それは、彼女の主観においておよそ半年前のこと。彼の主観においてはほんの一月前のこと。
「………」
「…えーと」
ルシアは冷や汗を掻きながら苦笑いを浮かべ、重厚な木製のデスクの前に座る女性に対峙していた。
ルシアを冷ややかな視線で射抜くのは、ウェーブがかった灰色の長い髪の、隻眼の女性。金の刺繍に飾られ黒を基調とした、深いスリットと大胆に胸元が開いたドレスを着こなす姿は、いわゆる妖艶な魔女といったところか。
彼女はルシアにとって魔術の師であり、大恩ある人物。
ロベリア=イネイ。
真紅の魔女との異名をとる彼女は、この世界でも屈指の魔法使い。しかしその肩書きに似合わず、フランクな性格の持ち主で、気安い相手でもある。今で家族と言っても良いほど信頼を寄せている相手だ。
そんな彼女の前でルシアが緊張を強いられているのは、要は大ポカをやらかしたからだ。
致命的なミス。いや、あんなモノを見せられたのだから仕方がないといえば仕方が無いのであるが。
ルシアはロベリアの視線を前に居た堪らなくなり、視線を女性から外す。周囲には所狭しと書物や、魔術工芸品が無造作に散乱しているのが目に入る。
ルシアはこのヒト相変わらず片付けられない女だよなぁと、なかば現実逃避する形で取りとめのないことを考える。
「今までは不問としていたがの。今回ばかりは答えて貰わんとな」
「えーと、なんのことでせう」
気だるそうに、ロベリアはルシアに視線を向ける。必死にあさっての方向へ目線を逸らすルシア。挙動不審さがモロバレである。
大ポカ。
ロベリアに呼び出され見せられたモノ、それにルシアは思わず絶句をしたのだ。
自動小銃。
この世界には在り得ない武器。ルシア自身はミリタリー系の知識に前世でもさほど詳しくは無かったが、映画やニュースなどで何度も目にしたことがある。米軍の歩兵がよく手にしているヤツだ。
とはいえ、銃という兵器体系自体はこの世界にも存在している。
火薬を用いて金属の礫を高速で射出する武器は、魔法が発達したこの世界でも有用な武器として認知されているからだ。
とはいえ、問題はルシアがコレを銃であると見抜いたことではない。問題となったのは、ルシアがコレを見たときの不審な反応であり、そしてこの銃を構成する物質にある。
材質はアルミニウム合金であり、そしてアルミニウムそのものはこの世界にも存在する。しかし、発見された銃に用いられたタイプのアルミニウム合金を生産している国や組織はこの世界の何処にも存在せず、さらに―
「この銃の材質からは霊子あるいは霊電子が検出されなかったそうじゃ」
「へ、へぇ~、そーなんですか~。第一都市の発掘ででも見つかったんですか?」
「より厳密な検査によれば、この物質の原子核を構成する陽子には霊荷が無い事も判明した」
しらじらしいルシアの反応を無視して、ロベリアは説明を続ける。
「………」
「驚かんようじゃな」
「い、いえ、とってもとっても驚いています」
この世界の物理は、前の世界のそれと根本的に違うことがある。つまりは、魔法というものがあり、それを実現する物理、魔力相互作用が存在する点だ。
魔力。この世界には洒落でも冗談でもなんでもなく、魔法が存在し、魔力という力が厳然と世界に存在する。魔力とは、この世界において重力や電磁気力と同様、この世界の基本的な5つの相互作用の一つだ。
その物理に従うならば…、この世界の物質には霊荷と呼ばれる、電荷や色荷とは似て非なる力が働いている。
この世界の標準模型についての説明は省くが、要は、霊荷を持つ原子核は、電子を捕捉して電磁気学的に安定化するように、霊子あるいは霊電子と呼ばれる霊荷を持つレプトンを補足することで魔力物理学的に安定化しているはずなのである。
よって、この世界のAl原子ならば、原子殻の内部に必ず霊子を原子内に保有しているはずだ。
要は、この世界のアルミニウム原子には霊子という成分が含まれているはずなのに、今回問題となった銃に使われているアルミニウムにはそれが無い。つまり、この銃に使われている物質は根本的な意味で『この世界にはありえない』のだ。
