雑想録

無駄知識と非生産的活動をこよなく愛する逸般人、Shahilの雑想録

全体表示

[ リスト ]

「愛と恐怖の経済 贈与の経済学序説」 ケネス・E・ボールディング(著)  公文俊平(訳) 佑学社

 「交換」(こうかん:“Exchange”【英】)とは、当事者双方が「財」(ざい:“Goods”【英】)を相互にやりとりすることであり、理論的には「等価な財」同士が交換されるため、双方とも「財の所有総量」は変化しないことになっています。

 これに対して、「贈与」(ぞうよ:“Donation”【英】)とは、一方から他方へ代価なしに「財」が移転することであり、一方では「財の所有総量」は減少し、他方では「財の所有総量」は増加します。

 一般に、「経済学」が対象とするのは「市場」(しじょう:“Market”【英】)であり、そこで行われる経済行為は「交換」とされています。

 しかしながら、現実の経済や社会を分析する際に、「交換」だけに着目するのでは片手落ちであり、「贈与」も視野に入れた経済学こそが必要だというのが、この著者の主張です。

 特に面白いと感じるのが、分析の「理念型」として、

「愛」に動機付けされた「正の贈与」
(他者の幸福増加による心理的満足を求める行為)

と、

「恐怖」に動機付けされた「負の贈与」
(暴力に裏付けられた脅迫に対する自己の不幸回避を求める行為)

に大別したり、

「政府による税の徴収」は両者の混合だ

と分析したりしている点です。

 実際、一般道路や街灯など、対価を支払わなくても利用できる「公共財」(こうきょうざい:“Public goods”【英】)を作るための「税の徴収」は、「社会全体のため」という「愛」と「強制執行による財産差押を回避したい」という「恐怖」との両方の動機付けが存在している訳で、「市場」を越える社会全体の分析に色々と応用が効きそうな概念だと思います。

 そういう意味では、常に経済合理的に判断・行動する「経済人」(けいざいじん:“Homo Economicus”【羅】)を前提せず、「情報の不完全性」や「情動の非合理性」等を考慮に入れた、最近流行の「行動経済学」の先駆的試みと言えるでしょう。

 ただ、個人的には、モースやマリノフスキー等の人類学的研究に論及するのであれば、カール・ポランニーに代表される「経済人類学」の議論なんかも絡めて欲しかったです。

閉じる コメント(0)

コメント投稿
名前パスワードブログ
投稿

閉じる トラックバック(0)

トラックバックされた記事

トラックバックされている記事がありません。

トラックバック先の記事

  • トラックバック先の記事がありません。


.

shahi
人気度

ヘルプ

ブログリンクに登録

  今日 全体
訪問者 2 201
ブログリンク 0 1
コメント 0 4
トラックバック 0 0
  • My Yahoo!に追加
  • RSS
  • RSSとは?

ケータイで見る

モバイル版Yahoo!ブログにアクセス!

モバイル版Yahoo!ブログにアクセス!

URLをケータイに送信
(Yahoo! JAPAN IDでのログインが必要です)

1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31

標準グループ

登録されていません

Yahoo!からのお知らせ

開設日: 2008/2/29(金)

PR


プライバシーポリシー -  利用規約 -  ガイドライン -  順守事項 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2011 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.