「永遠の命と思って夢を持ち、今日限りの命と思って生きるんだ。」
「創価学会池田カルト一派との裁判シリーズ その9」でご紹介した創価学会池田カルト一派の代理人である弁護士からの準備書面は、平成23年5月2日午後3時13分に生田法律事務所に届きました。
すると、私の代理人である生田暉雄先生は、その翌日に下記の準備書面を作成され、東京地方裁判所と相手方の代理人の事務所に送付されました。
生田先生のお仕事の速さにびっくりしました。さらに、その内容の素晴らしさに感服致しました。
このブログの冒頭に掲載してある全日本法教育研究会創設準備委員会主催のシンポジウムの席で、私は、生田先生のことを天才であるとご紹介させて頂きました。今回、生田先生が執筆された準備書面をご覧になれば、皆様方もそのように感じられるのではないかと存じます。
自分のことで大変恐縮ですが、生田先生の準備書面を拝読して、この裁判は前代未聞の裁判となるのではないかと感じております。
私を激励して下さるkan様は、「裁判の文言は庶民には不慣れですし、絶対コメントしようと思う方々も多いと思いますが、コメントの適切箇所を選択するのが困難な感じがあると思います。」とのコメントを寄せられました。
確かに、裁判に関する記述内容は難しいものだと感じます。しかし、今回の準備書面中の「原告による被告原田らにする求釈明」には、是非とも、多くの方々にコメントを投稿して頂きたい箇所が沢山あります。
例えば、「(求釈明1)創価学会による、学会員の反創価学会活動に対し、その生命を侵害し、社会的地位を抹殺した事例及び件数ならびに年月日、を明らかにされたい。」、「(求釈明2)創価学会会員による反創価学会活動の事例及び件数を明らかにされたい。会員による反創価学会活動に対し、創価学会はどのような対処をしているのか明らかにされたい。」、「(求釈明5)創価学会において本件日記を入手するに当たって、プライバシーの侵害にあるという点の検討をしたのか、しなかったのか明らかにされたい。創価学会において本件日記を入手した経路を明らかにされたい。創価学会において本件日記を入手してから原告を査問するまで、どのようなことを検討したか、その検討項目、検討内容、検討者の氏名、創価学会における地位、検討場所を明らかにされたい。」、「(求釈明7)創価学会において、なぜ、原告と原告の妻との婚姻が不都合となるのか、その理由は何か、明らかにされたい。原告と原告の妻が離婚した後、創価学会において原告に対して何をしようと考えているのか、明らかにされたい。」などに関する事柄につきましては、特に、コメントをお寄せ頂ければありがたい限りです。
それから、このブログの存在を一人でも多くの方々にお知らせ頂ければ幸いです。特に、自由報道協会(http://fpaj.jp/)と日本外国特派員協会(http://www.fccj.or.jp/node/6259)所属のジャーナリストの方々に連絡願えればと存じます。
ご協力の程、くれぐれもよろしくお願い申し上げます。
記
平成23年(ワ)第413号 損害賠償請求事件
準備書面(1)
原 告 髙 倉 良 一
被 告 原 田 稔
外3名
平成23年5月3日
原告訴訟代理人
弁 護 士 生 田 暉 雄
東 京 地 方 裁判 所 御 中
被告原田ら準備書面(1)による求釈明に対する釈明 及び 原告からの求釈明
記
第1、被告原田らの求釈明に対する釈明
査問による脅迫、強要について
1、(1)日記について
(求釈明)
女性幹部等、学会幹部、九州の幹部、四国の幹部について
(釈明)
いずれも創価学会のそれぞれの役職、幹部であり、被告が十分知悉している。
具体的な名前は、原告の方が知りたい。
2、平成20年2月14日のやりとりについて
(求釈明)
和田公雄の査問について、誰が、どこでどのような査問をしたか。
(釈明)
和田の査問は創価学会が行った。このこと自体は事実である。
具体的事情は、被告らの方がよく知っており、原告としては逆に明らかにされたいと思っている。
(求釈明)
大勢の学会幹部とは誰か。
(釈明)
同上。
(求釈明)
原告を殺すと言っていると漏らした創価学会の幹部とは誰か。
(釈明)
同上。
(求釈明)
和田に対する査問がどうして原告に対する不法行為となるのか。
(釈明)
和田に対する査問の事実がないのであれば、求釈明自体、成り立たない。
和田に対する査問の事実があったことは事実であるので、釈明する。
和田を反創価学会活動の黒幕の疑いで査問し、和田をして原告に働きかけさせ、原告に創価学会の査問に応じるようにする、原告に対する査問の予備行為である。
なお、査問に畏怖した和田から、原告に対し、査問期日に待ち合わせ場所を連絡させ、そこに来た原告を創価学会において拉致して、原告を闇に葬る計画があった(甲第8号証9、10頁)。原告と和田だけではなく、創価学会が待ち合わせ場所を知っていたことが、拉致の計画を物語るものである。
3、平成20年2月24日のやりとりについて
(求釈明)
具体的にいかなる脅迫行為がなされ、いかなる行為を強要されたか。
(釈明)
原告作成の日記という原告にとってプライバシーの根源ともいうべきものを、被告田村が違法に原告の妻から直接、間接に取り上げ、それに基づいて被告らが原告を3時間にわたって査問すること自体、違法な不法行為である。
そして、日記に関連して、和田を黒幕として査問したこと、原告を殺すと言う創価学会員がいるということを告げることは、違法な脅迫である(甲第7号証)。
世間的には反創価学会員の会員が抹殺されている噂があり、原告を殺すという創価学会員がいるということを告知すること自体、殺人の予告に等しい行為である。
なお、査問の際、創価学会幹部に対する謝罪を強要された(甲第7号証9頁)。
原告が和田の指示通り待ち合わせ場所に行っていれば、待ち合わせ場所には多数の学会員が居たので、創価学会により拉致された闇に葬られていた可能性が大である(甲第8号証9、10頁)。
被告らは、重大な不法行為を目論んでいた可能性がある。
4、(4)創価学会による離婚訴訟について
(求釈明)
創価学会による離婚訴訟について、誰が、いつ、どのような画策をしたのか。
(釈明)
原告からの被告に対する求釈明で明らかにする。
(求釈明)
原告と妻とを離婚させようとしたことに対する被告らの個人責任の法的根拠について。
(釈明)
憲法24条、民法770条、民法709条、民法710条、民法719条。
離婚は、当事者の自由意思及び裁判に基づかなければならない。
宗教団体が団体員の離婚を、団体員の意思を無視して遂行することは不法行為(709条、719条)である。
なお、原告からの求釈明でより具体的に明らかにする。
第2、原告による被告原田らにする求釈明
1、(求釈明1)
創価学会による、学会員の反創価学会活動に対し、その生命を侵害し、社会的地位を抹殺した事例及び件数ならびに年月日、を明らかにされたい。
(求釈明の理由)
原告は長年に亘り熱心に学会活動をし、創価学会に多額の寄付をしている熱心な学会員であり、現在も学会員である。
原告は創価学会の一員として、法華経に基盤を置く宗教団体である創価学会が、学会員の中に反創価学会活動をしたからといって、その生命を侵害し、社会的地位を抹殺するという事実が存することは断じて信じ難い。
しかし、世間的には、学会員の反創価学会活動に対して、生命を侵害されたり、社会的地位を抹殺された噂が絶えない。
原告は本件査問を受けて、査問の内容以上に恐怖を感じたのは、これら世間で流布している噂である。
まして、学会員の中に原告を殺すという者が居るということを、査問の席上で告知されれば、この噂と重なって、死刑の宣告あるいは殺人の予告を受けたと同様に受け取るのが通常人の心理である。
そこで、原告が恐怖心を抱く合理的な根拠があるのか無いのか明らかにするためにも、創価学会による会員の反創価学会活動に対し、その生命侵害、社会的地位の抹殺例、その事案の内容、発生年月日、件数を明らかにされたい
2、(求釈明2)
創価学会会員による反創価学会活動の事例及び件数を明らかにされたい。
会員による反創価学会活動に対し、創価学会はどのような対処をしているのか明らかにされたい。
会員による反創価学会活動に対し、本件と同様に査問をしているのか明らかにされたい。
本件以外に査問の例がないとすると、なぜ本件は査問されたのか、その理由を明らかにされたい
3、(求釈明3)
創価学会において、何をもって会員の反創価学会活動と認定するのか、その基準及び認定者を明らかにされたい。
創価学会において、査問に付する基準及び認定者を明らかにされたい。
原告を査問した主たる理由を明らかにされたい
4、(求釈明4)
原告を殺すといっている創価学会員名を明らかにされたい。
なぜ、原告の査問の席上、原告を殺すと言っている会員が居るという殺人予告ともとれる事実を告げたのか、明らかにされたい。
原告を殺すと言っている学会員は、殺人の前歴があるのか明らかにされたい。
原告を殺すと言っている学会員は創価学会内部で殺人を担当している会員であるのか、明らかにされたい。
5、(求釈明5)
創価学会において本件日記を入手するに当たって、プライバシーの侵害にあるという点の検討をしたのか、しなかったのか明らかにされたい。
創価学会において本件日記を入手した経路を明らかにされたい。
創価学会において本件日記を入手してから原告を査問するまで、どのようなことを検討したか、その検討項目、検討内容、検討者の氏名、創価学会における地位、検討場所を明らかにされたい。
6、(求釈明6)
創価学会において、原告の査問に先立ってなぜ和田公雄を査問したか。その理由及び場所、査問した人数を明らかにされたい。
創価学会において、和田と原告の待ち合わせ場所をどうして知っていたのか、創価学会が和田に命じて待ち合わせをさせたのか、明らかにされたい。
待ち合わせ場所になぜ多数の創価学会員が居たのか明らかにされたい。
待ち合わせ場所に原告が行くと、創価学会において原告を拉致する計画があったのか明らかにされたい。
原告を拉致した後、創価学会において、原告をどうしようと計画していたのか明らかにされたい。
7、(求釈明7)
創価学会において、なぜ、原告と原告の妻との婚姻が不都合となるのか、その理由は何か、明らかにされたい。
原告と原告の妻が離婚した後、創価学会において原告に対して何をしようと考えているのか、明らかにされたい。
8、(求釈明8)
原告の妻による原告に対する離婚調停、離婚訴訟において、創価学会主導である疑いを回避するためには、創価学会会員の弁護士がつかないことが望ましいことは当然の事理であるが、福岡において創価学会新聞にも載っている著名な創価学会会員弁護士がついているのは何故か、明らかにされたい。
創価学会が主導しなければ、原告の妻は、離婚調停、離婚訴訟に踏み切らなかったのではないか、明らかにされたい。
9、(求釈明9)
原告の妻と原告との離婚調停、離婚訴訟について、創価学会で、立案、計画した人員、地位、名前を明らかにされたい。
以上
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» はじめまして、 希望さん
希望さん、はじめまして。桃太郎といいます。
ブログを知ったのは、わずか1月ばかり前のことです。
私は、2年前に「黒い手帳」、昨年「私が愛した池田大作」の本を読みました。外部の者ですから創価学会のことはそれまではよく知りませんでした。それから以降、過去にさかのぼって沢山の関連した書籍を読んでみました。
一般外部には見えない部分がはっきりと見えてきて、大変びっくりしました。創価学会の言っていることと、実際に行われていることとが、余りにも違い過ぎるのですから・・・・。
これでも、宗教団体なのか、なんでこんなことが起きて来ているのか?学会組織の方針に会員さんはみんな納得できているのだろうか等など、疑問に思えることがいっぱい湧いてきました。
私は、仏教徒ではなく、仏教のことはよく分かりません。宗教宗派に執着がありません。仏教徒でもなく、増してどの宗派が一番良い、これしかないというような独善主義・教条主義の考え方を受け入れることができません。しかし、書籍で知るうちに、法華教系の宗派はそれぞれに自分ところが一番だ絶対だと主張していて、なんと争いごとが多いことだろうかと、不思議に思いました。
裁判ざたの多いのにもびっくりしました。宗教団体では、他の宗派でもこんなに裁判が多いのでしょうか? 不思議です。仏教の理念は、他に対し寛容であれ、とか、中庸で偏りをなくしなさいとかの教えがあるようなのですが・・・・。
貴殿の裁判について、黒い手帳事件とそっくりな事件で、これまたびっくりです。
民主主義の社会において、自分が属する組織についての考えが自由に表明できないとしたら、その組織とは一体なんなのでしょうか? まして宗教団体であればなおさらのことです。表明内容の是非はともかくも、表現の自由、信仰の自由、思想の自由は憲法に保障されている最も基本的人権として重大なものです。
福島原発事件について、阪神淡路大震災の後、学者の中には数名の方が、「福島原発の危険性」を論文で発表していたということですが、色々なところからの圧力や学会内から排除され無視されるということがあったらしく、今回の危険を回避できず大惨事になってしまいました。
批判の自由・表現・発言の自由がない社会は、恐ろしいことか゜起こるのです。そして、研究の自由とはさらに表現の自由までを含めてのことであるのは自明のことです。
自分のやっていることを「善・正義」と思い込み、他のだれかやっていることを「悪」と決めつけることこそ、人間として最も犯してはならないことではないでしょうか。自分のこと・自分が所属する組織のことを相対化すること、このことこそ先ず最初に重要視すべきと思いますか゜・・・。
『ブッダは歩む、ブッダは語る』(友岡雅弥) に曰く、
「智慧とは、あくまで多様化へと開かれ、単純 化という暴力に抗する力なのです」
このたび、この言葉を噛み締めたいものです。
ブログを知ったのは、わずか1月ばかり前のことです。
私は、2年前に「黒い手帳」、昨年「私が愛した池田大作」の本を読みました。外部の者ですから創価学会のことはそれまではよく知りませんでした。それから以降、過去にさかのぼって沢山の関連した書籍を読んでみました。
一般外部には見えない部分がはっきりと見えてきて、大変びっくりしました。創価学会の言っていることと、実際に行われていることとが、余りにも違い過ぎるのですから・・・・。
これでも、宗教団体なのか、なんでこんなことが起きて来ているのか?学会組織の方針に会員さんはみんな納得できているのだろうか等など、疑問に思えることがいっぱい湧いてきました。
私は、仏教徒ではなく、仏教のことはよく分かりません。宗教宗派に執着がありません。仏教徒でもなく、増してどの宗派が一番良い、これしかないというような独善主義・教条主義の考え方を受け入れることができません。しかし、書籍で知るうちに、法華教系の宗派はそれぞれに自分ところが一番だ絶対だと主張していて、なんと争いごとが多いことだろうかと、不思議に思いました。
裁判ざたの多いのにもびっくりしました。宗教団体では、他の宗派でもこんなに裁判が多いのでしょうか? 不思議です。仏教の理念は、他に対し寛容であれ、とか、中庸で偏りをなくしなさいとかの教えがあるようなのですが・・・・。
貴殿の裁判について、黒い手帳事件とそっくりな事件で、これまたびっくりです。
民主主義の社会において、自分が属する組織についての考えが自由に表明できないとしたら、その組織とは一体なんなのでしょうか? まして宗教団体であればなおさらのことです。表明内容の是非はともかくも、表現の自由、信仰の自由、思想の自由は憲法に保障されている最も基本的人権として重大なものです。
福島原発事件について、阪神淡路大震災の後、学者の中には数名の方が、「福島原発の危険性」を論文で発表していたということですが、色々なところからの圧力や学会内から排除され無視されるということがあったらしく、今回の危険を回避できず大惨事になってしまいました。
批判の自由・表現・発言の自由がない社会は、恐ろしいことか゜起こるのです。そして、研究の自由とはさらに表現の自由までを含めてのことであるのは自明のことです。
自分のやっていることを「善・正義」と思い込み、他のだれかやっていることを「悪」と決めつけることこそ、人間として最も犯してはならないことではないでしょうか。自分のこと・自分が所属する組織のことを相対化すること、このことこそ先ず最初に重要視すべきと思いますか゜・・・。
『ブッダは歩む、ブッダは語る』(友岡雅弥) に曰く、
「智慧とは、あくまで多様化へと開かれ、単純 化という暴力に抗する力なのです」
このたび、この言葉を噛み締めたいものです。
» 桃太郎さんに共感いたします!
