2005年06月29日

反日漫画 論日本 神風特攻隊 「倭」と「支那」を論ずる

網易文化 2005年05月19日 ソース(中国語)


<<神風特攻隊>>

1945年4月、反ファシズム戦争が終わろうとしているとき、敗色をひっくり返そうと、日本は自殺性の飛行機「神風特攻隊」を出動させ、これをもって失敗の命運を救おうと謀った。この日本の「神風特攻隊」の隊員は搭乗の前に天皇の方向に向って礼をし、米国艦隊を攻撃する為出発した。

「神風特攻隊」の隊員の頭には日本軍国主義の旗印である太陽旗が結ばれる。

機体に爆薬を満載した「神風攻撃機」は空に上る。

神風攻撃機は大声を挙げて米国の軍艦に向けて急降下する。

米国の軍艦に接近する日本の「神風特攻隊」の隊員は訪れる「勝利成功」に興奮してやまない。

「バン」 巨大な爆裂音が鳴り響き「神風特攻機」は米国の軍艦と運命を共にする。この種の「神風特攻機」は米軍に非常に大きな損失を与えたが、日本は失敗の命運をひっくり返すことは出来ず、日本の「神風」は吹かなかったのである。

米軍は硫黄島と沖縄島を攻撃し、ついに日本本土に迫っていた。

1944年6月15日、米空軍のB-29大型爆撃機が日本の本土で大規模な空襲を行った。1945年1月24日から、日本の首都東京でさらに大規模な空爆を行った。

このとき、中国の学者梁思成らが日本の文化遺跡を保護するように進言し、京都、奈良等の古都は災難を免れたのである。

1945年7月16日5時30分、米国の一つ目の原子爆弾の試験が成功。日本のファシストへの攻撃を加速する為に、トルーマン大統領は第2航空隊第50混合大隊に日本の広島、小倉、長崎等の4地域の目標を選択し、原子爆弾の投下の準備を行ったのである。

<<「倭」と「支那」を論ずる>>

我が国南北朝時代の宋朝で范曄のいわゆる「後漢書」の中で、漢朝の武帝劉秀の時代、「漢委倭王」の記載があり、「倭」は日本人の一番初めの呼称となった。「倭」の意味は、醜く、ぶざまで、背が低く、話にまとまりがなく、単純で、言うことを聞く意味である。この一文字のみで日本人の外観、品行などを実にぴったり表しており、1500年経っても現在の日本人を表すのは適切である。時がすぎ、日本人にとっては蔑視であることから、我々は既にこの文字を使わなくなった。しかし、現在の日本人は内心で依然として中国を「支那」と呼ぶことをよろこんでいるのである。

現在の日本人は自己の国家をしばしば「本邦」という言葉を使って表現する。問題はこの「本」と「支」に発生する。日本人の人の上に立ちたい精神構造から、自己を「本」、中国を「支」と称して心理上の慰めと満足を得ているのである。

写真
P185 よだれを流す特攻隊員
P197 大反撃(次章 訳しません)の挿絵

中国の学者梁思成らが日本の文化遺跡を保護するように進言はまた、かなり胡散臭いですね。対日プロパガンダの一種でしょう。米国人のウォーナー氏が京都や奈良は歴史的に価値の高い文化財が多いので、爆撃しないように米軍に進言したとされるよく知られた美談もありますが、それですら、米国の公式資料には載っていません。つまりガセです。これもGHQの戦後の対日情報操作の一貫でしょう。「原爆の実験場」としてリストアップされていた京都がたまたま免れた、将来の冷戦を踏まえ日本人の米国に対する憎しみを抑えたかったと考えるのが一般的ではないでしょうか。
2発目の原爆も別に戦争の終結云々ではなく、「原爆実験のサンプルが最低2つは必要」との観点ですね。

「支那」ですが、英語の「China」と同様に、もともとは秦の始皇帝で有名な「秦」から転化されたもといわれており、中国人が作った言葉です。別に蔑称でもなんでもないわけですね。戦後中共から上記のようなマイナスイメージがあるという理由で抗議がされ、使用できないように言葉狩りがされました。マイクロソフトのIMEでも変換できませんね。

中国国内では反日映画、ドラマ等の日本鬼子の発言で「支那人」等と利用されます。ただ、当時の中国人に対する蔑称は「チャンコロ」であり、「支那人」は蔑称ではないんですね。私がよく引用しているポータルサイトの新浪(www.sina.com.cn)が「支那」を使っており、以前問題になりましたが、新浪側は批判を一蹴しました。会社側は「蔑称なら、自国を発展させて見返せばいい」とのコメントを出しています。正論でしょう。

