ、膝枕ぁぁ?」
「はい。その時に髪の毛を撫でさせて頂きました」
「な、撫でたぁぁぁ?」

 段々ヴォルフシュテイン卿が怖い事になってきている。
 具体的には、巨大な鋏を握りしめてレイフォンを見ているとか。
 何時も通りに天剣を持ってきていないのだが、いくら瞬発力があってもヴォルフシュテイン卿には勝てないのだ。
 勝てるかも知れないけれど勝てないのだ。たぶん。

「そうそう。耳掃除もいたしましたの」
「ぬわぁぁぁぁぁぁ!」
「そしてこれですわ」

 そう言って、懐から小さなお守りを取り出すクラリーベル様。
 それは別段豪華な物でもなければ、珍しい物でもない。
 中に何が入っているかおおよそ分かっているレイフォンからしてみれば、その辺に捨てても良い程度の代物だ。
 いや。是非とも捨ててほしい一品だ。

「これ、レイフォン様のおひげが入っていますのよ」
「な、なにぃぃぃ」

 膝枕されている時に、頬に生えていた一本をクラリーベル様に抜かれてしまったのだ。
 あれは少々痛かったような気がする。

「っく! しくじったわ! クララに先を越されるなんて!」

 なにやら激昂しておられるヴォルフシュテイン卿。
 その身体から漏れる剄だけで道場が大きく揺れている。
 また再建までの時間が掛かるかと覚悟を決めたレイフォンだったが、事態はそんな生やさしい方向へは進まない。
 ニヤリとクラリーベル様がお笑いになられたのだ。
 再び二重敬語になるくらいに、レイフォンは恐れおののいているのだ。

「そしてレイフォン様はわたくしの子供を身ごもられておいでなのですわ」
「「っな!!」」

 思わず硬直して鋏を落とされるヴォルフシュテイン卿と、あまりにも予想外の展開に腰を抜かしてしまうレイフォン。
 いや。しびれている間に何かあったとか言う訳ではないのだ。
 いやいや。何かあったとしてもレイフォンが妊娠するなどと言う事はあり得ないのだ。
 あり得ないなんてあり得ないとは言え、男は妊娠するように出来ていないのだ。
 これはいくら何でもクラリーベル様の冗談だろうと言う事で、ヴォルフシュテイン卿も落ち着きを取り戻して下さると思っていたのだが。

「しくじったわ! もっと早くレイフォンをプチって殺しておけば。そしてその首を剥製にして寝室に飾っておけば、わたくしだけのレイフォンにする事が出来たのに」
「うふふふふふふ。残念でしたわねリーリン」

 レイフォンは理解していた。
 この二人が間違いなく血族だと。
 方向性が違うだけで思想としては非常に似ているのは、きっと血がつながっているからだと思いたい。
 いや。妊娠云々は冗談だから遊んでいるのだと信じて。

「レイフォン様がしびれている時間の殆どを、膝枕をしつつその頬を突いておりましたの」
「ほ、頬を突いていたですって?」
「はい。あれだけ突いたのですから、間違いなく妊娠しておいでになりますわ」

 得意そうに胸を張るクラリーベル様と、取り落とした鋏を拾い上げてレイフォンの首を狙っているようなヴォルフシュテイン卿。
 金属をこすり合わせる音が、まるでレイフォンへの弔意を表しているように思えてならない。
 あり得ない事だとは思うのだが、もしかしたら本当にレイフォンが妊娠しているのだと信じ込んでいるのかも知れない。
 こちらはあり得ないなんてあり得ないが通用するだけ増しなのだろうか?

「あ、あのぉぉ」
「なんですの?」
「なによ?」

 二人の視線がレイフォンに突き刺さる。
 どういう視線かと言う事の微細は省略させて頂くが、非常に怖い事だけは間違いない。
 だが、ここで負けてしまっては身の破滅なのでありったけの勇気を奮い起こして言葉を続ける。
 もしかしたら、この悪足掻きこそが身の破滅につながるかも知れないけれど、それは考えないようにして突き進む。

「僕は妊娠していませんよ?」
「「っな!!」」

 異口同音に同じ表情で驚くお二人。
 だが次の瞬間、差が現れてきた。
 勝ち誇ったようなヴォルフシュテイン卿と、全く信じられないと驚愕に支配されるクラリーベル様。
 そんな二人の視線が、レイフォンから離れて真っ向から激突する。
 視線に威力という物があるのならば、明らかにヴォルフシュテイン卿が有利だ。

「おほほほほほ! 貴女の悪辣な罠なんてその程度の物なのね。レイフォンを妊娠させることも出来ないなんて無様ね!」
「そんな事は御座いませんわ! これは陰謀ですわ! 謀略ですわ! いいえ。罠に違いありません!」

 動揺著しいクラリーベル様だったが、何か思いつかれたのか一気に落ち着きを取り戻された。
 どうでも良いが、二人とも男が妊娠できると信じているようだ。

「わたくしたちにとっかえひっかえ妊娠させられたのでは、身が持たないと計算されたレイフォン様の罠ですわ。わたくしたちを争わせて漁夫の利を得る作戦ですわ」

 なにやら我が儘を通そうとする子供のような事をおっしゃるクラリーベル様だったが、ヴォルフシュテイン卿の視線が厳しさを増してしまった。

「あり得るわね。レイフォンは結構逃げるのが上手いから」
「そうでしょう」
「あ、あのぉぉぉぉ」

 納得して話が先に進もうとするので、必死の思いで現実というか常識をお教えする事にした。
 本来、全く不要な行為だと思うのだが、気のせいであって欲しいところだ。

「そもそも、男は妊娠出来ないんですよ」
「「っな!!」」

 再びお二人で硬直なさった。
 本当に男が妊娠すると思っていたようだ。
 流石王族と言って良いのだろうか?

「そ、そんな! そんな事あり得ないわ!」
「そうですわ! 男の方が妊娠出来ないのならば、どうやって人間は増えてきたというのですか?」
「・・・・・・」

 どういう教育を受けてきたのだろうかという疑問は、持ってはいけないのだろうか?
 もしかしたら、武芸者としてだけ育てられたとか?
 ことグレンダンの王族だけに、あると言えてしまう今日この頃が、少々恐ろしい。

「お、落ち着いて下さいリーリン!」
「ど、どうやって落ちつけって言うのよ?」
「思い出してみて下さいませ。レイフォン様にはお父様はおいでですがお母様はいらっしゃいませんわ!」
「っは! そう言えばそうだったわね! 危うく引っかかるところだったわ!」
「い、いやいや」

 当然、レイフォンの事を知っているのは良いのだが、その情報の受け取り方が中途半端のようだ。
 これはしっかりと認識して理解して納得してもらわなければならない。

「僕を産んでくれた人は女性ですよ」
「「っな!!」」

 再び衝撃に見舞われる少女二人。
 話が進まないので強引に進める事にした。

「僕の母親は、放浪バスの火災事故で死んでいるんですよ」
「放浪バスの火災事故って言ったら」
「十五年前グレンダンの側でいきなり出火してしまったという、あれですわよね?」
「そうです。あれに母親と一緒に乗っていたのですよ」

 助かったのはレイフォンを含めて僅かに三人。
 乗客のデーターも失われてしまったために、レイフォンの親が何という人で何処の都市の出身か分からなくなってしまったのだ。
 別段それはどうでも良い事だ。
 結果的にグレンダンでデルクに引き取られてここが家になったのだし。
 いや。あれがなければ他の都市でもう少し増しな人生を送れていたのだろうか? 疑問は尽きないところではあるが目の前の問題を片付けなければならない。

「じゃ、じゃあ、本当に子供を産めないの?」
「産めません。子供を産むという能力を持っているのは女性だけです」
「分かりましたわ! 今度こそ分かりましたわ!!」

 何故かいきなり拳を突き上げるクラリーベル様。
 やっと男が子供を産めないと言う事を理解してくれたようだ。
 かなり嬉しい。

「まだ時が来ていないのですわね!」
「時って何よ?」
「雌性体の時期でないと駄目なのですわ!」
「おお! 流石クララ。これなら全ての辻褄が合うわ!」
「合いませんから! と言うよりも汚染獣と一緒にしないで下さい!」

 どうやら違ったようだ。
 流石に汚染獣との戦闘が多いグレンダンの王家と言うべきか、それとも非常識さを嘆くべきだろうか?
 あるいは、いつの間にか王族相手にも突っ込めるようになってしまった、レイフォンの適応能力が凄いと評価すべきだろうか?

「おかしいわ! 絶対におかしいわ! だって父様がおっしゃっていたもの!」
「何を言ったのですか?」

 ヴォルフシュテイン卿の父親と言えば、ヘルダー・ユートノールである。
 この前多額の報奨金をレイフォンに用意してくれた、ミンス・ユートノールの兄に当たる人だ。
 詳しくは知らないが、常識的な政策を行う人だと聞いている。

「自分が腹を痛めて産んだって」
「・・・・・・・・・・・・・。何時ですか?」

 これこそ冗談だろうと思って聞いてみた。
 だが、これで冗談でなかったら猛烈に酷い打撃を受ける事になってしまう。
 それなので、最大限の警戒態勢をとって返事を待つ。

「ヴォルフシュテインの授与式の後の宴会で」
「かなり酔われておいででしたね」
「そうなのよ。良く分かるわね」
「それはもう」

 十二歳の時に天剣授受者となったヴォルフシュテイン卿の、祝いの席はさぞかし豪華だっただろうと思う。
 そして、嬉しくて嬉しくて限度以上にお酒を飲んでしまったヘルダー。
 それは十分に予測出来るし納得も出来る。
 酒の上の冗談だったのだろう事が予測出来る。
 それを信じ込んでしまったのがヴォルフシュテイン卿の悲劇と言うべきだろうか?

「そう言えば、ヘルダー小父様がおっしゃっていましたわね」
「そうよ。私が腹を痛めて産んだ子供だが、まさか若くして天剣を授けられるほどになるとは思わなかった。これ以上に嬉しい事はないって」
「普段、お酒を召し上がっても酔わない方ですが、よほど嬉しかったのですわね」

 あまりにも嬉しくて言ってしまった言葉を信じて、娘が突っ走っていると知ったらどんなに嘆くだろうと想像してしまう。
 いくら王家の人間とは言え、かなり可哀想である。

「メイファー様はどうおっしゃっていらっしゃったのですか?」
「母様?」

 当然だが、ヘルダーの結婚相手として天剣授受者か王族が選ばれるのだ。
 そして、先代のクォルラフィン卿がお輿入れなされた訳だ。
 当時のメイファー・クォルラフィン・シュタッドは、庶民派の天剣、天剣最強の常識派、善良な武芸者などと呼ばれていた物だ。
 現在のクォルラフィン卿とは偉い違いである。
 だが天剣としては珍しく、結婚と出産を契機に引退し天剣を返上した。
 非常に惜しまれつつだったのは言うまでもない。
 最近では子育てが一段落したからか、現役に復帰しつつある。
 時々汚染獣戦で短弓を使っているメイファーを見るのだ。
 その連射性を優先しつつ天剣時代を彷彿とさせる威力の支援は、前線で戦う武芸者の心強い味方となっている。
 レイフォンも一度ならず助けられた経験があるほどだ。
 だがふと思う。
 良識と常識に富んだメイファー・シュタッドが育てたリーリン・ヴォルフシュテイン・ユートノール卿が、こうも非常識になってしまったのは何故だろうと。
 もしかして、王家に入った事で何か化学反応的に変わってしまったのだろうか?
 もしかしたら、名字が変わったせいで性格も変わってしまったとか?

「母様も安心していたわね。酔って父様を押し倒して事に及んだ夜に出来たのが私だったとかで」
「それは有名な話ですわね」

 メイファーが酔ってヘルダーを押し倒したまでは本当だろうが、その先はきっと冗談なのだ。
 そうに違いないと思うのだが、もしかしたら王家の人間は男が子供を産めるのかも知れない。

「い、いやいやいやいや」

 全力で今の想像を否定する。
 いくら変人と変質者と変態しかいない王家とは言え、流石にこれは行きすぎだ。

「でも、どっちの言っている事が本当なんだろう?」
「そうですわね。ここははっきりして頂かないと困りますわね」

 少女二人は半信半疑のようだ。
 この疑問のついでに、レイフォンの事を忘れてくれると嬉しいのだが、当然そうはいかないだろう。
 忘れられなくても、常識を一つ身に付ける事は非常によい事だから、全面的に応援してしまう。

「父様に聞いてみるしかないわね」
「そうですわね。本人に聞くのが一番ですもの」

 どうやら、今日のところは生き延びる事が出来るようだ。
 ほっと一息つける。

「ああでも、父様は今頃執務で家には居ないわね」
「それでしたら、小母様に尋ねるしかありませんわね」
「そうよね。これから確かめに行きましょうか」
「そういたしましょう」

 どうやら話がまとまったようだ。
 今週は老性体がやってきたお陰なのか天剣の襲撃もなかったし、デルクの襲撃は昨日有ったばかりだ。
 今夜は安心して眠れるかも知れない。

「はい?」

 何故か、両腕をお二人に拘束されてしまった。
 抵抗する暇があればこそ、ズルズルと引きずられて行く。

「さあ! 母様に確認しに行くわよ!」
「共に参りましょう! 未知なる知識の海へ!」

 どんな虐めなのだろう? あるいは羞恥プレイなのだろう? いや。これは明らかに拷問である。
 母が語る娘のための性教育講座に、強制参加させられようとしている事実は、思春期の少年にとって最大最強の驚異と言える。
 いや。事態はそれ以上に深刻かも知れない。
 例えば、例えばだが。
 万が一、いや。億分の一の確率で、何かの間違いが起こったとする。
 そして最終的に、実戦研修なんて事になったとする。
 メイファー・ユートノールと関係を持ってしまい、ヴォルフシュテイン卿の弟か妹の父親になる。
 間違いなくヘルダーになぶり殺しにされてしまう。
 違う方向に進んだとして。
 ヴォルフシュテイン卿やクラリーベル様と関係を持ってしまった場合。
 実の子供になぶり殺しにされる自分を想像してしまうのは、レイフォンの中の何かが間違っているのだろうか?
 強引に他の確率を探す。
 女王はまだ独身だ。
 アルシェイラとの間に子供をもうける。
 何故か木乃伊になって転がっている自分を想像出来てしまうのは、レイフォンの気のせいだろうか?
 結果的に全ての確率が危険であり、命の危機に直結しているような気がする。
 これは全力で逃げなければならない。

「あ、あのぉぉぉぉ」
「なに?」
「どうなさいました?」

 現実逃避をしている間に、道場から出て町中を引きずられている事に気が付いた。
 周り中から好奇と哀れみの視線がやってくる。
 最近では、レイフォンが酷い目に合うのが日常茶飯事となっているのだが、王族で美少女に引きずられるというのは初めての事態だ。
 危険もなさそうだとなれば、好奇心を抑えられる人は殆どいない。
 それは分かるのだが、是非とも助けて欲しいのだ。
 ここから先は踏み入ってはいけない世界なのだ。

「せ、せめて僕抜きで知識の探求に」
「それはだめよ」
「そうですわ」

 あっさりと却下されてしまった。
 表面上は違っても二人は血族だと言う事だろう。

「もし、レイフォンの言う事が間違いだったら」
「わたくし達の子供を産んで頂かなければなりませんから」

 これは深刻を通り越して滑稽かも知れない。
 とてもレイフォン自身は笑えないけれど。
 そして、グレンダンの外苑部にあるサイハーデン道場から王族が住む中央付近に向かって、レイフォンは引きずられて行くのだ。
 二度と帰る事が出来ないかも知れない道のりだ。
 
 
 
 ミンス・ユートノールは武芸者である。
 ついでにではあるのだが、一応王族でもある。
 どうでも良い事柄ではないのだが、対汚染獣戦の際は五十人からの部隊を率いる隊長でもある。
 一武芸者としての実力はレイフォンよりも下なのだが、指揮官としては現在かなり高い評価を得ている。
 幸か不幸か一緒に歩く人身御供を指揮下に置いた事はないが、噂は十分すぎるほど聞いているし、その実力もこれでもかと言うほど承知している。
 特にこの三ヶ月はレイフォンの話を聞かない日はないほどだ。
 毎日のように姪が、延々とレイフォンの事を喋っているのを聞いているだけで、おおよそ理解出来ようという物だ。
 姪自身が気が付いているかどうか怪しいところも含めて。
 だが、ミンスよりも強力なはずのレイフォンだが、今日という日には他からの助けがなければ大変な事になっていただろう。
 特にヘルダーやミンスの助けがなければ。
 闇に支配されたグレンダンを外苑部へと向かって歩くレイフォンは、まさに危機一髪のところを救出されたのだ。
 あれは恐ろしい光景だった。
 虫の知らせというか何というか、残業をしようとしたミンスだったが何かに呼ばれたかのようにユートノールの邸宅へと戻ってみた。
 なにやら奥が騒がしいのでそちらに向かい見た光景とは、まさにこの世の地獄と呼ぶに相応しかった。
 そう。何故か寝室にお茶とお菓子が用意されていて、大量の栄養剤が小さな冷蔵庫に冷やされつつ、うつろな瞳をして口から何か物理学で証明できない物が覗いているレイフォンの周りで、メイファーとリーリンとクラリーベルが談笑していたのだ。
 内容はそれはもう凄まじい物だった。
 あわやの大惨事だった。
 メイファーの様子から推察すると、あと五分ミンスの帰宅が遅れていたのならば、レイフォンはとても人には言えない経験をする羽目になっていただろう。
 そして、二度と家に帰る事は出来なかったかも知れない。
 何故そんな事になったのかを聞いて目の前が真っ暗になった。
 事の発端はミンスの兄と義理の姉の発言と言えない事はないし、もっと言えば王家の大人達全員の責任だとも言える。
 特にリーリンの母であるメイファーの責任が大きい。
 常識派として知られたメイファーだったが、ヘルダーを押し倒して出来ちゃった結婚した頃まではまだ普通の女性だった。
 だが、朱に交われば赤くなると言うのか、アルシェイラの影響をもろに受けてしまったようで、その性格は今のリーリンの原型で落ち着いてしまった。
 いや。正確を期すならば、リーリン-アルシェイラ+その他少々=メイファーとなるだろうか。
 誠に不思議極まりないが、これもグレンダン王家の現実なのだ。
 そしてミンスは決意をした。

「有り難う御座いました」

 もうすぐ家という所まで来たところで、レイフォンがぽつりと礼を述べた。
 本来礼を述べられるような事はしていないし、どちらかというと謝らなければならないと思うのだが、レイフォンにとっては礼を言いたくなる心境である事も理解している。
 だからミンスは行動しなければならない。

「これを読め」

 小さく折りたたんだ紙片をレイフォンに渡す。
 まだデルボネに知られる訳には行かないので、こんな厄介な方法で意思疎通を図らなければならない。
 暗闇におおわれているとは言え、レイフォンほどの実力者ならば問題なく字を読む事が出来るはずだし、この瞬間が最も危険が少ないという判断もあった。

「こ、これは」
「っし!」

 叫びそうになるレイフォンの口元を押さえて黙らせる。
 計画自体はずいぶん前からあったのだ。
 だが、それを実行に移すための前提条件がそろわなかった。
 そんな立ち往生の状態だったが、今回の問題は明らかに前提条件をクリアーしてしまっている。
 天剣授受者である以上に特殊な能力を持つリーリンだが、アルシェイラならばそれ程の問題も無く計画は遂行出来るだろう。
 と言うか遂行したい。

「あ、あの」
「礼なら要らん。そもそもが家の問題だ」

 王家の女性陣はそろいもそろって変人ばかりだ。
 男性陣に変人が居ないかと問われると、居るのだが、それでもまだ女性陣よりは増しだと判断する。
 だからこそ、この計画を思いついて色々と練り上げてきたのだ。
 断じてミンス自身がリーリンに夜襲をかけられる事が恐ろしいとか、そう言う事が根底にある訳ではないのだ。恐らく。

「お前のする準備はたいしたことはないはずだ。取り敢えず生き延びていろよ」
「はい。生き延びる事がこれほど素晴らしいだなんて、始めて知りました」

 なんだかとんでもない事を要っているような気がするが、ここ三ヶ月の事を思うとそれも当然なのだろうと思う。
 そして更に考える。
 実行段階に移った計画を確実に成功させるために必要な駒はどれが良いだろうかと。
 だが、考えるまでもなかった。
 全てはこの計画のために用意されているのではないかと思えるほど、都合の良い事ばかりが起こっている。
 これはこれで少々怖い気もするのだが、千載一遇の機会を逃す事は出来ない。
 ここで勝負をするためにレイフォンの無事を祈る。
 もし、丁寧に頭を下げて家へと帰っていった少年が死んでしまったら、全ては水泡に喫してしまうのだ。
 この一点のみが計画にとって最も危ないところだが、それでもやや楽観視している。
 何しろ、無目的で今まで生き延びる事が出来たのだ。
 明確な目標があり、期限が定められた今なら、きっと生き延びてくれると信じている。
 闇に覆われたグレンダンを、おそらく制裁が待っているだろう我が家に向かって歩き出す。
 メイファーの考えが分かるだけに、この後の状況もおおよそ予測できてしまうのだ。
 もしかしたらレイフォンよりも先にミンスが死んでしまうかも知れないが、それでも計画は進行するように手配は終わっているのだ。
 だが、ミンス自身も出来れば死にたくないのだ。
 ここはヘルダーに仲裁を頼もうと、携帯端末を懐から取り出しつつ、恐怖の館へと歩み続ける。
 先はまだまだ長い。
 
 
 
 後書きに代えて。
 超槍殻都市グレンダンの四話目をお送りいたしました。
 わっち様。ぜろぜろわん様。百人目様。ギギナ様。からから様。風花様。武芸者様。
 そして、名を知らぬ読者の皆様お待たせしました。
 わっち様、風花様誤字のご指摘ありがとう御座いました。修正しました。
 相変わらず同音異字には弱いですね。
 
 さてさて。
 ここまでぶっ飛んだキャラを出して良い物かどうか迷ったのですが、このシリーズにとって絶対に外せないイベントだったのも事実。
 と言う事で、リーリンとクラリーベルには非常識を極めてもらいました。
 そして、やっとの事でミンス登場。
 実は原作以上にこの人は重要なのです。
 何を企んでいるのか、おおよそ予測出来ていると思いますが次回の更新まで内緒です。
 そして、次回の更新でこのシリーズは終了します。(予定)
 最後の最後にレイフォンには俺が用意出来る最大最悪最狂の結末を用意しました。
 それを見た皆さんはきっとレイフォンの絶望の深さに涙するでしょう。
 では次回、超槍殻都市グレンダン5でお会いしましょう。



[18444] 超槍殻都市グレンダン5
Name: 粒子案◆a2a463f2 ID:eee05dd9
Date: 2010/12/29 19:45


 アルシェイラ・アルモニスは女王である。
 グレンダン最狂の武芸者でもある。
 恐らくでは有るのだが、人類最強の武芸者でもある。
 本来この能力は借り物で、目的を果たすために便宜的にアルシェイラが使っているだけに過ぎないが、今はそんな物関係ない。
 王宮の一番高い場所にある部屋、そのベランダに設置された全長二メルトルに及ぶ望遠鏡を前にしては、そんな些細な出来事はどうでも良いのだ。

「これ何に使うのよ?」

 遠くを見る事などアルシェイラにとっては造作もない事だ。
 活剄を軽く使えば三百キルメルトル先の都市でさえ、かなり鮮明に捉える事が出来る以上、望遠鏡などと言う不便な道具を使う必要は何処にもない。
 だが、目の前にいる小柄な女性は不適に微笑む。

「うふふふふふ。それは覗きとは言わないわ」
「何処が違うって言うのよ?」

 滅茶苦茶小柄なリンテンスの妹に向かって、上からの目線で問いかける。
 念威繰者としては平均的な実力しか持たないとは言え、こんな大がかりな道具を使わなければならないと言う事はないはずだが、何故かこのリディアは好んで望遠鏡を使うのだ。
 しかも特注で作らせてまで。

「覗いてみれば分かる。覗かなければ分からない」

 無表情のままそう言われたので、何となくそれに従ってみる。
 望遠鏡は既に微調整が終わっている。
 しっかりとはっきりとサイハーデンの道場が建つ辺りへ向けられている。
 途中に有った背の高い建物は、全て綺麗になくなっているのだが、これは天剣授受者とレイフォンの戦闘の影響であって断じてアルシェイラに責任は無い。
 と言う事で、腰をかがめて接眼レンズに顔をくっつける。

「おお!」

 何故か覗いた瞬間に視界に飛び込んできたのは、入浴中のレイフォンの姿。
 そしてその膝の上で微睡む、長い髪の幼女。
 不自由な視界の中で繰り広げられるのは、まさに日常の一コマであり絶好の覗きスポットだ。
 これは間違いなくリディアが狙ってやったのだ。
 だが、アルシェイラの関心はもはやそんなところにはない。

「こ、これはいいわね」
「うふふふふ。覗くという背徳艦が溜まらないわ」

 気が付かされたのだ。
 活剄で視力を強化して対象物を見る事は、単に見る事の延長でしかない。
 だが、望遠鏡を覗いている今この瞬間は、間違いなく覗きなのだ。
 リディアが覗けば分かると言った意味を正確に理解した。

「ああ。そんなにこすっては駄目よ」
「うふふふふ。足の指の間をこするだけで、ああも快感を与えるなんて」
「レイフォン! なんて恐ろしいやつ。リーリンとクラリーベルが躍起になって襲うのも分かるわ」
「うふふふふふ。もうあの二人もレイフォン無しでは生きられないわね」
「あの子もそうよ。お兄ちゃん無しでは居られない身体になってしまったわ」
「うふふふふ。貴女ももう覗き無しでは居られないわ」

 隣に据えられた望遠鏡でリディアと覗きをしつつ、アルシェイラは思うのだ。
 何故もっと早く興味を持たなかったのだろうと。
 下らない執務に忙殺されて、いつ来るか分からないその時を待つだけの人生だった。
 今から思えばつまらない事だらけだったのだ。
 だが、その人生がこうも彩り豊になったなんて!
 その幸福を味わいつつ更に覗きを続ける。

「あの陛下。ヘルダーとミンスから是非とも陛下の裁可が頂きたいと書類が回ってきていますが」

 いきなりカナリスのそんな声が聞こえて、現実に戻されてしまった。
 正直かなり腹立たしい。
 メイファーとリーリンとクラリーベルにボコられて入院しているはずだが、きっちり仕事をしているところは賞賛に値するかも知れないが、今はただただ苛立たしい。

「貴女の方でやっておいてよ。私今忙しいの」
「そう申されずに、ユートノール家からの嘆願書ですので」
「っち! 貸しなさい」

 気配だけでカナリスから書類を受け取る。
 かなりの厚さのそれをろくに見もせずに最後のページにサインだけする。

「これで良いでしょ?」
「はい。失礼しました」

 そう言うとカナリスはそれ以上ここにとどまる事をせずに、退出して行く。
 その足音を聞きながらも、視線はレイフォンの入浴シーンから離れない。
 これはよい物を見られた。
 アルシェイラはその時、確かに人生で最良の時間を過ごしていた。
 だが、その至福の時間は儚く消費されてしまったのだ。

「なに、これ?」

 存分に覗きを堪能した直後、執務机に向かったアルシェイラを待っていたのは、全く持って信じられない内容の書類だった。
 何故か既に女王のサインまでしてある。
 表題に書かれているのは、ヴォルフシュテイン返上とリーリン・ユートノールの留学について。
 猛烈な勢いで内容を確認する。
 要約するとこうだ。
1.リーリンはヴォルフシュテインを返上する。
2.リーリン・ユートノールをグレンダンから他の都市へ留学させる。
3.ヴォルフシュテインはメイファー・ユートノールに試験後に授与する。
 リーリンが留学するための手続きが一揃えの書類で終わっているという、極めて効率的な内容だ。

「だ、誰よこんな物にサインなんかしたのわ!」
「陛下ですが?」
「わ、わたし!」

 冷静にカナリスに突っ込まれ理解した。
 これは謀略なのだと。
 もしかしたらリディアも敵に回っているかも知れない。
 覗きに夢中になっている時に書類を持ってくれば、かなりの確率でアルシェイラは読まずにサインをしてしまう。
 それがユートノールからの物となれば、更に不用心になってしまうのは事実。

「まさか望遠鏡を持ち込んで良いという許可が下りたところから、この陰謀は始まっていたなんて。驚きだわ」

 リディアがそう言うのが聞こえた。
 どうやらリディアはこちら側の人間だったようだが、それでもアルシェイラの周りに敵が多い事は理解出来る。
 サインはしてあるが何とか反論してみる。
 人はこれを悪足掻きというかも知れないが、アルシェイラにとっては重要な事なのだ。

「リーリンを留学させるって、ここでだって勉強くらい出来るでしょう?」
「一般常識を取得するためには、一度グレンダンから出た方が確実ですし、そもそも天剣授受者が非常識の集団だと知られたらかなり拙いかと」
「そ、それはそうかもしれないわね」

 いくら強ければ良いという基準で選んだ天剣授受者とは言え、一般常識が全く無いのでは話にならない。
 特にリーリンは王族である。
 つい最近まで子供は父親が産むと思っていたなどと知られたら、それはそれはかなりのスキャンダルになる。
 出来れば秘密裏に処理したい問題ではある。

「留学って何処に送るのよ? 知っている人がいないところに送ったら問題でしょう?」
「ツェルニがよいでしょう。サヴァリスの弟が在籍していますから」

 打てば響くというのだろうか?
 カナリスの返答は全て予想された内容に対応するように、全くよどみがない。
 いや。ほぼ間違いなく予測されているのだろう。

「デルボネは何をやっていたの? こうもあっけなく反逆を許すなんて」
「情報の伝達や意見交換の全てが、紙に手書きの文字を書いて進められた計画です。いくらデルボネでもそうそう簡単には把握出来ないでしょう」
「ぐぬぬぬぬぬ」

 悔しくて涙がこぼれてきた。
 だが、全てはもう決してしまっている。
 ならばせめてもう少し面白い事になるように、小細工を労するだけだ。
 だが、そんな余裕を今日のカナリスは与えてくれなかった。

「ついでではありますが、レイフォンも留学させてはどうかとミンスから提案が来ています」
「レイフォン? あれこそここにいた方が面白いじゃない?」

 レイフォンこそ天剣授受者を相手にしていれば、見る見るうちに実力が伸びて行くはずだ。
 そうなればかなり面白い事になる。

「ですが。私もこの間襲ったのですが」
「うんうん」
「どうも最近天剣の技と動きを見切ってきたようで、前ほど面白くなくなってきています」
「・・・・。ええい! サイハーデンの継承者は化け物か!」

 化け物揃いの天剣授受者の動きを見切って、面白味のない戦いに持ち込んだ。
 いくら剄量を制限しているとは言え、その技量だけでもその辺の武芸者は足元にも及ばないというのに、動きや技を見切って来ているというのだ。
 しかもたったの三ヶ月少々でだ。
 これはアルシェイラでも驚きに値する出来事だ。

「ですので、他の都市の武芸者と戦わせてみたらと」
「圧勝でしょう? 天剣相手に戦っていたんだから」
「新しい技を覚えてくる事が予測出来ますし、もしかしたらそれ以上の面白い事になるかも知れないとミンスが」
「ミンスねぇ」

 つい先ほど騙されたばかりなので少々疑り深くなっている。
 だが、リーリンと一緒に留学させる事が出来れば、それはそれは面白い事になりそうだ。
 リーリンの腕が鈍る事もなさそうだし。

「いいわ。そっちで許可出しておいて」
「かしこまりました」
「うふふふふふ。天剣級の武芸者が一人増えているかもね」

 リーリンが一緒ならばあり得る。
 天剣という錬金鋼は十二本しかないが、授受者の予備は多いに越した事はない。
 少々気分が良くなった。
 
 
 
 レイフォン・サイハーデンは焦っていた。
 今日という日はレイフォンにとって最も大切な一日なのだ。
 そして、もう残り時間も無いというので、目的地に向かって活剄を使いつつ走っていたのだが。

「鍛錬の厳しさ、汚染獣の恐怖から逃れたくはないか?」

 いきなり変なお面を被った集団に取り囲まれている自分を発見。
 その数実に二十。
 全員が異口同音に同じタイミングで言葉を話すという、かなり高度な技を見せてくれたが全く嬉しくない。
 高度な技を使える事と、つい先ほどまで全く気配を感じなかった事から推測してかなり腕の立つ武芸者である確率が高い。
 これ自体は別段驚く必要はない。天剣授受者なら誰でもやれる事だから。
 それ以上に何か何時ものグレンダンではないような気がしてならない。
 何か空気が違うような気がして、素早く辺りを見回しつつも、お面集団から注意をそらせる事はしない。
 何時襲われるか分からないからだ。
 だが、お面集団からは襲ってくる気配を感じないし、何か言いたげにしているのは気のせいではないだろう。
 平和的な用事ならば多少付き合っても良いのだが、今日という日は拙かった。
 何度でも言うが、時間が無いのだ。
 家を出た瞬間から色々とあったために、限界ギリギリの状況なのでレイフォンが取るべき手段はたった一つ。

「ええい! 邪魔をするな!」

 珍しく激昂して身体が勝手に動く。
 剣帯から予備の錬金鋼を引き抜き、銀色の鋼糸を復元。
 周り中に陣を引きそれを上空に向かって打ち上げる事で、全方位への攻撃を可能とする。
 本来ならば十秒程度の準備時間が掛かるはずなのだが、今日は異常に集中力が高まっているせいか三秒で完成。
 あっけなく全員に命中したが、当然急所を外している。

「え?」

 だが、急所を外したはずだというのに、全員が溶けるように始めからいなかったかのように消えてしまっていた。
 それと同時にグレンダンではないという変な感覚も元通りに戻った。
 一体何だったんだろうと考えたのは実に一秒。
 兎に角時間が無いのだ。
 と言う訳で鋼糸を基礎状態に戻して、更に活剄を強化して疾走する事二十秒。

「覚悟しろ!」
「弟弟子の仇!」

 道をふさぐように展開していた武芸者五人に高速で接近しつつ、手加減した焔切りと鎌首を浴びせかけて撃破。
 更にくないを飛ばして牽制をしつつ、接近して刃鎧を叩き込み無力化。
 この間僅かに三秒。
 何時もならもう少し相手に優しい方法で攻撃するのだが、なんと言っても時間が無いのだ。
 今はもうそれしか考えられない。
 目的地に着くためだけに、持てる技量と技と剄を注ぎ込む。
 出し惜しみしている余裕はないのだ。
 もう少しで目的地に到着できると思った、まさにその瞬間。

「もらった!」
「っちぃぃ!」

 突如脇道から飛び出してきたルッケンスの武芸者に、カウンター気味の肘打ちを叩き込む。
 突っ込んできた速度はかなり凄まじかったので、身体が流されたがそれに逆らわずに四分の一回転。
 体制を低くしつつ更に身体を回転させ、足払いをかけ低空へと押しやる。
 相手がまだ空中にいる間に瞬発力を最大限使って、上半身を襲撃者の上に持ち上げる。
 ノイエラン卿に指摘されてからこちら、瞬発力を意識する事によって身体捌きと技の切れがいっそう鋭くなったのだ。
 鳩尾に拳を押し当てそのまま地面に向かって付き出す。
 拳を当てた衝撃のすぐ後に路面に衝突したために、受け身や防御が非常に困難な状況を作る。

「ぐわ!」

 悲鳴を上げてのたうつのをそのままに、旋剄を使って一気に距離を開ける。
 周りから拍手が聞こえるが、今日は無視するしかない。
 何故かおひねりも飛んできたが、今は見なかったことにする。
 ぐずぐずしていられないのだ。
 そう。今日は留学のための試験日。
 あと十五分で試験が始まってしまう。
 問題は家を出た次の瞬間から襲ってきていた。
 次から次とルッケンスの武芸者に襲われるのだ。
 これは間違いなくレイフォンをグレンダンから出さないために、クォルラフィン卿が用意した罠に違いない。
 いきなり本人が出てこないのは、足掻くレイフォンを見て喜んでいるか、あるいは自分が戦うに足る人物か見極めているのかのどちらかだろう。
 途中で関係なさげな、お面集団が何か訴えかけていたような気もするが、試験を受けるための貴い犠牲となってもらうしか無かった。
 まあ、そんな訳の分からない連中も居たが、おおよそ襲ってきたのはルッケンスの武芸者達だった。
 となれば、試験会場が見えたと同時に認識出来る、銀髪でにやけた笑いを浮かべた長身の男性が居ても、何ら驚く事はない。
 驚かないが、絶望的ではある。

「やあレイフォン。思ったよりも速かったね。最後に戦ったやつ、ガハルドは結構腕の立つ武芸者なんだけれどね」

 不敵に笑いつつ構えを取るクォルラフィン卿。
 どうあっても通してくれないようだ。

「さあレイフォン。ここを通りたければ僕を殺してからにするんだね」

 倒してではなく殺してと言う辺りに、クォルラフィン卿の人となりを感じられるかも知れない。
 全然嬉しくないけれど。

「僕には時間が無いんですよ!」
「喋っている間に時間切れになってしまうよ? 僕はそれでも良いけれどね」

 本当の意味で問答無用の世界だ。
 仕方が無く、レイフォンも刀を復元する。
 クォルラフィン卿の表情から笑みが消えた。
 これはマジだ。
 だが、戦って勝てる相手でもない。
 ならばやる事は一つ。
 サイハーデン刀争術 失影。
 殺剄を行いつつ凝縮した気配を複数撃ち出して相手を混乱させ、高速で接近して倒すという技的には難易度の高い物だ。
 だが、日がさんさんと降り注ぎ開けた場所で煙幕無しでやっても、何の意味もない技だ。
 それでも、もう一つを合わせる事によって、何とかこの危機を乗り越えようとしているのだ。

「子供だましを!」

 当然のことだが激昂したクォルラフィン卿が一瞬でレイフォンの前に現れ、その拳が顔面を捉える。
 その攻撃に容赦はなく、普通に考えて即死出来る威力だった。
 そして、レイフォンの身体が散り散りにかき消える。

「お、おや?」

 さしものクォルラフィン卿も一瞬動きが止まる。
 その脇をレイフォン本体が水鏡渡りで通過!
 千人衝で創り出した分身を悟らせないための失影だったのだ。
 目的はクォルラフィン卿の脇を通り過ぎること。
 正面から千人衝の勝負になったら、剄量で圧倒されるので小細工を労したのだ。
 これは本来、ヴォルフシュテイン卿やクラリーベル様に押し倒されることを回避するため、さんざん磨いてきた技だ。
 こんなところで役に立つとは思わなかったが、つかえる物は何でも使うのがサイハーデンのやり方だ。

「・・・・。成る程。千人衝と合わせる事で分身を最大限有効利用したという訳ですか。くくくくくく。これは良いですね」

 なにやら怖い笑みを浮かべつつレイフォンの方に振り向くクォルラフィン卿。
 既に試験会場の建物には入っているのだが、そんな理屈が通用するとは思えない。
 ヴォルフシュテイン卿やクラリーベル様に押し倒されて、父親になってしまったら最後。
 王族と結婚しなければならない→天剣授受者にならなければならない→クォルラフィン卿に殺される。
 と言う図式が即座に出来上がってしまうと思って、散々この技を磨いてきたのだ。
 だが、結局あまり結果に変わりがないのかも知れない。
 これはこれで拙いかも知れない。

「僕を出し抜いたのですから対等ですね。さあ本気で殺し合いましょう」
「試験の後にして下さい! と言うか僕が死んでからやって下さい」

 意味不明な事を言いつつ試験会場に逃げ込む。
 いくら何でも一般人が大勢いるところで狼藉を働く事はないだろうと思ったのだが。

「うふふふふふふふ。サヴァリスさんを出し抜くなんて流石レイフォンね」
「う、うわ」

 ヴォルフシュテイン卿がいらっしゃった。
 予測しておくべき事柄だったのだが、すっかり失念していた。
 と言うか、はっきり言ってレイフォンの許容量の限界を超えていたのだ。
 これが他の日だったならばまた違ったのだろうが、試験という難敵を前にして色々起こったせいで、すっかり忘れていたのだ。
 何時も通り右目の眼帯とくすんだ金髪を後ろで束ねた姿だが、その姿に非常な違和感を感じていた。
 その違和感の正体について色々と考えたいところだが、生憎と時間が無いのだ。
 そう、既に試験開始五分前。
 今から何かやっている暇はないのだ。
 なので慎重に間合いを計りつつ、空いている机へと進む。
 決してヴォルフシュテイン卿の側によっては駄目なのだ。
 公衆の面前で押し倒されることはないと思うのだが、念を入れておくに越したことはないのだ。
 だが、席に付いた次の瞬間、そのヴォルフシュテイン卿が隣に着席なさった。
 これはあってはならない事態だが、既にレイフォンがどうこうできる問題ではなくなってしまっている。
 いや。始めからそうだったかも知れない。

「それでは試験を始めます。ああ。保護者の方は外で待っていて下さい」
「はい?」

 試験管の視線が、レイフォンのすぐ後ろを見ていた。
 振り返れば当然クォルラフィン卿が非常ににこやかに佇んでおられた。
 もちろん、レイフォンが逃げないために見張っているのだ。
 そして、軽く手を挙げて了解の意志を伝えると、殺剄を展開して教室の後ろの壁により掛かる。
 本格的に試験が終わったらレイフォンを殺しに来るつもりのようだ。
 合格する前に、待っているのはやはり地獄かも知れない。
 ここに来るまでに散々戦ったので、いい加減体力と剄量を消耗してしまっているが、そんなご託はきっと通じないだろう。
 無事に留学できる確率が極めて低くなったような気がするが、それでも試験の手を抜く訳にはいかないのだ。
 
 
 
 留学するための試験が終了してからこちら、色々と大変だった。
 サヴァリスに追いかけ回されたレイフォンが、週に二回ほど入院したり、老性体がやってきたら来たで、レイフォンの打たれ弱さを嘆いたサヴァリスが大暴れしたりと。
 別段レイフォンが打たれ弱い訳ではないのだ。
 ついでではあるのだが、何故かバーメリンも一緒になってレイフォンを襲っていた。
 何でも獲物を取り逃がしたままでは気分が悪いとか、新しい銃を作ったので、試し打ちの的が欲しいとか色々と理由をつけて、まるでサヴァリスと競争するかのようにレイフォンを襲っていた。
 当然ではあるのだが、リーリンとクラリーベルも散々レイフォンを追いかけ回していた。
 とは言え、レイフォンを押し倒そうとしたクラリーベルがリーリンに潰されたり、レイフォンを押し倒そうとしたリーリンが急な腹痛で入院したりと、本当に色々あった。
 折角押し倒したと思ったら、千人衝の分身だったりもした。
 そして始まるレイフォン追跡劇。
 リーリンにクララにバーメリン、それとサヴァリスがグレンダン中を探し回り、結局見付からなかったという異常事態に発展。
 未だにミンスはおろか、デルボネでさえレイフォンがどこに隠れていたか分からないという異常さ。
 もしかしたら、すでに天剣授受者よりも技量が高いのかも知れないと疑ってしまうほどだ。
 まあ、そのせいで色々と狙われることが多くなったのではあるが。
 それでも何とか生き延びることに成功したレイフォンの実力は、すでに天剣級とグレンダンでは認識されてしまっているほどだ。
 とは言え、そこには膨大な剄量という実力差が存在しているのも事実。
 いくら天剣を使わないとは言え、天剣授受者の攻撃に耐えられる事の方が異常なのだ。
 リヴァースから金剛剄やカルヴァーンから刃鎧を盗んだレイフォンだからこそ、生きてこの日を迎える事が出来たのだとミンスは信じている。
 同じく留学する事が決定していたリーリンだが、何でも三つ指で突いてお出迎え(誤字ではない)とか言って一週間前に出発してしまっている。
 サヴァリスが最後までレイフォンを引き留めようと色々画策したようだが、戦闘以外ではあまりにもその頭は悪すぎた。
 最終的に腕ずくで止めようとしたサヴァリスだが、通りすがりの美少女武芸者によって粉砕されて現在入院中だ。
 あれを美少女と呼んで良いのか非常に疑問だし、そもそも天剣授受者を入院させるような化け物が、グレンダンには一匹しかいない以上正体はバレバレだが、まあ、あまり突っ込んではいけないのだろう。
 そして結局のところ、ミンスの視線の先をレイフォンが乗った放浪バスがゆっくりと歩き去って行く。
 バスの中でレイフォンは、家族と別れて故郷を離れる事に涙を流しているのだろうか? 
 あるいは、天剣授受者や養父の攻撃を受けずに済むと、心の底から笑っているのだろうか?
 どちらも容易に想像出来るだけに結論は出ない。
 だが、これで一息付ける。

「ああレイフォン様。来年には私も参りますから、どうかリーリンに殺されたりしないで下さいませ」
「にゅにゅ?」
「出来れば、押し倒されることもありませんように」
「にゅ?」

 隣でクラリーベルが情熱的にそうささやいているが、まあ、あまり気にしなくて良いだろう。
 レイフォンの妹を一人捕まえてその胸に抱きしめているが、見送りに来ているデルク達が側にいるから問題はあるまいと判断する。
 だが、ミンスの胸の内にあるのはかなりの量の不安だ。
 アルシェイラはその時になったら全ての準備が整っていると常に言っている。
 その台詞に乗っかる形でリーリンはグレンダンを出る事が出来たのだ。
 だがそれは、ただやる気のないアルシェイラの言い逃れだと思っていたのだが、残念な事に今はかなり真剣に不安なのだ。
 全ての事柄がこの時のために用意されていたような感覚を受ける。
 これはもしかしたら、レイフォンがグレンダンに連れ戻されるのが定めだから、何処に行っても良いと言う事かも知れない。

「まさかな」

 リーリンを迎えにグレンダンがツェルニに行くというのならば分かるが、レイフォンは安全なはずだ。
 彼は定めとは何の関係もない人間だから。

「ああレイフォン様。どうか技を錆び付かせないで下さいませ」
「にゅ?」
「ああん、前言撤回ですわ! 技の錆落としに私を使って下さいませ」
「ぐにゅにゅ」
「ああんレイフォン様! そんなに激しくしたら壊れてしまいますわ!」
「ぐぐぐぐにゅ!」

 隣では内容を知りたくはないけれど、おおよそ理解してしまえるクラリーベルの妄想が炸裂している。
 ミンスの謀略を総動員してもこれだけはどうしようもない。
 先に旅立ったリーリンは大丈夫だが、後から追う事になるクラリーベルは明らかにレイフォンにとって危険だ。
 まあ、それ以前に問題が有るのだが。

「クララよ」
「ああん♪ はい? 何でしょうミンス?」

 一瞬で通常モードに復帰するクラリーベル。
 切り替えの速さは流石というべきかも知れない。
 だが、今はそれどころではないのだ。

「それどうするんだ?」
「はい?」

 クラリーベルの胸付近を指さす。
 正確にはその胸に抱かれている、強く抱きしめられすぎて目を回してしまっているレイフォンの妹を。

「・・・。あ」
「取り敢えず貸せ」

 強引に女の子を奪い取り、介抱を始めつつミンスは思う。
 どうか定めに関係ない少年に明るい未来が訪れるようにと。
 そう。レイフォンが目指したのは光と希望にあふれた学園都市マイアス。
 この事実を知っているのはミンスとカナリスだけだ。
 もしかしたらデルボネも知っているかも知れないが、今のところ何か行動を起こす気配はない。
 これは計画が順調だと言って良いのだろうかと、疑問になってしまう展開だ。
 本来の計画通りならば、全ては情報が間違って伝わった事故として処理される。
 準備は滞りなく終了しているので、後は適当な時期に発覚させればそれで良い。
 マイアスを選んだ理由だが、過去かなりさかのぼってみてもツェルニとの戦争経験が無く、学園都市だけに汚染獣との戦闘も記録されていない平和な都市だからだ。
 ずいぶん前からリーリンを留学させようと画策していたからこそ、この選択が出来たのだ。
 瓢箪から駒ということわざが適用されるかどうか分からないが、兎に角これでレイフォンは安全だ。
 マイアスでどうか平穏に人生を送って欲しいと思う。
 卒業して帰ってくるかどうかは分からないが、それはレイフォンが選ぶことの出来る未来なのだから、きっと本人が納得しているに違いない。
 ならば、地獄に帰るにしても、今よりは遙かに安らかな気持ちでいられるだろう。

