チラシの裏SS投稿掲示板




感想掲示板 作者メニュー サイトTOP 掲示板TOP 捜索掲示板 メイン掲示板

[27370] とある・もしもの世界 上条さん→詐欺条さん改変 本編再構成
Name: verdadelo◆5ddb6f89 ID:aabc9d6f
Date: 2011/05/10 21:54
はじめまして。
verdadeloと申します。



このSSは、禁書目録のSS、上条さん改変、再構成です。
どのように、もしも、なのかは、ぜひ読んで見つけていただければと思います。

シリアス系だと思いますが、すこしだけコミカルなところも入れられれば、と考えています。



では、ご覧ください。




2011.5.10追記

掲示板にて誤記や句点の不適切な使用をご指摘いただきました。
一括変換などで修正しつつ、小節ごとに分かれていたものを
各話の区切りでまとめようと思います。




[27370] とある・もしもの世界 《超電磁砲》
Name: verdadelo◆5ddb6f89 ID:aabc9d6f
Date: 2011/05/10 23:07
《超電磁砲1》

平均すると4秒半。
ぼんやりと通り過ぎる人の顔を17数えたところでカウントをあきらめたが、過去の経験と比較するにやや長めの部類にはいるだろう。

度数分布は正規分布ではなく、おそらく2秒と6秒付近に2つのピークができるはずだ。
ピークができる理由は大きく分けて2つ。
厄介なことにかかわりたくないとすぐ目をそらすタイプと、興味と心配を混ざってしばらく見ているタイプの2パターンがあることだろう。
なお、平均値を押し上げているのは、自分と自分を囲む者たちの服装によると推察される。

ともあれ、「自分と目線が合っている時間曲線」は、極狭い範囲で収束する。
他者のためにリスクをとる行為は取りがたいのは当たり前であって、この状況で目線を合わせることは対岸の火事を自分の岸に吹き寄せることになるのだから、残念ながら仕方ないが。

そのような冷めたことを考えつつ、その一方で無視し続けているのにいつまでも諦めない男たちにイライラしつつ、彼女は日が落ちた三車線道路脇の歩道を急ぐ通行人を眺めていた。

彼女が比較的広めと自覚しているパーソナルスペースを笑いながら侵害する男たちの制服をみれば、彼らが学園都市では―能力開発という意味では―かなり優秀な高校に通う生徒であることを知らない人は少数派だろう。入学時の条件は、確かレベル2以上。学力もそれなりのものを要求されているはずだから、彼らが馴染みの「お客さん」とは雰囲気が違うのも当然だ。

「だからね、俺たちとしては常盤台の教育プログラムをどうしても知りたいわけよ」

長い髪を揺らしながら放つ誘い文句も確かに新鮮だ。しかし、新鮮だから好印象を与えるかというと、そういうものでもない。
言葉や態度には2重程度のオブラートを掛けてあるが、その真意はつまるところナンパであり、レベル3以上は確実である常盤台の学生に、数の力でプレッシャを与えようとする方法も、結局は過去の事例と変わらない。そして、常盤台の制服が、通行人をもって自分で自分を守るくらいの力はあるだろうと思わせるのに有効であることも規定事項だ。

新しいパターンに、最初の1分間とはいえ僅かな好奇心を持ってしまったのは、今日の実験で思った以上に疲れていたせいだと結論する。

「君にとっても、我々の高校のプログラムは能力向上に役立つと思うよ」

TPOが悪いと、どんな言葉も悪質なキャッチセールスの常套句のように聞こえるものだ…そんな惰性的思索を続ける大人の態度も、さすがに肩に手を回されれば即座に瓦解する。

「……離しなさいよ」

「へえ」、「そう」、「興味ないから」に加えて、この言葉を使うときはリーチが掛けられたことを意味する。彼女の客人が圧倒的優位と思っていた状況が一転し、自分が刈り取られる側になることに気づくことに。すなわち、常盤台の超電磁砲、御坂美琴がその能力の一部を解放することに。

「まあ、そういわずにさ。夕飯まだなんでしょ。なんでもおごるよ」

歴然たる力の差に固まった表情に、彼女がささやかで無自覚な暗い喜びを感じることに。

「……離しなさい。痛い目を見るわよ?」

一応、警告はする。聞き入れて解放されたためしはないし、聞き入れられるとも思っていない。
だから、これは挨拶、あるいは能力を使用することに対する自分への言い訳と同義だ。止まれ、といわれて止まる者は最初から脱走をせず粛々と刑期を終えるだろう。
逃げ続ける覚悟で脱獄するのだから、そんな言葉を掛ける暇があるならば銃で撃てばよいのにと思う。
その理屈なら、自分も警告なしで打ちのめすべきか、などと物騒な思いに、かすかな匂いが入ってくる。
ゼロ距離にある長髪から漂う香水は、意外と自分の趣味に合うものだった。
香水は体温によって香りが変わっていく。
ジュール熱をかければ、さらに好みになるのだろうか。

感情の沸騰は一瞬で、すぐに冷静かつ攻撃的な発想に戻ってくるくらい、
御坂美琴にとって彼らの未来予想図は明らかだった。

「そんなに怒らないで、さ」

言葉はあくまで穏やかだが、語調からオブラートは解けつつあると感じる。
後ろの誰かの舌打ちがかすかに聞こえる。そして、その音にわざと少し強めの視線を向ける。この視線は好ましいものであるはずがない。
おそらくこのぎりぎりの平衡状態を崩すだろう。

そのとき、その後ろからまっすぐに自分を見ながら一人の男が歩いてくることに気がついた。

「なんだよ、その目は」

10秒くらいか、と予測する。高校生であろうその男は無表情だ。
これから6対1の争いに入り込む覚悟があるようには見えない。
それでも目をそらさないのは、状況を把握していないか、状況を把握して安全域でジャッジメントに通報するつもりなのだろう。
舌打ちの音源にさらに挑発的と見えるような視線を送りつつ、視野の端で自分の予測結果を確かめる。

「無視するんなよ」

15秒。予測より長い。ひょっとしたらそれなりに高いレベルの能力者なのか。
彼らの制服をみて、それでも対処可能であると思える程度の能力者が、
可哀想な自分に手を差し伸べてくれるというのか。
まあ、このような状況に陥ることは数え切れないぐらいだから、そのような偶然があっても不思議ではない。

―数え切れないほど絡まれる要因のひとつに、隠し切れていない自分の不遜があることを、
もちろん彼女は自覚していない。

「おい、…聞いてます?」

25秒。男たちの輪が少し狭くなる。瞬時に使って良い能力の強さを確認する。
自分が背中にしている店や傍らの自動販売機に影響がない、本日の「被害者」が死なない、
しかしながらそれ相応の痛みを受ける程度の電撃。
もちろん、こちらからは使わない。相手に先に手を出してもらわないと正当防衛にはならない。

件の男は歩みを止めない。彼のどのような対応をするのだろう。

「ちっ…。…おい、なんだお前?」

30秒。肩に回された力が増す。長髪は自分をコーティングすることは放棄したらしい。
溜まっていた苛立ちをぶつけるように、イレギュラーな乱入者に胡乱な視線をぶつけた。
ここで強さを見せておけば、この女もおとなしくなるだろう、ぐらいは考えているのかもしれなかった。

しかし受ける高校生は相変わらず無表情のまま、

「多人数で女の子を口説くのはカッコ悪い。そして、5分以上話しかけて脈がないなら諦めたほうが無難だと思うけど」

静かに喧嘩を売ってきた。

やはり高レベルの能力者か。どれ程のものかお手並み拝見といきたい、と御坂は思った。
高レベルの能力者の喧嘩はほとんど見たことがない。
自分を助ようとする善意に対しての罪と自覚しつつも、実力が伯仲すればなお面白い、
など期待が沸くのも否めない。

御坂の期待に応えるつもりではないだろうが、元々馬鹿ではないはずの周りの連中にも同様の推察は成り立ったらしい。
緊張が走り、能力が使用される独特の感覚―AIM拡散力場か―が高まるのを感じる。
そして、御坂の周りの空気が揺らいだ

発火能力者だ。

長髪は肩に片手を回したまま両手を突き出すように前にだす。その前に炎が現れる。
強度は多分レベル4。自分に話しかけていたのは基本的にこの長髪だったから、彼らの中ではリーダーみたいなものかと思っていたが、この能力なら納得できる。
彼らの学校でもきっと最も強い部類に入るだろう。あそこにはレベル5はいないから。

さて、乱入してきた彼はどう対応するのか。
未だ両手をポケットに突っ込んだまま、無表情を決めているが、それほど自分の強さに自信があるのかね。
その態度がただのハッタリでないことを期待しつつ、ハッタリだったときは即座に助けられるように目を配りつつ、
なんとなく傍観者になったかのように目の前の展開を見ていた御坂だが、何かが焦げる、その独特な臭い…その正体に気づいた瞬間、

「ふざけんなアアアアアアアアアアアアアア!」

怒声とともに、手加減があまり効いていない電撃を周囲に放ってしまった。
あたりが光と爆発音で包まれる。隣の自動販売機がボンッ、と小さな音を立てて機能停止する。
背中のシャッタの塗装がめくれる。
強引に電気の通り道にされたアスファルトが僅かに溶けた臭いがする。

「あー……」

しまった、と思ったときには遅かった。
理不尽に重い罰を受けた男達は軽く痙攣しながら地面に倒れていた。
とっさに心電位、脳波、網膜電位を確認するが全員問題なし。
大事にならなくて安堵のため息を一つ落とす。
同情できるところは限りなく少ない人種だが、それでも髪の毛を少し焦がされただけで回復不能なダメージを与えることには抵抗が大きい。
動揺の波が引き、余裕を取り戻したので聞いてみた。

「……で、アンタはなんで無事なわけ?」

相変わらず両手をポケットに突っ込んだまま、無表情な乱入者に。
見たところ彼はまったくダメージを受けていない。
距離的には同程度の位置に倒れる犠牲者は服も焦げているのに。
自分が無意識に彼だけを避けるように攻撃したのだろうか…
いや、そんな配慮はなかったはずだ。やはり高レベルの能力者か。
しかし、ボールを投げられた男は周囲を一瞥し、僅かに考えるそぶりを見せたあと、

「どうやら、余計なお世話だったみたいだね」

と、ぼそりとつぶやいた。

「質問に答えて欲しいんだけど」
「ジャッジメントには通報しておくね。大丈夫だとは思うけど、病院に運んだほうが良いと思うし」

聞かれたら、女の子がしつこく絡まれていた、と証言するけどそれでいいよね?と続ける。
やはり、納得できる答えが返ってこない。なんだ、この男は。

「一体、何の能力を使ったわけ?」

急速にイラつきが増していくのを抑えて、努めて冷静に聞く。
電撃はステップトリーダでさえマッハ100を超える。
電撃を見てからの反応では、絶対に防御は間に合わない。
仮に自分が発電系能力者と知っていて―良くも悪くも自分の知名度は理解している―能力を使うことをとっさに察知して
能力で防御したにしても、これだけの電気量を受け流すのは容易なことではないはず。
それができる能力者はレベル4でも上位のものだろう。

「ああ…、俺はてっきり君が外してくれたんだと思っていたけど」
「それはない」
「言い切るのか…。一応、助けに入ったんだけどね、俺」
「で、何で?」
「だから、君が配慮してくれたんだろう?」
「違うって言ってるでしょ!」

この男はあくまで惚けるつもりらしい。でもそんなことは許せない。
自分の能力が通用しないなど、簡単に認められるものではないから―

「答えたくないなら…答えたくなるようにしてもいいのよ?」

うっかり言ってから、醜い言葉だと後悔した。
ああ、これは完全に脅迫だ。筋違いもいいところだ。
この言葉は、倒れている者たちに言うべきものだ。
彼はリスクを負って自分を助けようとしてくれたのに、なぜこんな言葉をぶつけられるのだ、自分は。
今日の実験が大変だったせいだ、など自己弁護する自分がふと現れる。
同時にそれを非難する自分が登場する。
でも、何を御坂が思おうとも、音のエネルギーは拡散しても、言葉は取り返すことができない。

「まあ……もし、君の配慮じゃないとすれば」

それでも、彼は姿勢も表情も変えない。淡々と、同じトーンで、

「きっと、日ごろの行い、ってやつじゃないかな」

または、神のご加護かもね。などと彼自身、絶対に信じていないだろうと思われる台詞を述べる。
それはあまりにも馬鹿馬鹿しい回答だったから、御坂は苛立ちも後悔も忘れてしばらく呆然とした。

「あ、ごめんね」

その間に、彼はポケットから携帯を取り出す。
どうやら電話の相手と待ち合わせしているらしく、遅刻を詫びているようだ。

「……もう、いいわ。助けてくれたのに、悪かったわ」

今、これ以上の質問をしても、自分の望む回答は得られないことがなんとなくわかった。
これ以上質問すると、自分の嫌な面と向き合うことになるかもしれないこともわかった。
そして、質問するエネルギーもどこかに消えてしまった。
だから、ひょっとしたら気づかれないかもしれないくらい軽く頭を下げ、
御坂美琴はその場を後にしたのだ。

決して人には知られたくないプライバシーがあり、それを尊重しようなど殊勝な思いがあったからではない。
それなりに強い能力者なら、データバンクに入り込めばすぐに見つかるはずだ、という見込みがあった。
だから、今この場で聞かなくても良い、と保留しただけだ。

その甘い見通しのために、ストーカーまがいのことをする羽目になるとは、
このときの御坂美琴には想像できなかった。










《超電磁砲2》

結論から言えば、データバンクを漁ったものの、あの無表情な男に関する有用な情報は得られなかった。

あの件の次の日、写真つきのレベル4の能力者リスト―もちろん公衆電話から侵入したバンクより違法にダウンロードしたもの―を全部見たが、あの男に似た顔は1人もなかった。
発電能力者なら、あの電撃をかわせたかもしれないと考え、レベル1から3までの発電能力者も調べたが、該当件数はゼロ。
バンクの情報は常に最新で、ジャッジメントやアンチスキルも参照する情報だから、整形したところでごまかせるようなものではない。
可能性としては変身能力者も挙げられるが、それなら電撃を防げることが説明できない。
1時間も掛からずに見つけられると思っていたのに当てが外れて、御坂美琴は頬を膨らませた。

しかし、頬を膨らませても、湧き上がる疑問と好奇心は納まらない。
そして、如何に彼女が世界最高レベルの情報処理およびハッキング技術保持者であろうとも、
自分の記憶の中にしかない顔を手がかりにネットワークから個人を特定するのは不可能だ。
彼女が極めてオーソドックスかつ古典的な手法-すなわち現地調査と聞き込み―を取った
のは、端的に言えばそういった理由からだった。

真夏日の午前11時、うだるような暑さの中で御坂は現場に帰ってきた。昨夜とは一転して
人通りも多いなか、自分が残した傷痕を調べている姿を見られると、まるで糾弾されているような気持ちになる。
事実、糾弾されても仕方ないことをしたのだから文句は言えないはずだが、
それでも見るな、という無言の威圧感で視線を逸らさせるあたりがレベル5たる所以だろう。
そういえば、犯人は現場に帰ってくるというのは定説だったような気がする。
ならば突然ジャッジメントが現れて、器物破損の容疑で拘束されたりするのだろうか。
昨日はルームメイトに特に追及されなかったが、今日帰ったら彼女にまた説教されるかもしれないなどと思いつつ、
ふとアスファルトに目を落としたところで彼女はあることに気がついた。

アスファルトの一部で周囲と僅かに色調が異なる部分があるのだ。
直径は約70cm。
円状に変色している場所を見て、そこがあの男が立っていた場所であることに気付いた。

「なるほど」

全身をにじむ汗の分以上の情報を見つけたことに満足して、彼女は次の行動に移った。


「わかった、ありがとう、参考になったわ」

聞き込みについても、それなりに情報が集まった。
昨日、聞くともなしに聞いた「電話」の会話を信用するなら、
あの男は例の場所から歩いて15分程度の場所に住んでいるらしい。
この辺りは自分も通学路として使用しているので土地勘もあり、
どこに行けば適切な情報が得られそうかは良く理解していた。

「ごめんね…でも、この件でうちの学校の子に報復しようとしたら、こんなもんじゃ済まないから」

あの男は全く見知らぬ自分を助けようと、6対1の状況に首を突っ込むお人好しだ。
ならば、この付近で「助けに入らなければいけない状況を作りそうな」連中、
すなわちスキルアウトの溜まり場を何点かあたれば、何がしかの情報を得られるのではないか。
そう考えて、自分の能力と知名度を背景に穏やかに質問してみれば、
予想以上に有名人のようで、どこに行っても彼は知られていた。

得られた情報をまとめると、
人助けを生きがいのように行う男、
異常に運動神経と勘が良い男。
お礼参りも返り討ちに会ったり、
ジャッジメントやアンチスキルが巡回している場所に誘導されて逮捕されたりするなど、
成功したためしがないようで、スキルアウトにはできれば相手にしないほうが良い人物と認識されているらしい。
さらに、能力者と戦って負けたことはないらしく、
どうやら能力を打ち消すとしか思えない現象を多々起こしているようだ。

「能力を打ち消す能力」

昨日までなら、そんなものあるわけないで笑って終わりだっただろうが、
実際それらしい現象を見たばかりなのでなんともいえない。
しかし、通っている学校についても情報があったが、能力開発の点では低レベルといって差し支えない学校のようだ。
能力を無力化できるような力が存在するなら、それはかなり珍しい有用な力のはずであり、
そのような学校で開発する意義は低い。
というより、他の能力開発に熱心な学校から好待遇で引き抜かれないわけがない。

「この道をよく通ると言ってたわね」

他に有用な情報といえば、あの男が最近良く使う道がわかったことがある。
複数のスキルアウトから転送させたGPS情報とも矛盾はないので正しい情報だろう。
今の時期は学園都市の学校は夏季休暇のはずだから、買い物ルートなのだろうか。

「上条当麻、ね」

そして、決定的なのはあの男の名前がわかったことだ。
ためしに端末を引っ張り出して検索すると、記憶に新しい顔が表示された。
間違いなく、この男だ。
バンクの情報なので、現住所や連絡先も同時に入手したことになる。
だから、もしもう1度会いたいと思えば電話で呼び出すことも、家に直接乗り込むことだってできる。
携帯電話を持ち歩いているなら、現在位置のリアルタイム情報だって特定可能だ。

そんな形で情報集めに満足したので、御坂美琴は上条当麻がよく通るとされている道沿いにあるファーストフード店で窓際の席に座り、
道をぼんやりと眺めながら涼と遅い昼食を取っていた。
妙な能力があるか否か。
いや、自分の能力を上回る能力者なのか否か。
それを確認したくて半日前まではすぐにでも見つけ出したいという気持ちだったのに、
いつでも確かめられるとなると、炎天下を汗だくになって歩き回ったのが急に馬鹿みたいに思えるから不思議なものだ。
確認は別にいつでも良い、とさえ思えてくる。
会って確かめる、ただそれだけのことに急に後ろ向きになった原因が、昨日の自分の言動が後ろめたいせいだと気付いた頃には、
食べるものは何も残っていなかった。












《超電磁砲3》

飲み物の残り、より正確に言えば飲み物を冷やす氷が溶けた水をちびちびとすすりながら、御坂美琴はぼんやりと道を眺めていた。
体も冷え、ついでに頭も冷えて考えてみれば、上条当麻なる人物が自分の能力を上回る能力者なのか否かを何故これほど熱心に確認しようとしていたのか、だんだんわからなくなってくる。
何故?
私が負けず嫌いだから?

自分が負けず嫌いなのは正しく認識していると思う。だれかが自分よりも優れている、
と聞くたびに確実に自分の心がざわつくのを実感するからだ。
そして、この感情はそんなに悪くないとも思っている。
より強くなりたいという気持ちがあったからこそ、今の自分は今の位置にいる。
今の自分は、自分が勝ち得た今の位置に満足している。

満足しているはず…だよね?

自分に対して疑問系になってしまうなんて、と一人笑う。
私はこんなに頭が悪かったっけ。

笑って、直視しないように自分の心にファイアウォールを展開するが、
その疑問の答えだって本当はわかる。
そして疑問の答えを見てしまうことも知っている。

目を閉じて、能力の目で周りを見る。暗闇から一転して世界が「目」の前に広がる。
色彩がなく、通電物質の存在感が視覚よりも強調され、電磁場を発生する場所が強度によって蜃気楼のように揺らいで見える。
しかし、それを無味乾燥したものとは感じない。
視覚で捉える世界も美しいが、この世界だって同じくらい素敵だ。
世界が捉え方で一変する、というメタファーをよく耳にするが、
この世界が少なくとも2つの全く異なる見え方をするということを、
実感と感動を持って体感できる喜びは大きく、
そしてそれはきっと僅かな人しか得ることができないとても貴重なものだろう。

目を開けて、視覚を取り戻す。そこに能力の情報を上乗せする。
そして、外には放電させないように注意して、自分の両手に力を集めてみる。
自分の両手に大きな存在感が集まってくるのがわかる。
同時に湧き上がる万能感。
これが、自分。
だから、仕方がないではないか。

レベル5。認定されたときは、努力が報われたと喜んだ。両親もとても喜んでくれた。
友達からは明らかな尊敬と羨望のまなざしで見つめられた。純粋に嬉しかった。
しかし、自分が一線を越えた領域に足を突っ込んだことを震え、泣きながら理解したのは、
自分のAIM拡散力場が示す急上昇の曲線図をみたときでも、瞬間的に出せる電圧が億の単位になったときでも、
超電磁砲で退役した戦車を吹き飛ばしたときでもない。

あれは2年前、過去最大級の台風が学園都市を襲ったときだ。
記録的な暴風雨に対しても学園都市はびくともしなかった。
停電も断水も冠水もないという報道は、都市のすぐ外にある町の惨たらしいまでの被害状況と並んで、
この街の科学が世界のはるか先を進んでいることの実例の一つとして3日ほど世界のニュースを騒がせた。

あの台風のとき、学園都市に雷が落ちた。規模は過去最大級だという。
私はそれを500mほど離れた寮で見ていた。
視物質を余裕で飽和できる光量だった。直後に轟音と地響きが体を揺らした。
私以外は皆赤ん坊のようにうずくまっていた。泣き出す子も少なくなかった。

そんな中、私は一人、空を見ながら震えながら泣いていた。
私の五感と、そこから情報を得た私の本能は自然の猛威に対する恐怖を告げていたと思う。
だからこそ、私は怖かった。
なぜなら、私はわかったから。
この自然の力を、私はコントロールできる。目が、耳が、体が感じるこの圧倒的な力を、
私は思うように導き、生み出し、打ち消すことができる。
能力の目で見える空にある電撃の渦と寮から見えるグラウンドの間に、
ためしに能力で線をつないでみる。
莫大な力は私の意図した場所に正確に墜落する。
まわりでまた泣き声が増える。

ああ、私は、なんて過ぎる力を身につけてしまったんだろう。

あの日から、自分と周囲の関係は変わった。
最初に線を引いたのは自分か周囲かはわからないが
変化は加速度的で、視覚でも能力でも見えない壁ができてしまっていることに気付くまで
さして時間は掛からなかった。
そして、その壁を否定することも、壊すことも私はしなかった。
本当の意味で私と分かり合える人は少ないだろうと諦めていたし、
少なくとも表面上は良好な人間関係だったから。
いま思えば、もう少し何とかしていればよかったと反省する。
今の私には、例えば自分がうっかり放った電撃をすり抜けた正体不明の人物について、
気楽に相談する相手がいない。

だから、この疑問系は、この寂しさは、自分の力が生み出した処理できない副産物なのだ。

「はあ…」

ここまで考えて、あの男の能力が気になる理由がようやくわかった気がする。
自分の力が破られてしまったら、この寂しさだけしか残らないではないか。
そんなことは認められない。そんなのは、哀しすぎる。
なんて子供っぽい理屈。

「はあ…」

このところ、少しため息が多い気がする。
自分の能力に対する絶対的な自信と誇り、それとセットでついてくる何ともいえない寂しさ。
このトレードオフに気付いたから?
それとも、ひょっとしたらこれは青春の悩みというものか?

また疑問系だ。つくづく頭が悪い。どうせ力を捨てることができない以上、
悩んでもしょうがないことはわかっているはずなのに。

最近、たまに起こる感情の負のループから逃れようと窓の外を見ると、
蜃気楼の中にやけにクリアに抜けて見える部分があった。


上条当麻だ。












《超電磁砲4》

ごく偶に、奇跡がおこることがあるらしい。

高層ビルの窓の清掃を何十年もやっている人が、あるときあり得ないいくつかのミスが重なって落下する。
そのとき、たまたま下を走っていたトラックの荷台にクッションとなるものが満載されていたおかげで命拾いした、とか。
テレビの電源を入れて適当にチャンネルを回したら、
異国にいるはずの自分の恩師がローカル放送で生中継されていて、
そのおかげで再会できた、とか。

根源たる素粒子自体が確率論でしか記述できず、その総体である宇宙の動きも、結局は統計でしか把握できない。
したがって、決して起こらないことなど決してない。
別に神様や悪魔を持ち出さなくても、奇跡は説明可能なのだ。
さらに、人間は好都合なことを記憶し、悪いことを忘れるという素敵な脳の仕組みをもっている点も
奇跡ということを説明する補強材料になるだろう。
圧倒的にはずれが多いくじなのに、宝なんて名前がつけられてまかり通っているのが良い証拠だ。

そんな味気ない話をするする語ることができるくらい、科学に侵食されているはずなのに、
それでもこのタイミングは奇跡みたいだと思った。

30分前なら集めた情報と空腹を秤に掛けて多分無視していた。
15分前ならもしかしたら感情のループを能力に変えてぶつけていた。
5分前ならきっと能力のノイズに紛れて気付かなかった。

でも今なのだ。
彼は歩いてくる。
彼の周りだけ、消しゴムで消したように電磁波の群れが消えていく。
視覚のみでしか捕らえられない彼は、相変わらず無表情で店の前を通り過ぎていく。

反射的に立ち上がった。
ゴミ箱に僅かに氷が残った紙コップを突っ込み、小走りで店を出ると、忘れていた熱気が帰ってきた。
右手を見れば、髪質が硬そうな頭をした男が15 mほど前を歩いている。
客観的に見て、体は締まっているようだ。
能力で見れば筋肉量がわかるし、そこからスタミナ、パワー、得意な運動のタイプがわかるのだが、
あいにく彼を知覚できるのは今のところこの両目のみ。
それでも、体格、足の運び、体の安定性などと、いままでの経験から、かなり強いのだろうということは推察できる。
もちろん、Homo sapiensとして能力なしに戦った場合という意味でだが。

同時に、御坂美琴は理解する。
彼を探し、問おうとした質問の一部は、すでに回答されている。
能力の目では彼が見えない。

つまり、彼には自分の能力の一部をキャンセルすることができるということだ。

「問題は、私の、全能力、を打ち消せるかどうか、よ」

つい、口から言葉が漏れる。
その音に、先ほどなんとか肯定的に認めたはずの負けず嫌いが一気に煩わしくなる。
そう感じながらも、私は自動的に自分の劣勢を否定する材料を検索している。

能力の目で見えない、というのは厳密には違う。
能力の目で見ると、彼のみが空白として映る。
それはすなわち、彼が見えているということではないか。

なんだ、その小さい考え。別にいいじゃない、見えなくても。
……超電磁砲で木っ端微塵に吹き飛ばせば、私の勝ちなんだから。

小さいと自分を諌めた次の瞬間、それでも勝利にこだわる自分が出てくる。

「はあ…」

またため息がこぼれた。

御坂美琴は確かめたい。上条当麻よりも自分のほうが強いということを。
御坂美琴は確かめたくない。勝利にこだわり、間違いなく自分を孤独に追いやる自分の性を。

そんな二律背反の願望が綱引きをした結果として、とりあえずは15mの距離は伸びるでも、
縮まるでもなく維持されることが決定された。
先を行く男は、背後にある葛藤に気付いた素振りはない。

日が少し弱まってきたからか、それとも幼稚舎の生徒が下校する時間が近いからか、
少しずつ人が増えていく道を歩いていく。

振り返られたら隠れるか?
隠れないならどう対応する?
戦うのか?
話すのか?
確かめるのか?
そもそも自分は何をやっているのだ?

散歩は気分転換に最適というが、現状は散歩とは程遠く、当然気分が晴れるどころかどんどん鬱滞していくのも自然のことだ。
しかし、考えを早急に決めなくてはいけない。
自分が全ての感情に整理をつけるまで、彼が後ろを向かずに歩き続けてくれる奇跡は期待できないのだから。
そう、もっとも不味いのは、慌てふためく自分を見られることだ。
とりあえず、決めなければ。

情けない姿を絶対に見られたくないという心理こそ、負けず嫌いそのもののはずだが、
今の彼女にはそれに気付く余裕はない。

早く、決めないと。


だから、ふと、彼が立ち止まったときに御坂美琴は酷く驚いた。
まさか、気付いたのか。
まだ、だめなのに、決めてないのに。
思考と感情がばらばらの方向に振れた結果、例のとおり進むことも逃げることもかなわず、保持してきたままの距離をキープしたまま立ち止まる。

彼の肩が左に回転する。
彼の右足が半歩前に踏み出される。
彼は振り向こうとしている。

馬鹿。やめて。
声に出さず、能力にも乗せず、それでも思わず願ってしまう。
そして、やはり彼女は動けない。

彼はそのまま90度左に回転し、ビルの間の細い路地に入っていった。
こちらには全く視線を向けなかった。
微動だにせず、彼のことだけをまっすぐ見ていたから、それはよくわかった。

「はあ…」

またため息がこぼれた。
同時になぜかとても悔しい気持ちが湧いてきた。
決して、自分はこれほど複雑でもてあます感情を持ちながら歩いてきたのに、
自分のことなど気付きもせずに立ち去ったことに対する不満ではない。
きっと、一挙手一投足まで上条当麻の気まぐれに支配されているかのごとき、自分の心理状態に腹を立てているのだ。
ああ、気が付いたらもっとイラついてきた。
この不満、どうすれば解消できるだろう?

「……簡単、じゃない」

気付かなかった1秒前の自分を薄く笑って、彼女はつぶやく。
この距離を維持し、全てを保留にしようとしたのがそもそも間違いなのだ。
自分は負けず嫌いだ。それの良し悪しはともかく、それは変わらない。
負けたくないものは負けたくないのだ。
たとえ、負けの定義が自分にしか理解できないものであったとしても、
それでも負けるのは嫌なのだ。

だから、御坂美琴は走り出した。
あの背中に追いつくために。

そして、細い路地の角を曲がろうとしたとき、彼女は見た。
弱弱しく地面に座ってうつむく少年と、
明らかに彼を害したと思える態を示す4人の男と、
その少年を背中に男達に向かう、無表情な上条当麻の姿を。












《超電磁砲5》

世界を救う、という言葉を本気で実行しようと思っていた時期があったと御坂美琴は記憶している。
この世界には隠された力か、はたまた唯一にして巨大な秘密結社があり、
それらを自分が何とかすればこの世界で起こる不幸は全て消え去り、
皆はいつまでも幸せに暮らしましたとさ。めでたし、めでたし。
厳密に、そして正直に言えば、過去形ではないのかもしれない。
今でも私の好きな漫画には、ぶっちぎりのヒーローが世界を平和に導くストーリーを基調にしているものが多い。
また、現実的には学園都市の科学技術と、能力者―特に、私を含むレベル5―が全力を尽くせば、
今の混乱や苦悩にあふれる状況を打破し、完璧は無理にしてもかなり理想に近い形に世界を幸せにできると信じている。
ともあれ、今も昔から共通していることは、私自身が巨大な力を持つ正義として、悪に勝利することを希望しているらしいということ。
しかし、巨大な力を手に入れた私だが、純然たる正義であることの自信については、
最近良いペースで減ってきているような気がしてならない。


「状況を見れば明らかだ。君たちは彼に暴力を振るったのだろう?」

18時間ぶりに上条当麻の淡々とした声を聞く。
4人の男達の雰囲気が変わる。
地面に座る彼の腰が、逃げようとして僅かに浮く。

「さっきジャッジメントにGPSコード付きでメールを送った。すぐにここに駆けつけてくるだろう」

男達が半円上に動き、上条を取り囲む。
逃げることを諦めた少年が、遠からずくる暴力に身を縮める。

「今なら間に合う。さっさと逃げろ」

それでも上条の声は変わらない。同じ調子で宣戦布告と変わらない警告を述べる。
恐らく、表情も相変わらず無表情なのだろう。

細い路地への角に走りこもうとした御坂美琴は、一瞬で状況を察し、
そして路地を通りこして向かい側のビルに背中をつけて止まった。
状況は能力の目で見えるし、声はここまで聞こえるが、
電磁波の穴みたいになってしまう上条の表情については残念ながら推測止まりだ。

自分が出て能力を使えば、蹴散らすのに1秒も掛からない。
彼らが自分を知っていれば、能力を使う必要すらないかもしれない。

それでも、未知であり、自分の心理をかき乱す存在である上条当麻が間近で戦うかもしれない状況を前にした途端、
ついつい自分は見の位置に落ち着いてしまった。
そして、一瞬だけ見た画像を脳内で再現する。
彼はこちらを見ていなかった。だから、一瞬で路地を通り過ぎた自分に気付く道理はない。

どうした、御坂美琴。追いかけるって決めたんじゃなかったのか。
なら、どうして見られたか?なんて焦るんだ。

自分に心の中で突っ込むと、状況が変わったのだ、ここは白紙撤回でと政治家みたいな自己弁護が勝手にしゃべりだす。
すると別の部分が、今はそれどころじゃないだろ?と疑問を呈する。
そうだ。確かにそれどころではない。

殴られていたと思われる少年がいたということは、加害者は暴力をなんとも思っていないタイプということだ。
だから、上条の言葉に対して、その一人はためらうことなく表情筋を歪めながら拳を振り上げる。
その拳が、電磁波の空隙と重なる。
しかし空隙は動かず、飲まれたように消えた拳もまた然り。
そして空隙が動き、攻撃者の拳だけではなく腹までが飲まれる。
少し鈍い音がして、

「おいッ!?」

誰かの声とともに、一人が倒された。
間髪いれず、空隙が動く。さらに一人が首を刈られて昏倒する。
続いてもう一人。恐らくみぞおち辺りを蹴り込まれたのだろう。3mほど飛ばされて動かなくなる。
残りの一人は、さて、どう動くのか。

気付かぬうちに、御坂は今日も傍観者の視点になっている。
残された一人が能力者であれば良い、とほとんど自然に思っている。

だが、そんな願いは聞き入れられなかったようで、最後の加害者はポケットに手を入れる。
電磁波の像が強調されている。あれは、ナイフだ。

御坂に僅かな緊張が走る。
でも、それは映画のスリリングなシーンを見たときのそれと類似していて、
あくまで彼女は見物人のシートから動かない。

すると、空隙から直径5cm程度の球状物、恐らくは石が放たれた。
時速100km以上。
反射的に投げたにしては十分早く、しかもそれは正確にナイフをつかもうとする手を捕らえた。
思わず手を押さえる隙は見逃されることなく、空隙に意識が飛ばされる。

時間にして1分もなかった。
その実際は見えなくても、スキルアウトからの情報が誇張ではないことがよくわかった。
上条当麻は確実に強い男だった。

「ふふ…」

それが少し嬉しくて、御坂美琴は微笑む。
微笑んだあと、その理由がわからず困惑する。

「大丈夫か?」
「…………ぃがとうございます…」

しかし、そんな浮ついた気持ちは、被害者の少年の涙交じりの声で粉々に砕かれた。

「立てるか?」
「……」

無言でうなずくのが、波として認識される。
認識しつつ、彼女の意識は急速に重力崩壊していく。

「金、とられたのか?」
「……」

少年は否定しているようだ。
しかし、御坂美琴、一体どういうつもりなんだ?

「一応、俺の連絡先。この件で絡まれたら、連絡をくれ。できることはする」

違うよね?御坂美琴。
あんた間違ったよね?

「じゃあ、行こう。ここにいる意義は低い」

なぜ。


こちらに少年と空隙が向かってくることが見えた。
何も考えず、身を翻してひたすら走った。
誰かにぶつかったが、謝りもせずに走った。
走って、走って、後ろを振り返って、そして逃げて。

もう十分だろう、と思える距離を走るだけ走って、ふと気が付けばどこかの路地裏だった。
場所は不明だが問題ない。
携帯があればここがどこかなんてすぐわかる。
仮になくても、私なら、レベル5の超電磁砲なら、容易にわかる。
なにせ電磁の世界を従えるマスターなのだ。
GPSを読むのだって、携帯を傍受するのだって、雷を操るのだって、
ドミノを倒すように気楽に、流れるようにできるのだ。

―当然、彼らを救うヒーローにだって、簡単になれた、はずなのに。

「くッ…」

思わず座り込み、うつむく。

「なぜ……」

―救わなかったのだ、私は。

自己嫌悪が渦を巻く。
いつもなら、まあまあ、と現れる心の弁護人が今日はおとなしい。
私の心には私を告訴する声しかない。

何故、私を救おうとした彼を助けなかった?
何故、4対1の状況を見過ごせた?
何故、加害者が能力者であれと思えた?
何故、ナイフを認識した段階で飛び出さなかった?
何故、見過ごした事を謝らなかった?
何故、私は力をつけた?

何故……あそこでヒーローになったのが私じゃないんだ?

何故、何故、とどろどろと言葉があふれる。
過去最大級の台風のように、心がかき乱される。

「何故…なんで…」

うつむき、自分の腕を抱きしめるように、拘束するようにきつく握る。

「私は…私は……」

どのくらいそうしていたか。
ついに台風は静まった。
しかし、台風一過のように青空が広がるわけもない。

立ち上がろうとして、少しふらつく。
ため息を一つこぼして、頭を振る。
だめだ、しっかりしろ、御坂美琴。
おいしいものでも食べて、元気を出せ。

「よし、大丈夫」

自分に言い聞かせる言葉。
最近、使用回数が増えてきた言葉。

それでも自己暗示とは侮れないのか、それとも私が単純なのか。
すこしだけ心の雲を薄くして、一回、大きく背伸びをしてみる。

「よし、大丈夫」

2回も言えば十分だろう。
最寄りのバス停を探そうとして、やはり歩こうと思い直した。
だって、散歩は気分転換に最適というじゃないか。

私は歩く。光子と電磁波の混じった世界を歩きながら、心の澱を篩にかける。
美しく、素敵な世界に少しだけ心の負担を肩代わりしてもらいながら、私は考える。
何が大事で、何をしたくて、そのために何を反省し、何をすればよいのか。

思えば、自己分析を真面目に行うのは久しぶりな気がする。
いつの間にかファイアウォールや弁護人を作って、見て見ぬ振りを続けていた。
本当の自分なんて見つからないとよく言うけれど、
だからって完全に目を逸らし続けるのはまずいということがよくわかった。
だって、目を離すと、自分でもよくわからない負債が勝手に増えていくような気がするからだ。
このままでは憧れの正義のヒーローから遠ざかる一方だ。

空を見上げればややオレンジが入りだした、青。
そこを行きかう、さまざまな波。
背景が単純だから、干渉波が生み出す波紋が浮かび上がって、それがしみじみと美しい。

とりあえず、わかったこと。
やっぱり、私はこの力が大好きなのだ。
この力で見える世界、この力が動かす事象、この力がもたらすエネルギー。
それらはどうしたってやはり応え難い。
もはや否定することなんてできない。
だから、この力とそれが生む副産物と間で悩むことが不自然なのだ。
それが気に入らないなら、気に入るように変えればいい。
できれば世界を。
無理なら自分を。

やるべきことを見つけて、へこんでも負けず嫌いが垣間見れる自分に少し安心したのだろうか。

つい、うっかり、ぽつりと思ってしまった。


……アイツは、何であんなにも平坦なんだろう。












《超電磁砲6》

青が緋色に。
緋色が紺に。

少しずつ変わる空の色と、場所によって変わる電磁波の海が綺麗だったから、
バスを使わず、さらに大きく遠回りして歩いて帰ることにした。
歩きながら、少し涙ぐんで、笑って、怒って、悲しんで
また涙ぐんで、今度は怒って。
寮に帰ってからもルームメイトの白井黒子に心配されつつ、お風呂で歌いながら笑って。
布団の上で右手と左手の間を走る放電の樹をみて切なくなって。

感情の波と相互作用して、自己分析の結果が多少は左右されたが、
根本的なところはそんなにぶれてないんじゃないかと御坂美琴は思う。
まあ、当たり前といえばそうか。
三つ子の魂、百までも。雀百まで踊り忘れずとはよくいったものだ。
私の根本はもう大体できているのだ。
それなら、考えて、求めて、見つけられるものもそれほど変わらないはずだ。


自分が求めるものは、今のところは具体的にはわからなかった。
ただ、自分がイメージする幸せは、切り立った崖の上に立つ孤独な虎じゃない。
強くてプライドが高いけど、仲間や家族を大切にする狼なのだってことはわかった。
そして、そんな私の幸せを邪魔する私の短所というべきところ。
挙げようとすればぼろぼろでてくるけれど、クリティカルなのはこの3つだろう。


私は負けず嫌いだ。
そして意地っ張りなところがある。
そして……嘘付きだ。意地を張るために、負けないために、自分すら騙そうとする。


自分を大きく曲げることは、多分無理だ。
この3つ全てを完全に変えるのは、とても無理な気がする。

というより、自分に甘いかもしれないが、変えられてしまったらそれはもはや私じゃないのではないか。
そう考えると、ある意味長所なのか?私が私である所以か?などと虫の良い解釈をする前向きさは
とりあえず長所に分類してあるけれども直したほうが良いのだろうか。


ともあれ、何度考えても、そしてルームメイトである空間移動能力者に聞いてみても
やはり私の性格の問題は、この3点で間違いなさそうだ。
では、無理なく、かつ自分が求める生き方をするためには、どこをどう直せばよいのか。
そのために、どうすればよいのか。
さらに考えて、考えて、そしたらいつの間にか眠ってしまって。
目が覚めたら、黒子がジャッジメントの支部に行ってしまったのを確認して、
なんだかちょっとしんみりして少し泣いて。
その後、涙をぬぐったら、少しすっきりして。


ついでに結論がぽんとでた。


バスルームに入り、シャワーを浴びる。
なんとなく思いついたから、お湯を切って冷水を浴びてみる。
夏とはいえ、やっぱり冷たい。
交感神経がぞわっと励起されて、妙なテンションが湧き上がってくるのを感じる。
肌を粟立て、無駄に足踏みしながら、それでも頭から水を浴び続ける。
どう、御坂美琴。こんな変な状況でも、結論はかわらない?


水を止め、目を閉じて体をぬぐう。
曇り止めが異常に効いている鏡に向かい、目を開けて自分の顔を見る。
能力の目を使っても、自分の顔だけはこんな風に見ることはできない。
いや、見ることができないものが他にもいたね。

これから行うことは誰かに見られたら問題があるかもしれないが、
ここはバスルームだし問題なし。
自分に照れている場合ではない。

鏡に近寄って、自分の顔をよく見てみる。
もう一回深呼吸しても、答えは変わらない。
なら、私がやろうとしていた酔狂な一人劇も遂行するべきだ。

……可愛いじゃないか、御坂美琴。
……多少目が腫れているけど、大丈夫だよ。
そんな独り言を前口上に、微笑みながら私は自分に宣言する。


私は自分に嘘を付くのをやめる。
他人は騙すかもしれないけど、自分を騙すことはしない。


言うは簡単。
でも守るのはとても難しいだろうってことは自分のことだからよくわかる。
何かで縛らないと、今日一日だって守れるかどうか。
だから、こう続けるのだ。


御坂美琴、これは勝負だからね。
自分に嘘付いたら、あんたの負けだから。

そう、嘘を付いたら負けるのだ。私は自分をコントロールできなくなる。
それを放置すると、感情や思考がばらばらになって、何をしても、どちらに進んでも後悔するようになる。
昨日、一昨日は激しかったが、あれは突然ではなくて、ちゃんと予兆はあったのだ。
最近増えたため息は、自分に嘘を付き続けたことに呆れて、自分の心が出した悲鳴なのだ。
論理を完全に跳躍しているけれど、これは私にとって間違いない事実。
逆に嘘を付かなければ、自分はコントロールできる。
過剰な勝気も、身を滅ぼすような意地も、きっと根底にある本当の願望をごまかさずにちゃんと向き合えば、抗えないレベルまで育たないと信じる。

ああ、すっきりした。
何故、今まで気付かなかったのだろう。
私、自分は頭が良いってこっそり思っていたのに、違ったのかな?
鏡に向かって告白する。
そしてもう1度、笑顔を作って。


だから、勝負だ。御坂美琴。
お前が無様に負ける姿を期待してるぜ。

幕引きにはこのくらい芝居がかった台詞がふさわしいだろう。
負けず嫌いは身にしみて痛感している。
そんなことを言われたら、ますます負けるわけにはいかないじゃないか。
もう1度しっかり自分に喧嘩を打ってから、私はバスルームを後にした。


そんなわけで、今日から私は自分限定の正直者になったわけだ。
では、正直者の御坂美琴、あんたその将来性あふれる胸につかえがあるよね?
私に言ってごらん?

ベッドに座って、自分に問いかける。
当然、自分は正直に答えるのだ。

謝りたいよ。アイツに。

そうだよね、と一人問答してみる。
上条当麻は、私の罪の意識なんて知らない。
こっそり尾行したことも、彼を2度見捨てるようなことをしたことも、
私ならノーリスクで解決できた事件をしょわせたことも、アイツは知らないのだから。

でも、謝りたい。

そうだね。わかるよ。
でも、そんなこと言われたらアイツは困るんじゃない?

自分に問い返す。
当然、応えるのも私だ。

確かに困ると思うし、自己満足なのかもしれない。

ごめんなさい、というのは簡単だ。
頼めばきっと理由だって聞いてくれる。
理由を聞いてくれれば、謝罪の意図も汲んでくれる。
でも、それでよいのか?

良くないと思う。
困らせるために謝りたいわけじゃない。

そうだよね。
謝りたいんじゃなくて、正確には償いたいんだよね。

償いは、相手への還元が含まれている。
これだって自己満足の一種には違いないだろうけど、単に謝るよりは格段に良いはずだ。
還元した、とか許された、と判断するのも自分だから、本当の意味での償いなんてできるの?
なんて反論も可能だけど、私の気持ちとしては償いたい。
償えたかどうかのクライテリアを決めるより、まずは行動したい。

そうだね。償いたいんだよね。

そうだよ。償いたいんだよ。

自分の中で意見が一致した。
つまり、これは私の正直な気持ちなのだ。


では、さてどうすればよいだろう。












《超電磁砲7》

御坂美琴はレベル5の超電磁砲だ。
電磁気に関連することなら正しく自由自在に操れる。
電磁波から直接データを読み出し、またその逆だってできる。
暗号だってよほど硬くなければ自力で解読できるし、自力で解読できなくても
そこらのスーパーコンピュータにプログラムを実行させてこっそり解読させることもできる。
結果、サーバも含めて学園都市のコンピュータの9割以上を彼女は自在に操れる。
相当硬いことで有名な学園都市製の携帯電話の暗号キーだって入手している。
学園都市が義務付けている、携帯電話のGPS情報だって、自分の携帯をいじるように見ることができる。

これら誰にも話すことができない自分の能力の可能性を元に、
彼女が自分と立てた作戦はとてもシンプルなものだった。

論理としてはこうだ。

1. 御坂美琴は上条当麻に償いたい。そしてそれは早ければ早いほど良い。
2. 償うにあたって、なにをすれば彼のためになるのか、を知る必要がある。
3. 彼を知るためには友達になるのが一番だろうが、償いもしないうちにそんなことはできない。
4. 彼の友達の友達になって探る手もあるが、今は夏季休暇中でそれも難しいだろう。

一般的には本人に知られないでその人の情報を探ることは難しい。
それが簡単ならば、興信所など成り立たない。
そしてここは学園都市だ。
興信所自体が少ないし、女子中学生が男子高校生を調べてくださいと依頼して、引き受けてくれるとも考えにくい。

そこで、一般的の枠から逸脱している彼女は、自分の能力を正しく理解してこう結論付けた。

ならば、自分の全能力を使って彼の行動を逐一観察し、そこから彼が受け入れるであろう償いを推測すればよい。

幸い、今は夏季休暇だ。宿題などというものは既に済ませており、バイトもしていない御坂は、急な実験時以外は暇人だ。
これなら情報収集もさぞかし捗るだろう。
上条当麻について、自宅の電話も携帯もIPアドレスは既に入手済みだ。
それらの情報があれば、彼女なら彼の行動のほぼ全てを掌握できる

彼のプライバシーを侵害することに多少の抵抗はあるが、
償いをした後は無関係になるだろうし、知りえた情報は誰にも語らず墓に持っていけば
大きな問題はないだろう。


自分の悩みとその効果的な解決方法の両方に気付けて若干上機嫌になった御坂は
それが一般的には悪質なストーカーと称される行為であることに思い至らなかった。


思い立ったが吉日との言葉に従い、早速情報収集を開始する。
まずはGPSコードが500m以上動いたとき場合に、自分にメールを飛ばすようなコードを
簡単に記載して、パソコンのメーラに組み込む。

次に自宅と携帯の電話が使用された際に、自動的に録音するプログラムを組む。

最後に、PCと携帯で送受信されたメールを自分の携帯に転送するよう、彼が主に使用しているメールサーバのプログラムを書き換える。

これらの作業で約30分。

その後、少し考えてから、録音プログラムとそのファイル、携帯メールを、可能な限りもっとも硬い暗号化を行うものに修正する。
ついでに9月1日になったら、メーラの追加コード、録音関連の一切のファイル、および携帯の転送メールを自動的に復元不能な状態で削除するプログラムを組む。

9月1日を期限にしたのは、夏季休暇中に蹴りをつけるという不退転の決意を自分に示すため。
そして、さすがにいつまでもプライバシーを残しておくのは気がとがめたからだ。

部分的に良識的な面があるものの、トータルで考えるときわめて悪どい情報の罠なのだが、
組み上げた当人にはその自覚はほとんどなく、1時間もかからないうちに完成してしまった。

自分の手際のよさに自画自賛しつつ、GPSコードをみてみれば、彼はまだ自宅にいるらしい。

ふと思い至って、過去2週間程度の彼のGPSの軌跡を描かせてみると、1度学校に行った以外は、自宅、商店街、図書館の3つが彼の居場所だったことが判明した。
これなら、情報で武装したのちにいざ償いに行く際にも、偶然を装って再会しやすそうだ。
ちなみに1度学校に行った日は、ストーキングのきっかけとなった3日前だった。
もし自分が絡まれたのが一日ずれていたら、彼とはお互い知らぬ関係で、今頃自分はため息でもついていたのかもしれない。
そう思えば、あの無表情と出会ったのも、高層ビルから落下して助かったようなものなのかも、となんとなく思った。


いつ動きがあるかもしれない、と多少の緊張感を維持できたのは、それから1時間後が限度だった。

「なんで、動かないのよ?」

責任が全くないはずの相手に、恨み言を述べてみる。

「携帯も、家電も使ってないみたいだし…友達いないのかしら」

言ってから、自分の携帯だってこの2時間で正規の目的では使われていないのだから、
この発言は自分の首を絞めることになることに気付き、苦笑する。
それに、考えてみれば自分だって寮の部屋から出ていない。
彼と自分は全く同じ状況なのだ。

そういえば、そろそろ昼食時だ。
自分が外出したから、彼が動くわけではないが、動きがあっても携帯を持っていけば事足りる。
そう考えて、制服に着替えながら、頭の中で昼食場所の候補をサーチする。
服に袖を通しつつ、私が動いたのに反応して彼が動いたら、看守と囚人の立場が実は逆というホラーかな、とふと思った。
そして、囚人という自分の表現にどきりとし、いまさらながら若干の罪悪感を覚えるのだった。


実際には携帯は無言を保ったためホラーに直面することなく、御坂美琴は無事に昼食を終えた。
さて、これからどうしようか。
アイツが通う、図書館にでも行ってみるか。

思いつきだが、別に予定もないので、そのまま図書館に向かってみる。
件の図書館は第7学区でも最大の規模を誇る区立図書館だ。
歩いて10分程度の距離。
体は冷えているし、それほど汗をかかずに着けそうだ。
街路樹や軒下の陰をなるべく通るよう、少しギザギザなコースを進みながら、図書館に到着する。
予想通り、ほとんど汗をかかずに到着できたことにすこし微笑んで、図書館のゲートを通ろうとしたそのとき、GPSの動きを伝えるメールが届いた。


図書館のゲートをくぐり、入り口に一番近い座席で携帯を開く。
空調は適度に涼しく快適なはずなのに、緊張感で汗が流れるのを感じた。

私は、ひょっとしたら、とんでもないことをしているのでは。

携帯の画面では、上条を示す点が移動している。
今のところ、買い物と図書館に至る共通の道を移動しているので、彼がどちらに行こうとしているのかはわからない。
もちろん、そのどちらでもない場所に向かっている途中ということもありうる。

過去の軌跡を見たときと、全然重みが違う。

点の移動速度から、彼が徒歩であることは容易に想像できる。
まだ暑い時間、徒歩ならそんなに長距離は歩かないだろう。
次の、次の交差点が分かれ道だ。
まっすぐ来れば図書館、右に曲がれば買い物である可能性が高い。

冷静に解析している風を装っているが、心拍数が上がっているのがよくわかる。
その理由は容易に知れた。
一つは他人のリアルタイムを覗き見ることへの背徳感。
もう一つは、彼が図書館に来てしまうかもしれないという事実だ。

後者については隠れればよいということは自分でもわかっている。
だから、この鼓動はきっと前者のせいだ。
やらなきゃ良かった、と僅かに後悔した…が、本気で考えて出した結論なのだ。
これ以上の策を思いつかない以上、このまま行くしかないと気合を入れてみる。
そうこうするうちに、携帯の点は、問題の交差点に近づいてくる。
鼓動が、さらに早まる。
そして。

「ふぅ…」

彼は右に曲がった。買い物のようだ。
一安心すると、うっかり負けん気が出てきてしまう。
何を安心しているのだ、自分は。
観察する、いいチャンスじゃないか。
今から行けば、その目で行動を観察できるぞ?

ああ、駄目だ。いつものパターンだ。
むくむくと行動へ駆り立てる感情が湧いてくるのを感じる。
それに、なんとなく携帯を通して覗き見るより、直接見ているほうがまだましのような気もしてきた。
となれば、まだ体も冷えていないのに、変な汗をかきながら図書館を後にするのは仕方がないことだった。

商店街についたころには、案の定、汗まみれになっていた。
まあ、別に誰に会うわけでもないから特に問題はないと考え、携帯を確認する。
学園都市のGPS精度はかなり高い。
進行方向と逆側から回り込むように移動すると……いた。
上条当麻は左手で荷物を持ち、右手をポケットに入れて滑らかに歩いていた。
やはり買い物だった。
そして、買い物に行くことを予知できてしまったことに、御坂は自分の罪悪感が少し増すのを感じる。
しかし、自分には正直であることを誓った彼女は、それを在るべきものとして受け入れつつ、距離を保って後姿を追う。

1分ほど歩いたところで、彼が立ち止まり、携帯電話を出した。
どきり、と鼓動が高くなる。
いや、アイツの携帯電話に細工したわけじゃないから、別に見られたってわからないはずなのだ。
自分はこんなに小心者だったのか、と急に気付いた。
もっと堂々としろ、御坂美琴。
おどおどとしている状況でアイツにみつかれば、何か勘ぐられるかもしれないぞ。

しまった。
間の悪いことに、自分を激励するつもりだった台詞で、上条が振り向く可能性に気付いてしまった。
まずい。なんだか悪い方向に向かっている。
彼にとって、3日前の自分の切った威勢の良い啖呵は記憶に新しいだろう。
その女が、3日たってみたら、汗まみれで、挙動不審で、うろうろ自分の後を着けていたと知れたら。
おかしいと思わないほうがどうかしている。
そして、おかしいと思われて声でもかけられたら。
その問答によって掘られた墓穴にどこまでも落ちていきそうな予感が。

幸い、悪循環予想図は空振りし、上条は携帯をしまうとまた歩き出した。
電話をしたわけではない。通信は確認されていない。
時計でも見たのだろうと納得し、気を取り直して後ろを付いていく。


彼が動く。
自分も動く。
彼のマンションまであと15分強。
人ごみに紛れての追跡だから、正味の時間はあと12分程度か。
安定した歩きを見せる上条に、御坂も落ち着きを取り戻してその程度のことを考える余裕が出てきた。

そもそも、後ろを付いていって、何になるのだろう。

上条に関しては、能力の目は通じない。
だから、彼のもつ買い物袋さえ見通すことができない。
後ろを歩いて得られた情報といえば、歩く姿が安定しているという既知の事実に加え、
買い物袋のふくらみ具合から、たまねぎかじゃがいも、1 Lの紙パック飲料が1本は入っていることが伺えるくらいだ。
そこから出てくるのは、今夜はカレーかも知れません、という推論。
そこにさらに重ねて、ああ見えてカレーは超甘口が好きで、牛乳を入れないと食べられないのかも、という勝手な妄想。
…あの表情で、あの歩きで、超甘口か?
自分の妄想にうっかり笑いそうになる。

そうやっていろいろと想像はできるが、後姿から得られる情報はかなり少ない。
これは無意味なのだろうなあ、と悟りつつも、あと2分程度で追跡も終了だと考えると
せっかくだから最後まで付き合ってやるかという、己の立場を勘違いした気持ちにもなるものだ。
のんびりと、午後の散歩を楽しんでいる気分に少しなりかけてきたとき、上条が携帯を取り出した。

電気のように走る緊張。
画面を見て、おもむろに耳に当てるのを確認し、能力を集中する。
捉えた。

「もしもし、母さん?」
「あらあら、当麻さん、元気にしてた?」
「ああ、元気だよ。そちらは?」
「こちらも元気よ。父さんは相変わらず世界中飛び回っているけど、毎日連絡は来るわ」

話し相手は母親らしい。
その事実に、なんだか、とても意外な印象を受ける。
アイツに両親がいて。
そしてアイツが母親に電話している。
父親のことも気にかけている。
普通から大幅にかけ離れているように見える上条が、普通のことをするととても新鮮だ。

「はぁ…」

本日初めてのため息をつく。
新鮮も何も、まだ出会って3日間。しかもアイツの中では1日だ。
そもそもなにも知らないからこんなことをしているのに、何が新鮮だ。
暑さにやられたのか、私は。

そんな彼女の憂鬱を他所に、普通の会話が続いている。
内容について特筆すべきことは、今のところ、ない。
わかったのは、アイツが母親に対してもプレーンな口調でしゃべるということか。
なんだか自己嫌悪をぶり返しそうで、もう盗聴もやめようかと思ったとき、思いがけない言葉に耳を疑った。

「そういえば、最近グリル付のレンジを手に入れてさ。パンを焼いてみようと思うんだけど」

パン?