「中華」は漢民族が、周囲の文化的におくれた各民族に対して、自らを世界の中央に位置する文化国家であるという意識をもって呼んだ自称です。これこそ、差別的ですね。そしてこの名前で心理上の慰めと満足を得ているでしようね。

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posted by 元祖うぷぷ at 19:32| Comment(15) | TrackBack(0) | 反日漫画(論日本) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
いつも楽しく拝見させてもらっています。
近頃、支那という言葉の使用について色々取りざたされているようですが、”戦後中共が非難して〜”という事実と多少違う記述があちこちのブログなどで散見されますので、ここに記します。
「近代日中交渉史の研究」(佐藤三郎著)のなかに”日本人が中国を「支那」と呼んだことについての考察”があります。これによるとインドに赴いた中国僧がインド人が中国を呼ぶのにシナと呼んでいたのを聞いて支那の字を当てた。語源は秦です。日本人では1713年の新井白石の書物が早いとされ、19世紀に入るまでは敬意を込めた呼び名であった。これに侮蔑の意味が加わり始め、中国人が支那という呼び名に対して反対の声を上げたのが1915年の21ヶ条要求の時です。
そうして1930年五月下旬中華民国政府は、中央政治会議の意向に基づくものとして、外交部に対し「支那」という文字を使用した日本の公文書は今後受理を拒否すべきことを指示した。
日本でこの訓令のニュースが新聞に載ると、投書欄において賛否両論が戦わされました。そして日本政府当局でも検討が行われ、十月二十九日の閣議で、中国の正式呼称を従来の「支那」から「中華民国」に変更する事に決定した。
つまり、当時の日本政府が自主的に討議して決定しています。
しかし、1937年の紛争は支那事変と呼ぶなど、まだブレがあります。
そして1940年菊池寛が中国と呼ぼうと呼びかけ、1941年には大政翼賛会が占領地宣撫の必要から支那という呼び方をやめようと提唱しています。1945年の敗戦以降に国民党政府代表団からの要求があり、1946年六月七日に外務省が各省あてに「中華民国の国名に対して支那という字をやめてもらいたいとの要求があったので、先方の嫌がる文字を使わぬようにしたい〜唯歴史的地理的又は学術的の叙述の場合は必ずしも右に拠り得ない」としています。
現在も論争は続いている。
ということで、無理やり改めさせられたのではなく、当初は寛容の心で変えようとしていました。
長々と失礼致しました。ではこれからも健筆を期待しています。
Posted by arere at 2005年06月29日 21:27
>日本人の人の上に立ちたい精神構造

それって中国人本人らの大昔から全然変わっていない中華思想のことですよね。日本に対しての敏感なアレルギー反応も心理上の慰めと満足を得る為なのでしょうね。
Posted by まさ at 2005年06月29日 21:33
http://www.cnread.net/cnread1/sjwz/zgrw/001/001/095.htm

http://cn.websearch.yahoo.com/search?p=%E6%A2%81%E6%80%9D%E6%88%90+%E5%8F%A4%E9%83%BD&ei=UTF-8&fl=1&vl=lang_zh-CN&vl=lang_zh-TW&x=wrt&meta=vl%3Dlang_zh-CN%26vl%3Dlang_zh-TW
これを見ると、梁思成が進言したというのは、中国人の中では「常識」になってるんじゃないですか。そんな話はもちろん初耳ですが、自分で恩人と名乗るその神経が理解できません。
Posted by aquarellisute at 2005年06月30日 07:21
次の論文があります。

「シナ」という言葉には「支那」という漢字が当てられていました。これは当時の日本では、中国を日本の支那(しほう)とする、つまり日本の支配下におくという意味が込められています。まさに、中国を侮辱した当て字でした。
こうした経緯があるために「シナ」という呼び方を日本人が使うことは、英語やフランス語で「チャイナ、チーナ」などと言うこととは全く異なる意味合いを持っています。この点に注意が必要です。これは言葉の綾の問題ではなく、歴史認識の問題だと言えるでしょう。
(以上、『中国21』VOL2、1997年12月発行。「アジアの近現代を学ぶこと」より抜粋。著者松井巖・当時錦城高校教諭・1947年生。)