「達者で暮らせよ」

 既に見えなくなったバスの方を振り返り、ミンスはそう独りごちた。
 かなり深刻になりつつある不安を何とか押し殺しつつ。

「ところでクララよ」
「何でしょう?」
「にゅ?」

 どうやら目を回していた幼女も意識を取り戻したようなので、少しだけ気になっていることを話題に乗せてみることにした。
 もちろんレイフォン絡みの問題だ。

「気が付いていると思うか?」
「レイフォン様ですからね」
「にゅ?」

 訳が分からないと首をかしげる幼女は兎も角として、クラリーベルはきっちりとミンスの言いたいことを理解しているようだ。
 留学を決めるための試験会場に、リーリンはスカートを履いて出かけていた。
 今までそんな事が無かったはずの少女が、始めてスカートを履いたのだ。
 これははっきりと驚きの真実と言えるかも知れない。
 まあ、外から見ているとおおよそ分かっていたのだが、リーリン本人が気が付いたと見てまず間違いない。
 そして、リーリンが出発する時にも、やはりスカートを履いていた。
 当然レイフォンは見送り強制参加だった。
 出発間際に何か期待していたようだったが、そんな事を察することは鈍感なレイフォンには無理。
 なので、三つ指で突いてお出迎えとか言う単語が出てきたのだとも、言えるかも知れない。
 まあ、会う事が有るとしてもずいぶん先の話だから、今から気にしても仕方が無いのだが。

「とりあえずおまえは家に帰るよな?」
「にゅ!」

 幼女を抱きかかえたままなのに気が付いたミンスは、デルク達のいる方向へと歩み出す。
 ロリコン疑惑を心配している訳ではないが、それでも、あんまり長い間やっていると問題かも知れないと思ったから。
 特にミンスに対して、早く結婚しろと迫っている侍従長とかが騒ぎ出したら目も当てられない。
 そんな事を考えつつ、もう一度だけ振り返り、レイフォンの明るい未来と穏やかな生活を願う。
 
 
 
 後書きに代えて。
 はい。ようやっとの思いで超槍殻都市グレンダン完結です。
 百人目様。K・U様。諫早長十郎様。ヒロ♪様。武芸者様。
 そのほか名を知らぬ読者の皆様。この作品はいかがでしたか? お気に召して頂けると嬉しいです。

 さてさて。
 皆様ここまでお読みになった後で、脳裏にどんな映像が浮かんでいるでしょうか?
 そもそもの発端はリーリンが茨の鞭でレイフォンを打たなければ、どうなっていただろうかという疑問からでした。
 ですが次に浮かんだ映像が、愛と剄の有りっ丈を乗せた錬金鋼を振りかざし、雑魚武芸者を蹴散らしつつレイフォンに向かって突進するリーリンの姿でした。
 全てはこのシーンを形にするために考えられたストーリーでした。
 これを実現するための前提条件として。
1.二人とも武芸者である。
2.同じ都市出身である(当然グレンダン)。
3.何かの理由で違う都市に住んでいる。
 と言う事になりました。
 しかし、グレンダンを絡ませるとなると、戦争を殆どしないという性質が問題です。
 そこでやはり学園都市に留学。
 ツェルニにレイフォンを送ったら、どう頑張っても老性体戦でデットエンド。
 しかもレイフォンを強くする事は出来ない。
 ならばリーリンを強くと言うか天剣にしてしまえばいい。
 ちょうどヴォルフシュテインが空いているので、リーリン・ヴォルフシュテイン・ユートノールの誕生。
 この時点でメイファー・シュタッド事件は起こってはならない。
 ならばヘルダーと普通に結婚させればいい。と言う訳でメイファーは天剣授受者に決定。
 次に、リーリンがグレンダンを出るために何か理由を作らなければなりませんでした。
 ここはやはり一般常識の欠如が手っ取り早い。
 一人ではあまり幅が作れないのでクラリーベルも参加。
 これで良いと思っていました。
 本来三話構成だったのもここまでの計算からでした。
 ですが、レイフォンが進んでグレンダンを離れるためには、もっと決定的な理由が必要である事に気が付きました。
 そこで三話で老人に出場願った訳です。
 安心して眠れる場所を奪われたレイフォンは、もはやグレンダンから逃げ出すしかなかった訳です。
 まあ、他にもいくつか計算違いがありましたが、そんな訳で五話になってしまいました。
 
 ちなみに、この後超学園都市とかも考えたのですが、テンションを維持出来る自信がありません。
 中途半端にシリアスになってしまう事が予測されますので、書くとしてもかなり時間が空く事でしょう。
 まあ、グレンダンから舞台が移ってしまうと言うのもあるんですけれど。
 それでは、この次は恐らくグレンダンとは関係のない話になると思われます。
 と言うか、遅れに遅れている復活の時を何とかしなければなりません。
 などと言いつつ次回の更新でまたお会いいたしましょう。



[18444] 血まみれのレイフォン
Name: 粒子案◆a2a463f2 ID:5d223ed1
Date: 2010/12/29 19:45


 タイトルに嘘、偽りが混じっているかも知れません。ご注意ください。
 
 
 
 元天剣授受者レイフォン・アルセイフは、実はかなり怯えていた。
 理由を問われたのならば簡単で、これから戦わなければならないからだ。
 相手が汚染獣だったのならば、別段恐れる事も怯える事も無く、全力で戦う事が出来る。
 だが、これから戦う相手は非常に残念な事に汚染獣ではない。
 学園都市ツェルニの誇る十七有る小隊の内の一つ、第十六小隊だ。
 とある事情で天剣を返上して留学してきたレイフォンだったが、元から武芸科に入学はしていた。
 そして小隊対抗戦というのがある事も、すでに知っていた。
 だが、入学して一月とたたない内にまさかその試合で戦う事になろうとは、全くこれっぽっちも夢にも思わなかった。

「う、うわ」

 視線の先にある試合会場は、猛烈な晴天に恵まれている。
 娯楽が少ない学園都市という性質もあるのだろうが、観客席はびっしりと埋まり相当の人達が立ったまま見ている。
 そしてそこから立ち上る熱気。
 全ての現象が人生が狂ったあの時と同じだ。
 どうしてもあの時を思い出してしまう。
 呆然としている間に体調が悪化。
 貧血か目眩に似た症状を覚えた。
 既に試合直前で、今からどうにか出来る状況ではない。
 なので少しでも身体を休ませるために、よろよろと日陰に避難して、手頃な石の上に座り込む。
 溜息に似た息を吐き出しつつみぞおちの付近をさする。
 そして何よりも、キリキリと胃が痛み、更に吐き気がする。
 これはもう末期状態だと判断する。
 だが、ここで引き返すという選択肢は存在していないのだ。

「何をやっているレイフォン! お前ほどの実力者がそんな情けない顔をするな!!」

 ツェルニを救いたくて自らの小隊を設立した、熱血武芸者であるニーナ・アントーク隊長が、レイフォンが逃げると言う事を許してくれないのだ。
 ニーナの真っ直ぐな心は理解出来るし、正直に羨ましいと思う。
 だが、レイフォンにだって事情という物があるのだ。
 それを理解して欲しいとも思う。

「何辛気くさい顔しているんだよ? ニーナを寄せ付けない実力があるんだったら第十六小隊なんか瞬殺だろう」

 もう一人、こちらは何を考えているか分からない狙撃手のシャーニッド・エリプトンが気楽を装いつつ話しかけてきた。
 シャーニッドもニーナとはやや違うようだが、ツェルニを救いたいと心に誓っている節があり、レイフォンが推奨する訓練メニューを、愚痴を言いつつもこなす姿に共感を持つ事もある。
 だがやはり、レイフォンの事情という物にはあまり関心がないようだ。
 心配げな言葉とは裏腹に、せっせと観客席に向かって愛想を振りまいている。
 アイドルグループだったらこれで問題無いのだが、生憎とこれから行われるのは試合なのだ。
 キリキリと胃が痛む。

「さっさと終わらせて帰りますよ。特に用事はありませんが面倒ごとは嫌いです」

 無気力を装ってそう言うのは、第十七小隊の念威繰者フェリ・ロスだ。
 レイフォンとはやや違った意味で、自分の持って生まれた才能と能力に疑問を持ち、無気力を装いつつも限界まで手を抜いているという反抗期真っ盛りの少女だ。
 何処でどうやって知ったか非常に不明だが、グレンダン時代のレイフォンの事を知っている陰険眼鏡こと、カリアン・ロスの妹だ。
 カリアンとしてはツェルニの鉱山があと一つしかない以上、手に入った物を最大限有効活用すると決めて、実の妹にまで恨まれても戦力を充実させているのだろうが、もしかしたらと思うのだ。
 カリアンの性格をフェリも受け継いで仕舞っているのではないかと。
 あまりにも恐ろしい想像に、更に胃がキリキリと痛む。
 そしてとうとう両小隊の紹介が終わり、試合が始まろうとしている。
 既にキリキリというレベルを超えて激痛が走る胃を押さえつつ、レイフォンはよろよろと立ち上がる。
 ツェルニに留学した事を後悔しているが、既に選択は終わり後は進む事しかできない。
 日がさんさんと降り注ぐ試合会場へと進み出る。
 なぜか今までの人生が猛烈な速度で思い出されているような気がする。
 これが噂に聞く走馬燈かも知れないと思っている間にも、事態はどんどんと進んで仕舞う。

「アイドルグループだったら人気投票で決まったんだろうけれどな、生憎とこれは試合なんだ」
「実力でも負けないつもりです」

 第十六小隊長とニーナが握手を交わしているが、それはどう見ても宣戦布告の応酬である。
 あるいは既に威嚇や牽制の撃ち合いかも知れない。
 非常に胃に悪い。

「打ち合わせ通りにやるぞ!」

 何時にもまして熱血しているニーナの一声で、配置につこうとしたレイフォンだったが。
 激痛という表現でさえ生ぬるい痛みを腹部に感じ、酷く息が苦しい。
 その場に座り込んで何とか息を整えるが、どうしても整わない。

「ごほごほ」
「何をしているレイフォン! すぐに試合は始まるんだぞ!」

 咳き込みつつしゃがんだレイフォンを心配するよりも先に、試合の行く末を考えるニーナ。
 だが、今のレイフォンにその期待あるいは要請に答える力はない。
 猛烈な何かが喉を駆け上ってくるのを感じて、とっさに口元を手で覆う。

「ごぼ」
「な!!」

 激痛を伴って喉をせり上がってきた液体を吐き出す。
 錆びた鉄の味と赤い色が見えた。
 これは間違いなく吐血だ。この一年で二度目だから間違いない。

『おおっと! 試合開始前に第十七小隊アルセイフ選手が血を吐いたぁぁぁぁ!』

 司会進行役の絶叫が響く。
 これもあの時と同じだ。
 全てがあの時と同じに進んでいる。
 視界がゆっくりと暗く沈んで行くのを感じつつ、やはりカリアンに小隊入りを迫られた時に断れば良かったと後悔した。
 とても怖かったので出来ない相談だけれど。

「お、おいレイフォン!」
「どうしたんだレイフォン」
「何をしているのですか貴男は?」

 ここまで話が進展してから心配げな声をかけてくれる三人。
 正直もっと早くそう言う行動を取ってくれれば良かったと思うのだが、全てはもう終わっているのだ。

『もしやこれは試合開始前の第十六小隊の攻撃か! いや違う! フェリ・ロス親衛隊による毒殺未遂だ!!』

 相変わらず絶好調の司会進行役が喋っているが、間違った事を言っているのは何とか止めなくてはならない。
 なので死力を尽くして上体を起こし、放送用念威端子に向かって手招きをする。

『おおっと! アルセイフ選手最後の力を振り絞っての遺言かぁぁぁぁ!!』

 なぜか更にヒートアップする司会者。
 と言うか死ぬ事が確定している。
 レイフォンの意識が飛んでしまう前に、あちこちに迷惑をかける前に、これを見ている全ての人に事実を伝えなければならない。
 その一心で近付いてきた念威端子に向かって声を出す。

「あのですね」
「なんだレイフォン! 本当に毒殺未遂なのか!」
「だったら男として本望だな!」
「不愉快です! さっさと犯人を抹殺しましょう」

 なぜか三人ともレイフォンが毒殺されかけていると判断しているようだ。
 フェリ・ロス親衛隊という物が本当にあるのは知っているし、観客席の一部を占領している事も理解しているが、そんな連中とは全く違う話なのだ。

「胃潰瘍です」
「? いかいよう? ってなんだ?」
「しらねぇのかニーナ。胃に傷が出来て出血するって病気だぞ」
「ストレスで起こると言われていますね。薬を飲み続ける事で症状は緩和されるそうですが」

 唯我独尊とは言わないが、自分の意見を押し通すニーナには関係ない病気かも知れない。
 非常に羨ましい。
 そして知識として知っているだけの残り二人にも、恐らく関係のない病気だ。
 もの凄く羨ましい。
 そう。実はレイフォン、対人戦闘が非常に苦手なのだ。
 別段戦えないと言うことではないのだが、技量的には何の問題も無いのだが、精神的に非常に苦手なのだ。
 しかも今回は、相手が複数で手加減をしなければならない。
 更に試合自体には勝たなければならないというプレッシャー。
 そして青い空と満員の観客席。
 全てがあの時と同じだったために、約一年ぶりに吐血するほど胃潰瘍が悪化してしまったのだ。

『これは驚きだぁぁぁぁ! 第十七小隊のルーキーはとんだチキン野郎だったぁぁぁぁ!!』

 絶好調の上に更に絶好調を重ねた司会者の声が聞こえるが、レイフォンの精神は既に限界を超えていた。
 急速に視界が暗くなり姿勢を維持出来ない。
 地面の冷たさを心地よく感じながら、ニーナに伝えるべき事を伝える。

「ああ。済みません僕はもう戦えません」
「まだ始まっていないだろう!!」

 ニーナの突っ込みを聞きつつ意識を手放した。
 
 
 
 事の発端は何だったのだろうかと、覚醒しつつある意識の中でレイフォンは考える。
 直接的な切っ掛けとなったのは、当然ガハルドとの天剣争奪戦だった。
 孤児だったレイフォンは、天剣になった事でより多くのお金を稼げる事に気が付いた。
 そう。闇の賭試合に出場して受け取った賞金をあちこちの孤児院に寄付していたのだ。
 ところが約一年前、その事をネタにガハルドに脅されたのだ。
 天剣争奪戦で負けなければ、闇の賭試合の事をばらすと。
 だが、天剣である事が重要な収入源であったレイフォンに、その要求を受けるという選択肢は存在しなかった。
 ならばとれる手段はただ一つ。
 争奪戦の最中にガハルドを殺す事。
 失敗は許されない。
 まかり間違って腕を切り落としただけで、ガハルドが生きていたのならば、レイフォンの未来は全て消失してしまう。
 普通に勝っただけでもやはり賭試合の事が公表されて、レイフォンの貴重な収入源は断たれてしまう。
 そうやって緊張の末に迎えた天剣争奪戦。
 色々考えて寝不足だった上に、ストレスが積み重なって生まれてこの方経験した事がないほどに体調が悪かった。
 それはもう、誰の目から見ても明らかなほどに体調が悪かった。
 だが、出場を辞退するという選択肢も存在していない。
 そんな事をすればガハルドがどう出るか分からなかったからだ。
 だが、全てはレイフォンの思惑を打ち砕いて進んでしまった。
 ある意味において、ガハルドの思惑をも全く無視して自体は進んでしまったのかも知れない。

『おおっと! 試合開始前にヴォルフシュテイン卿が吐血をしたぁぁぁ! これは試合開始前にガハルドが仕掛けた罠かぁぁぁ!!』

 司会進行役というのは、何処でも同じような反応をする生き物のようだ。
 試合前に攻撃なんかしたら、その時点で負けてしまうと言うのに、その場の勢いで延々と喋り倒すのが仕事のように感じる。
 いや。実際にその通りなのだろう。
 司会者だし。
 だが、レイフォンが体調不良で不戦敗となるかと思われた試合だったが、突如としてサヴァリスが出場。
 ガハルドをボコってしまった。
 その負傷はレイフォンの比ではなく、長期間の入院を余儀なくされたと聞いた。
 だがレイフォンは親切にガハルドの退院を待ってはいなかった。
 取り敢えずこれ以上の揉め事を回避するために、アルシェイラに天剣を返上したのだ。
 闇の賭試合で戦って金を稼ぐというのは、非常に魅力的ではあったのだが、残念な事に対人戦においてレイフォンは致命的に神経質になってしまっていた。
 相手に重傷を負わせないようにしつつも、巨大な破壊力を持った技を使わなければならない。
 その精神的な緊張を苦痛だと感じるのは、そもそもの始めからだったのだが、それが限界を超えてしまっていたのだ。
 元天剣授受者として稼ぐという選択肢も、レイフォンの小心さ故に諦めざるおえなくなってしまったのだ。
 と言う事できっぱりと闇の賭試合からも足を洗った。
 次の日にはアルシェイラから苦情が来たけれど。
 なぜ賭試合に出場する事を、止めた事に対して苦情を言いに来たのか聞いたところ、完璧に制御された破壊力をこよなく愛していたとかいないとか。
 と言うか、天剣授受者全員がお忍びで会場に来ていたと聞かされた時には、おおいに衝撃を受けてしまった。
 どのくらい衝撃だったかと聞かれたのならば、リーリンが王族で天剣授受者だったと言われたくらいに衝撃的だった。
 だがそれで納得した。
 レイフォンが倒れた直後にサヴァリスが試合会場に出てきた理由とか。
 だが、流石に無罪放免と言う事にはならなかった。
 別段闇の賭試合に出ていた事が罪という訳では無い。
 対人戦において、無駄に弱くなった事に対して、女王や天剣授受者から酷く怒られたのだ。
 と言う事でレイフォンは学園都市に留学する事になった。
 なぜかと問われれば簡単。
 学園都市の特色として、汚染獣戦を体験することなく、武芸大会という対人戦を念頭に置いた、小隊という物が編成されている。
 その対抗戦に出る事で、対人戦闘の苦手さを克服しろと言う事なのだ。
 だが、これだけならば別段留学する必要はなかったのだ。
 そう。問題はサヴァリスだった。
 天剣授受者でなくなったレイフォンと闇の賭試合で戦おうと、怒濤のような要求がやってきたのだ。
 サヴァリス相手に戦えば対人戦闘の苦手も克服出来るだろうと言う事だったが、手加減する必要がないという一点においてレイフォンにとってはあまり意味はなかった。
 そう。学園都市に留学すれば、徹底的に手加減して戦わなければならないという事態にも、慣れる事が出来ると判断されたのだ。
 そして当然だが、敗北は許されない。
 戦いの勝敗はサヴァリスの弟、ゴルネオによって即座にグレンダンに知らせが行く。
 無様な真似をしたのならば、リーリンの胸がアルシェイラによって揉まれるという屈辱的な仕打ちが待っているのだ。
 別にリーリンの胸が誰かに揉まれて困るという訳ではない。
 いや。アルシェイラに揉まれるのならば、どうと言う事はないのではあるのだが、多分どうと言う事はないはずなのだが、何故かレイフォンは頑張ってしまっているのだ。
 そして今回の小隊対抗戦がやってきて、レイフォンは今入院中。
 間違いなくリーリンの胸は近々揉まれる事になる。
 非常にストレスがたまってもう一度吐血しそうだ。
 そう考えつつもレイフォンは本格的に覚醒した。
 
 
 
 なぜか目が覚めてから更に顔色が悪くなったレイフォンを見下ろしつつ、メイシェンはおずおずと持ってきた物を差し出した。
 ツェルニのセルニウム鉱山はあと一つしかない。
 だからこそ、グレンダンで天才と言われている武芸者であるレイフォンが戦っている。
 それは分かるのだが、それでもメイシェンは納得出来ていない。
 普通に練習した後もレイフォンは非常に疲れているように見える。
 戦う事が好きではないはずなのに、ツェルニの事情で小隊員にさせられているレイフォンに、同情や哀れみに似た感情を抱いてしまっている。
 本人に言う事は出来ないけれど、それでもメイシェンは行動し続けている。
 今回だって、吐血して入院したレイフォンのために牛乳を使った、胃に優しいお菓子を持ってきたのだ。

「あ、あの、これ、牛乳のゼリーです。食べて下さい」
「・・・・。有り難うメイシェン」

 少しだけ血色が良くなったけれど、原因不明の涙を流しているレイフォンに向かって、小さなカップに入ったピンク色のゼリーを渡す。
 甘い物があまり得意ではないというレイフォンのために、グラニュー糖を控えめにしている特製ゼリーだ。
 ミィフィやナルキそれにメイシェン本人用の物とは、明らかにレシピが違っていてその分手間が掛かるのだが、それでもレイフォンが喜んでくれるのならば、それで良いと思うのだ。
 この心の動きを世間的にどう言うかは十分に知っているのだが、認めてしまったら二度とレイフォンの前に立てないような気がしているので、全力で誤魔化しているのだ。

「身体大丈夫?」
「うん。何とか生きているよ」

 穏やかな空気を何時までも味わっていたいが、相手は病人だ。
 適当なところで切り上げなければならない。
 後ろ髪を引かれるような気持ちで、病室を出たところで驚愕に打ちのめされた。

「あ、あう」

 病室の扉の両脇に背中を預けた、ミィフィとナルキがいるのは良いだろう。
 だが、反対の壁際に仁王立ちしているニーナとフェリは少々予想外だ。
 予想外と言うよりは、全く考えてもいなかった。
 二人から流れ出る空気が少々怖いし。

「レイフォンは起きたのだな」
「そのようですね」

 必死に足腰に力を入れて、二人の圧力に耐える。
 おもわずナルキの腕にしがみついてしまっているけれど、必死に耐えるのだ。
 本当はナルキの後ろに隠れたいのだが、乙女の意地としてそれはしてはいけないような気がする。

「何を差し入れたんだ?」
「あ、あう」

 二人の視線が、なんだか段々強烈になってきているような気がする。
 腰砕けの状態になりながらも、必死にレイフォンに渡したゼリーの事について思い出す。
 基本的には牛乳と寒天、それにグラニュー糖を混ぜて冷やして固めた物だ。
 アクセントに苺を少々入れているが、それは本質とは何ら関係がない。
 と、ここまでを何とか説明する。

「何で牛乳なんだ? もっと他に必要な物があるだろう」
「出血したのだから、鉄分が必要なのでは?」

 少々二人には牛乳の有用性が理解出来ていないようだ。
 胃の悪い人にはとても重要なのだが、もしかしたら二人は胃が痛くなった事がないのかも知れない。
 なので出来るだけ分かりやすいように牛乳の偉大さについて二人に語る。
 とは言え、こう言う行為は非常に苦手なので、メイシェン的には決死の覚悟だ。

「牛乳のタンパク質が胃酸と反応して、胃の内側に薄い膜を作るんです」
「膜を作ると何か良い事があるのか?」
「タンパク質で出来た膜は胃酸を阻んで胃の内壁を保護してくれるんです」
「そうなのですか? だから兄は何時も牛乳を飲んでいるのですね」

 フェリの一言でおもわず同情してしまった。
 腹黒陰険眼鏡の変態だと陰口を叩かれつつ、生徒会長を務めるカリアンもきっと胃が痛くて仕方が無いのだろうと。
 とは言え、牛乳ゼリーを持って行くという選択肢はない。
 レイフォンの事で精一杯だし、カリアンならば他に持ってきてくれる人もいるだろうと思うから。

「成る程な。ゼリーなどと言う物を作った事はないのだが」
「それはかなり高度な技術を必要とする物なのでしょうか?」
「い、いえ。お菓子作りの入門書にも書いてありますから、手順さえ間違わなければ誰にでも作れると思います」

 実際にメイシェンは失敗した事がない。
 寒天が十分でなくて少し緩くなってしまった事はあるが、食べられないほどの物が出来た事はない。

「成る程な。胃潰瘍とやらには牛乳が良いのか」
「驚きの真実です」

 なにやら二人から猛烈なやる気を感じてしまう。
 そのやる気というかプレッシャーのせいで、メイシェンはとうとうナルキの後ろに隠れてしまった。
 これから毎日、レイフォンのところには牛乳ゼリーが届けられるかも知れないが、それはレイフォンにとって悪い事ではないはずだ。
 もう少し二人が感情を抑えてくれさえすれば。
 逆に、メイシェンにとっては少々問題ではあるが。

「レイフォンによろしく伝えておいてくれ」
「明日来ると伝えておいて下さい」

 そう言うと二人は争うように廊下を歩き、視界から消えていった。
 ナルキの背中越しにそれを確認したメイシェンは、おもわずその場に座り込んでしまった。
 既に決壊してしまった涙と限界まで使われた忍耐力では、とうてい立っている事が出来なかったのだ。

「大丈夫かメイ?」
「う、うん」

 そう返事をした物の、とうてい大丈夫という状況ではない。
 はっきり言って今夜の食事を作る気力は残っていない。
 ミィフィが作る事は奇跡を期待するような物だから、ナルキに頑張ってもらうしかないところだ。

「それにしても、明日レイとんは地獄だね」
「ああ。生きて明日の夕日を見る事は出来ないかも知れない」

 物騒な事を言う二人に、かなり疑問がわいた。
 明日何かある訳ではないはずなのだが、もしかしたらメイシェンの記憶違いかも知れない。

「明日あの二人がゼリーを持ってくるでしょう?」
「料理とは無縁みたいだから必殺になるかも知れない」

 なんだか二人は変な事を考えているようだ。
 ゼリーはそれ程難しくない。
 単純なだけに奥深いけれど、誰が作ってもそれなりの物が出来るのだ。
 これで失敗するなどと言う事は考えられない。

「大げさだね二人とも。失敗しないよ普通は」

 普通に考えて失敗などしない。
 わざと不味い物を作る事は出来るだろうが、それは明らかな悪意があってこそ出来る芸当なのだ。
 ニーナとフェリの様子を見る限りにおいて、二人がレイフォンに好意を持っている事はあっても、悪意を持っていると言う事はおおよそ考えられない。

「だと良いんだけれどね」
「ああ。普通に事が運べば良いんだけれどな」

 どうも二人はいらない心配をしているようだ。
 メイシェンにとってはそちらの方が遙かに驚きだった。
 
 
 だが次の日。
 退院間近だったレイフォンのところに二人の少女が現れた。
 そして、なにやら赤くて黒くて堅い物体と、蛍光イエローの流体を見舞いにと差し出した。
 そして、親切や好意で持ってきてくれた物を断る事が出来るレイフォンではない。
 強引にその場で口の中に放り込んだのが運の尽き。
 試合直前の吐血などとは次元の違う量の血を吐き出して、入院期間がかなり延長された。
 そしてメイシェンは二人に料理を教える事を決意した。
 その努力が報われる事はないのかも知れないが、決死の覚悟で努力することを誓った。
 
 
 
 ここは地の果てグレンダン。
 武芸者の天国。汚染獣の地獄。
 そのグレンダンが誇る天剣授受者の一人、サヴァリスはルッケンスの門弟に作らせた書類を携えて、女王の元を訪れていた。
 目的はただ一つ。
 レイフォンと手加減抜きの戦いをするため。
 折角ガハルドを半殺しにしてレイフォンを助けてやったというのに、その恩を返すどころか逃げるようにグレンダンを出て行ってしまった、無情な元同僚と戦うために色々と手を尽くして状況を整えたのだ。
 そしてとうとうアルシェイラの前にやってきたサヴァリスは、恭しく書類を差し出した。

「何これ?」
「僕が留学するための書類です。許可頂けるのでしたら即座に出発したいと思いますが」

 そうは言うが、そんなにすぐに許可が下りるとは思っていない。
 レイフォンがグレンダンを出る時にも、色々と異論が出たのだ。
 天剣授受者として問題を持っていないサヴァリスならば、更にいろんなところから苦情が来るのは間違いない。
 だが、他に天剣は十人もいるのだ。
 サヴァリス一人いなくなったって、別段問題はない。
 老性体がわんさと湧いてくると言うのなら話は違うが、そもそも個体数が少なく年に一・二回しかやってこないのだ。
 と言う訳でアルシェイラの許可が下りれば何とか出来ると思っていたのだ。

「レイフォンが言っていなかった?」
「僕と戦っても対人戦闘の苦手は克服出来ない」
「良かったわ。貴男の頭でもちゃんと覚えていられたのね」

 極度の戦闘愛好家ではあるが、サヴァリス自身それ程頭が悪い訳ではない。
 レイフォンよりはかなり良いと自負している。
 戦い以外で使うのが面倒なだけだ。

「レイフォンの中では、天剣授受者は老性体とカテゴライズされていると思うんだけれど?」
「それはそうでしょう。老性二期くらいだったら僕らの方が強いですからね」

 そのくらいの実力がなければ天剣授受者にはなれないのだ。
 むしろ最低ラインと言った方が良いだろう。
 そこへ行くとレイフォンは明らかに老性三期よりもかなり強い。
 ならばもう戦うしかないではないか。

「この書類ってさ」
「はい?」

 もしかしたら期待通りにアルシェイラの許可が下りるかと期待しつつ、次の言葉を待つ。
 小さな溜息と共に、紡がれた言葉は。

「誰に作ってもらったの?」
「門弟にそう言うのに詳しいのがいまして」
「成る程ね。道理で立派な訳ね」

 隠しても仕方が無いので、正直に包み隠さずに話す。
 むしろサヴァリスの仕掛けた罠に気が付いてくれる事を期待しつつ、アルシェイラの表情を伺う。

「サインだけあんたがしたのよね?」
「当然ですね。名前を書くぐらい僕にだって出来ますから」

 引っかかった。
 会心の笑みを浮かべたいのを我慢しつつ、大きな溜息をついたアルシェイラを見る。

「折角書いた名前が間違っているって、どう言う事?」
「おや? それは困りましたね」

 実は全然困っていないのだが、出来るだけ途方に暮れた表情を作る。
 この表情を作る事こそが、今回の最も難しいところだった。
 何時もニヤケているだけだったので、表情の作り方など知らなかったのだ。

「これはやはり留学して、ちゃんと自分の名前を書けるようにならないとぉぉぉぉ! ごぼ」

 突如として腹筋に何かが当たった。
 その何かは容易にサヴァリスの腹筋を貫通し、ねじ込まれ最後に抉られた。
 そして口から大量の血を吐き出して、その場に崩れ落ちる。
 視界の先にあるのは、当然と言えば当然なアルシェイラの拳。

「下らない事にだけ頭を使うんじゃない!!」

 激昂したアルシェイラの足が持ち上がり、容赦なく倒れ込んだサヴァリスの頭を踏みつける。
 折角用意した罠だったが、アルシェイラには通用しなかったようだと認識しつつ、次はどんな方法でレイフォンを追いかけようかと考えるサヴァリスは、激痛に耐えつつも入学試験という難関があることを思い出していた。
 それは別に問題無いかとすぐに結論を出す。
 レイフォンでさえ合格することが出来たのだ。サヴァリスに出来ないと言う事はないだろうと思う。
 ならば、来年までに留学許可を取ればいいと前向きな思考に切り替えつつ、とりあえず限界を超えた痛みのために意識を飛ばしてしまった。
 
 だがサヴァリスは知らない!
 学園都市には入学年齢に制限があるという真実を! 
 
 
 
 後書きに代えて。
 はい。ショートオブの2作目です。
 今回もレイフォンには地獄を見てもらいました。
 ついでではありますが、サヴァリスにも少々痛い目にあってもらいました。懲りてないですけれどね。
 ちなみにこの作品、続編はおそらく書かないと思いますので、期待などしないでいただけると嬉しいです。
 もう一つちなみに。本当は赤毛猫の一日をこちらに上げる予定だったのですが、復活設定を多くつぎ込んでしまったためにあちらへ移動してもらいました。
 
 ここまで書いて思うんですが、俺はサヴァリスが結構好きなのかも知れないですね。
 サヴァリス主役の話でも考えようかな?



[18444] 超堕落都市グレンダン
Name: 粒子案◆a2a463f2 ID:97102e9f
Date: 2011/01/07 22:00

 念のために言うのだが、グレンダン女王アルシェイラの仕事は、おおよそ戦闘とは関係のない物が殆どだ。
 例えば公共事業の企画書に目を通したり、福祉関連の補助金制度に関する報告書に目を通したり、おおよそ書類と雑務と会議と打ち合わせで執務の時間が過ぎ去って行くと考えて良い。
 そんなアルシェイラだから、昼食の時間も立派な会議の席となることが多かったのだが、それは最近純粋な昼食の時間となってきていた。
 いや。正確には純粋ではない。
 何時か来るその時のために生きてきたアルシェイラだったのだが、定めと執務に塗りつぶされた人生に鮮やかな彩りが加わったのだ。
 今日も今日とて、カナリスに仕事の大半を押しつけて三時間の昼食を確保したアルシェイラは、王宮の最上階に取り付けた巨大な望遠鏡で、グレンダン中を覗いて回っていたのだ。
 若いカップルが湧水樹の森の中に仲良く入って行くところとか、やたらに周りを気にしつつ主婦しかいない家へと入って行く営業マンとか、かなり危ない物を見てにやけた時間は、しかしやはり唐突に奪われてしまった。
 当然では有るのだが、一緒に覗き趣味を満足させていたリディアも、突然やって来たカナリスの報告を聞く羽目になった。
 ある意味、リディアが原因の一部と言える事態に対する報告だったために、アルシェイラもカナリスも部屋から出て行くようには言わなかったのだ。

「天剣共がだれている?」

 カナリスから発せられた単語をそのまま繰り返す。
 二秒ほどの思考の後、笑い飛ばすことにした。
 何しろ天剣授受者だ。
 グレンダンの誇る人外の変態共だ。
 通常型都市ならば瞬殺出来るほどの、異常者集団だ。
 サヴァリスのような、戦っていないと人格が破綻するという戦闘狂さえいるのだ。
 そんな天剣授受者がだれている。
 そんな事はあり得ないはずなのだが、だが、万が一にでも有ってしまったらそれに対応する必要がアルシェイラにはあるのだ。

「はい。特にサヴァリスが酷いです」
「・・・・? なんだって?」

 だれている天剣の筆頭が、あの、あのサヴァリスだというのだ。
 老性体を遊び相手にしか思っていない、友達が強かったら誠心誠意戦って殺して喜んでいる、天剣最凶のサヴァリスがだれる。
 これは本気で気を引き締めて掛からなければ、とても痛い目に合うことがはっきりした。
 なので、気合いを入れ直してカナリスからの報告を聞く。

「先日老性体と戦って帰ってきたのですが」
「老成二期とか言う奴だったわね」

 アルシェイラ的にはどれでも大して違わない雑魚だが、それでも通常都市だったら滅んでいた程度の戦力だったという認識くらいはある。
 まあ、サヴァリスのことだから相変わらず、遊び半分で戦いに出たことは間違いないが。

「力押ししかしてこない老性体なんかと戦ってもつまらないと」
「・・・・・。ああ?」

 カナリスから出た言葉を脳内で処理。
 そもそも汚染獣が戦うと言う事は、その大質量と巨体を生かした筋力、更に生命力や体力を総動員して戦うと言う事のはずだ。
 老性体の戦い方はむしろ汚染獣としては非常に納得の行く物に思える。
 これで小技を連発していたら、そちらの方が遙かに異常だ。

「レイフォンのように、精緻を極める技や磨き抜かれた意志力、何よりも生きる事への執着心から来る必死さ、そう言う物が全く無いので戦ってもつまらないと」

 ここまで来てアルシェイラも理解した。
 サヴァリスはもっと洗練された相手と戦いたいのだと。
 汚染獣のような勢いだけで戦う獣など、もはや相手にすることが馬鹿らしいのだと。
 もっと言えば、生きようと必死に足掻いている敵を倒すことに快感を覚えているのだと。
 それは極めてサヴァリスらしいと言えるのだが、断じてだれているという訳ではない。

「だれているというのとは、少し違うと思うんだけれど?」

 当然疑問を持ったアルシェイラは、きっちりとカナリスに問いただす。
 カナリスが言葉を間違って使っているというのならば、それはそれで良いのだが、もし万が一にでも本来の意味で使っているのだとしたら、非常に厄介な問題となる。

「老性体なんかと戦ってもつまらないので、他の人に回して下さいと」
「・・・・・・・・・・・・・」

 確かにだれている。
 これは由々しき問題だ。
 天剣授受者が戦闘を放棄する。
 これ以上の異常事態など想像も付かないほど、どうしようもないくらいに異常事態だ。

「一体どうしたというのかしらね?」

 隣で、黙々と巨大な弁当箱の制圧に掛かっているリディアに問いただしてみる。
 ある意味引き金を引いたのはアルシェイラだが、覗き趣味という禁断の箱を開かせたのはリディアなのだ。
 彼女にも責任の一端はあると思うのだ。

「・・・・。やっと分かったわ」
「何がよ?」

 更に黙々と食事をし続けていたリディアだが、五分ほどしてやっと口を食べる以外の目的に使うことにしたようだ。
 そして、出てきたのは想像を絶する事実をアルシェイラに突きつける言葉だった。

「私達は、天剣授受者がレイフォンで遊んでいると思っていたわ」
「ええ。その認識に間違いはないはずよ」

 そう。遊びだったのだ。
 いくらデルボネの探査を逃れる逃走術を身につけているとは言え、それだけで生き長らえる事が出来るほど天剣授受者は甘くない。
 天剣共が本気だったら、いくら通常の錬金鋼を使っていたとしても一分という時間を生き長らえる事は出来ないのだ。

「でも事実は違った」
「どう違ったのよ?」

 リディアがどんな道筋で何を思いついたのかさっぱり分からない。
 だが、次に出てくる言葉こそが今の事態を説明することが出来る、究極の答えだと言うことは分かった。

「天剣授受者が、レイフォンに遊んでもらっていた」
「・・・・・・・・・・・」

 本日二度目の絶句に叩き落とされてしまった。
 あの、あの天剣授受者共が、ただの武芸者でしかないレイフォンに遊んでもらっていたというのだ。
 これはどうあっても否定しなければならない。
 そうでなければ、折角集めた変態共の真価が問われてしまうから。

「ああ。そうだったのですね」

 何故か、アルシェイラよりも速くカナリスが言葉を零した。
 だが、それは今までとは全く違う空気を纏っていることに、強制的に気が付かされた。
 そう。溜息にも似た息遣いで言葉が口から零れ落ちたのだ。
 それはもう、恋する乙女が思い人を思ってその名を呼ぶような。

「私はレイフォンに弄ばれていたのですね」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 本日三度目の絶句は、過去最大の長さと重さを持ってしまっていた。
 クララと同じような性癖を持っているとは思っていたのだが、はっきりと同類なのかも知れないと思えてきてしまった。

「レイフォンを鍛えて、私よりも強くして、そして無残に斬り殺されることを、私は願っているのですね」

 この辺、クララで慣れているので、さほどの衝撃は受けないで済んでいるようだと、人ごとのように考えるアルシェイラの脇では、相変わらずリディアが巨大弁当箱を殲滅させようという戦いを続けている。
 この状態に、非常な違和感を覚えた。

「って、ちょっと待った」

 異常事態がもう一つ身近で起こっていることにも気が付く。
 さっきからリディアは巨大弁当箱を抱えるようにして、黙々と食事を続けている。
 だが、昼食は既に終了しているはずなのだ。
 一緒に覗きをする時には、一緒に昼食を摂ることにしているので、既に終わっていなければならないはずなのだ。
 だと言うのに、リディアはいまだに食べ続けている。
 十歳程度の子供と同じ体格しか持たないはずの、グレンダンではそれ程優秀とは言えない念威繰者が。
 これも異常な光景に違いない。

「本当、世の中はままならないわねぇ」

 そう口にしたアルシェイラは溜息をつく。
 天剣共がだれてしまっている現実を改善する方策は、今のところ一つしかないのだが、それを実行するためには相当の無理が必要なのだ。
 事前情報通りにレイフォンがツェルニに居るのだったら、リーリンを迎えに行くついでにかっさらってくれば良かったのだが、生憎とマイアスという学園都市に留学してしまっている。
 これも世の中の不条理と言えるのだろうと思うと、世界全てに対する怒りがふつふつと沸き上がってくる。
 グレンダンを巻き込んで自爆したくなるほどに。
 そして唐突に思い出した。
 最近ティグリスの姿を見ていないことを。
 デルボネを呼んで確認させたところ、サイハーデンの道場にいることが判明。
 即座に望遠鏡を使って、アルシェイラの目で確認してみる。
 当然のようにいた。
 日の当たる庭先に座り込み、デルクと並んで日光浴の最中だ。
 そしてそのすぐ側にいるのは、何時ぞやの幼女。
 必死に二人の服を引っ張っている姿に不信感を募らせた。
 デルボネに命じて盗聴開始。

「っにゅ! っにゅ! っにゅ! っにゅ! っにゅ! っにゅ!」

 必死になって二人の服の袖を引っ張って、自分に注意を向けさせようとしている幼女。
 その大きな瞳には、既に涙が一杯に溜まり、決壊間近だ。

「おお! 相変わらずめんこいのぉぉ」
「はは。誠に可愛らしいですな」

 その必死のアピールが功を奏したのか、二人の視線が幼女を捉えた。
 いや。捉えていない。
 視線は向けられているが、焦点が全く合っていない。
 一瞬喜びに溢れた幼女だったが、すぐに二人の状況に気が付いたようで、再びその瞳を涙で一杯にした。

「っにゅ! っにゅ! っにゅ! っにゅ! っにゅ! っにゅ! っにゅ!」

 ティグリスの髭を引っ張り、デルクの指を引っ張り、ティグリスに渾身の拳を叩き込み、デルクに全力の蹴りを打ち込み、更に二人に向かって連打を浴びせ続ける。
 だが、いかんせん歯も生え揃っていないような子供の攻撃など、歳を重ねた武芸者に通用するはずもなかった。

「おぉおぉおぉ。ほんにめんこいのぉぉ」
「ははは。誠に可愛らしい限りですな」

 頭に蜘蛛の巣が張っても気が付きそうにないほど、二人の武芸者はゆるみきっている。
 とうとう盛大に泣きながら母屋へと助けを呼びに行く幼女を眺めつつ、アルシェイラは思うのだ。

「老いたなティグ爺」

 人生において最も重要な、生きる目的を見失った老人が二人。
 アルシェイラは思わず溜息と共にサイハーデンの道場付近を、消し飛ばしてしまおうかと本気で考えてしまった。
 天剣が一本無くなるが、リーリンが帰ってくればそれを埋めることは出来るのだ。
 老いてしまった武芸者など、必要ない。

「うふふふふ。こんな時にこそお兄ちゃんが必要なのに、いないなんて罪作りな奴」

 リディアのそんな他人事な台詞が聞こえなければ、きっと実行してしまっていただろう。
 そしてやっとの事で、レイフォンがいなくなったことの意味を知ることが出来た。
 天剣共から、生き甲斐の一部が失われたのだと。
 このままではいけない。
 老性体ごときにやられるのならまだしも、呆けて使い物にならないとなったら、折角集めた変態集団が台無しだ。
 やはりグレンダンをそそのかして、マイアスに戦争を仕掛けようかという、恐ろしい計画がこの時アルシェイラの中に生まれた。
 普通にやれば、学園都市ごときが勝てるはずはない。
 泣きを入れてきたのならば、レイフォンと引き替えに鉱山の一つでもくれてやればいいのだ。
 レイフォンの犠牲で誰も彼もが幸せになれる。
 そうなれば実行有るのみだ。
 決意を固めたアルシェイラは、グレンダンを呼び出すことにした。
 
 
 
 お忘れかも知れないが、サヴァリス・クォルラフィン・ルッケンスは天剣授受者である。
 更に熱狂的な戦闘愛好家であり、戦闘狂の異名を持って人から恐れられる武芸者でもある。
 そんなサヴァリスの今日の獲物は、幼生体。
 何を勘違いしたのか、グレンダンが幼生体の大群落に突っ込んでしまったのだ。
 その数実に三万以上。
 グレンダンの歴史上万を超える幼生体に取り囲まれたことは珍しくないが、三万となると空前の事態ではある。
 絶後かどうかは全く分からないが。
 と言う事で、一対多数が得意なリンテンスと制圧能力があるバーメリン。
 ついでに先日の老性体戦で不満の溜まっていたサヴァリスが出撃して、片端から幼生体を虐殺して回っているのだが、当然のこと退屈で仕方が無い。
 弱いくせに数だけ居る物だから、非常なストレスが溜まる。
 これならばレイフォンと遊んでいた方が遙かにましなのだが、生憎と学園都市に逃げて行ってしまっているので戦いたくても戦えない。

「やれやれ。世はなべて事も無しですかねぇ」
「幾星霜を語ろうが貴様とは平行線だと思っていたが、三兆分の一グラムル程度の共感を得た」

 念威端子越しのリンテンスの声も、非常につまらなそうである。
 天剣抜きとは言え、また本気ではなかったとは言え、リンテンスやサヴァリスの攻撃を、軽傷を負っただけで乗り越えたレイフォンの強さに比べたら、幼生体などいくらいても全く楽しくない。
 あの必死に逃げ惑う姿と生への猛烈な執着。
 何よりもあの技の切れと剄の流れ。
 数を頼みとして襲ってくるだけの幼生体と比べるべくも無い。

「糞ウザ! 糞飽きた!」

 バーメリンの方も二時間近くガトリングガンを使い続けて、いい加減飽きてきたようだ。
 徐々に剄弾の命中率が下がってきているし、傍目から見ても覇気が無くなってきている。
 これは非常に危険な状態だ。
 どのくらい危険かというと。

「うわぁぁぁん!」「わっわっわっわっわわわわ」「ひぃぃぃんん」

 味方であるはずのグレンダン武芸者に、誤射という形で剄弾が降り注ぐくらいに危険だ。
 その誤射が、誤射で済ますことが出来ないほどの量になってきている。
 具体的には、三割り程度の剄弾がグレンダン武芸者に向かっている。
 二門合わせて、毎分八千発の三割だ。
 死者が出ていないのが不思議なくらいに、猛烈な砲撃がグレンダン武芸者を襲っているのだ。
 だが、それを見てサヴァリスはひらめいてしまった。

「これは使えるかも知れませんね」
「無理だな」

 サヴァリスの発言に瞬時に応じたリンテンスの声を聞き、同じ事を考えているらしいことが分かった。
 そう。レイフォンがいないのならば、それに代わることが出来る武芸者を作り上げればいいのだ。
 だが、当然問題もある。
 いや。問題だらけだ。

「やはりそうですよねぇ」

 レイフォン・サイハーデンという武芸者は、剄量は兎も角として、その技量だけなら天剣授受者にかなり近付いていたのだ。
 それだけ凄まじい人材は、いくらグレンダンだとは言えそうそう転がっている訳ではないのだ。
 となれば、やるだけ無駄だという確率も出てくるのだが。