この世界には。
「お主、何故異なる世界の武器を知っておる?」
「いいい異世界ですか?」
「何故、儂の目を見て話さん?」
隻眼の魔女の瞳がジロリとルシアを捉える。
「気のせいです。果てしなく気のせいです」
「…お主、要らん所で強情じゃな。うむ、ならばこちらにも考えがある」
「か、考えですか? できれば考え直してもらえませんか…なんて」
冷や汗ダラダラのルシアさんはカタカタ震えながら、おそるおそる魔女様に懇願。
しかし、ルシアが次に見たのは、両手をワキワキさせながら、いつのまにか彼我の距離を目と鼻の先程にまで接近し、とってもとっても邪悪な笑みを顔に貼り付けた―
「さあ、吐くのじゃ♪」
「ひっ、ひぃぃぃぃぃぃっっっっ!!?」
ざんねん。ルシアのぼうけんは、おわってしまった。
Phase001-b『エルフさんといつかのプロローグ②』
「はっ!?」
ばっと顔を上げ、周りを見れば車内。隣にはハンドルを握る後藤の姿。どうやら少し眠ってたらしいと、ルシアは助手席で一度伸びをする。
「起きたか。疲れてたのか?」
「…まあな」
内装はゆったりとしており、座席のカバーは黒いレザー調。インテリアトリムは木目を模したもので、曲線を描く肘掛など高級感を感じさせる。
ルシアは時の流れをしみじみと思う。
大学時代は痛車で峠を席巻していたコイツが、今ではこんなに大人し目の車だなんて、ホモサピエンスって成長するもんだなあと。
「アタシ、どのくらい寝てた?」
「ほんの20分ぐらいだ。何かうなされてたようだが?」
「ちょっと、夢見が悪かっただけだぜ」
「ふうん」
ルシアはさきほど見た夢を思い返す。
アレはおよそ1年前の事だ。この世界と異世界の間になんらかの物流があることの証拠。そして、そのブツについて何か知っているらしい自分。
あの後、ルシアは彼女の師匠に洗いざらい、それまで曖昧な形で隠していた転生者であるといった秘密などを吐かされたわけである。
まあ、そのお陰もあって、こちらの世界に渡る術式の開発を手伝ってもらえ、帰還が早まったのだけれども。
「はぁ」
ため息をつく。
先の昼食の後、後藤は一度仕事に戻り、ルシアは久しぶりの日本を散策を楽しんだ。そして、その後待ち合わせをして、車で拾ってもらい、今に至るわけである。
後藤の住むマンションは、車で1時間ほどらしい。6月であり、まだ空は明るいものの、しばらくすれば夜の帳が降りるはずだ。
高速に乗り、FMをBGMにしばらく抑揚のない景色が続く。コンクリートやアスファルトで固められ、無数の乗用車が所狭しと行きかう現代都市は、長い時間異世界に放り込まれていたエルフの少女にとっては懐かしいのか、彼女は珍しそうに周囲の景色を眺める。
「やっぱ、こっちの車は快適だよな」
「向こうはどんなんだったんだ? やっぱファンタジーらしく馬車?」
「ん~、基本的には馬車が多いかな。普通に出回ってる馬車はこっちみたいなタイヤとかサスペンションとか無いし、街道の状態も良くないからな」
向こうの世界で一般的な馬車などは、車輪にゴムを装着するなどの工夫はされているものの、空気を充填したものや、質の良いバネが無いので、大抵の馬車は振動がひどい。
魔術による振動軽減は、空気バネの原理を用いたものであるが、高価なので一部の馬車にしか装着されていない。
「つーことは、文明レベルは中世ぐらいか?」
「いや、中世と近代が混ざったような感じ…かな。魔法関連の技術で、精霊機関っていうエンジンがあって、自動車とか列車とか…、あと飛空艇とかあるぜ」
ファンタジーという要素がある以上、コチラの文明とは異なる進化を辿るのは必然。コチラから見た時、『アチラ』の世界の文明はさぞ歪に見えるだろう。
「飛空艇っ? ファンタジーっぽいのキタっ!」
「こっちには食いつくのな」
「ロマンだろうっ。シドだろうっ! プロペラ萌えっ!!」
