きょうのコラム「時鐘」 2011年5月15日

 この震災前まで、あまり好きになれなかった言葉に「ひとり一人が自分の問題として」というのがあった

きれい過ぎる。敗戦直後の「一億総懺悔(ざんげ)」のようで、反省どころかだれも責任を感じないことになる。一人一人に責任がないではないが、本当の責任がどこにあるのかをうやむやにしてしまう

だが、この災害を目の当たりにすると、本当に、ひとり一人が震災を自分のことと考えないと、被災者支援も復興も前に進まないことを痛感する。その一例が、原発停止で迫る夏場の省エネ生活だ。大工場の節電も大事だが、ひとり一人の実践がないと日本は大混乱に陥る

「村祭りの酒」の逸話がある。一軒一軒がコップ一杯の酒を持ち寄って樽いっぱいにした酒を神社に供えしようと衆議一決した。ところが、蓋を開けると水だった。自分一人ぐらい水をいれても分かるまいと全員が水を入れた結果だった

ひとり一人が本気にならないと全体の力にならない。強制はしない。やり方はそれぞれ自由でいい。庭先にすだれをかけ、うちわを使う。乙な生活ではないか。まず、わが家からやってみたい。