証券取引法(現・金融商品取引法)違反で逮捕され、実刑が確定した堀江貴文氏。若手企業家としてライブドアを急成長させ、日本を大きく変えた彼が、今の日本の若者に望むこととは? そして、収監前の本音とは?
■私がやりたかったのは、お金を稼ぐことではない
4月26日、俗にいう「ライブドア事件」(2006年)の、私の最高裁への上告が棄却された。これで2年6ヵ月の実刑が確定し、刑務所暮らしが始まることになる。
一貫して無罪を主張してきた私にとって、この結果は非常に残念であり、悔くやしくもある。しかし、(2審の)高裁で判決を受けたときほどのショックはない。
どちらかといえば、スッキリしたというか、人生ゲームのコマがひとつ進んだような感じだ。正直、こういう気持ちになるとは思っていなかった。
そもそも、私は違法なことをしたとは思っていない。また、百歩譲って私のやったことが有罪だと判断されたとしても、同じ証券取引法違反などで有罪となったほかの判例(執行猶予がついていたり課徴金処分だったりする判例が多い)と比べて、量刑の重さが違うのはとても不公平な結果だと思う。
しかし、世の中というのは不公平や不条理に満ちているもので、誰しも「なんで自分だけ」という経験を一度くらいはしたことがあるだろう。
学生時代に、自分が悪いことをしたと思っていなくても、先生に怒られて廊下に立たされる。それは本来であれば大問題なのだが、悲しいかな、世の中の真理とはそういうものなのだ。
そして、それに対して「不公平だ」などと訴えても、その現実を解消することはできない。なぜなら、廊下に立たせるのは先生の決めることだから。
だから、今回の判決の内容を納得してはいないが、私は受け入れるしかない。
地震や津波と同じレベルで話をするのはちょっと違うかもしれないが、あえて言えば、運命というのは変えることができないものだし、不可抗力の部分があるのは仕方のないことだ。
「原発事故は人災だ」という声もあるが、だからといって原発をつくった人たちを恨うらんでも、現在の事故はなかったことにはならない。前向きに考えて頑張っていくしかないのである。
とはいえ、実刑判決が下った原因の一部には、私にも責任があると感じている。それは、私のやりたかったことがきちんと皆さんに伝わっていなかったということだ。
例えば、私がライブドアでやりたかったことは、お金を稼ぐことではない。
資本市場の仕組みは、企業を応援してくれる人たち全員が株を持てることにあるのだが、今の日本では一部のお金持ちや投資顧問会社しかほとんど参加できない。これはおかしいことだ。
また、電波はもっと有効に活用できるはずであり、テレビやラジオの仕組みを変えて、より便利なものにしたいと考えていた。
しかし、それがうまく伝わらず、さらに既得権を持ち、現在の状況を壊したくない人にとって、私のとった行動は危ないものに見えてしまったのだろう。そのため、「出る杭くいは打たれる」ではないが、私は逮捕され、実刑を受けることになったのだと思う。
■日本という国は、残念ながら終わっている
だが、若い人たちには、こうした不公平や不条理、既得権者たちの抵抗に負けずに頑張ってほしいし、それが可能だと私は感じている。
なぜなら、今の若者はテレビや新聞の情報だけに頼らず、パソコンでニコニコ動画を見たり、ツイッターなど多くの媒体から情報を得ることが当たり前となっているからだ。
こうした世代が大人になったとき、これまでの価値観が変わり、不公平だったもの、おかしかったことがきちんと見えてくるはずだ。
例えば震災による原発事故の一面だけの報道を信じ右往左往する人がいるように、日本人個々の情報リテラシーはまだ低い。このままでは、またライブドア事件と同じような間違いが起きてしまう可能性もある。
だから、まずはメディアリテラシーをできるだけ高めてほしい。
テレビや新聞だけでなく、ラジオやネット、友人の話でもなんでもいい。情報を自分で取りにいき、自ら咀嚼して考え、判断をしてほしい。
そして、それを日本という小さな枠の中だけではなく、世界という大きな舞台で行なってほしい。
本音を言えば、日本という国は終わっている。残念ながら希望はない。
だが、日本人はそれを自ら選択しているのだ。日本人は「日本は世界の中では、まだ上のほうだ」と思っている人が多いだろう。そして、中国人をバカにしている人も多いはずだ。しかし、それは間違っている。今や立場は完全に逆転しているのだ。
中国の人は、多くの大企業に未来がないことを理解しつつ、それでも大企業志向を強め、沈みゆく船にしがみついている日本人とは違う。
日本のように「多少のリスクですら取らないほうがいい」というゼロリスク症候群もなく、長いものには巻かれよという考え方もない。
中国の人は上を向いて、上を目指して歩いている。しかし、日本人は下を向いて歩いている。これでは、「日本は今後良くなることはない」といっても過言ではない。
だからこそ「井の中の蛙かわず大海を知らず」という状況にならないように世界に出て、その視野を広げたほうがいいのだ。
それも旅行程度ではなく、居住し仕事を持つことで、日本がいかに政治的にも文化的にも遅れていて“先進国ではない”ということを肌で感じてきてほしい。
そして、そこで得た知見をもとにして、自分の故郷、日本をよくしてほしい。
何も高尚なことをしてくれとは思っていない。若者なのだから野蛮で野心があっていい。「俺も金持ちになって、いい車に乗りたい、いい家に住みたい」という考えで最初はいいと思っている。それができるようになってから立派なことを考えればいい。
お金も人脈も地位もない状態で高尚なことを考えても何もできないのは明白だ。
そしてまた、日本社会はそうした若者を認めてあげてほしい。
若い人の伸び代を許容する部分が今の日本には欠けている。少しでもミスをすると徹底的に叩き、二度と立ち上がれないようにする。それは日本にとっての損失だ。
今の私は日本の状況と同じくドン底と言ってもいいくらいの場所にいる。この状況は嘆いても何も変わらない。しかし、ドン底でもいいことはある。それは「これ以上悪くなることはない」ということだ。ドン底にいたら、もう這い上がるしかない。そして、這い上がるときというのは、成長を肌で感じることができるので意外と楽しいものだ。
私の量刑は2年6ヵ月だ。未決勾留期間が40日あるので、約870日の間、塀の中に入ることになる。
中でできることは限られているが、科学や工学系、歴史の書籍などを読み勉強したい。そして、その勉強を糧に、できる限り社会に貢献したい。不公平なもの、不条理なことが少しでもなくなる世の中にするために、塀の中からも私は訴えていきたいと思っている。
■構成/杉原光徳(ミドルマン) 撮影/井上賀津也