『中国21』は中国とのつながりが深い愛知大学の現代中国学会が発行している雑誌です。まじめな意味で読む価値のある雑誌だと思っています。
ところが、上記の執筆者は「支那」を特別な意味があると断言しています。「支邦」であれば「邦を支える」ともいえるでしょうが、「那」には国に関係する意味合いはありません。中国への蔑称などになりえないのです。
著者は高校教諭として日本で上記の論を生徒たちに振りまいていることでしょうが、気がかりになるところです。

いえいえ、私自身は「支那」という言葉を通常では全く使っておりません。「南シナ海」などは別ですが。
あれ? 「南シナ海」は中国発行の地図では、「南海」のほかに「南中国海」という表記のものもありますね。
もう少しあれこれにあたってみることにいたします。
長々とすみません。
Posted by 神石 at 2005年06月30日 15:12
>神石
>「那」には国に関係する意味合いはありません。

え?そうなんですか?
でも「くに」で、なぜか変換が出来てしまうIME。
Posted by ネジ at 2005年06月30日 23:04
はじめてコメントするものです、こんにちは。

支那呼称論争ですが、長沢規矩也先生編著の
明解漢和辞典(三省堂・かなり古い版)によると、

明代に自ら(中国人のこと)も、漢民族著作の仏書
を 「 支 那 撰 述 」 と明記しており、決して卑しめた
呼称ではないから、避ける必要はない」

とあります。

これが事実とすると、別に日本人がつけた当て字
ではなく、中国人が自分でつけた呼び名ということ
になるんですがね(汗)。

ちなみに「那」という字は、どうも「くに」とは読めない
ようです。私のATOKでは変換できませんが…。
Posted by A7M3改 at 2005年07月01日 04:13
ネジさんへ

「那」についてあわてて大辞林、字源を再チェックしましたが、やはり「国」の意味合いはありませんでした。白川静の辞書も確認してみるつもりですが、ただいま手元にないのでお返事は後日。

ところで、愛知大学が編集している「中日大辞典」(大修館書店発行。中日辞典としてはおすすめです)では、「支那」の用語がなんと取り上げられています。この辞書は、中華人民共和国政府の諸機関の援助、協力の基で作成されたものです。
「支那」=古代、インド・ギリシャ・ローマなどに於ける中国の呼称:〔秦〕の転訛

私の勝手な考えですが、「那」は仏教用語の翻訳語である「檀那(旦那)」としても使われています。つまり、深い意味を持たない文字として「な」=「那」が当てられたのではないのでしょうか。「那」には、「多い」「美しい」という意味もありますが。

でも、IME変換で「くに」に「那」がありますね。おかげで初めて知ることができました。ただ、なぜなのだろう? 「名乗り(名前)」特有の読みでも「くに」というのは聞きません。ひょっとして、IMEの製作者が「邦」と似た文字だからと誤った?(笑)

元祖うぷぷ様
このサイトの本来である時事問題からはずれたコメントを持ち込んですみません。
Posted by 神石 at 2005年07月01日 15:34
支那論争でだいぶ盛り上がっておりますが、インド人がシナと呼んでいてそれを聞いた中国僧が支那と当てたのに間違いないです。唐僧である玄応の「一切経音義」に「振旦真旦、並非正音、応作支那、此云漢国也、又無正翻、但神州之総名也」と、同じく唐僧慧エンの「華厳経音義」に「支那、此翻為思惟、以其国人多所思慮多所制作、故以為名」とあり、「宋史、天竺伝」に「天竺表来、訳云、伏願支那皇帝」とあります。
支那についての漢字の意味は”しかし「支那」は意味をあらわさず、表意文字である漢字に乗せるには都合が悪い。「支」といえば「庶子」、「那」といえば「あれ」(現在でも那里は使いますね)のことになってしまう。そこで「支那」に代わって「中国」を意味を拡張して使うようになった。(中国文明の歴史:岡田英弘著)ということです。中国で一般に自国を支那と呼び出したのは18世紀中ごろ以降。日本では1708年にイタリア人宣教師が日本布教のために屋久島に到着。江戸幕府の訊問に新井白石があたり、そのときに日本人がもろこしとか漢とかいうものを彼がチーナといっている事に注目。古い漢訳仏典の中からこの字を探しだしました。このときには支那の言葉には尊敬の意味がありましたが、段々生の中国人の酷さに気がついた日本人はこれに侮蔑の意味をつけるようになっただけです。中国人というのも最早そうなりかけてますが。
ちなみに「邦」の元来の意味は「方」と同じであの方面とかで大きい「くに」の意味になりますが、漢の劉邦の忌み名と重なるのでこれを避けて「国」を使うようになりました。ですから「那」と「邦」は全く違います。前出の高校教諭は酷いですね。これくらいちょっと調べれば分かるのに。では失礼いたしました。
Posted by arere at 2005年07月01日 20:25
>arereさん
なるほど。その戦後の部分のみに焦点が当ててしまっているわけですね。勉強不足でした。ありがとうございます。

