「マルクスは、彼の理論が『その本質上、批判的、かつ革命的である』点に、この理論の全価値があると考えていた。そしてのちにあげた特性は完全に、また無条件にマルクス主義に固有のものである。なぜなら、この理論は、近代社会におけるいっさいの形態の敵対と搾取を暴露し、それらの形態の進化をあとづけ、それらが経過的な性格のもので他の形態への転化が不可避であることを証明し、こうしてプロレタリアートにできるだけすみやかに、またできるだけ容易にあらゆる搾取を清算させるために、プロレタリアートに奉仕することを自己の任務としてはっきり提起しているからである。
 あらゆる国の社会主義者をこの理論に引きつけている打ちかちがたい魅力は、まさに、この持論が厳格な、最高度の科学性(それは社会科学の最近の達成である)と革命性とを結合しており、しかも偶然的にではなく、たんにこの学説の創始者が学者の資質と革命家の資質とをその一身に結合しているだけでなく、その理論そのもののうちに、内的に、かつ不可分にそれを結合していることにある」(レーニン)

・・・・序にかえて・・・・

【1】

 マルクスは、彼の理論が「その本質上、批判的かつ革命的である」とのべている。この理論は、「すべての相容れない諸傾向の総体を研究し、それらを社会の種々の階級の正確に規定されうる生活=および生産関係に遡及し、個々の『支配的』諸理念を選びだしたり解説したりする場合の主観主義や恣意を除去し、かつ例外なくすべての理念およびあらゆる種々の傾向の根底を物質的生産的生産諸力の状態において指摘することによって、社会的=経済的構造の発生・発展・および崩壊の過程の、総括的・全面的な研究への道を示した」(レーニン)。
 マルクスは、資本主義社会の一切の形態の敵対と搾取とを暴露し、これらが一時的、経過的なものであり、資本主義社会の社会主義社会への転化が不可避であること、そしてこの転化が労働者階級の階級拡闘争に依存していることを明らかにした。したがって、マルクス主義は、労勧者が資本主義社会の一切の搾取と抑圧を一掃するために、労働者階級の要請にこたえることをその任務としている。
 マルクス主義の理論は、社会生活の本質をつかみ、社会全体を把握する唯一の科学的に基磋づけられた理論である。

【2】

 マルクス主義者は、社会主義の三つの闘いの一つとして、政治闘争、経済闘争と並べて理論闘争をおき、その独自の意義を強調してきた。エンゲルスは、19世紀後半のドイツ労働運動の発展を「理論的方面、政治的方面、実際的、経済的方向(資本家に対する反抗)にわたって調和と連関をもちつつ、計画的におこなわれている」ことにもとめ、「とりわけ指導者の義務は、あらゆる理論的問題について自分の理解をふかめ、古い世界観につきものの伝来のあらゆる文句の影響をますます脱却し」、社会主義を学習しなければならないことを「たえず心にとめておく」こと、社会経済にわたる科学的洞察を労倒者大衆に熱心にひろめる必要をといた。
 またレーニンも、ロシア労働運動にあらわれた、ベルンシュタイン等の「流行の日和見主義の説教」や、労働者の闘いをもっぱら「経済闘争のせまい形態」に限ろうとする傾向に反対して「理論の意義」を強調している。
 レーニンは、三つの理由をあげて、理論の意義をのべている。第一は、ロシアの社会主義運動が生まれたばかりであり、誤った理論や政策を生みだしかねないこと、運動の将来はどの「色あい」が強まるかによって決定されるであろうこと、第二は、労働者の革命理論は本質上国際的であり、はじまりつつある運動は、他の国々の経験を批判的にとりあつかい、自主的に検討することによってはじめて成功するものであること、第三に、ロシアの社会主義者に課せられている課題が、専制政治のくびきからの解放という世界のどの社会主義政党も経験したことのない、ロシアの独自の問題である――ことである。
 さらにレーニンは、「革命的な理論がないなら強固な社会主義政党はありえない」として社会主義党派についての理論の意義を次のようにのべている.「革命的理論はすべての社会主義者を統合するものであり、この理論からして、社会主義者は自分の確信を汲みとり、この理論を自分の闘争方法と活動方式とに応用する」と。

【3】

 理論は社会的実践と結びつけられなければならない。マルクス・エンゲルスは「われわれの理論は独断ではなく、実践のための指針である」といい、レーニンも「先進的な理論にみちびかれる党だけが前進闘士としての役割をはたすことができる」と常に繰りかえした。
 新しい歴史の創造者たる労御者階級にとって理論と実践は弁証法的に統一されている。理論を実践から機械的に切りはなし、実践を理論のうえにおいたり、また理論を実践に優先させたりするのは小ブルジョア的な議論である。レーニンは言っている。 「私が、社会民主主義者(社会主義者――引用者)の理論的活動の必要性と重要性と巨大さをこのように強調するとしても、私はこのことによって、この活動が実践的活動に優先するべきだ、といおうとしていない。ましてや、理論活動が完了するまで実践的活動を延ばすべきだと言おうとしているのではない。そういう結論をひきだしうるのは、『社会学における主観的な考えの崇拝者たち、すなわち空想的社会主義の追随者たちだけである。・・・・社会主義者の任務が、現在の社会経済的発展の現実の道のうえにいる現実の真の敵に対するプロレタリアートの現実の闘争において、彼らの思想的指導者となることに帰着するとすれば、事情はまったく異なったものとなる.その場合には、理論的活動と実践的活動は融合して一つの活動となる。ドイツ社会民主党の古つわ者リープクネヒトはつぎの言葉によって、きわめて適切にこの活動を特徴づけた。『研究し、宣伝し、組織する』」。
 マルクス主義は「死んだ教条ではない」。政治を科学的に基礎づけるためには、階級間の相互の諸関係およびその歴史的状態の具体的諸特徴を正確にしかも客観的に分析することが必要である。マルクス主義者はその理論が「社会経済的発展の現実の過程に合致するかどうか」を常にその「最高のそして唯一の基準」とみなしている。こうしたところに教条主義はおこりえない。

【4】

 先進的労働者は、マルクス主義の理論を徹底的に学ぶだけではなく、歪曲、卑俗化からそれを守り、マルクス主義の理論をあらゆる方向に発展させなければならない。
 現在、「社共」のブルジョア的腐敗、墜落はますます進んでいる。かれらは、"状況の変化"や"マルクス主義の創造的発展"を口実に"民主的改良"についておしゃべりし、プロレタリア独裁を否定するなど、マルクス主義から革命的核心を抜きさり、労働者の階級意識を麻痺させ、団結を解体させている。
 先進的労働者は、労働者階級に対して、客観的現実に対する認識をあたえ、ブルジョアジーの思想攻撃とたたかい、労働者を階級意識=その歴史的・革命的任務にめざめさせなくてはならない。と同時に、マルクス主義をねじまげ修正しようとする共産党をはじめとする一切の日和見主義者を断固暴露したたかわなければ階級闘争の前進はありえない。
 ブルジョアジーおよび小ブルジョアジーの思想的影響から労動者を解放し、労勧者を偉大な解放の事業にむけて団結させ、この闘いを成功させるために、マルクス主義の理論を徹底的に学び、かつ発展させていく理論活動はますます重要となっている。