「うん、それで、パンを伸ばす棒ってデパートに売ってるかな?」

伸ばす棒?

「そっか、わかった。ありがとう。じゃあ」

アイツが小麦粉を練って、伸ばして、発酵させて、パンを焼く?
そんな……、と超甘口カレー以上の衝撃を受けて、御坂美琴は崩れそうになる。
だって……、こちらは……、現実ですよ?
アンタ、せめて守らなければいけない最低限のイメージってものがあるでしょうが。
よくわからない憤りを理由もわからず感じてしまう。
それを言えば、常盤台の超電磁砲がレベル0をストーキングしている事実だって
同程度の破壊力があるはずなのだが、そのポテンシャルに気付かない彼女には関係ない。

ともかく、彼は美味しいパンを作るために、デパートに伸ばし棒を買いに行くことにしたらしい。
マンションとは逆に駅方向に滑らかに歩き出す彼の背中に、少しやけになって付いていくことにした。
もし、彼への贖罪の途中で「パン」という言葉が出てきたら、自分の計画はきっと水泡に帰すだろう。
このとき投げやりな気持ちになったことに、御坂美琴が心底後悔するのは4日後の話である。

駅前のデパートはそれなりの規模を誇り、食材からジュエリーまで一通りのものがそろっている。
商店街から徒歩で15分程度。途中で上条の携帯の電源が切れたが、特に気に留めなかった。大方、充電し忘れたのだろう。
デパートの入り口の案内板の前で、すっと上条が歩みを止める。
調理具は8階だったはず。
何度か来たことがあるから、そのくらいは覚えている。
ともかく、御坂はとても疲れていた。
上条をなんだか途方もない修行僧みたいに思って用意周到にしようと考えていたのに、
立て続けに俗っぽい空気を見せられて、肩透かしを食らった気分になっていた。
今朝、仮想的なもう一人の人格まで演じて考えたのに、あれはなんだったの?
彼が知らないことをいいことに、心の中で新たな不満をぶつけてみる。
そんな具合に、やる気が7割くらいそがれていたので、人が増えたのに距離を変えなかったのが失敗だった。

上条当麻はデパートに入ると、急にペースを上げてエレベータに乗ったのだ。
あっ、と思ったときには遅かった。
扉は閉まり、エレベータは上へ向かう。
他のエレベータはまだ上層階だ。戻ってくるまで時間がかかる。
待っていたら、8階に行ったときに鉢合わせするかもしれない。
携帯の電源が切れているから、ここで見失うと、彼がどこに行くのか把握できない。
一瞬迷い、彼女はエスカレータを駆け上がった。

「ごめんなさい!通してください!!」

途中で何度も謝りつつ、2段飛ばしで駆け上がる。
多分、間に合う。
この時間帯なら、エレベータは各駅停車のはず。
こちらのほうが早い。
しかし、5階からエスカレータに人が詰まりだした。
間に合わないかも。
とっさに階段の位置を思い出す。
確か、エスカレータ降り口の近くにあったはずだ。
前の人に謝りつつ、押しのけるようにエスカレータを降りて
今度は階段を駆け上がる。
間に合うか…?
8階まで駆け上がり、身を隠しつつエレベータの表示を見る。


駄目だった……もう通り過ぎている。
彼は既に降りている。

「はぁ…」

本日2回目のため息を落とし、ついでに肩を落としてゆっくりと階段を下りていった。
こんな汗まみれで、ぐしゃぐしゃの髪、面と向かったら挙動不審で、伸ばし棒を見たら間違いなく笑う自分。

鉢合わせするリスクなんて踏めるわけがない。


そのままバスで真っ直ぐ寮に帰ったものの、今日はこれ以上「観察」する元気はなかったので、シャワーを浴びて、早々に寝ることにした。
データはPCと携帯に残っているのだ。明日確認すればよい。

自分で思ったより疲れた顔をしていたらしく、2日連続で黒子に心配をかけてしまったが、昨日の件は自分の中では解決したと話したら、少なくとも納得した振りはしてくれた。
ごめんね、本当にありがとね。と口に出したら、少し驚いた顔をしていたが、
その理由まで考える余裕もなく、私は眠りに落ちた。












《超電磁砲8》

睡眠不足はお肌の大敵とよく聞くが、成長期真っ只中の自分にはそんなものは無縁だった。
元々あまり寝なくても良いタイプだったから、徹夜を2日くらいしてもそれほど苦しくなく学校に行くことだってできた。
しかし、どうやら睡眠は心のケアにはとても重要らしい。
目覚ましも掛けず、朝ごはんも事前にキャンセルしたとはいえ、
ひたすら12時間近く寝続けられたあたり、大分疲労が溜まっていたようだが、
おかげさまで、目が覚めたら心のいろんな捩れやら矛盾が整理されているのを感じた。

物事の2面性なんて、私が一番よく知っていると思っていた。
文字通り、2つの世界を見ることができるのだから。
でも、やっぱり私はわかっていなかったということが、目が覚めるように理解できた。

私は、昨日より前の上条当麻を、修行僧か人外かのように考え、頼まれてもいないのにそれにターゲットをあわせた対応しようと駆けずり回った。
でも、ふたを開けてみれば何のことはない、彼だって当たり前に人間だった。
崖の上にたたずむ、孤独な虎なんかじゃなかったのだ。
ならば、同じプライドを共有する狼に対して、私がしたこと、考えたことはあんまりじゃないか。
贖罪なんて、そこまで複雑に考える必要なんてなかったのだ。
彼が求めることなんて今なら簡単に想像できる気がする。

例えば、彼と一緒に1週間くらいパトロールでも良いだろう。
お人好しな彼のことだ。困った人は絶対助けようとするのだろう。
そのときに超電磁砲がそばにいれば、どれだけ楽になることか。

例えば、もちろんこっそり練習したあとで、彼に美味しい自信作のパンをプレゼントするのでもいい。
彼が知りたがるであろうレシピや作り方、それをもったいぶって教えるのだって良いじゃないか。

というより、考える必要すらないのではないか。
聞けばよいのだ。彼に。
どうしてもお詫びがしたい。だから、アンタが困ってるなら手助けさせて、とか。
自分でみてもそれなりに可愛い顔なのだ。
真面目にお願いすれば袖にされると可能性は少ないのではないだろうか。

そうやって、ひとしきり上条当麻のことを考えると、その思索は自分へと逆流する。


そうか、私も、そうだったのだ、と。

私と周囲との間にある、光子でも電磁波でも観察できない透明な壁。
以前はどちらが原因かわからないし、どちらでも構わないなどと達観していたが、
正直に言うならば、私は、本当は寂しい。
この壁に、消えて欲しい。
でも、何が原因か、わからない。どうして壁があるのか、わからない。
そんな葛藤が意識下では続いていたのだろう。
今なら、その答えが見える。

原因はお互いにあるのだ。

周囲は、私を修行僧か人外であるかのように見た。
私は、それを否定せず、ときには助長するような姿勢をとった。

最初は僅かだった盛り上がりを、よってたかって積み上げて、
その末に易々とは崩せない壁を作ってしまった。

じゃあ、どうすればよいのか。
寂しがりやの私はどうすればよいのか。

簡単だ。
私が修行僧じゃないと、人外なんかじゃないってことを示せばよい。
それは急には難しいだろう。
少なくともパンを焼くだけで氷解するとは思えない。
私と周囲の間には、4日間の何百倍の時間が流れている。
そして、私は強さや誇りを捨てることもできない。

でも、だからといって諦める必要なんてない。
私は人間なのだ。
だから、失敗もするし、悩みも、誤解もする。
常盤台のエースと呼ばれ、学年でトップの成績を記していても
贖罪のために相手のプライバシーを丸裸にすることに疑問をもたないほど、愚かで幼い。
自分で自分に言い聞かせなければ、平静を保てないほど弱い。
これを、そのまま見せればいいのだ。
多分、クラスの隣の席で澄ましているあの子だって、とんでもない失敗や弱さを持っている。
だから、きっと、笑いなんかするまい。
いや、笑いたいなら、それでもいい。
笑われても、馬鹿にされても、事実なのだからしょうがない。
そのときは、同程度の弱さをついて笑い返せばいいのだ。
きっと、それが私の求める狼の幸せなのだと思う。
今のところはこれが私の正解だ。


そんなわけでたくさん寝て、心の落ち着きも取り戻し、幾分大人になったかの錯覚を経て
この感覚を失わないうちに、「観察」プログラムを消してしまおうとPCを立ち上げた。
電話盗聴プログラムを調べると、昨日の夜中に新しい録音ファイルが作成されていた。
携帯をみれば、その旨のメールも届いていた。

ちょっと迷ったが、もう既に何回も盗聴しているのだ。
せっかく作ったプログラム。
これを聞いて、あとは自分の記憶ごと削除して終わりにしよう。
そんな軽い気持ちでファイルをダブルクリックしなければ、
多分、私は幸せに今日一日を過ごせたと思う。


聞いた後、聞かなきゃ良かったと後悔した。
動揺しすぎて、最後のほうを聞き取れなかったために、もう1度再生する必要があるが、
事実を再確認するのが怖くて、マウスを操作する手が震える。
時間としては30秒もない。
上条当麻と、学園都市の研究者と思われる者の会話だった。

「私よ」
「やあ」
「体の調子は?」
「今回は大分良い。無の力も安定している。開発済みだとやはり良い」
「それは良かった。出力は?」
「大分上がってる。有効範囲が広がっている感じだ」
「先日のターゲットは?」
「手ごたえがなさ過ぎだ。命乞いする前に細胞一つ残さずに消したよ」
「無茶すると、また体壊すわよ?」
「良い。そのときは、また適当なところで調達してくれるのだろう?」
「まあね、でもほどほどに」
「ああ。では、また、明日」
「また」

相変わらず淡々とした声で。
あのとき、私を救おうとした音で。
あのとき、あの少年を助けたトーンで。
あのとき、母親にパン作りのアドバイスをもらったイントネーションで。

彼は、とてつもないお人好しであるはずの彼は、
とてつもない事実を、いつもどおりにプレーンに喋るのだった。


2度目は予想したよりは落ち着いて聞けた。
でも10回繰り返しても震えは止まらなかった。
会話から推察できる事実。
彼は、上条当麻は学園都市の暗部の人間のようだ。
彼は人体実験の被験者だ。
詳細は不明、だが能力だけではなく、物質まで消せる能力と見る必要がある。
人を、少なくとも一人、殺している。
そして、彼の体は、彼のものではない可能性が高い。
そして、彼は今の体に特にこだわりがあるわけでもない。
つまり、彼は「上条当麻」でないという可能性すらある。

嘘だ。こんなの嘘だ。
パソコンを蒸発させて、そのまま事実が消えるなら迷わずそうしたかった。
でも、そんな子供みたいなことをする意義はない。
私は、レベル5、超電磁砲、御坂美琴だ。

子供みたいに全力をぶつけるのは、得るべき情報を調べてからにしなければ。


近くの公衆電話を転々としながら、回線の許容量いっぱいまでのめぼしい情報を研究所からダウンロードする。
情報を、集めなければ。
同時にプロテクトされたファイルを解析、復号化し、ファイル内容の検索に回す。
キーワードは、上条当麻。
右のポケットに入っている携帯電話を何度もチェックする。
今のところ、上条当麻の携帯電話は、彼の自宅に存在しているようだ。
彼自身の在宅は確認できないが、自宅付近に公衆電話はなく、
在宅を確認しながらの情報確認は行えない。
そして、処理するデータは多すぎて、時間がなさ過ぎる。

彼は、今日、件の研究員と密会する。
その場所までは、携帯電話でわかるかもしれない。
しかし、話している内容はわからない。
だから、その場所に乗り込んで盗聴し、事実を確認するのがもっとも有効だ。
もちろん、録音、録画装置を持ち込み、動かぬ証拠を押さえるつもりだ。
しかし、彼は、彼らは相当やばい。
最悪ばれたときは、証拠を残さず、自分と気付かれずに逃げるくらい、
それが無理なら、せめて相打ちできるくらいまで持っていかないと。
外部に情報がリークしたことが露呈すれば、末端を切り捨てて底にもぐってしまう。
だから。
なんとしても、情報を集めなければ。

もちろん、私が見ていない間に、携帯電話を部屋に置いて、密会に向かう可能性もある。
そうなったら、どこに行ったのかはわからない。
だから、あと1時間。
13時まで情報を集める。
それ以上はもう諦める。
あとは上条のマンション近くで見張りをする。
近くのマンションから能力の目で覗けば、彼自身がいるかどうかは確認できるはず。
そこで、彼の姿を捉え、あとは目を離さず、逃がさず、でも見張られてるなんて気取らせずに動きを待つ。
だからお願い、1時間は家にいて。
……昨日は外出しないことにいらいらしていたのに。なんて幸せだったのだ。畜生。



結局、私は賭けに負けた。
13時までに検索した中に、上条当麻に関する有用な情報はなかった。
あったのは、レベル0ということと、「幻想殺し」と呼ばれているということだけ。
そして、私が彼のマンションについたときには、彼の存在は見えなかった。
彼の携帯電話は、ベッドの上に置かれているようだった。












《超電磁砲9》

当たり前のように、その日は徹夜になった。
対面のマンションの踊り場から確認する限り、上条当麻は1時間後、すなわち14時あたりに部屋に戻り、その後は私が確認した午前4時までは外出しなかった。
実際に密会があったかはわからないが、あったとしたら既に終わっていたのだろう。
彼の携帯電話は、20時に母親に電話した以外は、1度も使われなかった。

午前4時から10時に掛けて、私は再び情報を集めることにした。
アイツを実力で問い詰めることもちらりと頭を掠めたが、
実力で適う保証もなく、一被験者である彼を消して全てが納まるわけもないとなると、
その行為は無為だと判断した。
だから、情報を集める。昨日同様、決して足取りを残さない、超電磁砲のやり方で。

だが、情報を守る壁は高く、厚く。程なく己の無力を悟った。
昨日に加えて新たにわかったことと言えば、元々の彼の能力について。
彼の右手はあらゆる異能を消す。
また、異能に伴う物理量もキャンセルできる。
彼の体はかなりの強度の異能を消す。
彼を空間移動能力で飛ばすことも、心理掌握で心をつぶすことも不可能とのことだ。
それだけだった。
……すごいじゃん、上条当麻。
アンタ、十分強かったじゃない。

すごく昔の気がするが、時間的には数日程度に過ぎない昔。
じゃがいもか、たまねぎかを持つ後姿から、必死に情報を読み取ろうとしたあのときに、なんだかとても似ていた。

ならば、私のできることといえば、前日すごしたコンクリートの床に座り、
彼の部屋から漏れ出る電磁波を余すことなく読み取り、解読すること。
そして、空隙と見える彼が外出するときなら、その行き先を必ず突き止めること。
この、2つしかなかった。

この日、彼が外出したかどうかはわからない。
なぜなら、私は21時まで粘って、それで力尽きたから。
自分の能力が使えなくなるという感覚を初めて味わった。
どうやって戻ったのかも曖昧だが、なんとかして私は寮に戻り、入り口付近で倒れこむように眠ったらしい。

この次の日は、記憶にない。丸一日寝ていたからだ。

そして、今日。
12時くらいに目が覚めて、丸一日以上寝ていたと黒子から聞かされた。
空白の時間に何かあったのではと思い、時間を戻せるわけでもないのにあのマンションに行こうとして、携帯電話が光っていることに気がついた。
送信元は自分のPC。
内容は、携帯電話の録音内容が追加されたことを示していた。


震える手でプログラムを開く。
録音は一昨日の22時。
録音時間は10秒だった

「上条だ」
「ええ」
「まずいことになった」
「そうね」
「明後日、会えるか」
「ええ」
「では、17時に」
「わかったわ」

今回は、1度聞くだけで内容が理解できたし、動揺もしなかった。
長時間の睡眠で、心の負荷が減ったのか。
それとも、明確な日時が指定されているから、覚悟が決まったからか。

「あと、5時間」

すぐに行かなければ。あのマンションに。
いまから5時間では到着できない場所で密会しているなら、手遅れだ。
間に合えばよいが。


今回は間に合った、アイツはまだ部屋にいる。
ただ、いつものアイツらしくない。
なんというか、無駄な動きが少し多い。
虚ろに削り取られるアイツの部屋の電磁波の総量が、いつもの2倍程度なのだ。
……そうか、アイツも落ち着かないんだ。
アイツも、そうなるんだ。

……私と一緒か。

私の手も、アイツの動揺が伝染したように細かく震える。
アイツは無敗のレベル0。
私にだって、表情一つ変えずに相対した。
私の電撃を、表情一つ変えずに消し去った。
私が勝てる可能性は、かなり低いと私の理性がささやく。


「怖いよ……ッ」
正直な私は、アイツによって正直者になった私は、自分の心が隠せない。
いつかのように、うつむき、自分の腕を抱きしめるように、拘束するようにきつく握る。

でも。

「怖い、怖い、怖い……ッ」
今の私はあのときと違う。
ほんの1週間程度の時間だったけど。
ほとんど背中しか見ることはできなかったけど。
ただ、単純に。それは自分の力ないんじゃないかっていう人も、
きっとたくさんいるかもしれないけど。

「怖い…うぅ…ッッ」
そして、私のしたことはアイツに対する裏切りばっかりだったけど。
自分のしていることの悪意にすら気付かない、そんな愚かな私だったけど。

「嫌だ、嫌なんだよッ……」
こんなにもゆがんだ関係で。
こんなにも一方的な時間で。
こんなにも重なることができない、波打つ景色なのに。


「アイツと、戦い、たく、ないよぅ……」
私は、御坂美琴は、上条当麻と戦いたくないのだ。
どうしても、なにがあっても、その先に何が待っていても、絶対に。
アイツは私の世界を変えたのだ。
寂しいくせに、崖の上の虎を嘯いて、力しかみていなかった、私の世界を。
誰かとつながる、時間を分け合える、そんな地続きの希望に。
そんなアイツと、戦うなんて。
そんなアイツに、能力を向けるなんて。


でも、私は事実を知ってしまった。


上条は私の人生を変えたのだ。
だから、私は上条の人生を変えるなきゃいけない。
独善でいい。恨まれるかもしれない。
でも、私は、私の価値観によって、アイツはこんなことを望んでいないと思う、

だから、怖くても、怖くても、正直者な私はアイツを止めなければいけないと思う。

だから、アイツを

とめる。
止まらないなら、殺してでもとめる。
殺すために能力をぶつけ合う。
私の操れる最大の力を銃身に詰め、照準を合わせ、撃鉄を起こし。
そしてその力の引き金を、殺すために引く。

殺されるのは当たり前に怖い。
でも、殺すのはそれ以上に、堪らなく、震え、震え続けるほど怖い。
けれども、それでも止めるのだ。
やるのだ、御坂美琴。


こぼれてしまった涙は元には戻らず、にもかかわらず新しい涙は結構な勢いで湧いてきて。
ぐすぐすと30分くらい顔をうずめて、小さな涙と鼻水の水溜りを作ったら。
なんだか、それで心が落ち着いてしまって、それが酷く哀しかった。
そして
アイツも、私の力じゃなくて
私と戦うってことを怖いと思ってくれるといいな。
とちゃんと正直を貫いた。



16時30分。
本当に動くのか、不安だったが、ようやく動いた。
動いてくれなかったら。
延期です、なんていわれたら。
この覚悟を溶かされたら、もう1度構築できる自信はなかった。

だから、動いてくれたことに、感謝した。


たくさん寝たからか、それとも命の危機に体が応えてくれているのか、
今日はいつもの3割増くらい電磁波がくっきり見える。

距離は10 mから30 mくらいの距離を、詰めたり広げたりしながら、
人生最後かもしれない散歩を、私はそれなりに楽しんでいた。
上条当麻の背中を追うときは、いつも緊張、および思考と感情の暴走だった。
でも、今日は気負うものもない。
見つかったって構わない。
アイツは私がアイツのことを知っている、その事実を知らないはず。
仮に知っていても、少し時間が早まる、それだけだ。

だから、見慣れた後姿なのに、
いつもよりもぎこちなく動く足、
携帯を取り出して画面を確認するときの僅かな手の振るえ、
小さくため息をつくしぐさ
そんなものを見つけては、
なんだか立場が逆転したようで、笑いをかみ殺しながら、ゆったりと歩いていたのだ。


そんな散歩も、ようやく目的地にたどり着いたようだ。
それは、例のファーストフード店。
すごい、偶然。奇跡でも起こらないかな。
緊張感を飲み込むように、心の中でささやく。
聞こえたわけじゃないだろうに、後姿が僅かに動く。
そして。

彼が携帯電話を取り出そうとしたとき、ポケットから何かが落ちた。
携帯のストラップのようだ。
彼は、気付かず、歩き出す。
どうする、御坂美琴。


これって
奇跡かな。




そうだね、きっと、奇跡だよ。












《超電磁砲10》




これって
奇跡かな。




そうだね、きっと、奇跡だよ。




「ちょっと、アンタ」
ひざも肩も震えて力があまり入らなかった。
声だって、ちゃんと出るかどうかわからなかった。
でも何とか通じた。
震えていたけど、届いた。

上条当麻の体が僅かに震えて、その足が止まる。
その体に、御坂美琴は一歩ずつ近づく。

「ねえ、アンタ、聞こえてるの?」

言葉に、特に意味はない。
ただ声を掛けないと、また歩いて行ってしまいそうだったから。

「アンタのことよ、上条当麻」

少しぐらつきながら、ストラップを拾う。
言葉に反応して、彼がゆっくりと振り向く。



1度目は30秒間見つめた。
そのあとは何度も逃げ続けた瞳が、
1週間ぶりに、御坂美琴を見つめる。



「これ、お、落としたわよ」

声がうまく出ない。
渡す手だって、明らかに震えている。
肩だって、揺らいでいる。
涙だって、浮いているかもしれない。
でも、これはきっと



きっと恐怖だけのせいじゃない。



「ああ、ありがとう」
そして、受け取る手だって、僅かに震えていた。
声だって、プレーンとは言いがたかった。



それを見て、聞いて、御坂美琴は笑う。



「なに震えてんのよ。アンタ。私が怖いの?」
「そんなことはない」



何を言う。
その声は震えているじゃないか。

そんな、嘘つきに。
正直者の御坂美琴は言うのだ。



「あの、さ」
「……うん」
「あの、ね」
「……うん」



これは、奇跡だ。

ありえない偶然で恩師に再会することができるような

そんな、素敵な奇跡なのだ。



「この前の、ことだけど、ありがとう」
「この、前?」
「アンタが、私を、助けて、くれ、たときのこと」



だから、声が途切れたって話さなきゃ。
言いたかったことを、伝えなきゃ。



「私、本当に、感謝して、る。私、を、助けて、くれる、人が」



涙が流れたって、今伝えなきゃ。



「まだ、この世に、いるって、知らな、かった、か、ら」



そう、今こそが贖罪のとき。



「それな、のに。私、アンタに、ひどい、ことしたの」



この、素敵な恩人に、購いを与え



「だか、ら。こん、どは、わた、しが助ける、から」



そして許しを請う。



「ごめ、んなさ、いっ」
「ほんと、にごめん、なさい」



頭をたれる。






そして、その頭ごと



「ごめん、本当に、本当に、ごめん」



御坂美琴は、上条当麻の左手で抱きしめられた。



「え…?」
「本当に、ごめん。俺は最低のことをした。御坂」
「あ、あ、の」



そんなに震える手で、しっかり抱きしめられたら、
抗議の声も出せないではないか。



「悪かった。とにかく、本当にごめん」



上条当麻は謝り続ける。
左についで、右手も頭に回される。



途端に、体から能力が抜けていくのを感じる。
波紋の景色が消え、広い胸のみが見える、光の世界に支配される。



「あの、ちょっと」



しかし、たとえ能力の目を使わなかったとしても、



「ちょっと、アンタ」



これだけ冷やかしの声が聞こえれば



「落ち着きなさいって、ねえ」



周りに人だかりができているのはよくわかる。



……違うよね、御坂美琴?

何か……間違ってるよね?



一つだけ、確実に予測できることは。
この状況でも自分を離さず謝り続ける上条当麻が
なにか深い理由を知っているだろう、ということだった。












《超電磁砲11》

南極で氷を売る。という言葉がある。

この言葉にどのような意味を見出すかは人それぞれだろうが、御坂美琴はビジネス力があれば、
どんな不利な状況でも物は売れる、というビジネスマン精神の例えと捉えている。

それはつまり、プレゼンテーション力だ。

相手の要望を正しく理解したうえで、相手の求める情報を適切なタイミングで適切に出す。
その間に言葉を混ぜ込み、相手を満足させ、自分の要望を通す。

そのような観点から行けば、上条当麻は南極で氷を売れるに違いない、と私は思う。

なぜなら。





今回の一件について、私に説明したのにもかかわらず。
まだ、この世の生を謳歌しているからだ。



能力を封じたのは殺すためではなさそうだということがわかったし
ごめんなさいの連呼にも際限がなさそうだったので、
御坂美琴はとりあえず上条当麻を引き剥がすことにした。

「アンタ、ちょっと離しなさい」
「あ、ああ。ごめん」

慌てたように、ばっ、と手が離される。
いきなり解放されて、御坂はバランスを崩しそうになる。


「ちょっと!」
「ごめん」

この男は、本当に上条当麻か?
まさか、入れ替わったのか?

「……もういいから、とりあえず、入るの?」
「ああ」

ともかく、この人だかりでは何もできない。聞くことも聞けない。
二人は祝福という名の冷やかしを盛大に受けつつ、いそいそと店内に入るのだった。

「あ、こっち」

適当に飲み物を買って2階に行くと、先客が席を取っていた。

「あれ?……えっと、泡浮さん?」
「こんにちは、御坂さん」

確か、黒子のクラスメイトだ。名前はあっていたようだが、なぜ、上条当麻と?

上条は考える御坂の顔をちらりとうかがうと、早急に席に座るように勧める。
御坂はどんどん増えていく疑問に頭がオーバーフロー気味なので、言われるままに座る。

「まず、御坂。」
「はい」

上条当麻は既に無表情に近い顔になっている。
さっきのぐしゃぐしゃの顔はどこに行ったのだろう。
そんなことを考えていたら、いきなり佇まいをなおして切り出されたので、
こちらもついつい真面目に応えてしまう。

「今回の件だが、お互いの誤解と、そして」

少し言葉を止めて

「その、お互いの悪巧み、が絡み合って事を異常に大きくしてしまったと思うんだ」

悪巧み?

「そう、悪巧み、だ」

彼の言葉はすっかりプレーンになっているように聞こえる。
でも、よくよく聞けば、実はそうでもないようにも思える。

「まず、そうだな、御坂の悪巧みについて、俺なりに推察したのだが、答え合わせをしてくれないか?
「は?」
「お前、俺に後ろ暗いことがあるだろ?」
「う…」

思わず目を逸らす。さっき謝ったではないか。また掘り返すのか?
などと思ったところで、結局自分はひどいこと、としか言ってないことを思い出した。

「それについて、俺がこうかな、と想像したことがあるから、それをまず聞いてくれるか?」

後輩にばらすには、自分のしでかしたことはちょっとレベルが高すぎる。
だが、上条は自分の能力を詳しく知らないはずだ。
まあ、当てられることはなかろうから、その想像とやらを聞いてみよう。
真相については、後でこっそり上条にだけ教える、で良いだろう。
そう考え、首肯する。

では、と前置きをして、上条が話しだす。

「お前は、俺の携帯や家電話を盗聴した。多分メールも見たんだろうな。さらにお前はこの1週間、俺のことを尾行して、行動を細かく観察していた。尾行には、携帯のGPS機能を使ったのだろう。……違うか?」

さーっ…と体中の血液が足のほうに降りていくのを感じる。
口が、わなわなと震えるが、どうしてばれたのか、が全くわからない。
そんな私の反応をみて、肯定と読み取ったのか、

「当たっているみたいだな?」

と確認を取りにきた。

「はぃ…ごめんなさぃ」

もはや、これまで。常盤台での人生は終わったか。
泡浮さんの視線を受け止めることができない。
脱力した御坂は蚊が鳴くような声でしか応えられない。

「いや、謝らなくてもいいんだ」

それに対して、上条当麻はなんとおおらかな対応だろう。
自分がされたら、相手の社会的生命はもちろん、生命そのものを抹殺しかねないほどの大罪なのに。
コイツ、まさか本当に高貴な修行僧なのか?怒りの感情をどこかに捨ててしまったのか?

しかし、上条は、御坂の疑問を正しく読み取り、納得できる回答を返した。

「なぜなら、俺はそれを知って、お前を騙したんだから」

だから、お互い様なんだよ。と付ける。

え、いま、なんて言った? 私を、騙した?

「そうだ、俺はお前を騙した。泡浮さんは、俺が無理に協力をお願いしたんだ。巻き込まれただけだから、誤解するなよ」

泡浮さんに協力?協力…協力……って!

「アンタ…まさか……!」

パリパリと音がする。確認するまでもない。能力が昂ぶって放電が始まっているのだ。
すると

ぽん。

と頭に右手が置かれる。途端に体から力が抜ける。

「周りにこれだけ客がいるんだ。お前が能力解放したら、死人が出るぞ。もし、制御できないなら、このままの状態で話す」

といわれる。何だ、その右手は。ふざけるな。
ぶん、と首を振って手を振りほどくと、深呼吸を一つして上条の目をにらみつけた。
もう、放電はない。

御坂がとりあえず落ち着いたことを確認すると、上条は泡浮さんに合図する。では、失礼しますとゆったり挨拶して、泡浮さんは帰っていった。
何か用事があるのか、それとも2人で話したほうが良いと考えての配慮なのか。

で、と前置きをしてから上条は続ける。

「まあ、今の反応で気付いただろ。怪しげな学園都市の研究者っていうのは……泡浮さんだ。ちなみに、お前が盗聴した会話のシナリオを書いたのは俺だからな」

ひくっ、と眼輪筋が痙攣する。また深呼吸を一つ。落ち着け、落ち着け、落ち着け。

「まとめると、お前のストーカー的行為にお灸をすえようとして、俺はわざと偽の情報をお前に流した。お前は自分の悪行がばれてないと考えていることを見越しての策だ。……ただし、こんなに盛大に引っかかるとは思ってなくてな。正直やりすぎた。ごめん」
「ふ、ふ、ふ、ふざけんなアアアアアアアアアアアアアア!」
「落ち着け」
「落ち着くなんて無理に決まってんでしょオオオオ!私、死ぬ覚悟だったんだよ。遺書書こうか迷ったんだぞ。だから、アンタが今ここで死ねエエエエエエエエエエ!」
「頼むから落ち着け」
「アンタを監視するために、階段で徹夜したんだぞコラアアアアアアア!!!」
「すまん、見込みが甘かった」
「何回泣いたと思ってんだテメエエエエエエエエ!」
「悪かったよ。頼む、落ち着いてくれ」
「とりあえず、その右手を離せエエエエエエエッ!」
「離したら、ここが廃墟になるだろうが」
「良いから離せエエエエエエエ!」
「良くねえよ」
「離…」

じたばた暴れて、右手から逃れようとするが、それほどの握力をこめられているわけでもないのに、どうにも手を振りほどけない。こうなったら、噛み付いてやる、と口をあけたところで。

「御坂」

すい、と顔が近づいた。距離は約5cmほど。あと少しで危険水域だ。
あまりの近さに、びっくりして声がでない。
自分のすぐ目の前に、上条の目がある。その目が、真っ直ぐ自分を見ている。

「御坂、よく聞くんだ」

対する上条はいつもよりも、ゆっくりと、言葉に力をこめて話す。

「御坂、お前は、やり過ぎた。そして、俺も、やり過ぎた。そして、お互い、謝った。だから、これで手打ちだ。良いな」

喋るたびに息があごにかかる。顔に血が上っていくのがわかる。

「良いよな。御坂」
「はぃ…」

なんだこれ。ずるすぎるよ。アンタ。

顔が離れる。次いで、右手も離される。もちろん、もう暴走するなんてことはない。
最初に会ったときのように、エネルギーが全部持ってかれてしまったようだ。
あの右手か、畜生。

「はぁ…」

ため息がこぼれてしまった。
そしたら、一緒に僅かに残った意地も、負けず嫌いも逃げてしまったようだ。
後に取り残されたのは、正直者の私のみ。

「ね、じゃあ、教えて」
「……え?ああ」

いま、すごく驚いた顔したよね。なんでだろ。

「何を聞きたいんだ」
「どうして、その…盗聴に気付いたのか」
「ああ、それか。……これ、見てみろ」

差し出されたのは、アイツの携帯電話。

「ここを押すと、な」

上条がなにかの操作をすると、画面が銀色になった。……まるで鏡のように。

「俺は、こう見えて結構敵が多いからさ。たまに、これで後ろをさりげなく見るのが習慣なんだ」
「……は?」
「お前に最初に会った、次の日、お前は俺を尾行していただろ」
「なッ…?」
「いいか、人間の視野ってな、180度より広いんだぞ。前を向いていたって、端っこにおまえが映れば、認識できる」

おまえは、結構特徴的だしな。

「で、その次の日、買い物途中で、後ろをさりげなく見ると、だ。お前が付いてきていた」
「う……」
「マンションの付近ではいなかったからな。前日にも会って、その前の日だって、3日連続だぞ。変だと思うだろ」
「……」
「お前は俺の能力に疑問を持っていた。だから追い掛け回される理由だって、俺にはあった」
「……」
「でも、変なのは、タイミングだ。この暑さで、外でずっと待ち続けるなんて無理だろう。じゃあ、どうやって俺の後ろにくっつけたのか。まあ、お前の能力が発電能力者だって事は知っていたからな、何通りか想像はできた」

これがそのうちの1つだ、と携帯のGPSマークを指差す。

「まあ、能力がらみじゃないだろうと思っていたのもある。俺は自分の体質を知っているからな」
「うん……」
「で、そこでふと思ったんだ。GPS情報が漏れているなら、携帯だってそうなんじゃないか、ってな。それで、母親に電話して、パンを作るって嘘付いた」
「は?……えェェェェェ!?」
「自宅でパンなんて作る余裕はねえよ。ていうか、そんなレンジなんて必要ないし。まあ、パンっていうのは口実で、デパートの上層で売っているものだったら、何でも良かったんだけど。」

……そういうことか、この狸。



「そういうことだ。俺の姿から、パンの伸ばし棒を買うなんて予測をする人はいない。普通なら、俺がデパートに寄ったならちょっとしたブランドの服あたりを買うのか、と思うはずだ。にもかかわらず、エレベータで俺に振り切られたお前は、真っ直ぐ8階までやってきた。母親との会話は右手で覆いながら小声で通したんだ。まず、音としてお前に拾えるはずはない。なら、どうして聞こえたんだ? 完璧ダウト、だよな」

くそぅ…。とアイツをにらみつける。
その視線を受け流して上条は言う。
順序が逆になっちゃったけど、言う言葉に続けて

「さりげなく後ろの様子を伺える、鏡面加工のビルの近くで、携帯の電源をこっそり切った。お前が少し反応するのが見えた。これで、GPSだな、って思ったよ」

あの時は、アンタにパンってのが全然似合わなくて、放心してたのよ。

「そうだったか。じゃあ、今後も使おうかな。そんな感じで、デパートを出た後、この計画を思いついたんだ。お前には電池が切れたと思い込ませなければいけなかったから、携帯の電源をオフのまま、ぶらぶらしながら協力してくれそうな人を探していた。そのとき、たまたま会ったのが泡浮さんだ。あとは、会話の内容と電話する時期を打ち合わせて、一応、暗号も決めて、お前をはめたんだ」

暗号…?

「この言葉の次に、この言葉で返したら、オフラインで会おう、という意味とかな、簡単な取り決めだ。見た目で意味が破綻しないように、なるべく狂言の内容に合わせたものを作った。例えば、今日、会おうといった電話だけど、あれの中にも入っているんだぞ」

この野郎。私がひざ抱えて泣いていたのに、暗号だと?

「お前が信じすぎてやばいっていうのは白井、泡浮経由で分かっていたからな。本当は、前回の密会にお前がやってきてくれれば、そこでネタ晴らしになるはずだった。お前が間に合わなかったのは残念だった」
「あのときは、アンタのためにめちゃめちゃ頑張っていたんだからね?」
「そうだろうな、と想像したよ。だから、本気で焦った」
「なんで?」

すると、上条は声を潜めて、ささやいた
「お前……学園都市の裏情報を漁ったんだろう?証拠は残してないよな?」

私も、声を落として、たずね返す。
「当たり前よ…でも、何で、探すと思ったの?」
「お前にそれだけの能力があるからだ」
「答えになってない」
「お前なら、正体不明の能力者、学園都市の裏なんかに、無防備で突っ込んだりしないと確信していた」
「なぜ?」
「無防備で突っ込める性格なら、俺のことを盗聴なんてしないだろうが」

確かに。返す言葉がない。

「これは、俺のミスだ。性格も、能力の底も、お前は俺の予想の遥か上を行っていた。だから、手打ちにするタイミングを逃して、大事になってしまった。悪かった」

謝らないでよ。

「だいたい、大筋は以上だ。何か質問はあるか?」
「4つある」
「どうぞ」
「じゃあ」

1つ、GPS以外に、監視カメラの可能性もあった、こちらはどうしてどうして否定したのか。
2つ、泡浮さんを研究者にしたけど、私にはアンタの会話の相手が泡浮さんであることを番号から察知される可能性があった、これについてはどうフォローするつもりだったのか。
3つ、なぜ、本日の密会場所にこのファーストフードを選んだのか。
4つ、最初に会ったとき、アンタは私が5分以上ナンパされていたと言い切ったが、その根拠は。

私は意識してちょっと早口で喋ってみた。どう返すか。

「では、回答しよう」

1つめ。まず、GPSの可能性があり、その次に携帯の盗聴に思い至った。俺としてはまずこの可能性を検討しようと考えたから。GPSや携帯の盗聴の可能性が否定されたなら監視カメラも検討対象になったかもしれない。
2つめ。泡浮には御坂から携帯について聞かれたら、なくしたと回答してもらうように打ち合わせ済み。
3つ目。待ち合わせ場所に人がいない公園なんかを選んだら、お前がいきなり全力で先制攻撃を仕掛けてくる可能性があったから。この通りはこの時間帯だと人通りが多く、とくにこの店は人が多い。大惨事を回避する目的でここを選んだ。
4つ目。お前のうんざりした表情と、あいつらが持っていた缶ジュースが結露していたから。

これで、よいか?

「ありがとう。大体納得したわ。アンタ、やっぱりすごいわね」
「そうでもない。ところで、俺からも1つ聞いていいか?」

なにかしら。

「最初に会ったとき、俺は電話を掛ける振りをした。何故それを見逃した?」

ああ、その話か。

「あの時は、立ち去りたいなら去ればよい、と思ったから」
「……まさか、あのとき俺が電話の振りをしなければ、お前にちゃんと対応していれば、お前は俺のことを調べ上げようなんて思わなかったのか?」
「そうかも、ね」
「はぁ……、なんか、力が抜けてくるな」
「奇遇ね。私もよ」

でも、あの時コイツを締め上げたとしたら、私は1週間前のままだったのだ。
そう思えば、結果的には良い選択だった気がする。

ん…?

「ねえ、アンタって、結構強いわよね?」
「平均的な人間の範疇では」
「私と、勝負してみない?」
「しねえよ」
「なんでよ?」
「お前が勝つから」
「わかんないじゃない」
「わかるよ」
「なんで?」
「はぁ……怒るなよ?」
「内容によるわ」
「じゃあ、言わない」
「言いなさい」

あーあ、と無敗のレベル0はわざとらしいため息をつきながら言う。

「お前は、自分が勝つまで、勝負、勝負といい続けるだろう。だから、どっちに転んでも最終的にはお前が勝つんだよ」
「つまり、アンタは私に勝てる見込みがある、といいたいわけね?」
「そうじゃない。お前の執念を相手にしたくない、と言っているんだ」
「失礼なやつね」



まあ、そんな感じで雑談が続き、会話も止まりだす。
そろそろ、帰るか?と上条は聞く。
そうね、と私は答える。

そして、私たちは、私が奇跡を起こした場所を通り過ぎて、岐路に着く。
分かれ道、私は左、アイツは右。
思えば不思議な出会いだった。
こんな1週間は、もうないだろうな、と呟くと、アイツは
なんにせよ、だ。と切り出す。

「俺とお前は大分特殊な出会い方をしているとは思うけど、俺はこの1週間、胃が痛くなったが、とても楽しかった。学園都市に着てから、一番楽しい1週間だったよ」

「だから、友達になろう。御坂」

すう、と手を差し出してきた。
その手を握る。だって、私は正直者だから。

「私も、楽しかった。はげるかと思ったけど、でも学園都市に着てから、一番楽しい1週間だった」

いやみについても意趣返しだ。
友達とはそういうものだろうから。

じゃあ、と手が離れ、あいつは右の道を歩いていく。
私が馴染みになってしまった、あの道を。
そんなあいつに向かって私はポケットからコインを取り出す。
ぷらぷらしている右手に、正確に狙いをつける
ドン。

「おい、御坂」

もちろん、本気で打つわけじゃない。
時速200km程度。
でも、もし当たればそれなりに痛い速度のはず。

上条が無表情のまま、プレーンな口調で抗議してくる。
でも、背中ばかり見ていたはずなのに、いまならそこに僅かな怒りの波を見つけることができるようになっている。

「文句ばっかり言わない。あんたにプレゼントがあったの、忘れてた」

先ほど目にした、コイツの能力。
それが書かれた資料も込みで、今回入手した上条当麻のデータが全部入ったメモリを
上条に投げる。
上条は、受け取ったものを見て、すぐに何であるのかわかったらしい。

「足、のこしてないか、もう一度確認しておけよ」

と年上気取りで言ってくれた。
だから、ちょっと汚い言葉で返してやろうと思ったのに

「こういうときは、女の子を家まで送るんだったよな。ごめん、忘れてた」
「忘れてた、を抜けばまだ良かったのにね」
「おっしゃるとおりだ」

まあ、寮までの間は保留にしておこう。
この時間を、少しでも楽しくしたほうが、きっと幸せだと思うから、
私はそれに正直に従うのだ。



[27370] とある・もしもの世界 《禁書目録》
Name: verdadelo◆5ddb6f89 ID:aabc9d6f
Date: 2011/05/12 18:57
《禁書目録1》

私を連れて、逃げて。

そんな台詞を軽々しく言える人は、逃げるという行為がどれだけ心をすり潰すのかを、
きっと知らない。
常に、周りに気を配り、警戒し、ついに迫る追跡者を、息を潜め、命を掛けてやり過ごす。
自らを無名化するから、誰ともリンクしていない、孤独と絶望に満ちた旅。
それは、確実に地獄と呼ばれるものの一種だ。



でも、もし、どうしても逃げるしかない状況なら。

一緒に逃げてくれる人がいるなら。

それは、どれほどの救いになるだろう。






路地裏で目を覚ましたときから、私の人生は始まった。
自分の存在が如何なるものであるか、その背景知識と言語と自分に関する僅かな知識。
そして、魔道書。
それ以外の記憶は一切なかったから、ここで産まれたといってもよいだろう。
その場で発狂しなかったのは、追われていることがわかったから。
正確に言えば、力の流れ、その意図、その効力、そしてその抜け道。
それらから、その場から速やかに逃走すべきという結論が混乱した頭でも出せたから、
全ての思索を中断できた。
その意味では、追っ手に感謝すべきかな、など、思うことがないわけではない。


それからは逃げながら、自分とは何か、何であったかを推察を重ね続けた。
とはいえ、自分についての知識がひどく偏っていて、それの真偽を確かめる術もないとくれば、
推察の連鎖は最初の1週間も持たずに終結するのは自然だった。
それからは、心を少しずつ削り飛ばしながら逃亡する日々だった。
しかも、その逃亡は、逃げる範囲を指定されているのだから、いずれ捕まるのは目に見えていた。


逃げるうちに身に着けた知識によると、この街―学園都市―はIDが無いと、大幅に行動が制限されるらしい。
そして、IDが無いと学園都市の外にも出ることはできない。
もっとも、学園都市の外から、私の数少ない財産の一つ、歩く教会に
探索魔術が掛けられているから、
外に出られたとしても状況が変わるとは思えなかったが。
私に現金を下ろせるカード―キャッシュカードというらしい―があったのは、
結果的には不幸だったかもしれなかった。
これが無ければ、IDも、知り合いも、自分に関する情報さえ持たない私は、
逃げることを放棄できたはずだから。



逃亡劇の果てに自暴自棄になった私が、この服の性能を試すような方法を選びだしたのは、きっと自殺念慮の一端に違いなかった。


結果、高圧電流も、高所からの墜落も、水没も、爆発も、超低温も。
魔術師の刃も、炎も。
私の命を奪うことはないということがわかった。
なんとすばらしい霊装なのだろう。
きっと、これは私の棺桶に違いなかった。


だから、今日、マンションの屋上から迷い無く空に踏み込んだとき。
後ろから来る魔術師が、今までよりも大きな魔力を込めて練り上げた、その攻撃に
無防備な背中を誘うように晒しながら、飛んだ瞬間。






私はもはや、どちらでもよかったのだ。
生きながらえたとしても、死んだとしても。






浮遊感。
背後の爆発音。
落下。
軽い衝撃。
そして。






「……何やってんだ、お前」





ああ、そうか。
今回も生き残ったのか。












《禁書目録2》

真の絶望は、人からあらゆる行動を奪う。
思考も、動作も、言葉も。
故に、真の絶望に陥った人は死を選ぶ行動すら取れない。



ならば、私は、まだ底までは落ち切れてはいないようだった。






「……何やってんだ、お前」
「……おなかいっぱいご飯を食べさせてくれると嬉しいな」


無表情な男が、無感動の声を出す。
もう少し驚いてくれてもよいのではないか。
2フロア分くらいは落ちただろうから、この7階か6階。
そこのベランダに引っかかった私を見ても表情を変えないから、
場違いな発言をして、反応を見る。
事実、空腹だったこともあるが。


「……わかったよ。とりあえず、上がれ」


あれ?外したか。


「……いいの?」
「お前が言い出したんだろうが。それに、駄目だといったらここから落ちるのか?」
「落ちても良いよ」
「ごめん、それは俺が困る。上がってください」


意図が正しく伝わらなかったようだが訂正はしない。
……あながち、間違っているとも言い切れないし。


ベランダによじ登ろうとすると、男が手を貸してくれた。
その瞬間、世界が閉塞するような感覚を覚えた。
なんだ、これは。


「……え?」
「ん、どうかしたか?」


思わず漏らした声に、律儀に反応するプレーンな声。
ベランダに降り立ち、手を放されると、再び開放される世界。


「……大丈夫か?」


男の疑問に首肯する。
何者だ、この男。
魔力や魔術は全く感じない。
でも、それだけじゃない。
この男とその周りにだけ、魔力の空白が存在している。


「ああ、お前も見えるんだな」


男が、確認するように問う。
私が頷くのを見て、1秒ほど静止した後、


「まあ、ともかく入れ。昼食作ってやるから」


そして、非日常的な男は非日常的な入室を促した。






「美味しかった、ごちそうさま」
「清清しいまでの食いっぷりだったな」


私の記憶の中では初となる、その手料理はかなり美味しかった。
1日以上食べてなかったことも手伝い、彼―上条当麻―が感心するくらい食べた。


「そういってもらえると嬉しいよ」
「本当だよ。感激した」


冷たい麦茶を差し出しながら、彼が言う。
ちょっと大げさだが、嘘じゃない。


「大げさなやつだな」
「本当だってば」


そういいながら、彼が対面に座る。


「では、一炊の代償として聞いてもいいか」


来た。


「お前が、なぜ7階のベランダに引っかかっていたのか」


さて、どのように答えよう。
4パターンほど展開して、一番無難そうなものを選ぶ。


「落ちたんだよ。ホントは屋上から屋上へ飛び移るつもりだったんだけど」
「……なにか深い悩みでもあったのか?」
「……そうじゃないんだよ」


嘘。
本当は、それも合った。


「そうか……、じゃあ追われていたんだな?」
「……うん」
「切羽詰ったりしなければ、屋上から飛んだりしないだろ」
「うん」
「何に、追われていたんだ?」


彼は恐らく善人なのだと感じる。
そして、私がこの部屋のベランダに引っかかったのは、ただの偶然だ。
美味しいご飯を作ってくれた、善人と信じたい彼を巻き込むことに、抵抗があった。


「え…っと」


一方で、魔力の海の中で、ぽっかり窪んだかのように見える、正体不明の能力も不安だ。
魔術師ではないと断言できるが、学園都市の能力者について、私にはよく知らない。
私の魔道書が利用されないとも、断言できない。
それに、魔術、という言葉に対して学園都市の人間がどう反応するか。
この1年でよくわかっている。


「えっと、ね。その、それは秘密なんだよ」


だから閉ざすことにした。
もう、これ以上ここにいるのは良くない、と判断する
だから、礼を言って立ち去ろうと口をあけるが、その言葉はブロックされる。


「そうか。じゃあ、ちょっと確認したいんだけど良いか?」
「え?何を?」


すっ、と立ち上がりこちらに歩いてくる。
なんだ、なにをするつもりだ?


「心配するな。たいしたことじゃねえ」


そして、私の隣に屈みこみ
ぽん。
と私のみぞおち辺りを軽く叩く。


「……?」


意図が分からない。
彼の思考をトレースしようとするが、


「ちょっと、その服の袖をまくってくれないか」
「え?」


さらに意図不明なことが増えてしまう。


「駄目か?ひじ辺りまでで十分だが」
「いや、大丈夫、だけど……」


すぅ、と立ち上がり、滑らかに机に向かう。
動きが綺麗だ、と思った。


「これ、使ってくれ」


渡されたのは、書類の束などをとめるクリップ。
受け取ってしまった以上、引けなくなってしまったので、
右手の袖を折り返して、指定どおりひじ辺りで止める。


「止めたよ。どうするの?」
「おう、悪いな」


そして、彼は私の右手を握る。
また、世界が閉塞する。
ああ、そうか。
魔力の流れが見えなくなったのか。


「あの……?」


「ちょっと悪い。手をつないでいてくれないか」


僅かに、右手に力が込められる。
そして、彼は、私が飲んでいた麦茶のコップを傾け、少しだけ私の右腕に垂らす。


「ひぅっ」


予想外の行動と、その冷たさに変な声が出てしまった。
一方、彼は相変わらず無表情のまま。


「驚かせてごめん。ありがとう。大体分かった」


そういうと、右手を離し元の位置に戻った。
魔力の流れがまた見えるようになる。
しかし、駄目だ。
全く行動の意図が推察できない。

ひょっとして、からかわれたのか?


「ひょっとして、からかってる?」


不満の表情を作り問いかける。
表情を観察するが、なにも読み取ることができない。


「いや、からかったわけじゃない」
「……じゃあ、説明してほしい」


クリップを外しながら、当然の要求をする。


「いいけど、条件がある」


条件?


「これから、今の手持ちの情報で俺が推察できることをお前に聞く。もしそれが大幅に外れていないなら、お前の隠していることを教えてほしい」


駄目だ。
上条当麻は、私のとても苦手とするタイプのようだ。
思考が読めない。
奥にある意図が分からない。
真意を探ることができない。


「……いいよ」


そして、こちらからの情報を引き出そうとされているのに、好奇心が邪魔して抵抗できない。


私の答えを聞いて、上条当麻はゆっくりと言葉をきるように語る。




「まず、お前は学園都市の生徒ではない。そして、学園都市の能力とは別の、異能の力に関与している」

「例えば、お前の着ているその服は、その異能の力によるものだ」

「そして、その異能の力は、すくなくとも2つ以上の対立する組織で維持されている」

「そして、追われる理由は、お前の能力に起因することだ」

「お前の能力は、これまでの勢力バランスをひっくり返せるほどの大きな力のはずだ」

「以上だ。……違うか?」




言葉が出なかった。
思考が止まり、スタックが疑問符で埋め尽くされる。


「合っているみたいだな。よかった」


良いわけがない。
なぜだ、この男、ひょっとして魔術師なのか?
自分の表情が変わったのをみて、察したのだろう。


「俺は学園都市の人間だ。そのお前の帰属する異能の集団とも、敵対組織とも無関係だ」
「じゃあ……なぜ…わかったの?」
「ただの推察だよ。それより、約束だ。話、聞かせてくれるよな?」
「……わかった。でも、その前に、分かった理由を聞かせてほしいんだよ」


推察できる理由を聞かなければ納得できない。
自分の情報を教えることなど、できるわけがない。
再び、上条当麻は語る。


「お前は隣のマンションの屋上から、うちのマンションの俺の部屋に落ちてきた。落差は2階分
くらいだからそれなりの衝撃だ。ベランダの手すりがへこんでいたのだから、それは間違いない。
にもかかわらず、お前は無傷だ。だから、何らかの異能の力が働いたはず」


私の顔を見て、一呼吸おく。
理解していることを首肯で伝える。


「そして、お前は異能の力がある。俺のことが、能力の空隙に見えたのだろう?実は、学園都市の
友達で、同じように俺が空隙に見えるやつがいるから、お前の態度をみてきっとそうなんだろう、と思った」
「……私には魔力は無いよ」
「魔力?」
「君の言う、異能を操る力」
「お前、俺が触ったときに見えなくならなかったのか?」
「……」
「だったら、あるんじゃないのか。何らかの力が」


確かにベランダでもしくは先ほど彼に触られたとき、魔力の流れが見えなくなった。
でも、どういう理屈だ?


「聞いてばっかりはずるいから、俺も自分の能力を明かそう。……俺は右手で触ったものは異能の力なら打ち消せるし、異能の力を発動することもできなくなるんだ」
「そんな……、そんな力が、あるの?」
「まあ、本当にどんな異能でも、っていうのは分からないがな。今、お前の目の前に存在しているよ。お前の言う魔力っていうのも打ち消せているんじゃないか?」


少し、考える。
そうか。
触られたときは、外からの魔力の流れを私の体も打ち消すようになったのか。

彼にその推察を伝えると、


「ああ、なるほど。そうかもしれない」


とあっさり肯定された。


「話を戻そう。そういうわけで、最初は俺はお前が能力者、学園都市のな、能力者だと思った。追われている理由は分からなかったけどな。ジャッジメントかアンチスキルに電話して、保護してもらおうと考えていた。……でもな、そのあと、不思議な現象を見たんだよ」


不思議な現象?