「まあ、大義名分くらいはありますからね」
「そうだな。何億秒という暇な時間を潰すためにも使えるか」

 そして驚いた。
 あのリンテンスと意見の一致を見たのだ。
 三兆分の一程度の一致だとしても、今までにはなかったしこれからあるかどうか分からない。
 ならば、物は試しである。
 幼生体のついでに銃撃されて逃げ惑っている武芸者達に向けて、サヴァリスは取り敢えず衝剄を放ってみた。
 当然、違う戦域ではリンテンスの鋼糸が幼生体と一緒に武芸者を切り刻んでいるだろう。
 これはこれで少々楽しい。
 弱い者虐めは、サヴァリスの好みではないのだが、もしかしたら掘り出し物が出てくるかも知れない。
 ならばやる価値は十分にあると思うのだ。

「お、おや?」

 そして気が付いた。
 幼生体を虐殺して回るよりも、誤射に見せかけてグレンダン武芸者を狙い撃つ方が遙かに楽しいと。
 思わぬ収穫である。
 
 
 こうして、後の世に天剣の狂乱と呼ばれる虐め行為がそこここの戦場で見られた。
 だが、だがである。
 結局レイフォンほど面白い相手を見つけることが出来なかったために、天剣達が興味を無くして一時の狂乱で終わってしまったのは、恐らく武芸者にとってもグレンダンにとっても良いことだったのだ。



[18444] B B R その一
Name: 粒子案◆a2a463f2 ID:97102e9f
Date: 2011/01/07 22:00
 
 全てを憎むことも出来ず、何かを壊す事も出来なかった僕は、ただひたすらに斬って、斬って、斬って、斬って、斬って、斬って、斬って、斬って、斬って、斬って、斬って、斬って、斬って、斬って、斬って、斬って、斬って、斬って、斬って、斬って。
 どれだけ斬っても狂気は去らず。
 どれほど戦っても悲しみは癒えず。
 主無き刀はあまりにも軽く。
 ただただ、胸の内に虚しさだけが募るばかりで。
 それでも、僕には他に出来ることがないから。
 斬って、斬って、斬って、斬って、斬って、斬って、斬って、斬って、斬って、斬って、斬って、斬って、斬って、斬って、斬って・・・・・・。
 そして僕はここを出て行くことにした。
 もしかしたら、こんな僕でも必要としてくれる人がいるかも知れないから。
 もしかしたら、刀の主となるべき人に出会えるかも知れないから。
 それは最後に残された希望なのだろうと、そう思うことでやっと自分を維持していたんだと、今はそう思う。
 
 
 
 B B R
 
 
 
 教室二個分ほどの広さを持った訓練室の中は静まりかえっていた。
 他の小隊が訓練する気配と音が、強固に作られた壁を通り抜けて第十七小隊に割り当てられたここに届いているが、それでも静寂に支配されていたと言って良いだろう。
 その気になれば自らの鼓動だけではなく、耳の血管を通る血液の音さえ聞こえるだろうというほどに、訓練室の中は静まりかえっていた。
 僅か五秒前まで、自らの音に気が付くこともなく、他の小隊員の気配と音さえ気にならないほどだったが、今現実に起こっていることが信じられず、強引に静寂を破るために大きく息を吸い込み、音という形でそれを吐き出した。

「もう一度言ってもらえるか?」

 第十七小隊長を勤めるニーナ・アントークは、静寂を破るために放った声がしかし、思っていたよりも遙かに小さかったことにやり場のない憤りを覚えてしまっていた。
 そして静寂の創造主であり、最小構成人数を満たすべくスカウトしたはずの少年へと、殺意さえこもった視線を突き刺しつつ念のために訪ねる。
 あってはならない事態のはずだったからだ。
 だが、目の前の少年は小揺るぎ一つせずに静寂の中に佇み、世界を揺るがせるほどの音の連なりを解き放ったのだ。
 ニーナよりも格段に大きな声と言う訳ではなく、それどころか僅かに小さいというのにもかかわらず。

「お断りします」

 再び世界が揺らめいた。
 ツェルニ武芸科に在籍する者ならば、誰でもあこがれるはずの小隊員の座を路傍の小石ほどにも興味がないと言わんばかりの気軽さで、しかし断固とした決意と信念を持って断ってのけたのだ。
 ニーナの世界が大きく揺すぶられ、激震に見舞われた大地に立つことが出来ずに、大きくよろめいて倒れそうになる。
 だが、それを持ち前の精神力を総動員して何とか転倒だけは免れる。
 新入生の中から小隊員をスカウトすべく、武芸科生徒を睨み据えるほどの勢いで見渡している時に起こった乱闘騒ぎ。
 他の都市での揉め事を持ち込んではいけないという校則を無視したその行いに、混乱する新入生の人混みをかき分けて上級生が介入しようとしたまさにその瞬間、目の前にいる一見気の弱そうな一般教養科の生徒が、同時に二人を盛大に投げ飛ばしてその場を納めてしまったのだ。
 通常考えるならば、一般人が武芸者を押さえると言う事はほぼ不可能だ。
 それがどれだけ非力な武芸者だろうと、剄を使ったが最後一般人の手には負えないのだ。
 そして、一般教養科に在籍する生徒が武芸者であるはずがなかった。
 だが、入学式が中止になったあと少しして、生徒会長に呼ばれたニーナはある意味非常識な話を聞いた。
 件の武芸者二人を投げ飛ばしたのは、一般教養科を受験した武芸者だったと。
 本来武芸者とは、天から授かった剄脈という器官を使って、外敵から都市に住む人々を守る存在だ。
 武芸者と生まれたからには、能力の及ぶ範囲で都市とそこに住む人達のために戦うべきなのだ。
 これでレイフォンが非力でどうしようもないなら兎も角として、入学式で見た限りでは明らかな実力を持っている。
 一般教養科に入ろうとした経緯は知らないが、それは許されるべき事柄ではないのだ。
 そしてさらに、小隊員に任命したにもかかわらず、それを断ると言い切る。
 ある意味、今日だけでニーナの常識と世界はボロボロの状態だ。
 だが、ここで立ち止まる訳にはいかないのだ。
 小隊を設立することが目的ではないが、それでも最短ルートだと確信しているから。

「これは生徒会長も了承している決定事項だ。辞退は許されん」

 だが言いつつもニーナには不安があった。
 カリアンからレイフォンの事を紹介されたが、それはただレイフォンが武芸科に転科したという程度の紹介だった。
 話の流れから、カリアンの承認が得られていると言う事は間違いないが、それでももしかしたらもっと違う意味だったのではないかと、ほんの微かに疑ってしまっているのだ。
 レイフォンの反応は、ニーナの不安をあおり立てるのに十分だったし。

「どうぞご自由に」
「な、なに?」

 そんな心の隅の葛藤を見透かしたかのように、冷静沈着に返事をするレイフォン。
 だが、その内容はあまりにも異常で理解出来なかった。
 自由にしろと言うのだから、承諾したという意味かも知れないが、どう見てもレイフォンからそう言う雰囲気は伝わってこない。
 ならば本人に聞いてみるのが最も手っ取り早いと判断した。

「どういう意味だ?」
「ですからね。そちらはそちらの都合があるでしょうから、僕にかまわずにやって下さい」

 こちらの都合を理解しているらしいことは理解出来たが、かまわずにやってくれと言うのは少々理解出来ない。
 始めからかなり厳しかった視線が、何時の間にか殺意がこもっていた視線が、人を視線で殺せるレベルへと変化を遂げていた。

「僕は小隊入りを了承していません。本人に関係ないところで話が進んだのでしたら、僕には関係のない話です」

 確かに、レイフォン本人の意見や希望を聞いたという事実はない。
 だが、武芸者である以上は当然の成り行きなのだ。
 そう思っているからこそフェリに連れられてここまで来たはずだ。

「言ったはずだ! 辞退は許されんと!」
「ええ。ですからご自由にどうぞ」
「・・・・。どういう意味だ?」
「幽霊隊員」

 あっさりと言ってのけた少年を見る。
 冗談を言っているつもりはないようだ。
 部活ならば幽霊部員がいてもおかしくはないが、こと小隊において幽霊隊員などという存在は、今まで確認されていないはずだ。
 だがしかし、その未確認生物が目の前に出現しようとしている。
 しかもニーナの小隊からだ。
 これは断じてあってはならない。
 心に殺意を秘めたニーナの手が、凶器を求めて剣帯へと伸びる。
 この男をこの部屋から出してはいけないと、そう決意したのだ。
 そんな事をしたら、小隊制度そのものが崩壊してしまう。

「では失礼します」

 決意を固めたニーナのことなどお構いなしに、少年が踵を返す。
 その背中は全く無防備で隙だらけだ。
 一撃で決めると決意したニーナが、錬金鋼を引き抜こうとしたその手を誰かが押さえる。
 その手の大きさからシャーニッドであることが瞬時に分かった。
 怒りと憤りを込めた視線で、何時も飄々としている一つ年上の部下を見る。

「素手の一年生を後ろから襲って殺めるつもりか?」
「!!」

 何時も飄々としているその顔は、この瞬間だけは厳しく引き締まり、ニーナを見下ろしていた。
 そしてやっと気が付いた。
 レイフォンを隊員に出来なくても、第十七小隊が設立出来ないだけだが、もしニーナが彼を殺してしまえば、それはツェルニ武芸科最大の汚点となる。
 あろう事か小隊長が殺人を犯したのだ。
 武芸者に対する信頼を裏切り、尽力してくれたカリアンの恩を仇で返す行為だ。
 間違いなくニーナ自身、次の放浪バスに乗せられて、志半ばでツェルニを去ることになる。
 そこまで考えが至った瞬間、全身から冷たい汗が噴き出すのを感じた。
 本当に紙一重で破局は回避されたのだ。
 もしほんの少しだけシャーニッドの行動が遅かったら、それだけでニーナと武芸科生徒は終わっていた。
 この一事だけで、シャーニッドの真価を知る事が出来た。
 だが、だからと言ってこのまま引き下がることなど出来はしない。
 自らの小隊を立ち上げてまで、ツェルニを守ると固く誓ったその思いまで否定されたようで、ここで大人しくしていることが出来そうもない。

「追いかける」
「・・・・・・。錬金鋼は置いて行けよ」
「・・・・・・・・・・・・・・。分かった」

 シャーニッドの心配ももっともだと判断する部分と、もっとニーナを信じて欲しいという部分がせめぎ合い、数秒という時間を無駄にしてしまったが、錬金鋼を渡して既に閉まってから時間の経っている扉へと突っ込む。
 当然の成り行きだろうが、シャーニッドも付いてきている。
 素手で殴り合いを始めようとしたら止めるつもりなのだろうと思うが、そこまで喧嘩っ速いとは思っていないので、非常に心外だ。
 そんな複雑な心境と共に蹴破るほどの勢いで廊下に飛び出したニーナだったが、驚愕のために再び世界が壊れてしまった。
 見た事ある巨漢の頭突きで床にしゃがみ込んで痛みをこらえているレイフォンが見える。
 様な気がする。

「ぐぐぐぐわぁぁぁ」
「も、もうしわけありません!!」

 頭に手をやり必死に痛みをこらえるレイフォンを見て、一度上げた頭をもう一度高速で叩きつける巨漢。
 その威力に恐れをなしたのか、尻餅をつくように追撃を避けるレイフォン。
 猛烈に意味不明だ。
 もしかしたら、頭突きを放った巨漢はレイフォンに恨みがあるのかも知れない。
 うん。きっとそうに違いない。
 他の都市の揉め事を持ち込んではいけないという校則があるが、なにやら双方必死の形相なので関わりにならない方が良いに違いない。
 普段なら決して出さない結論に達したニーナは、一歩後ずさる。
 シャーニッドなど既に半分逃げ腰だ。

「重ね重ねの狼藉! この罪、万死に値します!!」
「死ななくて良いですから!」

 外野が動揺している間に、本人達はきちんと話を進めているようで、巨漢の頭がもう一度持ち上がり更なる高速で振り下ろされた。
 その一撃は空気を振るわせ、衝撃波だけで床を粉砕するほどの威力だった。
 そしてそのままの姿勢で、完全停止。
 二秒。三秒。四秒が経つ。

「頭を上げて下さいゴルネオさん」
「いえ! この頭を貴方様に切り落として頂くまでは、決して上げません!!」

 何かおかしい。
 ゴルネオと言えば、武芸科の五年生で、第五小隊長を勤める男で、誇り高い武芸者のはずだ。
 なのに、頭を切り落とせとレイフォンに言っている。
 恨みを晴らすためにレイフォンに頭突きを放っているはずなのにだ。
 全く意味不明だ。
 ニーナが途方に暮れていると、よろよろと立ち上がるレイフォンがゆっくりとゴルネオに迫る。
 その手には武器を持っておらず、しかし一挙手一投足が全て必殺の一撃を放っている。
 目の前の巨漢の首が飛ぶところを幻視してしまった。

「落ち着いて下さい。僕は貴方に危害を加えるつもりはありませんから」
「し、しかし!」
「はあ。・・・・。ではこうしましょう」

 どうあっても自分の首を落とせと要求するゴルネオと、それを何とか回避しようとするレイフォンの掛け合いだ。
 立場が逆だったら何の問題も無いのだが、全てにおいて全く意味不明だ。

「今夜の食事をおごって下さい」
「夕食ですか?」
「ええ。それで恨みっこ無しと言う事で」
「そ、それはあまりにも軽すぎます!!」

 生殺与奪の権利を持っている人間が、軽い罰則で済まそうとしているにもかかわらず、裁かれる人間が厳罰を要求するというかなり珍しい光景のような気がするが、根が真面目なゴルネオだからこれはこれでありかも知れない。
 罪を犯してしまったのならば、ニーナもきっと同じように行動するだろうし。

「では」
「はい」
「三日分の夕食でどうでしょうか?」
「・・・・・・・・・・・・・。謹んでお受けいたします!!」

 これ以上は相手に対して失礼である。
 と言う事で渋々とゴルネオが軽い罰を受け入れた。
 裁かれる人間が渋々と軽い罰を受けるというのも考え物だが、きっと二人の間ではそれで良いのだろうと考えることにした。
 異常な光景が続いていたが、ようやっと頭を上げたゴルネオがレイフォンを見る。
 まだ幾分表情が硬いが、それでも数秒前までの危険極まりない空気は去ったようで少しだけ胸をなで下ろす。

「ツェルニ。どこかで聞いたと思っていたら」
「は! 自分が在学している学園都市であります!!」

 いや。何時もと違って言葉遣いが非常にぎこちない。
 しかも、五年生であるはずのゴルネオが一年生であるはずのレイフォンに向かって、非常に堅苦しい言葉を使っているのだ。
 これもある意味異常事態だとは思うのだが、つい先ほどまでの物に比べると遙かに現実的だ。
 異常事態に現実的かどうかという判断基準が存在していることを初めて認識したニーナは、新たな世界へと踏み出せたような気分になってしまった。
 思わず感動さえ覚える展開である。

「剄が充実していますね」
「は! ですがまだまだヴォルフシュテイン卿の足元にも及びません!!」
「元。ですよ。それはもう返上しました」
「いえ! 自分にとってヴォルフシュテイン卿は何時までもヴォルフシュテイン卿ですから」
「・・・・。強情ですね」
「恐縮です!!」

 そうだ。
 今日は帰りに粉末のスポーツドリンクを買って帰ろう。
 そろそろ切れる時期だし、確か安売りがあったはずだ。
 そんな現実逃避気味の思考で遊んでいると、レイフォンの視線がゴルネオを捉えていることに気が付いた。
 その顔をマジマジと見詰めている。
 いや。正確にはその頭の上に乗っている赤毛な生き物を!

「zzzzzzzz」

 今ニーナの目の前で起こっていた一連の怪事件などお構いなしに、それどころか衝撃波だけで床を破壊するほどの頭突きさえ気が付かずに、なにやら弛みきった笑顔と共に眠り続けている。
 これ以上の異常事態など想像もしていなかったニーナにとって、第五小隊副隊長のシャンテの行動は、あまりにも異常に過ぎた。
 そして気が付いた。
 赤毛で未知の生物が頭にくっついていたせいで、その銀髪を認識することが出来ずに、ゴルネオであると暫く気が付かなかったのだと。
 そろそろ機関清掃の仕事に行った方が良いかもしれない。
 昨日は食べ損ねた鶏肉のサンドイッチを絶対に確保してやると、心に誓いつつも更に事態は進展してしまう。
 ニーナの更なる現実逃避を無視して、当人達は話を進めてしまっている。

「よく寝ていますね」
「は、はぁ。こいつの特殊技能です」

 特殊技能などと言う生やさしいものでは無いと思うのだが、ゴルネオが言う以上きっとそれが正しいのだろうと思う。
 断じて認める訳にはいかないが。

「それで。後ろにいるのは第十七小隊ですよね?」
「はい。勧誘されました」
「・・・・・・・・・・・・・。受けられたのですか?」
「断りました」

 二人の視線と注意がいきなりこちらにやってきたことで、現実逃避による現実逃避から目覚めることが出来た。
 ここで何とか踏ん張ってレイフォンを勧誘しなければならないことも思い出せた。
 犯罪を犯すつもりはないが、小隊の設立を諦めるつもりもないのだ。
 呼吸を整えて一歩前へと踏み出す。

「それは何よりでした」
「はい。集団戦は苦手ですし、なにより今の僕が戦えばきっと災いを」

 聞き捨てならないゴルネオの言葉に続いて発せられたレイフォンの台詞が、いきなり途切れる。
 そして、緊迫した空気が戻ってきてしまった。
 張り詰めるゴルネオと気まずそうに視線をそらせるレイフォン。
 二人の間に何かあったことは理解した。
 それがかなり根が深い物であることも。
 もしかしたら、他人が踏み込んではいけない問題かも知れないことも。
 だが、それでもニーナに後退の二文字はない。

「改めて頼むレイフォン! どうか小隊に入ってくれ!」

 廊下の真ん中で、その場の空気をぶち壊すために大きな声で懇願する。
 介入してはいけないかも知れないが、この気まずい沈黙をぶち壊すのはかまわないはずだ。
 だからこそ、心の底からの大声で懇願するのだ。
 その行為が何とか空気を弛ませることに成功したようで、二人から安堵の息が漏れるのが分かった。
 これでこちらのペースに持ち込めば何とか小隊を立ち上げる事が出来る。
 そう思っていた。

「四年半ぶりですね」
「は!! ツェルニへ旅立つ前に後見人をして頂いたのが最後ですので」
「人のことは言えませんが、サヴァリスさんは弟さんがいることを覚えているのでしょうか?」
「恐らく忘れているのだと思います」
「困りましたね」
「それでこそ兄ですから」

 話が違う方向へと進んでしまった。
 何とかこちらにもう一度注意を向けさせなければ、再びニーナはこの世界から取り残されてしまう。
 それ程の恐怖と共に立ちすくんだのも一瞬。

「そうそう」
「はい」
「ここでは貴方の方が上位者なのですから、呼び捨てでお願いします」
「そ、そのようなこと出来ようはずありません!!」

 再び固まり出すゴルネオ。
 それに少々困ったような表情をするレイフォン。
 全く持って意味不明だ。
 この二人の過去に何が有ったのか、一度じっくり問い詰めたいような気がするのだが、兎に角今は何とかレイフォンとのコミュニケーションを取らなければならない。

「レ、レイフォン」

 そう呼びかけるが、視線がこちらを捉える様子がない。
 ツェルニが誇る十七有る小隊の一つ、まだ正式に結成していないとは言え、その小隊長が懇願しているにもかかわらず、路傍に転がっている小石ほどにも注意を払っていないように見えるレイフォンに、再び怒りが沸き上がってくる。
 拳を握りしめたところで、シャーニッドの手が肩におかれた。
 シャーニッドの心配が現実の物になると言う事がかなり屈辱なのだが、それでやっと冷静さを少しだけ取り戻すことが出来た。

「レイフォン。どうか第十七小隊に入ってくれ」
「断ったはずですよ」
「そうだ。ヴォルフシュテイン卿を入れたところで」
「元です」
「・・・・。ア、ア、アルセイフ様を」
「せめてレイフォン君くらいにして下さい」
「レ、レレレレレ」
「・・・・・・・。取り敢えず話を進めましょう」

 どうやら相当困った事態があるようだ。
 その恐るべき片鱗を垣間見たような気がするが、今それを考えるべき時ではない。

「先ほど言いましたが、僕は集団戦が苦手です」
「私達が合わせる」
「そもそも、僕に小隊に入るつもりはありません」
「そこを曲げて頼む!」

 ゴルネオの物ほど破壊的ではないが、全力で頭を下げて懇願する。
 そのまま色よい返事がもらえるまで姿勢を維持する覚悟だったのだが。

「お断りしています」

 いともあっさりと断られてしまった。
 話が平行線になっていることには気が付いているが、それでも諦めるという選択肢はない。
 いや。ここまで来ると意地だ。
 なんとしてもレイフォンを小隊に入れなければならないと、何処か頑なに思い詰めてしまっているのが自分でも分かるのだが、それを改めると言う事が出来ないのだ。

「金が必要ならば何とかしよう。働けと言うのならば馬車馬のように働こう。この身体が欲しいのならば好きにすればいい。だからどうか頼む!」

 ニーナの有りっ丈だったのだが、それがレイフォンに届いたかどうかは全く別問題だ。
 頭を下げたまま叫んで、五秒、十秒と経過する。
 あまりのリアクションのなさに、不審に思い頭を上げて周りを見てみると。

「・・・・・・・・・・・・・・・・。何処へ行った?」

 とおのレイフォンがいなかったからに他ならない。
 それはもう、この世界にそんな人物はいないと言わんばかりに、綺麗さっぱり完璧にかき消えていたのだ。

「ヴォルフシュテイン卿ならば、断りの、台詞の次の瞬間には移動された」

 ニーナ一世一大の大博打だったはずが、独り相撲に終わってしまっていたようだ。
 非常に冷たい風が身も心も冷やして行く。
 そして熱を奪われた身体に残ったのは、ただの疲労感。
 骨折り損のくたびれもうけという奴だ。

「旦那さ」
「なんだエリプトン?」
「あの新人と親しいのか?」
「・・・・・。いや。兄を通じて知っているだけだ」

 あれだけのことをやっておいて、それ程親しい訳ではないというゴルネオに非常な不信感が芽生えたが、それを追求する精神力を今のニーナは持ち合わせていなかった。
 それが幸運だったのか不運だったのか、それを知る術は今この場にいる誰の手にもない。
 
 
 
 B B R
 
 
 
 超絶的な美少女に連れ去られたかと思っていたら、一時間程度で帰ってきているという変態的行為をした少年を目の前にして、ミィフィはしげしげと眺める。
 それはもうこれ以上ないくらいに真剣に、穴が空いてしまいそうな程の勢いと情熱を持ってして、レイフォンという変質者へ向かって興味の全てを注ぎ込む。
 本日執り行われた入学式だったが、武芸科生徒二人の乱闘という突発事態のために中止が決定してしまった。
 その乱闘に巻き込まれた幼なじみを助けたのが、実はこの変態的な行動を取った変質者なのだ。
 焦げ茶色の髪と深い紫色の瞳をした、ややぼうっとした感じのする同世代の少年に見えないこともない、極々普通の武芸者だ。
 だが、武芸者でありながら一般教養科へと入学してのけるという非常識さを持ち、更にミィフィが是非ともお友達になりたい超絶美少女をあっさりと振ってきたと言う、二つの前科を持っているのだ。
 どれほどの犯罪を繰り返してきたか解ったものでは無い。
 もしかしたら、故郷に奥さんと子供が一杯いるかも知れないし、最悪の場合、実は女の子でしたなどと言う落ちさえ覚悟しなければならないのだ。

「あ、あのミィフィさん」
「ああ? 私のことはミィちゃんと呼べと言ったろうレイとんよぉ?」
「い、いや。それ決定ですか」
「嫌なのか? 嫌なんだな! そうかそうか別の名前で呼んで欲しいのか!!」

 何故か独りでにヒートアップしてしまう自分を認識しつつ、それを止める方法などミィフィの手の中にはないのだ。
 だからこそのミィフィなのだし、だからこそのナルキである。
 今も隣の席に座って拳を固めていらっしゃる。
 そろそろ止めないと鉄拳制裁が来るのは分かっているのだが、それでも突っ走ってしまうのがミィフィクオリティーなのだ。

「え、えっと。レイとんでお願いします」
「なんだ。分かってるじゃないか」

 すぐに暴走するミィフィだが、沈静化するのもまた速いのだ。
 と言う事で冷めたお茶をすする。
 入学式のお礼がしたいと、引っ込み思案で人見知りの激しいメイシェンのたっての頼みで、レイフォンを待ち伏せして成り行きとして喫茶店に到着した。
 そこでギリギリ間に合ったランチメニューを頼み、これから色々と聞き出そうとした時にミス・ツェルニとして知らぬ者はないフェリに誘拐された。
 これはフェリ・ロス親衛隊の襲撃を受けて明日には葬式かと思っていたら、一時間ほどしてノコノコと居座り続けていた喫茶店の前を通過しようとした。
 当然そんなことは許せるはずもなく、強引に二次会に参加してもらったのだ。
 現在は夕食を取るために串焼きの店になだれ込んでいるところだ。
 別にこれがレイフォンでなければこれほどの強引な手は使わなかった。
 もう少し時間をかけてネチネチと調べ上げるという楽しみがあったからだ。
 だが、目の前で困っている変態は別だ。

「だいたい小隊員にならないってどういうことよ?」
「そうだぞ。小隊員とはエリートのことだ。それを抜きにしても武芸科に転科したらなっても問題無かっただろう」

 そう。何故それ程早く帰ってきたのか気になって問い詰めたところ、別に隠すことでもないと平然と小隊入りを拒否したことを白状した。
 これはかなり疑問だ。
 武芸者を続けるのならば、小隊員になっても問題無いと思うし、武芸以外の何かを探しに来たために、転科を断ったというのならば筋が通る。
 今やっている事は、非常に中途半端なのだ。

「武芸科に転科したのは、奨学金のランクが上がると言われたので」
「・・・・・。なに?」
「・・・・・。ああ?」

 大人しいメイシェン以外の二人が声を上げて、レイフォンの発言の真意を考える。
 直訳すると、金のために転科したと言う事になってしまう。
 それは、目の前にいるレイフォン・アルセイフという少年とは少しイメージが違うように思えるのだ。
 何かもっと、重い決断なりやむにやまれぬ選択なりの方がしっくり来る。
 その最大の理由というのが、同い年くらいに見えるのにその纏う空気が明らかに違うと言う事だ。
 浮ついたところが無く、何かこう、酷く重い何かが身体の中に宿っているというか。
 もしかしたら、見た目以上の年齢なのではないかと思えるほど、子供っぽくないのだ。

「お金のために転科したんですか?」
「そうです」

 先に声を出した二人が硬直してしまっている間に、何故か衝撃が少なかったメイシェンが質問して、それを平然と肯定している。
 別に武芸を神聖視しろと言うつもりはない。
 だが、ここまで割り切られると少々疑問が湧いてくるのもまた事実だ。
 その疑問に答えるためだろうが、レイフォンが更に言葉を続ける。

「僕が孤児だったのは言いましたよね?」
「はい。凄く苦労したと」
「その苦労から出た結論がありまして」
「はい」
「人生は金だ」

 メイシェンとレイフォンの会話を整理しつつ、自分なりに解釈してみる。
 レイフォンは孤児だ。
 そしてグレンダンは汚染獣との戦闘が多く、福祉関連の予算がかなり乏しいという。
 貧窮した生活を強いられていたのは想像出来る。
 裕福ではないにせよ、貧しくもなかったミィフィには想像することが困難だが、その貧しさを糧に武芸の技を磨き、強くなったというのは想像が出来る。
 そしてその結果、何年生きたか知らないが、レイフォンは人生は金だという結論に達したとしても、何ら不思議はない。
 不思議はないのだが。

「お金くれると言われたら、小隊員になるの?」
「それはどうでしょうか? 機関掃除もしたいのであまりきつい訓練はしたくないかと」
「い、いや。普通は逆の方向で考えないか?」
「訓練してお金がもらえるのでしたら、やっても良いのかもしれませんね?」

 狼狽えるナルキの突っ込みも真面目に受けて、考えつつレイフォンが呟く。
 名誉や誇りは全く興味なく、ただ金のために訓練に励むレイフォン。
 それはそれで違和感がないような気がする。
 そして、想像の翼はもう少し先へと飛んで行ってしまい。

「競りにかけられないかな?」
「・・・・・。それは少し嫌ですね」

 小隊にスカウトするために、各小隊長がレイフォンに高値を付けて行く光景。
 実際に有ったら是非見てみたいと思ってしまうほどに、非常に興味と好奇心を引かれる。
 だが、取り敢えず突っ込むのが先だ。

「少しかい! と言う以前に何のためにそんなにお金を稼ぐのよ?」
「老後の蓄えに」
「それはもっと歳を取ってからやって問題無いでしょう!!」

 思わず全力の突っ込みを放ってみたが、レイフォンは小揺るぎ一つしていない。
 なにやらとんでもない変質者のようだ。
 確かに強いのだろうけれど、それを支える土台が著しく普通とは違うのだ。
 これはこれで、ある意味レイフォンらしいと思わなくもない。

「と言うところで納得してもらえませんか?」

 突如として、メイシェンに向かって改まってそう言うレイフォン。
 いきなりの展開で戸惑うメイシェンだったが、実はミィフィは更に混乱していた。
 レイフォンは正確にはメイシェンを見ていないのだ。
 その黒くて長い髪。右耳の側に視線を注いでいる。
 よくよく注意してそこを見て、始めて気が付いた。
 花びらのような何かが一枚、髪の影に隠れるようにして潜んでいたのだ。
 恐らく念威端子だ。
 誰かが今までの会話を盗聴しているという事実に気が付き、慌てて周りを見渡す。

「ここにはいないですよ。恐らく練武館の訓練室では無いでしょうか?」

 いつから気が付いていたのか非常に疑問だが、この念威端子の持ち主がフェリであるらしいことは理解出来た。
 恐らく、ミィフィと同じようにレイフォンのやっていることに疑問を持ったので、盗聴をしてでも調べようとしていたのだろう。
 今までの会話は半分ほど、フェリに聞かせるためだったのかも知れないが、もしかしたら二度喋るのが面倒だったので利用しただけかも知れない。

『納得は出来ませんが、理解は出来ました』
「それは何よりです」

 突如耳元で人の話し声がしたメイシェンが少々慌てているが、事態はそれどころではないのだ。
 今の会話が小隊員に漏れていたと言う事、それ自体が非常な危険をはらんでいる。
 お金にならないから小隊員にはならない、などと言うことが公になれば、闇討ちという最悪の事態にさえなりかねないのだ。
 いくら強いとは言え限界はあるのだから、これから先夜道には気をつけなければならない。

「隊長さんに伝えておいて頂けますか?」
『そんなつもりはありません。これは私の個人的な興味ですから』

 念威端子越しの会話で、少し安心する。
 フェリの個人的な興味ならば、襲われる危険性は極めて小さくなるだろう。
 知り合ったばかりなのに、葬式を出す羽目になるのは出来れば避けて通りたい。

「伝えて頂いても問題無いですが」

 そんなミィフィの思考など知らぬげに、知らせても良いとレイフォンは言う。
 もしかしたら、相当もの凄い実力を持っているための余裕かも知れない。

『面倒ごとはごめんです』
「それには同意します」

 最終的には、もらえる報酬と面倒ごとのバランスだと言うことだろう。
 小隊に入るならば、もっと金を出せと。

『隊長は貴方の要求に沿った金額を用意すると言っていました』
「へえ。それは損しましたね」
『実感がこもっていませんね』
「ええ。老後のための貯蓄なので急いでいませんから」

 老後の貯蓄というのは本当のようだ。
 十代中盤から老後のために溜め込むという精神構造は、かなり信じられない物ではあるのだが、ギリギリ理解の範囲内に収まっている。
 とは言え、それも程度という物があるのだろう。
 武芸科に転科するのは了承したが、小隊入りは拒否した辺りに境界線があるらしいことが分かった。

「ところでミス・ロス」
『・・・・・・・。もしかして私のことですか?』
「そうです」
『フェリで結構です』
「フェリちゃん? フェリタン? フェリッチ? フェリフェリ? フェリチン?」
『死にますか?』

 突如始まったレイフォンの愛称候補に、何か念威端子が光り輝いている。
 これは噂に聞いた念威爆雷という奴かも知れない。
 間近で見てしまったメイシェンが怯えてしまっている。
 何時でも泣き出しそうな瞳が、涙で一杯だ。
 かなり危険だ。

「冗談ですよ。それでフェリさん」
『何でしょうか?』
「会長の方にも伝えておいて頂きたいのですが?」
『お断りします』

 そう言うと、そそくさと離れて行く念威端子。
 ロス兄妹の仲が悪いという話は、どうやら本当のようだ。
 そして端子を見送ったレイフォンの注意がこちらに戻ってくる。
 小隊絡みの話題は、ここでお終いだという無言の宣言だと判断したので、その線に乗っ取って話を進めることにした。

「ああ。フェリ先輩とお友達になりたかった」
「また機会がありますよ」

 慰めを言われたが、とうていこの損失感から立ち直ることは出来ない。
 溜息一つ付いて、取り敢えず傷心を奥底に潜めることに成功した。
 ならば次にやることと言えば、興味の赴くままに質問することだ。

「それにしてもレイとんってさ」
「はい。何でしょうか?」
「牙が小さいよね」
「? 普通だと思いますけれど」

 武芸者とは何か?
 剄脈のある人間のことだ。
 剄脈とは何か?
 他の人間の血をエネルギーに変える器官のことだ。
 普通の状態でも、それなり以上には強力なのが武芸者だが、吸血行為をした後にこそその真価が発揮される。
 幼なじみの武芸者であるナルキでさえ、吸血した後はもう人間とは思えない膂力を発揮するのだ。
 軽々と十メイル以上跳躍したり、鉄筋コンクリートの壁を指先一つで破壊して見せたりと、それはもうとんでもない生き物に変化してしまうのだ。
 そして、吸血行為のために有るのが犬歯が変化した牙。
 別段、牙の大きさが武芸者の優秀さと関係ある訳ではないのだが、それでも大きいに越したことはないと思うのだ。
 実際、ナルキの牙は常に唇を割って出ている。
 普通の食事をする時に邪魔になるほどではないが、ミィフィが知っている武芸者の中では比較的大きい。
 それに比べてレイフォンは、外見からでは武芸者だとは分からないほど小さいのだ。
 だが、油断してはいけない。
 もしかしたら、いたしてしまう時だけニョッキリと伸びてくるのかも知れない。
 それはそれで少々怖い。
 ぼんやりしている外見とは裏腹に、今までのミィフィの常識をぶち壊してくれている変質者だ。
 どんな事があっても不思議ではない。

「そもそも、牙は効率よく皮膚を破るための道具ですから」
「自分の身体なのに道具かい!」
「大きさはあまり大きくない方が使い勝手が良いですよ」

 突っ込みを見事にスルーされてしまった。
 やはり単なる変質者ではないようだ。
 変態的な変質者に違いない。

「今とても酷いことが決定されたような気がしましたが?」
「気のせいだから気にしないで」

 やたらに勘が鋭いのも困った物だ。
 そしてふと不思議に思う。
 メイシェンだ
 引っ込み思案で人見知りが激しく、怯える小動物であるはずのメイシェンが、何故かレイフォン相手には普通に話せているのだ。
 これはやはり異常事態だ。
 そしてもう一つ。
 レイフォンの喋り方が非常に丁寧であることも、かなり特出すべき現象に違いない。
 これは、全力を挙げて吊し上げてネチネチと調べる必要がありそうだ。
 そう決意したミィフィは、最後に残った茄子の串焼きを確保して夕食会を終えることにした。




[18444] B B R その二
Name: 粒子案◆a2a463f2 ID:97102e9f
Date: 2011/01/07 22:00
 
 生徒会長であるカリアンは、少々困っていた。
 何に困っていたのかと問われるのならば、それはもちろんレイフォンの事だ。
 あちこちからの情報をかき集めたところ、第十七小隊には入らなかったらしいことが判明。
 転科自体には応じてくれたので、そこから先のことを何も話していなかったのはカリアンの落ち度と言って良いだろう。
 確かに、レイフォン一人いれば武芸大会はほぼ確実に勝てる。
 それは分かっているのではあるのだが、ならばついでに小隊に入ってくれても良いではないかと考えるのは、少々傲慢なのだろうか?
 そう言えば、武芸長であるヴァンゼが、何故かレイフォンを強引に転科させる事に強硬に反対していた。
 最終的にはカリアンが押し切ったのだが、今までにない勢いでヴァンゼが反対したのは非常に印象に残っている。
 印象に残っていると言えば、五年前。
 カリアンがツェルニに来る途中で立ち寄ったグレンダン。
 武芸の本場として名高いかの都市は、カリアンが滞在していた短い時間の間にも、いくつもの試合が執り行われていた。
 その中で最も大々的に宣伝され、最も大きな会場で開かれ、グレンダン中の注目の的となっていたのが、天剣争奪戦と呼ばれる一試合だった。
 そこで見た光景を忘れることは、カリアンには出来ない。
 まさに脂ののりきった年頃の巨漢の武芸者を相手に、その身体に不釣り合いな巨大な刀を持った少年が立ち向かい、瞬く間に勝ってしまったのだ。
 試合時間の短さは、観客にとって殆ど意味はなかった。
 熱狂的な拍手と歓声が、その少年、レイフォンへと送られた。
 彼は既に相当の人気を獲得しているようだった。

「?」

 そこでカリアンは、あまりにも凄まじい違和感に襲われた。
 五年前には感じなかった違和感だ。
 だが、その違和感の正体が皆目分からない。
 分からない物をそのままにしておくことはよろしくないので、徹底的に検証するために、よくよく思い出してみる。
 闘技場の中央に立ち、巨大な刀を担ぐようにして対戦相手を待つレイフォン。
 全く問題無い。
 そして、巨大な戦斧を持って現れる対戦相手の表情には、緊張と何よりも興奮があった。
 その姿は、憧れのアイドルと握手出来ることを喜ぶ、若者のようにも見えた。

「・・・・・・・」

 ここが違和感だ。
 何故憧れのアイドルと握手出来る若者のような表情を、対戦相手は浮かべていたのだろうか?
 そして、何故あれほどの人気をレイフォンはすでに獲得していたのだろうか?
 違和感の正体に気が付いたカリアンの中には、更なる疑問の荒波が押し寄せてきていた。
 だが、この疑問についての答えを出すことは、当面カリアンには出来ない。
 グレンダンに調査の依頼を出してその答えが返ってくるのを待たなければならないのだ。
 それだけの時間はない。
 なぜならば、元天剣授受者であるレイフォンが、もうすぐここにやってくるからだ。
 レイフォンには色々と聞きたいことがあるし、交渉しなければならないこともある。
 過去の疑問について頭と時間を費やしている余裕はないのだ。
 取り敢えずの整理を付けたところで、時間通りに生徒会長室の扉がノックされ、レイフォン本人がやってきた。
 その姿は何時も通りで全く緊張していないし、何よりもこの部屋からの威圧感を感じていないようだ。
 予想していた人物像と余りにも違いすぎる反面、奨学金の話をした途端に転科に応じたという資料通りの反応もしているのだ。
 だが、その予測に使った資料についても、かなり色々と問題がある。
 複数のルートを通して調べたのだが、内容が微妙に一致しないのだ。
 いや。微妙と言うには明らかに大きすぎる誤差も含まれている。
 これを放置しておく事は出来ないのだが、追加調査の報告はまだ来ていない。
 放浪バスも寄りつかないグレンダンという都市が、全ての元凶となっているのだ。
 そんな事情を含めて、色々と謎が深まってしまっているが、それも今からの話し合いで解決するだろう。

「済まないね忙しいところ」
「いえ。機関清掃がない日を選んで頂いたようですし」

 既に戦闘は始まっている。
 錬金鋼や剄は飛び交わないが、意志と意地と言葉による戦いが始まっているのだ。
 一瞬たりとも気を緩めることは出来ない。

「まず始めに聞きたいことがあるのだよ」
「小隊に入らなかったことですね」
「そう。そこが分からなくてね。いや。私もその辺のことをきちんと話さなかったのは悪いと思っているのだけれどね」

 協力を得なければならないのだ。
 ならば、出来るだけ情報を開示し状況を理解してもらわなければならないのだ。
 だと言うのに、カリアンは手を抜いてしまった。
 これは明らかな落ち度であり、まず始めに責任者が責任を取らなければならないのだ。

「僕は小隊には入りませんよ」
「そこを曲げて頼めないかね?」
「駄目です」

 即座に拒絶の意志を明らかにされた。
 これほどはっきりと言われることは予想していなかったので、若干引いてしまった。
 だが、ここで折れてしまってはいけない。
 ツェルニに残されたセルニウム鉱山はあと一つ。
 次の武芸大会には是が非でも勝たなければならないのだ。
 この危機的状況の中飛び込んできたのが、グレンダンの元天剣授受者レイフォン・アルセイフだ。
 これこそ天の恵み。
 九死に一生。
 飛びつかないなどと言う選択肢は存在していないのだ。
 そして、レイフォンを最大限有効に使うために小隊に入れることが最も有効だと判断した。
 だが。

「僕が直接戦うのは犯則と言うよりは、犯罪行為です」
「犯罪かね?」
「ええ。アマチュアの試合にプロが出場するなんて物じゃありません」

 確かにそうだとは思う。
 武芸の本場と言われるグレンダンで、最強の十二人に数えられたレイフォンだ。
 赤ん坊の喧嘩にプロの格闘家が割って入るような物だろう。
 確かに犯罪的ではある。
 だが、それでも。

「僕が武芸科に転科したのは、奨学金もありますけれどツェルニが無くなっては困ると思ったのも事実です」
「ならば」

 言葉を差し挟もうとしたが、レイフォンの手が上がりカリアンを制止する。
 そして、思いもよらなかったことを平然と言ってのけた。

「僕がツェルニ武芸者を強くしますよ」
「? 良く分からないのだが」
「つまりですね。僕が教官をやって目的を達成するというのです」

 一般的には、上達するためには腕の良い人間の元で修行することの方が効率がよいとされている。
 それは武芸も同じだろう。
 ならば、レイフォンが教官になるという提案は、ツェルニ武芸者にとって喜ばしいことだと思うのだが。

「そのためには、強いと言う事を知らしめる必要があると思うのだが」

 自分よりも弱いかも知れない人間の下で学ぶなどと言うことは、とうていツェルニ武芸者に出来るはずはない。
 グレンダンだったら必要はなかった。
 天剣授受者と言うだけで、誰もがレイフォンの下で学ぶことを望んだだろうから。
 当然ツェルニは違う。
 グレンダン出身のゴルネオは例外中の例外だ。

「ええ。ですから、デモンストレーションは必要でしょう」
「誰かと戦うのかね?」
「ええ。小隊員全員と」

 絶句する。
 小隊員全員と言えば、どう少なく見積もっても百名はいる。
 その全員と戦って勝つと言っているようにしか見えない。
 そしてそれはきっと間違いないのだろう。
 だが、負けた小隊員の誇りはボロボロになってしまう。
 それはそれで困ったことになる。

「ですから、僕は武芸科にいても良いですが、小隊に入ってはいけないのです」

 話が進んでしまったが、やっと理解出来た。
 レイフォンほどの実力者が第十七小隊に入ったなら、そこには不要な感情が表れてしまう。
 嫉妬や羨望、ねたみやそねみ。
 そんな不の感情が、勧誘したニーナとそれを後押ししたカリアンに向けられるだろう。
 それはツェルニの運営上良くないことではある。
 それは納得できたので、少々違う方向から話を持って行く事にした。

「彼らの誇りにも配慮して欲しいのだけれどね」
「必要有りません」

 一刀両断だった。
 それがレイフォンの生きてきた世界だと言うことは理解しているが、それでも色々と問題が有る。

「実力のない武芸者が誇りを持つこと自体間違いです」
「・・・・・・・・」

 交渉の余地がなかった。
 カリアンがどうにか出来る世界ではないのだ。
 実力のない人間はただひたすらにないがしろにされる。
 それが武芸者の世界なのだと理解させられた。
 普段穏和な空気を纏っているレイフォンが、凄まじく鋭くなっているのを理解してしまったから。
 それはもしかしたら、グレンダンという地獄を生きてきて会得した物に由来しているのかも知れない。
 弱い者から死んで行く戦場で生き残るためには、強くならなければならない。
 そのために不必要な物は全て切り捨てなければならないと。

「わかったよ。恐らく君の言う通りなのだろうね」

 言外に納得していないと言っているのだが、恐らくこの程度で揺らぐことはないだろうと思っていたのだが、その通り小揺るぎもしなかった。
 小さく溜息をつき、小隊員をなぶり者にするための準備、その日程などの話し合いに突入した。
 とても気が重いが、やらなければならないのだ。

「それとですが」
「なんだい?」

 一通りの話が終わったところで、レイフォンの待とう空気が和らいだような気がして、一瞬油断してしまった。
 それが間違いだった。

「覚悟のない人を戦場に駆り出すのはどうかと思いますよ」
「・・・・・。フェリのことだね」
「ええ」

 レイフォンは理解していないようだ。
 武芸者の世界をカリアンが理解していなかったように、レイフォンは一般都市という物を理解していないのだ。
 グレンダンのように、年中汚染獣と戦っているような都市ならば、生きるために武芸者や念威繰者は戦うことを前提に育つ。
 だが、一般都市でそれを実行出来ているところなど殆ど無いだろう。
 サントブルグもしかり。
 カリアンが自らの目で見た訳ではないが、フェリも一度実戦を経験したために、自分のあり方に疑問を持ってしまったのだ。

「覚悟を持って出撃した武芸者でも、実戦を経験したために心の傷を持ってしまう者は多いです」
「フェリは既に持ってしまっているのだよ」

 その傷を癒すためにもツェルニに留学しているのだが、現状その目的が達成されているとはとても言えない。
 と言うよりは、はっきり言って悪化していると言っても良いくらいだ。
 原因は当然カリアンが無理矢理転科させたからに他ならず。

「・・・・・。一回死んでみますか?」

 とても凄まじい笑顔で提案された。
 当然の反応だが、今のレイフォンならばカリアンなんぞ本当に殺しかねない。
 だが、ここで死んで良いという訳ではないのだ。
 ツェルニの危機を遠ざけて、無事にサントブルグへと帰らなければならない。

「ツェルニの危機が去ったら私は手を引くとここに約束しよう」
「破ったら、サントブルグごと滅ぼしますよ」

 逃げても追うと宣言しているレイフォンの目は、完璧に本気だった。
 だが、カリアンとしてもフェリをこのままにしておくつもりはないのだ。
 心の傷を抱えたままサントブルグへと帰ったのでは、フェリの人生は暗い物になってしまう。
 それも理解しているからこそ、全力で同意した。
 
 
 
 B B R
 
 
 
 二時間近くに及ぶカリアンとの戦いを終えたレイフォンは、少々の疲労を引きずって帰路につこうとしていた。
 既にツェルニの空は日が傾き、闇が都市を支配下に置こうと侵略を続けているところだ。
 帰路を急ぐ者達や、これから遊びに行こうとする若者達で、それなり以上に道は混んでいるが、レイフォンはこれからの予定を全く持っていなかった。
 そんな一日の終わりを告げる世界はしかし、騒動によってしか報いる術はないと声高に主張しているようだった。