桃太郎さんのコメント
激しく同意いたします!!
「黒い手帳」「私が愛した池田大作」は私も読みました。
他にも客観視できてる書籍は幾つか読みました。
その内容は知らなかった赤裸々な事実が載っていました。
が・・あまり驚きはありませんでした。
あ~ぁ・・やっぱりそうだろうなぁ。。
そんな感覚で読んでいました。
長く創価組織にいたので、様々な矛盾や異常な全体主義や法外な金銭要求は目の当たりにしてきましたので、そう感じたのだと思います。
>表現の自由、信仰の自由、思想の自由は憲法に保障されている最も基本的人権として重大なものです。
仰るとうりです。
しかし、その思想の自由を奪うのが創価学会です。
異なる意見は絶対に受け入れません。
創価の意見しか認めないのです。
人間ですから、意見は様々です。
しかし、創価に従わない異なる意見は「魔」にやられた姿だ!、今に現象が出る!と批判と叱責を繰り返すだけなのです。
>自分のやっていることを「善・正義」と思い込み、他のだれかやっていることを「悪」と決めつけることこそ、人間として最も犯してはならないことではないでしょうか。
それも、まさに仰るとうりです。
それが社会的な、当たり前の常識です。
人としての常識です。
それが創価学会には全くないのです。
だから、普通の感覚の方々や常識ある方々は、それが学会員さんでも徐々に距離を置いてる実態です。
桃太郎さんのコメント
実に的を得ていて、素晴らしい!と思います。
桃太郎さんのような方が増えて戴きたいなぁと、つくづく思いました。
なんか、ブログへのコメントじゃなくてスミマセン^^;。
でも、髙倉様
応援しています!!
激しく同意いたします!!
「黒い手帳」「私が愛した池田大作」は私も読みました。
他にも客観視できてる書籍は幾つか読みました。
その内容は知らなかった赤裸々な事実が載っていました。
が・・あまり驚きはありませんでした。
あ~ぁ・・やっぱりそうだろうなぁ。。
そんな感覚で読んでいました。
長く創価組織にいたので、様々な矛盾や異常な全体主義や法外な金銭要求は目の当たりにしてきましたので、そう感じたのだと思います。
>表現の自由、信仰の自由、思想の自由は憲法に保障されている最も基本的人権として重大なものです。
仰るとうりです。
しかし、その思想の自由を奪うのが創価学会です。
異なる意見は絶対に受け入れません。
創価の意見しか認めないのです。
人間ですから、意見は様々です。
しかし、創価に従わない異なる意見は「魔」にやられた姿だ!、今に現象が出る!と批判と叱責を繰り返すだけなのです。
>自分のやっていることを「善・正義」と思い込み、他のだれかやっていることを「悪」と決めつけることこそ、人間として最も犯してはならないことではないでしょうか。
それも、まさに仰るとうりです。
それが社会的な、当たり前の常識です。
人としての常識です。
それが創価学会には全くないのです。
だから、普通の感覚の方々や常識ある方々は、それが学会員さんでも徐々に距離を置いてる実態です。
桃太郎さんのコメント
実に的を得ていて、素晴らしい!と思います。
桃太郎さんのような方が増えて戴きたいなぁと、つくづく思いました。
なんか、ブログへのコメントじゃなくてスミマセン^^;。
でも、髙倉様
応援しています!!
» 希望様
この書面から、希望様がどのようなことに恐怖を感じられているのかがよく伝わり、こちらも追体験している気持ちになりました。
個人の日記から、このように大勢が右往左往する事態になるとは、この団体は、人の心に無作法に踏み込むことを恐れない人々の集合体なのか、と思わざるを得ません。
しかし、希望様の身の安全は、今やこの掲示板を読む私たちも見守るところです。
良い成果が得られることを、お祈りしております。
個人の日記から、このように大勢が右往左往する事態になるとは、この団体は、人の心に無作法に踏み込むことを恐れない人々の集合体なのか、と思わざるを得ません。
しかし、希望様の身の安全は、今やこの掲示板を読む私たちも見守るところです。
良い成果が得られることを、お祈りしております。
» 無題
髙倉様、多くの読者様、はじめまして。
よろしくお願いします。
ブログを読ませていただきました。裁判を起こされているということですので、注視していきたいと考えております。
このコメント、長文になりますことをお許しください。また、あまりにも長文のため非常識とのご批判があるかもしれませんが、あえて投稿した気持ちもおくみ取りいただきたいと念願するものです。
GWには、宮城にボランティアに行って参りました。地震以来、報道される悲惨な被害に自分にできることは何なのか? とずっと考えてきました。多くの国民が共有する感情ではないかと思います。3日間でしたが、個人宅の瓦礫撤去のお手伝いをやらせていただきました。これからも機会があったら参加したいと考えております。
わたしは、一般の方が言うところの創価女子部のバリ活です。4年前に創価大学を卒業し、今は民間企業で仕事をしています。学会では末端の一部長として最前線に立っています。
わたしで3世代目ですが、祖父母、両親と真面目に信仰を貫いてきました。祖父母が入会した直接の動機は祖母の病気ですが、その後の人生においても、名も無き庶民として精一杯の社会貢献をしてまいりました。
わたしはまだ何事においても経験浅い者ですが、多くの信仰者の生き様とまわりに対する無償の献身を目の当たりにして色々なことを学び、信仰無き人生は考えられないとの確信を持っております。
創価は今まで確かに、熱心なあまり反社会的な言動があったことは否定しません。そのことによって軋轢が起き、理解の輪が反って狭まったケースもあったと思います。だからと言って信仰そのものが否定されるべきものではありません。
ご存じかもしれませんが、涅槃経には「依法不依人」(法に依って人に依らざれ)と説かれ、日蓮大聖人も、人の振る舞いが大切なことを繰り返し述べております。法がいくら正しくても、間違うのはその法を実践する人間であり、目的がいくら正しくても、間違った手段を選択するのも人間だということです。
どこまでも法を規準とする戒めを、釈尊や日蓮は厳格に説いたと理解しております。
あなたを苦しめ、裁判に判断を任すようなことがあったとしたら、非常に残念に思います。またブログ記事にあるような非常識な言動が幹部にあったとしたら大変悲しく思いますが、わたしのような一般会員の意識からすれば、とてもほど遠いものです。わたしが出会ってきた会員は、ほとんど全員、良識のある方ばかりだからです。また辛い人生途上にありながら、努力を惜しまない正直な人ばかりだからです。
記事のなかで、法教育の定義について書かれておられますが、法教育は司法改革のなかで最も重要なテーマでしょう。社会ルールとしての法律の理解と民主的合理的な考えは、人間関係を円滑にしアクティブにしていくものと考えます。
わたしがいつも不思議に感じるのは、創価に批判的なコメントを読むと、確実な検証もなしに一律に学会は悪と決め付けていることです。それは感情的ですらあります。
貴ブログでは「創価学会池田カルト一派」と、断定的に創価学会全体をカルトと書かれております。無理解と反対のなかを人生を懸けて純真に信仰を貫いてきた祖父母や両親のような一般会員も含めて、創価全体をカルトと言うのは、どのような理由からなのでしょうか?
