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広島

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広島の発言2011:広島護国神社宮司・藤本武則さん /広島

 ◇犠牲、孫・ひ孫に教えてほしい--藤本武則さん(62)

 広島護国神社(中区)は、初詣や七五三といった日本の伝統行事の際、多くの県民でごった返す。広島東洋カープの必勝祈願が行われる神社としても有名だ。だが、元々は県内に本籍地を持ち、戦争で亡くなった人たちが「英霊」としてまつられている場所。戦争で帰らぬ人となった旧日本軍人ら9万2000余柱が眠っている。

 「現在がこうしてあるのは、尊い犠牲があるからです。これ以上、ご祭神を増やさないという気持ちで続けたい」

 神社は1868(明治元)年、「水草(みくさ)霊社」として二葉の里(東区)に建立。1934年には前身にあたる「広島招魂社」として、旧広島市民球場(中区)を含む一帯に相当する旧西練兵場の西端に新築移転し、39年に「広島護国神社」と改称した。

 66年前の夏、原爆で社殿は全て焼失した。それから10年以上がたった56年、広島城跡に新社殿が完成し復興を遂げた。現在の境内では、被爆した鳥居、狛犬(こまいぬ)、灯籠(とうろう)が残る。神社には、原爆で犠牲になった動員学徒もまつられている。

 「参詣する広島市民の核廃絶の思いや平和への願いはひしひしと感じる」

 大学卒業後、地元の広島県に戻ろうと思い、同神社に奉職した。当初は「神社の場所も分からないくらいだった」と言うが、戦争で亡くなった人の父母や妻などの思いを自分の耳で聞く中で、この神社が特別な存在と気付いた。

 仕事柄、遺族の話を聞く機会も多い。その中で感じるのは戦争の深い爪痕。戦中・戦後の混乱期、愛する人を失いながら、生き抜いてきた人たちの話に、言葉を詰まらせることもある。

 「お宮参りに来た方で、ご英霊に孫を見せてあげたい、という方がこれまでにいました。働いて弟さんを学校に行かせるため、結婚できなかったという方もいらっしゃいました。ご遺族は本当につらい思いをして、一生懸命だったことを感じます」

 神社では春と秋の大祭のほか、原爆が投下された8月6日には「原爆慰霊祭」、終戦の日の8月15日には「英霊感謝祭」を開く。近年は高齢化で出席する遺族も減ってきた。歴史を語れる人が減っていることを意味する。今年12月8日で日米開戦から70年。護国神社を訪れる人たちの笑顔が、この先も続いてほしい。

 「ご遺族には自分の子、孫、ひ孫に戦争があったこと、そして尊い犠牲があったことを教えていただきたい。今年は70年という節目の年ということもあり、戦争が無いようにするためにどうすべきかを考えたい」【中里顕】

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 ■人物略歴

 ◇ふじもと・たけのり

 1948年、瀬戸田町(現・尾道市)出身。皇學館大(三重県伊勢市)を卒業後、約40年前から同神社で神職を続けている。2000年から宮司。府中町在住。

毎日新聞 2011年4月23日 地方版

 
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