「1210」 【写真を追加】 副島・中田・古村で12日に福島県内の浜通り、中通りの各地を取材してきました。その時に収録した、副島隆彦先生の現時点での状況評価と提言を動画でお伝えします。あと、現地の写真を貼り付けます。2011年4月13日
アルルの男・ヒロシ(中田安彦)です。今日は2011年4月13日です。
すでにご存じの方もおられると思いますが、昨日12日に副島隆彦、私(中田)、古村治彦研究員の3人で、副島先生が最初に福島に調査のため入ってから三度目となる現地調査を行いました。
※下の動画↓は、調査の後に撮影した談話です。このサイトにアクセスが集中しすぎて再生できない場合があるようです(朝や夜間など)。時間帯を変えてアクセスしてみてください。今回も前回と同じく郡山(こおりやま)のタクシーに乗って東京電力の福島第一原子力発電所の正門前や、福島県北部の仙台にほど近い相馬市や南相馬(みなみそうま)市の現地を取材というほどの立派なものではありませんが、実際に現地の方のお話を聞いたり、地元の喫茶店に入ったりして情報を集めました。
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都路村の原発20キロ地点。警視庁第4機動隊の警官に取材記が載った週刊誌
を見せて、調査の趣旨を説明・説得している
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福島第一原発正門前。職員は2交代制だそうだ。
以下に貼り付ける動画と写真は、取り急ぎの状況報告です。今回は会員ページではなくこちらに掲載します。詳しいレポートは後ほど動画と共に別の会員向けのページに掲載します。印象的だったのは、今、政府の「計画停電」ならぬ「計画避難」の対象になりそうな、福島県相馬郡飯舘村(そうまぐんいいたてむら)で民生委員をしている高齢の男性に聞いた話です。
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飯舘の民生委員の菅野さんという男性(右)
その人の話は、二つあって、ひとつは「都会と福島だけではなく、福島県内でも原発に近い地域に住んでいる住人に対する差別が公然と始まってしまった」ということです。その男性が県庁のある福島市内に靴を買いに行ったとき、「自分は飯舘の出身なんだけれども」と店員に話したとたん、店員がわっと驚いて店の奥に引いていってしまったという話でした。
新聞などでは他の県で福島県民を差別することが問題になったという記事はありましたが県内でもこういう深刻な問題が起きています。この時、タクシーの運転手のKさんもこの話を私たちと一緒に聞いていたのですが、「それはひどい。だが本当にそういう事は起こっている。原発の方からきたお客さんはなかなか自分が何処から来たか口に出せない状況になっているのは感じている」と話していました。
民生委員の男性の話のもう一つは、「福島・双葉に40年前に第一原発が来たときに自分は東電関係者以外の専門家の先生から、飯舘は原発から遠いから大事故が起こっても大丈夫と思っている人が多いですが、それは違う。実は風の流れでこのへんに一番放射性物質が流れてくる可能性があるのです」と言われた、と言う話をしていました。つまり、分かる人には第一原発で事故が起きたとき、まず正しい情報を伝えるのはこの地域の住民の人たちであるということが40年前から分かっていた、ということです。想定外の事故ではなく想定されるべき事故だったということです。
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飯舘村役場の緊急対策会議(村議会)中央に副村長。隣が村長室
その後、飯舘の村役場に行きました。一階のスペースでは、アメリカのABCの撮影クルーが放送に向けて最後の打ち合わせをしていた。この後夜8時から全米中継をやって政府の「計画避難」の指示とそれに驚く住民たちのレポートを流していた。
古村さんが、地元の男性に詳しく話を聞いていました。私たちが2階にいると、会議室の前の財政課のテレビでは菅直人の演説の生放送がテレビで流れていた。そこに、役場での入り口にいたパーカー姿の男性がやって来て、近くのソファーに座りました。「疲れたよ、もう限界だ」と私たちに話してくれました。