【5】

 本小冊子は、第一部、マルクス主義理論の概説(1.哲学、2.経済理論、3.階級闘争の理論)、第二部、基本文献からなっている。
 第一部では、マルクス主義の基本的見解が論争なども含めて包括的にのべられている。これは、マルクス主義を学ぼうとする人に参考になるだろう。
 第二部では、マルクス、エンゲルス、レーニンの基本文献および参考文献としてマルクス主義理論を学ぶうえで参考となる文献を各分野に整理してのせた。
 また、共産党などの文献ものせたが、それは現代の日和見主義者がいかにマルクス主義を歪曲し、修正しているかを知り、これを暴露し、批判することは、階級闘争を闘い抜くうえで絶対に必要だからである。
 この小冊子が、これからマルクスを学ぼうとする初学者も含めた大衆向けということから、文献の掲載にあたっては、現在一般の書店で手軽に入手できるものだけにとどめた。したがって、重要であっても特殊に専門的なもの、高価なもの、絶版等で入手困難なものなどは除いてある。
 マルクス主義を学ぶために、多くの労働者、学生諸君が本冊子を利用することを期待する。
第一部 マルクス主義理論の概説
1.哲 学
はじめに
 マルクス主義哲学は、唯物論、弁証法、唯物史観を統一的体系として包括したものであり、自然・社会・認識における運動と発展を初めて首尾一貫した唯物論的世界観によって理論的に基礎づけたものである。
 現在との関連で言えば、現代社会が資本家階級と労働者階級に分裂している階級社会である以上、階級間のイデオロギー闘争は避けられず、哲学的にはとりわけ何よりもその世界観において、唯物論か観念論かという明瞭な対立となって表われている。
 反動的なブルジョアイデオロギーを真に克服止揚し得るのはプロレタリアートのイデオロギーとしてのマルクス主義をおいて他にありえず、理論闘争の根底に弁証法的唯物論が正しく適用されることにより、マルクス主義本来の革命性がより一層十全に発揮されるだろう。現代唯物論はこうした課題と歴史的意義をもっているのである。
 これから述べるマルクス主義哲学の骨子はいずれも初歩的な周知の命題に属するものであるが、自明と言われる内容が意外にも自明でないことが多いので、マルクス主義哲学の根本法則を再び吟味することにしたい。
(1)唯物論
 唯物論は古代ギリシャ哲学以来存在しているが、ここではその最高の発展形態としての弁証法的唯物論を検討する。
 弁証法的唯物論は三千年に及ぶ哲学の発展史を貫く唯物論と観念論の闘争の最高の産物である。とりわけ、詩人ハイネが言っているようにフランス大革命に比肩するドイツ哲学革命の成果を余すところなく汲み尽したものであり、直接的にはドイツ観念論哲学の集大成者としてのヘーゲル、および「中間項」としてのフォイエルバッハから各々の弁証法と唯物論を批判的に摂取し、当代の自然科学の成果を適用することによって成立したのが、マルクス・エンゲルスの弁証法的唯物論である。マルクス主義哲学が形成され確立したのは19世紀半ばから後半にかけてであり、それはまた資本主義の発展の中で産み出された労働者の否定的状態のイデオロギー的表現ともなっている.
 哲学の根本問題についてエンゲルスは次のように述べている。
 「すべての哲学の、とくに近世の哲学の大きな根本問題は、思考と存在との関係の問題である。・・・・この問題にどう答えたかに応じて、哲学者たちは二つの大きな陣営に分裂した。自然に対する精神の本源性を主張し、したがって結局なんらかの種類の世界創造を認めた人々は観念論の陣営をつくった。自然を本源的なものとみた人々は、唯物論のさまざまの学派にぞくする」(『フォイエルバッハ論』)。
 人間が存在する以前に、すなわち精神(意識)の発生以前に、この地球という自然(物質)が存在していたことは今では常識となっている。ところが、主観的観念論者(パークレー)は、世界が自己の主観・感覚によって横成されると述べ、客観的観念論者(ヘーゲル)は、世界は自己の意識から独立した絶対精神の外化したものであると述べ、神秘主義者・宗教家は神が世界を創造したのだと言って、彼らは全体として観念論の陣営を形成したのである。
 唯物論はこれに対して無条件に自然の根源性を自然科学の発展によって直接的に確証した。物質と意識のこの対立は哲学の根本問題である世界観上の対立として絶対的であるが、このことは物質か意識かという形而上学的二元論を意味するものではなく、この対立から離れると意識もまた物質に依存し、両者の対立はこの限りで相対的である。物質が第一次的であることは、唯物論に対する偏見にみられるような物質が重要であり精神がつまらないものであることを全然意味しないのはもちろんのことである(どちらも大切である)。物貿が本源的であることによって、世界の統一性もまたその根拠を物質に見出している。
 「世界の現実の統一はそれの物質性にある。そして、この物貿性は、二・三の手品師的な文句によってではなく哲学と自然科学との長い、ながながしい発展によって証明ずみのものである」(エンゲルス『反デューリング論』)。
 世界の統一性を何らかの精神や神に帰着させる観念論哲学と異なり、唯物論哲学によって初めて、自然・社会・認識の諸対象に有機的連関と現実的基盤が与えられたのである。たとえば、人間の意識というのは脳髄という物質そのものではないが、物質の最高形態としての脳髄の作用のことであり、観念というのも生まれつきそなわっているものではなく、自然・社会の客観的対象が人間による科学・産業・社会的実践を通して人間の意識に反映されたものであること、意識の深化と観念の発達も社会的に物質的に規定されていることである。森羅万象といわれるこの世界の統一はまさに物質に求められることになる。
 では、物質とは何であろうか。唯物論の物質観念は20世紀に入ってレーニンによって最も完全に定義づけられた。
 「物質とは、人間にその感覚においてあたえられており、われわれの感覚から独立して存在しながら、われわれの感覚によって模写され、撮影され、反映される客観的実在を言いあらわすための哲学的範疇である」(『唯物論と経験批判論』)。
 唯物論の原則が集中的に述べられている右の定義を整理するとこうである。
 第一に、物質とは意識から独立した客観的実在であることによって、観念を誇張する主観的観念論と対立する。
 第二に、物質が先ずもって感覚を通して与えられることにより、理性のみを重視する客観的観念論に対立する。
 第三に、物質が感覚によって模写されることにより、認識の不可能性を説く不可知論に対立する。
 とりわけ第三原理の反映模写論は、認識の可能性に対し懐疑的もしくは否定的態度をとる不可知論者(ヒューム・カント)、あるいは現実の合理的認識に進もうとしないニヒリズム・実存主義の哲学を批判する上で限りなく重要なものとなっている。エンゲルスは不可知論を批判するには何よりも「実践、すなわち実験と産業である」と言い、次のように述べている。「たとえば、あかね草の色素アリザニンがそうで、われわれはそれを今ではもう畑のあかね草の根のうちに生じさせないで、コールタールからずっと安くかつ簡単に製造している」アリザニンという「『物自体』はわれわれに対する物となった」(『フォイエルバッハ論』)と。
 認識の原動力は実践である。自然科学が発達し産業が進展することによって、未知の分野はわれわれの共有の認識となる。今では地球以外の他の天体についても認識は拡大している。認識が無限に拡大し完全になってゆくことは絶対的真理であり、その認識が時代の制約を受けていることによってそれは相対的真理なのである。
 先にあげたレーニンの物質に関する認識論的範疇は、物質のあれこれの構造・性格を規定する自然科学的範疇とは別のものである。物質の自然科学的カテゴリーは、科学の進歩に伴う認識の深化によってますます多面的な高度なものになってゆく(原子・分子・電子・素粒子等々)。だが、このことは物質はこうであると認識論的に定義することを妨げない。20世紀に入って新しい物質が発見されるたびに「物質は消滅した」などというマッハ主義者が物質の哲学的概念と自然科学的概念を区別せず混同したことをみてもこの区分は非常に大切である。
 さて次に、物質の存在様式と属性についてであるが、物質はある特定の時間と空間の中に存在し、絶えざる自己運動の過程にある。
 唯物論の物質観は、形而上学のような絶対的図式的固定観念、および主観的観念論のような恣意的神秘的観念を含んでいない。マルクス主義に敵対したデューリソグは、空間と時間を、運動と物質とを形而上学的に切り離し、絶対的な「恒常不変の状態」に在る神秘的な「世界媒質」をもち出すことによって、物質の弁証法的運動を否定した。エンゲルスは簡潔に次のように総括している。
 「空間と時間はいっさいの存在の基本形式であって、時間のそとにある存在ということは、空間のそとにある存在ということと同じにはなはだしく無意味だからである。・・・・運動は物質の存在の仕方である。・・・・運動のない物質が考えられないのは、物質のない運軌が考えられないのと同じである。だから運動は物質そのものと同じにつくりだすことも消滅させることも、できないものである」(『反デューリング論』)。
 最後に唯物論の歴史について。18世紀の機械的唯物論(ディドロ・ドルバック・ラメトリー)すなわちフランス唯物論はたしかに弁証法的発展観の欠如など機械的ではあったが、自然科学を重視し実証的見地から物質の究明に向い偉大な成果を残した。ところが19世紀の俗流唯物論(モレショット)はその名の通り、たとえば意識を脳髄の分泌物として生理学的に把握したように唯物論を卑俗化し、賢明な観念論哲学以下の水準にあった。
 同じ19世紀に活躍したヘーゲル左派の頭目フォイエルバッハが「下半身は唯物論者で、上半身は観念論者であった」と言われるのも、フォイエルバッハ自身の欠陥(史的観念論にとどまる)からのみではなく、当時の遅れたドイツ社会の制約と当時の俗流唯物論に対する反発があったことから説明されるのである。旧唯物論を弁証法に基磋づけ、自然のみならず、自然との物質代謝に依存している人間社会、およびその反映としてある意識総てに適用したものが新しい唯物論、マルクス・エンゲルスの弁証法的唯物論であった。
(2)弁証法
 「人間は、弁証法がなんであるかを知るずっとまえから弁証法的に考えてきたのであって、それはちょうど、人間が散文という言葉のうまれるずっとまえから、すでに散文をかいてきたのと同じである」(エンゲルス『反デューリング論』)。
 このように、弁証法は人弊の発生と関係なく自然それ自体の運動に貫かれていたし、人類発生以降は無意識的には人間の日常的思考にも見られたが、学としては古代ギリシャ哲学(アリストテレス)以来追求されて来たものである。弁証法に最も包括的に取り組んだのは他ならぬ観念論者へーゲルであった。へーゲル弁証法の「合理的核心」をとりだし唯物論的に発展させたとされるのがマルクス・エンゲルスの唯物弁証法である。
 「マルクスと私とは、おそらく意識的な弁証法をドイツの観念論哲学からすくいだして、唯物論的な自然観と歴史観をとりいれた、ほとんど唯一の人間であろう」とエンゲルスは述べている。自然・社会・認識の全運動を貫くものとしての弁証法の基本法則をみてみよう。
 「自然および人間社会の歴史からこそ、弁証法の諸法則は抽出されるのである。これらの法則は、まさに二つの局面での歴史的発展ならびに思考そのものの最も一般的な法則にほかならない。しかもそれらはだいたいにおいて三つの法則に帰着する。すなわち、
   量から質へのまたその逆の転化の法則
   対立物の相互浸透の法則
   否定の否定の法則
            (エンゲルス『自然弁証法』)
 特に、「対立物の相互浸透」はレーニンによって、「対立物の統一と闘争」として発展させられ、これこそ「弁証法の核心」であると強調された(『哲学ノート』参照)。
 「対立物の統一とは、自然(精神も社会もふくめて)のすべての現象と過程とのうちに矛盾した、たがいに排除しあう、対立した諸傾向を承認することである。世界のすべての過程を、その自己運動において、その自発的な発展において、その生きいきとした生命において認識する条件は、それらを対立物の統一として認識することである。発展は対立物の"闘争"である。・・・・対立物の統一は条件的、一時的、経過的、相対的である。たがいに排除しあう対立物の闘争は、発展・運動が絶対的であるように絶対的である」(レーニン『弁証法の諸問題について』)
 弁証法のこのような基本法則は、弁証法と対立するものとしての形而上学と比較対照する時に更に鮮やかになると思われる。形而上学は、もっぱら悟性的思惟のみをより所にして、対象を絶対化し固定化し、諸カテゴリーを機械的に結びつけるだけで、ひからびた死んだ抽象が幅をきかせ何ら事物の内的関連を明らかにすることができない。よく言われるように、形而上学によっては「然り然り、否否」の思考方法以上には出られない。マルクスは弁証法の本質について次のように述べている。
 「弁証法は、現存するものの肯定的理解のうちに、同時にまた、それの否定の、それの必然的な崩壊の・理解をも含み、どの生成せる形態をも運動の流れにおいて・したがってまたそれの無常的な側面から・理解し、何ものによっても畏伏せしめられず、その本質上批判的かつ革命的であるからである」(『資本論』二版後書)。
 形而上学と異なり弁証法はこのように然りであると同時に否であると把握するが、このことは現像の表面をうろつき主観的に諸対象を結びつける詭弁と折衷主義、相対主義を意味するものではなく、対立物の諸側面を分析し、相互移行の具体的条件を示すことによって成立するのである。
 弁証法がことの本質上、徹底的に革命的であることから、マルクス主義を修正する場合、政治理論における国家革命論(ブロレタリア独裁)に対すると同様に弁証法に対する攻撃も避けられないものである。
 第二インターのベルンシュタインがヘーゲル弁証法を「もう何の役にも立たぬであろう」と断罪したのはその好例である。ベルンシュタインは自己の日和見主義を隠蔽しておきながら、マルクス・エンゲルスの政治理論を「プランキズム」極左主義と非難し、その「誤り」がへーゲルの弁証法にあると説教して、ヘーゲル弁証法とマルクス・エンゲルスの革命的学説とを切り離そうと試みている。
 「へーゲル説の論理上の転倒は、まさに急進的にしてかつ機智縦横的な色彩を帯びている。また、ヘーゲル説は鬼火を示すように、漠然たる輪郭の彼岸の眺望を示している。しかしながらへーゲル説を信頼して、進むべき道を選ぶならば直ちに必ず沼沢に陥るであろう。マルクスおよびエンゲルスが、その大事業を遂行したのは、ヘーゲル弁証法のカによったからではなくて、むしろその力によらなかったからである。また他の一面、彼等がプランキズムの最も顕著なる誤りを不注意にも看過したとすれば、そのことは第一に彼等自身の学説の中に、ヘーゲル派を加味したことに帰すべきであろう」(ベルンシュタイン『マルクス主義の改造』)。
 また第一次帝国主義戦争勃発後、プレハーノフやカウツキーがあれこれの現象をとり出して自己の日和見主義を弁護するといった詭弁を用いていることをレーニンが批判している中で、弁証法に触れている。
 「弁証法は、あたえられた社会現象を、その発展において全面的に探求することを要求し、外的な、外見的なものを、本源的な運動する諸力に、すなわち生産諸力の発展と階級闘争に帰着させることを要求する」(『第二インタナショナルの崩壊』)。歴史の生きた弁証法を学ぶ重要性は、現在でも詭弁と形而上学的思考の集中的産物である「対米従属論」が日和見主義政治の一つの支柱を与えていることからも明らかであろう。
 物質の本源性・統一性の上に、事物の諸過程の内的連関と発展を明らかにする弁証法にもとづいて初めて、世界の合理的認識を得ることができる。現実の世界が一見どんなに混沌とした錯綜した複雑な様相を呈していても、また実際そうなのであるが、その中に人間の意識から独立した客観的発展法則を科学的に認識することによって、世界の生成し発展し消滅する首尾一貫した婆を見出すことができる。ところで、世界の合理的な正確な認識なくしては、世界の革命的変革も困難になることは明らかではないか。
 「革命の代数学」としての弁証法の慎重な全面的研究が自然・社会・認識の総ての分野から系統的になされる意義は極めて大きい。
(3)唯物史観
 社会の発展史を唯物論哲学によって基礎づけたものであり、史的観念論による社会観と対比させて唯物史観と言われている。唯物史観を理論的に定式化したものとしてマルクスの『経済学批判序文』があるので先ずそれをみよう。
 「人間は、その生活の社会的生産において、一定の、必然的な、かれらの意志から独立した諸瀾係を」つまりかれらの物質的生産諸力の一定の発展段階に対応する生産諸関係をとり結ぶ。この生産諸関係の総体は社会の経済的機構を形づくっており、これが現実の土台となって、そのうえに、法律的、政治的上部横道がそびえたち、また一定の社会的意識諸形態は、この現実の土台に対応している。物質的生活の生産様式は、社会的、政治的、精神的生活諸過程一般を制約する。人間の意識がその存在を規定するのではなくて、逆に、人間の社会的存在がその意識を規定するのである。社会の物質的生産諸カは、その発展がある段階にたっすると、いままでそれがその中で動いてきた既存の生産諸関係、あるいはその法的表現にすぎない所有関係と矛盾するようになる。これらの諸関係は生産緒力の発展諸形態からその桎梏へと一変する。このとき社会革命がはじまるのである。経済的基礎の変化につれて、巨大な上部構造全体が徐々にせよ急激にせよ、くつがえる」。
 唯物史観のこの公式を、プレハーノフは次のように要約している。
 「われわれが、いまでは有名になった『土台』とそれにおとらず有名になった『上部構造』との関係についてのマルクスとエンゲルスの見解を簡単な定式にあらわすとすれば次のようになる。
 一、生産諸力の状態。
 ニ、生産諸力の状態によって条件づけられる経済的諸関係。
 三、所与の経済的『土台』のうえにそびえる、社会的・政治的体制。
 四、一部は直接に経済によって、一部は経済のうえにそびえる社会的・政治的体制によって規定される社会的人間の心理。
 五、この心理の特質をみずからのうちに反映する、さまざまなイデオロギー』
             (『マルクス主義の根本問題』)。
 このように唯物史観が史的観念論と異なる点は、社会的意識は社会的存在によって規定されるという周知の哲学的命題を具体化し、生産力と生産関係の矛盾を物質的基礎にして階級闘争の進展の中に歴史の原動力を求めたところにある。
 たとえば、観念論者デューリングは、「暴力論」を展開し、歴史の推進力を政治暴力に見出し、経済的原因を派生的従属的なものとみなす皮相的歴史観に陥っている。皮相的であるというのは、歴代の社会は確かに政治権力をめぐる社会革命を経て発展してきたが、その根本的原因が絶えず高まりゆく生産力と遅れて反動的なものになっている生産関係の衝突という所にあることを理解せずに、単に政治権力の交代の中に歴史を解釈しているからである。原因(政治・文化)の原因(経済)をこそ探り出さねば、歴史は無意味な事実の羅列にすぎないものとなるだろう。
 では、歴史の発展にとって人間の役割、すなわち意識と実践は如何なる意義をもっているのか。社会の発展が人間の意志から独立した客観的法則によって規定されているということは、人間が社会に対して観想的立場に立つことではなく、その反対の実践的立場に立つことを必然的に意味している。人間は環境の産物であると同時に環境をつくり変えるのも人間である。このことは平板な循環論を意味しない。
 意志・実践の前に既に客観的対象が存在しているということ、それは一定の発展法則によって規定されていること、したがって社会は人間の自由な意志の方向にではなく、客観的条件に必然的に人間の意志が決定され、その合目的限界の中で人間の社会的実践によって変革されうるのである。
 唯物史観が上部構造から下部構造への相互作用、上部構造内の独自性を否定していないことはもちろんである。ただしそれは右に述べたような条件の制約を前提にしてのことである。マルクス主義哲学、特に唯物史観のところで人間の意識と実践が強調されるのは確かに理由のあることではあるが、それが一面的に強調される場合、明らかに史的観念論への移行を意味することになる。
 たとえば、毛沢東が経済関係を過少評価し「政治革命」「思想革命」の名の下に人民の主体的能動性を度はずれに強調したことなどをみれば明らかである。社会主義的物資条件の存在しないところで観念的な農民的急進主義をもって「社会主義」に代えうるのは唯物史観の立場ではないからである。
 あるいは、人間の役割は限りなく重要であることは言うまでもないが、人間を「社会的諸関係の総和」(マルクス)と把握せずに単なるブルジョア的人間学の立場からは人間の意志・情熱・実践も正しく評価されないであろう。
 たとえば、社会的諸矛盾を「人間革命」の中に解消し、人間と社会・自然ではなく、人間と理論(教典)との問にその同化による解決を見出す創価学会が、人間の意志と実践を最大限に強調しているのもうなずけるわけである。単に人間の意志・情執・実践を強調しそこにのみ価値を見出すならば、宗教家もファシストも極めて情熱的であり、極めて実践的である、したがって盲目的主観的実践も価値あることになる。だが社会の客観的発展法則は人間によって恣意的につくり変えたり、新たに産み出すことはできないのであり、社会の必然的法則を無視すれば結局は挫折せざるをえないであろうし歴史の推進力にはなりえないだろう(阻害要因にはなるとしても)。
 さて、「経済的社会構成体の自然史的過程」ということを考えてみよう。これは言うまでもないが、人間社会は自然との間にその意識と実践の点で決定的に異なるが、しかし人間社会も自然界と同じく生成・発展・消滅の客観的発展法則に支配されている。原始共産主義、古代奴隷制、中世封建制、資本主義社会、社会主義社会という社会体制の発展は必然的である。
 たとえば、19世紀末のナロードニキは、ロシアが資本主義を経過することなく跳びこえて理想的共同体に到達し得るといった幻想を抱いていたが、ロシアにおける資本主義の発展という現実のまえにその幻想は破産してしまった。
 現代世界との関連で言えば、資本主義がもはや初期の進歩的生命力を失い、生産力が極限にまで高まり社会化しつつあるにもかかわらず、生産関係は依然として資本家的私的なものにとどまり、未曾有の経済的矛盾を深化させている。現代の国家独占資本主義は絶えず過剰生産恐慌の爆発におびえ、スタグフレーションの中でにっちもさっちもゆかなくなっている。現代資本主義が「死に至る病い」に陥っていること、諸悪の根源が独占資本の支配にあること、これを見抜くことは難しいことではない。
 同時にその政治的反映として、どの資本主義国も政情不安に見舞われ、資本家と労働者の対立は激化している。今や根本的解決が、社会主義経済を組織しその中へ高度の生産力を解放すること以外にはありえないのである。そのためには、幾千万の労勧者階級が革命政党の下に団結し、独占資本とブルジョア国家権力を打倒する社会革命が必要なのである。資本主義から社会主義への発展は、こうして自然史的かつ世界史的必然となっている。
 剰余価値説と並んでマルクスの「二大発見」(エンゲルス)の一つである唯物史観は今後ますますその正しさを証明するであろう。
(4)マルクス主義哲学の課題
 最後に哲学史について少し触れておきたい。哲学史は三千年に及ぶものであり他の社会諸科学よりも遥かに歴史は古いものである。したがってどうしても様々のカテゴリーが歴代の哲学者によって様々の内容を盛りこまれているので、学習の便宜上哲学史を二冊読んでおくこと、必ず共同学習の討論の中で理解を深めることが肝心である。注意すべきは、最初から初期マルクスにのみ熱中したり、マルクス主義哲学の所与の成果を充分吸収しないままにへーゲルと「格闘」したりするのは余り望ましいことではない。
 レーニン以後の唯物論哲学の歴史について次に触れたい。
 唯物論のレーニン的段階と言われているのは主として1908年に刊行された『唯物論と経済批判論』を一つの頂点としているからである。レーニンはここで哲学上の修正主義――マッハ主義と呼ばれる経験批判論すなわち主観的観念論――に本格的な論戦を挑み、20世紀初頭における唯物論の到達水準を示した。レーニンには他に覚え書き『哲学ノート』がある。レーニンが哲学について事実上最後に触れたものとして『戦闘的唯物論の意義について』を書き、唯物論が戦闘的唯物論になるためには第一にへーゲルの弁証法を系統的に研究することが必要であると述べている。この文章は、1922年から1942年まで続いた雑誌『マルクス主義の旗の下に』に寄せたものである。
 「われわれは、しつかりした哲学的基礎づけがなければ、どんな自然科学、どんな唯物論も、ブルジョア思想の攻撃とブルジョア的世界観の復活とに対する闘争をたたかいぬくことができないということを、理解しなければならない。この闘争をたたかいぬき、それを完全な勝利までやりとおすためには、自然科学者は、近代的唯物論者に、マルクスによって代表される唯物論の意識的信奉者にならなければならない。すなわち、弁証法的唯物論者にならなければならない。この目的を達するためには、雑誌『マルクス主義の旗の下に』寄稿家たちは、ヘーゲルの弁証法――すなわちマルクスが、彼の『資本論』や、紋の歴史的著作や政治的著作のなかで実際に適用した、しかもみごとに適用したあの弁証法――の唯物論的見地からする系統的研究を組織しなければならない」(レーニン全集33巻1922年)。
 1924年レーニンが没してから哲学論争が展開された。『マルクス主義の旗のもとに』の編集責任者デポーリン対ミーチンの間で20年代末から30年代初めにかけて烈しく闘いぬかれた。結局、デポーリンは「メンシェヴィキ的観念論」・主観主義・へーゲル主義だとしてしりぞけられ、ミーチンのグループが指導的地位を占めることになった。1938年にはミーチン哲学を権威づけたと言われているスターリンの『弁証法的唯物論と史的唯物論』が刊行され、ほぼ「ソ連型唯物論体系」は定着した。
 これとは別に、ハンガリーのルカーチは唯物史観主義的傾何をもつ『歴史と階級意識』を1923年に出版し、日本では1932年に戸板潤・永田広志を産むことになった唯物論研究会が結成され、中国では1937年に毛沢東の『実践論・矛盾論』が刊行されている。
 戦後においては、日本において主体的唯物論論争が展開されており、特に1956年のスターリン批判をきっかけに従来のマルクス主義哲学体系を検討する機運が高まり、とくに東ドイツにおいて一つの頂点をみた。先ず64年コージングが、ついで66年ザイデルがソ連の従来の哲学体系を批判する形で問題提起を行い、烈しい相互批判が展開され、69年コージングの総括論文によって一段落をみた。問題提起者のザイデルやコージングは共に人間の実践を強調することで共通し、ザイデルの唯物史観主義的「実践の哲学」にまでは徹することのできないコージングが自己の哲学体系を従来の「弁証法的唯物論と史的唯物論」から区別して「弁証法的―史的唯物論」と規定し、これが現在の東ドイツの哲学教科書となっている。
 だがスターリン主義者の間から生じたこの対立は、本質的な違いをもっていたわけではない。「実践の哲学」も「弁証法的―史的唯物論」もいずれも、次の点を強調することで共通している。すなわち、マルクス主義哲学の根本問題は「実践」の問題であり、実践主体としての人間の問題であると主張することである。
 もちろん、哲学の根本問題は理論か実践か、観照的であるか実践的であるか、というところにあるのではなく、精神と物質のどちらが第一義的、根源的であるか、ということである。ザイデルもコージングも、そして彼らに追随する古在由重や芝田進午といった共産党の御用哲学者も、唯物論の出発点である意識から独立した客観的な実在であるところの「物質」概念に「実践」概念を対置することによって、結局は唯物論を否定するのである。
 ザイデルやコージングの反対者である森信成は次のように言う。
 「コージングが弁証法的唯物論から唯物論を消去して史的唯物論におきかえたのは、かれが唯物論とその物質概念を実践主体としての超越存在、つまり実存(主体的唯物論者のいう主体的物質〕におきかえたからである」(『現代唯物論の基本問題』)。
 この批判は正当であろう。ザイデルやコージングによって提起され、共産党の哲学者によって推奨されている「実践的唯物論」とは、かつてルカーチらによって、そして日本では梅本克己や黒田寛一などによって主張された「主体性論」の焼き直しであるにすぎない。
 主体的唯物論は、スターリン哲学の教条的で硬直した思想に対する批判としてあらわれた。だが主体的唯物論は、スターリン主義を真に克服するのではなく、反対にスターリン哲学を「客観主義」と非難することで、弁証法的唯物論とマルクス主義にまで「人間無視」という非難を浴びせかけ、マルクス主義の人間主義的、主観主義的改作を行なおうとした。主体的唯物論が急進派の無力な闘いにしか結びつくことができなかったのは、この哲学理論が決して、プロレタリア的でなく、またマルクス主義哲学の立場を一貫しているものではなかったことをあらわしている。
 ところが今や共産党によって、「実践的唯物論」「弁証法的―史的唯物論」の名で、かつての主体的唯物論が再生産されている。まさに「歴史は二度くりかえす。一度目は悲劇として、二度目は茶番として」である。ザイデルやコージング、そして彼らに追随する共産党の御用哲学者連中は、スターリン主義者=共産党のスターリン離れ=自由主義化を、主体的唯物論といった主観主義的、自由主義的哲学を採用することで、哲学の分野から後押ししようとしているのである。その限りで、「実践的唯物論」にはどんなマルクス主義哲学の前進もありえない。
 最後にマルクス主義哲学の意義についてである。「支配階級の思想はいずれの時代においても支配的思想である。ということは、社会の支配的物質的カであるところの階級は同時に社会の支配的精神力であるということである」(マルクス・エンゲルス『ドイツ・イデオロギー』)。
 現在、資本主義が帝国主義段階にあることから、支酌的思想も初期のブルジョア自由主義的イデオロギーが後退し、反動的な帝国主義イデオロギーが主流となっている。主としてそれは、非合理主義・無批判的実証主義を強化し、労働者階級の科学的認識を妨げることに終始し、哲学では実存主義、プラグマティズム、分析哲学が主であり、これに宗教が加わっている。こうしてブルジョア哲学思想は、観念性を極度に強調し、あるいは現実の経験・利益を寄せ集めて「科学的」装いをこらすなど無原則的主観主義哲学である。
 信仰主義と無原則主義に導く現代のブルジョア哲学を批判する場合、何よりも先ず「生活と実践の観点が認識論の第一の根本的な観点でなければならない」(レーニン)という哲学の党派性を正面に据えて、唯物論と弁証法の基本法則を駆使してブルジョア哲学を内在的に克服してゆかねばならない。
 マルクス主義哲学の任務は世界を解釈するにとどまらず、世界を変革するところにあった。最期の闘いを首尾よくやり遂げ得るような唯物論的革命家の社会的勢力をマルクス主義哲学は必ずや産み出すであろう。