あなたが傷つけられたように、そういう言葉に一般会員は傷つけられていることを、どうかご理解していただきたいと考えます。
組織は大きくなればなるほど制御がきかなくなります。統制がとれなくなります。また方向転換も困難になってきます。変革を望んでも漸進的に進むものと考えます。宗教組織のなかに、野心や企み、正義の名のもとに組織に不都合なことを隠蔽するようなことがあってはなりません。また寛容と正反対の排他的な思想は巡り巡って自らの首を絞めることになるでしょう。
裁判の成り行きを注目していきたいと思いますが、今までの多くのトラブルは、一部の心無い会員によるものであることをご理解していただきたいと思います。
欧米において、特に民主主義の先進国であるヨーロッパで、創価がセクトの一つと認識されていることは知っています。キリスト教社会では仏教そのものが、文化として、また宗教として日常生活のなかで定着しておらず、異端の宗教との認識があるせいだと思います。
歴史上、キリスト教自体が多くの迫害と無理解を受けながら流布してきました。さらには、過去にヨーロッパ諸国が、国家的政策によってアジアやアフリカなどの異文化のなかで、強引に布教、占領政策の一翼を担ってきたことは歴史的事実です。それらは自国の利益のために隷属させる意図があり、植民地にされた国民からすれば、キリスト教は暴力的セクトそのものだったでしょう。
「心を正しい位置に置いた人」(小林秀雄)である内村鑑三が「代表的日本人」のなかで、日蓮を取り上げたのは、日蓮が残した精神的遺産が、日本人を形作る精神の重要なエレメントであると考えたからと思うのです。 現在、日蓮を正当に理解しその教義を実行している教団は、創価学会よりないとわたしは考えております。
学会組織と言えど、時代に即応した、人間のための組織として、絶えず変革していかなければならないことは、池田先生がいつもご指導されていることです。
間違いは正していかなければなりません。学会が全くの無謬というのも、信仰者が陥りやすい錯覚でしょう。
肯定的な人間関係を築くために組織に主体的に関わり、また組織に埋没しない個人であるために、真実を知ることは大変に重要なことです。
良識ある一市民として、平和実現への強い意思を持続することも、自由であることの真の意味も、真実を認識することが基本になるでしょう。
どのような行動も自由が保障されており、どのような表現も自由ですが、十分に善悪をわきまえた善良な会員が多くいることを知っていただきたいと考えます。
今まで学会は社会のあらゆる分野でそれなりの役割を果たしてきました。特に最も支援を必要とする社会の最下層と貧困層に希望と生きがいを与えてきました。反対に強引な布教で批判を浴び、自らを正当化するために、批判の批判を展開してきたことも否定しません。創立80周年を迎えましたが、創価はまだ十分に成熟していないのだと考えます。
日々の活動のなかで疑問に思うこともないではありませんが、それらのことはほぼ幹部の人格が反映されているものと考えます。もっと度量があるリーダーであっていただきたいと思いますが、こういうことは面と向って言いづらいところがあります。また目標を決め、企画し行動し、結果を求めるというスタンスも特に変わったものではありません。しかし質的にも量的にも完璧な結果を求め、勝つことへのこだわりが強過ぎるのには時々辟易することがあります。まるでビジネスパーソンとしてのマネージメントに酷似しております。学会のレスポンスの早さと行動の緻密さは伝統的なものですが、わたしが言いたいのは、正しいとか間違っているとかではなく、どのような行動にも、どのようなシーンでも、信仰者として血の通った人間らしい励ましと暖かさが必要だということです。
また財務に関しても、わたし個人のことを言えば、一度も強請されたことはありません。信仰が個人の自由意思を基本にしている以上、活動も財務も自由なのです。もしもそのようなことを強請する組織であれば、信仰とはいえません。わたしは部員さんに供養の意義は訴えますが、財務をするしないは個人個人が判断することだと考えています。こういうことは、あまりにも当然の分かりきったことではありませんか。金品の多少によって、あるいは財務の金額の多少によって、信仰の度合を測るなどということは、理想の信仰組織から最も遠い軽蔑すべき行為です。尊重されるべきものは真心であって金額の大きさではありません。
また離婚問題についても、相談にのることはあっても、最終的に判断し責任を負うのは当事者です。愛情問題や家庭内問題はプライベートの範疇です。そこに組織として入り込む余地など全くありません。もしも、幹部等の立場を利用し、強引に問題に立ち入り、当事者でない人間が離婚させようと意図するのは、甚しい誤りというものです。幹部であってもそのような資格も権限もありません。
常識豊かな言動が大切であることを繰り返し指導されているのは、池田先生に他なりません。でもわたしがこういう言い方をするのは、盲信的に先生を崇拝しているからではありません。師の心は分かっているからといっても、師のすべてを分かっているとは言えません。池田思想はあまりにも多岐にわたり、知性と理性をフル動員しなければ難しいと考えています。
皆様のコメントを読ませていただきました。小さな川の汚れが海洋全体を汚しているかのような投稿に感じられました。一部の心無い会員のせいで創価全体を否定される根拠とされるのは、一般会員からすれば迷惑な話です。改めて言うまでもないことですが、信教の自由は憲法で保障され、基本的人権の一つなのですから、宗教法人法に問題があるのであれば、幅広く社会的な関心を促す問題提起をすればよいと考えます。何事も完璧なものはないのですから、一人一人が考えていかなけばならない問題だと思います。そして裁判結果によっては、たとえ副会長というような役職にあっても、厳格に対処すべきです。組織ぐるみの犯罪など言語道断です。組織に必要なのは、会員に対する偽りのない真実の説明と信仰への限りない純粋さを維持するための祈りと厳しさと優しさだけです。
現在、組織に問題があるのかどうか、一般会員には分かりません。末端では嬉々として信仰に励んでいるのであり、信仰が生活の規範としての役割を果たしています。
もしも問題があるとしたら、将来的に誰にでも分かる形で顕在化してくるでしょう。そしてそれらの問題に無知であってはならないし、十分な関心を寄せて試行錯誤していかなければならないものと思います。しかしこういったことは組織運営上のことであり、信仰そのものは何ら変わるものではないと思います。
一般会員の真意をおくみとりいただき、組織改革の意欲を失っていない会員もいることを知っていただきたいと思います。
長文、失礼いたしました。
よろしくお願いします。
ブログを読ませていただきました。裁判を起こされているということですので、注視していきたいと考えております。
このコメント、長文になりますことをお許しください。また、あまりにも長文のため非常識とのご批判があるかもしれませんが、あえて投稿した気持ちもおくみ取りいただきたいと念願するものです。
GWには、宮城にボランティアに行って参りました。地震以来、報道される悲惨な被害に自分にできることは何なのか? とずっと考えてきました。多くの国民が共有する感情ではないかと思います。3日間でしたが、個人宅の瓦礫撤去のお手伝いをやらせていただきました。これからも機会があったら参加したいと考えております。
わたしは、一般の方が言うところの創価女子部のバリ活です。4年前に創価大学を卒業し、今は民間企業で仕事をしています。学会では末端の一部長として最前線に立っています。
わたしで3世代目ですが、祖父母、両親と真面目に信仰を貫いてきました。祖父母が入会した直接の動機は祖母の病気ですが、その後の人生においても、名も無き庶民として精一杯の社会貢献をしてまいりました。
わたしはまだ何事においても経験浅い者ですが、多くの信仰者の生き様とまわりに対する無償の献身を目の当たりにして色々なことを学び、信仰無き人生は考えられないとの確信を持っております。
創価は今まで確かに、熱心なあまり反社会的な言動があったことは否定しません。そのことによって軋轢が起き、理解の輪が反って狭まったケースもあったと思います。だからと言って信仰そのものが否定されるべきものではありません。
ご存じかもしれませんが、涅槃経には「依法不依人」(法に依って人に依らざれ)と説かれ、日蓮大聖人も、人の振る舞いが大切なことを繰り返し述べております。法がいくら正しくても、間違うのはその法を実践する人間であり、目的がいくら正しくても、間違った手段を選択するのも人間だということです。
どこまでも法を規準とする戒めを、釈尊や日蓮は厳格に説いたと理解しております。
あなたを苦しめ、裁判に判断を任すようなことがあったとしたら、非常に残念に思います。またブログ記事にあるような非常識な言動が幹部にあったとしたら大変悲しく思いますが、わたしのような一般会員の意識からすれば、とてもほど遠いものです。わたしが出会ってきた会員は、ほとんど全員、良識のある方ばかりだからです。また辛い人生途上にありながら、努力を惜しまない正直な人ばかりだからです。
記事のなかで、法教育の定義について書かれておられますが、法教育は司法改革のなかで最も重要なテーマでしょう。社会ルールとしての法律の理解と民主的合理的な考えは、人間関係を円滑にしアクティブにしていくものと考えます。
わたしがいつも不思議に感じるのは、創価に批判的なコメントを読むと、確実な検証もなしに一律に学会は悪と決め付けていることです。それは感情的ですらあります。
貴ブログでは「創価学会池田カルト一派」と、断定的に創価学会全体をカルトと書かれております。無理解と反対のなかを人生を懸けて純真に信仰を貫いてきた祖父母や両親のような一般会員も含めて、創価全体をカルトと言うのは、どのような理由からなのでしょうか?
あなたが傷つけられたように、そういう言葉に一般会員は傷つけられていることを、どうかご理解していただきたいと考えます。
組織は大きくなればなるほど制御がきかなくなります。統制がとれなくなります。また方向転換も困難になってきます。変革を望んでも漸進的に進むものと考えます。宗教組織のなかに、野心や企み、正義の名のもとに組織に不都合なことを隠蔽するようなことがあってはなりません。また寛容と正反対の排他的な思想は巡り巡って自らの首を絞めることになるでしょう。
裁判の成り行きを注目していきたいと思いますが、今までの多くのトラブルは、一部の心無い会員によるものであることをご理解していただきたいと思います。
欧米において、特に民主主義の先進国であるヨーロッパで、創価がセクトの一つと認識されていることは知っています。キリスト教社会では仏教そのものが、文化として、また宗教として日常生活のなかで定着しておらず、異端の宗教との認識があるせいだと思います。
歴史上、キリスト教自体が多くの迫害と無理解を受けながら流布してきました。さらには、過去にヨーロッパ諸国が、国家的政策によってアジアやアフリカなどの異文化のなかで、強引に布教、占領政策の一翼を担ってきたことは歴史的事実です。それらは自国の利益のために隷属させる意図があり、植民地にされた国民からすれば、キリスト教は暴力的セクトそのものだったでしょう。
「心を正しい位置に置いた人」(小林秀雄)である内村鑑三が「代表的日本人」のなかで、日蓮を取り上げたのは、日蓮が残した精神的遺産が、日本人を形作る精神の重要なエレメントであると考えたからと思うのです。 現在、日蓮を正当に理解しその教義を実行している教団は、創価学会よりないとわたしは考えております。
学会組織と言えど、時代に即応した、人間のための組織として、絶えず変革していかなければならないことは、池田先生がいつもご指導されていることです。
間違いは正していかなければなりません。学会が全くの無謬というのも、信仰者が陥りやすい錯覚でしょう。
肯定的な人間関係を築くために組織に主体的に関わり、また組織に埋没しない個人であるために、真実を知ることは大変に重要なことです。
良識ある一市民として、平和実現への強い意思を持続することも、自由であることの真の意味も、真実を認識することが基本になるでしょう。
どのような行動も自由が保障されており、どのような表現も自由ですが、十分に善悪をわきまえた善良な会員が多くいることを知っていただきたいと考えます。
今まで学会は社会のあらゆる分野でそれなりの役割を果たしてきました。特に最も支援を必要とする社会の最下層と貧困層に希望と生きがいを与えてきました。反対に強引な布教で批判を浴び、自らを正当化するために、批判の批判を展開してきたことも否定しません。創立80周年を迎えましたが、創価はまだ十分に成熟していないのだと考えます。
日々の活動のなかで疑問に思うこともないではありませんが、それらのことはほぼ幹部の人格が反映されているものと考えます。もっと度量があるリーダーであっていただきたいと思いますが、こういうことは面と向って言いづらいところがあります。また目標を決め、企画し行動し、結果を求めるというスタンスも特に変わったものではありません。しかし質的にも量的にも完璧な結果を求め、勝つことへのこだわりが強過ぎるのには時々辟易することがあります。まるでビジネスパーソンとしてのマネージメントに酷似しております。学会のレスポンスの早さと行動の緻密さは伝統的なものですが、わたしが言いたいのは、正しいとか間違っているとかではなく、どのような行動にも、どのようなシーンでも、信仰者として血の通った人間らしい励ましと暖かさが必要だということです。
また財務に関しても、わたし個人のことを言えば、一度も強請されたことはありません。信仰が個人の自由意思を基本にしている以上、活動も財務も自由なのです。もしもそのようなことを強請する組織であれば、信仰とはいえません。わたしは部員さんに供養の意義は訴えますが、財務をするしないは個人個人が判断することだと考えています。こういうことは、あまりにも当然の分かりきったことではありませんか。金品の多少によって、あるいは財務の金額の多少によって、信仰の度合を測るなどということは、理想の信仰組織から最も遠い軽蔑すべき行為です。尊重されるべきものは真心であって金額の大きさではありません。
また離婚問題についても、相談にのることはあっても、最終的に判断し責任を負うのは当事者です。愛情問題や家庭内問題はプライベートの範疇です。そこに組織として入り込む余地など全くありません。もしも、幹部等の立場を利用し、強引に問題に立ち入り、当事者でない人間が離婚させようと意図するのは、甚しい誤りというものです。幹部であってもそのような資格も権限もありません。
常識豊かな言動が大切であることを繰り返し指導されているのは、池田先生に他なりません。でもわたしがこういう言い方をするのは、盲信的に先生を崇拝しているからではありません。師の心は分かっているからといっても、師のすべてを分かっているとは言えません。池田思想はあまりにも多岐にわたり、知性と理性をフル動員しなければ難しいと考えています。
皆様のコメントを読ませていただきました。小さな川の汚れが海洋全体を汚しているかのような投稿に感じられました。一部の心無い会員のせいで創価全体を否定される根拠とされるのは、一般会員からすれば迷惑な話です。改めて言うまでもないことですが、信教の自由は憲法で保障され、基本的人権の一つなのですから、宗教法人法に問題があるのであれば、幅広く社会的な関心を促す問題提起をすればよいと考えます。何事も完璧なものはないのですから、一人一人が考えていかなけばならない問題だと思います。そして裁判結果によっては、たとえ副会長というような役職にあっても、厳格に対処すべきです。組織ぐるみの犯罪など言語道断です。組織に必要なのは、会員に対する偽りのない真実の説明と信仰への限りない純粋さを維持するための祈りと厳しさと優しさだけです。
現在、組織に問題があるのかどうか、一般会員には分かりません。末端では嬉々として信仰に励んでいるのであり、信仰が生活の規範としての役割を果たしています。
もしも問題があるとしたら、将来的に誰にでも分かる形で顕在化してくるでしょう。そしてそれらの問題に無知であってはならないし、十分な関心を寄せて試行錯誤していかなければならないものと思います。しかしこういったことは組織運営上のことであり、信仰そのものは何ら変わるものではないと思います。
一般会員の真意をおくみとりいただき、組織改革の意欲を失っていない会員もいることを知っていただきたいと思います。
長文、失礼いたしました。
» 無題
アンナさんへのレス
語ろうかな・・と思いましたが、辞めました。
髙倉様もそうですが、私も様々な実体験を通じて、さらに呆れる客観的真実を知り・・・今に至っています。
赤裸々な実害を被った体験や、矛盾に満ちた事実ほど説明に勝るものはありません。
しかし、それを語るならいくらコメント欄があっても足りません。
三日三晩語り続けても足りません。
実害を誰が責任とってくれるのですか?
