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[27798] 妖精文書 (エルフさんに転生 改訂版)
Name: 矢柄◆c6a9a2cf ID:022f668f
Date: 2011/05/15 14:14

オリジナル転生系ファンタジー?と思う。

注意:この作品にはTS成分が含まれています。アレルギー等がある方はご遠慮ください


異世界のエルフさん(女の子)に転生してしまった主人公が、異世界から日本に帰ってきたり、戦ったり、わりと酷い目にあったり、萌キャラだったりする話です。

シリアス5に萌え4だったりします。現代日本編だけ読むと萌え成分だけを効率的に摂取できます。後の1は無駄な設定で出来てます。



作者です。
ミスをして前スレッドを消去してしまいました。勝手ながら新しいスレッドをたてさせてもらいます。
いままで読んで下さった方、感想を書いて下さった方、ご迷惑をおかけいたします。




H23.5.13 何を思ったのか全編改訂(あるいは改悪)してしまった。反省はしていない。後悔はいつだってしている。



[27798] Prelude000『彼岸の彼方』
Name: 矢柄◆c6a9a2cf ID:022f668f
Date: 2011/05/15 14:14





― A.D.1969 アメリカ合衆国オレゴン州アストリア近郊 ―



絶え間なく打ち寄せる波。

海水が砂を洗う音だけが空間を支配する。

低い灰色の雲が垂れ込め、海は黒く淀む。生臭い海の匂いが鼻をつく。

その美しさで名高いオレゴンコーストも、色を失えば見るものを憂鬱にさせる。



色を失ったのは彼の瞳に映る世界だ。

男は虚ろな瞳で故郷の海をただ見つめる。


彼は敗北者だった。

完膚なきまでに敗北した。

今は知る由もないが、彼の祖国もまた敗北する。


友人を失い、

誇りと名誉を失い、

そして右足を失った。


全て最初から間違っていたのだ。


彼は父親のような勇ましい英雄にも成れず、彼が望むような、母親が期待するような何者にも成れなかった。

得たのは嘲笑と非難。そして僅かな年金だけ。

そして惨めな、哀れな、汚い、反吐の出るような、薬と酒に溺れるだけの敗者に落ちぶれた。


終止符を打つべきだろう。


彼は義足を引き摺り、故郷の海に還ろうと彼岸を目指す。

どす黒く淀んだ海は、自分のようなちっぽけな負け犬などたやすく飲み込み、無為へと還元してくれるだろう。


そして彼は、


「?」


ふと足元に何かを見つける。

それは鮮やかな赤色のガラス板のような小さな欠片。

普段ならそんなものに気をとられなかっただろう。

だが彼にはそれがどうしようもなく、尊いものに見えた。

色のない世界に現出した、彩

無意識に手を伸ばす。

それは数センチほどの大きさの宝石板。

彼はそのまま欠片を天にかざす。目に映るのは欠片の中で踊る見たこともない文字のような、黄金の文様。

そして彼は思わず―




「おじいさま」




意識が急速に浮上する。

鈴の音のような声音が40年以上もの過去から彼を呼び戻した。

砂の上に立つのは先ほど居たみすぼらしい若者ではなく、身なりの良い義足の初老の男。

男は松葉杖を軸に後ろを振り返る。

その視線の先には、人形のように、否、人形じみた、作り物めいた美しさを持つ少女。


「おじいさま。始まります」


彼女はどこか焦点の合わない瞳で、赤いウサギのヌイグルミを抱きしめて静かにたたずみ、もう一度小さく呟く。


「……そうか、もうそんな時間か」

「はい」


少女は頷き、老人の傍へと歩み寄る。そして老人の手をとり、


「危険ですので」

「判っている。……さあ、帰ろうか」


そして老人は少女の手を借りて砂浜を後にする。




そのちょうど6時間後、

太平洋上空高度10000mにおいて航行中だった旅客機が人知れず消息を絶った。







― 新暦885年 トラキア半島西崩壊面 ―



絶え間なく打ち寄せる波。

海水が岸壁を洗う音だけが空間を支配する。

水平線上に入道雲が頭を垂れ下げ、海は深く紺碧に果てしなく。潮風が魔女の髪を揺らす。

高さ百数十メートルを誇る断崖が両側に果てしなく連続し、あたかも世界を断絶する壁のよう。絶景と評するのが正しいだろうか?



これは傷痕である。数多の命を飲み込んだ悲劇の地。

魔女は瞳を閉じて祈るように、右目を覆う眼帯を撫でながら風に身を任せる。


彼女は勝利者である。

完膚なきまでに敵を蹂躙した。

しかし彼女は知っている。そのあまりにも大きすぎた代償を。


大地は崩落し、

億を数える数多の命が失われ、

そしていくつかの文明が消失した。


間違ったとは言わない。思っていない。


戦いは必然であり、それは彼女の誕生からすでに宿命づけられていたものだった。

戦いは彼女が望もうと望まざろうと続き、彼女は多くを守り、多くを失った。

失うことには慣れていたが、だがそれでも、200年前のあの災厄はいまだ深く彼女の心に影を落とす。


終止符はいまだ打つことが出来ない。


彼女は左手に持った花束を岸壁に投げ入れる。故郷を失った人々へ、命を失った人々へ、家族を失った人々へ。悼むように。

青く果てしない目の前の海は、嘆きと悲しみと共に花束を飲み込む。花は海の底に眠る人々への手向けになるだろうか?


そして彼女は、


「?」


ふと足元に何かを見つける。

それは鮮やかな赤色のガラス板のような小さな欠片。

魔女は左目を細め、そして溜息をつく。

光の反射の加減が、色を見間違えさせたようだ。

真紅ではなく赤紫。

女は手を伸ばす。

それは1センチにも満たない小さな欠片。

そのまま欠片を天にかざす。欠片に映るのは文字の呈すら為さない黄金の文様。

俗に書片(レターピース)と呼ばれる、文書の欠片だ。

これが小指第一関節ほどの大きさ、欠片の中で踊る黄金の文字が判別できる大きさにもなれば、それは『妖精文書』と呼ばれる。



『妖精文書』



その大きさからは想像できないほどの力を秘めた神秘の宝石板。その内部には黄金の古代文字が現れては消えるように見える。

文書は全13種類。その一つ一つが魔術とは一線を画する力を有している。

有史以来、その力は多くの欲望を引きつけ、数多の栄光と破滅を歴史の舞台に刻んできた。

200年前の悲劇もまたその一つに過ぎない。

そんな一つさえ、防ぐことが出来なかった。

そんな自分が英雄と、真紅の魔女と讃えられる。

魔女は皮肉気に自嘲し―


「………―様」


ふと後ろからかけられた抑揚のない声に振り向く。

その声は200年の時を溯っていた魔女の精神を現実に呼び戻した。

振り向いた先に佇むのは一人の女。頬から首筋にかけて幾何学的な刺青のような文様を持つ長い銀色の髪の。

魔女はふっと笑い、刺青の女に正対する。人形のように、否、人形じみた、作り物めいた美しさを持つ女。


「ロベリア様、それそろ時間です」


女は感情の見えない瞳で魔女を正視する。詰まらない女という印象を与えるが、魔女は彼女が意外と感情豊かであることを今回の旅で発見している。


「……ふむ」


魔女は顎に手をやって少しばかり思案する。何やら予感がしたのだ。何かが始まる、そういう前兆じみた何か。


「いかがなさいましたか?」

「……いや、なんでもない。ここは冷える。帰ろう」

「はい」


魔女はそう言い残すと、岸壁を後にした。




そのちょうど6時間後、

この惑星全域の上空において、まるで異界の彼岸を思わせる鮮やかなオーロラが観測された。












[27798] Phase001-a『エルフさんといつかのプロローグ①』
Name: 矢柄◆c6a9a2cf ID:022f668f
Date: 2011/05/15 16:57



「で、まじでエルフっ娘になったのか」

「娘って言うな。娘って」


少し小洒落た和風飲食店の席。後藤隆は先程の事件で自分を救った魔法少女(仮)と相対していた。

少女はヨーロッパ人種の容貌をしており、生粋の日本人である後藤との組み合わせは、客観的に見て違和感がある。違和感の原因はそれでけではないが。

少女の三つ編みで後ろにまとめられた髪は明るい日の光のような金、大きく愛らしい瞳もまた宝飾の黄金。歳のころは12、3歳ぐらいだろうか?

清楚ながら金糸の刺繍が入った淡い青のワンピースを纏い、椅子の上で足を揺らす姿はどこに出してもおかしくない、異国のお嬢様に見えるだろう。


その妙に長く尖った耳を除けば。


そして二人が放つ最大の違和感の正体は、中学生ぐらいの金髪少女と30くらいのおっさんという、どことなく犯罪性を思わせる組み合わせであった。

が、男はそんなコトを気にも留めず目の前の絶世の美少女ならぬ、エルフ耳魔法少女(仮)にその視線を注いでいた。


「ていうか、何で来たそうそうに正体バレたんだろう。しかもこんなヤツに…」

「いや、それは単純にお前が迂闊なだけだろう。つーか、お前隠すつもりあったのか?」

「いや、まあ、だって、そもそもお前と会うなんて想定外だったし…」


少女はごにょごにょと言い訳を独りごちりながら、出された湯飲みを右手で取って緑茶を音を立てずに口にする。

そして首をひねった。


「緑茶は久しぶり…、けどなんかどこか違うような?」

「そうか? 普通の茶だぞ」


男はそんな少女の言葉に怪訝な眼を向けて湯飲みを手にズズっと音を立ててすする。と、少女ははっとした様に声をあげた。


「おうっ、それだそれ。何か忘れてると思ったら、日本人って茶を飲むとき音立てるんだよな」


少女はうんうんと納得し、嬉しそうに湯飲みをとって口をつけ、止まる。そして湯飲みから口を離し、


「…長年の習慣ってのは恐ろしいな。音を立てて啜ることにものすごい抵抗を感じちまったぜ」

「欧米かっ」

「懐かしいなーソレ…。何だったっけ? 思い出せねぇ」


少女はあーでもないこーでもないと腕を前に組んで考え込む。

男は苦笑する。本当に今日はとんでもない日だ。訳のわからない事件に巻き込まれ、魔法少女(仮)に間一髪で助けられた。

そして、その魔法少女の正体は、気の置けない彼の親友だった。ただし、男が覚えている限りにおいては彼女は彼、つまり生物学的には男であった

本当にとんでもない展開だ。

本当にとんでもない展開。まるでテレビアニメのワンシーンのような。

二人を引き合わせたのは白昼堂々の怪異。男が心のどこかで望んでいた非日常。

しかしそれは、彼の夢想していた心躍らせる冒険ではなく、無辜の人々を牙にかける脅威だった。





Phase001-a『エルフさんといつかのプロローグ①』






― A.D.2010.July  ―


「…結構時間食ったな」


それは丁度、男、後藤 隆が出先から職場に帰る途中だった。白のワイシャツと、灰色のスラックスに身を包む彼は、30代前半ぐらいだろうか。精悍な顔つきであるため、良い男の部類には入るであろう。