2.経済理論
(1)マルクス主義経済学の意義
 マルクス主義における経済学の意義は、唯物史観の公式として有名な『経済学批判』の序言の一節において全面的に明らかにされている。
 マルクスは、そこで自分の研究の後をふりかえりながら、"経済学批判"へと、すなわち、資本主義的生産関係の理論的表現である経済学的諸範疇の批判(それまでのすべてのブルジョア経済学の文献的批判による)へと進んでいった"歩み"を明らかにしている。
 マルクスは、彼の研究にとって「導きの糸として役立った一般的結論」について、とりわけ、次のように書いている。「物質的生活の生産様式が、社会的・政治的および精神的生活過程一般を制約する」。
 この命題を、さらに深く、具体的に理解していくためには、とりあえず『共産党宣言』と『空想から科学への社会主義の発展』を研究していく必要があるだろう。
 『共産党宣言』(1848年)は、近代社会の発展行程の天才的なスケッチを通じて、近代産業の発展がいかに必然的にブルジョアジーを支配階級の地位に押し上げたか、同時にブルジョアジーの発展が自己の対立物(プロレタリアート)を必然的に成長させ、自分自身の「墓掘人」を生みだしていかざるをえないかを、力強く描き出している。すなわちブルジョアジーの存在と支配のための根本条件そのものが、いかに必然的にその存在と支配との否定条件に転化せざるをえないかを明らかにしている。
 マルクスとエンゲルスは『宣言』の第一節「ブルジョアとプロレタリア」を、次のような言葉で結んでいる。
 「ブルジョア階級の存在と支配とのためのもっとも根本的な条件は、私人の手中への富の累積、資本の形成と増大である。資本の条件は賃労働である。賃労働はもっぱら労働者相互の競争にもとづいて成立する。ブルジョアジーがいやおうなしにその担い手となっている工業の進歩は、競争による労働者の孤立のかわりに結合による彼らの革命的団結をつくりだす。だから、大工業の発展とともに、ブルジョアジーが生産し、その生産物を取得するための土台そのものがブルジョアジーの足もとからとりさられるのだ。ブルジョアジーはなによりもまず自分自身の墓掘人をつくりだす。ブルジョアジーの没落とプロレタリアートの勝利とは、ともに避けられない」。資本と賃労働との根本的な対立、さらにこの対立を通じて発展していく資本主義社会の運動法則を、マルクスは『資本論』においてさらに厳密に、理論的に仕上げていった。
 『宣言』は唯物史観の根本命題を、近代社会の発展行程のスケッチを通じて具体的に明らかにしており、この故にマルクス主義を研究しようとするものが、まず第一に、繰り返し学ばなければならない論文である。
 次に『空想から科学への社会主義の発展』(1880年)は、科学的社会主義が「二つの偉大な発見、すなわち唯物史観と剰余価値による資本主義的生産の秘密の暴露」に根ざしていることを明らかにし、同時にこの二つの発見が、18世紀と19世紀のドイツ、フランス、イギリスにおけるもっともすぐれた思想の成果を継承し、発展させ、その結果として必然的に生まれてきたものであることを明らかにしている。
 『発展』は、唯物史観の命題を、きわめてわかりやすく説明し、その中で経済学の意義を規定している。すなわち「いっさいの社会的変動と政治的変革との究極の原因」は「生産と交換との様式の変動のなかに、もとめるべきであり」、哲学のなかにではなく、「その時代の経済のなかにもとめるべきである」というのである。
 『発展』の第三章は、『資本論』の研究にもとづいて唯物史観の見地からする科学的社会主義の内容を明らかにしているが、そこでは資本主義の根本的矛盾(生産の社会的性格と資本主義的領有との)がいかに展開し、その解決(=プロレタリア革命)に向かって不可避に発展していかざるをえないかが鋭く指摘されている。『発展』は疑いもなく『共産党宣言』以後の、唯物史観による社会発展史のスケッチのもっともすぐれた論文である。
 こうした論文にもとづいて、マルクス主義の経済学の意義、方法をしっかりと学び、革命的闘争の指針としていかなければならない。
(2)マルクスの経済学説
 マルクス主義の経済学が、それまでの(またそれ以後の)すべてのブルジョア経済学と根本的に異なっている点は、後者がすべての社会に通用する「永遠の法則」を発見しようとしていたのに対して近代資本主義社会の運動法則――その発生、発展と没落の過程を明らかにしようとした点にある。
 マルクスは、この経済的運動法則を剰余価値の発見によって明らかにし、資本主義的生産様式が生産力の一定の歴史的段階で必然的であるととも、同時にその没落も必然的であることを暴露した。
 マルクス主義の経済学の目的のこの"特異"性(ブルジョア経済学と比較した)は、「近代経済学」の一般的見解と比べてみれば、直ちに明らかである。たとえば、そのもっとも流布されている見解の一つは、経済学の目的を「価格機構、それも主として現代の先進諸国における価格機構のもとでの人間の経済行動を分析し、資源配分と所得分配の問題を明らかにしようとするのである」(岩波『現代経済学・第一巻・価格理論T』)と規定している。すなわち、これらの経済学は、「価格機構」―資本主義的生産様式のもとでのこの特殊な法則を一般的前提(しかも、その本質を何ら分析せず、単なる経験的な現象的観察をもとに)にして、完全雇用、厚生、福祉等々のあれこれの主観的な「経済的目標」を達成するための資源の「最適配分」とか「所得分配」等々を考案することを目的にしている。だが、資本と労働の利害の一致を説き、資本主義の発展によって国民の一般的福祉がもたらされると説く、ブルジョア経済学の諸理論は、事実によって、その虚偽が徹底的に暴露されている。マルクスが――『資本論』第二版後記で――言うところの「経済学がブルジョア的であるかぎり、すなわち、資本主義的秩序を社会的生産の歴史的に過ぎ去る発展段階としてではなく、反対に社会的生産の絶対的で最終的な姿として考えるかぎり、経済学が科学でありうるのは、ただ、階級闘争がまだ潜在的であるか、またはただ個別的現象としてしか現われていないあいだだけのことなのである」という見解は今日でも依然として真実であるだけではなく、ますますその正しさを確証している。
 マルクス主義の経済学を深く理解するためには、マルクスのこの方法、すなわち資本主義社会の経済的運動法則を明らかにし、「現状の肯定的理解のうちに同時にまたその否定、その必然的没落の理解を含み、いっさいの生成した形態を運動の流れのなかでとらえ、したがってまたその過ぎ去る面からとらえ」(『資本論』第二版後記)る弁証法的方法を研究しなければならない。
 エンゲルスは『経済学批判』の書評のなかで、経済学を「それ自身の内的連関において展開」しようとする「マルクスの経済学批判の基礎をなしている方法の完成を、われわれは、その意義において唯物論的根本見解にほとんど劣らない成果であると考える」と評価している。経済学を「それ自身の内的連関において展開」していくというのは、いうまでもなく、経済学をあれこれの主観的意図や目的にそって展開していくのではなく、資本主義社会に内在する客観的論理、いうところの経済的運動法則を明らかにしていくということにほかならない。 『資本論』は、天才的な論証力をもって、この法則を明らかにした。 『資本論』は、商品の分析から開始される。資本主義社会では、すべての労働生産物は商品としてあらわれるからである。
 はじめに、商品の二契機が明らかにされ、それは使用価値と価値の対立物の統一として分析される。このような商品の分析の内にはすでに貨幣が潜んでいる。商品と貨幣との対立は、商品に表わされている内的な対立の外的な対立である。貨幣とは商品である。だが他の商品の価値を表現するための特殊な商品である。
 貨幣から資本が展開される。資本とは何か?物である――これがブルジョア経済学の最も単純化した形での答である。これに対してマルクスは、資本を自らを増殖する価値として分析する。如何にして増殖されるか?剰余価値の取得を通じてである。剰余価値は商品流通からは発生しない。剰余価値を取得するためには、「貨幣の所有者は……市場で、それの使用価値そのものが価値の源泉であるという独特な性状をもっているような一商品を見いださなければならない」。それは労働力である。貨幣所有者は、労働力をその価値どおりに買う場合でさえも、その消費過程が同時に価値創造であるという労働力の独特の怯状によって、剰余価値を取得する。貨幣は、剰余価値の取得を通じて、その価値を増殖し、こうして貨幣は資本に転化される。この剰余価値が利潤の源泉であり、ブルジョアジーの富の源泉である。
 剰余価値の増加は、二つの基本的な方向で行われる。労働日の延長と、必要労働日の短縮とによってである。後者は、労働者の生活手段の低廉化よって行われ、それはまた生産の改良によってのみ達成される。マルクスは、生産の改良の基本的な三つの歴史的段階をすなわち@単純協業、A分業とマニュファクチュア、B機械制大工業を分析している。
 マルクスは、資本の蓄積、すなわち剰余価値の資本への再転化を分析して、可変資本に比べて不変資本はますます急速に増大することを明らかにし、そこから「資本主義的蓄積の歴史的傾向」についての最も重要な結論を引き出している。これによって「資本の集積および蓄積と並んで、それと歩調を合せて、過剰労働人口の蓄積が起り、遂にはこの二つが社会的変革を一方では必然にし、他方では可能にするという証明」(エンゲルス『資本論第一巻について』)を行った。
 以上では、「マルクスの経済理論の礎石」(レーニン『マルクス主義の三つの源泉と三つの構成部分』)である剰余価値説の最も重要と思われる点を略述したにすぎない。マルクスの経済学説を学ぶためには、いうまでもないことだが、『資本論』そのものを学ばなければならない。とりわけ、今日のように、マルクス経済学の「解説書」や「入門書」が山ほど書きちらされ(真剣で貴重な研究書もたくさんあるが)、また公認の「マルクス主義」政党(=共産党)が、マルクス主義の革命的な思想を徹底的に骨抜きにし、歪曲し、卑俗化し、「創造的適用」と称して修正主義的・日和見主義的見解をふりまいている限りは、この真実をいくら強調しても、しすぎるということはない。
 マルクス主義を研究し、それを革命的闘争の指針にしていこうと考えている限りのすべて人は、『資本論』を最も真剣な態度で研究していく必要があろう。『資本論』の最良の入門書として広く知られている『賃金、価格および利潤』と『賃労勧と資本』を、繰り返し読みながら、あせらず、根気よく、じっくりと『資本論』を読んでいくように勧めたい(その際、マルクスがクーゲルマンへの手紙で書いた有名な助言――最初に読んでわかるところは、「労働日」に関する諸章、「協業分業および機械」に関する諸章、つぎに「原始的蓄積」の諸章、67年11月30日付、――などは参考になるだろう。国民文庫版『クーゲルマンへの手紙』、『資本論に関する往復書簡』、マル・エン全集31巻等々に掲載)。
 また『資本論』の第一巻については、エンゲルスの『資本論第一巻綱要』(エンゲルスの『資本論第一巻について』という、七節からなる一連の論説とともに読むように勧めたい)、全三巻についてはレーニンの『カール・マルクス』が、最もすぐれた略述を与えている。後者は、『資本論』の最も核心的な諸命題と論理的な展開(最も単純な抽象的なものから具体的なものへの)を略述している。
 マルクスの経済学批判の方法に対する理解を深めるためには(哲学の研究はもちろんのこと)、とりわけ(エンゲルスの『経済学批判』の書評、マルクスの『経済学批判への序説』、『資本論』の序文等々とともに)『哲学の費困』(1847年)を勧めたい。
 小ブルジョア社会主義者ブルードンに対する論戦の書として書かれた『貧困』は、プルードンの形而上学的な見解を批判し、「道徳を経済学に適用したものに過ぎない」(ドイツ訳へのエンゲルスの序文、1884年)小ブルジョア的ユートピア主義を徹底的に暴露している。論戦の書として、また、直接に経済学の方法を対象に書かれている故に、それはマルクスの方法を理解しやすくしている。さらに、『貧困』は、今日、「独占本位の政策」に対して、単に「国民本位の政策」を機械的に対置しているにすぎない社共などの形而上学的な経済学的見解を批判していくためにも、そこから多くを学びとりうるだろう。
(3)帝国主義の理論
 19世紀末から20世紀初めにかけて、資本主義は新しい段階に、帝国主義の段階に突入した。ベルンシュタインは、こうした新しい段階の「新しい現象」をふまえて、マルクスの『資本論』は古くさくなつたとして、マルクス主義と日和見主義の融合を試みた。ベルンシュタインの修正主義に対してはカウツキー、ローザ・ルクセンブルグなどが鋭い批判を行ったが、これを真に克服していくには資本主義の新しい段階の特徴をマルクス主義の方法にもとづいて分析していく必要があった。
 資本主義のこの新しい段階の諸現象を、最初に体系的に分析した最も重要な文献は、ホプソンの『帝国主義論』(1902年)とヒルファーディングの『金融資本論』である。しかし『資本論』の分析をふまえ、マルクスの首尾一貫した方法にもとづいて全面的な分析を行ったのはレーニンの『帝国主義論』である。
 ホブソンは、新しい段暗の資本主義を分析し、帝国主義の重要ないくつかの特徴を指摘した。なかんずく現代帝国主義の一般的な根本的特徴として@商業上の利益に優先する金融上の利益、A激しく競争しつつあるいくつかの帝国主義、の二点を指摘した。
 しかしホブソンは、過剰資本の過小消費説的な理解にもとづいて帝国主義批判の結論として、大衆の消費力を高めることによって過剰資本の圧迫を除き、これによって帝国主義を廃しうるというユートビア主義をふりまいた。
 一方、ヒルファーディングは『資本論』の分析を基礎に、株式会社、銀行の産業支配と組織的独占等を分析し、金融資本の規定をうちたて(その規定には、レーニンによって批判されたように、生産と資本との集積と、それにもとづく独占の発展についての論及が欠落していたが)、帝国主義の分析に重要な基壌をすえた。
 レーニンの『帝国主義論』は、『資本論』の分析に基づいて、それを発展させ、ホプソン、ヒルファーディング等を(全集39巻の『帝国主義論ノート』にみられるように、その他多くの文献的批判にもとづいて)批判的に総括して、資本主義の新しい段階の諸特徴を全面的に分析し、その歴史的地位を解明した。
 レーニンは『帝国主義論』の目的を、「現在の戦争と現在の政治とを評価するうえに、それを研究しておかなければなにものをも理解できない根本的な経済的諸問題、すなわち帝国主義の経済的本質に関する諸問題を解明」することである、と言っている。 『帝国主義論』は、20世紀の資本主義の最も一般的な特徴である工業の巨大な発達と独占の形成から、すなわち「生産の集積と独占」から分析を始めている。
 生産の集積は一定の段階で独占に転化する。レーニンは、これを『資本論』の分析にもとづいて指摘している。「マルクスは、資本主義の理論的および歴史的分析によって、自由競争が生産の集積をうみだし、そしてこの集積は、その発展の一定段階では独占をもたらすことを論証したが、公認科学はこのマルクスの著書を黙殺しようとした。だが、いまや独占は事実となった。……生産の集積による独占の発生は、総じて資本主義の発展の現在の段階の一般的かつ根本的な法則である」。
 集積による生産の急速な「社会化」は、占有の私的性格と衝突し資本主義諸矛盾は激化する。独占によって恐慌は排除されず、むしろ「総体としての全資本主義的生産に固有の混沌性」はつよめられ激化している。他方では、恐慌は「非常な程度で、集積と独占への傾向をつよめる」。
 次に、レーニンは独占の形成における信用の役割に特に注目して第二章で「銀行とその新しい役割」を分析する。
 銀行業務の発展と少数の銀行への銀行業務の集積によって、銀行は「ひかえめな仲介者からひとにぎりの独占者」に転化する。銀行はますます多くの産業に支配の触手をのばし、それとともに「銀行と最大の商工業金融との人的結合が発展する」。地方的に孤立していた多数の経済単位が、「単一の中心に従属化」し、「全国をおおいいっさいの資本と貨幣収入とを集中し分散する数千数万の経営を、単一の全国民的な資本主義経済に、そしてさらには全世界的な資本主義経済に、転化しつつ運河の濃密な網の目が」急速に発達しつつある。「分散した資本家たちから、ただ一人の集団的資本家がうまれる」。こうして資本一般の支配から金融資本の支配への転換が、20世紀初頭の資本主義の最も重要な特徴として指摘される。
 ヒルファーディングは、金融資本を「銀行の管理下にあって、産業家によって使用される資本」と規定している。しかしこうした形態的規定だけでは、資本主義の発達にもとづく金融資本の支配への不可避的な転化が明らかにならない。レーニンは、ヒルファーディングを批判して、「生産の集積、そこから発生する独占、銀行と産業との融合あるいは癒着――これらの点に、金融資本の発生史と金融資本の概念の内容がある」と規定している。
 レーニンは、続く諸章で、金融資本の支配とそれにもとづく資本主義の新しい段階の諸特徴、すなわち金融資本の支配によって不可避的にもたらされる帝国主義の経済的特質について――資本の輸出資本家団体のあいだでの世界の分割、列強のあいだでの世界の分割等々を分析している。帝国主義の分析において、レーニンの特に注目すべき指摘は、帝国主義は資本主義の特殊な一段階、すなわち「資本主義の独占的段階である」であるという分析である。(特にこの点に関連してカウツキーの、帝国主義は、金融資本によって「このんでもちいられる」一定の政策という皮相な分析を指摘しておこう。レーニンは、カウツキー主義に対する批判を「特別の注意」(序文)を払って行い、本書の各章で批判するだけではなく、「帝国主義の批判」という特別の章をもうけている。)これによって帝国主義の最も根底的な経済的特質が明らかにされるとともに、資本主義の発展過程におけるその特殊な歴史的地位が鋭く暴露されている。資本主義の独占段階においては、生産の社会化と取得の私的性格という資本主義の根本的な矛盾は、極度に先鋭化される。「独占は、自由競争のうちから発生しながらも、自由競争を排除せず、自由競争のうえにこれとならんで存在し、このことによって、いくたのとくにするどくて激しい矛盾、あつれき、紛争をうみだす。独占は、資本主義からより高度の制度への過渡である」。
 さらにレーニンは、帝国主義とは「資本主義の独占段階である」という定義だけでは「定義すべき現象のきわめて本質的な特徴をその定義からとくに演繹しなければならない」ゆえに不十分である、として、有名な帝国主義の五つの基本的標識を指摘している。すなわち「@生産と資本の集積は高度の発展段階にたっし、経済生活において、決定的な役割を演じている独占をつくりだすまでになったこと、A銀行資本の産業資本との融合も、この『金融資本』を基礎とする金融寡頭制の形成、B資本輪出が商品輸出とは別にとくに重要な意義をもっていること、C国際的、独占的資本家団体が成立して世界を分割していること、D地球の領土的分割が資本主義的最強国により完了されていること、である」。
 さらにまた、レーニンは金融寡頭制の支配のもとでの政治反動の強化、民族的抑圧の強化、帝国主義と労働価動における日和見主義との不可分の関係、資本主義の寄生性と腐朽化の分析等によって、帝国主義の全面的、総体的な分析(帝国主義の経済的特質とともにその政治的上部構造の分析をも含む)への緒をつけている。
 「帝国主義の歴史的地位」を分析した最後の章で、レーニンは次のように結論を述べている。「帝国主義の経構的本質についての以上のべたすべてのことから、帝国主義は、過渡的な資本主義としてあるいはもっと正確にいえば、死滅しつつある資本主義として規定しなければならない、という結論がひきだされる」。
 こうして、レーニンは、『資本論』におけるマルクスの経済学の分析の方法を首尾一首して発展させ、20世紀初頭の資本主義の分析を通じて、生産力のより一層の高質な発展とそれにもとづく独占資本主義の形成が、資本主義を「死滅に」導きつつあることを暴露した。
 レーニンの分析と対比させて、ローザ・ルクセンブルグの帝国主義分析にも触れておこう。
 ローザは、社会総資本の蓄積問題について「マルクスの矛盾」を批判(ローザの「批判」については、いまは、マルクスの再生産表式の分析の理論的意義を理解できず、そこに直ちに「歴史的現実」による批判を持ち込もうとした点だけを指摘しておこう)し、この批判にもとづいて、総資本の蓄積にとっての不可欠の条件として、資本化されるべき剰余価値部分の販路と、これに対応する現実的蓄積のための素材的要素の確保をあげている。そしてこの二条件の確保のために資本制生産は不可避的に非資本主義的な領域を必要とし、そこからこの資本主義的蓄積の発展が必然的に帝国主義を結果すると論じた。ローザの分析は、ホブソンのそれと結論において全く異なるとはいえ、その前提はほぼ同一のものに帰着せざるをえなかった。(ローザに関してはローザ『資本蓄積論』、トム・ケンプ『帝国主義論史』、またローザのマルクス批判の反批判としてはロスドルスキー『資本成立史』第一巻等をあげておこう)。最後に、宇野派のレーニン批判を簡単に検討して先に進もう。
 宇野派は、周知のように形式静理的な「三段階論」の見解にもとづいて、一方では『資本論』は「原理論」として「純化」し、他方では『帝国主義論』は「段階論」として展開すべきである、と主張している。
 宇野派の言うところの「原理論」と「段階論」との間には、何ら弁証法的な関係はなく、形而上学的な機械的対置があるにすぎない。
 宇野は、「原理論」は、資本主義社会を「他の社会から発展したものとしてではなく、さらにまた他の社会に転化するものとしてでもなく、むしろ永久的に同じ運動を繰り返しつつ発展するものであるかの如くにして、その法則を明らかにする」(『経済学方法論』)ものでなければという(こうした見解にもとづいて、宇野派は「資本論』を論理的に「純化」すると称して徹底的に俗流化し、似て非なる“体系”を作り上げている)。したがって『帝国主義論』は「原理論」から直接に展開することはできず、レーニンが帝国主義の基礎的範疇として規定している「独占」について、それは「原理論的に規定されるような『独占』一般としてではなく、・・・歴史的なものとして解明されなければならない」(『経済政策論』)と批判している。一方では(「原理論」において)経済学の論理的な展開が資本主義の歴史的な発展と切り離され、機械的に対置され、他方ではまた(「段階論」において)資本主義の歴史的な発展が、経済学の論理的展開から切り離され、単なる「タイプ的解明」といったものに極度に矮小化されている。要するに宇野派は、レーニンが、『資本論』の分析を土台に、独占資本の不可避な形成と、その過渡的な性格(宇野のいう、「原理論」の自己完結的体系が崩れてしまうというわけだ!)その過渡的な性格を暴露したのが気に入らないというのである。
 宇野派の経済学は、マルクス主義の経済学の弁証法的方法に対する無理解が、どれほどの俗流化に導くかのひとつの見本である。
(4)国家独占資本主義の理論
 第二次大戦後の独占資本主義の新たな発展段階は、国家独占資本主義と規定されている。それは独占資本主義のより高度な発展を土台に、独占と国家との癒着、ないしは独占資本による国家機構の従属が広範な、最も一般的な事実として確立された段階の独占資本主義である。
 レーニンは、第一次大戦中の帝国主義の戦時経済のなかに新しい特徴を見出し、これを最初に、「戦時国家独占資本主義」と規定した(『さしせまる破局・・・・・・』全集25巻等を参照)。
 レーニンは、戦争によって独占資本主義の国家独占資本主義への転化が異常に速められたと指摘し、それは「労勧者に対する軍事的苦役、資本家の利潤に対する軍事的保護である」と分析している。
 国家独占資本主義が一般的事実として確立されたのは、1930〜40年代にかけてである。商家独占資本主義の経済的特徴は、独占資本の高度な発展を土台に、独占と国家との癒着が進み、それを基礎に国家の経済過程への介入が、国家資本のますます増大する役割、管理通貨制と租税にもとづく大規模な財政信用政策=有効需要政策として行われ、国家機横を媒介にして、独占資本の労勧者大衆に対する収奪が強められ資本の高蓄積が推し進められている点にある。
 国家独占資本主義の個々の経済的特徴、個々の諸現象を分析した論文は数多くあるが、しかしマルクス主最の首尾一貫した方法にもとづいて、国家独占資本主義を全面的に分析した著作はまだない。
 宇野派、構改派、さらに日共系の学者にあって体系的な試みは行われているが、彼らのいずれもが非マルクス主義的な方法(宇野派の「三段階論」はすでに指摘した通りであるし、日共系は「対米従属」のドグマによって現実を裁断しようとしているし、構改派は超階級的な国家論にもとづいて、国家による生産関係の社会化論を唱えている)によってなんらかの一面化に陥っている。
 今日、インフレやスタグフレーションの爆発によって、現在の代表的なブルジビア経済学でケインズ経済学は、ますますその虚偽を暴露され、破綻にさらされている。一方、「社会的生産と資本主義的領有のあいだの矛盾」(エンゲルス『空想から科学への発展』)は独占資本主義、国家独占資本の発展を通じていっそう激化され、社会的生産の不安定性はますます高まらざるをえないだろうというマルクス主義者の予見は、その正しさがはっきりと確証されている。
 マルクス主義の研究を深め、マルクス主義の首尾一貫した方法にしっかりと依拠して、国家独占資本主義の分析を深め、労勧者階級の革命的闘争の武器としていくことは、ますます緊急で重要な課題となっている。