奪われたままなのでしょうか?
創価が行った客観的な真実は、もはや表面化しています。
社会的にも認知されています。
語っておられる内容と全国の会員さんが体験してる現実が、あまりに違いすぎています。
購買と寄付・・・これはいくら言葉を柔らかく表現しても「半強制」です。
実態は「強制」です。
私は数十年間、その実態の中にいました。
活動家の身内が創価に夢中になり家計費を入れみ、サラ金に数百万の借金を作り、私が気がついて「このままでは家が潰れる!」そう思い、やっとの思いで数年間かけて返済しました。
子供たちの教育費は全て吹っ飛びました。
しかし、その身内は私が苦労して返済の段取りをしてる時、私に内緒で創価墓苑を申し込みました。
幹部が夫婦で売り込みに来ました。
公明党の議員が売り込みに来ました。
創価は会員を食い物にするだけだ!
心からそう思いました。
もちろん私は断りました。
買えば、子供の授業料が払えなくなります。
借金の返済もあるのです。
しかも、ちゃんと地域に我が家のお墓はあるのです。
それを知ってて、創価学会の幹部は売り込みに来るのです。
公明党の議員が売り込みに来るのです。
これが普通の姿ですか?
これが宗教団体ですか?
異常にお金のかかる創価学会に夢中になり、経済を潰した本人は、またこんな状況でバカ高い遠隔地の墓苑を申し込む。
もちろん私が断りました。
「これが池田創価に洗脳された姿だ!」
「あまりに危ない!」
創価学会に寒気がしました。
池田大作に寒気がしました。
そういう実態を知っていて、創価学会はその身内を幹部にしています。
それだけ常軌を逸した行動をするくらい洗脳されてる人なので、利用しやすい。
それだけです。
どうせ尻拭いは、お人よしの私(kan)がする。
利用するだけだ!
そんな狡猾なカルトの囁きが聞えてきます。
しかし、身内は創価が生き甲斐です。
それを奪うのは、「死」に等しい。
なので、それを一刀両断するわけにもいかない。。。
そういう私の心情もあります。
それも創価は利用しています。
身内が幹部なのでお金が大変です。
電話代や各通信費
読みもしない多くの聖教・・・書籍
全て、強制です。
アンナさん
強制なのですよ!!
実態は全て強制なのです!!
全て、創価に対してはらわたが煮えくり返るような怒りで日々生きてる私が全て支払うのです。
生活費が大変です。
それらを踏まえて、いろんな気持ちでコメントさせて戴いてます。
貴女は大変常識豊かで、知的な感じがします。
文面を拝見しても、それが伝わってきます。
行間も綺麗ですし、まとまっています。
ただ、大変失礼ながら・・・
アンナさんのコメントには「虚飾」を感じます。
何らかの「別の意図」も感じます。
もし、純粋に語っておられるなら
貴女ほどの方なら、貴女ほどの賢明な方ならそう遠くない将来に、創価学会の実態と池田氏の実態を知る日が来ると思います。
>語ろうかな・・と思いましたが、辞めました。
冒頭、そう申しました。
この語りは、極々ほんの一握りです。
したがって、語っていない・・・に等しいのです。
裁判が一段落したあかつきに、髙倉様に適切なコメントをお願いしたいと思います。
語ろうかな・・と思いましたが、辞めました。
髙倉様もそうですが、私も様々な実体験を通じて、さらに呆れる客観的真実を知り・・・今に至っています。
赤裸々な実害を被った体験や、矛盾に満ちた事実ほど説明に勝るものはありません。
しかし、それを語るならいくらコメント欄があっても足りません。
三日三晩語り続けても足りません。
実害を誰が責任とってくれるのですか?
奪われたままなのでしょうか?
創価が行った客観的な真実は、もはや表面化しています。
社会的にも認知されています。
語っておられる内容と全国の会員さんが体験してる現実が、あまりに違いすぎています。
購買と寄付・・・これはいくら言葉を柔らかく表現しても「半強制」です。
実態は「強制」です。
私は数十年間、その実態の中にいました。
活動家の身内が創価に夢中になり家計費を入れみ、サラ金に数百万の借金を作り、私が気がついて「このままでは家が潰れる!」そう思い、やっとの思いで数年間かけて返済しました。
子供たちの教育費は全て吹っ飛びました。
しかし、その身内は私が苦労して返済の段取りをしてる時、私に内緒で創価墓苑を申し込みました。
幹部が夫婦で売り込みに来ました。
公明党の議員が売り込みに来ました。
創価は会員を食い物にするだけだ!
心からそう思いました。
もちろん私は断りました。
買えば、子供の授業料が払えなくなります。
借金の返済もあるのです。
しかも、ちゃんと地域に我が家のお墓はあるのです。
それを知ってて、創価学会の幹部は売り込みに来るのです。
公明党の議員が売り込みに来るのです。
これが普通の姿ですか?
これが宗教団体ですか?
異常にお金のかかる創価学会に夢中になり、経済を潰した本人は、またこんな状況でバカ高い遠隔地の墓苑を申し込む。
もちろん私が断りました。
「これが池田創価に洗脳された姿だ!」
「あまりに危ない!」
創価学会に寒気がしました。
池田大作に寒気がしました。
そういう実態を知っていて、創価学会はその身内を幹部にしています。
それだけ常軌を逸した行動をするくらい洗脳されてる人なので、利用しやすい。
それだけです。
どうせ尻拭いは、お人よしの私(kan)がする。
利用するだけだ!
そんな狡猾なカルトの囁きが聞えてきます。
しかし、身内は創価が生き甲斐です。
それを奪うのは、「死」に等しい。
なので、それを一刀両断するわけにもいかない。。。
そういう私の心情もあります。
それも創価は利用しています。
身内が幹部なのでお金が大変です。
電話代や各通信費
読みもしない多くの聖教・・・書籍
全て、強制です。
アンナさん
強制なのですよ!!
実態は全て強制なのです!!
全て、創価に対してはらわたが煮えくり返るような怒りで日々生きてる私が全て支払うのです。
生活費が大変です。
それらを踏まえて、いろんな気持ちでコメントさせて戴いてます。
貴女は大変常識豊かで、知的な感じがします。
文面を拝見しても、それが伝わってきます。
行間も綺麗ですし、まとまっています。
ただ、大変失礼ながら・・・
アンナさんのコメントには「虚飾」を感じます。
何らかの「別の意図」も感じます。
もし、純粋に語っておられるなら
貴女ほどの方なら、貴女ほどの賢明な方ならそう遠くない将来に、創価学会の実態と池田氏の実態を知る日が来ると思います。
>語ろうかな・・と思いましたが、辞めました。
冒頭、そう申しました。
この語りは、極々ほんの一握りです。
したがって、語っていない・・・に等しいのです。
裁判が一段落したあかつきに、髙倉様に適切なコメントをお願いしたいと思います。
» 無題
なぜ匿名のコメントに自分を飾る必要があるのでしょうか?
わたしは自分の今までの経験のなかから感じたことや考えたことを率直に申し上げただけです。皆様の言われることが、わたしが体験してきたこととあまりにも相違しており、何かを意図して申し上げたわけではありません。また一会員であるわたしに組織上の重大な決定や方針の意味することが分かるはずがありませんし、知りたいとも思いません。わたしは創価のセールスマンでもなければ、プロパガンダでもありません。ただ信仰に忠実に自分自身に嘘偽りがないこと、ギリシャ時代からの「汝自身を知れ」という哲学の根本命題を謙虚に求め抜きたいと考えているだけです。
組織のなかの一員であっても、自分の幸せは自分でつかみとり、また築いていかなければならないと思います。組織が与えてくれるのでもなければ、誰かが助けてくれるわけではない。結局、組織のなかにあっても、自立した信仰が求められるのであり、何かに依存し、自分以外の誰かが自分の人生の決定権を持っているわけではないと考えます。
啓蒙と啓発活動は行いますが、それも自分が信じている最上の信仰の道のためとの理想があるからです。人のために尽くすこと、その過程のなかに自己発見があり、成長もあると確信しています。
わたしは正直に言えば、幹部不信です。こんなことは誰にも言ったことはありません。もちろん、幹部が全員、その役職に相応しくない人ばかりと言っているわけではありません。むしろ相応しい人のほうが多いし、特に苦労された方、自己の力量を越えて不可能に挑戦し絶えず自己更新をはかる人、自己中心でなくどこまでも励ますことを止めない人、信仰があろうとなかろうと自分を律して献身的に尽くす人は多くいると思います。
信仰者ということは、言い方を変えれば人格者ということだと考えますが、尊敬に値する人格を有した人が幹部になるとは限りません。不純な動機を持った人が幹部になり、純真な信仰を貫こうと思っている人を信心指導するという不合理なことが起きる可能性が十分にあるのです。わたしは遠慮なしに自分の意見、さらには間違っていると思われることは指摘しますが、時々白い目で見られることは事実です。でも民主的ということは個人の意見を尊重することが基本ではないでしょうか。信仰組織は双方向のコミュニケーションが活発な、最も民主的組織でなければならないのです。そのために努力していくことがわたしの使命と考えています。
わたしは自分のために祈ったことはありません。功徳をくださいみたいな卑しい信仰はしたくないからです。少なくとも、わたしの部の部員さんには幸せになってもらいたい。そのために祈り、喜びも苦しみもともにしていきたい。部員さんであると同時に友人と考えているからです。
kan様
あなたが会われた幹部や議員の方は、創価という商社の営業担当でしょう。一人一人の経済環境や信仰状態を見抜けない人々、会員に無理を押し付ける幹部は信仰者である前に最低の人間です。それは池田先生という師の期待を裏切るものです。
あなたに代わり失格の烙印を押してあげます。
kan様のために祈ります。
わたしは自分の今までの経験のなかから感じたことや考えたことを率直に申し上げただけです。皆様の言われることが、わたしが体験してきたこととあまりにも相違しており、何かを意図して申し上げたわけではありません。また一会員であるわたしに組織上の重大な決定や方針の意味することが分かるはずがありませんし、知りたいとも思いません。わたしは創価のセールスマンでもなければ、プロパガンダでもありません。ただ信仰に忠実に自分自身に嘘偽りがないこと、ギリシャ時代からの「汝自身を知れ」という哲学の根本命題を謙虚に求め抜きたいと考えているだけです。
組織のなかの一員であっても、自分の幸せは自分でつかみとり、また築いていかなければならないと思います。組織が与えてくれるのでもなければ、誰かが助けてくれるわけではない。結局、組織のなかにあっても、自立した信仰が求められるのであり、何かに依存し、自分以外の誰かが自分の人生の決定権を持っているわけではないと考えます。
啓蒙と啓発活動は行いますが、それも自分が信じている最上の信仰の道のためとの理想があるからです。人のために尽くすこと、その過程のなかに自己発見があり、成長もあると確信しています。
わたしは正直に言えば、幹部不信です。こんなことは誰にも言ったことはありません。もちろん、幹部が全員、その役職に相応しくない人ばかりと言っているわけではありません。むしろ相応しい人のほうが多いし、特に苦労された方、自己の力量を越えて不可能に挑戦し絶えず自己更新をはかる人、自己中心でなくどこまでも励ますことを止めない人、信仰があろうとなかろうと自分を律して献身的に尽くす人は多くいると思います。
信仰者ということは、言い方を変えれば人格者ということだと考えますが、尊敬に値する人格を有した人が幹部になるとは限りません。不純な動機を持った人が幹部になり、純真な信仰を貫こうと思っている人を信心指導するという不合理なことが起きる可能性が十分にあるのです。わたしは遠慮なしに自分の意見、さらには間違っていると思われることは指摘しますが、時々白い目で見られることは事実です。でも民主的ということは個人の意見を尊重することが基本ではないでしょうか。信仰組織は双方向のコミュニケーションが活発な、最も民主的組織でなければならないのです。そのために努力していくことがわたしの使命と考えています。
わたしは自分のために祈ったことはありません。功徳をくださいみたいな卑しい信仰はしたくないからです。少なくとも、わたしの部の部員さんには幸せになってもらいたい。そのために祈り、喜びも苦しみもともにしていきたい。部員さんであると同時に友人と考えているからです。
kan様
あなたが会われた幹部や議員の方は、創価という商社の営業担当でしょう。一人一人の経済環境や信仰状態を見抜けない人々、会員に無理を押し付ける幹部は信仰者である前に最低の人間です。それは池田先生という師の期待を裏切るものです。
あなたに代わり失格の烙印を押してあげます。
kan様のために祈ります。
» アンナさんへ
突然すみませんが、一つだけ。
最初のコメントにて
>貴ブログでは「創価学会池田カルト一派」と、断定的に創価学会全体をカルトと書かれております。
と書かれていますが、「一派」とは全体を指す言葉ではありません。
髙倉様も以前の記事にて、創価学会のほとんどが善良で純粋な会員たちであると書かれています。
まだこちらのブログを全て読んでおられないのかもしれませんが、気になったので。
髙倉様のお気持ちを誤解されている部分が多いと感じました。
長い文章を書くよりも、今一度じっくり記事を読まれてはいかがでしょうか。
最初のコメントにて
>貴ブログでは「創価学会池田カルト一派」と、断定的に創価学会全体をカルトと書かれております。
と書かれていますが、「一派」とは全体を指す言葉ではありません。
髙倉様も以前の記事にて、創価学会のほとんどが善良で純粋な会員たちであると書かれています。
まだこちらのブログを全て読んでおられないのかもしれませんが、気になったので。
髙倉様のお気持ちを誤解されている部分が多いと感じました。
長い文章を書くよりも、今一度じっくり記事を読まれてはいかがでしょうか。
» 嫌がらせですね
これは完全に嫌がらせですね
カルト創価の工作犯でしょう
一見するとそれとは読めないようですが
こういった術に長けているのがカルト創価です
これからも、いろんな手で嫌がらせはつづくでしょうが、気持ちを強く持たれて続けていってください。
全国に高倉様の味方がいます。
非力ながら私も
陰ながら応援していきます。
カルト創価の工作犯でしょう
一見するとそれとは読めないようですが
こういった術に長けているのがカルト創価です
これからも、いろんな手で嫌がらせはつづくでしょうが、気持ちを強く持たれて続けていってください。
全国に高倉様の味方がいます。
非力ながら私も
陰ながら応援していきます。
» けんさま
はじめまして。けんさまは初めての投稿ですね?違っていたらごめんなさい。
「嫌がらせ」「工作員」と書かれていますが、アンナさんのことですか?