「ああ、不思議な現象だ。さっき、お前が飯を食っているときだ。お前さ、あんまり箸の使い方うまくないだろ?」


うっ……。と言葉に詰まる。
箸でよいか?と食べる前に聞かれて良いといった手前、面目ない。


「慣れてないなら、無理しなくても良かったんだぞ。まあ、とりあえず、お前、ぽろぽろ野菜のかけらとか落とすからさ、何気なく、それを見ていたんだよ。で、そろそろ指摘しないと、その白い服に染みができるな、って思ってみたらさ。……落とした汁の滴が、不自然に滑らかに服の表面を転がるのが見えたんだ」


不自然?


「ああ、不自然だ。その服は見た目は普通の布でできている。糸の織ったものであるように見える。だからその表面は凹凸があるはずなんだ。そして少しは吸水してもいいはずだ。だったら、油の上を水が転がるみたいな動きをするわけが無い。……でも、お前のことをよく見ると、口の横にソースつけていたからな。そこで、疑問が湧いた」


あわてて、口元を手でぬぐおうとする。
それを手で制止して、彼はティッシュのボックスを差し出す。
丁寧に拭いたティッシュには、確かにソースらしき染みがついていた。
早く教えてくれればよいのに、と非難の目を向ける。
同時に、この話をするときのために、あえて指摘しなかったのかもしれない、と考える。


「そんな目で見るなよ…」
「……もういいもん。それで、その疑問って?」
「お前の能力が、いろんな力を弾く能力ならベランダに落ちてきても平気だったのは納得だ。でも、服だけ弾いて、自分は弾かないなんてそんな器用なことできるのか?と思った。できるかもしれないけど、する意義もよくわからなかった。だからひょっとしたら、その服にそういう力があるのかもと思ったんだ。そうなると、それは大変だ」
「大変って?」
「学園都市では、物に能力を付与することなんてできないからな」


学園都市に、霊装に相当するものが無いことは、見聞きした経験から薄々気付いていた。


「でも、その服が見た目は布だけど非常に特殊な布で、水分をすばらしく弾く性能を持っている可能性だってある。だから、確かめようと思った」
「それが、さっきの行動なの?」
「そうだ。まず、お前のみぞおち辺りを触っただろ?」
「うん」
「触ったときの反応から、特にお前が痛がっていないことが分かった。お前はさっき、口の内側噛んで痛がっていたからな、痛がらないってことは無傷なんだろうっておもった。そして、触った感触から……すまん、ちょっとセクハラか……その、感触から、その服が見た目の通り薄い布で、しかもその下に衝撃を緩和できる何かを着込んでいるとも思えなかった。じゃあ、やはりその服に何かあるのか、と思って次の行動に出たんだ」


ああ、そういうことか。
恐ろしい男だ。
そんなことを考えているとおくびにもださずに私に対応していたのだから


「お前に右手で触れて水をたらした。お前の能力は、俺の右手が封じているはずだ。結果、お前の右手は水を弾かず、その下にあるお前の服は水を弾いた。これでそのすばらしい撥水性はお前の能力によるものではないことがわかった。だから、その服が特殊な学園都市では説明できないものだろう、と推察したんだ」
「……」
「学園都市以外の異能を想定する。そこにお前が帰属していると考える。なら、お前が追われる可能性は2つ考えられる。1つはその服が甚だしく重要なものである可能性。もう1つはお前の能力に起因する可能性」
「そうだね」
「では、どちらなのか。まあ、これは俺にはわからない。でも俺の感覚として、俺が貴重な服を持って逃げるなら、その服を着たりはしない。だから、服が重要だって可能性は捨てたんだ」
「うん……私も、そう思うよ」
「なら、重要なのはお前自身だ。その服は、重要なお前を守るための鎧なんだ、ということになる」


……棺桶だよ。
小さく心で呟く。


「では、何に追われているのか。お前の所属する組織が、学園都市以外では唯一無二の異能力集団であり、同胞にお前が追われている可能性も当然ある。でも、お前の服は、俺みたいに信心深くない奴にも十字教の物だってことはわかる」

「現在も起こっている十字教と他の宗教との戦争を考えると、唯一無二の異能力集団が十字教に属しているっていうのは違和感がある。なぜなら、少なくとも、2階分の落下速度でベランダに腹から激突して無傷な服を作れる異能を十字教のみがもっているとしたら、そんなの相手に戦争なんて起こさないだろうから」

「なら複数組織があって、お前が対立組織に追われている可能性が浮上する。その可能性が事実なら、お前は、追われるだけの価値があるってことだろ?」


わざとらしく、3秒ほど肩を落とし頭を垂れてみる。
そして、当然思い至る疑問を問うてみた。


「でも、今の話は、それ以外に考えられる複数の可能性を無視しているんじゃない?」


上条当麻は頷く。


「そうだな。例えば、お前の服はすばらしい撥水性をもち、かつお前は衝撃を受け流す能力をもっている可能性もある。宗派を超えて異能という力で結束した集団があるかもしれない。複数の異能集団があることと同胞に追われることは両立する。対立組織に追われているからといってお前が巨大な力を持っているとは限らない。まあ、ほかにもいろいろな解釈や推論は成り立つ。俺が話した理論構築は砂上の楼閣だってことは理解しているさ」

「でも」


そこで切って上条当麻は私を見つめる。
僅かに、微笑むような表情を見せたのは錯覚だろうか。


「でも、インデックス。お前は認めただろう?」
「……っ!」


そうか、私が過小評価していたのだ。
上条当麻の思考力と洞察力を。
自分の負けだ、ということがよくわかった。


「一つずつ聞いたんだ。お前の表情に。こう思うけど、正しいかって」


ぐだーっと卓袱台に突っ伏す。
今度は演技ではない。
完全にやられた。
力が抜けた。


「悪いな、インデックス。なんか、お前、切羽詰ってる感じだったから」


心配だったから、ちょっと意地悪な方法だったけど確かめたかったんだ。
そう、上条当麻は付け足した。

その言葉に、顔を上げる。
相変わらずの無表情。ほとんど動かない声のトーン。
そこからは、私の力では何かを読むことができない。
だから。


「心配、してくれたの?」


言葉で確かめるしかない。


「ああ」


短い返答。


言葉は不自由だ。
その真偽とは無関係に、言葉はつむぐことができる。
彼のようにその内側が見えない場合は、額面どおり受け取ってよいかは、ますます不確かだ。
でも。



「そっか……ありがとう」



でも、それでも、うれしい。
とても、うれしい。



あの路地裏からスタートした私の人生で、
誰かに、気遣われることなんて、ほとんどなかった。
誰かとこんなに会話したのは、初めてだ。
誰かが作ってくれたご飯を食べれるなんて、幸せだ。
自分のことを理解してくれるなんて、理解しようとしてくれるなんて、夢みたいだ。






だから、いいよね?
君を信じて、この夢みたいな時間に縋ってみても。
もう、少しだけ。












《禁書目録3》

隣の芝は青いという諺がある。
他人の持っているものや幸せは、それが自分にないという事実だけで
良いものに思えてしまう人間の心理を指した言葉だ。
路地裏で生まれ、1年弱の人生を逃げることに費やした私にとって、
この街の人々は、どこを見てもあまりにも青い、広大な庭をお持ちのようだった。

隠れるように、コンビニで買ったお弁当を食べているとき、
自分と同じ年くらいの学生たちが、友達と楽しそうに話している姿に胸を抉られた。
インターネットカフェか、野宿かで迷っているとき
子供が母親と手をつないで幸せそうに帰宅する姿に涙が出た。
もし、10万3000冊の中に、人生をやり直せる魔術が存在するなら
私はためらうことなく行使するだろう。



「じゃあ、約束だから話すね」


賭けに負けた私は、上条当麻に自分の状況をかいつまんで話す。


ほとんど記憶が無いこと。
1年間追われていること。
この服がある限り、どこにも逃げられないこと。
学園都市から出ることもできないこと。
必要悪の教会。
完全記憶能力。
自分の頭に巣食う魔道書図書館。
自分を追い続ける、2人の魔術師


時間にして、10分程度。
上条当麻は、ときおり質問をしつつ、頷きながら聞いてくれた。
そして、全部話し終わった後、黙って頭をなでてくれた。
その、左手の温かさに、一粒だけ、涙が零れてしまった。


「私の言うこと、信じてくれる?」
「ああ」
「怖く、ない?」
「怖くねえよ」


そしたら、また一粒。
でも、これで終わり。
もう十分だ。


このマンションの入り口付近に、私を追う魔術師が一人いる。
様子を伺っているが、ここに来るのも時間の問題。
これ以上は、甘えられない。
私を知る人が、ここにいる。
私の孤独を理解してくれる人が、ここにいる。
だから、この人を巻き込むわけには、絶対にいかない。


「じゃあ……」


そろそろ、行くね。
そう言おうとしたのに、言葉が止まる。
この時間を手放したくない。
いつまでも、ここにいたい。
全てを忘れて、人生をやり直したい。
私には許されていない、垣間見えた幸せが、言葉を止めてしまう。


「じゃあ……」


もう一度、だ。
出会いがあれば、別れも必然。
今年の3月22日に酔っ払いの中年が言っていた言葉だ。
今こそ、分かれ目。


「じゃあ、もう、行くね」


私を救ってくれた、やさしい人に向かって、何とか告げることができる。
彼の目が、ほんの少しだけ細くなる。
やっと、表情の動きが分かるようになったのに。


「行かなくていい」


やさしい言葉。
こんなにやさしい言葉は、初めて聴いた。
私が完全記憶能力者で、本当に良かった。
これから先、何年たってもこの感動を、色褪せることなく再生できる。


「駄目だよ」
「駄目じゃねえ」
「行かないと」
「行かせねえ」


魔道書図書館の横に、上条図書館を作ろう。
これから先、辛いときはそこで本を読もう。


「助けてっていったら、助けてくれるの?」
「助けてやるよ」
「嘘ばっかり」
「嘘じゃねえよ」


本が増える。
幸せの本が。
私だけの、幸せの本。


「どうやって、助けてくれる?」
「なんとかする」
「君が思っているより、魔術は強いよ」
「大丈夫、俺も結構強いから」
「ここに、住めなくなるかもよ」
「ここは借家だ」


魔術師は、まだ、動かない。
もう少しだけ、もう少し、だけ。


「学校はどうするの?」
「お前も通えばいい。守ってやる」
「そんなの、無理だよ」
「無理じゃねえ」
「IDが無いよ」
「作ればいい」
「自分の年も、分からないよ」
「じゃあ、14歳だ。それでいいだろ」
「誕生日も、分からないよ」
「じゃあ、今日が、お前の誕生日だ」


迷い無く、流れるように返す言葉に、心が満たされていく。
この言葉が、本当なら、どれだけ良いだろう。
でも、駄目だ。時間切れだ。
魔術師が、ルーンを展開しだした。
あと20分もすれば、ここに来るだろう。


「ありがとう、本当に嬉しかった」
「過去形にするな」
「もう、行かないと」


ふぅ、と上条当麻はため息をつく。


「わかってるよ。魔術師が来ているんだろう?」


流石だね。


「そうだよ、ありがとう。本当に」


戻らなければ。あの、地獄に。
玄関に向かおうとする私の肩を、彼の左手が止める。
その手を、そっとつかんで、離す。
振り返って、微笑む。
せめて、最後は笑顔で。


「ここから先は、地獄」
「あなたの想像を超えた、本当の地獄なの」
「……私と一緒に地獄の底までついてきてくれる?」


彼の目が、閉じられる。
肩を落として、ため息を一つ。


「案内くらいは、してくれるんだよな?」
「え……?」
「地獄」


笑顔が、固まる。


「とりあえず、証明してやるよ」

……何を?


「地獄につれてっても、大丈夫だってことを」





6回チャイムを押し、1分間待ったところでステイル=マグヌスは魔術を発動させた。
7階の一室、ここに彼女がいることは分かっている。
ゴッ…と音がして炎が生まれ、錠前が溶かされる。
ドアノブをひねって開けようとするが、チェーンに阻まれる。
舌打ちをして、手を振るう。
飴細工のように溶けるチェーンを、2つにちぎる。


すると、部屋からあわてて男が出てきた。

「何やってんだ、テメエ。アンチスキルを呼ぶぞ!」


見たところ、16、7か。
声の威勢は良いが、腰が引けている。


「手荒なまねをしてすまないが、どうしても中に入る必要があってね」


言いながら、土足で室内に踏み込む。


「ちょっ…お前、待てよ、おい」
「アレは、どこだ?」
「アレ、だ。この部屋にいるはずだ。さっさと出したまえ」
「何だよ、アレって」
「女の子だ、匿っているんだろう。早く出したまえ」


おびえた男に、静かに告げる。
一歩、踏み出すと、男は、一歩下がる。
腰が引けている。


「早く」
「ああ、ああ、あ、そうか、アンタか。わかった。ちょっと待て」


男は震えながら部屋に走りこむ。
ふん、全く情けない。


「ほらよ……最初から言えよ。びっくりして死ぬかと思ったぜ」


男が左手で投げてよこしたのは、見まがうことなき歩く教会。
まさか……。


「さっき、変なちびっこい女がベランダにいてさ」
「あとで人が来るから、これを渡して金をもらえって。それで俺の服を着て」


「どこだ。どこへ行った?」


皆まで言わせず、男の襟首をつかんで、壁に叩きつける。
男は、苦しそうに顔をゆがめながら


「知るかよ、知らねえよ!」


身を捩って振りほどきつつ、叫ぶ。


「くそっ……」


早く探さなければ。
歩く教会が無ければ、何かあったらあの子が死ぬことになる。
翻り、帰ろうとするところを呼び止められる。


「おい、待てよ。金、払えよ。ドアも壊しただろ。アンチスキル呼ぶぞ」


くそ、時間が無いのに。


イライラと、ポケットに手を入れて、財布を取りだす。
紙幣を30枚くらい取り出して、床に叩きつける。


「ほら、これで十分だろ」


男が、床に散らばった紙幣をざっと見て、顔を上げる。
表情が一変して、無表情に変わる。






「まいどあり」


驚いたところに鳩尾に右手を叩き込まれ、ステイルはあっさり意識を失った。












《禁書目録4》

実況見分には、そんなに時間はかからなかった。
当事者の片方は学園都市のIDも指紋もDNA型も登録されていない違法侵入者で、
自宅を破損された被害者はとても金属を溶かす能力などないレベル0。
状況から、被害者の正当防衛はほぼ明らかだし、彼は自分の学校の生徒。
人助けマニアとまで呼ばれる善意の塊であることはよく知っている。
もはや、詰所に呼ぶまでも無かった。
あとは、加害者が目を覚ましたあと事情を聞けばよいだろう。
アンチスキルの黄泉川愛穂はそう結論付け、上条の肩を叩いて帰っていった。



ふぅ、とため息をついてバスルームに声を掛ける。


「インデックス、もう良いぞ」


かちゃり、とドアが開き、だぼだぼの服をきた銀髪碧眼少女がふるふると震えながら出てくる。


「……とうま、怖いよ」
「怖かったか、もう大丈夫だぞ」
「違うよ……。怖いのは、とうまだよ」
「俺か、そっか、ごめんな」


頭を撫でられたって怖いものは怖い。
人は変わるものだというけれど。
こんなに変われるのを目の当たりにすれば、人間不信コースまっしぐらだ。


「ほら、32万も置いていったよ、あいつ」
「詐欺師」
「まあ、ドアも直さなきゃだしな。差し引き15万くらいか」
「詐欺師」
「詐欺師で結構」


非難と不信を目に込めて投擲するが、上条当麻はどこ吹く風だ。


「それに、実力行使に出たのはあちらが先だ。正当防衛だろ」


新装開店したばかりの上条当麻幸せ図書館なのに、
どこかに偽、という言葉を早速追加しなければならないかも知れない。


「それだって、分かっていたのに」
「ああ、分かっていたよ。でも、挑発したわけじゃないから、セーフだ」


相手の魔術師の特徴、得意とする魔術を教えたのが魔術師の来る10分前。
すると、彼は目を10秒くらい閉じて思案した後、この作戦を立てたのだ。
そして、PCを立ち上げ、何かを調べ、その後誰かに電話した。

「まあ、読み通り魔術師はアンチスキルに逮捕された。金も手に入った。喜べよ」


すなわち、魔術師を騙して、倒す作戦。


「違う、魔術師をアンチスキルに逮捕・投獄させる作戦だ」


アンチスキルとは、この街の警察的組織だ。
学園都市の最新科学による武器、防具を持ち、犯罪能力者を制圧できる軍事力を持つ。
そんなプロフェッショナルな人達の力を借りようというのが、彼の作戦だった。


「これだけ明らかな犯罪行為を行ったんだ。しばらく出てこれないだろ」


あれだけ強い魔術師が、あっさり1人倒された。
追跡者が、1人になった。
まだ、信じられない。
でも。

「なんだか人間不信になりそうなんだよ」


しばらく引きずりそう、という私に、


「まあ、これなら地獄の鬼だって騙せるだろ?」


彼は僅かに口角を上げて応えた。





幾多の誤解と勘違いとすれ違いの末に友人となった上条当麻から電話を受けた御坂美琴は、
指定された通りの格好と物を持って上条家を訪れた。
目的が分からなかったので聞いてみたが、時間が無いからあとで、と教えてくれなかった。
ともあれ、何度も能力で覗き見て、隅々まで知っているが、部屋に訪れるのは初めてだ。
ついでに言えば、男の子の家に入るのだって初めてだったりする。
なんだかんだで、少し緊張しつつエレベータを降りると。


「なによ、これ……?」


上条家のドアには、熱で溶かされたような穴があった。
人助けのたびに恨みだって買っているアイツのことだ。
能力者に襲われたのか。
そう判断して、御坂美琴はあわててドアを開ける。
すると、そこには。


「なによ、コレ……?」


明らかに日本人ではない少女がいた。
急に、緊張感がイライラに置換される。


「おう、御坂。ごめんな、いきなりで」


そのイライラは、この部屋の主を見た途端、1.5倍くらいに跳ね上がった。


そんなビリビリと機嫌の悪い御坂美琴をなだめつつ、上条当麻は持ってきた荷物を出すように促す。
膨れっ面で差し出した大型の空のバッグ2つを上条当麻は受け取ると、
片方に丸めてあった新聞紙を詰め込む。
意味不明の行動をとる上条に、少し不安そうな銀髪少女。


「もう少し待ってくれ。ちゃんと説明する」


そう先回りで言われてしまえば、御坂はもう聞くことはできない。
一見、意味不明、でも実はちゃんと意味ある行動に、1週間で何度も騙されたのだ。
コレだって、何か意味があるに違いない、と思えば、いろいろと想像する楽しみだって
あるのではないか。
そんな前向きな方向で考えをまとめようとしたが。


「じゃあ、インデックス、これに入れ」


ビクッとなる少女に向かって、もう一つのバッグを広げて淡々と放つ言葉に、
そんなのどかな思考は一瞬で混沌に落とされた。






今は夏季休暇期間である。
人口の8割が学生である学園都市だから、街全体がバケーションの空気に包まれている。
これから遊びに行くと思われる学生はたくさんいるし、
海外旅行に行ってきたのか、タグつきの大きな荷物を転がしている人もちらほらいる。
だから、外から見れば、きっとこれから旅行に行く恋人同士に見えるに違いない。

その実態は、人攫いに近いのだが。


「アンタ、重くない?」
「それは女性に失礼だろ」
「あ、そうだね。ごめん」
「それより、インデックス。近くにいないか」


バッグに詰められた少女に淡々と語りかける上条当麻。
透視能力者が見たら、手馴れた誘拐犯にしか見えないだろう。
そう指摘したら、右手で持っているから大丈夫だと、当たり前のように返してきた。
相変わらず、可愛くない。


「私の感知できる範囲ではいないよ」
「そっか、御坂は、どうだ」
「こちらも、尾行されている様子は確認できないわ」


どうやら、バッグに詰められた少女は何者かに追われているらしい。
そっと隣の表情を伺うが、特にあせった様子は無い。
表情に乏しいこの男も、リミットを越えれば動揺が顔に出ることを、
御坂はこの目で見ている。
だから、事態はまだ許容範囲なのだと分かって、少し安心した。


そんなこんなで、恋人風誘拐犯達は電車に乗り、学園都市の外れにあるホテルに
チェックインする運びとなった。
部屋はばらばらで、上条が2階、御坂は最上階だ。
そして、最上階の御坂の部屋に入り、念のためと盗聴装置が無いことを確認して
ようやく少女は解放された。


「大丈夫か、インデックス」
「少しふらふらするけど、大丈夫なんだよ」


そういいつつ、自分の入ってきたバッグに足を引っ掛けて転びそうになったところを
上条が捕まえる。
それを見て、御坂の眉がかすかに動く。


「さて、話してくれるわよね?この状況に対する、納得いく説明を」
「イライラしてるな…少し、疲れたか?」
「イライラしてない。いいから、説明」


ぼん、っとベッドに腰掛け、腕を組んで説明を求める。


「わかったよ。ちょっと長くなるし、信じられないかもしれないけど」
「だったら、信じられるように喋りなさい」
「OK。だから、機嫌直せ」
「だから、イライラしてないってば」


そして、上条当麻はインデックスの背景と襲ってきた魔術師のこと、
そして襲ってくるかも知れない魔術師のことを話す。
御坂は、最初は信じられない、といった感じだったが、真顔で話し続ける上条と
表情を曇らせる少女を見て冗談ではないことを悟ったらしい。


「確認だけどさ、これ、あのときみたいなドッキリじゃないわよね?」
「もう、あんな真似は二度としない」
「マジなのね」
「マジだ」


うはー、といいながら、御坂はベッドに仰向けになる。
スカートがめくれて、中身が見える。


「おい、見えてるぞ」
「平気よ。短パンだもん」
「短パンがめくれている、という意味で言ったのだが」


瞬間、ものすごい勢いで起き上がり、すそを押さえる。


「冗談だ」
「……ア、ン、タ、ね!」
「でも、きわどかった」
「くッ……もういい、死ね、エロス」
「なんだよ、エロスって」


赤い顔をしながら、上条を3秒ほどにらみつけるが、
ふぅ、とため息をついて、真顔に戻る。


「で、これからどうするわけ?」
「そうだな、お前に借りを作りたい」
「借り?」
「そう、借り」


そういいながら、上条は隣に座るインデックスを少しだけ見た。そして、


「お前が家に来る前に調べたんだがな。ここから、20kmくらい離れたところに、イギリス清教の教会があるんだ。そこに行きたい」
「教会って……まさか」
「そう、学園都市の外にある、教会だ」
「ああ……そういうことね。借りって」
「悪い。……頼めるか?」
「まあ、ここまで聞いたんだから、ね」
「ありがとう。大丈夫だよな?」
「大丈夫よ。痕跡なんて、かけらも残さないわ」


つまり、学園都市のデータバンクに侵入して、インデックスのIDを偽造してほしい、
というわけだ。
ついでに、上条とインデックスの外出許可も。
そこで、ふと、気がつく。


「アンタさ。もし、私が嫌だっていったら、どうしたわけ?」
「そうだな、お願いしますって、もう一回頼んだかな」
「それでも嫌だって言ったら?」


そう聞くと、彼はほんの少しだけ微笑んで。


「お前は、事情を話せば、絶対にそんなこと言わないと信じていた」
「……そうみたいね。私が協力する前提だったみたいだし」


ホテルの電話回線からサーバーに侵入しつつ、御坂は応えた。












《禁書目録5》

最初の1ヶ月は、本屋に行くことが多かった、とインデックスは記憶する。
あまりにも少ない自分の常識や一般知識を補う手段を本に求めたのは、なるほど図書館を名乗るに相応しい。
逃亡しながら隙を見て店に飛び込み、10分くらいでなるべく多くの本に目を通す。
店を出る直前、完全記憶によって本のタイトルのindexを更新し、次の店で読む本を決める。
そして28日後、能力開発の基本が終わり各論に手を出そうかどうか、迷ったとき。
平積みされている一冊の童話集に目が留まった。
40秒ほどでスキャンされたその本の内容は、今でも強く印象付けられている。
人間の想像力とは、かくも豊かなものなのか。
これを思い描ける人物は、どれほどの才能を持っていたのか。
御伽噺の主人公に匹敵する呪いを受ける身でありながら、
そのハッピーエンドが全く描けない自分には童話作家は向いていないことが寂しかった。



5分ほどで私のIDと外出許可証を偽造した後、上条当麻と御坂美琴は夕食を買うため部屋を出た。
1人残されると、急に空間が広がったような錯覚を覚える。
慣れているはずなのに、視覚が孤独を訴えることが辛いから、目を閉じて、横になる。
この半日を頭の中で再生する。

4時12分に、正規の3倍の料金を払って泊まった粗末なホテルから忍び出た。
10時18分に、バスと電車を乗り継ぎ、第7学区まで来た。
11時50分に、交通量の激しい道路に飛び出して、車に撥ね飛ばされながらも逃げた。
13時3分に、上条当麻のマンションに落下した。
13時20分に、人生初の手作り料理を食べた。
14時1分に、服を着替えてバスルームに身を潜めた。
14時43分に、御坂美琴とはじめて出会った。
15時10分に、電車に無賃乗車した。
15時13分に、生まれて初めて誰かの腕の中で眠った。
17時19分に、2時間半ぶりに光を見た。
17時25分に、学園都市の住人になった。完全に諦めていた教会に、行ける事になった。


なんて内容の充実した一日だったのだろう。
なんて非日常な一日だったのだろう。
なんて幸せな一日だったのだろう。

詐欺師だけども優しい上条当麻と、少し怖いけど温かい御坂美琴に出会えた奇跡に感謝する。
同時に、私という災いが彼らの人生を焼くかもしれない可能性に、ジクリと心が刺される。


この一日で、十分なのではないか。
ここで、そっと出て行くべきなのではないか。
あんなに眩しい人達を、私の呪いが害したとしたら。
私はもう、死ぬことすら赦されない。





心の中で、揺らぎができる。
深く、冷たく、早く、激しく。

期待、諦め、希望、絶望、光、闇。
交じり合い、退けあい、やがてそれは渦になる。


でも、と思う自分もいる。

救おうとする意思を無下にすることは、非礼なのではないか。

ひょっとしたら、と思う自分もいる。

あの二人なら、もしかしたら、私を救ってくれるのでは。

やっぱり、と思う自分もいる。

期待したって、自分を深く知れば、あの二人だってきっと離れていくよ。

どうせ、と思う自分もいる。

何をしたって、私の枷は外れることなどないのだ。


心の渦は広まるばかり。
私を飲み込み、強く、優しくすり潰していく。






ホテルのロビーで、先ほど作ったばかりのID(正確には紛失時の仮ID)と外出届を
プリントしたあと、御坂美琴は上条当麻をロビーのソファーに促した。
もうここまでで十分だから、帰ったほうが良いと言う馬鹿に物申すためである。


「アンタね、何のために私は部屋を取ったのよ?」


聞かなくても理由は分かるが、一応、聞いてみる。


「俺の部屋はダミーだ。魔術師が知ってるとしたら、俺の名前だろうからな」


彼が部屋に置いたのは、赤外線を使った防犯装置。
前を何かが通り過ぎると、指定した番号にメールが飛ぶ、学園都市ではありふれたものだ。
それを見つかりにくそうな物影に設置していたから、あの部屋を使わないつもりであることは分かっていた。


「この件は大分危ない気がする。だから、帰れ」


なにをいうのだ。レベル0のくせに。


「だったらアンタ一人じゃもっと危ないじゃない。なんで頼らないのよ」
「俺が勝手に助けると決めたからだ。巻き込めねえよ」
「アンタも分からない人ね。勝率を下げるは必要は無いでしょ、っていってんの。それとも
私がいても役に立たないと言いたいわけ?」
「そんなことはねえよ。でも、危険だ」
「あっそ。じゃあ、アンタの外出許可、取り消しちゃおうかな」
「……頼むよ」


モノトーンな口調だが、僅かに真剣味を感じる気がする。
なんだか平行線になりそうなので、話題を変えようと、先ほど感じた違和感を口に出す。


「話は変わるけどさ、さっきのアンタの、インデックスの話だけど」


ちらりと上条の目線が動く。
盗聴はない、と教える。


「あの話なんだけど、なんか、違和感があるのよね」
「信じられないか?」
「いや、あの子が言っていることは本当だと思う。少なくとも、あの子の中では」


言外に込めた意味に、彼は頷く。


「やっぱり気付いたか。なら、俺が危険だって意味も当然分かるんだろう?」
「まあ、ね」
「お前、優しいな」
「えっ?」
「あの場でそれを口にしなかった、お前は優しいよ」


優しい、なんていわれたのは何年ぶりだろう。
思わず、少しだけ頬が赤らむのを感じる。


「ごまかすな。でもアンタも分かっているなら、私の力が役立つと思わないの?」
「もちろん思うさ。ただ、相手が学園都市だけならともかく」


彼は、勿体をつけるように一瞬、言葉を切って。


「魔術については俺はよくわからない。魔術を扱う集団についてはほとんど情報が無い。
お前の力がどの程度通用するかもわからない。お前を守れるかどうか、自信が無い」


などと殊勝なことを言う。
やはり、コイツとは一度勝負で白黒つけたほうが良いようだ。
自分のほうが強いとでも思っているのか。


「アンタ。守ってほしいなんて、私は頼んでないわよ」
「そうだな、ごめん」


まあそう言ってもらえて、全然嬉しくない、というわけでもないが。


「あのさ、教会に行って分かるかな」
「行ってみないとなんとも。まあ、勝率は3割も無いだろうな」


言葉を省略しても、答えで理解を共通していることを知る。


「その程度だって思っているんだ。じゃあ、割に合わないんじゃない」
「割?」
「リスクと、ベネフィット」


しかし、これだけが分からない。
上条はかなりの合理主義者だと考えている。
なら、何故そのような選択を取るのか。


「ああ、それか。それはな、少し偉そうな言い方をすると、心のケア、かな」
「心のケア?」
「そうだ」


インデックスは、学園都市外の教会から、イギリスにあるイギリス清教本部に
取り次いでもらえば、しかるべき対応を取ってもらえると信じている。
でも、私と上条は、その可能性は低いのではないかと考えているのだ。
それでも行く理由が、心のケア、とは。


「インデックスはさ、きっと誰かが自分を助けてくれるなんて、信じられないと思う。
今だって、俺たちのことを完全に味方だなんて思ってないよ、きっと。……当たり前だよな。
生まれてから、逃げることしか知らなかったんだから」
「……そうだね」
「だから、自分が誰かに信じてもらえるってことも信頼できないと思うんだ。誰も信じられないなら、
相手が自分を信じるなんて思わないだろう?」


言わんとすることが、わかった。
やっぱりコイツは馬鹿だ。


「だから、俺はあいつを信じてあいつの希望をかなえてやりたいんだ。結果うまくいかなくても、信じてくれたってことは無駄にはならないはずだから」


誰かを信じる。そして誰かが信じてくれる。
その連鎖によって、人は孤独から救済される。
その連鎖によって、人は誰かと心を共有できる。
私が、コイツに、教えてもらったこと。
この馬鹿みたいにお人好しな、上条当麻に教えてもらったことだ。


「そうだね。私も、そう思う。意味は、あるよね」
「そう言ってもらえると、心強いよ」


僅かに微笑む、救いの手。
ああ、全く。
そんな顔をされたら、ますます帰るわけには行かなくなってしまうではないか。


「じゃあ、私も行く。私だって信じてほしいから」


そのあと夕飯を探しながらも上条は何度も帰れと言ってきたが、全て鮮やかに無視して
ホテルの部屋に戻ってきた。






そして、私は、インデックスがどれほどの地獄を生きてきたのかを、目撃することになる。






ひょっとしたら、お風呂上りかもしれない。
ひょっとしたら、おなかを出して寝ているかもしれない。
だから、アンタは許可を出すまで、廊下で待機しなさい。


ドアを開けようとする不届き者の襟をつかんで世の道理を教えると
私は先に部屋に入ることにした。
部屋を出るとき、大分疲れている感じだったから、寝ているかもな、と思い、
静かにドアを開ける。
部屋に入ると、案の定、ベッドの上で、丸まるように眠る少女の姿を確認。


人形みたいという比喩は好きではないが、そのとき私は正にそうだと思った。

さらさらと零れる銀の髪。
透き通る、白い肌。
小さく握り締められた手のひら。
僅かに上下する胸。

こんな細い女の子を追い掛け回すなど同情の余地など欠片も無い。
魔術だかなんだか知らないが、超電磁砲の錆にしてくれる。
そんなことを考えて一歩近づいた、そのとき。





バン、っと音が鳴った。
寝ていたはずの少女が、いきなり飛び上がった音だ。
射抜くような目線をこちらに向けながら、左手を伸ばしてベッドサイドの足の長い照明をつかむ。
バキリ、と何かが折れる音にも構わず、槍のように私に向けて構える。
先ほど穏やかだったのが嘘のような、荒い、あえぐような呼吸が漏れる。
なんだ、と上条があわてて入ってくる。
増えた侵入者に、厳しい目線が向けられて。


「あ……」


少女の手から力が抜けて、がしゃんと音を立てて照明が落ちた。


「あ……あ……」


また、小さく呻き声が落ちた。






それは、もう一人の魔術師に私たちが出会う、14時間前の話。












《禁書目録6》

泣きながら謝るインデックスを抱きしめると、不自然なくらい全身の筋肉が強張った。
大丈夫だよ、といいながら頭を撫でると、少しずつ緊張は解けていった。
そして緊張が解けても、しばらく嗚咽は止まらなかった。
目線を隣に立つアイツに移すと、珍しくその顔からはっきりと怒りを読むことができた。

泣き止んだ後、放心状態にあるインデックスと一緒にお風呂に入った。
入っている間インデックスは一言も喋らなかったけれど、
頭にシャンプーをかけて洗ってあげると、もう2粒だけ涙をこぼした。
お風呂から上がると、学習した上条が部屋のドアをノックしてきたので
入室を許可した。
照明が新しいものに変わっていたから、きっと彼がホテルに対応したのだろうと思った。
その後、もそもそと3人でご飯を食べている最中に、インデックスがぽつりと


「ごめんね」


と呟いた。
私はとっさになんて答えればよいかわからなかったのに、隣に座った上条が


「気にするな」


と短く返したのが少し悔しかった。

インデックスは疲れているようだったし、明日もあることだからと
その日はすぐに寝ることになった。





そして、また朝が訪れる。



学園都市のゲートでは、IDと外出許可証の提示が求められる。
ゲートの係員は、登録情報と外出者の一致を確認し、通行の可否を決定する。
ゲート付近の道路には各種センサが張られていて、こっそり通るなどは不可能だ。
もちろん、車の中までスキャンされており、隠れて通行しようとしても逮捕される。
簡素な見た目からは想像できないくらい高いセキュリティを誇る学園都心の門だが
前提とする情報自体を操れるレベル5にとってはフリーパスと等しい。


「通ってよし」


タクシーがゲートから離れると、インデックスと上条が少しため息をついた。
厚くて高い特殊コンクリートの外は、30年前の世界が広がっている。
御坂と上条にとっては馴染みのある風景だが、インデックスは初めての光景が珍しいのか
1時間弱の旅の間、ずっと外を見ていた。


6時15分に、タクシーは目的とする教会に到着した。
普通の大きさはこの場にいる誰にも分からないが、50人程度の入れる礼拝堂に
事務を行う部屋が2つ、来客を迎える部屋が1つからなる施設である。
この教会は24時間来客を受け付けてくれるようなので、好意に甘えて早朝に訪問したのだ。
聖ジョージ大聖堂の必要悪の協会に取り次いでもらえるよう事務所の者に依頼すると、
上条たちは来客室に通され、そこで待つように指示された。


「大丈夫か、インデックス」


さっきからずっと俯いている少女に、上条が話しかける。


「いま、連絡してくれる。聖ジョージ大聖堂は相当大きな教会だから、きっと夜でも
対応してくれるさ」


上条の言葉に、小さく銀色が頷く。
部屋に置かれた振り子時計の鐘が、6時半を告げた。



少し落ち着かない気分なのか、先ほどから時計ばかり見ている、と御坂美琴は考える。
あれから1時間。現地時間ではもう深夜だ。
そろそろ動かないとまずいのではないか。
隣の上条をそっとひじでつつき、外に出るように目で合図する。
時計の鐘が再び一度鳴るのと同時に、二人は部屋の外に出た。



「どう、思う?」
「まだ、不定だ」
「そんな悠長なこと言ってていいの?」
「通信は傍受しているんだろう?」
「しているわ。今のところ、イギリスへ電話もメールもしていない」
「なるほどな。じゃあ、魔術なんだろうな」
「何もせずに、待たせる理由も無いしね。どうする?」
「そうだな。ここまできたら、相手の態度を見よう」
「仕掛けてきたら?」
「そのリスクは少ないと思うが、とりあえず倒せるところまで倒して、あとは学園都市まで逃げよう」
「……アンタは、結局どれだと思う?」






私が昨日感じた、インデックスの話の違和感、疑問点。

何故、学園都市の外からインデックスを監視している魔術師が多いのに、
彼女を襲う魔術師は2人のみなのか。

ここから推察できることは、恐らく学園都市は中に入れる魔術師を選んでいる。そして、彼女を襲う魔術師は、学園都市と通じている。もちろん、学園都市の少なくとも上層部は魔術を認識しているということだ。

学園都市が魔術師のセレクションをかける理由は不明だ。
しかし、一般に特権とは少数が持つからこそ、その価値がある。
さらに、公式には魔術などという存在について、学園都市は認めていない。
ならば、街に入ることを許されている組織は、それほど多いとは考えにくい。
多いほど、情報が漏洩しやすい。敵対する組織も多いと聞く魔術組織なら、
街の中で衝突し、存在が露呈する可能性も高まる。

以上から、学園都市で活動できる魔術組織は少数であろう、ということが推測される。

これを足がかりに考察を進めると、インデックスを追跡する魔術師が所属する組織と、彼女が所属する組織が異なる可能性と、実は同じ可能性を考える必要があるが、
それぞれに説明が難しいところがあるのだ。

異なる組織なら、彼女が追われる理由は納得しやすい反面、何故彼女が1年にわたり
味方組織の援助無く孤軍奮闘しているのかがわからない。

同じ組織ならその逆で、一人で逃げている理由は分かるが、追われ続ける理由は分からない。

昨日、夕食を買いながら、上条にそのことを聞いてみた。
そしたら、上条は、それらの可能性を認めた上で、もう一つの恐ろしい可能性を追加してきたのだ。



「インデックスは、学園都市を滅ぼしに来たのかもしれない」



息を呑み、立ち止まる私に、いつものように、淡々と語る。


「インデックスの話を聞くと、魔術と超能力はその原理原則は違えど引き起こす現象は
オーバーラップするところが多い。そして大事なことは、どちらも現在の科学技術を超え
る力を使えるということだ」

「どんな軍力も無効化できるが、互いに勝てるかどうか分からない人間が、2つの組織に属しているとする」

「1つは学園都市のようなごく狭い地域に集中して居住している。もう1つは世界中に分散
している。当然だが、互いに相手の存在は疎ましい。相手がいなくなれば、世界を事実上
手中に入れたようなものだから。では、どちらのほうが攻撃を受けやすい?」

「インデックスの言葉を信じるならば、彼女の中には世界のどんな理も捻じ曲げるだけの
魔術を扱う知識がある。ただ、それを行使する力、魔力がない、といっているが、それは
俺達にはわからない」

「学園都市と、魔術師の一部が結託しているのは事実だろうから。もし彼女がその魔術師
たちと対する組織にいるなら、学園都市側の魔術師が討伐しようとしているとも見ることができる」


でも。
でも、そんなのって。


「もっとも、可能性はかなり低いと思っている。1年間も滅ぼすのを待つ意義が無い。
俺たちに自分の秘密を打ち明ける必要も無い。あの悲しみが嘘であるとはとても思えない」

「実際は、これまで上げた可能性の複数が重なっているのかもしれないし、俺たちの知ら
ない情報を元に、全然想像外の真実があるのかもしれない」


ごめんな、ひどい想像をして。俺にも、本当のところはよくわからないんだ。
そう、言った後、


「ともかく、追跡者からすれば、もしくは学園都市からすれば、インデックスが学園都市
の外に出て教会に助けを求めることができる、このこと自体が想定外の事象なはずだ。
だから、絶対に何かのアクションを起こしてくるはず。そこからなにか重要なヒントを
拾えればよいと思っている」






私も同じことを考えていた。まず、動かなければ、これ以上の情報は得られない。
そう思ってここに来たのに、待たされると不安と苛立ちが募ってくる。


「ねえ、どうだと思う?」
「まあ、焦るなよ。手がかりが得られる可能性のほうが少ないんだから」
「そうだけど。もしこのまま待ちぼうけだったらどうする?」
「そうだなあ……。お前にパスポートの偽造をお願いすることになるかな」
「……直接、行くの?」
「それしかないよな」
「アンタ、そんなことばっかりしてると、いつか死ぬわよ?」
「大丈夫だよ」
「大丈夫じゃない!」


思わず声を上げてしまった。
なんでそんなに、ほいほいと危険に突っ込んでいくのだ。
なぜ、そんなに誰かのために自分を投げ出せるのだ。


「声が大きいぞ。……そうだな、じゃあこうしよう。あと1時間たったら諦めて帰ろう」
「帰してくれるかな?」
「帰るんだよ。これからタクシー会社に連絡して、1時間後にさっき通ったレストランまで
 来てもらうように手配する。時間になったら、振り切ってでもそこまで行こう」
「そうね、わかっ」


た、と言おうとしたところで能力の目が異常を捕らえた。
何かが、異常な速度でこちらに向かってくる。
姿形は人間だが、明らかに生身の人間の速度を超えている。
部屋から、インデックスが青い顔をして飛び出てくる。
上条が察して、呟く。


「そっか、来たのか」


教会の外に出たところで、私達は魔術師、神裂火織と対面した。












《禁書目録7》

少なくとも、時速200kmは出ていた、と御坂美琴は確信する。
目の前の魔術師の姿からはとても想像つかないが、その速度を維持してここまで来たのだ。
瞬間的に出せる速度はその2倍以上は堅い。
さらに、刀を使った攻撃は音速に達するらしい。


自分の反応速度から逆算し、能力の目で反応が間に合うラインで足を止める。
手をつないでいたインデックスも、歩みを止める。
ポケットからコインを出し、能力で空中に浮かせる。
攻撃されたら、全力で電撃を放ち、それで駄目なら超電磁砲を打ち込むしかない。



だが、上条当麻は止まらない。
2歩ほど、前へ。まるで盾になるかのように。



「神裂火織と申します……できれば、もう一つの名は語りたくないのですが」
「上条当麻だ。インデックスを追う魔術師だな?」
「魔法名を名乗る前に、彼女を保護したいのですが」
「魔法名、とは?」
「魔術を使い、戦いを行うために名乗る名前、ですよ」
「かっこいいな。ところで、神裂。戦う前にいくつか質問したいのだが、駄目か?」
「……回答可能なものなら」
「そっか。ありがとう」


上条の言葉を聞いて、御坂は息を呑む。
内容にではない。
声に込められた力、有無を言わせない静かな迫力を感じたからだ。
何かの覚悟を持って望んでいるということが直感で分かった。


「1つ目の質問だ。お前はイギリス清教、必要悪の教会に所属しているな?」


神裂火織の目が驚きに開かれる。


「……ええ。何故そう思ったのですか?」
「勘、だ」
「答えになっていません」
「学園都市と結びついている魔術組織は、イギリス清教だけだからだ」


後ろで聞いていたインデックスは、自分の追っ手が同胞であることなどどうでもよかった。
上条当麻が、あの魔術師の射程内にいる。
人間では回避不可能な、あの攻撃。
それなのに、彼はあの魔術師から情報を引き出そうとしているのだ。
昨日、私を引っ掛けたのと同じ方法で。


対する神裂は、ますます驚きを隠せない。


「正直、驚きました。あなたは一体何者ですか?」
「学園都市の能力者。幻想殺しと呼ばれている」
「幻想殺し……」


学園都市に1年ほど住む神裂には、それが意味することが分かったらしい。
目の前にいる男が、未知の能力を有することに、僅かにガードが固めたことに
御坂は気がついた。


「では、あなたの後ろにいる女性は?」
「ああ、彼女は学園都市のレベル5。第3位だ」


神裂の体に緊張が走る。
そこに、上条は続ける。


「彼女の能力の一部を教えるが、彼女は電流を操ることができる。雷以上の電流だ。そして」


上条は、そこで息を止める。


「彼女はお前の動きを眼ではなく能力で見ることができる。お前が音速で彼女に迫ったとしても、
彼女がインデックスを炭にするほうが早い。……言っていることはわかるか?」
「……脅迫ですね。でも、後ろの彼女にそのようなことはできるのでしょうか?」
「できるさ。……それに。」
「それに?」
「インデックスは、人生に絶望している。お前たちに1年も追い掛け回されてな」


神裂の顔に苦いものが浮かぶ。
御坂は動けない。
インデックスも動けない。


「インデックスは、昨日俺たちに殺してほしいと頼んできた。自殺はできないからと。
もう限界だからって、泣いて頼んできた。だからここでお前に連れ去られるくらいなら」


上条当麻はゆっくりと、神裂の心に楔を打つように語る。


「ここで死ぬことは本望だろう。だから彼女はためらわないさ。もちろん、俺だって
そのつもりだ。彼女がやれないなら、俺がやる」
「させるとでも?」
「できるさ。お前は俺たちの能力を知らない。そして、俺たちはお前の能力を知っている」
「……私の全能力を知っていると?」
「その刀を使った居合いが、お前の最速の攻撃だ。その速度でも反応できる距離に二人は
いる。その攻撃を少なくとも1度だったら俺は止められる。……試してみるか?」
「……」


表情はなんとか悠然を保てているだろうか。
心理戦のプレッシャに押しつぶされそうになりながら、御坂は神裂の目を睨む。


10秒ほど沈黙が続く。
御坂の、インデックスの背中を嫌な汗が流れる。
そして。


「……なにが、望みなのですか?」


神裂が引いた。
上条は、答える。


「真実を知りたい。なぜ、お前たちがインデックスを苦しめたのか。その真実を」


神裂は一つ、小さくため息をついた。
そして。


「わかりました。教えましょう。でも……できれば、その子のいないところで話したいのですが」


僅かな間をあけて、上条が答えようとする。が、


「嫌だよ。私も知りたい」


答えを遮り、インデックスが言う。


「ですが……」
「私は知りたい」
「……貴方にとって、知ることは残酷かもしれませんよ?」
「それでもいいッ!」
「でも」
「いいのッ!知りたい!」






私、自分が誰なのか、わからないの。

何故生まれたのか、何をしてきたのかわからないの。

だから、知りたい。

どうしても、真実が知りたい。


たとえ、それが何であっても。

知った先に、何があっても。






泣きながら、独白する姿に心が動かされたのか。
結局、神裂火織はこの場でインデックスの真実を語りだした。












《禁書目録8》

去年の12月。
街中にイルミネーションが急速に増えてきた理由が、聖なる御子の生誕日に託けた
商業戦線であることを知ったとき、インデックスは僅かに憤りを感じたと記憶する。
信仰心も無く、その教義すら知らないのに、その御名をかざし、商売をする。
彼の人を讃える歌が、薄汚いCMのごとく垂れ流される。
そして、それに乗せられてはしゃぐ、軽薄そうな学生達。
ふっ、と侮蔑の笑みを浮かべたところで、ふと気がつく。

では、私はなんだ?

人の目を盗むように、今日の食事を貪り食う自分。
軽薄という言葉で誤魔化しながら、そこにある幸せに嫉妬する自分。
自分の運命を呪い、憤る、穏やかから程遠い自分。
この手詰まりな状況を打ち破る手段を探すことを怠り、ただ日々流されるように逃げる自分。


なんだ。
大罪のうち、4つも満たしているじゃないか。


それ以前に、禁書に穢された自分こそが、最も祝う資格がない存在なのではないか。
振りかざした正論は、何十倍にもなって自己の存在理由を危ぶませて。
光り輝くツリーから思わず目を逸らし、インデックスは薄暗い路地裏に逃げ込んだ。






魔術師と対面する直前。
出入り口まで走りながら、上条当麻が話した言葉を御坂美琴は思い出す。


これから勝負してみようと思う。
だから、約束してくれ。
もし少しでもやばいって思ったら、俺はなんとかするから2人で逃げろ。


どのようになんとかするつもりなのか、を聞くことはできなかった。
そこに非常に強い意志を感じたから、疑問を挟むことが躊躇われた。

なんとか、なるのか。

今も続く上条当麻と神裂火織の精神戦に、御坂はそっと唾を飲み込んだ。






「では、お話しましょう」

神裂火織は語る。
彼女が知る、インデックスの真実を。


インデックスには、完全記憶能力がある。
彼女の脳の85%は魔道書の記憶のために使われている。
残りの15%は、日々積算されるゴミ記憶達によって、あっという間に埋め尽くされる。
脳が許容量を超えると、彼女は死んでしまう。
限界が近づくと、予兆となる強烈な頭痛が現れる。
症状が現れ記憶の消去が必要なのは、きっかり一年周期。
消去は我々が魔術によって行う。
そして彼女が今回の限界を迎えるまで、あと3日。


インデックスが握る力が強くなる。
だから御坂も、より強く握り返す。
なんだ、その話は。
この女、本気で言っているのか?


「何度だ。何度、記憶を消した?」


上条当麻の問いに、4度ですよ、と答える。


しかし、御坂美琴は知る。
目の前の魔術師の肩が震えている。
手が、きつく握り締められている。
口元だって、ゆがんでいる。

ああ、この女は本気なのだ。
本気でそう信じて、多分憎からず思っていたインデックスの記憶を消したんだ。


……なんて、哀れなのだろう。インデックスは。


こんな馬鹿野郎に、記憶を消されたのか。
つい、言葉が漏れてしまう。


「さっきからなに馬鹿な話をしてるのよ」
「馬鹿、とは。どういう意味ですか?」

魔術師の目が細くなるが、構わない。

「全部よ。全部。人間の脳のキャパを馬鹿にしてるの?そんなもんで溢れるわけないでしょうが。
そもそも、完全記憶能力者なんて、珍しいけどそれなりの人数いるし、ちゃんと元気に
生きてるんだけど」
「な……?」
「それに仮に溢れたとして、記憶や意識が混濁したりするならともかく、頭痛ってなによ。
記憶力と関係ないじゃない」
「そんな……」
「大体、脳の容量はシナプスネットワークの組み換えで常に変わってるのよ。85%なんて、
何で使用量が固定されるのよ」
「それは、知りませんが……でもそんな、そんなの嘘です!」


嘘です…、ともう一度呟く魔術師にさらに証拠を突きつけようとして、上条がすっと伸ばした
左手に制された。


「御坂、説明してくれてありがとう。だがな、神裂は脳科学には縁が薄いようだ。
お前の説明を聞いても多分理解は難しいだろう。それに」


すこし、間を置く。
御坂にはだんだん分かってきた。
この間によって相手の思考のベクトルを誘導する、そのやり口が。


「聞くところによると、魔道書はただの情報以上の力を持っているようだ。だから、
一概に脳の使用量の多さを量るのは難しいかもしれない」


はじかれるように魔術師の顔が上がる。

そうだ。
私達のやってきたことは正しかったはずだ。
彼女を救うために、あれだけ苦しんで行った行為が間違っているはずが無い。



だから目の前に垂らされた、細い蜘蛛の糸にしがみつく。



「なあ、神裂。完全記憶者というのは、人ごみを眺めていても、白い壁を見ていても、
脳の使用量は変わらない。これは納得できるか?」
「ええ。全てを絵として記憶する彼女にとっては、どちらも変わりません」
「他の5感についてもそうだ。入力がない状態も含めて、彼女はそのまま記憶する。
だから音が無くても、味が無くても変わらずに脳を使う。これもわかるな?」
「ええ」


語りかける言葉に応える声。
ゴミ記憶さえ、インデックスは忘れることができない。
先ほど彼女自身が言った言葉だ。
それに同調する言葉を放つ上条に、青ざめた顔が力を取り戻す。


「ところで、そんな忙しいインデックスの脳だが、一日である特定の時間は記憶を休める
時間があるんだ。それがいつかわかるか?」
「……寝ている間、ですか?」
「そうだ。寝ている間は、お前も体験しているように、5感からの入力はなくなる。だから、
脳もゴミ記憶を記録する必要はない」


御坂は、上条が何を言うのか、何をするつもりなのか正しく了解した。


「さっきお前は、4回インデックスの記憶を消した、といったな」
「……ええ」
「つまり4年前の段階で、インデックスは今と同様に魔道書を記憶していたってことだよな」
「その通りです」
「4年前って、インデックスは今みたいにお前らから逃げていたのか?」
「……まさか。彼女は教会の寮に住み、幼いながら立派にシスターをしていました」
「そうか。では聞くが」



糸を手繰り寄せ、自己の行為から逃れようとする罪人。



その糸に、鋏を入れる。



「逃亡生活で満足な睡眠を取れてない今年と、幼子が教会に保護されてすごした4年前。
……睡眠時間は同じだと、思うか?」


登った分の高さを加速度に変えて、より強く、底に叩きつける。


「今年のほうが明らかに少ないよな。じゃあなぜ、まだ症状が出ないんだ?」


理解可能、かつ決定的な矛盾を突きつけ、屈服させる。


「分かるよな、俺の言ってること。記憶量が飽和したから症状が出るわけじゃないってこと。
……つまりお前達の信じてきたことは、完全に出鱈目だったってことが」






どさっ、と音を立て、魔術師は顔を覆って跪いた。
その姿に一瞥を落とし、上条はプレーンに言葉を続ける。


「神裂。ありがとう。おかげで、お前らイギリス清教の上層部の意図も分かった。インデックスを
縛っているものも理解した。もう十分だから俺達はこれで帰るよ」
「帰るって…そんなこと、許しません」
「なぜ許されないんだ?お前達の役割は、インデックスの頭にある魔道書を守ることだろう?」
「そ、それは……」
「だからインデックス本人がどうなろうと、別に良いんだろう」


よくはありません。
私達は、親友だったのです。
だから。


小さく、呟く魔術師。


「なにが親友だ。記憶を消すってことは人生を消すことだ。お前は、4回インデックスを
殺したんだよ。……親友なんて、よく言える」
「……なにも。なにも、知らないくせにッ!」
「ああ、知らないよ。そしてこれからも知る必要は無い。なぜなら」


「なぜならお前は自分の記憶を消し、地獄の1年間を過ごさせた、憎い憎い敵として
インデックスに記憶されるからだ。永遠にな」


自己を糾弾する言葉の鋭さと、それが意味するところに、神裂の怒りが混乱に変換される。


「どういう、意味、です?」
「俺達は確信したんだ。お前ら魔術師の力なんて無くても、学園都市なら、インデックスを救えるってことに」
「救う?」
「記憶を消さなければ死んでしまう、そんなふざけた仕組みを壊せる、と言ったんだよ」
「な、何を、言ってるのですか?」
「まだわからないのか?……お前の上司の仕組んだこと、だよ」
「……!」


わざとらしくため息をつく上条をみて、御坂美琴は考える。
既に勝敗は決している。
上条は、何をしようとしているのか。


「インデックスの記憶を消さなければいけないのは、イギリス清教の上層部が、そのような
魔術をかけたからだ。なぜそのような魔術をかけたのか。理由は言うまでもないよな?」
「……なぜ、ですか?」


対する魔術師は思考停止状態に陥っているらしい。
いや、彼に停止するよう追い込まれたのか。
……ここから、どうするつもりだ?