3.階級闘争の理論
(1)マルクス主義は階級闘争の理論である
 マルクス主義は階級闘争の理論である。
 この理論は、一見混沌として無秩序に起るかにみえる人間社会の諸現象の中に貫く合法則法を見出す手引の糸を与えている。マルクス主義は、一見無関係にあるいは相対立する様々な事件や現象を総体として考察することによって、それらが結局は生活諸条件と生産諸条件に即ち階級関係によって規定されていることを明らかにした。マルクス以前の「社会学」と称されるものが(そして今日のブルジョア科学が)、歴史や社会的諸現象を、個々の人間の主観的な意志から描くか、あるいはせいぜいよくて断片的にかき集めた諸事実の集積または歴史過程の個々の側面の描写にとどまっていたのに対し、マルクス主義は、人間社会の諸現象を総体として考察することによってそれらを階級関係の中で具体的に明らかにしたのである。
 『共産党宣言』は次のように述べている。
 「すべてこれまでの社会の歴史は階級闘争の歴史である。(この規定は、後になってエンゲルスによって原始共同体を除くと訂正された)。自由民と奴隷、貴族と平民、領主と農奴、ギルドの親方と職人、つまり抑圧するものと抑圧されるものとは、つねに対立し、ときには隠然と、ときには公然と、たえまない闘争をおこなってきた。そしてこの闘争は、いつでも全社会の革命的改造におわるか、さもなければあい争う階級のともだおれにおわった。封建社会の没落からうまれた近代ブルジョア社会は、階級対立を廃棄しはしなかった。それは、ただ、新しい階級、新しい抑圧条件、新しい闘争形態を古いものにおきかえたにすぎない。けれども、われわれの時代すなわちブルジョアジーの時代の特徴は、階級対立を単純化したことである。全社会は敵対する二大陣営に直接に相対する二大階級に分裂しつつある。すなわち、ブルジョアジーとプロレタリアートに」。
 マルクス主義は、原始共同体を除く人間の歴史を階級闘争の歴史としてとらえかえし、しかも特定の生産力の発展段階には特定の階級と対立が照応していることを明らかにし、その成立、発展、没落を歴史的に論証したのである。そして奴隷制、封建制につづく近代ブルジョア社会も、階級対立を廃棄することはできず、ブルジョアジーと.フロレタリアートという直接に相対立する二大階級社会であり、ブルジョア社会における対立、抗争などの様々な諸現象は階級関係の中ではじめて科学的に説明することができること、そしてブルジョア社会も自ら生み出した巨大な生産力との矛盾の中で社会主義にとってかわらなければならないことを論証したのである。
 「社会は、もはやブルジョアジーのもとでは生きていくことはできない。すなわち、ブルジョアジーの生存は、もはや社会とあいいれないのである。ブルジョア階級の存在と支配とのためのもっとも根本的な条件は、私人の手への富の累積、資本の形成と増大である。資本の条件は賃労働である。賃労働はもっぱら労働者相互の競争にもとづいて成立する。ブルジョアジーがいやおうなしに、その担い手となっている工業の進歩は、競争による労働者の孤立のかわりに結合による彼らの革命的団結をつくりだす。だから、大工業の発展とともにブルジョアジーが生産し、その生産物を取得するための土台そのものが、ブルジョアジーの足もとからとりさられるのだ。ブルジョアジーは何よりも自分自身の墓堀人をつくり出す。ブルジョアジーの没落とプロレタリアートの勝利とは、ともに避けられない」(『共産党宣言』)。
 マルクスはブルジョアジーが大工業を発展させることによって自らその「墓掘人」たるプロレタリアートをつくり出し、必然的に没落するのであり、社会主義社会がこれにとって代わらなければならない。しかも、大工業によって生み出されるプロレタリアートだけが、唯一つの革命的階級であることを明らかにすることによって、プロレタリアートの歴史的任務を規定したのである。
 「今日ブルジョアジーに対立しているすべての階級の中で、ひとりプロレタリアートだけが、真に革命的な階級である。そのほかの階級は、大工業とともにおとろえ没落する。プロレタリアートは大工業の最も特有な産物である」(『共産党宣言』)
 マルクスは、「プロレタリアートだけが、真に革命的階級である」ことを無条件に承認した。「資本の鉄鎖」以外何も失うべきものをもたないプロレタリアートこそが、ブルジョアジーをうちたおし、社会主義建設のために闘いうる唯一の階級なのである。「民主連合政権」とか「統一戦線」とかの階級協調主義をふりまく日和見主義者は労働者階級のこうした「革命的役割」について何一つ理解していないのだ。
 マルクスの階級闘争の理論は、日和見主義のように階級関係をあいまいにし、ブルジョアジーと闘う者をすべて無条件で支持したり美化することに断固として反対している。「中産身分、すなわち小工業、小商人、手工業者、農民、これがブルジョアジーと闘うのは、すべて中産身分としての彼らの地位を没落から守るためである。彼らは、したがって革命的ではなく保守的である。それだけでなく、彼らは反動的でさえある。なぜなら、彼らは歴史の車輪を逆にまわそうとするからである」(同前)。
 マルクス主義は、社会の諸現象を厳密にその生産関係と結びつけて、またその階級関係と結びつけて明らかにすることを要求している。
 マルクスは、この階級簡争の理論を基礎に、1848年のフランス、ドイツの革命やナポセオンのクーデター、バリ・コミューンなどヨーロッパの階級闘争を科学的に分析し、しかもその中で演じるプロレタリアートの革命的役割をも的確に描き出したのである。そして、歴史の原動力とは、このような階級闘争そのものであることを明らかにするとともに、ブルジョアジーに対するプロレタリアートの歴史的役割をも規定したのである。
 こうして、マルクス主義は唯一の革命的階級としてのプロレタリアートの階級的利益と固く結びつき、すぐれて階級的、党派的性格を帯びることとなった。
 われわれは、ここでマルクス主義の階級闘争の理論の中で最も主要なもの、即ち社会主義革命と国家の問題、及び革命にむけてのプロレタリアートの準備、党的闘争について述べることに限りたい。マルクス主義はプロレタリアートの戦略戦衝について多くの教訓を残している。だがそれは、階級闘争の具体的な展開の中で具体的に適用されなければならず、画一的、機械的な適用は全く無意味である。具体的な戦略戦術については、マルクス、エンゲルス、レーニンの著作そのものから学ぶべきである。
(2)社会主義革命と国家について
(@)ブルジョア民主主義と国家
 「それ(国家)はむしろ、特定の発展段階における社会の産物である。それは、この社会が自身との解決しがたい矛盾にまきこまれみづからはらいのける力のない、和解しがたい対立に分裂したことの告白である。ところで、これらの対立が、すなわち相争う経済的利害をもつ諸階級が、自己と社会とを無益な闘争のうちに消耗させないためには、この衡突を緩和し、これを『秩序』のわく内にたもつべき、外見上社会の上にたつ権力が必要になった。そして、社会から生まれながら、しかも社会の上にたち、社会から自らをますます疎外していくこの権力が、国家である」 (『家族、私有財産および国家の起源』)。
 国家とは階級対立の非和解性の産物であり、被支配階級を支配する権力機構、暴力装置である。マルクス主義は、階級闘争の現実から、国家とは階級対立の非和解性の産物であり、階級支配の機関であり、階級対立を緩和しつつ、この抑圧を合法化し強化せんとするものだとするのであり、これがマルクス主義の国家論の基礎である。
 従ってロシア革命後、スターリンが主張した「社会主義にも階級闘争は存在する、国家は必要だ」等々は、階級のない社会としての社会主義社会に国家が存在するはずもないことを理解していない卑俗な修正主義である。スターリンの主張は、ソヴェトが社会主義社会でなく階級社会――国家資本主義――であることの一つの言明にすぎなかったのである。
 ところで、階級関係がそのままである限り、民主共和制によっても国家のこの本質は変化しない。「近代の代議制国家も資本が賃労働を搾取する道具である」「国家は闘争において革命において、敵を暴力的に圧迫するために用いられる一時的な制度にすぎない」「国家は一階級の他の階級を抑圧するための機関にほかならないもので、このことは民主共和国でも君主国でも、少しもかわらない」(『家族、私有財産、国家の起源』『フランスの内乱』)。
 国家と代議制との関連についてこれ以上つけ加える必要はなかろう。カウツキーをはじめとする第二インターの指導者や各国の共産党が「民主主義」について際限のないおしゃべりをくり返してきたが、マルクス、レーニンははっきりと「民主共和制」がブルジョア国家の本質をいささかも変えるものではないこと、それはブルジョア独裁の一つの形態にすぎないことを明瞭に述べている。
 レーニンは「民主主義も国家である」と喝破し、ブルジョア民主主義=民主共和制はブルジョアジーがプロレタリアートを支配する「機関」「道具」以外の何ものでもないとした。そして問題はどの階級にとっての民主主義かが問題だとしたのである。だが階級協調主義者は、民主主義について語りつつ、それがどの階級にとっての民主主義であるのかということについて一言も述べていない。レーニンは、搾取者と被搾取者との間に平等はありうるのかと問題をたてカウツキーの「搾取者は、つねに住民のうちのわずかな少数を占めていたにすぎない」という主張に対し次のように述べている。
 「マルクス主義的に論じるとすれば、こういわなければならない。搾取者は不可避約に国家を被搾取者にたいする自分の階級の、すなわち搾取者の、支配の道具に転化させる。だから、多数者である被搾取者を支配する搾取者がいる振り、民主主義国家も不可避的に搾取者のための民主主義となるであろう。被搾取者の国家は、このような国家とは本質的にちがうものでなければならない……。
 自由主義者風に論じるならば、こういわなければならない。多数者は決定し、少数者は服従する、したがわないものは罰せられる。しかも、これがすべてである。一般的には国家の、特殊的には『純粋民主主義』の、階級的性格については何も論じるにはおよばない。これは問題には関係がない、なぜなら多数者は多数者であり、少数者は少数者だからである」(『プロレタリア革命と背教者カウツキー』)。
 われわれは、共産党が労働者と農民、中小企業者を合わせれば、人口の90%を越す、だからブルジョアジーに反対する民主統一戦線を結成し、国会で多数派を形成して日本の民主的改良をなしとげようという「自由主義」的議論を思いおこす。しかし、それは、マルクス主義でもレーニン主義でも、また現代への「発展」でも何でもなく、使い古されたカウツキーの「純粋民主主義」の欺瞞でしかない。
 民主共和制は、それ自体としては決してブルジョア国家の本質を変えることは出来ないし、むしろ、その形式のもとでブルジョアジーは完全にプロレタリアートを支配するのである。「民主共和制は資本主義のありうべき最善の外被であって、そのために資本は、この外被をえたのちは、自己の権力の土台を信頼できるものにするから、ブルジョア民主共和制では、人物や制度や党派のどんな交代もこの権力を少しも動揺させることができないのである」(『国家と革命』)。
 ブルジョア民主主義に対するこのような全体的な評価のうえに、民主主義のための闘いの意義も理解できるだろう。レーニンは、次のように言っている。
 「民主主義のための闘争は、プロレタリアートの社会主義からそらせるか、あるいは、それをさえぎり、あいまいにする恐れがあるなどと考えるのは、根本的なあやまりであろう。反対に、勝利を得た社会主義が完全な民主主義を実現しないことがありえないのと同じように、民主主義のための全面的な、一貫した革命闘争を行なわれないようなプロレタリアートはブルジョアジーに対する勝利の準備をととのえることはできない」(『社会主義革命と民族自決権』)。
 ブルジョア社会は、「民主主義」について語りながら、実際には民主主義的課題を充分に果していない。なぜなら、民主主義的課題を完全に実現することは、プロレタリアートとの階級対立をより貯明に、公然とすることとなり、階級闘争の高まりに脅えるブルジョアジーは民主主義に答えることは出来ないのである。ただ、プロレタリアートだけが、民主主義のために最後まで闘いぬくことができるのであり、社会主義革命のためにそれを利用していくことができるのである。
 政治的民主主義のための闘い、婦人差別や部落差別、人種や民族的差別と抑圧など、民主主義的課題は今日でも数限りなくある。従ってプロレタリアートは、民主主義のために断固として闘いぬかなければならない。それなくして、社会主義のための闘いは空文句に終るであろう。プロレタリアートは、民主主義が徹底化されればされる程、階級闘争の有利な条件を獲得できるのである。
 だが、これらの民主主義のための闘いは、それで完結するものでも、それだけで、「社会主義へ成長転化」するものでもない。民主主義のための闘いは、それ独自の意義を評価しそのために闘うとともに、その限界を正しく理解しておかなければならない。そうしない人は、必然的に小ブルジョア民主主義、改良主義に堕落していくであろう。
 「一切の民主主義的な要求はプロレタリアートの階級闘争の共同の利益に従属されており、絶対的なものはけっしてないからで」(『ツィンメンウァルドの決義』)ある。民主主義について百万語費しながら、その闘いが「プロレタリアートの共同の利益に従属されている」ことを無視するのは、日和見主義そのものである。
 そして、民主主義を完全に実現できるものは権力を握ったプロレタリアートだけであることを強調しなければならない。プロレタリア権力こそが、何ものをも恐れることなく、真の民主主義を実現することができる。ブルジョア社会の中でその階級支配と固く結びついて、実施されないでいる民主主義的課題の解決はプロレタリア権力の歴史的任務の一つとなるであろう。
 最後にマルクス主義の国家論で述べられている次の言葉が重要である。
 「こうして、国家は永遠の昔から存在するものではない。国家がなくてもすんでいた社会、国家と国家権力のことを夢想さえしなかった社会が、かつては存在した。社会の階級への分裂と必然的に結びついた経済的発展の一定の段階において、この分裂によって国家が一つの必要でなったのである。われわれはいま、これらの階級の存在が必然となくなるばかりか、かえって生産の積極的障害となるような、生産の発展段階に急歩調で近づきつつある。階級は、以前に、その発生が不可避であったのと同様に、不可避的に消滅するであろう。階級とともに国家も不可避的に消滅する」(『家族、私有財産、国家の起源』)。
 マルクス主義は、国家の問題をも唯物史観に基づいて厳密に規定したのである。国家とは人間社会の生産力の一定の発展段階に照応した階級対立の非和解性の産物であり、搾取階級が被搾取階級を支配する道具である、従って階級そのものがなくなれば国家そのものもその意義を失い「不可避的に消滅する」のである。
 マルクス主義のこの国家論は、社会主義革命との関連の中でプロレタリア独裁の理論としてより具体的な形で発展させられている。
(A)プロレタリア独裁
 マルクスはすでに『共産党宣言』の中で「プロレタリア独裁」(パリ・コミューン以降、こう呼ぶようになった)の思想を次のように定式化している。
 「労働者革命の第一歩は、プロレタリアートを支配階級にたかめること、民主主義をたたかいとることである」。「プロレタリアートは、ブルジョアジーからしだいにすべての資本を奪いとり、すべての生産用具を国家、すなわち支配階級として組織された.プロレタリアート、に集中し、生産力の量をできるかぎり急速に増大させるために、その政治支配を利用するであろう」。
 ここで、マルクスは国家と社会主義革命の問題に対する階級闘争の理論の見事な適用をなしている。「プロレタリアートを支配階級にたかめる」「民主主義をたたかいとる」とは、プロレタリアートがブルジョアジーに代って国家権力を握り、その権力を「ブルジョアジーからしだいにすべての資本を奪い取る」ために利用せよということである。「国家、すなわち、支配階級に組職されたプロレタリアート」というマルクス主義の理論は、すでに後のプロレタリア独裁の理論の原型を形づくっているのであり、ここに後の日和見主義者が改作したようなブルジョアジーとプロレタリアートの階級対立を和解させようとする試みや国家の階級性を曖昧にしようとする議論を見出すことは全く不可能である。
 プロレタリアートは、ブルジョアジーを収奪し社会主義を建設するために、ブルジョアジーを打倒して「自らを支配階級にたかめ」なければならない。そして、このことはプロレタリアートだけが、その経済的存立条件がブルジョアジーの打倒を準備させ、これをなしとげる可能性とカを与えているプロレタリアートだけが、出来るのである。「国家すなわち支配階級として組織されたプロレタリアート」というマルクスの理論は、歴史におけるプロレタリアートの革命的役割の承認と結びつきつつ、必然的にプロレタリア独裁の理論へと発展していった。マルクスは、パリ・コミューンの経験をふまえつつ、『共産党宣言』への序文の中で「この綱領は、今日ではところどころ時代おくれになっている。とくに、コミューンは、『労働者階級は、できあいの国家機関をたんにその手ににぎり、それを自分自身の目的のためにつかうことができない』ということを証明した」と述べている。
 この言葉は、日和見主義者によって徹底して無視され続けてきた。彼らは口先で階級闘争の理論を認めつつ、「民主主義の平和的発展」などをおしゃべりしてきた。われわれは、はっきりと言わなければならない。「プロレタリアートは出来合いの国家機構をそのまま利用するのではなく、それを粉砕しなければならない」と。
 では、一体何によって「出来合いの国家機構」に代るべきものをおかなければならないのか?プロレタリア独裁権力によって。「議会的な団体ではなく、同時に執行府でもあり立法府でもある行動的団体としてのコミューン」のようなプロレタリア権力によっておきかえなければならない。マルクスは『共産党宣言』の中で、ブルジョアジーを打倒してプロレタリアートが「支配階級に組織」されなければならないというプロレタリアートの一般的任務を明らかにしたが、コミューンの教訓から、そのためにはプロレタリアート自身の独裁権力を出来合いの国家機構を粉砕したあとにうちたてねばならないことを明らかにしたのである。
 マルクスは、すでに1852年、ヨゼフ・ワイデマイヤーにあてた手紙の中で、この階級闘争の理論の展開において彼のなした寄与がどの点にあるかを明らかにしている。
 「私よりもずっと以前に、ブルジョア歴史家たちはこの階級闘争の歴史的発展を述べていたし、そしてブルジョア経済学者たちは諸階級の経済上の解剖を述べていた。私があらたにやったことといえば、つぎの点を証明したことである。(1)諸階級の存在は、ただ特定の歴史的発展段階だけに結びついたものであるということ(2)階級闘争は必然的にプロレタリア独裁へみちびくということ(3)この独裁そのものは、いっさいの階級の揚棄と無階級社会とにいたる過渡をなすにすぎないということ」。
 マルクス主義が階級・闘争の理論であるというのは、それがただ階級の存在や対立、抗争を認めているというのではない、それだけでなく階級の存在が「特定の歴史的発展段階にだけ結びついている」こと、即ち資本主義社会という階級社会も歴史的過渡的社会でありそれがプロレタリア独裁を通じてプロレタリア階級そのものを揚棄するという点にある。
 レーニンは次のようにいっている。
 「階級闘争を承認するにすぎない人は、まだマルクス主義者ではない。そういう人はブルジョア的な思考とブルジョア的政治のわくをまだでていないこともありうる。マルクス主義を階級闘争の学説に限ることは、マルクス主義をきりとり、それを歪曲し、それをブルジョアジーにもうけ入れられるものにひきさげることを意味する。マルクス主義者であるのは、階級闘争の承認をプロレタリアートの独裁の承認にまでおしひろげる人だけである。この点に、マルクス主義者とありふれた小ブルジョア(大ブルジョアはもちろんのこと)とのもっとも深い相違がある。」(『国家と革命』)
 現在、共産党によってプロレタリア独裁の理論が「プロレタリアートの執権」等々といった訳のわからない訳語に改変され、プロレタリア独裁の中味がことごとく抜きさられている時、マルクス、レーニンの言葉は重要な意味を持っている。共産党は、「階級闘争」を承認するが、それをプロレタリア独裁の承認にまで決して発展させようとしていないのだから。
 しかし、こうしたプロレタリア独裁の理論の修正は決して目新しいことではない。1905年のロシア革命のあとでカデットは、プロレタリア独裁を「特別警備」という笑うべき翻訳によってそのブルジョア自由主義的な汚らしい姿をさらけ出したが、その茶番は今日では日本共産党のものとなっている。
 「独裁は、直接に暴力に立脚し、どんな法律にも束縛されない権力である。プロレタリアートの革命的独裁は、ブルジョアジーに対するプロレタリアートの暴力によってたたかいとられた維持される権力であり、どんな法律にも束縛されない権力である。」(『プロレタリア革命と背教者カウツキー』)
 レーニンは、「直接に暴力に立脚し、どんな法律にも束縛されない権力」としてのプロレタリア独裁を、公然と承認しなければならないと強調している。
 マルクスのプロレタリア独裁の理論はレーニンによってロシア革命の中で発展させられ、ソヴエト権力というプロレタリア独裁の具体的な形態として実現された。レーニンは階級闘争の理論に充分に立脚しつつ、プロレタリア独裁権力としてのソヴエト権力について次のように述べている。
 「ソヴェトは、勤労被搾取大衆自身の直接の組織であって、彼らが自分の国家を建設し、これを統治するのを、あらゆる可能な手段によってたすける。…ソヴェト組織は、すべての勤労被搾取者の前衛、すなわちプロレタリアートの周囲に、勤労被搾取者を統合することを自動的に助ける。旧ブルジョア機構――官僚制、富の特権、ブルジョア的教育の特権、手づるその他の特権(これらの実際上の特権は、ブルジョア民主主義が発展していればいるほど、それだけ多種多様である)、――すべてこうしたものは、ソヴェト組織ではなくなっている」(同前)。
 そして、このソヴェトは、プロレタリアート(と農民)にとっては完全な民主主義であるが、しかしブルジョアジーにとっては非民主主義であること、搾取階級を支配するための民主主義であり、これはプロレタリア民主主義=プロレタリア独裁であるとした。
 レーニンは、十月革命の前に執筆した「国家と革命」の中で「日和見主義者は、階級闘争の承認を、まさにもっとも主要な点まではすなわち、資本主義から共産主義の過渡期、ブルジョアジーの打倒と彼らの完全な絶滅の時期までは、おしひろげない。現実にはこの時期は不可避的に階絶間争がかつてなかったほど激しく、その形態がかつてなかったほど鋭い時期である。したがって、この時期の国家も、また不可避的に、新しい仕方で民主主義的な、新しい仕方で独裁的な国家でなければならない」と述べ、プロレタリア独裁=ソヴェト権力のもとでも階級闘争の存在、新たな仕方での階級闘争を予想していた。これはソヴェト権力のもとで明らかにされたが、この事実は、日和見主義者とともに、すべての国家を否定する無政府主義者の無力さをも教えている。ブルジョア権力を打倒したプロレタリアートは自ら樹立した権力を守る――正確にはこの権力は死に絶える運命をもつが――ことなくして、ブルジョアジーの反革命をうち破り、社会主義に向かって前進することはできないであろう。
 プロレタリア独裁の理論はマルクス主義の最も重要な核心の一つであるため、ありとあらゆる日和見主義者によるマルクス主義への攻撃が、この理論に集中された。ベルンシュタインは、マルクス主義をプランキ主義と非難して、「<プロレタリアートの独裁>をきっぱりと拒否」(『国家論ノート』、レーニン)し、あからさまな修正主義を主張した。カウツキーはベルンシュタインの修正主義を批判はしたが、一貫してマルクス主義的に批判を加えることができず、ベルンシュタイン主義に屈服した。彼は「軍事的、官僚的国家を粉砕」し.フロレタリアートの独裁におきかえることではなく、「プロレタリアートの意をむかえる政府に代えること」、「議会内で多数者を獲得することによって国家権力をたたかいとることであり、議会を政府の主人にたかめること」が必要であるとした。レーニンはカウツキーのこの立場を「マルクス主義をどこまで俗悪化したことか!!」(『国家論ノート』)と嘲笑し、「プロレタリア−トの独裁は、改良のための闘争という小市民的ユートピアとすりかえられている」(同)と批判した。
 ところが今日では、ユーロ・コミュニズム―イタリア、フランス、スペイン、日本などの共産党――によって、ベルンシュタイン=カウツキーと全く同じ修正主義的試みが行なわれている。彼らは、レーニンによって発展させられたプロレタリア独裁の理論を"ロシア的な特殊な理論"であるとして、先進資本主義国における革命の理論ではなく、後進国革命の理論であるかにいうのである。彼らは「自由と民主主義を通して社会主義へ前進する」と口をそろえて主張する。だがこの立場は「議会を政府の主人にたかめる」というカウツキーの立場と寸分かわらない。ユーロ・コミュニズムがプロレタリア独裁の理論を――ロシア的云々の口実によって――否認していることは、この国際的な潮流が決定的にベルンシュタイン=カウツキー流の修正主義に移行したことを教えるものである。
(3)党の役割と意義について
 これまでの階級闘争の歴史は、プロレタリアートの党の存在が、革命運動が勝利するうえで不可欠の要素であることを教えている。レーニンは次のように書いている。
 「ただ共産党が、真に革命的階級の前衛であるばあいに、この党がこの階級のすぐれた分子全員を包容しているばあいに、頑強な革命闘争の経験によって啓蒙されきたえられた、完全に自覚した、完全な共産主義者からなっているばあいに、この党が自分の階級の全生活と、またこの階級を通じて被搾取者の全大衆と、切っても切れないように結びついており、この階級とこの大衆に完全に信頼の念をおこさせる能力をもっているばあいに、そのような党だけが、あらゆる資本主義勢力に反対するもっとも仮借ない、決定的な最後の闘争において、プロレタリアートを指導することができる。他方では、このような党に指導されるときにだけプロレタリアートは、その革命的攻撃力をあますところなく発揮し、資本主義によって腐敗させられた、わずかな少数者である労働組合や協同組合の古い指導者たちのもっている不可避的な冷淡さや、いくぶんはその反抗を打破することができるし、また、資本主義社会の経済組織そのもののせいで、人口中にしめるその割合よりもはるかに大きい自己の力を、あますところなく発揮することができる」(『第三インター第二回大会のテーゼ』)。
 党は、プロレタリアートの階級闘争の中でプロレタリアートが「自己の力をあますところなく発揮するため」に必要である。こうした党を持たないプロレタリアートは、ブルジョアジーや改良主義者の影響の中で、その革命的エネルギーを充分に発揮できず消耗し敗北していく以外にないのである。このことは、これまでの階級闘争のすべての歴史が教えている。
 なぜなら、プロレタリアートはただ自然発生的な闘いにとどまっていたなら、そのままではマルクス主義を自らのものとすることが出来ないからであり、闘う方針も何も持たずにブルジョアジーの階級支配をうちたおすことは不可能であるからだ。
 「われわれはいま、労勧者は社会民主主義的意識をもっているはずもなかった、といった。この意識はただ外部からだけもたらしうるものだったのである。労働者階級が、まったくの独力では、組合主義的意識、すなわち、組合に団結し、雇主と闘争をおこない、政府から労勧者に必要なあれこれの法律の発布をかちとるなどが必要だという確信をつくりあげうるだけであるのは、各国の歴史の証明するところである。他方、社会主義の学説は、有産階級の教育ある代表者であるインテリゲンチャによって仕上げられそれに哲学、歴史学、経済学の諸理論から成長してきたものである」(『何をなすべきか?』)。
 また、レーニンは経済主義者が政治的宣伝煽動の範囲をせばめたことに反対して次のように述べている。
 「もし労働者が、どの階級に関係したことがらであるかにかかわりなく、ありとあらゆる専横と抑圧、暴力と不法の事例に反応することに――しかも、ほかのどの見地からでもなくまさに社会民主主義的な見地から反応することになれていないなら、労働者階級の意識は真に政治的な意識ではありえない。もし労働者が、具体的な、そのうえ、ぜひとも焦眉の(切実な)政治的事実や事件にもとづいて、他のそれぞれの社会階級の知的、政治的生活のいっさいの現れにわたって、観察することを学ばないなら――住民のすべての階級、層、集団の活動と生活のすべてにわたる方面の唯物論的分析と唯物論的評価を、実地に応用することを学ばないなら、労働者大衆の意識は真に階級的な意識ではありえない」(同)。
 ここに、階級闘争におけるマルクス主義者(その組織としてのマルクス主義政党)の役割が明らかにされている。マルクス主義者はプロレタリア大衆と別個の利益を持っている訳ではない――つまりただプロレタリアートの全体の将来の利益をもまた代表している――が、その理論をプロレタリア大衆のものとするためにそして彼らのカを「余すところなく発揮させる」ために闘わなければならないのである。マルクス主義は、哲学、経済学、歴史学とあらゆる社会科学の分野を包括した大系であり、それをプロレタリア大衆は学ぶことなくして自らのものとすることはできない。階級闘争の理論についていえば世界の労働者階級の闘争の経験を批判的に摂取し、いかに囲うべきか、いかに関ってはならないかを総括し自らのものとすることなくして、複雑な階級闘争を闘いぬいて勝利することは出来ないのである。
 そして、プロレタリアートの党こそが、大衆を教育し訓練することによって、プロレタリアートの歴史的任務を遂行する潜在的能力を現実のものとすることを可能に出来るのだ。
 まとめてみよう。党とは何か?それはプロレタリアートの前衛部隊である。党はプロレタリア大衆の中で最良の階級意識ある分子の組織であり、「もっとも確固たる、たえず推進していく部分であり理論的にはプロレタリア運動の諸条件、進路、一般的結果を理解している」プロレタリア大衆の闘争指導部である。
 党は大衆を教育し訓練し、階級闘争の最も根本的な闘い=ブルジョア国家権力に反対する闘いへ大衆を導くよう闘うのである。個々バラバラに闘われているプロレタリア大衆の闘いに統一性と計画性を与え、それを単一の階級としての断固たる闘いに高めていくことこそ党の役割なのである。党とはプロレタリアートの「最高の組織形態」(レーニン)なのである。
 おのずから、党と大衆組織――労働組合、協同組合等々――との関係は明らかであろう。党は労働者階級の共通した現実的利益を擁譲して闘うとともに、将来の利益(社会主義)のために闘う。そして大衆組織は党の援助の中で次第に階級的に成長することによって、党と融合していくのである。
 したがって党的活動の一般的任務はマルクス主義を労働者大衆の中に広め、大衆との固い結びつきを確保し、大衆を党的水準にまで高めることである。即ち、宣伝、煽動、組織化の闘いとして現われるのである。
 プロレタリアートの闘いが雇主に対する「萌芽的な階級闘争」(レーニン)から資本とその国家に反対する「全般約な階級闘争」(同)に発展することを援助し、またその先頭にたって闘う組織こそプロレタリア党であり、その意味で党的な闘いは共産主義者の闘いとして、最も発展した階級闘争の現れである。
 レーニンは「マルクス主義は、階級闘争が政治をとらえるだけでなく、また政治においてもっとも本質的なもの、すなわち国家権力の構造をとりあげるばあいに、はじめて階級闘争を完全に発展した『全国民釣な階級闘争とみなす』」、「階級闘争は特定の政治的思想と社会主義的理想とのための特定の政党の闘争」(『階級闘争の自由主義的概念とマルクス主義の概念について』)と指摘している。
 こうした党的闘いが、ロシア革命の中で1903年以降、レーニンに指導されたボルシェヴィキによって一貫してなされることによって、はじめてあの偉大なロシア革命を勝利に導くことができたのである。
第二部  マルクス主義基本文献
 著者、発行所は文献の下にカッコで示した。著者については、Mはマルクス、Eはエンゲルス、Lはレーニンの、発行所については、国は国民文庫、青は青木文庫、岩は岩波文庫、角は角川文庫の略である。
1.マルクス主義の世界観
 「共産党宣言」 (M・E、国、青、岩、角)
 「すべてこれまでの社会の歴史は階級闘争の歴史である」に始まり、「万国のプロレタリア団結せよ」の有名な言葉で終る『共産党宣言』は、マルクス主義の新しい世界観および共産主義社会の創造者であるプロレタリアートの世界史的・革命的役割をのべた全世界のプロレタリアートの前衛の革命的綱領である。
 国民文庫版には、1847年に「共産主義者の信条草案」としてエンゲルスが書いた「共産主義の原理」が所収されている。これは共産主義、プロレタリアとは何か、資本主義の共産主義への転化の必然性、共産主義政党の基本政策を明らかにしておりその内容は『共産党宣言』へ発展させられた。
 「空想より科学への社会主義の発展」 (E、国、青、岩)
 『E・デューリング氏の科学の変革』の序説と社会主義の歴史的、理論的概説の部分をまとめたもので、資本主義の経済的運動についての重要な補足がある。18世紀の空想的社会主義者の一般的特徴の概説、ヘーゲルの観念的弁証法から唯物弁証法への転化・発展、史的唯物論の基本命題、資本主義社会の発生・発展・没落の必然性、共産主義社会の基本的特徴が展開されている。
 「E・デューリング氏の科学の変革」 (E、国、岩)
 小ブルジョア社会主義者デューリングのエセ理論に反駁するという形式で、マルクス主義の三つの基本構成=哲学、経済学、社会主義を論じている。マルクス主義の世界観を学ぶために欠かせない。
 またエンゲルスはここで、「世界の現実の統一性はそれの物質性にある」という唯物論の基本命題を与え、またデューリングの「永遠の真理」という抽象物の探求を批判して、弁証法の定式化をおこない、自然科学と社会科学の意義と役割を示している。哲学を学ぶ上でも読まなければならない書である。
 「カール・マルクス」 (L、国)
 標題の論文では、マルクス主義の世界観=哲学的唯物論、弁証法、唯物史観、階級闘争およびマルクス主義の主要な内容である経済学説について、その基本的内容が簡素にであるが見事に凝結され著されている。なお、マルクスの略伝がついている。
 それに加えて「マルクス主義の三つの源泉」と「F・エンゲルス」が所収されている。前者は、マルクス主義が世界文明から別個に発生した閉鎖的な「有害な宗派」であるとのブルジョアジーの中傷に反対し、マルクス主義が人類の科学を継承し、総括した科学であることを明らかにしている。また後者はエンゲルスの死に対する追悼文である。エンゲルがマルクスと共に、社会主義を近代社会の生産力の発展の終局の目標であり、必然的な結果であること、人類を現代社会の災厄から救い出すものは組織されたプロレタリアートの自主的な階級闘争であることを科学的に明らかにしたその業績についてのべている。
《参考文献》 
 世界観を直接展開しているのではないが、マルクスやレーニンがその生涯において、どのように思想を発展させ、またどのように闘ったかを知ることは、マルクス主義の世界観を学ぶ上で大きな手がかりとなるだろう。
 メーリングの
「カール・マルクス(1〜3)」(国)は、マルクスの著作やエンゲルスとの書簡等から豊富に引用しながら、マルクスの青年時代からその死に至るまでの苦難に満ちた、だが偉大な革命家としての輝かしい生涯とその闘いを跡づけている。ラサール派及びラサールに対する評価の誤りなどが散見されるが、マルクスの伝記としては最良のものの一つである。
 「レーニン伝」
(G・ヴァルテル、角)も同様に、レーニンの幼年時代からその最後までを描き、メンシェヴィキとの闘い、カウツキー派との論争などのいくつかのエポックを通して、レーニンの思想の全体像を与えようとしている。クループスカヤの「レーニンの思い出(上・下)」(青)は、妻であり同志であった眼からレーニンの闘いと生涯を描いたものである。両者ともそのままロシア革命の歴史となっている。