「声おっきい」
でもまあ、分からないでもないとルシアは同意する。ファンタジーのギミックの代表格。男というイキモノは空を飛ぶ乗り物に憧れるものだ。
「しかしエルフもいるとなると、俄然ファンタジーってかんじだな。オークとかゴブリンとかもデフォ?」
「ドラゴンもスライムもいるぜ」
ちなみに異世界だからってドラゴンはお姫様を攫わないし、スライムの頭は尖がってはいない。ゴブリンもそんなにヒトを襲わない。
そもそも爬虫類が哺乳類に性的な魅力は感じないし、スライムは表面張力で丸くなるのが自然。ゴブリンは今では辺境に行かなければお目にかかれない。
「ほう、夢が広がる」
後藤の脳裏に美少女が竜に騎乗して空を飛ぶ浪漫溢れるファンタジーな世界が再現される。
「ドラゴン超強暴だけどな。目の前にしたらロマンとか夢とか言ってる間に胃の中だぜ」
ルシアの脳裏に後藤が竜に咥えられて空にかっ攫われる仁義無きファンタジーな世界が再現される。
「リアルドラゴン見たことあるのか?」
「まあな。火竜とか超カッコイイぜ。超音速で飛ぶし、熱線吐きやがるんだ。連中、たぶんこっちの戦闘機よりも強ぇえぜ」
さらに言うなれば防御力は若い竜でも第三世代MBTの前面装甲以上(リアクティブアーマー付き)。熱線の焦点温度は6,000℃、射程は10kmに及ぶ。戦闘機の速度とヘリコプター並みの機動力を持ち合わせたチート生物である。
「ほう。じゃあ、竜殺しってのは夢のまた夢か」
「いんや、アタシの魔術の師匠なら多分できるんじゃねぇかな。アタシでもワイバーンぐらいなら狩ったことはあるぜ」
「おおうっ、リアルモンハンですか?」
「紋斑? ああ、モンスターハントか。まあ、竜鱗は高く売れるからな」
熱や衝撃に強く、硬くて軽量。しかもエレガントな艶と質感から、高価な鎧や装飾品に使用される高級素材。
「むふ~、じゃあ、もしかして触手モンスターとかに(性的な意味で)襲われたこともあったり?」
「…しょく?」
と、後藤は変態という名の紳士なのでそういう展開をちょっと期待。うねうね。
「はっはっは、流石にソレは無いか。いくらエロゲの定番でも、実際に女を(性的な意味で)食べるモンスターとか在りえないもんなー」
「…しゅ」
あっはっはと笑う後藤。
そもそも触手を使って女性にあんなことやこんなことをしてしまうモンスターなど、色々な意味でネタ生物である。在り得るはずは無い。
が―
「(ガクガクガクガク)」
「へ、何震えだしてるの?」
ルシアの様子が突然おかしくなり、
「らめぇ…、触手はやーの、ひゃうっ、うう…もう嫌ぁ」
「…ってまさか触手プレイ体験済み? それなんてエロゲ」
「はっ…、トラウマがフラッシュバックしちまったぜ」
エルフはふうと息を吐いて額の汗を袖で拭く。
「お、おらワクワクしてきたぞっ! らめぇって、ひぎぃじゃなくて?」
「シャラップッ! それ以上何も聞くな。OK?」
エルフさんの指の爪の先端が後藤の首に突きつけられる。
「OKOK。地味に怖いからヤメテクダサイ。特にノドはヤメテ」
「判ればいい」
突きつけられた爪が引っ込められる。後藤は左手の袖で額の冷や汗を拭き、ふうと息を吐き、運転中になんてことするんだとぼやく。
「しかし、色々面白そうだなファンタジー世界。俺も行って見たい。二泊三日で」
そして気軽な発言。まあ、RPGなどのテレビゲームや、アニメを見ている世代にとって剣と魔法の世界は憧れの対象ではある。が、それを聞いたルシアはヤレヤレと肩をすくめる。
「気軽に言うな。大体、ファンタジーなんて面倒だらけだぜ? ヌルイ現代日本万歳。アタシは思うね、島国農耕民族は大人しく中に引きこもるべきだって。大体さ、ファンタジーって言っても実際血生臭ぇもんだぜ」
「そうなのか?」
「向こうは人間の命が軽い。すぐに命のやり取りに発展するかんな」
解決手段が暴力に直結することが少なくない。国家が管理する警察機構が未熟なせいでもあり、武器の普及率が高いこともこれに拍車をかける。魔術師にいたっては、無手でも大量虐殺が可能な歩く戦術兵器とも言える。