私は自身のコメントを書く際にネット上の資料を当たっています。色々な見解が載っているWikipediaを比較的基準として使っているんですが、なかなかその資料が正しいかどうかの判定に苦労しています。もともと中国に関する見識が非常に浅いので。。

>神崎さん
>本来である時事問題からはずれたコメントを持
どんどんやって下さい。恐らく多くの読者の方がためになったのではないかと思います。私もためになりました。

>皆さん
「那」の論争面白いですね。確かに「邦」と似ていますから、IMEは間違えて登録したのかも知れません。正直、私も訳出する際に「那」と「邦」をあまり意識せずに訳してました。結果的に誤訳にはなってないのは偶然です。

蛇足ですが、保守系のブログ等で「中国」を「支那」と呼ぶところも多いですね。理由は個々様々でありますが、多くの方が挙げる理由は「中華」という名前自体が周辺民族に対する危険要素になり、チベット等での漢民族によるその他の民族への虐殺に繋がるとのことのようです。

ちなみに当ブログでは「中国」と呼んでいます。これは、なるべく多くの方に読んでもらいたいので、なるべく「普通の言葉」を使おうとの意図です。
Posted by 元祖うぷぷ at 2005年07月01日 21:14


     原爆再発万歳・大震災再発万歳・海嘯再発万歳

     倭畜・低国・劣島=万罪
Posted by 糞低脳倭畜死滅万歳・倭畜劣島沈没万歳 at 2005年07月07日 12:56


痴漢天国としての倭畜劣島よ、沈没しろ
Posted by 糞低脳倭畜死滅万歳・倭畜劣島沈没万歳 at 2005年07月07日 12:58

所謂「カミカゼ」と言う馬鹿言葉は無い。
「畜風」ですねえ
Posted by 糞低脳倭畜死滅万歳・倭畜劣島沈没万歳 at 2005年07月07日 12:59


猥褻狂=倭畜
Posted by 糞低脳倭畜死滅万歳・倭畜劣島沈没万歳 at 2005年07月07日 13:00
 「中国」と「支那」について一つ参考までに。

 中共国内では、非漢民族に対して「中国」呼称の押し付けが行われています。
 代表的な民族言語で「支那」を表す古くからの固有語は

ウイグル語 hitay
チベット語 rgya nag
モンゴル語 kitad ulus

ですが、現在は当局によって

ウイグル語 junggo(「中国」の音訳)
チベット語 krung go(同上)
モンゴル語 dumdadu ulus(「中の国」の意)

の使用が推奨されています。
 本当かどうかわかりませんが、公の場でうっかりhitayやrgya nagを使うと処罰される場合があるという話もあります。

 こうした民族言語に対する一種の言葉狩りと日本に対する「支那」呼称廃止要求とは、実は軌を一にするもののような気がします。・・・というのは考えすぎでしょうかね。私は上記の事実を知って以来、「中国」よりも「支那」を使うよう心がけています。
Posted by 通りすがり at 2005年07月10日 20:17
『支那』の語の語源は、中国の正史などが、出典!!

 arereさんのご紹介されてる、
「『宋史、天竺伝』に『天竺表来、訳云、伏願支那皇帝』とあります。」
について、補足させていただきます。

 『宋史』の全文が、中国のサイトにありましたので御紹介です。

 「支那」の語の出典は、より具体的には、『宋史』の第490巻の列伝249にある「外国伝6」の中の「天竺」の条です。

「 支那国内有大明王,……,威力自在。……遥望支那起居……。……伏愿支那皇帝福慧……」

http://wenxue.duhao.net/articles/01/12139.html

 ちなみに、『宋史』とは、

「中国、宋の史書で,正史の一つ。496巻。元のトクト(脱脱)ら奉勅撰。1343年(至正3)に始めて、45年に成る。〈二十四史〉中もっとも巻数が多い」(平凡社『世界大百科事典』)、

だそうです。
Posted by 今日は。 at 2007年01月17日 20:52
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