「シャァァァァァァ」
「う、うわ!」

 いきなりだった。
 間合いの計り合いも宣戦布告もなく、突如としてレイフォンの横から紅玉錬金鋼の槍が飛び出してきたのだ。
 赤毛で小柄な生き物も一緒だ。
 威嚇とも景気づけとも付かない叫びを上げつつ、槍の連続攻撃がレイフォンを襲う。
 寸前まで殺気や気配は感じなかった。
 これだけで十分にレイフォンを驚かせて、一瞬だけ動きが鈍くなった。
 そして、ここは大通りのど真ん中だ。
 周り中に人がいるので回避行動は非常な制限を受ける。
 下手な方向に避けたら非常に傍迷惑なことになる。
 と言う事で、動揺を強引に沈めたレイフォンは、最小限の動きで槍の攻撃を回避しつつ、どうしても危険な物は金剛剄で弾いて避難が完了するのを待つ。
 何が起こっているのかはレイフォンを含めて誰にも分からないのだろうが、危険だと言う事だけはきっちり分かっているようで、悲鳴を上げつつ四方八方に逃げて行く人達を確認する。
 転んだ人はいるようだが、大怪我をした人はいないようだ。
 一安心だ。

「シャァァァァァ」

 レイフォンがそんな安心をしている間にも、赤毛な生き物に変化が起こっていた。
 活剄の密度が徐々に上がっているようで、その攻撃は激しさを増して行く。
 グレンダンの武芸者でも経験が浅ければ、既にかなりの深手を負っているかも知れない。
 とは言え、攻撃自体は激しいのだが、単調になりやすく大振りな物も多い。
 これでは、熟達した武芸者相手にはただのかもだ。
 そしてなにより、剄の制御に何か問題を抱えているようで、動きに鋭さや切れがない。
 そんな攻撃が命中するようでは天剣授受者にはなれないのだ。
 初檄は危険だったが、それを乗り切ってしまった今はかなり余裕が有る。

「はいはい。よく頑張りましたね」

 隙を突いて槍の間合いの内側に入り込み、赤毛な生き物の頭を撫でてあげた。
 当然のことではあるのだが、更に激昂してしまった。
 だが、槍の間合いの内側に入り込んだレイフォンに対して、有効な攻撃を放つことは出来ないようで、必死に距離を離そうとしているようだがそれを許すことなど無いのだ。
 後退を埋めるために前進しつつ質問を放つ。

「ところで、ゴルネオさんの頭にいた人ですよね?」
「そうだ。シャンテだ!!」

 やっと赤毛の生き物の名前が分かった。
 これはかなりの前進だと言えるだろう。
 だが、思い返してみればゴルネオがシャンテという名前を言っていたような気がする。
 すっかり忘れていた。
 サイドステップを踏んだシャンテに合わせて、レイフォンも軽く移動する。

「ゴルを苦しめるお前は敵だ」
「僕がゴルネオさんを苦しめているんですか?」
「そうだ。だからここで殺す!!」

 はて。
 レイフォンが、ゴルネオを苦しめているだろうかと考える。
 夕食三回分をたかったのは、経済的に苦しめていると言えないことはない。
 だが、それで命を狙われるというのはかなり割に合わない。
 他に何か原因があるだろうかと考える。
 グレンダンでのことが、ゴルネオを苦しめているというのはあるだろうが、彼に責任がある訳ではないしレイフォンにはどうしようもないことだ。
 今ひとつシャンテの行動原理が理解出来ない。

「困りましたね」
「困ってないで死ね!!」

 活剄だけならさほど問題はないだろうが、化錬剄まで使いそうな勢いで攻撃をしてくるシャンテを認識。
 ここでそんなことをされたら被害甚大だ。
 何とか被害が出ないところに誘導しなければならない。
 思考する事二秒。
 レイフォンから距離を離して取り敢えず逃げることにした。

「あああ! 逃げないで死ね!!」
「死ぬのは嫌なので逃げます」

 シャンテをあまり引き離さないように注意しつつ、外苑部へ向かってビルの上を飛ぶ。
 飛びながらも考える。
 ゴルネオは何についてそれ程苦しんでいるのだろうかと。
 さっぱり思い浮かばない。
 しかし、一途な感じのするシャンテが町中でレイフォンを攻撃してきたのだから、それなり以上の理由があるのは間違いない。
 勘違いという確率も十分に考慮に入れる必要があると、外苑部に到着した辺りで思いついた。
 これは、何とか穏便に済ませてゴルネオからきちんと説明してもらわなければならない。
 方針が決まったので、レイフォンは外苑部を延々と走り続けることにした。
 疲れてシャンテが動けなくなるまでの辛抱だ。
 そう決意した矢先、シャンテから声が掛かった。

「臆病者! 待て!」
「はい」
「う、うわ!」

 逃げている最中に待てと言われたので、空中で衝剄を前方に放つ反動を使って急停止。
 その脇を高速で突き進んで行くシャンテ。
 待てと言っておきながら追い越すとは、少々失礼な人だと思いつつも、新たな進路を探すレイフォン。

「逃げている時に待てと言われて待つ人間がいるか!!」
「ここに一人はいますよ」

 自分で待てと言っておいてこの態度は少々頂けないが、それもまあ仕方が無い。
 実際に待つ人間などそうそういるものでは無いのだから。

「ええい! 待ってないで死ねよ!」
「それは嫌ですねぇ」

 そう言いつつ活剄を動員してシャンテの脇を高速で通過。
 当然、そんな事になるとは思っていないんで反応が決定的に遅れるシャンテ。

「シャァァァァァア!!」

 今までにない猛々しい声を上げてレイフォンの追跡を再開する。
 だが、一度落とした活剄を再び上げるのに苦労しているようだ。
 これなら楽勝だ。
 多めに見積もっても三日有れば十分だろうと計算している。
 剄量が多いシャンテだが、その制御が甘すぎるのが今回は巧妙となっているのは非常な皮肉だろう。
 
 
 
 B B R
 
 
 
 だが計算が狂った。
 三日ほどかかると思っていたのだが、事態はあまりにも急激に変化してしまった。
 外苑部を回ること三時間半。
 高速移動するために、かなり外苑部のぎりぎりを走っていたのだが、そのコースの前方やや横に何かがあることを発見。
 前ここを通った時にはなかったので、活剄を動員してそれが何かを確かめてみる。
 メイシェン・トリンデンだ。
 野外用の携帯ガスコンロが台の上に乗せられている。
 その上には巨大な鍋らしき物が乗っている。
 更に活剄を動員して嗅覚も強化。
 トマトと鶏肉の煮える匂いがした。
 芋とにんじんと少量のニンニクも一緒に煮られているようだ。
 とても良い匂いだ。
 いや。猛烈に良い匂いだ。
 思わず腹の虫がなった。
 考えてみれば今日は昼食を摂ったきりで、空腹を覚えない方がおかしい時間ではある。
 だが問題はやはりシャンテだ。
 一撃で撃退することは出来るのだが、それをやってしまったらゴルネオに悪いような気がするのだ。
 認識してしまった空腹とシャンテという敵を前に、更に戦いが続くかと思ったのだが。

「?」

 後方からなにやら猛獣の唸り声のような物が聞こえて来た。
 シャンテの鬨の声ではない。
 もっと低くくぐもった、まさに唸り声と呼ぶのに相応しい音だった。
 慎重にコースを維持しつつ振り返ると、メイシェンの方を注視しているシャンテが見えた。
 どうやら彼女も空腹であるようだ。
 ならば話は簡単だ。
 徐々に速度を落としつつ外苑部を回る。
 シャンテもそれに合わせるように、距離を詰めることなく速度を落とす。
 一周してメイシェンの前に来る頃には、普通に走っているのと変わらない速度となっていた。
 空腹には勝てないようだ。

「ご飯にしませんか?」
「お前の指図は受けない!」
「でも、お腹すきましたよね?」
「・・・・・。シャンテの勝手だ!」

 どうやらレイフォンの言う事は絶対に聞かないと決めているようだ。
 これは少々問題かも知れない。
 だが、答えまでの沈黙が迷いを表している。
 だからレイフォンは、メイシェンが料理をしている前で完全に足を止めた。
 急制動をかけてしまったら、埃が鍋の中に入ってしまうかも知れないと思い、慎重の上にも慎重を重ねて停止したのだ。
 それはシャンテも同じだったようで、よだれを垂らさんばかりの勢いでメイシェンの前で止まる。
 と言うか、レイフォンの事など眼中にない様子だ。
 となれば当然。

「捕まえたぞシャンテ!」
「にゃっ!!」

 満を持して待ち構えていたゴルネオに囚われてしまった。
 なにやら粘着質の細い糸で絡め取られ、食欲と驚きと興奮と、その他色々な物がないまぜになった表情で、暴れるシャンテだったが当然そんな物でどうにかなる罠ではない。
 そもそも、こんなところでメイシェンが料理をしていることから疑わなければならないのだが、そこまで頭が回らなかったようだ。
 野生動物並の本能を持っているのに、あっさりと罠に掛かってしまうシャンテの将来に、かなり深刻な懸念を抱いてしまったが、それも後で考えることにした。

「こんばんはメイシェン」
「こんばんはレイとん」

 取り敢えず挨拶をする。
 そして、メイシェンの後ろにナルキとミィフィがいることを確認。
 経緯を推測するとこうなる。
 ミィフィかナルキがレイフォンが襲われているところを目撃。
 その特色溢れる外見から、保護者であるゴルネオに話を持って行った。
 野生動物を捕らえるには罠だと判断したゴルネオ主導の元、メイシェンが料理をして捕獲と相成った。
 非常に分かりやすい経緯と結末だ。

「重ね重ねのご無礼、もはやこの罪、死のみで償え」
「いやいや。死ななくて良いですから」

 どうもゴルネオは何か勘違いしているようだと、やっと気が付いた。
 恐らく、グレンダンの出来事を自分の責任だと感じているのだろうと思う。
 偶然ツェルニにレイフォンが来たことで、その罪の意識に明確な方向性が出来てしまったのだろう。
 これを何とかしなければ、ツェルニでの安息が無くなってしまう。

「昨日も言いましたけれど、僕はゴルネオさんに危害を加えるつもりはありませんし、あのことで攻めるつもりもありませんよ」
「し、しかし」
「貴方には関係のないところで起こった事です。気にするなとは言いませんけれど、罪の意識にさいなまれる必要もありません」

 こんなことを言ってもゴルネオが納得するとは思えないが、言わなければならないとも思っている。
 それよりも何よりも。

「取り敢えず食事にしませんか?」
「し、しかし」
「お腹すきませんか?」
「・・・・・・・・・・・・。すきました」

 やっとの事で自体が動いた。
 皿に盛りつけられるトマトシチューは、食欲をそそるという以上に凄まじい魔力を秘めていた。
 それはもう、これを食べなければいけないと思えるほどに凄まじい破壊力だったのだ。

「お、美味しそうですね」
「はい。急いで作ったので余り自信がありませんが」
「そんな事ありませんとも。久しぶりに人間らしい食事が出来る」

 考えてみれば、最近レイフォンは自分の作った物しか食べていない。
 それは実際問題あまり美味しくなかったのだ。
 誰か他の人と一緒に食べるのも、ずいぶんと久しぶりな気がするし、何よりも空腹を抱えているのだ。
 これで美味しくないなどと言う事はないと、期待に胸弾ませてスプーンを手に取った。
 そこでふと人間らしくない生き物のことを思い出した。
 粘着質の糸から何とか逃げだそうともがきつつ、シチューの皿に殺意のこもった視線を向けているシャンテだった。
 ここでレイフォンが食べたのならば、今日の鬼ごっこなどお遊戯にしか見えないほどの、凄まじい死闘が始まることだろう。

「ゴルネオさん」
「・・・・・・。致し方有りません」

 渋々といった感じで、シャンテを拘束している糸を切断するゴルネオ。
 その次の瞬間、レイフォンでさえ捉えきれない速度でシャンテが移動。

「ひゃっ!!」

 メイシェンの悲鳴が響いた時には、一杯目の皿が空になっていた。
 かなり熱かったはずのシチューをどうやってそれ程の速度で食べたのか分からない。
 と言うか、普通ならば確実に口の中を火傷している。

「凄いですね」
「・・・・・・・・・・・・・・。はい」

 ゴルネオでさえ驚いているのだ。
 レイフォンを含めた四人が驚かないなどと言うことはない。
 呆然と見詰めている間に、鍋の中のシチューが猛烈な勢いで減って行く。
 油断していたら食べ損ねてしまうことに、やっと気が付いた。

「急がないと!」
「そ、そうだ! 私達も戦わないと!!」

 レイフォンの声で現実に復帰したミィフィが、ブキを手に戦場へと踏み行った。
 はっきり言って、武芸者でもないのに凄まじい速度だった。
 もしかしたらナルキなら追い越せるかも知れないと言うくらいに、凄まじい速度だった。

「シャァァァァ」
「にゃぁぁぁぁぁ」

 何故かシャンテと張り合って鬨の声を上げつつ、シチューを掻き込むミィフィ。
 こちらも野性に返ってしまっているようだ。
 ここはもう人間が戦える場所ではなくなっているのかも知れない。
 そこで再び時間が止まってしまったようで、気が付けばシチューが殆ど無くなっていた。

「これは恐ろしい」

 食べ物の恨みは恐ろしいと言うが、目の前で展開されている食事はあまりにも恐ろしかった。
 と言うか、結局一杯しか食べられなかった。

「シャンテ」
「にゃ?」

 満足そうに毛繕いをしそうな赤毛猫の襟首を、ゴルネオが引っ掴む。
 流石に食べている時は怖すぎて近づけなかったようだ。
 気持ちは十分に理解出来るし、共感も出来る。

「諸々の罰として、一週間のお菓子お預けだ」
「にゃっ!!」

 その言葉があまりにも衝撃だったのか、いきなり動きが止まるシャンテ。
 唐突というか、急激な変化に、四人で動きが止まってしまう。
 だが、これは同情することは出来ない。
 食べ物の恨みは恐ろしいのだ。
 だが、それで納得出来ない人間もいる訳で。

「うわぁぁぁぁぁぁん」

 動きを再開したシャンテが何を思ったのか、ゴルネオを蹴った反動で脱出し、泣きながらメイシェンに抱きつく。
 小柄なメイシェンだが、それでもシャンテよりは身長がある。
 と言う事で、抱き留める格好となった。

「ひゃ? あう? きゅ?」

 あまりの突然の事態に完全に混乱してしまうメイシェン。
 そして、レイフォンが何かするよりも早く。

「ゴルが虐めるぅぅぅぅ」

 なんだか非常に納得の行かない展開になりつつある。
 それは見ているナルキも同じようで、視線が少々厳しい。

「シャンテ。いい加減にするんだ」

 見かねたゴルネオが首根っこを改めて引っ掴み、強引に持ち上げる。
 ついでに持ち上がるメイシェン。
 痛がっていないところを見ると、それなりに気を遣って抱きついているようではある。
 芸が細かいというべきかどうか、少し迷うところだ。

「ゴルが! ゴルがシャンテを餓死させようとするぅぅぅ」

 お前はお菓子だけ食べて生きていたのかという突っ込みをしたいところだが、肯定の返答があったら怖いので素通りすることにした。
 まあ、つい今し方シチューを食べていたから、違うと思うのだが。
 そして、空中でじたばたと可愛らしく暴れているメイシェンの表情が、やや苦しげになってきていることに気が付いた。
 痛くはないのだろうが、やはり苦しいようではある。
 ナルキと目配せを交わす。
 レイフォンがシャンテの脇の下に指先を這わせる。

「っにゃ!!」

 これは溜まらず、メイシェンを拘束している力が抜けた。
 その隙を見逃すことなく、ナルキがメイシェンを奪還。
 軽くなったシャンテを更に持ち上げるゴルネオ。
 全ては瞬き一つする間に起こった。
 暴れるシャンテだったが、ゴルネオに首根っこを持たれていてはどうすることも出来ないようだ。
 これで一息つくことが出来る。

「重ね重ねの」
「死ななくて良いですからね」
「申し訳ありません」

 さてと呼吸を整える。
 流石に異常事態の連続で、レイフォンにもかなりのダメージが蓄積していたようだ。
 物理的な戦闘には無茶苦茶強いのだが、精神的な攻撃には極めて弱いのは天剣時代から全く変わっていない。
 未熟さを再確認しつつ、気になっていたことを訪ねることにした。

「何かあったのですか?」

 昨日のことは兎も角として、今日のゴルネオは非常におかしかった。
 レイフォンに失礼なことをしたら、即座に首が飛ぶと確信しているような雰囲気がある。
 そんなつもりはないと言っているレイフォンの言葉が届かないほどには、追い詰められているようなのだ。

「実は昨夜、兄から手紙が参りまして」
「サヴァリスさんからですか?」

 天剣最凶を唄われ、バトルジャンキーとか戦闘狂とか、熱狂的戦闘愛好家とか言われている人物だ。
 何かゴルネオに言って来ても何ら不思議はないと思う反面、弟がいることを忘れている節のあるサヴァリスが何かするとは思えないという予測もある。

「ヴォルフシュテイン卿に何かあったら、天剣授受者になるまで鍛えてやると」
「・・・・・・。無茶な」

 天剣授受者とは人外中の人外だ。
 異常者中の異常者だ。
 なろうと思ってなれるものでは無い。
 だからこそ十二人天剣がそろったことなど殆ど無く、席が埋まったことこそが異常事態なのだと言える。
 そして何よりも、サヴァリス自身が言っていたのだ。
 天剣授受者になる人間は、そうなるように生まれてきたのだと。
 何処に生まれようと年齢がいくつだろうと関係ない。
 なるべき人間がなるのが天剣授受者なのだと。
 それを確信しているサヴァリスがゴルネオを鍛えると言う事は、それはつまり、合法的な虐めであり虐殺なのだ。
 ならば必要以上のゴルネオの慎重さも理解出来ようという物だ。

「まったく。サヴァリスさんには僕から手紙を出しておきますから、普通に接して下さい」
「し、しかし」

 サヴァリスのことが無くても、最終的にはやはり遠慮があるのだろう。
 それはある程度理解出来る。
 出来るのだが。

「僕はもうヴォルフシュテインではありませんし、グレンダンに帰るつもりもありませんから」
「そう言われましても」

 この辺強情というか頑固なのは理解しているので、少しずつ慣れていってもらうしかない。
 五年生が一年生に頭を下げ続けるのは、あまりにも異常で帰って目立ってしまうのだ。
 それはそれで平穏な生活が遠ざかってしまう。
 そう。例えばお腹が一杯になったので好奇心を満足させたいと、とても興味津々な瞳でこちらを見ている茶髪ツインテールの少女とか。
 視線は感じていたのだが、今はもうとんでもなく凄まじい圧力を感じている。
 恐る恐ると振り返る。
 それはもう、老性六期なんかと戦う方が遙かに楽だと思えるほどの、凄まじい緊張感と共にだ。

「レイとん」
「あ、あう」

 思わずメイシェンの様なことを口走りつつ、少しずつ後ずさる。
 逃げても何も変わらないと言う事は分かっているが、それでも腰が引けてしまうのだ。

「済まないが。ヴォルフシュテイン卿については」
「貴方のその呼び方と、僕に対する態度が全ての元凶だと思うのですが」
「う、うを!!」

 今まで気が付かなかったのか、衝撃と驚愕に打ちひしがれるゴルネオ。
 まあ、グレンダン出身者ならば当然だし、ゴルネオは更に極端になってしまうのは間違いない。
 そして、ゴルネオの衝撃と驚愕の弾みにシャンテが零れ落ちる。
 だが、今のところレイフォンに襲いかかるという選択肢は持っていないようだ。
 これだけはありがたい。

「色々あったんですよグレンダンで」

 何とか詳しいことを話さずに済ませたいのだ。
 本格的にツェルニでの生活に支障が出てしまう。

「ふむ。まあ今は良いけどね」
「・・・・。今だけですか?」
「だって、同級生の正体とか色々と気になるじゃない」
「別に隠すほどのことは・・・・・。沢山ありますねぇ」

 知られたくない過去と話したくない過去で、レイフォンの右に出る人間は殆どいない。
 あまり自慢にならないことではあるのだが、まあ、これもレイフォンという人間の一部なので仕方が無い。
 だが、さしあたってもう一つ確認しなければならないことがあるのだ。

「ゴルネオさん」
「聞かないで頂きたい」
「シャンテさんって」
「お願いですヴォルフシュテイン卿」

 ゴルネオと仲が良いことから、どう考えても昨日今日の付き合いではないはずだ。
 ならば明らかに二年生以上。
 そうなるとシャンテの年齢は二十歳に近いはずだというのに。

「五歳児並ですね」
「出生に色々とありまして」

 生まれた艦橋のせいで子供っぽい人と言うのは割と知っているが、野性的だというのは始めて出会った。
 出来ればきっちり聞いてこれからの対策を立てておきたいのだが、強引に聞くのはゴルネオとの関係が悪化しかねない。
 それはあまり好ましくないことなので、この場は引き下がることにした。
 それに、カリアンと戦ったりシャンテと鬼ごっこをしたりと、いい加減疲れているのも事実だ。

「取り敢えず今日は帰って寝ましょうか」
「はい」

 ゴルネオがシャンテを持ち上げ、ヨルテムからの三人組も帰宅するための準備を始めた。
 鍋やコンロなどは当然レイフォンが持って行くことになったが、あまり食べられなかったとは言えシチューの代金として考えれば、ずいぶんと割安なので問題無い。
 だが思う。
 明日からの生活はどうか平穏であって欲しいと。
 
 
 
 B B R
 
 
 
 ミィフィの朝はたいがいにおいて遅い。
 夜遅くまで遊んでいるという訳ではないのだが、何しろ朝食を作ってくれる人が近くにいるために、ギリギリまで寝ていられるのだ。
 これで早起きをする人間がいるならば、是非とも会ってみたいと思っている。
 そして、ギリギリまで寝ていたせいで朝食を全力で食べた後に、三人そろって全力疾走で校舎に向かうというのが、入学三日目にして既に確定した朝の風景となっていた。
 当然、運動が決定的に苦手なメイシェンに全力疾走など出来るはずもなく、ナルキが抱えるようにして走る。
 だが、今日は少し事情が違っていた。
 信じられないほど清々しい笑顔と共に、それは現れた。

「皆さんおはよう御座います。良い朝ですね」

 朗らかに笑いつつ、ミィフィ達に併走するのは正体不明の武芸者こと、レイフォン・アルセイフその人だ。
 ヴォルフシュテインなどと言う偉そうな称号だか爵位だか地位だかを持っていたらしい人物だ。
 とてもそうは見えないが、ゴルネオ・ルッケンスというツェルニで知らぬ者のいない、超有名人があれだけ平伏しているのだから、相当に凄い人物に違いないとミィフィは睨んでいる。
 睨んでいるからと言って、何か出来る訳ではないのが記者の悲しい性だ。
 流石にグレンダンに行って調べるという事は出来ないし、何か犯罪をでっち上げて尋問するという事も出来ない。
 全くこの世はままならないと思っていると、何時の間にか話が進んでしまっていた。

「お昼ですか?」
「はい。昨日のシチューはあまり食べられなかったと思ったので」
「猫が二匹で食べ散らかしたからな」

 武芸者で大食らいのナルキの視線が少しきつい。
 美味しく食べて欲しいと思っているメイシェンの視線も、当然のごとくきつい。
 比較的平静を装っているレイフォンのも、心なしか厳しい気がしている。
 ミィフィ最大の危機かも知れない。
 全員の視線がミィフィに集中していたのは、だが数秒と続かなかった。
 事態は常に流動的であり、生産的な会話は続けられるべきだからだ。

「では、ご厚意に甘えさせて頂きます」
「はい。助けて頂いたお礼もきちんと済んでいませんでしたから」
「そんな事を気になさっていたのですか? あれは当然のことをしたまでのことで、それ程気になさることはありませんよ」
「いえ。とても怖かったのを助けて頂きましたから」

 ナルキに抱えられながらでなく、何処か落ち着いた場所での会話ならば、きっと絵になったのだろうと思うのだが、どう見ても丁寧な喋り方と周りの雰囲気が一致しない。
 メイシェンの抱える巨大弁当箱の中身は、恐らくレイフォンの分も含めた豪華絢爛な昼食なのだろう。
 当然のように、ぎりぎりまで寝ていたミィフィが、その内容を知っている訳がないのだ。
 だが、その期待の昼食も遅刻という恐怖の大王の前に、激しく揺れてしまっている。
 もしかしたら、みんなごちゃ混ぜになってしまうかも知れないが、それでも速度を落とすという選択肢はない。
 今は一刻も早く教室に到着して、遅刻という地獄を回避しなければならないのだ。
 だが、ナルキやレイフォンと違い一般人であるミィフィの持久力はそろそろ限界だ。
 さっきから喋っていないのは、その余裕がないからに他ならない。
 いい加減息が上がり足がもつれてきている。

「少々失礼」
「のわ!!」

 これ以上走ることが出来ないと思われたまさにその瞬間、いきなりレイフォンの小脇に抱えられるミィフィ。
 そして、それを認識したナルキが走る速度を上げる。
 一般人という足かせが無くなったために、移動速度が跳ね上がったのだ。
 両脇に結んだ髪が、何か別な生き物のように暴れ、耳元で自分の呼吸音を凌駕する風切り音が唸りを上げる。
 これはかなり怖い。
 だが、光明を見いだしていた。
 毎朝レイフォンに抱えて運んでもらえば、もっとゆっくりと朝ご飯が食べられると。
 こっそりとほくそ笑んだのも一瞬。

「念のために言っておきますが」
「なんだねレイとん?」

 走るという運動から解放されたので、喋る余裕が出てきたミィフィが、やや苦しいがレイフォンに向かって顔を向ける。
 にこやかな微笑みと共に。

「明日からは早起きして下さいね」
「のわ!!」

 見透かされているなんてものでは無い。
 もはや心を読んでいるとしか思えないその突っ込みに、思わず視線をそらせてしまう。

「やはりそう言う魂胆でしたか」

 呟いた次の瞬間。
 目の前に迫った壁が、垂直に移動。
 3メルトルくらいはあるそれのてっぺんを、あっさりと通過。
 悲鳴を上げるまもなく着地。

「レイとん。それは反則だ」

 壁を飛び越えることが出来なかったナルキが、門を潜って運動場に侵入した。
 そしてやっとの事で、心臓が猛ダッシュを開始。
 そして気が付いた。
 ナルキよりもレイフォンが優れた武芸者であることは、当然理解していたのだが、実はもっと恐ろしいことがあるのだ。

「毎朝レイとんに抱えられて登校すると、徐々にこう言うことが多くなると言う訳か」
「理解して頂けたようで嬉しいです」

 やはりにこやかに微笑みつつ、ミィフィを降ろすレイフォン。
 一瞬足腰に力が入らずに、ふらつくが乙女と記者の意地を見せて姿勢を立て直す。
 だが、その意地を総動員しても野望は潰えてしまっているのだ。
 寮を出た次の瞬間から、ビルの上を飛んで登校するなどと言うスリリングすぎる展開は、流石に遠慮したい。

「出来る限り早起きを心がけます」
「よろしいでしょう」

 目覚まし時計の止め方が分からないからと言って、持っていた刀で一刀両断にしそうなキャラのくせに、どうやらかなり規則正しい生活を続けているようだ。
 武芸者としてはそちらの方が良いのだろうが、ミィフィ的には融通の利かない人間は、あまり好ましくない。
 賄賂とかを送って、こっそり特ダネをゲット出来る確率が減ってしまうから。

「今、とても危険なことを考えましたね」
「のわ!! わ、私の心を読んだのか!!」
「いえいえ。普通に分かりますとも」

 どうやら、思っていたよりもレイフォンは明晰な頭脳を持っているようだ。
 もしかしたら、ただ単に勘が鋭いだけかも知れないけれど。

「それで、結局小隊には入らないのか?」
「ええ。やはり面倒ごとは出来るだけ避けて通りたい物ですから」
「勧誘されて断った方が、遙かに面倒だと思うのだが」
「まあ、その辺は一時的な物でしょうから、大丈夫でしょう」

 メイシェンを降ろしたナルキとそんな会話をしつつ、校舎の方へと歩き出すレイフォン。
 やはりただ者ではないことだけがはっきりと分かった。




[18444] B B R その三
Name: 粒子案◆a2a463f2 ID:97102e9f
Date: 2011/01/07 22:00
 
 機関部で夜間の清掃作業をしていたニーナだったが、突如としてその日常が非日常となってしまっていた。
 別段何か事件があったとか言う訳ではない。
 脚の無い空飛ぶ汚染獣に出くわしたという訳でもなければ、金色に耀く雄山羊に蹂躙されたというわけでもない。
 いや。ある意味では事件に巻き込まれたと言えるかも知れない。
 通常通りに清掃作業をしていたニーナの横を、やたらと効率よく的確に、そして何よりも迅速にモップがけしている人物が通ったのだ。
 思わずそのフォームに見とれたのは、しかしほんの一瞬。
 それが小隊にスカウトしようとした少年であることに気が付いてしまったがために、ニーナの平穏は遙か彼方へと飛んで行ってしまったのだ。

「レイフォン?」
「こんばんはアントーク先輩。良い夜ですね」

 平穏が何処かへ飛んで行ってしまったニーナと違い、相手方のレイフォンは何時も通りに平穏無事な人生を送っているようだ。
 よろしくない朝や夜があるとは、全く思っていなさそうなその表情に少々苛立ちを感じる。
 いや。彼の人生などと言う物を詳しく知っているわけではないので、今の状態が平穏無事と呼べるか疑問ではあるが、茫洋とした表情と雰囲気は練武館でニーナに対した時のそれと全く同じだ。

「先輩もここで働いていたのですね」
「あ、ああ。ここは給金が良いからな。私のような金のない人間にはもってこいの場所だ」

 何とか動揺が外に出ないように苦労しつつ、レイフォンに対応する。
 小隊長となるならば、弱みを他人に見せてはいけない、などと言うつもりはないが、それでも何故か動揺している姿を見られたくなかった。
 やせ我慢なので、いつまで続くか分からないけれど、それでも始めてしまった以上、限界までやるのだ。

「それはご苦労様です」
「ああ。お前もやはり金が無いのか?」

 機関部清掃の仕事があるために、小隊員になることを拒否したのかとも思ったのだが、それはあまりにも本末転倒であるようにニーナには思える。
 ならばきっと、ニーナと同じように金が無いためにここで働いているのだろうという結論に達するのは、それ程無理のない想像だ。
 だが、現実はあまりにも非常識だった。

「はい。老後の蓄えのために」
「・・・・・・・?」

 明らかに動揺してしまった。
 そしてレイフォンをしげしげと眺める。
 勧誘の際のように、殺意を込めた視線ではない。
 むしろ珍獣を観察するような視線だっただろう。
 どう見ても少年にしか見えないレイフォンが、老後の蓄えのためにきつい仕事をする。
 ある意味ニーナの常識を打ち壊すレイフォンならば、ありな思考かも知れないと思いつつも、それでも疑問は山積している。
 疑問が山積しているという表現が正しいかどうか、それは全くどうでもいい話だが、それでもかなり深刻にレイフォンに視線を向ける。

「やはり異常に取られるのですね」
「ああ。私達が老人と呼べる年齢に達するまでには、最低限五十年は掛かるはずだからな」

 六十中盤になれば、何とか老人と呼べる外見を得られるはずだ。
 外見だけで判断して良いことではないだろうが、それでも目の前の少年が口にするには、かなり問題のある話ではある。

「同級生にもそう言われましたけれど、最終的には僕という個人の抱える問題ですので、あまりお気になさらない方がよろしいかと」
「そ、そうだな」

 金を稼ぐ目的など、人それぞれでかまいはしない。
 それが通常考えるとおかしな理由だったとしても、それを攻撃して良いというわけではないのだ。
 と思う。

「それはそれとしてだが」
「はい」

 ここでこの話題に終始してしまってはいけない。
 ニーナにとって隊員を一人確保出来るかどうかは、もはやかなりの重要度を持った課題になっているのだ。
 何しろ明日は既に対抗戦。
 このままレイフォンを迎えることが出来なければ、不戦敗という不名誉な負け方をしなければならない。
 それは断じて認められないのだ。
 認められないのだが、あまり熱くなってしまってもいけない。
 ここにはシャーニッドがいないからだ。
 つまりそれは止める人間がいないと言う事で、最悪暴力沙汰を起こしたニーナが退学処分となる危険性さえ有る。

「やはり入隊してはもらえないだろうか?」
「残念ながら」

 全くとりつく島がない。
 ニコニコと微笑みつつ、軽く手を休めている少年は、こちらの状況をしっかりと把握しているはずなのに、それに答えると言う事をするつもりがないようだ。
 老後のために金を今から稼ぐという精神構造の持ち主ならば、もしかしたら金で釣れるかも知れないとも考えたが。

「小隊に入ると色々と面倒なので、お金を積まれても入りませんよ?」
「・・・・・。駄目か」

 既に、何処かでそう言う話題が出た後だったようだ。
 これでは話のインパクトとしても不十分だ。
 ならば他に何か無いかと考える。
 だが、考えがまとまるよりも早くレイフォンの方から話を振られてしまった。

「目的は何ですか?」
「目的?」
「はい。小隊を立ち上げた、その目的です」

 言われて思い返すまでもない。
 小隊を立ち上げた目的とは、それはつまり。

「このツェルニを守るためだ」

 胸を張り堂々と言い放つ。
 ツェルニを守る、そのためにニーナは行動しているのだ。
 思い返されるのは前回の武芸大会。
 連戦連敗だった。
 特に最後の相手は恐ろしく狡猾で、こちらの防御の隙は突かれる、逆に攻撃は全て防がれると、まるで手も足も出ずに敗北してしまった。
 その時の悔しさこそが、今のニーナの原動力となっているのだ。

「なるほど。でしたら小隊を立ち上げるのは手段の一つですね」
「・・・・。そうなるな」

 確かに目的はツェルニを守ることだ。
 厳密に言えば武芸大会で勝利すると言う事なのだが、手段として考えた場合、自分の小隊を立ち上げるのが最も有効であるという結論にも達している。

「詳しくは分かりませんが、他の小隊に入ってそこで力を振るうというのは駄目なのですか?」
「・・・・。駄目だというわけではないのだが」

 駄目だというわけではない。
 だが、それでもニーナの気持ち的に自分の小隊を立ち上げて、出来る限りの努力をしたいというのがあったのだ。
 我が儘だと言われたら返す言葉がないけれど、それでもニーナはそう思っているのだ。

「なるほど。でしたら、最終的にツェルニを守ることが出来るのならば、あまり手段にこだわるべきではないと思いますが」
「それは、そうだとはおもうが」

 旗色が悪い。
 何故かレイフォンは、非常に落ち着いている。
 そして、ニーナ自身自分の小隊を立ち上げると言う事が、相当あちこちに無理を強いたという認識もある。
 最終的にカリアンが同意してくれなければ、いくらニーナが作りたいと言ってもそれはかなわなかっただろう。
 だが、ここまで無理をしておきながら、隊員がそろいませんでしたでは立つ瀬がないのだ。

「しかしだな」
「どうしても必要だというのならば、僕にこだわらずに他の方を勧誘されてはいかがですか?」
「う、うむぅ」

 ニーナは三年生だ。
 シャーニッドのような事情のある武芸者でなければ、なかなか年下の隊長に付いてくれるという物好きはいない。
 とは言え、三年生以下から選抜と言っても、そう言う将来有望な人材は既に確保されているのが基本。
 正規小隊員は七名までだが、二軍というか予備戦力というか候補は、どの小隊も抱えている。
 唯一の例外が第十七小隊だ。
 何しろついこの間結成されたばかりで、予備隊員など確保する余裕はなかったのだ。
 それを認識しているからこそ、入学式で必死になってめぼしい人材を捜していたのだ。
 そこで見つけたのが、目の前にいるレイフォンだったのだが。

「それも難しいですか」
「そうなんだ。だからレイフォン。頼む!」

 ここでもう一度、誠心誠意頭を下げる。
 臨時隊員という名目ででも、対抗戦の結果が無様な敗北でもかまわない。
 何とか正式に設立させたいのだ。
 その思いで頼み込んだのだが。

「僕は駄目ですよ」

 やはりあっさりと断られた。
 何か理由があるのか、それともただ単にゴルネオあたりに遠慮しているのか。
 それは分からないけれど、取り敢えずこれ以上話すことはないとばかりに、モップを再び動かし始めてしまった。
 ニーナも溜息をついて清掃作業へと戻る。
 流石にこれ以上は強引に過ぎる。
 だが、事態はあまり悠長にしていられない。
 今年の武芸大会で負ければ、ツェルニは穏やかな滅びへと向かってしまうのだ。
 それを何とか阻止したいと思っているニーナだが、そんな思いが突如として崩壊する。
 いきなり床が無くなったのだ。

「な、なに!!」

 実際には、床が無くなったわけではない。
 いきなり落ち込んだのだ。
 物理の法則に従って自由落下をする床が、足元に迫る。
 いや。慣性の法則とか色々絡み合ってニーナが床に追いつきつつあるのだ。
 何とか着地することに成功するが、体制は大きく崩れていた。

「どわ!!」

 更に、床が斜めにずれて行く。
 その急激な移動に全く追いつくことが出来ず、奈落の底へと落ちかけたニーナの、とっさに伸ばした手が誰かに捕まれた。

「しっかりして下さい」
「す、すまない」

 当然ここに居るのはレイフォンだけだ。
 あちこちから物の壊れる音と悲鳴が聞こえてくるが、振り子よろしく振り回されているニーナにどうこうすることは出来ない。
 こんなことは初めてだ。
 長い間ツェルニは汚染獣との戦闘や、突発的な事故などは起こさなかった。
 油断していたと言われればそれまでだが、だからと言ってこの事態に納得出来ているわけではない。

「な、なにが!」
「都震ですね」

 近くにあった手摺りにニーナを引っかけたレイフォンが、目の届く範囲内で他に助けが必要な人間がいるか確認している。
 とてつもなく余裕で冷静だ。
 一体どんな非常事態を経験したらこれほど落ち着いていられるのか、それが是非とも知りたいところだ。
 ニーナのそんな考えなどお構いなしに、都震の説明を始めてしまう。

「地盤の弱いところを歩いたりすると、たまに都市が揺れるのですけれど・・・・・」

 途中で言葉を切ったレイフォンの視線が、始めて驚きの表情を浮かべる。
 まだ揺れている身体を何とか手摺りで固定し、見ているだろう方向に視線を向けると、ニーナにとっては良く知る存在がいた。
 微かな金色に耀く童女だ。
 五歳くらいの外見を持ち、その髪は踵に届くほど長く、何時も大きな瞳に好奇心を満たしている、この都市の意識である電子精霊ツェルニ。
 だが、今は明らかに様子がおかしい。
 怖い物が足元にあるように、恐る恐ると下の方を見詰め続けている。
 その身体を小さく縮こまらせて、とても怯えていることだけがはっきりと分かった。

「最悪だ」

 小さな呟きがすぐ側で聞こえた。
 そちらを見ると、やはりレイフォンがツェルニを凝視している。
 何が起こっているかいまいち理解出来ていないと思うのだが、それでも今やらなければならないことだけははっきりしている。

「私は行く! 緊急事態だ。非常招集が掛かるかも知れないからな」

 まだ正式に結成していないとは言え、ニーナは小隊長なのだ。
 ならば武芸者としての力が、ツェルニのためになるはずだと考えたのだが、レイフォンの声はそんな物を木っ端みじんにするだけの力があった。

「ええ。緊急事態というか非常事態です」
「それは分かっている!」

 いまだに斜めになった床は復旧していない。
 ならば、相当深く足が地面に囚われたと判断して間違いない。
 この危機を脱するために、いくらでも武芸者の力は必要だろうと言う事はきっちり理解していたのだが。

「貴女は全く分かっていません」
「何がだ!」
「汚染獣が来ます」
「な、なに?」

 汚染された大地に適応した捕食者。
 レギオスに住む人々を脅かす外敵。
 それが来たとレイフォンが言う。

「馬鹿な!! レギオスは汚染獣を避けて行動しているはずだ!」
「それは地上の物だけです。それも完璧じゃない」

 ツェルニが汚染獣と遭遇しなかったのは単なる偶然ではない。
 電子精霊が細心の注意を払っていたからだ。
 だと言うのに、その恐るべき汚染獣と遭遇してしまったのだ。
 レイフォンの話を信じるならば。
 あまりのことに一瞬動きが止まってしまった。

「早くシェルターに避難しないと」

 続いた言葉に我に返る。
 シェルターに避難しろと言うのだ。
 ツェルニ武芸者の中でエリートであるはずの、ニーナに向かって。
 いや。エリートかどうかなど問題ではない。
 都市に住む武芸者に向かって逃げろと言うのだ。

「ふざけるな!!」

 憤りのままに叫ぶ。
 都市を守るために存在する武芸者が、いざその危機が来た時に逃げろと言われたのだ。
 これ以上の屈辱はない。

「お前は! 私に逃げろと言うのか! ツェルニを守るために日々鍛錬している私に向かって!!」
「あ、あのぉ」

 何故か、いきなりおどおどし出すレイフォンに向かって、軽蔑の一瞥を投げたニーナは、やっとの事で揺れが収まった壁の出っ張りを、活剄を使って強化した筋力に物を言わせて上って行く。
 もはやレイフォンを小隊員にしようとは思わない。
 いや。そんな事を考えていた自分に吐き気を覚えてさえいた。
 戦うべき時に戦わずに逃げろなどと言う、卑怯な男を部下にしようとしていたのだと。

「そんな事が出来るか!!」

 守ってみせる。
 ツェルニとそこに住む人達をこの手で。
 そう決意したニーナは、更に活剄を動員して地上を目指す。
 
 
 
 B B R
 
 
 
 ある意味都震には慣れていた。
 数年前までヨルテムは地盤の悪いところを延々と歩き続け、しょっちゅう都震が襲いかかってきていたのだ。
 そのお陰でヨルテムの建物と人は、非常に揺れに強くなってしまった。
 運動が苦手なメイシェンでさえ、揺れる床面に身体を合わせて持っていた飲み物を殆ど溢さないほどだ。
 当然ミィフィだってそのくらいは出来るのだが。

「で・・・・。何で私ばっかりこんな目に」

 ダイエットのために運動をしている最中だった。
 お風呂上がりで身体が温まっている時に、柔軟運動をしていたのだ。
 床に片方のつま先で立ち、もう片方の足を出来るだけ高く上げるという、高等技術を要する柔軟運動だった。
 その高等技術を体得したミィフィだったからこそ、いきなりの揺れに全く対応出来ずに見事に転んで舌を噛んでしまったのだ。

「・・・・。いや。お前だけじゃないから安心しろ」

 声の方向を見ると、ナルキが、頭を下にした海老ぞりになって苦悶の表情を浮かべている。
 何かの筋トレの最中だったのか、その頭の側には鉄アレーが転がっている。
 直撃されて平気な武芸者という生き物に、少々驚きを覚えたのも一瞬。
 真っ先に心配の声を上げるはずの人物が、ずっと沈黙を保っているのだ。
 何が起こったのかと視線を向けてみると、メイシェンの表情がこわばっていることに気が付いた。

「メイッチ?」

 恐る恐る声をかけてみる。
 小動物チックなメイシェンは、危機感知能力が非常に高い時がある。
 いや。正確に言うならば危険極まりない時にきちんと危険を予測出来るのだ。
 入学式で武芸者同士の争いに巻き込まれかけたが、あれは近くにレイフォンという助けてくれる人がいたから、それ程危険だとは思わなかったのだと思える。
 だが今は違う。
 何に怯えているのか全く本人にも分からないようだが、危険極まりないことが迫っていることだけは間違いない。
 そのメイシェンのことを理解しているナルキが、痛みをこらえつつ立ち上がる。
 都震が起こって僅かに二分。

「私は出かけてくる」

 鉄アレーの一撃から完全復活したナルキが、武芸科の制服に着替えて厳しい顔つきで扉へと向かう。
 ナルキもメイシェンの怯え方が尋常でないことに気が付いているのだ。
 もちろんミィフィものんびりとしているわけにはいかない。
 とっさにサバイバルキットを取り出し、寝間着姿のまま怯え続けているメイシェンを着替えさせる。
 ついでにミィフィも着替えて、それが終わった瞬間、訓練以外では聞いたことのない警報を耳が捉えてしまった。

「あ、あう」
「ほら! ぼうっとしていない! ナルキの準備が終わるまでにシェルターに行っていないと」

 恐怖のために身動き出来ないメイシェンを引きずるようにして、所定のシェルターへと移動する。
 武芸者とは、一般人の血を吸うことによって、その力を発揮する生き物のことである。
 そして今、レギオスに住む人達にとって最大の脅威が迫っているのだ。
 ならば一般人が出来ることは二つだけ。
 武芸者に自らの血を与えて戦力を強化し、そしてシェルターで戦いが終わるのを心配しながら待つこと。
 もし、ここがヨルテムだったら、それ程心配せずに済んだのだろうと思う。
 交通の要であり、外貨がふんだんにあるヨルテムならば、武芸者の質と量も半端ではない。
 ちょっとやそっとの汚染獣に負けることはないだろうし、恐らくナルキが戦いに出ることもないはずだ。
 だが、ここはツェルニ。
 学生による学生の都市。
 熟練の武芸者など一人として存在せず、それどころか実戦経験がある者がいるかどうかさえ疑問だ。
 そんな戦力が極めて低い都市が汚染獣と遭遇する。
 そして間違いなくナルキも戦場に出る。
 もしかしたら、考えることさえ恐ろしいが、あり得ないとは思うのだが、二度とここに帰ってこないかも知れない。
 それを認識した瞬間、ミィフィの体と心と魂が凍えた。
 何時も一緒だった。
 身近にいることが当たり前の人間が、ある日を堺に二度と帰ってこない。
 実際にそうなると決まったわけでもないのに、それでもミィフィは筆舌に尽くしがたい寒気を感じてしまった。
 そして思う。
 もしかしたら、ナルキが帰ってきた時にミィフィとメイシェンがここにいないかも知れないと。
 絶望するナルキの姿を容易に想像出来る。
 未熟な自分を憎悪するかも知れない。
 もしかしたら二人を守ることが出来なかったことで、自責の念に駆られて壊れて行くかも知れない。
 混雑する道を歩きながら、ミィフィは唐突に理解した。
 武芸者が身近な者の血を好んで吸うのは、それが気安い関係だからではない。
 親しい物の血を自らの中に取り込むことによって、力を得ると同時に、絶対に守るという誓いを立てるのだ。
 そして、絶対に帰ると心に決めて戦場に行くのだ。
 血を与える側も、すぐ側にいる誰かに帰ってきてもらうために、自らの一部と共に武芸者を戦場へと送り出すのだ。
 一人では生きられない人間が生み出した、それは最も神聖なシステムだと。
 だが、ナルキのためにミィフィが出来ることは多くない。
 武芸者が吸血行為をして力を発揮すると言うが、それにも実は相性という物があり、ナルキとミィフィのそれは極めて良くないのだ。
 逆にメイシェンとナルキの相性は非常に良く、その実力を最大限発揮することが出来ると聞いた。
 ならば、今のミィフィに出来ることはただ一つだけだ。
 メイシェンを無事にシェルターに避難させて、ナルキと逢わせる。
 そのためにもシェルターを目指す。
 きっとナルキが待っているから。
 
 
 
 B B R
 
 
 