2.哲学理論
 「経済学哲学手稿」 (M、国、岩)
 “国民経済学”(古典派経済学)の批判を通じて、はじめて公然と私有財産を否定し、共産主義を肯定し、さらにプロレタリアートの歴史的使命を宣言したマルクスの青年時代の著作。しかし、まだフォイエルバッハの「自然主義=人間主義」の影響が強く、古典派経済学批判は科学のレベルにまで高められてはいない。
 「ドイツ・イデオロギー」 (M・E、国、岩)
 資本と賃労働の階級闘争におそれをなす小ブルジョアの視野から“感傷的に”資本主義を批判した「真正」社会主義者たち(ヘスやグリューン)を暴露し、マルクス主義の世界観の基礎をはじめて、いくらかでもまとまったものとして述べた記念すべき著作。小ブルジョア的社会主義者の批判として今なお新鮮な意義をもっている。
 「哲学の貧困」 (M、国、岩)
 「頭のてっペんから足の爪先まで、小ブルジョアジーの哲学者で経済学者」であるとマルクスが評したブルードン論難の書。ブルードンの形而上学的方法を徹底的に批判し、そのユートピア主義を痛烈に暴露している。弁証法を駆使し、労働価値説にもとづき、価値、貨幣、分業、宗争、地代、労働問題などについてのマルクス主義の基本的な命題のいくつかが鋭く展開されている。
 「フォイエルバッハ論」 (E、国、青、岩)
 「人間はそれ自身自然の産物である」と喝破したフォイエルバッハの“自然主義的”唯物論は、ヘーゲル哲学からマルクス主義哲学(客観的・弁証法的観念論から弁証法的唯物論)への過渡をなしており、マルクス主義哲学の成立の一契機となった。エンゲルスはフォイエルバッハ哲学の意義と眼界を余すところなく展開し、同時にマルクス主義哲学の基礎を簡明に述べている。
 「自然弁証法」 (E、国、岩)
 エンゲルスが晩年「8年間の大部分を費やして」数学と自然科学を研究して書きあげた、「弁証法的であると同時に唯物論的な自然観」(『反デユーリング論』1885年序文)を明らかにした著作。最も包括的なマルクス主義哲学書の一つ。
 「人民の友とは何か」 (L、国)
 「のちにレーニンによって展開された見解の基本、レーニン主義の基礎をすべてそこに含んでいる」とレーニンの姉が評した、レーニンの最初の、いくらかでもまとまった著作でこの中でレーニンは主観的観念論者はナロードニキを批判しつつ、マルクス主義哲学の基確を見事に展開している。
 「唯物論と経験批判論」 (L、国、岩)
 1905年の革命後にあらわれた、マルクス主義を名乗る観念論者(経験批判論者)=マッハ主義者へのレーニンの反撃の書。レーニンは、マルクス主義哲学を擁護しつつ、その見地から、自然科学とくに物理学における新しい諸現象を総括している。
 「哲学ノート」 (L、国、岩)
 第一次大戦中のレーニンのへーゲル哲学研究ノートである。レーニンはとくにこの中で弁証法について、また認識論について深く考察し、プレハーノフの哲学の欠陥を明らかにしている。レーニンは、ヘーゲルのカント批判(批判の仕方)に絶大な意義を認めているが、我々はこの点に十分注意を払うべきであろう。
《参考文献》 
 真の弁証法的思考はヘーゲルにおいてはじまったということは、ヘーゲルが「大論理学」(岩波書店)・「小論理学(上・下)」(岩)において、カント派の“悟性的な分析論理”を徹底的に批判しつくすことによって、弁証法的理論を明らかにしたからである。この意味で、ヘーゲルの論理学こそ現代哲学の母である。カント派の論理がはびこっている現在、我々がこの書から学ぶことができるものは無限であるといっていい。
 マルクス・エンゲルスによる弁証法的唯物論・史的唯物論の確立は、ヘーゲル哲学の観念論の呪縛を根底から粉砕することなしには不可能であった。フォイエルバッハの初期の著作、「ヘーゲル哲学の批判」「将来の哲学の根本問題」
(岩)は、彼の非弁証法的な限界にもかかわらず、自然、感性的な直観、実践(生活)を哲学の根本的な前提に置くことによって、ヘーゲル哲学の「思弁的構成の秘密」を暴露し、マルクス・エンゲルスの思想形成に鮮烈な影響をもたらした。
 しかしフォイエルバッハは「キリスト教の本質」
(岩)で、「宗教は人間の精神の夢である」、「私は神学を人間学に引き下げることによってむしろ人間学を神学に高める」と書き、“人間主義”を神学に対置するにとどまった。彼はヘーゲルを観念論として否定すると同時に、弁証法までも捨て去り、結局は18世紀のフランスの素朴な唯物論の立場以上にすすむことができなかったのである。
 他方、マルクス・エンゲルスは、ヘーゲルの弁証法を保持しつつ唯物論の立場に立った。つまり弁証法的唯物論がマルクス主義の哲学となったのである。
 プレハーノフの哲学は、革命後、レーニンによって「第一級」の哲学として青年に堆奨された。とりわけナロードニキ学者を批判した「史的一元論」
(岩)は、一世代のロシアマルクス主義者――レーニンも含めて――を啓発したといわれる。プレハーノフは、弁証法を単なる実例の総和と理解し、レーニンの『哲学ノート』で批判されたが、しかし、彼の哲学はマルクス主義的哲学書としては最良のものの一つである。『史的一元論』の他に、「歴史における個人の役割」(岩)、「マルクス主義の根本問題」(福村出版)等がある。
また、ベルンシュタイン的修正主義と、それが依拠した新カント主義への論難の書も注目に値する。
 史的唯物論を理解するための入門書的な小冊子としては、メーリングの「史的唯物論について」
(河出)がある。当時(19世紀末)の史的観念論者の批判に反駁しながら、「史的唯物論のもっとも本質的な要旨を展開」(同著序)している。
 現在、『経哲手稿』などの初期マルクスの著作を利用してのマルクス主義哲学の観念論的改作が流行をきわめている。オイゼルマンの「マルクス主義哲学の形成」
(勁草書房)は、1840年代におけるマルクス・エンゲルスの思想形成過程を「観念論及び革命的民主主義から弁証法的唯物論及び科学的共産主義へ」の発展として、豊富な資料を駆使して実証的にあとづけている。弁証法的唯物論・史的唯物論の革命的な意義、その本質を理解する上で格好の包括的な入門書といえよう。