うだるような夏の暑さに焦がされた大気。地上を焼くような強烈な日差しと、鉄板焼きにも似たアスファルトの照り返しの灼熱。

時節はまだ7月の下旬であり、これから8月9月とこの猛暑が続くのだろう。諦観にも似た気分に後藤はため息をつき、ネクタイを緩め、空を仰ぐ。

晴天。圧力すら感じる陽の光を遮る雲は無く、男はもはや我慢の限界だったようで、時刻は丁度昼前ということもあり、涼をとるついでに昼食でもと考えていたその時だった。


「こ…これは俺の金だっ!」

「だから、それを確認させて下さいと言ってるんです」


何やら前方で揉め事があったらしい。カバンを抱きしめるように抱えた男が、警察官二人に職務質問されている姿。

カバンを抱えた男はどこかよそよそしく、何か後ろめたいことがある様子にも見える。

と―


「コレは俺のものだ…、渡さねぇ…、絶対に渡すもんかぁっ!!」

「ちょっ、待てっ!」


カバンの男が急に警察を振り切って走り出す。警察官はそれを追いかけ、カバンの男に掴みかかる。そうして、路上に押し倒されるカバンの男。


「大人しくしろっ。署まで同行してもらうぞっ」

「クソッ、渡してたまるかっ! この…カバンは俺のだっ! うわぁぁぁぁぁぁっ!!」


大声で喚き叫ぶカバンの男。押し倒された拍子に宙を舞う茶色のカバン。

周囲の通行人たちは白昼の逮捕劇を、カメラ付き携帯電話で撮影する。事件はこれで終わるはずだった。

本来ならば。


「おい何だ?」「様子がおかしいぞ」


何やら周囲の野次馬がざわめく。偶然通りかかった後藤もまた、何かと背伸びして様子を伺う。そして次の瞬間、


「は?」


それは目を疑う光景だった。まるで爆風のように、野次馬の群れの中心から吹き出した無数の紙ふぶき。否、それは無数の紙幣。一万円札の嵐だった。


「…っ! 何の冗談だコレっ!?」


白昼堂々引き起こった怪異。野次馬たちが逃げ出す中、紙の洪水が視界を塞ぐ。しかし後藤隆は目撃した。

事象の中心部から眩い青い光。それに呑み込まれた人間が、その肉体が紙、紙幣に変わっていく姿を。

目を疑う。眼前の男の肉体が四肢の先からどんどんと紙幣へと変じてゆき、めくり上がって散乱していく。それはまるで、人間の身体が最初から紙で出来ていたかのようにも見える錯覚。

後藤もまた身の危険を感じ逃げ出す算段を取るが、


「なっ!?」


ずぶりと、後藤の足が大地に呑み込まれる。

慌てて足元を見ると、そこには紙、紙、紙。

アスファルトが、道路が紙幣に変わったかのように、否、実際に置き換わったのだ。

大地が大量の紙幣へと置き換わり、後藤の足を呑み込んだのだ。そして、眼前で膨れ上がる紙の壁。後藤は紙幣の洪水に飲み込まれる。


「ぐわぁぁぁぁっ!!?」


理解できない。意味がわからない。だがこのままでは自分もあの光に飲まれ、紙幣に変わってしまう。性質の悪い冗談にしか聞こえないが、それだけは後藤にも漠然と理解できた。

だから後藤は必死に成って紙幣の海を泳ぐ。一刻も早く事象の中心から離れるため。この怪異から逃れるにはそれしかないからだ。そして、なんとかその海から顔を出した瞬間―、



「―ウグ・ラ・レイ!!」


― 閃光 ―


「熱っ!?」


一条の白雷が後藤の顔の真横を掠り、通過した。光は白熱。肌を焦がすような熱を放ち、事象の中心部へと到達、爆発を引き起こす。

後藤はその爆風ではね飛ばされる。そのままアスファルトをゴロゴロと転がる途中、彼は一部始終を目撃した。

事象の中心、青い光の源に向かって疾走する、金色の髪の少女の姿を。

少女はそのまま光の源に右手を伸ばし―


「封書っ!!」


クレーターのようにすり鉢状になった地面の上、少女は青い光を放つ、何か石のようなものを右手の平で掴み取る。

すると、少女の手の中で青い光は徐々にその明るさを失い、終にはただの青い石へと変わってしまう。

理解しがたい光景。しかし、これだけは理解できた。自分は助かったのだと。自分は目の前の少女によって救われたのだと。

舞い散る紙片は爆発によりちりじりになり、紙幣としての価値はもはや無い。そんな巻き上げられた紙片が舞う中、後藤は少女から目を離せないでいた。そうして思わず、


「魔法…少女?」


そんな頭の悪い発想を口に出してしまう。この男の脳の構造では、こういう事態を収拾してしまう金髪の少女=変身ヒロインという図式が成り立っているらしい。

魔法少女(仮)が男に振り向く。その視線の先にはおそらく自分。その表情は、何か気遣うような、心配そうな表情で、


「怪我は無いか?」


魔法少女(仮)はそう言って後藤に左手を差し出す。その時、後藤は自分が腰を抜かして立てないでいる自分に初めて気づく。

とはいえ、目の前の少女は西洋人の容貌であるが、おそらくは十代前半に見え、そんな年下の少女の手を借りて立ち上がるのに気恥ずかしさを覚えた後藤は、差し出された手に首を横に振り、


「いや、自分で立てる」

「そっか、何よりだ」


後藤は立ち上がり、改めて魔法少女(仮)を見つめる。舞い散る紙片の量が少なくなり、ようやく互いの顔がはっきりと確認できるようになる。

少女は男が今まで会ったどんな女性よりも愛らしく美しい。創作の中で語られる絶世の美少女という表現が当てはまるとするならば、それは彼女だろうと評するほどに。

だが最も目についたのは、その耳。ホモ・サピエンスの平均的な丸みを帯びたその形とはかけはなれた、細長くピンと尖った耳。

後藤はそんな少女の容貌に息を呑んだ。

しかし、息を呑んだのは魔法少女(仮)も同じだったらしい。

魔法少女(仮)は目を丸くして、


「後藤?」


何故か、見ず知らずの自分の名前を口にした。後藤は追及する。


「なんで俺の名前を知ってる?」

「…はっ、しまった!? なんということだ」


―そうして、

そんなワケで、問い詰めてみたら正体が露になり、警察から逃げるようにして現場を離れ、冒頭に至るわけである。


「ていうか、その身体でその口調は似合わないぞ」

「判らんでもねぇーけどさ、お前に会ったら、なんか昔の口癖が出てきたんだよ」


少女は苦笑しながら応える。実のところ、後藤との再会もまた天文学的な確率での偶然だったらしい。

後藤は、大きく変わってしまった親友の姿とかつての姿を見比べるように、改めて目の前の少女を上から下へとまじまじと診察でもするかのように見つめる。そんな視線に少女は居心地の悪さを感じる。


