2011年05月01日

青春リアルに出てた発達障害者達を見て、思った事。

青春リアルで、
発達障害と睡眠障害の人が出てるんだけど、
何ぬるい事言っとんねん、だわ。

発達障害の人は、
大学院まで出ているし、
青春リアルに出演しているのを見る限りでは、
ちゃんとしている人に、俺には見える。

この人を、
障害を持つ人、病気を抱えている人に、認定してしまえば、
世の中の、ほとんどの人が、病気である。

私なんて、確実に、病気である。
末期の病気である。
人格破綻者、きちがい、である。
俺自身は全くそうは思っていないけれども、
社会や世間からすれば、俺なんて、アブないでしょ。
いい歳なのに、定職就かずに、出馬してさ。
それなら、まだしも、主張している事が、これまた、ぶっ飛んでいる。
コイツ(後藤輝樹)は何かしら、障害があるんじゃないかと思われても仕方がない。
俺はガキの頃から、
シンタイだとかシンショウだとかヘンタイ、キチガイ、キモイ、クスリやってるとか言われてきました。
僕はポジティブなんで、それをオイシイと思って生きてきました。
ツライとも思わなかったですし、
ましてや自分に障害や病気があるとは思った事はありません。
むしろ、そういう風な扱いをされたおかげで、プラスだった事はたくさんあります。
友達も彼女も出来ましたし、非常に楽しいティーンエイジャーを過ごせました。
というか、ぱっと思うだけでは、まるでプラスしかなかったです。
こういう自分がアンフェアだとは全く思いませんでした。
気持ちの問題だと思います。

例えばですけど、
アルバイトとかでも、
ミーティングとかで皆がきちんとメモ書きしてる中、
自分は皆と同じようにメモをする事ができず、
かわりにボインの絵を書いて、
隣の人だけに見えるように見せて、
隣の人のメモ書きを邪魔をしてしまう始末です。
時には、
隣の人が真剣にメモ書きしている上から鉛筆でグチャグチャに書いちゃう事もあるでしょう。
それでも成りたっています。
へへへへー♪です。
自分はメモしないけど、
他の人とコミュニケーションをとって、
教えてもらう能力があったから成り立ってるようです。
皆がやってる作業を自分ができないなら、他で補えばいいと思います。

青春リアルの発達障害の人は、
「皆が出来る事を、私は出来ない、だから、障害を私は持っている」と主張する。
それに対して、
青春リアル内でも、
「誰だって上手く出来るわけじゃないよ。皆、そうなんだよ。」
と優しく反論すると、
発達障害の人は、
「私の出来ないというレベルはそんなもんじゃない。」とキツメに反論する。

睡眠障害の人は、
朝、起きるのが苦手で、
「私だけ遅刻を大目に見てくれないか」と主張する。

これに関しても、
起きるのは誰だってきついし、睡眠だって充分にとりたい。
それを無理矢理起きているのである。

俺なんて、特にそうだ。
自分も、そういう病気なんじゃないかと思うくらい、眠い時がある。
学校だって、遅刻の方が多かった。
でも、俺は自分で、病気だから、優しくしてください。なんて言わなかった。
それは、違うと思ったから。
眠いなら、寝る時間を早くすればいい。
朝がダメなら、夜型の生活にすればいい。
できないなら、別の何かで補えばいい。

青春リアル内で、
遅刻してダメな奴と思われたくないならば、
掃除とかクラスの雑用とかをして、
睡眠障害とは関係ないところで頑張るのも一つの案だよ的な事を言うと、
発達障害の人が横から援護に入った。
「ただでさえ、遅刻で勉強が遅れているのに、クラスの好感度を気にしなきゃ皆にお許しを頂けないの?」と。

正直言って、
俺は、この二方を障害者だとは認めない。
認めてしまえば、多くの人間が障害者になってしまうからだ。

人間、皆、出来不出来、得手不得手ある。
その範疇に収まる範囲のものである。

その範疇に収まるものではないと、
発達障害の人は、主張するけど、
世の中には、手や足が無い人だって、いる。
脳に障害を持っている人もいる。
そういう方たちがいる中で、
この程度の発達障害、睡眠障害を障害と認定するのは、俺は違うと思う。

人間、上を見ても、下を見てもきりがない。
比較は客観性を見るために有効的な手段であるけれども、
必要以上に、比較しても、しょうがない。

この青春リアルに出ている発達障害の人なんか、
「好感度気にしなきゃ、皆のお許しを頂けないの?」
「身の程わきまえて腰を低くして生きろっていうの?」
という切り返しができるくらいだ。
世の中で生きる強さ、技術を充分有していると俺は思う。
この人は、自分の不得意な分野で何としてでも勝とうとしているように、
俺には見えた。
先ほども言ったが、
人間には得手不得手があるので、
短所を気にするより、長所を伸ばせばいい。
そういう風にして、
世の中、生きている人は、たくさんいるよ。
この、発達障害の人が、今の職場で、皆が出来る事を自分は出来ない、だから、自分は障害者だと主張するならば、
その前に、自分が活かせる職業は何かを考えて、そういう職場に就くか、作ればいい。
俺だって、そうだ。
俺なんか、この人が発達障害なら、完璧に俺は発達障害だ。
この人は大学院まで出てる努力家だけど、
俺は、それが出来なかったし、会社勤めにも適応できない、社会不適合者だ。
それでも、俺は、自分の事を障害を持った人間だなんて思った事は一度もない。
それは、俺は、俺が好きだからだ。
出来ない自分を見つめるのではなく、出来る自分を見つめて上げればいい。
見ていて、二人ともプライドが高すぎるんじゃないかなと思った。
俺も小さい頃そうだったけど、
「笑い」と出会って、
開き直る事で、自分の長所を活かせるようになったよ。
君らは、「それ」から逃げて、開き直っていないだけに、俺には見える。
人間なんて、
比較してしまえば、
それこそ自己嫌悪に陥る事この上なしだ。
人より秀でている所が一点あれば、マシな方だ。
俺は、勉強が出来たから、
それに笑いをミックスさせて、
人を笑わせる事で、現状を打破してきた。自力でこじあけてきた。
そういった積み重ねが、少しずつ自信を形成して行くから、
まずは、そこからだよね。