「簡単だろ。1年分しか記憶が無ければ、余計な知恵はつかない。反抗も難しい。
それは、巨大な力を持つインデックスにつけた首輪に決まってるだろうが」
「う……」
「だが俺達はインデックスを救うと約束した。リスクがあっても救おう、っていう意思だってある。」


言外に、お前にはそれがないと棘を刺す。


「そして多少難しいが、救える見込みだってある。もう自称親友の裏切り者には用は無い」
「うぅ……」
「時間が無いんだ、もう良いからどいてくれ。そしてもうインデックスの前に姿を現さないでくれ」
「……」
「お前の姿は、もう二度と見たくないものとして記憶され続けるのだから」






さあ行こう、と上条は私達に声をかける。
一歩、一歩、跪き、俯く魔術師に近づいていく。
インデックスは、御坂と手をつなぎながら、警戒しつつそろりと歩き出す。
ついにその脇を通り過ぎ、少しずつ遠ざかる。
そして。


「待ってくださいッ!」


後ろから、叫ぶような声。
振り返れば、魔術師が立ち上がりこちらを見ている。
流れる涙を隠さずに、真っ直ぐ射抜くような視線を向けている。
視線の力に、私は思わず身がすくむのを感じる。
御坂がぎゅっと手を握り締める。

「まだ、何か用か?」


上条が、再び私達の前に出る。
魔術師の視線が、遮られる。


「私も、私にも、手伝わせてください!」
「必要ない」


魔術師が、一歩こちらに進む。
体に緊張が走る。


「お願いです、手伝わせてください」
「やめておけよ。怖い上司に叱られるぞ?」


もう一歩、こちらに進む。
おもわず、一歩退く。


「私だって、救いたいのですッ!できるなら、私だって、その子の役に立ちたいのです…!」
「何をいまさら」






やれやれ、と上条が両手を挙げる。
そして、魔術師に背を向けて歩き出す。
その表情が、見える。
口角を上げ、私達に笑いかける。
隣で御坂が、あっ、と息を呑む。


「お願いです……、お願い、です……ッ」
「くどいぞ」


言葉とは裏腹の、会心の笑み。
口笛でも聞こえてきそうだ。
なんてことをするのだ、この男は。


「待って……お願い……」


上条の歩みが止まる。
さあフィナーレですよ、とでも言わん限りの
綺麗なウインクを私達に見せる。
そして。


「聞く相手は、俺じゃないだろ」


魔術師に振り向きながら、答える。


「お前が許しを求めるのは、俺じゃなくて他にいるだろ?」


きっと瞬時に表情は無表情に変わったに違いない。
平たいトーンの声で、魔術師の背中をぽんと押す。

目も見えず、思索も乱され、おろおろと崖に立たされている魔術師が
抵抗できる道理など、どこにもない。
聡い詐欺師が望むままに、転がり落ちていく様が見えるようだった。






「お願いです、インデックス!私にも、私にも、助けさせてください!」



こうして心を絡め取られた魔術師の力を借りて、私達は私にかけられた呪いを
解く運びとなったのである。












《禁書目録9》

5月3日。
ゴールデンウイークと呼ばれる長期休暇の1日をインデックスは記憶する。
あの日は、それまでで一番ついていない日だった。
魔術師はいつまでも振り切れず、2日程食事も睡眠も取れていなかった。
疲れはピークになり、注意力が散漫に成っていたのだろう。
走りながら後ろを振り返り、前を見たときには間に合わなかった。
看板作製に使っていた塗料を突っかけて、盛大に転んだ。
気が利かない歩く教会は、塗料を有害と判断しなかった。
結果、私の顔や手は、私の目よりも濃いグリーンで染められることになった。


湧き上がる嘲笑。


見れば、学園都市の学生だった。
大きな荷物を持ち、これから旅行に行くのだろうか。
いかにも人生を謳歌しています、という顔をした女生徒の集団が、指を指して笑っていた。


不思議と、殺意は湧かなかった。
ただただ、自分が哀れで涙が出た。
自分が渇望し、ついに手に入らないものを持つ彼らの笑い声を背中に受けながら、
私は再び逃げ出した。
遠くへ。
少しでも、遠くへ。






教会の一室を借りて、インデックスは椅子に座る。
私にかけられた呪いを探す儀式が行われる。



「お前ができることが1つある」


協力してもらっている立場のはずなのに、お情けで協力させてやっているかのような
口調で上条当麻は語る。
それが第三者から見て明白であっても、気付いていない者にとっては真実となる。
精神的に全面降伏し贖罪の徒となった神裂火織にとって、上条当麻は場を支配する
超越者に見えるに違いなかった。


「……なにをすればよいのでしょう?」
「インデックスにかけられた呪いは2種類ある」
「2種類?」
「1つは、記憶を1年周期で消さなければ死に至る呪いだ」
「……もう一つは?」
「考えてみろ」
「……魔術のプロである禁書目録に、自身にかけた呪いを察知できなくなる呪いですね」
「そうだ。だから、お前に少なくとも後者の呪いを探してほしい」
「探してどうするのです?解ける方法が見つからないかも知れませんよ?」
「見つかれば、解ける。俺の能力で」
「貴方の能力。幻想殺し、ですか」
「そうだ。だから探してくれ」


上条の言葉に首肯すると、神裂は私の体の表面に手を這わせた。
2分くらい探るような手をしたが、結局分からなかったらしい。
困った顔をする神裂に、私は助言をすることにする。


「探索術式を魔方陣で強化して、精度を上げれば見つかるかも」
「使用する魔方陣は?」
「東洋占術の亜系統を応用した魔方陣なら、ここの地脈を利用できる。私が書くよ」


魔力を持たない私が魔方陣を形成するためには、何らかの方法で床などに記す必要がある。
それを察して、神裂がこの部屋を借りたのだ。
古いがよく磨かれた木製の床に、マジックで魔方陣を書き始める。
流れるように手が動き、20分ほどで魔方陣が完成する。


「こういうのを見ると、いかにも魔術っぽいわね」


魔術など初めてみるはずの御坂の言葉に、少しだけ微笑む。
私が抱えている緊張や不安を、慰めようとしてくれる気遣いに感謝する。


「そうだな。デザインも良いな。これが終わったらこの柄のTシャツでも作ろうか」


合いの手を上条が入れる。
この二人は1週間程度の付き合いなのに、妙にシンクロしている気がする。
2ヶ月前に流し見た新聞の広告欄を再生する。
若い女性向けの雑誌の見出しに乗っていた、フィーリング、という言葉。
この2人の間に流れているものを指すのだろうか。
私と誰かの間にも、いつか何かが交流されるのだろうか。






「では、はじめます」


魔方陣の中心に、神裂と並び立つ。
書かれた神秘文字が光り、地脈から力を吸い上げる。
ぼんやりと青白い光が場を満たす。
初めて見るはずなのに、通いなれた道のように感じる、この既視感。
10万3000冊の示すところに従い、起こるべくして、起こった現象。
自分が、魔道書図書館であることを改めて知る。


「目を閉じて、魔力を受け入れてください」


体の中を通り抜ける術式。
大きく掴み取られるような、小さく抉られるような奇妙な圧覚。
道行く人々に、一斉に見つめられるような、居心地の悪い触角。
平衡感覚が麻痺するような、波間に揺蕩い、ゆれる視覚。
それらを受け入れ、動きに合わせるようなイメージを作る。
体の中を流れる血が、空気になったようだ。
周りと混じりあい、溶け合い、私の境界が揺らぎだす。
私は、私を見る。


「もう少しです。がんばってください」


Index-Librorum-Prohibitorum。
あるいは、dedicatus545。
そう、呼称される人格を編む毛糸が、少しずつ、解けていく。
アルファから、オメガへ。
再び、オメガから、アルファへ。
自ら喰らいて永遠に成ったウロボロスのように、
気付けば私は円になる。






「大丈夫ですか?インデックス?」


はっと意識を取り戻した。
魔術を過剰に受け入れすぎたようだ。
危うく、自我が分解されるところだった。


「大丈夫」


私の様子に、神裂の顔に罪悪感がにじむ。
自我を手放して、魔術に流されるほどに、私の生きる意欲が弱まっていることに気付いたのだ。


「みつかりました」


私の後ろに立つ上条に、視線を逃がしながら、彼女はそう呟いた。



1つの呪いは喉の奥に、もう1つは後頭部の地肌に、それぞれ刻まれているようだった。
自分にかけられた呪いのために、呪いの相互作用を認識することができない。
片方を解くことで、もう片方に影響する可能性があることを告げると、上条当麻は、


「なら、頭からいこう」


と即断した。理由を聞けば、


「俺が触れていれば、魔術は多分発動しない。頭を触りながらそのまま手をずらして口の中の呪いを
解けばよい。逆だと、口の中に手を突っ込まれている時間が長くて苦しいだろ?」


とのことだった。






そして私は上条の前に立つ。
呪いなんてものに縛られていると知ってから1時間もたっていないのに
これからそれを破れるかもしれないのだ。
記憶が奪われ続けると宣告されたのに、それが取りやめになるかもしれないのだ。
あまりの急展開に精神が着いて行けず、体がふらついているような気がする。

一方、上条は特に躊躇う様子も勿体つける素振りも無く。
彼は私の頭の後ろに手を回した。探るように動かすと。


パキン。
と軽い音を立てて、術式が壊れるのが認識できた。






壊れた。


私の檻が、一つ。






歯が、カチカチと音を立てる。
瘧が起こったように、体が震えて、ひざが笑う。
何かを急に実感して、それが何かも分からずに、
感情の激流に流されそうになる。


ぶるぶると震える私の頭を、上条は頬までなぞるように右手を動かし、
今度は左手を後頭部に添える。
私の記憶を永遠にできる手が、すぐそこにある。
私を救ってくれる人の顔が、見上げれば、すぐそこにある。
私の地獄を一緒に逃げてくれる人の目が、私を真っ直ぐ見ている。
歯の根は相変わらず合わない。
体はガクガクとわななく。
いつの間にか、頬を滴が伝っている。


あまりの、身に余る、この幸せに。


「そんなに俺の顔が怖いか?」


上条当麻は私のために微笑む。
僅かだが、確かな微笑。
手のひらから伝わる、温かさ。
彼の命。


「怖く、な、いよ」


ガチガチといいながら、舌をかみながらちゃんと返す。
自分の声が、嗚咽のように聞こえる。
これだけ涙が零れるのだ。
これだけ唇から声が漏れるのだ。
ような、なんてつける必要なんてどこにもない。


「大丈夫だ、インデックス」


Index。
私にとって、忌むべき名前。
私は、私としてではなく、私の記憶としてのみ意味を持つのだ。
そう、宣告するがごとき、私を意味する商品コード。


それなのに。
なぜ彼に呼ばれると、こんなにも優しく響くのだろう。


「あり、がとう」


ありがとう。
その言葉を作り出した、その心を。
そして、その言葉では伝えきれない、その心を。
教えてくれた、深く、優しい、大切な詐欺師へ。


「気が早い奴だな。まだ終わってねえよ」


あーん、と彼が口をあける。
無理やり笑顔を作ろうとして、失敗しながら、私も口をあける。
さて、虫歯はあるかな。
そんな冗談にすら、心の波紋が幾重にも広がる。
そして、すぅと右手が差し込まれて。






衝撃とともに、私の意識を吹き飛ばされた。












《禁書目録10》

6月19日、子供から逃げられた日をインデックスは記憶する。
梅雨の雨の日。天候不順で魔術師が追跡しないということも無く、
傘も差さずに、泥を跳ね上げながら、ひたすらに走った。
歩く教会は雨をはじいてくれるものの、顔を伝う雨が胸元に流れて酷く気持ち悪かった。

そしてたどり着いた公園。
雨の中、小さな男の子がぽつんとたたずんでいた。
遠目からでも泣いていることが分かった。
つい、自分の姿を重ねて、話しかけたのが失敗だった。
声をかけて振り向いた瞬間、体がすくむのが目に焼きついた。
なんと言えばよいのか、迷っているうちに子供は走り去った。


……当たり前か。


雨のなか、傘も差さずに立つ私は、幽鬼のように映っただろう。
いっそ、幽鬼の如く煙る雨の中に溶けられれば、この泣き顔も少しは格好がついたかもしれない。





バキン、という音とともに、上条当麻が3 mほど後ろに飛ばされるのを御坂美琴は見た。
インデックスの体は、傀儡のようにゆっくりと不自然に空中に浮かぶ。
その両目が赤く光りだす。
電磁の海に、原因不明の波が生まれる。


やばい、と思ったときには既に吹き飛ばされていた。
磁力でブレーキをかけつつ、体勢を立て直す。
上条はそのままの位置にいる。右手が異能を打ち消したのだろう。


「警告、第三章第二節。禁書目録の首輪、第一から第三まで全結界の貫通を確認。再生準備……失敗」


抑揚の無い声が反響する。


「首輪の自己再生は不可能、現状、10万3000冊の書庫の保護のため、侵入者の迎撃を優先します」


「神裂、なにがおこった?」
「こんな!魔力が、あの子に魔力があるなんて」


「防壁に傷をつけた魔術の術式を逆算……失敗。該当する魔術は発見できず。術式の構成を暴き、対侵入考用の特定魔術を組み上げます」


上条に対する回答を聞く限り、あの魔術師も想定していない現象が起こったらしい。
しかし、朗々と語る内容から、意図するところは明白だ。
だから。


「ごめん」


心で謝り、電撃を飛ばす。
気絶するだけですむようにアンペアを調整した電撃は


彼女の1 m程手前で、突然はじき返される。
非連続な波の変化に、御坂は驚愕する。


「警告、第六章第十三節。新たな敵兵を確認。戦闘思考を変更、戦場の検索を開始……完了。
現状、最も難度の高い敵兵、上条当麻の破壊を最優先します」


まずい、まずい、まずいッ。
インデックスの周りの電磁場が出鱈目な歪みを示す。

上条はこんなときなのに、何故か惚けた表情で、インデックスをじっと見ている。


「アンタ!まずいよッ、何か来る!」


「侵入者個人に対して最も有効な魔術の組み込みに成功しました。」


電磁波が収束していく。
マクスウェル方程式を完全に無視した正体不明の定数群が、
いくつも現出しているのが見える。


ああ、これが、魔術。


超電磁砲なら止められるのか?


「アンタ!しっかりしなさいッ!」


「これより特定魔術、聖ジョージの聖域を」


すると、出し抜けに上条当麻は動いた。

右手を突き出し滑るように動く。
彼に伴い、正体不明の定数群も消えていく。
そして、あっという間にインデックスに肉薄し、その額に右手が触れる。
何かが割れる音とともに、インデックスの体から力が抜ける。

そのまま彼は左手で彼女を抱きかかえる。
そして彼女の口をあけると、再び右手を差し入れて。

今度こそ、インデックスを縛る呪いから彼女を解放した。






「なに余裕ぶっこいてるのよ!」

一発、頬を張ってやった。
いつも抜け目なく、おかしいくらいに頭が回るのに。
よりにもよって、なぜこのタイミングで抜けるのか、と御坂は思う。
本当に危なかったのだ。
なにが起こるかはわからなかったが、起こってしまったら洒落にならなかったと
確信できた。

「アンタ、わかってるの?死んだかもしれないのよ?」
「……ごめん」

答える声が、なんだか弱弱しい。
視線が、落ち着かなく、揺れている気がする。

「なんか、あったの?」
「いや、そういうわけじゃないんだ」

まさかインデックスのことで、何かとんでもないことを見つけたのか。
私の表情がさっと変わることに気付いたらしい。

「そういうことじゃ、ない。インデックスも、魔術も、関係ない。ごめん、本当にボケて
た。言い訳はまったくできない」

目を伏せて、腕の中で眠るインデックスにも、ごめん、と呟く。

「……なんでよ?」
「理由は、ない」


嘘だ。と直観的に判断する。


「ごめん、本当に」


……つくなら、もっと旨くつけ。


「ごめん、心配かけた」


……当たり前だ。死ぬかと思った。


「怖かったよな。ごめん」


……アンタのことよ。馬鹿。






追加で御坂に胸をたたかれた後、上条当麻は神裂火織に尋ねる。
今後のインデックスの処遇について。
神裂は突然始まり、突然終わったインデックスの暴走に呆気に取られていたようだが、
質問の内容を正しく理解し、しばらく考えた後、上層部と掛け合うと回答した。
さらに、決して、その子が不幸になるような結果にはしません、とも明言した。
それに対して上条は、呪いは自分が偶然解いたということにしておくよう、神裂に依頼した。
彼女は意図を量りかねているようだったが、そのことも約束し、去っていった。


そして、姫君は相変わらず眠り続けたままだ。
先ほどから無言が続き、ちょっと重苦しくなった空気を払おうと、
御坂美琴は聞いてみる。


「これからさ、この子、どうなるかな?」
「きっと、学園都市に居続けると思うよ」
「なぜ?」
「こいつは、人質だから」

イギリス清教が学園都市と密通するために、担保として差し出した虎の子。
それがインデックスだと推察されるから、上条当麻は答える。

「どうして、そう思う?」
「神裂との会話で、イギリス清教が学園都市とつながる唯一の魔術集団だと、わかった。
そして、インデックスは、イギリス清教以外の魔術集団にも認識されている貴重な人材だ。
そんなこいつは、1年間、学園都市に居た。それが意味する可能性のなかで、人質が一番
自然だからな」
「……言いたくないけど、破壊神の路線は?」
「まだ消しきれないけど。でも、インデックスが目を覚ませば、はっきりするよ」
「どうして?」
「……そのために、神裂に協力させたんだからな」
「……?」
「俺は、インデックスには何かの枷、つまり呪いがかけられているだろう、と実は思っていた」

さらっと、とんでもないことを言い出す。

「でも、こいつは魔道書図書館と呼ばれる存在だ。にもかかわらず、気付かないって事は、
呪いの中には、自分がかけられた呪いに気付けない呪いが必ず入っていると思った」
「なるほどね」
「でも、俺達には呪いはわからない。インデックスは知ることができない。だったら、誰かに
聞くしかないだろ?」
「……じゃあ、あんたが言っていた勝負っていうのは」
「そうだ。あいつに呪いを見つけさせることができるかどうか、ってことだ。あいつと
話してみて、心理的にあいつにインデックスに対する負い目を負わせ、恩を売ることが
できるかどうかも加わったけど。」


どうやら、いつもの調子を取り戻したらしい。

少し安心して、問い返す。
どういうこと?


「あいつは強力な魔術師だ。真面目に戦ったら、勝てなかったと思う。でも、あいつは隙だらけ
だった。私は、インデックスと戦いたくありません、ってそんな雰囲気を振りまいてた。
だからその心理に付け込んでここで楔を打っておけば、後で役立つだろうと思ったんだ」
「役立つって……」
「役立つ、だよ。俺はあいつ等を許したわけじゃない。許せるわけ無いじゃないか」

だって、こいつをあそこまで追い詰めたんだぞ。
そう言う上条の目が、少し険しくなるのを見つける。
なんだか表情が豊かになってきてないか。
それとも、私が気付くようになったのか。

「……そうね。あんな奴ら、せいぜい利用し尽くして、使えなくなったら蒸発させればいいのよ」
「……俺は、そこまでは言ってないぞ」
「アンタ、いきなりいい子にならないでよ。ずるい」
「そうだな。悪い」
「全く。で、盲目になる呪いが解けると、どうなるわけ?」

彼は、少しだけ迷うようなそぶりを見せる。

「きっと神裂は、あの探索術式で見つけることができなかったんだと思う」
「何を?」
「コイツにかけられた、他の呪い」

他の呪い?
なんだ、それは。

「俺がもしイギリス清教の上層部なら。そしてこいつに呪いをかけて、死ぬか記憶を消すかを
選ぶことを強制できる人間なら。きっと、こう思うだろう」



ひょっとしたら、何かの弾みで逆らうかもしれない。
――だったら、命令どおりにいつでも動かせる呪いをかけよう。


ひょっとしたら、誰かにさらわれるかもしれない。
――だったら、自分の身を守り、敵を焼き払える呪いをかけよう。


ひょっとしたら、それでも取り押さえられ、敵の手に堕ちるかもしれない。
――だったら、いつでも殺せるような呪いをかけよう。



やめてよ。
そんなこと、言うのやめてよ。
そんな恐ろしいこと、考えないでよ


耳をふさぎ、目を閉じて、全てを拒否したくなる。
ここまで追い込んだこの子から、まだ奪おうとするのか。


「嫌だよな。俺だっていやだ。でも絶対にあると思う。……だけど」
「だけど?」
「だけど、今のインデックスならきっとそれを見つけられる。そして俺ならそれを解ける」


そっか。
だからか。
だから、


「アンタは、神裂に、自分が偶然呪いを解いたことにするように言ったのね」


インデックスの、呪いを解く。
でもそれをイギリス清教に悟らせるわけには行かない。
解けた事が分かったら、イギリス清教がどのような行動に出るのか想像に難くない。


今日でインデックスの苦悩が終わったわけではない。
今日、彼女はようやくスタートラインを見つけただけだ。






沈鬱な表情を見せる御坂の頭を左手が撫でる。
なんとかするから心配するな、と。
そして、


「まあ、なんにせよ、だ。今日は運と皆の力で、なんとかベストな結果を迎えることができた。
それを素直に喜ぼうじゃないか」


上条当麻はそう区切ると、御坂美琴と腕の中の眠り姫にほんの少し笑いかけた。












《禁書目録11》

7月20日、上条当麻のベランダに落下した日をインデックスは記憶する。
誰とも交じらず、逃げ続けた1年足らずの人生。
いずれ人知れずどこか片隅に転がり落ちて、消え去るはずだった自分。

そんな私の人生をひっくり返した、彼との出会いとその後の顛末を
私は決して忘れるわけにはいかない。


そして、この幸せも。

決して。






夢だと思っていた。

御伽噺の主人公に匹敵する呪いを受ける私が

せめて、自分のために紡いだ、儚い幻。

そうであったとしても、きっと驚かなかった。



でも、目を覚ましても、夢は覚めなかった。

現実は、やはり現実で。

私の思惑とは独立して、淡々とその時を刻んでいく。






私を抱き上げる、その腕も、体も、顔も。

全てが、現実として。

今、ここにある。






学園都市に帰るタクシーの運転手は、私をみて驚いた顔をしていた。
それもそのはず。
泣いて、泣いて、目も腫れて、ぐしゃぐしゃの顔をした私。
油断すると、また涙が溢れている私。

上条当麻には申し訳ないが、運転手が彼を不信そうに見るのも仕方がない状況だった。






目が覚めて、夢が夢じゃなかったことを確かめて、まず泣いた。
大泣きした。二人があわてるくらい、子供のように盛大に泣いた。
二人への感謝の言葉すら、旨く紡げないまま、ひたすら泣き続けた。

それから、気を失っている間の話を聞いたときは、頭が真っ白になった。
私は自分が知らない間に、この2人を攻撃するところだったのだ。
蒼白になった私を美琴が救ってくれた。
どうやら当麻が相当なミスをしたらしく、それがなければもっと簡単に済んだらしい。
だから気にすることは無い、と。
結果として何事も無かったのもあり、私はようやく落ち着きを取り戻した。

それにしても、そんな呪いが私にかかっていたなんて。
完全に消失した今となっては解析することも適わないが、相当に高レベルの魔術師によるものであるのは
明白だった。
私を縛った魔術師。
いつか、出会うことはあるのだろうか。


そんなわけで、イギリス清教からの沙汰を待つ間私は上条家の居候になった。
魔術では説明不可能な電化製品達を使いこなせないと、家事すらできないのが学園都市と
程なく知った。
手際よく片付ける主と、毎日遊びに来る発電能力者に助けられて、未だに私はゲスト扱いだ。
それに対する申し訳なさと一分の不満をあわせて提出してみたものの、

「とりあえずお前は何もしなくていい。のんびりしてろ」
「まあ、1週間ね。それくらいはごろごろしてても太らないわよ」

と却下されてしまう。
では、私が暇をもてあましているかというと、そう言うわけでもない。

テレビ、というものは多種多様な情報に溢れていて強く私の興味を引いたし、
漫画、というものはその表現方法が斬新で読み出すと止まらないものであるし
パソコン、というものはちょくちょく変な具合で止まるけれども、知りたいことを教えてくれる図書館みたいだ。


なにより、だれにも追われることのない時間。

そして、誰かがそばにいてくれる、誰かが自分を見ていてくれる、そんな時間。

声を出せば、答えが返ってくる、穏やかな時間。


日常という名の最高の贅沢に肩までつかって、とても暇を感じる時間などない。



3人で買い物に行く。

メニューを何にするかで3人3様の意見がぶつかる。

大抵、当麻が折れて、私と美琴の折衷案になる。

スーパーで材料を買うついでに、お菓子をこっそりかごに入れる。

気付いていたのに、買った後に気付いた振りをしてくれる優しさに感謝する。

夕焼けが夜に変わる刹那に、美琴が見るもう一つの空の美しさを教えてもらう。

お返しに、私も魔術の線が織り成す世界の魅力を語る。

それを綺麗な姿勢で歩きながら、当麻が頷く。

家に帰って、作りかけのおかずをつまみ食いする美琴をたしなめる声がする。

じゃあ、私に作らせなさい、とフライパンを横取りされた当麻が私の隣に座る。

テレビの内容について、私がかなり外れた問いをする。

それに対して、淡々と返す言葉に、笑みがこぼれる。

3人で食べる食事はいつも美味しく、そして楽しい。

夜、美琴を送ってから家に帰る道。

空の星は、街の明るさに押され気味だけど、それでも十分に光っている。

夜、寝る前に神に祈る。

どうか、この幸せを、永遠に、と。






そして、ついに魔術師が、通達を持って現れる。
お久しぶりです、と簡単な挨拶をしたあと、彼女は当麻に言う。



「結論から言えば、1点を除いて貴方の要望どおりになりました」


要望とは。
いつの間に、そのような話ができていたのだ。
ひょっとして、携帯電話、を使ってこっそり話したのだろうか。


「貴方の要望どおり、イギリス清教はインデックスの学園都市での生活を保障します。
生活費なども指定口座に振り込みます。IDについては既に登録済みだったので、そちら
を今後も使ってもらうよう本日持ってきました。パスポートは、後日発行します」


聞いて胸に喜びがあふれる。
学園都市を去らなくてもよいのだ。
私は、この2人とこれからも会えるのだ。


思わず隣の美琴をみる。
美琴も、よかったね、と笑ってくれる。


「それからインデックスが通う学校ですが、適切なところを手配しました。新学期から
留学生という形で籍を置くことになります。もちろん、能力開発のカリキュラムは受けさせる
わけには行きませんが、通常授業が多い学校なので大きな問題にならないでしょう」






耳を疑った。


まさか。
まさか。


記憶が再生される。
あのときの、そのままに。






   「学校はどうするの?」

   「お前も通えばいい。守ってやる」
   
   「そんなの、無理だよ」

   「無理じゃねえ」






まさか。
まさか。


手持ちのIDを確認する。
そこには。






   「IDが無いよ」

   「作ればいい」

   「自分の年も、分からないよ」

   「じゃあ、14歳だ。それでいいだろ」

   「誕生日も、分からないよ」

   「じゃあ、今日が、お前の誕生日だ」






私の名前。
14歳。
7月20日生まれ。


美琴が、目配せをする。
当麻が、僅かに微笑む。


涙で、顔がにじむ。






   「私の言うこと、信じてくれる?」

   「ああ」

   「怖く、ない?」

   「怖くねえよ」

   「助けてっていったら、助けてくれるの?」

   「助けてやるよ」
   
   「嘘ばっかり」

   「嘘じゃねえよ」






なんて人だ。
信じられないお人好しだ。
詐欺師のくせに、すべて正直にしてしまうなんて。
反則も、いいところだ。


だめだ、もう、止まらない。

笑いたいのに、幸せなのに。

目から零れるのを止めることができない。






「確認するまでもないが、通らなかった要望とは?」



当麻が問う。
これだけのことが叶ったのだ。
他に望めることなんて、思いつかない。
想像もできない。
今だって嬉しすぎて、幸せすぎて爆発しそうなのだ。
これに何か上乗せされたら、きっと死んでしまう。

神裂は、少し困ったように答える。






「ええ。インデックスの一人暮らしについては、残念ながら却下されました。管理人として、
貴方が生活をサポートするのが、こちらの条件です」

「そうか……。じゃあ、仕方ないな」






結論。

人は、幸せや嬉しさでは死ぬことができない。

その事実は、魔道書図書館の横にある、とある図書館に永遠に記録されることになったのだ。



[27370] とある・もしもの世界 《幻想御手》
Name: verdadelo◆5ddb6f89 ID:aabc9d6f
Date: 2011/05/10 23:04
《幻想御手1》

開始から1時間しか経っていないのに、すでに集中力が尽きてきたらしい。
夏季休暇を束縛する課題に、佐天涙子は早くも逃げ出したくなってきた。
ぺらり、と捲ると、能力開発概論、と書かれたテキスト。
こんな課題で能力が身につくなら、今頃世界は能力者だらけだ。
やらせるんだったら、もっとためになるものを出せっての。
あーあ、と背もたれにのしかかるように仰け反ると、目の端に映る家族写真。
平均的な家庭に生まれ、平均的に超能力に憧れを持っていた自分。
そんな自分を見つめる私は、この街の平均になることすら挫折しつつあった。



最近、男遊びが酷すぎる。
そんな言葉から今晩も始まったお説教を、御坂美琴はへいへいと聞き流していた。
まあ、急に情緒不安定になったり、朝帰りしたと思えば倒れたり、無断外泊したり。
今まで積み上げてきた優等生を怒涛の勢いで粉砕する私のことを、寮監への説得も含めて
フォローしてくれたのだ。
説教してくれるだけ、ありがたいと思って最初は聞いてきたが、連日となればありがたみも薄れてくる。

「べつに、アイツはそんなんじゃないわよ。二人っきりってわけじゃないし」
「またそんなことを。いいですか、お姉様。男は一皮剥けば薄汚い畜生なのですわよ?」
「わかった、わかった」
「またそうやって。ちゃんと考えないと、いずれ黒子の申したことを聞いておけば、と泣く
ことになりますわよ?」
「大丈夫だって。泣かない、泣かない」
「泣、き、ま、す、の!若い男など、みな飢えた獣だというのに」

飢えた獣ね。
アイツも飢えることがあるのだろうか。
……ちょっと待て、何を考えている、私。

「……ハッ!まさか、お姉様、お心当たりがおありなのですか?」
「え?あ、ない、ない。全然ない」


そういえば、今アイツはインデックスと二人きりなんだよね。
あの子、可愛いし。
アイツも高貴な修行僧みたいな感じだが、そこは生身の男なのだ。
いずれ、飢えた狼がその隠していた牙をにやりと見せて、インデックスに迫る。


「お姉様……?」


追い詰められたインデックスが足を取られて転べば、そこには何故か天蓋つきのベッドが。


「お姉様?」


インデックスの服は、何故かフリフリのネグリジェになっていて。
見つめあう二人の影は、静かに重なっていき。

……あれ?ハッピーエンドになったぞ。


「お姉様!しっかりしてくださいまし!」
「ああ、ごめん。ちょっと、錯乱してたみたい」


まったく、と肩を落とす黒子と自分の妄想に、少し苦笑が漏れる。



「ところで、お姉様。明日、黒子に少しお時間をいただけませんか?」
「ん?買い物?」
「いえ、実はお姉さまに会って頂きたい方がいまして……」
「だれ?」
「ジャッジメントの同僚で、お姉さまに一度で良いから会わせてほしいと、事あるごとに……」
「へぇ……、まあ、いいわよ」
「やけに、あっさりですわね?」
「まあ、いいじゃない。あんたの同僚なんでしょ?断るのも悪いじゃない」
「ありがとうございます。ところで提案なのですが、せっかくの機会ですしお姉さまの
新しいご友人もご一緒されてはいかがでしょう?」


なるほどね。
それがあんたの狙いか。


「いいんじゃない?じゃあ、聞いてみるわ」


アイツも新しい出会いを求めていたのだから、断る理由はないだろう。

新しい出会いといっても、インデックスが新しい友人を見つけるチャンス、という意味だが。






そんなわけで午前10時のファミレスに総勢6人が集うこととなった。
自己紹介では、少し緊張気味なのか流暢な発音で自分の名前を述べてネイティブらしさを
インデックスが見せ付ければ、上条は相変わらず、淡々かつ簡潔に述べるにとどめていた。

黒子の友達は、佐天さんと初春さんというらしい。

どうやらレベル5に会うのは初めてらしく、興味津々でいろいろなことを聞かれる。

趣味は?
食べ物の好みは?
好きな音楽は?
好みのタイプは?

一通りの質疑応答が終わったあたりで、黒子がアイツに話しかけた。


「貴方がお姉様のお相手とは、想像しませんでしたわ?」
「どういう意味だ?」
「貴方、結構有名ですわよ。ジャッジメントの間では」
「ああ、そういう意味か。いつも迷惑かけてすまないな」
「正直に申せば、もっと穏やかに解決してほしいところなのですが」
「俺もそう願っているんだけどな。そう思わない相手が多くて」


どういうことですか?と佐天さんが聞く。


「この殿方はしょっちゅう揉め事に巻き込まれますの。それも自分から」
「自分から?」
「恐喝や暴行など、間に入っては加害者を制圧することで、ちょっとした有名人なのですの」


へえ、と佐天さんがアイツをみる。


「すごいなあ、上条さん。レベル0なのにどうしてそんなに強いんですか?」
「まあそれなりに鍛えているから」
「そっか……でも、上条さん、御坂さんみたいなすっごい能力って憧れません?」
「そうだな。まあ、あればあったで苦労もあると思うけど」
「またまた……あったほうが良いに決まっているじゃないですか」
「まあ、そうかな」


あーあ。レベルアッパーがあればなあ。


「レベルアッパー?」
「あくまで噂なんですけど、私達の能力のレベルを簡単に引き上げる道具があるみたいなんですよ。
……本当にあるなら、欲しくないですか」
「……安全だって保障されてるなら」
「そっか。……私は多少なら危険でもいいか、って思うけどな」


あはは、と笑う。
その言葉がすこし気になったから、つい口を挟む。


「そんな怪しげなもの使ってまでレベルを上げる必要ないじゃない」
「そうですわ。何事も地道が一番ですわよ」


黒子も同調する。
佐天さんはそうですね、とまた笑った。






そのまま6人で昼食を食べた後、佐天と初春は帰っていった。
最初は少し緊張したが、話してみるととても良い人たちのようだった、とインデックスは記憶する。
趣味も、好きな音楽も、好みのタイプも質問の意味が分からなかった私に、意図するところを
親切に教えてくれたし、好きな食べ物の話では、未知の食べ物をたくさん教えてくれた。
学校帰り、偶に食べるんだよ、と教えてくれたクレープやアイスクリーム。

当麻は帰りに食べるか?と聞いたが、せっかくなのだ。
学校帰りに食べてみたいと断った。

あと1ヶ月で始まる、初めての学校生活。
そこで新しく出会う人たちも、彼女達のようによく笑うのだろうか。


「白井。この前は心配かけたな」
「本当ですわ。私、1週間心配しすぎて倒れるかと思いましたわ」
「悪い。本当に、反省している」
「しっかり反省して、二度と同じ過ちを繰り返さないようにしてくださいな」
「ああ」


白井が言っているのは、このまえ美琴がこっそり教えてくれた当麻との出会いのことだろう。
面白おかしく話してくれたが、その時はきっと混乱の極みで右往左往したに違いない。
そして私のときと同じように、きっと当麻は淡々と罠をつくり、飄々と穴を掘って易々と
絡め取ったのだろう。
その姿があまりに鮮明に想像できて、思わず吹き出したのを記憶している。


「泡浮には言ってあるけど、内密にな」
「わかっておりますわ。お姉様の名を落とすようなことは決していたしません」
「お願いね、黒子。……でもまあ、ばれたらしょうがないけどね」
「いいのか?」
「まあ、やっちゃったのは、事実だから」


美琴はそう言いながら、軽く微笑む。
こんな風に肩の力を抜いて生きられるのって、きっとアイツのおかげなんだよ。
そう教えてくれたときの顔が、そこに重なる。






「ところで、先ほどレベルアッパーという話が出てきたのを覚えていらっしゃいますか?」
「うん」
「実は最近、妙に学生が起こす事件が増えておりまして。しかも、バンクのデータと
容疑者のレベルが合わない例が結構多いみたいですの」
「前回のシステムスキャン後に急速に力をつけたんじゃないの?」
「その可能性ももちろんあります。ですが、例の事件のこともありますし、何か関連があるのかも、と思いまして」


例の事件とは虚空爆破事件のことだ、と御坂は思い出す。
量子変速を使って、その基点に重力子の数および速度の加速を行うことでアルミニウムを
爆弾に変える。
そんな物騒な能力を使用した、連続爆破事件である。
犯人はまだ捕まっていないが、問題はそれだけの規模の爆発を起こせる能力者がバンクには
1人しか登録されておらず、しかもその該当者は入院中ということである。
まあ、バンクの情報が必ずしも当てにならないのは、身をもって体験済みではあるが、
それでも確かに妙な話だ。


「確かにね。レベルアッパーについては情報があるの?」
「いえ、なにぶん今日初めて聞いたものですので。これから支部に帰って調べてみるつもりですわ」
「そっか。手伝おうか?」
「とりあえずはお気持ちだけ、いただいておきますわ」
「何かあったら、無理しないで頼りなさいよね」
「そうおっしゃるなら、頼れるように門限を守ってくださいまし」


あはは……、と誤魔化しつつ、ふと思いついて、


「ねえ、アンタはどう思う?」


と上条に聞いてみた。



「情報が少なすぎて、わからない」

上条は答える。

「じゃあ、なにについて調べればいいと思う?」
「そうだな、まずはデータバンクの不備だろうな。聞く限りでは一番可能性が高い」
「なぜ?」
「レベルを簡単に上げる道具が存在するとは思えない」
「そうよね。能力開発上聞いたことないし」
「いや、そういう意味じゃない」


黒子の顔に疑問が浮かぶのが見える。


「どういう意味?」
「正確に言えば、簡単にレベルを上げられる道具に不特定多数の人間がアクセスできるとは思えない、という意味だ」
「存在自体は否定しないわけ?」
「それは俺よりお前のほうが詳しいだろう?ただ、無いとは言い切れないんじゃないかな」


少しだけ上条の視線が動く。
その意味を理解する。

そうだ。
この世には魔術なんてものが存在することをこの目で見たのだ。
電磁気の根底にある式ですら乱しうるものが確かにこの世に存在する。
ない、などと言い切るのは軽率だろう。


「ただし、あったとしても現状は想定しにくい。なぜなら、学園都市は能力開発を存在理由の
一つの柱にしているからだ。能力開発は科学技術の発展と表裏一体であり、高レベルになるほど
付加価値は高い。だからもしレベルを簡単に上げる道具が存在するなら、それを公式に
使わないのはおかしい」

「かといって、開発途中のものが流出するとも考えにくい。完成すれば莫大な利益を生むものだ。
厳重に管理されているはずだからな。だから、不特定多数の学生が使うことは無理だと考えた」


言うとおりだ。


「でも、現にレベルアッパーの存在は噂となっております。火の無いところに、煙は立たないのではないでしょうか?」


黒子の問いに、上条は、


「たしかに。でも、だとしたらまずいかもな」
「まずい、とは?」
「レベルアップを餌にした、人体実験である可能性がある」


と、いつもの調子で答えた。






本来、レベルアッパーは莫大な利益を生むものだ。
仮に金を出してもらうにしても、低レベルの学生が出せる資金で提供できるものじゃないはず。
なのにそれが出回っているとしたら、何か見合うだけの意図があるんだ。
可能性としては、との言葉に続けて、


「安全性試験および改良実験かな。重度の障害を残すリスクが払拭できないから、リスクアセスメント
とそれを回避する手段を探るために学生を使っているのか。あるいは、学園都市に恨みを
持つ研究者が作った時限式のテロか。ある一定時間経つと、使ったものに致命傷を与える
とか。他にもなにかあるかもしれないけど、多分、碌なことじゃない。正々堂々できない
大それた目的があってこその、大きな餌なんだからな」


相変わらず、悪いことを考えるのがうまいこと。
こんなことをするすると考えて、いつも誰かを騙しているのか?
私やインデックスはもう慣れたものだったが、さすがに黒子はあっけに取られた顔をしている。


「だったら、早く何とかしないとまずいじゃない」
「もし、レベルアッパーがあれば、と仮定した話だ。可能性はかなり低いと思うよ。
まずはバンクのデータにエラーやハッキングの痕跡が無いかどうかを洗うべきだ」
「そっか。じゃあ、私は暇つぶしにレベルアッパーを調べてみようかな。……それでいい、黒子?」

2テンポほど、遅れて黒子が反応する。


「え?ええ、分かりました。私は、バンクを調べてみますわ」


そして


「上条さん、あなた、悪人ですわね」

とあきれたように呟いた。












《幻想御手2》

レベル5、超電磁砲。
初春に誘われて会いに行ったが、会わなきゃ良かった。
彼女の姿は、あまりに遠すぎる。
彼女の姿は、眩しすぎる。
私はまるで、影みたいだ。
光に溶かされ、消える影法師。

能力。私だけの、現実。
レベル0の私では、望む現実に手が届かない。






自分の中には、自分自身では気付かない才能が眠っていて。
あるとき、なにかをきっかけにそれが目覚める。
いったん気付けば、すごい、すごい。
潔く、カッコよく、鮮やかに力がほとばしる。
空想の世界のヒーローに、私は、変わる。

そんな幻想を信じていたから、この街に来た。
そんな幻想は、最初のシステムスキャンであっさり砕かれた。


レベル、0。


0、 かぁ。
これは、まいった。
何倍しても、0は、0だ。
5人集まったって、悪の組織に立ち向かえやしない。
1億人集まったって、私は、0、だ。

1枚の紙切れに、涙が落ちた。



それでも可能性ってやつを信じたかった。

でも、それはそう簡単に私の全てを知られてたまるか、なんて空元気と
カリキュラムに従えば何か変わるかも、というずるい打算で作った可能性だから。

最初から、ヒーローなんかにつながってるわけ、なかった。



それから、半年。
今では、そんな可能性すら忘れかけている。
この街で、能力開発を受けています。
この街で、能力開発の勉強をしています。
単にそれだけの人間としてひとくくりにまとめられているのに。
夢を挫かれた、自分と同じような友達ができると、胸の痛みも、なかったみたいに薄くなる。



その代わりに手に入れたのは、ごまかす力。



買い物をしているときにたまに誰かが能力を使っている。
それを見てみぬ振りをして、さあて何を買おうかなと思える力。

システムスキャンで相変わらずのゼロであっても、
いつものことさあ、と思える力。

努力とか、情熱とか、信念とか。
そういうものを、ばっかじゃないの、と笑える力だ。



だからごまかしようも逃げようも無く直面すると、困ってしまう。
ピラミッドの最下層でのんびりすることに決めたとしたって、可能性を捨てたからって
夢を忘れたわけじゃない。



ヒーローの力を持つ彼女の姿は、駄馬の目の前に吊り下げられたニンジンみたいに
私の黒い嫉妬心をかきたてる。






「おっはよー、初春!」
「おはようございます、佐天さん」

今日はセブンスミストで買い物をしようと初春を誘った。
夏季休暇も後半に入り、夏物のセールが始まっている。
掘り出し物がないかどうか、商人魂がくすぐられるってもんだ。

「今日もいい天気ですね。って、何するんですか!」
「やだなあ、もう。挨拶だよ。あ、い、さ、つ」
「じゃあ、私も、挨拶しちゃいますよ?」
「やれるもんなら、やってみんかい」

ばっさ、と本日のスキンシップ成功。
まだまだガードが甘いな、初春くん。

「お買い得品、ありますかねえ」
「それを見つけるのが、プロってものよ」
「プロって、何のプロですか?」
「セールのプロ」
「それって、お店に騙されてませんか?」
「そこはまあ、微妙な駆け引きってやつよ」

入り口の液晶パネルを見れば、やってる、やってる。
いたるところで大売出し中だ。

「どこ行く?」
「私は水着を見に行きたいです」
「そっか、私も見たいな」

水着売り場は4階かな。
あえてエスカレータで登ることにする。
わき目で途中階の値引きっぷりをチェックするためだ。
なにせ、プロだし。

「水着かったら、プール行きませんか?」
「いいねぇ、最近暑いし、ちょっと小麦色になってみるか」
「私、日焼けすると赤くなるからなあ…」
「そっか、初春はやわやわのもちもち肌なのだな、ではチェックしてあげよう」
「ちょっ、やめてくださいよ、佐天さん」

初春は、本当に可愛いやつだ。
どうして彼氏ができないんだろう。
この花飾りのインパクトが強すぎるのかな。

「ねえ、初春。初春ってさ、花飾りやめたらもてるんじゃない?」
「え?なんのことです?」

気づいてないなら、まあいいか。

「どのフロアでもセールしてますね」
「血が騒ぐねえ」
「何の血ですか」
「大阪の商人の血だね」
「大阪出身でしたっけ」
「気持ちの上では」

プロから商人になったが気にしない。
そんなこんなで、水着コーナーにやってきた。

「うわー、いっぱいありますね」
「じゃあ、手分けして探そうっか。初春はそっち、わたしはこっちね」



振り返ったところで会いたくない人を見つけてしまった。
ズキッ、と心がきしむ。
……レベル5だ。






「とうま、水着買ったら海に行きたい」
「そうだな。おれも何年も行ってないから行ってみるか。御坂はどうだ」
「いいじゃない、海。私もしばらく行ってないし行きたいわ」
「じゃあ計画するか」


セブンスミストのファンシーグッズ店でセールをやっているという情報を偶然ネットで見つけたから、
今日は二人を買い物に誘うことにした。
そのページを携帯で見せると

「お前、ぬいぐるみ好きなんだな」

と聞かれたので、ゲコ太の魅力を熱く語ってみたが、

「そういえば、他にセールの情報はないのか?」

さりげなく、途中で話を逸らされた。
まあ、あまり興味がなさそうというのは、辛うじて表情から検出できたから
おとなしく他のセール情報を二人に見せることにした。
すると、インデックスが、水着に食いついてきたので、理由を聞けば、
泳いだ記憶が無い、とのことだった。
そんな様子に少し保護欲が湧いたため、水着コーナーを優先して回ることにした。

ちなみに、女性水着コーナーの一角で、上条がどのような態度を示すかはひそかに楽しみだったりする。


「あそこじゃない?あ、佐天さんだ」
「本当だ。ちょっとここでは、会いにくいな」
「へえ、アンタでもそう思うんだ」
「お前は、俺を何だと思ってるんだ」


笑ってこちらに手を振る佐天さんに、手を挙げて応える。


「こんにちは、佐天さん」
「こんにちは、御坂さん。水着ですか?」
「主に、この子のだけどね。私もいいのがあったら買おうかな」
「水着コーナーに男連れなんて、やりますね」
「……薄々、そうじゃないかと思ってたんだが。やっぱり俺、外そうか」
「私はとうまにも選んで欲しいんだよ」
「見てあげなくちゃ、可哀想じゃない」
「……そうか。まあ、お前らが良いなら」
「佐天さんは、一人?」
「いえ、初春と一緒です。あっちのほうに居るかな、探してきますね」


初春さんも一緒なのか。
あの二人、仲がいいんだな。
まあ、私達だって、そうか。
そう思いながら上条を見ると、なんだか少し考える目をしていた。


「なんかあった?」
「ああ、大したことじゃねえ」
「あとで、やっぱり大したことでした、は無しだからね」
「本当に、大したことじゃない。けどあとで話すよ。まず水着だ」



最近コイツと会っていると、その目を見ている時間が長い気がする。
私とは違う視点で、何かを見ている。
それを確かめたくて、つい伺ってしまう。


ある程度一緒の時を過ごしてみて、彼が私よりも特に物知りというわけじゃない、
ということが分かった。
特に、物理系に関しては、私が得意な分、明らかに知識に差がある。
当然、間違った知識に基づいて考察したときには、コイツも間違った答えを導く。
彼だって、全知全能なんかじゃないんだ、という当たり前のことがよくわかった。


ただ、異常に鋭く、巧みだ。
与えられた情報を客観視し、多角的に可能性を上げ、そこから最も妥当な一つに絞り込む、
その指向性が並外れて強い。
自分の知識が欠けている、ということも材料の一つにして補正するから、仮に当たらなくても
大きく外さない。


この点では、私は、彼に劣る。
だから、彼から学ぶのだ。
いずれ、彼に勝つために。



そんなことを考えていると、佐天さんが初春さんを連れてきた。
それから5人で水着を選ぶ。
上条は、期待はずれだが予測どおりの対応だった。
相変わらずのトーンで当たり障りの無い回答を繰り返すから、ちょっとむきになって
インデックスに耳打ちする。
彼女も、ふふっと笑って合意する。

そして紐にしか見えない水着をそれぞれ後ろ手に隠し、上条の前に立つ。


「ねえ、これ、似合うかどうか、見て欲しいんだけど」
「とうまの感想、聞かせて欲しいな」


そして、じゃん、と水着を体に当てて見せつける。

どうよ?


「正直言って、俺は、まだ早いんじゃないかと思うが」


ちっ。これでも駄目か。
隣でインデックスも口を尖らせる。


「……狙いが見え見えだ。不意打ちされたら驚いたかもな」


いずれ、ぎゃふんと言わせてやるから。
覚悟しとけよ。


「せっかく選んだんだ。試着してみればどうだ。見てやるぞ?」


くそぅ。






「御坂さん、楽しそうですね」
「そうだね。彼氏かな。……ちがうか、レベル0だしね」


ついうっかり卑下してしまう。
いけない、いけない。
クールになろうぜ、佐天涙子。


「でも、少しうらやましいですね。男の子と、ああして楽しそうにできるのって」
「初春は内気だからなあ。でも、そこがいいんだけどね」
「佐天さんならあんな感じでしゃべれるんでしょうけど。私には難しいです」
「慣れだよ、慣れ。今度、誰か誘って買い物に来ようか」
「い、いえ、まだ、ちょっと、早いと言うか」
「冗談だよ。愛いやつめ」


ああ、楽しいなあ。
まったく、今ここで会わなくてもいいじゃん。
私と同じ幸せを自分も持ってるって、わざわざ見せ付けなくてもいいじゃん。


「じゃあ、上条さんで予行練習だ。見てもらおうよ」
「さ、佐天さん。ちょっと、待って」
「上条さーん。初春が水着見て欲しいって言ってるんですけど」
「ん?ああ、俺でよければ構わないけど、大して役に立たないぞ」
「ほら、初春。見てもらいなよ」


初春を前に突き出す。
邪魔されてレベル5の顔が少しだけ曇る。
それをみてなんだか憂さ晴らしができた気がする。

ざまあみろ、なんてね。
嫌な子だな、私。


「こ、こ、これなんですけど」
「そうだな。俺のセンスだけど、初春の肌の色だと、暖色のほうが合うんじゃないか?」

こっちの色とか。
すぅ、と差し出された水着を見て、初春は限界を超えそうだった。
しょうがないなあ。


「おお、この色、確かに似合うんじゃない?上条さん、センス良いじゃないですか」
「佐天さん……」
「そういってもらえると、安心だ」
「うん、似合う、似合う。ほら、試着してきたら?」
「いや、あの、そこまではちょっと……」
「ほらほら、遠慮しない」


なんとなく、その場に居たくなくて、初春を試着室に引きずっていく。
ごめんね、初春。


「佐天さん、強引過ぎですよぅ」
「はっはっは。強引くらいがいいのじゃ」






そのとき、初春の携帯がコールされる。

「もしもし、白井さん?え、はい。え?あ、いま私、セブンスミストにいます。……え?」

初春の声のトーンが上がる。

「観測地点?……え?……了解しました。では!」

電話を切ると、

「御坂さん!緊急事態です。協力してください!」

と、レベル5に向けて叫んだ。



レベル0の私に、背中を向けて。



能力によると思われる重力子の爆発的な加速を、人工衛星がキャッチした。
過去の例から、これはアルミを基点とした爆発が起きようとしていることを意味する。
観測地点はセブンスミスト。
上条に手短に説明すると、


「じゃあ避難誘導を手伝おう。初春、指示してくれ」


予測通りの回答だった。

私なら、近ければ電磁波の目で場所は特定できる。
上条なら、能力を打ち消すことができる。
インデックスなら、歩く教会で守られている。

故に私達3人にはリスクが無く、この役を買うのは必定だった。
初春さんを残すことを渋る佐天さんを説得して避難させる。
ジャッジメント経由でセブンスミスト内に緊急放送を流してもらう。
歩ける人は階段で、歩けない人はエレベータで。
パニックを起こさないよう、それが連鎖しないように、声を張り上げて誘導する。
絶えず流される放送に助けられ、15分もしないうちに避難は完了したようだ。

これで、一安心。
あとは、問題のアルミを探し出して、蒸発させるのみ。
刈り取る側に回って、沸々と力が湧いてくる。

絶対に、見つけてやるから。

そんなことを思っていると、初春さんの携帯に、黒子から連絡が入る。


「え?……私?ターゲットが?」


その背後から、一人の女の子。
その手には、彼女の手には大きい、カエルの人形が抱えられている。
ぐしゃ、とその手の中で、人形がへこむ。
初春さんが、女の子から人形を奪って、後ろに投げ、女の子をかばうように抱きしめる。
上条が、前に駆け出す。
私は、コインを構える。
人形が、ぐしゃぐしゃと縮まり、点へと収束して、そして。



爆発。



人形は結構大きな爆発を見せたが、幸いけが人も出ずにすんだ。
二人を衝撃波に巻きこまないよう音速以下で打たざるをえなかったコインは、
収縮した人形の成れの果てを遠くに飛ばし、
それでも届く爆発の衝撃は、幻想殺しの右手が遮った。
床を見ると三角形に衝撃が打ち消されているのがよくわかる。
それは、アイツと最初に出会ったときの、アスファルトの模様を少し思い出させた。



……よし、手加減できる程度に落ち着いた。



では、薄汚い豚を狩るとしよう。






狩猟はあっさり終わった。

セブンスミストの回線から、半径200m程度の監視カメラのログをハックする。
犯人は愉快犯的な側面を持っている。
かならず自分の犯行を見ているはずだ。
だから爆発のあと、周囲から立ち去る人影をサーチする。

該当者は1名。

現在も、その場所から動かない。
さぞ、自分の能力の破壊力に悦に入っているのだろう。
上条とインデックス、初春さんに場所を告げる。
初春さんが、ジャッジメントに連絡して退路を断つ。

カメラの中でほくそ笑む男は、自分が既に屠畜場に立っていることを、まだ知らない。



一応、念のため、確認をした。
上条流詐欺術の初段も取れていない私だが、それでもその男は尻尾を出した。
慌てふためく男の30 cm横に、今度こそ音速のレールガンを打ち込む。
衝撃波で男が錐揉み状に吹き飛んでいく。
やりすぎじゃねえか、と隣でぼそりと声がした。






セブンスミストで、爆発が起こった。
集まったところで意味も無い私は、その他大勢とともにそれを見ていた。
しばらくして、セブンスミストから初春たちがでてくる。
よかった、無事だったんだ。
そう思って声をかけようとするが、彼らは私のことなどちらりとも見ない。


自分の正義を成すために急ぐヒーローが、路傍の雑草などに目を配るわけは無い。


ため息を大きくつく。


しゃあねえな、振られちまったよ。
じゃあ、帰るか。


大きく。
もしかしたら、聞こえてくれるかもしれないくらいに、大きく。

独り言を一つ言って、佐天涙子は家へと帰った。












《幻想御手3》

レベルアッパーが手に入ったら、どうするかだって?
決まってるじゃないか。
使うよ。当たり前に。

安全性?
しらねえよ。

ああ、レベル0ですか、って、ID見せたときのあの顔を、もう見ずにすむんだろ。
それで、ヒーローになれるんだろ。

だったら使うよ。
当たり前だろう?