「しかしお前が…ねぇ」

「う、なんだよ」

「異世界トリップ+転生+TSとか、どんだけテンプレなんだよ。ありえねー」

「言うな。ありえないってのは十分承知だぜ」


さらに後藤が茶化す。少女は渋々同意する。それは確かに、あまりにも突飛な話。文字通り“ありえない”。

後藤の目の前にいるお嬢さんは、間違いなく4年前に死んだはずの親友と呼んでも差し支えの無い人物なのだから。

ただし、後藤の記憶が確かならば、当時その親友は生物学的には男であった。断じて、こんなに愛らしい、妖精のような容姿の少女ではなかった。

そう、後藤の親友であるところの『彼』だったモノは、何の冗談か異世界などに輪廻転生し、あまつさえエルフさん(♀)になって帰ってきたのである。

本来ならば正気を疑うような展開。


「しかもエルフ耳で魔法少女、どんだけって感じだな」

「うっさい、あと魔法少女言うな。アタシは決してカードを集めたり、砲撃とかしたりはしない」


とはいえ、後藤の方はこの正気を疑うような展開に難なく適応しているらしい。どうやら、先程に遭遇した怪異のおかげで、ある程度のサプライズに耐性を獲得したらしい。


「つか、一人称『アタシ』?」

「変か? 一応目立たないようにって口調とかは気をつけてみたんだけど」

「…お前さ、言葉以前に何故耳を隠さない。そんな耳してたら周囲から浮きまくりだぞ。ただでさえこの国じゃ外人は浮くからな」

「うっ…」


後藤は少女の耳を指差す。図星を指されて少し落ち込んだのか、長く尖った少女の耳は下向きにしなっとなっている。


「いやさ、ちゃんと術が効いてれば大丈夫なはずだったんだぜ」

「術? 魔法か?」

「まあな。認識阻害系の奴で、ちゃんと作動してたら耳とか普通に見えてたはずなんだけど、全然効果なくてさ」


いわゆる灯台元暮らしというか、誤認による認識阻害。人間は目で見たモノそのままを視覚情報として認識するわけではなく、脳内である程度修正を加えた上で認識する。

曰く、そういった『勝手な思い込み』を利用した幻術を使用しており、正しく作動していれば、相手は視覚情報を自ら常識によって修正し、勝手に誤認するはずだったのだとか。

と、ここで店員がお盆に赤い漆器で出来た箱を二つと汁物の入った椀、そしてお新香を運んでくる。


「うな重竹二つ、お待たせしました~」

「う…」


少女が箱を凝視し、呻く。


「う?」


後藤が少女のうめき声に怪訝となるが、その瞬間少女は、


「うな~~~~っ」


妙な声を上げた。


「うな?」

「う~~なっ♪ う~~なっ♪」


少女は満面の笑みを浮かべ踊るように箱の蓋をとる。どうやら相当、目の前にある鰻の蒲焼にご満悦の様子らしい。

そして変な歌を歌いながらリズムに身体を揺らしつつ、うな重に箸を勢い良く突き入れて、


「いっただっきまーすっ」


たどたどしく一口、鰻を口に運ぶ。箸の使い方をイマイチ思い出せていないようだ。


「はく…。ん~~~、ん~~~」


笑みを浮かべながら悶えだす。喜びを表現しているらしい。


「これは、反則…」


後藤は良くわからないが、エルフのその表情に密かに萌えていた。不覚にも、かつて男であった親友に。

やはりかつての『彼』と目の前のエルフっぽい何かを完全に同一視することは少しばかり困難らしい。

というわけで、後藤は思考を放棄し、目の前の生物に素直に萌える事にする。人間、素直になるのが一番なのだ。


「なんという破壊力」

「だよな、やっぱり土用の丑の日は鰻だよなっ」

「この魅力には抗えないものがあるからな」

「この油の旨さと醤油と味醂の香りがっ」

「輝きと形が違う」

「そうそうこの照りが。やっぱ国産が一番だよな。ふわふわだなっ」

「俺はふにゃふにゃになりそうだ」


微妙にかみ合っていて、噛み合っていない会話。しかしと後藤は尋ねる。


「蒲焼はまあ、判るとして。鰻は向こうにいないのか?」

「似たようなのはいくつか居るな。だけど醤油と味醂がないと。あと米」

「米ないのか?」

「ねぇな」


少女が小さな口で白いご飯を口に入れる。顔がまたふにゃっと綻んだ。男は萌えもだえる。


「へ、へぇ、そ…そりゃあ帰ってきたくもなるよな」

「米で納得かよっ」


後藤は挙動不審な自分が目の前の少女に気付かれなかったことに安堵した。


「日本人が異世界から帰る理由は米」

「断言かよ。まあ確かに米には飢えてたが」

「しかしよく(米のためだけに)帰ってこれたよな」

「語られなかった部分についてはあえて突っ込まんが……。協力してくれたヒトたちもいるからな」


遠い眼をして、どこか楽しそうな。


「ふぅん。手ぇ貸してくれる奴いたんだな」

「まぁな。何ていうか、迷惑かけっぱなしっていうか」


少女は思い出すように、苦笑する。


「お前はヘタレだからな。それぐらいで丁度いい」

「うっさいわ」


憤慨する少女をからかい笑う後藤。少女は舌打ちしつつ、お茶がなみなみと注がれた湯飲みに手を伸ばす。


「へゃうっ!?」


いつの間にか店員さんがお茶を淹れ直していたせいで、高温のお茶に舌を火傷。エルフさん涙目。


「あづひ…」

「お前、どれだけ人を萌えもだえさせれば気が済む」

「萌へ?」


舌を冷ましながら少女は怪訝な表情で問いかける。


「お前。もう、どこからどうみても萌えキャラな」

「も、萌へキャラ…? どこをどう見たりゃしょうにゃりゅ?」


抗議の声。ちなみに舌はまだ痺れてるらしい。


「なんていうか、そのバカっぽいトコとか、迂闊なトコとか」

「ば……バキャっ!? 喧嘩売ってんにょきゃっ?」

「じゃー、さっきのウナ重踊りは?」

「うにっ…」


確かにバカっぽい。


「猫舌で涙目?」

「にょ…」


まだ舌がヒリヒリしているそうです。


「ロリ・エルフ耳・魔法少女。ほら、要素詰め込みすぎだろ? ランドセル(赤)が似合うだろ? 白スク水が似合うだろ? 俺の事はおにいたんと呼べ」

「にゃ、にゃんということだ…。あ、アタシは、萌えキャラだったのか…」


少女は愕然と頭を抱え、両肘を机の上について苦悩する。


「まあ、エルフ(女)に転生した時点でアウトだろう」


ストライクとも言う。


「そ、そうだよな…、エルフ(♀)に転生したら普通だよな、これぐらい」


エルフは錯乱している。


「その時点で普通じゃないことに気付け」

「うっせぇ…。もういいや、萌えキャラで…」


少女はうな垂れた。そのまま肝吸いに手を伸ばす。香りをかいで少し笑顔になった。割と単純らしい。

と、ここで後藤がコホンと咳払いをし、ずいと身体を前に出す。


「ところで…改めて聞くが、さっきのは一体なんだったんだ?」

「さっき?」

「おう。あの、人間が万札に変わっていったやつだ。その、魔法とかと関係あるのか?」


話は、ほんの二十分前の出来事に。あの後、二人は警察の事情聴取などの厄介事から逃げるように、この和風料理店に席を移したのだが、その間、少女から件の怪異についての説明は一切無かったのだ。

自分の命にも関わったことでもあり、後藤は改めて先の件について少女に尋ねる。


「コイツが分かるか?」

「ん?」


少女は腰の小さなポーチから何かを取り出し、テーブルの上に置く。それは見間違い出なければ、先の事象の中心で青い光を放っていたモノだった。

それは一辺が3cmほどのガラスのように薄い板状の欠片であり、金色を散らした澄んだ瑠璃色。良く見ればその金色は何やら文字のようにも見え、不思議なことに宝石板の表面に浮かんでは消え、踊っているようであった。

神秘的な青の宝石。まるで小宇宙のような煌めきに、後藤は引き込まれるような錯覚を覚える。


妖精文書(グラム・グラフ)と、そう呼ばれてる」

「さっきの事件の時のヤツ…だな。…その、大丈夫なのか?」

「ああ。封書…、つまりは、一応封印処理はしてるから、さっきみたいに暴走はしないぜ」

「暴走?」

「うん」


少女は頷き、一呼吸置いた後説明を始めた。

少女曰く、妖精文書とは魔法とは全く異なる原理により、あらゆる原則を覆す超常のアーティファクトであり、13色13種類の、金色の古代文字が内部に躍る宝石板である。

ヒトのあらゆる願いに感応し、それを無秩序に叶えようとするが故に、適当な制御系に組み込まなければ、大規模の文書に至っては暴走し、大災害―『文書災害』を引き起こす可能性を孕む凶器でもある。


「さっき暴走したコイツは、妖精文書第四類型『青』。存在の性質を改変する力を持つ文書だ。制御されていない妖精文書は自らの持つ能力に従って、所有者の願いを勝手な解釈で叶えちまう。例えば、金持ちになりたいなんていう願望なら、周囲の物質を紙幣に変えたり…だとかな」


そうして妖精文書は暴走し、所有者以外の存在、彼を取り押さえようとした警官、野次馬達、アスファルト、土くれを一万円札へと『変換』したのである。


「危ないな、ソイツは。なんでそんなモンがあんな場所に?」

「さあ? それはアタシも判んねぇ。ただ…、アタシの師匠はアタシが転生した原因に妖精文書が関わってるって疑ってるみたいでさ。アタシがこっちの世界に戻って来たのもソレがらみなんだぜ」

「あの事故にか? じゃあ、お前はその、妖精文書とやらを集める為に魔法の世界からやって来た魔法少女という設定なのか?」

「何でアタシがそんな面倒なことせにゃならん。スポンサーの思惑は別みたいだけど、アタシは単に、もう一度日本に戻ってきたかっただけだぜ」

「なんだ、ヘタレめ」

「うっさい、ヘタレ言うな」


そう悪態をついて、少女は最後の鰻の一切れを口に放り込む。どうやら後藤の方も食い終わったらしく、


「…そろそろ出るか。ご馳走様」


一服の後、二人して席を立つ。すると後藤は上着の懐から財布を取り出し、


「ここは俺のオゴリな」

「むしろアタシはこっちの金もってねぇ」


文無しだと少女はひらひらと手を振る。


「…そういやお前泊まるトコあんのか?」

「唐突な話題だな。まさかっ?」


少女が我が身を庇うように男から一歩下がる。


「いや、違う。そもそも家には嫁がいるから」

「お前、結婚してたの? マジでっ?」

「まあな、1年前に…じゃなくて、そのだな、泊まるトコないんだったら―」


本気で心配している目。少女はため息をついた。


「アタシみたいなの、どうやって泊める気だ? 今日から犯罪者やってみっか?」

「無理か…」

「嫁さんになんて説明すんだよ。ロリエルフ拾いますた? マジ笑える。家出少女拾うよりもありえねぇ」

「召喚?」

「アホ。まあ心配すんな。サバイバルとかは魔女の基本だぜ?」


と、少女は胸を張って大丈夫だと主張する。しかし、後藤はそんな彼女の言い分をいぶかしむ。


「で、具体的には?」

「…野宿とか?」

「ド阿呆」

「いて」


おどける少女に後藤は軽くデコピン。そして、


「お前の耳と、何か魔法でも見せてくれれば嫁さんも納得するとおもうからさ」


後藤は照れ隠しに頬を指で掻きながら少女に語る。その言葉の真摯さに、少女は目を見開いて、面白いほど焦りながら声を荒げた。


「いやいやいや、お前少しは考えろよ」


後藤は笑う。やはりコイツのヘタレは死んでも治らないらしい。コイツが何よりも嫌がるのは、自分の周囲が自分のせいでリスクを負う事だ。身内が困っているときは率先して手を差し伸べるくせに。

だから、いつも苦労を背負い込んで、いつも肝心なときに行き詰る。


「それに…死んだと思ってたバカがこうして帰ってきたんだ。しかもこんなナリでな。ほっぽり出せるわけないだろう? 大人しく来い。反論は許さん」

「………」


少女は少しの間逡巡する。

そして見逃してしまうぐらいに小さく口元に笑みを浮かべて、後藤に聞こえないぐらいの小さな声でバカ野郎と呟くと、


「お前、すげぇイケメンな」

「今頃気づいたか」

「はっ、後悔するぜ阿呆が。新婚さん家庭に突撃かよ……。寝取ってやる。主にベッドの位置。オマエはソファーの上だ!」


宣言した。


「酷でぇ…」

「ちなみに前の名前とかで呼ぶなよ後藤。これからはルシア様と呼べ」

「ルシアたん萌え~」

「やっぱ殺すか…」


手から雷をビリビリするエルフ。そんな少女を見て、男は、


「でもまあ、まさかお前とこんなカタチで再会するなんて、人生何があるかわからないよな」


何があるか分からない。開けてみないと判らない。

ふと少女は何かを思い返すように、静かな笑みを浮かべ。出入り口の戸に手を掛ける。


「どうした?」

「いや、そうだな…。今日もいい天気だって、思っただけだ」


少女は思い切り引き戸を開き、妙に吹っ切ったような笑顔で後藤に応えた。

振り向き様に振り乱された彼女の髪を、夏の日差しがまるで光の糸のように輝かせる。

だけどそれ以上に、少女の笑顔が明るく輝いて見えて、後藤は思わず息を呑んだ。









[27798] Phase001-b『エルフさんといつかのプロローグ②』
Name: 矢柄◆c6a9a2cf ID:022f668f
Date: 2011/05/16 00:45

それは、彼女の主観においておよそ半年前のこと。彼の主観においてはほんの一月前のこと。


「………」

「…えーと」


ルシアは冷や汗を掻きながら苦笑いを浮かべ、重厚な木製のデスクの前に座る女性に対峙していた。

ルシアを冷ややかな視線で射抜くのは、ウェーブがかった灰色の長い髪の、隻眼の女性。金の刺繍に飾られ黒を基調とした、深いスリットと大胆に胸元が開いたドレスを着こなす姿は、いわゆる妖艶な魔女といったところか。

彼女はルシアにとって魔術の師であり、大恩ある人物。

ロベリア=イネイ。

真紅の魔女との異名をとる彼女は、この世界でも屈指の魔法使い。しかしその肩書きに似合わず、フランクな性格の持ち主で、気安い相手でもある。今で家族と言っても良いほど信頼を寄せている相手だ。