色々な話をしてくれました。飯舘村に住む一男性の話ですから、マスコミで流されることはないでしょう。古村さんがその内容をメモにとっていました。私は村議会の方を見ていました。古村さんが書き留めたメモを基にして、その話を再現してみたいと思います。
男性:「この村は昭和31年に二つの村が合併してできたんだ。それから50年、村づくりをやってきた。冷害に何度も見舞われて、それで畜産に賭けたんだ。
(それでは80年代の牛肉・オレンジの開放の時も大変だったでしょう、と私が訊ねると)そうだ。どうやって生活しようかと思ったほどだ」
男性:「日本性はダメだ。アメリカとフランスに原発事故の対応を任せて、止めてもらった方が良い。経験があるんでしょ。そして、もう福島第二原発も止めて
欲しい」
男性:「(町長室を指さして)町長は今来客中だ。本当に疲れていて、思考力、判断力が落ちてしまう。もう限界なんだ。石原都知事は取り巻きがしっかりしているから良いな」
男性:「東京の人で、東京電力を使っている地域の人で、分かった、助けると言って駆けつけてきた人は誰もいない。知事も来ないしな」
男性:「地方自治体はものを言えねばダメだ。こんな地方自治体になってしまったのは、はっきり言って、自民党政治のつけだ」
男性:「日本人らしさはもうなくなってしまったんだな。俺たちは見捨てられたんだな」
そして、18時25分、飯舘村役場を出発し、郡山を目指しました。これで、今回の調査と取材は終わりました。
それから、以下のデータは副島先生の私有のガイガーカウンターで付近の放射線濃度の数値を貼り付けます。
(貼りつけ開始)
●2011年4月12日に行った福島調査・取材で計測された放射能物質の値
(副島隆彦先生所有のガイガーカウンターを使って計測された)
(1)10:15(10時15分) 郡山市内阿武隈川近く 「2.6」マイクロシーベルト
(2)10:31 三春町 「2.3」マイクロシーベルト
(3)10:38 田村市船引地区 「2.9」マイクロシーベルト
(4)10:55 田村市常葉地区 「2.6」マイクロシーベルト
(5)11:15 田村市都路地区 「2.8」マイクロシーベルト
(6)11:21 田村市都路地区 「2.2」マイクロシーベルト
(7)11:25 田村市都路地区中心部 「2.8」マイクロシーベルト
(8)11:39 田村市都路地区警戒線付近 「3.5」マイクロシーベルト
(9)11:52 都路地区20キロ圏内入ってすぐ 「3.1」マイクロシーベルト
(10)11:59 大熊町に入ってすぐ 「3.4」マイクロシーベルト
(11)12:08 大熊町5キロ圏内 「17.9」マイクロシーベルト
(12)12:15 大熊町役場近く 「24.0」マイクロシーベルト
(13)12:20 福島第一原発正門前 「127」マイクロシーベルト、芝生の上「1088」マイクロシーベルト
(14)12:42 双葉町に入ってすぐ 「33」マイクロシーベルト
(15)12:45 双葉町海岸・原発から2キロ地点 「13」マイクロシーベルト
(16)13:09 双葉町鉄道橋崩落現場付近 「6.3」マイクロシーベルト
(17)13:19 JR双葉駅前 「8.0」マイクロシーベルト
(18)13:31 浪江町入ってすぐ 「2.6」マイクロシーベルト
(19)14:00 浪江町役場 「3.2」マイクロシーベルト
(20)14:45 南相馬市立病院前 「2.1」マイクロシーベルト
(21)15:27 JR原ノ町駅付近 「3.1」マイクロシーベルト
(22)15:58 相馬市松川浦 「2.4」マイクロシーベルト
(23)16:37 相馬消防署前 「2.6」マイクロシーベルト
(24)17:13 飯舘村佐須地区 「9.3」マイクロシーベルト
(25)17:40 飯舘村草野地区 「7.9」マイクロシーベルト
(26)17:45 飯舘村役場前 「7.8」マイクロシーベルト
(貼りつけ終わり)
私の実感などは後で会員ページに動画を編集したものと一緒に載せます。まずは副島先生のメッセージ動画を貼り付けますので、みなさんもこのメッセージを聞いて、自分なりに考えてみてください。自分の頭で判断してください。そして自分なりの状況認識をつくりあげていただければ、と思います。動画の後に、これとほぼ同趣旨の今朝の「重たい掲示板」に載せられた文章を貼り付けます。