 警報が鳴ってからしばらくは機関部での救助作業に精を出していたレイフォンだったが、それが一段落したので寮の方向へと歩き出した。
 汚染獣が接近しているが、やって来るのは恐らく幼生体。
 熟練した武芸者がいれば、それ程恐れる必要のある敵ではない。
 グレンダンでは、幼生体三千くらいに攻められても警報が鳴ると言う事がなかったほどだ。
 はっきり言って雑魚でしかない。
 なのに、何故かニーナは必死というか決死の形相で、シェルターに避難しろと言うレイフォンの台詞に激怒してしまった。
 全く理解出来ないのではあるが、別段やることが変わるわけではないので、寮の側までやって来ていたのだ。
 いくら学園都市とは言え、これくらいは余裕で撃退出来ると確信しての行動だ。

「おや? フェリさんではありませんか。このようなところでどうなされたのですか?」
「!!」

 その途中で、手持ちぶさたというかなにやら迷いの見えるフェリを発見した。
 念威繰者として優秀であると思うのだが、もしかしたらシェルターに避難するために移動していて、迷子になってしまったのかも知れないと声をかけてみた。
 だが、声をかけられた方のフェリは、一瞬身体が跳ね上がるほど驚いて、こちらに批難の視線を投げてくる。
 何かおかしい。
 そして気が付いた。
 思わず殺剄を使っていたという事実に。
 別段やましいことがあったからと言うわけではない。
 ただ、警報が鳴っていて戦場に立っていないという事に慣れていないため、手持ちぶさたで発動してしまっていたに過ぎないというのに、それはもう猛烈な批難の視線でレイフォンを見るのだ。
 思わず臑を蹴られないように、若干距離を取ってしまうくらいには、凄まじく批難の色が濃い視線だ。
 これは全力で話を誤魔化さなければならない。

「あの? 迷子になってしまったのですか?」
「・・・・・・。そんなわけ有りません」
「? でしたら、早めに避難された方がよろしいかと」

 レイフォンのような前線で斬った張ったをやる武芸者ではないのだ。
 念威繰者とは後方で情報支援をやることが本来の役目で、いざという時のために後方に控えているか、あるいはシェルターで待機しているかが正しい配置のはずだ。
 どうも、何かがおかしいと言う事に気が付いた。
 レイフォンの常識が一切通用しないような、そんな猛烈な違和感を感じる。

「武芸科生徒で小隊員の私が避難しても、シェルターに入れてもらえません」
「? 何故入れてもらえないのですか?」
「戦うことが義務だからです」
「義務ですか?」

 武芸者とは、都市に住む人達のために外敵と戦うための存在だ。
 汚染獣が来たとなれば、前線へ出て自らの命を省みずに戦うのは、当然と言えば当然なのだが。
 フェリの言う事をそのまま理解してしまうと、子供達だけで戦わなければならないと言う事になるような気がする。
 これはきちんと確認しておく必要がある。

「専門家がいるでしょう?」

 いくら学園都市とは言え、対汚染獣戦専門の武芸者集団くらいはいるはずだ。
 そうでなければ都市の防衛がままならない。
 もちろん、武芸大会などに参加することはもってのほかだが、生存の危機が迫っている現状では動員しないという選択肢の方がない。

「・・・・・・・・。いません」
「なにがでしょうか?」
「汚染獣戦専門の武芸者集団がです」

 フェリの言っていることを理解するのに、かなりの時間が掛かった。
 それはつまり、熟練した武芸者が全く存在しないと言う事に他ならない。
 レイフォンを除いて。
 そんな事など考えられないのだが、フェリの表情や雰囲気を見る限りにおいて、嘘を言っているという確率は極めて少ない。

「えっと。熟練の技術者とかは」
「ツェルニには機関部と医療課に二十名程度いるだけです」
「建築科や養殖科とか、武芸科とか」
「いません」

 恐るべき事実を突きつけられたレイフォンが凍り付く。
 大人の姿を見かけなかったとは思っていたのだが、まさか本当に殆どいないとは夢にも思わなかった。
 これは大いなる驚きであり非常識だ。
 学園都市だからと言って、これはいくら何でも酷すぎる。
 そして理解出来た。
 何故あれほどニーナが怖い顔をしていたのかと言う事と、避難しろという台詞に過剰に反応したのかを。
 これから戦場に出ると覚悟を決めていたからこそ、人の話を聞かずに激昂してしまったのだと。

「成る程。これは一大事ですねぇ」

 グレンダンだったら、幼生体くらい全く問題無く排除出来ていたのだが、今レイフォンがいるのはツェルニだ。
 まだギャップを完全に理解しているわけではないようだ。

「貴方は何をしているのですか?」
「僕ですか? 取り敢えずすることがないので夜の散歩を」

 避難するという精神構造をレイフォンは持っていない。
 子供の頃はあったはずなのだが、戦場に出るようになってからもはやシェルターにいると返って不安になってくるのだ。

「どれだけ心臓に毛が生えているのですか?」
「五本程度だと言われています」

 実際に数えたわけではないのだが、グレンダン時代にそう言われていたのは事実だ。
 ちなみに天剣授受者の中で、一番多いと判断されたのはサヴァリスで三十八本。
 そして一番少なかったのは、当然リバースで零本。
 レイフォンは小心な武芸者と評価されていたようだと、今頃改めて認識してしまった。

「・・・・・・」

 呆れた空気がフェリから流れてきているが、気にしてはいけないのだ。
 それよりも気にしなければならないのは、もっと別な人間だ。
 何故か一般人であるにもかかわらず、シェルターを抜け出している二人の少女が、活剄を動員していた視界に飛び込んできた。
 別段、レイフォンと同じように散歩を楽しんでいるという雰囲気ではない。
 その内の一人は、こんな緊急事態に外に出るという選択肢を思いつける人物ではない。
 もう一人は違うかも知れないが、どうしてもシェルターを抜け出したいのだったら一人でやるだろうと思う。
 ならば、何か深い理由があっての行動だろうと判断出来るのだ。

「お二人ともどうかなさいましたか?」

 声が届く辺りまで接近したところで、こちらから声をかけてみた。
 その声に、あからさまに驚きと安堵の表情を二人が浮かべるのが分かった。
 どうやらレイフォンを捜していたようだ。

「レイとん!」
「どうしたのですか?」

 早足で近付いてきた二人の表情は、明らかに必死だった。
 いや。シェルターを出るという選択をしたこと自体に、非常な覚悟と決断があったのだろうことは、メイシェンが一緒だという事実から推測出来る。
 そして、それが汚染獣絡みであることもおおよそ理解出来てしまった。

「お願いです。助けて下さい」

 何時も泣き出しそうなメイシェンの瞳だが、今この瞬間は既に前が見えない程の涙が溢れている。
 そして、メイシェンを引っ張ってきたはずのミィフィも、実は殆ど同じなのだ。
 気が強いとは言わないが、普段割と強気に出ることが多いミィフィが、今にも泣き出しそうな視線でレイフォンを見ている。
 いや。今にも泣き出しそうな視線で縋り付いてきていると言った方が、遙かにしっくり来る表現だ。

「ナッキが死んじゃうよ。レイフォン助けて」

 何時ものように愛称ではなく、本来の名で呼ばれた。
 本格的にミィフィも追い詰められているのだという事が分かる。
 フェリの言う事が本当ならば、間違いなくナルキは前線に送り出される。
 そして、ゴルネオから予測されるツェルニの戦力では必ず死んでしまう。
 それを認識しているからこそミィフィはメイシェンを伴って、グレンダンで戦闘経験があると思われるレイフォンを捜していたのだろう。
 ほんの僅かでも良いから、ナルキが生きて返ってくる確率を上げるために。
 きっと、親しい人が目の前からいきなりいなくなることを想像して、メイシェンと共に恐怖のあまりじっとしていられなくなったのだ。
 もしかしたら、レイフォンは既に前線に出ているのかも知れないのに、それでも寮のある方向を目指してシェルターから出てきてしまったのだ。
 本来なら許されることのない行動だが、それでも何もしないではいられなかった恐怖。
 褒められた行動ではない。
 だが、この二人のお陰でレイフォンは理解することが出来た。
 ずっと昔に持っていたはずの、今のレイフォンの根幹をなしている気持ちを、何時の間にか見失っていたのだと。
 そう。武芸者であることは当然だとしても、レイフォンには戦う理由と生きるべき目的があった。
 孤児だった。
 頼れる者は養父と兄弟姉妹。
 そして自分の才能と努力とが生み出した力だけ。
 だからこそレイフォンは少しでも強くなるために、血を吐くような努力を続け、戦場に出て戦い、そして生きて帰って来た。
 兄弟姉妹のために、レイフォンがほんの少しでも力になれるのならばと。
 そうやっている内に天剣授受者という、グレンダン最強武芸者の称号を得るまでになった。
 それでも、レイフォンの根幹は何も変わらなかった。
 あの一件があるまでは。
 そしてその衝撃で、レイフォンは自らの根幹を見失ってしまった。
 だからこそ狂気に取り付かれ、悲しみは癒えることなく、暴走とも取れる行動を続けてしまっていたのだと。

「愚か者め」

 小さく呟く。
 自らの愚かさと未熟さを痛感したから。
 足元がおぼつかない状態で戦っても、間違いなく世界に災いをもたらすだけだった。
 だからグレンダンを出て戦わない自分が存在して良いのかを、ツェルニで確かめようとした。
 だが、それは全て間違いだったのだ。
 これほど愚かだったことが分かっただけで、レイフォンはツェルニに来た意味があった。
 そしてフェリに向き直る。
 彼女の事情は知らないが、今だけは協力してもらわなければならない。
 それを察したのだろうフェリの顔は、普段の無表情とは打って変わって、猛烈な不機嫌を表している。

「その二人のために、私に戦えと言うのですね」
「言いませんよ」

 そう。レイフォンが戦う理由はミィフィやメイシェンのためではない。
 それだけは胸を張って言い切ることが出来る。
 いかに愚かだろうとも、レイフォン・アルセイフはそう言う生き方しかできないのだ。
 いや。レイフォン・ヴォルフシュテイン・アルセイフはそう言う生き方しかできないのだ。

「僕のためです」
「レイフォンさんのためですか?」
「はい」

 意表を突かれたという表情で固まるフェリが見える。
 後ろではミィフィとメイシェンがことの成り行きを、必死に見守る気配がある。
 それを全て認識しつつ、レイフォンはフェリに向かって言い放つ。

「僕は、貴方がここで変わって行く姿を見守りたいのです」
「意味不明です」
「そうですね。貴方がここに来た理由は分かりませんが、それと向き合って、悩んで考えて、そして結論を出して、結果を得る。その過程と可能性を僕は見守りたいのです」

 そうだ。
 レイフォン・ヴォルフシュテイン・アルセイフは、孤児だった。
 頼ることが出来るのは同じ孤児院に住んでいた家族と、出て行った兄弟姉妹だけ。
 そして、多くの家族が院を出て行った先で、レイフォンを頼ってくれた。
 懸命に生きて、そしてグレンダンという世界で変わっていった。
 良い方向に変わる人達ばかりではなかったが、それでも、レイフォンにとっては十分だった。
 もう二度と逢うことが出来ない人も多いが、それでも十分だった。

「いえ。僕はここに住む人達が学園都市という世界で生きて、そして変わって行き、卒業して行く姿を見守りたいのです」

 遠いところに来たが、無駄だったなどとは思わない。
 持っていた答えをもう一度得ることが出来たのだ。
 これ以上に嬉しいことはない。

「だから、汚染獣ごときに滅ぼされては困るのですよ。僕の願いを叶えるために」
「・・・・。傲慢で我が儘で意味不明な上に、大風呂敷で更に理性的ではありませんね」
「それが僕。レイフォン・ヴォルフシュテイン・アルセイフです」

 あえて天剣時代のミドルネームを名乗る。
 それが相応しいと思うから。

「・・・・・・・・・・・・。ここで断ったらどうしますか?」
「どうもしません。それが貴方の答えならば是非もない」

 フェリに協力してもらえたら、その方が嬉しいのには違いないが、無理強いするつもりはない。
 そもそもがレイフォンの我が儘なのだ。
 ならば、レイフォンの我が儘を通すために他の人に負担を強いることは本意ではない。

「・・・・・・。報酬を要求します」
「僕に出来ることでしたら、何なりと」
「では、今は忙しそうですから、後で請求しますが、利子は高いですよ?」
「是非もありません」

 レイフォンが出来ることならば、出来る限りフェリに恩を返したいと思っている。
 それに嘘偽りはないのだが、単独で挑むには少々荷が重いかも知れないことは十分に理解していた。

「何をしたらいいですか?」
「汚染獣の母体の探索。そこまでの進行ルートの捜査」
「現在来ている個体の情報は要らないのですか?」
「それは実際に自分の目で確認します」
「分かりました」

 そう言うとフェリの手が剣帯に伸び、重晶錬金鋼を復元。
 大量の念威端子が空中に放たれた。

「それと」
「はい」
「生徒会長と話をしたいのですが」
「・・・・・・・・・・・・・・。非常に不本意です」
「そう仰らずに」

 兄妹仲が悪いことは、おおよそ理解しているつもりだったのだが、それはまだ認識が甘かったようだ。
 出来ればこちらも何とかしたいが、今は取り敢えず汚染獣だ。
 そう決意したレイフォンは、カリアンと少々の交渉を持つために、少しだけ気合いを入れた。
 交渉ごとは苦手なのだ。




[18444] B B R その四
Name: 粒子案◆a2a463f2 ID:97102e9f
Date: 2011/01/07 22:01
 
 想像しうる限りにおいて、最上の美少女であるフェリの美しさが、その念威を使うことで更に増したのを呆然と眺めつつ、ミィフィはレイフォンという変態的変質者の評価を改めていた。
 ツェルニ全生徒が変わって行く姿を見守りたいと、本気で思っているらしいことがはっきりと伝わってくる。
 六万人いる全生徒を見守るなどと言うことが、普通の人間に出来るわけがない。
 そうなれば、それが出来る人間は超絶的な変態的変質者に違いない。
 言葉としては少々おかしい気がするが、本質的には何ら変わらない。
 更に、メイシェンが怯えている現状を、たった一人で変えられると思っているようだ。
 シェルターでのメイシェンの怯え様は、尋常ではなかった。
 激しく震え、今にも舌を噛み切ってしまいそうな程に取り乱していたのだ。
 今までに経験したことのないメイシェンの姿を見て、ミィフィは覚悟した。
 ナルキが帰ってこないか、待っている二人がいなくなるか、それともツェルニが滅ぶかの未来しかないのだと。
 だが、そんな未来しかないと分かっていても、じっとそれを受け入れるために待っているなどと言う事は出来なかった。
 そこで思い出したのがレイフォンだ。
 第五小隊長のゴルネオが、あれだけの敬意を表していたのだ。
 きっとツェルニの誰よりも強いに違いない。
 ほんの少しで良いのだ。
 出来れば誰にも死んで欲しくないけれど、ナルキが助かるのだったらミィフィは誰とでも取引をしただろう。
 万が一それが、ツェルニ全武芸者の命と引き替えだったとしても、恐らく迷って苦しんだだろうが、最終的にはその提案を受け入れた。
 それだけの決心と覚悟と共に捜しだしたレイフォンだったが、ことは予想を遙かに超えて意味不明な方向に進んでしまった。
 自分を愚か者と言った次の瞬間、レイフォンの纏う空気が変わった。
 いや。今までその質量だけでその場に居座っていた、巨大な岩の固まりが、一瞬のうちに足場を固めて深く大地に根付いたような、そんな大質量の定着を感じた。
 もはや目の前にいるのは、子供っぽくないなどと言う生半可な生き物ではない。
 放浪バスに乗って、始めてヨルテムを外から見た。
 そして多くの都市を経由してツェルニに来た。
 今のレイフォンを表現するのならば、まさにしっかりと大地に根付いた自律型移動都市だ。
 もはや何人もその巨体を動かすことが出来ない。
 移動しないのならば、レギオスとはいわないかも知れないが、それは本質とは何の関わりもない。

「出ました」
「有り難う御座います」

 そして気が付いた。
 メイシェンのおびえが止まっている。
 ほんの一分前までの怯え方が嘘のように、今は完全に平静を取り戻して、それでもハラハラとことの成り行きを見守っているのだ。
 レイフォンの参戦が決まっただけでだ。

「こんばんは生徒会長。良い夜ですね」
『やあレイフォン君。私はあまり夜を楽しんでいないのだがね』
「それは残念ですね」

 本当に、心の底から残念がっているようなレイフォンと、忙しいさなかに突然呼び出されて少々苛ついているらしいカリアンが対照的だ。
 そして何時か聞いてみたい。
 レイフォンにとって良くない朝や夜があるのかを。

「いくつかお尋ねしたいと思いまして」
『手短に頼むよ』
「では一つ目。ツェルニに熟練した武芸者はいますか?」
『答えは、いない』
「二つ目です。今の戦力で撃退出来ますか?」
『答えは、否だ』
「三つ目です。戦端は開かれましたか?」
『否だ。いや。待ってくれ。・・・・。たった今剄羅砲による攻撃が始まった」
「成る程」

 納得したのか、大きく頷くレイフォン。
 何故か非常に自信たっぷりだ。

「では提案です」
『何かね?』
「僕も参戦します」
『・・・・。それは助かるよ』

 一瞬以上沈黙があったのは、きっと色々な感情が複雑に絡み合ってしまったからだろう。
 何となくだが、その気持ちは分かる。

「ですがいくつか条件というか、お願いがあります」
『私に出来ることならば』
「一つ目。都市外戦装備一式を前線の後方支援所の一つに用意して下さい」
『中央付近が良いかね?』
「いえ。出来るだけ隅の方で」
『分かった。錬金鋼の用意もしておこう』
「それは自前のが有りますから必要有りません」

 その一言で、フェリやメイシェンも含めて、全員の視線がレイフォンを捉える。
 ここにはいないカリアンの表情が強ばるのも、おおよそ予測出来るという物だ。
 新入生が錬金鋼を持ち込むこと自体はかまわないが、それは保管所に預けなければならない決まりになっている。
 問題なのは、カリアンがレイフォン所有の錬金鋼の存在を知らなかったと言う事だ。
 恐らくそれは、今現在保管庫にないと言う事。

『何処にあるのかね?』
「僕の部屋に。密輸しました」

 平然とそう言うレイフォンは、もしかしたらかなり大物なのかも知れない。
 いや。大物らしいことは既に分かっていたが、ミィフィの想像を遙かに超えて大物なのかも知れない。

『緊急事態だ。その辺は大目に見よう』
「有り難う御座います。それで二つ目なのですが」
『何かね?』
「フェリさんに協力を頼んだ際に、報酬とその利子を約束してしまいました。全額とはいいませんが援助して頂きたいのですが」
『・・・・・・・・・・・・・・・・・。私のポケットマネーからだそう』
「感謝します」

 凄まじい長さの沈黙が、カリアンの葛藤を物語っている。
 そしてそれが間違いでないことは、ミィフィが向けた視線の先で、フェリがニヤリと笑ったことから明らかだ。
 あまりに怖いので、全力で記憶から消去。
 そして話はここまでだと言わんばかりに、ゆっくりと膝を曲げるレイフォン。

「ま、待ってレイフォン!」
「どわ!」

 ちょうど跳躍しようとした瞬間に声をかけてしまったようで、前につんのめるレイフォン。
 心なしか冷たげな視線がレイフォンからやって来るが、悪いのはミィフィではない。
 血もろくに吸わずに戦場に出ようとするレイフォンが悪いのだ。
 と言う事でリボンを解き、ブラウスのボタンを二つ外す。
 更に首を右に限界まで向けて、レイフォンから見て右側からかみつけるようにする。
 ついでに渾身の力を振り絞って、瞼を閉じて外界の映像を遮断する。

「さ、さあ! 私の血を吸ってバリンバリンの全開で汚染獣を倒してくるのだ!!」

 実はかなり恥ずかしい。
 ナルキに血を吸われたことはあったのだが、男性武芸者は初めてだ。
 乙女的に非常に緊張してしまうし、非常に恥ずかしいために、心拍数と血圧が非常に上がってしまっている。
 隣でメイシェンがあうあうと言っているところを見ると、端から見ても相当恥ずかしいことになっているに違いない。
 もしかしたら、牙がかすっただけで大量出血してしまうかも知れないほどに、血圧と心拍数が上がっているこの状況は、間違いなくミィフィの人生で最も恥ずかしい瞬間だ。
 だが、万全の状態ではないにせよ、吸血していない武芸者を戦場に送り出すわけにはいかないのだ。
 そしてメイシェンは既にナルキに血を分けてしまっている。
 フェリは念威繰者なので、始めから除外しなければならない。
 となれば、もうミィフィしかいないではないか!
 恥を忍んで、決死の覚悟で、首筋に男性の口付けを許そうというのだ。
 これで平然としていられる乙女がいたら、是非とも会ってみたいというものだ。
 その覚悟と共に待つ事2秒、3秒、4秒、5秒。

「・・・・・・・・・・・・。は、早くして欲しいかなぁぁ?」

 限界はもうすぐそこまで来ている。
 全身が心臓になったかのように脈打ち、体温は既にタンパク質が凝固するところを超えているはずだ。
 もうすぐ乙女的にも生物的にも限界なのだ。
 早くレイフォンが行動してくれないと、非常に困ることになるのだ。
 そして、レイフォンが動く気配があった!

「っく!」

 思わず悲鳴になりきらない声が口の端っこから漏れてしまったが、これくらいはご容赦願いたい。
 そして、すぐ側に呼吸による風の流れを感じられる。
 普段は全くそんなこと無いのだが、こう言う時だけ何故かきっちりと感じられてしまう。
 そして、布がこすれる音と共に。

「え?」

 いきなりブラウスのボタンがはめられた。
 全く身体に触れることなく、それは完璧な制御下に行われた作業だった。
 とても人間業とは思えないほど、完璧だった。
 その完璧さからだろうが、恐る恐ると瞼を開けてみると、なんと目の前にレイフォンがいた。
 いや。それは当然のことなのだが、微かに微笑んでいることとか、迷いが見えるところとかがよそうと全く違う。
 あり得ないと思うのだが、乙女の首筋に口付け出来るからとにやけているところとか、あるいは逆に使命感に燃えているとかだったら話はまだ分かるのだが、微笑まれるという状況は全く予想外だ。

「こちらで頂きますね」

 気が付けばリボンも既に結び終わっていた。
 全く気が付かなかった。
 そして、リボンから手を離したレイフォンが跪き、そっとミィフィの左腕を取る。
 考えてみれば、わざわざ首筋を差し出さなくても良かったのだが、物の勢いというかノリというか何というか、思わずやってしまったのだ。
 そして、血管を探すために微かに左手首の皮膚がこすられた。
 とうとうというか、やっとというか、レイフォンの顔が手首に近づき、その吐息が完璧に感じられてしまった。

「あ、あう」

 思わずそんな悲鳴が零れたが、お構いなしに暖かくて柔らかい感触を、手首の皮膚が捉える。
 次の瞬間、小さく鋭い痛みが走った。
 噛まれたのだとそう思ったが、すぐにそれどころではなくなってしまった。
 ミィフィ・ロッテンが吸われた。
 口腔の中にとどまることなくそのまま嚥下され、集団を形成しつつ筋肉により胃へと運ばれて行くミィフィ。
 そしてそれはやって来た。

「あ、ああああああ」

 武芸者の身体の中にある、その世界に放り込まれた。
 そしてミィフィが拡散して混ざり合い、吸収されて行く。
 だが、薄まることなく消えることもなく、その世界と同化して行く。
 世界が脈動すると共にミィフィも躍動し、一体感がますます激しくなって行く。
 そして認識した。
 この世界の広さを。
 ツェルニでミィフィが住んでいる部屋の大きさを、ナルキの中にある世界だとするのならば、今いる場所はツェルニそのもの。
 そのあまりにも巨大な世界に吸収され同化され、それでも薄まることなく存在し続けるミィフィの鼓動が、更に加速して行く。
 そして、ミィフィはミィフィを見下ろしていた。
 弛みきった表情で涎を垂らしつつ、何事か譫言を呟く無様な少女を。

「ミィフィさん」
「ああう。もっと」

 ミィフィが呼びかけているにもかかわらず、更に譫言を言い続けるミィフィ。
 頬を軽く叩いているというのに、その表情は弛んだままで、全く人の話を聞かないことに少し腹が立っても良さそうなのだが、とても穏やかな気持ちでゆっくりと覚醒するのを待つことが出来た。
 そこでやっと違和感を覚えた。
 何故ミィフィはミィフィを見下ろしているのだろうかと。

「え?」

 驚いた表情をするミィフィ。
 その身体をそっと抱き留めているミィフィ。
 いや。レイフォン。

「しっかりして下さい」

 軽く揺すられている自分を見下ろすという、かなり珍しい体験を味わう余裕は、残念なことにミィフィにはない。
 力の入らない足腰に無理矢理力を入れて、何とか立ち上がろうとするが当然上手く行かない。
 ミィフィが上着を脱いで、いや、レイフォンが上着を脱いでミィフィにかけてくれた。
 人肌の暖かさが感じられたことで、やっと自分とレイフォンの境界線を引くことが出来た。
 だが、それもまだまだ不十分で、気を緩めてしまうと何時の間にかレイフォンからの視線になってしまう。
 ナルキに血を吸われた時には、こんなことにはならなかったし、こんなに気持ちいいなんて聞いたことはない。
 もし、吸われる度にこんなに気持ちよくなってしまうのだったら、とても大変なことになってしまうのは容易に想像出来る。
 レイフォンに依存してしまうとか、禁断症状が出てしまうとか。

「い、今のは何というか、これは何!」

 そんな状況だから、詰問する声にも全く力が入らない。
 自分の胸に手を当ててみたら、先ほどの鼓動をそのまま表して心臓が全力疾走中だ。
 何が起こっているかさっぱり分からない。

「共感ですよ」
「う、うそよ! ナッキに吸われてもこうはならなかった」

 相性云々ではない。
 ナルキとメイシェンの相性が良いのは分かっているし、吸われた後こんな状況になったなんてことはない。
 何かの間違いのような気さえしてきているのだが、レイフォンは冷静だった。

「ええ。僕が非常に共感を呼びやすい体質なんですよ」

 そう言いつつ、やや膝を曲げる。
 万全の状態ではないにせよ、これから戦いに行くことが分かる。
 境界線を引いていて尚、レイフォンがなにやら笑い出しそうなのが分かった。
 とても嬉しくて楽しくて、そしておかしいのだ。
 そして感謝の気持ちも伝わってくる。
 境界線を緩めれば、それがどんな内容かまで分かるのだが、今それをする勇気なんぞは無い。
 依存症になってしまいそうだから。

「では行きますね」
「お、おう。汚染獣なんて蹴散らしてしまえ」

 出撃しようとするレイフォンが声をかけてきたので、力の入らない声で何とか応じる。
 だが理解していた。
 ナルキの剄脈などとは比べものにならないほど大きな世界を持っているのならば、ミィフィの血が無くても十分に戦えた。
 必要ではなかったから吸わなかったのだと、この時になって理解したが、既に遅い。
 先に言ってくれればいいのにとも思うのだが、ミィフィの行動がレイフォンからその選択肢を奪ってしまったのだろう事は、容易に想像できてしまう。
 自分自身の軽はずみな行動が恨めしい。

「そうそう」
「なんだよ?」

 何とか声を出しているが、そろそろ限界だ。
 いや。ここで気を失ってしまえばレイフォンの中のミィフィに引っ張られて、人知を越えた戦いを特等席で観戦することになるだろうし、それ以前にこの快感の虜となって抜け出せなくなってしまうかも知れない。
 断じて気を失うわけにはいかないのだ。
 かなり難しいけれど。

「不用意に僕との共感を進めてしまうと、暫く道を歩くのが怖くなりますから、出来るだけ境界線をしっかりと維持して下さいね」
「無理です」

 無理である。
 今も猛烈な勢いでレイフォンに引っ張られているような気がするのだ。
 僅かな気のゆるみ一つで、終わってしまうというギリギリの緊張感を楽しむ心境には、とてもでは無いがなれない。

「成る程。では、出来るだけ早めに終わらせてきますね」

 そう言った次の瞬間、レイフォンの姿がかき消えた。
 無論、高速移動したのだと言う事は理解しているが、全く納得出来ないほど何の音も衝撃波も無くいなくなってしまったのだ。
 もはや妖術の類かと疑いたくなるほどだ。
 試しに、本当にただの好奇心でレイフォンに意識を向けてみた。
 一瞬何が起こっているのか分からなかった。
 建物が猛烈な勢いで迫ってくるのだ。
 更に恐ろしいことに、猛烈な勢いで迫ってくるはずの建物が、何故か目の前から避けてくれているのだ。
 そして何よりも恐ろしいのは、ミィフィ自身が感じている時間の感覚と、レイフォンのそれに猛烈な差があると言う事だ。
 本来のミィフィの心臓が一度鼓動するだけの時間に、体感時間で20秒以上経過している。
 三十倍近い速度で思考していて尚、建物が猛烈な速度でミィフィに迫ってきて、そして避けて行く。
 道を歩くことが怖くなるといった、レイフォンの言葉の意味が骨身にしみて理解出来た。
 とてもでは無いが、人間が出せる速度ではないし、耐えられる光景でもない。
 その恐怖体験から、やっとの思いで自分の身体に意識を戻す。

「はあ」

 武芸者が凄まじいとは思っていたが、まさかこれほどだとは思いもよらなかった。
 いや。これはきっとレイフォンだけなのだろうと思うのだが、それでも恐ろしい体験だった。
 溜息をついて一息ついて辺りを見回してみる。
 シェルターから抜け出してしまったために、これからどうすればよいかさっぱり分からないのだ。
 レイフォンのあれを知ってしまった以上、汚染獣は大丈夫だと思うのだが、それでも念のために安全を確保しておきたかったのだが、その思考の最中、なにやら金属板を激しく打ち鳴らすような音が聞こえて、そちらを見てしまった。

「レイフォンさんの、自主規制、自主規制、差別用語、差別用語、差別用語、放送禁止用語、差別用語野郎! お前なんか自主規制、自主規制、放送禁止用語、放送禁止用語、差別用語してやる!」
「「・・・・・・・・・・・・・・・・・」」

 何かの排気ダクトらしい巨大な筒に向かって、蹴りを放ちつつ暴言を絶叫するフェリが見えるような気がする。
 きっと気のせいだとは思うのだが、あまりにもはっきりと聞こえているので、もしかしたら何かの呪いに掛かっているのかも知れない。
 そもそも、若い女の子が叫んで良い言葉は一つもなかったと思うのだ。
 きっとミィフィの耳に何かの呪いがかかっているに違いない。
 きっとそうだ。

「胸がむかついた時にこの穴に向かって叫ぶとすっきりするのです。やりますか?」

 どうやら間違いでもなければ呪いでもなかったようだ。
 本当にフェリが叫んでいたのだと理解したミィフィだが、当然、では一緒にという気分にはなれない。
 何しろ。

『あ、あのぉぉぉ』
「なんでしょうか?」
『聞こえているのですが?』
「当然です。接続したままですから」

 そう。レイフォンに筒抜けなのだ。
 いや。そのために叫んでいたと言って良いかも知れない。
 冷や汗が背中を流れるのを感じつつ、ふと思い出してもいた。
 もう一カ所つないでいると言う事を。

『フェリ』
「何でしょうか?」
『こちらにも聞こえていたのだけれど』
「はい。接続したままでしたから」

 カリアンの方にも聞こえていたようだ。
 聞かせるために接続を解除しなかったのだと言う事は、つまり。

「本当にそうなればいいのに」

 心の底から、今言ったことが実際に起こればいいとフェリが思っていると言うことで、聞いていた男二人は間違いなく生きた心地がしないだろう。
 思わず同情してしまう。
 
 
 
 B B R
 
 
 
 機関部でレイフォンに啖呵を切ったニーナだったが、しかし現実は恐るべき厳しさで彼女の前に立ちはだかっていた。
 キチキチといやらしい音を立てて噛み合わされる歯と、不格好な胴体。
 そして巨大な体躯と不釣り合いなほど小さな頭と足。
 全てが異常で異様な汚染獣はしかし、一個体の強靱さと生命力の強さを抜きにしても、数が多すぎた。
 剄羅砲の攻撃から既に十五分が経つ。
 地に落ちた汚染獣達に向かい突撃したのは、そのすぐ後だったから、まだそれ程時間は経っていないはずだ。
 その証拠にニーナ自身が倒せた汚染獣の数は、せいぜいが五体。
 それも支援攻撃を散々受けたあげくに、連撃に次ぐ連撃を打ち込んでの結果だ。
 担当戦域の全員が死力を尽くして戦っているというのに、確かに汚染獣の死骸はあちこちに転がっているというのに、全体の数からすればそれは微々たる損害でしかない。
 記録映像でしか見た事がないが、津波もかくやと思えるほどの汚染獣が、外苑部に積み重なって砲撃で向こう側へと崩れている。
 こちら側へ来ないだけましだと思いたいが、冷静な部分が絶望を覚えていた。
 このまま行けば、確実にその暴力的な数に飲み込まれてしまう。
 ペース配分や戦力の維持などと言う戯れ言は、今のツェルニ武芸者には全く無理な話なのだ。
 今、死なないために全力で戦わなければならない。
 戦闘開始直後に、カリアンから二十分ほど経てば対汚染獣殲滅最終作戦が発動されると、そう聞かされてはいるのだが、それを信じることが出来ない。
 そんな都合の良いものがあるのならば、始めから投入しているだろうし、そろそろカリアンが約束した時間は過ぎようとしているのだ。
 まだあと一時間程度なら持ちこたえられるだろうが、その後は絶望しかない。
 決して諦めないという意志とは別の、冷たい計算が出来る部分がそうささやいているのだ。
 そして、それは現実となりつつある。
 いくら活剄で疲労を誤魔化しているとは言え、それにも当然限界がある。
 そして、その限界が緩慢な動作で、しかし確実に近付いているのだ。
 だが、変化は唐突に現れた。

「!!」

 突如として戦場が凍り付いた。
 その暴力的な数で押し寄せてきていた、死と破壊そのものの結晶であったはずの汚染獣さえ凍り付いた。
 いや。迎撃している武芸者はおろか、世界そのものが凍り付いたような錯覚を覚える。
 呼吸することもままなら無いニーナは、やっとの事で首を動かして、この世界の創造主を確認した。
 それは一人の武芸者だった。
 茶色の髪と深い紫色の瞳。
 中肉中背でありながら、無駄なく鍛えられたその身体。
 そして右手で軽く持っているのは、白金錬金鋼よりも深い銀色に耀く一振りの刀。
 刀身だけで1、2メルトルを越えるそれの峰を右肩と鍔元を握る右手で支えている。
 ヘルメットを首の後ろに引っかけた真っ赤な都市外戦装備に身を固めて、無人の野を行くかのように全く無防備に進むそれは。

「レ、レイフォン?」

 つい先ほど機関部で会ったばかりの、それは下級生にして正体不明の武芸者。
 戦わずに逃げろとニーナに勧めた、唾棄すべき存在。
 だがそれが本当にレイフォンであり、武芸者であり、そして人間であるかニーナには自信がない。
 身の回りに纏うのは、完璧に制御されていて尚激しく猛る剄。
 霧のように身体から流れ出て、戦場全体、いや、世界全体を包み込もうとしているその剄だけで、ニーナは死を覚悟してしまうほどに凄まじい。
 微かな音も立てずに歩いているはずなのに、空気を揺るがせる存在感。
 全てが武芸者という頸木から外れている。
 そしてその人外の何かが、ゆっくりと刀を持ち上げた。
 それは全く気楽な動作だった。
 友達とキャッチボールをするよりも更に気軽な動作で、振り抜かれる刀。
 その一撃だけで、連撃に次ぐ連撃で何とか倒せていた汚染獣が、三体まとめて輪切りにされ瞬時に絶命した。
 ニーナ自身が戦っていなかったら、きっとその甲殻が異常な堅さを持っているなどとは思えなかっただろう。
 だが、現実は更に凄まじい展開を見せて行く。
 死と破壊の結晶であった汚染獣はしかし、今はただ狩られるのを待つばかりの哀れな生け贄でしか無くなっていた。
 いや。生け贄でさえない。
 それは掃除されるのを待つ、ただの不要品の群れ。
 キチキチと歯を鳴らして威嚇しているはずだが、その音はあまりにも弱く命乞いとさえ聞こえる。
 だが、そんな状況など知らぬげに人外の何かが柄頭を左手で持ち、ハーレイが机の上を片付ける程度の力み方で、大きく一振りする。
 そこから放たれた不可視の斬撃を受けた十数体の汚染獣達が、瞬時に両断されてただの残骸となった。
 更に左手だけで掲げられた、巨大な刀が銀色の光を発した。
 天剣技・万斬剄。
 無数としか表現出来ない小さな斬剄が、回転しつつ積み重なっている汚染獣へと迫る。
 到達した瞬間、その甲殻を削り切り取り粉砕し、肉を抉り内蔵を破壊する。
 消火活動に使うような高圧放水にも似たその攻撃は、途切れることなく放ち続けられ、みるみる破壊と殺戮を大量に生産して行く。
 それは何かの間違いのようであり、同時に、ニーナ達の弱さが間違いのようでもあった。
 そしてその人外の何かが、一人の武芸者を捉えた。

「こんばんはナルキ。良い夜ですね」
「れ、れいとん」

 その何かは、ニーナのすぐ側で、都市警の使う打棒で善戦していた褐色で長身の武芸者に声をかけた。
 それは、戦場にあるまじき気軽な声であり、そして何よりもこの状況で良い夜だとうそぶいている。
 だが、攻撃の手は一切緩めずに放ち続けられ、見る見るうちに汚染獣で出来た山が削られて行く。

「一つ聞いて良いかレイとん?」
「はい。あまり時間が無いので手短に」
「ああ。良くない夜とか朝とかがあるのか?」

 何時か聞きたかった。
 あれがレイフォンだとするのならば、何時かは聞いて確かめたかった。
 ナルキと呼ばれた褐色の武芸者は、その質問をニーナに成り代わりやってくれたのだ。
 賞賛すべきか、はたまた戦闘中に気がゆるんでいると苛立つべきか。
 いや。あまりの出来事に現実感が無くなっているだけだろうと思い、ほんのわずかにニーナ自身の事を棚に上げて同情してしまった。

「そうですね。試験の前日などは良くない夜を味わいましたか」
「・・・・・。頭も使おうな」
「もちろんですとも。そのために学園都市に来たのですから。おっと」
「ど、どうした?」

 突然、話の途中で驚いたように汚染獣の方を見るレイフォンらしき生き物。
 それに釣られてニーナも見た。
 まだ身体を動かすことが辛いのだが、そんな自分に鞭打って視線を動かして、そして後悔した。
 津波か雪崩を思わせる勢いで迫っていた汚染獣が、目の届く範囲内で完全に駆逐されていたのだ。
 虐殺開始、いや、清掃開始からわずか20秒ほどの間にだ。

「的が無くなってしまいました」
「的って」

 絶句するナルキを尻目に、悠然と刀を右肩に担ぎ直した怪生物が、何時の間にか止まっていた歩みを再開させた。
 あれだけのことを成し遂げたというのに、全く何も感じていないかのように。
 体力も時間も何も消費していないかのように、やはり無人の野を行くがごとき無防備で悠然とした歩みを。

「・・・・・・・・」

 その姿が見えなくなってから、やっと膝を地面に突くことが出来た。
 いや。絶望の果てに力尽きた。
 レイフォンが以前言っていた、集団戦は苦手だという台詞。
 あれは最大限の謙遜の末だったのだ。
 彼にとって集団戦とは苦手というような次元ではない。
 必要がない物、あるいは足手まといな物なのだ。
 もしかしたら、集団の一部として戦うという発想自体が、今のレイフォンにはないかも知れない。
 そして十七小隊に入れることが出来ないことも、やはり理解してしまっていた。
 確かにレイフォンを入れた瞬間、第十七小隊は最強になるだろう。
 だが、それは集団としての戦力ではないのだ。
 それを理解してしまったために、ニーナは大地に膝を突き絶望してしまったのだ。
 今は何も考えずに眠りたい。
 だがその願いも叶わない。
 小隊長であるニーナには、事後処理という仕事がきっちりと待っているのだから。
 
 
 
 B B R
 
 
 
 ゴルネオにとって汚染獣戦の経験は、これが二回目だった。
 前回は雄性体一期、それも一体だけが相手だった。
 散々打撃を打ち込み、やっとの思いで倒した記憶があるが、恐ろしいと思ったことはなかった。
 それは後見人としてレイフォンがいてくれたからだ。
 そして、留学祝いと称するサヴァリスのしごきに耐えていたからだ。
 その二つがあったからこそ、雄性体一期に対して臆することなく戦えたのだ。
 だが、今回ははっきりと違った。
 相手は幼生体。
 個体の戦力からしたらたいしたことはない。
 ツェルニにも十分以上に戦える人材はいるのだが、残念なことに千を越える数相手では分が悪い。
 しかも今回、レイフォンの助けは受けられない。
 いや。もしここでレイフォンの助けを受けてしまったら、それはツェルニ武芸者の敗北となるのだ。
 戦わせてはいけないのだ。
 立つべき大地を失ったレイフォンを。
 だが、それでも分かっていた。
 レイフォンが戦わなければ、ツェルニは今日滅びの時を迎えるのだと。
 だが、それでも、戦わないという選択肢は存在していない。
 ある程度以上の幼生体を倒すことが出来たのならば、武芸者だけを食って満足して出て行くかも知れない。
 千体の腹を満たすためには、ツェルニ武芸者の数は少なすぎる。
 一体でも多くの幼生体を倒し、一般人への被害を可能な限り押さえる。
 自らの死と引き替えに出来るのは、ただそれだけだ。
 だからゴルネオは、ペース配分を怠らないように、指揮下の戦力にも注意を払いつつ、確実に一体ずつ倒して行くのだ。
 だが、戦闘開始直後にカリアンから告げられた情報で、それが恐らく無駄なあがきであることも理解していた。
 汚染獣殲滅の最終作戦を実行する。
 そんなことが出来る戦力は、ツェルニにはただ一人しかいない。
 そして、戦場が凍り付くほどの存在感と共に、それが表れた。

「あ、ああああ」

 もはや単なる障害物となりはてた幼生体を駆逐しつつ、ゆっくりと歩いてくる真っ赤な都市外戦装備。
 そしてその身体とは不釣り合いに巨大な、深い銀色に耀く刀。
 何よりも見間違えることのない天剣技。
 散歩の途中の並木道を眺めるほどの気楽さで、幼生体に視線を向ける少年の姿がかすむ。
 頬を熱い液体が流れて行くのを止めることが出来ない。

「ヴォルフシュテイン卿」
「? こんばんはゴルネオさん。何を泣いているのですか?」

 呟きを聞き取ったらしいレイフォンがこちらを向く。
 戦闘中に敵から視線を外すなど、本来有ってはならない事態であるはずだが、レイフォンにはそんな常識は通用しない。
 カリアンから情報を聞かされた時に、ツェルニ武芸者の敗北を覚悟したゴルネオだったが、それは間違いだったのだ。
 しっかりと足を踏みしめ、一歩一歩ツェルニを揺るがせるほど確かな足取りで歩く、元天剣授受者はかつてゴルネオが知っていたそのままの姿だった。

「貴方が、再び立たれたことが嬉しいのです」
「大げさですねぇ」

 苦笑しつつも万斬剄は止めることがない。
 横薙の瀑布に少しでも触れた幼生体は、甲殻を削られ抉られ、そして穿たれた傷口に更に斬剄が打ち込まれ、瞬きする間に残骸へと変わり果てる。
 その破壊力に呆然としている武芸者は多いが、本来この技はこんな生やさしいものでは無い。
 幼生体とは比較にならないほど強靱な甲殻を持つ老性体、その防御を打ち砕くためにレイフォンが独自に編み出した技なのだ。
 ほんの数分で都市を滅ぼすことさえ出来る破壊力を持ち、リンテンスでさえその攻撃を完璧に防ぐことが出来ない多様性を誇る。
 唯一リヴァースの金剛剄だけが万斬剄を防ぎきることが出来る、恐るべき技なのだ。
 その天剣技を惜しげもなく、ツェルニ武芸者へと見せつけつつ戦場を移動するレイフォン。
 遙か高見にいる武芸者が、その姿を未熟者に見せているのだ。
 レイフォン・ヴォルフシュテイン・アルセイフは、何も変わっていない。
 それが嬉しいのだ。

「ここのを少し残して良いですか?」
「母体ですね?」
「はい。少々時間がかかりますので」
「お任せ下さい。この命に代えて全て殲滅してご覧に入れます」
「いや。だから死ななくて良いんですよ」

 更に深くなる苦笑と共に、レイフォンの移動は続く。
 この戦いに参加している全ての武芸者に、遙か高見があることを知らしめるために。
 そして、そこに至った最強の武芸者がツェルニに居ることを知らしめるために。

「シャンテ!」
「お、おう!」

 これで奮起しなければ、それはもはや生きている意味はない。
 相棒を肩に乗せたゴルネオは、レイフォンが母体を倒してくるまでの時間を計算しつつ、目の前に残された幼生体を駆逐するために、剄を練り上げつつ部下に指示を飛ばした。
 もはやこの戦いに敗北はない。
 ならば、完璧に勝ってこそレイフォンの恩に報いることが出来る。
 その決意と共に、レイフォンのあまりの異常さに恐れをなしたシャンテを励ましつつ、残された幼生体へと突撃を開始した。
 
 
 
 B B R
 
 
 
 ツェルニ武芸長であるヴァンゼは、言い様のない高揚感と共にその光景を見詰めていた。
 共に死力を尽くして戦っている第一小隊や、ヴァンゼの指揮下に組み込まれた武芸者が呆然としているさなか、ただ一人その暴力と呼ぶにはあまりにも凄まじく洗練された技に見入ってしまっていた。
 みるみる幼生体が駆逐されて行く、その悪夢のような光景を作りだしている、今年の新入生を。
 左手に持った長大な刀を幼生体に向け、そこから高圧放水をしているようにしか見えないが、その威力は絶大だ。
 ヴァンゼが知る武芸者でこんなことが出来る人物はただ一人。

「レイフォン様」
「? ! もしかしてヴァンゼさんですか?」
「お久しぶりで御座います」

 深々と頭を下げる。
 入学式の一件以来、挨拶に行くことさえ無かった無礼を働いたが、その謝罪も含めて深々と頭を下げる。
 その下げた頭にレイフォンの視線を感じる。
 若干、視線が厳しい物に変わったような気がする。
 いや。むしろ今死んでしまった方が楽なのではないかと思えるような、そんな寒気を覚える視線になっているような気がする。
 そして、自らが着ている真っ赤な都市外戦装備を指さしつつ、厳しいままの視線がヴァンゼを捉え続ける。

「・・・・・。これは貴方の差し金ですか?」
「はいぃ! レイフォン様にはやはりそれが必要かと思いまして」

 声が裏返ってしまっているのを自覚しつつ、冷や汗で濡れた背中に色々な視線が突き刺さるのを感じていた。
 いきなり下手に出ているヴァンゼに驚いているというのもあるだろうし、真っ赤な都市外戦装備なんて物を用意したことに、何かしら感じているというのもあるだろう。
 だが、そんな物は全て後回しだ。
 平身低頭してでも、この危機を抜けなければならない。
 例え自分を捨てて、顔の横で手をすりあわせて謝り倒そうと、これ以上ないくらいにこびへつらおうとも、目の前の武芸者を怒らせてはいけないのだ。

