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松井・広島市長:「出掛ける平和」から「迎える平和」へ 新市長の平和行政 /広島

 ◇記者会見の発言から

 広島市政のトップが12年ぶりに交代した。新しいヒロシマの顔となった松井一実・新市長(58)は、平和行政にどのような考えで臨むのか。初の戦後生まれとなる松井市長は「被爆2世とあえて言いたくなかった。普通の人として過ごすことに力を置いてきた」と語る。平和外交で実績を上げた秋葉忠利・前市長の路線を部分的に引き継ぎつつ、「松井カラー」をにじませた14日の記者会見の発言をたどった。【矢追健介】

 ◇広島五輪はムリ

 <平和施策はどうするか> 国と市とは立場が違う。とはいえ、広島は原爆を落とされた都市ですから、核廃絶は言わにゃいけん。核兵器をコントロールする権力を持つ国にどう伝えられるかを考えたい。その中で、いろいろな都市を募った「平和市長会議」は良いので続けていく。

 <平和施策の方向性> 出掛けていって(同志を)募るというのと、同志にもっと分かってもらうよう招くというのがあって、「出掛ける平和」から「迎える平和」にできんかな、と。来てもらって中身が空ならいかんので、実際に被爆した方のことをどう伝えるかを考えたい。

 <平和宣言> 自分が作文するのでなく、思いを持った人から募集するなりして出してもらうとか、もうちょっと工夫してやっていきたい。

 <ヒロシマ五輪> 経済活性化が重要課題であり、大震災を背景とした今、20年五輪は難しく、不可能と結論を下したい。

 <折り鶴ミュージアム> 折り鶴自体は否定しないが、コストなどを考えると保存は正しい方法じゃないと判断した。折り鶴を再生したり、(折り鶴に込められた)思いがよみがえるような方法を考えたい。

 ◇被爆70年までが任期

 第36代となる松井一実市長は、被爆70年に当たる2015年までが任期となる。

 戦後初めての公選市長は1947年に就任した故・浜井信三氏(20、21代)。市職員時代に被爆し、毎年8月6日の平和記念式典を始め、最初の「平和宣言」を読み上げた。

 22代(55~59年)市長は、弁護士だった故・渡辺忠雄氏。旧広島市民球場の建設を決定。広島カープの本拠地であり、「復興の象徴」となるランドマークを作った。当初、掲げた平和大通りの縮小案は実現しなかった。

 23、24代(59~67年)市長には、浜井氏が返り咲いた。市民の声に推される形で、66年に原爆ドームの永久保存運動を起こし、後の「世界遺産登録」につなげた。

 25、26代(67~75年)は、元参院議員の故・山田節男氏。68年の仏核実験に初めての抗議文を送り、73年の平和宣言では核保有国を激しく批判。基町地区の再開発に尽力した。

 連続では歴代最長となる4期(27~30代)16年を務めたのが、故・荒木武氏(75~91年)。被爆者で市議、県議を歴任した。82年には国連軍縮特別総会で核兵器廃絶について演説し、「平和市長会議」の前身を設立した。任期中の80年、広島市は政令指定都市に昇格した。

 31、32代(91~99年)は、元中国新聞記者で中国放送社長を務めた平岡敬氏。94年広島アジア大会を成功させ、原爆ドームの世界遺産登録に尽力した。平和宣言で日本の戦争加害責任に触れた。次世代に向けた都市計画づくりにも力を注いだ。

 今月7日に退任した秋葉忠利氏は33~35代(99~11年)の3期を務めた。米タフツ大准教授、広島修道大教授、社民党衆院議員などを歴任。核兵器廃絶に向けた政策を次々に提唱し、都市の連携を核廃絶に向けた世界の潮流にしようと、平和市長会議を拡大。国際的な発言力を高めた。

毎日新聞 2011年4月16日 地方版

 
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