文章で書くと、かなり過激めになる副島先生ですが、実は動画になるとまたずいぶんと温和な雰囲気であることにみなさんも驚かれるかもしれません。ですから、動画と文章を両方御覧ください。(私はいつも先生には「重掲」よりも「ぼやき」のページの方に書いてほしいと言っているのですが、本人が、普段の文章はともかく、急ぎの時は掲示板のほうが使いやすいと考えている、とのことで急ぎの場合はどうしてもそっちになってしまいます。ご了承ください)
それから、猫の「富岡タマ」(本名はみーこ、メス)は無事、もとの富岡町の飼い主の一家のもとに戻りました。(下の写真)
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郡山駅改札口で「みーこ」の返還式が行われました。
アルルの男・ヒロシ拝
以下は重たい掲示板からの転載
(転載開始)
[439]ネコを飼い主に返還して、私たちは昨日も原発の正面玄関まで行ってきました。日本は、大丈夫だってば。心配するな。(報告文 12)
投稿者:副島隆彦
投稿日:2011-04-13 08:56:33
副島隆彦です。 今日は、2011年4月13日です。
私は、昨日(4月12日)は、予定通り、福島第一原発の正面玄関まで、また、行ってきました。 大丈夫。 みんな、心配するな。 放射線の線量は、原発の正面玄関(ゲート)のあたりでも、120マイクロシーベルト毎時(120μSv/h)でした。 巨大事故を起こした4つの原発から、1キロぐらいの距離のところです。
みんな、大丈夫だって。安心しなさい。副島隆彦を信用しなさい。 何を、今頃になって、そんなに深刻になって、現地にも行かないで、悩んでいるのですか。 ここは、副島隆彦の学問道場だ。 先生の私が 門弟(もんてい)たちと 体を張って、そういう言うのだから、安心しなさい。 原発の危機と放射能の漏れ(拡散)は、もう終息しつつあるのです。
今、ここの重たい掲示板を、見たら、まじめな会員たちが、深刻な議論をしているで、本当は、すぐに「今日のぼやき」に 「報告文 12」として書かなければいけないのですが、応急で、書いておきます。 あとで、まとめて、もっとしっかりと、今日のぼやきに書きます。
みんな、何をそんなに、脅えて、不安になって、心配しているのですか。
私は、まず、私が、富岡町(とみおかまち、原発から5キロ)の、富岡駅のそばで、津波で全滅した駅前商店街で、3月29日(原発の正面ゲートにまで行った日)に、助け出して連れ戻って、私が、「富岡タマ」と名づけたニャンコ (本名は、「魚八」さんちの みーこ でした) を、見つかった飼い主(二本松市に避難しています)に、郡山の駅で、お返ししました。ニャンコのタマ(メス猫、約一歳)は、私によくなついて、毎晩、一緒に寝ていました。
(転載貼り付け始め)
From:**************
To: GZE03120@nifty.ne.jp
Sent: Tuesday, April 12, 2011 8:53 PM
Subject: みーこ
今日は本当にありがとうございました。 見舞い金まで頂き申し訳ありません。 みーこのこと、とても大事にしていただいた様子が 副島様にお会いしてわかりました。
みーこは本当に強運の持ち主です。富岡の駅前でもみんなに可愛いがられタクシーの運転手さん も横断歩道を渡る みーこを待っていてくれました。二本松で早速、散歩しました。ここは山なので気にいってくれると思います。本当にありがとうございました。
今日は余震がひどかったでしたが、副島様は大丈夫でしたか。又みーこの近況を送ります。 おやすみなさい。
----- Original Message -----
From: "副島隆彦" GZE03120@nifty.ne.jp
To: ****************
Sent: Wednesday, April 13, 2011 6:20 AM
Subject: Re: みーこ
渡辺さま ご一家 と
猫の みーこ へ
副島隆彦から
メールをありがとうございます。
みーこ が 元気で、よかったです。 私とずっと毎日、寝ていました。
この子は、甘えん坊で、大事に育てられていますから、ものおじしないし、他の猫も恐れません。賢いネコです。外の散歩も堂々としていました。みんなに可愛がれてきたのでしょう。私もみーこが、大好きです。 必ず近い将来、会いに行きます。
