●自由報道協会ってナニ?

ちょっとショックな事件がおきた。いまだに脱力感が残っている。知り合いに、これから書くことを電話で話したら、ツイッターでつぶやけば、といわれた。私はあまりツイッターが好きではない。ピラミッド型だからだ。が、書けば少しは脱力感から解放されるかと思い書くことにした。が、ツイッターでは字数制限があるから、ここに書いてリンクを張ることにする。

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戦時中の「大本営」を髣髴させる「福島原子力発電所事故対策統合本部」が、これまで関係者(東電、原子力安全委員会、原子力安全・保安院、文部科学省、政府など)がバラバラに開いていた記者会見を一本化して、25日に“大本営発表”を東京電力3Fで行うことにした。

これに伴い、 会見への出席を希望する記者に対し、メールによる書類送付を義務付け、同統合本部が、これを“審査”する事前登録制を敷いた。

平等党報道部は、これまで東京電力本店で開かれる記者会見にたびたび出席し、極めて対決色の強い、厳しい質問を繰り返してきた。
たとえば地震直後のプラント・パラメータをどうして出さないのかという質問が、それである。
公表しているプラント・パラメータは3月11日19時30分から始まっている。これは地震が起きた14時46分から起算して5時間近くたってからの数値である。この間に何が起こったかは、事故が地震でおきたか津波で起きたか(東電は津波で起きたとしている)を判断するなかで、責任度の重軽を判断し、事故対策を練る上で、また事後の補償問題においても大変重要な情報だが、これを公表していない。
また4月11日に東電が公表した敷地内の総放射能量の中で「その他核種」の明細がないことを指摘。この内訳が危険性の想像と、その時点で炉内で起こっていること、そしていま起こっていることを推測する上で大きな手がかりになるからだ。しかし、この両方ともいまだに公表されない。少なくとも公表していないこと、公表しようとしないことを明確にしただけでも意味はあると考えている。

ほかにも多々あるがおいておくとして、しかし、いかに厳しい質問をしようと、質問者と被質問者の間がその分、険悪になるだけかと言えば、そうでもない。
逆にある種の信頼関係ができることもある。お互いに個人の利害を超えて真剣に質疑に没頭すれば、そこに無視できないものがお互いに芽生える。そこが人間関係の不思議なところである。
たとえば、プラント・パラメータのデータ公表について、これは3月11日から毎日、数十分おきのデータが出てくるが、毎日3月11日からのものが毎回、毎回重複して出てくる。
「これは(紙の)無駄だから、新しいものだけを公表すれば済むのではないか」
といったら、数日後から、それまで数枚にわたっていた資料が一枚になって、新しいデータだけが出るようになった。こうしないと、資料が際限なく増えていくからいつかはそうしなければならなかったことではあろうが、私の意見がいくらかでも作用したと思っている。

ほかにもいくつかあるが、本題とかけ離れるので割愛する。
そのような関係性を無視して、このほど統合本部が勝手な“審査”に基づいて、私を排除したことは、明白な報道管制であり、表現の自由を真っ向から踏みにじるものであると認識している。これまで「表現の自由」は、映画などの文芸面で語られることが多かったが、むしろ今回のような報道管制こそ、表現の自由を阻害する本丸であると考えている。“審査”されるべきは報道者ではなく、統合本部である。これを記者会見の場で質すべく、不本意ながら、メールで事前登録制が要求する資料を送った。

すると追加資料を要求するメールが送られてきたので、再度不本意ながら要求するデータを送った。すると、まだ不十分であるとして具体的な資料の内容も指定しないまま「追加的な情報」の送付を要求するという、嫌がらせにも似た悪質な内容のメールを送りつけてきた。

もはやこれは体のいい拒絶であると判断した。よって、以下の内容のメールを返した。

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これ以上の「資料」提出を拒否する。
以下に示すメールは某MLへの投書であり、「資料」提出を拒否する主旨である。

