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気仙沼高(宮城)/青年部の機動力生かす

全国から届いた救援物資を運び入れる気仙沼商議所青年部のメンバー=24日午前11時ごろ、気仙沼高体育館

<住所>気仙沼市常楽130
<避難者数>600人(23日午後10時現在)
<避難地区>気仙沼市の南郷、神山、田中前など

 全国から寄せられた支援物資が、体育館に山積みになっていた。24日は会津若松市の商工会議所青年部から飲料水や即席麺、衣類が届いた。
 仕分けを指揮するのは、気仙沼商議所青年部OBで東北ブロックOB会事務局長の坂井政行さん(59)。経営するクリーニング店は津波で流されたが、青年部活動で培った人脈を生かし、全国に支援を呼び掛けた。
 届いた物資は、間を置かずに別の避難所へと送られる。「みんなが物資を必要としている。俺たちが機動力を発揮する」と坂井さんは語る。
 避難住民の7割がお年寄り。体力のある若者が食事の配給やトイレの掃除を担当している。小山茜さん(17)=気仙沼高2年=は「みんな被災者。自分でできることをしたい」と笑顔で話した。
 18日から午前中に限って同市の開業医葛但寛さん(62)が常駐するようになった。「診療所は津波でめちゃくちゃ。でも、力になりたい」。避難所で風邪気味のお年寄りが増える中、富山県から駆け付けたボランティアの看護師と協力して診療を続けている。

  ◇  ◇

●三上優子さん(48)=気仙沼市神山
 病気で骨盤を悪くして車いす生活を送っている。避難所では多くの手助けを受けているが、トイレに行くのが大変だ。
●小野寺富二男さん(74)=気仙沼市本郷
 家族6人で避難した。2人の幼い孫が熱を出したり、吐いたりしていてかわいそう。小さな体で必死に耐えている。
●斎藤優士君(15)=気仙沼市南郷
 気仙沼高に合格できた。家族は母と妹の3人。男は僕1人だけなので、泣き言を言わずに2人を引っ張っていきたい。
●雨宮浩三さん(91)=気仙沼市内の脇1丁目
 82歳の妻が津波から救助され、仙台の病院に運ばれた。夫婦とも生き延びただけありがたい。悩んでいても仕方がない。
●斎藤弘美さん(38)=気仙沼市南郷
 息子が高校に合格したことが分かり、ほっとした。避難所生活は大変。早く仮設住宅に移って生活を立て直したい。
●村上昴太君(18)=気仙沼市要害
 4月から仙台の専門学校に通う。今も行方が分からない母から「みっちり勉強しなさい」と言われていた。頑張りたい。
●小野寺大君(18)=気仙沼市常楽
 家族が行方不明の友人を支えてあげたい。春には埼玉県でとびの仕事に就く。成長し、いつか地元の復興を担いたい。
●佐々木悠君(15)=気仙沼市神山
 気仙沼向洋高に合格した。ただ学校が沿岸にあるので、高校生活を順調にスタートできるかどうかは分からない。
●小野寺峯子さん(67)=気仙沼市浪板
 自宅は津波にのまれた。高台にある神社に避難して助かったが、今も津波が襲ってきたときの光景が忘れられない。
●小野寺みよ子さん(70)=気仙沼市神山
 いまだに妹夫婦の安否が分からず不安。最近、胃が痛むようになってつらいが、集団生活をしているので我慢している。
●尾形浦子さん(71)=気仙沼市南郷
 夜中に赤ちゃんの泣き声が聞こえるときがあるが、元気に生きている証拠だと実感し、とてもうれしくなる。
●鈴木美津子さん(57)=気仙沼市南郷
 23日にようやく長男と連絡が取れたが、嫁と2人の孫の安否は不明のままだ。自宅はがれきの山で、途方に暮れている。
●前田開君(17)=気仙沼市東みなと町
 津波で自宅の1階は浸水した。4月から高校3年になるので、無事だった教科書などをかき集めて毎日勉強している。
●菅原たか子さん(72)=気仙沼市内の脇3丁目
 灯油を節約するため、昼はストーブをつけていないのでとても寒い。布団をたくさんかぶって耐えている。夜も熟睡できず疲れがたまっている。
●久保学さん(48)=気仙沼市新浜町2丁目
 妻と娘の家族全員が無事だったのが何より。女川町に住む妻の両親に、こちらの居場所を知らせたいが連絡が取れない。
●上坂章夫さん(75)=気仙沼市田谷
 一関市に住む親戚が24日朝、自分の居場所を捜し出し、会いに来てくれて感激した。無事を確かめ合えて安心した。
●村上和さん(14)=気仙沼市南郷
 24日の終業式で、久しぶりに友達に会えた。携帯電話が津波に流され、連絡手段がなかったのでうれしかった。


2011年03月25日金曜日