文章ではわかりません。勘ぐればいくらでも勘ぐれますが、そうでなければアンナさんに失礼です。
けんさまがそう思われたとしても、アンナさんの投稿内容に私たちが何か困るのでしょうか?
それよりも昨日いよいよ東京で裁判が行われましたね。どんな内容だったのか、高倉さんのブログアップに期待しましょう!!!
「嫌がらせ」「工作員」と書かれていますが、アンナさんのことですか?
文章ではわかりません。勘ぐればいくらでも勘ぐれますが、そうでなければアンナさんに失礼です。
けんさまがそう思われたとしても、アンナさんの投稿内容に私たちが何か困るのでしょうか?
それよりも昨日いよいよ東京で裁判が行われましたね。どんな内容だったのか、高倉さんのブログアップに期待しましょう!!!
» アンナさんの投稿
私もやむにやまれぬ心情から投稿されたと察します。私も長期間の信仰歴があり、池田先生に心酔していましたからお気持ちわかります。私の年齢はアンナさんの親ぐらいですが、創価学会の指針に惚れて活動に没頭していました。池田先生はただの人、学会はお金をとらない、コマーシャルなどPRは必要ない、大きい会館を建てて信者から他の宗教団体のように金をむしることはない そのスタンスが大好きだったし、創価学会は私の生きる道と決めていました。でも、ある日突然三桁財務を強要されました。100万円です。それから毎年毎年ねらいをつけたように訪問さ1れました。会合では県幹部が大阪では5桁した人も何人かいるとの話等財務やらんかなの大合唱でした。今まで一万円があたりまえだった自分が、毎年毎年100万円辛くて悲しくてでも、自分の気持ちを言えなかった。言える雰囲気ではなかった。財務だけで1000万円以上は軽く超えました。創価学会員の数が財務が始まってから減ってきているのを確認しました。宗教法人法が改正されてから財務の打ち出しも表向き減ってきているとは感じていました。アンナさんがネットに顔を出すということは早かれ遅かれわかってくることではないでしょうか。
» 無題
私も少しだけ。
アンナさんが、心を正しい位置に置いた人、内村鑑三氏が日蓮を取り上げて称賛したとおっしゃって、そして創価学会を肯定する書き込みをされているように思いますが、私は内村鑑三氏は彼の知る日蓮と、創価学会を並べて同じように評価するとは思えないのです。
彼は組織に固執することに否定的だったと思います。
いくつかの彼の言葉です。
「教会何ものぞ 儀式何ものぞ。神学何ものぞ。
我が愛以上に信仰あるなくまた我が愛以下に我が宗教なるものあらざるなり。」
「私の無教会主義は主義のための主義でなかった。信仰のための主義であった。」
「選民と非選民と、信者と不信者と区別するのが間違いではあるまいか。全人類を教会と見てキリストをその首長として仰ぐならば、自分もその会員たることを辞さない。」
「余輩は名について争わず、実について争う。仏陀なりとて斥けず。キリストなりとて迎えず。余輩は万物の中に充満する愛の心を遵奉す。」
「もし、われらに教会ありとせんか。これわれらの家庭なり。われらの書斎なり。われらの事務所なり。われらの田園なり。われらの工場なり。われらの店舗なり。」
「飢え渇くがごとく真理と正義とを求むる者は、その崇拝物のいかんに関せず、同宗旨に帰依するものなり。」
これを読むと、組織主義の創価学会を、彼が評価するとは私には思えません。
それと、アンナさんがどういった意味で創価学会が日蓮を一番正しく理解しているとおっしゃるのかはよく解りませんが、今現在の創価学会が日蓮の教義を深く学んでいるのでしょうか。
末端の会員が学ぶのは、せいぜい大百蓮華の切り文くらいでしょう。
偽書濃厚と言われる文を用いることもありますし、はっきり言って日蓮よりも池田氏が発した(といわれる)言葉の方に比重としては重く置かれていると思います。
私としては、どの日蓮系の宗派が一番日蓮の言うことを体現しているかは結局のところ、日蓮に聞かなければ解らない、と思っています。極端ですがね。
アンチが創価学会を悪と決めつけ、感情的に論じているのに不満があるようにも書かれていますが、何より感情的に煽っているのは創価学会も同じこと。聖教新聞紙上に載るトップによる座談会の記事など最たるものでしょう。そして、検証もなく悪と決めつけるとおっしゃいますが、何故創価学会が悪く言われるか、検証しているサイトもあります。
財務については、強制ではないとおっしゃいましたが、半ば強制的な〇桁財務をしよう!という全国的な運動がありました。今も〇桁財務をしました!という発表があります。
額で信仰心を測ることがないというのなら、この桁という表現はなんなのでしょうか。
より多くの財務を確保するためだと言われても、仕方ないと思いますし、その表現は未だに放置されています。
これは組織の上層部は知っていると思います。信者さんの家庭を壊す要因にもなりかねないことが容易に解るのに、なぜ上層部はストップをかけなかったのでしょう。
また、毎年財務の時期になると泥団子の話や貧女の一灯などの話が沢山されますし、直に指導もされますね。財務が自然発生的なものなら、そのようなキャンペーンを毎年行う必要があるのでしょうか。
その謳い文句は福運がたまるから、宿命転換のため、というのが大半です。そして財務をしなければ、熱心な信者さんであればあるほど罪悪感を感じてしまいます。なので断り難いです。(そして財務をしたかしなかったかが周囲に解るし、地区により管理されていますよね。)
アンナさんが強制されたことがないとおっしゃるのは、最初から出そうと思っているからではないですか?
そこが強制だと感じている人との一つの差だと思います。
私の受け持っていた妊娠中の部員さんに、かなり上の方の婦人部長が流産の可能性を匂わせて財務をさせるという事がありました。財務をした彼女は、強制だと感じていましたよ。
確かに幹部の人格によって左右される面もありますが、この婦人部長はそのスタンスで多くの部員さんに接触しますので、部員さんたちは感化されてしまいますね。そして感化された部員はまた人を感化します。
もし、財務が真に自由であるというのが浸透しているならば、そもそもこの様な事態は起こらないと思うのです。
それは一部の人間が勝手にやっている、とおっしゃるかもしれませんが、この一部という言葉、大変無責任です。顔が見えない誰かに責任を被せることで、批判を回避しようとする言葉です。その一部の人間により傷ついた人の声というのが、全国的に上がっているのに。随分沢山の一部の人間がいるものだなと感じます。
ただ、アンナさんのボランティアは素直に素晴らしいと思いますし、所々、信仰に対する姿勢や人格に暖かなものも感じました。創価学会が、純粋に信仰団体として立派だと周囲に言われるような組織になることは、私としても望むところです。
どうぞ、アンナさんが組織を変えるため、部員さんを守るために上層部に負けないでガンガン頑張ってください。
少しだけ、と言いましたが、長文になってしまいました。
高倉先生、稚拙な考えで、この場を汚してしまったかもしれません。すみません。お体どうぞ気をつけてくださいね。
アンナさんが、心を正しい位置に置いた人、内村鑑三氏が日蓮を取り上げて称賛したとおっしゃって、そして創価学会を肯定する書き込みをされているように思いますが、私は内村鑑三氏は彼の知る日蓮と、創価学会を並べて同じように評価するとは思えないのです。
彼は組織に固執することに否定的だったと思います。
いくつかの彼の言葉です。
「教会何ものぞ 儀式何ものぞ。神学何ものぞ。
我が愛以上に信仰あるなくまた我が愛以下に我が宗教なるものあらざるなり。」
「私の無教会主義は主義のための主義でなかった。信仰のための主義であった。」
「選民と非選民と、信者と不信者と区別するのが間違いではあるまいか。全人類を教会と見てキリストをその首長として仰ぐならば、自分もその会員たることを辞さない。」
「余輩は名について争わず、実について争う。仏陀なりとて斥けず。キリストなりとて迎えず。余輩は万物の中に充満する愛の心を遵奉す。」
「もし、われらに教会ありとせんか。これわれらの家庭なり。われらの書斎なり。われらの事務所なり。われらの田園なり。われらの工場なり。われらの店舗なり。」
「飢え渇くがごとく真理と正義とを求むる者は、その崇拝物のいかんに関せず、同宗旨に帰依するものなり。」
これを読むと、組織主義の創価学会を、彼が評価するとは私には思えません。
それと、アンナさんがどういった意味で創価学会が日蓮を一番正しく理解しているとおっしゃるのかはよく解りませんが、今現在の創価学会が日蓮の教義を深く学んでいるのでしょうか。
末端の会員が学ぶのは、せいぜい大百蓮華の切り文くらいでしょう。
偽書濃厚と言われる文を用いることもありますし、はっきり言って日蓮よりも池田氏が発した(といわれる)言葉の方に比重としては重く置かれていると思います。
私としては、どの日蓮系の宗派が一番日蓮の言うことを体現しているかは結局のところ、日蓮に聞かなければ解らない、と思っています。極端ですがね。
アンチが創価学会を悪と決めつけ、感情的に論じているのに不満があるようにも書かれていますが、何より感情的に煽っているのは創価学会も同じこと。聖教新聞紙上に載るトップによる座談会の記事など最たるものでしょう。そして、検証もなく悪と決めつけるとおっしゃいますが、何故創価学会が悪く言われるか、検証しているサイトもあります。
財務については、強制ではないとおっしゃいましたが、半ば強制的な〇桁財務をしよう!という全国的な運動がありました。今も〇桁財務をしました!という発表があります。
額で信仰心を測ることがないというのなら、この桁という表現はなんなのでしょうか。
より多くの財務を確保するためだと言われても、仕方ないと思いますし、その表現は未だに放置されています。
これは組織の上層部は知っていると思います。信者さんの家庭を壊す要因にもなりかねないことが容易に解るのに、なぜ上層部はストップをかけなかったのでしょう。
また、毎年財務の時期になると泥団子の話や貧女の一灯などの話が沢山されますし、直に指導もされますね。財務が自然発生的なものなら、そのようなキャンペーンを毎年行う必要があるのでしょうか。
その謳い文句は福運がたまるから、宿命転換のため、というのが大半です。そして財務をしなければ、熱心な信者さんであればあるほど罪悪感を感じてしまいます。なので断り難いです。(そして財務をしたかしなかったかが周囲に解るし、地区により管理されていますよね。)
アンナさんが強制されたことがないとおっしゃるのは、最初から出そうと思っているからではないですか?
そこが強制だと感じている人との一つの差だと思います。
私の受け持っていた妊娠中の部員さんに、かなり上の方の婦人部長が流産の可能性を匂わせて財務をさせるという事がありました。財務をした彼女は、強制だと感じていましたよ。
確かに幹部の人格によって左右される面もありますが、この婦人部長はそのスタンスで多くの部員さんに接触しますので、部員さんたちは感化されてしまいますね。そして感化された部員はまた人を感化します。
もし、財務が真に自由であるというのが浸透しているならば、そもそもこの様な事態は起こらないと思うのです。
それは一部の人間が勝手にやっている、とおっしゃるかもしれませんが、この一部という言葉、大変無責任です。顔が見えない誰かに責任を被せることで、批判を回避しようとする言葉です。その一部の人間により傷ついた人の声というのが、全国的に上がっているのに。随分沢山の一部の人間がいるものだなと感じます。
ただ、アンナさんのボランティアは素直に素晴らしいと思いますし、所々、信仰に対する姿勢や人格に暖かなものも感じました。創価学会が、純粋に信仰団体として立派だと周囲に言われるような組織になることは、私としても望むところです。
どうぞ、アンナさんが組織を変えるため、部員さんを守るために上層部に負けないでガンガン頑張ってください。
少しだけ、と言いましたが、長文になってしまいました。
高倉先生、稚拙な考えで、この場を汚してしまったかもしれません。すみません。お体どうぞ気をつけてくださいね。
» 感動
タバサさんの投稿に感動しました。他の方の投稿にも感動していますが、今の時点で(私の時間と心のゆとりにおいて)一つひとつ頷くことができました。高倉さんはじめ色んな人のコメントに感想を書きたいのですが、難しくてなかなか思うようにはできません。いずれまた・・・。
一連の投稿、アンナさんに読んでいただきたいですね。私の娘より多分お若いアンナさん、引き続きアクセスしてくださっていますか?!
