2011年05月10日(火)

経団連の原発推進会社こそブラックボックスだ

テーマ:政治

「新むつ小川原株式会社」は大手町の経団連会館20階に本社がある。


社長は前経団連常務理事の永松惠一氏、そして経営諮問会議の座長は米倉弘昌経団連会長だ。


この会社の前身は、巨額の負債をかかえて倒産した第三セクター「むつ小川原開発株式会社」だが、ビフォーもアフターも、「経団連会社」と言い換えておかしくない点では、同じである。


なにしろ1971年に経団連加盟175社もが出資し、国や青森県も加わって、経団連主導で設立されたのがこの会社である。


自民党政権と経団連との蜜月関係を背景に、国策による「大規模工業地域の開発」をうたいながら、その実、六ヶ所村の核燃料サイクルなど原子力施設を下北半島につくる目的をもって、「むつ小川原開発株式会社」が誕生したことは、疑う余地がない。


1980年代に経団連会長をつとめた稲山嘉寛氏は「21世紀のむつ小川原を原子力センターとしたい」と語っていたという。


同社は、企業誘致を進めるため、北海道東北開発公庫(現・日本政策投資銀行)や地元の銀行などから融資を受けて農地を買い占めていった。村の土地を実際に買いあさったのは三菱地所、三井不動産のダミー会社だったといわれる。


ところが、70年代のオイルショックに加え、85年には核燃料サイクル施設の建設が決まり、開発した土地を買う会社がなくなったため、借金が2300億円にふくらんで破綻した。


国策会社である北海道東北開発公庫やその他の金融機関は、旧会社の清算にともない、69%の債権を放棄している。経団連、自民党政権合作の失政といえる。


それでもこの会社は、日本政策投資銀行49.56%、青森県15.00%、銀行等23機関35.44%の出資比率により、2000年8月4日に新会社「新むつ小川原」として蘇り、先述のごとく社長も本社も経営諮問会議座長も経団連という、相変わらずの実質「経団連会社」を続けているのである。


すなわち経団連は、財界の原子力推進本部とでもいうべき存在である。


それゆえ、浜岡原発の全機停止について、経団連が反対したところで当たり前というほかないが、米倉会長の「ブラックボックス」発言には、ちょっぴり苦情を申し述べたい。


「民主党の時代になって分からないのは、結論だけぽろっと出てくる。そして、思考の過程がまったくブラックボックスになっている」


これを別の言い方に翻訳すればこうなるのではないか。


「自民党の時代には、こういう時にはちゃんと経団連にお伺いをたててくれたものだ。民主党の時代になって、ウチに何の相談もなく決め、結論だけ出てくる。もっと経団連と意思疎通をはかってもらわねば困る」


だとすれば、なんという傲慢さだろうか。カネの威力で地元を説き伏せ各地に原発をつくってきた電力会社の体質は、まさに経団連そのものだ。


フクシマの原発震災を見て、ドイツのメルケル首相はいちはやく「脱原発」への政策転換を打ち出した。被災国の菅首相が、東海地震の直撃が心配される浜岡原発の停止を決断したのは当然であり、むしろ遅すぎるくらいだ。


経団連が口を挟む機会がなかったのは、国民の安全にとっては幸運だった。目の前の利に心を奪われ、大局観、長期的視野に欠けているという点では、経団連はほとんど官僚組織と変わるところがない。


ただし、消費増税、TPPなど、ほとんど自民党政権と見紛うばかりの政策を打ち出す菅政権が、これを機に財界の嫌がる「脱原発」に舵を切るかというと、そこは残念ながら期待薄というほかなさそうではある。


新 恭  (ツイッターアカウント:aratakyo)


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