3.経済理論
  (1)原論
 「賃労働と資本」 (M、国、岩、角)
 賃金とはなにか?それはどのようにしてきめられるか?――という最も現実的な問題から出発して賃労働と資本の根本的な対立を労働搾取の暴露を通じて鋭きあかした書。これからマルクス主義経済学を学ぼうとする者が第一に読むべき書。
 「賃金・価格及び利潤」 (M、国、岩、角)
 『資本論』の最良の入門書。賃金を引上げれば物価があがる、故に労働組合は有害である、という主張をとりあげ科学的論拠にもとづき徹底的に暴露。本書の後半は『資本論』の最もすぐれた要約でもあり、マルクス主義経済学の根本的諸問題が簡潔に展開されている。
 「経済学批判」 (M、国、岩)
 マルクスの経済学批判体系が明確に確立された最初の著書であり、『資本論』第一篇商品と貨幣までを対象にしている。
 本書では特に価値と貨幣の諸理論の歴史の批判が詳述されている。また序文は、短い文章で唯物史観を定式化した有名な命題を含んでいる。
 「資本論」 (M、国、青、岩、角)
 資本主義社会の経済的運動法則、すなわち歴史的に特殊な発展段階の生産関係をその生成、発展、消滅の過程において把え、その法則を徹底的に科学的に論証した書。唯物論的見解を経済学に適用し、資本主義社会の全基礎を、剰余価値の分析を通じて明らかにした。『資本論』を読まずに、マルクス主義を語ることは出来ない。
 「資本論書簡」 (M・E、国)
 『資本論』に関するマルクスとエンゲルスの往復書簡及び第三者への書簡を収録。『経済学批判』のプランから個々の概念や理論にいたるまでマルクスとエンゲルスが相談をしながら作り上げていった過程が明らかになる。『資本論』の研究をすすめていくうえでのポイント、着眼点など重要な示唆を与えてくれる。
 「経済学批判要綱」 (M、大月書店)
 『経済学批判』の完成にいたるまでの膨大な草稿(1857〜58年)で、マルクスの経済学の全体系の構想をすすめていった際のノートである。特に第一分冊の序説には「経済学の方法」があり、マルクスの「方法」の理解を深める上で重要。
 「剰余価値学説史」 (M、国、青)
 資本主義的生産閑係の批判は、同時にその理論的表現である経済学的諸範疇の批判でもある。本書は『資本論』の第四巻に当てる目的で剰余価値に関する諸学説を批判した手稿である。『資本論』の研究をさらに深めていくには必読。
 「いわゆる市場問題について」 (L、国)
 社会的総資本の再生産に関するマルクスの理論をロシアの資本主義的発展の分析に適用し、ナロードニキと合法的マルクス主義の理論的基礎をくつがえした論文。「人民大衆の貧困化」を通じて、資本主義がいかに発展していくかを理論的に解明した。
 「ロシアにおける資本主義の発展」 (L、国)
 「大工業のための国内市場の形成過程」の副題を与えられた本書は、膨大な統計的資料を駆使して、ロシアにおける農業関係の発展が、まさに資本主義的にすすんでいることを分析し、「市場問題」に具体的な解答を与え、ナロードニキ理論を粉砕した。
《参考文献》 
 『資本論』の研究をすすめ、あるいは理解を深めていくうえで重要な参考文献として、「マルクス経済学レキシコン」(大月書店)と「資本論辞典」(青木書店)がある。前者は、現在まで、十巻が刊行されており、「競争」「方法」「唯物史観」「恐慌」について、マルクス・エンゲルスの膨大な著作の中から関連するテーマについて書かれた重要なものをすべて収集し、一定の方法にもとづき体系的に編集した画期的な書である。この書は、マルクスの学説を断片的、一面的に理解するのではなく、その全体的な広がりにおいて、すなわち一つの概念を固定的にではなく、他の諸概念との関連のなかで把え、理解していくうえで重要な手掛りになるだろう。
 『資本論辞典』もこの点では、便利で、ときに(全体としてはマルクスの叙述によっているが)筆者の主観的判断で歪められた説明も与えられている。『資本論』についての諸論争を知るには「資本論講座」(七分冊、
青木書店)が便利。原典解説(『資本論』の各篇の要約)と研究と論争とからなっており、特に後者は主要な論争点を紹介している。
 ロスドルスキー「資本論成立史」(四分冊、
法政大学出版)は、『経済学批判要綱』の研究が中心で、単なる解説書ではなく、独自の研究としての意義がある。ローザ、ヒルファーディング、バヴェルク等の歴史上有名な「マルクス批判」が批判されている。
 マルクスを理論的に純化すると称して、マルクス主義を徹底的に俗流化し、似て非なる「体系」をつくりあげたものに、いわゆる宇野経済学があるが、その立場からの『資本論』研究に「資本論研究」(五分冊、
筑摩書房)がある。宇野の「マルクス批判」の集大成で彼の立場からみた「資本論の問題点」を整理して紹介している。宇野自身の経済学の体系的叙述としては新、旧「経済原論」(新―青林書院新社、旧―岩波書店)がある。 宇野経済学に対するマルクス主義的な批判としては、とりあえず久留間鮫造「価値形態論と交換過程論」(岩波書店)と見田石介「宇野理論とマルクス主義経済学」(青木書店)をあげておこう。前者は『資本論』の第一章のうちの価値形態論と第二章の交換過程論の関連と意義を分析しており。この部分(『資本論』の胃頭の最も難解とされている)の理解を深める手助けになろう。後者は宇野経済学の全体的な内容、性格、意義を鋭く暴露している。
  (2)帝国主義の理論
 「資本主義の最高の発展段階としての帝国主義」 (L、国、青、岩、角)
 帝国主義とは何か、その基本的特徴を分析している。レーニンは、帝国主義のもっとも深い基礎、経済的特質が独占資本の支配であること、帝国主義は資本主義の最高の発展段階であることを明らかにした。さらに、独占資本主義が寄生的な腐敗し、死滅しつつある資本主義であり、資本主義からより高度の社会主義経済への過渡であると特徴づけている。
 「帝国主義論ノート」 (L、国)
 『帝国主義論』のための準備ノートであり、統計、論文、著作、新聞など広汎で多様な準備材料を含んでいる。
 レーニンは多くの引用や短評で、ブルジョアジーや日和見主義者たちの帝国主義の弁護論に対して鋭い批判を行っている。帝国主義論を学ぶうえで欠かせない。
《参考文献》 
 独占資本主義段階の資本主義を分析した著作にヒルファーディング「金融資本論」(国、岩)がある。彼は銀行資本と産業資本との癒着、カルテル・トラストによる自由競争の制限を主要な分析の対象とした。彼は後に「組織された資本主義」を唱え、そして『金融資本論』においてもその萌芽的見解がみられるが、それにもかかわらず、独占資本主義段階の資本主義の特徴に関する貴重な指摘を含んでいる。ローザ・ルクセンブルクの「資本蓄積論(1〜3)」(国、青)は、『資本論』第二巻第二編の再生産論の誤った理解に基づき、展開されたもので「帝国主義とは、まだ押収されていない非資本主義的世界環境をめぐる競争戦における資本蓄積過程の政治的表現」だとした。これは帝国主義を農業諸国を併合しようとする「政策」だとするカウツキー的見解とほとんど同じである。また、これはその政策が阻止されれば資本主義が崩壊するという“自動崩壊論”でもある。
 プハーリンの「世界経済と帝国主義」
(現代思潮社)も「組織された資本主義」と軌を一にしている。彼は、資本の集中・集積によって国民経済は一つの巨大なトラストに転化し、金融資本グループと国家が株主となる「国家資本主義的トラスト」論を展開した。彼はこのもとでは生産の無政府性は克服されるとまで言っている。こうした誤りは、彼が後に帝国主義を資本主義の一般的基礎から切りはなして論じた「純粋帝国主義」論にもつながっている。
 帝国主義の分析の方法論としては、宇野弘蔵の「経済学方法論」
(東大出版)がある。宇野は独占資本の分析は資本主義の経済法則を明らかにした『資本論』からは不可能であり、「特殊な型の資本の分析」によらなければならない、と言っている。こうした議論は、帝国主義を資本主義の一般的基礎から切りはなし、国家の政策に解消するバカげた結論にゆきつかざるをえない。
  (3)国会資本主義、社会主義
 「ゴー夕綱領批判」 (M、国、青、岩)
 マルクスがドイツ労働者党綱領草案に対しておこなった評注でラッサール主義の全面的批判の書。
 マルクスは、草案に見られるラッサールの「賃金鉄則」論「自由国家」論、「協同組合」論等の小ブルジョア的俗流的性格を批判し、階級闘争と国家に関するマルクス主義の理論を深めた。資本主義社会から共産主義社会への移行は、プロレタリアートの革命的独裁を通じる以外にないことが鮮明におしだされると共に、社会主義社会、共産主義社会の基本的性格とそこにおける分配の問題が解明されている。
 また国民文庫版には、「エルフルト綱領批判」が所収されている。これは、1891年のドイツ社会民主党エルフルト大会に提案される新綱領草案をエンゲルスが批判したものである。エンゲルスの批判の中心は、綱領草案の政治的諸要求、特に国家に関する問題にむけられた。専制的政府の支配下にあり、議会が実権をもたないドイツで、共和制さらには社会主義へ「快適で平和的な方法」で移行できるかのように主張したドイツ社会民主党を鋭く批判し、民主的共和制、連邦制等の国家諸形態のプロレタリアートの階級闘争にとっての意義が明確にされている。
 「経済学評注」 (L、大月書店、現代思潮社)
 レーニンがプハーリンの『過渡期経済論』につけた評注。レーニンはこの中で社会主義のもとでも経済法則は消滅しないこと、経済学の意義はなくならないことを明らかにした。レーニンは社会主義においても価値規定の内容、第一部門と第二部門の関係は生産の法則として残ることを明らかにしている。
《参考文献》 
 革命ロシアの官僚的国家への「変質」は1930年代に完成した。この担い手こそスターリン主義者であった。スターリンの「社会主義の経済的諸問題」(国)は、社会主義のもとでも商品生産が残存するとかの「理論」によってこの国家資本主義を美化した、国家資本主義の体制イデオロギーの書である。そして、この国家をめぐってマルクス主義者の陣営のうち特にトロツキー主義者の側からいくつかの評価と批判が開始された。「裏切られた革命」(トロツキー文庫、現代思潮社)はこれに対する最初の問題提起の書であり、スターリン主義への鋭い暴露の書であった。しかし、トロツキー主義者は「労働者国家」の幻想にとらえられ、スターリン主義者とその国家を国家資本主義の担い手、支配層として把握することができなかった。
 クリフの「現代ソ連論」
(風媒社)もこの系譜に属し、ソ連国家を国家資本主義とよびながらその生産の法則と性格については、はっきりと把握することができなかった。こうした観念性はクリフの「現代中国論」(同)には、いっそう顕著である。なお、プハーリンの「過渡期経済論」(現代思潮社)は第一次世界帝国主義戦争後の世界資本主義の危機と「社会主義」建設の一般的問題を論じたものである。ブハーリンは均衡主義的な立場に立ち、またロシアの後れた状況を基礎に「社会主義の建設」を論じている。この書はレーニンに批判されたいくつかの欠陥をもっているが、革命ロシアの経済建設の一般的条件を知ることができる。プレオプラジェンスキーの「新しい経済」(同)はスターリンの権力と国家資本主義の確立以前にソ連社会の蓄積の基盤について論じたもので、ここで展開された農民からの収奪による「民主主義的本源的蓄積」理論は後にスターリン主義者によって実践に移された。
 マル労同の「スターリン体制から『自由化』へ」
(全国社研社)はソ連圏社会の基本的性格について初めてマルクス主義経済学の立場から分析を加えたもので、この社会が商品生産を基礎とし、国家による強権的資本蓄積によって国民経済的発展をとげた一種の資本主義であり、階級社会であること、ソ連における資本蓄積の発展は資本の資本としての運動である「自由競争」への要求を必然化したことを明らかにしている。「科学的共産主義32号」(マル労同政治局)はこうした立場による中国社会の分析である。