傭兵崩れや食い詰めた農民が、盗賊や山賊を兼業する事も多く、また農民同士の水利権を巡る紛争みたいなのもある。
人里を離れれば、そこは魔獣やオークのような人を襲う危険な生物が徘徊しており、毎年これらに襲われて命を落す者も少なくない。
要は、剣と魔法の世界というのはつまり、剣と(攻撃)魔法がモノを言う世界という意味なのである。
「あと、向こうとコッチじゃ時間の流れの速さが違うから、老けるぜ」
「ウラシマ効果?」
「逆だけどな。向こうの時間、こっちの5倍速みたいだぜ」
ルシアになった『彼』が死んだのは、地球の時間、後藤の体感においては約4年前。だが、異世界の時間、ルシア自身の体感においては20年近い時間が経過していた。
「いや、それはお徳情報じゃないか? だって有給が5倍になるんだぞ」
「む、そういう見方もあるか」
こちらの時間で2泊3日の旅が、向こうで過ごせば2週間の大型休暇に大変身。有給休暇が5倍増など、趣味に生きる人種にとっては夢のような話。
「だろ? だから、何とかならないか? 危険地帯だって足踏み入れなきゃいいだけだろ?」
「…いや、ダメだって。そもそも行き来自体が難しいんだよ。今回だって結構無茶な方法使ったんだ」
しつこく粘る後藤に対し、ルシアは面倒そうな様子で説明する。
「無茶な方法?」
「膜宇宙論的な話になるんだけど、3次元の世界に属してるアタシ達の身体…というか物質が異なる世界に渡るためには、高次元との境界っていうか、そう、壁みたいなものを通過しなきゃいけなくて、…んで、トンネル効果って分かるか?」
「量子論のアレだよな。だけど―」
単純に言えば粒子が通れないはずの壁をすり抜けるって効果。難しく言えば粒子が自身が持つエネルギーよりも高いポテンシャルをもつ壁を通り抜けることが出来るという現象。
これは量子力学の不確定性原理、波動方程式に裏付けられ、これが無ければ太陽だって輝かない。トンネル効果により電磁気力の壁を飛び越える事できるからこそ、本当に必要な温度よりも低い温度で原子核同士が融合できる距離に至る事ができる。
「そこで変身の応用ってやつだ。量子論がモノを言う状態に変身すれば―」
「トンネル効果が発生するのか。つーか、変身って…」
後藤は少し突飛すぎる話に苦笑する。彼が想像する変身といえば、ゲームや漫画、創作で出てくる魔法や忍法とかだ。
とはいえそれらも狼やら近しい生物に化けるもの。素粒子に変身するという話はいまいちピンとこない。
「まあ、そもそも通常の変身魔術とは根本から違うけどな。ただでさえトランスフォーム自体高位魔術だし、第一、普通に使い魔と知覚を共有したほうが早いから使うやつは少ねぇ。ましてや変身ってのは身体への負担が大きいし、元に戻れなくなったり、自我が再現できなくなったりと結構怖くてな。多分、生物ですらなくなる変身に成功したのはアタシが始めてかもしれねぇな。量子化を基本にした今の方法だと直接こっちに妖精文書を持ち込めねぇし、純粋な魔術だけでだと不可能だから、結構な大掛かりな儀式魔法陣を―」
人差し指を立てて何やら説明しだすルシアさん。しかし男は飽きたのか、
「ストップ。お前は相変わらず理屈っぽいな。ヘタレの癖に」
「うっさいわ! あと誰がヘタレだっ」
一言多いと長耳を逆立てて憤慨するルシア。いちいちむきになる少女に、後藤はなんだか加虐心をくすぐられ、これは不味いと咳払い。
「コホン。まあ、それはいいとしてだ。お前、これから何するつもりだ?」
「ん? 何って?」
後藤が何を言いたいのか解せず首を傾げるルシア。
「いや、昼間言ってただろう。別に、妖精文書とやらを探したりするわけじゃない、単に日本に帰ってきたかったんだって。この後、家族にでも会いに行くのか?」
「家族か…、どうしようかな」
後藤の問いに対して、ルシアは両手を首の後ろで組んで空を仰ぐ。どうやら家族に会うことに対して迷っているらしく、そのことに後藤は疑問を覚える。