保安院、東電、内閣で構成する「統合本部」、すなわち大本営が決めた要綱に沿い、共同記者会見を申し込んだところ、2度にわたって、追加「資料」の提出を求めてきた。
これまで主催者側の事務的手続きに過ぎないと良心的に解釈して、2度にわたって資料を提出してきたが、ことここに及んで、単なる事務手続きではなく、明らかな「審査」であることが明白になったと判断した。この「審査」は、記者選別であり、明白な差別である。いま「審査」されるべきは報道者ではなく、保安院であり、東電であり、為政者である。
この上は、「審査」に応じることでその正当性を認めることをせず、再度の資料提出を拒否し、それに代えて、抗議声明を発するつもりである。
自由報道協会の会員の中には、会見への出席を「却下」されたものもあるようだ。そして、それに対する抗議活動があり、「出席が可能になった」ことにとりあえず、胸をなでおろしているようにも見受けられる。無論彼らは会見の場で、この記者選別と差別を追及し抗議するだろう。それはそれでひとつの方法だ。
しかし、私は「資料」の提出を拒否し、こうした記者選別と差別のありよう自体に抗議したいと思う。
このような記者選別と差別自体が、記者に一喜一憂を起こし、温度差をもたらす。これが、記者間の分断効果を醸成することは明らかであるからだ。
田中 昭
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しかしその一方で、保安院からはこのやり取りとは別の、こちらが連絡先として登録したメールに「未設定」なる件名で、以下の内容を送ってきた。

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福島原子力発電所事故対策統合本部の共同会見のご案内
報道関係各位  本メールは、福島原子力発電所事故対策統合本部の共同会見に、事前登録いた だいた方にお知らせしています。
・4/25(月)の共同記者会見は、17時開始の予定です。
・受付は、15時から、東京電力本店の正面玄関口にて開始いたします。
・本メールには返信できませんのでご了承ください。
以上
福島原子力発電所事故対策統合本部
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件名はともかくとして、内容はどのように読んでも出席を承諾するメールのように読める。なので、このメールを証拠物件として携帯に転送して会見場に出向いた。

すると、保安院の担当者(金城慎司氏)はメールを見て「手違いで送ってしまった。引き続き資料の提出をお願いします」として、入場を拒否した。

さて、ここからが本題である。

私と保安院が「入れろ、入れない」で押し問答をしているとき、たまたま会見場へ向かう自由報道協会の岩上安身氏が通りかかった。私は大きな声で
「岩上さん」
と呼ばわった。振り返った岩上氏に私は事情を話した。すると岩上氏は、保安院の金城氏に向かって「入れてあげてくださいよ」と言った。
そこで私は岩上さんに、
「いや、そういう言い方は止めて下さい。審査されるべきは統合本部であって私ではないのだから、お願いベースは止めて下さい」
と言った。それに、やけに上から目線だし、保安院と仲がよすぎるではないか。
すると岩上氏は、
「じゃあ、なぜ私に声を掛けたのか?」
というので、
「それは同じ自由報道協会の会員として相談したかったからです」
と答えた。
すると岩上氏は、
「会員て、誰が?」
と言った。で、私は、
「誰って、もちろん私です」
すると岩上氏は、
「あなたは会員ではない」
と言う。
「だって、入会申込書に名前を書いたし、その後、記者会見の予定がメールでずっと送られて来てるじゃないですか」
と私。すると岩上氏は、
「発足時の会員以外、いまは新会員は入れてない」
という。つまり、同じ会見に出ていても会員とそうでない者とがいるということだ。
私は愕然とした。そんなバカな、と思った。

だって、記者クラブの閉鎖性を批判して、開かれたメディアを標榜して作られたのが自由報道協会ではなかったのか?

自分たちだけ高みに登れば、後続は切ってもいいのか?

いったい会員と非会員はどう違うのか。

協会にとってどんなメリットがあるのか…

それじゃ、あの記者クラブ批判は批判ではなく、ただのヒガミではないか。

自由報道協会のある記者は、記者クラブ会員が東電の大方の費用持ちで中国旅行に行ったことを記者会見で批判していたが、あれは「俺たちも連れて行け」ということなのか?そういう論理につながるではないか。

ドーリで、自由報道協会主催の記者会見に限って、手を上げてもほとんど指名してもらえず、決まりきった顔ぶればかりが質問に立つ状況が続いていたわけだ。私はただの“にぎやかし”に過ぎなかったのだ。そりゃそうだ。閑散とした会見では、会見をやろうという者もいないだろう。 自由報道協会の会員にとっては私は“枯れ木も山の賑わい”の一部に過ぎなかったということだ。そしておいしいトコだけは持っていく、ってか?

以上が顛末だ。岩上氏は自由報道協会の有力者だが、彼の言動が即、自由報道協会の見解だとは思わない。できれば岩上氏の個人的な見解であり、勘違いであることを祈りたい。

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