自動車と新幹線の中では、不安で、鳴いていました。移動が多かったから
疲れているでしょう。 でも、元気な猫ですから、すぐに元に戻るでしょう。
私は、昨日も、あのあと福島第一原発 の正面玄関まで弟子たちと3人で行ってきました。 原発から20キロ地点の常盤(ときわ)地区に居た警察も私たちが、あまりに堂々としているものですから、上の指示をもらって、通してくれました。
他の住民の皆さんも、警察に、泣きじゃくって、ワーワー言って、「自分の家に帰って、荷物を取ってくるだけだ。どうして、自分の家に帰ることさえ出来ないの、と騒げばいいのです。そうすれば、通してくれます。皆、警察だとすぐに、脅えて、丸め込まれるのです。 必死の自分の為に、戦えない、根性無しが多いです。 渡辺様は、海のそばですから、家が全壊していますから、もう帰っても仕方が無いですね。本当に大変なご不幸に遭いました。
計ったら放射線の線量は、さらにどんどん落ちています。 自分で計ってきました。写真やヴィデオも撮りました。みんな、放射能を、もうそんなに 恐れる必要はないのです。 そのことを、まわりの避難者、被災者の皆さんに、徹底的にお伝えください。
※こんなに下がっている!「NHK」の公式ウェブサイトから、各地の放射線量を表したグラフを転載します。(サイト管理者)
(転載はじめ:「NHK」公式ウェブサイト「各地の放射線量」から)
・福島市(3月11日~4月11日)
引用元URL:http://www3.nhk.or.jp/news/genpatsu-fukushima/houshasen/fukushima/index.html
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・南相馬市(3月11日~4月11日)
引用元URL:http://www3.nhk.or.jp/news/genpatsu-fukushima/houshasen/minamisouma/index.html
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(転載おわり:「NHK」公式ウェブサイト「各地の放射線量」から) 地震は、余震がこのあともしばらく続くそうですね。私は地震のことは、予測できません。 しかし、放射能と、原発の事故が、私はもう終息しつつあるのだと、自信を持って断言します。
それなのに 今の日本の指導者たちはだらしない。私は、指導者たちに大きく失望しています。指導力がないものだから、福島県知事もだらしないし、首相以下の政治家 たちも だらしない。
彼らが、もっと体を張って、「もう大丈夫。さあ、日本は、復興するぞ」
と、言って、現地に入って、原発の前から、日本国民に、言わなければ、駄目です。
私、副島隆彦が、そういう役割を果たす時代が来たのかな、とも思います。
私がテレビに出て、「原発事故と 放射能は、もう治まりました。さあ、日本国民は、元気を出して力を合わせて、復興しましょう」 と言おうと思います。
可愛い みーこ (私にとっては、タマです) に必ず 会いに行きますから、その時はよろしく。 お元気でお暮らしください。
副島隆彦拝
(転載貼り付け終わり)
副島隆彦です。以上が、郡山駅の改札口での ニャンコの返還式でした。
私には、地震のことは、分からない。大きいのがまた日本を襲うかもしれない。それでも、日本の建築物の多くは大地震にも耐えられる。 これからもしばらく余震(aftershock アフターショック)が、続くらしい。
昨日も、私たちは、原発から5キロ、10キロ、20キロのあたりをウロウロしていましたが、 震度5ぐらいのが、朝から3回あって、ひとつの震源地は、原発のある 浜通りいわき市あたり)で、私たちがいたすぐそばだったようですが、私たちは、ちっともなんともありません。
地元の人たちは、平然と生きています。 戦場の村のようなもので、村人は、すべての現実を現実として受け容れて、淡々と生きています。
多くの人が、避難所や、親戚の家から、くたびれはてて、「もういい。自分の家に住む。何があっても住む」と決意して帰ってきている。もうどこにも行くところはないのだ。自分の家で暮らすのか、一番いいのだ。たとえな何があってもだ。 私は、彼らの同志である。