「まあ、今だけは時間が無いので生かしておきましょう」
「い、いまだけでありますか?」
「ええ。カリアンさんのこととか、色々」

 あまり外から見たら分からないが、相当怒っているようだ。
 当然と言えば当然だ。
 ゴルネオに次いでレイフォンの事を詳しく知っているはずのヴァンゼが、カリアンを止めなかったのだ。
 ゴルネオではないが、その罪万死に値してしまうかも知れない。
 時間が有ったら、誤り倒したいところだが、今はそうはいかない。
 都市外戦装備を着用していると言う事は、これから外での戦闘を計画していると言う事で、あまり時間が無いと本人も言っているのだし。

「では、残敵をよろしくお願いします」
「か、かしこまりました」

 徹底的に下手に出る以外に、生き残る術はない。
 こうなることは分かっていたのだが、残念なことにツェルニの存亡をかけた戦いに望んでいるカリアンに、ヴァンゼの言葉は通じなかったのだ。
 全く持って惜しむらくは優秀だが腹黒な友人の存在だ。
 カリアンがもう少し大人でなければ、こんな事態にはならなかったのにと、そんな埒もない事を考えていられたのはしかし、僅かに3秒だけだった。
 何時の間にかレイフォンの姿が消えていたのだ。
 全く移動した気配を感じなかったが、きっとエアフィルターを越えて雌性体を倒しに行ったのだろう。
 後数時間は生きられるかも知れないと言う希望が湧いてきた。

「隊長」
「あ? ああ。残敵の掃討戦に移行する。数が少ないからと言って気を抜くなよ」

 権威も威厳も何もなくなってしまったヴァンゼだが、取り敢えず配下の武芸者は指示に従ってくれているようだ。
 とてもありがたい。
 
 
 
 B B R
 
 
 
 エアフィルターを抜ける時は、何時も粘り着くような感覚を覚える。
 そしてその感覚がなくなった時には、既に世界を滅ぼした汚染物質が充満する、死の世界へと出ているのだ。
 生身で出れば、ほんの数分で肺が腐って死ぬしかない恐るべき世界へと。
 グレンダン時代に着ていた物と外見的にはよく似ているが、機能的には数段劣るとは言え都市外戦装備は極めてありがたい。
 さっきは久しぶりに見たので思わず怖いことを言ってしまったが、実はヴァンゼには割と感謝しているのだ。
 八年ほど前に別れた武芸者であることがすぐに分かるというのは、かなりどうかと思うのだが、それも全ては雌性体を何とかしてからの話だ。

『母体の位置を確定しました。そのまま三キルメル進んだ地点。地下十二メルトルです』

 その声と共に、バイザーに位置情報が表示される。
 幼生体は殆ど駆逐してしまったから、あまり時間はないのだが、まあ何とかなるだろうと少し楽観的に考えてみる。
 万斬剄で大地を抉り、その威力で雌性体を殲滅しても良いのだが、敵ときちんと向き合って戦うことをずっとしてきたために、見えない相手と戦うことはやや不安なのだ。
 と言う事で、幼生体が出てきた穴の一つに飛び込んでフェリの念威端子の、先導のままに進む。
 念威繰者のサポートがあるために、真昼と変わらない光景がバイザーの内側に表示されているために、全く問題無く進むことが出来る。

『そこの角を曲がったら一直線です』
「有り難う御座います」

 礼を言いつつ剄を練る。
 レイフォン側には今のところ時間制限がないが、ツェルニの戦闘状況を見るとあまりのんびりしていられない。
 ゴルネオとヴァンゼがやたらに奮起して、想像を超えた速度で幼生体を駆逐しているのだ。
 ゴルネオは兎も角として、ヴァンゼに少しきつく当たりすぎたようだと、やや反省する。

「頑張りすぎですね。あの二人は」

 とは言え、危険なほどではない。
 フェリの指示通りに角を曲がった次の瞬間、幼生体を生み出して瀕死の状態となった雌性体の巨体が視界に飛び込んできた。
 だが、死んでいるわけではない。
 汚染物質を必死に吸収して、自らも生きようと足掻いているのだ。

「初めまして。こんばんは」

 取り敢えず何時もの調子で挨拶をする。
 だが、心の中はかなりやるせない思いで一杯だ。

「貴方の子供達はもうすぐ殲滅されます」

 生存をかけた戦いに、卑怯も邪道も存在しない。
 有るのは生きるか死ぬか、ただそれだけ。

「命を繋ぐという行為に、僕達と貴方達では違いはないのでしょうね」

 そっと刀を雌性体に向ける。
 慎重に、錬金鋼を破壊しないように練り上げた剄を注ぎ込む。

「ですが、僕はそれでも多くの人が変わって行く、その可能性を見守りたいのです」

 技を発動する。
 その膨大な剄に危機感を感じたのか、仲間を呼ぼうとする雌性体。
 だが遅い。
 天剣技・斬爆剄。
 紙のように薄くでは無く、糸のように極限まで細く圧縮した斬剄を放つ。
 あっさりと雌性体の甲殻を切り裂き、肉に食い込み身体の奥深くまで達した。
 予定の距離だけ進んだ圧縮した斬剄が突如として、衝剄のように爆発的な衝撃波を放つ。
 そして内部からの圧力で雌性体が瞬時に絶命。

『汚染獣の殲滅を確認しました』
「分かりました。これから帰還します」

 子供達を生み出し、それを送り出した母体を殺してしまったことに、何時もよりも強い罪悪感を感じつつも、その感情を押し殺して帰還を宣言する。
 そしてふと思い出す。
 ヴォルフシュテインとゴルネオに呼ばれたというのに、それを不快だとは思わなかった。
 それはつまり、レイフォン自身がヴォルフシュテインであることを認めていると言う事だ。
 フェリ相手に自分で言っていた事もそうだったが、長年連れ添った称号とは、結局縁が切れないらしいと言う事をレイフォンはやっと納得出来た。




[18444] B B R その五
Name: 粒子案◆a2a463f2 ID:97102e9f
Date: 2011/01/07 22:01
 
 汚染獣との戦闘が終了した次の朝。
 ナルキはあの時のことを思い返して、とても恐ろしい生き物がすぐ側で欠伸をしていることに気が付いていた。
 いくら武芸者とは言え、戦闘込みの徹夜明けでは流石に眠いのだ。
 当然ナルキも欠伸をかみ殺しつつ、戦闘の事後処理に向かうところだ。
 メイシェンとミィフィも炊き出しなどの力仕事以外の諸々に付き合わせているのだが、こちらはこちらでやはりなにやら眠そうだ。
 まあ、汚染獣との戦闘が頻繁に有るわけではないので、緊張したり興奮したりして上手く眠れなかったのだろうとも思う。
 だが、もしかしたら、隣を歩く怪生物は違うのかも知れない。

「・・・・・・・・」

 違うはずなのだが、いや。何故か盛大に欠伸をしているのだが、もしかしたら非常に眠いのかも知れない。
 だが、あの時の猛烈な存在感と途方もない破壊力を発揮した怪生物ならば、あの程度のことで疲労などするはずはないという変な先入観が出来上がっているというのに。

「眠そうですねレイとん」
「はい。久々の戦闘だったので少々羽目を外してしまったようです」

 羽目を外すという発言自体に、異常な物を感じているのはナルキだけのようだ。
 メイシェンはなにやら微笑んでいるし、ミィフィはなにやら考え込んでいるというかもっと深く悩んでいるように見える。
 ちらちらとレイフォンの方を見ているから、汚染獣戦絡みの問題で悩んでいるのだろうと思うのだが。

「聞いて良いかレイとん?」
「何でしょう? 試験以外のことでしたら」
「い、いや。武芸者としてなんだが」

 レイフォンが武芸者としてナルキよりも優秀だと言う事は、ミィフィを抱えて壁を飛び越えた辺りで気が付いていた。
 だが、昨晩のあれはもはやそんな生やさしいものでは無い。
 本当に人間なのか疑ってしまうほど、汚染獣を駆逐して行くレイフォンの姿は凄まじかった。

「そうですねぇ。僕はグレンダンで最強の称号を授けられていました」
「・・・・・。成る程」

 グレンダン最強と言われて納得出来る。
 槍殻都市グレンダンと言えば、武芸が盛んで有名な都市だ。
 何でも王家から特殊な錬金鋼を授けられた、文字通り最強の武芸者がいるという話は聞いたことがある。
 その最強の称号を持っているというのならば、納得出来るという物だ。
 だが、それだと都市を出られた理由が分からなくなってしまう。
 何処の都市だって、優秀な武芸者は喉から手が出るほど欲しいに決まっているのだ。
 いくらグレンダンだからと言って、最強の称号を持つ武芸者をおいそれと都市外に出すわけがない。

「少々個人的な問題で戦えなくなりまして」
「そ、そうなのか」

 そのナルキの疑問は当然なので、先回りしたレイフォンがきっちりと答えてくれた。
 最強の武芸者を都市外に放出するという、個人的な事情というのにもかなり好奇心を引かれるが、それは恐らくとても辛い出来事だろうからとあえて聞かないことにした。

「そ、そんな凄い人をレイとんなんて呼んで良いのか、少し疑問になってきたのですが」

 思わず中途半端な敬語になってしまう。
 ここはやはりゴルネオに習ってヴォルフシュテイン卿と呼ぶべきかも知れないと思ったのだが。

「レイとんで良いですよ。正直そう呼ばれる方が気楽で良いですから」
「そ、そうですか」

 まだ敬語が抜け切れていない。
 と言うか、段々ぎこちなくなってきている気がする。
 そんなナルキとは対照的に、メイシェンはなにやら小動物チック全開で、レイフォンに懐いてしまっているような気がする。
 いや。むしろおじいさんに懐く孫と言った感じだろうか?

「だけどさ。レイとん」
「はい?」

 ここでやっと、今まで黙って悩んでいたミィフィが声を出した。
 その雰囲気に何時もの軽さはなく、決死の覚悟さえ伺えた。

「何で汚染獣と戦う時に、あんなに・・・」
「悲しそうでしたか? それとも苦しそうでしたか?」

 言葉を詰まらせたミィフィに変わって、レイフォンが口を開いた。
 そこには何か悟りを開いたような、そんな静かな余裕が有るような無いような。

「どっちかって言うと・・・・。やりきれない」
「そうですね。僕は汚染獣と戦う時にやりきれないという思いを抱いていますね」

 肯定するレイフォンの声が、僅かに沈んでいるのに気が付いた。
 そして、ミィフィがレイフォンに血を分けた時の話を思い出していた。
 人よりも遙かに激しい共感現象が起こったと。
 つまり、ミィフィはあれを見ていたと言うことになる。
 武芸者でさえ恐ろしくて悪夢を見てしまいそうな、あの光景を最も近くで臨場感抜群の環境で。
 平然と一緒に歩いていられるのは、もしかしたら現実感がないのかも知れないが、もっと他の理由があるのかも知れない。
 だが、ミィフィの次の言葉はそんな生やさしい予測を全く無視する内容だった。

「雌性体を攻撃する時なんか、泣きそうだったじゃない」
「!!」

 普通、汚染獣を倒す時にそんなことを考えたりはしない。
 生きるか死ぬかの瀬戸際なのだ。
 だからこそ、それこそ必死で戦って生き残るというのに、レイフォンは泣きそうだったというのだ。
 それが強者の余裕なのかと思ったが、やや違うらしいと言うことにも気が付いていた。

「牛や鳥を食べて平然としている僕が言えたことではありませんが、生きるために必死になっているのは汚染獣も一緒なのではないかと、何時の頃からか考えるようになりまして」
「それは」

 そんな事考えたことがなかった。
 人類の敵だから戦って勝つ。
 それ以上のことを考えている余裕など、今の人類にはない。
 やはり、強者の余裕なのかも知れないと思ったが。

「間違っていることは十分に理解しているのですが、それでも考えてしまっているのですよ」

 さっきミィフィはレイフォンが泣きそうだったと表現した。
 そして今目の前にいるレイフォンは、確かに泣きそうに見える。
 表面的には笑っているようにも見えるが、それはナルキから見て明らかに表層一枚だけの事だ。
 その内側でどんな思いが渦巻いているか、それを知る事はとうてい出来ない。

「それでも、僕はツェルニが無くなってもらっては困るのです。ですから戦う以外の方法もない」

 優先順位が決まっているのだと理解した。
 だから全ての感情に封をして戦うのだと。
 そう言う事をやってのけているのが、レイフォンなのだと言う事に気が付き、そしてナルキももらい泣きしそうになってしまった。
 どれほど辛いか分からないが、酷く悲しい気分になったのだ。

「まあ、そのお陰で私達が生きているんだから、文句を言うのは贅沢なんだろうけれど」

 流石にここまで話が来てしまうと、ミィフィも少々居心地悪そうだ。
 メイシェンは当然のように涙目になっているし。

「まあ、それは僕個人の問題ですので、あまりお気になさらない方がよろしいかと」
「そういわれて、はいそうですかとは行かないだろう」

 普段ならそれで通すナルキだが、流石に今回は少々困ってしまう。
 そして、少しだけ、いや、かなり疑問に思ってしまった。
 話を変えるという大義名分の元、強引に疑問を表明してみる事にした。

「なあレイとん」
「何でしょうか?」

 今までの会話がなかったかのように、にこやかに返事をするレイフォンは、全く何時も通りだ。
 なんだか少し腹が立った。
 だが、今問題にしなければならないのはもっと別の問題だ。

「いくつなんだ?」
「はい?」
「年齢だ。年齢!」

 始めから少々違和感があった。
 明らかにレイフォンの言動や立ち居振る舞い、そして何よりもメイシェンの行動。
 全てが同世代の少年のものでは無い。
 やや暗い雰囲気を吹き飛ばすために、炊き出しなどを行うエリアに差し掛かる前に、全力でもって質問をする。

「十五歳です」
「嘘だ!」

 絶対に嘘だ。
 たった十五年しか生きていないで、汚染獣戦でそんなことを考えられるようになるとはとうてい思えない。
 いや。グレンダンの武芸者はみんなそんな風に考えるのかも知れないが、それでもまだまだ疑問はある。

「何処をどう探しても僕は十五歳なのですが」
「意味深な発言だな」

 思わずナルキは詰め寄る。
 犯罪行為というわけではないようだが、違法行為は見逃せないのだ。
 そして、記者根性と好奇心の塊であるミィフィも、いつも以上にレイフォンに詰め寄る姿勢を見せている。
 唯一メイシェンだけは、ハラハラドキドキと成り行きを見守っているようだ。

「実は」
「「実は?」」
「ここだけの話なのですが」
「「うんうん」」
「僕には重大な秘密が有りまして」
「「「なになに?」」」

 とうとうメイシェンまで参加して、レイフォンに詰め寄る。
 そして、語られた内容に三人そろって絶叫を放ってしまった。
 あり得ないと。
 
 
 
 B B R
 
 
 
 汚染獣戦の後片付けがもうすぐ始まるというのに、力仕事担当の武芸者達を従えたカリアンは、目の前にいる巨漢二人に猛烈に厳しい視線を向けていた。
 当然視線が厳しくなる原因とはレイフォン絡みの問題である。
 レイフォンが強いことは知っていた。
 グレンダンで天剣授受者なんかやっていた以上、弱いなどと言うことは全く考えていなかったのだが。
 実際弱くなかった。
 いや。強すぎたために今視線が厳しくなってしまっているのだ。

「説明してもらえるかね?」

 何故もっと早くレイフォンが参戦してくれなかったのか。
 いや。流石にあんな凄まじいことを始めにされたのでは、他の武芸者の立つ瀬がないというのは分かるのだ。
 だが、あれだけのことが出来ると言う事を知っていれば、それなりの対応が出来たのもまた事実なのだ。
 一言言ってくれれば良かったと、そう思うカリアンの視線が二人を捉え続ける。

「ヴォルフシュテイン卿は、戦うべきではないと思っていた」
「馬鹿な! 武芸者ならば戦うことこそが本分だろう!」

 何故か苦しそうに言葉を発したゴルネオに、真っ先に食ってかかったのは当然のようにニーナだった。
 レイフォンを小隊に入れるように薦めたカリアンとしても、この反応は予測出来ていた。
 だが同時に、何か事情があるらしいことも理解していた。
 そうでなければ、ゴルネオがこうも苦しそうにしているはずはない。
 そしてもっと分からないのが、親友と呼ぶか悪友と呼ぶか微妙なところのあるヴァンゼだ。
 レイフォンが入学する前からなにやら動き回って、専用の都市外戦装備などを用意していたのだ。
 それに、レイフォンを転科させる時になにやら非常に抵抗していたのも覚えている。
 今から考えると知っているとしか思えない。
 だが、今問題なのはやはりゴルネオとニーナのやりとりだ。

「足元の定まらないあの方を戦わせれば、ツェルニが滅ぶ危険性があった」
「馬鹿な! 何故都市に住む者が都市を滅ぼすというのだ!」

 先輩だと言うことを全く無視しているというか、考える余裕がないニーナが荒れているが、実はカリアンも同じ心境だ。
 都市によって生かされている人間が、その都市を滅ぼすなどと言うことは考えられない。
 だが、ゴルネオが発した言葉は想像を絶する物だった。

「三年ほど前、俺の兄弟子がヴォルフシュテイン卿のご家族を虐殺した」
「!!」

 その声を聞いた物が息を飲む音を、何処か他人事のように聞きながら、ふと思い返す。
 レイフォンはフェリのことをかなり気にかけていた。
 少年特有の感情にまかせて、フェリに好意を持っているからだと思っていたのだが、もしかしたら違ったのかも知れない。
 レイフォンはカリアンとフェリが憎しみ会うことを避けたかったのかも知れない。
 だからこそ、サントブルグに追ってきて都市ごと滅ぼすとまで脅したのだ。
 今ならば、そう考えることも出来る。

「その後、あの方は戦う理由を見失い、戦うことしかできなくなった。矛盾しているように聞こえるかも知れないが、あの方には戦い以外の物が残っていなかったのだ」

 どれほどの絶望と共に戦ったのか、それは想像することさえ出来ない。
 絶望と共に戦っていたからこそ、そこには常に暴走という危険が潜んでいたのだろう。
 グレンダンだったらその危険は大きいが、対応出来ないと言うほどではない。
 何しろ天剣授受者は後十一人いたのだ。
 被害は大きかっただろうが、レイフォンを止めることも出来ただろう。
 だが、ツェルニは違う。
 彼が暴走してしまったら、それを止めることが出来る人間がいないのだ。
 ならば、戦いの場に彼を引き出さないことこそが最善の選択だった。
 だが、それでも、汚染獣をツェルニ武芸者は排除することが出来なかった。
 危険な賭だったのだと言う事が、やっとカリアンにも分かった。
 冷たい汗が背中を流れるのを感じつつ、話の続きに耳を傾ける。

「俺は直接その姿を見てはいないが、汚染獣を相手に戦うあの方の姿は凄まじく、そして恐ろしかったと」

 誰から聞いたかは言わないが、伝えた人物は自分の感じたままをゴルネオに伝えたのだろう。
 だが、ここで疑問が出てくる。
 そんな危険な賭であったレイフォンの参戦を見て、ゴルネオは歓喜の涙を流していたのだ。
 常識的に考えて、反応は全く逆のはずだ。

「ヴォルフシュテイン卿を戦わせると言う事は、傷つき疲れ果てたあの方を戦場に出さなければならない、弱い我々ツェルニ武芸者の敗北と同義だった」

 傷ついた人間を戦わせなければならないと言う事は、それは都市運営に関わる者の敗北である。
 武芸者だけではなく、カリアンの敗北でもあったのだ。

「だが、あの方は再び戦う理由を得ることが出来た。それが嬉しかったのだ」

 ゴルネオにとって、兄弟子の行いでレイフォンを苦しめたという負い目が有ったのだろうことは、容易に想像が出来る。
 だからこそ、色々と考えたりレイフォンに平身低頭したりしていたのだ。

「俺にはとうてい真似出来ない。ヴォルフシュテイン卿は犯人であるはずのガハルドさんをなぶり殺しにすることも出来た」

 ガハルドというのが、レイフォンの家族を虐殺した兄弟子であることは、言われなくても分かる。
 憎むべき相手でも、もしかしたら許せたのかも知れない。
 あるいは、耐えることが出来たのかも知れない。

「最終的には司法の手にゆだねられて、都市外強制追放と言う事になったが、ヴォルフシュテイン卿が自ら手を下しても誰も文句を言わなかっただろう」

 グレンダンの守護者の家族を虐殺した犯人と、その被害を受けたレイフォン。
 感情的にガハルドを私刑にしても何らおかしくはなかった。
 グレンダンでの法律がどうなっているか分からないが、それでも情状酌量の余地はあるだろう。

「分かりますか会長? 我々は紙一重で、自分の努力ではなく運のおかげで、負けずに済んだのです」
「う、うむ」

 ゴルネオの視線が痛い。
 レイフォンを利用することだけを考えていたカリアンだが、彼が都市を出た背景を調べた時に疑問を持つべきだったのだ。
 集めた情報が全て違う内容であったと言う事に疑問を持って考えるべきだったのだ。

「私は間違っていたのか」

 話し合う機会はいくらでもあった。
 だが、それを半ば放棄して、現状を変えることにだけ注意が行ってしまっていたのは事実だ。
 カリアンらしくないという以上に、組織の長として失格であるという烙印を押されても何ら不思議はない。

「我々は運が良かった。ヴォルフシュテイン卿はこれから先、良い教官としてここに居て下さるだろう」

 そう言うゴルネオの言葉で、少しだけ胸をなで下ろすことが出来た。
 見捨てられているわけではないのだと。
 だが、それと同時に凄まじい違和感を感じる。
 グレンダンの天剣争奪戦の光景以上に、凄まじい違和感だ。

「で、では、あの錬金鋼は何なのですか?」

 カリアンのその違和感を無視して、ニーナがなにやら少し見当違いの方向で質問をしている。
 確かに気にはなっていた。
 カリアンの記憶にある姿では、レイフォンは身体に不釣り合いなほど巨大な刀を持っていた。
 だが、昨日の汚染獣戦でも、やはり身体に不釣り合いなほど巨大な刀を持っていたのだ。
 あの刀については非常に気になる事は事実だ。
 気になることではあるのだが、今この場でなくても何ら問題無い。
 話が進んでしまっているので、もう戻せないだろうが。

「あれは、純銀錬金鋼と呼ばれている」
「シルバーダイト?」

 なにやら強そうな名前が付いた錬金鋼の様だ。
 それはこの場に居合わせた全員の感想だった様で、小さなどよめきが辺りを支配した。
 そのどよめきが静まるのを待って、ゴルネオが口を開き。

「曰く。真の汚染獣を四つに切り裂いたとか」
「おお!」
「曰く。汚染獣の王からヴォルフシュテイン卿が授かったとか」
「おおお!!」
「曰く。この世界を作り上げた神の骨、その欠片が姿を変えた物だとか」
「おおおお!!!」

 ゴルネオの言う曰く話に、その場にいる全員が驚きと納得の声を上げる。
 真の汚染獣を四つに切り裂いたとなれば、それは猛烈な破壊力を秘めた錬金鋼と言う事になる。
 汚染獣の王からレイフォンが授かったとなれば、今世界を席巻している汚染獣は、王の意志に反しているから殲滅するために、レイフォンに送られたと言う事になる。
 世界を作り上げた神の骨の欠片となれば、真面目に神話級の破壊力を秘めていると言う事になる。
 どれをとっても凄まじく、窮地に陥ったツェルニを救う、まさに救世主が持つに相応しい錬金鋼だ。

「そ、それで、どれが本当なんだね?」

 勢い、カリアンも身を乗り出して真実を訪ねる。
 辻褄が合わないので、どれか一つが本当で他が嘘と言う事になるが、それでも十分に凄い。

「うむ。全部嘘だ」
「どわ!」

 思わせぶりなゴルネオのうなずきの後、語られた内容に、その場にいた全員が前のめりに倒れ込んだ。
 カリアンなんか、地面に向かって全力ダイブをかましてしまったほどだ。
 ずれた眼鏡を直しつつ、ただでさえ巨漢であるゴルネオを下から睨み付ける。
 当然だが、それに動じた様子は全く無い。
 非常に悔しい。

「あれは少々特殊ではあるのだが、通常の錬金鋼であることに違いはない。ツェルニでも作ることが出来る」
「無意味な引っ張りだったわけだね?」
「問題は、そんな根も葉もない与太話が信じられるほど、ヴォルフシュテイン卿はグレンダン市民から、絶大な信頼を得ていたと言う事だ」

 まあそうなのだろうと思う。
 与太話が信じられるほどには、レイフォンが信頼されていたのだと言う事は理解出来る。
 その絶大な信頼をねたんで、彼の代わりになろうとしたのがガハルドで、最終的にレイフォンの家族を虐殺するという、本末転倒な行動を取ってしまったのだと言う事が、今の一言で分かった。
 もしかしたら、ガハルドこそレイフォンによって人生を狂わされた犠牲者なのかも知れない。
 そして、レイフォンがそう思ってしまったからグレンダンを出たのかも知れない。
 いや。これはきっと深読みのしすぎだ。
 是非とも間違いであって欲しいと願うほどに、深読みのしすぎなのだろう。

「そこまでは良いだろう」

 体勢を立て直して、視線をヴァンゼに向ける。
 ゴルネオから聞くべき事はまだある様な気はするのだが、取り敢えず精神的な再建が終了するまで、ゴルネオには関わらない様にしたいのだ。

「君もレイフォン君の事を知っていたね」
「ああ。俺の恩人だ」
「恩人?」

 レイフォンは今年の新入生だ。
 カリアンの様にグレンダンに立ち寄ったりしなければ、ヴァンゼとの接点は無いように思える。
 視線で続きを促す。

「十年前のことだが」
「・・・・・・・・・・・・」

 いきなり飛び出した単語に、再建途中の精神が再び粉砕されてしまったようだ。
 非常に嫌な予感がするのも、きっと気のせいではない。

「グレンダンで食糧危機が起こったそうだが」
「養殖プラントで伝染病が流行りました」

 ヴァンゼの説明を、ゴルネオが補強する。
 是非ともこの先は聞きたくない。
 そんなカリアンのことなどお構いなしに、頷いたヴァンゼが続きを口にしてしまう。

「口減らしというのかな? 百人の子供と共に俺の都市に来てな」

 十年前と言えば、レイフォンはまだ五歳のはずだ。
 五歳の子供が百人の子供を連れて、都市間を移動するというのは、かなりシュールな光景に違いない。
 ついでに言えば、ヴァンゼだって十歳くらいのはずだ。

「自分は優秀な武芸者です。雇って下さい。報酬はこの子供達の生活費でいかがでしょうと」

 話がおかしい。
 絶対におかしい。

「それを聞いた有力武芸者の一人が、レイフォン様に勝負を挑んでな」
「無謀な」

 レイフォン様とヴァンゼが言ったことには突っ込まない。
 一々突っ込んでいたら話が進まないからだ。
 そして、無謀だと言ったゴルネオにも突っ込まない。
 天剣授受者の実力など、グレンダン以外では知る者がいない以上、誰かが腕試しをしなければならないのだし、実際にそうなったと言うだけの話だ。

「ああ。開始3秒で錬金鋼を復元させることも出来ずに敗北した」
「ヴォルフシュテイン卿はその辺容赦ないですからね」

 武芸に関しては、極めて冷徹というか、割り切った考えのようだ。
 五歳の子供に瞬殺されてしまった武芸者というのも、かなり問題だが、やはり突っ込まない。

「最終的に、三百人の子供を養う代わりに、家はレイフォン様を二年間雇うことになった」
「それで、一時期ヴォルフシュテイン卿のお姿を見なかったのですね」
「結果的に、俺の都市の武芸者は、質的に異常なほど向上した」

 二人だけで話が進んでいるような気がする。
 これは少々心外という物だ。
 取り敢えず、レイフォン絡みのことには突っ込まずに、八年ほど経っているはずのヴァンゼを何故すぐに認識出来たのか、そちらを突っ込むことにした。

「ああ。俺は昔から老け顔でな」

 そう言いつつ、パスケースを取り出すヴァンゼ。
 その中から写真を一枚撮りだして、カリアンに渡してくれたのだが。

「・・・・。確かに君だね」

 今よりも少し小柄に見えるヴァンゼが、やや照れた表情でレイフォンと共に映っている。
 やや照れて嬉しそうにしているが、それでもこの厳つい顔は明らかに今のヴァンゼのままだ。
 いや。この頃から厳つい顔だったのだと言うべきだろうし、これならばレイフォンがすぐに分かっても何ら問題はない。
 そして思うのだ。
 この時期はまだレイフォンの方が背が高かったようだと。
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
 いや。今のは無し。見なかったことにしよう。
 絶対に間違いだから。

「何故か俺は特に目をかけて頂いてな。あの時の特訓があるからこそ今の俺があるのだ」

 懐かしむように語るヴァンゼ。
 そして、色々と脳内で処理しているために、全く動けないカリアンが持ったままだった写真が突如ニーナによって奪われた。
 見てはいけないその一枚をだ。

「・・・・・・・・・・・・・・。聞いてよろしいでしょうか武芸長?」
「ああ。良いぞ」

 余裕綽々で答えるヴァンゼ。
 対するニーナは、汚染獣戦以上に、恐ろしい物を見てしまったように震えている。
 その心境は理解出来る。

「武芸長が若いのは良いでしょう」
「俺にも子供の時代はあったさ」

 しみじみと言うヴァンゼ。
 どんな子供時代を送ったのか、是非とも知りたいと思う。
 だが、ニーナが聞きたいことはそこではないのだ。

「それは良いとして」
「うむ」
「何故レイフォンは、今と同じ外見なのでしょうか?」

 とうとうニーナが最悪を詰めた箱の蓋を開けてしまった。
 いや。壺だっただろうか?
 そして、ニーナの台詞を理解した武芸者達が、慌てて集まってきて写真を覗く。
 真っ赤な戦闘衣を着込んで、巨大な刀を手に持ったレイフォンと、道着を着込んだ若いヴァンゼが映る、恐怖の写真を。
 あり得ないのだ。
 十年も前の写真であるはずなのに、レイフォンは今と全く変わらない姿をしているなどと言う事は。
 何かのトリックや合成写真だったらいいのだが、恐らく違う。
 十年前にヴァンゼと会って彼を指導したという以上、今目の前にある写真は本物なのだ。
 本物なら、それを説明しなければならないと何処かで判断したカリアンは、倉庫の奥から知識を引っ張り出してみた。

「強大な剄脈がある武芸者は、その莫大な活剄によって成長速度を遅くできるという話を聞いたが」

 成長速度を遅くしているのならば、武芸科生徒で何とか押し通す事が出来るかも知れない。
 三十歳くらいまでならば、なんとか誤魔化せるという期待の元、当たっていてくれという願いと共に訪ねてみた。

「その話は本当だが」

 今にも死んでしまいそうなカリアンの台詞に、ゴルネオが視線をそらしつつ答える。
 何故ここで視線をそらせるのか、皆目見当が付かない。
 そして、やはりヴァンゼも視線を明後日の方向へと向けている。
 これは、もしかしたら。

「レイフォン君の、本当の年齢というのは、いくつなのかね?」

 以前話した時に、レイフォンが武芸大会に参加するのは、犯罪行為だと言っていた。
 それは、実力差から来る物だとカリアンは思っていたのだが、もしかしたら違うのかも知れない。
 例えば既に三十を超えているとか。
 流石に三十を超えてしまっていたら、学生と言うには問題が出てきてしまい、とうてい誤魔化せない。

「公式に、グレンダンでは、ヴォルフシュテイン卿は、十五歳だ」

 何故か一言ずつ切ってゴルネオが言う。
 何故かとても嫌な予感がしてならない。

「非公式には?」

 恐る恐ると、武芸科の誰かが口を開いた。
 知っては駄目だという本能の叫びはしかし、ゴルネオやヴァンゼには届かないようだ。
 その口が開かれ。

「天剣授受者として、グレンダンの諸語者として、ヴォルフシュテイン卿は、五十一年過ごされた」

 一瞬、意味不明だった。
 いや。未だに意味不明である。
 出来れば永遠に意味不明であって欲しいが、そうはいかない。

「十歳の時に、史上最年少で授与されておられる」

 単純計算が出来ない。
 十五歳であるならば、五十一年などと言うのは真っ赤な出鱈目でなければならない。
 五十一年が本当ならば、公式の年齢が十五歳というのは絶対に間違っている。

「今年六十二歳になられる」

 あちこちから、レイフォンは老後の蓄えとして金を稼いでいるという話が伝わってきている。
 フェリからもそう聞いたし、クラスでもその話は有名だ。
 今までは、それがただの口癖や大義名分だと思っていた。
 だが、実際の年齢が六十二歳だというのならば。

「ほ、本当に老後のために貯蓄していたのか」

 その場にへたり込んだニーナの口元に、力ない笑みが張り付いている。
 もはや笑うしかないと言ったところだろう。
 カリアンも同じだ。

「安心しろニーナ」
「何をですか?」

 そんなニーナを哀れに思ったのか、ヴァンゼが跪き肩に手を置いて話しかける。
 その表情には明らかな同情の色が浮かんでいたし、それはゴルネオにも言えることだ。

「グレンダンでは」
「グレンダンでは?」
「レイフォン様は」
「レイフォンは?」
「永遠の十五歳と言う事になっているらしい」

 永遠の十七歳は有名だが、十五歳は始めて聞いた気がする。
 だが、カリアンは瞬時にガタガタになっていた精神に活を入れて、再建させることが出来た。
 グレンダンで永遠の十五歳ならば。

「ツェルニでも永遠の新入生と言う事に出来るかも知れん!!」

 辺りをどよめきが支配する。
 これから先、レイフォンがツェルニに居続けてくれるのならば、最も重要な教官の役を果たしてくれるのならば、それは多少のことに目を瞑っても良いのではないかと。
 いや。むしろ積極的に便宜を取りはからうべきであると思うのだ。
 もしそれが出来るのならば、ツェルニはこの先安泰と言う事になるのだ。
 俄然気力がみなぎってきた。

「それは良いのだが」
「何人生き残ることが出来るのか?」

 蒼白となったヴァンゼとゴルネオのそんな小さな声はしかし、光明を見いだしたカリアンには届かない。
 やる事が決まったのならば、もはや全力疾走有るのみである。
 
 
 
 B B R
 
 
 
 何時ものことではあるのだが、女王であるアルシェイラ・アルモニスは憂鬱だった。
 書類仕事をカナリスに丸投げしてしまっていると言っても、暇な時間が消えて無くなるわけではない。
 いや。暇なら仕事しろと言う突っ込みはあちこちから来ているのだが、働くという精神構造をアルシェイラは持っていないのだ。
 今日も汚染獣を求めて冬期帯を闊歩するグレンダンの、最も高い場所にしつらえたハンモックでだらけつつも、遠い地から届いた手紙をゆっくりと眺める。
 既に何度も読んでいるので、ことさら理解する必要はなく、これを出した武芸者についてあれこれと考えるために手紙を眺めているのだ。
 そんな、これ以上どうしようもなく暇な時間にやってきたのが、アルシェイラの影武者として頑張ってくれているカナリスだ。
 その仕事ぶりには感謝しているのだが、それを表に出すという行為は、何故か非常にためらわれて仕方が無い。
 もしかしたら、アルシェイラの精神構造は決定的に人と違って、ひねくれ曲がっているのかも知れないと、少し他人事のように考える。
 まあ、どっちでも良いのだが。

「レイフォン様からですか?」
「ああ。ツェルニで骨を埋められそうだってさ」

 投げ槍にカナリスに手紙を放る。
 器用にそれを空中でキャッチして速読する。
 この速読の能力があるからこそ、カナリスの仕事速度はアルシェイラよりもかなり速く、昼食が終わったばかりだというのに既に今日の分の書類の決裁が終わっているほどだ。
 別にアルシェイラが欲しい技術ではないが、優秀な部下に一人ぐらいいても何ら不便はない。
 むしろ一人くらいは欲しい。

「それはよう御座いました」

 何故か女王よりもレイフォンに向かう時の方が、遙かに敬意を払っているような節があるカナリスに、少々険悪な視線を放ってみたが、まあ、相手がレイフォンでは仕方が無い。
 長年天剣授受者としてグレンダンを守護し続け、後進の指導や治安維持と言った仕事もきっちりとこなしてきたレイフォンだ。
 しょっちゅうサボっているアルシェイラよりも、よほどカナリスの受けが良いことは理解出来る。
 理解出来るからと言って、納得出来るというわけではないが

「でもねぇ。結局あの老化を完全に止める術は分からなかったのよねぇ」
「あれは、レイフォン様の特殊体質と言うべきだと思うのですが」
「そうなんでしょうけど、女の子としては永遠の若さって欲しいじゃない?」

 グレンダンでレイフォンは永遠の十五歳と言う事になっている。
 それに触発されたアルシェイラは、自身を永遠の十七歳と認めさせようとしたのだ。
 だが、その膨大な活剄を総動員して成長を遅らせてきたにもかかわらず、十七歳で通用しないほどの外見に至ってしまった。
 非常に悔しくて、レイフォンを問い詰めてコツを聞き出したのだが、他人の技を盗むことは得意でも、自分の技術を教えることは非常に苦手なためか、全く要領を得なかった。
 最終的にガハルド事件が勃発。
 その後も色々あったために、レイフォンはグレンダンを出奔してしまった。
 結果的に永遠の若さを手に入れることに失敗。
 非常に理不尽を感じてしまっているが、他の連中から言わせるとアルシェイラの方が理不尽の固まりなのだとか。
 非常に納得行かないが、人の心はどうすることも出来ない。
 今度はツェルニで永遠の新入生と言う事になったようで、非常に嫉妬してしまう。

「ですが」
「ああ?」
「ツェルニの武芸者は地獄でしょうね」

 レイフォンは後進の指導も積極的に行ってきた。
 だが、戦場で長く戦ってきたレイフォンのそれは、猛烈に厳しい物である。
 どれだけの武芸者が泣きながら逃げ出してしまったことか。
 カルヴァーンの道場もかなり厳しいという評判だが、レイフォンのサイハーデンは更に壮絶だ。
 一度覗きに行ったアルシェイラが、思わず後ずさってしまうほどだった。
 そのレイフォンの指導をツェルニの武芸者が受ける。
 一体何人生き延びることが出来るのか。
 そちらの方にも興味があるが。

「失礼します」

 そんな考えの途中、呼んでいたことを忘れかけていたサヴァリスがやってきた。
 何時ものにこやかな笑顔の影に、少々寂しそうな物が見えるような、見えないような。

「レイフォンからの手紙でも来ましたか?」
「・・・。良く知っているわね? 調子に乗っているのはサヴァリスかい? それとも天剣授受者全員?」
「いえいえ。弟がツェルニに居まして。そちらから連絡があったのでこちらにも来ているかと」

 少々飛び退りつつそう言うサヴァリスはしかし、なにやら残念がっているようにも思える。
 まあ、レイフォンがいなくなって寂しいのだろう事が分かる。
 剄量も技量もレイフォンの方が上だった。
 ならば、戦って己をもっと強くしたいと考えるのはサヴァリスとしては当然のこと。
 ガハルド事件が無ければ、今もきっとレイフォンに挑みかかっていたに違いない。
 その楽しみがほぼ間違いなく永遠に失われてしまったがために、サヴァリスはかなり寂しがっているのだと言う事は間違いない。
 まあ、戦っていないと体調を崩すと公言しているから、鍛錬という大義名分が無くなったのが寂しいだけかも知れないが。
 彼にとってガハルドが同門だと言うことは、全く無意味なことなのだろうし。
 レイフォン自身も、ガハルドは罰せられるべきだが、ルッケンスとは関係ないと何度も公式に発表していた事だし。
 双でなければ、ルッケンスは遠の昔に市民の手によって断絶させられていただろう。

「まあ良いわ」

 そんな思考を打ち切り、アルシェイラは本来サヴァリスを呼び寄せた用件について切り出すべく、面倒で仕方が無いがハンモックから身体を起こした。
 そして、滅多に近付かない執務机の引き出しを開ける。
 その引き出しの中には、一年ほど前に返上されたままの天剣がぽつりと存在していた。
 保管庫に入れるとか言う行動を取るべきなのだが、面倒でそんなことする気にならなかったのだ。
 何しろ天剣、ヴォルフシュテインだ。
 レイフォン以外の誰かに使われることを、積極的に拒む恐れもあったために、新たな天剣授受者を探すという行為もためらわれていたのだ。
 まあ、探したからと言って持つに相応しい武芸者がいるとは、とうてい思えないけれど。

「ほれ」
「はい?」

 取り敢えず、気楽にサヴァリスに向かって放り投げる。
 投げられた方は、ある意味非常に珍しく、呆然としつつ反射的にそれを受け取った。
 そして手の中に収まった物を眺めること3秒。

「これをどうせよと?」
「届けなさい」
「・・・・・。レイフォンにですよね?」
「当然だ」

 少し、サヴァリスの周りの空気が変わった。
 いや。部屋全体が熱くなっているような気がする。

「当然ツェルニまでですよね?」
「郵便で送るわけにはいかんだろう」

 いくら何でも、天剣ヴォルフシュテインを郵便で送るという度胸はない。
 となれば、誰か護衛兼運搬係として派遣するのが順当な選択と言える。
 サヴァリスを選んだのは、まあ単なる気まぐれだ。

「ただし!」

 気まぐれだが、褒美を与えやすいと言う事も理由の一部だ。
 多分レイフォンは迷惑がるだろうが、それでもまあ、無いよりはあった方が良いだろうという、ある意味押し売りな思考も混ざっている。

「弱い奴に天剣など不要!」
「おお!」

 褒美が何かをサヴァリスは理解したようで、段々と目が耀きだしている。
 同時に、後ろからカナリスの溜息が聞こえてもいる。
 アルシェイラが何を考えついたのか、それを理解したのだろう。
 だがもう遅い。

「つまりそれは」
「ああ。戦って実力を計って良い」
「弱かったら殺してしまっても?」
「無論だ。弱い武芸者に生き残る資格など無どわ!」
「きゃ!」

 全てを言い終わることが出来なかった。
 なぜならば、サヴァリスが耀いていたからだ。
 人がこれほどまでに耀けるとはとうてい信じられないほどに、まさに黄金の輝きと呼べるほどに眩い、直視してしまえば失明間違い無しの光景だ。
 と言う事で、カナリスと共に手で視界を塞いで輝きが収まるのを待つ。
 だが、輝きは収まるどころか徐々に激しく強く躍動的になってきている。
 これは早々に話を切り上げないと迷惑だ。

「では早々に出立の準備をしろ」
「御意!!」

 その輝きを維持したまま一礼したサヴァリスが、あろう事か王宮の壁を突き破って実家のある方向へと飛び出した。
 いやまあ、アルシェイラの前からいなくなればいいのだが。
 そして、思わず呟いてしまう。

「傍迷惑な奴だ」
「人のことを言えるのですか?」

 突っ込み役のカナリスが溜息と共に言うが、当然アルシェイラには切り返しの手がある。
 とっておきという奴だ。

「ツェルニのことも考えているのだぞ?」
「どの辺がですか?」
「レイフォンとサヴァリスなら、都市が壊れることはないだろう」

 他の天剣の中で、レイフォンと戦って都市が壊れない人間となると、トロイアットくらいしか思いつかない。
 そして、トロイアットを送ってしまったら、来年ツェルニで出産ラッシュになる危険性がある。
 子供を妊娠させたとなると、流石に天剣でも問題になるかも知れない。
 と言う事で、サヴァリスを選んだのだ。
 後付けだが、なかなか良いこじつけだと自画自賛しているアルシェイラだったが。

「あれが、周りの状況に配慮したり、手加減すると思いますか?」
「・・・・・・・・・・・・・」

 既にかなり遠くに行っているにもかかわらず、活剄を使わずにもその輝きを見ることが出来る。
 グレンダン上空に二つ目の太陽が現れたと勘違いした人間が、あちこちで騒いでいるのも、何となく伝わってきている。
 もしかしたら、汚染物質遮断スーツを身に纏っただけで、ツェルニまで自力で走って行ってしまうかも知れない。
 これは少々問題のようなきがしてきた。

「死ぬわねあいつ」
「レイフォン様を怒らせたら、確実に死にますね」

 相手はあのレイフォンである。
 レイフォンの強さとは何か?
 剄量や技量もあるのだが、立つべき大地の堅牢さこそが彼の実力の本質だ。
 ガハルド事件は、その大地を打ち砕き、非常に不安定でいつ暴走するか分からないレイフォンを生んだが、それこそが本質だったのだ。
 見守るべき存在、孫と言って良いだろうそれがいる時、レイフォンはアルシェイラでも危険視するほどの力を発揮してしまうのだ。
 そして、ツェルニに六万人の孫がいる以上、レイフォンに敗北はない。
 サヴァリスは瞬殺されるかも知れない。
 本人もそれが分かっているからこそ、あの凄まじい輝きを放ったのだ。
 クォルラフィンの新しい天剣授受者は、探しておいた方が良いかもしれない。
 そう考えつつアルシェイラは二度目の昼寝をするためにハンモックに戻ったのだった。
 
 
 
 後書きという名の懺悔かも知れない言い訳。

 はい。性懲りもなく集中投稿などと言う事をやっています。
 お気づきの方も多いと思いますが、これはレギオスのご近所さん(富士見ファンタジア文庫)の、ブラックブラッドブラザーズからいくつかの設定と多くのインスピレーションをもらってでっち上げました。
 十一月初めから始めて、僅かに六週間で完結させました。
 いかがだったでしょうか?
 実はこれ、始めは賢者リーリンと、護衛者レイフォンのドタバタ珍道中を計画していたのですが、シュナイバル編を考えている最中危険性に気が付きました。
 いくつもの都市で奥さんと子供を大量生産しているレイフォンと、それに振り回されるリーリンになってしまいそうだったのです。
 これは拙いと言う事で、このような作品と相成りました。
 護衛者レイフォンのために、銀色の刀を持っていたり、言葉遣いがやや古かったり、年を取らなかったり、戦闘衣や都市外戦装備は真っ赤なのです。
 そして、アヒル口の彼女役は今回ミィフィにやってもらいました。
 紫頭は、ヴァンゼの予定でしたが結局出せませんでしたね。
 永遠の十五歳はノリですのであまり突っ込まないで下さい。
 更に、ここでも戦う男サヴァリスさんが登場。
 天剣を持ってツェルニへ。
 レイフォンに殺されなければ、この後の汚染獣戦で元気に戦ってくれるでしょう。
 ちなみに、この先は書きませんので期待しないで下さい。
 書き逃げとか言われそうですが、十六巻があんなことになるとは思いもよらず、このまま進んでしまったら怖いことになりそうなので。
 レイフォンとジルドレイドが日向で芋洋館(ここ重要)をつまみつつ、茶飲み話をする。
 もちろん、最近の若い者はとか、家の孫はとか言う内容。
 そしてその二人を介護(一番重要)するニーナ。
 こうなってしまってはもう、蜘蛛の巣が張っても誰も気が付かないでしょう。
 と言う事で続きは書きません。
 レイフォン(BBR)とジルドレイド(原作)ダン(復活)、ティグリスとデルク(超)みんなそろって老人戦隊、グチレンジャーとか、絶対に書きません。
 もちろん、司令官はデルボネで。
 もし、万が一にでも書きたい方がいらっしゃったら是非やって下さい。
 楽しみに待たせて頂きます。
 
 さて。
 初期段階では主役を張る予定だったリーリンが、本編には全く出てきていません。
 それはもう名前も出てきていません。
 何故か?
 ガハルドに殺された?
 レイフォンの子供を産んでグレンダンにいる?
 他の都市に移住していて、出てこなかっただけでツェルニに居る?
 そんな事はありません!
 ただ単に、俺が忘れていただけです。
 と言う事で、リーリンについてもご自由にご想像下さいませ。
 