家に着いて、日常に逃げようとテレビをつける。
セブンスミストの光景が写され、力を込めてテレビを消す。
無力なリモコンに八つ当たりする無力な自分。

佐天涙子は、ひざを抱えてうずくまった。


ちくしょう、ちくちょう。


呪詛のように、繰り返す。
無力な自分に。
そして、自分の無力さを際立たせる周囲に。

繰り返し、繰り返し。






こんな卑劣な事件を引き起こした男には2ヶ月くらい病院で反省したほうが良い。
そう思わなくも無かったが、バンクに侵入形跡もエラーもないとなると、一連の事件の背後に
レベルアッパーの存在を考える必要が出てくる。
そうなると、上条の語るリスクを無視することはできない。
ならば、真相を話してもらうように能力を使ったほうがエコロジーだ。
彼には酷いと言われたが、これでも手加減したつもりの御坂美琴である。

結果的には、能力を使う必要は無かった。
微笑むだけでよかった。
彼は頼まれもしないのに、自分から洗いざらい吐き出した。



「どうやら、レベルアッパーというのは存在するようですわ」

精神感応系能力者に念のためスキャンしてもらった結果は、彼の供述と一致した。

「そして、それは曲のようですの。なんでも、ネット経由で入手したとか」

彼の持ち物であるシリコンオーディオに、レベルアッパーとされるデータが入っていたらしい。

「ファイルが手に入ったなら、波長のフィンガープリントプロファイルを取って、該当する
ファイルにアクセスできないよう、サーバ側で差し止めるプログラムを組む。そして、同時に、そのファイルのアクセスログをたどれば、作った人が分かる。それで事件は解決でしょ?」
「初春が、頑張ってくれているのですが、ファイルのアクセスが、セキュリティの高いサーバを
何箇所も通しているようで、なかなか進まないようですわ。サーバ側の制御は、学園都市の
正式な許可がないとできないので、現状では不可能ですし……」
「ああ、そっか。まあ、そうだよね」
「現状では、手詰まりですわね」
「そうね……」



一方、聞こえる会話に理解不能な言葉が高率で出てくるため、インデックスは話についていけなかった。
隣の家主を見上げてみると。


「音楽を聴くと能力が上がる。それはパソコンを使うと入手できる。でも、誰が作ったのか、わからない。
ついでに、それを入手できなくすることもできないってことだ」


と、何とか分かる言葉で説明してくれた。
これが以心伝心というものか。
フィーリングでも良いのだろうか。


「じゃあ、どうするの?」

「曲のデータはあるから、どうして能力が上がるのか、なにか副作用は無いかを解析するんだろうな」

「どうやって?」

「多分、聴覚と脳の専門家に聞くんじゃないか?」

「聞いて、分かったらどうするの?」

「その分かった人たちと同じ分野の研究をしている人が犯人だ。その分野の専門家達のコンピュータに
ハッキングして、レベルアッパーを作った証拠を押さえるんだろう」

「証拠がでてこなかったら?」

「さっき言った、パソコンで入手できなくするっていう方法を実施して、あとは地道に
誰が作ったのか探すんだろうな。あとは、レベルアッパーを使った者たちに異常が出たら、
なるべく早くにそれを周知徹底して被害を最小限に抑える、かな。周知したときは、被害
によっては一時的な暴動が起こるから、それを見越して、今のうちからアンチスキルに協力依頼
をしておいたほうがいいな。」

「なぜ暴動が起こるの?」

「例えば最悪死ぬってことになったら、レベルアッパ-を使った人は自棄になるだろ?」

「そっか。ありがとう」

「いや、これは俺の考えだから」


これで良いか?


質問に対して規定事実であるかのように滑らかにと語る上条当麻に、聞き入っていた御坂と白井は言葉が出ない。


5秒ほど間を空けて、


「やっぱり、貴方は悪人に間違いありませんわ」


と白井黒子が呟いた。






迷ったけれどやはり佐天は初春に電話することにした。
何度か着信が入っていたから、きっと心配をしているのだろう。
電話をすると、2コールで応答する。


「佐天さん!何ですぐに電話に出てくれなかったんですか?」
「ごめん、ごめん。ちょっと、用があってさ」
「もう。心配しましたよ?」
「ごめんね、ありがと。そっちはうまくいった?」
「犯人は無事逮捕できましたが、レベルアッパーの解析に大忙しです。今夜は徹夜かもしれません」
「そ、そっか。わかった。ごめん、忙しいときに」
「いえ。本当に、良かったです。では、また」
「じゃあね」


……レベルアッパーは、実在するんだ。






大脳生理学者で聴覚にも造詣が深く、かつジャッジメントの活動に比較的協力的な研究者として、
木山春生に音楽データを解析してもらうこととなった。
当然、木山の研究所のサーバにはバックドアを構築し、作業内容については確認できるようにしてある。
スタンドアローンPCで解析されたら内容は分からないが、そこまで見に行くのは怪しいと
判断してからで十分であろう。
それが、ジャッジメントの結論だった。






そして、今日はこれ以上の動きがなさそうなので、あとは黒子と初春さんたちに任せて、3人は帰路につく。
ただの買い物のはずが、思いもよらぬ事件に遭遇して、少し疲れ気味ではあるが。


「大変な一日だったわね……」
「そうだな」
「水着も買えなくて残念だったんだよ」
「欲しい奴は、決まっただろう?あの、紐のやつ。もう、いつでも買えるじゃないか」
「とうま!」
「冗談だよ」


また、買いに行けばいいさ。時間は、あるんだ。


「そうだよね」
「そうよ。しばらくセブンスミストは使えないかもだけど、別のお店で探しましょ?」
「みことのぬいぐるみも、買えなかったね」
「ああ、別にセールじゃなくても買えるしね。また出直すわ」
「そういえば、何も買ってなかったな」


じゃあ、今日は外食にするか?


「おー、いいじゃん。何にする?」
「私はピザがいいな」
「俺は蕎麦かな」
「じゃあ、私はとんかつかな」


相変わらずだな。
でもがっつりが2票だから、どっちかだな。
ファミレスにして両方取りか、それともじゃんけんで専門店か。
どうする?


「私、ファミレスでいい」
「私も」


じゃあ、決まりだ。結局、いつもの店かな。


「とうま、私、お蕎麦少し食べたいかも」
「あ、私も欲しい」


いや、だんだんがっつり食べたい気持ちになってきたからハンバーグにしようかと思い直
したんだが。


「ハンバーグか。それもいいわね。やっぱり私もハンバーグにしよ」
「えー?それなら私もハンバーグにする」


おいおい、じゃあ、ハンバーグのお店でいいのかよ。


それでも、やはり穏やかな帰り道。

日常という名の、最高の贅沢は続く。







見つけた。
私の、佐天涙子の突破口。
ついに、見つけた。


震える手でダウンロードをクリックする。
リンク切れでありませんように。
ああ、良かった。
無事にファイルが保存される。
ファイルを開く。
流れる音楽。


これはきっと、幸せへの序曲だ。
ここから、始まるのだ。
私が主人公の物語。


全ては始まりが肝心だと言う。


ならば、強く、強く、イメージする。
私は、能力者だ。
レベル5にだって、成ってやるさ。


されば、強く、強く、言葉にする。
私はできる。できる。
私には、能力がある。


しからば、強く、強く、拳を握る。
いま、錆びた鍵を打ち開けよ。
惰眠を貪る才能を研ぎ澄ませ。


それゆえ、強く、強く、瞳を閉じる。
全ての意識を内側に。
この幸せの調べとともに。












《幻想御手4》

やった。
飛び上がって叫んだ。
やった、やった、やった!
ひゃっほー、といいながらベッドにダイブ。
ごろごろと転がり、無意味に前転してベッドから落ちて。
痛てて……といいながら、やっぱり笑った。


どうだ、ざまあみろ。

私は、能力者だ。

文句、あるか。



ティッシュペーパーを細かくちぎった、その欠片。
佐天涙子は手の上でそれらが作る渦を幸せそうに見つめる。

繰り返し、繰り返し。



まずは親友に教えなければと思ったから、初春に電話した。
電話した直後に、徹夜かもと言ってたことに気付いて切ったが、着信に気付いた初春は
律儀にかけ直してくれた。


「佐天さん、ごめんなさい、取れなくて」
「ごめん、初春。まだ、支部?」
「いえ、もうそろそろ帰るところです。今日はやれるところまでは終わったから」
「そっか、じゃあ、いま、大丈夫?」
「大丈夫ですよ。何かいいことあったんですか?」
「そう。あったのだよ、初春くん」
「何ですか?」
「まあまあ、そう慌てずに」
「勿体つけないでくださいよー」
「そっか、では教えてあげよう」
「教えてくださいな」
「実は、私に、佐天涙子に、能力が目覚めたのだー!」
「……え?能力?ええッ?」
「驚いて、心臓も止まったか」
「止まったら死んじゃいますよ。でも、よかったじゃないですか。おめでとうございます!」
「ありがとう、初春」


初春は喜んでくれるんだ。
ありがとう。
ごめんね。
妬んだりして。


「どんな能力なんですか?」
「風、かな。能力っていっても、手で扇ぐのと大して変わんないくらいのそよ風なんだけど」
「でも、すごいですよ、佐天さん。ようやく、努力が報われましたねー」


努力、と言う言葉にぎくっとする。
でも頑張って探したんだ。
努力と言えなくもないか。


「ま、まあね。おかげさまだよ」
「早く見たいなー、佐天さんの能力」
「おう、いつでもおいでな。見せてあげるから」
「そうですね。ちょっと先になってしまうかも、ですけど」
「なんだ、忙しいの?」
「そうなんですよ。レベルアッパーの件で、死ぬほど忙しくなるかもです」


どくん、と心臓が鳴った。


「へー」
「今日、上条さんすごかったらしいですよ」
「何が?」
「レベルアッパーの件について、ジャッジメントに捜査方針をアドバイスしてくれて。
本人は雑談のつもりだったみたいなんですけど、結局それで行くことが決まったんです」
「そう」
「すごいですよね。なんだか、上条さんを見てるとレベルって関係ないような気がしてきます」
「そうだね」
「……佐天さん、どうかしましたか?」
「いや、ちょっと、あれかな、慣れない能力を使って疲れたのかな」
「私も最初はそうでしたよ。すぐ慣れます。今日はゆっくりしてくださいね」
「そうだね、ありがとう」
「じゃあ、おやすみなさい。本当に、おめでとう」
「ありがとう。おやすみ」


捜査方針って?
なんか、やばいわけ?






次の日虚空爆破事件の容疑者である介旅初矢が意識不明となったことで、事件は一変する。
レトロスペクティブに調査すれば、同様にレベルアッパー使用者と思われる者たちが、
複数名同様の症状を起こしていることが発覚する。
2日後には、レベルアッパー使用者が、最終的に重度の意識障害を起こすことは、ほぼ間違いない
との結論にジャッジメントは至ったようだ。


「どうすればよろしいと思われますか?」
「なぜ、俺に聞く」


白井黒子からの電話に、上条当麻は答える。


「ジャッジメントで判断すべき問題だろう。俺に聞いてよいのか?」
「参考までに、個人的なご意見を伺ってみたいとおもいまして」

では、言うが。

「直ぐに事実を公表すべきだ。言いたくないが、被害者は治療によって回復傾向があるぐらいの言葉を添える必要もあるだろう」
「嘘をつくということですわね」
「ファイルの利用者、5000人を超えているのだろう?大混乱になるリスクをとれるなら言わなくてもよい」
「……」
「木山春生からの結果報告はないのか?」
「解析に時間がかかっているとのことでして」
「研究所のサーバの利用率は?」
「余裕はありますがそれなりに処理は行っているようですわ」
「解析内容は見えないのか?」
「スタンドアローンで行っている模様です」
「木山に研究所外のスーパーコンピュータを使用させることは可能か?」
「ジャッジメントが使えるリソース分なら可能ですわ」
「じゃあ、木山に依頼して、そこで作業してもらうんだ。ユーザー権限でな。当然、アドミニ権限での監視プログラムを後ろで流す」
「使わせる口実は?」
「より豊富なリソースを使って速やかに解決してもらいたい、でいいんじゃないか?」
「断ったら?」
「他の研究者を探すか、何らかの方法で木山の研究所を使えなくして強制的に使わせる」
「……相変わらず、悪人ですわね」
「聞き飽きたよ。あとそうだな、もし意識障害を公表するなら、木山に事前に教える」
「木山自身か、それにつながる研究者が黒幕なら動きがある、ということですわね」
「そうだ」
「ありがとうございました」
「ああ。もし俺で助けられるなら、電話くれ」



「黒子からだよね」
「ああ。事件が一変したらしい」


上条は、聞いた話を御坂とインデックスに話した。
御坂は考える。


「私が探ってみようか?」
「レベルアッパーって言葉はかなり広まっている。タームで引っ掛けるのは難しいぞ」
「じゃあ、波長データを検索すれば」
「それは効果的だと思うが、どのくらいコピーがネット上にあるかわからんからな。
力業になるぞ」
「じゃあ、どうすればいいのよ?」
「研究者から探ってみよう。聴覚と能力を結びつけるような研究をしている人を探す」


だが、研究者の数は多く、聴覚というありふれた感覚だけでは絞り込むことができない。


「まいったな。……インデックス、なにか思いつかないか?」


魔術の観点を取り入れ、発想の幅を広げるつもりなのだろう。
上条はインデックスに意見を求める。


「音を通じて魔力を上げるというのは、魔術ではありふれた方法。そして、歌は、力を持ち、
幻を見せ、体を石にする。レベルアッパーが特別視される理由が、私には逆に分からないの」


どうやらこちらも手詰まりのようだ。
僅かに沈黙が流れる。
それを彼が破る。


「じゃあ、発想を変えよう。他のどんな方法なら、短時間でレベルを上げられるのか。
それを調べた上で、その方法を曲で代用できそうな研究をしているものを探そう」


だが、それは結局、間に合わなかった。






予感がした。
能力は使えるのに、つかうと僅かに立ちくらみがする。
これが、まさか、副作用?
ネットで、レベルアッパーについて調べる。
レベルアッパー and めまい。
……え?
うそ。
意識不明?
やだ。
そんなの、やだ。
膝が震えて、立つことができない。
フローリングに座り込む。
それでも、だんだんめまいが増していく。
やだよ。
そんなのやだよ。
誰か、助けてよ。
お願い。
誰か。
ぐらぐらと揺れ始める世界で、私は。


「もしもし、初春です。こんにちは、佐天さん。……佐天さん?どうしたんですか!?」

「ういはる…ごめん…わたし、つかっちゃった」

「佐天さん?」

「だって、ほしかったんだもん、ちから、うらやましかったんだもん、ずっと」

「佐天さん……まさか、レベルアッパーを?」

「くやしかったんだもん、むのうりょくしゃ、なんて、さ。ぜろ、なんてさ。ははは……」

「佐天さん、今、家ですか?直ぐ行きます。動かないでくださいね?」

「わたし、ういはるのことも、うらやましかった。みんな、うらやましかった」

「行きますからね、佐天さん。必ず、直ぐに行きますから」

「わたしだって、なにか、したかったの。だれかに、みとめてほしかった」

「佐天さん、私は、認めてます。佐天さんは、素敵です。だから、だから」

「ありがと、ういはる。ばかだね。わたし。みとめてくれたのに、ねたんだんだね」

「私、知ってます。佐天さんが能力者にすごく憧れてるってこと。だから、その気持ち、当たり前です。だから」

「なりたかった、のうりょくしゃ。どうしても。ずる、したとしても」

「佐天さん、もうちょっとです。あと10分もかかりません。電話、切らないで」

「これは、きっと、ばつなんだね。ずるい、わたしにふさわしい、ばつ」

「大丈夫です、佐天さん。私が、付いてます。必ず、何とかしますから」

「ありがと、ういはる。きづかなくて、ごめん。ほんとうに、ごめん」

「謝らないで……お願い、謝らないでください……」

「ごめんね、めいわく、かけるね。ごめん……ごめん……」

「お願いです、佐天さん。お願いです……」






初春飾利は、なんとか間に合った。
部屋に入れば、既に目の焦点は合っていなかった。
言葉もまともに出ないようだった。
それでも、彼女を彼女として認識したに違いない。
くしゃ、とすこしだけ笑って。
佐天涙子は意識を失った。












《幻想御手5》

力がほしい。

もうヒーローじゃなくてもいい。
この街に来て、この街で生きる。

それを許されるぐらいの、ちっぽけな力でよいから。






連絡を受けて病院に来た3人は、ベッドで眠る佐天涙子を見る。
傍らには白井黒子。
電子音がやけに大きく響く病室。
レベルアッパーですのよ。
捜査疲れが滲む声で白井が告げた。


「どうしてなの?どうして、佐天さんが?」
「どうやらネットでレベルアッパーを入手したようですわ。……発見者は、初春でした」
「……俺は、馬鹿だ。甘かった」


隣から小さく聞こえる声に、インデックスは驚く。


「こうなるかも、って思っていたのに。見過ごした」
「とうま……」
「白井、レベルアッパー使用者の容態は進行しているか?」
「いえ、悪くはなっていませんわ」


良くもなってはおりませんが。


「木山からの報告は?」
「まだ、ありません。解析中とのことです」
「そうか。初春は?」
「支部に帰りました。できることを、すると」
「……自棄になったり、してないよな?」
「上条さん、初春は、貴方が思っているより、ずっとずっと強い子ですわよ。大丈夫ですわ」
「そうか」


単調な口調。
ほとんど動かない表情。

だがインデックスはそこに悔しさが見えるのを知っている。


心電図の刻むリズムは、変わらない。
そこに、別の電子音が混じる。
白井が、携帯を取る。


「はい、白井です。え?初春が?……分かりました。直ぐ向かいます」

聞かなくても、内容は分かった。

「初春が、木山のところに向かったそうですわ。これから、私も向かいます」






「見過ごしたって、どういうことよ?」


病院に居てもできることなど無かった。
黒子が出るのに少し遅れて私達もお暇することにした。

またくるね。

そうといってもベッドの上の彼女からの答えは、当然無い。


「佐天が、レベルアッパーを使う兆候はあった。レベルアッパーが危険だとも思っていた。
なのに、彼女が使うことを止められなかった」


佐天さんの脳波を探ってみると、かなり活発な活動をしていると言うことが分かった。
意識不明というのが信じがたい活動量だ。


「兆候なんて、いつ気付いたのよ?」


同病院に入院しているレベルアッパー使用者はあと2人。
その両者とも、やはり脳は活発に動いているとしか思えなかった。
しかも、その脳波のパターンは大部分がオーバーラップしていた。


「最初に会ったに、レベルアッパーの話をしただろう。あのときだ。あのあと、もう一度
会ったときにも、そう思った。そう思っていたのに、見過ごした」


そこから導かれる推論は、レベルアッパー製作者に何らかの意図があったということだ。
使用者の脳に何かの処理を強制する、その末に得られる、なにか。


「あのときに……でも、なんで?全然、分からなかった。言われてもわからない」


しかし、なぜ佐天さんはレベルアッパーを使ったのだ。
危険だって知っていたはずなのに。
怪しいって、言っていたのに。


「わからないか?まあ、お前には分からなくても無理は無いかもしれないな」


……どういうことだ?






この街は極端な能力主義だ。
レベルが変わると、学校も、奨学金も、相手の態度すら変わる。
レベルが同じだって、スキャンが示す強度で、多くの人間が狂喜し、絶望する。
それは別に悪いことじゃない。
強制されて、ここに住んでるわけじゃないんだ。
だとしても。


レベル0ってIDを見せたときに、多くの人間が小馬鹿にする悔しさは
きっとお前では理解できないと思う。
俺には、理解できるよ。
能力がほしい。
強くなりたい。
たとえ、そこに危険があったとしても、構わない。
そんな、気持ちを持ってしまうことが、容易く想像できる。



「そんな……、だって、でも」


いや、分かる。
聞けば、よくわかる。
そうか、私か。
佐天さんを、追い詰めたのは。


「違う。勘違いするな、お前が悪いわけじゃない。そんなことを言いたいわけじゃない」


でも私なんでしょ?
そう思ってるんでしょ?


「お前、じゃない。レベル5に、だよ」


同じじゃない。
私、レベル5だもの。


「同じじゃない。お前は御坂美琴だ。レベル5じゃない」


同じだよ。


「違う。全然違う。お前は、明日からレベル0になったとしたって、御坂だろう?」


そんな仮定意味ないよ。
だって現に私は、レベル5なのだから。


「レベルはお前の属性の一つだ。それが全てじゃない」


わかるよ。
アンタの言ってること。
アンタが、そう思ってくれていることも、分かってるよ。

でも。


「お前が今、勘違いしているように、佐天も勘違いしたんだ。自分はレベル0。それを
自分の全てだと思ってしまった。だから、倒れた」


でも。
でも。


「頼む、御坂。お前は勘違いするな。それは、危険だ。とても危険なんだ」
「そうだよ、みこと。私だって、禁書目録が私の全てじゃ、ないんだよ。みことだって、同じだよ」


わかってる。大丈夫。
もう、大丈夫だよ、ありがとう。

でも、悔しいの。
なんだか、とても悔しいの。


「そうだよ、な」


悔しい。
どこかの誰かに、刷り込まれた価値観。
いつの間にか、自分の根底になってる、この価値観。


「ああ、そうだ。悔しいよな」


そして、それをいい様に扱われて。
誰かがこっそり笑っているとしたら。


「許せないよな」


ああ、許せるもんか。
許してやるもんか。


「じゃあ、やるしかないよな」

そうだね。
やってやろう。
超電磁砲の錆にしてやろう。



近くの開けた公園で能力を開放した。
満ちていく、電磁波の波紋。
頭を心地よく満たしていく、マクスウェルの奇跡
私の誇り、私の現実。
同時に、私を閉じ込めていた、私の愛しい檻。


誇りを檻に変えたのは、他ならぬ私。
でも、それを仕向けた者だって、確かにいる。

だから。

気付かなかった、過去の私のために。
気付いた私は、第3位の全能力を行使する。
大切な、図書館と、空隙に見守られて。
空を彩る波を読む。
黒く厚い空から嵐が見えるように、
そこから、意味を拾い上げる。






見つけたぞ、クソ野郎。






初春飾利を人質として助手席に乗せ、木山春生はハイウェイを走る。
研究所に侵入者あり。
ナビの画面に、自分の端末が立ち上げられるのを確認する。
出る途中にアンチスキルの特殊車両も見えた。
予想よりも動きが早い。


「早いな……もう、動いたか……」
「何が、ですか?」
「アンチスキルだ。君が着てから、動き出すまでの時間が短すぎる」
「……アンチスキルには事前に協力要請をだしてあります。初動が早いのはそのためでしょう」
「そうか……ジャッジメントも侮れないな」
「だったら、そろそろ諦めたらどうですか?」
「そうはいかない。あと少しで目的が達成されるのだ」


木山は捕まることは無いと確信していたのか、自分の犯行をとつとつと喋った。
樹形図の設計者と同等の演算装置として学生の脳を使う、自分の犯行を。
そして、初春にレベルアッパー治療用のプログラムまで投げてよこした。
もちろん、この場でその真偽を確認することはできない。


「でもほら、どうやら年貢の納め時のようですよ?」


初春は少し震える。
自分が、人質として活用されるときが来たのだから。
でも、目は伏せない。
親友を救うまでは、逃げるわけには行かない。


「やれやれ……じゃあ、少しだけ相手をしてあげるとするかな」


対する木山は余裕そのもの。
サブマシンガンを構えるアンチスキルの一隊を前に緩やかに車を止め、
車から降りる。
ふとバックミラーを見ると、一台のタクシーが映る。
それは近づき、客を降ろして去っていく
そして。






「やっと、見つけたわ。……あんたが首謀者ね」


ついに追いついた御坂美琴は、そう宣言した。












《幻想御手6》

佐天涙子は夢を見る。

自分とだれかが溶け合って、強い力に変わる夢。

湧き上がる、万能感。
満たしていく、期待感。
埋め尽くすような、圧倒感。


これが私であるならば。


私は、私でなくても良い。






「あんただったのね。木山春生。ジャッジメントから依頼があって、びっくりしたかしら?
それとも、ラッキーって、思ったのかしら?」

一歩、一歩、御坂達は木山に近づいていく。
後ろには一瞬で木山に制圧された、アンチスキル。
あり得ないとされた多重能力者を前に、それでも歩みが止まることはない。

「それにしても、多重能力なんて、器用な真似するじゃない。それはあんたの才能かしら。
それとも、自分で自分の脳でもいじくった?」

応じる木山は静かなものだ。
明白な自信を滲ませて、こちらを見ている。

「初春さんも人質に取っているみたいだし。自分の勝ちは揺るがないって、ひょっとして
信じていたりするのかしら?」

両者の間は50 m。
超電磁砲の射程距離に入る。

「もし、そうなら、その勘違いを正してあげる。いま、ここで」

ね?と良いながら、御坂は電撃を放った。



御坂の電流を、木山の体を淡く包む光がはじく。


その木山に向けて、上条が走り出す。
インデックスが、眠らされているらしき初春のもとに急ぐ。


木山が手を振ると、衝撃波が上条めがけて突っ込んでくる。
それを右手で払えば、木山の顔に疑問が浮かぶ。


その隙に御坂が電撃を木山の足元に打ち込む。
地面が捲られ、彼女は空中に打ち上げられる。
空中で体勢を直す木山は、迫る上条の前にアスファルトの壁を作る。
しかし、それも右手が振れると土くれのように崩れ去る。


迫る上条を、木山が人を超えたスピードで避ける。
インデックスが、初春を背負って、木山から離れる。
御坂の電撃が木山の退路を塞ぐ。


「ここらへんにしておいたほうが良いんじゃないかしら?もし、これ以上抵抗するなら」


上条が、動線上から左に動く。
息が上がる木山に、コインを構える。


「手加減、できないけど」


ドン、と音がして、木山の足元から衝撃が走る。
亀裂が走るのをみて、上条の右手が地面を叩く。
亀裂が止まり、木山の顔が驚愕に固まる。
そして。






的確に放たれた超電磁砲に、能力による防御が適うわけも無い。
衝撃波に打ち据えられて、木山は意識を失った。






意識を飛ばした木山はアンチスキルに担架で運ばれていった。
眠る初春さんの生体電流をチェックし、ついでに僅かに刺激を与えて目を覚まさせる。
幸い何の問題もないようだと、御坂はほっと息をついた。
よかった、と笑いかける御坂に、初春は俯いて手の中のメモリを握り締める。


思わず固まる笑顔をみて、くしゃっと上条が左手で御坂の頭を撫でる。


――お疲れ。かっこよかったぞ。

ついで、インデックスの頭も撫でる。

――お前も良くがんばった。明日は筋肉痛かな。

少し下から見上げる彼の横顔は、よく見ればちゃんと微笑んでいた。






突然、私の体に亀裂が走った。
ばらばらと、ぼろぼろと、私の体から何かが零れ落ちる。

手ですくって、かき集めても間に合わない。
次から次へと、私から離れていく。

私の力も抜け落ちる。
ばらばらと、ぼろぼろと。

寄せ集めても、叶わない。
かき消すように、失っていく。

やがて、私は小さくしぼんで
いつしか、私に戻っていた。



うっすらと、眼を開ける。
白い、天井。
起き上がれば、見慣れぬ服を着た自分。
そうか、ここは病院だ。

私は、助かったのか。






夕方に、初春はお見舞いに来てくれた。


ありがと。


顔も見れずに言った私を、初春は抱きしめてぼろぼろ涙を流した。
その涙に私も泣けてきて、抱きしめ返してぼろぼろ泣いた。


ごめんね、心配かけて。
ありがとね。助けてくれて。


ごめん。


私で。






佐天涙子には3日間の入院が命ぜられた。

自分の容態は思っていたより大変だったうえに、正体不明のプログラムが解析中と
いうことであれば、病院で様子見になるのも仕方なかった。
入院中、初春は毎日お見舞いに来てくれた。


あのときのことなんて、髪飾りを変えたらすっかり忘れてしまいました。
そんな感じで対応してくれる初春に
くしゃみをしたら記憶がぶっ飛んじゃった。
という感じで対応する自分。


嬉しく、楽しいはずなのに。
今の私と彼女の間には、溝があると感じる。


初春が来ていないときは、暇にもてあまして病院を散歩することもある。
なにせ、基本的に健康なのだ。
そんな自分から見て通り過ぎる人の顔は、やはりここが病院であることを実感させる。


だから、たまに健康そうな若者を見つけると。
ああ、あの人もなのかな、と思って、思わず背中を向けてしまう。


結局私が能力者でいられたのは、72時間も無かった。
今の私は、どれだけ力を込めても、この心の影を払う風すら起こすことができない。


ああ。
私は、なぜ、あんなことをしたんだろう。
後悔は、もちろんある。


でも、じゃあ、あのときレベルアッパーを使わない選択はあった?
と考えれば、そんなもの、あるわけなかった。


だから、これは私の運命に違いない。


だって、夢だったのだ。
なんども、それこそ夢にだってでてくるくらい、激しい夢だったのだ。
正義のヒーローになりたかった。
悪を蹴散らす、力がほしかった。
それが手に入るかもしれないって、知った、あのとき。
いてもたっても居られなかった。

両親に反対された。
母親は、出発の日まで、反対し続けた。
弟は、幼さゆえに、私をうらやんだ。
そんな気持ちを振り切ってここにきたんだ。
私にだって、意地くらいあった。

それに、この街に着た初日に、私はこの目で見てしまった。
能力。
異能の、力。
すごい、と心が昂ぶった。
あれがあれば、ヒーローになれるじゃん。

あの日の能力者は、きっと御坂さんには遠く及ばない。
それでも、彼は私のヒーローで、そして目標になった。

そんな真っ直ぐな気持ちは、最初のテストで打ち砕かれた。
でも、諦めたくなかった。
諦めたふりをしてたけど、絶対に諦めたくなかったんだ。
私だって、できるはずだ。
同じ、人間だもの。



誰かの能力を見て、目を逸らしながらも
本当は横目で見ていたんだ。

システムスキャンでレベル0だったとき
やっぱりそれでも悔しかったんだ。

努力とか、情熱とか、信念とか。
馬鹿にしたけど、実はこっそり持っていたんだ。

何度も、裏切られ、傷ついては歪に治り
元の形すら、今では分からないけど。

私の中には、いまもヒーローが生きていたんだ。



けれども。
不正をしてまで一旦手に入れた能力はとてもか弱いもので、
しかもそれすら、今は失った。


今は、心がとても空々しい。
ヒーローもとうとう時間切れなのかな。
3分で消えなかっただけ、頑張ったといえるかもしれない。



私、帰ろうかな。
あの家へ。
家族のもとへ。






「初春、今日は早いじゃん」


扉を見ずに言って、振り返ったら人違いだった。
入院の最終日。

荷物をまとめていた私を訪れたのは、上条当麻だった。












《幻想御手7》(完)

ヒーローって、なんだったっけ。

巨大な力を持つ人?

正義を体現する人?

とっさの機転で危機を回避する人?

過去を振り返らない人?

私がなりたいヒーローって、なんだっけ?






無表情で口数も少ない上に口調も平坦だ。
目線もあまり動かないし、体も無駄な動きが無い。
そのくせ喧嘩はとても強くて、頭だって良い。
私を救うために戦ってくれた、私とはあまりに違う、レベル0


私に、レベルを言い訳にすることすら封じる存在を前に、
私の体は強張った。


「体は大丈夫か?」
「ええ。お見舞いに来てくれたんですね、上条さん。ありがとうございます」
「いや、来るのが遅くなってすまん」
「何を言ってるんですか。こんなことされたら、ときめいちゃいますよ?」


軽い冗談に微笑する彼。
あれ、こんなに、表情があったっけ。


「それは、光栄だ」
「またまた……、そんなこというと、御坂さんに言いつけますよ?」
「それも楽しそうだな。どんな、反応をするか」


私は彼を誤解していたんだろうか。
なんだか、ずいぶんと打ち解けた感じになっている。


「いいんですか。やっちゃいますよ、私」
「おう、やってみろ。見ててやるから」
「もう。あれ、手ぶらですか?」
「ああ、ごめん。そうだな、配慮が足りなかった」
「なんて、ね。冗談ですよ。私、今日退院なんです。今度おごってもらうで大丈夫ですよ?」
「ちゃっかりしてるな」


あはは、と笑う私。
肩をすくめる、彼。


「冗談ですよ。大丈夫です」
「いや、いいよ。快気祝いに、今度ご馳走してやる。何が食べたい?」
「そうですね。病院じゃあ食べれなかったから、パフェが良いです」
「パフェか。分かった。覚えておくよ」


凄く、自然。
体の力が抜けていくのを感じる。


「まあ、立ち話もなんですから、座ってくださいよ」


椅子を勧め、私はベッドに座る。
ありがとう、といいながら、椅子に座る、彼。


「それにしても、本当に元気そうだな。安心したよ」
「すみません。ご心配をおかけしました」


今回の事件の犯人は、木山だった。
レベルアッパーの力を借りて、多重能力者になった彼女を
インデックスや御坂さん、そして彼が止めてくれたのだ。
初春も人質になったと、ひょっとしたら危なかったかも、と言っていた。
本当に感謝しなければいけない。


感謝しなければ、いけないのに。


「いや、当たり前のことをしたまでだ」
「……当たり前じゃないですよ。普通、できませんもん」
「そうでもない」
「そうですって。そんな、ヒーローみたいなことなんて」


ああ、嫌だ。
自分の口調が固くなる。
なのに上条さんは穏やかなまま。


「俺達はヒーローじゃねえよ」
「ヒーローですよ」

そうだ。
巨大な力で、正義の心に、聡い機転をもって悪を倒す。

ヒーローじゃなかったら、何だというんだ。


「俺達は、ヒーローじゃねえ。なぜなら」


一瞬、間を置く。


「俺達はお前に対する罪滅ぼしのために、木山と戦ったんだからな」
「どういうことですか?」
「そのままの意味だ。俺達は、お前にひどいことをした。だから、贖罪のために戦ったんだ。
決して、皆を助けようとか、悪が許せないとかじゃねえ。だからヒーローじゃねえ」
「意味が、わかりません」


まったく解らない。
何かをされた覚えは全く無い。
私のために、戦った?


「俺は知っていたんだ。お前がレベルアッパーを使うこと」
「……え?」
「しかも、俺達は、レベルアッパーが危険だってことも知っていた。知っていたのに、
それを見過ごしたんだ。本当に、すまん」


何を。
何を言っているのだ、この男は。


「どういう、ことですか?」
「俺は、レベル0だから」


だから、お前の中にある嫉妬や不満はよくわかる。
俺の中にだって、それはあるから。


「……」


そうか。
この人も。

この人でさえ、共感者なんだ。


御坂さんを子ども扱いしているこの人でさえ。
レベルの壁は破れないんだ。


嬉しい、気がする。
共感してくれて。
悲しい、気がする。
超えれないことを見せられて。


「だから本当にごめんな。お前の気持ち、わかっていたのに、止めて上げられなくて」
「……いえ。自分が蒔いた種ですから」
「一言、言えればこうならなかったと思う」
「それはわかりません。言われても手を出したかも知れません」
「そうか」


楽しい、気がする。
偉大なレベル0が謝ってくれて。
悔しい、気がする。
誰かに気にされなきゃいけない、自分だとわかって。


「だから謝らなくても良いんです。私こそ謝らなくちゃ。御礼もせずにごめんなさい。
御坂さんにも謝って置いてください」
「あいつはそんなこと気にしねえよ」
「それでも、です。私、御坂さんに明らかに嫉妬していましたから」
「まあな。あいつは凄いもんな」
「凄いですよね。本当に」


希望が、湧いてくる。
良い友達ができたから。
絶望が、湧いてくる。
彼女にはもう届かないから。


「なあ、佐天」
「はい」






「お前、学園都市をでて実家に帰ったほうがいいんじゃないか?」
「……え?」






「なん、でですか?」






だって、お前、懲りただろ?


お前、懲りただろ。

俺達、レベル0の、無力さに。


お前、懲りただろ。

俺達、レベル0は、報われないってことに。


お前、懲りただろ。

俺達、レベル0を、周りが扱う、冷たい眼に。


お前、懲りただろ。

俺達、レベル0が、力に憧れる、その浅ましさに。






お前……懲りただろ?







言葉が、思考が、心が、止まる。

何て正しい。
そうか。
この人は正しく理解している。
私達、レベル0の運命と苦しみを。


そうだ。
正しい。
彼は正しい。
私だってそう思っていたことを、全部言ってくれた。


潔く、カッコよく、鮮やかに。


彼はきっと、ヒーローなんだ。
私を救うヒーローなんだ。

迷い、苦しみ、もがき、すがる、この幻想を殺し、
私を楽にしてくれる、そんなヒーローなんだ。





ヒーローである、はずなのに。






「ふざけんじゃエエエエエエエエエ!!」

「なめたこと、言ってんじゃねエエエエエエエッ!!」



言葉が飛び出た。

弾けたように、手も出た。

彼を殴った。



「何勝手に、私のこと計ってんだ?何勝手に、他人の幸せ、決めてんだ?何勝手に、私が不幸だって決め付けてんだ!?」

「私の幸せは、私が決めるんだ。私の生き方は、私が決めるんだ。辛くたって、迷ったって私なんだ。
私だけが、私の人生を決めるんだ!」


体が震える。
嬉しさも、悲しさも、楽しさも、悔しさも、希望も、絶望も。
全部、背負うのは、この私。
だからその重さだって、誰にも文句は言わせない。
当たり前じゃないか。
レベル0も、レベル5も関係ない。
全部ひっくるめて私が納得行かないなら。
そんなのきっと、私が生きている意味が無い。


泣いてるよ、私。
鼻水だって垂れてるよ。
でも、言わなきゃいけないんだ。
カッコつけてる場合じゃない。

上条さんに、だけじゃない。
私にだって、言わなければいけない。


「だから、私の人生、勝手に解ったようなこと言うんじゃねえ!」


上条さんはじっと私を見ていた。
いつの間にか無表情になっていた彼は、少しだけ微笑むと病室を去っていった。







病室の扉の外で、御坂とインデックスが待っていた。

本当は一緒にお見舞いする予定だった。
お見舞いのお菓子だって買ってあった。
でも直前になって、先に話したいと上条が言い出して。
それならと順番を譲ったら、この有様だ。


もはや、お見舞いなんてできるわけが無い。






「結構、奮発したんだけど。このスイーツ」
「そうか。ごめんな。台無しにした」
「まあ、しょうがないじゃん。3人で食べればいいよ」


病院からの帰り道。
あげ損なったゼリー詰め合わせを上条に押し付けて、並んで歩く。
一人挟んで隣を歩くインデックスが言う。


「やっぱり、とうまは詐欺師だね」


全く持って同感だ。


「うん。やっぱり、アンタは嘘つきだ」


そんな言葉に、上条はわずかに笑う。


「まあ、あれだけ声が出たんだ。元気だってわかってよかったじゃないか」


そういうこと、言ってるんじゃない。


「乙女心を弄ぶと、突然後ろから刺されるわよ?」


デリカシーのかけらもないやつだ。


「大丈夫だ。ときどき鏡で見るようにしてるから」


わざとらしく携帯を出す。
可愛くない。


「人の心に土足ではいると、恨まれると思うな」


インデックスが込めた毒にも、ぴんぴんしている。


「それは慣れっこだ。……だが、ちょっとやり過ぎたかな?」


多分、これは意味の無い問い。
コイツは、やり過ぎたなんて思っちゃいない。
でも。


「ううん。きっと、大丈夫だと思うよ」


そう、私が言うことを予期しての問いだとわかったから。
正直者の私は、ちゃんと答えてあげるのだ。


「だといいがな」


そして、言葉が途切れ、私達は歩く。
でも、けっして居心地の悪い空気なんかじゃない。


左を歩く上条を見る。

相変わらず、無表情。
相変わらず、綺麗な姿勢で、滑るように歩いている姿。
コイツは、どう、思っているのだろう。


「ね、聞いてもいい?」

「なんだ?」

「アンタはさ、私が羨ましい?」

「いや、特に」

「アンタはさ、レベル0でいるの、嫌?」

「それほど嫌じゃねえよ」






「じゃあ……アンタはさ、なんで、学園都市にいるの?」






予測外の質問だったのだろう。
上条がこちらを見る。
無表情だが、僅かに眼が動いている。
脳波が視れなくたって、答えをサーチしているのが見える。


「俺さ。7年前、ここに来た」

「そうなんだ」

「ここに来る前にいたところに、居たくなくてさ、逃げてきたんだ」

「……え?」

「逃げてきたんだよ。だから俺は帰るところが無いんだ」

「……そう」

「それが、理由かな」


私は答えの意味を考える。
インデックスもきっと考えている。
上条はきっと、私達がどう考えているのかをトレースしている。
そんな思索が交差する、夏の日。






やっちゃった。
流石にやっちゃった、と思う。
いくらなんでも、恩人にグーパンチは無いだろう。
言われたことだって、そこまで酷いわけではなかったのに。


「あーあ。やっちゃったなあ」


独り言こぼしても、現実は変わらない。
私が選んだ道。
私が、背負わなきゃ。


でも、すっきりした、と思う。
なんだか、とてもすっきりした。


私が、いつまで学園都市に居るのか。
私のレベルが、この先上がるのか。
それは解らない。
将来、今日の選択を後悔するときが、来ないとはいえない。


でも、私が生きているのは今日なんだ。
明日でも、明後日でも、1年後でも50年先でもない。
だったら、今日、ベストと思うことを、するしかないじゃん。


あーあ。と良いながら、立ち上がり伸びをする。
ついでに背中を逸らし、仰け反ってみる。


目に逆さに映る、世界。


解った。
唐突だけど解った。
今日のところはこれがベストだ。


初春に、もう一度謝ろう。
上条さんには、うんと謝ろう。
御坂さんやインデックスにも謝ろう。
白井さんにも謝ろう。


謝って、謝って、心を軽くしたら
もうちょっとだけ頑張ろう。



だって、私はさっき見たんだ。

ヒーロー。
自分の人生を生きる、一人の無愛想なヒーロー。



でも、あれなら私だってなれる。


コインを音速で飛ばせなくても。
瞬間移動ができなくても


たとえ、涙をぬぐう風が吹かなくても。


私は、ヒーローになれる。
私は、ヒーローになる。






私が決める、私が生きる人生のヒーローに、私だってなってやる。
なってやるからな。
絶対に。




[27370] とある・もしもの世界 《吸血殺し》
Name: verdadelo◆5ddb6f89 ID:aabc9d6f
Date: 2011/05/11 19:50
《吸血殺し1》

ベッドから、飛び起きた。
また、あの夢だ。
私が、皆を殺す。
全てを灰燼に帰す。

そんな、真っ白い悪夢。

額に浮かぶ汗もそのままに、姫神秋沙は顔を覆った。






上条当麻と出会ってから時間の進みが速くなった気がする、と御坂美琴は思う。
楽しくて時間が経つのを忘れるという言い回しはよく聞くし、そういった面も
まあ、無くはない。
しかし振り返ってみれば、それ以上に命をやり取りするような事件が過密なスケジュールで
詰まっていて、これが圧倒的に時間を食いつぶしているのだ。
生きるか死ぬかなんてことを、この2週間ちょっとで3回も味わった。
しかし、さすがにもう一生分使い切っただろう。

だから海などという、漂流やら水没やら幽霊やらサメやらに溢れている、そんなスリリングな
場所に敢えて行ったとしても、これ以上厄介が起きるとは考えられない……よね?

そんな具合に疑問譜が消えない程度に、御坂は自分の運命をぼんやりと認識していた。



「で、どこにする?」
「近場で良いんじゃないか。どこ行っても、混んでるだろうしな」
「遠浅で砂浜となると、あまり選択肢も無いしね」



佐天涙子の見舞いを空振りした日。
せっかく外出したのに帰るのはもったいないということで、駅前のデパートに行ってみた。
8階に苦い思い出があるものの、この近くではそれなりに大きく品揃えも良い。
特に何かというわけではなかったが、ここにもセールの波は来ていたようで、
売り場の熱気に、だんだんと楽しくなってくるから不思議なものだ。
そして、一際混みあう売り場を覗いてみれば、女性用水着が大安売り。
押し合いへし合う女性客にまぎれる事に僅かな抵抗を見せた上条の襟をつかみ、
インデックスにセールの処世術の概略を教えると、いざ合戦と突入を開始する。



曰く、奪われるくらいなら、奪え。



青ざめたインデックスの緊張も、ぎゃんぎゃん言ってるおば様たちの喧騒に麻痺したのか。
彼女は、意外と積極的に攻めの姿勢を見せる。
それに触発されて私もアグレッシブな攻勢にでる。
上条当麻は、奇妙な目で見られながらも無表情でたたずんでいる。

そんな激しい戦いの末、ようやく手に入れた水着。
試着を待ち会計を待ちで3時間以上かけた戦利品だ。
使わないなんてありえないよね。
いや、むしろ明日にでも使いたい。
インデックスと目と目で語り合った結果、多数決により海への旅行は即決された。


一応天候も調べたが、問題なし。
外出許可も、当然のように不正アクセスによって偽造するので許可が下りるのを待つ必要も無い。
携帯で調べれば、2時間以内で行ける海水浴場はあまり選択肢も無かったので、特に揉めることなく、
プランは確定した。



インデックスはひたすらに上機嫌だ。

ビーチボールやら浮き輪やらの入った大荷物を持つ上条も、彼女の姿をみて僅かに嬉しそうな表情を見せた。
最近は、ようやく心の疲れが減ってきたのか、夜うなされることも少ないと聞く。
彼女が手に入れつつある幸せと、それを壊しうる呪いの存在を話すタイミングについて、
御坂美琴は少しだけ思いを馳せた。



そんなこんなの帰り道。
スキップしそうに上機嫌だったインデックスの足が、ぱたりと止まる。
その目が何かを見ている。


「魔術か?」


荷物持ちが問う。


「うん。なにか変な流れが見えるの。なんだろう、ずっと続いている」


歩き出しそうになるインデックスを御坂の手が止める。


「待ちなさい。正体不明のものを追いかけるのは危険だわ」


能力の目で見ると、確かに、インデックスの見ている付近の電磁波の連続性に違和感がある。
言われなければ、絶対に気付かない程度の違和感だ。
細い道のように蛇行しながら路地裏へと続いている。


「どんな感じだ?」
「解らないわ。とりあえず、電磁波の乱れっぽいのが細く路地裏に続いている」
「みこと、見えるの?」


インデックスが驚いたように聞く。


「見えるというか、なんていうのかな、消しゴムで消し損ねた薄い筆跡、みたいな感じ。
読めそうで、読めない、でもそこにあることが、言われれば解る、ぐらいよ」
「お前には、はっきり見えるのか?」
「うん。見えるよ」
「やっぱりね。専門家は違うわ」


専門家、という言葉は選択ミスだったか。
彼女の顔が少しだけ曇ってしまった。


「インデックス、追跡する意味がありそうか?」
「わからない。ただ魔術の流れって、この街で久しぶりに見たから気にはなる」
「それは、どういうときにできるんだ?」
「強力な魔術師が通ったあと、が一番可能性は高いけどフェイクかも」
「何かの術式である可能性は?」
「これだけでは解らないかな。追跡すれば、わかるかも」
「そうか、じゃあ荷物を家に置いて改めて追跡でも良いか?」
「うん」
「御坂も、それでいいか?」
「放っておくのも気になるしね。確かめましょ」


そして、一旦荷物を置いてから家に帰り、追跡したものの大きな収穫は無かった。


「ここで流れは終わっている」
「そう、みたいね」


目が悪い人みたいに、目を凝らす。
別に目を凝らさなくても見えるはずなのだが、こうすると、少し見やすい気がする。


「なにか意味はありそうか?」
「多分、ない」
「そっか、じゃあ帰ろう」


あれは、一体なんだったのか。
その正体を知るのは、それから18時間後の話である。



ちょっと気にならないでもないが、これしきのことで水着を無駄にするわけには行かない、
というのが、私と美琴の意見だった。
当麻はちょっと考えて

「問題ないか」

とGOサインを出した。



そして迎えた、8月8日。
学園都市を無事不法脱出すると、一路海へとつなぐ電車に揺られることとなる。
一部では笑いの日という、と、昨日テレビでやっていたと記憶する。
せっかくだから、いつもよりも笑いが絶えないと良いな、とインデックスは願った。
その時に、当麻の携帯がなる。
電車は貸切といって良いほどがらがらだ。
良いと判断したのだろう、彼は電話を取る。


「もしもし……?だれだ?…、え?なんで、俺が?え?」


なんだろう。


「いや、意味が解らないんだが。だってお前の仕事なんだろ?うん、うん。……え?」


なんだか少し困っているように見えるが、大丈夫だろうか?


「ああ、わかったよ。うん、……行きたければ一人で行けよ。……いや、そこまでは責任取れねえよ」


美琴を見るとそ知らぬ顔。
ああ、そっか。筒抜けなんだっけ。
それに気付かない当麻ではない。
だから、あとで、きっと話してくれるはずだ。


「解ったよ。じゃあな」


結構な長電話のあと、電話を切る。
そして、美琴をちらり、とみると



「聞こえたと思うから話すよ。この前、家のドアを壊した犯罪者が、協力してほしいんだとさ」



話を要約すれば、学園都市で有名な進学塾があるのだがこれが錬金術を使う魔術師に乗っ取られた。
そして、そこには吸血殺しという能力をもつ少女が監禁されている。
錬金術師を制圧し、彼女を助けるのが、必要悪の教会所属である彼の任務であり、それを当麻に
手伝うよう要請してきたということだ。


その意味するところを考える。
きっと、人の身を超えようとした魔術師を必要悪が処断する、ということだろう。
それを当麻に伝えつつ、でもそんなことに当麻が協力する必要が無いじゃない、というと、


「協力しなけりゃ、アンタを学園都市から連れ去るって言ってるわ」


と美琴が教えてくれた。
なるほど、そう言うわけか。


「話を聞くと、どうやら今日にでも突入したいらしい。だが、俺達は今日は予定があるからな。
どうしても今日行きたければ、一人で行けと断った」
「断れたの?」
「断るだろ。だっていきなりだぞ。今日じゃなきゃいけない理由もわからなかったしな」
「なんで、断れたの?」
「なんで、っていわれても、よくわからないが」


だって、相手はあの必要悪の教会だ。
どんな無慈悲だって強いる、あの組織が、海に行きたいからキャンセルなんて認めるはずがない。


「俺は、お前を連れ去るっていうのがハッタリだって思ってるからな。強気に出たら、あっさり折れた」

え?
ハッタリ?

「もしかしたら、あいつが今日解決してしまうかもしれない。そしたら俺達は何もしな
くて良い。解決しなければ、多分協力するのは避けられないだろ。だったら考えるのは
明日以降で良いよな。だから、この話はもうおしまいだ。あとは帰ってからにしよう」

「ちなみに、昨日の変な魔術の流れっていうのはあいつの仕業なんだとさ。お前を一人
誘い出してる間に、俺に話をつけようとしたらしい」



「馬鹿よね、そいつ」


そう、美琴が呟く。


「私達が、インデックスを一人でふらふら追いかけさせるわけないってのに」


その言葉が嬉しかったので、とりあえずは思考を棚上げにすることに決めたのだ。












《吸血殺し2》

ぼんやりと鏡を見る。
鏡の中の私が、ぼんやりと見返している。
なぜ、生きていられるの?
貴女。



私を育ててくれた、優しい時間。
私を守ってくれた、のどかな村。
私を包んでくれた、温かい人々。
私を愛してくれた、大切な両親。



その全てを滅ぼして。

なぜ、私はまだ生きているの?






終着駅から海岸までは徒歩で10分ほどであったと、インデックスは記憶する。
駅を降りて海までの道を行けば、水着とTシャツなど、普段は見ない格好の人が
溢れていて、自分がついにハレの日を迎えたのを実感した。

今日の服装は、水色のワンピースと麦藁帽子。
どうせ水着になるんだ、歩く教会を着ていかなくてもいいだろ?
そういう上条当麻に勧められて、1週間ちょっとぶりに別の服装で外に出ることにした。
まあ、前回は私服というより当麻の服と美琴の服を折り返して着ていたのだから、
本当の意味の私服としては、今日が始めてである。
そこまで思い至って、当麻が学園都市外の魔術師の探索魔術を避けるために、
歩く教会を家に置いてきたことにようやく気がついた。

なんて、抜けているのか。

でも、自分の不覚が、幸せの証であるような気がして、インデックスは帽子の角度を少し直した。



「思ったより空いてるな。よかった」
「そうね。もっと混雑しているかと思った」

海岸が見渡せるところまで来て、芋洗いにならずにすんだことに御坂美琴は安堵する。
なにせインデックスにとって人生初の海水浴なのだ。
完全記憶能力者である彼女には永遠に記憶されるであろう、幸せの1ページ、
できることならより良いものにしてあげたいと思うのは必定である。


件の少女はハイテンションだ。


全身から嬉しい、楽しい、大好きの電磁波が出ているのが能力を使わなくてもよくわかる。
頭1つ分私より小さい彼女はそれでも同じ光景を見たいのか、爪先立ちで海岸を見る。
その表情に感動と驚きが広がっていくのを、上条がわずかに満足そうに見ている。

「転ぶなよ」

バレリーナのようにそのままの姿勢で歩き出そうとする彼女に、彼が声をかける。
そうか、私も背伸びをすれば彼と同じ視界が見えるのか。
そう思ったので、私も彼女に続いて同じ姿勢をとる。
見える世界は、ほとんど変わらない。
変わるのは、ごく近傍だけ。
私の大切な友人たちの、肩の位置、顔の角度、髪の毛の見え方。
それがほとんどだ。
けれども私はそれにとても満足したので、転びかけたところを上条に助けられるまで
インデックスとよたよたと歩きながらプラス6 cmの世界を楽しんだのだ。



「どうよ?」
「どうかな、とうま?」


そして、時が来た。

お待ちかねの、水着お披露目タイムである。
男のほうが着替えるのが早いから、水着になっても浮き輪を持ってもペールな表情を示す上条に
インデックスと二人、羽織った上着を脱いで見せ付けてみた。


「いいんじゃないか」


やっぱり、予測通り淡白な回答だ。
やはり僧侶に色気は通じないのか。
当然、色気が不足しているなんて可能性は承認できない。
隣からも、やや落胆の空気が漏れるのが聞こえる。
すると、


「……すごくかわいいと思うぞ」


は?と固まる、私達。
耳を疑う。
今、なんて言った?


「すごくかわいい。やっぱり違うな。ドキドキする」


え?
なんですと?


