【エルサレム】イスラエルと周辺国との境界で15日、周辺国に住むパレスチナ人のデモ隊が各地で連携して境界を越えようとしてイスラエル軍と衝突、少なくとも13人が死亡した。この日は、イスラエル建国記念日に当たり、故郷を追われたパレスチナ人の間では「ナクバ」(大惨事)と呼ばれている。
こうした抗議行動は1974年にシリアとの境界近くで起きたパレスチナ人とイスラエル軍との衝突以来のもので、アラブ世界に広がっている民衆蜂起の波がイスラエルに向かう可能性を示している。アラブ諸国はこうした抗議行動を弾圧することで政権の正統性を傷つけるリスクをとることに二の足を踏むようになっており、イスラエルは新たな課題に直面している。
イスラエルのバラク国防相は同国テレビとのインタビューで、「この日の出来事は、イスラエルのイメージを危険にさらす戦いの始まりにすぎないかもしれない」と指摘、「彼らはイスラエルを困らせるためソフトパワーの武器を利用しようとしている」と警告した。
抗議行動は、インターネット交流サイトのフェイスブックを通じてとみられる呼び掛けを受けて、パレスチナ自治区のガザやヨルダン川西岸のほか、イスラエルとシリア、レバノンとの境界、カイロのタハリール広場などに合わせて数千人が集まって始まった。正午ごろシリアとの境界にバスで到着したデモ隊は境界線に向かって行進を初め、イスラエル軍スポークスマンによると一部がフェンスを破壊しようとしたため、イスラエル軍が発砲した。シリアの国営SANA通信によれば、イスラエル側の発砲でデモ隊の2人が死亡、32人が負傷した。
1967年の第3次中東戦争でイスラエルがシリアから占拠したゴラン高原では、数十人から数百人に上るデモ隊が境界を越えた。ただ、大半は同日夕刻までに自発的にシリアに戻った。一方、シリアとの境界では10人が死亡し、数十人が負傷したと伝えられている。ただ、イスラエル、レバノン軍は双方が相手側が発砲したと主張している。
ガザ地区では、数百人のデモ隊が境界に向かって行進、イスラエル軍当局者によると、そのうちの1人が爆弾を仕掛けようとしたため射殺したという。ヨルダン川西岸でも一日中抗議行動が行われたが、死者が出たという報告はない。
レバノンとシリアには40万人以上のパレスチナ難民が暮らしており、そのほとんどは1948年の第1次中東戦争で難民となった70万人のパレスチナ人の子孫。