そんな彼女の前でルシアが緊張を強いられているのは、要は大ポカをやらかしたからだ。

致命的なミス。いや、あんなモノを見せられたのだから仕方がないといえば仕方が無いのであるが。

ルシアはロベリアの視線を前に居た堪らなくなり、視線を女性から外す。周囲には所狭しと書物や、魔術工芸品が無造作に散乱しているのが目に入る。

ルシアはこのヒト相変わらず片付けられない女だよなぁと、なかば現実逃避する形で取りとめのないことを考える。


「今までは不問としていたがの。今回ばかりは答えて貰わんとな」

「えーと、なんのことでせう」


気だるそうに、ロベリアはルシアに視線を向ける。必死にあさっての方向へ目線を逸らすルシア。挙動不審さがモロバレである。

大ポカ。

ロベリアに呼び出され見せられたモノ、それにルシアは思わず絶句をしたのだ。

自動小銃。

この世界には在り得ない武器。ルシア自身はミリタリー系の知識に前世でもさほど詳しくは無かったが、映画やニュースなどで何度も目にしたことがある。米軍の歩兵がよく手にしているヤツだ。

とはいえ、銃という兵器体系自体はこの世界にも存在している。

火薬を用いて金属の礫を高速で射出する武器は、魔法が発達したこの世界でも有用な武器として認知されているからだ。

とはいえ、問題はルシアがコレを銃であると見抜いたことではない。問題となったのは、ルシアがコレを見たときの不審な反応であり、そしてこの銃を構成する物質にある。

材質はアルミニウム合金であり、そしてアルミニウムそのものはこの世界にも存在する。しかし、発見された銃に用いられたタイプのアルミニウム合金を生産している国や組織はこの世界の何処にも存在せず、さらに―


「この銃の材質からは霊子あるいは霊電子が検出されなかったそうじゃ」

「へ、へぇ~、そーなんですか~。第一都市の発掘ででも見つかったんですか?」

「より厳密な検査によれば、この物質の原子核を構成する陽子には霊荷が無い事も判明した」


しらじらしいルシアの反応を無視して、ロベリアは説明を続ける。


「………」

「驚かんようじゃな」

「い、いえ、とってもとっても驚いています」


この世界の物理は、前の世界のそれと根本的に違うことがある。つまりは、魔法というものがあり、それを実現する物理、魔力相互作用が存在する点だ。

魔力。この世界には洒落でも冗談でもなんでもなく、魔法が存在し、魔力という力が厳然と世界に存在する。魔力とは、この世界において重力や電磁気力と同様、この世界の基本的な5つの相互作用の一つだ。

その物理に従うならば…、この世界の物質には霊荷と呼ばれる、電荷や色荷とは似て非なる力が働いている。

この世界の標準模型についての説明は省くが、要は、霊荷を持つ原子核は、電子を捕捉して電磁気学的に安定化するように、霊子あるいは霊電子と呼ばれる霊荷を持つレプトンを補足することで魔力物理学的に安定化しているはずなのである。

よって、この世界のAl原子ならば、原子殻の内部に必ず霊子を原子内に保有しているはずだ。

要は、この世界のアルミニウム原子には霊子という成分が含まれているはずなのに、今回問題となった銃に使われているアルミニウムにはそれが無い。つまり、この銃に使われている物質は根本的な意味で『この世界にはありえない』のだ。

この世界には。


「お主、何故異なる世界の武器を知っておる?」

「いいい異世界ですか?」

「何故、儂の目を見て話さん?」


隻眼の魔女の瞳がジロリとルシアを捉える。


「気のせいです。果てしなく気のせいです」

「…お主、要らん所で強情じゃな。うむ、ならばこちらにも考えがある」

「か、考えですか? できれば考え直してもらえませんか…なんて」


冷や汗ダラダラのルシアさんはカタカタ震えながら、おそるおそる魔女様に懇願。

しかし、ルシアが次に見たのは、両手をワキワキさせながら、いつのまにか彼我の距離を目と鼻の先程にまで接近し、とってもとっても邪悪な笑みを顔に貼り付けた―


「さあ、吐くのじゃ♪」

「ひっ、ひぃぃぃぃぃぃっっっっ!!?」


ざんねん。ルシアのぼうけんは、おわってしまった。





Phase001-b『エルフさんといつかのプロローグ②』




「はっ!?」


ばっと顔を上げ、周りを見れば車内。隣にはハンドルを握る後藤の姿。どうやら少し眠ってたらしいと、ルシアは助手席で一度伸びをする。


「起きたか。疲れてたのか?」

「…まあな」


内装はゆったりとしており、座席のカバーは黒いレザー調。インテリアトリムは木目を模したもので、曲線を描く肘掛など高級感を感じさせる。

ルシアは時の流れをしみじみと思う。

大学時代は痛車で峠を席巻していたコイツが、今ではこんなに大人し目の車だなんて、ホモサピエンスって成長するもんだなあと。


「アタシ、どのくらい寝てた?」

「ほんの20分ぐらいだ。何かうなされてたようだが?」

「ちょっと、夢見が悪かっただけだぜ」

「ふうん」


ルシアはさきほど見た夢を思い返す。

アレはおよそ1年前の事だ。この世界と異世界の間になんらかの物流があることの証拠。そして、そのブツについて何か知っているらしい自分。

あの後、ルシアは彼女の師匠に洗いざらい、それまで曖昧な形で隠していた転生者であるといった秘密などを吐かされたわけである。

まあ、そのお陰もあって、こちらの世界に渡る術式の開発を手伝ってもらえ、帰還が早まったのだけれども。


「はぁ」


ため息をつく。

先の昼食の後、後藤は一度仕事に戻り、ルシアは久しぶりの日本を散策を楽しんだ。そして、その後待ち合わせをして、車で拾ってもらい、今に至るわけである。

後藤の住むマンションは、車で1時間ほどらしい。6月であり、まだ空は明るいものの、しばらくすれば夜の帳が降りるはずだ。

高速に乗り、FMをBGMにしばらく抑揚のない景色が続く。コンクリートやアスファルトで固められ、無数の乗用車が所狭しと行きかう現代都市は、長い時間異世界に放り込まれていたエルフの少女にとっては懐かしいのか、彼女は珍しそうに周囲の景色を眺める。


「やっぱ、こっちの車は快適だよな」

「向こうはどんなんだったんだ? やっぱファンタジーらしく馬車?」

「ん~、基本的には馬車が多いかな。普通に出回ってる馬車はこっちみたいなタイヤとかサスペンションとか無いし、街道の状態も良くないからな」


向こうの世界で一般的な馬車などは、車輪にゴムを装着するなどの工夫はされているものの、空気を充填したものや、質の良いバネが無いので、大抵の馬車は振動がひどい。

魔術による振動軽減は、空気バネの原理を用いたものであるが、高価なので一部の馬車にしか装着されていない。


「つーことは、文明レベルは中世ぐらいか?」

「いや、中世と近代が混ざったような感じ…かな。魔法関連の技術で、精霊機関っていうエンジンがあって、自動車とか列車とか…、あと飛空艇とかあるぜ」


ファンタジーという要素がある以上、コチラの文明とは異なる進化を辿るのは必然。コチラから見た時、『アチラ』の世界の文明はさぞ歪に見えるだろう。


「飛空艇っ? ファンタジーっぽいのキタっ!」

「こっちには食いつくのな」

「ロマンだろうっ。シドだろうっ! プロペラ萌えっ!!」

「声おっきい」


でもまあ、分からないでもないとルシアは同意する。ファンタジーのギミックの代表格。男というイキモノは空を飛ぶ乗り物に憧れるものだ。


「しかしエルフもいるとなると、俄然ファンタジーってかんじだな。オークとかゴブリンとかもデフォ?」

「ドラゴンもスライムもいるぜ」


ちなみに異世界だからってドラゴンはお姫様を攫わないし、スライムの頭は尖がってはいない。ゴブリンもそんなにヒトを襲わない。

そもそも爬虫類が哺乳類に性的な魅力は感じないし、スライムは表面張力で丸くなるのが自然。ゴブリンは今では辺境に行かなければお目にかかれない。


「ほう、夢が広がる」


後藤の脳裏に美少女が竜に騎乗して空を飛ぶ浪漫溢れるファンタジーな世界が再現される。


「ドラゴン超強暴だけどな。目の前にしたらロマンとか夢とか言ってる間に胃の中だぜ」


ルシアの脳裏に後藤が竜に咥えられて空にかっ攫われる仁義無きファンタジーな世界が再現される。


「リアルドラゴン見たことあるのか?」

「まあな。火竜とか超カッコイイぜ。超音速で飛ぶし、熱線吐きやがるんだ。連中、たぶんこっちの戦闘機よりも強ぇえぜ」


さらに言うなれば防御力は若い竜でも第三世代MBTの前面装甲以上(リアクティブアーマー付き)。熱線の焦点温度は6,000℃、射程は10kmに及ぶ。戦闘機の速度とヘリコプター並みの機動力を持ち合わせたチート生物である。


「ほう。じゃあ、竜殺しってのは夢のまた夢か」

「いんや、アタシの魔術の師匠なら多分できるんじゃねぇかな。アタシでもワイバーンぐらいなら狩ったことはあるぜ」

「おおうっ、リアルモンハンですか?」

「紋斑? ああ、モンスターハントか。まあ、竜鱗は高く売れるからな」


熱や衝撃に強く、硬くて軽量。しかもエレガントな艶と質感から、高価な鎧や装飾品に使用される高級素材。


「むふ~、じゃあ、もしかして触手モンスターとかに(性的な意味で)襲われたこともあったり?」

「…しょく?」


と、後藤は変態という名の紳士なのでそういう展開をちょっと期待。うねうね。


「はっはっは、流石にソレは無いか。いくらエロゲの定番でも、実際に女を(性的な意味で)食べるモンスターとか在りえないもんなー」

「…しゅ」


あっはっはと笑う後藤。

そもそも触手を使って女性にあんなことやこんなことをしてしまうモンスターなど、色々な意味でネタ生物である。在り得るはずは無い。

が―


「(ガクガクガクガク)」

「へ、何震えだしてるの?」


ルシアの様子が突然おかしくなり、


「らめぇ…、触手はやーの、ひゃうっ、うう…もう嫌ぁ」

「…ってまさか触手プレイ体験済み? それなんてエロゲ」

「はっ…、トラウマがフラッシュバックしちまったぜ」


エルフはふうと息を吐いて額の汗を袖で拭く。


「お、おらワクワクしてきたぞっ! らめぇって、ひぎぃじゃなくて?」

「シャラップッ! それ以上何も聞くな。OK?」


エルフさんの指の爪の先端が後藤の首に突きつけられる。


「OKOK。地味に怖いからヤメテクダサイ。特にノドはヤメテ」

「判ればいい」


突きつけられた爪が引っ込められる。後藤は左手の袖で額の冷や汗を拭き、ふうと息を吐き、運転中になんてことするんだとぼやく。


「しかし、色々面白そうだなファンタジー世界。俺も行って見たい。二泊三日で」


そして気軽な発言。まあ、RPGなどのテレビゲームや、アニメを見ている世代にとって剣と魔法の世界は憧れの対象ではある。が、それを聞いたルシアはヤレヤレと肩をすくめる。