 
 では、この作品が年末年始の退屈な時間を潰す一助になりましたら、これ以上に嬉しいことはありません。
 皆さん良いお年を。



[18444] 死闘 ヴァン・アレン・デイ 前編
Name: 粒子案◆a2a463f2 ID:97102e9f
Date: 2011/02/07 21:11


警告。
 この作品は甘すぎます。
 大変危険ですのでご注意下さい。
 
 
 
 
 

 全く突然ではあるのだが、今日はヴァン・アレン・デイというイベントがあるらしい。
 らしいというのは、レイフォンにとってその手のイベントは参加したことがないから、全く他人事としてしか認識出来ないのだ。
 何しろグレンダンにいた頃は、孤児院のためにお金を稼ぐことだけしか考えていなかったし、ツェルニに来てからは武芸科に転科したり、ニーナに付き合って訓練をしたり、更には汚染獣が攻めて来たと言えば戦場に駆り出されたりと、心休まる暇が無かったからに他ならない。
 そう。全くの他人事としてしか認識出来ていなかったから、今日というまさに完璧なタイミングで、喫茶店のバイトなどと言う物を気軽に引き受けてしまったのだ。
 そして、その気軽な決断が今、まさに目の前で恐るべき事態に遭遇するという、あまりにも恐ろしい制裁としてレイフォンの身に降りかかっているのだ。
 午前中の穏やかな日差しが斜めに降り注いでいる、小さめの喫茶店にいる客はたったの二人だ。
 その二人を接客する事こそが、今のレイフォンに課せられた仕事なので、当然のように注文を聞きに行く。
 この場所を考えると、少々おかしな二人組だと思うが、いてはいけないという訳でもない中途半端な客だ。

「スーパージャンボチョコレートパフェ」
「最強なりしチョコレートパフェ特大」

 まず最初に、威風堂々と注文された事に驚いた。
 そんなメニューがここに存在していたと言う事にも驚きを覚える。
 ここはどう割り増しをしても普通の喫茶店でしかない。
 そんな普通の喫茶店に、何でそんな恐ろしげなメニューが存在しているのか、それが非常に不思議でならないのだ。
 だが、その疑問も今目の前でその恐るべき注文を発した人間に比べれば、大したことがないと言い切れてしまう。
 そう。注文した人間とは。

「生徒会長と、武芸長」

 そう。実質的にこのツェルニを支配している陰険腹黒眼鏡の、銀髪イケメン生徒会長ことカリアン・ロスと、武芸科全生徒を統率して、目前に迫っているだろう武芸大会に向けて背水の陣で望み、そして勝利を狙うヴァンゼ・ハルデイその二人なのだ。
 これがナルキやミィフィ、メイシェンだったら何の問題も無かった。
 食べた物が何処に入って行くのか疑問ではあるが、それでも驚きこそすれ恐れることはなかっただろう。
 一億歩ほど譲って、ニーナやフェリだとしても、少々意外な印象を受けるだけであっさりと頷くことが出来ただろう。
 だが、あろう事か注文したのはカリアンとヴァンゼなのだ。
 驚いて当然だし、恐怖しても何ら不思議はない。

「やあ。レイフォン君じゃないか」
「バイトかアルセイフ?」

 全く何時も通りに二人から返事が来る。
 五人がけのU字型になったテーブルを二人で占領し、悪友との語らいを楽しもうという雰囲気と共に返された。
 何時も通りの行動であり、何時も通りの注文であると、この二人は無言で主張している。
 これで、この二人が周りを気にしているというのならば、これほど恐れることはなかったはずだ。
 それは今の事態が、非日常であるという証拠だからだ。
 だが、堂々と誰の目もはばかることなく注文していると言う事は、これこそがこの二人にとって日常なのだと言う事になる。
 
「出来ればなのだが」
「注文を取り次いでもらえるだろうか」
「は、はい。え、えっと」
「スーパージャンボチョコレートパフェ」
「最強なりしチョコレートパフェ特大」

 もちろん、臨時雇いであるレイフォンに、そんな恐ろしい商品についての知識など有るはずもなく、一度聞いただけではきちんと復唱することも出来なかった。
 と言う事で、もう一度二人から注文の品を聞き出し、メモ用紙に書いて厨房に持って行くことしかできない。
 名前からすると、とんでもなく巨大なチョコレートパフェらしいことが分かるが、どれほど巨大かなどと言うことは認識したくなかった。
 だが、残念なことに、レイフォンがバイトすることになったこの喫茶店は現在人手不足なのだ。
 いや。ツェルニのそこここが人手不足なのだ。
 ヴァン・アレン・デイというのは、ツェルニではかなりメジャーなイベントらしく、かなりの生徒が遊びに行ってしまっていて、働き手が非常に少なくなってしまうらしい。
 そうでなければ、全くの素人であるレイフォンが接客業など頼まれると言う事はない。
 そう。出来上がった恐るべき食べ物を注文した二人の元へと、運ばなければならないのだ。

「う、うわ」

 目の前には、恐るべき化け物が居る。
 直径三十センチはあろうかという、透明な樹脂製のバケツに似た容器の全高は、最低でも五十センチに達している。
 さらに、その容器では物足りないとばかりに、山盛りに何か色々な物が乗っているような気がする。
 カリアンの注文したスーパージャンボチョコレートパフェは、白いスポンジの上に大量のカスタードクリームが重ねられ、その上にこれでもかとチョコレートクリームが上乗せされている。
 そのチョコレートクリームが上から見えないほどに、色取り取りの果物が飾られ、頂上にサクランボが恥ずかしげに自己主張をしている。
 対するヴァンゼの最強なりしチョコレートパフェ特大は、茶色のスポンジの上にチョコレートクリームと生クリームが層をなして重ねられ、その上にココアパウダーを振りかけたカスタードクリームで飾り付けがなされている。
 そして頂上に鎮座するのが、ココアバターをふんだんに使ったと思われるチョコレートの固まり。
 見ただけで胃もたれが起きそうなその巨大で凶暴な食べ物を、そっと二人の元へと運ぶ。
 運んだら速攻で逃げ出してしまわないと、暫く何も食べられないと思えるほどに凄まじい食べ物だ。
 これをあの二人が食べると思っただけで、気が遠くなってしまう。

「お、お待たせしました」

 慎重の上にも慎重を重ねて、安全と思える間合いを取りつつテーブルに乗せる。
 決して視線を合わせてはいけないのだ。

「ああ。この頂上を飾るチェリーの奥床しさ」
「うむ。最強の名にふさわしい、君臨するチョコレート」

 二人とも、目の前のあまりにも恐るべき食べ物を見ても、何ら臆することなく戦いを挑もうとしているようだ。
 レイフォン以上の勇者であることは間違いない。

「「この時期しか楽しめないというのが悔やまれる」」

 どうやら、ヴァン・アレン・デイのための特別メニューであるらしい。
 とても安心出来る情報だ。
 二人がそろってスプーンを手に取ったのを確認して、遠ざかろうとしたのだが。

「一緒に食べて行かないかね、レイフォン君?」
「何時も苦労をかけているのだ、おごるぞ、食べて行け」

 二人から恐るべき提案がなされた。
 しかも、話の流れをそのまま素直に考えると、二人は全くの善意で提案してくれているように聞こえる。
 甘い物が苦手なレイフォンにとって、これは嫌がらせ以外の何物でもないのだが、善意の提案というところに非常な問題が有る。
 断りづらいのだ。

「い、いえ。今仕事中ですから」

 だが、レイフォンには奥の手があったのだ。
 そう。人手不足こそが今レイフォンが使うべき奥の手なのだ。
 今現在接客に回れる人間は、レイフォンただ一人。
 他の人間と言っても、それは店長ともう一人だけ。
 その二人は共に厨房で腕を振るっているのだ。
 ならばもう、レイフォンが接客をするしかないではないか。

「安心したまえレイフォン君」
「俺達が食い終わるまで誰も入ってこない」
「う、うわぁ」

 二人が占領しているのは窓際の席だ。
 当然外から丸見えである。
 そして、その恐るべき光景を目撃した人達は、視線をそらせて足早にこの店から遠ざかって行く。
 確かに、二人が食べ終わるまで誰も入ってこない。
 万事休すである。

「さあ」
「さあ」
「さあ」
「さあ」

 二人からのプレッシャーが厳しくなる。
 それは既にアルシェイラのそれを軽く凌駕している。
 恐るべき事態で、レイフォンの身体は全く動かない。
 普段は思うがままに使いこなせる剄脈も、縮こまってしまって全く活動しない。

「さあ」
「さあ」
「さあ」
「さあ」

 二人の手が伸びてきて、レイフォンを捕まえる。
 あまりの恐怖に、完全に思考まで停止。
 促されるままに、二人と同席してしまった。

「ああ。この私を食べてと懇願しているチェリーのなんと魅力的なことか」
「うむ。存在そのものがまさに最強のチョコレート。これを頭上に頂いているとは、まさに最強」

 そう言いつつ二人で巨大で、凶暴で、更に凶悪な食べ物をせっせと攻略して行く。
 それを見ているレイフォンの胃は、既に限界だ。

「このチェリーがあるからこそ、チョコレートパフェは偉大なのだ。そう思わないかねヴァンゼ?」
「何を言うカリアン。完璧であるチョコレートを果物が冒涜していることに、何故気が付かんのだ」
「何を言うのかと思えば。甘さと苦みと酸味の三位一体のバランスこそが、全ての食べ物の頂点に君臨するチョコレートパフェの神髄だというのに」
「おろかだなカリアン。完璧なチョコレートに酸味など不要。苦みと甘みをとことん堪能することが出来るチョコレートパフェこそが、究極の食べ物だ」

 なにやら、お互いの主義主張には隔たりがあるようだ。
 熱く語りつつ共に食べる速度は一切衰えず、魔法にかかったかのようにどんどんと消費されて行くパフェ。
 背筋に悪寒が走りついでのように凍り付き、身の毛がよだち、そして、あまりの事態に魂が何処かへと旅立ってしまった。

「む?」
「ぬ?」

 そして気が付いた。
 本当に魔法にでもかかったかのように、あるいはレイフォンの時間が止まってしまったかのように、巨大で、凶暴で凶悪な食べ物が忽然と消えてしまっていたのだ。
 痕跡と言えば、もはやそれは巨大で透明な容器だけ。

「済まないが」
「追加を頼む」
「・・・・・・・」

 脳が二人の言葉を理解することを拒否した。
 そして、その拒否こそがレイフォンの運命を決定的に狂わせてしまった。

「お待たせしました」
「え?」

 二人が注文した次の瞬間、店長ともう一人が厨房から出てきて、それぞれの前に先ほどと同じ食べ物を置いていったのだ。
 そして、そそくさと厨房へと引き返す。
 まるで逃げるように。

「おお! 相変わらず素早いね」
「うむ! これでこその喫茶店だ」

 なにやら二人は熱く同意しあい、再びスプーンをその手に持った。
 何も食べていないはずなのに、レイフォンは既に満腹状態だ。
 だが、世界はあまりにもレイフォンに対して過酷だった。

「ところでレイフォン君?」
「お前はどっちを支持する?」
「はひ?」

 突然に話を振られて、ここでも思考が硬直してしまった。
 探る二人の視線が注がれる。
 どっちを支持するかと問われても、何をどう支持するのかという以前に、質問の意味が全く分からなかった。
 だが、カリアンのスプーンがチェリーを突き、ヴァンゼのスプーンがチョコレートを突いていることで、やっと理解出来てきた。
 つまり、チョコレートパフェにフルーツは必要か、それとも不必要かという論争に巻き込まれているのだ。

「え、えっと。そもそも食べたことがないので」
「な、なに!」
「なんだと!」

 レイフォンの言葉に、驚愕してしまう二人。
 そんなに異常な事態なのだろうかと考えるが、レイフォンの常識からすると何の不思議もない。
 そうなると、二人の常識的には驚愕的な事実なのだろうと、そうも思うのだが。

「それはいかんねレイフォン君」
「俺達がおごるから食って行け」

 と、何時注文したか不明だが、レイフォンの目の前に通常サイズのパフェが二つ置かれた。
 非常識な巨大さでないだけましかも知れないが、それでもこれはかなりきつい。

「いきなり素人に巨大なパフェはきつかろうと思ってね」
「それを食ってそして考えてくれ。チョコレートパフェに果物など不要だとな」
「ヴァンゼ。レイフォン君まで邪道に貶めるのは良くないよ。自分で考えてフルーツ込みのチョコレートパフェこそが至高であるという結論に達しなければね」
「お前こそ未来ある若者を剄脈の暗黒面に導くべきではないな」

 なにやら目の前で、天剣授受者以上の人外が二人して、猛烈な速度で何かしているような気がする。
 そしてレイフォン自身も、なにやら口の中に入れているような気がする。
 味など全く感じられないが、もしかしたら何かを食べているのかも知れない。
 そして、口の中に何か入ってくる度に、身体の中から何かが抜けて行くような、そんな不思議な感覚も覚えている。
 非常に不可解で不思議な現象に陥っているようだ。

「さてレイフォン君?」
「完食したところで答えて欲しいのだが」

 気が付けば、目の前には空になったパフェの入れ物が二つある。
 そして、レイフォンはと言えば、カリアンとヴァンゼが腹の中に住んでいるのではないかと思えるほど、猛烈な重さを胃の付近に感じていた。
 更に恐ろしいことに、目の前では人外の生き物が二つ、3杯目の巨大な何かを攻略にかかっている。
 気が遠くなった。
 それはもう、幼生体戦で汚染物質に灼かれながら洞窟を走り抜けた時よりも、更に激しく何かに焼かれているというか、もっとこう、人間として何か間違っているのではないかと思えるような、凄まじい状況だ。

「チョコレートパフェに、フルーツは絶対に必要だよね?」
「チョコレートという究極の料理に、酸味など不必要だな?」
「スーパーチョコレートパフェこそが、最上だよね?」
「最強なりしチョコレートパフェこそが、究極の存在だな?」
「あ、あう」

 3杯目の何かを抱えながら、スプーンでそれを掬いつつ迫り来る二人。
 この状況でどちらかを選ぶなどと言うことは出来ない。
 そもそも、目の前にある以上食べたはずだと言う事は間違いないが、味を全く覚えていないという非現実があるのだ。
 この状況でどちらかを選ぶなどと言うことは、とうてい出来ない。

「勿論スーパーチョコレートパフェだよね?」
「当然最強なりしチョコレートパフェだな?」
「あ、あう」
「さあ」
「さあ」
「さあ」
「さあ」
「さあ」
「さあ」

 徐々に、しかし確実に迫る二人。
 その凄まじさはいささかの衰えも見せない。
 レイフォンはもう、この世で幸福になることなど出来ないかに思われた、まさにその瞬間。

「も、申し訳ありませんが」
「何だね?」
「どうした?」

 ゆっくりと息をつき、猛烈な重さの腹を宥める。
 喋ることはおろか、息をすることさえ困難なのだが、それでもなんとか言わなければならない。

「僕はティラミス派なので、パフェのことは分かりかねます」
「な、なに!」
「ぬん!」

 言った直後二人が硬直する。
 だが、この手で何とか乗り切らないと本当にレイフォンは死んでしまうかも知れない。
 決死の覚悟で偶然視界に入った、ショーケースの中のケーキを見詰める。
 ここは喫茶店だ。
 一応普通のケーキも置いてあるのだ。
 いや。普段は普通のケーキしか置いていないはずなのだから、当然であるのに違いはない。

「そうか。それは残念だね」
「うむ。ティラミスとは驚いたが」
「それならばパフェの良さが分からなくても仕方はないか」
「非常に不本意だが、嗜好品を押しつけるのは良くないな」

 どうやら二人とも納得して、引き下がってくれたようだ。
 散々、自分の主義主張が正しいと、レイフォンに言わせようとしていたことには目を瞑って、ゆっくりと席を立つ。
 これ以上の暴力には耐えられそうにないのだ。

「それでは、仕事に戻りますので」
「うむ。ご苦労だね」
「励んでくれ」

 二人からの暖かい声援を受けて、厨房へと逃げ込むことに成功した。
 逃げ込んだ次の瞬間、店長ともう一人に肩を叩かれたのは、非常に納得が行かなかった。
 間違いなく、レイフォンを生け贄にするために、今日という日に雇ったのだと分かってしまったから。
 
 
 
 喫茶店での仕事を終えたレイフォンは、天剣授受者の中でも多いと評価されている剄脈を総動員して、先ほど食べたパフェを消化していた。
 怪我を回復させるために活剄を使ったことは多いが、まさか消化を促進するために使う日が来ようとは夢にも思わなかった。
 今までにない方法で活剄を使っているために、少々効率が悪いが使わない状況より遙かに早く消化している。
 そして、使っているのはレイフォンなのだ。
 器用さだけならばグレンダンのどんな武芸者も足元にも及ばなかったその実力を遺憾なく発揮して、猛烈に重い胃の中身を凄まじい速度で消化して行く事が出来るようになりつつある。
 摂取したカロリー的には、実は大したことはないはずなのだが、あまりにも甘い物を大量に食べてしまったために、活剄を使って消化能力の底上げをしないと、数日は何も食べられそうになかったのだ。
 だと言うのに、カリアンとヴァンゼはあんな恐ろしい物を、平然と三つも食べてのけていた。
 天剣授受者が強大な剄脈を持っていたとしても、そんな物は全く無意味な世界があるのだと、思わず心の底から納得してしまうほどに凄まじい体験だった。

「レ、レイとん」
「はい?」

 そんな凄まじい体験を終えて、生きて寮へと帰れる喜びを満喫している最中、恐る恐るとかけられた声に振り向く。
 レイとんと呼ばれただけで、おおよそ候補は絞り込めていた。
 現在ツェルニでそう呼ぶのはただの三人。
 その中で、恐る恐るとレイフォンを呼ぶのはただ一人。
 振り返った先にいたのは、予測通りの人物だった。
 何時も泣き出しそうな瞳をした黒髪の、大人しい少女であるメイシェンだ。
 いや。今日はいつも以上に泣き出しそうな瞳でレイフォンを見つめている。
 何かあったのだろうかと小首をかしげて、そして恐怖した。
 そう。メイシェンは一片が三十センチはあろうかという、紙で出来た箱を抱えているのだ。
 中身は何だろうかと普段ならば考える。
 だが、ヴァン・アレン・デイである今日は考える必要はない。
 お菓子である。
 何しろメイシェンの趣味はお菓子作りだ。
 これで他の食べ物だったというオチならば、是非とも願いたいところではあるのだが、間違いなくそうはならない。

「こ、こんばんはメイ」
「こ、こんばんはレイとん」

 取り敢えず無難な挨拶から入って、今まで以上に活剄の密度を上げて、チョコレートパフェを消化する。
 1秒でも長く、この消化作業をするために老性体戦で使った以上の活剄を総動員する。

「あ、あの」
「なんでしょう?」

 あうあうと口元をもごもごさせながらも、必死になってレイフォンを見詰めるメイシェン。
 あまりにもその必死な態度に、何故か不明な罪悪感が湧いてきた。

「え、えっと」
「あ、あう」

 とは言え、レイフォンにこの場をどうにかするという甲斐性は存在していない。
 二人して、あうあうと言って時間が無駄に流れてしまっている有様だ。
 いや。無駄ではない。

「えっと、それってお菓子?」
「あ、あう。お菓子です」

 やはりお菓子だった。
 だが、今のやりとりで稼いだ30秒は無駄ではない。
 その時間で何とかチョコレートパフェを消化し尽くすことが出来た。
 摂取したカロリーを消費することは流石に出来なかったが、活剄を使ったために上がった体温がやってくれるだろうと確信して、メイシェンの次の言葉を待つ。

「もし良かったら、一緒に食べてもらえませんか?」
「喜んで」

 喜んでと言った時、きちんと笑えていたか疑問だが、取り敢えずメイシェンの方は、まさに耀くばかりの笑顔になっている。
 この笑顔を生み出せたのだから、きっとレイフォンも笑えたのだろうと思うのだ。
 だが。

「えっと、何処で?」
「あ、あう」

 何処で食べるかという問題がすぐに出てきた。
 何しろここは人通りが少ないとは言え、天下の往来なのだ。
 今も一人の少年が、レイフォンに殺意の視線を飛ばしつつ、路面を蹴りながら寮のある方向へと去っていった。
 殆ど顔を知っているだけの人物に、何故殺意を向けられるのか全く理解出来ないが、取り敢えず実際に戦闘にならなかったから良しとしよう。

「え、えっと。れ、れれれれ」
「れ?」
「レイとんの部屋で食べませんか」

 一転、何故か不明だが涙を流しつつそう言うメイシェン。
 今日は意味不明な事態が立て続けに起こる日のようだ。
 そんなどうでも良いことに驚きつつも、返事は当然一つだ。

「別にかまわないけれど」
「あ、あうあう」

 何故か更に涙を流しつつ取り乱すメイシェン。
 なにやら感情が複雑に混ざり合っていて、判別不可能で全く意味不明である。
 全く意味不明だが、危険であることは何となく分かった。
 どんな風にかは全く理解出来ていないが、それでも危険であることは間違いないと本能が告げている。
 なのでそれを回避するために、現在位置と周りにある施設を脳内で高速検索。
 使えそうな場所が一つ見付かった。

「でも、掃除していないから少し違うところにしようか」
「あ、あうぅぅぅぅぅぅぅ」

 何故か脱力してしまうメイシェンが、非常に不思議だった。
 とは言え、危険であるという感覚は消えているので、ヒットした場所へとメイシェンを誘う。

「こ、ここですか?」
「うん。ここ」

 時々レイフォンも利用する自習室だ。
 自習室と言っても、実際には単なる休憩所となりはてているという、学園都市としては非常に困った施設である。
 だが、冷暖房完備の上に割と大きな部屋を貸しきりにすることが出来る上に、飲み物の販売機まであるとなってしまえば、何かにかこつけて利用しない手はない。
 運良く小さめの部屋が一つ空いていたので、そこへ入って扉を閉める。
 そして違和感を覚えた。
 扉を閉めた瞬間、メイシェンの周りに変な緊張感が漂い始めたのだ。
 その姿は、何かから身を守ろうとしているように思えるのだが、ここにはレイフォン以外にいないのだ。
 全く意味不明だ。
 だが、一つだけ思い当たることがある。

「あ!」
「ひっぃ!」

 思わず声を出してしまったために、小さな悲鳴を上げて身体を硬直させるメイシェン。
 だが、これは全てレイフォンが悪い。

「飲み物買ってきてないね」
「あうぅぅぅ」

 メイシェンは何故か脱力してしまったが、兎に角飲み物を調達しなければならない。
 そのために閉めたばかりの扉に手をかける。
 自動販売機しかないが、それでも飲み物なしでお菓子を食べられるほどレイフォンは強靱な生き物ではないのだ。
 
 
 
 
予告
 何が違う? 何が変わった?
 全て同じチョコレートだ!
 だが、レイフォンの身体はその違いを感じ始めていた。
 そして訪れる最大の恐怖!

次回 ショート・オブ・レギオス
死闘 ヴァン・アレン・デイ 後編
 
 もう一度レイフォンと共に地獄を見てもらおう。



[18444] 死闘 ヴァン・アレン・デイ 後編
Name: 粒子案◆a2a463f2 ID:97102e9f
Date: 2011/02/14 21:35


警告。
 この作品は甘すぎます。
 大変危険ですのでご注意下さい。
 
 
 
 覚悟を決めた以上やらなければならないので、メイシェンの希望を聞き、自分の分も飲み物を買ったレイフォンが部屋へと戻った瞬間、世界が終わる音を聞いてしまった。

「う、うぁ」

 狭い部屋の中央に置かれたテーブルに、メイシェンが取り出していた物はケーキだった。
 それは直径が三十センチはあった。
 それの高さは、確実に十センチはあった。
 更に、チョコレートでコーティングされていた。
 止めとばかりに、コーヒークリームでデコレーションされていた。
 もしかしたら、スポンジもチョコレートかも知れないと言う恐怖が、レイフォンの歩みを完全に止めさせる。
 汚染獣相手だったならば、例え老性六期だったとしても恐れることがなかったレイフォンだが、目の前の敵はそんな生やさしいものでは無い。

「あ、あのレイとん?」
「あ、あう」

 だが、逃走は許されない。
 レイフォンの動揺と硬直を見たメイシェンが、もしかしたら食べたくないと言い出すのでは無いかと不安がっているのだ。
 既に表面張力で支えられている涙を見た以上、逃げる事など出来はしない。
 そして同じ理由によって、敗北も許されない。
 残してしまったが最後、きっとメイシェンの心に一生残る傷が出来てしまうから。
 そう。目の前の恐るべき敵に挑み、そして勝つ以外の選択肢など無いのだ。

「美味しそうだね」

 動揺と硬直を必死に殴り倒して微笑みつつ、脚が震えていることを気取られないように細心の注意を払いつつ、ついでに飲み物を溢さないように気をつけつつ、テーブルに近付く。
 やると決めた心が折れてしまいそうだが、全力でそれを防ぎつつも、出来れば汚染獣がやってきて有耶無耶の内にご破算にならないかと願ってしまっている。
 そんな物騒な事を考えているなどと、当然知らないメイシェンが、それでも笑顔を作り力作の紹介をしてくれる。

「昨日から二日がかりで、一生懸命作ったんです。一緒に食べようと思って」
「そ、そうなんだ。有り難う」

 もし、万が一にでも、先ほどあの強大で凶暴で凶悪な恐るべき食べ物をこの世から消滅させていた二人を見ていなかったら、全く何の問題も無く食べきることが出来ただろう。
 甘い物があまり得意でないレイフォンのためにと言うことは、目の前のケーキは甘さ控えめなのだ。
 普段だったら、一人で全部食べることも出来るに違いない。
 そう。今日でなければ。

「い、頂きます」
「はい。召し上がれ」

 始めから逃走などと言う選択肢はないのだが、それでも目の前で期待のこもった視線で、必死に見詰められてしまってはどうすることも出来ない。
 手が震えるのを何とか押さえつけつつ、切り分けられたピースにホークを伸ばす。
 小さすぎないように切り取り、そして恐る恐ると口へと運び。
 一口。

「!!」

 まず始めに感じたのは苦みだった。
 奥深くコクのある苦味が舌の上に広がる。
 そして、ほのかに感じる甘味と、その更に後ろに隠れている微かな酸味。
 シナモンの香りをアクセントにしたそれは、ケーキという姿を借りた芸術品だった。

「あ、あの、れいとん」
「な、なに?」

 甘い物があまり得意でないレイフォンにとって、このケーキはまさに奇跡のような存在だった。
 何もない平和な一日の終わりだったなら、本当に丸ごと一つ食べることだって出来るだろう。
 だが、そのレイフォンの感動を見ているはずのメイシェンは、何故か酷く戸惑っているように見える。
 いや。むしろレイフォンを心配しているのだろうか?
 もう少しで取り乱しそうな雰囲気と共に、ゆっくりと唇が開いて言葉を送り出す。

「な、泣くほど美味しくなかったですか?」
「え?」

 心配しているのではない。
 もしかしたら、泣くほど不味い物を作ってしまったのではないかと、猛烈な自己嫌悪の一歩手前だったのだ。
 そして、気が付かないうちに流れていた嬉し涙をぬぐう。

「違うよ」

 安心させるために、そっと微笑む。
 今は確実に笑えているはずだ。
 本当に美味しいから。

「涙が出るほど美味しいんだ」

 そっと手を伸ばし、ホークに掬った一切れをメイシェンに差し出す。
 少し戸惑ったように見えたメイシェンだが、そっと口を開けてケーキの味を確認する。
 メイシェンが作るお菓子が、不味いなどと言うことはないのだ。
 今日見てきた、あの暴力的な何かと比べるべくも無く、とても美味しいのだ。

「良かった」

 自分の作った物の味を再確認して、それが不味くないことに納得がいったのか、メイシェンの表情が穏やかになった。
 そして唐突にレイフォンは理解してしまった。
 カリアンとヴァンゼは何も理解していなかった。
 チョコレートとはかくあるべき食べ物なのだと。
 あんな暴力的に加工してはいけないのだ。
 人生で始めての体験である、本当のチョコレートケーキを食べつつ、今生きている幸せも一緒に噛みしめた。
 
 
 
 メイシェンの持ってきてくれたケーキはまさに絶品だった。
 かなり大きかったが、五分の三はメイシェンが食べた。
 あの細い身体の何処に消えたのか全く不明だったが、それでも事実としてケーキは跡形もなくこの世から消滅した。
 いや。胸付近なら十分に収納出来るかも知れない。

「・・・・・・・・・・・」

 不埒なことを一瞬ほど考えたが、それでもあのケーキが美味しかったことに変わりはない。
 そして残ったのは、メイシェンの幸せそうな笑顔と、レイフォンの満たされた心だった。
 チョコレートケーキがあれほど美味しい物だとは思いもよらなかったのだが、間違ってはいけない。
 あれはメイシェンがレイフォンのために作ってくれたからこそ、あれだけの美味しさを発揮出来たのだ。
 普通に売られている品物と比べることは許されない。
 と言うわけで、喫茶店の接客で酷い目にあったが、一日の収支としてはとんとんである。
 いや。むしろ黒字である。
 鼻歌交じりに帰宅するくらいには黒字なのだ。
 だが!

「フォンフォン」
「はい?」

 この呼び方でレイフォンを呼ぶ人間は、ツェルニでただ一人。
 陰険腹黒眼鏡のイケメン生徒会長カリアン・ロスの妹さんだ。
 優秀な念威繰者であり、無理矢理武芸科に転科させられ、カリアンを恨んでいると公言してはばからないフェリだ。
 そして、こんな近くに来るまで接近に気付かなかった己の未熟さを呪いつつも、何故か走馬燈が見えた。
 その走馬燈の中に、何時ぞやの老性体戦の前に、フェリが料理をするところが見えた。
 その手つきは極めて危険であった。
 その記憶と共に振り返って姿を確認したレイフォンは、今日何度目かの絶望を味わった。
 箱を抱えているのだ。
 一片が五十センチはあろうかという、巨大な箱だ。
 高さも、最低限三十センチはある。
 そして何よりも、かなり重そうにフェリに抱えられたその箱の中身は、今日という状況から考えるとお菓子に違いない。
 走馬燈が見えたのは気のせいではなかったようだ。
 メイシェンのケーキで持ち直したはずの胸のむかつきが再現してきている気がする。
 更に悪いことに、活剄を使って消化能力を促進していなかった。
 つまり、胃の中にまだケーキが残っているのだ。
 そんなレイフォンの事などお構いなしに、何時も無表情なフェリだが、今は少し不安そうな空気をその身に纏っているような気がする。
 そして、その空気と共に、ズイと箱が差し出された。

「お菓子です」
「あ、あの?」
「お菓子です」
「え、えっと?」
「お菓子です」

 何か恐るべき兵器で攻撃されているような気がしてきた。
 不安そうな空気を纏いつつも、無表情で迫ってくるフェリから後ずさろうとして、そして気が付いた。
 念威端子に囲まれている。
 それは、いくら元天剣授受者だったとしても逃げ切ることが出来ないほどに、高密度且つ広範囲に浮遊する念威端子の包囲網だ。
 そしてその念威端子が無言で語っているのだ。
 拒否は許さないと。

「い、頂きます?」
「何故疑問系なのですか?」
「さ、さあ」

 疑問に思うことはいくらでもある。
 何故フェリがここで待ち伏せしているのかとか、何時料理が出来るようになったのかとか、何故これほど巨大な箱に入っていて、尚かつ重そうなのかとか。
 だが、受け取り拒否は即座に死刑である。
 手が震えないように、細心の注意を払いつつも受け取る。
 予測に反することなく、その箱はかなり重かった。
 最低でも五キルグラムルはある。
 中身はケーキではない。
 クッキーかも知れないし、もしかしたらチョコレートかも知れない。
 普通に考えて、短い時間で食べきることは不可能だ。
 だが、世界は何処までも理不尽であり残酷であった。
 フェリが更に一歩前と進み出て、一言言ったのだ。

「さあ。食べて下さい」
「い、頂きます」

 迫るフェリに押される形で、箱の蓋を開けたレイフォンは硬直してしまった。
 それはチョコレートだった。
 いや。多分チョコレートだと思う。
 あちこちに焦げ目が付いていて、不揃いである。
 更に何かまだら模様になっている。
 だが、それでも綺麗に箱に詰められたところを見ると、結構真剣に作った作品かも知れない。
 初めての挑戦で、少し失敗してしまっただけかも知れないのだ。
 焦げているとは言え、それは焦げ目が付いているという程度でしかない。
 消し炭になっているわけではないのだから、きちんと食べられる。
 まだら模様になっているとは言え、食べられない物が混ざっているというわけでもないだろう。
 その結論に達したレイフォンは、隠しきることが出来ない手の震えと共に最初の一つをつまんだ。

「安心して下さい」
「!! な、なにをでしょうか?」

 口元へと持って行く前に、フェリの声が聞こえてきた。
 危うく持っていた一欠片を取り落としそうになってしまったが、精神力を総動員してそれを防ぐ。
 そして改めてフェリを見る。
 なにやら自信満々な様子だ。

「兄を使って実験、いえ。・・。生け贄、なんてことはなく、毒味、でもなく・・・・。そう。味見をしてもらっています」

 なにやらカリアンに同情したくなったのは、どういう精神的な動きがあったのだろうか?
 自分のことながら少し不思議だ。
 だが、カリアンを使って安全が確認されているのならば何も恐れることはない。
 何時実験だか生け贄だか毒味だかをさせたか、非常に疑問ではあるが、それでも安全が確認されているのならば大丈夫だ。
 大丈夫だと良いなと思いつつ、勇気を振り絞って、小さめの一つを口の中に放り込む。

「!!!」

 次の瞬間感じたのは、苦味だった。
 香ばしく軽やかな苦味だ。
 これは間違いなくチョコレートを焦がしてしまった時の副産物である。
 だが、その軽やかな苦味が心地よいような気がする。
 そして次に感じたのは、何故か酸味だった。
 果物の酸味ではないような気がするが、では何かと問われると非常に困る感じの酸味だ。
 だが、これも悪くはない。
 軽やかな苦味とやや刺激的な酸味は、レイフォンの舌を多少刺激する程度ですんなりと口の中に溶けて行く。
 そして、そのあとからやって来たのが微かな甘味。
 これはこれで有りだ。
 一般的なチョコレートとは、やや味の配分というか順序が違うが、それでも食べられないというレベルの話では無い。

「美味しいですよ。少し変わっていますけれど」
「そうですか。兄の犠牲は無駄ではなかったのですね」

 やはり、カリアンは既にこの世にないようだ。
 静かに黙祷を捧げつつ、ふとおかしな事に気が付いた。
 フェリの視線が厳しいままなのだ。

「あ、あのフェリ?」

 疑問に思う。
 これだけの質量を持ったお菓子を、短時間に食べきることは不可能。
 チョコレートである以上日持ちするはずだから、冷蔵庫などに入れておいて、ゆっくり消費するのが通常の行動のはずだ。
 だと言うのに、フェリの視線は語っているのだ。
 ここで全部食べろと。

「さあフォンフォン。遠慮しないで私の目の前で、全部食べて下さい」
「ぜ、全部ですか?」

 はっきり言って、五キルグラムル以上あるチョコレートを食べるとなると、最低でも一週間はかかる。
 他に何も食べなくて、死ぬ思いで食べても一週間はかかるはずだ。
 普通に考えれば二ヶ月はかかる。
 それを、今、フェリの前で食べろと言うのだ。
 これはもしかしたら、善意に基づく拷問ではないだろうかと勘ぐりたくなってしまう。
 だが、やはり逃走も敗北も許されないのだ。
 美味しいと思っていることもそうだが、善意の行動である以上それを疎かにすることは出来ないのだ。

「で、でも」

 でもである。
 流石にこの量は多すぎる。
 全力の活剄を使って消化したとしても、当然限界がある。
 体表面の毛細血管を最大限拡張して、余分なエネルギーを放熱させたとしても追いつかない。
 褐色脂肪細胞を酷使したら、もしかしたら食べきることが出来るかも知れないが、問題が有る。
 レイフォンの体脂肪率は少ないのだ。
 当然、褐色脂肪細胞の数だってたかが知れている。
 となれば、フェリの注文に応えることは不可能。
 だが、レイフォンを見詰める視線を前に、否と答えることは出来ない。

「えっとフェリ?」
「何でしょうか?」
「一緒に食べませんか?」

 となれば対応は自ずと決まってくる。
 メイシェンはレイフォンよりも多くチョコレートケーキを食べることが出来た。
 ならば、フェリも多く食べることが出来るのではないかと考えたのだ。
 二キルグラムルくらいならば、何とか食べられるかも知れない。
 と言う事で、フェリには三キルグラムルほど食べて欲しいのだ。

「分かりました。そちらに自販機がありますから移動しましょう」
「そうしましょう」

 レイフォンの提案は何の問題も無く受け入れられた。
 これは幸先が良いかもしれない。
 そして二人で飲み物を買い、ベンチに座って巨大な箱を中央に置いた。
 取り敢えずレイフォンが先行して、一つつまんで口に放り込む。
 やはり苦味と酸味を感じるが、きちんと食べることが出来るチョコレートだ。
 喫茶店で体験したあの恐怖の食べ物とは、雲泥の差がある。
 だが、おかしい。

「あ、あのフェリ?」
「・・・。私の事は気にせずに食べて下さい」

 何故か、フェリのアクションが全く無いのだ。
 これはかなりの計算違いだ。
 これではまるで、レイフォン一人で食べているのと変わらない。

「胸がいっぱいなのです」
「胸ですか?」

 思わずフェリの胸元を見る。
 確かに、メイシェンと比べたら収納出来る体積はかなり小さいかも知れない。
 となれば、既に何かの理由で限界まで入ってしまっているのかも知れない。

「死にますか?」
「ごめんなさい」

 当然そんな視線を感じ取ったフェリに怒られてしまった。
 と言う事で、せっせとチョコレートを口に運ぶ。
 段々味が分からなくなってきた。
 いくら活剄の密度を上げても、ちっとも消化しているという感覚がない。
 だが、確実にレイフォンの身体は余分に取ったカロリーを熱として放出している。
 確実に食べてそのエネルギーを消費しているはずだというのに、目の前にある箱の中身はちっとも減ったという感じがしないのだ。
 これはやはり拷問かも知れない。

「三日ほど前から」
「はひ」
「色々と試してきたのです」
「はひ」

 段々意識が遠のいてきているような気がする。
 既に走馬燈も見えない。

「散々兄に味見をしてもらったのですが、とうとう昨日倒れてしまいまして」
「そうだったんですか?」

 昨日倒れた人間が、今日あれと戦っていたと思うと、思わず尊敬したくなってしまった。
 だが、カリアンにとってこの時期にしか食べることが出来ないあれは、自らの命を賭けるに相応しい物なのかも知れない。
 死力を尽くして食べていたのかも知れないと思うと、やはり尊敬に似た思いがわき上がってくる。
 いや。もしかしたら、その身はすでに朽ち果て、狂おしい憎悪で魂が変革していたのかも知れない。
 取り憑かれていたら、一巻の終わりだったと恐怖を覚え始めた。
 そんなレイフォンの事などお構いなしに、フェリの回想はいよいよ佳境に入ったようだ。

「それで」
「はひ?」
「自分で味見をしている内に、暫くチョコレートは見たくなくなりました」
「成る程」

 その気持ちはレイフォンにも理解出来る。
 今まさに、レイフォンはその心境なのだ。
 だが、箱の中身を見ないように注意しつつも、一瞬たりともフェリの視線はレイフォンから離れない。
 そしてその視線は語っているのだ。
 全部食べなかったら、レヴァとなってツェルニを滅ぼすと。
 レヴァがなんなのか全く不明だが、レイフォンの献身的な行動によってツェルニが救えるかも知れないことは分かった。
 だからこそレイフォンは食べ続ける。
 例えこの身が砕けようと、あまりにもカロリー摂取が多すぎて鼻血を吹き出そうと、ツェルニを救うために食べなければならないのだ。
 老性体などと言う生やさしい敵と戦っていた天剣授受者が、酷く矮小な存在に思えてきたが、それでも食べ続ける。
 孤独な戦いはまだまだ続く。
 
 
 
 その翌朝から、全力の活剄で外苑部を走り続けるレイフォンが目撃されたとか何とか。
 あまりにも膨大なカロリーは、元天剣授受者でも消費するには時間がかかるらしい。
 
 
 
 全く関係のない事ではあると思うのだが、同じようにジョギングやウォーキングをする女生徒が大量に発生したらしい。
 そして、ヴァン・アレン・デイ特集をやっていた習慣ルックンが、今度はダイエット特集をやって完売したとか何とか。
 色々な事があったが、ツェルニはおおむね平和だ。
 
 
 
 後書きに代えて。
 はい。二週にわたって投稿させて頂いた恐怖の戦闘もここに終焉を迎えました。
 最初の計画では、カリアンとヴァンゼのパフェ談義にレイフォンが巻き込まれるだけだったのですが、何故かメイシェンとフェリが飛び入り参戦してこんな長い話になってしまいました。
 ちなみに、五キログラムのチョコレートは、おおよそ三万キロカロリーほどあるはずです。
 五グラムで三十キロカロリーくらいね。
 おおよそ十五日から十八日程度分のカロリーですね。
 普通の人間が食べたら、相当酷いことになるでしょうから真似はしないように。
 更にちなみに、レヴァになってツェルニを破壊ネタは、ミッシングメール六巻、カバーを外すと出てくるおまけ漫画が大元です。
 しかし、超学園都市を書くつもりだったのに何でこんなの書いているんでしょうね?
 最近どうも横道にばかりそれている自分が理解出来ない作者でした。



[18444] 超放浪バスの車内から 前編
Name: 粒子案◆a2a463f2 ID:97102e9f
Date: 2011/05/11 19:34


 レイフォン・サイハーデンは武芸者である。
 つい数ヶ月前までは、零細武門の継承者として、あるいは、孤児院の運営資金を稼ぐために、せっせと汚染獣と戦っていた。
 現在は、グレンダンで最も有名な武芸者の一人として数えられ、その実力はもしかしたら最強の武芸者であるはずの、天剣授受者を越えるのではないかとさえ噂されている。
 非常に迷惑な話だ。
 天剣授受者に遊び感覚で命を狙われ、一般武芸者からは腕試しの標的として襲いかかられ、一般人からは手頃な見せ物として好奇の視線を向けられている毎日が続いている。
 そして今、目の前にいるのはその天剣授受者の一人、化錬剄の使い手であり変幻自在の攻撃を得意とする、トロイアット・ギャバネスト・フィランディン卿その人である。
 サーヴォレイド卿と同じように、直線的でない上に広範囲の攻撃を放つという、危険極まりない武芸者である。
 更に何か不明なのだが、非常に攻撃的というか殺気立っているというか、危険極まりない武芸者が危険極まりない雰囲気に包まれているのだ。
 今日がレイフォンの命日かも知れないと、そう覚悟するほどに危険極まりない。

「あ、あの、ギャバネスト卿?」
「ああ? 遺言なら聞いてやるぞ?」

 既に死刑宣告である。
 他の天剣授受者と同じように、その手に持っているのは通常の錬金鋼のようではあるのだが、その身に宿るやる気はクォルラフィン卿以上であるように思えてならない。
 きっと気のせいだと思うのだが。

「あ、あのぉぉ」
「ああ? さっさと遺言を残せ。そしてその腑抜けた身体と心を消し飛ばしてやる」

 なにやら凄まじい気配が辺りを支配する。
 ヴォルフシュテイン卿さえ、あっさりと凌駕しそうな程の、凄まじい気配だ。

「貴様!」
「は、はい!」

 しびれを切らせたように、戦声を放ちつつレイフォンに迫るギャバネスト卿。
 いや。別段そんなつもりはないのだろうが、声に剄が籠もってしまっているために自然とそうなるのだ。
 それは、やる気が溢れてしまっているという証拠であり、レイフォン的には非常に困った事態なのだ。
 そして。

「貴様! クララが迫ってきたというのに逃げ回っているそうだな!」
「は、はい!」

 思わず直立不動の姿勢で返答をしてしまった。
 今この瞬間に攻撃されたら、どうすることも出来ないほどに、完璧に直立不動の姿勢だ。

「ええい! そんな軟弱で脆弱で虚弱な態度でどうする!」
「ひ、ひえ?」

 何か違う。
 ギャバネスト卿は他の天剣授受者達と、何かが決定的に違う。
 それがなんなのか、それは分からないのだが、何かが違う。
 だが、その疑問はすぐに氷解することとなる。

「据え膳食わぬは男の恥という諺を知らんのか!!」
「知りません!」

 思わず突っ込んだ。
 やはり、王族であろうと天剣授受者であろうと、レイフォンは突っ込めるという異常体質になってしまったようだ。
 全然嬉しくないけれど。
 そして理解した。
 ギャバネスト卿はクラリーベル様と、そう言う関係にならなかったことに対して、猛烈な勢いでお怒りになられていらっしゃるのだ。
 二重敬語になるくらいに、きちんとレイフォンは理解した。
 そしてもう一つも。

「痺れ薬はギャバネスト卿の入れ知恵ですね」
「ああ! まさかあんな展開になるとは夢にも思わなかったがな」

 それはそうだろうと、思わず同意してしまう。
 レイフォンだって、いや。
 グレンダンにいる殆ど全ての人にとって、あの展開は予測不可能だったはずだ。
 だからこそ、クラリーベル様への憤りとレイフォンへの苛立ちが、ギャバネスト卿をここまで危険極まりない存在にしているのだ。
 理解できても全然嬉しくないけれど。
 そして、未だ怒りが収まらない様子で、錬金鋼を持ち直すギャバネスト卿。

「あ、あの」
「なんだ? 今からクララを押し倒しに行くんだったら手加減してやるぞ?」
「無理です」

 何かとんでもないことを仰るギャバネスト卿。
 クラリーベル様を押し倒すなど、そんな度胸レイフォンにあるわけがないのだ。
 いや。あったとしてもやらない。
 万が一結婚などと言う事になれば、天剣授受者にならなければならない。
 それは、他の天剣授受者に口実を与えると言う事だからだ。
 レイフォンは死ぬわけにはいかないのだ。

「ならばここで消し炭になって死ね!!」
「ま、待って!!」

 問答無用で何か技を発動しようとするギャバネスト卿を、決死の覚悟で止める。
 ただ死ぬのを先延ばしにするだけで既に決死である。
 良く今まで生きてこられたと、自分のことながら感心してしまうほどの異常事態だ。

「なんだ? クララを押し倒すというのならば!」
「タ、タイマー」
「ああん?」
「タイマーをセットして下さい」

 そうなのだ。
 一分という時間制限があるにもかかわらず、ノイエラン卿以降何故かその制限が無意味になりつつあるのだ。
 理由はいくつもあるが、決定的に制限時間を守るべき人達が、無視しているという事実がある。
 特にヴォルフシュテイン卿に至っては、時間制限を最初から無視して襲ってくる始末だ。
 クラリーベル様は、まあ天剣授受者ではないから制限時間の枠組みから外れているので、何とも言えないが。
 それは置いておいて。
 一時期レイフォン自身がタイマーを持とうと思ったこともあったが、ある危険性に気が付いたために止めてしまったのだ。

「細かい男は嫌われるぞ?」
「嫌われていても、生きていたいですから」
「軟弱な奴だ」

 そう言いつつもギャバネスト卿は右手を内ポケットに伸ばし、そしてタイマーを取り出した。
 ご丁寧に、首から下げるための紐が付いているという優れものだ。
 これならスイッチを押した次の瞬間には、錬金鋼を持って戦闘を行うことが出来るだろう。
 それは良い。