4.階級闘争の理論
  (1)階級闘争と国家
 「家族・私有財産及び国家の起源」 (E、国、岩)
 本書では、人類の発展を史的唯物論の見地から跡づけ、「家族」「私有財産」「国家」が社会の生産力の発展段階に照応する歴史的な諸関係であることを論証している。
 エンゲルスは、ここで、国家の歴史的起源とその死滅の必然性、「資本によって賃労働を搾取するための道具」という「近代の代議制国家」の本質、民主的共和制と普通選挙権の意味等を明らかにしており、エンゲルスのこうした研究成果は、レーニンの『国家と革命』の中に継承され発展させられている。その意味で、『国家と革命』を是非併読すべきである。
 また本書は、女性の男性への隷属が決して超歴史的なものではなく、全く平等であった男女の関係が、私有財産および階級対立の発生と同時に崩されて生じてきた歴史的な産物であることを初めて科学的に明らかにした。婦人解放闘争にとっても、基礎的な文献である。
 ※(注)08年の労働者セミナーで、我々は『家族・私有財産及び国家の起源』を全面的に再検討しました。エンゲルスには、モルガンが人類の発展段階を「野蛮・未開・文明」の3段階に区分しているのをそのまま肯定的に評価するなど、“ヤンキー共和主義者”への批判的観点はありません。このことはエンゲルスの人類発展史、家族論、国家論についての“誤った”理解(ブルジョア的理解)と結びついており、本書を家族論や国家論の「名著」として無条件で美化することはできない、と現段階では考えます。詳しくは、08年の労働者セミナー案内『海つばめ』1071号、08年12月全国社研社発行の「『家族、私有財産及び国家の起源』を探る」などをご参照ください。(2009/05/09 代表委員会)
 「フランスにおける内乱」 (M、国、岩)
 『フランスにおける階級闘争』、『ブリュメール十八日』と共に、いわゆるフランス三部作の一つ。
 マルクスは、本書で階級闘争の歴史にさん然と輝くパリ・コミューンの歴史的な偉大な経験を徹底的に分析し、戦術上の教訓をひきだし、マルクス主義国家論を発展させた。
 マルクスがパリ・コミューンの経験からひきだした最も重要な教訓は、「労働者階級は単にできあいの国家機関を掌握して、それを自分自身の目的のために使用することはできない」、従ってこの旧国家機構を粉砕して新しい国家機構におきかえねばならないということである。
 パリ・コミューンはまたこの新しいプロレタリアートの国家機構の基本的な姿を示すものであり「そのもとで労働の経済的解放を達成し得るべき、ついに発見された政治形態であつた」。
 マルクスの透徹した分析と生きいきとした叙述に貫かれた本書は、マルクス主義国家論の宝庫であり、無限の教訓に富んでいる。
 「イギリスにおける労勧者階級の状態」 (E、国)
 エンゲルスは、当時資本主義が最も発展していたイギリスの政治経済制度を詳細に研究し、また実際にイギリス労働者階級と共に生活して本書を書いた。ここでは、ブルジョアジーとプロレタリアートの利害が「正反対」であり、イギリス労働者階級のあらゆる困窮・苦難の根源が資本主義的生産そのものにあること、そしてこうした労働者の状態そのものが労働者と資本家の利害の敵対性についての自覚を促し、資本主義打倒のために立ち上がらせるということを示している。
 本書は、「資本主義とブルジョアジーとに対するおそるべき告発状」(レーニン)である。
 さらにエンゲルスは本書のいたるところで機械によって生産過程に引き入れられた婦人労働者に対する工場主の野蛮きわまる搾取とこの結果生じてくる彼らの肉体的精神的荒廃を描き出している。なおマルクスの『資本論』第一巻第八篇でも婦人のプロレタリア化が資本制的生産様式の下でいかにして始まったかが分析されているが、婦人労働者のプロレタリア化がいかに野蛮なものであったとしても、他方では資本主義は婦人解放において客観的、進歩的役割を果たすものであることにも言及している。
 「国家と革命」 (L、国、青、岩)
 レーニンは、ここで『家族、私有財産及び国家の起源』を始めとするマルクス、エンゲルスの著作、手紙等を系統的に考察し、「この学説のわすれさられたか、日和見主義的歪曲をこうむっている側面をとくにくわしく論」じ(序文)、特に、ブルジョア国家機構は「粉砕し、打ち砕かなければならない」という結論を「マルクス主義の国家学説のなかで主要なもの、根本的なものである」として強調している。また「この歪他の主要な代表者であるカウツキー」によるプロレタリアート独裁の思想の放棄、改良主義、議会主義を徹底的に批判し、さらには、プロレタリアート独裁の国家機構や「国家死滅の経済的基磋」についても考察している。
 マルクス主義国家論を最も包括的根底的に論じた重要文献であり、“社共”によるマルクス主義国家論の歪曲と修正がますます強まっている今日、本書の意義は一層大きくなっている。
 国民文庫版所収の「国家について」は、スヴェルドルフ大学で行なわれた講義である。レーニンは、国家の問題について「明瞭な、しつかりした見解」をもち、「この問題を自主的に判断する」ことがいかに重要かを強調したのち、国家の本質、その発生の起源、労働者党の国家に対する態度等について展開している。講義であるため、内容は高度であるが平易に説明されており、マルクス主義国家論の基本的内容を把握する上で意義がある。
 「国家論ノート」 (L、大月書店)
 本書は、その名の通り、独立の著作ではなく、レーニンの亡命先チューリッヒで研究したマルクス、エンゲルス、カウツキーらの文献からの抜き書き、概括、評注等からなるノートである。このノートが『国家と革命』の基礎となつたのである。
 ノートではあるが、その中には『国家と革命』には反映されなかった研究もかなり含んでおり、また、「ノートに与えられている考察はいっそう分析的であり、<国家と革命>のさまざまな論点にあざやかな照明をあたえて、そこに新しい意味を発見させる場合もしばしばある。このノートをたよりにすることによって、<国家と革命>の内容の理解を大いに深めることができる。それゆえ、この両著作は相補足する関係にあると言ってよい」(訳者あとがき)。
 レーニンの分析、研究、叙述の方法を探りその思考のあとをたどる上でも興味深い。
 「国会と選挙(上・下)」 (L、不破哲三編、大月書店)
 「国会と選挙にかんするレーニンの論文、演説、手紙、草稿などを包括的に収録したもの」(まえがき)であり、レーニンがブルィギン国会から第四国会まで国会及び選挙闘争においてどういう態度をとってきたかが分り、便利である。
 しかし、日和見主義・改良主義の「見地」から編集されているために、レーニンの国家論の最も「主要なもの」である『国家と革命』や『背教者カウツキー』などからは、ほんの部分的引用しかなされておらず、本質的革命的な内容が読者の眼から隠されているという重大な欠陥をもっている。
 「プロレタリア革命と背教者カウツキー」 (L、国)
 レーニンは、本書で、1918年に出版されたカウツキーの小冊子『プロレタリアートの独裁』に示された「カウツキーの背教者的なこじつけとマルクス主義の完全な放棄」(序文)とを徹底的に批判している。
 レーニンの批判の中心は、「プロレタリアートの全階級闘争のもっとも重要な問題」「マルクス学説の本質」であるプロレタリアート独裁の問題におけるカウツキーの自由主義的歪曲にむけられている。さらにブルジョア民主主義とプロレタリア民主主義、ソビエト権力の本質についても分析されている。その批判は現代のカウツキー主義者=共産党や協会派にもそのまま妥当する。
《参考文献》 
 国家論に関しては、内外に多数の著作があるが、ここでは不破哲三著「人民的議会主義」(新日本出版社)とマル労同政治局編「資本主義の民主的改良か社会主義的変革か――日本共産党批判――」(全国社研社)のみとりあげる。
 日本共産党は、70年の十一回大会以降自らの議会主義を「人民的議会主義」と定式化し、議会主義的改良主義の党への純化を強めてきた。十二回党大会が採択した「民主連合政府綱領」こそは、この党の小ブルジョア改良主義、ベルンシュタイン主義=ミルラン主義への決定的な純化を象徴するものである。
 不破の著作は、この「人民的議会主義」をマルクス、エンゲルスやレーニンの断片的な引用と当時のロシアと現代日本との「情勢の違い」によって正当化し、理論的に根拠づけようとしたものである。
 彼のそのやり方は、理論的ペテン師にふさわしい欺瞞的なものである。不破は専らレーニンの「反議会主義者」に対する批判を部分的に引用してきて、レーニンは、議会闘争の意義を重視し、「なんでも反対」式の態度をいましめた等々といって、自己のブルジョア議会主義を正当化するのである。
 だがレーニンの著作を少しでも系統的に、まじめに研究した人なら、誰でもレーニンの批判の中心は、ブルジョア議会主義者、日和見主義者にむけられてきたことを知らない者があろうか。不破がレーニンの著作の部分的な切れはしをやまほど持ってきながら、レーニンの国家論の最も重要な文献『国家と革命』や『背教者カウツキー』については一言もふれないという事実こそ、彼のペテン師ぶりを最も良く証明するものではないだろうか。 『人民的議会主義』は、共産党がマルクス主義国家論をいかに歪曲し修正しているか、そのやり方がいかにペテン師的であるか、この党の議会主義的墜落がどれ程深まっているかを示すものであり、反面教師として読まれるべきものである。
 マル労同の『日本共産党批判』は、小ブル改良主義の党に純化した共産党の総体を全面的に批判したものであり、その内容は、日本共産党の経済分析と改良プラン、人民的議会主義、統一戦線戦術、“革新”自治体に対する態度、労働組合政策の批判等々、多岐にわたっている。
 特に、第二部第三章は、「人民的議会主義」の批判にあてられ、マルクス、エンゲルス、レーニンの国家論を系統的に整理した上で、そのブルジョア議会主義の一変種としての本質を暴露し、共産党によるプロレタリアート独裁の概念の放棄は、実践上での修正主義がそれに適合した理論を求めている結果であることを明らかにした。
 本書は、厳密にマルクス主義の見地から共産党の理論と実践を完ぷなきまでに批判し、その小ブルジョア改良主義的本質を暴露し、現代の日本におけるプロレタリアートの課題が資本主義の民主的改良のためにではなく社会主義のために闘うことであることを明瞭に論証した恐らく唯一の本である。本書の徹底的な研究から得られるものは決して少なくないであろう。
  (2)階級闘争の歴史と経験
 「フランスにおける階級闘争」 (M、国、岩)
 本書は近代社会最初の大規模な内乱である六月革命を中心に、1848年から50年の階級闘争を分析している。二月革命で金融貴族を打倒したフランス労働者は、六月には革命の深化を恐れるブルジョアジーの挑発によって再び街頭に立たされ、そして敗北した。今日、六月革命を総括したエンゲルスの序文をひいて、バリケードは時代遅れだ、蜂起は有効でない等々という人々がいる。この人々は、「ブルジョア秩序の存続か壊滅かの闘い」の意義を忘れた日和見主義者でしかない。
 「ルイ・ボナパルトのブリュメール十八日」 (M、国、岩)
 本書は、当時最も民主主義的とされたフランス共和制がポナパルティズムヘと転落していく歴史を暴露している。マルクスは、ボナパルティズムを「一個人の暴行」としてではなく、「平凡奇怪な一人物をして英雄の役割を演ずることを得せしめた情勢と事件とを、フランスの階級闘争がどんな風につくり出していったか」を示している。ボナパルティズムの本質を鋭く暴いている。
 「ドイツにおける革命と反革命」 (E、国、岩)
 ドイツ革命は、ドイツの後進性の故に、自由主義的ブルジョアジーと封建勢力との野合によって、不徹底な民主主義革命として終った。
 しかし革命は、いまだ未発達だったドイツプロレタリアートが、運動の進行につれて小ブルジョアジーの影響を脱却した点で大きな意義をもった、とエンゲルスは書いている。なお、本書十七章で、エンゲルスは、「技術としての武装蜂起」を定式化している。
 「ドイツ農民戦争」 (E、国、岩)
 いわゆる宗教改革において、封建諸侯と妥協するルターらに対して、ミュンツアーらの十分の一税廃止等の要求をかかげた農民の闘いを総括すると共に、1848年の労働者の闘いの原型を見出そうとする。
「民主主義革命における社会民主党の二つの戦術」 (L、国)
 1905年の蜂起は、ツァーリ政府の打倒をスローガンにしていた。蜂起が敗北したことで、メンシェヴィキは、「武器を取るべきではなかった」等々と、ロシア革命がブルジョアジーの指導のもとに関われなければならないという教訓をひきだした。レーニンは、ロシア革命の特殊性を「内容はブルジョア民主主義革命だが、方法は社会主義革命」として特徴づけ、ブルジョア革命であっても、労働者の革命的な闘いがない限り、中途半端に終らざるを得ないことを強調した。
 「マルクス主義と蜂起」 (L、国)
 十月革命の前夜、レーニンは、ボリシェヴィキ多数派となり、ソヴエトが多くの地点で権力を握り、小ブルジョアが動揺していることを根拠に、蜂起することを、国家権力を握ることを主張した。
 「さしせまる破局、それとどう闘うか」 (L、国)
 本書には、1917年の二月革命から十月革命に至る革命的激動の時代に、レーニンが書いた小論文「わが国の革命におけるプロレタリアートの任務」「さしせまる破局、それとどう闘うか」等が収められている。
 二月革命後の二重権力――まだ完全に打倒されていないブルジョア権力と新たに誕生した労働者ソヴェト権力――のもとで、プロレタリアートの任務を明らかにしている。メンシェヴィキやエス・エルはブルジョア臨時政府を支持したり入閣したのに対し、レーニンは「臨時政府をいっさい支持するな」、労働者ソヴェトが権力を握るべきだと主張した。また、臨時政府のもとで帝国主義戦争は再開され、銀行と資本家のサボタージュをひきおこし、労働者、農民の飢えと斃死をひきおこした。レーニンは「社会主義にすすむことをおそれて前進できるか?」として銀行、シンジケートの国有化等をソヴェト革命権力によって遂行する以外に、破局を救い帝国主義戦争を終らせる道のないことを明らかにした。
《参考文献》 
 世界の階級闘争の歴史と経験については無数の書物がある。だがそれらは、自由主義的或いは修正主義的な立場から展開されていて、確固としたマルクス主義の観点から述べられているものは、皆無に近いのが実情である。
 ここでは、ロシア革命と第三インタナショナルの歴史に焦点をあてて、いくつかの文献を紹介しておきたい。
 人類史上、はじめてプロレタリアートの独裁権力樹立に成功したロシア革命の経験から学ぶものは限りないが、さし当りトロツキーの「ロシア革命史(1〜6)」
(角)が17年の十月革命成功までの歴史を詳しく扱っている。また、アメリカのジャーナリスト、ジョン・リードによる十月革命前夜十日間を描いた「世界を揺るがした十日間(上・下)」(岩・新日本文庫)も、事実をありのままに述べていてロシア革命の研究の助けとなる。
 十月革命勝利後のロシア共産党の歴史としては、R・ダニエルズの「ロシア共産党党内闘争史(上・下)」
(現代思潮社)がスターリンの専制支配確立までの党内論争を扱っている。
 第三インタナショナルの歴史を著したものに「コミンテルン・ドキュメント(T〜V)」
(J・デグラス編著、現代思潮社)がある。前者は、コミンテルン結成大会からその解散まで、年代をおって、コミンテルンの宣言、決議、テーゼ、報告などの抜粋又は全文が掲載され、それぞれについて理解を助けるために背景など編者による解説がついている。コミンテルンの歴史を知るためには、資料集として便利。後者は、第一回大会からトロツキーが主役を演じた第四回大会までの彼の報告、演説、彼の草案による決議等からなっている。その他第三インタナショナルの通史をあつかったものに“公認”の共産党の立場からの「コミンテルンの歴史(上・下)」(ソ連マルクス・レーニン主義研究所編、大月書店)があり、現在の公認の共産党がどのようにコミンテルンの歴史を総括しているかを知るのには参考になるだろう。
 今日、“公認”の共産党の戦術の基礎とされている統一戦線を研究するためには、トロツキーの指導したコミンテルン第四回大会とともに、第七回大会がまずとりあげられなければならない。「反ファシズム統一戦線」
(ディミトロフ、国)は、その報告と決議である。
 第七回大会で提起された統一戦線戦術がコミンテルンの基本政策となる契機となったのは、ドイツにおける労働者の敗北、ファシズムの抬頭であった。共産党はそれまで社民をファシズムの一翼とみなす「社会ファシズム論」を採用していた。トロツキー的な統一戦線戦術の擁護の立場からではあるが、スターリンの「社会ファシズム論」の日和見主義、反動性を暴露している著作としてトロツキーの社会ファシズム論に反対する一連の論文を集めた「社会ファシズム論批判」
(トロツキー文庫)が参考になる。
 またトロツキーに近い立場から、元ポーランド共産党員であった故ドイッチャーのトロツキー伝三部作、「武装された予言者」「武器なき予言者」「追放された予言者」
(新潮社)は、単にトロツキー個人の伝記ではなく、ロシア革命史、ロシア共産党史、国際共産主義運動の歴史ともなっている。読みものとしても面白い。
 最近の経験としては、チリ・セイロンでの民主連合政椎のそれがある。チリのものとしては、トロツキー派が書いた「チリ革命の悲劇」が参考となる。他に「ベトナム共産党史」「燃えあがるポルトガル革命」(いずれも
柘植書房)などを紹介しておきたい。いずれも、今日共産党が唱えている民主連合政権(人民戦線)がいかに労働者階級を裏切り、労働者人民に多大の苦悩を強いたかを明らかにしているが、トロツキー主義的、自由主義的な欠陥をもっている。
 「国際共産主義・労働運動史
(全国社研)は、「民主連合政権」、統一戦線戦術に焦点をあて、ヨーロッパ、アメリカ、中国、ベトナム諸国の革命運動の経験をマルクス主義の観点から総括し、社会民主主義(そしてその左翼的一分派としてのトロツキー)、スターリニズム共産党の日和見主義の理論と行動をあますところなく暴露した必読の書である。また最近の経験として、チリの人民連合政権の崩壊の原因を明らかにし、共産党の日和見主義を暴露した「科学的共産主義35号」(マル労同政治局)も併せて学ぶ必要がある。
  (3)帝国主義戦争に対する闘争、民族問題
 「社会主義と戦争」 (L、国)
 第一次帝国主義戦争開始以前から日和見主義を深めていた西欧の社会民主党は、大戦勃発と共に「祖国防衛」を掲げる社会排外主義者に転化し、第二インタナショナルは崩壊した。標題論文をはじめとする諸論文の中で、レーニンはこの戦争の性格を明らかにし、帝国主義戦争に対する社会主義者の政策を多面的に論じている。「社会主義と戦争」は、1915年9月のツィンメンワルド社会主義者会議に向けて書かれ、帝国主義戦争に対する革命的労勧者の基本的態度を明らかにしている最も重要な論文の一つである。「戦争とロシア社会民主党」では、レーニンは、この戦争の性格を明らかにし、「祖国防衛」という社会排外主義に反対し、「帝国主義戦争を内乱に」転化せよとのスローガンを提起し、腐敗の中に崩壊した第二インタナショナルにかわる新たなインタナショナルの建設を訴えている。「戦争の問題に対する原則的立場」では、「祖国擁護」の否定を宣言しながらも、現実には無為をきめこむ日和見主義者に反対し、帝国主義戦争に反対する革命政党の党活動は如何にあるべきかを述べている。
 帝国主義戦争が継続されるなかで、小国の社会主義者のなかに軍備撤廃の要求こそが帝国主義戦争に対する闘争のスローガンであるといった主張がだされた。「プロレタリア革命の軍事綱領」の中で、レーニンは、この要求の主要な欠陥は「革命に対するいっさいの具体的問題が回避されている」ことだと指摘し、それが「小国の民族的な綱領」であって国際的社会主義者の国際的綱領ではないと、その小ブルジョア平和主義的性格を暴露している。そして、「平和の問題について」において、ブルジョアジーの帝国主義的平和や、帝国主義戦争という現実から切りはなして平和一般を主張する小ブルジョア平和主義に反対し、大衆の平和の闘いは、社会主義のための革命的行動と結びつけ、それに従属させて提起しなければならないと指摘している。
 「第二インタナショナルの崩壊」 (L、国)
 労働者を裏切り、社会排外主義にはしった第二インタナショナルの指導者(カウツキーやプレハーノフら)の帝国主義戦争の弁護論、大衆欺瞞を暴露し、社会排外主義的潮流の歴史的起源、その諸条件、その意義を明らかにしている。
 「民族自決権について」 (L、国)
 民族自決権を否定するローザの見解――資本主義の発展は後進諸国、弱小民族の経済的自立を奪っているから、民族自決は幻想であり、正しくないとの――を反駁しながら、ロシアの小ブルジョア党派の大ロシア民族主義の弁護論を批判している。レーニンは、「諸民族の完全な同権、民族自決権、すべての民族の労働者の結合」がロシア社会主義者の「民族綱領」である、と言っている。
 「民族問題に関する批判的覚書き」 (L、国)
 ロシア社会主義者内の民族問題をめぐっての綱領的動揺に関して、言語、民族文化、「同化」自治制度などの問題を論じるなかで、マルクス主義者の民族間題に対する基本的立場=国際主義と、マルクス主義者が被抑圧民族の民族運動を承認する場合のその“限界”を明らかにしている。
 「帝国主義と民族、植民地問題」 (L、国)
 本書は、帝国主義と民族問題についての社会主義者の立場を明らかにした論文集である。「社会主義革命と民族自決権」は、民族自決権に関する社会主義者の基本的態度についてのボリシェヴィキのテーゼである。民族自決が帝国主義のもとでは経済的にも政治的な意味でも実現不可能とする見解が誤りであること、民族自決権は、「いっさいの民族的抑圧にたいする闘争の首尾一貫した表現」であること、この要求のための闘争は、「これをブルジョア政府打倒のための、社会主義実現のための、直接の革命的大衆闘争に従属させられねばならない」こと等が述べられている。「自決にかんする討論の決算」も同様に、自決権に関する国際的な討論の総括である。レーニンは、民族自決を否定するポーランドの社会主義者の「帝国主義および民族抑圧にかんするテーゼ」の社会主義は階級的利害をなくすから自決権は適用されない、資本主義のもとでは自決が「実現不能」だなどの論拠を批判している。
 これに対し、ぺ・キエフスキー(ピヤタコフ)は、民族自決権は祖国擁護という社会愛国主義につながると主張した。「マルクス主義の戯画と『帝国主義的経済主義』について」の中でレーニンはこうした主張について一つ一つその論拠を反駁し、民族自決が帝国主義段階でおこる一つの民主主義的な必然的な要求であることを示し、その意義を強調している。また、ローザの『社会民主主義の危機』を批判した「ユリウスの小冊子について」では、「帝国主義の時代にはもはや民族戦争はありえない」とする見解に対し、「帝国主義強国に対する民族戦争は、ありうることであり、・・・それは、不可避であり、進歩的、革命的である」、これを否定することは社会排外主義につながると批判している。また、ローザが、社会排外主義と日和主義との結びつきにふれていないこと、勝利と敗北とどちらがよいかという議論を展開していることなどをあげて、「分裂をおそれ、革命的スローガンを完全にいいきることをおそれている」ドイツ左派の弱さを指摘している。
  (4)労働者の革命政党と労働組合
 「なにをなすべきか?」 (L、国)
 「労働運動と階級闘争とを狭い組合主義とこまごました漸進的改良のための『現実主義的』闘争に帰着させようとする」日和見主義とどのように闘うべきか、共産主義者の任務(共産主義的政治)をはじめて具体的・実践的に明らかにしたものである。
 「一歩前進二歩後退」 (L、国)
 革命的プロレタリアの党が、前衛の役割を果すことが出来るためにはどのように組織されなければならないか、それはどのような部分によって構成されなければならないか、革命闘争において、何故鉄の規律に貫かれた民主的中央集権的な同質の政治組織が必要なのかを明らかにしている。
 「労働組合論」 (M・E、国)
 本書は、マルクスとエンゲルスの二十六の小論、手紙等を収録したもの。「国際労働者協会ジュネーブ大会への指令」では、労働組合の役割が基本的に明らかにされている。また「労働組合の役割の制限について」では資本の支配を打倒するための労働者の階級闘争の必要性について示唆している。レーニンの『労働組合論』とあわせて読まれる必要がある。
 「労働組合論(上、中、下)」 (L、国)
 この問題別選集はレーニンの主として労勧組合(運動)に関するものを収録したものである。レーニンは、マルクス・エンゲルスの労働組合や党に対する考え方を一層発展させている。レーニンは、労働者組織(労勧組合など)と党との相違を明らかにすると同時に、党と労働組合との緊密な結びつき、「からみあい」や自然発生的労働運動=経済主義、組合主義との闘いの必要性を強調し、「労働組合の中立性」に対して闘った。レーニンは労働者の経済的ストライキと政治的ストライキとの結合の必要性を強調している。さらにプロレタリア独裁期における労働組合の役割(「共産主義の学校」)をも明らかにしている。
 「共産主義における『左翼』小児病」 (L、国)
 反動的な労働組合の中での共産主義者の聞いや議会闘争=選挙闘争の意義を否定した小ブルジョア革命主義に批判の焦点をあてながら、ロシア革命を勝利に導いた「ポリシェヴィキの成功の一条件」を明らかにし、ロシアにおける共産主義運動を総括している。
《参考文献》  
 レーニンの党組織論を批判したものに、ローザの『ロシア社会民主党の組織問題』(「ローザ・ルクセンブルク選集1、現代思潮社)がある。ローザはレーニンの民主中央集権化された組織論を「超中央集権的」組織、党の中央権力の独占支配による“代行主義”と批判した。ローザの自由主義的主張は、労働運動の自然発生性の過大評価、後にボリシェヴィキが「憲法制定議会」をとりやめたことに対して「恐怖政治」「一握りの人間の独裁」などと『ロシア革命論』のなかで批判(「選集四」)したことにも通じている。現在でもなお、ローザのような見解は、スターリニズムの発生はレーニンに責任がある(社青同解放派)などという形で影響力をもっている。
  (5)農民問題
 「マルクス・エンゲルス農業論集」 (M・E、岩)
 社会主義政党の小農民に対する立場を明らかにしている。エンゲルスは小土地所有者として、他方では「未来のプロレタリア」としての小農民の二面性についてのべ、かれらの絶望的な状態が資本主義の下での小土地所有にあり、これを維持する諸改良、保護政策がかれらの解放ではなく、「処刑の猶予」でしかないことを説いている。また、社会主義国家の小農民に対する態度についても指摘している。
 「貧農に訴える」 (L、国)
 労農同盟の意義、貧農が政治的、経済的に解放されるためには、なにを闘いとらなければならないかを明らかにした書。レーニンは貧農の当面の課題が、富農から独立した自主的な団体を結成し、プロレタリアとの同盟による政治的自由、農民の完全な同権、農奴制的債務奴隷制の一掃にあると言っている。
 「農業問題と『マルクス主義批判家』」 (L、国)
 資本主義が小農民を完全に絶滅しないことをもって、マルクス主義理論を修正し、小農経営を美化するロシア及び国外のマルクス主義の「批判家」に対して、マルクス主義の理論を展開している。
 「農業問題」 (L、国)
 論文「1905年の第一次ロシア革命における社会民主党の農業綱領」の中で、レーニンは農業のブルジョア的発展の“二つの道”としてプロシア型とアメリカ型があることを指摘し、ロシアのプロレタリアートがアメリカ型の道をとるべきことを提起している。こうしたレーニンの理論は資本主義が未発展であり、プロレタリアが資本主義よりも資本主義の未発展のために苦しんでいるというロシアの特殊な条件の下に展開されたことが注意されなくてはならない。
 「農業における資本主義」 (L、国)
 カウツキーの『農業問題』を紹介した「農業における資本主義」、「現代農業における資本主義的構造」等が収められている。
 マルクス主義は、資本主義的農業においては大経営が小経営に優越することを確認している。これに対し、ブルジョアジーとその理論的代弁者さらにナロードニキは、資本主義に小経営が残存していることをもって、マルクス主義の破産を証明しようとした。レーニンは、カウツキーを擁護し、資料を具体的に引用しつつ、大経営の意義を明らかにした。そして資本主義のもとで小経営の没落は必至であり、小農はプロレタリアートとともに地主と資本に反対して闘うよう主張した。
《参考文献》  
 カウツキー「農業問題」(国、岩)は、彼がまだ社会民主党の修正主義派に反対する国際プロレタリアートの理論的指導者として活動していた時代(1898年)に書かれた。彼は国民経済の農業の分野での経済的進化の基本的諸傾向を研究し、農業の資本主義的大規模農業へ転化が必然的であること(このことは小農経営の残存を否定しない)、大経営農業における広大な借地や土地の増大、農業の工業化――これらのことは農業を社会化するための基盤を準備する要素であることを指摘している。さらに社会主義政党の農民に対する政策も明らかにしている。マルクス主義の農業論として優れた著書。