「気軽に言うな。大体、ファンタジーなんて面倒だらけだぜ? ヌルイ現代日本万歳。アタシは思うね、島国農耕民族は大人しく中に引きこもるべきだって。大体さ、ファンタジーって言っても実際血生臭ぇもんだぜ」

「そうなのか?」

「向こうは人間の命が軽い。すぐに命のやり取りに発展するかんな」


解決手段が暴力に直結することが少なくない。国家が管理する警察機構が未熟なせいでもあり、武器の普及率が高いこともこれに拍車をかける。魔術師にいたっては、無手でも大量虐殺が可能な歩く戦術兵器とも言える。

傭兵崩れや食い詰めた農民が、盗賊や山賊を兼業する事も多く、また農民同士の水利権を巡る紛争みたいなのもある。

人里を離れれば、そこは魔獣やオークのような人を襲う危険な生物が徘徊しており、毎年これらに襲われて命を落す者も少なくない。

要は、剣と魔法の世界というのはつまり、剣と(攻撃)魔法がモノを言う世界という意味なのである。


「あと、向こうとコッチじゃ時間の流れの速さが違うから、老けるぜ」

「ウラシマ効果?」

「逆だけどな。向こうの時間、こっちの5倍速みたいだぜ」


ルシアになった『彼』が死んだのは、地球の時間、後藤の体感においては約4年前。だが、異世界の時間、ルシア自身の体感においては20年近い時間が経過していた。


「いや、それはお徳情報じゃないか? だって有給が5倍になるんだぞ」

「む、そういう見方もあるか」


こちらの時間で2泊3日の旅が、向こうで過ごせば2週間の大型休暇に大変身。有給休暇が5倍増など、趣味に生きる人種にとっては夢のような話。


「だろ? だから、何とかならないか? 危険地帯だって足踏み入れなきゃいいだけだろ?」

「…いや、ダメだって。そもそも行き来自体が難しいんだよ。今回だって結構無茶な方法使ったんだ」


しつこく粘る後藤に対し、ルシアは面倒そうな様子で説明する。


「無茶な方法?」

「膜宇宙論的な話になるんだけど、3次元の世界に属してるアタシ達の身体…というか物質が異なる世界に渡るためには、高次元との境界っていうか、そう、壁みたいなものを通過しなきゃいけなくて、…んで、トンネル効果って分かるか?」

「量子論のアレだよな。だけど―」


単純に言えば粒子が通れないはずの壁をすり抜けるって効果。難しく言えば粒子が自身が持つエネルギーよりも高いポテンシャルをもつ壁を通り抜けることが出来るという現象。

これは量子力学の不確定性原理、波動方程式に裏付けられ、これが無ければ太陽だって輝かない。トンネル効果により電磁気力の壁を飛び越える事できるからこそ、本当に必要な温度よりも低い温度で原子核同士が融合できる距離に至る事ができる。


「そこで変身の応用ってやつだ。量子論がモノを言う状態に変身すれば―」

「トンネル効果が発生するのか。つーか、変身って…」


後藤は少し突飛すぎる話に苦笑する。彼が想像する変身といえば、ゲームや漫画、創作で出てくる魔法や忍法とかだ。

とはいえそれらも狼やら近しい生物に化けるもの。素粒子に変身するという話はいまいちピンとこない。


「まあ、そもそも通常の変身魔術とは根本から違うけどな。ただでさえトランスフォーム自体高位魔術だし、第一、普通に使い魔と知覚を共有したほうが早いから使うやつは少ねぇ。ましてや変身ってのは身体への負担が大きいし、元に戻れなくなったり、自我が再現できなくなったりと結構怖くてな。多分、生物ですらなくなる変身に成功したのはアタシが始めてかもしれねぇな。量子化を基本にした今の方法だと直接こっちに妖精文書を持ち込めねぇし、純粋な魔術だけでだと不可能だから、結構な大掛かりな儀式魔法陣を―」


人差し指を立てて何やら説明しだすルシアさん。しかし男は飽きたのか、


「ストップ。お前は相変わらず理屈っぽいな。ヘタレの癖に」

「うっさいわ! あと誰がヘタレだっ」


一言多いと長耳を逆立てて憤慨するルシア。いちいちむきになる少女に、後藤はなんだか加虐心をくすぐられ、これは不味いと咳払い。


「コホン。まあ、それはいいとしてだ。お前、これから何するつもりだ?」

「ん? 何って?」


後藤が何を言いたいのか解せず首を傾げるルシア。


「いや、昼間言ってただろう。別に、妖精文書とやらを探したりするわけじゃない、単に日本に帰ってきたかったんだって。この後、家族にでも会いに行くのか?」

「家族か…、どうしようかな」


後藤の問いに対して、ルシアは両手を首の後ろで組んで空を仰ぐ。どうやら家族に会うことに対して迷っているらしく、そのことに後藤は疑問を覚える。


「何迷ってんだヘタレ」

「いや、そういうの予定してなかったし…。だいたいさ、一人息子はエルフ女になっていますた…だぜ? どんな顔して会いに行けと」

「喜ぶんじゃね? しがない隠れオタクが、金髪ロリエルフに」

「そんなシチュエーションにときめく親は、なんかヤダ」


大体、いまさら会ってどうしろって言うんだよとかなんとかと、ごにょごにょと煮え切らないエルフ。後藤はそんな彼女を、相変わらずヘタレだなと苦笑する。


「正直な話、死んだはずの息子が帰ってきたんだ。どんな変わり果ててても、五体満足で帰ってきたら喜ぶってのが親だろう」

「あー、まあ判らんでもないが…。つか、なにいきなりマジになってんの?」


少女が突然の男の真剣な表情に引く。


「いや、さっき結婚してるって言ってただろ。実は去年さ、娘が生まれてさ」

「マジかよっ!? ままままあ、オメデトウ」


衝撃的事実。かつて一緒にバカをやっていた親友に娘さんが出来ていたことに、大いにうろたえるエルフさん。

そもそもこの男が結婚していたという事実すらも信じがたいことなのだ。

確かに、この男は学歴も見た目も悪くはなかったし、話によるとこのご時勢で外資系の企業に就職してるらしい。そこそこイケメソでもあり、モテル要素は十分、つーか良物件という奴だろう。

しかし、コイツはOTAKUで、HENTAIで、同人サークル(親にはとても言えない品々を扱う)を主催してたり、学生時代には痛車で堂々と通学していたという、おそるべき経歴の持ち主なのだ。


「でも、なんて心の広い嫁さんなんだろう」

「うるさい、ヘタレエルフ。で、まあそういうわけで親の気持ちってやつ? なんとなく分かるようになってきたわけよ」

「ほー」

「写真見るか?」


そして、スッと胸ポケットからサッと取り出される1枚の写真。どうやらこの男、結構な親バカらしい。

写真にはコロコロと可愛らしい赤子が、自分を撮ろうとするカメラを掴もうと両手を上げる姿。


「お、カワイイじゃん。へぇ、お前が父親か…。もう立てるのか?」

「もうすぐだな。壁に掴まって立ったりしてるぞ」

「へぇ」


見せられた写真に写る赤ん坊の寝顔。少女の顔が綻ぶ。

その表情に男は一瞬息を呑み、そして慌てて首を振って冷やかした。


「なんだ、ロリエルフになっただけじゃなくて母性本能も完備か」

「…まあ、その、なんだ、アタシも女だからな」


なんだか気恥ずかしそうな、そんな表情で―


「………」

「どした?」


からかったつもりが素で返されて少し面食らう男。そんな反応に怪訝な表情になる少女。


「…ほっほっほ、いい奥さんになれるんじゃありませんこと?」

「そいつは勘弁だぜ…」


照れ隠しに誤魔化す男。苦笑するエルフさん。


「なんだ、母性は肯定しても、男関連は無理か」

「当たり前だ、キモイ」


少女の声に嫌悪の棘が混じる。性別が変わったからといって、そういう部分については簡単に受け入れられるわけではないらしい。


「もったいないな。MOTTAINAI!!」

「何がMOTTAINAIだ。どう言われよーと、アタシは男とかいらねぇの。大体、女なんて星の数ほどいるだろーが」

「それはそうと、実際のところどうするんだ? 家族のこと。4年前になるのか、お前の葬式。結構、大変みたいだったぞ」

「…想像つかねぇな。アタシが死んだ時のこと、コッチではどうなったんだ?」

「飛行機事故ってことになったんだが、あの事故はアレだ。なんていうか、…死体が一つもあがらなかったからな」


後藤は4年前を思い出し、一瞬言いよどむが、意を決したように話し始める。

4年前の夏の日、乗員乗客百余名を乗せたボーイング747-400型機はその日、太平洋上で突如消息を絶った。原因は不明。

必死の捜索がなされたが、関係者の努力も虚しく、誰も帰ってはこなかった。後日回収された航空機の残骸を除いて。


「でも、確かに、思えば変な事故だったな。乗客乗員全員が行方不明らしいからな。一時は神隠しだとか、UFOにさらわれただとか色々騒がれたんだけどよ」


男は思い出すように語る。

一応、事故調査委員会は事故について、突発的に発生した乱気流によるものと結論付けたのだとか。

しかし、あくまでもそれは推測で、確証は無い。機体の大部分は発見されず、遺体の一つもあがらないという異常。

憶測が憶測を呼び、果てはオカルトや超科学へと結び付けられていったのだとか。


「お前が異世界に転生したってことは、他の乗員とかもそうなのか?」


ルシアという事例がある以上、その可能性があるのではないかと後藤は尋ねる。しかし、ルシアは首を振り、


「判らねぇな。おおっぴらに調べられることじゃねぇし。少なくともアタシの知る範囲では同郷のヤツはいなかったな」


自分には前世があると周囲に公表する人間はほとんどいない。いたとしても、ほとんどが頭がおかしいか、変な宗教にかぶれているかどちらかだ。

そんな中から本物の転生者を見つけ出す等、砂漠から砂一粒を探し出すのに等しい。


「…んで、話は戻るが、お前の葬式の時なんだが、お前の遺体が無い状態でな」

「ああ…」

「お前のお袋さん、お前が死んだこと最後まで認められなかったらしい。葬式にも出席してなかったな」

「…そっか、悪い事したな」


その光景が思い浮かぶ。

認められない我が子の死。そんな中行われる葬儀。空っぽの棺。それは酷く残酷だっただろう。父親はそんな母親を前にどうしているだろう? 妹は? 様々な想いがルシアの脳裏に錯綜する。