「何迷ってんだヘタレ」
「いや、そういうの予定してなかったし…。だいたいさ、一人息子はエルフ女になっていますた…だぜ? どんな顔して会いに行けと」
「喜ぶんじゃね? しがない隠れオタクが、金髪ロリエルフに」
「そんなシチュエーションにときめく親は、なんかヤダ」
大体、いまさら会ってどうしろって言うんだよとかなんとかと、ごにょごにょと煮え切らないエルフ。後藤はそんな彼女を、相変わらずヘタレだなと苦笑する。
「正直な話、死んだはずの息子が帰ってきたんだ。どんな変わり果ててても、五体満足で帰ってきたら喜ぶってのが親だろう」
「あー、まあ判らんでもないが…。つか、なにいきなりマジになってんの?」
少女が突然の男の真剣な表情に引く。
「いや、さっき結婚してるって言ってただろ。実は去年さ、娘が生まれてさ」
「マジかよっ!? ままままあ、オメデトウ」
衝撃的事実。かつて一緒にバカをやっていた親友に娘さんが出来ていたことに、大いにうろたえるエルフさん。
そもそもこの男が結婚していたという事実すらも信じがたいことなのだ。
確かに、この男は学歴も見た目も悪くはなかったし、話によるとこのご時勢で外資系の企業に就職してるらしい。そこそこイケメソでもあり、モテル要素は十分、つーか良物件という奴だろう。
しかし、コイツはOTAKUで、HENTAIで、同人サークル(親にはとても言えない品々を扱う)を主催してたり、学生時代には痛車で堂々と通学していたという、おそるべき経歴の持ち主なのだ。
「でも、なんて心の広い嫁さんなんだろう」
「うるさい、ヘタレエルフ。で、まあそういうわけで親の気持ちってやつ? なんとなく分かるようになってきたわけよ」
「ほー」
「写真見るか?」
そして、スッと胸ポケットからサッと取り出される1枚の写真。どうやらこの男、結構な親バカらしい。
写真にはコロコロと可愛らしい赤子が、自分を撮ろうとするカメラを掴もうと両手を上げる姿。
「お、カワイイじゃん。へぇ、お前が父親か…。もう立てるのか?」
「もうすぐだな。壁に掴まって立ったりしてるぞ」
「へぇ」
見せられた写真に写る赤ん坊の寝顔。少女の顔が綻ぶ。
その表情に男は一瞬息を呑み、そして慌てて首を振って冷やかした。
「なんだ、ロリエルフになっただけじゃなくて母性本能も完備か」
「…まあ、その、なんだ、アタシも女だからな」
なんだか気恥ずかしそうな、そんな表情で―
「………」
「どした?」
からかったつもりが素で返されて少し面食らう男。そんな反応に怪訝な表情になる少女。
「…ほっほっほ、いい奥さんになれるんじゃありませんこと?」
「そいつは勘弁だぜ…」
照れ隠しに誤魔化す男。苦笑するエルフさん。
「なんだ、母性は肯定しても、男関連は無理か」
「当たり前だ、キモイ」
少女の声に嫌悪の棘が混じる。性別が変わったからといって、そういう部分については簡単に受け入れられるわけではないらしい。
「もったいないな。MOTTAINAI!!」
「何がMOTTAINAIだ。どう言われよーと、アタシは男とかいらねぇの。大体、女なんて星の数ほどいるだろーが」
「それはそうと、実際のところどうするんだ? 家族のこと。4年前になるのか、お前の葬式。結構、大変みたいだったぞ」
「…想像つかねぇな。アタシが死んだ時のこと、コッチではどうなったんだ?」
「飛行機事故ってことになったんだが、あの事故はアレだ。なんていうか、…死体が一つもあがらなかったからな」
後藤は4年前を思い出し、一瞬言いよどむが、意を決したように話し始める。
4年前の夏の日、乗員乗客百余名を乗せたボーイング747-400型機はその日、太平洋上で突如消息を絶った。原因は不明。
必死の捜索がなされたが、関係者の努力も虚しく、誰も帰ってはこなかった。後日回収された航空機の残骸を除いて。
