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「母さん用意してくれた舞台…」負けないで、東京で吹く(2/2ページ)

2011年5月15日12時3分

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写真:放課後、吹奏楽部員とともにトランペットの練習をする佐々木瑠璃さん=13日、岩手県大船渡市、森井英二郎撮影拡大放課後、吹奏楽部員とともにトランペットの練習をする佐々木瑠璃さん=13日、岩手県大船渡市、森井英二郎撮影

写真:4月11日、岩手県陸前高田市の自宅跡で、海に向かってZARDの「負けないで」を吹いたあと、祖母が買ってくれたトランペットを抱きしめる佐々木瑠璃さん(17)。この写真が12日付の朝日新聞(東京本社発行)に載った=森井英二郎撮影拡大4月11日、岩手県陸前高田市の自宅跡で、海に向かってZARDの「負けないで」を吹いたあと、祖母が買ってくれたトランペットを抱きしめる佐々木瑠璃さん(17)。この写真が12日付の朝日新聞(東京本社発行)に載った=森井英二郎撮影

 市嘱託職員の宜子さんは、避難所となっていた市民会館で被災者の世話をしようとした時、濁流にのまれた。

 「現実を受け入れられなくて」と瑠璃さん。空っぽの心で天井を見つめる夜が続いた。3月16日に宜子さんの財布、翌17日に遺体が見つかった。布団に潜ると涙が止まらなくなった。

 29日に火葬が終わった。気持ちに区切りをつけるため、宜子さんが好きな「負けないで」を遺骨に聴かせようと思い立った。

 「私はホルンを吹いていたのよ」。瑠璃さんが9歳で小学校のバンドに入ってトランペットを始めると、宜子さんはうれしそうだった。今も使う楽器はその時、祖母の隆子さんが「ずっと続けてね」と買ってくれたものだった。

 2人は演奏会に熱心に来てくれた。「すごくよかった」「次も頑張ってね」。演奏が終わると、宜子さんは必ず声をかけてくれた。

 身を寄せる親戚宅から自転車で往復3時間かけ、学校へトランペットを取りに行った。久しぶりに吹いた音色は「初心者みたいにフラフラ」。これでは聴かせられないと、練習して迎えた4月11日だった。

 最近、やっと寝つけるようになった。徐々に、こう思えるようになった。

 「亡くなった幼なじみがいる。両親を失い、転校した友人がいる。それに比べれば、私なんて……。この体験を語り継ぐ責任があるような気がするんです」

 参加を決めたコンサートも「お母さんたちが用意してくれた舞台なのかも」。

 将来は医師になりたいという。「最初は獣医師に憧れたけど、今の目標は救命救急医。人の命を助ける仕事をめざします」

 コンサートは新宿区の東京オペラシティで、午後7時開演。入場料5千円。収益は被災地の学校への楽器提供などに充てられる。問い合わせは実行委員会(03・5449・1331)へ。(中川文如)

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