「会いに行かないのか?」

「…考えとく」

「ヘタレめ」


と、そんなことを話している時、ラジオから―


『…なお事故現場には大量の紙幣が散乱しており~』


「ん、これ、昼間の事件のことだよな」

「だな」


昼間の、後藤とルシアが出くわした事件について、ラジオのニュースが伝える。どうやら事件は原因不明の爆発事故として報道されているらしい。

散乱した紙幣については、全ての一万円札について、記番号が同一であったことから、精巧な偽札と推定されるなどとラジオは伝える。


「後藤、こういう事件って多いのか?」

「どういうことだ?」

「つまりその、今回の件と、もしかしたらアタシの飛行機事故の時も妖精文書が絡んでるわけだ。もしかしたらさ、他にも文書が絡んでる事件があるかもしれねぇだろ?」

「そういえば…、2年ほど前だったか。インドネシアの何とかって島がさ、抉り取られたみたいに消失したってニュースになってたな」


後藤曰く、その事件は4年前の飛行機事故同様に不審な点が多く、一時期世界をにぎわせていたらしい。

島民3000名ごと消失した南洋の島。隕石衝突や地殻変動、津波といった痕跡も無く、ただ単に、ごっそりと抉り取られたような痕だけが残った事件。

そして、近くの島、特に西側に位置する島には、未曾有の強烈な突風が吹き荒れた痕跡があり、その二つだけが島消失の手がかりだったそうだ。

プラズマ説からUFO説など様々な原因が叫ばれたが、最終的には特殊な地殻変動による津波が原因だと言うことになったらしいが、今でも消失した島の残骸は見つかっていないらしい。


「…ってことがあったんだが、何かわかるか?」

「文書が原因なら…第五か第八が原因…か?」


そんな後藤の話を聞いて、ルシアは独りブツブツと呟きながら考え込む。


「よくは分からんが、その、妖精文書ってのが関わってるとすれば綺麗さっぱり説明できる問題なのか?」

「情報が断片的すぎて即答はできねぇな。ただ、似たような文書災害は聞いたことがある」


そんなことを話している間に、車は門をくぐり高層マンションが立ち並ぶ区画へと差し掛かる。


「着いたぞ」

「へぇ、いいトコ住んでんのなお前」


マンションが立ち並ぶ区画の歩道はレンガにより幾何学に飾られ、周囲は花壇や凝ったデザインのプランターとベンチが配置され、奥に見えるロータリー中央には円形の池と噴水がある。

花壇に植えられているのはマリーゴールドだろうか? 

高層マンションはそのロータリーを取り囲むように聳えており、ロータリーはちょうど中庭のような様相を呈しているようだ。

車はその中庭には入らずに、裏の地下駐車場の入り口へと入っていく。内部は地上と違い、打ちっぱなしのコンクリートがむき出しに生った無骨な空間。


「家賃いくらだ?」

「買ったから家賃は無い。維持管理費とかそんぐらいじゃね?」

「このセレブリティーめ。ここに全国の労働階級の敵がいますっ! つか、親の金か?」

「HAHAHA、確かにいくらかは出してもらった」

「死ねばいいと思う」

「暑いな」

「夏だからな。階級闘争の夏だ」


ルシアの嫉妬の炎がメラメラと燃える中、電子音と共にエレベーターが7階のフロアに止まる。

そして、後藤の部屋に向かう途中、ルシアはふと気がついたように、


「そういや、アタシのことは嫁さんには電話してるのか?」

「おう、一応な。って言っても大学の頃のダチを泊めることにしたとしか伝えてないがな。なんというか、電話越しでお前のことを説明できる自信が無いからな。ちょっと複雑な事情があるってだけ伝えてある」

「ふうん(ニヤリ)」


確かに、今のルシアの事を彼女本人を抜きにして説明することは困難だろう。そして、致命的なことに後藤は今のルシアの不穏な笑みを見逃してしまった。


「それじゃあ、先に入るから、お前は俺が呼んだときに来てくれ」

「おー(棒読み)」

「なんだろう、ものすごく嫌な予感しかしない」

「気のせいなんだぜ(棒読み)」


若干の不安を抱えながら、後藤はドアの鍵穴にキーを差し込み、ひねる。そしてドアを開け、


「ただいまー」


若干声を大きめに帰宅を告げる。すると奥からパタパタとスリッパが床を叩く音が聞こえてくる。

現われたのはショートボブに纏めた髪を軽く茶色に染めた、スレンダーな体型のエプロン姿の女性。エプロンの下はTシャツにデニムのパンツという、カジュアルな姿であるが、かわいい感じの美人さん。

女性は後藤の持つカバンを受け取りながら、


「お帰りなさい、隆さん」


と、後藤に笑顔で応える。


「今日はお友達が泊まりにこられるって聞いてるけど?」

「ああ、今から―」


女性に促され、後藤がそう言いながらルシアを紹介しようとしたその時―


「こんにちは…です」


ルシアはオドオド(する振りをして)、彼らの目の前に現われた。


「隆さん、この子は?」

「えっ、だから大学のときの…って、お前何をっ?」


後藤がばっとルシアにふり返る。しかし、全ては遅かった。そこには、どう考えても気弱で、押しの弱そうな美少女しかいなかったのだから。


「あのっ、私、こっちに泊まるところがなくて…、そしたらこのおじさんが…。ここ、どこですか?」

「…タ・カ・シさん? 少し聞いている話と違うのだけど?」


どう見ても、変態紳士に色々言いくるめられて連れてこられた家出少女です、本当にあり(ry

少し声のトーンが低くなった女性を前に、後藤の額に汗が吹き出る。


「ちっ、違うんだ佳代子これはっ、くっ、貴様まさかこれを狙ってっ!?」

「くけけけっ。何の事か判らないぜ」

「裏切ったなっ! 僕の気持ちを裏切ったな! 父さんと同じに裏切ったんだ!」

「ふはははは、これで貴様は犯罪者確定だっ!」

「くそっ、痴漢の冤罪並みの地雷じゃねぇかっ、このヘタレエルフめっ!」

「やるかコイツ、消し炭にしてくれるわっ!」


よくわからない内に取っ組み合いが始まる。後藤の妻である佳代子は、状況は理解できないまでも、とりあえず安心する。どうやら、懸念していた状況ではないらしい。


「ハイハイ、隆さんも…、貴女もさっさと中に入って。ご近所に迷惑だから」

「「は~い」」


そうして、数奇な運命を辿った少女の、帰還一日目が暮れる。







[27798] Phase003-a『エルフさんとお母さん①』
Name: 矢柄◆c6a9a2cf ID:022f668f
Date: 2011/05/18 21:21


走る。息を切らしながら走る。

闇に閉ざされた森の中を、ただ眼前の背中だけを見てひたすらに走る。

鋭い木々の枝が身体を傷つけるのにも構わず、追い立てられるように走る。

背後には暗く不気味な森と、赤く照らされた空。故郷だった場所。

目の前には、同い年の少年と自分の二人を先導して獣道を駆け抜ける<この世界での>母親。

だからこれは夢なのだと、少女は悟る。さりとて、悟ったところで身体の自由は利かない。これはもう終わってしまったことなのだから。

そして道が開ける。まるで予定調和。

いつものとおり、そこには森の中に出来た小さな野原があって、いつものとおり、やけに明るい月に眼が眩んで、

そしてそこには、やっぱり、一人の、自分と同じ色の髪の男が、巨大な岩の巨人を従えて佇んでいて、

これはいつもと同じ夢で、だからその結末もいつもと同じで、

判っているのに、どうしようもないのに、目を逸らす事ができなくて、

そして、男に命じられた巨大な岩の巨人が、その大きな手で母親を掴みとり―



ゴキリ



酷く、生々しい、耳を塞ぎたくなるような、圧搾音。全てを見せられる。全てを聞かされる。

握られた巨大な岩の手から伝う、赤い、赤い液体が月に照らされて―


「…お母さっ!?」


次の瞬間、目に入ったのは、すこし黒ずんだ白い壁紙。カーテンの隙間から差し込む光で作られた陰影。

森の濃厚な臭いは立ち消え、在るのは僅かな布団を日干ししたときの臭い。突然の変化に、一瞬思考が追いつかないが、


「ん…、ルシアちゃんどうしたの?」

「え?」


隣で寝ていた女性の、少し寝ぼけた声が自分の名を呼んだことで、ルシアはようやく『今』に立ち返った。窓を隔てた外からは小鳥の鳴き声、それに混じって新聞配達のバイクの音が遠くに響く。

寝巻きがじっとりとした寝汗で張り付き気持ちが悪い。気温が高いせいか、それとも夢のせいか。

スプリングの弾力が利いたベッドの上には自分と、古い友人の伴侶。後藤佳代子。あのバカの嫁さんとしては、あまりにも上等な美人さん。


「ごめん、起こした?」

「ん…、気にしないで。時間も良い頃合だから」


と、同時に目覚まし時計の電子音が鳴り響いた。彼女は枕もとの小棚の上に置かれた目覚まし時計の頭をポンと窘めるように叩き、朝っぱらから自己主張するファンシーな柄のソイツを黙らせる。


「ほらね」


女性はふわりと笑う。それにつられ、思わず自分も笑みで返す。

やはりあのバカにはもったいないほどの美人さん。確かに夢見は悪かったが、女性の微笑みはその憂鬱な気分を幾分か和らげてくれた。


「おはよう、ルシアちゃん」

「おはよー、佳代子さん」


朝の挨拶を交わす。そうして、ルシアの脳もようやく回転を始める。ここは後藤宅。かつての親友の家。マンションの一室。ルシアは昨日の記憶を手繰り寄せる。

そう、昨日の。

この世界への転移、あるいは帰還が成功した。完璧だった。快挙とも言えるだろう。何もかもが上手くいった。

しかし、到着早々に事件に出くわしてしまう。しかも、向こうの世界のモノであるはずの妖精文書に絡んだ事件。それは、この世界と、向こうの世界との間に何らかの繋がりが生じていることのなによりの証であり―

…端っからトラブルに巻き込まれてやがる。

まあ、それはもういい。

その後のアタシの行動は完璧だったからだ。トラブルを全て帳消しにできるぐらい。アタシは奴からウナギを貢がせる事に成功し、さらに奴の住むマンションを接収することに成功。

そして多少ひと悶着あったものの、奴の嫁さんである佳代子さんと、娘さんである舞耶ちゃんを人質にとり、奴を書斎に追いやり、見事に人妻を寝取ったのである。ざまぁ。

だから決して、「アタシは居候なんでソファーでいいっす」と主張したところ、佳代子さんに「ダメ、一緒に寝ましょう♪」とか押し切られてベッドに連れ込まれたわけではない。

ましてや、決して、抱き枕にされたなどあろうはずもない。アタシがっ、人妻をっ、(相対的に)抱き枕にしてやったのDA!