「変な言い方だけど、女の子なんだな、って思うな。見れて、よかった」


想定外のほめ言葉にフリーズしかかるが、寸でのところで過去の経験に救われる。
よく見れば、わずかに口角が上がっている。

やられた。

隣で機能を停止しているインデックスを肘でつついて再起動する。
彼女もすぐに現状を把握したらしい。
銀の眉が吊り上がるのが見えた。


「ありがと。アンタも良い体してるじゃない。ドキドキするわ」


やられてばかりは癪だから、意趣返しにウインクも上乗せしたが、通じなかったらしい。


「ありがとな。じゃあ、行くか」


と言って、すぅと歩き出す。
まだ、勝てないか。


くそぅ。






そして、海だ。
泳いだこともないインデックスを浮き輪に通すと、そのまま少し沖までいってみる。
上条に手を引かれながら、彼女は不器用にバタ足をしながらついてくる。
彼は水の中でもポリシーを曲げないのか、相変わらず綺麗な姿勢で泳いでいる。

インデックスはさっきから笑いっぱなしだ。
私も妙にテンションが上がっているのを感じる。
上条だって、注意してみれば楽しそうだ。

水面に仰向けになって、空を見る。
快晴とはいかなかったが、入道雲と青い空は、それはそれで夏らしい。
そして、今の私達は、本当に夏季休暇の学生らしい。

こんなに、楽しい時間があるなんて。

隣で同じように仰向けになっている嘘つきに、心の中で感謝した。



海で泳いだ後すこしだけ美琴から泳ぎを教えてもらったが、海の水が塩辛いという本の知識が
正しいことを4回くらい実体験したところで打ち切りになった。
美琴先生によれば、波もない淡水のプールのほうが練習しやすいということ。
プールについて聞くと、巨大な滑り台があったり、円形に水が流れたりと、海とは違う
魅力に溢れたところらしい。
今度、一緒に行きましょ、と笑う美琴に笑顔で答える。


私の心の図書館は、今日も幸せの本で溢れている。


「そろそろ昼食にしよう」


見計らったようなタイミングで当麻が入り、私たちは浜へと帰還した。






今度は、スイカを割ってみたい。
今度は、本格的にビーチバレーをやってみたい。

今度は、今度はと繰り返す欲張りな姫も、体力とテンションが尽きたのか、揺られる電車に
あっさり沈没した。
寄りかかる銀色の頭を見た後、御坂美琴は通り過ぎる車窓に目を落とす。
流れる緑と、海の藍。
そして海沿いの町並み。
30年前の景色は流れ、流れて、やがて思い出へと変わっていく。
隣の上条に目を向ければ、彼も窓の外を見ているようだった。


コイツの思い出、か。
このお人よしで嘘つきな僧侶は一体、どんな人生を過ごしてきたんだろう。


「ねえ、アンタさ。子供のときってどうだったの?」
「どう、とは?」
「子供のときからそんなふうに無表情だったの?」
「……さあな、覚えてねえよ」


彼の目をみる。
彼の心に、なにかのファイアウォールが展開されているのを知る。


「お前は、どうだったんだ?」


きっと、その質問は、防壁プログラムが算出したもの。


「私も、あんまり覚えてない。でも、普通、だったと思う」
「普通?」
「普通に学校に行って、普通に友達と遊んで、普通に超能力なんてなかった」
「そうか。お前は、どうして学園都市に来たんだ?」
「能力にあこがれていたから、かな」


どうしてなのか、きっかけは覚えていない。
はっきり覚えているのは、初めて両手の間を走った電子の光と、そのときの感動だ。


「そうか。じゃあ、なぜレベル5になったんだ?大変だったんだろ?」
「そうね。それは、私が負けず嫌いだったからよ。努力で勝てるなら勝ちたかった。それだけ」
「お前らしいな」
「でしょ」


三つ子の魂百までも、だ。
すると、隣の少女が少し身じろぎをする。

そうだね。
あんたの事も、忘れてないからね。


そして、私もファイアウォールを展開する。


「ねえ、インデックスのこと、どうする?」
「どうする、とは?」
「いつに、する?」
「今日かな」


言葉を省略しても、伝わる事実。
やっぱり。


「明日の朝じゃあ、だめかな?」
「考える時間が欲しいだろう。今日言って明日までに決めるほうが良いと思う」
「インデックス、楽しそうだったよね。……なんか、哀しいね」


そんな私のつぶやきも、きっと防壁が生み出したものに違いなかった。






家に着くと、当麻が麦茶を出してくれた。
それを3人で飲んで一息ついていると、彼はいつもの調子で私に話す。


「インデックス。お前は、自分にかけられている呪いが見えているよな」


カラン。
小さい音を立てて、氷が動く。


「……え?」
「お前にかけられている呪いだ。まだ解いていない、呪いだ」


麦茶を一口飲む。
味は、なかった。


「どうして?」
「ただの想像だ。もしそんなものがないなら、それが良い」


美琴を見ると、悲しそうな顔をした。
そうか、知っているんだ。二人とも。


「見える、よ」
「どこにある?」


言っても、意味がないから言わなかったのに。
どうして、いつもこんなに鋭いのだろう。


「心臓」


美琴が息を呑む。
当麻の視線が、少しだけ揺れる。


「だから、幻想殺しでは消せないの」


それでも、私は笑える。
だって、こんなに幸せなのだから。
呪いの1つや2つ、大したことはない。


「それを、消したいか?」


当麻が聞く。
意味が理解できない。


「もちろん、消したいよ。でも、無理なんだもん」
「消したことがイギリス清教にばれたら、お前は学園都市に居続けることは不可能だ。
きっと、一生追われ続けることになるだろう。殺されるかもしれない」
「……」
「それでも、消したいか?」


少しだけ、考える。
この呪いを消したことが発覚すれば、私は世界中の魔術師から追われることになる。
捕まるなんて考えられないけれど、それでも、逃亡生活が如何に辛いかは、私が一番知っている。


でも。


「消したいよ」


当麻の目をみて、真っ直ぐ答える。
私は、もう、わかったのだ。
私は、禁書目録じゃない。
インデックスなんだ。
だから、私に商品になることを強いる呪いなんて、真っ平ごめんだ。


「それで、いいのか?」
「もちろん」


だから、ちゃんと答えられる。
それを聞いて、当麻は20 秒間、考えた。
そして、応ずる。






「じゃあ、消そう」






薄手の服に着替えて、ベッドの隣に当麻が寝ている布団を敷いて、その上に横になる。
ふと、当麻の匂いがする。
いつも、彼はこれで寝ているのだ。

私にベッドを譲り、少しだけ距離を置いて彼はこの布団で寝ている。
私がうなされると、必ず起きてくれる。
私が再び寝られるまで、話し相手になってくれたり、お腹をぽん、ぽんと軽く叩いてくれる。
私が突然孤独におびえると、必ずそばに来てくれる。
手を握って、頭をなでて、言葉は少ないけど、慰めてくれる。


そんな、優しい匂いがする。


「これでだめなら、外科的手法しかないな」

胸に手を当てても呪いが解けないことを確認した彼は、やや荒っぽい方法をとることにした。
私の胸骨に右手を当て、全力で押して胸骨越しに心臓に触れる。

すなわち、心臓マッサージだ。

心臓マッサージは正常に動いている心臓に行うと、心室細動を起こして死ぬことすらあるらしい。
しかし、AEDよりも細かく電流を制御できるレベル5がいればそんなリスクはない。
ただ、肋骨が折れるかもしれないと彼は言った。
肋骨くらいで良いなら、と笑う私に、

「しばらく笑うと痛くなるぞ」


と、少しだけ笑顔を浮かべて答えた。


「じゃあ、やる。いいか?」
「うん」
「人工呼吸も今ならサービスするけど、どうする?」
「じゃあお願いしようかな」
「馬鹿」


これだけのことで少し慌てる彼は、きっと緊張しているに違いなかった。
きっと、私にとって、正しいかどうか、迷っている部分があるに違いなかった。
だから、私は言う。
この、優しい詐欺師に。


「解けたことはちゃんと隠すから、大丈夫」
「そうか」


彼は答えて、私の胸に右手を当てて力をこめる。
肺から空気が追い出される。
頭に血が上るような感覚がする。


「手加減、しないで」


もう一度。
今度は強く。


骨がきしむ音がする。
視界がゆがむ。
そして。



パキン、という音とともに。

私の自由を奪う呪いが、
私の理性を奪う呪いが、
私の視覚を奪う呪いが、
私の聴覚を奪う呪いが、
私の手足を奪う呪いが、
私の生命を奪う呪いが、



そして



私の魔力を奪う呪いが、

すべて、はじけた。






肋骨は折れていなかった。


だって、泣いても、そして、その後3人で盛大に笑っても。

私の胸は、少しも痛まなかったから。












《吸血殺し3》

吸血殺し、という能力だと聞かされた。
吸血鬼なんて居るかどうかわからない。
それでも、私にはそれを殺す能力があると、矛盾に満ちた説明をされた。
その矛盾を指摘する気力もなかった。


流された果てに漂流した、学園都市だった。
楽しい学校生活を送るには汚れすぎている私は、
当たり前のように孤立していた。


寂しいなんて、思えなかった。
泣きながら私の首に引き寄せられて消えた、母に申し訳ない。

悲しいなんて、思えなかった。
震えながら私の腕に引き寄せられて消えた、父に申し訳ない。

苦しいなんて、思えなかった。
猛るように私の体に引き寄せられて消えた、皆に申し訳ない。


学校と寮とを往復するそんな毎日は、私に与えられた罰としては
あまりに優しすぎて。

しかし、それしかできない無力な私は淡々と時間を消費するより他はなかった。


もし、願いがひとつだけ適うなら。
私から、この力を消して欲しい。


その願いは、口より先にでることはなく。
ゆえに誰にも聞き入れられなかった。






魔神になっちゃった。


私はそういって、泣いた。


この世の全てを、例外なく捻じ曲げる。
跡形もなく、情け容赦なく、徹底的に捻じ曲げる。


そんな魔神に、なっちゃった。


そういって、泣いた。


束縛からの解放の喜びと、世界中と敵に回した孤独は等しく釣り合い、
いずれにしても、涙に変わった。





そうしたら、当麻が言うのだ。


魔神でいいじゃないか、インデックス。これで、誰がなんていおうと、お前の自由だ。
もう、おびえることなんて、全然ないじゃないか。


そうしたら、美琴が言うのだ。


いいなあ、インデックス。私だって、どうせだったらそのぐらいぶっ飛んだ強さが
欲しかったな。







笑いながら、言うのだ。
嬉しそうに、言うのだ。


そうか、気づけば、私は、孤独ではなかった。
だって彼らは、禁書目録じゃなくて、インデックスの掛け替えのない友達なのだから。


わかったとたん、平衡が崩れた。

自由の喜びと、私を包む温もりと、私の記憶の幸せに。

笑い、笑って、そして、笑った。

2人からの抱えきれない祝福を受けて。






もっと衝撃を受けるか、悩むんじゃないかと思っていた。
呪いがあるってことにも気づいてないのかとも思っていた。

だけど、やっぱりインデックスはすごかった。

自分の呪いを知り、それが解けたときの自分の末も知って。
それでもそっと知らん振りをしていた。

この強さは、ひょっとしたら彼女の不幸が作ったものかもしれない。
でも、私が彼女に劣るところ。
勝ちたがりの御坂美琴がきっと学ばなければいけない、大切なことだ。


「明日ってどうなるのかな」


ひとしきり笑い疲れて、彼女の肋骨の無事も確認して。
簡単に作った夕飯を食べた後、インデックスがつぶやいた。

といっても、実際はほとんど解決したようなものだ。
インデックスに聞けば、錬金術はそれほど強力な魔術じゃないらしいし、
こちらにはあらゆる魔術を防ぐ最強の盾がある。
ここは学園都市で、情報を制御し、雷だって操るレベル5だっている。
おまけに、呪いが解けたことをリークしないように、表には立てないものの
神様の領域に足を突っ込んだ天才までそろい踏みだ。
負ける要素を探すほうが難しい。
せいぜい、話に聞く間抜けな長髪魔術師が、足を引っ張らないことを願うくらい。

そんな感じに軽く考えていたが、相変わらず上条は慎重だ。


「人質がいるからな。あんまり簡単には考えないほうが良い」


たしかに言うとおりだ。でも、情報がないじゃない。


「そうだな。あいつには連絡が取れないからな。それが、気になるんだが」


例の魔術師と、明日の件について話すために上条が何度か電話したが、連絡がつかない
とのことだ。
念のため、基地局の情報を探ってみたが、該当する番号の端末は見つからない。
どうやら、電源が入っていないらしい。
どうする?とインデックスが問う。


「あいつの魔術を探索することができるか?もちろん、ばれないように」
「探索術式は外に開かれた系だから、完全に隠蔽するのは難しいよ」
「この前使った、魔方陣を使うとかの方法はないのか?」
「アラビア式占星術を応用すれば、この時期ならば可能だけど、精度が低いから」
「それなら、お前の魔力を使わなくてすむのか?」
「うん。30分くらいあれば、魔方陣もかけるよ」
「ちなみに、どこに書くんだ?」
「あ……そっか、外に書かなきゃいけないから」
「今日使ったビニールシートの裏を使えばいいんじゃない?」
「とうま、使っていい?」
「かっこいいからな。ぜひ書いてくれ」


インデックスがマジックでさらさらと文字を連ねる後ろで、そっと上条にささやく。


「よかったね、うまくいって」
「ああ、本当に」


でも、結局この日は魔術師の居場所を特定することはできなかった。






8月9日
電車に乗って、20 kmほど離れた公園に来た。
より精度の高い探索術式を使用するため、地脈なる力を借りるためらしい、と御坂美琴は理解する。
魔術というのは学園都市の能力と異なり、世界に点在する、または偏在する力を利用して
異能を達成することができる。
外部の力を使える分コントロールが難しいのか、たやすく精神崩壊や暴走を起こしうると
インデックスは説明してくれた。
そんな危険をはらむ魔術だが、彼女は淀みもためらいもなく使役しているということが
素人目にも良くわかった。
昨日の夜に書いた魔法陣を地面に置き、彼女は何かをつぶやく。
魔法陣の文字が光だし、やがて陣の中に場所が示された。


「生きてたんだな。よかった」


上条がつぶやく。

彼は学園都市の17学区にあるホテルで食事を取っていた。



携帯電話は相変わらずつながらないため、ホテルの名前から電話番号を調べ、
フロントに電話して呼び出してもらうことにした。
上条が話していたが、なぜか魔術師は昨日の話も自分が学園都市に来た目的も
覚えていないらしく、話がかみ合わないとのことだった。
さらに携帯電話もいつの間にか無くなっていた、とことだった。


ミッションに失敗して何らかの方法で記憶を改竄され、放逐されたのは明らかだった。


錬金術師にそのようなことができるのか、という上条の問いに、
インデックスは首を振る。
上条はわずかに考えたあとに、魔術師に会うことを提案する。

あいつは命まではとられていないから、相手はそれほど危険な存在ではないかもしれない。
そして、イギリス清教が正しい情報を提供している保障はない。
だがインデックスはイギリス清教所属であり、表立って反抗することはできないから、
いずれその錬金術師に対峙しなければいけない可能性は高いだろう。
ならば相手の手の内を探るために、魔術師が受けた攻撃を解析しておいたほうがよい。

インデックスを追い詰めた魔術師とインデックスを会わせるのは気が進まなかったが、
強く反対する理由もなかったので、私達は例のホテルに向かうことにする。



ところが、事件は思わぬ形に転ずることになった。



吸血殺しの異名をもつ少女、監禁されているはずの姫神秋沙がふらふらと歩いているのを、
インデックスが見つけたのである。












《吸血殺し4》

桜が散り梅雨が始まっても、私の生活が変わることはなかった。

単調で、静かな死に至るような毎日。

喜怒哀楽を押し殺したつもりはない。

それらは気づけば自然と消えていった。

だから、ある日下校途中に唐突に攫われたとしても、

私にとって大きな問題ではなかった。






それはホテルまであと5分といった地点だった。


「とうま。あの子、吸血殺しかもしれない」


インデックスが小声で指差す少女は、隣を歩く彼と並ぶほど無表情だった。
しかし、その歩みや瞳に生気はない。


上条が無表情でその少女を眺める。
御坂は彼の目の細かい動きに気づく。


「かもしれない、というのは?」
「吸血鬼の存在は、魔術暦上確認されていないの。ただ、伝承や信仰から吸血鬼と、その
天敵である吸血殺しは推測されている。その仮定された存在に、彼女から感じる魔力は合致している、というわけ」
「そんなに不確かなものなのか?」
「うん」
「……そうか。そのお前が感じる魔力っていうのが、吸血殺しの能力の源なんだな?」
「多分ね」


上条が2秒ほど黙る。何かを思考しているのが、御坂にはわかった。


「たしかに、あの魔術師の情報と外見は合致するな。他の可能性はあるか?」
「魔道書には合致するものはないよ。学園都市の能力者にならあるかもしれないけど」
「学園都市の能力者に魔力を感じることはあるのか?」
「近い力を感じる人が、ごくたまにだけどいるよ」
「そうか。ところで話が変わるんだが、歩く教会って、お前以外が着ても効果があるのか?」
「え?……うん」
「あと、歩く教会って、作るのは結構大変なのか?」
「地脈やテレズマを使用して、それなりに霊装として耐えうる寄り代があればそれほど大変じゃないよ
……でも、どうして?」
「ちょっとな。確認だが、お前の歩く教会は特別に貴重なものという理解でいいのか?」
「うん。これは特別性だよ」
「そうか。……わかった。ありがとう」


そして、さらに5秒間思考したあと彼は彼女たちに問う。


「なあ、少し面倒に巻き込まれると思うが、許してくれるか?」






待ち合わせしたホテルのロビーで、ステイル=マグヌスは上条当麻を待っていた。
既に待ち合わせの時間から30分が経過している。

必要悪の教会に問い合わせた結果、自分が不覚をとったことは明白であった。
この弱みがなかったら、きっと席を立ち去ったに違いなかった。


「悪い、少し遅れた」
「少し、ね。なら、水の中に少しだけ沈んでみるかい?」


彼にとって、上条当麻は不意打ちで自分を倒した卑怯者であり、インデックスを騙して
いつの間にか管理人に納まった許しがたい敵である。
イギリス清教や学園都市両者からの命令がなければ、この場で灰にしても良いとさえ
感じていた。


「すこし、厄介ごとがあってな。すまない」
「まあいい。とりあえず君が居なかったせいで昨日僕は不覚を取ったようだ。今度は協力してもらうぞ」
「その言い方は俺の力を当てにしているように聞こえるが、そうなのか?」


口が炎の術式を紡ぎそうになるのを、必死でこらえる。


「当てにはしていない。当てになるとも思っていない。ただし、これはイギリス清教、
学園都市両者の意向だ。君には従う以外の選択肢はない」
「異論はあるがまあいい。ところで、確認したいのだが」


少し、間をおく。


「イギリス清教が吸血殺しの少女を保護する理由。それは彼女を助けることだと言っていたな。具体的に、どう助けるんだ?」
「それは、君の知ったことではない」
「俺は、彼女の能力をコントロールする方法を与えることと認識している。仮に俺がそれを
可能とするなら、俺が代わっても良いか?」
「言っている意味が、わからないが。第一、どうやって、君にそんなことができる?」
「それはお前の知ったことではない。で、良いのか?」
「ちっ……。まあ、イギリス清教がコントロールできていると確認できる手段なら、
勝手にすればいい。我々の主たる目的は、錬金術師の討伐だ」
「良いんだな」
「くどいぞ。勝手にしろ。いずれにせよ、三沢塾に行かなければ話が進まない。その話に移るぞ」
「その前に、なぜ錬金術師が吸血殺しを監禁しているのか、理由が聞きたい」
「なぜだ」
「そこにはなんらかに意味があるはずだからだ。討伐方法に影響する可能性がある」


ステイルは苛立ちを隠さず、舌打ちをしながら答える。


「吸血殺しは吸血鬼を呼び寄せる。吸血鬼は未だ確認されていない存在だが、永遠の命を
持つと考えられている。錬金術師は呪文の詠唱に時間がかかるからね、永遠の命はさぞ
魅力的なんだろうさ。……これで、気が済んだか?」
「つまり、錬金術師が吸血殺しを手に入れたからお前たちはそいつを討伐する、ってことで良いのか?」
「ああ、そうだ。もう、いい加減に話をそらすのはやめたまえ」
「ああ。じゃあ、本題に移ろう」



計画はごく、シンプルなものだった。

正面から突入し、撃破する。

上条当麻に指摘されるまでもなく、およそ作戦とは言える代物ではなかった。
聞いた彼はため息をつくと携帯をいじる。
そして、

「じゃあ、いこうぜ」

と立ち上がった。






三沢塾は、とても不自然な建物だ、とステイルは感じた。
周囲の建物と比較して、あまりに内部の魔力の流れが見えなさ過ぎる。
その強力なステルス性能に、緊張感の高まりを覚えた。

ここで、一度、自分は完全敗北した。

記憶がないために過去の経験を生かすことはできないが、その事実は少なくとも
自分の中にある甘さを消し去ることに役立つ。
ため息をついて、突入しようとしたときに、視界に1人の少女が映った。



インデックスだ。



厳しい視線が自分に向けられているのが良くわかる。
それが自然であるのは分かっているが、何度見ても、胸が痛む


「上条当麻、なぜここに彼女がいるんだ?」
「質問の意味がわからないが」
「そのままだ。なぜ、ここにいる?」
「あいつは魔道書図書館だ。未知の能力を使う相手に協力を求めるのは自然だろ。
それに、あいつだって必要悪の教会のメンバーなんだろうが」


そう言われれば返せる言葉はない。


「くそッ……。じゃあなぜ、彼女は歩く教会を着ていないんだ?あんな無防備な状態で、戦わせるのか?」
「まあ、いいだろ。お前、本当は強いんだろ?だったらお前が守ればいいんじゃないか?」

本当は、のところにアクセントをつけられた。

「貴様……」
「いいから行こうよ、とうま」


彼女は上条の手をとる。
そこにある自然な信頼に暗い気持ちが芽生えるのを、ステイルは頭を振って追い払った。






やはりインデックスは極めて優秀だったと、建物に入って直ぐに知った。


自分から見て一体にしか見えない術式を的確に個々に分解し、その重心を上条に告げる。
上条はそれを右手で打ち消す。
それに伴って、周囲を覆う空間を圧縮するような効果が、映し出された虚像が消されていく。
自分がしたことといえば、たまに出てくる魂が抜けたような学生を打ち倒すくらいだった。


「次は、そこの壁。ポスターのあたり」


あの子が指摘する。
無言で頷き、上条がそれを消す。


個々を破られた影響が及んできたのか、渾然一体として建物を覆う魔術の場に、次第に揺らぎが出てくる。
多重にかけられた術式がバランスを崩し、場の崩壊が起こるのは時間の問題と思われた。



そのとき。






「唖然。君は、また懲りずにやってきたのか」



我々3人しか居ないはずのフロアに、声が響く。



振り返ると、アウレオルス=イザードが不敵な笑みを浮かべて、唐突に現出していた。












《吸血殺し5》

雨が上がり、季節が変わったことは、カレンダーが教えてくれた。

監禁されてから1月余り建物から一歩も出られなくても、私の時間に変化はなかった。

ただ、単調に、毎日が浪費されていく。

そんな日々に、変化が訪れる。


唐突に現れた錬金術師は、建物の占拠を宣言した。

能力で押さえ込もうとするものたちは、すべて彼に屠られた。

私は、目前での一頻りの殺戮劇にも、なんの感慨も受けなかった。

それは、慣れ親しんだ風景だったから。

しかし、死んだ表情で見つめる私に、彼は見せた。

示された希望に、わずかに心が動かされた。





忽然と現れた錬金術師に、ステイル=マグヌスは困惑する。
いつの間に、現れた?
いかなる方法で、現れた?
一人の人間を、遠隔転移するのは高等魔術だ。
錬金術など頓狂な道を惑う者が、扱える範囲を超えている。


「久しいな、と言った所で君は覚えておらんか。名も知らぬシスター。……ところで、
君は何故そのような服を着ているのかね?」


アウレオルスはインデックスに話しかけるが、彼女は答えない。

上条が、淡々とした口調で問いかける。


「インデックス。どうだ?」
「防御術式は確認できない」
「わかった、ありがとう」

「ステイル、あいつが、ターゲットということで良いんだな?」
「ああ、そうだ。あれが錬金術師、アウレオルス=イザードだ」


「愕然。ターゲットとは。君は一体いかなる理由でこの場にいるのかね」



しかし上条は答えなかった。

彼はポケットに両手を突っ込んだまま、滑るように前に動き出す。






目の前にぼんやりと座る少女を見て、御坂美琴は小さくため息をついた。
姫神秋沙と共に上条の部屋に着いてから既に30分。
彼女はまだ一言もしゃべらない。

今頃、上条とインデックスは未知の能力を持つ錬金術師と対峙しているのだろう。
自分がその場に居られないことが、酷くもどかしい。
彼らが遅れをとるとは想像できないが、それでもやはり心配だ。
やはり私は、最前線に立って、直接戦う方があっているようだ。

こんな単純では、あの馬鹿にいつまでたっても勝てないではないか。


「貴方達は。なぜ、こんなことをするの?」


ぽつりと姫神がつぶやいた。

最初は上条に似ていると思った。
彼女の表情が消えた顔は、確かに彼に重なった。
でも程なくして、それが間違いであることに気づいた。
彼女はまるで亡霊のようだ。
生きようとする意志と、生きているという証が欠落しているような危うさがあった。


「さあ、私にはまだ分からないわ」


彼の思考は未だトレースできない。
でも、あの馬鹿が言い出したんだから、きっと意味があると思った。
話さないのは不確定な部分があるからだって事も知っていた。


「貴女は。彼を信頼しているのね」


アイツのことは、信頼しているわ。
嘘つきだけど。


「彼は。嘘つきなの?」


息をするように嘘をつく、詐欺師なのよ。


「なのに。何故信頼できるの?」


アイツは馬鹿みたいにお人好しで、優しいから。


「嘘つき。なのに?」


ええ。


「そう」


私には、手段も理由もまだ分からない。
でもきっと、アイツはあんたを助けたいんだと思う。


「助ける。私を?」


そう。
あんたを。






迫る上条に対して、錬金術師は特にあわてる素振りはない。
自らの首筋に鍼を刺し、命ずる。


「動くな。侵入者共」


瞬間、ステイルとインデックスの体が不自然に固まる。

しかし、上条は止まらない。


「何?」


距離にしてあと20 m。
錬金術師の顔に困惑が浮かぶ。


「倒れ伏せ。侵入者共」


その言葉通りに、後ろの2人が地面に突っ伏す。

にやっと笑って上条は、さらに速度を上げる。
錬金術師は次の言葉を告げるべく鍼を取り出すが、当然それは間に合わない。


鈍い音と共にアウレオルス=イザードは上条に蹴り倒された。






「どうして。私を助けると思うの?」


アイツは、そういう奴だから。


「何故。私を助けるの?」


アイツは、そういう奴だから。


「何故。知らない人を助けられるの?」


アイツは、そういう奴だから。






倒されたダメージではなかった。
それはきっと大きすぎる驚愕のせいだった。
額に汗を浮かべ、呼吸すら間々ならない錬金術師に上条は近づく。


「ひっ……」


錬金術師が後退りする。
上条は、ゆっくりと追う。


「あ、歩みを止めよ!」


ばらばらと鍼を落としながら、錬金術師が叫ぶ。
両手を懐にしまったまま、余裕げに近づく上条の姿に、明確な恐怖を浮かべる。


「止まれ!止まれ!」


言いながら遂に背を向ける。
しかし、そこはもう終着地。
部屋の端まで追い詰められたことを知り、遂に絶望に顔をゆがめて振り返る。
その側頭部めがけて、上条の上段蹴りが打ち込まれ。


そして、ぴたりとギリギリのところで止められる。


力を失いへたり込む錬金術師に、上条は宣告する。


「お前の能力は俺には効かない。後ろのあいつらには効いても、俺には届かない」


お前は、絶対に俺には勝てない。
理解したか?


そう告げる余りの迫力に、アウレオルスは、がくがくと何度も頷いた。












《吸血殺し6》

目の前に座る、少女を見る。

レベル5。序列第三位、常盤台の超電磁砲。

世の流れからほとんど切り離されている、そんな私でさえ知る超能力者。

彼女が、少しだけ嬉しそうに、誇らしげに語る、レベル0。

死んだと思っていた心に、わずかに好奇心が芽生える。






俺は、お前と話がしたい。


話し合いではなく脅迫であることを十分理解して、当麻はそう述べた。
自分の錬金術式が通用しない事態に混乱した彼は、震えながら何度も頷く。
当麻の読みがうまくいったと判断し、インデックスは安堵の息を吐いた。






錬金術は頭の中に世界を構築し、それを現実に反映される術式だ。
術式の効力は理の連続性から独立するから、体が破裂させかつ死なせないなどの事象を
実現することもできる。
吸血殺しの少女から距離を置いて追跡しつつ、私が説明する。

そんな私に、当麻が問う。


「俺の右手で錬金術は消せると思うか?」
「そうだね。きっと、消せると思う」


そうか、とわずかに思考して、


「じゃあやっぱり俺が一人で行くよ。お前と御坂は、姫神と家に帰ってくれないか」


と告げた。


「相手の本拠地に行くんでしょ。アンタ一人じゃ、危険でしょうが」


美琴が当然の指摘をする。


「そうだよ。とうま。高度に完成された錬金術だとしたら、どんな事象も起こせるんだよ。
右手の反応が間に合わないかもしれない」


私も追撃する。


「いや、大丈夫だろ。聞いた感じだと、錬金術は俺には干渉できなそうだから」
「なんで?」
「インデックス、右手が触れるとお前に入ってくる魔力が打ち消されると言ってたよな?」
「うん」
「つまり、俺の右手が触れると、その人にかけられた錬金術は消されるし、その人の内側から作用する目的で注がれた魔力も消えるってことだよな」
「多分、ね」
「だったら」


すこし間を置いて、


「俺自身に右手で触れていれば、俺に錬金術は効かないだろう?」


と当麻は言う。


確かに、当麻の言うとおり、右手で自分に触れることで錬金術を回避できるかもしれない。
でもその保障なんて、どこにもない。
彼が使う魔術が錬金術だけとは限らない。

そんな私の反論に、当麻が答える。


「まあな。100%安全っていうのは無理だろ」


だったら、勝率を上げるために私達も一緒に行くべきだ。


「監禁されているはずの姫神が、今ここにいる理由として考えられるのは2つ。1つは
彼女が逃げ出した可能性。もう1つは監禁されている、ということが嘘だった可能性だ。
そして、前者ならもちろん、後者だとしても、嘘をつく理由によっては、彼女に危険がありうる」

だからお前たちは、あいつを守ってくれないか。


ああ、やっぱり当麻はこんなときでもお人好しだった。
そこになんともいえない危うさを感じて、私は言葉を失う。
しかし、美琴はちゃんと私の意思を汲み取り、彼に伝えてくれた。


「じゃあ、こうしましょう。あの子は私が守るわ。インデックスには劣るけど、私だって
魔力は何となく見えるし、レベル5だから遅れをとることはないでしょ。だからアンタと
インデックスで、錬金術師のところに行きなさい」


だが、と当麻が言うが、皆まで言わせない。


「インデックスもそう思ってるわ。だから、多数決により決定。いいわよね?」






とりあえず、お願いがあるのだが。
そんな枕詞をつけて、アウレオルスに向かって上条当麻は淡々と述べる。


「後ろに長髪の魔術師がいるよな。あいつを気絶させた上で、いまから30分前までの記憶を消してくれないか?」
「唖然。彼は仲間なのではないのか?」
「そう言えなくもないが、俺と、インデックス、そしてお前だけで話をしたいんだ」


何をふざけたことを!

隣で魔術師が叫ぶのを、インデックスは聞く。


「駄目か?」


裏切りと判断したのか、罵りの声と共に攻撃用術式が組まれるのを感知する。


「とうま!」


振り返る彼に迫る炎は振られた右手にかき消される。
その様子を見ていた錬金術師は、首に鍼を刺して命ずる。


「気を失え。そして、忘れよ」


その言葉に従い、崩れ落ちる魔術師。


「ありがとう」


当麻は礼を言い、錬金術師を部屋の隅にあるソファーに促した。






インデックスと衣装を交換して、歩く教会を身に着ける姫神秋沙を、御坂美琴はぼんやり見ていた。
彼女からもれる魔力を遮断することで、彼女を探索することができなくなる。
結果、ここに魔術師が来るリスクも減らせる。
きっと、自分の組織が私を巻き込むことに対する、インデックスの償いに違いなかった。


そんな、姫神秋沙を見るともなしに見つつ、考える。

彼の思考は完全にトレースできたわけではないが、その原動力なら分かる。

彼は、間違いなく、この吸血殺しと呼ばれる少女を助けたいのだ。
彼は、間違いなく、この少女の危うさを何とかしたいのだ。
きっと、私を助けたように。
きっと、インデックスを助けたように。


「彼は。どうしてそんなに誰かを助けるの?」


……私には、わからないわ。


「彼は。どうして誰かのために命を賭けられるの」


……私には、わからないわ。






それは、いかにも彼らしい。

しかし、私にはその理由が分からない。












《吸血殺し7》

ふと、逃げてしまおうかと思った。

今、私が来ている服、歩く教会。
これさえあれば、私は吸血殺しの能力から解放される。
底の見えない錬金術師と結託する必要もなくなる。

目の前の少女は、何かを考え込んでいる。
きっと、逃げられる。
ここから逃げて、学園都市から逃げて。
そのままどこかの廃村にでも、ひっそり住み着けば。
そうすれば、これ以上、誰も害さず。
穏やかに、消えていくことができるのではないか。

そっと、立ち上がる。
薄汚れた卑劣な私が、立ち上がる。






テーブルを挟んで対面に座った上条当麻は、錬金術師に問う。


「単刀直入に聞く。お前は吸血殺しを使って、何をしようとしているんだ?」


その声には有無を言わせぬ圧力が込められている、とインデックスは感じる。


「……」


しかし、錬金術師は答えない。


「俺たちは最初はお前が吸血鬼になって錬金術を完成させようとしている、と思っていた。
でもそうじゃないよな。お前の錬金術は、完成しているか、それに近いレベルなのだから。
じゃあなんのために吸血殺しを攫ったんだ?」
「……」
「もし、それが納得できる答えなら、協力しても良い」
「……とある、一人の少女を救うためだ」


錬金術師の顔が歪む。
彼も何かの覚悟をもって誰かを救おうとしているのか、とインデックスは考える。


「お前の能力は汎用性が極めて高い。なぜ、それで救えない?」
「歴然。その少女の宿命は、人の身に余るものだからだ」
「答えになっていない。お前の能力は人の身を超えたことを起こすことも可能だろう?」
「それは……」
「救う姿を思い描けない、ということか?」


錬金術師が俯く。


「なるほど。大変な状態なんだな。その子は。どういう状態だ?」
「……」
「口外はしない。インデックスの信じる神に誓おう」
「……」


当麻は、ひとつため息をついて。


「質問を変えよう。お前は何故俺に錬金術が通用しないか、わかるか?」
「……いや」
「詳細を教えることはできないが、話によっては俺も協力しても良い」


錬金術師の表情に、迷いが生まれる。


「俺はお前以上の能力者だ。だからお前に不可能でも、俺なら可能かもしれない。そう思わないか?」
「……わかった。が、条件がある。彼女には、席を外してもらいたい」


少しだけ、間が空く。
顔を見れば、当麻の視線が小刻みに動いている。


「そうか。わかった」
「では……」
「その前にもうひとつ。お前の、覚悟を聞きたい」



1秒ほど、間が空く。


「・・・・・・お前はその子を救うために、誰かを殺せるか?」


その言葉に驚いて、当麻をみる。
無表情な顔が、じっと錬金術師を見ている。


「必然。犠牲など厭いはしない」
「証明できるか?」


当麻が、何を言おうとしているのかが、理解できない。


「証明だと。私は、ここまでくるのに、多くを殺していた。これから先も変わらない」
「全ては、彼女のためか」
「そうだ」


それを聞いて、当麻は目を瞑った。
10秒くらい、そうしていた。
そして、目を開けると。


「お前の考えはよくわかった。ありがとう」


そういうと、テーブルを飛び越え、驚く錬金術師の頭を全力で蹴り倒した。






意識を失った錬金術師を一瞥した後、当麻はステイル=マグヌスの頬を叩いて、目を覚まさせた。
現状把握ができない彼に、矛盾ない嘘の説明をし、後の処理を任せて私たちは帰路に着く。


当麻の顔をそっと伺う。


無表情ながら、その中にわずかに表情を見つける。
怒っているような、哀しんでいるような、そんな表情。


「とうま、怒ってる?」
「そうだな、怒っているかもしれない」
「私、今日のとうまは本当に良く分からない」
「そうだろうな」
「……説明して欲しい」
「帰ったら、御坂と一緒にな」
「……うん」


そこで、あっ、と当麻はこぼした。


「しまった。姫神のこと、ステイルに言うのを忘れていた」


当麻は携帯電話を取り出し、おそらくあの魔術師に電話をかける。
どうやら、姫神秋沙を保護しているということを伝えているようだった。
電磁波が読めなくても、相手が困惑していることが良く分かった。
そして、今日一日彼女を預かることを伝え、当麻は電話を切った。


「珍しいね。当麻が忘れるなんて」
「抜けてたな。まただ。……なんだか最近、調子が悪い」
「……疲れているのかも。最近、とうまは頑張りすぎだもん」
「そう、かもな」


少し、会話が止まる。
いつもは心地よい、無言の時間になるはずなのに。
なんだか、今日はとても息苦しくて、不安になる。
これは、今だけじゃない。
姫神を助ける話をしたころから、心に何かが、ずっと引っかかっている。


「ね、とうま。私ね、とうまには、もっと自分を大切にして欲しい」
「粗末に扱っているつもりはないぞ」
「粗末に、扱ってるよ」
「そうか」


私は正しいことを言っているはずなのに。
何故、こんなに落ち着かないのか。


「いつも、そうだもん。なんだか、自分のことなんてどうでもいいって感じで」
「そんなことねえよ」


彼が、危ない橋を躊躇わずに歩いていくのは怖い。
美琴だって、そう思っているはず。


「そんなこと、あるよ。毎回毎回、とうまはわざわざ自分が危険になるようなことばっかりしてるもん」
「そうか……ごめんな。気をつけるよ」


私の言っている事は、間違っていないはずなのに。

何故、謝られると心が軋むのだろう。
何故、こんなにも焦燥感が沸いてくるのだろう。






姫神秋沙が静かに立ち上がったが、御坂美琴は特に気に留めなかった。
トイレにでも行きたいのかな、と頭の片隅で処理しつつ、突然生まれた疑問に戻る。

その脇を、姫神が通り過ぎ、静かに、静かに、歩いていく。
玄関に向かって、一歩、一歩。












《吸血殺し8》

姫神秋沙は、玄関に向かって進む。

一歩。

彼女が振り向いたら、どうやってごまかそう。

一歩。

あの二人が、いま帰ってきたらどうしよう。

一歩。

逃げられたとして、どうやって学園都市を出よう。

一歩。

学園都市を出たとして、本当に逃げ切れるのか。

一歩。

どうやって、生活していくのか。

一歩。

どうやって、生きていくのか。



それほど広くない部屋だ。
すぐに玄関までたどり着く。
あと一歩踏み出せば、ドアまで届く。
鍵は、かかっていない。
そっとノブをつかんで、忍び出せばよい。
そこまで着いて、姫神の足は止まる。


ほら、あと少し。

分かっているのに、動けなくなる。

ほら、早く動け。

やっと、一歩、踏み出す。

動け!動け!

震える右手をノブにかける。

早く!早く!早く!早く!

ぎこちなく、右手が、ノブを回す。

そして、その手に、涙が落ちた。



気づいてしまったから。



私は、絶望した振りをしていたんだ。

喜怒哀楽をなくした振りをしていたんだ。

何があっても構わないなんて、自棄になった振りをしていたんだ。

罪人だから、いつ死んでも構わないなんて、悟った振りをしていたんだ。


だって、今、こんなにも私は生きようとしている。

降って沸いた幸運に、縋り縋って。

ごまかして、逃げて、隠れて、それでも生きたい。

そんな資格ないなんて、口で言いながら、それを反故にしても私は生きたい。

皆を殺し、その涙まで灰に変えて、それでもなお。


こんなにも、自分が強かだったなんて。

こんなにも、自分が恥知らずだったなんて。


知りたくなかった。

無かったことにしたかった。

だから、動けない。

あとは扉を開けるだけなのに、動けない。



「あのさ」



そのとき、背後から声がした。






驚いて、振り返った。
御坂美琴は、先ほどと同じ姿勢で、相変わらず背を向けたままだった。


「あのさ、これは私の独断。そして独り言」


背を向けたまま、御坂はしゃべりだす。


「逃げるつもりなら、もっと狡猾で傲慢になったほうがいいわ。笑って裏切るくらいできないと
きっと続かないと思うから」


姫神の体に震えが走る。


「あとアンタが逃げる可能性をアイツは見越していた。だから、私達に気遣う必要は全然
無いから」


「え……?」


「私は、あんたがもし逃げたとしても引き止めないようにアイツに言われてた。でも
あんたがタラタラ迷っている様子にイライラしてきたから、つい口出した。だから、
これは只の独り言」


「彼は。なんでそんなことを?」


「分からない。でも、きっとあんたのためなんだと思う。あんたが逃げても、逃げなくても
アイツはあんたを助けるつもりなんだろうから」


「彼は、なんで、そこまでして、私のことを?」


「分からないわ。本当に、分からない。これで独り言は終わり。……私、シャワー浴びるから」


そういうと、御坂美琴はバスルームに消えていった。

姫神秋沙は力なく玄関に座り込んだ。






アウレオルスとの戦いの次の日、すなわち8月10日。
上条当麻はステイル=マグヌスに近くの公園に呼び出された。
内容については、アウレオルス=イザードの処遇についての報告と、姫神秋沙の引渡しの
要求ということだった。
上条が公園に着くと、彼は不機嫌そうにタバコを燻らせながら、上条に不快そうな視線を向けた。


「君はよっぽど人を待たせるのが、得意と見えるね」
「今日は時間通りだろう」

その視線を軽く流して、上条は答える。

「あいつはどうなったんだ」
「彼は魔力を封ずる術式を幾重にもかけた上で、イギリス本国に輸送された。学園都市の
人間だけではなく、彼が所属するローマ正教の魔術師も、複数人殺害しているようだからね。
誰が、どのように裁くかは各組織間の交渉結果次第だろう」
「そうか。ところで、あいつはインデックスを知っているようだったな。何故言わなかった?」
「……ああ。彼は2年前に彼女の教師をしていたからね。まあ言う必要もないと思ったからさ」
「そうか」


すこし苦い顔をして、ステイルはタバコをもみ消した。


「もう彼の話はいいだろう。ところで、姫神秋沙の姿が見えないが、どういうことだ?」
「ああ、その件だがな。お前、俺とホテルのロビーで話したこと、覚えているよな」
「何の話だ?」
「吸血殺しの能力について、制御可能とイギリス清教が認める方法があるなら、姫神を
俺に任せてくれるという件だ」
「ああ、それか。確かにそういったが。そんな方法があるとでも?」
「ああ、そうだ。だからあいつのことは俺に任せてくれ」


はは、と嘲笑を浮かべて新しい煙草に火を付けながらステイルは問う。


「ほう。では、是非聞かせてくれないか。どんな方法を使うのか」


それに対して上条は無表情に答えた。


「簡単だ。インデックスが姫神に歩く教会をプレゼントしたいと言っているからな。
それを着れば、姫神の魔力は外に漏れず吸血殺しの能力は発動しない。文句無いだろ」
「は?」
「聞いてなかったのか?姫神に歩く教会をあげる、と言ってるんだが」
「なッ……君は正気か?あれが、どれだけ貴重なものか、どれだけ高い防御性能を持っているか
わかっているのか?」
「防御性能は知ってる。お前たちがインデックスを使って、1年がかりで証明したからな。
だからこそ、そのような嫌な思い出の品などいらない、とのことだ」


ステイルの顔が歪む。


「そもそも俺は、学園都市の学生をイギリス清教に引き渡すことには抵抗があった。よって、
俺たちの希望が合致して、イギリス清教も納得する。誰も困らないだろ?」

それとも、歩く教会じゃ、足りないとでもいうのか?
そう、上条は問う。

「いや、そういうわけじゃない。しかし歩く教会抜きでは、万一のときにインデックスの
身をどうやって守るつもりだ?」
「現実に、お前や神裂、お前は覚えていないだろうけどアウレオルスと戦ったが、歩く教会なんて
なくても、あいつは危険な目になんて合っていないぞ。だから今後も、何とかするさ」
「……」
「そもそも、インデックスが嫌がってるんだ。仕方がないじゃないか。そうさせた、責任
の一端はお前にだってあるんだからな」
「しかし……」


ふぅ、と大きくため息をついて、上条は言う。


「本当は、お前の言うとおり俺だって反対だ。歩く教会の防御力は確かに絶大だからな。
だから、もし心配なら代わりの霊装を送ってくれよ」
「気軽に言うな。あのクラスの霊装は極めて貴重なんだ。代替なんてあるわけないだろうが」
「だったら」


少し、間を空ける


「吸血殺しを抑える霊装を送ってくれよ。届き次第、歩く教会と取り替えるように説得するから」


要するに、これは脅迫だとステイルは理解する。
彼はインデックスの身の安全と引き換えに、姫神秋沙の能力を抑える霊装を、彼女を引き渡すこと
なく渡せ、と言っているのだ。


「なるほどね。君の意図は理解した。だが、君はイギリス清教を良く知らないようだね。
……我々を脅迫しようなど、正気の沙汰ではない」


その言葉に、上条は静かに答える。
脅迫では、ないと。


「昨日あいつは歩く教会を着ていなかったのを、お前も見ていたよな?」
「ああ。それがなにか?」
「あの時、実は姫神が歩く教会を着ていたんだ。インデックスは本気で譲渡するつもりだから、
姫神と服を交換したんだよ。昨日、インデックスが着ていた服は、姫神のものだ」
「……彼女は、本気なのか」
「ああ。本当に嫌なんだろうな」


ステイルは、しばらく黙って考えていたが、やがて、


「わかった。では、1週間以内に吸血殺しを封じる霊装を用意する。そして、それまではこれを
持っているよう姫神秋沙に伝えてくれ」


と、取り出したルーンに何かの文字を書き加えて、上条に投げる。
上条が左手で受け取る。


「これは?」
「それは、魔力を封じるためのルーンだ。身に着けていれば1週間程度なら吸血殺しの
能力も封じることが可能なはずだ。だから、その代わり」
「わかったよ。インデックスを説得して、歩く教会を着させれば良いんだろう?」
「その通りだ。……まったく、この程度のコントロールもできないとは、管理人として
最低だな」
「繰り返すが、お前たちがインデックスに刻んだ傷だぞ。忘れるな」


チッ、と盛大に舌打ちをしつつ憎らしげに上条を睨んだあと、ステイルは身を翻し去っていった。












《吸血殺し9》

許しも、救いも、自分は受ける資格はないと思っていた。

だけど、それは本当ではなかった。

私は諦めていただけだった。

自分の人生を諦めるかわりに、過去を無かったことにしたいと思っていただけだ。

しかも、それすら偽だった。

救いを見つけた途端に、表層ははじけて消えた。

残ったのは、薄ら汚れた自分。

生に固執し、奪い、騙して逃げようとする、そんな自分。






8月9日。
上条当麻とインデックスが家に帰ってくるのが能力で分かったので、御坂美琴は玄関外まで出迎えた。
通路を歩いてくる二人には、特に怪我がないようだ。
予想通りの結果とは言え、ほっと安堵の息を漏れるのを感じる。


「なんとも、ないわよね?」
「ああ」
「うまくいったの?」
「そうだな、大方は」
「そっか。インデックスも、無事?」
「うん。みことも大丈夫だった?」
「こちらは、何事も無かった。退屈だったくらいよ」
「……あいつは?」
「ああ。行ったわ」


そうか。
特に何の感慨もないように、彼は言った。






部屋に入ると、御坂は2人に麦茶を出した。
礼を言って、卓袱台の前に座る彼らと向かい合わせに座る。


「アンタが何を考えて、何をしたのか、話してくれるわよね?」
「ああ」

彼は、短く答えて話し出す。

「順を追って話そう。最初、ステイルからの依頼とインデックスから補足を聞いたとき、
俺は単純な話だと考えた。吸血鬼という非道の存在と、それを使って法外な力を得ようと
する錬金術師。吸血鬼をおびき寄せるための餌として、攫われた吸血殺し。分かりやすいよな」

「そうね」

「唯一疑問だったのは、イギリス清教がステイル一人しか派遣しなかったことだった。
本気で事件を解決する意思が感じられなかったからな。でも、それも錬金術が余り有用な
魔術体系じゃないという話を聞いて、まあ、納得した。
それに、恐らくイギリス清教は俺の存在を疎ましく、また胡散臭く思っているだろうから、
俺が戦力として動かざるを得ない状況で戦うことで、あわよくば亡き者にしよう、それが
無理でも戦力分析くらいは行おう、そう意図しているのは想像できたしな」

「……アンタ、そんなこと考えていたわけ?」

「ああ」


プレーンな口調で当然のように答える上条に、ため息が出る。


「そんなこと考えながら、海で遊んでたわけ?」

「ああ」


インデックスが悲しそうな顔をした。
きっと、私も同じに違いない。


「だからステイルが一人で行くと言っていたとき、ブラフだと思っていたんだ。あいつが
忘れてしまった今となっては分からないが、あいつの話からは昨日突入する必要性は感じられ
なかったし、あいつもそれは説明できていなかったしな。だから、連絡が取れなくなって、
少し焦った」

「なぜ焦ったの?」

「あいつが俺になにか重要事項があることを伏せていて、それが昨日という日に関連する
ものである可能性が浮上した。連絡が取れないということは、任務に失敗したのだろうからな。
それを分からないまま錬金術師と戦うのは、リスクだと感じた。それに、ステイルが負ける
程度には錬金術師が強いともわかったのも手伝って、焦ったんだ」

「……なるほど」

「そして次の日、ステイルが何も覚えていないと知って相手の強力さがますます際立ってきた。
だから、相手の戦力調査を行おうと提案したのは覚えてるだろ?」

「うん」


そこで、一区切りとばかり、上条は麦茶を一口飲んだ。


「そしてインデックスが姫神を偶然見つけた。あの時、あいつが逃げたか、それとも
監禁された事実が嘘かの2つの可能性をしゃべったが、本当はもう1つ可能性を考えていた」

「もう1つ?」

「姫神は吸血鬼をおびき寄せて殺す、吸血殺しだ。そんな彼女を監禁する錬金術師の目的は
吸血鬼をおびき寄せることだろう。だったら、あいつはそのために歩いているのかもしれない、
という可能性だ。その場合は、もちろん」


一呼吸、置いて、


「姫神の協力が、自発的なのか強制的なのかが問題だ。だが、あいつは一人だったし、
しばらく後ろから歩いても監視はないようだった。逃亡防止策をとられていないということだから、
強制的である線は消える。でも、自発的かと言うと少し違和感があった」

「違和感?」

「あいつは、感情が抜け落ちているようだった。だから、強制されていないにせよ、
他に選択肢がないからしょうがなく、という状況かと想像した。まあ、並べたどの可能性
が正しいかはさておき、姫神が極限の中に生きているんだろう、ということは容易に想像
できたから、できれば助けたいと思ったんだ」


姫神に最初の話しかけたとき、上条は彼女にさりげなく右手で触れていたが、それは錬金術で
意識をコントロールされているかどうかを確かめたのだろう、と御坂は推察する。


「では、どうすればよいのかと考えた。姫神の状態を見れば、俺たちが保護しますなんて
言ったところで信じるとは思えなかったし、イギリス清教なんて名前を出したら、ますます
拗れそうだと思った。だから」

「だから、拉致したわけね」

「拉致と言う言葉は過激だが、まあそうだな。姫神に、あいつの能力を知っていることと、
錬金術師と対立する可能性があることだけ告げてこの部屋に来てもらって、その間に錬金術師に
会って事情を聞こうと思ったんだ」

「……錬金術師を倒すつもりはなかった、と言うこと?」

「ああ。イギリス清教が入るとバイアスがかかる可能性があった。だから、ステイル抜きで
話せる状況をまず作ろうと思った。相手は少なくとも記憶の改竄はできることはわかって
いたからな。その力を借りれば、その状況は作れることはわかっていた。そして、もし
納得できる事情があるなら倒す必要はないと考えていた」

「でも、結果としては倒した。どうして?」

「あいつは許しがたい、と判断したから」

「どうして?」

「あいつは、目的のために何人も人を殺しているからだ」

「それだけ?」

「ああ」


上条の目が少しだけ変化することに気づく。
彼は、嘘をついている。


「……隠さないで」

「隠していない」

「本当に?」

「本当だ」


彼の目線が、少しだけ左の方に動いた。
それで、御坂は分かった。


「そっか。本当なら、いい」

「ああ。そういうわけで錬金術師は倒したが、そこで分かったことがある。彼は吸血殺し
を攫ったことを認めた。そして、その彼女が逃亡したと認識しているわけじゃないようだった。
だから、錬金術師と姫神はある程度の協力関係にあったのは間違いない」

「じゃあ、アンタは間違った、というわけ?」

「なにを?」

「あいつを助けようとしたこと」

「そうは、思っていない。理由はともかく、姫神は極限状態だったのは真実だ。だから、
助けたいと思ったことが間違いだった、とは考えていない」


彼の目は、動かない。


「でも彼女は歩く教会を持って、この家から逃げた。アンタが逃がした。なぜ?」


そう、これが私にとって、2番目に大きな疑問。
なぜ、コイツは姫神が逃げることを見過ごすようにいったのか。


「俺とインデックス、そして御坂と姫神が分かれた段階では、姫神の行動原理は不定だった。
だから、彼女が今後とりうる行動だって、いくつかのパターンが想定された。その中の一つ
に、お前から逃げるということだって、可能性は低いけどあり得た」

「そうでしょうね」

「逃げること以外としては、おとなしく家にいること、全てをお前に話して助けを求めること
が想定された。姫神はお前がレベル5だと知ったときに、わずかに怯えた感じだったから、
お前を攻撃するって可能性はないと考えたし、万が一暴挙にでたとしても、お前なら瞬殺
できるはずだから、心配はしていなかった……というと怒るか?」

「大丈夫。続けて」


少し喉が渇いたのか、上条は一口麦茶を口にした。


「俺は姫神を救いたかったのは事実だ。だがあの段階で、俺は姫神がどういう立ち位置
にいるのか分からなかった。俺達にとって、リスクファクターになるかもしれない、という
可能性を無視できなかった。だから、そのリスクを量りたいと思って、御坂に逃げるなら
見過ごすように頼んだんだ」

「どうやって、量るの?」

「逃げた姫神の位置は歩く教会への探索術式で補足できる。姫神は逃げ出しても、学園都市から
出るためには外出許可が必要だが、発行まで数日はかかる。だから、ひと時奪われても、
歩く教会を取り返すことは簡単だ。インデックスの歩く教会は貴重なんだろう?だったら
奪われたと言えばイギリス清教だって協力してくれるだろうから、逃げ切られる可能性は
万一にもない」

「……確かに」

「そして、数日泳がせて姫神の動きをみればきっと分かる。……あいつが、アウレオルス
以外の魔術師と接点があるかどうか」

「アウレオルス以外?」

「吸血鬼といわれる存在は仮定されるもの。だが、それは一部の魔術師にとっては
非常に魅力的な存在らしい。だったら、それに繋がる吸血殺しだって同じはずだ。姫神が
アウレオルス以外の魔術師と繋がっている可能性だってあるだろう?」

「でも、姫神は監禁されていたんでしょ。だったらそれはないんじゃない?」

「俺が、姫神が御坂から逃げる可能性とその理由を考えた段階では、そもそも
“監禁されていたこと”が事実である保障はなかったし、監禁されていたとしても
彼女と接触する他の魔術師を除外することは不可能だ。そして、それが事実なら、それは
とても危険だ。許されない禁術を辞さない連中ということだからな」


上条の言わんとすることは、概ね、理解できる。
しかし、釈然としない部分が、どうしても残る。


「なんか、どうも、すっきりしない」

「私も。納得はできるんだけど。なんでかな」


インデックスも同感らしい。
上条は、そうだな、とつぶやいて


「それはきっと、俺が矛盾した行動をとっているからだと思う」

「矛盾?」

「俺は、姫神を助けると一方で言いながら、一方では彼女のことを信用していないし、彼女を
利用する行動をとっているってことだ」


……なるほど。


「姫神が逃げる可能性は、彼女を保護することを提案したときから考えていた。それで、
インデックスが服を交換しようと言ったときに、歩く教会を使えば逃げたとしても追跡
可能だ、と思い至った。まあ、自己弁護するなら、あれが貴重品だということは伝えてあるから
持ち逃げするようなやつなら嵌めても許されるんじゃないか、っていうのはあった。
もちろん、仮に逃げたとしても、限界にある姫神に使う手として褒められたことじゃないってことは、
良くわかってる」



麦茶が無くなったので、上条は冷蔵庫まで歩いていく。
話は、概ね納得できた。
1点分からないことがあるが、それはまた後で聞けばよいだろう。


「納得してくれたか?」


私に聞く上条に、首肯しつつ、確認する。


「今後、数日間は、私は姫神の外出許可申請情報を確認。インデックスは、探索術式で歩く教会を
サーチってことね」

「ああ。インデックスも大丈夫か?」

「歩く教会なら、アラビア式占星術か、もっと精度が低い術式でも捕捉可能だから、大変じゃないよ」

「ごめんな。頼むよ」


その言葉にううん、と答えてから、インデックスは聞く。


「ね、とうま。私、もう一つ知りたいことがあるの」

「なんだ?」

「なんで、とうまは姫神の身柄をイギリス清教に預けようとしなかったの?」

「ああ、それか。それも矛盾、だよ」

「矛盾?」


少しだけ、上条は考える目をした。
そして、


「俺は、イギリス清教を信用ならないと思っているんだ。今までもそうだったけど、お前に
掛けられていた呪いを確認して、改めてそう思った。だから、あの絶望した少女を預けたく
なかったんだよ」

「……そっか」


矛盾しているだろう?と上条は少しだけ寂しそうに笑った。






夜になるのを待って、3人でマンションの屋上に出る。
昨日使ったビニールシートを再利用して、インデックスが探索術式を発動している。
少し離れたところで見ている上条に、御坂はそっと聞いてみる。

「ね。教えて欲しい」

「何を?」

「なぜ、アンタがアウレオルスを蹴り倒したのか」

「分かってるんじゃないのか?」

「インデックスでしょ?」


ああ、そうだよ。
そういう目が、少し細くなるが見える。


「アウレオルスは、インデックスを吸血鬼に変えることで呪いから救おうとしていた。
そのために、何人も人を殺した。それは許せることではないし、それをあいつに話したら
きっと苦しむだろうから」

「……なに、それ?」

「多分、あの記憶しすぎて死ぬっていうデマを信じたんじゃないか?」

「ひょっとして、吸血鬼なら、死ななくてすむと?」

「そんなところだろうな」

「……なんで、魔術師ってそんな話に騙されるのかしら」

「さあな。でも、その話を聞いたときさ、実は、迷ったんだ」

「何を?」

「あいつを蹴り倒そうか、どうしようかって」

「……何で?」


一つ、深いため息をついて、彼を答えた。


「インデックスを助けるために何を犠牲にしても良い。それは偏愛だと思うけど、
そこまで想う気持ちを俺が刈り取るんだ、と思ったら、なんだか心が苦しくてさ」


俺は、正しかったかな。


そう呟く彼の表情は、一瞬、驚くほど弱弱しく見えたから。

それ以上何も問うことはできず、私は彼の背中を黙って叩いた。












《吸血殺し10》

白い修道服を着たまま、ホテルの一室でひざを抱える。

どうしよう。

これから、どうしよう。



湧き上がる罪悪感、自己嫌悪、そして不安に潰されそうで。

軽くなるわけでもないのに、呟き続ける。

どうしよう。

これから、どうしよう。






8月9日。
夜が落ちるのを待って、マンションの屋上で発動したインデックスの探索術式により、
姫神秋沙の場所は特定された。
場所は、上条家から3 kmほど離れた場所に位置する、ホテルの一室。
写される映像を見る限り、彼女はひざを抱えて泣いているようだ。
また、周囲に魔術師の存在はないらしい。

