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小沢裁判 結局、誰も覚えていない裏ガネ1億円

【政治・経済】

2011年5月17日 掲載

水谷建設 検察側証人4人の“ご都合”記憶力

 政治家への裏ガネ工作とは、当事者がアッサリと忘れてしまう些細(ささい)なことなのか。陸山会裁判で、すでに水谷建設関係者4人が検察側証人として出廷したが、揃いも揃って検察に呼ばれるまで裏ガネ提供を覚えていなかったと法廷で認めた。驚きではないか。
 16日は、裏ガネの運び役と金庫番だった元役員2人が証言台に立った。
 尾納忍元専務(56)=05年に退社=は検察質問に04年10月に1回目の裏ガネを三重・桑名市の本社から東京支店に運び、金庫に入れたと証言。検事に巻き尺を渡され、現金入りの紙袋の大きさを詳細に語ったが、弁護側に現金の重さを聞かれると、「よく分からんですけど、5、6キロくらい」と記憶はアヤフヤに。弁護側の「何かと比較したのか」との追及には、「すみません。勘で言いました」とタジタジだった。
「尾納元専務は09年6月末から5、6回、検察に呼ばれ、東京支店の社用車の記録を提示されて日付を思い出したと証言。ところが、7月29日に初めて作成した調書には『現金は川村尚元社長に渡した』とあり、今回の『金庫に入れた』という証言と食い違うのです。当日の車の記録には、夜7時半に中国出張を終えた川村元社長を成田空港に迎えに行ったとの記載もある。それを見た上で『元社長に渡した』と供述したのに、なぜ『金庫に入れた』に変わったのか。不自然なのです」(司法ジャーナリスト)
 弁護側が「他の記憶はまばらなのに、なぜ紙袋の大きさだけは詳しく思い出せたのか」と語気を強めると、元専務は言葉を失ってしまった。

 裏ガネを管理していたという中村重幸元常務(60)の証言もムチャクチャだ。裏ガネを渡したとされる05年8月期に水谷功元会長への架空の仮払い処理だけで計10回、3億1000万円の裏ガネを捻出した。しかし、小沢側への2度の裏ガネは「たまたま(裏ガネ用金庫に)あった手持ちの現金で支出した。新たに仮払いで作る必要はなかった」と説明。だから、会社の帳簿に出金を思わせる記述がないと言いたかったようだが、弁護側から仮払いによる裏ガネ一件一件の譲渡先を聞かれると、「裏ガネは帳簿もメモもないので、記憶していない」と連発した。
 それなのになぜ、小沢側の裏ガネだけ覚えているのか――。元常務は「元社長に『(胆沢ダム参入の)了解を得るため、小沢事務所に持っていく』と依頼された」と証言したが、記憶はそれだけだ。その川村元社長は先月27日の公判で「(裏ガネ提供の)記憶は封印していた。忘れていました」と証言。2度目の現場に「同席した」という下請け企業「日本発破技研」の山本潤社長も、法廷で「検事にヒントを与えられて記憶がよみがえった」と語った。結局、4人が4人とも裏ガネを覚えちゃいなかったのだ。5000万円を2度、東京のホテルで大物政治家秘書に渡したことは、大きな出来事のはずなのに、そんなものなのか。
「特に中村元常務は06年に水谷元会長と一緒に脱税で逮捕され、07年に執行猶予(3年)判決を受けた身。判決理由で裁判所も『簿外資産の蓄積なし』と認定したのに、なぜ今回は急に裏ガネのストックが出てくるのか。この点について元常務は『逮捕当時は、たまたま現金が金庫になかったのでしょう』と証言しました」(前出の司法ジャーナリスト)
 あまりに検察に都合がよすぎる金庫と、水谷関係者の記憶である。
~2011年5月17日以前の記事~

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