2011年5月15日8時39分
ドイツ南部のミュンヘン地裁は12日、第2次世界大戦中にナチスの強制収容所で看守を務めたとして、ユダヤ人大量虐殺への関与を問われたウクライナ出身のジョン・デムヤンユク被告(91)に禁錮5年(求刑同6年)の判決を言い渡した。戦後65年が過ぎ、「おそらく最後の大規模なナチス戦犯裁判」として注目されていた。
同地裁は「逃亡の恐れがない」などとして被告の釈放を認めた。弁護側は控訴する方針で、判決確定まで被告は収監されないため、被害者の遺族らからは不満の声も出ている。
判決によると、デムヤンユク被告は1943年、ナチス占領下のポーランドのソビブル収容所で看守として働き、少なくとも2万8060人のユダヤ人殺害を手助けした。判決は「看守は人々の到着から遺体焼却までを監視した。彼らは、できるだけ多くの人間を組織的に殺害する目的の機構の一部だった」と述べた。ソビブル収容所はユダヤ人の大量殺害のみを目的に作られ、25万人以上が殺害されたとされる。
公判は約1年半続き、法廷で被告は沈黙を続け、犠牲者の家族らが米国やオランダから出廷し、被告に真実を語るよう求めた。
弁護側は、被告がソビブル収容所で看守だった証拠はないと主張。さらに「仮に看守だったとしても、大量殺害を計画、実行したのはドイツであり、ウクライナ人の戦争捕虜だった被告は命令を拒否できなかった」などと無罪を求めていた。
被告は別の収容所で、その残虐さから「イワン雷帝」と呼ばれた看守だったとして、88年にイスラエルで死刑判決を受けたが、93年に「人違い」として最高裁で逆転無罪になっている。(ベルリン=松井健)