私は、20キロ圏のすぐ外の、この南相馬市(みなみそうまし)に 私たちの活動拠点となる家をを見つけようと思う。原発5キロの双葉町(ふたばまち)も、大熊町(おおくままち)も、富岡町(とみおかまち)も、私が、今度行ったら、もう、この 警察の機動隊(昨日は、警視庁の”オニの四機” 第四機動隊だった。4月3日からここにいる、と答えてくれた。)にでも何時間でも、「何で、入れないのだ。国民の為の調査活動だ、言論の自由だ、報道の自由だ(憲法21条)」と、ワーワー喚(わめ)く、私でさえ、入れなくするかもしれない。
みんな、何をそんなに、脅えて、恐れているのですか。私が、すぐに、昨日の原発の周辺調査のヴィデオ映像と、私の話 を今日のぼやきに、載せます(同行したアルル君が、そのように判断しました。彼が、編集長だから、彼の判断に、私でも従うのです)。
私、副島隆彦は、「日本政府は、急いで、原発事故の終了宣言と、安全宣言を、国民に出しなさい。そして、急いで、ゼネコンと土木業者を、東北3県に、数十万人、一挙に投入して、瓦礫の片付けと、国民皆で、復興を始めましょう。」 と、言う。
菅直人総理よ、昨日の、あんな悲痛そうな、深刻そうな演説なんかしているな。飯舘村のものすごく立派な(なんでだ?東電のカネか? 向こうの、あの中学校の立派さは、一体なんだ?) でテレビに映っていた。
なんなら、私が、代わってやろうか。 私、副島隆彦が、日本国の指導者になって、日本国民に、勇気と自信を与えてみせる。 こんな、判断力と、決断力と指導力の無い者たちに、任せていたら、日本は、危機の乗じて、外国勢力に乗っ取られてしまう。この問題は、本気で、そのうち書きます。
このような日本国と日本民族の大きな危機を乗り切る為に、私のような人間を日本国は、準備したのだろう。 私ならやるぞ。
福島第一原発の まん前 から、首相や、県知事が、「もう大丈夫。安心して、皆さん、自分の家(津波で壊れた人たちは可哀想だが) に、戻りなさい。国民、県民が、団結して、日本の復興を急いで始めましょう」と、言わなければ、駄目なんだ。どうして、そうしないのだ。 国民を、不安がらせることばっかりやっていたら、外国勢力の思う壺ではないか。どうして、お前たちは、そんなに臆病者なのだ。 それでは、若い国民を守れないぞ。
私たちは、原発周辺の町を視察して回ったあと、今、話題の飯舘村(いいたてむら)に行った。 「計画的な避難計画で、1カ月以内に移住(どこへ?分からない)」の政府発表(11日)のことで、ゾッとして深刻そうに話し合っている住民たちと、話した。
だから、副島隆彦は、現地で何でも知っている。 「飼っている60頭の牛を置いてゆくことは出来ない。それでも、子供たちの健康が心配だ。ヨウ素はすぐに消えるが、セシウム137 は、半減期が30年だ」と、皆、自分の人生に降りかかったら、凶事だから、よく知っていた。
副島隆彦は、だが、言う。大丈夫。国際放射線防護委員会が、「20ミリから100ミリシーベルト年間総量 までは、(一年間住んでも)健康に影響はない」としている。そのうちの20ミリシーベルト年間総量(20mSv/y) に、日本政府は、こそこそと、数日前に、規制基準を変えた。
それを、さっさと 100ミリシーベルト年間総量 に変えればいいのだ。それだけのことだ。 この飯舘村でさえ、今は、放射能の線量は、たったの 7マイクロシーベルト毎時(7μSv/h ) だ。 私は、自分で実際に、昨日、計ったから知っている。福島県の原子力災害対策本部 の発表している数値と、一緒だ。
これぐらいの超微量(ちょうびりょう、ちょびっと、ちょっと)の放射能ぐらい どうと言うことはない。子供にも大丈夫だ。1年間でも、積算で、10マイクロシーベルト毎時を、24時間 かける 365日 とすると、 87.6ミリシーベルト年間総量( 87.6mSv/y)だ。 さっき書いたとおり、国際放射線防護委員会(ICRP)の 安全数値の上限の、100ミリシーベルト年間総量 よりも下だから、大丈夫、健康に生きてゆけます。
こら、武田邦彦(たけだくにひこ)。あなたは、大変優れた、長年の気合の入った、反原発の学者なのだ。それが、あなたの仲間である国際放射線防護委員会(ICRP)が、100ミリシーベルト年間総量なら、健康に問題ない、大丈夫(とまでは言わないのか?) と言っているのに、あなたが、「1ミリシーベルト年間総量以上は、危険、危険。長年、この基準を私たちたちは守ってきた」と、 頑張るものだから、日本国民が、困るのだ。