主導権はアタシにあるのであるっ!


「そーゆーわけで、佳代子さん、頭を撫でないで」

「ふふ、良く眠れたかしら?」

「まあ、昨日は疲れてたんで割りと。あと、頭を撫でないで」

「今日はいい天気ね。久しぶりに洗濯物干せるかしら?」

「昼から崩れるって、昨日の天気予報で言ってたぜ。だから頭を撫でないで」

「そうなの。最近洗濯物乾かなくて困るわ」

「夏だからな、夕立とか怖い。まあ、夏のこういう蒸し暑さは、なんというかアタシとしては懐かしいんだか、なんなんだか。ところで、いい加減頭を撫でないで」

「ルシアちゃんの髪、サラサラで綺麗ね」

「いや、だから…。もういいっす、好きに撫でやがれコンチクショウ」


そんなこんなで、少女にとっての、元の世界に戻っての初めての朝は、少し寝覚めが悪くて、とてもとても穏やかだった。





Phase003-a『エルフさんとお母さん①』





「だぁだぁ」

「はっはっは。かわいいなお前。あんな野郎の子種から生まれたとは信じがたいぜ。ほら高い高い」

「きゃっきゃっ」


カーペットの上で、耳の尖った少女が両手赤ん坊を抱えてクルクルと回る。その表情は双方共ににこやかで、はたしてどちらがあやしているのか。

対面式のキッチンからそんな少女を眺める後藤佳代子はそんなことをとりとめもなく考えながら食器を洗っていた。

見た目はまだ幼さの残る、中学生ぐらいの少女。

しかしその髪は夏の太陽の光を閉じ込めたように明るい金色、微笑みで薄く開かれた瞳から覗くのもまた宝飾のような金の色。

大きな瞳と、コーカソイド系の彫りの深い整った目鼻立ち。お人形のように可愛らしい姿。そして最も特徴的なのはその耳。長く尖った、創作に登場するエルフと一致するその形。

昨日、彼女の夫が連れ帰った少女。信じがたい経歴の持ち主で、彼女が実際に『魔法』を見せてくれるまで、私は彼女の言葉を信じることは出来なかった。

一瞬だけ夫を疑ってしまったことは少し後悔しているのだが、

まあ、端から見れば、いい歳した大人の男が、年端もいかない白人の少女にエルフのコスプレさせて連れ帰ってきたようにしか見えないのだから仕方が無いのだが。

佳代子はそう思いながら最後のコップの水をきった。


「(しかし、いくらなんでも子種はないわね……)」


佳代子はそう苦笑し、二人、生前(?)は夫の友人だったという少女ルシアと、まだ1歳の一人娘である舞耶の元に足を踏み出した。


「ごめんなさいね、娘の世話押し付けちゃって」


驚くのは彼女の多才ぶり。家事全般だけではなく赤ん坊の世話までソツなくこなす。

とても元男性とは思えない主婦ぶりに、夫にも見習ってほしいと佳代子はふと思う。まあ、夫も家事はそれなりに手伝ってくれるので表立って文句は無いが。


「(でも、口の悪さだけはいただけないかも)」


とはいえ、確かに言葉遣いはアレなのだけれど、見た目は息を呑むほどと言ってよいほどの北欧系の美少女であり、目の前にいるだけで目の保養になる。家の中が一気に華やいだ感じだ。

あるいは、こういう言葉使いもエルフよろしく妖精を思わせて、むしろ趣が在るかもしれない。

二人に近づくとルシアは舞耶をカーペットに下ろし、何か手伝う? と佳代子に尋ねる。しかし特には無い。

ルシアは客人であり、佳代子は舞耶の世話をしてもらうことと、話し相手になってもらうだけで十分以上と思っていた。

夫が仕事に出れば、ほとんどの時間を娘と二人きりで過ごすことになるので、そういう意味で彼女の来訪はそれだけで大歓迎。

だというのに、掃除や洗濯だけでなく朝食の用意まで手伝わせてしまい、逆に申し訳ないという気持ち
が大きくなる。


「いえいえ、アタシゃしがねぇ居候の身なもんですから」

「あら、気にしなくてもいいのに」

「いや、ほら、居候3杯目にはそっと出しって言うぐらいだからな」

「でも出すのね」

「遠慮は互いのためにならないんだぜ」


ルシアはそう冗談めかして答える。ルシアは舞耶をカーペットに両膝をついて座る佳代子に手渡しつつ、


「(あの後藤がこんな可愛い嫁さんをね…)」


心の中で苦笑する。

少し目じりの下がった大きな瞳が特徴の美人というよりは可愛いと表現すべき女性。

エプロンの下はデニムを纏うすらりと伸びた長い足、スレンダーな彼女の体型を浮かび上がらせる。

軽く茶色に染めたショートボブの彼女の髪は、彼女の放つ向日葵にも似た明るさを際立たせていた。


「(悔しいから昨日は佳代子さんと一緒に風呂入ってやったぜ)」


と後藤への当て付けにとルシアは彼女とお風呂を同伴したのだが、むしろセクハラを受けたのはルシア自身であった。


「(何故そこまで耳にこだわるのか…?)」


再び佳代子の手の中から離れてルシアの耳を引っ張ろうとする舞耶を眺めつつ昨夜のことを思い出し…、ルシアは呻る。


「むぅ…」


舞耶に好きに耳を引っ張らせるルシアを見て、佳代子は何か感心したように独りごちる。


「でも本当にエルフさんなのよね~」

「あっ、ちょ、くすぐったい」


今度は佳代子がルシアの尖った耳に触れる。母娘に両耳を弄られ、ルシアの我慢ゲージの限界は近い。

そんなルシアの気も知らず、耳を撫でたときに妙に敏感に反応するルシアに、佳代子の悪戯心が鎌をもたげ、


「やっぱり性感帯なのかしら?」

「か、佳代子さんっ? どこでそんな設定を?」

「隆さんの持ってる漫画とかで?」


すでに佳代子さんは手遅れだ。ルシアは昨日からそんな気がしてならない。一緒に風呂に入った時だって、乗り気だったのはむしろ…。

そんな風にルシアが思考の海に潜行するのをよそに、母娘のエルフ耳弄りはエスカレートの一途をたどり、



「だりゃぁぁぁぁぁっ!」



「きゃっ」「あうっ?」


エルフが両手の拳を天にかざして暴走した。我慢ゲージが振り切れたらしい。

そんなエルフと母娘との平和(?)な朝のひと時。赤ん坊を見つつ、ルシアはふと、今朝見た夢のこと思い出していた。


「(ここ数年は見てなかったんだけどな)」


おかげで、佳代子さんの目の前で「お母さん!」などと叫びつつ飛び起きるという失態を演じてしまった。よくある、小学生が担任の先生をお母さんと呼んでしまうあの気まずさである。

佳代子さん自身はあまり気にしていなかったのが救いだが、この歳で怖い夢を見てうなされていたなどという姿は見られたくない。

何故今になってあんな夢を見たのかは判らないが、もしかしたら疲れているのかもしれない。世界を越えるという大魔術を行使し、しかも到着早々にトラブルに巻き込まれていたのだから。

そう、トラブルといえば、妖精文書だ。

以前、師匠との話で、自分の転生にあるいは妖精文書が関わっているのではないかという話をしたことがある。

しかし、それはあくまでも妖精文書がこの世界に紛れ込んでいることを前提としたものであった。そしてその前提は成立してしまった。

しかし、何故この世界に妖精文書が紛れ込んでいるのか?

師匠によると、この世界と向こうの世界の間に何らかの交流がある可能性が高いらしい。それならば、妖精文書もそれに紛れて?


「ルシアちゃんどうしたの?」

「え? 別に何も」

「そう? 少し難しい顔をしていたから。気のせいかしら?」


佳代子さんが少し心配そうな顔で覗き込んでくる。どうやら顔に出ていたらしい。

こんな風に感情が表に出やすいのは悪い癖だが、治そうと思っても中々治らない。ポーカーフェイスを気取ろうとしたら、今度は耳がピョコピョコ動く始末。


「いや、何ていうかこの世界に戻って早々、妙なことになったなって思ってさ」

「昨日のこと?」

「そう。本当は行って戻るだけの簡単な仕事だったのに、ついてねぇぜ」

「こっちに帰ってくるのは仕事だったの?」

「ん、話してなかったか」


ルシアは「ん~」と、どう話したものかと少し考えた後、口を開く。


「アタシ自身、本当はこっちに帰る気はなかったんだ」

「そうなの?」

「帰る方法なんて見つからないと思ってたからさ。それに―」

「それに?」

「いや、なんでも」


佳代子さんが聞き返すが、ルシアは説明しづらそうに言いよどんで、誤魔化すように苦笑いで応じる。


「今回、こっちに来たのはさ、色々と偶然が重なってこっちに帰る方法が見つかって、それをアタシが興味本位で研究してたからってのと、後は調査依頼があったからなんだ」

「依頼?」

「うん。まあ、アタシの魔術の師匠と『機族』って連中が依頼主なんだけど。最近、向こうの世界でコッチの世界の武器、自動小銃が大量に見つかって、その調査を依頼されたんだ」


ルシア曰く、本来ルシアは日本への帰還については消極的だったのだという。それは動機面だけでなく、費用面での問題があったから。

そもそも、世界を渡るなどという大規模魔術の開発や研究には結構な時間と費用がかかる。特に、術式の触媒として大量の妖精文書の欠片、書片(レターピース)を要し、実際のところ、個人でそれをまかなう事は不可能だったのだ。

その問題を依頼主が解決してしまった。そして、半ば師匠からの命令に従う形でルシアはこの転移術式を完成させ、行使したというのが実情である。


「ふうん」


ちなみに、彼ら『機族』は向こうの世界で超古代文明、ネタでもなんでもなく4000年前に滅びたってゆー文明の超技術を継承している種族で、飛空艇などの基幹技術とか、妖精文書の制御技術を握っている、いってしまえばチート技術を持ったヒト達のことである。

そんな彼らは、向こうの世界の国々の科学技術や魔法技術なんかを牛耳ることで他の種族に対してアドバンテージを維持しており、そんな世界で、地球の高度な工業力で作られた武器が大量に出回りだした、ということで、彼らはそれに危機感を覚え、この異世界調査に協力を申し出たという経緯である。