一連の投稿、アンナさんに読んでいただきたいですね。私の娘より多分お若いアンナさん、引き続きアクセスしてくださっていますか?!
» いちじくさんへ
「100万円です。それから毎年毎年ねらいをつけたように訪問さ1れました。会合では県幹部が大阪では5桁した人も何人かいるとの話等財務やらんかなの大合唱でした。今まで一万円があたりまえだった自分が、毎年毎年100万円辛くて悲しくてでも、自分の気持ちを言えなかった。言える雰囲気ではなかった。財務だけで1000万円以上は軽く超えました。創価学会員の数が財務が始まってから減ってきているのを確認しました」。
↑毎年100万なんて何とむごい! 小金持ちなら、そして学会を無条件に信奉してる人なら出せる額だといちじくさんは見込まれたわけですね。しかし、一般庶民にとっては一財産です!
「アンナさんがネットに顔を出すということは早かれ遅かれわかってくることではないでしょうか」
↑どういう意味ですか? 学会幹部には予想できたという意味ですか?
↑毎年100万なんて何とむごい! 小金持ちなら、そして学会を無条件に信奉してる人なら出せる額だといちじくさんは見込まれたわけですね。しかし、一般庶民にとっては一財産です!
「アンナさんがネットに顔を出すということは早かれ遅かれわかってくることではないでしょうか」
↑どういう意味ですか? 学会幹部には予想できたという意味ですか?
» アンナさんへ
「バリ活」とはバリバリ活動している、という意味ですか?初歩的な質問でごめんなさい。何しろ外部の者なので・・・。
●「涅槃経には「依法不依人」(法に依って人に依らざれ)と説かれ、日蓮大聖人も、人の振る舞いが大切なことを繰り返し述べております。法がいくら正しくても、間違うのはその法を実践する人間であり、目的がいくら正しくても、間違った手段を選択するのも人間だということです」
↑上記をわかっていらっしゃるのに、それでもまだ池田氏を崇めるのですか?私には理解しがたいです。麻原氏も最初は間違ってなかったのではないかと思います。しかし、一旦権力を手にすると人間は危ないのです。貴方も私も例外ではないと思います。私は権力のない人間でよかった。手にすればどんなひどい人間になったかという点で自信さえあります。
●「あなたを苦しめ、裁判に判断を任すようなことがあったとしたら、非常に残念に思います。またブログ記事にあるような非常識な言動が幹部にあったとしたら大変悲しく思います」
↑残念とか悲しいとか、そんな範疇の話ではありません。高倉さんはじめ多くの知らない学会員が苦しんでいるのです。高倉さんはたまたまインテリジェンスがあり、闘いの方法もお持ちの能力やブレーンがあったけれど、多くの信者さんがどうすることもできず言いなりになっているのだろうことが、このブログの投稿者さんのお話から伝わってきます。
●「わたしのような一般会員の意識からすれば、とてもほど遠いものです。わたしが出会ってきた会員は、ほとんど全員、良識のある方ばかりだからです。また辛い人生途上にありながら、努力を惜しまない正直な人ばかりだからです」
↑そうでしょう。きっとそうだと思います。けれど、その方々が本当に喜びを持って活動していらっしゃるかどうかは別モノではないかとも思います。そういうふうに思う自分は信心が足りないからそう思うのかもしれないと必死に自分の心の叫びや疑問を打ち消して明るい顔を見せているのではないかとも想像してしまいます。
「あなたが傷つけられたように、そういう言葉に一般会員は傷つけられていることを、どうかご理解していただきたいと考えます」
↑アンナさんはこのブログによって傷つけられた。それは事実だと思います。お気の毒だと思います。しかし、アンナさんのご存じのことと、ここで語られていることのどちらが真実か、ご自分なりの力で検証なさるのも一法かと。
●「組織は大きくなればなるほど制御がきかなくなります。統制がとれなくなります。また方向転換も困難になってきます。変革を望んでも漸進的に進むものと考えます。宗教組織のなかに、野心や企み、正義の名のもとに組織に不都合なことを隠蔽するようなことがあってはなりません。また寛容と正反対の排他的な思想は巡り巡って自らの首を絞めることになるでしょう
↑こういうコメントを書かれるということは、ある程度学会の抱えている問題をわかっていらっしゃるのでは? ただそれを認めるということは今までの自分を否定しなければならないから擁護のご意見を書かれているのでは? 高倉さんだって以前は熱心な学会員だったわけで、後に批判組に転向したからといって、アンナさん自体の価値が下がるわけではありません。
●「日々の活動のなかで疑問に思うこともないではありませんが、それらのことはほぼ幹部の人格が反映されているものと考えます」
↑企業においても上層部だから人格が素晴らしいとはとても言えない状況があります。そして、上層部の人格が劣悪ならヒラは不幸です。だから、上層部の人格は大切なのです。上層部の人格が問題なのであって、それと信仰のあり方が劣るのとは無関係とおっしゃっていらっしゃるように聞こえますが、それは違うでしょう。下層部を率いる人たちの人格が劣っていれば、根本の宗教がどんなに素晴らしくても絵に描いたお餅だと思いますよ。
●「常識豊かな言動が大切であることを繰り返し指導されているのは、池田先生に他なりません。でもわたしがこういう言い方をするのは、盲信的に先生を崇拝しているからではありません。師の心は分かっているからといっても、師のすべてを分かっているとは言えません。池田思想はあまりにも多岐にわたり、知性と理性をフル動員しなければ難しいと考えています」
↑これが問題です。アンナさんはもはやここにおいて思考停止なさっている。 池田氏を自分の手の届かない場所に置いて、「素晴らしい人」と思いこんでいらっしゃる。そう思っていれば楽だからです。
批判するには批判するための根拠がいる。それを探すことを放棄してしまっておられる。勉強してください。
などと部外者の、無知識の私が言うなんて、(へへん!)と思われるでしょう。しかし、部外者の直観というものを馬鹿にしてはいけません。私は自分の直観を信じています。私の直観はいつも当たります。まあ、こんなことを言っても再び「(へへん!)だとは思いますが。
以上珍しく懸命に書きました。最後まで読んでくださりありがとうございました。アンナさんのコメントの一つひとつに反応したかったのですが、大まかに書いてしまいました。概ねこんな意見です。
●「涅槃経には「依法不依人」(法に依って人に依らざれ)と説かれ、日蓮大聖人も、人の振る舞いが大切なことを繰り返し述べております。法がいくら正しくても、間違うのはその法を実践する人間であり、目的がいくら正しくても、間違った手段を選択するのも人間だということです」
↑上記をわかっていらっしゃるのに、それでもまだ池田氏を崇めるのですか?私には理解しがたいです。麻原氏も最初は間違ってなかったのではないかと思います。しかし、一旦権力を手にすると人間は危ないのです。貴方も私も例外ではないと思います。私は権力のない人間でよかった。手にすればどんなひどい人間になったかという点で自信さえあります。
●「あなたを苦しめ、裁判に判断を任すようなことがあったとしたら、非常に残念に思います。またブログ記事にあるような非常識な言動が幹部にあったとしたら大変悲しく思います」
↑残念とか悲しいとか、そんな範疇の話ではありません。高倉さんはじめ多くの知らない学会員が苦しんでいるのです。高倉さんはたまたまインテリジェンスがあり、闘いの方法もお持ちの能力やブレーンがあったけれど、多くの信者さんがどうすることもできず言いなりになっているのだろうことが、このブログの投稿者さんのお話から伝わってきます。
●「わたしのような一般会員の意識からすれば、とてもほど遠いものです。わたしが出会ってきた会員は、ほとんど全員、良識のある方ばかりだからです。また辛い人生途上にありながら、努力を惜しまない正直な人ばかりだからです」
↑そうでしょう。きっとそうだと思います。けれど、その方々が本当に喜びを持って活動していらっしゃるかどうかは別モノではないかとも思います。そういうふうに思う自分は信心が足りないからそう思うのかもしれないと必死に自分の心の叫びや疑問を打ち消して明るい顔を見せているのではないかとも想像してしまいます。
「あなたが傷つけられたように、そういう言葉に一般会員は傷つけられていることを、どうかご理解していただきたいと考えます」
↑アンナさんはこのブログによって傷つけられた。それは事実だと思います。お気の毒だと思います。しかし、アンナさんのご存じのことと、ここで語られていることのどちらが真実か、ご自分なりの力で検証なさるのも一法かと。
●「組織は大きくなればなるほど制御がきかなくなります。統制がとれなくなります。また方向転換も困難になってきます。変革を望んでも漸進的に進むものと考えます。宗教組織のなかに、野心や企み、正義の名のもとに組織に不都合なことを隠蔽するようなことがあってはなりません。また寛容と正反対の排他的な思想は巡り巡って自らの首を絞めることになるでしょう
↑こういうコメントを書かれるということは、ある程度学会の抱えている問題をわかっていらっしゃるのでは? ただそれを認めるということは今までの自分を否定しなければならないから擁護のご意見を書かれているのでは? 高倉さんだって以前は熱心な学会員だったわけで、後に批判組に転向したからといって、アンナさん自体の価値が下がるわけではありません。
●「日々の活動のなかで疑問に思うこともないではありませんが、それらのことはほぼ幹部の人格が反映されているものと考えます」
↑企業においても上層部だから人格が素晴らしいとはとても言えない状況があります。そして、上層部の人格が劣悪ならヒラは不幸です。だから、上層部の人格は大切なのです。上層部の人格が問題なのであって、それと信仰のあり方が劣るのとは無関係とおっしゃっていらっしゃるように聞こえますが、それは違うでしょう。下層部を率いる人たちの人格が劣っていれば、根本の宗教がどんなに素晴らしくても絵に描いたお餅だと思いますよ。
●「常識豊かな言動が大切であることを繰り返し指導されているのは、池田先生に他なりません。でもわたしがこういう言い方をするのは、盲信的に先生を崇拝しているからではありません。師の心は分かっているからといっても、師のすべてを分かっているとは言えません。池田思想はあまりにも多岐にわたり、知性と理性をフル動員しなければ難しいと考えています」
↑これが問題です。アンナさんはもはやここにおいて思考停止なさっている。 池田氏を自分の手の届かない場所に置いて、「素晴らしい人」と思いこんでいらっしゃる。そう思っていれば楽だからです。
批判するには批判するための根拠がいる。それを探すことを放棄してしまっておられる。勉強してください。
などと部外者の、無知識の私が言うなんて、(へへん!)と思われるでしょう。しかし、部外者の直観というものを馬鹿にしてはいけません。私は自分の直観を信じています。私の直観はいつも当たります。まあ、こんなことを言っても再び「(へへん!)だとは思いますが。
以上珍しく懸命に書きました。最後まで読んでくださりありがとうございました。アンナさんのコメントの一つひとつに反応したかったのですが、大まかに書いてしまいました。概ねこんな意見です。
» 応援しています
はじめまして。正義の味方の月光仮面と申します。
「国立大学教授が創価学会を訴えた裁判が、5月10日(火)午前11時から、東京地方裁判所の第709号法廷で行われます。
http://blog.goo.ne.jp/gakkaia-z/e/cb806fd711bd70ed8711cd01109c6428 」というメールを、下記の方々に送付しました。
「古川利明の同時代ウォッチング」と「カルト被害を考える会」のホームページでは、早速取り上げてくれました。
高倉教授を応援しています。頑張って下さい。
記
古川利明の同時代ウォッチング
独立党
海外特派員協会
朝日新聞社
しんぶん赤旗
戸田ひさよし
やや日刊カルト新聞
カルト被害を考える会
共同通信
産経新聞社
毎日新聞社国民新党
司法記者クラブ
「国立大学教授が創価学会を訴えた裁判が、5月10日(火)午前11時から、東京地方裁判所の第709号法廷で行われます。
http://blog.goo.ne.jp/gakkaia-z/e/cb806fd711bd70ed8711cd01109c6428 」というメールを、下記の方々に送付しました。
「古川利明の同時代ウォッチング」と「カルト被害を考える会」のホームページでは、早速取り上げてくれました。
高倉教授を応援しています。頑張って下さい。
記
古川利明の同時代ウォッチング
独立党
海外特派員協会
朝日新聞社
しんぶん赤旗
戸田ひさよし
やや日刊カルト新聞
カルト被害を考える会
共同通信
産経新聞社
毎日新聞社国民新党
司法記者クラブ
» ちゅららさんへ
質問ありがとうございます。