福島の現地の 避難民(避難者)たちが、地獄の苦しみを味わっているのだぞ。
小出裕章(こいでひろあき)京大原子炉実験所で、長年、「原発は危ない」と正しく主張してきて、ずっと冷や飯を喰って、長年、助教(じょきょう)(専任講師より 下の国立大学教官)にしか、なれなくて、怒りが積もっているのもだから、今中哲二(いまなかてつじ、この人も、「助教」)ら、(大阪府の南部にある)熊取(くまとり)町の ”反原発六人衆(はんげんぱつろくにんしゅう)”と呼ばれているそうだが、あなたたちが、あんまり厳しい、基準を言い続けて、「危ない、危ない、ストロンチウムが出た。再臨界だ。プルトニウム(超ウラン)も出た。水蒸気爆発の可能性あり」と、言って、日本国民を、「不確かなことに関しては、慎重であるべき学者の態度」で、脅(おど)すものだから 、だから、こういう悲惨な状況が続くのだ。
広瀬隆とも、私は、きちんと話したい。
あんまり、危ない、危ない、ばかり言うな。日本人を、原発危ない病で殺す気ですか。
私は、40年前から、全国各地で、まじめに反原発の反対運動をやっていた、篤実な、冷や飯食いの、主に、地方国立大学の物理学者たちで、全く出世しなかった(助教授、教授になれなかった。かわいそうだ。一番、偉い人たちだ)人たちを、たくさん知っているぞ。私は、40年前の 17歳の時から、全国の反原発の集会に、ずっと出てきた人間だ。 私、副島隆彦を甘く見ると、すべての真実を、明らかにする。 京大の原子炉実験所にずっといて、それなりに、あなたたちは、いい思いをしたではないか。 私は、何でも知っているぞ。 今こそ、私、副島隆彦が出て行って、あなたたちを説得する。
日本国民を、あんまり、脅(おび)えさせるな。これ以上、かわいそうな福島県人を、いじめるな。
原発推進派の 犯罪性のある、東電から、たくさんのお金を貰ってきた、原子力委員会、安全委員会の委員もずっとやった、 東大教授やらの、いい思いを、長年してきた 馬鹿( 小宮山宏 以下、200人ぐらい)は、今、地獄の苦しみを味わっている。針のむしろだ。だから、おびえまくっている。 それで、「今でも厳しい基準を維持して、このあと、5年後に癌が発生したときの政府の責任と、自分たちの責任を逃れよう」という、浅ましい根性で、この者たちの腐った根性は、治らない。 やはり、この者たちと、愚劣な原発官僚たちは、アメリカの手先の財務・法務官僚たちと並べて、縛(しば)り首にすべきか。
今の、菅首相の横の、保安院の御用学者たちは、自分たちの責任の重さで、おびえまくっているので、 さっさと、ICRPの 最低限の安全基準(規制値)である、 20ミリシーベルト年間総量 に、勝手に、数日前に、基準値を、こそこそと、泥縄で、変えた。それまでは、武田邦彦氏と同じ、1ミリシーベルト年間総量( 1mSv/year ) という、とんでもない、厳しい、信じられないぐらいの、超微量の基準値なのだ。
だから、御用学者たちは、武田や、小出が、自分たちを刺しに来るのが、恐いものだから、「今後は、20ミリシーベルト年簡総量 以上は、危ない、危ない」として、それで、30ミリシーベルトになっている、飯舘村や、浪江町、川内村、川俣町の一部、の人たちの、恐慌状態の悲劇を、今、生んでいるのだ。
(転載貼り付けはじめ)
●「被曝限度量の緩和提案 国際放射線防護委、移住回避促す」
2011年3月26日 朝日新聞
http://www.asahi.com/national/update/0326/TKY201103260337.html 国際放射線防護委員会(ICRP)は、原発事故などが起きた後に周辺に住む人の年間被曝(ひばく)限度量は、2007年の勧告に基づき、 1~20ミリシーベルトの範囲が妥当とする声明を発表した。日本の現在の基準は、一律に1ミリシーベルト。福島第一原発事故の影響が収まっても、 放射能汚染は続く可能性があると指摘し、汚染地域の住民が移住しなくてもいいよう、日本政府に配慮を求めた形だ。
ICRPは専門家の立場から、放射線防護に関する勧告を行う組織。声明は、21日付で発表された。