「それはつまり、この世界のモノをルシアちゃんの世界に持ち込んでいる『誰か』がいるっていうことかしら」

「まあ、多分、連中はその辺を疑ってるんだろうけど。アタシの今回の実験は、まあ、その調査の前段階に当たるんだ。アタシの役割は異世界への橋頭堡を作ること」


ルシア曰く、ルシアの作り出した世界間を渡る転移術式は、ほぼ確実に異世界である地球へと到達できるが、ルシア以外の人間は適合しない仕組みになっている。

一方、機族が持つ転移技術は、誰でも異世界に渡ることが出来るが、出口に何らかの目印がなければ、出口を指定することができない。つまり、どこに転移するか分からない。

故に、ルシアが先に地球に転移し、次にルシアが出口となる地球に目印を作成、最後に機族が世界間を繋げる恒常的なゲートを作成という手順をとることになっている。


「つーわけで、目印さえ作ればアタシはお役御免なんだけどな」

「お役御免? もしかして向こうの世界に帰ってしまうの?」

「まあ、そういうこと。向こうには向こうの生活があるからさ」


この世界での自分の生活は既に失われ、自分の全ては向こうに置いてある。向こうにいくつもの大切なものが出来てしまったから、いつかは帰らなければならない。


「ふふ。もしかして恋人さんがいるのかしら?」

「いやいやいや、いないから」


全力で否定。


「そうなの? ルシアちゃん可愛いからきっとモテるでしょうに」

「勘弁だぜ。つーか、佳代子さん、アタシが元オトコだってこと忘れてね?」

「なら彼女さんがいるのかしら?」


佳代子さんはにこやかに。何処の世界でも、女というモノはこの手の話題が大好きな生き物らしい。


「もうこの話は勘弁してください」

「ふふふ♪」


ルシアの萎えた表情に、佳代子さんが悪戯っぽく笑う。多分このヒトはドSなんじゃないだろーかとルシアは思う。


「ったく。まあ、こんなナリじゃしかたねぇんだけどな」


ルシアはちょっと呆れたように息を吐き、うーんと唸り声を上げて傍にあるソファに倒れこむようにお尻から身を沈めた。


「あら、怒っちゃったかしら?」

「いんや、別に気にしてねぇぜ。そういう話振られるのは初めてじゃねぇし」


というより、女子が集まれば恋愛関係の話題に流れていくのは避けがたく、そして今の自分は立派な女子だった。


「やっぱりそうなんだ。ルシアちゃん可愛いもの」

「可愛い…ね。いつ聞いても聞き慣れないぜ」


とてもとても複雑な身の上。と、佳代子さんがちょっと申し訳なさそうな表情でルシアに尋ねる。


「えーと、やっぱり女の子扱いとかは嫌なのかしら?」

「えっ? いや、気にしてないぜ。さっきも言ったけど、女扱いされるのには慣れてるし、今更だからさ」

「そう?」

「じゃねぇと、スカートとか女物の下着とか着けられないから」


実際、今では女になってしまったことに嫌悪や後悔のような感情は無い。むしろ性同一性障害のような精神的に深刻な状況に陥らなかったことは感謝すべき幸運であった。

まあ、確かに最初の数年は戸惑いもあったし、男への未練もあった。女の身体ということで、生理学的に苦労する事も多々あったことは事実である。


「戸惑う事も、面倒事も多いけどさ。まあ、いい加減慣れたし、この身体にも立場にも愛着もあるからな。それに、こっちの身体はまだ生きてるから」

「ふふ」


少し照れくさくてルシアは頬を掻く。

実のところ、男の身体に成ることや、元の生前の姿を取り戻す事は不可能ではない。色々な方法がある。

妖精文書という反則を使えば、それは驚くほど簡単だ。何しろ下手をすれば死者を黄泉から連れ帰ることが出来るとっておきのアーティファクトなのだから。

それでも、既に向こうには<ルシア>としての日常があり、友人や大切なヒト達がいる。それを壊すリスクを抱えてまで男に戻る意義は見出せない。

それに、向こうでの母親や父親が愛情をかけてくれた<ルシア>という存在を、否定したくは無かった。

まあ、死んでしまった『彼』という存在には悪いが、そちらはもうどうしようもないことだ。前川圭介という人間は既に死んでしまったのだ。終わってしまったものより、今在るものを優先すべきなのだから。


「ふうん、隆さんは『奴はヘタレだから、周りから浮くのが怖くて、惰性で女の子を続けてるんじゃないか』って言ってたけど、やっぱりそんなことはないわよね」

「ギクゥッ。そそそそそそんなことある訳ないぜ。別に波風立てるのが嫌だとか、告白するのが億劫だとか、そんなヘタレな理由じゃないんだからなっ!」

「ふふふ、ルシアちゃんは可愛いわねー」

「ちょっ!?」


と、いきなり佳代子さんはルシアを抱き寄せ、頭を撫で始める。

ルシアは自分がこういう容姿のため、そのような扱いには慣れているというか、半ば諦めてはいるものの、恥ずかしいものは恥ずかしいので、顔を赤くして抗議する。


「かっ佳代子さんっ? 朝にも言ったけど頭撫でるのはちょっと…」

「あら、ごめんなさい。だってルシアちゃんがあんまりにも可愛いから。ほら、耳の先まで真っ赤にして、しかもピョコピョコ動いて…、やぁん♪」


仔犬じみた可愛さ。逃げようとするルシアを佳代子さんは回りこんで逃がさない。

るしあ しっているか だいまおうからは にげられない。


「放せーっ、放せーっ! つーか、アンタ、アタシのリアクション楽しんでるだけじゃねっ!? うわっ、すげぇドS顔っ」

「うふふふふ、ほら、昨日お風呂に入ったときみたいな声を、聞・か・せ・て♪」

「っ!? やっぱ昨日のはワザとなんだなっ! 洗いっことかいって、変なところ触ろうとしてきたのっ!」

「あら、あれは偶然よ。ルシアちゃんが自意識過剰な・だ・け」

「うわっ、この人妻、表情と言動が一致してねぇっ!? ぎゃー!」


ものすごい苛めっ子な顔の佳代子さんに抱きすくめられ、もがくルシア。しかし抵抗も空しく、ルシアの身体は持ち上げられ、佳代子さんの膝の上へ。


「やめてよして堪忍して」

「もう、逃げられないわ」

「やーの、それやーのぉ! あぅん、耳はだめだめ、みみみみみみみみ」

「うふふふふふ」

「ぎゃわーーーーーっ!!」


もはやルシアさんの貞操は風前の灯。しかし―


「うーっ」

「あら?」


救世主現る。佳代子さんの膝の上という定位置をルシアにとられたと思った舞耶ちゃんが、佳代子さんのエプロンの端を引張って抗議の意を表明。

そんな様子に佳代子さんとルシアは揃って笑い、


「ごめんなー、舞耶ちゃん。お母さんとっちゃって」

「ほら、舞耶来なさい」


そういう訳で、玉座は王女様の下に帰る。ルシアは舞耶ちゃんのご機嫌をとるため、魔術で生み出した光の玉をジャグリングして見せたりする。

宙を踊る無数の光球に、舞耶ちゃんの機嫌も直ったのか、手を叩いてきゃあきゃあと笑う。

そんな様子を、優しく見守る佳代子さんの顔はとても母親で、だから唐突に、ルシアは朝から抱いていたつっかえのような物が春の雪のように融けていくのを感じた。


「(そっか、だから…いまさらあんな夢―)」


きっと彼女と一緒のベッドで寝たせいなんだろう。ルシアは思わず苦笑する。

もう何年も見なかった夢。彼女の中で、極最近であるが一定の区切りのついた問題。憎しみと、罪と、許しと、贖罪。

だからどうして、今更あんな夢を見たのかが理解できなかった。疲れが原因と片付けようとしたが、


「どうしたの?」

「いや、自分の子供っぽさに少々呆れ返ってただけだぜ」


お笑い種である。まさか、目の前の母親という存在が呼び水になって、自身の母親の記憶が夢として浮上してきたなんて。

『母親』といっても、この身体、ルシアの母親だ。

前の、前川圭介だった頃の母親については、声とか顔とかはもう正確に思い出せないのだけれど、

ルシアとしての母親の記憶は鮮烈に記憶に焼きついている。

別に、前世(?)での母親が嫌いなわけではなく、単純に今の身体の母親との別れがあまりにも凄惨で、否応無く記憶に刻まれたから。


「(本当に、まだまだだな、アタシも)」


少し自嘲気味に笑う。

こんな有様では、きっと心配をかけているだろう。あのヒトは割りと放任主義に見えて、実のところ結構子離れできていなかったから。

彼女は、前の母親と違って快活で、天真爛漫というか、活動的でよく笑うヒトだったのを覚えている。少し周りの子供とは違っていた自分にも愛情を注いでくれた、大好きだったヒト。

よく考えれば、あのヒトと一緒に過ごしていたあの頃が、生前を含めて一番穏やかな時間だったかもしれない。


外部から隔絶された、深い緑の森の合間に築かれた小さな小さな隠れ里。

そんな小さな集落の端の、大きな樹の上に作られた、どこか秘密基地めいた小さな家で暮らしていた。

燃料になる薪や木の葉を集めるのは毎日の日課で、

春は家の周りの菜園を一緒に耕したり、新芽を採りに森へ出かけた。

秋には木の実を拾ったり、川を上る大きな魚を採った。

大抵のものは森の恵みから。

時間の流れがとてもゆっくりで、良く言えば穏やかな、悪く言えば変わりばえのしない世界。

心のどこかでは、狭くて、不便で、つまらない場所だと思っていたけれど、

それでも、今思い返せば、きっとあの頃は―


「ルシアちゃん?」

「ふぇ?」


と、唐突に佳代子さんに呼ばれて、ルシアは思わず気の抜けた返事をする。

佳代子さんは少し心配そうにルシアの顔を覗き込む。


「いえ、何だか悲しそうな、というより寂しそうな顔をしていたから」

「えっ、えーと、気のせいだぜ?」

「そう?」


どうやら顔に出ていたらしい。ルシアは少しバツが悪そうに苦笑いで返した。それに対して佳代子さんは少し引っかかるような表情になる。

そんなやり取りの中、ルシアはふと思う。


「(そう言えば母さんも、こういうのは鋭かったな)」


そう、良く詰まらない事で思い悩んでいた自分の顔を、あんな風に覗き込んできた。

そうして今みたいに曖昧な笑いで誤魔化して、今の目の前の女性のように釈然としない顔にさせていたっけ。

だから、ルシアは何だか急におかしくなって、


「くっ…くくっ……、はははっ」

「?」


急に笑い出したルシアに、佳代子さんはついていけずにキョトンとなる。


ああ、こんなやり取りもよくあった。


思い出す。

きっとあの頃は幸福だった。

大好きだった。毎日が楽しかった。

便利な生活とは言えなかったけど、

精霊の声は皆みたいに上手く聞こえなかったけど、

弓の腕は年下の妹分にも敵わなかったけれど、

新しい家族がいた。友達がいた。

母さんがいればそれだけで十分に思えた。

思い出すのは木々が生い茂る緑のドームのような、川に沿って森の中にぽっかりと空いた空間。

鳥たちが歌い、風が木の葉を揺らす、静かで賑やかで穏やかで騒がしいあの陽だまり。

そこが彼女の生まれた集落だった。







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