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今更改まって云う事ではないが、映画俳優がレコードを吹き込む事など、珍しくも何ともない。裕ちゃんしかり旭しかり渡哲也しかり加山雄三しかり。わが東映でも、鶴さんだって健さんだって文太兄ィだって梅宮辰兄ィだって、池玲子も杉本美樹も、よく考えてみれば拓ボンだって志賀勝だってみんなレコードを出している。しかしそれでもピラニア軍団がレコードをリリースしていたとは夢にも思わなかった。
事の経緯は、「新・仁義なき戦い 組長の首」に出演以降東映との関わりを深くしていた三上寛が、渡瀬恒彦・志賀勝と飲み交わしている時に生まれた“志賀勝のレコードを作ってみたらどうか”と、いうなれば単なる酒場でのウダ話が、いつの間にか“東映の売れてない役者を集めてLPを作ろう”という話に発展し、気がつけばピラニア軍団のLP発売へと具体化したのである。
もちろんこの話にピラニア全員が乗り気だった訳じゃなく、特に室田日出男は「歌をうたうなんて考えてみたことがないんで、それにピラニア全員だったらみんなの意見も聞いてみないと・・・」と二の足を踏んでいたが、三上が「そんな大それた事じゃない。後々そういう事もあったでいいじゃない。」と軽く説得してクリア。しかしまだまだ問題は山積みだった。川谷拓三である。ピラニア軍団のレコードはキング・ベルウッド・レコードから発売する事になっていたのだが、当時人気急上昇だった拓ボンは、既にキャニオンレコードから「殺られ節」をリリースしていたので、契約上の都合により、一時は拓ボン抜きのメンバーだけでやろうかとの案も出ていた。が、株式会社キャニオンレコードの御好意により、同社との契約終了後吹き込む許可を得て、めでたくピラニア軍団全員参加でのレコーディングが決定したのである(ええ話や)。
とにかく企画からレコーディングまで何と一年半もかかったこのLP。プロデュースは言いだしっぺの三上寛と、ピラニア軍団の村長・中島貞夫が共同で担当。また、三上は「村歌 〜わしゃ知らん節〜」を除く全曲を作詩・作曲。殊に「その他大勢の仁義を抱いて」「役者稼業」「悪いと思っています」「関さん」等軍団と共に役者稼業に精を出していた彼ならではの、優れた佳曲を生み出している。特筆すべきはアレンジャーとして佐藤準と、あの坂本“ウラBTTB”龍一が参加。なかなか味わい深いアレンジで一筋縄ではいかない世界を構築しているが、このLPへの参加を坂本が活動歴から抹消していないかが心配である。それだけではない。参加ミュージシャンも坂本、佐藤の他、村上ポンタ秀一、後藤次利、斎藤ノブ、林立夫、かしぶち哲郎、芳野藤丸、村松邦男、水谷公生etc当時の一流ミュージシャンが集合。よくもまあ、ここまで豪華な顔ぶれが揃ったものだが、おそらくティン・パン・アレイの“ティ”の字も知らないだろうピラニアの連中がこの事を理解していたのか甚だ疑問である。また、他にも応援団としてピラニア軍団の御巫子・橘麻紀(元歌手)が「菜の花ダモン」で花を添えれば、助け人・渡瀬恒彦も「ソレカラドシタイブシ」に参加、狂犬テイストと呼ぶにはあまりにもタチが悪すぎる冷やかしを聴かせてくれます。
このようにスタッフやバックが豪華なのはいいとして、肝心なのはピラニア達の歌なのだが、緊張のあまり一杯引っかけてレコーディングに挑む者が続出した為か(オイオイ)、ハッキリ云って明かに譜割とずれてるわ、調子っぱずれだわ、ヤケクソ気味でガナっている者がいるわでムチャクチャである。成瀬正孝や志茂山高也等はそこそこ上手く歌えているが、それとて近所のスナックのマスターとドッコイドッコイのレベルである。しかしそんな彼等の歌声から聴こえてくるのは、殺られ役者の夢と希望と情熱と苦悩と絶望とストレスと開き直りとアバウトとやさぐれと不貞腐れ等様々な喜怒哀楽であり、彼等の生き樣がまぎれもなく“うた”となって聴く者の胸を撃つ事に見事成功している。
東映の殺られ役者の魂の叫びが刻み込まれた名盤「ピラニア軍団」は1977年5月21日に、シングルカットされた「有難うございます/ソレカラドシタイブシ」が1977年7月21日に、先述のキング・ベルウッド・レコードから発売されたが、間もなく廃盤。しかし、『ニューロックの夜明け番外編・三上寛の仕事』の一枚としてCD化され、Pヴァインレコードより1999年6月25日に再発されたので、現在容易に手に入る。東映ファンなら今すぐCDショップでGETすべし。
(文中敬称略)
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