07年の勧告では、一般の人が年間浴びてもいい放射線量を三つの範囲で設定。緊急時は20~100ミリシーベルト、緊急事故 後の復旧時は1~20ミリシーベルト、平常時は1ミリシーベルト以下とした。
今回の声明はこの勧告を紹介したもので、原発事故の影響を受けた地域に住民が住み続ける場合は、1~20ミリシーベルトの範 囲内で検討するという考え方を紹介した。この地域も、長期的には1ミリシーベルト以下にすることが目標だとした。
ICRPは通常、各国の個別事例については言及しない。しかし今回は、「日本で起きた悲劇的な出来事に、深くお悔やみ申し上 げます」と述べる異例の内容となった。
福島県南相馬市の25~26日にかけての1日の放射線量は計0.028ミリシーベルト。1ミリシーベルトを基準とすると、約 1カ月で超えてしまう。現在の線量が続くと仮定すると、年間総量は約10ミリシーベルトのため、20ミリまで引き上げた場合は、 移住の必要はなくなる。
一般的に放射線の被曝量が100ミリシーベルト以下なら、健康への影響は心配ないとされている。
日本アイソトープ協会の佐々木康人常務理事は「ICRPの基準はもともと、余裕を持って設定している。日本の基準はさらに、 厳しめの数値を取っている。1~20ミリシーベルトという数字なら、健康に全く影響はない」と話している。
(転載貼り付け終わり)
このことを、これから何度でも、私は書いて、話して、皆さんを、そして国民を私は、説得する。 私たちは、「風の谷のナウシカ」なのです。超微量(ちっぽけ)な放射能の中で、健康に生きてゆける、世界に冠たる、強い国民なのだ。私たちは、強くなるのだ。 2000ベクレル(野菜1キロ中)ぐらいのヨウ素、セシウム、ストロンチウム など恐くはない。
副島隆彦は、このことで、すぐに、もっと皆さんを説得するように、書きます。待っていなさい。 皆さんを、説得しつくすまで話します。
私でも、原発事故が、勃発した3月12日から16日までは、本当に日本に高濃度の放射線が拡散して、東京の空が覆われる、と本気で心配した。しかし、私は、国民決死隊を組織するべく、司令官(コマンダー)となるべき人間であるから、自ら、3月19日に、原発の前にまで言って、放射線量を測った。
そしたら、なんと、たったの 15マイクロシーベルト毎時(15μSv/h、超微量 )しかないことを現場で確認した。私は、拍子抜けした。私は、せめて 100ミリシーベルト毎時 ぐらいのヒドサはあるのではないか、と思っていた。それなら、東京も放射能の雨で壊滅だな、と、ひどく恐れていた。ところが、たったの15マイクロシーベルト毎時だったのだ。 だから、私は、歓声を上げた。日本は救われた。日本人は、救われた。地獄の釜から逃れた、と、分かったのだ。
だから、私は、原発から8キロの地点から、「日本は大丈夫だ。原発事故とはたいしたことはない。日本国民は地獄の淵(ふち)から救われた」と、第一報した。 そして、すぐに、「ははあ。アメリカの最高指導者層は、3月17日には、グローバルホーク無人偵察機を事故の現場の1号機と3号機の真上に飛ばして、真実をいち早く、知ったな」と 推断して、そのように書いた。 だから、18日から、株が上がりだした。
17日の夜に、G7で 協調介入して米ドルの暴落(1ドル76円にまで急落した)を防いだ。 そういうことなのです。 私が、ずっとそう書いてきたでしょう。
ですから、3月17日から、放射能の線量も、福島県全域、として、日本全国で、どんどん減り続けているのです。 そうでしょう。 だから、本当に危なかったのは、3月11日から15日までだ。あのときに、4つの原発すべてで、予定通り、水素爆発があったのです。
すべては、GE(ジーイー)製の緊急の冷却装置が、地震で壊れたからだ。やっぱり、GEに全責任がある。私、副島隆彦が、このことを言い続けると、アメリカ政府とGEと、その日本の手先の原発推進人間たちが、脅える。私は、この態度をずっと貫く。
だから、3月17日からは、あとは、もう大丈夫だったのです。だから、もう安心しなさいって。 これだけ、副島隆彦が言っても、会員の一部の皆さんは、不安ですか。いいでしょう。不安がって、遠くから、知ったかぶりの、他の日本のアホ知識人層並みの、不付和雷同と、一喜一憂を、あと、数ヶ月、数年、やっていなさい。