「でも、確かに、思えば変な事故だったな。乗客乗員全員が行方不明らしいからな。一時は神隠しだとか、UFOにさらわれただとか色々騒がれたんだけどよ」
男は思い出すように語る。
一応、事故調査委員会は事故について、突発的に発生した乱気流によるものと結論付けたのだとか。
しかし、あくまでもそれは推測で、確証は無い。機体の大部分は発見されず、遺体の一つもあがらないという異常。
憶測が憶測を呼び、果てはオカルトや超科学へと結び付けられていったのだとか。
「お前が異世界に転生したってことは、他の乗員とかもそうなのか?」
ルシアという事例がある以上、その可能性があるのではないかと後藤は尋ねる。しかし、ルシアは首を振り、
「判らねぇな。おおっぴらに調べられることじゃねぇし。少なくともアタシの知る範囲では同郷のヤツはいなかったな」
自分には前世があると周囲に公表する人間はほとんどいない。いたとしても、ほとんどが頭がおかしいか、変な宗教にかぶれているかどちらかだ。
そんな中から本物の転生者を見つけ出す等、砂漠から砂一粒を探し出すのに等しい。
「…んで、話は戻るが、お前の葬式の時なんだが、お前の遺体が無い状態でな」
「ああ…」
「お前のお袋さん、お前が死んだこと最後まで認められなかったらしい。葬式にも出席してなかったな」
「…そっか、悪い事したな」
その光景が思い浮かぶ。
認められない我が子の死。そんな中行われる葬儀。空っぽの棺。それは酷く残酷だっただろう。父親はそんな母親を前にどうしているだろう? 妹は? 様々な想いがルシアの脳裏に錯綜する。
「会いに行かないのか?」
「…考えとく」
「ヘタレめ」
と、そんなことを話している時、ラジオから―
『…なお事故現場には大量の紙幣が散乱しており~』
「ん、これ、昼間の事件のことだよな」
「だな」
昼間の、後藤とルシアが出くわした事件について、ラジオのニュースが伝える。どうやら事件は原因不明の爆発事故として報道されているらしい。
散乱した紙幣については、全ての一万円札について、記番号が同一であったことから、精巧な偽札と推定されるなどとラジオは伝える。
「後藤、こういう事件って多いのか?」
「どういうことだ?」
「つまりその、今回の件と、もしかしたらアタシの飛行機事故の時も妖精文書が絡んでるわけだ。もしかしたらさ、他にも文書が絡んでる事件があるかもしれねぇだろ?」
「そういえば…、2年ほど前だったか。インドネシアの何とかって島がさ、抉り取られたみたいに消失したってニュースになってたな」
後藤曰く、その事件は4年前の飛行機事故同様に不審な点が多く、一時期世界をにぎわせていたらしい。
島民3000名ごと消失した南洋の島。隕石衝突や地殻変動、津波といった痕跡も無く、ただ単に、ごっそりと抉り取られたような痕だけが残った事件。
そして、近くの島、特に西側に位置する島には、未曾有の強烈な突風が吹き荒れた痕跡があり、その二つだけが島消失の手がかりだったそうだ。
プラズマ説からUFO説など様々な原因が叫ばれたが、最終的には特殊な地殻変動による津波が原因だと言うことになったらしいが、今でも消失した島の残骸は見つかっていないらしい。
「…ってことがあったんだが、何かわかるか?」
「文書が原因なら…第五か第八が原因…か?」
そんな後藤の話を聞いて、ルシアは独りブツブツと呟きながら考え込む。
「よくは分からんが、その、妖精文書ってのが関わってるとすれば綺麗さっぱり説明できる問題なのか?」
「情報が断片的すぎて即答はできねぇな。ただ、似たような文書災害は聞いたことがある」
そんなことを話している間に、車は門をくぐり高層マンションが立ち並ぶ区画へと差し掛かる。
「着いたぞ」
「へぇ、いいトコ住んでんのなお前」
マンションが立ち並ぶ区画の歩道はレンガにより幾何学に飾られ、周囲は花壇や凝ったデザインのプランターとベンチが配置され、奥に見えるロータリー中央には円形の池と噴水がある。
花壇に植えられているのはマリーゴールドだろうか?