どうする、と聞くインデックスに対して、上条は、

「今から、そのホテルに行こう」

と提案した。

探索術式は歩く教会の位置も周囲の状況も把握できる反面、持続性も自動追跡機能もない。
正確には、そのような効力がある術式には魔力が必要となるため、インデックスには使わせることができない。

だが、近くにいけば、御坂やインデックスの目によって、彼女や周囲の状況、魔力は認識
することができる。

少女達は快諾し、3人は彼女の泊まるホテルへと向かうこととなった。






「私さ、アンタに謝らなきゃいけないことがあった」

ホテルまでの道の途中で、御坂は上条に話しかける。
先ほど探索術式で見た、彼女の映像。
そして、出て行く前に玄関の前で、彼女が見せた迷い。
私には、姫神が他の魔術師と結託してよからぬ事を企めるとは思えないが、
考えてみたら、彼女と2人で過ごしたときの出来事は、上条もインデックスも知らない。

「あのさ、私、話してなかったよね。姫神と2人でアンタの家にいたときの話」

「ああ。なにかあったのか?」


応える上条に、彼女や私の言動を、なるべく客観的になるように説明する。


「そうか。話してくれてありがとう」


話を聞いた上条は、礼を言って、少しだけ考える目をする。
そして


「姫神が他の魔術師と結託している可能性は減ったが、ゼロとは言えない。とりあえず、今日はこのまま調査を続けよう」

「もし、調べてみて、明らかにその可能性はない、と判断できたらどうするの?」


インデックスが聞く。


「その場合は、まず姫神に逃げた理由を聞いて、できるなら助けよう。そして、プライバシー
を侵害したことについて、提案者の俺が姫神に土下座だな。その上で、歩く教会を返してもらおう」


なんだか、過去の古傷が痛む気がするが、きっと気のせいだろう。


「狂った魔術師を相手に戦いたくはないからな。そうなってくれれば一番良い」

「アンタは、姫神が魔術師と結託している可能性って、どのくらいだと思っているの?」

「1%ないだろうな。御坂の話を聞くまでは5%くらいかな、と思っていたけど」

「そんなに低いの?」

「ああ。でも、ゼロじゃないと思ったから、あいつを逃がしたんだし、ゼロじゃないと
思っているから、今もホテルに向かっている」


外れていたら、無駄足踏ませたお詫びに、何かおごるよ。
上条は、そう付け足した。





姫神の泊まるホテルは、ごく普通のビジネスホテルだった。

彼女の部屋は1105。
彼女の泊まるフロアの下の階にツインの部屋を取り、エレベータに乗る。
直下ではないが、まあまあ近く、電磁波で見るには全く問題が無い。
インデックスの魔力検知にも問題はないようだ。


彼女は相変わらずベッドの上でひざを抱えている。
近くに魔術師の反応はない。


「そういえば、姫神は歩く教会を着てるんだよな。お前の能力で見えるのか?」

「ん?私には姫神が見えているけど。……インデックス、歩く教会って着てる?」

「うん。シルエットからすると着ているみたいだよ」

「そうか。御坂は、今までもインデックスが見えていたのか?」

「うん。見えてた。それがどうかした?」

「電磁波って、生体に影響するだろ。なんで歩く教会は反射しないんだ、って思ってさ」

「生体に影響しない程度の電磁波だからじゃない?」

「そうかもしれない。でも、後で試してみるか」

「なにを?」

「歩く教会をはさんで、生体に影響する程度の電磁波を発生させてみて、通すかどうか確かめる」

「何のために?」

「もし通すなら、歩く教会の防御に穴があるってことになるだろ」

「なるほど」


上条はいつもの表情、口調で淡々と語っている。
調子を取り戻したみたいだし、今なら、聞いてもよいだろう。

「あのさ、さっき聞きそびれたことがあるんだけど、聞いていい?」

「ああ。なんだ?」

「アンタさ、自分で矛盾してる、って言ってたじゃない?」

「ああ」

「今までのアンタって、迷いなんて無いみたいに決断してたからさ。なんか、いつもと
違うっていうか、アンタらしくない気がしたんだ。そんなことない?」

「あ、同じこと、私も思ったよ。とうま」


そっか、インデックスもそう感じたんだ。


「お前たち、よく見てるな」


上条はあっさり認める。


「まあね。でも、なんでよ?」

「俺は、今の生活が気に入っているんだ」

「今の生活?」

「御坂とインデックスとつるんで、くだらないことに盛り上がったり、笑ったりする、
そんな生活」


ひょっとして、またからかわれているのか?と警戒するが、そういうわけではなさそうだ。


「私も幸せだよ。今の生活」

「私だって、まあまあ楽しんでるわよ」


インデックスに先を越されたので、あわてて表明することにする。

そう思ってくれてありがとな、と言った後で、上条は続ける。


「姫神のことは助けたいと思う。でも、今の生活を守りたいと願う気持ちだってある。
このトレードオフの感情が、迷いとか矛盾の源なんだろうな」

「……そっか。わかったわ。ありがと」


彼は、この時間を守りたいんだ。

私と、同じように。
インデックスと、同じように。

それが確認できたことが嬉しくて、御坂は少し微笑みながら電磁の海を見上げた。






8月10日。
結局、昨日は姫神に特筆すべき動きはなかった。

今日は、事件に関する話をする目的で、上条がステイルに呼び出されたため、チェックアウトの
時間まで、御坂とインデックスの2人で姫神を監視することになっている。

監視と言っても、見た目には、2人はベッドの上でごろごろしているように見える。
しかし、これで姫神の部屋で起こるどんな些細な変化も見逃さないのだから、能力というのは恐ろしい。


「変化、ないわね」

「そうだね」


姫神には、相変わらず大きな動きはない。
ホテルのデータによれば、彼女は1泊で部屋を取っている模様だ。
魔術師に会うかどうかは分からないが、チェックアウトの時間までは動きがあるだろう。
しかし、元来、待つより攻めるほうが好きな御坂は、こういった時間が苦手だ。
暇を持て余して、つい過激な方向に発想が向いてしまう。


「魔力を使わない魔術で、相手の記憶を覗けるのって無いの?」

「あるけど、学園都市内で使えるのは早くて1ヶ月後だよ」

「そっか」

「みことの能力で、記憶は見れないの?」

「そうね。……脳波を真面目に解析すれば、見れるかもしれないわ」

「じゃあ、それで行く?」

「……アイツ、怒るよね」

「そうだよね」


インデックスも、似たようなところがあるとわかったのは、まあ収穫か。


「とりあえず、見れるかどうか、あんたで試してみてもいい?」

「いやだよ」


そんな感じの会話を3回ほど繰り返したとき、姫神が動いた。






ステイルとの話し合いが終わった後、上条が携帯を確認すると御坂からメールが入っていた。

内容を確認すると、真っ直ぐ自宅に向かう。



部屋に入れば、卓袱台の前に姫神秋沙が俯いて座っている。

彼女の前に水滴が落ちているのを一瞥した後、彼は姫神の対面に腰を下ろした。












《吸血殺し11》 (完)

やはり、生きていることはできないと思い至った。

逃げることも適わず、これ以上殺すこともできない。

ならば、私が消える以外に選択肢はない。

こんな私を信用してくれた、お人好しに服を返して。

こんな私を必要としてくれた、錬金術師の望みを叶えたら。

遂に私は、消えてしまおう。






ひざを抱えて一晩考えた答えは、現実逃避といわれれば否定することはできない。
しかし、この厳しすぎる現実から逃げようと何年ももがき続けた自分だから、現実逃避は
すでに生活の一部だった。

でも、もう擦り切れた。

後ろには崖があり、前には道が無い。
目を開けて一度見てしまえば、その景色を忘れることは不可能だ。
私はそれに、耐えられなかっただけ。



今日も、世界は回り続ける。
私の事情とは関係なく。
私の存在とは関係なく。



昨日はバスで逃げ去った道を、歩くことにした。
酷暑で揺らぐ歩道。
少しだけ汚れたガードレール。
店の窓に張ってある、売り出し中の文字の赤。
地下鉄の入り口を示す、液晶パネルの光。
いつもなら見過ごす幾多のストップモーション。



今日も、世界は美しい。
私の事情とは関係なく。
私の存在とは関係なく。






ホテルを出た姫神は、歩道をゆっくりと歩いていく。
少し距離をとりながら、御坂とインデックスは後ろから窺う。


「どこに行くつもりだろ?」

「アウレオルスのところかな」


昨日の夜から今日まで姫神が外部と通信した形跡は、電磁的にも魔術的にも観察されていない。
もちろん、前もって合う時間を指定している可能性は捨てきれない。
だが。


「インデックスは、姫神がそんなに大それたことできると思う?」

「思わないよ」

「だよね」


姫神は、一晩中泣いていたようだ。
そのことを上条に告げたら、彼は少しだけ黙った後、今日一日彼女を見て動きが無ければ
彼女に直接話を聞こう、と言った。


「とうまも、きっとそう思っているよ」

「そうみたいね」

「とうまは、さ」


インデックスはちょっとだけ口ごもった後、


「今まで、なにも守りたいと思わなかったんだね」


と呟いた。


「どういう意味?」

「そのまま」

「だって、アイツ、人助けが趣味じゃない」

「助けるのと、守るのは違うよ」


言っている意味が分からない、と言おうとしたところで気がついた。
ここから先はほとんど一本道。
姫神は、上条の家に向かっているのだ。







混乱の極みで逃げ出した道だが、意外と記憶は残っていた、と姫神は思った。
この道をしばらく真っ直ぐ歩くと、10階程度のマンション群がある。
その一つが、上条の家だった。
私は、きっと道に迷えばよいと思っていた。
記憶が無いなら、彼らに会えなくても仕方が無いから。
油断すると現れる自分を抑えながら、私は歩む。


彼のマンションに着くと、入り口の前でしばらく立ち止まる。
だが、目を開けた私は、進むべき方向はわかっている。
その先に道が無くても、進むしかないのだ。

少し震える手で7のボタンを押す。
停電が起こればいいのに。

開く扉を超えて廊下を進む。
床が壊れればよいのに。

後ろ向きの気持ちを抑え抑えて、とうとう彼の部屋に到る。
彼らが留守ならよいのに。


「姫神さん」


そして、後ろからかけられる声。



部屋に通されて、私は昨日と同じ場所に座る。
インデックスに歩く教会を返して元の服装に戻る。
借り物のようだった自分の主導権を返してもらったようで、少しだけ落ち着いた。
落ち着いたら、何故だか少しだけ涙が零れた。
その後、彼らは何も問わず、私も上条が帰ってくるまで一言も喋らなかった。






「逃げだして。ごめんなさい」


帰宅して、黙って向かい合わせに座った彼に、姫神は謝った。


「貴重なものだと。そう聞いていたのに。本当にごめんなさい」

「返してくれたからな。気にしなくても良い。それより、聞きたいことがあるんだが」


上条当麻は無表情で、抑揚の無い声で喋る男だ。
何を考えているのか分からない、昨日もそう思ったことを思い出す。


「お前は、自分の能力から逃れたいのか?」

「……こんな呪われた力。消したいに決まっている」


逃れられるなら、どんなにいいだろう。
なだめすかして諦めた自分が、ちくりと刺激される。


「お前がアウレオルスと手を組んでいたのも、それが目的だよな?」

「……貴方は。なぜそれを知っているの?」

「直接、本人に聞いたからだ」

「彼は。どうなったの?」


上条はアウレオルスと戦うかもしれないと言っていたことを思い出す。
彼はどうなったのだろう。


「あいつは、イギリス清教に拘束された。相応の罪を犯したからな。多分、もう会えないだろう」

「……そう」


衝撃は、意外と少なかった。
彼が行ったことの全てを知るわけではないが、知る限りでも許されないことは分かっていた
からだろうか。


「お前は、これからどうする?」

「どう、とは?」

「能力を封じる方法を探すのか?」


彼の質問に答えられず、俯く。
手が小刻みに震えているのが見えた。


「わ、わからない」


少しだけ沈黙が訪れる。
直視したくない現実を目の前に晒されて、目の奥が熱くなる。


「あきらめたのか?」


破壊衝動が瞬間的に沸騰した。

出された麦茶のグラスを彼に投げつけようとして、
すんでのところで止める。
揺れてこぼれた液体が自分の服にかかる。


「あ、貴方に、何が、わかるの?」


卓袱台にグラスを戻そうとしたが、手が震えて倒してしまう。
広がる液体が余りに惨めで、気づけば私は泣いていた。






暫く泣いているのを、上条は黙ってみていた。
泣き止んだと見たのか、彼は私に問う。


「死ぬつもりなのか?」

「……なぜ?」

「お前、能力で深く悩んでいるんだろう?」

「……だから?」

「お前の望みは絶たれた。そして、お前は諦めた表情で泣いている。それが理由だ」

「……貴方のせい」


そんな理由で死ぬわけじゃない。
そして上条のせいじゃない。


「そうだな。俺のせいだ」

「貴方のせい」

「ごめんな。お前の希望を、俺が刈り取った」

「……貴方の、せい」

「ごめん。何とかするから、許してくれ」

「何とかする?何を?どうやって?」

「何とかする」


口から、笑いが漏れる。
私は笑う。
何を言ってるんだ、この男。
何とかするなんて。


「無理。貴方には絶対無理」

「絶対なんて、この世には無い」

「絶対、無理」

「そんなことはない」

「無理だよ。だって、手遅れだから」

「そんなことはない」


バン!と机を叩いて、立ち上がっていた。
この勘違い男に、正しく教えなければ。


「私は。住んでいた村を滅ぼした!」

「隣のおじさんも、友達も、両親も、全て目の前で消えていった!」

「私が呼んだ吸血鬼に、吸血鬼に変えられて。私の能力で灰になったんだ!」

「だから、手遅れ」


だから、私が生きることなんて許されないのだ。

勘違いしているこの男に、教えなければ。

勘違いしそうになる自分に、教えなければ。






「じゃあ、償えよ」

……え?

「俺はわかる。お前が罪と思っているなら、俺が何言ったって慰めにならない」


だが。


「もう一つ、分かることがある。罪は償わなければいけない」

「……どうやって?どうやって、償うの?償えると言うの?」

「それはお前が決めることだ。だが、お前は生きているのが、辛いのだろう?
死ぬほど、辛いんだろう?」


彼はまっすぐこちらを見ている。
視線に押されて、少し俯く。


「……うん」

「だったら、生きろ。それが罰だ」

「生きるのが、罰?」

「ああ。やりたくないことをするのが、罰だ。お前は死にたいのだろう?」

「……」

「じゃあ、罰を受けろ。そして償え」


そういって、上条はポケットから何かを取り出して、こちらに差し出す。


「イギリス清教の魔術師から渡すようにと」

「……これは?」

「吸血殺しを抑えるためのルーン。身に着けていてくれ。1週間以内でもっとちゃんとした
霊装を送るから、繋ぎに使えとのことだ」

「……」

「つまり、お前の能力はコントロール可能になる、ということだ」


黙ってルーンを見つめる私に、上条は言った。


「姫神。お前は、今日はもう帰れ。帰って、考えろ」

「……」

「これは、俺の連絡先だ。何かあれば連絡してくれ」

「……うん」

「あと、一つ。もしお前が生き続ける覚悟が決まったなら、そのときも連絡をくれ。
俺達には、お前に話すべき秘密がある」

「秘密?」

「ああ。じゃあ、もう行け」






こうして私は上条家を追い出された。

とぼとぼと歩きながら、私は考える。


生きることは辛い。
死ぬより辛い。
ならば、生きることは罰?


彼の言葉が、半鐘のように響いている。

それは詭弁だ。
単なる言葉遊びだ。


でも、死ぬことが現実逃避というのも、また事実。


ポケットの中には、一枚のルーン。
私がずっと求めていたもの。


そして、償い。
いつ、どこで、何を、どのようにすればよいかも分からない。
償えるかどうかも分からない。


ああ、分からない。
どうすればよいのか、見当もつかなくなった。
どうしたいのかも、さっぱり分からない。


帰って、考えろ。
彼の言葉。


ふと気がつくと、私は帰っている。
自分の家へ。
私が生活をする、私が生きる、あの家へ。


ふっ、と自嘲気味に笑う。

詐欺師、上条当麻か。

完全に騙されたのか、姫神秋沙。


彼がいかなる人間なのか、私には理解ができない。

善人か、悪人かも分からない。
信じれるかどうかも分からない。



でも確実なことが1つ。

彼とは、もう1度話さなければいけない。

彼が隠す秘密。
あれだけ思わせぶりに言われたのだ。
聞かないわけにはいかないから



自己嫌悪がなくなったわけじゃない。
人生に希望があるわけじゃない。
罪の意識だって消えたわけじゃない。



ぐらぐらと左右する、私の心の天秤。
あちこちにひびが入って、見つめるだけで折れてしまう。


そこからひと時、目をそらす。
やがて亀裂が直り、私がきちんと量れる日まで。



棚上げにするチャンスをくれた、優しい詐欺師に。
私は小さく礼を言った。



[27370] とある・もしもの世界 《絶対能力進化1》
Name: verdadelo ◆5ddb6f89 ID:7c9b5b26
Date: 2011/05/05 16:29
《絶対能力進化1》

ただ、どこまでも強くなりたかった。
10まで来たなら、次の20へ。
100まで来たなら、次の200へ。
どこまでも強い自分は、今日も高みへと進み続ける。
そのために、たとえ何を犠牲にしたとしても。






「暇ね……」
「なら、梱包を手伝ってくれ」


8月14日。
気づけば8月も折り返し地点を迎えようとしている。
時の流れがさらに加速したのは、吸血鬼なんて酔狂な存在を賭けたあの戦いのせいだよなあ、
とぼんやり考えながら、御坂美琴は今日も粛々と働く2人を見た。


「私が手伝ったら、アンタが見られたくないものを見つけちゃうかも知れないじゃない」
「特に無い」
「またまた。大丈夫よ、ちゃんと理解してるから」
「なにを?」
「アンタだって思春期真っ盛りなんだってこと」


上条がダンボールに荷物を詰め込む作業には、一切無駄が無いように見える。
助手役に落ち着いたインデックスに各種指示を送りつつ、てきぱきと動く姿を見れば、
特に手を出さなくても良いのではないか、という気分にもなるものだ。


「気遣いありがとう。でも、お前が想像するものは出てこないから大丈夫だ」
「そっか、もう処分したのね」
「してねえよ」
「ああ、既にもう梱包済みなんだ」
「違うよ。そろそろその話題から離れろ、エロス」
「なによ、エロスって」


そんなことを言われると、少しだけ負けず嫌いが刺激される。
立ち上がって、カッターやビニール紐が残る机に向かう。
引き出しの奥あたりが怪しいか。
それとも、ベッドの下なのか。


「じゃあ、探しても良い?」
「作業の邪魔するな」
「しないわよ。でもマジで探すけど、覚悟はいい?」


そう言うと、彼は少しだけあきれたような視線をこちらに向ける。


「そんなに興味があるなら、後で代わりに買ってやるぞ」
「見たいんじゃないって」
「大丈夫だ。お前が思春期真っ盛りってことは理解しているから」
「アンタね」


わざとビリビリと髪をスパークさせると、彼は肩を大げさに竦めて荷造りに戻る。
怒りのパフォーマンスはスルーされたが、せっかく立ち上がったし手伝ってやるか。
脇にしゃがんでカッターを差し出せば、彼は口角を上げて受け取る。


「ありがとな」
「何すればいい?」
「じゃあ、本棚の本を適当に詰めてくれ」
「了解」


気づけば、今日も彼の思惑通りだ。
苦笑をしながら本を揃えれば、インデックスが不思議そうな顔をした。






2時間程で、ほとんどの荷物はダンボールの中に収納された。
大きく中身が書かれた褐色の箱に囲まれ、出された麦茶に口を付ける。

「ありがとう。助かったよ」


そういいながら、彼は今も変わらず残された卓袱台の前に座る。


「意外と早く終わったね、とうま」
「そうだな。手伝ってくれてありがとう」


銀髪碧眼少女がよいしょ、と言いながら腰を下ろす。
その様子が余りに日本人じみていて、思わず笑ってしまった。


「あんた、英語がネイティブなんだよね?」
「多分ね」
「でも日本語もすごいわね。他に話せる言葉ってある?」
「うん。大体はしゃべれる」
「大体?」
「通常使われている言語なら、大体」
「は?」
「ネイティブ並だと何ヶ国語だ?」
「50くらいかな」


思わず彼女を見ると、自分の特異性を理解していない表情をしていた。


「あんた、凄いじゃない。知らなかった」
「魔術の習得は、言語の理解から始まるからね。魔道書図書館には必要なものなの」


その表情は、もちろん曇ったりなどしない。
それを聞く私たちだって、悲しんだりなどしない。


「じゃあ、特技を生かして将来はキャビンアテンダントになったら?」
「国境無き医師団もあるぞ」
「そんなの危険だし、大変過ぎるからだめよ」
「そうか。ならツアーコンダクターはどうだ?世界中の楽しいもの見れるぞ」
「それならいいかな」
「一度見たら覚えちゃうから、すぐに退屈になるかも」


笑って話せば、彼女も笑顔で返す。
将来、か。
私は将来、何をしているのだろう。


「そういえば、明日って何時に行く?」
「え?お前、明日学校だろ」
「学校は明後日って予定表には入っているけど」


携帯を出して確認するが、明後日となっている。
だからこそ明日にしようといわれたときに反対しなかったのだ。


「でも、涙子と初めて会ったとき、黒子は明日だって言ってたよ」


完全記憶能力者に言われると返す言葉が無い。
部屋の電話回線からサーバーに侵入して確認すれば、果たして黒子が正しいことが判明した。


「予定表、間違ってたみたいね。危うく無断欠席するところだった」
「気づいてよかったな」
「そうね。でも、アンタ達2人で大丈夫?」
「大丈夫だよ。後でお前にも見てもらうから」
「そう。ごめんね」


軽く謝ると、彼はわずかに微笑んで返す。
隣ではインデックスが小さく欠伸をした。






8月15日。
久しぶりに学舎の園の門をくぐる。
ふわふわとした見目麗しい女生徒に溢れる閉鎖空間。
離れたのは1ヶ月くらいなのに、異常に違和感を感じることが自分でも不思議だった。
常盤台に向かって歩けば、多くの視線が自分に集まるのを感じる。
畏敬と恐怖と嫉妬の感情が突き刺さる。


これが、壁だ。
私が気づかずに積み上げてしまった壁。
では気づいた私は、何をすればいいのだろう。


インデックスならなんて言うだろう。
その感情をトレースする。

アイツならなんて言うだろう。
その思考をトレースする。


そして、結論を出す。


「おはよう、今日は暑いわね」
「こんな日は、学校なんてサボってプールにでも行きたくない?」


にこやかに、いかにも気軽という感じで。
絶対に内心の緊張なんて見せないように。


「お、おはようございます、御坂さん」
「いいですね、プール。私も行きたいですわ」


心底驚いた表情で答える彼らに、笑顔で答える。


「そうよね。もし行くときに人数が足りないときがあったら、誘ってね」


そして歩き出す。


よくやった、御坂美琴。
とりあえずは上出来じゃないか。
この調子で頑張りな。


自分を褒めてくれる相棒が今はいないから。
久しぶりに、自分で自分を褒めてみた。






「では、これが鍵です」

最後に部屋を確認した後、そう言われて差し出されたものを当麻が受け取る。
ここは上条家から2 kmほど離れたマンションの一室。
明日からここに住むことになるのだ。


引越しを提案したのは私だった。
もともと1人暮らし用のマンションに私が転がり込んできたから、不満はないが少し手狭
である。
それに、場所は商店街や美琴の寮からも当麻の学校からも遠い。
生活費は必要悪の教会から出ているので、住居費を出すから広いところに移ろうと提案したのだ。
話してみれば当麻も同じことを思っていたらしく、引越しはあっさり決定された。
そのあとは当麻や美琴が口論しつつもいくつか候補を探してくれて、それを1日がかりで
めぐった末にこのマンションに落ち着いたのだ。

間取りは2LDK。
学生が住むにはだいぶ広めで、明らかに今のマンションよりも綺麗な作りをしている。
そして、窓からの視界が隣のマンションにさえぎられることもない。
何より、自分の部屋ができるということに、嬉しさが込み上げてくるのを感じる。


ああ、幸せだ。


不動産屋が帰ったあとカーテンすらないがらんとした部屋に寝そべり、当麻に声をかけられるまで
私は窓越しの空を眺めていた。






時計を見れば15時。
今日はアイツの家では料理なんてできないから、外食になるのかな。
そんなことを考えながら昇降口を出ようとしたところで、御坂美琴は知った顔に気づいた。


「泡浮さん、こんにちは」


声をかけると、彼女は穏やかに返事を返す。
お嬢様って、こういう人のことを言うんだろうな、と密かに思う。


「どこかで冷たいものでも飲んでいかない?こないだのお詫びにご馳走するわ」


自分で自分を褒めながら誘ってみれば、彼女は緩やかに了承の意を示してくれた。



「上条さんって、そんなこと言うんですね。信じられませんわ」
「でしょ。アイツもああ見えて馬鹿なのよ」


学舎の園の門付近にある喫茶店でアイスコーヒーを飲みつつ、泡浮さんとしばしのお喋りを楽しむ。


「でも、御坂さんを引っ掛けることに協力してと言われたときの衝撃に比べれば、かわいいものですけど」
「そんなに意外だった?」


泡浮さんは2年ほど前に、あのお人好しに助けられたらしい。
無表情で無感動な口調に最初は吃驚した、と聞かされるときは盛大に笑ってしまった。


「本当に意外でした。あんな悪戯をする人だとは思っても見ませんでしたから」
「私も最初はそう思ってた。けど、結構そういうところもあるのよ」
「そのようですね。でも、私の友達も何人か上条さんに助けてもらっていますが、教えて
あげたら、きっと吃驚すると思いますわ」
「泡浮さんって、結構意地悪ね。」
「冗談ですよ」


微笑む姿も絵になるな、などと思ってしまう。
私には無理だな。


「でも、本当にごめんね。妙なことに巻き込んじゃって」
「いえ。結構楽しかったですし、御坂さんとも仲良くなれましたから、巻き込んで貰えて
よかったです」
「そう言ってくれると助かるわ」
「私の演技、上手かったですか?」
「上手かった。本気で騙されたもん」
「良かったです」
「もう騙さないでよね」


ふふっ、と笑う彼女だが、ふと何かを思い出したようにその表情が曇る。


「どうかした?」
「ええ。……実は今日、クラスで変な噂話を耳にしまして。お話したほうが良いかと」
「……私の噂?」


ええ、と頷く泡浮さん。
なんだろう。
ひょっとして、例のファーストフード店の前でアイツに抱きしめられていたのを
誰かに目撃されたか。
そんなことを考えながら口ごもる彼女に話すように促してみたが、内容は予想外のものだった。






「御坂さんのDNAを元に軍用兵器としてクローンが作られている、という噂です」


コーヒーの氷が、音を立てて崩れた。





[27370] とある・もしもの世界 《絶対能力進化2》
Name: verdadelo ◆5ddb6f89 ID:7c9b5b26
Date: 2011/05/06 00:51
《絶対能力進化2》

脳の神経伝達を部分的にブロックされる化合物。
末梢神経の活動電位を強制的に下げる化合物。
海馬に作用して一時的に映像記憶能を持たせる化合物。
各種幻覚作用を有する麻薬の類。

思い起こせばきりが無い。
思い出せないものも数多い。

よく今まで廃人にならなかったものだ。
それとも、もう既に廃人になっているのか。






新しいマンションからの帰り道。
当麻と並んで30分ほどの道を歩く。
空を見れば、黒い雲が広がりつつある。
予報どおり、夜には雨が降るのだろう。


「みこと、今日はどうするのかな」
「メールしたけど返ってこないな。16時になったら電話聞いてみるか」
「今日はどうするの?」
「調理具もダンボールの中だからな。どこかで食べよう」


同じ言葉なのに、意図が伝わる。
そのことが、とても嬉しい。


「そういえば、近所のパスタ屋さんの広告が入ってたよ」
「そこも引っ越したら遠くなるからな。行ってみるか?」


いつものように綺麗な姿勢で歩く当麻を見る。
横目で見ると、歩くペースを自分に合わせてくれていることを知る。
そのことが、とても嬉しい。


「そうそう、週末にセブンスミストで家具のセールをやるんだって」
「なら、お前のベッドを探しに行って見るか?」
「うん」
「それにしてもよく見てるな」
「だって、楽しみなんだもん」
「良かったな」


何気ない会話の中に求めていた日常がある。
そのことが、とても嬉しい。


「私、幸せだよ」
「……良かったな。本当に」


そう言ってくれることが、とても嬉しい。






帰り道に、少し遠回りをして駅前のデパートにカーテンを見に来てみる。
こういうときに勝手に決めると美琴が拗ねることは知っているから、今日はただの下見だ。
デパートの中に入ると、歩く教会がやはり目立つのか、こちらをチラチラ伺う視線を感じる。
私はもちろん慣れたものだが当麻はどうだろうと思って伺えば、いつもと変わらない表情だった。
そのことに少し安心して、気持ち半歩、彼に近づく。


「カーテンを見た後、ベッドと机も下見するか?」
「うん」


近づいた分だけ、彼が大きく見える。
彼の命に近づいた気がする。


「ね、とうま。私、とうまがいなくなったら困るよ」
「なんだ、いきなり」
「いなくなったら、困る」
「……大丈夫だ」


彼の命。
それは私にとって、掛け替えのないもの。
そう思った途端、急に得体の知れない焦燥感が沸いてくる。


「……嘘だよ」
「大丈夫だって」
「そんなの、嘘」
「……どうした、インデックス?」


彼は助けを求められたら、これからも助けるのだろう。
そこにリスクがあったとしても、きっと、ずっと。
でも、それを私が止めることはできない。
私に止める権利なんてない。
なぜなら。


目に見える全てを助けようとする彼だから、私を助けようとしてくれた。
無茶な話に向かい合えてしまう彼だから、私の話も聞いてくれた。
命を投げ出しても救おうと思える彼だから、私を命がけで救ってくれた。

だから、誰よりも救われた私が、当麻を止めることはできない。


でも、苦しいのだ。
誰かを救おうとして危ない橋を渡っていく姿を見るのは、とても苦しいのだ。
それを言う権利なんて私には無いはずなのに。
それでも、なお。


「ごめんね、とうま。なんだか、心配なの」
「そうか」
「信じられないくらい幸せなのに。なんだか、最近心配で仕様が無くなる」
「……その心配は、きっと税金みたいなもんだ」


無表情にわずかに見える、何かの感情。


「税金?」
「そう。幸せな人が払う税金だ。幸せなほど、高くなる税金だ」
「そっか。税金、か」
「ああ」
「じゃあ、仕方ないね」
「そうだな。払いたくないなら、不幸になるしかないな」
「それは困るよ」


せっかく幸せを満喫しているのだ。
不幸になるなんてとんでもない。


「でも、お前の言いたいことはなんとなく分かった。心配かけて悪いな」
「ホントだよ」
「……仕方ない。税務署に見逃して貰えるよう、賄賂でも渡すか」


そういいながら、彼はエレベータの前のワッフル屋を指差した。






御坂美琴は歩きながら考える。


私のクローン。
レベル5の能力を軍用に転換するために作られた、私のクローン。


……馬鹿馬鹿しい。


クローン技術は既に確立され、家畜や実験動物の作出に応用されている例も多い。
そしてレベル5を軍用に転換できるなら、その経済的価値は莫大なものだろう。


しかし、有り得ない。


軍用にするということは、クローンに戦わせると言うことだ。
真っ向勝負なら、私の能力なら軍隊を相手にしても負けるとは思わない。
でも奇襲や長距離からの狙撃などの方法で、長期的に狙われたら逃げ切れるとも思えない。

そして、クローンの作出は国際法にも日本の法律にも違反している。
情報がリークしたら、世界中から集まる学生によって支えられている学園都市にとって
致命傷となる。
だから、仮に作っていたとしても、学生の噂になる程度に情報がリークするほどの脆いセキュリティで
守られるほど軽い情報ではない。


いろいろ考えれば、その噂が荒唐無稽で自己矛盾していることが明白だ。
だが。


「この3週間で、荒唐無稽な現実は何度も見てきたしね」


火の無いところに煙はたたず、との言葉が現実になったことだってあった。
まったく別の重要な情報が、変質した結果として噂ができたのかもしれない。
念のため調べてみようと思いつつ、私は人気のない通り沿いの公衆電話ボックスに入った。






家に帰ってきても、褐色のキューブに溢れる部屋では特にやることもない。
テレビもパソコンもトランプすらも仕舞ってしまった。
雑談をしたり、携帯に内蔵されていたオセロで遊んだりで時間がつぶすが、ふと携帯電話を見ると19時。
美琴からは未だ連絡が無い。


「まだ、連絡はない?」
「ないな。電話をかけても出ない」
「どうしたのかな」
「そうだな。久しぶりに学校の友達と会って、楽しんでるんじゃないか?」
「うん……そうだね」
「そうだな。20時まで連絡が無ければ、どこかに食べに行こう」






外食から帰って一息ついた22時過ぎに美琴からメールがあった。

内容は、家には行けないことを告げるシンプルなものだった。

その短い文面になんだか胸騒ぎを感じて、私は当麻に声をかけた。



[27370] とある・もしもの世界 《絶対能力進化3》
Name: verdadelo ◆5ddb6f89 ID:7c9b5b26
Date: 2011/05/07 00:36
《絶対能力進化3》


絶対能力進化、と言う言葉には容易にたどり着いた。


上条当麻を探り続けた3週間前、学園都市のコンピュータの多くにはバックドアを仕組んである。
それを使って私の名前とクローンをキーワードにして情報を調べれば、信じがたい事実が、信じがたいほど簡単に見つかってしまった。



内容が次々と携帯端末にダウンロードされていることを画面が知らせる。

――Now downloading the data

端末を握り締めて、私はいつの間にかボックスの中で座り込んでいた。






――Now downloading the data


私のクローンが
知らないところで作られて
知らないところで殺される
何度も、何度も


――Now downloading the data


頭を砕かれた映像が
足を引きちぎられた映像が
心臓を破裂させられた映像が
首を飛ばされた映像が


――Now downloading the data


No.0002は2分12秒で実験終了
No.0102は1分54秒で実験終了
No.5102は0分59秒で実験終了
No.9802は3分02秒で実験終了


――Now downloading the data


私の命を分けるものが
Sistersなんてふざけたコードを付けられ
ぱたりぱたりと殺されている
何度も、何度も


――Now downloading the data

――Now downloading the data

――Now downloading the data

――Now downloading the data

――Now downloading the data

――Now downloading the data

――Now downloading…………






「うああアアァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァ!!」






ギリギリで端末は守った。
でもそれ以外は駄目だった。
半径50 mが電子の光に包まれて。
轟音と共に瞬時に蒸発した。






「一方通行ァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァ!!」






次の実験場所は第9学区工場跡。
実験開始は今日の22時半。

それだけわかれば十分だ。






「現時刻は22時20分。第9981次実験開始まであと10分です」


私と同じ声が響く。
私と同じ姿で話している。
私の9981番目のクローンが、そこにいる。
電子の情報だけではなく、目が、耳がその現実を知る。
そして、それに応える声。


「オマエら、相変わらず薄気味悪いくれェ、落ち着いてンな」


レベル5、序列第1位の一方通行だ。
私の妹たちを1万人近く殺した殺人者。
何度も、何度も、何度も、何度もいたぶるように殺した。


殺した。
殺したッ!
この男が!!
この男がッ!!


「待ちなさいよ」


口から出た言葉は、驚くほど平坦だ。
表情もきっと無表情だった。
体も震えてなんていなかった。
足だって、誰かに見せたいくらい滑らかに前に動いた。


「一応、確認する」


でも、涙が出ていた。


悔しくて
切なくて
情けなくて
許せなくて


「あんたは、第1位一方通行。絶対能力進化に従って、超電磁砲のクローンを殺害している。
そうよね?」

「なんだァ、オマエ。……ひょっとしてオリジナルかァ?」

「質問に答えろ」

「あァ?めんどくせェなァ。コレって機密なンだよなァ?」

「……いいからッ、さっさと質問に答えろッッ!」


大げさにため息をついて第1位は答える。


「オマエの言う通りだ。……コレで満足したかァ?」






聞いた瞬間、世界がクリアされた。


一切の音が消えて。
一切の色が消えて。
一切の香が消える。


自分の中にある、安全装置が全て解除されたのが良くわかった。


そして、余りにも静寂に満ちた平坦な心で。
私は全力の雷撃をその男に向かって収束させた。






光と爆発音と衝撃波が訪れ、次いであっと言う間に視界が粉塵に遮られる。
膨れ上がった空気に圧排されて、工場が軋むような音を立てる。
だが、能力の目には彼の安全が良く見えた。
彼は電撃の渦の中で、まだ笑っている。


この中で蒸発しないとは。
さすが第1位と言ったところだ。


しかし、彼が動けないのもまた事実のようだ。
ならば、このまま粉々に切り刻んでやろう。


電撃をさらに収束させ、あまった能力で磁場をコントロールし、砂鉄の剣を作る。
戦車さえも切り裂くそれを、流れるように彼に叩きつける。
だが、それらは彼に届く前にはじき返される。


なるほど、これがベクトル操作か。
やるじゃない。

……じゃあ、これでも食らって死んでしまえ。


電撃による攻撃を解除し、近くにある鉄骨資材を砂鉄の剣で切り裂く。
各辺10cmほどにカットしたそれを、目の前に浮かせる。
ニヤニヤと笑うその男に向かって、全能力を注ぎ込んだ電磁レールを繋ぐ。


そして、バイバイと手を振り、薄く笑顔すら浮かべて。
私は過去最大レベルの超電磁砲を解放した。


満たされる、閃光。






「うぅ……」


薄く目を開けると、顔を打つ激しい雨。
動こうとするが、体中がしびれた様に力が入らず、起き上がることもままならない。
口の中には錆びた鉄の味。
右手を見ると、制服ごと肩まで皮膚が切れている。
左足が砂利のようになったコンクリートに埋まっている。


何とか起き上がると、ぼやけて定まらない視界には黒い影が20ほど。


能力の目で見て、彼女達が私のクローンであることが分かった。

彼らが集めている肉片が、さっき私が助けたかったあの子だってことも分かった。

一片の迷い無く殺すつもりで全力をぶつけたのに、第1位には相手にもされなかったってことも
良く分かった。






完全に、負けた。

手を引いて逃げることもできなかった。






統率されたように動き続ける彼女達に話しかけることすらできずに。

足を引きずりながら、私はその場を逃げ出した。



[27370] とある・もしもの世界 《絶対能力進化4》
Name: verdadelo ◆5ddb6f89 ID:7c9b5b26
Date: 2011/05/06 17:41
《絶対能力進化4》

昔の記憶は驚くほど思い出せない。

自分がどこで生まれたのか。
自分の両親はどんな顔をしていたのか。
自分が何故学園都市にいるのか。
そして、自分の名前さえも。

過去を持たない自分は、きっとベクトルだ。
起点を持たず、強さと方向だけを迷いなく持つ。
そんなベクトルに違いなかった。






雨はやがて土砂降りへと変わった。
路面に広がる水溜りは波打ちながら、意思を持つかのように互いに手を伸ばしてつながっていく。

人通りが完全に絶えた大通りを、一方通行はゆっくり歩いていた。
右手にはこの2週間買い続けている缶コーヒー。
左手には既に内容も良く覚えていない弁当類。


今日もいつもの通りだった。


いつもの通り、実験場所に行き。
いつもの通り、対象を破壊して。
いつもの通り、電車に乗って。
いつもの通り、食料を買って帰る。


それは生活の一部になっていた。
感じた罪悪感は既に溶けて消えた。


いつも通り、空虚なベクトルに戻った自分は
雨も風もはじき返して街を歩いていく。






家に帰ると、防犯装置のスイッチを切る。
自宅を襲撃されたことはこれまで数え切れない。
帰ってきたら、隣家を巻き込んで部屋が爆破されていたこともあった。
家が放火されたことも3回ほどあった。


防犯装置自体が既に気休め程度の意味しか持たない程、自分は世界に憎まれている。


明かりは付けない。
帰宅を知って、窓から石が投げ込まれるから。
もうそろそろ、別の場所に移ったほうが良いかもしれない。


埃の積もったテーブルの上に飲み差しの缶コーヒーを置く。
命をつなぐために、ぼそぼそと弁当を掻きこむ。
隣の部屋から微かにテレビの笑い声が聞こえる。


常盤台の超電磁砲、か。
あいつは、生きているだろうか。


あのような青白く磨がれた殺意は初めてだった。

一分の迷いなく殺すつもりで打ち込まれた攻撃。
彼女の周りで組み上がった莫大な電磁の誘導式。


美しい、と思った。
殺されてもよい、とすら思った。


自分を屠るために放たれた緋色の光を思い出して、一方通行は虚無の笑みを浮かべた。






24時。

足を引きずりながら、御坂美琴はふらふらと街を歩き続ける。
土砂降りの雨が体から体温を奪っていく。
右腕からは血が流れ続けている。
青白い顔で、青白い唇を震わせながら、彼女は街を歩く。


「なんとか、しなきゃ」


向かう先は第9学区にある研究所。
表向きは視覚情報処理と能力開発の関係を研究しているようだが、実態は絶対能力進化
の研究機関であることは把握している。


「なんとか、しなきゃ」


自分が出しうる最大出力の運動エネルギーも通用しなかった。
一方通行には、絶対に勝てない。
ならば、計画を止めるためにはこれしか方法はない。


「なんとか、しなきゃ」


俯き、ぶつぶつと呟きながら、彼女は暗い路地を進む。
遠くで一つ、雷鳴が轟いた。






途中の公園らしき場所で転んだら、起き上がれなくなった。
目の前には表面が雨で撓む濁った水溜りがあった。
顔もきっと、泥にまみれているに違いなかった。
右腕の感覚は、大分前から無い。
左足もコントロールが難しくなってきている。



なんて、惨めなんだろう。



これまで、自分が積み上げてきたもの。
私の能力。
私の大好きな、私だけの現実。
それが全く通じなかった。
根本から否定された。


これまで、自分が積み上げてきたもの。
私の価値。
私らしい、私だけの生き方。
学園都市はそんなの見ていなかった。
私の価値は、私のDNAにしかなかった。



畜生。



ふと、インデックスの顔が浮かぶ。
あの子、泣くよね。
こんな姿見たら、絶対泣くよね。

ふと、アイツの顔が浮かぶ。
アイツ、怒るよね。
こんな姿見たら、絶対怒るよね。



だから、駄目だ。
駄目だ、絶対に。



震える体を起こす。
新たな血がにじんでも力を込める。
生体電流を操って、強引に筋肉を動かす。

ほら、一人だって私はまだ起き上がれる。



学園都市は危険だ。
昔、アイツが言っていた言葉。
その意味にようやく届いた。
こんな頓狂な実験を考え付くなんて、実行してしまえるなんて。
空想のマッドサイエンティストを超えている。



だから、私一人で十分。
電子を操る私一人で十分。
こんな闇に対するのは、それを産んだ私一人で十分だ。

ほら、一人だって私はまだ歩ける。



焦燥で身が焦がされても。
不安で押しつぶされそうでも。
恐怖に体が震えても。
寂しさに涙が流れても。



ほら、一人だって私はまだ戦える。






「御坂!」
「みこと!」






え……?



[27370] とある・もしもの世界 《絶対能力進化5》
Name: verdadelo ◆5ddb6f89 ID:7c9b5b26
Date: 2011/05/07 00:31
《絶対能力進化5》

幻聴かと思った。

2人には何も話していない。
ここにいるなんて知るはずが無い。
こんな雨の中、私を迎えに来るなんて、都合の良い話があるわけが無い。


「大丈夫?」


雨がさえぎられる。
目を上げれば、雨をはじく白い修道服が傘を差し出している。


「何があった?」


相変わらず無表情な顔が私を覗き込む。


……雨が降っていて、良かった。






雨の中で震える美琴の姿に、息が詰まった。
それでも何とか取り繕う壊れかけた笑顔に、思わず涙が出た。


なんだ、これは。
誰だ、美琴をこんな目にあわせたのは。
許せない。
絶対に許せない。


震える体に、持ってきた服をかける。
その服ごと、頭一つ大きい彼女を抱きしめる。


「何、で、わかっ、たの?」

「お前の様子が変だとインデックスから聞いた。電話をかけても出ないし、そのうち繋がらなく
なった。だから、何かあったのかと思って探索術式でお前を探してもらった」

「探索、術式?」

「雷を使った、探索術式。光ってから10秒くらいしか使えないが、そこで映されたお前の
状態は明らかに異常だったからな。迎えに来た」

「迎え?」

「ああ」


美琴が腕の中で震えるのを感じる。


「……駄目、なの」

「なにが?」

「私、の問題、なの。凄く、危険、だから」


だから、駄目なの、と美琴が消えるような声で呟く。
何度も、何度も。
それを見る当麻の目が細くなる。


「御坂、今の状態でお前が何かを成せるとは思えない。だから、帰ろう」

「駄目、なの。行か、ないと。……行、かないと」

「これ以上は限界だ」

「……駄目、なの」


まるで壊れた人形みたいに、同じ口調で、同じ言葉を繰り返す。
何度も、何度も。
ぎりっ、と私の奥歯が音を立てる。


「じゃあ、御坂。2時間だ。2時間だけ、休もう。それなら問題ないだろう?」

「……」

「2時間だけだ。約束する。だから、行こう」

「……駄目」

「駄目じゃない」


当麻はすっと動くと掛けた上着ごと美琴を抱えあげて、歩き出す。
わずかに身じろぎする美琴に、


「お前の能力は封じた。無駄な抵抗はするな」


いつもよりも、少しだけ優しい声でそういうと、待たせてあったタクシーに乗り込む。
場所を告げられたタクシーが、雨に煙る街を静かに走り出す。






ステイル=マグヌスを探索するときに使用したときはまばらに人がいたが、土砂降りの
深夜となれば誰かに見られる可能性など皆無だった。

気を失うように眠る美琴を地面に引いたビニールシートに寝かせる。
わずかに雨に打たれる青白い顔に、ごめん、と謝りながら、地脈を引き出して回復魔術を構成する。
シートに書かれた魔法陣が淡く光り、彼女の体を魔力が満たしていく。


「……何があったんだろう」

「分からないが、学園都市の暗部に関することに巻き込まれたようだな」


隣に立ち、私たちをかばうように傘を差す当麻に聞いても、当然望む答えは返ってこない。


「どのくらいで治るんだ?」

「すぐ」


ならば、眠り姫に直接聞くしかない。
わずかに赤みが差してきた顔に、私は唇を噛み締めた。






部屋に戻った後、当麻はコンビニに行くといって家を出た。
その意味を理解した私は、少しだけ抵抗する美琴を強引にバスルームに連れ込む。
回復魔術で体力は戻っても、体温までは戻せない。
震える体に少しだけ熱めのシャワーを掛けながら、背伸びをして美琴の頭にシャンプーを付ける。
私の幸せの記憶。
あのとき貰った優しさに、精一杯の感謝を込めて。
私よりもずっと短い髪を泡立てる。


「逆に、なっちゃったね」


ぽつりと美琴が漏らす。


「恩返しできて、よかったよ」


せめて気持ちが届くように祈りながら、髪を指で梳く。


流す涙が、すぐに幸せになりますように。
流す涙を、すぐに幸せに変えられるように。


何度も、何度も。



[27370] とある・もしもの世界 《絶対能力進化6》
Name: verdadelo◆5ddb6f89 ID:aabc9d6f
Date: 2011/05/10 19:16
《絶対能力進化6》

暗闇。

溶けてしまいそうな、虚ろに揺らめく暗闇。

あの中で叫んでいるのは、誰だ?

あの女か?

あの群人か?

それとも、この俺なのか?






目を開ければ、暗い天井。
目に届く光の運動エネルギーを操作して、明るさを取り戻す。


また、あの夢か。


くしゃくしゃに皺が寄ったシーツと、わずかにひびが入った窓ガラスを見て
学園都市最強の能力者はそっと顔を覆った。






バスルームを出てから、美琴は何も話さなかった。
私も、何も聞かなかった。
それでも流れる涙を見ているのが辛くて、目を逸らせば乱雑に開けられた褐色の箱。


探索術式で美琴の姿を見たときのことを再生する。
見た瞬間、当麻の表情が凍った。
ただでさえ乏しい表情が、完全に消え去った。
彼の口が、音を出さずに何かの言葉を呟くのが見えた。
時間にしたら、5秒も無い。
しかし、彼が完全に無防備になっている姿は余りに意外で、そして余りに切なかった。

そのあと、当麻は直にタクシーを電話で呼ぶと、ダンボールを開けて、私の服やタオルなどを出し始めた。
回復術式についていくつか私に聞き、私にその魔法陣を書くように要請した。
いつもみたいに素早く的確な決断。
でも、その声が、手が、震えているのが良く分かった。
その姿に、吸い取られたみたいに自分の動揺が消えていった。



「ただいま」



そして、彼が帰ってくる。
その声に、美琴の体が少しだけ動いた。






目が覚めたら、アイツに抱えられるようにしながらタクシーを降ろされるところだった。
何故自分がこんな状況になっているのか記憶が曖昧だったから、少しだけ暴れるとアイツ
が私の顔を見た。


そのときの、あの顔。
的確に表現するのは難しいけど、敢えて言うなら、悲しむような苦しむような顔。
アイツらしくない表情を見た途端、急に記憶がフラッシュバックした。


彼を突き飛ばし、駆け寄るインデックスを押しのけて、道端で吐いた。
横隔膜が激しく上下して、身を絞るように曲げながら何度も吐いた。
喉を焼くような胃液しか出てこないのに。
背中をさする二人の手に気づいて、それでも、何度も。

でも、吐いて、吐いて、尽きるまで吐いたら、なんだか気持ちが落ち着いた。
涙は止まらないけれど、心は既に安定していた。
インデックスに頭を洗ってもらって、その優しさに決意を貰った。

この2人を巻き込むわけにはいかない。
こんなにも大切な友達を危険にさらすことなんてできない。
研究所を破壊するのは1人で十分だ。
この狂った計画を止めるのは、レベル5の超電磁砲1人で十分。



だから、私は騙そう。
あの嘘つきをなんとしてでも騙して、この家を去ろう。






「約束の2時間まであと47分ある。何があったか、話してくれないか?」

「……話したくない」

「何故だ?」

「恥ずかしいから」

「……笑わないから、話してみろ」


無表情に複雑な感情を隠しながら、上条当麻が問う。
その感情が見えるようになったことに、改めて気がつく。


「……私、フラれたのよ」

「……」

「みこと……」


「最初はムカつく男だと思ってた。知るうちにすごい変人だって思うようになった」


我ながら無茶な作り話だと思う。
アイツなら自然な嘘をつけるんだろうけど、私にはこれが精一杯。
でも、いいじゃないか。
私は思春期真っ盛りなんだ。
恋に破れて、自棄になったっていいじゃないか。


「なんか、本当に変な奴なの。何を考えてるのかわからないし、一々行動も変だし」


口からでまかせの恋の話。
明日になれば忘れてしまうような、妄想ラブストーリー。


「でも、何度も一緒に笑いあっているうちに、気がつけば好きになってた」


……あれ、おかしいな。


「ひょっとしたら自分が想うみたいに、その人も私を好きなんじゃないかって、思ってた。
でも勘違いだった」


行き当たりばったりシナリオのはずなのに。


「その人は、私を見ていないって、分かった。でも苦しかった。とても苦しくて、苦しくて
たまらなかったの」


何故、こんな気持ちが込みあがるんだ?


「だから、自棄になって暴れたの。使われていない廃工場を一つ吹き飛ばしたわ。そしたら自分の
能力に巻き込まれて、怪我しちゃった」


……自分の言葉に酔ったのか、私。
うっかり別の涙が零れそうになるのを、あわてて止める。
しっかりしろ、御坂美琴。


「それだけよ。……心配掛けて、ごめん」


少しだけぼやけた視界で、それでも真っ直ぐ上条を見る。
無茶は承知。
それでも通さないと。


「……本当か?」

「本当よ。暴れまくって、落ち着いた。もう大丈夫」

「そうか」

「……カッコ悪いから、話したくなかった」

「……悪かったよ」


考える目をする上条と、表層的な会話を交わす。

彼がこの話で納得するわけは無い。
でも、私でなければ、この悲惨な実験の真実にたどり着くことはできない。
そして、誰にも知られず研究所を破壊することが、私ならできる。
レベル5の超電磁砲なら。

だから、今この場を離れられれば、私の勝ちだ。


「ホントよ。乙女のプライバシーを掘り返そうなんて、信じらんないわ」


言いながら、立ち上がる。
玄関まで、あと10歩。


「これでも傷付いてんのよ。だから、ちょっと一人になりたい」


笑顔さえ貼り付けて、歩く。


「心の傷が癒えたら、また遊びに来るわ。寂しいかもしれないけど、泣くんじゃないわよ」


軽口でごまかして、進む。


「だから、また」

「御坂」


言葉が遮られ、振り返ると上条がこちらに歩いてくる。
いつものように綺麗な姿勢で。
いつものように無表情に。
私の脇を通り過ぎて、玄関を背に寄りかかる。






「俺には、お前が言ってることが真実だとは思えない」


モノトーンな声で上条が言う。
でも、本当はそうじゃない。
よく聞けば、ちゃんと感情がこもっている。


「そして、仮に真実であったとしても、お前を帰すわけには行かない」


きっとそれは決意だ。
インデックスを襲う魔術師と戦ったときに感じた、彼の覚悟。


「お前があんな状態になるまで追い詰められたんだ。見過ごすなんてできない」

「私を、助けようっていうの?」

「ああ」

「そんなの、大きなお世話だって、思わないの?」

「思わない」

「私の問題だから、放っておいてって言ってるの、解からない?」

「お前はそんなこと思っていない」

「言ってるじゃない」

「でも、思っていないだろう?」


その覚悟に応えるのは、私のナイフのような言葉。

こんなことを言いたいわけじゃないのに。

アイツに八つ当たりしたって仕方ないのに。


「思ってるわ。アンタのその押し付けの善意、正直ムカつくわ。アンタの助けを借りなきゃ
私が何もできないと思ってるの?私を、馬鹿にしてるの?」


……駄目だ。
こんなこと言っちゃ駄目だ。


「馬鹿になんてしてない」

「してるじゃない。きっと、アンタは私のことを可哀想だって、憐れんでるんだ。だから
手をさし伸ばしてやるかって、思ってるんだ」

「……俺は、お前が本当に可哀想だって思ったよ。御坂」

「ほら!可哀想、可哀想って、私のことを馬鹿にしてるんでしょ?哀れだからお情けでも
掛けてやろうかって思ってるでしょ?」


止めて。
誰か、止めて。


「そんなんじゃねえよ」

「嘘。絶対、そうよ。気持ちいいでしょ?助けた相手が泣きながら感謝する言葉、圧倒的優位に
立って、相手を見下ろす快感」

「御坂……」



「アンタは助けたいんじゃないわ。本当は見下ろしたいんでしょ?打ちのめされた誰かが
這い蹲るのを、安全な立場から、見下ろしたいんでしょ?」



……なんて汚い、醜い言葉だろう。



自分が放った言葉の鋭さと重たさに愕然とする。
取り返しのつかないことを言ってしまったことに、体が震えだす。
もはや、上条の顔を見ることなんてできない。
彼を強引に突き飛ばして、裸足のまま外に逃げようとして。






私の左手をつかむ、彼の右手。






「御坂、お前の言っていることは正しいよ」


聞こえてくるのは穏やかな声。
いつもの、彼の平坦な言葉。


「お前が言った、傲慢な気持ち。俺の中に、確かにあるよ」


ゆっくりと紡がれる、温かいトーン。


「言われて、初めて気づいた。教えてくれてありがとな、御坂」


振り向けば、いつも通りの彼の顔。
無表情を装う、優しい顔。


「それに、ごめん。俺は抜けてた。ちゃんと、言えば良かった」



……何を?