私たち本物の学問道場会員と、日本最強の思想戦闘集団は、そういう、脅(おび)えまくった、弱虫の態度は、取らない。 私たちは、戦って、戦って、戦い抜くのです。
我々、学問道場が、日本で一番、思想的にも知識の面でも、一番強い集団に急いで成長しなければいけない。
以下の 西村肇(にしむらはじめ)先生や、下條(げじょう)君(公立の大学の物理学の教授)たちの、「原発事故で、放出された放射線量の全排出量」の論文を、何度でもしっかり読みなさい。
私たち日本国民は、大丈夫です。復活してゆけます。ただし、どうも、この日本の国難に乗じて、外国勢力が、日本を実質占領して、直接支配に置こうとする動きがある。
日本の国家戦略家であり、 最強の思想戦闘要員(ポリティカル・ソート・ファイター、あるいはウオリア )である、副島隆彦が、この分野(フィールド)の専門家であるから、私が、全能を使ってこの危機を乗り切ります。
保安院と、日本政府が、馬鹿だから、「チェルノブイリ事故の10分の1の放射線量が放出された。事故レベルは、チェルノブイリと同じ7 」などと、嘘ばかり言って、不安を煽るから、こういうことになって、日本国民が 青ざめて、脅えるのだ。
今度の福島原発事故は、「事故レベルは、5 悪くても 6弱(マイナス)」とすべきなのだ。西村肇東大名誉教授が、算定したお降り、「チェルノブイリの10万分の1、100日でも、1000分の1」なのである。 みんな、安心しなさい。まず、学問道場の会員たちが、安心しなければ、それ以外の あまり知的でない 日本国民を安心させることができない。
みんな、もっと安心しなさい。そして、腹を決めて、もっと強くなりなさい。私たち日本人は、襲い掛かってくる大天災 と 大人災 の両方に 負けない。
日本国、万歳。日本国民の団結、万歳。
副島隆彦拝
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(転載終わり)
アルルの男・ヒロシです。以下は昨日撮ってきた写真の一部です。写真をとったのは古村さんです。
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写真解説:都路村(みやこじむら)というところに4月3日から開設された、警視庁機動隊による20キロ圏内への封鎖・検問ゲート。本日発売された写真週刊誌「フォーカス」(新潮社)にも書かれていますが、住人であれば無理に通さないということはありません。
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写真解説:双葉町の第一原発正門前に向かう途中で見かけた「安宿」の看板。双葉町はゴーストタウンでしたが牛丼やカラオケなど周辺の村にはないお店が多かった。
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写真解説:現在事故を起こしている1号機から4号機が外から見える場所はありませんが、5号機、6号機は近くの民家周辺からでもこのように良く見えました。(望遠レンズで撮影)
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写真解説:双葉郡浪江町請戸(うけど)で副島先生が野良犬にパンを与えている最中に余震(震度6)が起きました。津波で町がなぎ倒された地区だったので怖かった。
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写真解説:相馬市の松川浦の海岸から少し離れた住宅街。爆撃後のイラクかアフガニスタンのような光景が広がっていました。
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写真解説:このように猫のみーこは飼い主の一家のみなさんのもとに帰りました。
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写真解説:もう1枚。富岡タマ(みーこ)の返還式の様子。
以上です。次回は「ロン・ポール本」(『他人のカネで生きているアメリカ人に告ぐ』)の訳者である、佐藤研一朗さんのレポートを載せます。よろしくお願いします。
アルルの男・ヒロシ(中田安彦)拝
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