高層マンションはそのロータリーを取り囲むように聳えており、ロータリーはちょうど中庭のような様相を呈しているようだ。
車はその中庭には入らずに、裏の地下駐車場の入り口へと入っていく。内部は地上と違い、打ちっぱなしのコンクリートがむき出しに生った無骨な空間。
「家賃いくらだ?」
「買ったから家賃は無い。維持管理費とかそんぐらいじゃね?」
「このセレブリティーめ。ここに全国の労働階級の敵がいますっ! つか、親の金か?」
「HAHAHA、確かにいくらかは出してもらった」
「死ねばいいと思う」
「暑いな」
「夏だからな。階級闘争の夏だ」
ルシアの嫉妬の炎がメラメラと燃える中、電子音と共にエレベーターが7階のフロアに止まる。
そして、後藤の部屋に向かう途中、ルシアはふと気がついたように、
「そういや、アタシのことは嫁さんには電話してるのか?」
「おう、一応な。って言っても大学の頃のダチを泊めることにしたとしか伝えてないがな。なんというか、電話越しでお前のことを説明できる自信が無いからな。ちょっと複雑な事情があるってだけ伝えてある」
「ふうん(ニヤリ)」
確かに、今のルシアの事を彼女本人を抜きにして説明することは困難だろう。そして、致命的なことに後藤は今のルシアの不穏な笑みを見逃してしまった。
「それじゃあ、先に入るから、お前は俺が呼んだときに来てくれ」
「おー(棒読み)」
「なんだろう、ものすごく嫌な予感しかしない」
「気のせいなんだぜ(棒読み)」
若干の不安を抱えながら、後藤はドアの鍵穴にキーを差し込み、ひねる。そしてドアを開け、
「ただいまー」
若干声を大きめに帰宅を告げる。すると奥からパタパタとスリッパが床を叩く音が聞こえてくる。
現われたのはショートボブに纏めた髪を軽く茶色に染めた、スレンダーな体型のエプロン姿の女性。エプロンの下はTシャツにデニムのパンツという、カジュアルな姿であるが、かわいい感じの美人さん。
女性は後藤の持つカバンを受け取りながら、
「お帰りなさい、隆さん」
と、後藤に笑顔で応える。
「今日はお友達が泊まりにこられるって聞いてるけど?」
「ああ、今から―」
女性に促され、後藤がそう言いながらルシアを紹介しようとしたその時―
「こんにちは…です」
ルシアはオドオド(する振りをして)、彼らの目の前に現われた。
「隆さん、この子は?」
「えっ、だから大学のときの…って、お前何をっ?」
後藤がばっとルシアにふり返る。しかし、全ては遅かった。そこには、どう考えても気弱で、押しの弱そうな美少女しかいなかったのだから。
「あのっ、私、こっちに泊まるところがなくて…、そしたらこのおじさんが…。ここ、どこですか?」
「…タ・カ・シさん? 少し聞いている話と違うのだけど?」
どう見ても、変態紳士に色々言いくるめられて連れてこられた家出少女です、本当にあり(ry
少し声のトーンが低くなった女性を前に、後藤の額に汗が吹き出る。
「ちっ、違うんだ佳代子これはっ、くっ、貴様まさかこれを狙ってっ!?」
「くけけけっ。何の事か判らないぜ」
「裏切ったなっ! 僕の気持ちを裏切ったな! 父さんと同じに裏切ったんだ!」
「ふはははは、これで貴様は犯罪者確定だっ!」
「くそっ、痴漢の冤罪並みの地雷じゃねぇかっ、このヘタレエルフめっ!」
「やるかコイツ、消し炭にしてくれるわっ!」
よくわからない内に取っ組み合いが始まる。後藤の妻である佳代子は、状況は理解できないまでも、とりあえず安心する。どうやら、懸念していた状況ではないらしい。
「ハイハイ、隆さんも…、貴女もさっさと中に入って。ご近所に迷惑だから」
「「は~い」」
そうして、数奇な運命を辿った少女の、帰還一日目が暮れる。