「お前が苦しむのを見ていると辛いんだ。だから、どうしてもお前のことを守りたいんだよ。御坂。
……これは、俺のエゴだ。でも譲るつもりはない。諦めろ」






……なんだこれ。
ずるすぎるよ、アンタ。


つながれた右手に、体の力が持っていかれる。

負けず嫌いも、意地っ張りも全部打ち消される。

心のファイアウォールも、作り上げた覚悟も、みんな溶かされる。


そして残ったのは、私。

正直者の、寂しがりやの私だった。



[27370] とある・もしもの世界 《絶対能力進化7》
Name: verdadelo◆5ddb6f89 ID:aabc9d6f
Date: 2011/05/10 23:26
《絶対能力進化7》

俺は、全てが怖かった。

最強の盾を生まれながらに持っているのに。

自分を取り巻く、全てが怖かった。


最強の盾があるから、ためらわずに拳を振るう。

最強の盾があるから、ためらわずにナイフを抜く。

最強の盾があるから、ためらわずに銃を向ける。


媚びへつらい、そして唐突に暴力へと転身できる。

そんな全てが怖かった。

だから望んだ。

全てを超越する力。


レベル6。






一度崩されれば、もうどうしようもなかった。
洗いざらい、知ったこと、したこと、しようとしたことを泣きながら話した。


インデックスはやっぱり泣いた。
泣きながら私の名を呼んで、私の頭を抱きしめた。


上条は怒らなかったが、代わりに私の頭を撫でてくれた。
頑張ったな、といいながら、何度も撫でてくれた。


ひとしきり泣いたら、リラックスしたのか、私のお腹が小さく音を立てた。
余りにタイミングが良くて、うっかり笑ってしまった。
そしたら、2人も笑ってくれた。
笑い声。
そんなもの、もう縁が無いかと覚悟したばっかりなのに。
短い寿命だった決意が馬鹿みたいで、でも、嬉しくて、有り難くて、幸せで。
私は涙を零しながら笑った。






「何でお腹すいてるって知ってたの?」


上条が差し出したコンビニ弁当をお茶で流し込みながら、私は聞く。
泣きすぎて鼻が壊れたのか、ぐすぐす言っているが、味覚のダイナミックレンジが広い私は、
問題なく美味しく食べられる。


「解答は食後で良いか?」
「……今のでわかった。言わなくて良いわ」


なんてものを見てるんだ、と抜け目無い彼に少し呆れる。


「今日は何を食べたの?」
「パスタ。みことが鮭クリームをもう一度食べたいって言ってた、あのお店だよ」
「いいなあ、私も行きたかった。なんで教えてくれなかったのよ」
「ちゃんと携帯に電話はしたからな」


履歴を見ようと携帯を出すと、完全に壊れている。
あの電撃に耐えられるわけがないから、当たり前か。


「壊れちゃったみたい」
「壊したんだろ?」


細かい奴だ。


「じゃあ、みことが言ってたデータも見れないの?」
「そうなるわね……」
「まあ、良いだろ。さっき聞いた情報じゃ、どの道足りないんだから」


足りない?


「ああ」
「何が足りないの?」
「絶対能力進化の計画の全貌と、一方通行についてのデータ」


上条はダンボールを開いて、中からPCを取り出す。
コードを繋ぎ、モニターを卓袱台に載せて電源を入れる。


「それを知ってどうするの?」
「決まってるだろ?」


彼は口角を上げて、あっさり応える。


「この狂った計画をつぶすんだよ」






第3位の能力を使って、回線を通じて学園都市の端末をハックする。
電磁の海が意味を持ち、そこからいかなる情報も引き出せるような万能感に包まれる。


「次、過去の実験の詳細を見せてくれ」
「わかった」


上条が求める情報をPCのモニタに映し、必要なものはダウンロードする。
彼の目が異常な速度で動き、次々と移り変わる画面を追う。


「次、過去の実験場所についてのデータを頼む」
「了解」


目を覆いたくなるような惨状にも、その表情は動かない。
もちろん、私も目を逸らさない。
映される地図のデータ。
彼女達が死んだ地点が赤くポイントされている図が流れていく。


「次、絶対能力進化の情報がリークしたタイミングを知りたい」
「キーワードはどうする?」
「超電磁砲、クローンあたりで、学生のブログを検索してくれ。いつから噂になっているか」
「これでいい?」
「……なるほど。じゃあ、次、一方通行のスペックを知りたい」
「何にする?」
「彼の受けた過去の実験データを探そう。なるべく古いものから」
「これ、かな」


後ろではインデックスが黙々と魔法陣を書いている。
星座の持つ意味を使った占星術式と、雨を象徴する豊穣の神の力を借りた術式とのことだ。


「なるほど……。じゃあ、次。ジャッジメントやアンチスキルの調書で、一方通行が関与
しているものを出してくれ」
「うん。……だいたい80件くらいヒットする」
「ありがとう。詳細を全部出してくれ」


文字が多い、読みにくい調書が展開される。
自分の3倍近い速度でその情報がスキャンしていく。


「次、一方通行と御坂以外のレベル5のスペックを出してくれ」
「わかった」


第6位以外の4人の超能力者の実験データが示される。
彼は一口缶コーヒーに口をつけると、再び画面に戻る。
全員のデータに目を通した後、彼は目を瞑って20秒ほど考える。
彼の唇が何かを呟くかのように小さく動く。
閉じられた瞼の裏で、眼球が動く様子が薄く見える。


「次、発電能力者と情報処理に関する研究報告書の要旨を引いてくれ」
「……6000件くらいヒットするけど」
「そうだな、この5年くらいの情報で、一般公開されていないものが良い。できるか?」
「うん。21件かな」
「ありがとう。……じゃあ、これが最後だ。樹形図の設計者の使用申請と申請許可の日付と、その案件について出してくれ」
「はい」


マウスで次々と情報を捲っていき、最後のページまで見ると、彼は後ろに倒れるように
寝転がって、もう一度目を閉じる。
インデックスが使うマジックの音が小さく聞こえる。
息もしていないんじゃないか、というくらい動かなくなった様子に、そろそろ不安になって
きたころ、彼は目を開けた。

そして、わずかに微笑みながら、私に言った。






「御坂。心配するな。もう、大丈夫だ」



[27370] とある・もしもの世界 《絶対能力進化8》
Name: verdadelo◆5ddb6f89 ID:aabc9d6f
Date: 2011/05/11 19:17
《絶対能力進化8》

実験が無いときは、ほとんど1日寝ていた。

特にしたいことも、趣味も無い。

友人などという存在など、できた試しがない。

そして眠ることに飽きて、空腹に耐えられなくなったら外に出る。

そのときが昼でも夜でも関係なかった。






外に出ると、快晴だった。
携帯を見れば、8月16日、9時23分。
今の自分にとって、それはあと59時間後に実験が行われること以上の意味を持たない。

いつものコンビニに向かって、いつもの道を歩く。
道の途中で茶色い髪の少女を見つけると、似てもいないのにわずかに体がこわばる。
自分の不甲斐なさを鼻で笑うが、思索は彼女達に自然と向かってしまう。


何故、彼女達は死を選べるのか。
耐え難い苦痛を得て、直視しがたい惨状に陥ることを知って。
それでもなお、自分の前に立つ超電磁砲のクローン達。

彼女達に、自分がレベル6になることで得られるメリットなど何も無い。
そして、彼女達は自分の置かれた状況を理解できない白痴ではない。

にもかかわらず抵抗らしき抵抗も見せず、静かに殺されていく彼女達を見ていると、自分
の精神のほうが異常なのではないか、と思えてくる。


なぜ、自分は誰かを殺してまで生きていられるのか。
レベル6に成れたとしてそこに平穏があるのか。
いっそ彼女達みたいにあっさり死ねば、楽になるのではないか。


そんなことを考えながら歩いていると、視界をふさぐ5人の男達。
なんだ、と思うまもなく、そのうちの一人が鉄パイプを振り下ろす。
当然それは自分まで届かない。


「なんだァ?しけた遊びしてンなァ?」


彼らが誰か、記憶に無い。
ひょっとしたら、以前襲われたのを返り討ちにしたのかもしれないし、学園都市最強の能力者ならば、
武器を持って襲っても許されると思っている類の人間かもしれない。


いずれにせよ、ぶつけられるのは憎悪と敵意。
それらをベクトル操作ではじき返す。


「何ですかァ?オロオロ逃げるくらいなら最初からかかってくるンじゃねェよ、糞虫が」


地面を伝わる弾性エネルギーをコントロールして、男達を空中に跳ね上げる。
戦意を完全に喪失したことを確認して、ため息をついてその場を離れる。




もう二度と来ないでくれ。

頼むから、俺を放っておいてくれ。






「大丈夫って、どういうこと?」

一方通行や絶対能力進化に関する情報を集めだしてから約3時間。
物凄い勢いで情報に目を通していたが、私にはなぜこの情報を見る必要があるのかすら
分からないものがあった。
まさか、一方通行の弱点でも見つけたのだろうか。
インデックスも驚いたのか、魔法陣を書く手を止めて上条の横に座る。


「何か一方通行の弱点でも、見つけたの?」


そう聞く私を見ながら彼は起き上がる。


「調べてみて分かったんだが、一方通行は恐ろしい能力者だ。お前が全力で能力をぶつけても
無傷だっていうのも納得できた」


がざがざとコンビニの袋を開けて、中からペットボトルを取り出して私とインデックスに差し出す。


「あいつは、自分に触れたあらゆるベクトルをコントロールできる。しかも、5感では知覚できない
電磁波や超音波もはじけるらしい。だから、仮に核兵器の直撃を受けても平気だろうな」


絶望的な事実を淡々と述べる。


「……勝てないってこと?」

「俺の知る限りでは、あいつに勝てそうな能力者は3人だ。その例外を除けば、レベル5を含め
て誰も勝てないだろう。能力者以外で勝てるとしたら、直径数キロをカバーできる気化爆弾でも
打ち込んで、酸欠に追い込む手法かな。何万人も巻き添えになるけど、それならひょっとしたら
勝てるかもしれない」

「そんな……」


隣でインデックスが言葉を失う。
やっぱりそうか。
あの男には、勝てないのか。
でも、勝てそうな能力者がいる、と言っていた。
誰のことだろう。
私も知っている人だろうか。


「一方通行の能力が反則的に強いっていうことは分かってるわ。で、その例外って誰?」


私の問いに、上条は口角を少しだけ上げる。


「お前も、インデックスも良く知ってるはずだぞ」

「え?」

「私も?誰のこと、とうま?」


その問いに上条は答える。






「お前と、インデックス、そして俺。……ここにいる3人だよ」






「まず、俺。これはいいよな。一方通行の能力は触れたもののベクトル操作。俺が右手で
あいつの体に触れればあいつは能力を封じられ、ただのレベル0になる」

「うん」

「次は、インデックス。これもいいよな。お前が前言っていたように、魔術は科学とは違う
ルールで動いているから、あいつの能力でも扱いきれないだろう」

「……うん」

「最後は、お前だ。これについては一方通行の実験結果を見せたほうが分かりやすいだろ」


そういいながら、上条はPCの画面に一方通行の実験結果を出す。


「一方通行の能力は、体の表面に膜みたいに能力が展開されていて、そこに触れると操作
できるものだ。そして、さっきお前に見せてもらった実験結果に、このデータがあった。
まずこれは能力を最初に発動させる速度を量ったものだ」


一方通行の右手に電極を付けて微弱な電流を流す実験だ。
通電物質内の電流の速度は、音速で測るのが馬鹿馬鹿しいほどの速度。
だが、一方通行はことごとくはじくことに成功している。


「この後、レーザーを使って追試験を行っているが、こちらも同様の結果だ。どうやら
あいつの能力はデフォルトが反射になっているようだな。」

「デフォルト?」

「生きるうえで必要な気圧、光、音だけを通して、それ以外は自動的に反射しているってことだ。
そうじゃなかったら、光速で飛んでくるレーザーを反射できないだろ」


なんて能力者だ。
これが、私と同じレベル5なのか。


「で、なんでこんな化け物に私が勝てると思うの?」

「まあ、落ち着け。次に、これは別の実験。一方通行の能力を切り替える速度を見たものだ」


こちらも、やはり一方通行の右手に電極を付けて微弱な電流を流す実験のようだ。


「切り替える速度って?」

「反射などのあるベクトル操作から、別の操作を行うまでのタイムラグのことだ。この実験では
手に付けた電流の向きや強度を変える間隔で測定している。これを見るとな、あいつは強度が
変わることに対する対応速度は光速並みだが、ベクトルが逆向きになるような操作については
大体ラグは1マイクロ秒くらいがあることが分かる」

「1マイクロ秒?」

「それで普通は十分なんだろうがな。たとえ核兵器の爆発でも落雷でも、基本的に加わる
力のベクトルは一定方向だ。ましてや、そのベクトル方向が逆になることなんてほとんど
無いから、最初の一撃を自動反射で弾けば大きな修正なんて必要ないだろうからな」

「とうま、どういうこと?」

「例えば、前から車がぶつかってくる。その衝撃は、前から後ろに向かって届くだろ。どんなに
衝撃が大きくても、この方向は変わらない。これが一瞬のうちに後ろから前に変わること
なんてないよな」

「うん」

「切る、殴る、爆発する、燃やす、凍らせるなどの現象は、つまるところ粒子や波の
運動で説明できる。そして、普通に想定する攻撃なら、その向きはほとんど不変なんだ。
だからこのタイムラグはほとんどの場合表に出てこない」

「じゃあ、どんなときに現れるの?」

「そうだな、例えばばね仕掛けの人形があるとするだろ。これを一方通行にぶつけると当然
反射される。でも体の表面ぎりぎりでもどってくるように位置を調整して動かすと、速度
によっては人形が一方通行に吸い付くような不思議な動きをするだろう。まあ、通常の能力、
兵器はそんな器用な動きはできないし、動く一方通行をリアルタイムで補正するのはもっと
難しいから、現実的にあいつはほぼ無敵だといえる」


そこまで言って、彼は一口コーヒーを飲み、私のことを見る。


「でも、御坂の攻撃は違う。御坂はエレクトロマスターだ。電流の向きを、つまり電子の動きを
御坂は瞬時に操れる。そして、能力でコンピュータをハックできるくらいなんだ。スイッチング
の速度は1マイクロ秒なんて眠い速度じゃないだろ?」


言葉がでない。


「別に、何億ボルト、何千アンペアなんて電流じゃなくていいんだ。人が気絶するくらいの
弱い電流で十分。最初は反射させて、次にそれをあいつの反応速度以上で方向を逆にすればよい。
それだけであいつは反射できずに気絶して、あとはやりたい放題だ。……簡単だろ?」

「う……うん。」

「これなら一方通行に勝てるだろ」

「……うん」


でも、気づかなかった。
全力をぶつけて、全部はじかれたからもう絶対に勝てないと思ってた。


「普通はそうだ。俺だって調べる前はそう思ってた。でもお前が調べた情報のおかげで
見えたんだ。あいつの弱点が」

「……ありがとう」

「礼を言うのはまだ早いぞ。他にもあいつの弱点があるんだから」

「え?」

「こちらは能力というより、性格的なものだがな」


プロファイリング、ってやつだよ。
そういいながら、また缶コーヒーに口を付ける。


「プロファイリング?」

「ああ。一方通行の癖や性格、行動パターンだ。過去の実験における行動、そして調書
から浮かんできたんだがな。あいつは自分からは攻撃したことが一度も無い」

「……そうなの?」

「必ず、最初の一撃は相手からだ。それによって相手の力量を見ているのかもしれない。
だが、このパターンは使えるよ。なぜなら、先制攻撃ができるってことだから」

「……そうね」

「あと、一方通行は過去に83件事件に巻き込まれている。その全ては被害者、つまり一方通行に
落ち度が無いのに、相手が攻撃を仕掛けてきたものだ。にもかかわらず、加害者に殺されたものはいない」

「何で?だって、あいつ、あの子達を楽しんで殺しているようにしか見えないのに」

「そこは、俺にも良く分からない。確かに、実験内容と調書の間に大きな乖離があると思う。
だが、現にお前だって殺されなかっただろ?超電磁砲をお前に向かって反射していれば、
お前に避ける反応時間は無かったはずだが、そうはならなかった」


そういわれれば、そうだ。
最後に放った超電磁砲は工場を吹き飛ばすくらいの威力だった。
私に向かって反射されたなら、私は影も残さず蒸発しただろう。


「理由は分からないが、一方通行は実験以外で積極的に殺すつもりはないと言える。これも
あいつの弱点」

「確かに」

「まとめよう。この場にいる俺たちは、それぞれ一方通行に勝つことができる。そして一方通行は
自分からは攻撃せず、まただれかを殺すつもりもなさそうだ。だったら」


そこで、少し間をおく。


「だったら、次の2日後の実験で、3人がかりで袋叩きにすればいい。晴れでも雨でもインデックスが
魔術を使えるように魔法陣を書いてくれてる。あいつは自分の防御が破られるなんて思ってないから
先制攻撃でいきなり襲えば負ける可能性なんてほぼゼロだ。ごめんなさいって泣いて謝らせて、
その様子を録画して学園都市中に流せば、あいつをレベル6にしようなんて実験も終わるだろう」

「……他のレベル5が実験を引き継ぐ可能性は?」

「この実験は、そもそも一方通行以外はレベル6にたどり着けないという前提からスタート
してるから、それは無いだろう。それに万が一引き継がれたとしても、そのときはまた潰せばいい」

「……そう、だね」

「よかったな、御坂。この3週間の事件の中では、一番楽に解決できそうだ」


そういって、上条はぽんと軽く肩を叩く。
インデックスを見れば、彼女も笑っている。
でも、私はまだ実感できない。
絶対的な壁を感じた、あの驚異的に強い第1位に、本当に勝てる?


「あの……本当に、勝てる?」

「ああ」

「本当に?」

「余裕だよ。俺一人で十分なくらいだ」

「……本当?」

「本当だ」

「本当……?」

「大丈夫だ」


答えを聞くたびに、少しずつ気持ちが解けていく。
安堵感と嬉しさが、少しずつ心を満たしていく。


「本当?」

「ああ」

「本、当?」

「もちろんだ」


少しずつ、視界がぼやけていく。
少しずつ、涙が溢れていく。


「ほん、とう?」

「楽勝だ」

「ほん、と、う?」

「ああ、任せておけ」

「うぅ……ほん」

「本当だ。信じろ」



信じろ。
その言葉が心に広がる。






何を言うんだ、嘘つきのくせに。






でも、嬉しい。
身震いするほど、嬉しい。
嬉しすぎて、涙が枯れてしまいそうだ。



揺らめく視界の中には、私を見つめる目。
ほんのわずかに困ったような表情を浮かべる顔。



女の子がこれだけ泣いてるのよ。



……抱きしめるくらいの甲斐性はないの?








何とか泣き止んだ美琴を、寮まで送ることにした。
人がほとんどいない朝の道。

靄の中を朝日が通り、浮かび上がった光の道筋が美しい。

そう言う美琴の顔は、涙の跡が残っているけど確かに笑っている。


「とりあえず、2日後までやることはない。御坂、お前は疲れているはずだから、今日一日は
ゆっくり寝ろよな。引越しは明日に延期して、俺たちもオフにするから」


そういえば、今日は引越しするつもりだったっけ。
すっかり忘れていた。


「引越しだったんだよね。……ごめんね」
「謝らなくていいから、明日頑張って手伝え」


もっと延期してもいいだろうに、あえて明日に引越しをしようと言うのは彼の思いやりだろう。
明後日の戦いが、大したことじゃないってことを示そうとしているのに違いない。


「わかった。ちゃんと、気合入れて盗聴器も見つけるから安心してね」
「無いのが普通なんだがな」


欠伸をしながら、美琴が物騒なことを言う。
つられて私にも欠伸が伝染する。


「今、何時?」
「6時半だな」
「あと30分もするとみんな起き出すわね」
「常盤台の学生は、休みなのに早起きだな」


極度の緊張感から解放されたからか、だんだん、瞼が重くなってきた。
美琴も目が半分くらい閉じている。
当麻は、ぜんぜん眠そうには見えない。
さすがだ。


「目を瞑って歩くと危ないぞ」


見かねた当麻が注意したあたりで、常盤台の寮に到着した。

そのあと、家に帰るまでの記憶はほとんど無い。
途中一度起きたら、当麻におんぶされていたような気もする。
はっと目を覚ましたら私はいつの間にか上条家のベッドで寝ていた。



そして、隣に当麻はいなかった。





いつものコンビニで。
いつものように缶コーヒーと弁当を買って帰る。
いつものように、帰り道で待ち伏せに会い。
いつものように追い払う。
いつものようにため息をつきながらエレベータに乗って。
いつものように部屋に帰ろうとしたとき。



一方通行は気がついた。
自宅のドアの前に男が一人立っている。



無表情なその男は軽く右手を上げて、一方通行に挨拶をした。



[27370] とある・もしもの世界 《絶対能力進化9》
Name: verdadelo◆5ddb6f89 ID:aabc9d6f
Date: 2011/05/12 18:52
《絶対能力進化9》

孤独を好んでいるわけじゃない。

集団で襲ってくるあの連中を軽くあしらうとき、たまに仲間を助けようとする場面に出くわす。

または、電車に乗っているときに目の前に座る学生が身の上相談らしきものをしているのが
聞くともなしに聞こえてくることがある。

そんなとき、誰とも交わらずにいる自分が酷く変質した生き物のように思えて心がざわつく
のを感じる。



でも、もちろん俺は知っている。

俺みたいな化け物には、孤独以外の選択肢なんてないってことを。






「何だァ、オマエ?」

「今度このマンションに引っ越す予定の者だ。ご挨拶をと思ってね」

「いらねェよ。帰れ」


持参してきた紙袋を渡そうとする男の前を通り過ぎて、家に入ろうとする。
朝から殊勝な奴だ。
今まで律儀に挨拶なんてされたことなどほとんど無い。
もちろん、自分がしたこともあるわけがない。


「まあ、そう言うなよ。挨拶がてら、ちょっと話したいこともあるんだ。……一方通行」


名前を呼ばれて、思わず振り向く。
この男は俺の名前を知っている。
学生のように見えるが、研究者か?
それとも俺を目の敵にする連中か?


「何で俺の名前を知ってるンだ?」

「お前は有名人だろう。で、駄目か?」


殺意を十分に向けた視線を送ったはずだ。
俺の能力について知っているなら、これだけで怖気づくはず。
なのに、この男の表情は毛ほども変わらない。


「面倒くせェ。帰れよ」

「お前にとって重要な話だぞ。……レベル6って言えば少しは話を聞く気になるか?」


反射的に、その男の右手をつかんだ。
こいつ、何を知っているんだ。


「お前、何を知ってるンだ?」

「さあな。話せばそれも分かるんじゃないか?」

「今、話したくなるようにしてやろうかァ?」

「どうやって?」

「俺の能力は知ってるンだろ?ベクトル操作でお前の血液を動かして、汚ねェ花火になってみるか?」

「お前は、そんなことしないよ」

「……ハッタリだって言いてェのかよ?」

「お前は俺の知っていることに興味があるからだ。だからできないだろ?」


男はゆっくりと捕まれた右手を振りほどく。
そして3歩ほど俺に背を向けて歩くと、振り返らずに問う。


「話を聞いてみて、損をしたと思ったなら殺せ。信用できないと思ったなら、そのときも
殺せ。……で、どこで話すんだ。お前の家か?それとも別の場所か?」


このまま加速してけり倒せば、彼はあっさり死ぬだろう。
手に持つ缶コーヒーをベクトル操作でぶつければ、彼を地上に投げ下ろせば、彼は助からない。
それを知った上で、背中を向けているのは絶対の自信があるからだ。
それだけの情報を持っているということを見せているのだ。
どうせたいした情報じゃないだろうが、好奇心が刺激される。


「……チッ。つまンねえ話だったら、その首叩き落すからなァ?」

「ならば、この首が落とされることは無い」


どこにするんだ?と問う彼に舌打ちを返して、一方通行は部屋のドアを開けた。






「引越しのご挨拶、ここにおけばよいか?」

「……いらねェよ」

「爆発物や毒なんかじゃないから安心しろ。ここにくる途中にコンビニで買ったんだ」

「無駄話はいいから、さっさと話せ」


やれやれ、と彼はわざとらしくため息をついて、ソファーに座る。
そして、ソファーに積もった埃が舞うのを見て、


「お前、少しは掃除したほうがいいぞ」

「同じ事を2度言わなきゃわかンねェ馬鹿なのか?」

「せっかちだな。じゃあ、話そう。まず、自己紹介から。俺の名前は上条当麻」


上条は背もたれに寄りかかりつつ、足を組む。


「強度はレベル0だ」

「で?」

「俺の友人が絶対能力進化に関わっていてな。そいつからこの実験やお前のことを聞いた」

「……これは重大な機密なンだがな。誰だよ、漏らしたのは?」

「御坂美琴」


わずかに体に緊張が走る。
この男、超電磁砲の知り合いなのか。


「……なるほどねェ。ってことはアレですか?敵討ちに来たって事ですかァ?」

「違う。取引だ」

「取引?」

「そうだ。これから、俺はお前に情報を示す。お前はそれをみて俺の話が信用できるかどうか
を判断してくれ。もし信用できるとしたら、俺は更なる情報を渡す代わりに、お前にはある
ことをしてもらう」

「……まあいい。さっさと聞かせろ」


では、と前置きをおいて、上条は話し出す。


「お前が参加している絶対能力進化だが、これはかなり高次の機密事項だということは知っているよな?」

「ああ」

「ところが、それがその情報が1ヶ月前に意図的にリークされているとしたら、どう思う?」

「ああ?」

「悪い、PCを使わせてくれないか?証拠を見せたい」


近くにおいてあるノートを彼に向かって投げると、彼は難なく受け取りそれを起動する。
起動後に持ってきたメモリを接続し、何かのデータを俺に見せる。


「何だ、これは?」

「御坂美琴のクローンの存在をみた、とするブログの書き込み日だ。最初の書き込みは7月14日。」

「それで?」

「次に、これはそのブログの発信場所一覧だ。変だと思わないか?」


7月14日に書き込まれた件数は45件。しかし、その場所は学園都市に満遍なく分散している。


「……偶然じゃねェのか?」

「そう思うか?」

「……いや」


同じ日に、さまざまな場所で同じ目撃情報が書き込まれる。可能性として、本当に同時に
目撃されたことや、デマを流そうとした学生がネットを介して仲間を作り、同時に書き込
んだことも考えられる。だが。


「一番妥当な説明は、誰かが身元を隠しつつ情報を意図的に発信したことだとは思わないか?」

「ああ、確かにな」

「そして、7月14日は絶対能力進化にとって意味のある日だ。お前、覚えていないか?」


言われて、思い出す。7月14日……。まさか、あれか?


「7月13日までは、クローンの戦闘スキルが低すぎると言う理由で、多対1の実験だった。
しかし、14日からは十分にスキルが向上したということで、1対1の実験になった。そうだろう?」

「……だから何なンだよ?」

「ここまでが、撒き餌だ。俺は今言った2つのことが7月14日に起こったことをただの
偶然じゃないと思っているし、それを説明する他の情報だってある。あとは、お前が取引
に応じるなら話すことにしよう」

「お前が出したブログの情報。正しいという証拠はあンのかよ?」

「疑うなら、ネットで調べてみればいいんじゃないか?」


彼からPCを奪って調べてみるが、示されたデータと矛盾するところは無い。
だが、この男の真意は何だ?
何を知って、俺に何をさせようと言うんだ?


「お前は、俺に何をさせるつもりなンだ?」

「取引に応じたら話すよ。ただ、お前にしかできないことで、一般常識や良識からみて外れた
ものではないし、法を犯すものでもないってことは言っておく」

「……」


上条の顔を見るが、そこから感情を読み取ることはできない。
何を考えているのかもわからない。
しかし、迷ったところで仕方が無い。
聞くだけ聞いて、もし理不尽な要求をされたら反故にすればよいだけだ。


「わかった。取引に応じるから、さっさと話せ」


そういうと、彼は無表情のまま語りだした。



[27370] とある・もしもの世界 《絶対能力進化10》
Name: verdadelo◆5ddb6f89 ID:aabc9d6f
Date: 2011/05/12 20:39
《絶対能力進化10》

一方通行は目の前に座る上条当麻を見る。

その目は自分を射抜くように見ている。
自分の舌打ちにも、恫喝にもその無表情はぴくりも動かない。

今まで生きてきて、人間とは2つに分類されると思っていた。
自分に対して媚び諂うものと、自分に対して敵意を向けるもの。

しかし、彼はそのどちらにも属さない。
初めて出会うタイプの人間。


そんな一方通行の思いとは無関係に、上条は語る。


「絶対能力進化の実験系には多くの疑問がある。これはお前のAIM拡散力場のデータだが、
実験開始からもう半分くらいの実験をこなしているのに、ほとんど変化が無い。本当に全部終わったら
レベル6になると思うか?」

「……成長にだっていろいろあンだろ?後半で急に伸びるかも知れねェだろうが」

「本当にそう思っているのか?……まあいい。次に、これは妹達の戦闘の経歴だが、お前との
戦いではほとんどが銃火器を使用している。これなら、わざわざクローンを使用する意味が
ないと思わないか?」

「仕方ねェだろうが。あいつらはせいぜいレベル3程度なんだからよ」

「順序が違うだろ。妹達の能力はせいぜいレベル3程度であることが分かっていた上で、絶対能力進化
が始まったんだ。足りない能力を補うために銃火器を使うというのは不自然だ」

「銃火器で補った個体と戦って、ようやくレベル6になれる可能性だってあるだろうが」


まあ、確かにその可能性は認めるよ。
そういいながら、話題を変える。
淀みなく話す口調に、自分が引き込まれていくのを感じる。


「ところで、お前は妹達を一体作るために、どれだけコストがかかるか知っているか?」

「18万だろ」

「製造プラントを作るコストがそこに入っているとは正直思えないがな。少なくとも材料費としては
そのくらいのコストで済むのだろう。とすると、疑問がわかないか?」

「……何が?」

「なぜ、クローンは超電磁砲からしか作られないんだ?レベル5は他に6人いるんだ。そいつら
のクローンを作って戦わせるほうが、バリエーションが増える分効率がいいとなぜ考えないんだ?」


それについては自分も考えたことがあった。
それを質問した事だってあった。


「超電磁砲が筋ジスの治療用に遺伝子を提供したからじゃねェのか?他の奴らのDNAは
手に入らなかったからだろ」

「本当に、手に入らないと思うか?」


上条が試すような視線を向ける。
それに少しだけ苛立ちを感じながらも、一方通行は答える。


「手には入るンだろうな。ただ、手に入れるのにはそれなりのコストがかかるって事だろ」

「コストはかかるだろう。だが、大変なものとは到底思えない」

「何故だ?」

「学生はこの街に来るときに健康診断を受ける。そのときには必ず血液検査をするからな、
そのときのサンプルが手に入るだろう。それに、もし手に入らなかったとしても」


と言いながら、上条は手に持った細い糸状のものを一方通行に見せる。
……これは俺の髪の毛だ。


「レベル5だって人間だ。髪の毛も角質も新陳代謝で落ちる。コンビニで買った飲み物を飲んだあと
遺伝子情報を消すために焼却や化学処理なんてしないだろ。トイレに行った後、流した先が
下水であることを確認なんてしてないよな。……だからこんな具合に、素人だってDNAを
盗めるんだ」


そういいながら、ふっ、と髪の毛を吹き飛ばして言う。


「確かにコストはかかる。だが絶対能力進化は極秘の一大プロジェクトだ。莫大な予算を掛けて
施工されているはずだからな。それに比べれば、髪の毛集めなんて微々たる出費だろう。
だから疑問なんだ。なぜ、他のレベル5のクローンを作らなかったのか」

「……知らなェよ。超電磁砲で十分だって樹形図の設計者が答えたんだろう」

「そう、樹形図の設計者だ。この計画の鍵。これを見てくれるか?」


PCの画面には、樹形図の設計者の使用申請と申請許可の日付およびその案件が映される。


「これが絶対能力進化を立案したときの使用申請だ。申請から許可が下りるまで12時間程度
しかかかっていない。一方これらは申請が却下された案件だが」


画面を移動しながら、上条は指差す。


「俺がさっきあげた疑問、当然だが研究者だって持っていたことが分かる。実験が進んでも
お前のAIM拡散力場に変化がないことへの疑問、別のレベル5のクローンを使うことで実験の進捗を
早められるのではないかという仮説。だが、これらを確かめるために何度申請されても樹形図の
設計者の使用は却下されている」


この情報については知らなかった。
実験について疑いもなく進めているように見えた研究者が、裏でこんな申請をしていたとは。


「実験は、仮説と実証の繰り返しだ。最初の仮説の修正が必要になったり、前提の誤りがあとで
分かることなんて良くある話だ。にもかかわらず、当然思い至るはずの疑問や仮説について、
樹形図の設計者の申請が却下されるのはどうしてだ?」

「……」

「答えは簡単だ。この実験でやることは、最初から決まっているからだ。途中で何が起こったとしてもな」

「……お前の言っていることは、推論だろうが。そうだって証拠はあるのかよ?」


声が少しだけ昂ぶった。
この男の話が、ぐるぐると頭の中を巡っていく。
だが、容易には受け入れがたい。
だって、これを受け入れるということは。


「そうだな。たしかに推論だ。じゃあ、もう一つ、傍証を重ねよう」


絶対能力進化の末に、レベル6になれないかもしれないということなのだから。


「さっき、お前に7月14日に情報がリークしたと考えられるデータを見せたよな。そこで、
こちらは過去の実験場所と日時の一覧だ」


画面を見ると、昨日までの実験場所とその開始時間が示されている。


「これを見て、何か気付かないか?」

「……場所と時間が変わってきているって言いたいのか?」

「ああ。7月14日以降、実験場所はほとんどが屋外。しかも、最近になるほど市街地に近い場所に
なってきているよな。そして実験開始時間も昔は深夜、早朝だったが、最近はそうではない。ちなみに」


そういいながら画面をクリックすると、次回の実験内容が現れる。


「次回は列車の操車場で行うらしいが、かなり繁華街に近い場所だ。開始時間も20時半。
この変遷が意味することくらい分かるだろ?」

「……」

「普通考えたら、情報がリークした段階で隠蔽するよな。クローンを殺す実験だぞ。そんなことを
行ってるってばれたら、最悪学園都市が無くなるんだから。でも、実際は逆だ。7月14日
以降の動きは、見つけてくださいと言わんばかりじゃないか」


……頭が、痛い。

何だ、一体、これは何だ?

俺は、騙されているのか?


「最初に言ったように、情報をリークしたのもこの実験の関係者だと考えられる」


言うな。

頼むから、言うな。


「こうしてみれば、一目瞭然だ。実験内容は完全に合理性を欠いていて、しかも実験自体
を途中でやめる気満々じゃないか。……連中は、お前をレベル6にするつもりなんて、毛頭
ないんだよ」






気付けば、弾けるように席を立ち上がり、上条の首に向かって手を伸ばしていた。
自分の名前と同じ能力が手に宿る。
ガードも反撃もできない学園都市最強の能力。

最強のはずなのに。


「……あァ?」


両手が、彼の右手に弾かれる。
そして、勢いそのまま前に動く自分の顔面に、その右手が叩き込まれる。
鈍い衝撃が走り、座っていた椅子を巻き込んで仰向けに倒される。


「ぐはッ……、なンだ……お前」

「悪いな。手を出すつもりはなかった。……いや、嘘か。本当は、手を出したくてうずうずしてた」

「何で、俺の能力が、効かねェンだ?」

「さあな。それより、話を続けよう。……もう、暴れるなよ?」


低く凄みを利かせた台詞を聞きながら、上条に強引に引き起こされる。

何故だ。

何故、俺の能力が効かないんだ。

何故、俺はこんなことになっているんだ。

何故、俺は、俺は、俺は。






「……何でだよ?」

「何が?」

「何で、こんな実験してンだよ?何で、こんな実験に参加させられたンだよ?」

「さあな」

「何でだよ。何で、俺なンだよ?俺、俺、あんなに殺したのに、何で、いまさらやめるなンて
言い出すンだよ?」

「知らねえよ。だが、俺の想像なら喋れるが……聞くか?」


何でもいい。
答えが欲しい。
そうじゃなければ、全てが無駄だったなんてことになったら、もう耐えられない。


「絶対能力進化はお前をレベル6にするものではない。にもかかわらず、お前を騙して
実験に参加させたなら、それに見合うものがあるはずだ。なぜなら」


少し、間をおく


「お前は学園都市最強の能力者。騙したことがばれたら、研究所ごと消されかねないだろ。
それだけのリスクを負うんだ。きっと理由がある」


そういいながら、先ほどの諍いで飛ばされたノートPCを拾って画面を出す。


「これは第2位と第4位の情報だ。彼らが最後に行った実験は2年前。お前や御坂は2週間に
1回は少なくとも実験があるのに変だよな。でも、彼らのIDを調べれば、彼らはちゃんと
生きているということは分かる。これが意味することは何か分かるか?」

「……表の世界で生きられねェってことか?」

「ああ。彼らの最後の実験を見ると、二人とも暴走によって多数の死傷者を出しているんだ。
これを境に公式の情報から消えたって事は、暗部に落ちたと考えるのが筋だろう」


一度も会ったことがない2人の超能力者が、画面の中で少し微笑んでいる。


「まあ、納得できる話だよな。レベル5は軍隊に匹敵する能力者。自由な学生で居させて、
卒業と共に学園都市から離れられるよりは、裏社会に落として抜けられなくするほうが、
学園都市としては美味しいと考えたんだろう」


吐き気がする、なんて思えない。

俺だって、同じくらいの悪党なんだから。

1万人近くこの手で殺した殺人者なん……



……え?

まさか。

まさか、そんな馬鹿な。



「……ま、まさか……」



「学園都市は、お前の能力が欲しかったんだろ。離したくなかったんだろ」



やめろ。


「お前は絶対能力進化まで表で生きられないようなことはしていない。何度も事件に巻き
込まれているが、全部正当防衛の範囲だ。だから、お前の良心と弱みを握るために、妹達
を殺させたんじゃないか?」



やめろ。

やめてくれ。

もう、許してくれ。

そんな、そんな馬鹿な話が。



「何の目的かは知らないが、妹達は絶対能力進化とは無関係の目的で作られた。当初の予定では
2万人は必要だと思われてたんだろうな」

「でも、それに必要な数は1万人くらいで十分だったことがあとで判明した。じゃあ、余った
1万人はどうするか?当然、殺処分だよな。学園都市の機密と闇の塊なんだ。生かしておく
わけにはいかないだろ」



淡々と語る目の前の男が恐ろしい。

なんて事を考えるんだ。

なんて事を言い出すんだ。



「じゃあ、どうせ殺すんだ。何かに使えないかと誰かが考えた。一昔前なら臓器移植だっ
たかもな。でも今は器官培養が可能だから、そんなことに使う意味もない。そこで思いつ
いたんだ」




……やめろ。



「絶対能力進化という餌を付ければ、きっと第1位を釣り上げられるに違いないって」



叫んだ。

叫びながら、耳をふさぐ。

もう嫌だ

それ以上、言わないでくれ。


だが、塞いだ手が強引にはがされる。

目の前に、無表情な瞳がある。



「案の定、お前は食いついた。そもそも殺すつもりなんてなかっただろうし、最初は罪悪感だって
感じたってことは過去の実験データを見れば分かる。でも……お前は結局慣れてしまった。
流されてしまったんだ。殺すことに、殺してでも力を得ることに、安易に流されたんだ」



がたがたと体が震える。

自分の心の底の底までを抉り取るような目に、ゆっくりとした口調に、いつの間にか涙が流れる。



「そして、予定通り1万人が殺された。お前が、殺した。効率よく殺した。何人もまとめて
殺したんだからな。予定通り殺させたあたりで、そろそろこの茶番も終わりにしよう、
そう思って誰かが情報を流した。超電磁砲のクローンが作られてますよ、って」



嘘だ。



「同時に1回の実験で殺される人数を1人に絞ったから、多少リークした情報が広まる速度が
遅くても、殺され過ぎることもない……もちろん今日ここに俺が来なくても、近い将来、
情報がリークしたことを理由に実験は中止されていたはずだ」



嘘だ。

そんなの、嘘だ。

全部誰かのシナリオ通り踊らされていたなんて、そんなこと。



「いま思えば、この実験を思いついた下種野郎は御坂のことも欲しかったんだろうな。あいつなら
この情報を見つけられるし、お前のことを止めるために非合法のこともやっただろうから。
そうすれば、お前と御坂を手に入れて、ほら、第1位から4位までが勢ぞろいだ」



嘘だと言ってくれ。

頼むから、お願いだから、嘘だと。



「お前はもっと疑うべきだった。考えるべきだった。……途中で引き返すべきだったんだ。
……可哀想に」






やめてくれ。





逆上して上条に襲い掛かった俺は、再び彼に倒された。
何度倒されても俺は立ち向かい、そのたびに床に叩きつけられた。
そのうちうめき声を出すだけになった俺の横に、上条はため息をつきながら座る。


「なあ、そろそろ取引の話をしたいんだが、良いか?」

「……」

「お前は、俺の情報が有益だってことを認めるか?それとも聞く価値のない与太話だと
思うか?」

「……」

「どっちだ?」

「……認めるよ」

「じゃあ、約束どおり、お前には義務を果たしてもらおう」

「……何をさせる気なンだ?」


上条は手を差し伸べる。
その手に引かれるように、のろのろと起き上がる。


「簡単なことだ。……お前に妹達が何の目的で作られたのかを調べてもらいたい。そして、
あいつらのことを守ってもらいたい」


守る、だと?


「……お前、マジで言ってンのかよ?」

「真面目に言っている。だって、適任だろ?」

「どこ見て言ってンだ?」

「お前はこの実験にもっとも詳しい人物の一人。そして数多くの実験に参加して研究者にも
顔が利く。しかも学園都市最強の能力者だ。守りながら調べるのにうってつけだろうが」

「……」

「これは、お前のためでもあるんだぞ」

「あァ?」

「お前、妹達に対して罪の意識があるんだろ?」

「……何を根拠に言ってンだよ」

「実験データを見た。最初はお前は殺すつもりなんてなかった。反射で返された攻撃で妹達は
勝手に死んだんだからな。だから、お前は殺さないようにした。そしたら、妹達は他の姉妹に
頭を撃たれて死んだ。……お前は殺したくなかったのは明らかだ。だったら殺したことを
罪と思うはずだろ」


全部、お見通しか。


「だったら、償え。残された妹達を守って、贖罪しろ。これが、取引だ」

「……」

「わかったな」

「……約束なんて、簡単にできねェよ」


俺には、罪を償う資格すらないのだから。

しかし、心を見透かすように上条は言う。


「償え。例え償いきれないと思っても、とりあえず動け。お前がぼんやり悩んでいるうちに
誰かがニヤニヤ笑いながら、妹達を良いように使うかもしれないんだぞ」

「……だが」

「だが、じゃねえ。お前に他にやることがあるのかよ?できることがあるのかよ?」

「……」


目を逸らす俺を見て、ふぅ、と一つ息をついて上条は言う。


「2日後、だ」

「……」

「今日の話に納得できないなら、もしくはこんな取引に応じられないなら。2日後の実験に
顔を出せよ。その場合は、もっと直接的な方法でこの実験をとめてやるから」

「……」

「今まで通り流されたいなら、何もしなくて良い。後は俺が何とかしてやるよ」

「……クソが」

「一応、これは俺の連絡先だ。なにかあったら連絡しろ。じゃあな」







そういうと、俯く俺には目もくれず上条は去っていった。



[27370] とある・もしもの世界 《絶対能力進化11》(完)
Name: verdadelo◆5ddb6f89 ID:aabc9d6f
Date: 2011/05/12 21:25
《絶対能力進化11》(完)

思えば俺は、泥を這いずる糞虫だった。

最強なんて名ばかりだった。

有象無象の暴力に怯えて逃げ続ける。

逃げた先に守るものもなく、ただ日々を流される。

そのくせ悟ったように自分を悪党や化物と呼び、一等高等な人種と勘違いする。

そんな救いようのない、糞虫だった。






一歩踏み出したら、ふらついて倒れそうになる。
あわててテーブルの椅子につかまると、目の前には上条が置いていった紙袋があった。


最強のはずの能力が、あっさり破られた。
そして、自分の人生を根本から引っくり返すような話を聞いてしまった。


なんだったんだ、あいつは。
なんだったんだ、あの話は。


巡り巡る、思考の連鎖と混乱。


しかし、本当のところは分かっている。
俺はいままで見て見ぬ振りをしてきたことだって知っている。


絶対能力進化だから、クローンだから、なんて自分に弁明していたが、俺は人を殺したのだ。
1万人も、この手で殺したのだ。
これが罪であることを誰よりも知っていたのは、他ならぬ自分だ。
その罪深さゆえに、この実験について深く考えないように逃げていたのも、自分だ。


全部、自分だ。
自分のせいだ。
自分がこの事態を招いた。
自分がここまで取り返しの無いことにした。



糞虫なのは、自分だった。



いまなら分かる。
超電磁砲の姿を美しいと思った理由。
あいつは逃げなかった。
最強の俺に、真っ直ぐ立ち向かった。
勝てるはずもないのに、目を逸らさずに向かってきたんだ。
あの姿に、俺はあこがれたんだ。
あの姿が、俺にはなかったんだ。



ああ、なんて遠いんだろう。
地底の泥を這う俺には、遠すぎる。



突然、彼女達が脳裏に浮かんだ。
こんな糞虫に静かに殺されていったクローン達。
命の意味も分からず、その大切さも知る前に奪われた、俺が奪った1万の命。



これから、俺はどうすればいい?

無様に生きるか?

無様に死ぬのか?

どうすればいい?

どうすれば。





考えながら動く視線が、目の前に置かれている紙袋を見つける。


……そうか。

……そうだったな。

ハッ、なにを、甘ったれてンだか。






分かってるんだ。

あいつに言われなくても。

どうすれば良いかなんて。

何をしなければいけないかなんて。






「俺は、一方通行。学園都市最強のレベル5だ」


口に出して言ってみる。


そうだ、忘れていた。

久しく忘れていた。



レベル6になんてならなくても、俺は最強だったじゃないか。

誰に媚びなくても、誰を殺めなくても、堂々と歩ける力があったじゃないか。



何を卑屈になってンだ、俺。

何を俯いて歩いてンだ、俺。

何を泣いて悔いてンだ、俺。



何をなめられまくって、死にそうな顔してンだよ、俺。






上条が持ってきた紙袋にベクトルをかける。

他愛もなく力に耐え切れずに四散する。



そうだ。

俺は一方通行だ。

俺は許せねェ。



自分を嵌めた学園都市も。

嵌められて踊っていた愚かな自分も。

そんな自分に殺される計画を背負わされた彼女達の運命も。



だから、潰す。

全部潰す。



俺の意思で。

俺の考えで。

俺の信念で。



そして全てが終わったら。

愚かな自分をぶちのめしていい気になっているあの偽善者も、きっちり潰す。






俺は一方通行、学園都市最強の能力者だ。

このベクトルは誰にだって曲げられない。






一方通行は何年かぶりに腹の底から笑うと、締め切っていたカーテンを思い切り開け放つ。

その頂点に上っていく太陽に目を細めると、投石でひびが入った窓ガラスを右手で叩き割った。












ダンボールまみれの自宅のドアがそっと開いて忍び入る影。
ベッドで寝ている私の顔を見て、わずかに安堵の息を漏らす泥棒に声を掛けてみる。


「おかえり、とうま」

「おう、インデックス、起きてたのか」


当麻は相変わらず無表情だ。
それにしてもここまでくるのに全くの無音だったから信じられない。
魔力が打ち消されている像が見えなかったら、絶対に気付かないに違いない。


「どこ行ってたの?」

「新居の住人に、引越しの挨拶をしようと思ってな」

「ホントは?」

「本当に挨拶してきたんだが」

「……住人って、一方通行でしょ」


当麻が少し驚いた顔をする。


「とうま。とうまの情報処理能力がすごく高いってことが良く分かったけど、私のことを
甘く見てもらっちゃ困るんだよ」

「やっぱり画面を見てたんだな」


魔法陣を書きながらPCの画面を横目で見ていただけだが、完全記憶能がある私にとって
情報収集はそれで十分だ。
新居と同じマンションに一方通行が住んでいる情報だって見逃すわけがない。


「でも、なぜ一方通行だと思った?」

「昨日のとうまの説明は不十分だったから。いままでなんども騙されているもん。さすがに
学習するよ」

「不十分?」

「ブログの情報を集めた理由も、樹形図の設計者の申請内容を確認した理由も、その他いろんなことが
昨日の説明には入っていなかった。……大切なところを伏せて自分で解決しようとするのは、
とうまの悪いくせだよ」

「すまん」


もっとも、止められることを見越して私が寝ているときに忍び出たのだろうから、彼のほうが
一枚も二枚も上手だ。


「謝るより、教えてほしい。……みことには知らせたくないんでしょ?今なら大丈夫だから」

「わかったよ」


そう答えて、彼は一方通行との出来事を話す。
電子の情報からは見えない、私のように心に闇を飼っている最強の能力者。
その能力者すら手玉に取っていると思われる、学園都市の思惑。
そして、騙された能力者を立ち上がれなくなるまで殴った、自分勝手で傲慢でわがままで
唯我独尊な話を、うんうんと大人しく聞いてあげる。


「で、とうまは一方通行をどうしたいの?」

「どうって?」

「許すの?許さないの?」


私の問いに、そんなの決まってるだろ、と当然のように言う。


「許せるわけ無いだろ」

「……そうだよね」


一方通行には彼の事情があることを知る。
彼が受けていた余りに非人道的な実験の数々は、きっと記憶には無い私が受けた苦しみと
重なるはずだ。
人に許された範囲を超えた能力に振り回され孤独にたたずむ姿は、きっと私と同じだと思う。
彼は、私。
ひょっとしたら私が歩いたかもしれない地獄を生きているのだ。


でも、だからといって許せるわけじゃない。
理由があったから仕方ないで済まされるレベルを、彼は大きく逸脱したのだ。
その結果、大切な友人をあんなに苦しめたのだ。


複雑な表情をする私に気付いたのだろう。
心情が見えるかのように答える。


「同情するべき点は多数ある。だから、許せると思ったときは許そう。でもそれは今じゃ
ない」


少しだけ、ため息をついて続ける。


「本当なら、俺達でなんとかできればベストだった。でも、今回の事件は大きすぎる。
……これは一方通行にも言わなかったがな、御坂に調べてもらって、これは危ないかもしれない
と思ったことがあるんだ」

「え……?」

「御坂のハッキング能力は間違いなく世界で1位だろう。あいつにかかったら、ほとんどの
情報は筒抜けだ。事実、絶対能力進化についてだってそうだった」


でもな。


「得られた情報では足りないんだ。何故、御坂なのか、何故、1万人必要なのか、何の目的で、
こんなリスクの大きい実験をしているのか。これらの情報は完全に隠蔽されているんだ。
御坂でも届かないところにな。……言いたいこと、わかるか?」

「……ううん」

「絶対能力進化については情報が得られたということは、その情報を取りに行こうとする
ことを見越して、わざと俺達に見せたんじゃないか。こんな風に俺達が実験を止めようと
することすら、誰かの計画だったんじゃないか、ってことだよ。……怖いだろ?」

「そんな。……考えすぎだよ、とうま」


ぞわっと背筋の毛が逆立つような、いやな感覚を押し殺す。


「まあ、乗せられているかどうかはわからない。でも、結局俺にはまだ真実が見えないんだ。
だから、御坂を守るために一人でも多くの手を借りたい、使えるものは使わないと、と思って
あいつの家に行ったんだ。御坂やお前が同席したら拗れるに決まっていたから、そっと行く
ことにした。……ごめんよ」


まあ、俺も結局手を出してしまったけど。
そういいながら、彼は肩をすくめる。


「……とうまって、本当に詐欺師だね」

「え?」

「詐欺師だよ。とうま」

「なんだよ、それ」

「だって、昨日のみことと会話してたとき、もうそこまで考えてたんでしょ?なんでそんなに
嘘を付くのがうまいの?」

「嘘は付いていない。言わなかっただけだ」

「同じだよ」

「違う」

「しかも、私が寝ている間に……あれ、今朝突然眠くなったのって……ひょっとしてくれた飲み物に、
睡眠薬でも一服盛ったの?」

「しねえよ。お前、その発想は御坂っぽいぞ」

「それは冗談だけど。でも、……はぁ」


ため息が出てしまうのもしょうがないではないか。
こうやってみんなを騙しながら、彼は今日も元気いっぱい危ない橋を渡り続けるのだ。


「なんだ。元気ないな」

「とうまのせいだよ」

「そうか。ああ、そうだな。でも」

「でも、じゃないもん」


でも、それが一番いいと思った。
きっと彼はそう言うのだ。


まったく仕様がない詐欺師だ。
3人で袋叩きにすれば、ノーリスクで解決できるって言ってたくせに。
私はそのつもりで100枚近く魔法陣も書いたのに。
舌の根も乾かぬうちに一人で特攻するなんて。


「……ごめん」

「ごめん、じゃすまないよ」

「許せ」

「簡単には許せない」

「堪忍してください」

「堪忍できません」


でも、結局仕様がないのだ。
これは、税金なんだから。
とびっきりの幸せをもらった私が払わなきゃいけない税金だ。


「ん、おい?」

「心配、したんだからね」


でも、高い税金を毎日払ってるのだ。
このくらいの幸せを享受したって罰は当たらないだろう。
そう思いながら、当麻を抱きしめる。
身長差があるから、お腹辺りにとまった大きな蝉みたいになってしまうが。


「インデックス?」

「心配、したもん」


彼の体から緊張が抜けて、左手が頭に乗せられる。






「悪かったよ。……また賄賂渡すから、機嫌直せ」

「……半分くらいは直った」


だから、あと半分。

もうちょっとだけ、このままでいさせて。












8月18日、20時40分。

人気のない操車場に実験開始の1時間前に忍び込んで、いたるところに魔法陣を配置して
隠れること1時間強。
実験開始時間から10分経つのに、一方通行も妹達もやってこない、と御坂美琴は思う。
今までは実験が遅れたことなど一度もない。
上条に小声で聞けば21時まで待とうなどというが、実はこんなことだろうと予測はしていた。



上条はいたって普通だ。
相変わらず無表情で、綺麗な格好で魔法陣を隠していたし、淡々と作戦内容の復唱をしていた
から、彼の様子から何かを察することは不可能だったに違いない。

でも、インデックスは違う。
嘘がつけない彼女は、昨日の引越しでも今日の作戦でも、なんだかその様子がおかしかった。

そして、一度気付けば鋏を入れたリボンのようにあっさり解ける。



上条が私に伏せた情報の存在。

そして伏せたという事実から推測される彼の行動。



きっと、この2日の間にこの嘘つきが解決してしまったのだろう。

そして、それを私に悟らせないようにこんな茶番をやっているのだろう。



短いが、非常識に濃い付き合いだ。
だから、この寂しい夜の暗闇に誰も現れなくたって驚かなかった。



「もう、いいわ。魔法陣を回収して帰りましょ。帰ってから、絶対能力進化について調べて
みるから」

「いいのか、御坂」

「現れないって事は、何かの原因で中止になったかも知れないじゃない?少なくとも今日は
なさそうだから、待ってても無駄だと思うわ」



少し前の私なら、きっと問いただしたはず。

彼が伏せた情報を知りたくて、伏せられたことが気に入らなくて、きっと答えるまで聞いたはず。



「そうか。じゃあ、お前が良いって言うなら帰るか」

「うん。ありがとね」



でも、今の私は違う。

上条は嘘つきだ。

流れるように、息をするように嘘をつく天性の詐欺師だ。



「ん?」

「ううん。なんでもない。ありがと」



でも、彼が嘘をつくのには訳がある。

事実を言って真実を曲げるだけの、ちゃんとした理由がある。

彼が、私が気付いていることを知っているのだって分かっている。



「礼を言われるようなことはしてないぞ」

「そう?……でも言いたいの。ありがとう」



私は知っている

彼は私を守りたいと思ってくれている。

そのためにつく嘘だから、それはきっと優しさに違いない。



「変なやつだな。昨日働きすぎて、疲れがたまってるのか?」


「……なによ。人がせっかくありがとうって言ってるのに」






だから、いいんだ。

今は知らなくても、いいんだ。







だって私は信じているのだから。


この優しい嘘つきを、私は心の底から信じているのだから。


感想掲示板 作者メニュー サイトTOP 掲示板TOP 捜索掲示板 メイン掲示板

SS-BBS SCRIPT for CONTRIBUTION --- Scratched by MAI
1.3772611618