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Cerebral secreta: 某科学史家の冒言録 このページをアンテナに追加 RSSフィード

2004-05-30

[]日本科学史学会年会、2004、二日目

5時に起床。7時にオフィスについた。オフィスについたのは、シンポジウムのパワーポイントをつくろうかと思ったからだが、5分の趣旨説明にパワーポイントを使うこともあるまいと思ってやめにした。下手をすれば設定に時間を食われるのではないかと怖れたのだ。もう一つは、朝になって、学会の開始が初日よりも早いことを知り、時間がなかったことだ。それでも最初の発表はのがしてしまったのだが。

もうひとつやったのは広重徹の没年を確認したこと。1975年だった。つまり来年が没後30年になるわけである。何か、記念シンポジウムでも開かれるべきだと思うのだが。年会のとき何人かのひとに声をかけてみたけれど、肝心の直弟子のN先生が見当たらなかった。

さて、年会。やはり講演には、例によって「これだけ調べました」といった調子の発表が多かった。

ただし、東工大の院生の野沢氏はきちんと研究史をまとめた上で、その上に自分の研究を位置づけていた。科学史学会ではめずらしいプロフェッショナルな発表であったといえる。ただ、彼の発表も、結論部分が科学史的にいかなる意義を持つかということの考察が欠けていたが、それは本人も多分わかっていると思うので、今後に期待できるとしよう。

全体的に科学史学会年会の発表というのはWork in progress的な、つまり研究の中間発表のようなものが多い。ひょっとすると発表者は完成された研究のつもりでいるのかもしれないが、そうだとしたらそれこそ救いようがないと言える。

東大のK君のロシア物理学についての発表は、論争についての叙述で、分野の専門家にとっては関心を引くだろうけれど、せめてVucinichやGrahamとの研究と比べて何が新しいのか言ってもらわないと、分野外の人間にはどう聞いていいのかすらわからない。修論はよくできていたと聞いていので、期待していたのだが。しかし、もちろん、ロシア科学史の専門家を対象として話をしているのなら、あれでいいのだろうけれど。

電気機械工業についての発表を聞きにいくつもりだったのについ忘れてしまった。午後の北林氏の発表は、関心がある題材なので参考にはなった。次のディビッド・マレーについての発表はひどいもので、途中で退出した。で、ロビーに出たら、知り合いと会ったので、また同じところに昼食に行ってしまった。

午後は最初の発表を二つサボって、東京数学会社についての発表を聞きに行ったが、ハンドアウトと言うことが同じなので、じゃああとで読めばいいや、ということで同じ時間の科学技術庁の成立についての発表へ移動。しかし、この発表についてはまったく印象が残っていない。

その次の日本におけるテレビ放送の導入に関する発表は面白かった。これとの冷戦構造との関係で、私はこの分野の研究状況をしらないので、どれほどオリジナルなのか知らないが、オリジナルだとすれば重要な研究だと思う。簡単に言えば、日本におけるテレビ放送の導入がアメリカに許可されたのは、テレビ放送をアメリカの宣伝に使うというアメリカの政治家の一部が持っていた思惑と、日本におけるテレビの導入が一致したからである。たとえば、正力松太郎の公職追放のとりけしなども、その文脈においてなされた。このあたりは猪瀬直樹『欲望のメディア』にどう書かれていたのか思いだせないのだが、どうだったのだろう。この研究の上に、実際に日本でなされたテレビ放送の内容が、冷戦構造を支持するようなものであったことが示されれば、極めて大きなインパクトをもつ研究となるのではないだろうか。もっとも、講演者にこの手のメディア論的素養があるのか、やや心許ない気がした。

最後に日本の物理学史研究の大先輩であるK先生の発表。これは名古屋の物理学教室に関する資料についての講演で、彼の持っている資料から、名古屋の物理学教室の初期の歴史がかなり細かく詳しくわかるのである。これについて、くわしく検討すれば、当時の物理学教室がどのように運営されていたのか、非常に重要な研究ができると思う。というわけで、Q&Aのときによっぽど早く本を出版するように催促しようかと思った。

シンポジウムは一応成功だったと思われる。Turn outが思ったよりよかった。かなり広い会場だったので、人が来なかったら悲惨だな、と思っていたのだが、100名以上は優にいたのではないだろうか。

発表はどれも、よくできていたと思う。とくに西山氏の発表は圧巻だった。だが、重要だったのは、フロアからのレスポンスである。実のところ、最初のうちは反応が低調でどうなるものかと思ったのだが、九州大学のT先生のコメントあたりから、かなり問題点が明確になって、議論が盛り上がったと思う。