財務の衝撃ははるか昔のことですが、県幹部主導で財務の時期には毎年競争のように100万円の財務の体験をあちこちで語って私以外誰一人として異議を感じているように見えませんでした。当初は銀行振込ではなく支部幹部、本部幹部が場所を設けて財務の集金をします。事前に私の家に来て100万円の財務の話をしておき、同じ幹部が集金するのです。大きな会合で幹部がいくら100万円出せ、すってんてんになれ財務を惜しんだら来世はへびになると叫んでも関係ないのですが、家に来られて執拗に要求され、その幹部が集金をするので、相当なストレスでした。大金があるわけではないのですが、独身で一人暮らし、おまけに学会大好きに目をつけられたのかもわかりません。結婚費用は何もいらない。すってんてんになれとの一点張りでした。
うれしかったのは公明党を含む新進党結成時自民党からの創価学会攻撃の中宗教法人法が改正された時期から財務が銀行振込に変わったことです。自民党が創価学会攻撃の中で100万円財務の実態も批判をしていたのが原因なのか表向き会合での財務の行き過ぎた話は減った気がしました。水面下では個々に財務要求はあり、実際私も振り込んだかどうか確認するため銀行まで同伴されほとほと嫌気がさしました。
後 「アンナさんがネットに顔を出すということは早かれ遅かれわかってくることではないでしょうか」 との意味については私自身が財務の不満をもちながらも基本的に創価学会から流れてくる情報、聖教新聞の記事等真実であると受け止めていました。なかんづく池田先生だけは間違いないと信じていました。私自身がインターネットに出会い、今までの創価学会観を一掃するに十分な心を打つ情報、交流があったので純真でかつ聡明なアンナさんならいつかは正しい創価学会像をインターネットで把握されると思ったからです。
文章に人となりは表れるといいますが、自分の浅はかさをさらけ出すような拙い文章で恥ずかしいです。
財務の衝撃ははるか昔のことですが、県幹部主導で財務の時期には毎年競争のように100万円の財務の体験をあちこちで語って私以外誰一人として異議を感じているように見えませんでした。当初は銀行振込ではなく支部幹部、本部幹部が場所を設けて財務の集金をします。事前に私の家に来て100万円の財務の話をしておき、同じ幹部が集金するのです。大きな会合で幹部がいくら100万円出せ、すってんてんになれ財務を惜しんだら来世はへびになると叫んでも関係ないのですが、家に来られて執拗に要求され、その幹部が集金をするので、相当なストレスでした。大金があるわけではないのですが、独身で一人暮らし、おまけに学会大好きに目をつけられたのかもわかりません。結婚費用は何もいらない。すってんてんになれとの一点張りでした。
うれしかったのは公明党を含む新進党結成時自民党からの創価学会攻撃の中宗教法人法が改正された時期から財務が銀行振込に変わったことです。自民党が創価学会攻撃の中で100万円財務の実態も批判をしていたのが原因なのか表向き会合での財務の行き過ぎた話は減った気がしました。水面下では個々に財務要求はあり、実際私も振り込んだかどうか確認するため銀行まで同伴されほとほと嫌気がさしました。
後 「アンナさんがネットに顔を出すということは早かれ遅かれわかってくることではないでしょうか」 との意味については私自身が財務の不満をもちながらも基本的に創価学会から流れてくる情報、聖教新聞の記事等真実であると受け止めていました。なかんづく池田先生だけは間違いないと信じていました。私自身がインターネットに出会い、今までの創価学会観を一掃するに十分な心を打つ情報、交流があったので純真でかつ聡明なアンナさんならいつかは正しい創価学会像をインターネットで把握されると思ったからです。
文章に人となりは表れるといいますが、自分の浅はかさをさらけ出すような拙い文章で恥ずかしいです。
» 無題
少し反響があったので喜ばしいことと考えています。
「創価学会池田カルト一派」という名称は、このサイトがはじめてではありません。反創価のサイトや書物に度々登場する使い古された名称と思います。そしてこの名称からうけるインプレッションは、紛れもなく創価に所属する不特定の一般会員を含めて使っていると考えます。確かに「一派」という意味は全体をさす言葉ではありませんが、そこから受けるイメージとして学会全体を思い浮かべる人は多いと考えます。日常のなかで、わたしたちは厳密に言葉の定義を意識しているわけではありません。
前のコメントに書いたようにわたしは一会員に過ぎません。信じるも信じないのも自由ですが、反対意見を頭ごなしに封じようとするコメントに失望しました。対話を拒否するようなこのような考え方見方には、信仰を度外視しても抗議します。
そして工作犯?
コメントしただけで犯罪者ですか?
スパイ組織や国家謀略機関ではあるまいし、暗闇にうごめく魔手のような、宗教組織にとって致命的とも言えるエージェントの存在など考えてみたこともありません。どこからそのような発想が生まれてくるのでしょう。
内村鑑三は明治期のキリスト教者の特徴であるグローバリズムとナショナリズムの中間に立っていた人物ではないかと思います。よく言われる「2つのJ」にそれが表れていると考えますが、宗教は違っても日蓮に理想的宗教者あるいは伝道者としての姿を見ていたように思われます。
内村の引用は所感集からのものでしょうか。不真面目なわたしは全部は読んではいません。無教会主義といっても、内村は実際教会で説教していたのであり、自分でも教会設立に奔走したこともあります。
組織主義とは組織至上主義という意味と解釈します。わたしの言葉が足りなかったかもしれませんが、組織悪があるのであれば組織善もあるでしょう。釈尊は悟りを得てから、生涯を布教に費やしました。当然、信者の集まりである教団ができ、布教の中心になりました。日蓮在世の教団も同じだと思います。普通、布教は教団の指導で行なわれるものですが、日蓮の激しい排他性は、現代の布教にはそぐわないものと考えます。折伏堅持の創価のあり方は、社会の接点で多くの問題を引き起こすのではないかと危惧するのです。
大白しか読まない、御書も学ばない、というご指摘ですが、これは個人的な問題だと思います。学ぶ学ばないということは強制できることではありません。また教義のパッケージ化、マニュアル化は社会的風潮なのかもしれません。こんなことを言えばまた反論されますね。
研鑚のメニュー化は底の浅い宗教人を作り、仏教の醍醐味を味わうことができないと思います。また分からなくても祈れば功徳があるし、正しさが実感できるといった愚かしい議論には関与したくありません。創価がよく用いる昔からの変わらない論法です。体験は大切ですが、体験するために無制限の時間を無駄にしたくないというのが非学会員の本音でしょう。もちろんどんなコースを選択しようと個人の自由です。誰かに文句を言われる筋合いのものではありません。
冷静であらねばならない中央幹部は、時として暴走します。極端な解釈と物言いと行動が多くの敵を作り、社会に受け入れられないことを知っていながら、まるでそれが学会のため、会員のため、師のためであるかのように錯覚を起すのだと考えています。融通がきかない宗門から離脱したのは、応用問題に伝統と古びた厳格さから適用を拒んだ原理主義からの離脱を意味していたのに、専門家とも言える本部幹部の頭脳も柔軟性に欠ける。多くの会員が幹部以上に先生の著作を読み思考しているのに、組織改革のプロセスを一般会員に示すことはありません。閉鎖的と言えば閉鎖的ですが、考え方の根底には官僚主義がはびこっていると思います。
財務について
学生時代、わたしは財務をしませんでしたし、深く考えることもありませんでした。社会人になってから、母に相談し本当に少額の財務をするようになりましたが、無理をしている意識はありません。コメントのなかで、財務キャンペーンのようなお話を書かれていましたが、それはいつごろのことなのでしょう。わたしは聞いたことがありません。それに半強制に財務をしたとのことですが、不当な指導と思ったら、なぜ自分の意志を貫こうとしなかったのか。今わたしがこんなことを言っても何も解決にはなりませんね。
創価一世紀の今後の20年は、最も過酷な歴史を刻むことになるでしょう。それは会員一人一人が聡明でなければならないことを要求してくるものと考えます。会員第一、どこまでも人間のための組織として、多様性の容認と麗しい寛容精神に満ちた組織のあり様を模索するものだと考えています。
このようなコメントを学会本部はチェックしているのでしょうか?
もしもチェックしているのなら、チェックしている職員の方、太陽の下を歩けないような卑屈な手段は、あなたの尊い魂を腐らせるだけです。正々堂々と正義を主張してください。
また、提案ですが、聖教なり創価新報なり、裁判の経過を掲載したらどうでしょうか?
無理な提案ですね。
「創価学会池田カルト一派」という名称は、このサイトがはじめてではありません。反創価のサイトや書物に度々登場する使い古された名称と思います。そしてこの名称からうけるインプレッションは、紛れもなく創価に所属する不特定の一般会員を含めて使っていると考えます。確かに「一派」という意味は全体をさす言葉ではありませんが、そこから受けるイメージとして学会全体を思い浮かべる人は多いと考えます。日常のなかで、わたしたちは厳密に言葉の定義を意識しているわけではありません。
前のコメントに書いたようにわたしは一会員に過ぎません。信じるも信じないのも自由ですが、反対意見を頭ごなしに封じようとするコメントに失望しました。対話を拒否するようなこのような考え方見方には、信仰を度外視しても抗議します。
そして工作犯?
コメントしただけで犯罪者ですか?
スパイ組織や国家謀略機関ではあるまいし、暗闇にうごめく魔手のような、宗教組織にとって致命的とも言えるエージェントの存在など考えてみたこともありません。どこからそのような発想が生まれてくるのでしょう。
内村鑑三は明治期のキリスト教者の特徴であるグローバリズムとナショナリズムの中間に立っていた人物ではないかと思います。よく言われる「2つのJ」にそれが表れていると考えますが、宗教は違っても日蓮に理想的宗教者あるいは伝道者としての姿を見ていたように思われます。
内村の引用は所感集からのものでしょうか。不真面目なわたしは全部は読んではいません。無教会主義といっても、内村は実際教会で説教していたのであり、自分でも教会設立に奔走したこともあります。
組織主義とは組織至上主義という意味と解釈します。わたしの言葉が足りなかったかもしれませんが、組織悪があるのであれば組織善もあるでしょう。釈尊は悟りを得てから、生涯を布教に費やしました。当然、信者の集まりである教団ができ、布教の中心になりました。日蓮在世の教団も同じだと思います。普通、布教は教団の指導で行なわれるものですが、日蓮の激しい排他性は、現代の布教にはそぐわないものと考えます。折伏堅持の創価のあり方は、社会の接点で多くの問題を引き起こすのではないかと危惧するのです。
大白しか読まない、御書も学ばない、というご指摘ですが、これは個人的な問題だと思います。学ぶ学ばないということは強制できることではありません。また教義のパッケージ化、マニュアル化は社会的風潮なのかもしれません。こんなことを言えばまた反論されますね。
研鑚のメニュー化は底の浅い宗教人を作り、仏教の醍醐味を味わうことができないと思います。また分からなくても祈れば功徳があるし、正しさが実感できるといった愚かしい議論には関与したくありません。創価がよく用いる昔からの変わらない論法です。体験は大切ですが、体験するために無制限の時間を無駄にしたくないというのが非学会員の本音でしょう。もちろんどんなコースを選択しようと個人の自由です。誰かに文句を言われる筋合いのものではありません。
冷静であらねばならない中央幹部は、時として暴走します。極端な解釈と物言いと行動が多くの敵を作り、社会に受け入れられないことを知っていながら、まるでそれが学会のため、会員のため、師のためであるかのように錯覚を起すのだと考えています。融通がきかない宗門から離脱したのは、応用問題に伝統と古びた厳格さから適用を拒んだ原理主義からの離脱を意味していたのに、専門家とも言える本部幹部の頭脳も柔軟性に欠ける。多くの会員が幹部以上に先生の著作を読み思考しているのに、組織改革のプロセスを一般会員に示すことはありません。閉鎖的と言えば閉鎖的ですが、考え方の根底には官僚主義がはびこっていると思います。
財務について
学生時代、わたしは財務をしませんでしたし、深く考えることもありませんでした。社会人になってから、母に相談し本当に少額の財務をするようになりましたが、無理をしている意識はありません。コメントのなかで、財務キャンペーンのようなお話を書かれていましたが、それはいつごろのことなのでしょう。わたしは聞いたことがありません。それに半強制に財務をしたとのことですが、不当な指導と思ったら、なぜ自分の意志を貫こうとしなかったのか。今わたしがこんなことを言っても何も解決にはなりませんね。
創価一世紀の今後の20年は、最も過酷な歴史を刻むことになるでしょう。それは会員一人一人が聡明でなければならないことを要求してくるものと考えます。会員第一、どこまでも人間のための組織として、多様性の容認と麗しい寛容精神に満ちた組織のあり様を模索するものだと考えています。
このようなコメントを学会本部はチェックしているのでしょうか?