「あ、あの?」
「ああんん?」

 同じその右手に握られているのは、二つ目の錬金鋼。
 錬金鋼を複数持つことは別段ルール違反ではない。
 とっかえひっかえ攻撃することで、錬金鋼の放熱を考えずに戦えるというのは、レイフォンにとって地獄以外の何物でもないのだが、それは別段問題無い。

「ちゃんと一分ですよ?」
「・・・・・。お前が持ってるか?」
「嫌です」

 レイフォンがタイマーを持っていると、そのタイマー目がけて執拗な攻撃がやってきそうなのだ。
 もちろん、壊して時間制限を有耶無耶にするために。

「っち!」

 ギャバネスト卿の小さな舌打ちが聞こえたところを見ると、実際にそう言う展開を期待していたようだ。
 不慮の事故からさえ、レイフォンは自分を守らなければならないらしい。
 不慮の事故で片付けられては困るのだが。

「押すぞ。押すぞ。押すぞ。押すぞ。はい押した!」

 極めて珍しいことだが、押すまでのカウントダウンがあった。
 だが、現実にはそんな些細なことにこだわっている時間など、レイフォンにはなかったのだ。

「イィィィツァァァァァショォォォォォタァァァァイムゥゥゥゥゥゥ」

 外力衝剄の化錬変化・・・・・・。
 技の名前は分からないが、ギャバネスト卿の頭上に破壊力を秘めた光源が出現。
 そして、空気の層が出来上がり、それがレンズの役目を果たして、攻撃力となってレイフォンへと迫る。
 しかも二つ。

「う、嘘だぁぁぁぁぁぁ!!」

 ノイエラン卿は複数の錬金鋼を連続して使うことによって、限界ギリギリの攻撃を放ち続けた。
 だが、ギャバネスト卿は違う。
 錬金鋼側にまだ余裕が有るように剄量を調整しつつ、二つ使うことによって手数を増やしているのだ。
 変幻自在の攻撃を得意とするギャバネスト卿が、更に手数を増やして襲ってくる。
 これはもう、悪夢以外の何物でもない。
 だが、当然レイフォンは死ぬわけにはいかないのだ。
 サイハーデン刀争術 水鏡渡り。
 旋剄を越える超高速移動で、最初の二撃を何とか回避する。
 途切れることを知らない破壊光線が、レイフォンが立っていた場所を焼きつつ猛烈な勢いで迫る。
 その動きはまるで蛇のように蛇行しつつ、左右への動きを牽制しつつ、確実にレイフォンへと迫る。
 だが、ふと嫌な予感がしたのでギャバネスト卿へと振り返る。
 それが寿命を縮めるだけではなく、絶望に直面することだと分かっていても振り返らずには居られない、それ程凄まじい嫌な予感がしたのだ。

「う、うそだぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」

 そしてレイフォンは見た。
 両手に持った二つの錬金鋼と、そして口に銜えた三つ目の錬金鋼。
 そして、三つ目の恐るべき光源を。
 つまり、手数は通常の三倍。
 これは剄を三重に練っているという話では無い。
 水を満たしたタンクに、蛇口を三つつけているような状況だ。
 元々剄の要領にはものすごい余裕があるのだから、こういう荒技も使い放題だ。
 そして当然のことだが、三つの光源から迸る攻撃力が、レイフォン目がけて殺到してくるのだ。
 サイハーデン逃走術 逆水鏡渡り。
 超高速移動の効力が消える前に、強引に後ろ向きの推力をかけてその場に急停止。
 更に技を繰り出す。
 サイハーデン逃走術 横水鏡渡り。
 真横に向かって水鏡渡りを発動。
 逃げ遅れた服の裾が焼き切られたが、それでもなんとか三重の攻撃の範囲外へと脱出することが出来た。

「はあはあはあはあはあはあ」

 だが、既に限界だ。
 超高速移動を、立て続けに三回。
 サーヴォレイド卿の時もそうだが、限界ギリギリの回避行動は、それだけでレイフォンに猛烈な負担を強いる。
 まして今回は通常の三倍の手数を誇るギャバネスト卿が相手だ。
 もはや息つく暇もなく逃げ回らなければならない。
 直後に真上へと跳躍。
 靴の底を三つの破壊光線が通り過ぎるのを感じた。
 そして即座に鋼糸を復元、近くにあった建物に絡めることで、空中での姿勢と軌道を制御。
 ギリギリの逃走が続いているが、おかしな事に気が付いてもいた。
 クラリーベル様との最初の戦闘時も感じた、猛烈な時間の遅れだ。
 その異常な、時間の遅さの中で、ギャバネスト卿の視線の動きや、レンズの代わりをする空気の流れ、そして何よりも錬金鋼とその身体に流れる剄の状況を明確に感じる。
 クラリーベル様との戦闘の時と同様、全ての動きを明確に捉えることが出来るのだ。
 そして、それはレイフォンの身体の制御にも影響を与えた。
 遅い時間の中で一瞬先の動きが読めるのならば、それを最大限使って回避行動を身体に命令することが出来る。
 ギリギリではあるのだが、何とか全ての攻撃を回避することに成功するという、恐るべき事態を体験しているのだ。
 そう。これは恐るべき事態だ。
 ヴォルフシュテイン卿とかクォルラフィン卿とかがこの事実を知ったのならば、間違いなくほぼ全力で襲ってくるのだ。
 それだけは何とか避けなければならないのだが、今は兎に角時間切れを生きたまま迎えなければならない。
 そんな思考の袋小路に迷い込んだレイフォンだったが、非常な疑問を感じてもいた。

「?」

 その疑問の正体は時間。
 既に一分は経過していると思えるほど、長い時間逃げ回っていたと思うのだが、もしかしたら間延びして感じているための錯覚かも知れない。
 何はともあれ、ギャバネスト卿の一瞬後の動きを見切り、レイフォン特有の瞬発力を最大限使って逃げ回る。
 何か高い建物が薙ぎ倒されたような気もするのだが、きっと大丈夫だ。
 町が破壊された時には、襲った方がその損害を補償することになっている。
 レイフォンの懐は痛まないから、周りのことなどお構いなしに、全力で逃げる。
 そして、ふと、街頭にある時計が視界の隅に引っかかった。

「待って下さい!!!」

 咆剄殺と見まごうばかりの叫びを放つ。
 そのあまりの大きさに、一瞬ギャバネスト卿の動きが止まる。
 この瞬間を逃したら、今日の夕日を見ることは出来ない。

「制限時間が過ぎています!」
「ああああんんんんんん?」

 何か危険極まりない声と共に、胸元のタイマーを確認するギャバネスト卿。
 口にも錬金鋼を銜えているのでそんな声になってしまうのだと思うのだが、もしかしたらレイフォンに時計を見られるという失敗を犯した、自分に対して怒っているのかも知れない。
 あり得ると言えてしまう今日この頃が、少々不幸だ。

「あん? なんじゃこりゃ?」

 そんなレイフォンの事などお構いなしに、何かに驚いていらっしゃるギャバネスト卿。
 想定外の事態が起こったようだ。

「電池が切れていやがる」
「止めて下さい!!」
「柔なタイマーだ。根性でカウントすればいい物を」
「機械に根性なんか有りませんから」

 やはり、天剣授受者はレイフォンで遊んでいるようだ。
 あの手この手で遊びの時間を延長しようとしている。
 そして、限界ギリギリまで酷使された心と身体と剄脈は、休息を必要としている。
 なにやら可愛く照れているギャバネスト卿の姿を最後に、レイフォンは病院のベッドと言う唯一安らげる場所へ向かうべく、その意識を手放した。
 
 
 
 ここで目が覚めた。
 振動も騒音もないが、今レイフォンが居るのは放浪バスの中だ。
 グレンダンを出て既に一週間。
 新たな出発の地となるマイアスを目指して旅立った。
 夢に見るだけで寿命を縮める天剣授受者との戦闘が無くなっただけでも、レイフォン的には大きな喜びである。
 その幸せを噛みしめつつ、ゆっくりと瞼を開けて、少し驚いてしまった。
 目の前に念威繰者が居たのだ。
 その剄の流れや特色から、念威繰者であることは間違いない。
 それは良い。
 長くて艶やかな黒髪と、記録映像でしか見た事がないが、雪のように白い肌を持った、かなりの美女であるのも良いだろう。
 年齢的には二十代中盤くらいだが、落ち着いた態度からそう見えるだけかも知れないし、はっきりとしないがそれは何の問題も無い。
 柔らかくて紅いルージュを引いた唇が、そっと頬笑みの形を取ったのも、それ程の驚愕ではない。
 その美女が華奢な手で持ったハンカチを、そっと差し出してレイフォンの額をぬぐっていることに比べればどうと言う事はない出来事だ。

「起こしてしまった?」
「・・。いえ。そろそろ悪夢から覚めたいと思っていたところです」

 そう悪夢だ。
 ギャバネスト卿の策略に引っかかり、三分という長きにわたって逃げ回っていた悪夢から、いい加減に目覚めたいと思っていたのは事実だ。
 だが、見ず知らずの人から何の見返りも期待しない親切を受けるなどと言うことは、レイフォンの人生で初めてのことである。
 むしろそちらの方に驚愕してしまった。

「そう。酷いうなされようだったから、起こそうかどうしようか迷ってしまったの」
「済みません、ご心配おかけしました」

 ほんの少しの心遣いだったのだが、涙が出るほどに嬉しい。
 と言うか、やはりレイフォンの人生は非常に驚くべき事柄の連続だったのかも知れないと、改めて認識してしまった。

「良いのよ。貴方のような子供は何の心配もなく笑って生きているべきなのだから」
「あ、あう」

 その、あまりにも優しい言葉に、とうとうレイフォンの涙腺が決壊してしまった。
 止めどなく熱い液体が目尻から流れ出して、頬を伝いつつ心の傷を癒やしてくれているようだ。
 少し驚いたらしい女性の表情が歪んでいるが、それでもレイフォンに今の涙を止める術は存在していない。

「マリコ! な、なにがあった?」

 そんな最中、男の声が聞こえてきた。
 低い割に良く通る力に満ちあふれたその声の持ち主が、ゆっくりとレイフォン達の席に向かって移動してきたのだが、いきなり泣きだしたレイフォンの姿を認識して急激に動きを止める。

「ローガン。良く分からないのだけれど、急に泣き出してしまって」

 マリコと呼ばれた女性が振り返り、男へと説明しているのだが、当然それは全く要領を得ない。
 レイフォン以外に、今の心境を説明できる人間はいないだろうし、もしかしたらレイフォンにだって上手く説明することが出来ないかも知れない。

「そ、そうか」

 そう言いつつ、更に接近してくる男の姿が、やっとの事で歪んだ視界の中でも明確に捉えられてきた。
 革製らしい真っ赤なジャケットを着た、その剄の流れからだけでも十分に分かるほど、熟練した武芸者だ。
 長身であり、広い肩幅と厚い胸板をしており、やや怖い感じの顔つきではあるが、その声には不思議な優しさがこもっているような気がする。
 だが、何よりも印象的なのは実はその揉み上げだ。
 髭に見えてしまうほど唇の方へと伸びていて、更にかなり濃い。
 一度見たら二度と忘れられない顔であることは間違いない。

「す、済みません。人から優しい声をかけてもらうことなんて、ずいぶん久しぶりだった物ですから」
「・・・・。お前、どんな人生送ってるんだ?」

 混乱しているのは、どうやらレイフォンも同じようで、ローガンと呼ばれた男性に向かって正直に話してしまった。
 そして当然の質問がやってきた。

「汚染獣、雄性体二期を雑魚と呼ぶ人達に、毎週遊び半分で命を狙われる人生です」
「「・・・・・・・・・・・」」
「更に、安眠していると手加減抜きで、真剣で養父に斬りかかられる人生でした」
「「・・・・・・・・・・・・・・・」」
「安息の場所は病院のベッドの上だけでした」

 二人へ嘘をつくことがはばかられたために、思わず本当の事を口にしてしまった。
 そして、当然であるのだが、聞いた二人は絶句している。
 いや。嘘かも知れないと疑っているのか、あるいは理解できなくて固まっているのか。
 レイフォンだって、普通にこんな話をされたら反応に困る。
 自分が体験していなければ決して信じられない話だ。

「そ、そうか。大変だったんだな」
「よく頑張ったわね」

 だが、取り敢えず二人はレイフォンの話を本当の事だと思ってくれたようで、労いの言葉が返ってきた。
 それだけで再び目頭が熱くなってくる。

「な、泣くなよ男だろ」
「うぅぅぅぅ。申し訳ありません」

 優しく叱られてしまったために、更に大量の涙が心から流れ出て行く。
 その涙に洗い流された色々な物が、レイフォンから抜け落ちて行くのが感じられそうだ。

「そ、それで話を進めて良いか?」
「済みません。落ち着きますので」

 必死になって流れる涙を押さえつける。
 これから先、普通の人生が待っているはずなのに、毎回毎回涙を流していたら、きっと変な人と思われてしまうから、必死になって泣くのを止める。

「何かあったの?」
「ああ。都市が見えてきたんだが、どうも様子がおかしい」

 レイフォンが泣き止むのを待ってくれていたのか、マリコとローガンの話が始まったのは少し時間が経ってからだった。
 グレンダンを出発してから一週間。
 そろそろ次の都市が見えてきてもおかしくない時期ではある。
 そしてそれは実際に見えてきたようだが。

「足が止まっている」
「それは」

 都市の足が止まる。
 それは確率的に見て二つしかない。
 一つは、セルニウム鉱山の保有数がゼロになり、都市が餓死して動きを止めてしまう。
 そしてもう一つは、汚染獣によって滅ぼされ動きを止める。
 どちらの場合も、かなり危険であることは変わらない。

「念のために俺が先行して調べると言う事で、運転手と話が付いている」
「なら、私も念威でサポートするわね」
「ああ。頼む」

 短いやりとりを終えて、ローガンが準備のために立ち去ろうとしたのを、そのジャケットを掴んで何とか止める。
 状況が分からないのに、一人で出かけることは危険すぎるから、レイフォンも同行するつもりなのだ。

「お前は良いよ。子供が戦場に出るべきじゃない」
「いえ。実戦経験なら僕の方が多いはずですし、一人より二人の方が逃げるのにも有利ですから」
「しかしだな」
「お願いします」

 深々と頭を下げる。
 もし、ここでローガンに何かあったとしたら、確実にマリコが悲しむ。
 優しくしてくれた人が悲しむ姿を見たくないのだ。
 いきなり老性体が現れるなどと言う、驚愕の事態に遭遇しなければ、十分にレイフォンは戦えるし逃げる事が出来る。
 伊達に、天剣授受者相手に逃げ回って生きてこられたわけではないのだ。

「ローガン」
「・・・。分かった分かった。だが危険になったらすぐに逃げろよ? 子供なんだからな」
「有り難う御座います」

 根負けしたようにローガンが溜息をつき、了承してくれた。
 だがレイフォンにだって覚悟がある。
 マリコを悲しませないためにローガンと共に生きて戻ってくるのだ。
 覚悟を再認識したので、手荷物を漁り鋼鉄錬金鋼を引っ張り出す。
 そこで気が付いた

「遮断スーツは持ってきていませんでした」
「それはバスに作業用のが有る。動きにくいが無いよりはましだ」

 そう言うと、足早に前方の運転席へと事の次第を知らせに行くローガン。
 それを見送るマリコの視線が、少しだけ心配気だ。

「私がもっと優秀な念威繰者だったら、ここから都市のことを調べられるのに」

 そう。念威繰者とは情報を収集して、それを加工して武芸者に届けることで戦闘を有利に運ぶ役割の人を言う。
 だが、念威繰者とは訓練ではどうにもならない本当の意味で才能が物を言う特殊な人のことだ。
 そして、キュアンティス卿のような特殊な念威繰者を除いて、都市一つを調査することは出来ない。
 誰かが近付いて確認する必要があるのだ。

「大丈夫ですよ。僕達は必ず生きて帰ってきますから」
「自信があるのね」

 今まで弱々しい態度しか見せてこなかったからだろうが、マリコが少し意外そうにレイフォンの事を見る。
 だが、グレンダンを知らない人間にとってこの反応こそが普通なのだ。

「それはもう。逃げる事だけだったら誰にも負けませんから」

 天剣授受者相手に逃げ続けてきた実績は、相当な物であるはずだ。
 ならば、ローガンと二人でもきちんと生きて帰ってくることが出来るだろう。
 その意味を込めてゆっくりと微笑む。
 
 
  マリコとローガンについて。
 アメリカはマーベルコミック、ウルヴァリンに登場するキャラクター。
 厳密に言うと、2011年1月からアニマックスで放送されたのが元になっています。
 2011年4月から、やはりアニマックスで放送中のX-MENに登場するローガンは少々怖いのでこちらを採用。
 割と面白かったので、見られるようなら一度ご覧下さい。



[18444] 超放浪バスの車内から 後編
Name: 粒子案◆a2a463f2 ID:97102e9f
Date: 2011/05/18 19:21

 
 停止したバスを出発して、活剄で強化した足を使っても、動きを止めた都市に到着するまでに二時間ほどかかった。
 足自体は止まっていたし、バス停の機能も二カ所を除いて破壊されていた。
 当然人一人が都市に上がるための装備など有るはずもなく、レイフォンが鋼糸を使ってローガンと自分を持ち上げた。
 そして、目の前に広がる光景をその瞳に映しつつも、二人とも冷静だった。
 鋼糸を伸ばして微細な振動を感知しつつ外苑部を歩く。
 レイフォンの剄量がもう少し大きかったのならば、一歩も動くことなく十キルメル四方を調査できるのだが、生憎とそれは無理なのだ。

「何が有ったと思う?」

 遮断スーツを脱いだローガンが隣を歩きつつ、レイフォンにそう問いかけてくる。
 ヘルメットを取ったというわけではない。
 完全に脱いでしまっているのだ。
 何でも都市外戦闘が苦手で、遮断スーツが嫌いだとか。
 汚染獣と戦う時も、殆ど都市の最終防衛戦力としてしか扱われていなかったとも言っていた。
 その話を聞いて納得もしていた。
 どちらかと言うと、活剄を主体にした戦い方をする人のようで、その身体捌きは見事としか言いようがなかった。
 全力で動くと遮断スーツが保たないのだろうという仮説を考えつく程度には見事だった。
 とは言え、それは一般武芸者を基準にした話であることは間違いない。
 クォルラフィン卿なんかとは元々の剄量が違いすぎるので、比べること自体が間違っているのだ。

「幼生体の襲撃を受けたのだと思います」

 先行させた鋼糸で死角を補いつつ、慎重にそう答える。
 居住区付近も惨憺たる有様だった。
 破壊されていない建物を探すことは困難であり、粉砕されていない路面を見つけることも難しかった。
 そして何よりも、あちこちに無秩序に放置されている、灰色になった抜け殻。
 その他の状況も考え合わせると、ここで何が起こったのかを想像することが出来る。
 産卵期を迎えた雌性体が居た洞窟を、都市が踏み抜いてしまったのだ。
 そして幼生体に取り付かれ、途中経過は不明だが滅ぼされた。
 だが、実は少しおかしなところもある。
 エアフィルターが生きているところもそうだし、戦闘の痕跡はあるのだが何処にも遺体がないのだ。

「幼生体ごときに、一般都市が滅ぼされるか?」
「そうですね。千体くらいだったら撃退できたでしょうが、どうも二千体以上は居たようですから」

 破壊の痕跡と抜け殻の数から推測して、最低限二千体はいたはずだ。
 雌性体複数の吐き出す幼生体に襲われたのでは、普通の都市ではどうすることも出来ない。
 グレンダンだったら余裕で虐殺できるが、一般都市にそんな事を求めてはいけないのだ。。

「取り敢えず、バスを呼んで補給しても大丈夫そうだな」
「そうですね。時間が経っているらしいですから、脱皮した個体はもうこの辺には居ないでしょうから」

 遺体こそ無かったが、戦闘の痕跡はかなり古い物だ。
 そうでなければ、脱皮前の幼生体がまだその辺にいるはずで、既に戦闘になっていておかしくない。
 ローガンがマリコの念威を介して、バスの運転手に指示を出しているのを聞きながら、それでもレイフォンは鋼糸を限界まで伸ばし異常な振動などがないか注意深く探っている。
 気を抜いたら死んでしまうと言う経験だけは、人の百倍くらい積んでいるために、この辺手抜きは一切しない。
 そしてふと思う。
 地獄のような日常だったが、今レイフォンは生きている。
 グレンダンの近くだったからこそ、生きていられるのかも知れないと考えることも出来る。
 もし、放浪バスの火災事故がもう少しグレンダンから遠かったら、間違いなく今生きては居ない。
 究極の選択である。
 地獄の中で生き続けるか、火災事故で死ぬか。

「僕が選べる訳じゃないか」

 だが、それはレイフォンが選べるわけではないのも事実。
 既に道は決まってしまったのだし、そして地獄の戦場も過去の物へと変わってしまっているのだ。
 問題はこれからだ。
 マイアスで新たな人生を見つけ、そして絶対にグレンダンと関わらない場所まで逃げる。
 後から追ってくるはずのクラリーベル様からも、逃げ切らなければならない。
 そのためにあらゆる技量を身につけ、そして天寿を全うしなければならない。
 そうやって新たな決意を固めている間に、バスが都市へと接近。
 ゆっくりと巻き上げ機に引き上げられてきた。
 ここで水と燃料、有ればだが食糧を補給して、そして次の都市を目指す。
 死者に対しての冒涜かも知れないが、今生きている以上生き続ける義務があるのだ。
 レイフォンとローガンが念のための見張りに立っている間に、マリコの念威端子が広範囲を捜索しつつ、残りの乗客総出でバスの補給作業が進められている。
 放浪バス用の非常食を仕舞ってある倉庫から、大きな箱がいくつも運び出される。
 手押し車に乗せられたタンクで汚水が運び出され、ホースを経由して浄水が満たされる。
 その作業を眺めつつ、空気の匂いが変化したことに気が付いた。
 軽く鼻の奥を刺激されたような、ほんの小さな変化ではあるのだが、この刺激は見逃してはいけないのだ。

「気が付きましたか?」
「・・・・。ああ。何か来るな」

 マリコから連絡がないところを見ると、敵はまだ遠くにいるのだろうと思うのだが、楽観していて良い状況ではない。
 鋼糸を都市の中心方向へと伸ばしつつ、鋼鉄錬金鋼を引き抜き復元する。
 身動きできないところを襲われたのでは、戦闘力のない放浪バスなどひとたまりもない。
 ならば、出来るだけ遠くで撃退しなければならない。
 最悪の場合、雄性体二千体とか言う、非現実的な規模の敵とやり合わなければならないのだが、出来ればそれは遠慮しておきたい。
 グレンダンだって、そんな数の雄性体と戦ったことはないはずなのに、逃げ出したレイフォンが戦わなければならない理由など無いはずだ。
 そんな恐ろしすぎる想像の翼を広げていると、敵が接近してきたようで連絡が来た。

『二人とも気をつけて。幼生体十五体が接近中よ』

 マリコの声が念威端子越しに事実を伝えてくれた。
 そして二人して安堵の息を吐く。

「なんだ幼生体か」
「雑魚が十五体くらいだったら、楽勝ですね」

 倒すだけだったら、幼生体の十五体くらい平気なのだが、バスを守りながらとなると話は少々ややこしくなってくる。
 だが、それもレイフォンが一人で戦った場合のことで、隣には同じくらいに強いはずのローガンが居る。
 二人で戦えば十分に勝算がある。
 と、鋼糸を伸ばした先に振動を感じ始めた。
 その振動の元を補足、周り中を囲んで一斉に衝剄を放ち殲滅。
 次の標的へと鋼糸を移動させる。

『気を抜いては駄目ローガン。良く分からないけれど幼生体の反応が無くなって行くわ! もしかしたら幼生体じゃないのかも!』

 ここでふと疑問を感じた。
 念威繰者とは大量の情報を処理する特殊能力者のことだ。
 その大量の情報を処理するという能力のため、感情表現が苦手で冷淡に見えることが多い。
 だが、マリコは明らかに違う。
 いや。キュアンティス卿も違ったが、天剣授受者である以上人間ではないかも知れない。
 ここで同列に扱うべきではないと思う。
 訓練次第で感情をきちんと表すことも出来るようになるらしいが、それでもマリコのは豊すぎると思うのだ。
 最終的には、個人差で収まる範囲内かも知れないが、念威繰者については殆ど素人なので断言できない。

「最悪の場合特殊進化とかしているかも知れないのか。何が起こっているか分からないのか?」
『ごめんなさい。もう少し近付けば分かると思うけれど』

 と、レイフォンが無駄なことを考えている間に、マリコとローガンの方で話が進んでしまっていた。
 ここはきちんと説明しなければならない。
 幼生体を視認するには、もう少し時間が有るはずだし。

「それは大丈夫です。僕がやっていることですから」
「お前が?」

 当然だがローガンが驚いているし、念威端子越しで分かりにくいがマリコも驚いているようだ。
 だが、ローガンの方は既に鋼糸に付いてある程度知っているためにすぐに事情を把握したようだ。

「俺とお前を引き上げた、あの細い糸か」
「そうです。流石に雄性体とかは無理ですけれど、幼生体なら遠距離からでも数を減らせるので、割と重宝しています」

 もちろん、サーヴォレイド卿のように、幼生体の大量虐殺などと言う事は出来ないが、それでも一体ずつ減らして行くことは出来る。
 接近してから戦っても、恐らく大丈夫だと思うのだが、万が一にでも放浪バスを破壊されるわけには行かないのだ。
 と言う事で、有りっ丈の技量を注ぎ込んで安全策をとる。
 だが、本来の武器ではない上に、最近では殆ど空中での姿勢制御や移動補助としてしか使ってこなかったために、思ったほどの戦果を上げられていない。
 無駄に技量が上がったが、それは逃げる事を主眼に置いた時の話だったようだ。
 攻撃力も上がっているのは確かだが、逃げる技量の方が圧倒的に上になっている現実に、少しだけ涙がこぼれそうになった。

「こっちに来るまでに三体くらいはいけますが、それが限界です」
「十分だ。ぬわぁぁぁ! ぬぅぅん!」

 常に活剄を使っているようなところのあるローガンから、爆発的な剄の気配が迸る。
 活剄衝剄混合変化・狼眼。
 爆発した剄が両手に集中し、そして握られた拳の先から三本の湾曲した巨大な深い銀色をした刃が飛び出す。
 いや。刃と言うよりはむしろ巨大な爪。
 更にその爪に待機状態の閃断が纏わり付く。
 かすっただけでも十分な破壊力を持った爪を武器に、肉弾戦をやるつもりなのだ。

「うぅぅぅぅぅぅぅ!」

 更に低い唸り声と共に四肢を曲げ、何時でも飛び出せるような体制を作る。
 横で見ていたレイフォンは若干引いてしまった。
 何しろ怖い。
 クォルラフィン卿とはやや違った、野生獣のようなその仕草や気配に、少々では済まない恐怖を感じてしまう。
 だが、今まで見たこともない武器と剄の使い方について聞いて起きたいのも事実なので、怖いけれど頑張って聞いてみる。
 もちろん逃げ腰でだけれど。

「その爪って?」
「ああ? これか?」

 構えはそのままに、レイフォンの方に視線だけが来る。
 その唸り声や構えから想像していたのとはやや違い、ローガンの目にはまだ理性と知性が湛えられていた。
 一安心である。

「俺の骨格には錬金鋼が注入されていてね」
「ああ。それでやたらに重かったんですね」

 この都市に上陸する時、鋼糸でローガンを引っ張り上げたが、見た目から予測していた体重を大きく超えていたために、かなり苦労したのだ。
 もちろん、幼生体を殲滅できる威力を持った鋼糸で支えられないと言うほどではなかったが、それでもかなりの重さに驚いた物だ。

「そうだ。そして俺の武器がこれだ」

 そう言いつつ爪をレイフォンに向ける。
 湾曲した内側に刃の付いた、凶暴極まりない外見と共に、常に閃断が纏わり付いているという凶悪極まりない三本の爪だ。
 そんな爪を向けられて、更に閃断が少々怖いが、この距離だったら問題はないはずだ。
 だが、その凶暴そうな爪を目の前にして、レイフォンは確かめなければならないことがある。

「痛くないですか?」
「傷はすぐに治るが、実は結構痛い」

 人差し指、中指、薬指、小指の間から伸びるその三本の爪は、間違いなく皮膚を切り裂いて伸びてきている。
 出し入れする度に結構痛いらしいことは確かめられた。
 そして、都市外での戦闘が苦手だと言っていた意味も理解できた。
 あの爪が最大の武器だとするならば、出す時に遮断スーツも切り裂いてしまう。
 それは、戦い始めた瞬間に時間制限が始まると言う事であり、出来れば使いたくない手段である。
 都市内での戦闘に特化した、非常に珍しい武芸者らしいことが分かった。
 いや。全身の骨格を錬金鋼にしているだけで既に珍しい。
 グレンダンには前例があるが、それも高齢になったために執られた処置だと聞いている。

「それはさておき」
「見えてきたな」

 レイフォンとローガンが戦闘準備を終えたついでに、少し脱力系の会話を終えるのを待っていたのか、幼生体が視認可能領域にやってきた。
 残り十二体。

「俺が突っ込むから、お前は後から来いよ」
「分かりました。どうせ雑魚ですからたいしたことないですよ」

 言っていてふと気が付く。
 何時の間にか幼生体を、雑魚として扱っている。
 本来なら、十分に驚異的な存在であるはずなのにだ。
 知らず知らずのうちに、天剣授受者の感性に近付いてきてしまっているのかも知れない。
 自信を持っているのは逃げる事だけだから、きっと何かの錯覚だ。
 攻撃力も上がっているが、逃げるための攻撃力であって、相手を殲滅するための攻撃力ではないのだ。
 鋼糸での攻撃力の低さが、レイフォンのその認識が間違っていないと言う事を教えてくれていたではないか。
 ここは気を引き締めて鋼糸を展開しつつ復元した刀を構え直す。
 そしてレイフォンの視界の中を、旋剄でローガンが突っ込んで行く。

「ぬわぁ!! ってぇぃ! ぬぉぉ!」

 旋剄の速度をそのままに、先頭を走ってきた幼生体の、複眼の中央付近に右の爪を突き立て、あっさりと甲殻を突き破る。
 そこに纏わり付いていた閃断が甲殻の中で暴れたようで、即座に生命活動を停止する幼生体。
 だが、恐ろしい光景はそこから始まった。
 絶命した幼生体に突き立てた爪をそのままに、身体を捻った反動で横倒しにする。
 そして横倒しになった幼生体を持ち上げ、別な一体に向かって投げつけたのだ。
 見事に二体目に命中、短時間に進行を再開できないようにしてしまった。

「ひ、ひえぇぇぇぇ」

 クォルラフィン卿やヴォルフシュテイン卿とは違った、ローガンの恐ろしい戦闘方法を目の当たりにしてしまった。
 だが、これは安心である。
 レイフォンの体重ではどう頑張っても、真似をすることが出来ないのだ。
 模倣と習得と改良の天才であると自信を持っているが、身体の能力を超えて何かを会得することは流石に無理なのだ。
 常に閃断を錬金鋼に纏わり付かせておく方は、便利なので習得したいと思うけれど。
 ローガンが二体目を足止めしている間に、三体目を始末しているのを眺めつつ、レイフォンも戦場へと向かわなければならない。
 何時もは天剣授受者相手に戦っていたとは言え、今回の相手が幼生体だとは言え、決して油断することは出来ない。
 水鏡渡りで一気に距離を詰め、その勢いを殺さぬまま複眼の中央、やや下辺りに刀を突き立てる。

「?」

 そこで違和感を覚えた。
 手応えが異常に少ないのだ。
 甲殻を貫く時には、当然かなりの手応えというか抵抗を感じるはずなのだが、今の一撃にそれだけの衝撃を感じなかったのだ。
 空振りとか弾かれて切っ先が流れたのだとは、明らかに違う。
 確実に幼生体の甲殻を打ち破り、ハバキ元までしっかりとめり込んでいる。
 一瞬の半分ほど理性の方は動きが止まったが、身体の方はきっちりと仕事をこなしてくれたようで、甲殻の中で衝剄を放ち最初の一体を確実に殲滅。
 鋼糸の伝える情報を頼りに、最もバスに近い個体を識別。
 旋剄を使って移動して、斜め後方からの一撃を叩き込み、短時間の内に殲滅。
 やはり、手応えというか堅い甲殻を打ち破ったという感覚が得られなかったが、それでも殲滅できたことは間違いない。
 なにやらおかしな事になっているが、気にするのは全てが終わった後で良い。
 兎に角、今は戦いに全神経を集中する時だ。
 
 
 
 最終的に、レイフォンが刀で七体、ローガンが爪で五体を倒して幼生体戦は終了した。
 なんだか呆気ないような気がするが、何しろ相手は最弱の幼生体だ。
 こんな物だろうと自分を納得させつつローガンと合流する。
 だが、そのローガンの視線がなんだかおかしい。
 別段、レイフォンと戦いたいというわけではない。
 それは嬉しいことなのではあるのだが、視線が少し凶暴であるような気がするのだ。

「あ、あのぉぉ?」
「お前」
「はい?」

 何か非常に拙いことでも起こったのか、レイフォンを見るローガンの視線に含まれる凶暴性が徐々に強くなってきているような気がする。
 きっと気のせいだとは思うのだが。

「どんだけ強いんだよ?」
「はい?」

 どんだけ強いのかと問われてしまった。
 別段レイフォンは自分を強いと思ったことはない。
 グレンダンで実力的には上の下という評価をもらってはいるのだが、それはあくまでも一般武芸者を基準にした時の話だ。
 間違っても、人外の変態と呼ばれる天剣授受者を基準にしての話では無いのだ。

「幼生体の切り口を一つ見たが、鳥肌が立ったぞ」
「え?」

 ローガンに言われて見て、レイフォン自身が倒した幼生体を、活剄を使って観察してみる。
 確かに、刀が突き刺さった場所は凄まじい切り口を曝している。
 だが、切り口が凄まじいと言うだけで、大したことはない。

「技量にはそれなりに自信がありますけれど、それだけですよ」
「・・・・・。お前、本当に地獄で生きてきたんだな」
「はい?」

 意味不明である。
 何故か凶暴性がかき消えて、可哀想な人を見るような、あるいは同情しているような視線で見られてしまった。

「それだけの技量を持てるようになるのに、普通の人間だったら一生かかってるぞ」
「そ、そうなんですか?」
「いや。一生かかってもそこまでたどり着けない人間の方が多いんだぞ」

 言われて見て思い返すまでもなく、ノイエラン卿が言っていたことがある。
 これほど見事な切り口を見たのは片手の指の数で足りてしまうと。
 そして、レイフォンよりも長い間生きているはずのデルクは、そこまでの技量を持てていなかったと。
 だが、それでも武芸者である以上剄脈の限界を超えることは出来ないのだ。
 具体的には、天剣授受者辺りと戦うことは出来ないのだ。

「まあ、実戦経験というか対人戦闘経験だけだったら、殆どの武芸者には負けないだけ積んでいると思いますけれど」

 もっと言えば、あまりにも恐ろしい敵から逃げる経験だけだったら、どんな人よりも多く積んでいる自信がある。
 キュアンティス卿でさえレイフォンを追跡できないほどに、逃走術が磨かれていることからも、それがおおよそ証明できようという物だ。

「大変だったんだな」

 改めてローガンの両手がレイフォンの肩におかれた。
 なんだか労われているはずだというのに、同情されているような気がしてしまう。
 それはきっと間違いではないのだ。
 思わず涙がこぼれてきそうだが、必死になって耐える。
 そんなギリギリ限界の瞬間を狙ったかのように、マリコの絶叫が響き渡った。

『レイフォン! 後ろ!』
「え?」

 それはあまりにも唐突な叫びだった。
 レイフォン自身、マリコがこれほどまでに声を荒げて警告するような敵の存在を、全く持って感じていなかったからだ。
 小動物チックと言われるかも知れないが、危険を感知する能力は尋常ではないはずなのだ。
 完璧ではないにせよ、そんなレイフォンの不意を突くことが出来る化け物は確かに存在する。
 それは当然、グレンダンが誇る異常者集団である天剣授受者の皆様方だ。
 つまり、今この瞬間天剣授受者並の技量を持つ存在がすぐ側にいると言う事になる。
 それはつまり、世の中的には天剣授受者並の技量を持った人間が、結構いるかも知れないと言う恐るべき事態も覚悟しなければならない。
 だが、そんな驚愕とは別に、レイフォンの身体はきちんと仕事を果たした。
 具体的には、鋼鉄錬金鋼の刀を復元しつつ、振り返りつつ超高速で剄を練り上げ、最大限の逆水鏡渡りを発動できるようにしたのだ。
 ついでに、広範囲に広がっていた鋼糸を二百メルトルの円形に収束させ、あらゆる振動や熱を探知する。
 もちろん他に伏兵が居ないかを探すためにだ。

「え?」

 だが、そうまで警戒をして振り返った先にいたのは、ある意味非常識を極め尽くしたと言って良いものだった。
 それは少女だった。
 年齢的にはレイフォンと同じかやや下くらい。
 とても綺麗な亜麻色の髪を腰まで伸ばしていた。
 赤みを帯びた、琥珀色の大きな瞳をしていた。
 ついでではあるのだが、何故か全く訳が分からないが全裸だった。
 この一事だけでレイフォンの身体はあらゆる行動が取れなくなってしまった。
 逃げる事に関しては誰にも負けないという自負があるというのにだ。
 既にこれだけであり得ないの二乗である。
 こんな滅んだ都市に、見た事のない全裸の少女が佇んでいたのだ。
 見たことがないと言うことは極めつけに重要だ。
 それはつまり、バスに乗ってここに来たのではないという事実を如実に物語っている。
 確率としては生き残りがあるだろうが、それも恐らく違う。
 実はレイフォンの行動を完璧に阻害した理由がまだ有るのだ。
 その少女は猫か犬のような耳を持っていた。
 亜麻色の毛に覆われて、先っぽだけがとても白い奴だ。
 さらに、腰付近から見事な毛並みの尻尾が生えていた。
 こちらも耳と同じで、亜麻色の毛に覆われて、先っぽだけが白くなっている。
 そしてこの事態は、あり得ないの四乗である。
 レイフォンでなくても完全に凍り付いてしまったに違いない。

「主様よ」
「は、はい?」

 その目の前の全裸で耳と尻尾付きの少女に声をかけられた。
 透き通ったやや低めの声は、非常に耳に心地よいのだが、なぜだか猛烈に危機感を感じてならない。
 ローガンでないところがなんだか非常に危険であるように思える。

「主様よ。わっちの願いを叶えて欲しいのでありんす」
「え、えっと? 主様は僕で良いですか?」
「当然でありんす」

 近くにはローガンも居て、既に爪を出して戦闘態勢を確立しているが、あまりにも異常な事態であり更に敵意を感じていないために、攻撃しようとはしていない。
 なので、主様と呼ばれたレイフォンが対応しているのだが、なんだか非常に時代錯誤な気分がしてならない。
 いや。もっとこう、別な世界に飛ばされてしまったようなそんな感じだ。
 具体的には、荷馬車に乗って行商の旅をしているような。
 だが、世界はとことんレイフォンの事などお構いなしに話を進めてしまうように出来ているようだ。

「主様の身体が欲しいのでありんす」
「? 僕の身体ですか?」

 そう言いつつレイフォンは自分の身体を眺める。
 別段何時も通りである。
 だが、身体が欲しいと言われてしまった以上、かなり色々と問題である。
 具体的には、身体の無くなったレイフォンはこの後どうすればいいのか分からないとかである。
 いや。上げないという選択肢を最初から除外しているような気がしているのだが、それはそれ。
 ヘタレなので頼みをむげに断ることが出来ないのだ。
 そんなレイフォンの事を知ってか知らずか、少女の話は先に進んでしまったようだ。

「その変わりと言っては、少々語弊があるのじゃが」
「その身体と交換ですか?」

 それはそれで悪くないかも知れない。
 別段女の子になりたいわけではない。
 だが、一般人になれるのだったら、それはそれでありがたい。
 剄脈を持った武芸者である以上、万が一の場合にはグレンダンと関わらなければならないのだが、一般人となったら根本的な問題の解決につながるはずだ。
 これは魅力的な提案である。

「たわけ」

 だが、何故か蔑みの視線で見られてしまった。
 よりにもよって全裸で尻尾と耳が付いている女の子にである。

「え、えっと? じゃあ、身体を無くした僕はどうなるのかな?」

 武芸者の身体などいらないと言えば要らない。
 誰かにあげられるのならばあげたいと思うのだが、それはどうも違ったようなので、ならばとその先を促す。

「わっちの身体は既にその用をなさず、魂であるわっちは狂おしき憎悪で変革を遂げているのでありんす」
「はあ」

 身体が駄目になったので魂だけが変革しているらしい。
 分かったような分からないような。

「じゃからな」
「はい」
「主の身体をもろたのならば」
「はい」
「イグナシスの夢想を尽く焼き払う炎となるのじゃ」

 イグナシスさんが妄想したから焼き尽くす。
 なにやら変革とは恐ろしげな方向らしいことが分かった。
 いや。狂おしき憎悪云々の辺りですでに物騒だった。
 逃げた方が良さそうである。

「えっと。別な人では駄目でしょうか?」
「うむ。主様で無ければ駄目でありんす」

 ご指名にあずかってしまった。
 これは決定的なので、逃げる事にしたのだが、恐るべきことに気が付いた。
 鋼糸の伝える情報を信じるのならば、目の前の少女は存在していないのだ。
 心臓の鼓動やごく僅かな筋肉の振動、呼吸で揺れる空気の流れはおろか、風が何かに当たって気流が乱れる現象さえ、目の前の少女から確認することが出来ないのだ。
 ローガンとレイフォン自身の物はきちんと感じることが出来るから、鋼糸に問題が有るわけではないのだ。
 それはつまり、目の前に見えているのは影である。
 千人衝などで作りだした実体を持った幻影ではない。
 完全に影だけの存在であり、しかも剄の流れを全く感じない。
 これはレイフォンの常識からしたら酷く異常なことだ。
 逃げるにしてもどちらの方向に、どのくらい移動すればいいのか分からない。
 ならば、最大速度でランダムに方向を変えて、息が続く限り逃げるのが最も適当であると判断。
 実行しようとしたまさにその瞬間。

「っぷし!」
「?」

 いきなり目の前の少女がくしゃみをしたのだ。
 それは当然である。
 何しろ長い髪と尻尾とついでに耳を持っているが、基本的に全裸なのである。
 気温がそれ程高くないのだから、風邪の一つや二つ引いてしまって当然である。

「冷えてしまったようでありんす」
「その格好じゃそうでしょうね」

 思わず同情してしまった。
 ついでに逃げるタイミングを完璧に逸してしまったようだ。

「お前さ」
「はい?」

 更にそこに、ローガンの声がかかった。
 居ることは認識していたのだが、何しろあり得ないの四乗の前では、いくら強面だったとしてもその存在感は薄くなってしまう。

「どうして平然と会話が成立するんだ?」
「え? だって、いきなり殺しに来たわけでもないですし、きちんと言葉が通じるのだったら会話できるでしょう?」
「い、いや。そうなんだけれどな」

 なにやら困ったようなローガンだったが、ふと気が付いた。
 レイフォンとの距離が少し空いているような気がするのだ。
 だが、これはおおよそ納得できようという物ではある。
 何しろあり得ないの四乗であるから、少し距離を置いて様子を見るのが当然である。
 それが出来ないレイフォンの精神状態が、かなり切迫していると言う事の証明でもあるが。

「っぷし!」

 もう一度くしゃみの音が聞こえた。
 流石に裸は拙いと考え、取り敢えず上着でも渡して、その間に逃げようと考えた。

「暖めて欲しいのでありんす」
「良いですよ」

 刀を突きつけたままだったが、ゆっくりと左手を離し慎重に袖から抜く。
 だが、事態はそんな悠長なことでは終わらなかった。
 何かを察したかのようにローガンの悲鳴じみた声が飛んできた。

「馬鹿!」
「え?」

 視線を外したわけではなかった。
 だと言うのにすぐ目の前、刀の間合いの内側に少女が居たのだ。
 何かが移動する気配は全く感じなかった。
 超高速移動などと言う陳腐なトリックでもない。
 いきなり目の前に現れたのだ。
 更に驚愕の展開が続く。

「主様の身体で、暖めてくりゃれ」
「い”」

 そっと胸にしなだれかかれたと思った次の瞬間、少女の身体が消失。
 誰かに触れられたという感触も、何かが寄りかかったという重みもなかったが、微かな暖かさがあった。
 だが、それも一緒に消失してしまった。
 そして何か、レイフォンの胸の中にあった空虚な入れ物が満たされるような、そんな不思議な感覚を覚える。
 だが、それだけだった。

「? あれ?」
「なんだ?」

 そして、それで全てが終わってしまっていた。
 後に残されたのは、呆然とする男が二人だけ。
 全く意味不明である。
 無駄であるかも知れないが、再度鋼糸を広範囲に展開して振動の類を検索する。
 結果、ヒット無し。

「何だったんだ?」
「さあ? 特に問題無いみたいですからそれで良いんじゃないですか?」
「良いのか、それで?」
「難しく考えてもろくな事有りませんよ」
「それは俺も思うが、お前は良いのか?」

 気が抜けてしまった男二人が会話している間にも、マリコの念威端子が忙しく飛び回り、先ほどの少女の行方を捜しているようだ。
 鋼糸に反応がない以上、恐らく念威端子でも探すことは出来ないだろう。

「別段なんか問題が有るという訳じゃないですから」
「まあ、お前が良いんだったらそれでかまわないけれどな」

 幼生体の襲撃とか色々あったが、取り敢えず放浪バスの補給作業は終了したようだ。
 ならば、この滅んでしまった都市に長居する必要など無い。
 決意を固めたレイフォンは、ローガンを促してバスへと戻ることにした。
 マリコはまだ、念威端子を飛ばして消えた少女を捜しているようだが、全て徒労に終わるだろう事が分かる。

「そうだ」
「なんだ?」

 ふと気になったことがある。
 どうでも良いと言えばどうでも良いのだが、本当に少しだけ気になったのだ。

「この都市って、なんて名前だったんでしょうね?」
「・・・。そう言えば名前も知らないな」

 レイフォン達が立ち去ったら、この都市は確実にエネルギーが枯渇して機能を停止してしまう。
 ならばせめて、名前を覚えておきたいのだ。

『麦束都市ホロウと言うそうよ』

 珍しく感傷的になっているレイフォンの元に、マリコの念威端子が飛んできてそう教えてくれた。
 何処でそれを知ったのかと思い聞いてみると。

『バス停に看板があったの。倒れていたけれど起こして確認してみたわ』

 武芸者二人が戦ったり警戒している間に、他の乗客が色々とやってくれていたようだ。
 感謝の念を抱きつつ、滅んだ都市をその目に焼き付けて放浪バスへと戻った。
 そして新たに決意をした。
 決してレイフォンは死なないと。
 平穏な老後を迎えて、天寿を全うして、安らかな死を迎えるのだと。
 そのための第一歩として、学園都市マイアスへ向かって放浪バスが再び歩き始めた。
 
 
 
  麦束尻尾のホロウについて。
 狼と香辛料のヒロイン、ホロの事。
 黄鉄鉱騒動(原作三巻、アニメ第二期前半)で、一度だけ出てきた、ホロのもう一つの二つ名。
 深い意味はないけれどこちらを採用。


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