一つの論点は標準化とアマチュアの問題であった。というか、大学院教育をディシプリン化することを、標準化と呼ぶこと自体がかなり語弊があるとおもうのだが、とりあえずそういうことになった。これに関して、京都の大学院生から、標準化などしないでのびのびと育たせてくれたほうがいいというコメントがあって、おもわず笑ってしまった。なんでも科学史は制度化を相対化するのであるから、科学史自体が制度化を目指すのはおかしいのだそうだ。どうぞ伸び伸び育って欲しいものである。だが、歴史学のような分野では人間の精神はそれ自体では成長しない。自己の主観自体が桎梏なのである。すくなくともこの分野では知識は人間を自由にする。

だが、それ以前に、やっぱり科学史家も歴史家の端くれならなら読み書きぐらいはできたほうがいいと思うけど。

同時に、科学史におけるアマチュアリズムの貢献は必要であるのは確かだが、問題はそれだけではないということだ。アマチュアが有効な役割をするのは、第一に、そのアマチュアが別分野において十分な訓練を受けているか、あるいはそのアマチュアが経済的に恵まれている状況にあって、趣味でたっぷりと時間を学問に使える場合である。科学史の大学院生に関しては、このどちらも当てはまらない。科学史の大学院課程を経て、そして科学史についての訓練をきちんとうけなければ、その人は何者でもない、ということになる。

もう一つの論点は、日本における科学史家の需要の問題であった。この問題自体はやっかいなので、ここでは書くのはやめる。ただし、それとの関連で、結局日本には科学史家が多数必要でないとすれば、現状での科学史を教育する場所の連携によってひとつのプログラムとして機能すればそれでよいのではないかという案をだされた。それに対して、私がまえまえから思っている院生による全国的連携の実現によってそのような大学間の連携を主導することを提案した。

最後のコメントは東工大のN氏のもので、非常に率直かつ正直なコメントで、私は驚いた。なぜなら、第一に大学院教育の水準をたかめる必要を認めた上で、本人を含めた現在の教員にそれをする(意思ではなく)能力がないことをはっきりと認めたものだったからである。だったらなぜ日本で有数の科学史大学院プログラムの教員をやっているのか、と聞きたくなるが、それはそれとして、だれもが内心思いながらも、言いだせずにいた点をよく指摘してくれたと思う。彼の研究能力はともかく、ときどき学生思い・院生思いな面を見せることがある。これは現在の日本の科学史では非常に得がたい資質なのだ。

私自身、院生であった時期から遠ざかるにつれて、院生に対するシンパシーが風化しつつあることを感じる。だからこそ、時をうつさずにこのようなシンポジウムを開き、そしてさらなるコミットメントをすべく、おせっかいと思われながらも、院生に連携を呼びかけるのである。

一つ残念だったのは、日本で現在もっと重要なプログラムである東大の科学史科学哲学から参加者がめだたなかったことだ。他方、院生もあまり多くは来ず、そしてポスドクレベルの人たちはほとんど来なかった。私に親しい人たちも、今日の昼食のあとさっさと帰ってしまった人が何人もいた。彼らは師弟関係上、教員に気兼ねしているのか、それとも本当に関心がないのか。

シンポジウムの後、院生・若手はさっさと懇親会に消えていったらしい。場所を予約していて、シンポジウムが後にずれこんだからだろうか。私はどっちに行くべきだったのか、まよったが、なぜか大先生方の一群にまきこまれて、そっちのほうに行ってしまった。別に懇親会に行く必要を感じなかったのだが、久しぶりにお会いしたことだし、ということで付いて行った。だが、あまり実りの多い会話はできなかったと思う。学会の懇親会で酒などだすべきでないと主張したのだが、受け入れられなかった。のんきに酒など飲んでいる場合ではない、という私の危機感を理解できる人は日本の科学史ではそれほどいないだろう。酒の席での雑談が質の高い研究につながる時代ではないのだ。酒を飲まないことが奇異に思われる日本の状況が異常なのだ。酒を飲むことが良い研究につながるなら飲むにやぶさかでない。だが、それを示す証拠はない。


ましてやT氏のような、フェミニズムに理解のある人が、懇親会での飲酒を廃止することに対して強く反対することを私は奇異に感じる。酒の席で非公式に情報交換することが日本のアカデミズムを毒し、とくに女性を排除していることをわかっていないのだろうか。もちろん、現時点ではわれわれはその制度のなかで生きねばならない。だが、ある程度安定した地位のある立場からすれば、それを改善させようとして良いのではないのか。それをしないのは、もちろん、酒に中毒しているからである。あるいは、飲酒という文化に中毒しているからではないだろうか。

あるいは日本の科学史の学問的状況事態が、酒でも飲まなければやってられないほど絶望的なのだろうか。それなら分からないでもない。

学会の時に、知り合いの一人にこのBlogの存在を指摘されてしまった。こっそり見ているひともどうやらいるようだ。

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