5.婦人論・教育論
・文学、芸術論・宗教論
  (1)婦人論
 「レーニン青年婦人論」 (平井潔、青) 「マルクス、エンゲルス、レーニン、スターリン婦人論」 (H・ポリット編、国)
 レーニンは「婦人論」という形では婦人問題に関する見解を出してはいないが、これは彼の婦人に関するいくつかの論文をまとめたものである。レーニンは婦人の「家内奴隷」としての地位が婦人の進歩をいかに妨げているかを告発し、婦人の解放を具体的、社会的に提起した。レーニンの婦人論はマルクス、エンゲルスの婦人論を発展させたものであり、今日の婦人解放運動に実に明確な方針を与えるものである。
《参考文献》  
 マルクス主義の立場から書かれた最初の総括的な婦人論としては、ベーベルの「婦人論」(岩、角)がある。本書は、歴史的に婦人の隷属状態を明らかにし、婦人の社会的地位を唯物史観に基づいて分析している。本書の意義は婦人の真の解放が社会主義の実現によって可能となることを明らかにしたことである。しかしペーペルの時代の制約もあって、婦人労働者の社会的地位とその先進的投割については述べられていない。
 これに対し、クララ・ツェトキンは、「婦人に階級意識をめざめさせ、彼女を階級闘争にひきいれることこそ主要な課題である」と強調し、プロレタリア的婦人解放運動の階級的性格を明らかにしている。「クララ・ツェトキンの婦人論」
(松原セツ訳著、啓隆閣)は、つねに婦人解放運動の先頭に立ち、マルクス主義者として闘いの生涯を送ったツェトキンが国際会議で行なった演説や論説など十篇が集められ、それぞれに訳者の解説がついている。ただしこの解説はツェトキンの論旨を共産党の統一戦線路線に都合のよいように歪めている部分もあり、注意して読む必要もある。
 日本の戦前の婦人労働者の状態を描いたものとしては、細井和喜蔵の「女工哀史」
(岩)がある。自ら工場労働者であり、女工を妻とする筆者が、明治維新以降急激に発展した日本資本主義によって心身ともに蝕まれ、死に追いやられた紡績女工のあり様を怒りをこめて赤裸々に描いたのが本書である。日本資本主義が半奴隷的な婦人労傲者=女工を人柱として発展してきた様が克明に描かれている。
  (2)教育論
 「教育論」 (M・E、青)、「レーニン教育論大系」 (L、明治図書)
 本書は、マルクス、エンゲルス、レーニンの叙述の中から教育に関係する部分を抜粋し、一冊の本にまとめたものである。ブルジョア教育体系の中で、知的体系と個々人の能力の全面的発展がいかに阻害され、あるいは矮小化されているかを具体的に暴露し、それが現在の資本家のための生産様式の下では、必然的であることを生き生きと示している。
 過去、現在の教育論、教育労働運動の批判を通して社会主義下における教育運動を模索する労働者にとって、マルクス、エンゲルス、レーニンの断片的ではあるが鋭い洞察に富んだ叙述は重要な指針となるであろう。
《参考文献》  
 教育論について、マルクス主義の立場を一貫してつらぬいているすぐれた著書は少ない。その中で、「プロレタリア教育の根本問題」(明治図書)は、1929年にドイツのマルクス主義者エドウィン・ヘルンレによって書かれた革命的な教育論である。著者はブルジョア社会の教育の本質を鋭く暴露するとともに、「共産主義的教育の基本原理」を提示している。反動的なブルジョア教育に対して、「民主教育」という名のもう一つ別の形の(小)ブルジョア的教育が対置されているにすぎない今日の日本の教育界において、「プロレタリア教育」のスローガンを高く掲げることはますます必要になっているが、本書はそのための極めて重要な指針を与えている。
 プロレタリア教育は、教育と生産的労働の結合という思想を、最も重要な核の一つとしている。この思想は、はじめはルソー、ペスタロッチなどのブルジョア教育思想家によって主張された。この思想の発生基盤は、機械制大工業そのものにあったが、しかし、資本主義社会では、いびつな形でしか“実現”されざるをえなかった。クループスカヤの「国民教育と民主々義」
(岩)は資本の支配からの解放なくしては教育と生産的労働の十全な結合はありえないことを論証し、プロレタリア教育の重要な課題としてこれを提起している。
  (3)文学・芸術論
 「芸術論」 (M・E、国、青)
 芸術を社会経済体制の反映であるとみることがマルクス主義芸術論の前提である。芸術はある一定の表現形式であり、内容と形式の統一であるがゆえに芸術であるとする。したがって「傾向性」を評価しつつも、それが個性的でなく「原則」に解消されてしまうことには反対している。
 「レーニン文学論」 (L、青)
 個人主義的な文学に反対して、レーニンは、労働者大衆に接近し、彼らの闘争と結びつくところに「自由な文学」が生れると強調する。もちろんこれは、セクト的な政治主義とは無縁である。とくに注目すべきは、トルストイにたいするマルクス主義的な評価の仕方である。
《参考文献》  
 ゴーリキー「文学入門」(青)は、豊富な創作経験にもとづいて「文学を志すひとへ」創作上の問題を語って有益である。しかし、また、国家資本主義を「社会主義」であるとして、「社会主義建設」に大衆を動員するための理論の一つとなった「社会主義リアリズム」は彼の唱えたものであり、その論文も本書に入っている。毛沢東「文芸講話」(国、青、岩)は、「政治」が前面に出され、大衆への奉仕が強調されている。これは、文化水準が低く、また、抗日戦、国内戦を闘わなければならなかった事情の直接の反映であるが政治主義的、経験主義的な文学論である。
 プレハーノフ「芸術と社会生活」
(岩)では、芸術の思想性が中心に論じられているが芸術を客観的現実の反映としてではなく、単に芸術家の意識、思想の反映としてのみとらえられている。トロツキー「文学と革命」(現代思潮社)では、プロレタリア文化、「傾向芸術」が否定されている。それは、ロシアの後進性への絶望であるとともにブルジョア文化、「純粋芸術」への拝跪である。階級社会における文化・芸術が階級的性格をもつのは自明であろう。「ル
カーチ著作集」
(白水社)、これはファシズムに反対し、マルクス主義を擁護しようとした彼の芸術論が、実際には、ブルジョア合理主義とスターリン主義の折衷の上に立つものであることを示している。
  (4)宗教論
 「宗教論」 (M・E・L、青)
 宗教の本質と起源、階級社会における役割について、マルクス、エンゲルス、レーニンが論じたものが収録されている。宗教の根源が、人類の社会の発展の初期には自然に対する無力感に、また階級社会では労働者階級の社会的抑圧と搾取に対する「外見上の完全な無力さ」にあること、「国家にとって宗教は私事である」との命題を歪曲して、「社会主義政党にとって私事」とみなした日和見主義者、労働者階級の宗教からの解放を階級闘争抜きの「無神論の説教」にみいだす小ブルジョアや自由主義者を暴露し、宗教に対する社会主義政党の根本的態度を明らかにしている。
 共産党が反動的小ブルジョア宗教団体=創価学会との“和解”を宣言した現在、労働者がマルクス主義の宗教論を徹底的に学ぶことは重要である。