もしもチェックしているのなら、チェックしている職員の方、太陽の下を歩けないような卑屈な手段は、あなたの尊い魂を腐らせるだけです。正々堂々と正義を主張してください。
また、提案ですが、聖教なり創価新報なり、裁判の経過を掲載したらどうでしょうか?
無理な提案ですね。
» 無題
読者さんに同意だね。
宗門を監視する為、わざわざ法華講員に成り済まさせる組織ですから。
アンナさん、あなたベラベラ書いてますけど、創価学会の起こした犯罪の数々知らないの?
他人事じゃなくあなたの所属する創価学会のやった事だよ!
宗門を監視する為、わざわざ法華講員に成り済まさせる組織ですから。
アンナさん、あなたベラベラ書いてますけど、創価学会の起こした犯罪の数々知らないの?
他人事じゃなくあなたの所属する創価学会のやった事だよ!
» 月光仮面様
各所へのご連絡、誠にありがとうございます。
私も幾つかのブログと某通信社に伝えましたが
ちゃんと取り上げてくれるか・・・心配でした。
月光仮面様のご対応
非力ながらこのブログを応援したい!と思ってる私にとって、とても有り難く感謝しています。
一人でも多くの方に、様々な視点から注目して戴きたい!
社会的名声と立場ある方が、実名で創価カルト一派との戦いを裁判内容まで赤裸々に公表してるブログです。
もの凄いことだと思います。
しかも、創価学会総体や学会員さん全てとの戦いじゃなく、「創価カルト一派」と冷静に立て分けておられます。
そこに一つの「人間性」も感じています。
個人も組織も「仮面」はやがて・・剥がれます。
いつかは必ず剥がれます。
剥がれた仮面の下にある「真実の顔」に、今まで隠されてた「真実の顔」に、大衆の視線が注がれます。
陽の光が当たります。
21世紀になり、時の流れは早くなっています。
「因」が・・・「果」になるサイクルが短くなっています。
月光仮面様の応援に心から感謝いたします。
私も幾つかのブログと某通信社に伝えましたが
ちゃんと取り上げてくれるか・・・心配でした。
月光仮面様のご対応
非力ながらこのブログを応援したい!と思ってる私にとって、とても有り難く感謝しています。
一人でも多くの方に、様々な視点から注目して戴きたい!
社会的名声と立場ある方が、実名で創価カルト一派との戦いを裁判内容まで赤裸々に公表してるブログです。
もの凄いことだと思います。
しかも、創価学会総体や学会員さん全てとの戦いじゃなく、「創価カルト一派」と冷静に立て分けておられます。
そこに一つの「人間性」も感じています。
個人も組織も「仮面」はやがて・・剥がれます。
いつかは必ず剥がれます。
剥がれた仮面の下にある「真実の顔」に、今まで隠されてた「真実の顔」に、大衆の視線が注がれます。
陽の光が当たります。
21世紀になり、時の流れは早くなっています。
「因」が・・・「果」になるサイクルが短くなっています。
月光仮面様の応援に心から感謝いたします。
» アンナさんへ
財務キャンペーンのようなお話を書かれていましたが、それはいつごろのことなのでしょう。わたしは聞いたことがありません。それに半強制に財務をしたとのことですが、不当な指導と思ったら、なぜ自分の意志を貫こうとしなかったのか。
についてですが、
県幹部が三桁財務推進の指揮を執ったのは昭和57年です。他県の実家ではそれから3年後ぐらいでした。
振込に変わったのは平成4年頃だったと思います。
振込時期には県幹部主導での三桁という数字は大きな会合では言われなくはなりました。それまでは自分の気持ちを言えない雰囲気で、周りからも三桁財務の不満を聞いたことがありませんでした。むしろ喜び勇んで三桁財務をしているとしか思えなかったので自分の気持ちを押し殺すしかありませんでした。振込になった時いままでためていた苦しい思い、銀行にまでついてきて三桁をさされた苦しさを区幹部、県幹部に訴えました。もう終わったことだから、今選挙の時期だからしっかり活動して忘れようみたいな話をされましたけど気持ちがおさまらないので財務した後の祭りではありましたが、銀行までついてきた支部幹部にこれ以上ないぐらい怒りました。私の初めての抗議を支部幹部と仲のよいブロック担から支部内ほとんどの人に私が婦人部長と大喧嘩をしているという内容を私が悪いという位置づけで吹聴されました。
今まで好意的にみてくれていた幹部も私を見る顔色が変わっていました。
今はその組織にいませんが、間違いなく財務がきっかけで創価学会という組織から離れた状況です。
についてですが、
県幹部が三桁財務推進の指揮を執ったのは昭和57年です。他県の実家ではそれから3年後ぐらいでした。
振込に変わったのは平成4年頃だったと思います。
振込時期には県幹部主導での三桁という数字は大きな会合では言われなくはなりました。それまでは自分の気持ちを言えない雰囲気で、周りからも三桁財務の不満を聞いたことがありませんでした。むしろ喜び勇んで三桁財務をしているとしか思えなかったので自分の気持ちを押し殺すしかありませんでした。振込になった時いままでためていた苦しい思い、銀行にまでついてきて三桁をさされた苦しさを区幹部、県幹部に訴えました。もう終わったことだから、今選挙の時期だからしっかり活動して忘れようみたいな話をされましたけど気持ちがおさまらないので財務した後の祭りではありましたが、銀行までついてきた支部幹部にこれ以上ないぐらい怒りました。私の初めての抗議を支部幹部と仲のよいブロック担から支部内ほとんどの人に私が婦人部長と大喧嘩をしているという内容を私が悪いという位置づけで吹聴されました。
今まで好意的にみてくれていた幹部も私を見る顔色が変わっていました。
今はその組織にいませんが、間違いなく財務がきっかけで創価学会という組織から離れた状況です。
» 無題
ちゅららさん
外部の方なのに、よく観察されているのですね。
共感しました。
私は学会の家庭に生まれ、苦労もあったことから仕方なく(笑)整理するために、足りない頭で勉強させてもらっているのですが、もし私が外部に生まれてたとしたら、興味を持つことすらなかったかもしれません。一般の目線で創価学会を見てもらえることは、偏りも少ないために、とてもありがたいことだと思っています。
アンナさんがおっしゃる闇の組織ですが、有名所に後藤会系の暴力団の存在があります。後藤会の組長が、「憚りながら」という本の四章で創価学会との蜜月などを告白しています。デマだと一蹴せず、一度読んでみたらどうでしょう。
その他矢野氏などの告発本でもその存在を伺い知ることができますし、ネット上でも内部告発しているいくつかのサイトなどが不自然に突然閉鎖になったのを目にしましたし、内部で組織化されているのかはわかりませんが、後ろ暗く、不条理な事を担当して、疑惑が確信に変わったという学会員さんもいらっしゃいますね。
ここでも高倉先生が殺すと脅され、呼び出されたとき、待ち合わせ場所に大勢の人間が待機していたとも書かれています。
ただ、それが部署として組織化されているかどうかは一般会員であった私には知る由もありませんが…。
内村鑑三氏は無教会という主義に基づく教会で活動されていたみたいですね。
「真理は1人、また一団体の占有し得べきものにあらず、余輩もまた余輩の有限微弱なるを知るが故に余輩の信仰を確守すると同時に、また全ての他の信仰に対し深き尊敬を表す」
と言うように、排他性を排して他の教会と協力しながら伝道を行っていたようで、その観点から個人名を挙げて「〇〇撲滅唱題会」などを行っていた創価学会を内村鑑三氏はやはり評価しないでしょう。
それから、自分の意思を貫いて財務しなければ良かったとのことですが、私が上記に書いた彼女のことで言えば、彼女は妊娠中であり、子供の安全、健康には非常に敏感であったと思います。子供の流産という言葉は、彼女を恐怖に陥れたでしょう。
私も二児の母ですが、その心理は痛いほど解ります。そこに強制力が働き、財務をする、しないの自由は彼女には存在しなかったと思います。
一般の詐欺、悪徳商法に対しては消費者も賢明でなければならないとよく聞きますし、注意換気が行われています。ですが宗教は基本的に上意下達です。
「財務の闘い」として、トップから信仰としてお達しがくるのです。
一般の社会と同じように選びとる自由は…難しいでしょうね。
会員が聡明であること、これは同意ですが、その前に、募る側はまず「自由である」ということを周知徹底させなければいけません。それは組織の責任ですよ。会員に責任を転換させてはいけません。
額で信仰度合いを測らないというのなら、「財務の闘い」という宣揚もやめること。
そうしなければ、聡明である会員も増やせないし、強制されたと思う会員も後を絶たないでしょう。
組織悪もあれば組織善もあるとのことですが、問題になっているのは組織悪のことなんです。善は問題にはなりません。宗教として、善であることは当たり前でなければならないからです。
また善なる組織にするためには、組織悪に目を向けなければこの先一般に理解されることは難しいでしょうね。
また長くなりました。すみません。
外部の方なのに、よく観察されているのですね。
共感しました。
私は学会の家庭に生まれ、苦労もあったことから仕方なく(笑)整理するために、足りない頭で勉強させてもらっているのですが、もし私が外部に生まれてたとしたら、興味を持つことすらなかったかもしれません。一般の目線で創価学会を見てもらえることは、偏りも少ないために、とてもありがたいことだと思っています。
アンナさんがおっしゃる闇の組織ですが、有名所に後藤会系の暴力団の存在があります。後藤会の組長が、「憚りながら」という本の四章で創価学会との蜜月などを告白しています。デマだと一蹴せず、一度読んでみたらどうでしょう。
その他矢野氏などの告発本でもその存在を伺い知ることができますし、ネット上でも内部告発しているいくつかのサイトなどが不自然に突然閉鎖になったのを目にしましたし、内部で組織化されているのかはわかりませんが、後ろ暗く、不条理な事を担当して、疑惑が確信に変わったという学会員さんもいらっしゃいますね。
ここでも高倉先生が殺すと脅され、呼び出されたとき、待ち合わせ場所に大勢の人間が待機していたとも書かれています。
ただ、それが部署として組織化されているかどうかは一般会員であった私には知る由もありませんが…。
内村鑑三氏は無教会という主義に基づく教会で活動されていたみたいですね。
「真理は1人、また一団体の占有し得べきものにあらず、余輩もまた余輩の有限微弱なるを知るが故に余輩の信仰を確守すると同時に、また全ての他の信仰に対し深き尊敬を表す」
と言うように、排他性を排して他の教会と協力しながら伝道を行っていたようで、その観点から個人名を挙げて「〇〇撲滅唱題会」などを行っていた創価学会を内村鑑三氏はやはり評価しないでしょう。
それから、自分の意思を貫いて財務しなければ良かったとのことですが、私が上記に書いた彼女のことで言えば、彼女は妊娠中であり、子供の安全、健康には非常に敏感であったと思います。子供の流産という言葉は、彼女を恐怖に陥れたでしょう。
私も二児の母ですが、その心理は痛いほど解ります。そこに強制力が働き、財務をする、しないの自由は彼女には存在しなかったと思います。
一般の詐欺、悪徳商法に対しては消費者も賢明でなければならないとよく聞きますし、注意換気が行われています。ですが宗教は基本的に上意下達です。
「財務の闘い」として、トップから信仰としてお達しがくるのです。
一般の社会と同じように選びとる自由は…難しいでしょうね。
会員が聡明であること、これは同意ですが、その前に、募る側はまず「自由である」ということを周知徹底させなければいけません。それは組織の責任ですよ。会員に責任を転換させてはいけません。
額で信仰度合いを測らないというのなら、「財務の闘い」という宣揚もやめること。
そうしなければ、聡明である会員も増やせないし、強制されたと思う会員も後を絶たないでしょう。
組織悪もあれば組織善もあるとのことですが、問題になっているのは組織悪のことなんです。善は問題にはなりません。宗教として、善であることは当たり前でなければならないからです。
また善なる組織にするためには、組織悪に目を向けなければこの先一般に理解されることは難しいでしょうね。
また長くなりました。すみません。
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プロフィール
HN:
本名:髙倉良一(たかくらりょういち)
性別:
男性
職業:
大学教員
趣味:
思索と散歩と映画鑑賞
自己紹介:
HN:希望
大学と各種の専門学校で、法律学、哲学、社会学、家族社会学、家族福祉論、初等社会、公民授業研究、論理的思考などの科目を担当しています。
KJ法、マインド・マップ、ロールプレイングなどの技法を取り入れ、映画なども教材として活用しながら、学生と教員が相互に学び合うという参画型の授業を実践しています。現在の研究テーマの中心は、法教育です。
私は命ある限り、人間を不幸にする悪と闘い抜く覚悟です。111歳までは、仕事をしようと決意しています。
大学と各種の専門学校で、法律学、哲学、社会学、家族社会学、家族福祉論、初等社会、公民授業研究、論理的思考などの科目を担当しています。
KJ法、マインド・マップ、ロールプレイングなどの技法を取り入れ、映画なども教材として活用しながら、学生と教員が相互に学び合うという参画型の授業を実践しています。現在の研究テーマの中心は、法教育です。
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