あと、
発達障害の人が、
「障害を持つ人は腰を低くしなきゃいけないの?」と言ってたけど、
そんな事を思っている人間は、まず居ない。
ただ、
何かしてくれたら、お礼を言う。
これは健常者、障害者かかわらず当たり前の事だ。
なので、
障害者だから、何かしてくれて、当たり前だという意識は、おかしい。
つまり、
この人は、
発達障害以前に、
性格とか人格的なものに障害があるのである。
ただ、
そういった人は世の中にはたくさん居て、
それでも社会は成立しているのである。
人間は多少なりとも人格的な障害を抱えて生きているものである。
それを障害者と決めつけてしまうと社会は成り立たない。
普通であれば、
子供の頃に、
家族や、学校で友達や先生と関わるうちに、
人格的な障害が削れていくのだが、そうならない人もいる。
障害を削るためには、開き直って、家族や友達とかとぶつかる必要がある。

それは、
大人になってからでも可能である。
ウチの親も、俺とぶつかる事で、成長したし。
職場とかでもさ、意見をぶつけて、人格的な障害を削ればいい。
そうしない限り、ずっとそのままだよ。

私は、この作業は苦手なので、こちらをやらせてください。とかさ、
これなら、自信があるので、やらせてください。とかさ、
言えばいいんだよ。
そりゃ、たくさん失敗する事もあるだろうけど、
成功なんてもんは、失敗の山の上に、わずかな成功があるんだよ。

青春リアルの発達障害の人は、
プライド捨てて、雑用や電話取りの仕事ばっかりやっているって言ってるけど、
そんな意識じゃいつまで経ってもかわらない。
プライド捨てたと思っているだけで、プライド捨て切れてないから、
そういう意識でやっているのだ。
だって、
雑用や電話取りの仕事を低く見ているから。
自身が仕事に優劣付けているんだから、自身が優劣付けられて当然だよね。
雑用だって、電話取りだって立派な仕事だし、
それしか出来ないなら、その道のプロになればいい。
雑用や電話取りでは誰にも負けない、私は一番だ。ってやればいい。
そこから次の山が見えてくるわけよ。
雑用や電話取りも重要な仕事だぜ。
コールセンターとかに電話するけど、
その電話番の感じで、その企業の良し悪しが決まるぜ。
そのくらい重要な仕事だから、
私は使えない人間だから、
いつまでも電話番や雑用の仕事しかない、っていう思考から治せ。
雑用でも何でも仕事があるだけ、うらやましいわ。

「社会」でさ、
生活する上で、
障害者ですと名乗った方が生きやすい場面もあるかもしれないけども、
安易に名乗ると、「世間」では逆に生きにくくなる事は理解しておいた方がよい。

俺の身近な人間でも、
睡眠障害を主張していた人間がいたが、
普通に暮らしているし、普通に生活している。
俺よりも良い暮らしもしている。
(つまり、俺よりも社会に適合して勤労している。)
その人と接してて、
俺が思った事は、
人格に一部歪みがあるなと言う事、
(人に対する悪意、被害妄想。多数の過去への執着。コミュニケーションの欠如。)
プライドに無頓着に見えて実はプライドが高そうに感じたという事。
(控えめな人間に見られがちだが実は野心的であり一方で評価されていない事への苛立ち。)
僕と話している内に、その人の歪みが改善されたと俺は思った。
俺の勝手な解釈ですけど。
そういうね、自分の本当の胸の内を話す人(友達とか)が居れば、
発達障害とかそういうのは無くなると思うんだよね。

最近、NHKで、
理解されない病気、「発達障害」系を取り扱った放送を目にする。

発達障害が障害者として認められて、
福祉が手厚くなったりするのであれば、
主張すればおそらく発達障害として認定されるであろう俺としてはメリットがあるのだが、
そんな社会を形成するのは、直感で、俺はヤバイ、おかしいと思うから、
発達障害的なものを障害、病気であるというのに、俺自ら反対したい。

前にも、
コレ系の事を書いたと思うんですけど、
社会的、世間的に、
発達障害者と近い立場に居る俺だからこそ言いたい。
成功者や裕福な立場の者としてではなくね。

俺は、
発達障害や睡眠障害だと主張して甘ったれている人に、
強く生きてもらいたいと思っているから、
批判を覚悟であえて言っている。

それを、うるせーバカ野郎と、とるか。
そういう考え方もあるのか、ととるか。
君次第である。
posted by てるき at 11:39| 神奈川 曇り| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする