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[25396] 【外伝開始】 終わる世界の7日間  (外伝『ジョニー・パラダイス!』)
Name: 達心◆324c5c3d ID:43287c9f
Date: 2011/05/11 00:41
 初めまして、達心(たっしん)と申します。
 この度は拙作に足を運んでいただき、ありがとうございます。


 本作は、基本的には『泣き』を目指した作品です。
 とはいえ、別段、鬱展開はありません。


 すこしでもこの物語によって、皆様に優しい気持ちが伝わればと思っております。


 では、本編の方をお楽しみください。









  いずれあなたにも訪れるであろう終わりが、優しいものでありますように―――





[25396] 神様からのお知らせ
Name: 達心◆324c5c3d ID:43287c9f
Date: 2011/01/13 08:50









 ある日、意地悪な神様が言いました。



 ――ワタシは、この世界を一年で終わらせます。





 それを聞き、優しい神様が言いました。



 ――それならわたしは、もう一つの世界を創りましょう。

 ――けれどその世界は、七日で終わります。






 あなたは選ばなくてはいけません。


 一年で終わる世界か、七日で終わる世界か。


 どちらを選んでも、あなたは終わります。




[25396] はじめに
Name: 達心◆324c5c3d ID:43287c9f
Date: 2011/01/12 02:03
   はじめに



 子供の頃、俺は死ぬのが怖くて怖くて仕方がなかった。

 マセガキだった俺は、すでに小学生の時点で、頑なに死後の世界など存在しないものだと信じていた。
なぜかというと自宅が小さなフラワーショップだったからで、鮮やかでちょっと目に騒がしい花たちを見て育った俺は、同時にみすぼらしく枯れ果てた花の萌えかすを目の当たりにし続けてきた。

 どんなに生き生きした花も、結局は枯れ落ちる。

 だからこそ、幼い俺は何度もこう思った。


 ――――死んだお花は、どこに行くんだろう?


 俺が見付けた答えは……どこにも行かない。死んだ花は、ただ枯れるのみ。文字通り華々しい花の一生は、途切れ、終わる。

 それはきっと人間も同じで、だから幼い俺は死ぬのが怖くて怖くて仕方がなかった。一人になると言いようのない不安に襲われるため、常に誰かと共に過ごし、寝るときは両親の布団にモソモソと潜り込んだ。当時の俺は、死に脅える子供だった。

 しかし時がのんべんだらりと過ぎ、世界よりも世間に目を向けるようになると、死の恐怖は自然と無くなっていった。

 いや、無くなると言うより、忘れると言った方がいいだろうか。『未来』や『将来』といった名前だけご大層な堅物どもに追いやられ、俺の中にあった死の恐怖は、何処かへと押し流されてしまった。

 恐怖を忘れた俺はようやく独り寝が出来るようになり、クラスの男友達にバカにされなくなった。それだけで俺は、自分が一歩大人に近づいたのだと思った。

 今思えば、なんと子供じみた思いこみだったのだろうか。

 とはいえ、死の恐怖を忘れることで、何の面白みもない日常を平々凡々津々浦々と送れるようになったのは事実だった。

 それから俺は、実家の花屋を手伝いながら、ごくごくフツーに成長した。反抗期という反抗期も経験せず、さりとて道端で拾ったエロ本をクラスで回し読みし、結果、片思いの女の子に嫌われてへこむと言った程度の思春期を満喫しつつ、俺は高校生となった。

 このままきっと何事もなく大人になり、実家のフラワーショップを継ぐか、一山いくらのサラリーマンになるのだろうと、俺はそう思っていた。


 両親が交通事故で死んだのは、そんな時のことだった。


 初夏のある日。とある珍しい花の球根を手に入れるため、俺の両親ははるばる他県の園芸家の元を訪れていた。なんでも世界で一番綺麗だと言われる花の球根で、是非とも店にその花を展示したいと、園芸家に頼み込んだらしい。気難しい園芸家も両親の熱意に負けたそうで、貴重な球根を分けてくれた。

 その帰りで、父さんと母さんは死んだ。山道で中央線をはみ出してきたトラックと正面衝突をしたらしい。車も両親もグチャグチャで、唯一まともな形を留めていたのが、拳大の球根だったことをよく覚えている。

 それからというもの、俺の周囲は一転した。遺産と呼ぶには少々手間の掛かりすぎる、さりとてゴミにするには惜しすぎる花娘たちの世話に追われ、俺は二年と四ヶ月を過ごした高校をオサラバした。幸いにも多くの時間を店の手伝いに費やしてきた俺にとって、花の世話は勝手知ったるなんとやらで、難なくこなすことが出来た。

 ……ただ一つ、両親の形見になった球根を除いて。

 別に育て方をミステイクしたわけではない。自慢ではないが、俺の草花に関する知識はちょっとしたもので、その球根――『イノチノシズク』と名付けられている――の育て方も十二分に承知していた。上手く促成栽培に成功すれば、六日で花を咲かせることが出来るはずだ。

 ではなぜ、イノチノシズクは花を咲かせなかったのか?

 簡単だ。俺が植えなかったのだ。

 なぜかは分からない。しかし俺は、どうしてもその球根を育てる気になれなかった。あるいは世界で一番綺麗だと謳われた花が枯れるのを見たくなかったのかもしれないが、よくは分からない。



 神様からのお知らせが来たのは、そんな時だった。



 正直、俺は迷った。

 七日で終わる世界に移住するか、一年で終わるこの世界に残るか。

 どちらもノーサンキューしたい世界であるには違いないのだが、しかし神様に言われた以上、俺たち人間はそれを受け入れるしかない。

 大抵の人は一年の世界を選ぶ中、俺は球根を手に悩んだ。

 悩んで悩んで悩んで……






 気がついた時には、俺は『七日で終わる世界』へ向かうバスに乗っていた。





[25396] 1日目 ~はじまるおわり~ ①
Name: 達心◆324c5c3d ID:43287c9f
Date: 2011/01/12 02:06
  1日目 ~はじまるおわり~ ①







 ボンネットバスの最後部座席に、ギラギラとした朝日が差し込む。

 俺の『那乃夏島(なのかじま)』での初めての朝は、鶏の鳴き声でも、目覚まし時計の電子音でもなく、首から懐中時計を提げた巨大な三毛猫のダミ声で始まった。


「グッド良い朝! ニャんと今は一日目の午前七時四八分~ッ! 世界が終わるまで、残り一六〇時間と一一分と四秒だニャ!」

「……」


マジでびびった。

 考えてもみて欲しい。古くさいボンネットバスの最後尾で目を覚ましたら、バスの窓から巨大な三毛猫がニュバッと顔をのぞかせ、シュタッと片手を上げながら現在時刻を教えてくれていたのだ。

 ちなみにバスは今も走行中。

 ……つか、この猫はどうやって窓の外にいるんだ?


「おや、どうして黙っているニャ? 朝の挨拶は『おはよう』だニャよ」

「あ、ああ。おはよう」

「グッド良い朝!」

「……おはようじゃないのかよ」

「細かいことを気にしたら負けだニャ。もうここは那乃夏島だニャよ。優しい神様が創った七日で終わる世界。だから何でもありだニャ!」

「いや、それとお前の挨拶とは全くの無関係じゃ……」

「おぉうっとだニャ!」


 三毛猫はわざとらしく声を上げると、首から提げた懐中時計を見た。ゼンマイ式なのか、チクタクというクラシカルな音を奏でている。まるで不思議の国のアリスに登場する『時計ウサギ』の懐中時計のようだ。

 もっとも、今の所有者はウサギではなく巨大な三毛猫だが。

「ニャニャんと、よく分かっただニャ!」

 驚きの声を上げるダミ声猫。

「これは時計ウサギ殿から譲って貰った、由緒正しき懐中時計だニャよ」

「……本物だったのか、それ」

 というか人の思考を読むな。

「ちなみに時計ウサギ殿の話だと、この懐中時計は、フック船長の腕を食いちぎったチクタクワニのお腹から取り出したらしいニャ」

「……ワニの腹から取り出したのか……しかもウサギが」

「不思議の国の住人はスパルタンだニャよ」


 そう言う問題ではない気がしたが、しかしこの三毛猫を見ていると、どこか納得できるのも事実だった。この三毛猫も不思議な存在に違いはないのだから。

「そのとおりだニャ!」

「だからお前は人の思考を読むな!」

「おぉうっと、あんまり大きな声出しちゃダメだニャよ。可愛いレイディが起きちゃうだニャ」

 ニマニマと癪に触る笑みを浮かべ、俺の隣を指さす三毛猫。

 ん? 隣?


「くぅ……すぅ……」

「……へ?」


 ようやくそこで、俺は自分のすぐ隣に一人の女の子が座っているのに気付いた。

 長いまつげに、少し幼いが、しかし整った目鼻立ち。白いサマーワンピースに身を包み、さらさらの髪を腰まで伸ばしている。バスの窓からフリーフォールしてきた朝日が、少女の髪に金色のリングを描き出していた。

 月並みに言えば、深窓の令嬢。あえて不健全な表現をするなら、病弱な義妹か正統派ヒロイン。

 そんな形容がぴったり来る女の子が、くぅすぅみぅと寝息を立てていた。

 数秒後、バスの揺れによってバランスを崩されたのか、女の子はねらい澄ましたかのように俺の肩に寄りかかってきた。


「すぅ……」

「……」


 思わず身体を硬直させる。

 うらやましいシチュエーションだニャ~、などと思う輩がいたら、一度脳味噌を取り出して石鹸でゴシゴシと洗ったほうがいい。いくら相手がかわいらしい女の子であろうと、たとえフローラルなシャンプーの香りが鼻先をくすぐったとしても、それを上回る気まずさが俺をジクジクと蝕むのだ。もし目を覚ました女の子に痴漢と間違えられたら? といった不安が襲いかかってくる。

 彼女が割と爆睡中であることと、このボンネットバスに乗っているのが俺たち二人だけなのが、救いと言えば救いだろうか。


「ムムッ、ミーが数に入ってないニャよ」

「……窓の外だろ、お前。つか、しゃべる猫は除外だ」

「横暴だニャ。現在時刻を教えてあげないニャよ」

「いや、別に構わんし」


 わざわざ猫に時間を教えて貰わなくても問題はない。腕時計も携帯電話も――

「あれ、ない?」

 腕を見る。愛用のデジタル腕時計がなかった。

「当然だニャ」

 猫は得意げにヒゲを撫で撫で。

「那乃夏島では、時間を教えてくれる機械の一切がないのだニャよ。時計を持っているのは、ニャニャンと、この時々丸(ドキドキマル)さまだけなのニャ。つまり時間を知りたかったら、ミーを呼ぶしかないってことだニャよ」

「……横暴だ。断固抗議する」

「ミーは構わないニャ」


 フフン、と鼻で笑う猫。ちなみに時々丸という名前らしい。

 そのヒゲ、いつか引っこ抜いてやる。


「やれるもんならやってみるニャ。――それより、もうすぐ着くだニャよ」

 猫の言うとおり、数秒後、車内アナウンスがピンポンパンポンと鳴り響いた。


――まもなく~、フラワーショップ『ルンランリンレン』前~!


「う、ぅん……」

 音に反応し、女の子が寝ぼけた子犬のようにピクピクと身体を動かした。俺の肩にやんわりとした重みがかかり、ほんの少しドギマギする。女の子が着ているのはノースリーブのワンピースで、僅かに汗ばんだ雪見大福のような二の腕が俺の脇腹に当たってきた。

 ……もっちりとして少し冷たい体温が、割と心地よかったのは黙っておく。

 しばらくすると、バスが減速しながら大きく右に曲がった。ピンポイントな横方向の重力に引かれ、少女の頭が一瞬、俺の肩から離れる。

 そのチャンスを逃さず、俺は素早く後部座席から立ち上がった。

 再び枕を求めて身体を傾けてきた少女は、俺の肩があった場所を綺麗にスルーし、そのままこてりんと後部座席に横になった。

 正直に言おう。とても可愛い仕草だ。

 そのままくぅすぅと眠り続ける女の子を鑑賞していたかったが、いくら公共交通機関内とはいえ、年頃の娘さんの寝顔を無断で拝み続けるのは英国紳士的ではない。

 ……別に英国紳士を目指しているわけではないが。

 それにしても、すこし寒そうだな。


「ニャニャ? 襲うのかニャ?」

 羽織っていたサマーパーカーを脱ぎだした俺を見て、不届きな猫がそんな事を曰ってきた。

 なぜか興味津々の瞳で、

「そのレイディ、実は隠れ巨乳だニャよ」

「……どこだ、その情報のソースは」

 そうか、隠れ巨乳なのか……って、そんなことよりも、

「人聞きの悪いこと言うな、エロ猫」

「英雄、色を好むだニャよ」

「いつ英雄になったんだ、お前は!」

「ほらほら、もう着くニャよ」


 まもなくして、ブロロロ……ブスン、とバスが停車する。

 ちっ、運のいい猫め。


 ――フラワーショップ『ルンランリンレン』前~、『ルンランリンレン』前~!


 俺はパーカーをそっと少女にかけると、猫に向き直り、

「襲うなよ」

「そんなことしないニャよ。これでもミーは元英国紳士だニャ」

 まったく説得力がなかったが……まあいい。

 なにかあったら、それこそ本気でヒゲを引っこ抜いてやる。


「じゃあな」

「それじゃニャね! 世界が終わるまで残り一六〇時間と五分と四五秒! しっかり楽しむといいニャよ、皆垣草弥(みながき・そうや)ニャン!」

 シュタッと片手を上げる三毛猫に別れを告げ、次いで運転席に座っていたメイド服のオネーサンに軽く頭を下げると、俺はボンネットバスを降りた。

 俺が降りたのを見届け、ブスブス……ブロロロロ、とバスが再び走り出す。

 ちなみにバスの周りを眺めたが、三毛猫が捕まっていられるような取っ掛かりは一つもなかった。

 あの猫は、いったいどうやって浮いていたのだろうか?


「……まあ、いいか」


 空を仰ぐと、綿菓子の様な雲の間を巨大なピンク色のクジラがふよりんふよりんと泳いでいた。ピンククジラが空を泳ぐのなら、猫が宙に浮かんでいてもなんら不思議はない。

 たぶん、きっと。


「気にしたら負けっぽいな」


 俺はそうそうにこの世界の常識を悟る。



 那乃夏島。


 七日で終わる不思議な世界。


 俺こと皆垣草弥は、この世界で最後を迎えることになった。







[25396] 1日目 ~はじまるおわり~ ②
Name: 達心◆324c5c3d ID:43287c9f
Date: 2011/01/12 02:09
  1日目 ~はじまるおわり~ ②




 改めて自己紹介をしよう。

 俺の名前はみながき・そうや。漢字表記をすれば皆垣草弥。由緒正しき日本人で、小さなフラワーショップの一人息子。ついでに言うなら先日、高校を自主退学した十八歳の健全な男だ。

 ちなみに断っておくが、別に俺は自殺志願者でも退廃主義者でもない。一度くらいなら死んでみたいと思わなくもないが、それは単純な好奇心から来るもので、本心で死にたいと思っているわけではない。繰り返すが俺は健全な男で、『女性経験ゼロで死にたくはない』程度の生存願望も持ち合わせている。

 ではなぜ、わずか七日で終わってしまう世界を選んだかというと……

 まあ、いろいろだ。







◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇






「あちい……」


 立っているだけで滴ってくる汗を、俺はTシャツの袖口で拭った。


 頭上の太陽が、テレビショッピングに出てくるマイケルとジョディ並の暑苦しい笑顔を振りまいている。

 どうやらこの那乃夏島は、文字通り常夏の島らしい。

 らしいという曖昧表現を使っているのは、この島の全貌を知らないからだった。そもそも本当に島なのかすら不明なのだ。分かっているのは、ここが『那乃夏島』という名の世界であるということだけだ。

 ちなみにどうして名前が分かっているのかというと……正直、俺にも理解できない。

 すでに頭の中に『那乃夏島』という単語がインプットされているのだ。

 昨日の夜、自宅前まで迎えに来たボンネットバスに乗った時点では知らなかった単語であることからして、おそらく今日、この世界に移動して来たときに書き込まれた情報なのだろう。違和感があまりにもなさすぎて、もともと知っている言葉のように感じられる。

 知っていると言えばもう一つ、俺の頭に彫刻刀でカリカリと刻み込まれている情報があった。

 俺が最後の時を過ごすであろう実家の花屋『ルンランリンレン』の場所である。


「……つか、実家の花屋がなんでここにあるかは気にしちゃダメなんだろうな」


 汗を拭いながら、俺は『ノキナミ商店街』と銘打たれた商店街の一角にちょこんと鎮座する、こぢんまりとした花屋を見上げた。

 看板に描かれた文字は――『Run-Ran-Lin-Len』。

 この『ラ行』と『ン』だけで語れる花屋こそ、俺のマイホームにして、つい昨日までは某県某所にあった、しかしいつの間にかここに移転されていた店舗だった。

 なお、花屋の軒先にはすでにいくつものプランターが並べられ、キャピキャピした花娘たちが、「紫外線対策? UVカット? なにそれ?」という勢いで日焼けに勤しみまくっていた。


「……日光浴日和、か」


 俺はぼんやりと花娘たちを眺める。

 その時だった。


「よい終焉です、皆垣草弥様」


 ふいに店の奥から無表情なオネーサンが顔を出した。

 あり得ない紫色の髪に、整った容姿。ウェイトレスかメイドを思わせるエプロンドレスを纏っており、頭の上にはメタリックゴールドに輝く輪っかが浮いている。

 は? 輪っか?


「……どちら様で?」

「申し遅れました。ワタクシはアンジェロイド、スミレ2800と申します」

「アンジェロイド?」

 聞いたことのない単語だった。

「ご説明いたします。アンジェロイドとは、この那乃夏島での最後の生活を滞りなく過ごしていただくために生み出された、アンドロイド型天使の総称です。各種店舗、公共機関を運営し、住人の皆様に普段と変わらぬサービスを提供いたしております。またそれだけでなく、ハウスメイドとして希望者へのレンタルも行っております。なお天使型アンドロイドではなく、アンドロイド型天使ですのでお間違いのないよう」


 なんというか、那乃夏島らしい言い回しだった。


「……で、そのアンドロイド型天使さんが何用で?」

「那乃夏島における生活のレクチャー、およびアンジェロイドのレンタル申請の確認に参りました。まずはこれをご覧下さい」

 まるで神社でお願いをするように、パン、パン! とオネーサンが柏手を打つ。

 次の瞬間、ゲームの設定画面のようなモニターが空中に現れた。

「那乃夏島に移住された住民全員に配布されたステータスモニターです」

 はい? ステータス?

「姓名、星名、現在状況、マップ、お天気、ルウちゃん情報、その他さまざまな情報が自動更新、表示されます」


 オネーサンに促され、俺も柏手を打ってみた。すると俺の目の前に、同じようなモニターが出現する。

 ステータスには、こう記されていた。




 ○姓名……皆垣草弥。
 ○星名……たよられれば、やすし。
 ○状況……まあまあ。
 ○現在のお天気……見れば分かる。
 ○ルウちゃん情報……とてもご機嫌。
 ○マップ……マップ画面に移動する YES・NO



「マップ画面では、これまでに赴かれた場所が自動的にマッピングされます。また重要な場所については、あらかじめマッピングされている場所もあります」

 マップ画面に切り替える。半透明の地図には『ノキナミ商店街』『星見山(ほしみやま)』『聖クレナンド病院』などという重要ポイントがすでにマッピングされていた。ちなみに中央でピコピコと点滅している青い光点が自分らしい。

 しかしなんというか……

「マップ画面以外は、ずいぶんと適当な印象を受けるんだが……」

 つーか星名とかルゥちゃん情報ってなんだ、いったい?

「星名は、貴方に最も相応しい星の名前です。詳しいことは星見山におられるミズミカミ様にお聞き下さい。ルゥちゃん様は、あそこにおられます」

 オネーサンが頭上を指さした。

 その先にいるのは……ピンク色のクジラ?

「ルゥちゃん様です。ナイーブなクジラですので、あまり刺激されぬようにお願いします」

「……いや、ナイーブって」

「ステータス画面について他にご質問は?」


 あまりにも多すぎて、逆に何も言うことが出来なかった。


「それでは次に、那乃夏島での生活における規則ですが……」

 俺は耳を傾ける。これは重要なことだ。なんせここは七日で終わる不思議な世界にして、俺が人生を終わらせる島なのだ。

 が、しかし……

「特にありません。どうぞ、フツーにお過ごし下さい」

「……」


 フツー?

「はい、フツーです。勘違いされておられるようですが、ここ那乃夏島は、不思議が少し多いだけの至ってフツーの世界です。それとも貴方は、ここがパラダイスやユートピアだと思って移住してきたのですか? この妄想花畑野郎め」

「……誰が花畑野郎だ、誰が」

「もう一度言いますが、ここはフツーの世界です」

 天使のオネーサンは淡々とした声で、

「フツーに始まり、フツーに終わる……それが那乃夏島という世界なのです」

 なぜだか俺は、その言葉に深い虚無感と安心感を抱いた。

 そうだ、一体何を期待していたのだろうか。そもそも俺がこの世界を選んだのは、ただ単に、七日で終わらせたい事があったからだ。

「安心されたようでなによりです」

「……ここの人たちに読心術が標準装備されているのもフツーなのか?」

「それはそれ、これはこれです。ちなみに貴方が、思っていることを無意識のうちにカミングアウトしたがる内面露出狂という説もあります。この真性マゾ野郎め」

「説ってなんだ、説って!」


 というかスミレさん、あんた実は口悪いな。


「気にしたら負けです」

「……オーケー、りょーかい」

 その他、いくつかの注意事項――といっても常識の範囲内――と、アンジェロイドの貸し出しに関する話を聞く。

 ちなみに希望者に対して労働力としてレンタルされるアンジェロイドだが、当然というかレンタル料が掛かるらしい。

 しかも結構割高だった。

「それでアンジェロイドはどうされますか?」

「止めとく。そんなに余裕ないしな、俺の店」

「七日で終わるのに、貯蓄を残されても意味はないと思われますが?」

「……」


 情け容赦のないストレートなスミレさんの意見に、俺は言葉を詰まらせた。

 確かにスミレさんの言うとおりだった。俺の人生はあと七日で終わるのだ。身寄りもない俺が何かを残してもどうしようもないし、それ以前に、終わるのは世界ごとだ。後には何も残らない。

 俺の中で、ふとこんな欲望がムクムクと顔を覗かせてきた。

『貯金をはたいて、豪遊してみるのはどうだろうか。スミレさんの話を聞く限り、アンジェロイドはたいていの命令には従うらしい。もしかしたら、店の手伝いだけじゃなくて、夜のお相手も勤めてくれるかも……』

 いけない想像に、思わず顔と下半身が熱くなる。

 健全な青少年なのだ、勘弁して欲しい。

「何を想像しているのか、だいたい予想できますが……」

 スミレさんはジト目で、

「草弥様がどのような七日間を送ろうと、それはそれで構いません。……が、これだけは申しておきましょう」

 ふいに、無表情だった彼女の顔に感情の色が表れた。

 とても複雑なカラーリングで、俺にはそれが、赤なのか白なのか黄なのか青なのか、さっぱり分からなかった。


「ワタクシたちアンジェロイドは、この七日間のためだけに生み出されました」

「……え?」

「それだけ、記憶しておいて下さい」


 結局、俺はアンジェロイドのレンタルを断った。









[25396] 1日目 ~はじまるおわり~ ③
Name: 達心◆324c5c3d ID:43287c9f
Date: 2011/01/12 02:12

  1日目 ~はじまるおわり~ ③

     


「本日のみですが、最低限、開店の準備をさせていただきました。以後は、どうぞご自由になさってください。なおもし、アンジェロイドが必要になりましたら、お近くで働いているアンジェロイドかワタクシにお申し付けを」


 それでは良い終焉を、と言って去ってゆくスミレ2800さんを見送った俺は、さっそく店の中に足を踏み入れた。

 狭い店内には、鉢植えの花たちが集合写真をとる観光客のように身を寄せ合っていた。入り口から向かって右奥にガーデニング用品と観葉植物があり、左手前にレジカウンターがある。以前はその横に切り花のブースがあったのだが、両親が居なくなってから業者さんにお願いして仕入れをストップしている。鉢植えや店の裏にある温室や花壇の手入れだけで、正直、一杯一杯なのだ。おかげで店の売り上げは激減している。

 着の身着のまま那乃夏島に移住した俺だが、特に困ったことはなさそうだった。マイホームがここにあるのだから当然だ。

 レジカウンターには、赤く染め抜かれたエプロンが昨日使った状態のまま、電車の中で眠る酔っぱらいサラリーマンようにだらしなく置かれていた。鉢植えの花たちも見知った顔ばかりで、ここが本当に自分の実家なのか、それとも精巧にコピーされたイミテーションかは分からないが、すべて記憶の通りだった。

 あえて一つ、違うところがあるとすれば――


「こいつだけか」


 赤いエプロンを纏った俺は、ズボンのポケットからハンカチに包まれた拳大の塊を取り出した。

 花嫁にするようにハンカチのヴェールを除けると、金の塊か、あるいは小振りのタマネギみたいな球根が素顔をさらす。


 俺が持ち込んだ唯一のもの――イノチノシズクの球根。


 俺はさっそく球根を植えるべく用意を始めた。水栽培用の鉢植えを引っ張り出すと、その中に水道水と液体肥料を入れる。

 次いで、レジの下に置いておいた袋からあるものを取り出す。

 真っ白な粉状のそれは、博多の天然塩だった。


「まさか塩水で育てるなんてなあ……」


 そうなのである。

 このイノチノシズクという花は、驚くべきことに塩水でないと育たないのだ。それも必ず人の涙と同じ塩加減でなければならないという。

 初めてそのことを両親から教えられたときは、つまり泣き虫専用の花というわけか、などと思ったものだ。


「よし、これでいいな」


 塩が完全に溶けたところで球根をセット・オンし、球根の下の部分がわずかに水に触れるように慎重に調節する。気分は初めて赤ん坊の入浴を行う新米パパといったところだろうか。

 入浴が完了し、俺はほうと息を吐き出した。後は塩分の濃度が変わらないように注意しながら、たっぷりの日光を当てればよい。そうすればすぐに花を咲かせるはずだ。

 ちなみにイノチノシズクが花を咲かせるまで、おおむね六~七日だという。


「最後に、お前を見て終わるわけか……」


 日当たりの良い場所に鉢植えを移動させ、俺はじっくりと球根を眺めた。

 今は金色のタマネギにしか見えないイノチノシズクだが、最終日にいったいどんな花を咲かせるのか、非常に楽しみで仕方がない。

 もちろん咲かないといった不安が無いわけではないが、しかし枯れた花を見ることに比べたら、大したことでは――



「タマネギに話しかけるとは……この根暗野郎め」

「へ?」


 振り返る。再び現れたスミレ2800さんが、痛ましげな目で俺を見ていた。


「大丈夫です。神様はいますから」

「……なぜそんなかわいそうな子を見るような目で俺を見る?」

「金色に輝く天使の輪は、伊達ではないのです」


 意味不明だった。

 スミレさんはやれやれと頭を振った後、「言い忘れていたのですが」と前置きすると、

「実は先ほど、配達の注文がありました」

「は? 注文?」

「これが注文内容になります。――では、良い終焉を」


 一枚のメモを差し出し、さくさくと立ち去る。

 その背中を見送ったところで、俺は流暢な文字がフラダンスを躍っている紙面を見つめた。


「……なになに」


 配達先は聖クレナンド病院。品目は退院祝いの花束。

 配達期限は……本日の午前十時まで!


「しかも花束!」


 先ほどちらっと言ったが、今現在、俺の店では切り花は扱っていない。よって花束を作ろうと思ったら、店の裏にある温室から花を見繕い、どうにか纏めなくてはならない。なかなかに手間の掛かる作業だ。

 なのに配達期限は午前十時。ちなみに現在時刻は……


「……あー、そういや時計がないのか」

「ニャ? ミーを呼んだかニャ?」

「うおっ!」


 観葉植物の合間から突如、巨大な三毛猫が、バッ! と顔を覗かせた。

 普通にびびった。


「グッド良い朝! ニャンと今は八時五〇分~ッ! 世界が終わるまで、あと一五九時間と九分と三七秒だニャ!」


 そう言うと、再び観葉植物の間に埋もれる。まったくもってよく分からない生き物だ。

 しかしながら時間を教えてくれたことについては感謝しても良い。


「つか、そんなこと言ってる場合じゃない!」


 残り時間は一時間と少ししかない。

 俺はレジスターをロックし、カウンターに『外出中』の札を出すと、すぐさま店の裏の温室に向かった。





◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇





 たぶんおおよそ三十分後。大きめの花束をダンボールに入れた俺は、店の前に駐めてあった原動機付き自転車に乗りこんだ。五月で十八歳になった俺は、すでに普通免許を持っている。

 エンジンスタート。ずるずると走り出す。

 ノキナミ商店街と銘打たれた商店街は、どこかガラーンとしていた。歩いているのもメイド服のオネーサン――つまりアンジェロイド――か、すでに悟りを得たかのようなお爺ちゃんお婆ちゃんくらいだ。若い人など殆ど見ることが出来ない。

 もっとも、それが普通だろう。

 当たり前だが、好きこのんで七日で終わる世界に移住してくる人がいるはずもない。少なくとも元の世界に居座れば、五二倍ほど長生きできるのだ。なのに、わざわざ短い人生を選ぶなど、よっぽどの酔狂者か、世捨て人か、あるいは俺みたいな変わり種くらいだろう。

 商店街を抜けたところで、俺はステータスモニターを出現させた。

 マップ画面に切り換え、配達先である『聖クレナンド病院』の位置を確認する。

 そこでふと、俺はあることに気付いた。


「聖クレナンド病院って……俺の街にあった病院だよな?」


 先ほど通り過ぎたノキナミ商店街を思い出す。ガラーンとした雰囲気はさておき、如何にも寄せ集めと言った感じの商店街だった。俺の花屋の横は文房具屋で、その向こうは洋食屋だった。

 ちなみに元の世界では、俺の花屋の両隣は空き店舗だった。

 このことから推測されるに、おそらくこの那乃夏島にある建物は、日本中のあらゆる場所からピックアップされたものを、しっちゃかめっちゃかに寄せ集めて構成されているらしかった。あるいは、この世界に移住してきた人たちのマイホームを寄せ集めた結果かも知れない。

 そんな雑多な島にある病院――聖クレナンド病院。


「……まさかな」


 ふと俺は、妙な寒気に駆られた。

 この世界に病院があると言うことは、そこに住まう……つまり長期入院している人がいるということだ。そして長期入院していて、かつ、七日で終わる世界を選択したということは、その人はきっと自らの死を望んでいるに違いない。

 もしかしてこの花束は、そんな人に渡すのか?


「……いや、違うか。そもそも退院祝いって話だし」


 汗と寒気を袖口でゴシゴシと拭い、俺は再び原付を走らせた。

 鍋底みたいなアスファルトの上を、赤いスクーターが溶けかけのバターのように滑ってゆく。一台の車ともすれ違わない。

 数分ほどしたところで、俺の視界に真っ白で医薬品くさいお城が飛び込んできた。

 聖クレナンド病院。

 なんでも聞いた話だと、かの有名なナイチンゲール大先生に師事したクレナンドというお姉さんの、その子孫が日本で建てた病院らしい。病院の横にはこぢんまりとした教会が建っており、その奥の森の中にはなんと墓地がある。

 つまり墓地付き病院というわけで、始めてそれを知った時、俺は妙な義憤とやるせなさを感じた。

 なんせ墓地だ。お菓子のおまけにチープなオモチャがつくのとは訳が違う。これほどブラックユーモアが効いた抱き合わせ販売もなかろう。

 きっとこんな病院、すぐに潰れるに違いない。

 お見舞い客という有力な購買層が居なくなるのは困るが、それでも俺は、こんな不謹慎な病院など潰れた方がいいと思った。

 しかし俺の予想とは裏腹に、聖クレナンド病院はいっこうに潰れる気配をみせず、むしろ年々大きくなり、俺の花屋を潤し続けてくれた。

 目に見える実績があると人間不思議なもので、それまで悪かったものが、急に良いもののように思えてくる。病院に墓地。お見舞い客にお参り客。売り上げ二倍。


 ……ようは現金な人間なのだ、俺は。


「行くか」


 病院の前に駐車した俺は、スクーターの後ろに括り付けておいたダンボール箱から花束を取り出すと、自動ドアをくぐり、受け付けに向かった。

 病院内もガラーンとしており、ナースキャップを被ったメイド服のオネーサンたち――実際にそんな格好なのだ――だけが、忙しそうに働き回っていた。


「すみません、フラワーショップ『ルンランリンレン』ですけど」

「承っております」


 三〇三号室に向かうように言われ、俺は勝手知ったる廊下を進んでいった。度々配達に来ているため、下手な短期入院患者さんよりも詳しい自信がある。

 リノリウム……かどうかは知らないが、とにかくツルツルした廊下を進む。

 三〇三号室の前で一旦立ち止まると、俺は花束をチェックした。次いで自分の姿を見下ろす。いちおう仕事なので、ある程度は身だしなみにも気をつけなくてはならない。

 エプロン良し。頭髪良し。肩に鼻を押しつけてみるが、特に汗くささも感じない。

 まあ、こんなもんだろう。


 ノック、ノック、ノック。


「どうも、ご利用ありがとうございます! フラワーショップ『ルンランリンレン』よりお届け物です!」

「ごめんなさい、すいません! 身体で払いますから許してください!」

「……はぁ?」


 花束を差し出した瞬間、土下座される。

 まるでプロポーズに失敗した三枚目ようだと、俺は思った。






  ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇






 花束を作る際に気をつけなければならないのは、シチュエーションにあった花を選ばなければいけないということだ。

 たとえば菊などは、日本では仏さん用の花とされている為、お祝いの花束に使うことはタブーとされている。恋人に赤いバラの花束を贈るのは問題ないが、赤いバラの中に蕾が混ざっていると、『自分には隠し事が存在する』という意味の花言葉になってしまい、図らずも「僕を疑ってください、プリーズ」というふうになってしまう。

 そんな訳で花屋には草花に関する知識だけでなく、雑多なうんちくが要求される。いちおう跡取り息子であった為、俺も暇なときは様々な書籍を読みあさってきた。

 とはいえ、この状況の対処法は知らなかった。


「つまりお金がないと?」

「はい……」


 俺の目の前では、一人の女の子がぺたりと床に正座していた。

 驚くべき事に、その女の子はさきほどバスの中で俺の肩に寄りかかっていた女の子だった。幼さの残る顔に、心底申し訳なさそうな表情を浮かべている。

 彼女の話を総合すると、早い話、彼女は一文無しということだった。

 ……しかし、一文無しか。

 ふいに俺の頭に、淡い青少年色――要するに桃色ピンク――の妄想が思い浮かぶ。


 一文無しの少女と借金取りの青年が、病室で対峙していた。


『治療費が払えないと……そうおっしゃるのですか?』

『す、すみません! あと一週間だけ!』

『もう一週間もう一週間と……もう待てませんね。さて、どうしたものですか……こうなったら、貴方のご家族に……』

『お、お願いします! 家族だけは……家族だけは手を出さないでください!』

『なら仕方ありませんね。貴方の身体で払って貰いましょう(ベッドに押し倒す)』

『い、いや……』

『なに、じきに良くなりますよ』

『うぅ……お母さん……(牡丹の花が落ちる)』



 ……いや、ダメだな。女の子は大事にしなくては。



「あの……?」

 女の子がおずおずと声を掛けてくる。トリップしていたらしい。

 俺は努めて平常心を保つと、改めて現状について考察した。

 といっても考察する余地はほとんどなかった。鉢植えならともかく、一度切り花にしてしまった以上、花束を再び店に持って帰るわけにもいかない。

 なにより世界は後七日で終わるのだ。三五〇〇円の花束くらいサービスしたって罰はあたらないだろう。

 というわけで、俺はその旨を少女に伝えたのだが……


「そ、そんな、いけないです!」

 女の子は、蜂を追い払おうとする小熊のプー太郎のようにわたわたと手を振ると、

「お金なしに貰うなんて出来ません!」

「いや、いいですよ。サービスってことで」

「うっ! そ、それなら…………って、やっぱりダメです!」

 物欲しそうに花束を見つめながらも、しかし首を横に振る女の子。ずいぶんと頑固というか、生真面目な娘さんだ。

 とはいえ貰ってくれないのも困りものだった。せっかくの花束なのだから、俺みたいな汗くさい男より、彼女のような可憐なお嬢さんに愛でて貰いたいのだが……

「じゃ、じゃあ、アレです! 身体で払います!」

「……へ?」

「ダ、ダメですか?」

「ダメって……」


 喉がゴクリとなる。

 ま、まさかここでそんな桃色ピンクな展開になるのか?

 いや、別に異存はないというか、でも心も体も道具も、何もかもが準備不足だし……


「私、一生懸命働きますから!」

「……」


 ほわっと?


「……働く?」

「はい!」


 そこで俺は、ようやく『身体で払う』が『肉体労働』の意味であることを悟った。

 本気で避妊のことを心配した自分が、いかにアホかよく分かった。


「? どうしました?」

「いや、なんでも」

 俺はゴホンと咳払いする。

 しかし肉体労働か……

「お願いします。皿洗いとか、一生懸命やりますから!」

「……。うち、花屋だから」

「花屋さん!」

 なぜか少女の顔がパッと輝く。

「もしかして、店長さんですか?」

「まあ、いちおう」

「ならお花屋さんのお手伝いします!」

 立ち上がると、彼女は赤い布を見た闘牛のように俺に詰め寄ってきた。

「実は昔から、お花屋さんになるのが夢だったんです! 私、すっごい有能ですから! ほんとにお買い得ですから! それにもし私を雇わなかったら、アトランティス文明を滅ぼした呪いをかけちゃいますし!」

「……微妙に脅しが入ってないか?」

「お願いします、雇ってください、店長!」


 両手を胸の前で組み合わせ、懇願する女の子。

 ちなみにアングル的に、ちょうど彼女の胸元が見える位置だったりする。腕によって押しつぶされた双丘が、むにゅむにゅと変幻自在に形を変えていた。

 ……なるほど、確かに隠れ巨乳だ。


「お願いします、店長!」

 グワシッと俺の腕にすがりついてくる女の子。

「何でもしますから、働かせてください!」

「あたってる! なにか柔いのかあたってるから!」

「あ、あててるんです!」


 女の子はほんの少し頬を赤く染めながら、


「これで雇ってくれなかったら、痴漢で訴えちゃいます!」

「俺、逃げ道なし!」



 数分後、『病院内では静かにしてください!』と怒鳴り込んできたナースのオネーサンによって、俺たち二人は病院からつまみ出されることになった。







 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇




「……あの、追い出されちゃいましたね?」

「まあ、当然と言えば当然の結果だな」


 俺と彼女は、二人して病院の前のベンチに座り込んでいた。天高く居座ったお日様が、こっちにむかって「これでも喰らえぇ!」と怪光線を浴びせかけてくる。


「暑いですね?」

「……ああ、暑い」

「雇ってくれますか?」

「……」


 俺は無言のまま、抱えていた花束を少女に手渡した。

 すでに俺の中では、彼女を雇うことが半ば決まっていた。もともと人手不足だったのは間違いないのだ。アンジェロイドならともかく、バイト一人を雇うくらいの蓄えはある。

 しかしそのまま「はい、雇います」というのも癪なので、俺は少々意地悪をすることにした。


「名前、わかるか?」

「え?」

「就職テスト。花の名前が全部分かったら雇うから」

「が、頑張ります!」


 少女はむむむっ! と花束に顔を寄せた。まるで近くで見れば近くで見るほど、花の名前が分かるとでも言うように。


「かすみ草と白ユリと……カーネーション……じゃないですよね?」


 橙色の花を見つめ、彼女は首をかしげる。

 数秒後、彼女はピンポーン! と手を叩いた。


「分かりました! ダイアンサスですね!」

「オーケ、雇おう」

「あ、ありがとうござます、店長!」


 花束を抱えたまま、ペコリと頭を下げる女の子。


「私、一生懸命働きますから、よろしくお願いします!」

「よろしく。ええと……」

 そう言えば名前を聞いてなかったな……

「あ、申し遅れました! 私は衣留です! 星野衣留(ほしの・いる)っていいます!」

「よろしく、星野さん」

「衣留でいいです」

「わかった、衣留。俺は皆垣草弥だ。七日間だけだけど、よろしく頼むな」

「はい! 私、お掃除もお料理も頑張りますから!」

「……お掃除? お料理?」

「実は言い忘れてたんですけど……」


 衣留は上目遣いに俺を見つめ、あははと乾いた笑みを浮かべると、


「実は帰る場所がなくって……というわけで、その、住み込みでお願いします!」

「…………うわお」



 どうやらこの七日間は、俺にとって最も長い七日間となるらしい。

 はてさて、どうなる事やら。










[25396] 2日目 ~すぎゆくひざし~ ①
Name: 達心◆324c5c3d ID:123c8585
Date: 2011/01/13 02:12
  2日目 ~すぎゆくひざし~ ①






 目を覚まして最初に目にしたものというのは、案外、記憶に残らないものだ。

 例えば『今日、朝起きたとき始めに見たものは何ですか?』と街頭アンケートのお姉さんに質問されて、即答できる人は少ないと思う。

 もちろん最初に見たものが天井だったり、布団に付いたシミだったり、枕元に転がっていたティッシュのくず――何に使ったかはそれぞれだろう――だったりと、そういう脳神経の編み目に全く引っかからないようなものの場合もあるだろう。というか、大半の場合がそうだと思う。

 しかし中には、起き抜けに見たものが人生でもっとも記憶に残るものだったりする場合がある。例えば、昨日遭遇したしゃべる巨大な三毛猫とか。


 そして今朝の光景も、俺の生涯に残るものだった。



「おはようございます、店長! 起きてください! もうすっかりバッチリ朝ですよ!」


 軽く肩を揺すられ、俺は目を覚ました。

 自慢ではないが、俺は寝起きが良い。花屋の仕事というのは朝が基本だからだ。特に温室や花壇の世話は、お店を開ける前に済まさねばならない。
 その為、俺は朝から動き回れるよう、人より早く寝る癖を付けていた。起き抜けに寝ぼけるなんてことはめったにない。

 だからこそ、目から飛び込んできた映像が大脳に、ビビビッ! と到着するまで一秒もかからなかった。身構える間もないとはこのことだ。


「おはようございます、店長!」

「……」


 思わず口を、餌をねだる鯉のようにパクパクと開け閉めする。
 満面の笑みを浮かべた少女が、俺をのぞき込んでいた。

 黒い瞳に、呆然とした俺の顔が映っている。

 あ、寝癖が……。


「……ぐっど良い朝」

 やる気なく片手をあげ、挨拶。

「もう、なんですか、その挨拶は。朝はおはようですよ」

「……」

 理解されなかったらしい。

「……おはよう」

「おはようございます、店長。ほら、見てください!」

 バッとカーテンを開ける。

 青い。
 どこまでも青い。
 忌々しいほどに青い。

 窓枠に切り取られた空は、見事なまでに真っ青だった。こっちまで真っ青に染められてしまいそうなくらいだ。

「……暑ぃ」

「夏ですから」

「夏か……」

「常夏です。その、なんていうか、ハッスルしちゃうのも当然ですよね」

「……ときにお嬢さん」

「衣留でいいですよ、店長」

「じゃあ衣留」

「はい」

「朝の健全な生理現象をチラチラと眺めるのは止めてくれ」

「……」

 ポッ、と頬を赤らめ、衣留はそっぽを向いた。それでもタオルケットを盛り上げる『よくぼう』が気になるのか、チラリ、チラリと横目で見てくる。

「店長、そんなこと言うのはセクハラです。訴えちゃいますよ」

「……俺の台詞だ」

 パジャマがわりのTシャツが、汗でじっとりと肌にまとわりつく。

 暑い。
 どこまでも暑い。
 泣きたいほどに暑い。


 那乃夏島での二日目は、記憶に残る朝だった。





◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇






 先ほど少し述べたが、花屋の朝は忙しいと相場が決まっている。それは俺の自宅兼店舗である『ルンランリンレン』でも同様で、朝食の前に温室と花壇の世話をするのが日課だった。

「ふあぁ! これが温室ですか!」

 店の裏手。日当たりの良い庭の中央に、デンッ! と鎮座したビニールハウスを見て、衣留はランランと目を輝かせた。

 ちなみにビニールハウスと言ったが、実際の大きさは『ハウス』というより『ルーム』といった程度だった。大きめのテントを想像してもらえればいいだろうか。骨組みの間にアクリル板が張ってあるタイプで、車一台がようやく入れるくらいのサイズのこぢんまりとしたヤツだ。

 もっとも衣留には、それでも真新しいものに見えたらしい。

「温室見るの初めてなのか?」

「はい! これが温室なんですね! つまり英語言うとホットルーム!」

「……いや、温室の英語なんて知らないが、それはたぶん違うと思うぞ」

 俺はこめかみをポリポリ。

「入るか、衣留?」

「もちです!」

 期待に胸を弾けさせる衣留を横目に、俺は温室の入り口のドアノブに手を伸ばした。念のために付けてあるダイアル錠の数字を合わせる。衣留が不審なくらい真剣な表情でダイアル錠の暗証番号を覚えようとしていたが、その辺りはスルー。

 ビニールハウスのドアを開けると、湿気をたっぷりと含んだ空気が、俺の肌をモイスチャーにしようと押し寄せてきた。
もちろん肌に艶が出ることはなく、ただ単に不快になるだけだが。

 温室の中に足を踏み入れる。ムッとする熱気の立ちこめる温室の中では、色とりどりの南国花が咲き乱れていた。正面に陣取ったハイビスカスが、主役面でこちらを見つめてきている。

 さも「わたしって綺麗?」と言わんばかりに。

「ふわぁ、綺麗ですねぇ」

「あんまり褒めると付け上がるから、ほどほどにしといてくれよ」

「はい?」

「いや、こっちの話」


 壁に掛けてあった如雨露を手に取ると、一旦温室の外に出て、ホース付きの水道で水をくむ。
 再び温室に戻った俺は、水のたっぷり入った如雨露を衣留に手渡した。


「葉にはかけないようにな」

「確か日が強いときに葉っぱに水が付いていると、水焼けすることがあるんですよね?」

「よく知ってたな」

「言ったじゃないですか、私を雇わないと後悔しますよって。これでも有能なんですから、私」

 もっとほめて、と衣留は胸を張る。

 とはいえ、あんまり褒めるとハイビスカスみたいにつけあがりそうだからな……

 放置するか。


「さて、俺は花壇の水やりでもするか」

 褒めてもらえず不満げな顔をする衣留をよそに、俺は温室の扉を開けながら、

「とにかく水をやったら、枯れてる葉を取り除いてくれ。出来るだろ、有能なんだから?」

「あ、はい、もちです。実は私、思わずお花が声だしちゃうくらいテクニシャンなんです!」

「……期待してる。分からなかったら聞いてくれ」

 俺はビニールハウスから出ると、花壇の方に歩み寄った。

 水量を絞ったホースで水をやる。かすみ草やダイアンサスといった花々が、足下を濡らすシャワーを気持ちよさそうに浴びていた。

 しかしなんつーか、何時になく元気いいな、こいつら。


「あのう、店長。終わっちゃったんですけど」

「は? もう?」


 振り返る。温室から顔を出した衣留が手を振っていた。

「まだ十分もたってないのにか?」

「水やりだけで終わりましたから。ぜんぜん枯れてなんかないじゃないですか」

「まったく?」

「一本も」

「全然?」

「テクニックを披露する余地もないくらいに」


 手招きする衣留に従って再び温室内に入った俺は、グルグルと花たちを見て回った。
 お立ち台に並ぶのは、確かに生気あふれるギャルたちばかりだった。枯れ葉どころか、人生の酸いも甘いも知り尽くした熟女なオネーサンすら見あたらない。どれもこれも、盛りのついた元気のいい娘ばかりである。

「こんなに生き生きしているお花、はじめて見たかもです」

 つんつんと興味深げに花をつつく衣留を横目に、俺はなぜが不可解な感情をもてあましていた。残念ながらうまく言葉にすることは出来ないが、なんというかこう、夏バテになりかけた時のような、そんな怠さを感じていた。

「店長、後はどうします?」

「……」

「店長?」

 如雨露を片付けた衣留が聞いてくる。

 俺は花たちからわずかに目をそらしながら、

「朝飯にするか……ちなみに衣留、お前料理は?」

「え、えっとその……」

「その?」

「お、おまかせあれ、です!」

「こってりめで頼む」


 夏バテ予防だ。







◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇






 はじめに言っておく。衣留の料理の腕は、壊滅的を通り越して滅亡的だった。

「…………うわお」

 テーブルの上の超物体Xを見て、俺は顔を引きつらせた。

 ちなみにXの部分にあえて形容詞を入れるとすれば、『神々しい』という言葉がぴったり来る代物だった。もちろん神様といっても、見ただけで発狂してしまう系統の神様だ。人間の妄想力を軽く凌駕した造形は、まさに神のインスピレーションだった。

「じ、実はこれ、ポリネシア風なんです!」

「……お前はこれを地球上の料理と主張するか。つーか目を逸らしながら言うな」

「カノジョなら、イツカやると思ってマシタ」

「彼女って誰だ!」

 目元を手で隠し、ロボットのような声で曰う衣留。どうやら『凶悪事件を起こした少女Aの友人(モザイク、ボイスチェンジャー有り)』のつもりらしい。

「まったく……」

 蠢く神の料理Xに精神的モザイクをかけると、俺は半眼で衣留を見つめた。

「それで、言うことは?」

「ごめんなさい、嘘ついてました!」

 椅子の上で正座し、勢いよく頭を下げる衣留。

「実はこれ、私の秘書が作ったもので……」

「おい」

「……すいません、実は一度も料理なんてやったことないです」

 シュンとうなだれる。
 衣留曰く、彼女は今まで料理をしたこともなければ、台所に立ったことすらないらしい。当然、包丁や鍋を振るったのも初めてとのこと。

 おいおい、いったいどこのお嬢様だよ。


「この造形力はビギナーズ・ラックの産物だったか……」

 これが衣留の秘めた才能だとは思わないことにする。

「……すみません、出来ないって言うのも……その……怖くて……」

 衣留は顔をうつむかせた。まるで『拾ってください。名前はアンソニーです』と書かれたダンボールに入った子犬のようだ。クーン、クーン、という悲しげな鳴き声が今にも聞こえてきそうだった。

 俺は思わず頭をかきむしる。
 まったく、女の子の機嫌取りの経験なんて全くないというのに……。


「なあ、衣留? 俺とお前の関係はなんだ?」

「……店長とバイトです」

 そのとおりだ。あくまでも雇用主と被雇用者。先輩と後輩。
 だからまあ、要するに――

「出来ないことは出来ないって言ってくれ。後輩の教育は俺の仕事だからな。店長らしいことをさせてくれ」

「店長……」

 俺の言いたいことを察してくれたのだろう。
 沈んでいた衣留の表情が、まるで陽光を浴びたチューリップのように花開いた。


「きょ、教育ご鞭撻のほど、よろしくお願いします!」


 ピカピカの新入部員のような顔で、衣留は再び頭を下げる。

 なぜかくすぐったくなり、俺は小さく咳払いした。話題を変えるべく、ネタを探す。
 とりあえず『女の子の気をひくならまず髪型か服だ』という父親の遺言に従い、俺は衣留の服を話題に上げることにした。

 衣留が今着ているのは、昨日のワンピースだった。ようは昨日のままということだ。衣留の言葉を信じるなら、彼女の帰る家が那乃夏島に存在しないため、替えの服もないらしい。これが冬ならまだしも今は夏なわけで、さすがに同じ服を続けて着させるのも忍びない。

 なんというか、花屋的に。

 というわけで俺は、衣留に服を買いに行くことを提案した。


「それはいいですけど、私、一文無しですよ?」

「その辺はバイト代の前借りを承認する。さすがに女の子を汚いままにさせとけないしな。下着くらいは変えないと気持ち悪いだろ?」

「ハッ! まさか店長、私の下着狙いですか!」

 わざとらしく自分の肩を抱く衣留。

「……頼む、どこからそう言う流れになったか聞かせてくれ」

「簡単な連想です」

 衣留は人差し指をピンと立てると、

「私が着替えを買う、着替えた下着を店長が手にする……ほら?」

「何がほらだ、何が!」

 つか連想出来てないし。

「妄想で俺の人物像を決定するな!」

「でも私、けっこう自信あるんですよ、人間観察力。たとえば、ほら……」

 衣留は突如、自分のスカートをそろそろと持ち上げ始めた。真っ白な太ももが「お兄さん、今晩どう?」と顔を出す。今更ながら恥ずかしくなってきたのか、衣留の頬は林檎色になっており、その表情と相まって、なにか俺が酷くいかがわしいことをさせている気になってくる。

 かといって、目を逸らす予定はスケジュールに入っていないが。

 つか、なんか今ちらっと白いのが! 魔のトライアングル・ホワイトっぽいのが!


「…………どうです、店長?」

 パサリ、と魅惑のゾーンが布で隠される。

 上目遣いにこちらを見つめながら、衣留がそろそろと右手を伸ばしていた。

「……オーケー。服くらい奢ろう」

 花にかける手間を惜しんではいけない。
 母さんの遺言だ。





◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇







 一万円札を握らせた衣留を近くの古着屋――店員はアンジェロイドだった――に送り届けた俺は、店に戻るなり軒先にプランターを並べた。

『店長、着いてきてくれないんですか?』

と衣留がねだるように付き添い申請してきたが、せめて店の外面だけでも取り繕わなければいけないとエスコートの辞退を申し出てきた。たとえお客さんが来ないにしても、長時間店を放置することがあったとしても、花たちだけはきちんと並べ立ててやらねばならない。それが花屋の誇りというものだ。

 それにもう一つ、俺にはやらねばいけないことがあった。
 イノチノシズクの生育チェックである。


「成長してるような、してないような……」

 レジカウンターの横に置かれた鉢植えを、俺は四方六方あらゆるアングルから観察した。球根の下の方からは根っこが伸びていたが、てっぺんの方は音沙汰無しだった。試しにノックしてみようとしたが、ヘソを曲げられたら困るので止めておく。

 イノチノシズクは、とにかく育つのが早い花だ。六日で花を咲かせ、そして七日目で枯れ果てる。お前は蝉か、と思わず突っ込みたくなる素早さだ。

 とはいえ、さすがのイノチノシズクといえども、昨日の今日で芽を出すわけではないようだ。

「まあ、根っこが伸びてるから大丈夫だとは思うが……」

 小声で『生きてるかー?』と聞いてみる。
 返事はすぐに帰ってきた。


「……うん、生きてる」


「おお、そーか、そーか。それなら…………」

 ちょっと待て? 球根がしゃべった?

「球根じゃない……しゃべったのは……わたし……」

 北風がピュウと吹けば飛んでしまうような小さな声。その声は、球根からではなく俺の背後から響いていた。

 肩越しに振り返る。
 ぽつねん、とそこに佇んでいたのは、儚げな印象の十歳くらいの女の子だった。

 青みがかった白髪に、少しは花を見習って日光浴でもしたらどうかと思うほど白い肌。眠そうな瞳は蒼色で、澄み切った地底湖を思わせる。俺の腰丈ほどしかない身体を、朱と白のコントラストがまぶしい巫女服に包んでいた。


「お花……欲しい……」


「……は?」

 女の子の言葉を理解するのに、俺は十秒ほどの貴重な時間を浪費した。

 どうやらこの子はお客さんらしかった。慌てて「いらっしゃいませ」と挨拶すると、どういった花が欲しいのか訪ねる。

 女の子は所々つっかえながら、

「どんなお花でもいいから……お花、いっぱい……」

 いっぱいか。なんともアバウト過ぎるな。

「プレゼントか? それともお見舞い用か?」

「お供えもの……」

「お供えもの?」

「うん、そう……自分へのお供えもの……」

「は? 自分?」

 思わず俺は、頭のてっぺんから声を出す。
 お供えものといえば、神様仏様か、死んだお祖父さんお祖母さんに捧げるものと相場は決まっている。

 なのに、自分へのお供えもの?

「そう、お供えもの……世界が終わったら、お花、見られなくなるから……」

「…………」

 女の子の言葉は、思いの外、俺の心をグリングリンとえぐった。

「自分へのお供えものか……」

「ダメ?」

「……いや、むしろ望むところだ」

 何が望むところなのか全く持って俺にも分からないが、なんとなく俺は、この女の子に言いようのないシンパシーを感じていた。もし道ばたで生き別れの妹と出会ったらこんな感じがするのだろうか……などとどうでも良いことを考える。

 俺はニッと笑うと、

「オーケー。わかった。花、いっぱいだな?」

「……うん」

 月のように女の子は笑った。儚げだが、しかしその笑みからは『とても嬉しい』という光が放たれている。


「それで、花の種類はどんなのでもいいのか? 色とか雰囲気とか、希望があったら何でも言って欲しいんだが?」

「なんでもいいけど……でも、生きてるお花が良い。死んじゃったお花を見るのは、少し悲しいから……」

「それはあれか? 切り花じゃなくて、鉢植えとかってことか?」

「よくわからないけど……たぶん、そう……」

「…………うわお」

 俺の顔が一瞬、引きつる。
 やばい、それは大仕事だ。鉢植えというのは、当たり前だが重いしヘビーだ。一つの鉢植えにある花の量も限られているので、いっぱいの花となると、大量の鉢植えやプランターが必要になる。場合によっては花畑を作るのと何らかわらない大仕事だ。


「花畑……それ……いいかも……」

「マジっすか?」

「いっぱいが……好き」

 女の子ははにかみながら、「ちなみにお金と場所はいっぱいあるから」と付け加えた。どうやら最後の退路も断たれたらしい。

 オーケー。やってやろうではないか。

 どうせお客なんて来ないのだし、どのみち俺の人生は残り六日だ。花屋ルンランリンレン二代目店長の最後の意地を見せてやる。

 俺はレジにあった注文票を引っ張り出すと、さっそく見積もりを始めた。
といっても状況が状況なので丼勘定どんと来いだ。

 花の種類の欄と数量の欄に『いっぱい御礼』とかき込むと、次いで見積料金の欄にそこそこの値段を書き入れ、最後に注文票を女の子に差し出し、住所と氏名の記入をお願いした。

 女の子はさらさらりとペンを動かすと、

「……これで、いい?」

「ああ。オーケーだ」

 リターンしてきた注文票を受け取る。

「それで、出来ればさっそく午後に下見に行きたいんだが、大丈夫か?」

 なんせ残された時間は今日を入れて六日しかないのだ。すぐに作業を始めるためにも、早いところ下見をすませておかなければならない。

 もちろん決定権はお客さんにあるので、無理強いはしないが。

「大丈夫……わたし、住所のところに居るから……」

 どうやら大丈夫のようだ。

「それじゃあ……よろしく……」

 女の子はぺこりと頭を下げると、眠いのか左右にふらふらしながら去ってゆく。

 俺は「ありがとうございました!」と女の子の背中に向かって叫ぶと、注文票に書かれた住所と氏名を読み取った。



○ 住所……星見山のてっぺん。
○ 氏名……ミズミカミ。



「ん?」

 ミズミカミって確か……

「ミズミカミさま?」

「そうだニャ!」

「…………またお前か」

 またしても観葉植物の間から飛び出す猫面。
 もはや突っ込む気力もなかった。

「グッド良い昼! ニャンと今は二日目の午前十一時二十分~ッ! 世界が終わるまで、残り一三二時間と三九分と四五秒だニャ!」

「……お前、それ言わずには登場できないんだな」

「生きる上で色々しがらみがあるのは当然だニャ。要するにハード設定だニャよ」

 良さげなこと言ってるようで、意味分からなかった。

「それはそうと、ミズミカミさまのことだニャ」

 強引に話題転換を図るチクタクキャット、時々丸。

「さっきの麗し~いキティ・レイディがミズミカミさまだニャ。ものすご~く偉い女神さまだニャよ」

「は? 女神さま?」

 時々丸は「そのとおりだニャ!」と頷く。

「この島じゃ、神さまが花屋に来ることもフツーなのか?」

「フツーだニャ……と言いたいところニャけど、ミズミカミさまが星見山を降りるのは珍しいことだニャ。ミステリー、あ~んど、ラブトレインの予感だニャね」

 ニャフ、ニャフフ、と笑いながら俺の背中をぽむぽむと叩く時々丸。

 ちなみにプニプニした肉球がものすごく気持ちよかったが、決しておぼれてはならない相手だと俺は自制した。時々丸エンドなど誰も望んでいないに違いない。

「単に花が欲しかっただけじゃないのか? お供えものとか言ってたし」

「ノンノン、それは分からないニャよ。もしかしたら、草弥ニャンに会うための口実かもしれないニャ。このこの、神さまを堕落させるなんて、ミーに負けず劣らずなかなかの英雄っぷりだニャね」

 さらに俺の背中をポムポム。
 やばい、マジで気持ちいい。俺の方が肉球で堕落させられそうだ。

「ミズミカミさまの初恋……これはチェック・イットだニャね!」

 そこで時々丸のヒゲがビリビリと震えた。

「むむ! 誰かがミーを呼んでるニャ! それじゃニャね、草弥ニャン!」

 再び観葉植物の合間に消える。
 俺は名残惜しげに背中をポリポリと掻いた後、注文票に目を落とした。


「神さまか……まあ、よく考えればフツーか」


 どのみち、お客様は神さまなのだから。







[25396] 2日目 ~すぎゆくひざし~ ②
Name: 達心◆324c5c3d ID:123c8585
Date: 2011/01/13 02:14
   2日目 ~すぎゆくひざし~ ②








 買い物から帰還した衣留と共に少し早い昼食――もちろん制作者は俺で、メニューは簡単な冷やし中華だった――を取った俺たちは、食後の一休みを経て、さっそく女神さまの依頼をこなすべく動き出した。

 とはいえ、いきなり作業開始とはいかない。実際に花畑を作るにしても、まず現場視察は欠かせない。刑事ドラマでも、捜査に行き詰まったら始めの現場に戻れ、とよく言っている。

 別に刑事を目指す気も時間もないが。


「それにしてもお花いっぱいですか。お嬢様って居るところには居るんですね」


 観葉植物の葉に霧吹きで水をかけながら、衣留は「ふええ!」と驚きの効果音を発していた。

 ちなみに現在の衣留の格好は、タイトなノースリーブのTシャツにホットパンツというものだった。生足が生唾ゴックンでセクシーだ。さらに髪を高い位置で結い上げ、ポニーテールにしている。午前中までが深窓の令嬢だとしたら、今はボーイッシュなお転婆娘といった風だった。

 俺的にはどちらも有りだと言っておく。

「大分イメージ変わったな」

「あ、もしかして惚れ直しました? 例えて言うなら、俺の味噌汁を作ってくれって感じで」

「いや、それだけはない」

 いくらもうすぐ死ぬからといって、神の料理を食べて狂死とかはゴメンだった。

「むぅ、失礼ですね、店長。そんなこというと、上達してからプロポーズの台詞を言っても靡いてあげないですよ」

「いや、そもそも上達させるだけの時間がないと思うんだが……」

 忘れてはいけない。この世界は今日も入れて後六日で終わるのだ。
 俺も衣留も、あと六日で終わる。

 しかし衣留は態とらしく腰に手を当て、チッ、チッ、と指を振りながら、

「分かってないですね、店長。願えば叶うんですよ。それがフツーです」

「……その自信がどこから来るのか、俺はむしろそこを聞きたい」

「店長、水やり完了です。さあ、お出かけしましょう!」

「スルーかよ」


 深々とため息。なぜか衣留の言葉が、脳みその中で無限リピートしていた。


 ――願えば叶うんですよ。それがフツーです。


 残念ながら俺は、そこまで世界に期待を寄せることはできなかった。

 というか、大抵の人がそうだろう。世界に向かって「バカ!」とか「アホ!」とか「この卑怯者!」とか言うつもりはないが、だからといって自分の背中を預けようとは思わない。

 しかし衣留は違うようだった。

 たぶん、おそらく。


「行くか……」

 レジスターをロックし、外出中の札を立てる。次いで店の前に停めたスクーターの荷台からダンボールをはずすと、変わりに小さなクッションを縛り付けた。すでに衣留は赤いハーフヘルメットを被り、機長から搭乗許可が出るのを今か今かと待ちわびている。

 俺もヘルメットを被り、キーをエントリー。
 準備よし。指さし確認よし。エンジン始動、よーそろー。

「衣留」

「ラジャーです!」

 エースパイロットのごとく、衣留は俺の後ろに滑り込むように乗り込んだ。華奢な腕が、俺の腰にぐるりと回される。

 甘酸っぱい、まるでレモンの花を指で潰したかのような香りが俺の鼻先をくすぐりまくった。時折背中に触れるフニフニについてはノーコメント。

「それじゃあ店長! ゴー、テイク・オフです!」

「イエス・サー」


 アクセルをふかすと、トクトクという鼓動音がブイーンというノイズ音に変化する。
 熱気の揺らめくアスファルトの上を、俺と衣留を乗せたバイクは離陸することなくずるずると滑走していった。





◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇





 もしUFOに乗って上空から那乃夏島を見下ろしたならば、島のど真ん中に小さな泉を見ることが出来るだろう。

 その泉はとある山の頂上にあり、その山を星見山と言うらしいと、俺はステータスモニターのマップ画面で知った。


「それにしても店長、このステータスモニターって便利ですね」

 バイクの後ろに座った衣留の目の前には、半透明のモニターが浮遊霊のように浮かんでいた。バイクのスピードをどれだけ上げても、取り憑いているかのごとくぴったりとくっついてくる。しかも自分の現在位置に会わせ、マップが少しずつ変化までしてくれる機能付きだった。カーナビ君も真っ青なサービス精神だ。

「マップ画面の他にも、ルゥちゃん情報とか星名とか、色々載ってますし……あ、店長。私の星名『しんじること、たかみ』になってるんですけど、店長の星名って何ですか?」

「星名か……」

 たしか『たよられれば、やすし』だったか?

「なんかそれ、店長っぽいですね」

「何が店長っぽいのか分からんが……」

 アクセルを捻りながら、俺は左手の甲で顎を伝う汗を拭った。

「それよりしっかりナビしてくれよ、衣留」

「あ、はい、ラジャーです。――そこを右で」

「オーケー、りょーかい」

 大通りをそれ、舗装された山道に入る。しばらく行くと、真っ赤な鳥居が飛び込み選手のように俺たちの目にダイブしてきた。

「おっきいですねえ」

「こっちであってるんだな、道は?」

「みたいですよ」


 鳥居をくぐり、ゆるやかにカーブした山道を登ってゆく。

 車一台がやっと通れる幅の道の両側には、たくさんのお地蔵さまが整列していた。まるで山道を登る俺たちを応援しているかのようだ。箱根駅伝の選手になった気分を味わっているのか、衣留は時折お地蔵さまに向かって手を振っていた。

 登り初めておおよそ五分後、ついに俺たちは山道を登り切る。

 ある意味そこに広がっていたのは、予想外の光景だった。


「…………うわお」

 熱気の籠もったヘルメットを脱ぎながら、俺はおもわず「何もないな……」と呟いた。

 いや、もちろん本当に何も無いわけではなく、あくまでも比喩的表現というやつだ。土もあるし、小さな泉もあるし、泉の側には小さな祠も建っている。

 しかし、やはり寒々しいという印象はぬぐえなかった。霧がかかっているのか、頂上なのに全然景色が楽しめないことがそんな印象を強くしていた。

「あの、店長? 本当にここなんですか?」

「そのはずなんだが……」

 俺も不安になってくる。

 チクタク猫の言葉を信じるなら、あの女の子は女神さまらしい。女神さまの住む御殿といえば、こう白い柱が何本も建っていて、羽の生えた全裸のガキんちょたちが飛び回っていて、竪琴を持った娘さんが花よ蝶よ歌っている場所のはずだ。

 しかしここは、良くてホラースポットだった。

 思わず俺の耳に、「むかーしむかし、この山はかつて『死見山』と呼ばれておってのう。口減らしのために、石を付けた子供を泉に沈めておったのじゃよ」という渋い語り声が聞こえて来そうだった。


「あたらずも……遠からず、かも……」


 不意に響く声。
 振り返ると、いつまにか俺たちの背後には巫女服の女の子――猫曰く、すご~く偉い女神さまだニャ――というミズミカミさまが、背後霊のように佇んでいた。

 結構ホラーだった。


「ようこそ……」

 眠いのかわざとなのか、ミズミカミさまは怪談を語るように、

「星見山のてっぺん……星水見の鏡みッ!」

 ガリッ、という痛そうな音がミズミカミさまの口元から発せられたのは、その時だった。
 俺と衣留の心が一つにユニゾンする。


 ――女神さまが、噛んだ。


「~~~~~!」

 両手で口を押さえ、生まれたばかりのバンビのようにぷるぷると震えるミズミカミさま。よほど強く噛んだのか、半泣きになっている。

 しかしさすがは偉い女神さまである。涙目になりながらも、がんばって痛みを堪えると、

「よ、ようこそ……星見山のてっぺん……星水見(ほしみずみ)の……か、鏡泉(かがみずみ)へ……」

「いや、むりして言いなおさんでも」

「久しぶりのお客様で……セリフ……練習したから……」

「……練習したのに噛んだのか」

「あ、あの、舌ベロ大丈夫ですか?」

 俺と衣留の冷めかけの味噌汁みたいな視線に耐えきれなくなったのか、ミズミカミさまは恥ずかしそうに「大丈夫……」と呟くと、

「とにかく、ようこそ。わたし、ミズミカミ……『星水見の鏡泉』の管理人? のようなことをしてる……」

「そういや自己紹介してなかったな」

 いかん、いかん。名乗りは営業の基本だ。

「俺はフラワーショップ『ルンランリンレン』の店長をしてる……」

「大丈夫、知ってる」

 ミズミカミさまは俺の言葉を遮ると、俺と衣留を順番に指さしながら、『たよられれば、やすし』と『しんじること、たかみ』と言った。

「星名を見付けるのは……わたしの役目だから……」

「あの、星名ってなんなんですか?」

 衣留の問いに、ミズミカミさまは「う~ん……」と呻った後、

「星っぽい名前……じゃなくて……名前っぽい星の名前、だと思う……」

 実にあいまいなお答えだった。

「それで……お花は?」

 手ぶらな俺と衣留をジィィッと見つめるミズミカミさま。俺のズボンのポケットやスクーターの座席に視線を向けていることから、どうやら俺たちが花をどこかに隠していると思っているらしい。ここでポン! と手から花でも出せたら、さぞやミズミカミさまを驚かせることが出来そうだが、残念ながら手品グッズは買ってこなかった。

 というわけで、あくまで今回は下見であることを正直に述べた。

「まず、どういうふうにするか考えないとな」

 一応ウチの花屋ではガーデニング・アドバイスも行っている。日本庭園を造れと言われるとさすがに手も足も尻尾も出ないが、花壇くらいなら俺でも十二分に作ることができる。

「花畑が……いい」

 オーケー。花畑か。
 そうなると、問題は大きさと土だった。

 試しに地面を軽く手で掘り起こす。土壌は……まあ、悪くはないな。幸い泉があるので水も確保できるし、わりと良い感じだ。

 さて、後は大きさだが……


「出来るだけ……いっぱいが、いい……」

「……さいですか」

 ミズミカミさまによれば、大きければ大きいほど良いらしい。泉をぐるっといっぱい、とまで行かなくても、一面の花畑、くらいは欲しいそうだ。

 今日を入れずに後五日で、どこまでいけるか……

「大丈夫……わたしも、手伝うから……」

 細腕をまくり上げ、一ミリたりとも盛り上がらない筋肉を見せてくるミズミカミさま。相変わらずの眠そうな表情だが、しかし地底湖のような瞳には、試合前のボクサーのごとき炎が揺らめいている。

 そのオーラに当てられたのか、衣留も力こぶを作ってみせる。もちろん彼女の腕も、腕相撲チャンプなど到底見込めない細い腕だ。

「これはやるしかないですよ、店長! なんて言うか……そう、コンビプレーです! 私と店長のおしどり夫婦のごときコンビプレーを見せる時なんです!」

「コンビ結成一日だけどな」

「それはイット! これはザットです!」

「それはそれ、これはこれ、と普通に言えんのか、お前は」

 というかそれ以前に、『これ』は英語で『ディス』だ。そんな初歩的な英語を間違えるなと言いたい。

「むぅ、揚げ足取り反対ですよ、店長」

「わかった、わかった」

 抗議の声を上げる衣留を適当にあしらいつつ、俺は今一度、殺風景な頂上をぐるりと見渡した。泉があるだけで、あとはほんの少しの木と草しか生えていなく、寂れているというか寒々しい。

 しかし逆に考えれば、何もないということは見晴らしが良いということだった。もしここを花でいっぱいに出来れば、きっとすばらしい眺めになることだろう。もしかしたらデートスポットと勘違いしたカップルがわんさかやってくるかもしれんが……まあ、そうなったらそうなったらで『疑いの愛』という花言葉のオシロイバナを大量に植えてやろう。八つ当たり気味に。


「……こりゃ、明日から忙しくなるな」

 しかし、それも悪くはない。
 花と共に死ぬなんて、花屋冥利に尽きるというものだ。

「じゃ、まあ、気合い入れていきますか?」

「ラジャーです!」

「がんばる……から……」

 威勢の良い声を上げる衣留と、小さく頷くミズミカミさまを横目に見ながら、俺はしなければいけないことを思い浮かべる。

 倉庫から耕耘機と園芸用具を出して、業者さんに電話して大量の肥料と腐葉土と花の苗を購入して……

 ああ、そうだ。あとついでに、破局という花言葉の花がないか調べておくとしよう。

 もしもの時のためだ。






[25396] 3日目 ~ながれるじかん~ ①
Name: 達心◆324c5c3d ID:123c8585
Date: 2011/01/13 02:39

  3日目 ~ながれるじかん~ ①






 花の命は短い。

 和の心である桜ですら二週間ほどで散ってしまうし、小学校で必ず育てるだろうアサガオに至っては、朝に花を咲かせたと思えば夕方にはしょんぼりしてしまう。正味一日未満だ。

 なぜ花の命は、そこまで短いのか?

 生まれてこの方、毎日のように花を見続けてきた俺でも、その答えを発見することは未だ出来ていない。

 しかし一つ、分かったことがある。

 それは花が咲いている短い期間こそが、その植物にとって最も輝いている時間だということだ。
 種の状態でジッと冬に耐え抜き、葉っぱでせっせと光合成して自分を成長させ、そして最後の最後でガツンと花を咲かせる。
それまでの人生……というか植物生を全て凝縮しているものこそがパッと開いた花なのだ。綺麗なのも当然だろう。

 そうなると、花屋の仕事がいかに責任重大なものか理解できると思う。まさにアイドルを育てるようなもので、しかもゲームのようにリセットもセーブもロードも出来ない。

 要するに花を育てるというのは、いつだって真剣勝負、ハラキリ覚悟なのだ。

 ……まあ、さすがに切腹は言い過ぎだが。

 とにかくそんな訳で、俺は朝から妙にハイテンションだった。





◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇





「これより、フラワーショップ『ルンランリンレン』の威信をかけ、花畑の造成を開始する! 心して当たるように!」

「あの、店長? なんかキャラがおかしくなってるような気が……」

「……言うな。自分でも自覚あるから」

 未だかつて無い大事業に、どうやら俺自身かなり浮かれまくっているらしい。あまりキャラとずれたことをすると関係各所からクレームが来そうなので、この辺りで自粛する。

 那乃夏島で迎える三日目。
 相も変わらず夏男のごとき濃い笑顔の太陽の下、俺たちは朝っぱらから店の裏手で準備にいそしんでいた。スコップ、備中ぐわ、如雨露やバケツ、さらに麦茶の入った水筒などを並べ立てる。

「でも店長、これだけの道具、どうやって運ぶんですか?」

「安心しろ、秘策がある」

 衣留を引き連れて店の裏手に回り、錆の浮いた車庫のシャッターをエイヤッ! と開けた。ホコリが舞い上がり思わず咳き込むが、そんなことは気にしない。

 車庫の中にあったそれを見て、衣留は目を輝かせた。

「トラクターですか!」

 うむ、そのとおり。

 車庫の中でぐーすかと冬眠していたのは、年季の入った小型のトラクターだった。数年前に農家のオッチャンから廃車寸前のものを父さんが安く買い取ったのだ。トラクターのおしりの部分には耕耘用のローター――グルグル回って地面を耕すナイスなヤツ――があり、さらに後ろには牽引型のリアカーが小ガモのようにくっついていた。

「これで運ぶんですか!」

「ああ。たまにでかい植木とか腐葉土とかを運ぶのに使ってたんだ。スピードは亀レベルだが、パワーはあるぞ」

 トラクターの運転席に乗り込み、キーを回した。ギュショショショショ、とセルモーターがエンジンを叩き起こそうと奮闘する。
八回目のトライでついにエンジンが冬眠から目を覚まし、「おいおい、もう夏かよ! 寝過ごしちまったぜ!」と雄叫びを上げた。

 トラクターを店の前まで移動させ、一旦停止。リアカーに荷物と衣留を積み込み、俺は再び運転席に舞い戻った。

「落っこちるなよ、衣留」

「だ、大丈夫です! これでも昔、三輪車で暴走行為してたことありましたから! 落ちるなんて有り得ないです!」

「……よくわからんが、あんまり迷惑行為するなよ」

「ラジャーです!」

 そう言いつつ、トラクターが動き出すなり衣留はウキウキと歌い始めた。チョイスされた歌はドナドナ。


 確かに騒音だったと言っておく。




◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇





 トラクターでだらだらと公道を走った俺たちは、スクーターの倍の時間をかけて、星見山のてっぺんに到着した。

 昨日とうってかわり、星見山の頂上は見事に晴れ渡っていた。霧の一握りすらなく、頂上からは那乃夏島の景色がぐるりと一望できた。登ってきた道のりと標高とがいまいち一致していない気がしたが、その辺はスルーするー。入道雲の合間に隠れたピンク色のクジラがこちらをチラチラ見ているような気がしたが、そちらも心の中から追いやった。


「ほらほら、あれ見てください! 水平線ですよ!」

 荷台から飛び降りた衣留が、彼方を指さす。
 キラキラと輝く海の向こうには、衣留の言うとおり水平線が見えた。なぜかまっすぐにしかみえない水平線が。

 はて? 確か水平線って、ちょっと丸くなってるはずじゃなかったか?

「え、でも、店長。平らじゃなかったら、海の水が横の方に流れてっちゃわないですか?」

「……それもそうか」

 改めてここが別世界であることを思い出す。


 ここは那乃夏島。優しい神さまの創った、七日で終わる世界。
 
 そう考えると、やはり不思議に思えてくる。

 別に不思議というのは、アンドロイド型天使のオネーサンや、セリフを噛む女神さまや、時間を教えてくれる三毛猫の存在のことではない。

 不思議なのは、あと五日でみんな死ぬというのに、この那乃夏島に流れる空気があまりにも穏やかなことだった。

 一日一日が、まるで砂浜に作られた砂のお城が波によってさらわれてゆくかのように、じっくりゆっくりと、されど停まることなく過ぎ去ってゆく。終焉にむかってまったりと。
そして終わった後は、きっと何も残らない。文字通り枯れ果て、終わる。

 だというのに、那乃夏島の日々はどこまでものんびりとしていて、そしてひどく優しい。
 優しさが目にしみて、思わず涙が出そうなくらいに。


「それが……当然……」


 ふと響くちんまりとした声。
 いつの間にか俺たちのすぐ横に立っていたミズミカミさまが、まるで母親のような穏やかな声でおっしゃった。

「だってここは……優しい神さまの創った……七日で終わる優しい世界だから……」

 ミズミカミさまの言葉が、俺のハートに水分とミネラル分を補給してくれる。さすがはとても偉い女神さまといったところだろうか。

 それはそうと……


「あの、ミズミカミさま……一つお聞きしてもよろしいですか?」

「なに?」

「なんで体操服なんだ?」

 ミズミカミさまの格好はなぜか体操服だった。しかも下はブルマという絶滅危惧種指定されているものをはいている。

 さらにいつの間にやら、衣留の格好も体操服になっていた。
こっちはスパッツだった。

「そもそもどこから出てきたんだ、お前の体操服なんて?」

「え、だってミズミカミさまが貸してくれるっていうから」

 当然とばかりに答えるスパッツ娘、星野衣留。

 俺はこめかみをポリポリと掻きながら、

「あの、ミズミカミさま?」

「だって……汚れるといけないから……」

 実にわかりやすい理由、ありがとうございます。

「貴方の分も用意してあるけど……着る?」

「……気持ちだけ受けとっとく」

 ちなみに俺はジャージの長ズボンにTシャツ、そして頭にタオルを巻いただけという、なんのアピールポイントもない服装だと言っておく。

「それで……お花は?」

 キョロキョロと辺りを見渡すミズミカミさま。
 湖の畔に立つ小さな祠――ミズミカミさまを祀ったものらしい――の脇に停車したトラクターの荷車には、花の苗などは特にない。

「お花……まだ無いの?」

「今日は土作りだからな」

 花の苗が届くのは明日だ。

「店長、それで土作りってどうやるんですか?」

「トラクターでめぼしい場所を一旦耕して、その後、固形肥料と腐葉土を蒔くってとこだな」

 昨夜、業者さんにお願いして、ここまで肥料と腐葉土を運んで貰う手はずになっている。昼過ぎに来るはずなので、午前中の内に一通り耕しておかねば。

「はいはい! 店長、私耕すのやってみたいです!」

「くわでか?」

「もう、何言ってるんですか」

 衣留は額をペシリと叩くと、

「大は小を兼ねるって言うじゃないですか」

「要するにトラクターを運転してみたいと?」

「ザッツライトです」

 衣留は勢いよく首を縦に振る。
 さて、どうしたものかと俺は考える。

 公道を走る際には普通免許が必要となるトラクターであるが、私有地――ちなみにこの星見山はまるまるミズミカミさまの私有地らしい――で走らせる分には、無免許でも問題はない。トラクターならスピードも出ないし、まあ、やらせてみても大丈夫だろう。衣留の身長だとアクセルに足が届かない可能性があるが、幸いにも車と違い、トラクターには手で操作するアクセルも付いている。こういう至れり尽くせりなところはトラクターのすばらしい部分だ。

 ゴーサインがもらえて飛び跳ねる衣留を横目に、俺は連結されていたリアカーをトラクターからはずした。次いでグルグル回って地面を耕すナイスなヤツにトラクターの動力を伝えるシャフトがきちんとはまっているか確認する。

 そこで俺のシャツの裾を、クイクイとミズミカミさまが引っ張った。

「その……」

 ミズミカミさまは恥ずかしそうにしながら、

「わたしもやってみたい……運転……」

「……まあ、それは良いんだが」


 あの、ミズミカミさま……ハンドルに手、届きますか?









[25396] 3日目 ~ながれるじかん~ ②
Name: 達心◆324c5c3d ID:123c8585
Date: 2011/01/13 02:41
 3日目 ~ながれるじかん~ ②






 トラクターの運転は、通常の車といくつか違うところがある。

 まず何より大きな違いが二つ、左右のタイヤがそれぞれ別々に回転することと、ハンドルの脇に手動のアクセルが付いていることだ。この手動アクセルは足踏みアクセルと違って手を離してもアイドルの状態に戻ることは無く、エンジンをある回転数の状態でとどめておくことができる。この手動アクセルのおかげで、地面を耕す時に一定の速さでガシガシ耕す事が出来るのだ。

「よし、いいぞ、衣留。そのまま泉の縁にそって走らせろ。危なくなったらブレーキは俺が踏むから、心配しなくていいぞ」

「は、はいです!」

 泉の縁に沿って、衣留がハンドルをゆっくりと傾けてゆく。

 現在の俺の状態を一言で表すなら『人間背もたれ椅子』だった。早い話、運転席に座った俺の足の間に衣留が座り、トラクターを操作しているのだ。やはり衣留の身長ではブレーキに足が届かなかった為、苦肉の策として考え出された大発明的方法だ。ちなみに考案者は俺ではなく衣留であるとあらかじめ言っておこう。俺の名誉の為に。

 なおミズミカミさまは、座席の後ろにあるわずかな隙間にすっぽりと入り込み、運転の仕方を俺の肩越しに真剣な表情で見つめていた。時折、ふーん、へー、わあー、という声と共に、ミズミカミさまの吐息が俺の耳をこしょぐった。

「よし、衣留、その辺でアクセルを戻せ。一回停まるぞ」

「ラ、ラジャーです!」

 ハンドル脇の手動アクセルをアイドルの状態に戻す衣留。
 完全にトラクターが停まったところで、衣留はこらえていた息を、ビールを飲み干したオジサンのようにプハーと吐き出した。

「緊張したか?」

「な、なんて言うか……結構スリル満点でした!」

 まあ、初めて乗り物を運転したらそう思うのも当然だろう。

 俺は衣留を適当にねぎらいながら、ぐるりと首を回した。きょとんとしたミズミカミさまの顔を飛び越え、トラクターの通った跡を眺める。
 先ほどまで雑草がまばらに生えていただけのそこは、今や柔らかな黒土がむき出しになった畑もどきに変化していた。もしフカフカの黒土の上にダイブしたら、きっと見事な人型を残すことが出来るだろう。頑張れば非常口ポーズの跡を作ることも夢ではない。

「もう一列ぐらい耕しとくか」

 俺は衣留を膝に乗せたまま足踏みアクセルを踏み、左のタイヤだけを動かした。その場でトラクターが回れ右をする。

 そこでミズミカミさまがおずおずと右手をあげた。

「わたしも……やってみたい……」

 座席の後ろからヨジヨジと這い出したミズミカミさまは、俺という険しい山脈を乗り越え、衣留の膝の上にちょこんと座りこむ。
 下から俺、衣留、ミズミカミさまの順番に座ることになり、二人分の背もたれ椅子を手に入れたミズミカミさまは、どうにかハンドルに手を届かせることに成功した。

 もっとも手が届いたのはハンドルだけ。ブレーキは俺が、手動アクセルは衣留が操作しなければいけなかったが。

「衣留、いちおうだが……」

 衣留の耳に顔を寄せ、小声でミズミカミさまのフォローをするように告げる。トラクターのハンドルは少々重いため、おそらくミズミカミさまだけでは回せないだろうから。

「あ、はい。おまかせあれ、です」

 衣留はわずかにくすぐったそうにしながら、しかし満開に咲き誇ったひまわりのような笑顔を浮かべた。わずかに躊躇した後、俺の胸に今まで以上にもたれかかってくる。

 衣留はクスクスと笑い出いながら、

「どうした、衣留?」

「いえ、その……ちょっとハッピーライフに浸ってまして」

 衣留は順にミズミカミさま、自分、そして俺を指さしながら、

「ほら、まるで私たち、大草原の農家な一家みたいじゃないですか? 娘、ママ、お父さんみたいな感じで」

「あー、まあ……そうかもな……」

 急に気恥ずかしくなり、俺は頬を伝う汗をわざとらしく拭った。衣留の背中と触れ合っている胸元に熱気が溜まり、じっとりと汗ばんでくる。

 しかしどれだけ熱かろうと、俺は衣留と離れたいとは思わなかった。熱い風呂が大好きな江戸っ子じいさん相手だろうと、今の俺ならば我慢大会で勝つことが出来るに違いない。
 さすがに夏場に熱い風呂に入りたいとは思わないが。

「こほん。ではではミズミカミさま、出発レッツゴーです!」

「……れっつ……ごう」

 衣留が手動アクセルを引いた。我慢大会日和な日差しの中、「耕しちゃうぜ! オレ、耕しちゃうぜ!」とトラクターが進みだす。
ハンドルを握る一人娘の顔は真剣そのもので、もし俺が「痛いよう! 踏まないで~」と叫んだら、泣きながら土下座してしまいそうなくらいだった。

 ……うむ、ちょっと見たくなったな、ミズミカミさまがベソをかく姿。

 いや、別にいかがわしい意味じゃなくて、単純な興味というかなんというか……例えるなら、眠っている赤ん坊の頬をプニプニしたくなる父親的パッションと一緒だ。たぶん。

 しかし俺の肺の中に閉じこめた酸素君と窒素さんが声に変化することはなく、次の瞬間、頭上から降り注いでいた熱い光線が突如ぱったりと途絶えた。俺たちの周囲だけ影が出来る。

「なんだ?」

 三人揃って上を見上げる。
 巨大なピンク色のクジラが、もの言いたげにこちらを見下ろしていた。

「…………あー、なにか?」

「る、るぅ~~!」

 俺と目があったとたん、ピンククジラはイタズラを見破られた子供のように、慌てながら入道雲の合間に隠れた。それでも気になるのか、チラチラとこちらをうかがっている。

 なんなんだ、いったい?

「どうしたんですかね、店長?」

「さあ?」

 首をかしげる俺たちとは裏腹に、ミズミカミさまはふと何かに気付いたように、

「……あ、水浴びの時間」

「水浴び?」

「そう。ルゥちゃんが水浴びする時間……」

 ミズミカミさまによれば、空飛ぶピンククジラことルゥちゃんはきれい好きで、毎日正午ごろになると、この泉に水浴びをしにやって来るらしかった。

 ……クジラなら海で水浴びすれば良いと思うが。


「それは、ダメ……海に浸かったら、せっかくの綺麗なピンク色が……海色に染まっちゃうから……」

「……なるほど、それは死活問題だな」

 俺だって『入浴料タダ。ただしこの温泉に浸かったら全身が緑色になります』という看板のある温泉に入りたいとは思わないだろう。よほどのベジタリアンでも無い限り。

「ベジタリアンじゃないけど、ルゥちゃんは恥ずかしがり屋だから……たぶん、知らない人に水浴びを見られるのが……恥ずかしいんだと思う……」

 ミズミカミさまは衣留にステータスモニターを開くように言った。

 パン、パン! と柏手を打ち、衣留はモニターを出現させる。ステータスの一部がいつのまにか更新されていた。



○ ルゥちゃん情報……ところにより赤面。



 ……よくわからんが、水浴びの邪魔をするのは悪いな。うん。

「しばらくどこかに隠れていたほうが良いか?」

「それより、もうお昼だから……どこかでお昼ご飯、食べてくるといいかも……」

 ミズミカミさまにそう言われ、俺は今更ながら自分が空腹なことに気付いた。同じく衣留のお腹からもキュルルというカエルが喉を鳴らしたような音が響く。
 ふむ、確かに良い時間なのかもしれないな。時計がないからわからんが、十二時まわったくらいだろうか?

 こういうときは、あいつを呼ぶに限るな。

「時々丸」

「待ってただニャ!」

 耕された黒土の下から、ずぼっ! と巨大な三毛猫が顔を出した。

「グッド良い昼! ニャンと今は三日目の午前十一時五二分~ッ! 世界が終わるまで、残り一〇八時間と七分と四〇秒だニャ!」

 そう告げた後、時々丸はにんまりと笑みを浮かべた。人間背もたれ椅子状態の俺を眺めながら、

「ニャフフ、どうやらよろしくやってるみたいだニャね、草弥ニャン?」

 よろしくってなんだ、よろしくって。

「いかがわしい言い方するな、エロ猫」

「照れない照れないニャよ。せっかくニャから、ナイスな英雄っぷりを見せる草弥ニャンに耳より情報だニャ。ランチなら、ノキナミ商店街にある喫茶店の特製ハンバーガーがおすすめだニャよ」

「……意外にフツーの情報だな」

「これでもミーは情報通だニャからね。とにかくテイクアウトも出来るお店ニャから、ミーみたいな売れっ子には優しい限りだニャ。味もトレビア~ンだニャよ!」

「とれびあーん、か」

 猫の味覚が当てになるかは別として、確かに悪くはないな。

 再び土の下に潜っていった時々丸を見送り、きりの良いところまで耕し終わったところで、俺はトラクターのエンジンを一度切った。
 一瞬、すべての音が無くなったような感じがする。夏空の贈り物だろうか、ゆったりとした風が吹き、ほてった俺たちの肌を優しく撫でていった。

 ……と、そこで再び衣留のお腹がキュルキュルと鳴る。

 衣留は上目遣いに俺を見上げると、イタズラっぽく、しかしちょっとだけ頬を赤くしながら、

「その……お昼にしましょうか、あなた?」

「……そうだな」

 きっと衣留の顔が赤いのは、お腹が鳴る音を俺に聞かれたからだ。

 とりあえずそう思っておいた。








[25396] 3日目 ~ながれるじかん~ ③
Name: 達心◆324c5c3d ID:123c8585
Date: 2011/01/13 02:44
 3日目 ~ながれるじかん~ ③







 ときどき俺は、自分がまともな人間でないと思うときがある。もちろん異常者とか変質者とかいう意味ではなく、他の人とずれているという意味だ。だってそうだろう。フツーの感覚の持ち主であれば、七日で終わる世界に移り住もうとは思わないはずだ。そういう意味では、俺は自分がフツーではないと思う。

 そしてその理論は、衣留を始めとした他の移住者たちにも当てはまるということを、喫茶店『暗黒の木曜日』に入店した俺はひしひしと感じていた。

「OH、イエース! お待たせでござる! 当店自慢の特製ハンバーガー『摩天楼バーガー』でござるよ!」

「…………うわお」

 年季の入った木製テーブルの上にドシンッ! と置かれた巨大なハンバーガーを見て、俺は顔を引きつらせた。

 ……なんだ、この超高層バーガーは? 厚さが軽く三十センチはあるぞ?

「OH、ボーイ! そのとおりでござるね! これは拙者の生まれたシティ、マンハッタンの超高層ビルディングをイメージしたスペシャルバーガーでござるよ!」

 白い歯を見せ、様になった仕草でウインクするのは、喫茶店『暗黒の木曜日』のマスターという金髪碧眼のアメリカ人だった。頭に乗せたテンガロンハットと相まって、まるでインディ・ジョーンズのようだ。
 もっともその妙な口調のせいで、雰囲気が色々とカオスになっていたが。

「申し遅れたでござる。拙者、この店のマスターをしているニューヨーク太郎マンハッタン次郎と申す者でござるよ」

 どうも、これはどうもご丁寧に。

「フラワーショップ『ルンランリンレン』の店長している、皆垣草弥です」

「私は星野衣留。住み込みバイトです」

「OH! そちらのボーイは同じ商店街の店長でござるか! これはよろしくでござる、草弥殿!」

「こちらこそ……ええと、ニューヨーク太郎さん?」

 つか、どっちが名前だ?

「ノーノー! それは違うでござるよ、草弥殿。拙者の名前は『ニューヨーク太郎マンハッタン次郎』でひとくくりなのでござる。両方とも、拙者の大事な大事なネームでござるゆえ、呼びにくい場合は両方の頭をとって『ニューマン』と呼んでくだされ」

 ずいぶんとわかりやすい短縮形になったな。

「あの、ニューマンさん」

 そこで衣留が「質問です!」と手を挙げた。

「ずいぶんと日本語がお上手なんですね?」

「HAHAHA、そうでござろう、ガール。これでも昔、アメリカで演歌歌手をしてたでござるからね。ジャパニーズ以上にジャパニーズが上手いと褒められたことすらあるでござるよ」

「……いや、その語尾の時点で色々と間違ってる気が」

「OH! バーガーが冷めるでござる! 熱々をプリーズでござるよ!」

 俺のぼやきを見事に聞き流し、超高層バーガーを勧めるニューマンさん。
 とはいうものの、いったいこれ、どうやって喰えと言うんだ?

「もちろん、ワイルドにガブッとでござる!」

「……それしかないか」

 俺と衣留は手にあまるほどのハンバーガーを持ち上げると、太陽にかじりつく勢いでガブリといった。

 次の瞬間、俺の口の中にフィルハーモニー管弦楽団が登場した。

「こ、これは……!」

 今日この時ほど、帽子を被っていないことを後悔した時はなかった。
 脱帽のうまさだった。

「お、おいひい! おひいれす!」

 ほっぺたにトマトソースを付けながら、一心不乱にハンバーガーにかぶりつく衣留。
 俺も負けじと対抗する。

 男の意地で衣留より数分早く食べきった俺は、そこでものすごく優しい目をしたニューマンさんが、俺たちを微笑ましげに見つめているのに気付いた。

「Sounds good, Boy?」

 美味かっただろう、少年?


「…………」

 美味かったです。
 そう言おうとして、しかし俺は何も言葉を発することが出来なかった。

 すべて分かっている、とでもいうかのようなニューマンさんの笑顔。
 言葉にしなければ伝わらないこともあるが、しかし逆に、言葉などなくたって伝わることが世の中には確かにあるのだと、俺は思った。

「すっごくおいしかったです、ニューマンさん! 良い仕事しすぎです!」

 グッジョブ! と衣留が親指を立てた拳をニューマンさんに突きつける。

 俺もそれにならい、親指を立てた。

 グッジョブ!


「恐悦至極でござるよ」

 ニューヨーク太郎マンハッタン次郎さんもまた誇らしげに親指を上げ、ウインクした。






◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇







「次の来店、お待ちしてるでござるよ!」

 手を振るニューマンさんと分かれた俺たちは、再び花屋まで戻ってきた。
早いところ星見山に行かなくてはいけないが、その前に確認しておかなければいけないことがあったからだ。

 すでに日課となりつつある、イノチノシズクの生育チェックだ。

「……ついに芽が出たか」

 球根から五センチほどニョキニョキした芽を見て、俺は大きな喜びと、熱射病になった時のような軽い気怠さを感じていた。
 イノチノシズクの成長は、どうやら順調のようだった。根っこもずいぶんと伸び、せっせと球根や芽に涙味の水を送り届けている。

 花を咲かせるために、精一杯に。


「……花を咲かせるため、か」

 ふいに俺の背中に、ずしりとした重みが加わった。
 今更かもしれないが、俺はイノチノシズクを植えたことを少しだけ後悔していた。

 例えイノチノシズクが成長し、七日目に世界でもっとも美しいという花を咲かせたとしても、それでどうなるというのだろうか? どんなに美しい花を咲かせても、それで終わりというのはあまりに寂しいのではないか?

 俺はふとそう思い、だからこそイノチノシズクを植えてしまったことに対する後悔と罪悪感のようなものを感じていた。

 とはいえ、もう後戻りは出来ない。

 時間を巻き戻すことも出来なければ、那乃夏島から元の世界に戻ることも出来ない。
 全ては終焉というゴールに向かって流れている。

 ゆっくりと、しかし確実に。


「あれ、店長? なんですか、その見慣れない球根は?」

「……いや、まあ、ちょっとな」

 俺は衣留から隠すように、イノチノシズクをレジスターの脇に押しやった。
 衣留には見せたくないと、そう思った。


「それより衣留、そろそろ仕事に戻るぞ」

 昼過ぎに業者さんが肥料と腐葉土を届けてくれる手はずになっている。早く星見山に戻らねば。

 なんだよ~、またアスファルトかよ~、と不満を漏らすトラクターをなだめすかしながら、俺たちは公道をひた走る。
 ちなみに面倒くさかった為にリアカーはドッキングされていなく、衣留は運転席の後ろのスペースで膝立ちになっていた。狭くて申し訳ないと思わなくはないが、しかし衣留はというと高い視点から町並みウォッチングするのが楽しいらしく、特に不満もなく、あれやこれやと指さしながら笑っていた。

「ほらほら、店長! あれ見てください、信号機の青色が緑色ですよ!」

「……いや、フツーだろ」

 何が面白いのかよく分からないが、しかし衣留は楽しそうだった。

 そろそろ顔見知りになってきた何人かのお地蔵様に会釈し、山道を登る。

 星見山の頂上には、すでに一台のトラックが到着していた。


「やば!」

 業者さん、もう来てるし!

 俺はトラクターから飛び降りると、『ホームセンター ノノムラ』と銘打たれたトラックに駆け寄った。

「ご苦労様です! すいません、お待たせしましたか?」

「いいえ、今来たばかりです……と可愛く言ってもらえると思ったら大間違いです。このフラグブレーカー野郎め」

 この口の悪さは……もしや……

「スミレさん?」

「良い終焉です、皆垣草弥様、星野衣留様、並びにミズミカミ様」

 トラックの運転席から降り立ったのは、頭上に金色の輪っかを乗せたアンドロイド型天使のオネーサン、スミレ2800さんだった。

「どうも、ご利用ありがとうございます。ホームセンター・ノノムラです。ご注文の品をお届けにまいりました」

 ここに受け取りサインを、とスミレさんは無表情のまま伝票を差し出してくる。
 俺は反射的に『皆垣草弥』とサインしながら、

「なんでまたスミレさんが?」

「もちろんアルバイトです」

「……バイトっすか」

「どこも人手不足なのです。一〇八存在しているアンジェロイドも全力労働中です」

 それはたいへんそうだな。

「確かに大変ですが、それがワタシたちアンジェロイドの存在意義でもあります。ですので同情や、間違っても好感度アップを狙ったセリフは吐かないように願います。言っておきますが、ワタシは非攻略キャラですので」

「……いや、別に攻略する気はないが」

「ご冗談を」

 スミレさんは無表情のまま、衣留とミズミカミさまを順に見つめた。次いでどこか胡乱気な視線を俺に向けると、

「ハーレムルートとお見受けしました。しかも巨乳からツルペタまでカバーするとは……このオールラウンダーめ」

「誰がオールラウンダーだ、誰が!」

「ツルペタって……なに?」

「えっと、それはですね……」

 こら待て衣留! お前もミズミカミさまに余計なこと教えるな!

「そ、それよりスミレさん、頼んだものは!」

「こちらになります」

 トラックの荷台にかかっていたビニールシートが取り払われる。そこにどっさりと積まれていたのは袋詰めされた大量の固形肥料と腐葉土だった。

 トラックの荷台から小分けされた袋を下ろし、確認する。
 よし、注文通りだな。

「花の苗の方は、明日の午前中の配達でよろしかったでしょうか?」

「頼む」

「かしこまりました。――では良い終焉を」

 分度器で測ったかのような折り目正しい御辞儀をし、スミレ2800さんは再びトラックに乗り込み、頂上を後にする。

 興味深げに肥料袋――中に詰まっているのは、ウサギの糞の白バージョンとしか言いようのないものだった――をつっついている衣留とミズミカミさまを尻目に、俺はおもむろに首を巡らせ、那乃夏島全体を見渡した。

 脳みその中に増設された特別ステージで、スミレさんの別れ際の言葉がエンドレスワルツを踊っていた。

「良い終焉を、か……」

 ふと俺は、今までずっと考えないようにしていたある疑問を思いうかべた。


 ――なぜ優しい神様は、七日で終わる世界を創ったのか?


 そもそも優しい神様が那乃夏島を創ったのは、意地悪な神様が元の世界を一年で終わらせると言ったからだ。
 しかしいくら新しい世界を創ったとしても、それが七日しか保てない世界では、根本的な解決にはならないだろう。結局、どちらの世界を選んでも終わるのだから。

 だからこそ俺は不思議だった。
 どうして優しい神様は、那乃夏島を創り出したのか?

 目があったピンク色のクジラに、俺は自分の疑問をストレートに投げてみた。

「なあ、何で優しい神様は那乃夏島を創ったのか、お前は知ってるのか?」

「るぅ?」

 青空をふよふよと飛びながら、クジラは身体を傾けた。今さっきまで水浴びをしていたのか、胸びれの先から水滴が滴り、そのまま吸い込まれるように落ちてゆく。

 キラキラと瞬きながら、止まることなく。

 幸か不幸か、落ちた水滴が地面に当たってどうなったのか、さほど目の良くない俺では追い切れなかった。


「……まあ、考えてもしょうがないことか」

 毛虫を払うかのように頭を振り、思考をマイナスからプラスへと持ち上げてゆく。
 俺は思わずこみ上げてきたアクビを噛み殺すと、雲間を泳ぐピンククジラにむかってひらひらと手を振った。

「お前、よく見るとなかなか可愛いな?」

「る、るるぅ~っ!」

 可愛いと言われたとたん、クジラはピンク色の身体を桜色に染めた。恥ずかしそうに小さく頭を下げると、そのまま雲の間に隠れる。

 俺は再びアクビを一つ。

 やばい、眠い。


「作業の前に、少しぐらい昼寝するか……」

 尽きることのない午後の日差しが気だるげな空気を生み出している。幸いにも、ここには午前中に作ったばかりの黒土のマットレスがある。ビニールシートを敷けば、きっとすばらしい寝心地を提供してくれるに違いない。トラクターを移動させれば、日陰だった思うがままだ。

 問題は枕が無いことだが……まあ、その辺は適当にどうにかするとしよう。

「衣留、ミズミカミさま、ちょっといいか?」

 俺はブルマ娘とスパッツ娘にシエスタタイムを提案する。


 ちなみに昼寝の案はすぐに採択されたのだが、結局、俺は一睡も出来なかった。


 腕を枕として提供するのは、なかなかにハードだったとだけ言っておく。








[25396] 4日目 ~まいちるはなびら~ ①
Name: 達心◆324c5c3d ID:123c8585
Date: 2011/01/13 03:03
   4日目 ~まいちるはなびら~ ①




『あなたはどうして、七日で終わる世界を選んだのですか?』

 もしクイズ番組でそんな問題が出されたら、俺はきっと、何も答えられないままタイムオーバーを迎えてしまうだろう。

 別に答えがわからないわけではない。
 とにかく何か答えを書けと言われれば、将来の不安や、どうせ終わるんなら七日も一年も大した差はないことや、両親の形見であるイノチノシズクの枯れる様を見たくなかったこと――などなどを書くことは出来るだろう。

 しかし次の問題で『本当にそれが理由ですか?』と聞かれたら、俺はまた答えを書けないに違いない。

 結局、俺が何を言いたいかというと、人間の心なんてものは意外と適当に出来ていて、その時の気分や天気や湿度によってゆらゆらと揺れ動き、『絶対にこれだ』というものはなかなか無いと言うことだ。少なくとも俺はそうだし、他の人もきっと同じようなものだと思う。

 だからこそ俺は、衣留に対して『なんで那乃夏島を選んだんだ?』と聞かなかったし、衣留も俺に対して同じようなクエスチョンを出すことはなかった。
 あと四日で世界は終わるのだ。絶対といえないことをわざわざ聞くなんて、それこそ無駄ではないか。

 愚かにも俺は、そう思っていた。





◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆






 昨日、長々と昼寝したせいで遅れた分を取り戻すべく、俺と衣留は朝からせっせと肥料撒きを行っていた。
 ついさっき時々丸で確認したところ、現在時刻は午前九時四五分だった。十時くらいに花の苗が届く手はずになっているので、それまでに大急ぎで肥料撒きを終えなければいけない。

 バケツに入れた白いウサギの糞モドキをわしづかみにし、ガシガシ撒いてゆく。
ちなみにミズミカミさまは、なにやら少し用事があるとかで祠の中に籠もっている。

 ようやく肥料撒きが終わろうとしたところで、天の岩戸の中から天照大神様――と言うにはいささか背丈と凹凸とセクシーさが足りない女神さま――が顔を覗かせた。

 超大物が助っ人に来るという情報を抱えて。


「は? ルゥちゃんが手伝いたい?」

「うん……そうみたい……」

 ミズミカミさまの話に寄れば、なんでも先ほどルゥちゃんから連絡があって、手伝いたいという旨を伝えられたらしい。

 ……つか、クジラが連絡って、いったいどうやって?

「ルゥちゃん……けっこう器用だから……」

「……そうか」

 オーケー。流そう。

「しかし手伝ってくれるのはありがたいが……」

 なんせ超大物だからな。スケール的に。

「何を手伝う気なんだ?」

「水まきだったら手伝えるって……言ってた……」

「水まき?」

「うん……プシューって」

 ミズミカミさまは自分の頭の上に両手を重ねておくと、次いで「プシュー」と言いながらバンザイした。

「なるほど、潮吹きか」

 今は水やりの必要はないが、花を植えたら日に二度くらいは水をやらねばならない。如雨露で水をやるというのは結構な重労働なのだが、それをルゥちゃんが潮吹きで一気に水を撒いてくれるのなら、そんな嬉しいことはない。

「ルゥちゃん忙しいから……それくらいしか手伝えないけどって……謝ってた……」

「いや、十分だ」

 それより忙しいのか、あのピンククジラ?
 まあいいか。

「水やりの時になったら来てくれるように言っといてくれるか?」

「伝えとく……」

 再び祠の中に戻るミズミカミさま。
 ちなみにミズミカミさまを祀っているという祠は、良くてウチのビニールハウスと同じくらいの大きさだった。木で出来た簡素な作りで、雨風にさらされたのかボロボロだ。

 いったいこの中はどうなっているのか?

 一瞬、覗いてみようかとも思った俺だが、さすがに女性の一人暮らしの部屋を覗くのは非紳士的なのでグッと堪えておいた。

「店長、こっちの肥料撒き、終わりました!」

 そこで空になったバケツを抱えた衣留が駆け寄ってきた。

「早いな」

「有能ですから」

 衣留は胸を張る。
 今日の衣留のコスチュームは、膝丈のデニムパンツにチェック柄のシャツ、そして麦わら帽子というカントリースタイルだった。長い髪を一本の三つ編みにし、先端を黄色いバンダナで縛っている。

 似合っていると言えば似合っているのだが、まあ、何というか……

「……あいかわらず形から入るのが好きだな」

「むぅ、形とは失礼ですね」

 頬を最高級トラフグのように膨らませる衣留。

「そんなことを言うと、ムー大陸を沈めた呪いをかけちゃいますよ」

「前はアトランティスじゃなかったか?」

「アトランティスとムーは、実は同じ文明だったんです!」

 こだわりでもあるのか、妙に力の入った説を唱える衣留。

「アトランティスとムーは、もともとは一つの同じ文明だったんです! でも小さな諍いから分裂して、戦争が始まって……そして最後は二つとも海の底に沈んじゃったんです! 悲劇的ですよね!」

「悲劇的っていうのはいいが……滅びた原因は呪いじゃなかったのか?」

「……え、えーと」

 衣留の目がふらりふらりと泳ぐ。

「あの、その……」

「その?」

「…………じ、実は!」

 衣留はグッと拳を握りしめ、言った。

「私、人魚なんです!」

「海に帰れ」

 大量の花を乗せたトラックが、ついに到着した。





◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆








 英語のフラワーという単語は、もともと『すばらしいもの』を意味する単語だったらしい。要するに昔の人は花のことを『すばらしいもの』と言っていたわけで、それは現代っ子の俺からしても納得の理由だった。


「ご注文の品です」

 スミレ2800さんほか数人のアンジェロイドのオネーサンによってトラックから降ろされた花の苗を見て、衣留とミズミカミさまは頬をお日様色に染めた。

 花の苗といったが、それは巨大な間違いだった。小さなビニール製の苗袋に入っているだけで、ほとんどが立派に成人式を迎えた花たちだったからだ。半分以上がすでに花を咲かせており、残りのほとんどもつぼみを付けている。

 総勢三百人あまりの花たちを、俺はじっくりと眺めた。
和服の似合いそうなアヤメ、笑顔がまぶしいヒマワリ、タカビーなお嬢様であるバラもいれば、手編みのマフラーを作ってくれそうなスイセンまで……

 ん? スイセン?

「なんで冬の花があるんだ?」

 スイセンは寒い時期に咲く花だ。夏真っ盛りのこの時期には居ないはずなのだが。

「なあ、スミレさん。どうして冬の花が混ざってるんだ?」

「ああ、そのことですか」

 スミレさんはさも当然とばかりに、

「那乃夏島ですので」

 一言だった。
 ……いやまあ、確かに納得の理由だが。

「それではワタクシたちはこれで失礼いたします。――良い終焉を」

『良い終焉を』

 一糸乱れぬ動きで撤収してゆくメイド服の天使さんたちを見送り、俺は残された大量の花に向き直った。

 すでに衣留が軍手を装備した状態で待ちかまえていた。

「いよいよですね、店長」

「ああ、そうだな」

 苗良し、スコップ良し、水筒良し。さらに今日は行きがけにコンビニに寄って弁当やおにぎりも買ってきてある。

 今日という日の全てを、花畑作りに捧げる所存なり。

「それでは健闘を祈る」

「ラジャーです!」

「らじゃあ……」

 花たちににじり寄ると、俺たちは好みの子を手にとり、黒土のほうへと運んでいった。






[25396] 4日目 ~まいちるはなびら~ ②
Name: 達心◆324c5c3d ID:123c8585
Date: 2011/01/13 03:05

 4日目 ~まいちるはなびら~ ②





 作業開始から、おおよそ二時間後。

 青空をクライミングしていた太陽が頂上に登頂成功しようかというところで、俺たちは一旦作業を中断した。理由は簡単で、早い話、お腹と背中がくっつきそうになったからだ。

「昼飯にするか?」

「そうですね」

 道具をトラクターの脇にまとめ、泥まみれになった手や顔を泉で洗う。

 ちなみにミズミカミさまが管理人を務めているという『星水見の鏡泉』――確かに噛みそうな名前だ――は普通の泉とは違い、どれだけ使っても水が減ることはなく、例えどれだけ汚しても水が濁ることはないらしい。そういうわけで、俺たちは心おきなく汚れを落とさせてもらった。

 祠の横の影になっているところにレジャーシートを引き、コンビニで買ってきたお弁当を広げる。
 ミズミカミさまも誘ってランチタイムスタート。


「ほら! 色々買ってきたんですよ!」

 幕の内弁当から各種おにぎり、菓子パンに至るまでなかなかの品揃えだった。ちなみにコーディネートしたのは衣留で、俺は観客兼サイフだった。

「そっちの箱は……何?」

 梅干しおにぎりをちんまりちんまりと食べていたミズミカミさまが、ふと衣留の背後を指さした。
 そこにドデンとあぐらを掻いていたのは、俺の家から持ってきたクーラーボックスだった。

「さすがミズミカミさま、お目が高いです」

 衣留は「どうぞお納め下さい、お代官様」と意味不明の一人芝居をしながら、ミズミカミさまの前にクーラーボックスを押し出した。蓋を開けると、ひんやりとした冷気がビニールシートの上に飛び降り、四方八方にダッシュしてゆく。

 クーラーボックスの中をのぞき込んだミズミカミさまは、きっかり五秒後、こてんと首をかしげた。

「……氷?」

「これぞ夏の定番! チューチューアイスです!」

 色とりどりの着色料で染められた棒状のアイスが、満員電車で奮闘するサラリーマンのように詰め込まれていた。昨日の帰りにスーパーに寄って買ってきたものを、俺の家の冷蔵庫で凍らせたものだ。

「一つのチューチューアイスを二つに割けあって食べる! これがなくして甘く熱い夏は語れないです!」

 チューチューアイスをマイク代わりに、熱の籠もった演説をする衣留。
 一通りチューチューアイスの魅力と必要性と経済に与える影響を語った後、「とりゃ!」と衣留はアイスを二つに折った。

 片方を自分の口に放り込むと、もう一つをミズミカミさまの口に押し込んだ。

「む、むぐぅ!」

 むりやりチューチューアイスを口に突っ込まれ、目を白黒させるミズミカミさま。
 しかし衣留は構わず、

「どうでふか、ミズミカミひゃま?」

 しばらく戸惑っていたミズミカミさまだが、すぐにチューチューアイスの魅力に気付いたのか、まるで哺乳瓶に吸い付く赤ん坊のようにチューチューし始めた。

「あむ! んぅ! ちゅっ!」

 すごい吸い付きようだった。

「……そんなに美味いか?」

「ふぅふぅ!」

 ぶんぶんと首を縦に振るミズミカミさま。その動きに会わせて、口にくわえっぱなしになっているチューチューアイスがピコリンピコリンと揺れ動く。
どうやら口から離すのも嫌なくらい気に入ったらしいな。

「そんなにハマってもらえると、私も嬉しい限りですね」

 こちらもモゴモゴとアイスを舐める衣留。

 俺としてはチープな味という印象しかないチューチューアイスだが、しかし二人の姿を見ているとなんだかとてもおいしそうに思えてくる。

 と言うわけで俺も、クーラーボックスからレモン色のものを取り出した。
 ポキッとへし折ったところで、ふと重大な事に気付く。

 これ、誰と分ければ良いんだ?


「…………わたしと……はんぶんこ」

 クイクイとTシャツの裾を引っ張られ、俺は横を向く。
 餓えたハムスターの目をしたミズミカミさまが、俺の右手に握られたアイスをじぃ~と見つめていた。

「……どうぞお代官様、お納め下さい」

 まあ、これくらい安い賄賂なら、いくら贈っても懐は痛まないしな。





◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆






 昼食後。

 満腹になったお腹をさすりながら、俺は泉のほうを眺める。泉の縁では、ズボンの裾をまくり上げた衣留が、水面を蹴り上げながら遊んでいた。

「本当に鏡みたいに綺麗な水ですね?」

 衣留がパシャパシャと水を跳ね上げる。飛び散った水滴が俺の頬にぶつかり、さらに小さな水滴にわかれていった。

「ここで水浴びしたら、きっと気持ちいいですよね、店長」

「まあ、そうだろうな」

 俺は泉の縁まで歩いてゆくと、鏡のような水面をのぞき込んだ。泉の水はとにかく綺麗で、そして清流のように冷たい。泳ぎたくなる気持ちも分からないではない。

「……する……水浴び?」

 クーラーボックスの上にちょこんと腰掛け、本日四本目となる棒アイスを幸せそうにチューチューしていた女神さまが、ふとそんなことを曰った。

「……水浴び……してもいいけど」

「いいのか? だってルゥちゃんがそのうち来るんだろう?」

「今日くらいは我慢するから……別に良いって……」

 我慢って……

「もしかしてルゥちゃんに気を遣わせちゃったか?」

「大丈夫……」

 チューチューアイスを咥えたまま、ミズミカミさまは空を見上げた。

「ルゥちゃんは……全ての誰かさんの上を飛ぶのが仕事だから……水浴びばかりしてる訳じゃないし……」

「全ての誰かさん?」

 なんだ、それ?

「ルゥちゃんは……お空といっしょ……」

「空といっしょ?」

「うん、そう。いつもみんな全員の上に広がっていて、でも誰か一人のためだけにも広がってる……それが空で、そしてルゥちゃん……」

 ミズミカミさまにつられ、俺も空を見上げた。
 青い空が、宇宙まで続いているかのように高くのびていた。

「ルゥちゃんは……いままでずっとお空色だった……」

 ミズミカミさまは続ける。

「那乃夏島にきてピンク色になったけど、やっぱりルゥちゃんはお空といっしょだった。恥ずかしがり屋で時々雲の向こうに隠れちゃうところも、ちょっとしたことで照れて真っ赤になっちゃうところも、それに全ての誰かさんが大好きなところも……ルゥちゃんはいつだって、この空とおんなじで心が広いから……」

 口からちゅぽん! とチューチューアイスを引き抜き、ミズミカミさまはふんわりと笑った。

「だから、大丈夫」

「そっか……」

 ミズミカミさまの言葉が全部分かったわけではないが、しかし俺はそれでも良いと思った。

 ルゥちゃんの素敵っぷりは何となく分かったのだ。それ以上に大切な事なんてない。

「ならお言葉にあまえるか」


 さて、問題は水着だな。





◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆






 心のシーソーが一気に水浴びに傾いた俺だったが、しかしすぐに泉に飛び込めるかと言えば、そんなわけはなかった。

「水浴びするのはいいが……水着ないんだよな」

 問題はそこだった。
 男である俺はともかく、さすがに衣留はそのままじゃアレだろう。

 いや、まあ、俺としてはそのままでもオーケーというか、むしろ生まれたままの姿でも一向に構わないが。

「店長、なに顔を赤くしてるんですか?」

「……いや、なんでも」

 顔を上げる。ニッコリと笑みを浮かべた、しかし微妙に生温かい目をした衣留が、俺をのぞき込んでいた。

「気にするな」

「ふうん、そうですか?」

 衣留はフフフと笑うと、いきなり自分の服に手をかけた。一瞬躊躇った後、バッ! バッ! と着ているものを勢いよく脱ぎ捨てる。
 徐々に露わになる肌色に、俺は思わずゴクリと喉を鳴らす。

 最終的に衣留は生まれたままの姿……ではなく、花柄のセパレート水着姿になった。

「その、期待しちゃいました?」

 イタズラが成功した子供のように衣留は笑った。
 俺はこめかみをポリポリ。

「……用意いいな、お前」

 まったくだった。

「こんなこともあろうかと! って感じですね」

 どうやら衣留は始めからここで泳ぐ気だったらしい。グラビアアイドルのように悩ましげなポーズを取りながら、

「どうですか、店長? 似合います?」

「……」


 俺はあらためて目の前でポーズを取る少女を眺めた。
 花柄の水着を纏った衣留は、誰がなんと言おうと可愛くて綺麗だった。

 いや、別に普段の衣留が可愛くないといっている訳ではない。
しかし健康的な肌を惜しげもなく露わにした衣留からは、輝きというか、命が咲き乱れているというか……上手く言葉に出来ないが、キラキラとした何かがにじみ出ているように俺は感じた。

「…………綺麗だな」

 思わずストレートな感想がこぼれ落ちる。
 これに意表をつかれたのは衣留だった。

「え、あ……」

 ぽひゅん! と音を立てて衣留の顔が熟れた林檎色に染まった。
 どうやら俺がここまで大まじめなコメントをするとは予想してなかったのだろう。モデルのような堂々とした態度から一転、衣留は恥ずかしそうに自分の肩を抱くと、

「て、店長……その……」

「…………」

「あ、ありがとう……ございます……」

「……ど、どういたしまして」


 なんだ、この気恥ずかしい空気は。


「……」
「…………」


 しばしの間、ミズミカミさまのチューチュー音だけが響く。
 長々と続きそうだった沈黙を破ったのは、やはりというか衣留だった。

「あの……店長……」

 上目遣いでこちらを見つめながら、衣留は意を決したように、

「……わ、私……綺麗ですか?」

 おずおずと身体を隠していた両腕をどけると、衣留はそのまま腰の後ろで手を組み合わせた。私の全てを見て、とばかりに無防備な水着姿を俺にさらけ出す。

「綺麗ですか……私……」

「いや、その……」

 俺は自分の顔が真っ赤になっているのを自覚しつつ、

「き、綺麗……だぞ……」

「ど、どれくらい、ですか……?」

「どれくらいって……それは……その……」

 入れ歯をなくしたジイサンのように口をモゴつかせる。
 気の利いたお世辞文句でも言えれば良いのだが、所詮は俺だった。キザなセリフが思いつくはずもなければ、似合うはずもない。

 結局、俺が発したのは花屋の新米店長らしい言葉だった。

「店の前に……花たちと一緒に飾りたいくらい……かな?」

「花……ですか……」

「あ、ああ……」

 俺は頷く。

 ……と、そこで自分が言った台詞が微妙に変態チックなニュアンスを含んでいることに気付き、俺はあたふたとした。
 飾りたいだなんて、少々危険な趣味だと思われないか、俺?

「いや、衣留! べ、別に飾りたいというのは変な意味じゃなくてだな! 純粋に綺麗な花を……」

 愛でたい気持ちと一緒だから。
 そう言おうとして、しかし俺の口は『を』の形で石のように固まってしまった。
 一瞬、わずか瞬き一つ分の間だったが、衣留の顔から全ての感情が抜けてしまったかのように見えた。

「……衣留?」

 思わず俺は自分の目を擦った。衣留があんなガランドウの目をするはずがないと自分に言い聞かせ、再び彼女に目を向ける。
 そこに居たのは、いつも通りの衣留だった。

「あれ? どうしました、店長?」

 いつの間にか衣留の顔には、イタズラっぽい表情が戻っていた。

「あ、さては私の内なるフラッシュに目をやられましたね?」

「…………さて、今日こそは昼寝するか」

「あ! ちょっと店長、無視しないでくださいよ!」

 くるりと背を向けた俺に、衣留は背後から飛び付いた。俺の首に腕を絡めると、しめしめといった様子で「にゅふふふふ」と笑う。
 なんか嫌な予感が……

「人を無視する店長には……こうです!」

「うおぉっ!」

 俺は一瞬、自分の身に何が起こったのか分からなかった。
 目に映っていた景色がグルリと縦に回ったかと思うと、全身を冷たい水の感触が襲う。
 衣留によって後ろに引き倒され、背中から泉にダイブしたのだと気付いたのは、空がやばいくらいに青いと思った後だった。

「……やったな、衣留」

「はい、やっちゃいました」

 こちらをのぞき込み、満開の花のような笑みを浮かべる衣留。
 青空を背負った彼女は、やはり店頭ディスプレイに飾りたいくらいに可愛くて綺麗だった。

「……オーケー、水浴びするか」

「え、あ、きゃあ!」

 お返しとばかりに俺は衣留の腕をつかむと、自分と同じ目にあわせるべく引き倒した。
 盛大な水しぶきが上がる。

 身体に降りかかる水の感触の合間に、バラの刺に触れてしまったかのようなチクリとした痛みを感じたが、その痛みの元になった刺がどこにあったのかまでは分からなかった。








[25396] 4日目 ~まいちるはなびら~ ③
Name: 達心◆324c5c3d ID:123c8585
Date: 2011/01/13 03:08

 4日目 ~まいちるはなびら~ ③







 ズボンどころかパンツの中までグッショリになった俺は、祠の影になったところでTシャツとズボンを脱ぐと、ギリギリと搾った。ズボンのみを再びはき直し、Tシャツはトラクターの座席に掛ける。

 毎度よろしく乾燥お願いします、と太陽にTシャツのことをお願いした俺は、レジャーシートに腰を下ろし、溶けかけのチューチューアイスをズルズルと啜った。

「しかしなんであんなに元気なんだ、衣留のやつ……」

 花柄水着の衣留は、未だにキャピキャピと水遊びに興じていた。

 ちなみに衣留の相手を務めているのはミズミカミさまだった。どこから調達したのか、スクール水着などというレア物を纏っている。ミズミカミという名前とは裏腹に水が苦手なのか、衣留に水をかけられては目をつぶっていた。

 微笑ましいといえば微笑ましいが……

「……ここでニヤニヤしてたら、確実に変態さん決定だな」

 他人の評価というのはなかなかに分からないものだ。俺としては娘と妻を見守るパパのつもりでも、他の人からは『ただの変質者』という勲章を与えられるかもしれない。しかもその勲章というのが、一度授与されたら最後、辞退も返上を出来ない勲章なのだから質が悪いとしかいいようがない。

 そういうわけで、俺はなるべく勲章を与えられないよう、衣留たちからわざとらしく目を逸らす。

 花畑の様子を見ていると、ふいに視界の端を光の玉がよぎった。


 ん? 光の玉?


「なんだ?」

 それは『燃えていない透明な人魂』という表現しか思い浮かばないものだった。ゆらゆらと揺れ動いているせいでいまいちどんな形なのか分からない。

 しばらく花畑の上を右に左に飛んでいた光の玉だったが、その後、俺の側を通り抜けると、最後は祠の中に吸い込まれていった。


「……?」


 俺は立ち上がると、祠の正面に回り込んだ。いつの間にか開いていた扉の隙間から中をのぞき込む。『のぞき魔』という勲章を貰ってしまうかもしれなかったが、最終的に好奇心に負ける。

 祠の中に祀られていたのは、ちょうどミズミカミさまと同じくらいの背丈の、どこか母性的な顔をしたお地蔵様のような石像だった。


「あ、ども……」


 お地蔵様と目があった気がして、反射的に頭を下げる。
 そこで俺は、お地蔵様の足下に置かれている賽銭箱に、次のような文字が書かれているのに気付いた。




『水子看神(みずみかみ)』




「ミズミカミ?」

「それが……わたし……」

 振り返る。
 スクール水着姿のミズミカミさまが、お地蔵様を静かに見つめていた。

「生まれてくることの出来なかった命を慰める……それが、わたし……」

「生まれてくることができなかったって……」

 それはつまり、生まれる前に死んでしまった……

「水子供養の……神様?」

「……うん、そう」


 ミズミカミさま――水子看神様は小さくうなずいた。


「わたしは……慰めることしか出来ない神さま……」

 ミズミカミさまは寂しげにそう呟くと、俺の横を通り過ぎ、祠の中に足を踏み入れた。
 目を凝らすと、薄暗い祠の隅で先ほどの光の玉が震えていた。
 ミズミカミさまは怖がらせないようにそっと光の玉に近づくと、その場で膝を付き、涙を流すように震える光の玉をやさしく撫でてあげた。

「わかってるから……」

 ミズミカミさまは呟いた。
 その横顔には、深い愛情と悲しみを見ることが出来た。

「生まれてきたかったけど、生まれてこれなかったってこと……わたしは、わかってるから……」

『…………』

 光の玉の震えが大きくなる。

 次の瞬間、パチンという音と共に光の玉がはじけたかと思うと、半透明の小さな女の子が姿を現した。
 女の子はミズミカミさまの胸にすがりつくと、大声で泣き始めた。

 生まれたことを喜ぶ産声ではなく、生まれてこられなかったことを悲しむ泣き声だった。


『生まれたかった……お母さんにギューってだっこしてほしかった……お父さんにイイコイイコってなでてほしかった……』


「わかってる……わたしは……わかってるから……」

 ミズミカミさまの目からも涙がこぼれる。
 女の子の魂を抱きしめ、女神さまは何度も何度も謝った。


「ごめんなさい……わたしは……慰めることしかできない神さまだから……なにも出来ない神さまだから……ごめんなさい……」


 悲しい涙を流す女の子二人の姿を見て、俺は心がギリギリと締め付けられるのを感じた。
 同時に、彼女たちの為に何も出来ない自分を殴り飛ばしたくなる。

 ……と、その時だった。

「とおりゃあ~~!」

 やたら気合いの入りまくった、聞き覚えのある叫び声。
 俺は振り返り、ぎょっと目をむいた。

 クーラーボックスを天高く掲げた水着娘が、火砕流のように突っ込んできた。


「邪魔です、店長!」

「ぐはっ!」

 俺をはじき飛ばした衣留は、そのまま祠の中に飛び込んだ。ミズミカミさまたちの前にクーラーボックスをドガンッ! と叩き付ける。

 突然のショック音に、目を白黒させるミズミカミさまと女の子。
 そんなことなどお構いなしに、クーラーボックスからまだ溶けていないチューチューアイスを取り出した衣留は、「ほわたぁ!」と膝蹴りでアイスを二つにへし折ると、ミズミカミさまと女の子の口にそれぞれを強引に突っ込んだ。

 むちゃくちゃだった。


「おいおい……」

 思わず冷や汗が流れる。しかしそれでも俺はまだ、衣留という少女を甘く見ていたらしい。

 容赦なく、徹底的に。
 それが星野衣留という女の子だった。


「ふん!」

 年頃の娘さんとは思えない覇気と共に、ミズミカミさまを抱え上げる衣留。
 そのまま衣留は、ミズミカミさまを俺の方に向かってラグビーボールのようにパスした。

「店長、よろしくです!」

「~~~~ッ!」

 声にならない悲鳴を上げるミズミカミさま。

「ちょ、マジか!」

 スポーンとこちらに飛んでくるミズミカミさまに向かって、俺はとっさに手を伸ばす。
 どうにか俺がミズミカミさまのキャッチに成功したのと、半透明な女の子を抱き上げた衣留が祠から飛び出してきたのは、ほとんど同時だった。


「さあ、店長! 行きますよ!」

「行くってお前……まさか……」

 衣留の視線を追った俺は、ようやく彼女が何をするつもりなのか悟る。
 衣留の瞳は、まっすぐに泉に向けられていた。


「むちゃくちゃだな……」

 しかし同時に悪くないとも思う。
 木の葉を隠すなら森の中。なら涙を誤魔化すならどこか?

 簡単だ。涙だって所詮は水なのだから。


「……グッドアイデアだ。さすがだな、衣留」

「はい、有能ですから」

 ニヤリと笑う衣留。俺たちはアイコンタクトをかわし合うと、それぞれミズミカミさまと女の子を抱えたまま走り出した。

『~~~~~~ッ!』

 目を回しながら悲鳴をあげる二人など完全に無視。

 まったく同じタイミングで大地を思い切り蹴り飛ばすと、俺と衣留の二人は泉に向かって全力でジャンプした。

 一瞬後、盛大に水しぶきをまき散らしながら着水する。
 水浸しになった上に、口にチューチューアイスを突っ込まれて何も言葉を発することが出来ないミズミカミさまたちに向かって、衣留は左手を腰に添え、高々と右手の人差し指で空を指しながらこう叫んだ。



「今日も! お洗濯日和です!」



 そこでフッと表情をゆるめる。
 包み込むような笑みを浮かべ、衣留は優しく言った。

「だからミズミカミさま、お洗濯して全部乾かしちゃいましょう。濡れたものは、まとめて乾かせばいいんです」



 ――濡れたら乾かせばいい。



 なんともシンプルで、しかしとても魅力的な提案だと俺は思った。

「ぐっど……あいであ……」

 ミズミカミさまは口をモゴモゴと動かしながら、はにかむように笑った。女の子の顔にも小さな笑みが浮かぶ。

 結論だけ言えば、今日も俺は昼寝することが出来なかった。





◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆






 クライミングを終えたお日様が、西の方へと満足げに去ってゆく。

 ミカンの橙色よりも濃くて、オレンジの橙色よりも薄い色の空が、俺たちの顔まで橙色に染めようとしていた。


「最後の……一本……」


 ミズミカミさまが掘り返した穴の中に、半透明の女の子が花の苗をそっと差し込んだ。赤ん坊に産着を着せるように、二人して根っこの周りに土をかぶせてゆく。
 最後に優しくペタペタと土を押し、二人は立ち上がった。


「わたしのぶんまで……生きてね……」

 半透明の女の子はそう言うと、くるりと俺と衣留の方に向き直った。
 その顔は、満足そうな笑顔でデコレーションされていた。

「ありがとう、お兄ちゃん、お姉ちゃん! わたし、うれしかったよ!」

「ユア・ウェルカム、です!」

「こっちこそ、手伝ってくれてありがとな」

「えへへ、どういたしまして!」

 恥ずかしそうに笑う女の子。
 しばし笑ったところで、女の子はミズミカミさまに向き直った。

 ぺこりと頭を下げる。

「神さま、ありがとう」

「ううん……結局わたしは、何も出来なかったから……」

 ミズミカミさまは目を伏せる。
 しかし女の子は満面の笑みを浮かべながら首を横に振ると、

「ちがうよ、神さま。神さまは、わたしに大切なことを思い出させてくれたんだよ」

「……大切な、こと?」

「生きてたってことだよ」

 女の子はそう言うと、ちっちゃな手をミズミカミさまに見せた。

「ほら、わたしの手、見て」

「……じぃ」

 ミズミカミさまはジ~ッと女の子の手を見る。夕日に染まった女の子の手は、まるで生きている人みたいにあったかそうだった。

「わたしはうまれてこれなかったけど、でも、やっぱり生きてたんだよ。あったかくて優しい、お母さんのお腹の中っていう揺りかごで、ずっと生きてたの。神さまがここに呼んでくれたから、わたしはそれを思い出せたんだよ」

 女の子は笑う。やさしく、眩しく。

「ねえ、神さま。神さまは、なにも出来なくなんかないんだよ。だってわたしは……わたしたちは知ってるんだもん。神さまが、ずっとわたしたちを撫でてくれていたことを。寂しくないようにって、悲しくないようにって、ずっとずっと長い間、お母さんのかわりに撫でていてくれたことを」


 女の子の声に導かれるように、どこからともなく光の玉が集まってくる。
 気がつけば泉の周りは、たくさんの光の玉であふれかえっていた。


「そうだよね、みんな?」


 光の玉は一斉に身体を揺すり、うなずいた。





 ――ありがとう、もう一人のお母さん。






「うぁ、ぁぁ……」

 ミズミカミさまの目から、熱い雫がぽろぽろと落ちる。

 半透明の女の子はそっと手を伸ばすと、ミズミカミさまの頭を撫でようとした。
 しかしその手がミズミカミさまの頭に触れることはなく、気がつけば女の子の身体は、もとの光の玉に戻っていた。

『―――』

 光の玉が、何かを告げるようにチカチカと瞬く。
 残念ながら俺たちではその声を聞くことは出来なかったが、しかし女の子の魂が「ありがとう」とか「またね」と言っていることは、何となくだが分かった。

『――――』

「……ばいばい、またね」

 頬を涙でぬらしながら、ミズミカミさまが小さく手を振る。
 俺たちの目の前で、大勢の光の玉は滲むように消えていった。

「……良い子たちでしたね、店長」

「……ああ、そうだな」


 穏やかな風が吹く中、ミズミカミさまの嗚咽だけが響く。

 俺と衣留は頷きあうと、ずっと頑張り続けてきた小さなお母さんの頭を、女の子の代わりに優しく撫でてあげた。



 日が暮れるまで、ずっと。










[25396] 5日目 ~かさなるみずおと~ ①
Name: 達心◆324c5c3d ID:d0fbb83b
Date: 2011/01/15 02:05


   5日目 ~かさなるみずおと~ ①







 あの優しくて、そして儚い魂たちの輝きを見てから、俺は『イノチ』というものの意味を考えずにはいられなくなった。

 別に哲学的なことを考えているわけではない。
 ただほんの少しだけ、自分の生きている意味というヤツがどんなものか知りたくなっただけだ。

 もっとも、そんなものが本当にあるかと問われれば、きっと俺は『ないんじゃないこともないんじゃないか?』と答えると思う。要するに、あると言えばあるし、ないと言えばない、ということだ。

 そもそも生きている意味なんて、人によって千差万別津々浦々だ。『そんな非科学的なものは存在しない』と言い張る堅物の科学者も居れば、『サボテンに聞けば分かる!』と力説する花屋の親父――死んだ俺の父さんのことだ――もいるだろう。

 結局のところそれは、『1+1は?』なんていう簡単な問題ではなく、『一郎と三郎、女の子にもてるのはどっち?』というような、ある種の理不尽なイジワル問題なのだと俺は思う。自分で適当な答えを出すしかない、答えのない問題だと。

 ちなみに俺はまだその答えを出していない。出せるだけの時間があるかどうかすら怪しい状態だ。


 世界が終わるまで――残り三日。


 ずっと晴れ渡っていた那乃夏島の空に、暗雲注意報が出始めていた。








◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇









「くもくも~、もくもく~、くももく~、もくくも~~♪」


 店の前をほうきで掃きながら、明らかにオリジナルと分かる歌を歌う衣留を、鉢植えの手入れをしていた俺は横目で眺めた。

「なあ、衣留……なんなんだ、その歌は?」

「実は作詞作曲、私なんです」

 いや、言われなくてもそれは分かる。


「今日は空が青くないな~って思いまして、そんなハートを歌にしたんですけど……どうでしたか?」

「……いや、どうと言われてもな」

 俺は手を休めると、衣留と同じように空を眺めた。

 本日の空模様は、ねずみ色の毛布をぎっしり積み重ねたかのようなくもりだった。もとは超高級羽布団のようだったはずのフワフワな雲も、ここまで重ねてしまうとゴワゴワに見える。そのせいだろうか、今日は一度もお日様が顔を出していない。

「……まあ、誰だってゴワゴワな毛布で昼寝したいとは思わないか」

「店長、何か言いました?」

「いや、なんでもない。それより掃き終わったらゴミ出しも頼むな」

「あ、はい。おまかせあれです」

 様にならない敬礼をする衣留を見送り、俺は再び鉢植えの手入れに戻る。


 那乃夏島で迎える五日目の朝は、昨日までと違ってどこか気怠いものだった。

 その原因は実にシンプルで、早い話、ゴールに定めていた目標ポイント――花畑造りのことだ――を、予想以上のスピードで通過してしまったせいだった。
それも予想の斜め上というか、少しだけ中途半端な形で。


「自分だけの最後を送って欲しい……か……」


 昨夜、ミズミカミさまが言った言葉を思い出す。

 太陽が手を振りながら西の海に沈み、空に星の瞬きが見え始めたところで、ようやく泣きやんだミズミカミさまは満足したような顔で俺たちにこう言った。

『花畑……もういいから……だからあなたたちは、自分だけの最後を送って欲しい……』

 それは寝耳に水どころか、寝耳に瞬間接着剤を流し込まれたくらい突然の言葉だった。

 これまでずっと俺は、自分の最後の時が、花畑を作りながらのものになるだろうと思っていた。確かに昨日、一つの花畑が完成したのは間違いない。しかし俺の感覚からすれば花畑一つではまだまだ『花いっぱい』とは言えず、今日から少しずつお店の花を移動させていこうと思っていたのだ。

 その矢先に鳴り響いた、予想外のゲーム終了のホイッスル。肩すかしというか燃焼不足というか、とにかくそんな感じだ。

 もちろん俺も、ミズミカミさまの気持ちが分からないわけではない。

 自分へのお供えもの、と言って花畑造りを依頼したミズミカミさまだが、本当にお供えしたかったのが誰なのかは、昨日の出来事から簡単に推理することができた。ミズミカミさまが本当に花を見せてあげたいと思ったのは、あの子供たちの魂に違いない。少しでも子供たちを慰めたいと思い、それで俺に依頼したのだ。

 だからこそ、昨日子供たちの感謝の言葉を聞いたことで、ミズミカミさまの心のシーツに染み付いていた汚れが綺麗さっぱり洗われてしまったのだろう。子供達は自分の思いを十分に分かってくれているのだと知り、肩の荷が下りたに違いない。

 しかし逆に俺の心のシーツには、黒いシミがじわじわと広がることになってしまった。


「……自分だけの最後、か」

 俺はぐるりんと首を巡らせ、店内に溢れた花たちをゆっくりと眺めた。曇のせいか、今日の花娘たちは少しだけアンニュイそうだ。

 いや、曇のせいではない。

 きっと彼女たちが気落ちしているのは、もうすぐ世界ごと自分も終わるというのに、自分を見てくれる観客が俺と衣留の二人しかいないからだった。

「…………」

 目の前に迷子で泣いている小さな子供がいて、それを見て見ぬふりしたかのような罪悪感が、俺の身体を支配しようとする。
 もの言いたげにこちらを見てくる花娘さん達から、俺は顔を背けようとした。
しかし店内はどこもかしこも一生懸命に花を咲かせる乙女たちばかりで、正直、目のやり場がない。

 唯一、咲き誇っていない乙女と言えばレジカウンターの脇に置かれたイノチノシズクだけなのだが、ではイノチノシズクを見ればいいかというと、そう言うわけではない。すでに十分な茎を伸ばし、何枚かの葉っぱまで出しているイノチノシズクも生きることに一生懸命で、やはり目を背けたくなる。

 しかし目を背けるより早く、ふと俺はあることを思い出した。

 そういやイノチノシズクって、たっぷりの光がないと育たないはずじゃなかったか?


「……この天気だとヤバイか?」

 春を待ちわびる子狐のように軒先から顔を出し、俺は空を見上げた。

 灰色のブランケットはやはりゴワゴワで、あまりにゴワゴワすぎて今にも空は泣いてしまいそうだった。

「衣留、ちょっと留守番頼んでもいいか?」

「いいですけど……どこに行くんですか、店長?」

 ゴミ出しから戻ってきた衣留に向かって、俺は空を見上げながらこう告げた。

「ちょっと太陽買いに行ってくる。すぐに戻るから」

「ほわっと?」


 首をかしげる衣留を尻目に、俺はスクーターの鍵を握りしめ、店の外に飛び出す。

 たっぷりの光は、俺の元には降り注いでくれなかった。







◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇









 リサイクルショップや雑貨屋や駄菓子屋の様なお店には、何とも言えないワクワクがあると俺は思う。宝探しのようなドキドキ感と言い換えてもいいのかもしれない。山と積まれた商品の中には、きっと自分に見付け出して貰いたがっている宝物があって、長い発掘作業の末にそいつを見付けることが出来たならば、すばらしい達成感と満足感を味わうことが出来るだろう。

 ホームセンター『ノノムラ』もまた、そんな感動体験を提供してくれる店だった。


 駐輪場にスクーターを停めた俺は、すぐさま自動ドアをくぐり、明るい店内に記念すべき第一歩を踏み入れた。
 俺がここに来たのは、ひとえにリーズナブルな太陽を購入するためだった。早い話、太陽の代わりに光を放ってくれるライトを買い求めに来たのだ。花屋ではまれにだが、なかなか背の伸びない花に対して人工光というドーピング剤を注射して、成長を促してやることがあった。

 店内に足を踏み入れた俺は、天井から吊されている商品ジャンルの札を眺め、目当ての宝物がどこに埋まっているか探しだそうとする。

 と、そこで聞き覚えのある無感動ボイスが俺の耳をノックした。


「いらっしゃいませ。良い終焉です」


 石膏型に残しておきたいくらいの御辞儀をしていたのは、予想通りというか何というか、スミレ2800さんだった。
 ……そういや、ここでバイトしてるんだったな。

「何かお探しでしょうか、皆垣草弥様?」

「あ、ああ、実は……」

 俺は電灯……それもなるべく明るい電灯を探していることを告げる。

 スミレさんは一つ頷くと、

「なるほど、つまり皆垣草弥様はこうおっしゃりたいわけですね? 君の頭上にある天使の輪の輝きに惚れた、どうか俺の心を明るく照らし出してくれ、と」

 ちょっと待て。

「……どういう連想ゲームの末にそこに行き着いたのか聞かせてくれ、マジで」

「貴方の心の内を読み取った結果です」

「かってに人の内心を捏造するな!」

「金色に輝く天使の輪は、伊達ではないのです」

 ……いや、もう意味が分からないから。

「確かにこの感覚は、天使の輪を持たない草弥様には理解しがたいのかもしれませんね」

 スミレさんはやれやれと首を横に振ると、すっと腕を上げ、人差し指でとある方向を指し示した。

「草弥様、彼女をご覧下さい」

「……?」

 スミレさんの指先から伸びる、目に見えないレーザー光線を追う。

 レーザーが行き着いたのは、レジカウンターでマネキンのように立ちつくすアンジェロイドのオネーサンだった。黄色い髪で、頭上にはスミレさん同様、やはり金色の輪っかが浮いていた。

「彼女は汎用型アンジェロイド、ルピナス1280です」

 次いでスミレさんは、ペットコーナーで子犬相手に四苦八苦している赤い髪の小柄なアンジェロイドを指さす。

「さらにむこうのペットコーナーで働いているのが軽量型アンジェロイド、ホウセンカ1050になります」

「みんな花の名前プラス数字なんだな」

 どうやらアンジェロイドの名前というのは、『花の名前+四桁の数字』というふうに決まっているらしい。
 ちなみに数字には法則性がないように感じられたが……


 いや? でもちょっと待てよ?


「……そういや、ちょうどホウセンカやルピナスの鉢植えを買うと、そのくらいの値段だな」

 スミレさんの『2800』も、ホウセンカさんやルピナスさんの『1280』や『1050』も、よくよく考えると何かの値段のように思える。

 とはいえ、俺はすぐに自分の考えに『否定』のスタンプをペタコンと押した。

 普通に考えれば、名前に値段が付いているなんてことがあるわけは……


「良くお気づきになられました」

「……は?」


 わずかに感心したようなスミレさんの顔を、俺はまじまじと見つめた。

「草弥様がおっしゃられた通りです。ワタクシたちアンジェロイドの名前の後ろについた数字は、そのアンジェロイドの値段――すなわち雇ったときの『時給』を現しているのです」

 俺は思わず口をぽかんと開けた。

「…………時給?」

「時給です」

「……マジっすか?」

「大マジです」

「いや、だってそんな……名前に値段が付いてるだなんて……」

 俺の感じた衝撃というかショックは、思いの外、大きなものだった。

 だってそうだろう。名前に本人の価値を示す数字を付けるなど、俺の感覚からすれば不謹慎極まりないものだった。一番目に生まれたから『一郎』、三番目に生まれたから『三郎』と名付けるのとは訳が違う。誰だって名前の後ろに値札を付けられたら嫌な気分を味わうだろうし、俺も自分の名前が『皆垣草弥980円(税込み)』とかだったら、間違いなく世を儚み、名を捨てて坊さんになるだろう。

「何を考えているのか、だいたい予想できますが……」

 スミレさんは複雑そうな目で俺を見つめると、

「ワタクシたちの命名法について、草弥様がどのような意見をもたれても別に構いません。しかし、これだけは申しておきましょう」

 時間給二八〇〇円という高給取りであるアンドロイド型天使さんは、フツーの人間である俺に向かってこう言った。

「草弥様たち『人間』と違い、ワタクシたちアンジェロイドは、自分の生きている意味を生まれながらに知っています。それは、とても幸福なことです」

「……生きている……意味?」

「その通りです」

 スミレさんは大仰に頷く。

「以前にも申しましたが、ワタクシたちアンジェロイドは、那乃夏島に移住された方々が最後の七日間を滞りなく生活できるようにと、七日という期限付きの命を与えられ、創り出されました。すなわちワタクシたちの存在意義は、労働ということになります」



 ――誰かの為に働く。



 自分たちアンジェロイドはその為だけに創り出され、その為だけに生き、その為だけに終わってゆくのだと、スミレさんは語った。

「もしかしたら草弥様は、与えられた『意味』しか持たないワタクシたちを、憐れな存在と思われるかもしれません。あるいは操り人形のようなものだと、儚むかもしれません。しかしワタクシたちアンジェロイドからすれば、生きる意味を自ら探さねばならない草弥様たち人間の方が、よほど大変だと思うのです」

「…………」

「そしてそう思うからこそ、ワタシは不思議に思えてなりません。生きる意味を探さねばならないというのに、なぜ草弥様はここに移住されたのですか? わずか七日で終わってしまう、那乃夏島という世界に」

 スミレさんはじっと俺を見つめ、そう尋ねる。

 ここにきて俺は、ようやくスミレさんの瞳を染めている複雑なカラーリングの正体を察知することが出来た。

 スミレさんの瞳を染めている色、それは様々な『心配』がマーブリングのように混ぜ合わさったものだった。
 天使としての性質だろうか、きっとスミレさんは本気で俺のような人間を心配しているに違いない。
 もっともその心配色を別の色に塗り替えることは、俺には出来そうになかった。

「なんでだろうな……」

 俺はスミレさんから視線をはずすと、ホームセンターの中をおもむろに見渡した。雑多極まりない商品たちが、運命の相手との出会いを夢見、無言で待ち続けている。

 いったいこの中のどれほどが、運命の相手に出会えるのか?

 そう考えた俺は、きっと多くの商品たちが運命の相手に見いだされることなく忘れ去られてゆくのだろうと思い、それは生きる意味にも当てはまることだと思った。

 何度も言うが、人の生きる意味など千差万別津々浦々だ。ホームセンターに並ぶ商品のように雑多極まりないに違いない。

 そんな中から本当に自分にとっての宝物を見つけ出すのは、とても大変なことだと俺は思った。

「……申し訳ありません、草弥様」

 無言のまま商品を眺める俺をどう思ったのか、スミレさんは無表情のまま、わずかに目を伏せた。

「差し出がましいことを申しました。天使の戯れ言とお聞き流し下さい」

「いや、別に……」

「まことに申し訳ありません」

 身体を九十度に曲げ、スミレさんは深々と頭を下げた。その姿からは、俺に対する申し訳なさがジワジワとにじみ出ている。

 しかしやはり俺では、そのシミを消すことも塗り替えることも出来なかった。

「……電灯を買いに来たんだけどさ……その……どこにあるか分かるか?」

「……こちらになります」


 スミレさんの後について、俺はホームセンターの奧へと入ってゆく。

 俺の生きる意味がその辺の棚に陳列されていないか探してみたが、やはりというか見つからなかった。






[25396] 5日目 ~かさなるみずおと~ ②
Name: 達心◆324c5c3d ID:d0fbb83b
Date: 2011/01/15 02:09

 5日目 ~かさなるみずおと~ ②





 じっと涙を堪えていた空が、ついにぽつぽつと泣き始める。

 号泣に変わる前に自宅に戻ることに成功した俺は、さっそく家中から電気スタンドをかき集めてきた。

 衣留に手伝って貰いながら合計四台のスタンドをレジカウンターに並べ立てると、ホームセンターで買ってきた蛍光灯ランプをセットする。

 スイッチ、ON。

 白々しいスポットライトが、イノチノシズクを眩いばかりに照らし出す。お前こそが今日の舞台の主役だ、と言わんばかりに。

 もっとも光を一身に浴びているはずのプリマドンナは、いつまで待っても踊り出してはくれなかった。


「お日様じゃないでちゅけど、これで我慢しまちょうねぇ~」

 スタンドの光を鉢植えに浴びせかけながら、衣留は赤ちゃん言葉でそう言った。 赤ん坊にするかのように、鉢植えの縁をツンツンと指でつつく。

「ふふ、元気元気ですね」

 そう言う衣留の顔には、慈母のような優しげな微笑が浮かんでいた。
 今更ながら、衣留の花に対する愛情はそうとうなものだと俺は思った。彼女が草花に向ける目は、どこまでも優しい。

 それはきっと花屋である俺よりもずっとずうっと優しいもので、だからこそ俺は、その優しさがあまりに眩しすぎて衣留の顔を直視することが出来なかった。

「……お前、本当に花が好きなんだな」

「もちです」

 眩しい笑み。

「そっか……」

 衣留から目を逸らしながら、俺は所在なげに視線をさまよわせる。

 そこでふと衣留が思い出したかのように、

「そういえば店長? 聞こう聞こうと思いながらスルーして来ちゃったんですけど……」

 あっけらかんとした声だったが、しかし俺は、その声の奧に今の大気のようなじっとりとした気配があるように感じた。

「店長がずっと気にしてるこの花、結局、なんなんですか?」

「…………」

 一瞬、言葉に詰まる。
 二回ほど瞬きした後、俺はなるべくカラッとした声になるように気をつけながら、

「そんなに気にしてたか、俺?」

「はい、世界が嫉妬するくらいでしたよ」

「そ、そうか?」

「そうです。だいたい店長、日に何度もこの鉢植えをチェックしてたじゃないですか。それで気にしてないって思う方が無理ですよ」

「……まあ、それもそうだな」

 乾いた声で俺は笑った。

「それで店長、この花、なんなんですか?」

 首をかしげながら再び尋ねる衣留。

 俺はわずかに言いあぐねた後、浮気が見つかった亭主のように覚悟を決め、言った。


「イノチノシズクだ」


「イノチノシズク?」

 衣留は別の方向に首をかしげた。わざとらしく腕を組み、眉をひそめる。

「むむ、おかしいですね。有能な私のデータファイルにインプットされていない花があるだなんて」

「俺もよく知らないんだが、なんでも図鑑にも載ってないレアな花らしいぞ。ぶっちゃけ、俺も見たことがない」

「え? 店長もないんですか?」

「ああ、死んだ父さんたちの話だと、『世界で一番綺麗な花』らしいんだが」

「世界で一番綺麗な花……」

 衣留がわずかに顔をうつむけた。まるで噴火直前の富士山のように沈黙する。

 カウントダウン開始…………5、4、3、2、1……



 ゼロ。噴火。



「ほわっっっちゃぁぁ、ねぇぇむっ!」


 衣留、絶叫。

 くわっと目を見開き、腹の奧からシャウトする。

 ちなみに注意深くリスニングすると、シャウトの内容は『What’s your nameあなたの名前は何ですか?』だった。

 ……誰に名前を聞いてるんだ、お前は?


「店長店長店長! 世界で一番って本当ですかいつ咲くんですか早く答えてくださいこの甲斐性無しっていうか咲かせてみようホトトギス!」

「……落ち着け。あとさりげに甲斐性無しとか言うな」

「大事の前の小事です!」

 俺の言葉などお構いなしに衣留はオーバーヒート。
 電気スタンドをビシビシ指さしながら、

「あれですね、光があればいいんですね! 分かりました、まかせてください! ルンランリンレン三代目店長であるこの私が、太陽の代わりに懐中電灯でサンサンと照らし出してやります!」

「……お前は俺の店を乗っ取るつもりか」

 思わず脱力する。つっこみ疲れだった。
 まったく。

「オーケー、好きに頑張ってくれ。応援してるから」

「おまかせあれ、です!」

 家中の懐中電灯をかき集めるため、家の奧に走ってゆく衣留。

「……お前ならきっと、俺より良い花屋になれるな」

 衣留の背中に向けられた呟きは、割と本音だった。








◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇









 俺の店舗兼自宅は、商店街に面しているショップ部分を除けば、ごくごくフツーの一軒家だった。一人だと広く、二人でもまだ少し広く、三人だとちょうど良いくらいの大きさだ。一階に店舗とキッチンとリビングがあり、二階に俺や両親の部屋――ちなみに両親の部屋は現在、衣留が使っている――がある。裏庭に面したリビングからは温室や庭の花壇などがよく見え、一年中お花見を楽しむことが出来た。

 ……もっとも今は、夜の帳と降りしきる雨のせいで全てが霞んでしまっていたが。

 夕食後のひととき。死んだ母さんが買いだめしていたハーブティーを入れながら、俺はリビングを眺めていた。

 厳密にはリビングではなく、リビングの中央にあるテーブルの上だ。

 そこには店舗から強制的に引っ越しさせられたイノチノシズクの鉢植えと、省エネ電球の付けられた電気スタンドがあり、さらにそのすぐ脇には、飽きずに懐中電灯でイノチノシズクを照らし続ける衣留の姿があった。

 ちなみに衣留は、昼ご飯を食べた後からずっとあの調子だった。

 よく飽きないというか、何というか……


「まあ、それだけ楽しみにしてるって事か」


 世界で一番綺麗だという花――イノチノシズク。

 もちろん、そう言う俺だって楽しみにしているのは間違いない。

 しかし俺の心に落ちた黒いシミは、いっこうに薄まる気配がなかった。


「……気にしても仕方がないか」

 俺は蒸らし終えたハーブティーを、ちぐはぐな二つのカップに注ぎ入れた。片方が花柄のティーカップなのに対し、もう片方は厚手のマグカップだ。四日前までは花柄のティーカップが二つあったのだが、二日目に衣留が洗い物をした際に、ティーカップ殿は見事に玉砕なさった。

 ちなみに余談だが、それ以降、衣留にはキッチンへの出入り禁止令を出してある。解除することはこの先もなかろう。

 お茶を出し切った俺は、ポットを流しに持ってゆき、三角コーナーの上でひっくり返した。ばふこん、と茶色いお茶の出がらしがまとまって落っこちる。



 ――まるで儚く散る落ち葉のように。



 おもわず俺の動きがぴたりと止まる。

 それはきっと必然だった。

 三角コーナーの網に引っかかった枯れ葉たちを見た瞬間、俺の胸にチクリとした痛みが走った。足下から何かがゾンビのように這い上がってくる。

 そのゾンビの名前が『恐怖』だと分かるまで、お茶の蒸らし時間すらかからなかった。

 俺の妄想スクリーンに、あるワンシーンが映し出される。

 銀幕の中にいたのは、悲しい顔をした衣留と俺だった。さらに俺たちの目の前には、萌え尽き、しおれたイノチノシズクがあった。

 俺は不意に悟る。



 ――例え世界で一番綺麗と言われる花でも、枯れ果てた姿はみすぼらしく、悲しい。



 そのことを悟った次の瞬間には、俺の足は自然とリビングに向かっていた。


「あ、店長!」

 俺に気付いた衣留が、頬を上気させながら振り返る。

「見てください、これ! ほら、つぼみです! つぼみ!」

 懐中電灯をぶんぶんと振り回しながら、衣留は俺に鉢植えを見るように言った。

 俺は無言で鉢植えをのぞき込む。

 いつのまにか、ニョキニョキのびていた茎の先端に、花のつぼみらしきふくらみが出来ていた。

「さすがは私ですよね!」

 衣留は「えっへん、どうだ!」と胸を張りながら、

「これはもう初志貫徹突貫工事! 私、徹夜で光を当てまくりますから! そうすればきっと、明日には花が…………」

 そこで衣留は言葉を切った。

「…………店長?」


 興奮から一転、怪訝そうに俺を見る。

 俺の手が、電灯のスイッチをOFFにしていた。


「あれ、なんで消しちゃうんですか、店長? もうすぐ咲きそうなのに」

 そんなことは俺も分かっている。

 俺が気にしてること、それは……


「店長?」

「……なあ、衣留」


 俺の口からあふれ出した言葉は、まるで去ってゆく親にすがりつく子供のような声だった。

「お前、このイノチノシズクがどれだけの時間、花を付けてられるか知ってるか?」

「いえ……」

 衣留は首を横に振った。

「し、知らないですけど……」

「一日なんだよ」

 そう、イノチノシズクはたったの一日しか咲いていることが出来ない。

 しかも花を付けた翌日には萌え尽き、みすぼらしく枯れてしまう。


「この花はな、咲いて一日で枯れるんだよ……もし明日咲いたとしたら、明後日には枯れちまうんだ……」

「店長……」

「なあ、衣留は見たいのか? 世界で一番綺麗っていう花が、みすぼらしく枯れるのを。それも世界が終わる最後の日に……」

「…………」

「俺は……見たくない……」


 俺は衣留の手から静かに懐中電灯を取り上げると、そのスイッチもOFFにした。

 今まで周りを明るく照らしていた人工太陽が消え、リビングがわずかに薄暗くなる。



 ……いや、光が消えたのは懐中電灯ばかりではない。



 一分か、十分か。

 突如、衣留が無言で立ち上がった。

 踵を返すと、無言のままスタスタとドアの方に歩いてゆく。


 ドアの前まで来たところで、衣留はぴたりと動きを止めた。

「……もう、寝ます」

 その声があまりにも平坦で、俺は最初、衣留が感情を押し殺さねばならないほどに激怒しているのだと思った。

 しかし五秒後、そうではないことを俺は知ることになった。


「店長……」


 衣留が肩越しに振り返る。
 その顔を見て、俺は思わず息をのんだ。

 衣留の顔には、何もなかった。

 笑みも、怒りも、悲しみも、寂しさも……本当になにも無いのだ。ついさっきまで太陽のように輝いていたはずの瞳も、今はガランドウだった。

「そうですよね……」

 ゾッとするような抑揚のない声で、衣留は呟いた。

「誰も……枯れた花なんて見たくありませんよね……」

「い、衣留……?」

「忘れちゃってましたよ……私……」


 くすり、と衣留は笑った。

 とても笑顔とは呼べない笑みだった。



「……おやすみなさい、店長」



 ばたん、とドアの閉まる音と共に、衣留の姿が見えなくなる。

 ざあざあという雨音が、さきほどよりも強くなったように俺は感じた。











[25396] 6日目 ~さきゆくつぼみ~ ①
Name: 達心◆324c5c3d ID:ac75e696
Date: 2011/01/15 23:00
   6日目 ~さきゆくつぼみ~ ①





 ――もし時間が巻き戻せるとしたら。



 それはきっとたくさんの人が、一年で三回くらいは思わず考えてしまう事だと俺は思う。誰だってやり直したい過去というものはあるだろうし、俺だって殴り飛ばしたい昔の自分というのが七人くらいは存在している。

 もっとも本当に時間が巻き戻せるかといえば、出来るはずはない。


 時間の流れというのは絶対だと俺は思う。

 例えば時間を司る巨大な時計があり、力自慢の神さまたちが総出で長身と短針を動かそうとしても、きっと時計の針はビクともしないに違いない。例えどんな結末が待っていようと、時計はチクタクチクタクと規則正しく時を刻み、終焉にむかって一心不乱に針を進ませてゆく。

 世界の終わりまで、もうすぐだった。







◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇







 那乃夏島で迎える六日目の朝は、これまでで最悪の朝だった。

 なぜかというと理由は簡単で、一睡も出来なかったからだ。


「…………一分も寝れなかったな」


 ベッドの上で上体を起こし、俺はぼんやりと壁のシミを数えた。ざあざあという壊れたテレビのノイズ音のような雨音が今も続いている。一夜明けたというのに、どうやら雨は未だ飽きずに降っているらしかった。

 二度も言う必要はないが、とにかく昨日の俺の睡眠時間はゼロだった。要するに徹夜というやつで、しかも徹夜したくてしたわけではなく、寝たいと思っても気になることがあって寝られないという、一番最悪のパターンの徹夜だった。

 ちなみに気になることというのは、当然、衣留のことである。

 一晩経った今でも、衣留のガランドウの瞳が俺の瞼の裏にキッチリと焼き付いていた。


「……なんか地雷を踏んだんだろうな」

 もしかしたら地雷ではなく時限爆弾かもしれないが、とにかく俺の行動もしくは言動が、衣留の中にあった起爆スイッチを押したのは間違いないだろう。
 もっとも、そのスイッチがなんなのかまでは分からなかった。昨夜のやりとりも思い出してみても、特に地雷原と思われるポイントはなかったと思うのだが……

 まあ、とはいえ。

「どっちにしろ、謝った方が良いよな……」

 あえて口に出して確認する。原因がどこにあるかはさておき、少なくともイノチノシズクを咲かせようと奮闘していた衣留の好意を、俺が踏みにじってしまったのは間違いないのだ。俺から謝るのが筋だろうし、第一、世界は明日で終わりを迎えるのだ。気になる女の子とケンカした状態でエンディングテーマ&スタッフロールなんかが流れ出したら、それこそバッドエンドもいいところだろう。


 今更ながら言うが、俺は衣留のことが気になっていた。

 はっきり言えば――もっとも衣留に面と向かってはっきり言える自信はいまいちないが――俺は、星野衣留という女の子を好きになっていた。ライクとラブの違いなんてアサガオとユウガオの違い以上に分からない俺だが、日本語で言う『好き』という感情を衣留に抱いているのは間違いないし、衣留には世界が終わるその時まで、花屋『ルンランリンレン』の店員用エプロンを着ていて欲しいとも思う。

 ちなみにその結論を出すまで一晩もかかったのは俺としても情けないというか女々しいというか……いやまあ、結論が出ただけ良しとするか。サボテンに相談しなかった分、まだマシと言うことにしておこう。

 そうと決まれば迷いはなかった。現在時刻は不明だが、そろそろ衣留も起きていることだろう。起きていなければ起こすまでだ。

 ……いや、別に衣留の寝顔とかサービスカットを期待してる訳じゃないからな。


「行くか」

 忍者のような足取りで自室を出た俺は、衣留が使っている両親の部屋にやって来た。

ノック、ノック、ノック。

「衣留?」


 返事はない。
 思わずサービスシーンに期待を寄せそうになるが、ここは自重する。

「衣留、起きてるか? 入るぞ?」

 俺はそろそろとドアを開け、中をのぞき込んだ。床に敷かれた布団の端を目にし、思わずゴクリと喉を鳴らす。

 部屋は無人だった。


「どうせそんなオチだろうと思ったよ……」


 どうやら衣留はすでに起きているらしかった。
 俺は心持ち肩を落としながら両親の部屋を後にすると、店舗の方に向かった。衣留が早起きしている時は、大抵、お店の花の水やりをしているからだ。

 おそらく今日も楽しげな鼻歌を歌いながら、よく働くメイドさんのようにくるくると水やりをしてるに違いない。そう思った俺は、衣留の仕事の邪魔をしないように、そして衣留の笑顔をじっくりと観察するべく、そっと自宅と店舗を繋ぐドアを開いた。

 そのオチを予想することは、絶対に出来なかった。



「……なっ!」



 店舗内をのぞき込み、俺は目玉が飛び出るほどに目を見開いた。

 床にぶちまけられ、ふみ潰された――花、花、花。

 昨日までステージの上でヒロイン役を張っていた花娘達の無惨な姿が、そこにあった。


「嘘だろ……おい……誰がこんな……」

 よろよろとした足取りで、俺は花たちの無惨な姿を見て回った。

 全滅だった。


「まさか……」


 確信に近い予感を感じ、俺は店の外に飛び出した。降りしきる雨が、目に映る風景をノイズだらけにしている。すぐに身体はびしょぬれになったが、そんなことを気にしている場合ではない。

 店の横を駆け抜け、裏庭に向かう。

 花壇の花も、温室の中の花も、全て踏みにじられていた。


「ちくしょう……誰が……」

 怒りと悲しみが、俺の中の黒いシミをどんどん広げてゆく。

 そのシミがキャンパス全部を真っ黒にしようとしたところで、ふと俺は地面にあるものが落ちているのに気付いた。


 温室に付けておいたダイアル錠だ。しかも――


「……鍵が……開いてる?」


 泥まみれになった鍵を拾い上げると、四桁のパスナンバーはしっかりと揃っていた。

「そんな……」

 俺は思わず愕然とした。父さんと母さんが死んだ今、このダイアル錠のパスナンバーを知っているのは二人しかいない。


 俺と、そして――衣留。


「衣留が……これをやったっていうのか……?」


 その時、突如俺に降り注いでいた雨がぴたりと止んだ。

 いや、雨が止んだのではない。

 真上を見上げると、ピンク色のクジラが俺を悲しげに見下ろしていた。


「ルゥちゃん?」

「るぅ……」

 雨とは別のしずくが、ルゥちゃんの大きくてつぶらな瞳から流れ落ちる。

 ルゥちゃんはしばらく俺を見つめた後、クルリと反転し、「るぅ!」と一声鳴いた。


「もしかして、ついてこいってことか?」

「るるぅ!」

 巨大な身体を前後に揺らし、ルゥちゃんは頷く。

 俺は即座に店の前に停めてあったスクーターに飛び乗ると、ノーヘルのままピンククジラの後を追った。





◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇








 水たまりやマンホールで何度もスリップしながら俺がたどり着いた場所は、優しい女神さまの住処である星見山の頂上だった。

 俺が星見山のてっぺんに登頂成功した時、小柄な女神さまは花畑の側で立ちつくしていた。どれほどの時間そこに立っていたのか、ミズミカミさまの全身はびしょぬれで、巫女服はおろか髪の毛さえも絞れそうだった。

「ミズミカミさま……」

 嫌な予感をひしひしと感じながら、俺はミズミカミさまに駆け寄った。

 やはりというか、花畑の花娘たちはことごとく踏みつぶされていた。


 まさかこれも衣留がやったっていうのか?


「そう……」

 ミズミカミさまが小さく頷いた。うつむいている為に、ミズミカミさまがどんな表情をしているのか分からない。しかし頬を流れる雨は、たぶん少しだけ塩辛いのではないかと思った。

「彼女が……これをやった……」

 ミズミカミさまという証人によって、犯人が誰であるかが決定する。

 しかし俺は、それをすぐには信じることが出来なかった。

「なんで衣留が……」

 走馬燈のように思い出されるのは、心底嬉しそうに花の世話をする衣留だった。 彼女の花に対する愛情の深さは、俺が一番よく知っているつもりだ。
 そんな衣留が、花を踏みつぶすだなんて。


「嫌いだから……殺すわけじゃない……」

 ふとミズミカミさまが呟いた。

「わたしは知ってる……人と人とが戦ってるからって、生まれてきても悲しい思いをするからって、泣きながらお腹の中の命を殺したお母さんのことを。食べ物が少ないからって、もし生まれたらお母さんやお父さんが苦しい思いをするからって、生まれる前に自分で自分を殺した子がいたことを……わたしは、それを知ってる……」

「ミズミカミさま……」

「そしてわたしは知ってる……泣きながら花を踏みつぶした女の子のことを……」


 ミズミカミさまは顔を上げ、空を仰いだ。

 みんなが泣いていた。

 空も、ルゥちゃんも、ミズミカミさまも、きっとどこかにいるであろう衣留も……みんなが悲しげに泣いていた。


 俺は思う。

 涙を止めてやりたい。人間である俺ではこの雨を止めることは出来ないけれど、せめて涙くらいは止めてやりたい。


 大切な女の子の涙くらい。


「……衣留」

 俺は踵を返そうとした。この空の下のどこかで泣いているであろう、衣留を探すために。
 しかし俺が駆け出すよりも早く、ミズミカミさまの声が俺の動きを止めた。

「違う……彼女は……この世界にはいない……」

「え?」

「彼女は……もう、那乃夏島にはいない……」

「那乃夏島には……いない?」

 どういうことだ?

「いったい衣留はどこにいるっていうんだ?」

「……」

 ミズミカミさまはわずかに沈黙した後、こう言った。



「元の世界」



 一瞬、俺は自分の耳が壊れたのかと思った。

 ミズミカミさまの言葉が上手く理解できない。


「元の……世界……?」

「そう。七日じゃあ終わらない、でも一年で終わる世界……もともと貴方たちが住んでいた、意地悪な神様が居る世界……彼女は今そこにいる」

 ミズミカミさまはゆっくりと星水見の鏡泉に歩み寄ると、水辺でしゃがみ込み、水の中にそっと手を差し入れた。水面がわずかに波打ったかと思った次の瞬間、水の中にいくつもの小さな光が現れる。
 それはまるで、泉の中にもう一つの星空があるかのような光景だった。

「やっぱり……」

 ミズミカミさまは星たちをじっと見つめながら、

「しんじること、たかみの星が、元の世界に戻ってる……それも光がすごく弱い……」

「ど、どういうことなんだ? それよりも、元の世界に戻ることなんて出来るのか?」

「出来る出来ないは関係ない……」

 ミズミカミさまは肩越しに振り返ると、

「願えば叶う。それが世界のフツーだから」

「願えば叶う……」

 ふと俺の耳に、かつての衣留の言葉が空耳となって響いてきた。


 ――願えば叶うんですよ、それがフツーです。


 それじゃあ、つまり……

「衣留が願ったってことか? 元の世界に戻りたいって?」

「願ったのか、思い浮かべたのかは、わたしじゃあわからない……もしかしたら、意地悪な神様が連れて行ったのかもしれないけど、それもわからない……」

 ミズミカミさまは再び水面をじっと見つめながら、

「わたしに分かるのは二つだけ……彼女の星が向こうの世界に居ることと、光がすごく弱っていること……それだけ……」

「…………」

 正直、ミズミカミさまの説明はあまりに抽象的すぎてよく分からなかった。

 それでも理解できたことはある。

 衣留が俺の側にいない。それだけははっきりしていた。


「あなたも……戻りたい?」


 ミズミカミさまは立ち上がると、身体ごと俺の方を向いた。
 俺を見据え、尋ねる。

「明日で終わるこの世界じゃなくて……もう少しだけ長く生きられる元の世界に、戻りたいと思う?」

「それは……」

 俺は言葉を詰まらせた。

「……正直、考えた事もなかったな」

 というより考えようとしなかった、と言った方が良いだろうか。

 そもそも俺は、心の底から那乃夏島に移住したいと思っていたわけではなかった。『AかBか?』というどっちかしか選べない二択を神様から突きつけられ、なんとなくBを選んだにすぎない。

「別に……それがいけないわけじゃない……」

 ミズミカミさまは小さな子供に言い聞かせるように、

「終わりは、変えられない……それはたった一つに決まっていることだから……でも逆に言えば……たった一つに決まっているのは、それだけだから……」

「一つに、決まってること?」

「そう、終わりは決まってる……でもどんな終わりにするかは、全然決まってない……だから……」

 女神さまは言った。

「選べばいい……自分の終わりを、どんな終わりにしたいのか……」

「自分の、終わり……」

 小難しいことを全て忘れ、俺はなんとなく考えた。


 ――自分の終わりを、どんな終わりにしたいのか?


 その答えは、なんとなく置いてあった。何気なく手を伸ばせば、すぐに届くくらいに近くに。


「ばいばい……またね……」


 ミズミカミさまのそんな声が聞こえたかと思った次の瞬間、泉の中で瞬いていた星たちがフラッシュのような光を放つ。





 そして気がついたときには、俺は自宅の花屋の前に居た。









[25396] 6日目 ~さきゆくつぼみ~ ②
Name: 達心◆324c5c3d ID:ac75e696
Date: 2011/01/15 23:09



   6日目 ~さきゆくつぼみ~ ②









 雨に打たれながら、俺は呆然と立ちつくしていた。

「ここは……」

 俺は一瞬、自分がどこに居るのか分からなかった。目の前にあるのは自宅である花屋『ルンランリンレン』なのだが、店舗の中に花が一つも無かったり、両隣が空き家になっていたりと、細部が異なっていた。

「元の世界に戻ってきたのか?」

 俺は持っていた鍵を使い、店舗の中に足を踏み入れた。レジカウンターの脇に真っ赤なエプロンが忘れ去られたように置かれている。エプロンは一着だけで、そこに衣留の存在の残り香を見付けることは出来なかった。

「全部夢だったとか……そんなオチじゃないよな……」

 そこでふと俺は、陳列棚に一つだけぽつんと置かれている鉢を見付けた。

 イノチノシズクの鉢植えだった。

 どうやら、夢オチじゃあないみたいだな……。


「なんつーか……」

 俺は苦笑い。

「なんでお前がここにいるかは気にしちゃダメなんだろうな」

 イノチノシズクのつぼみを指先でチョイチョイと突く。

 ふらりんふらりんと揺れる花小娘は、まるで俺にこう言っているようだった。

『早くママを捜してこないと「メッ!」だからね!』

 オーケー。ここまで言われて動かないんじゃ、男が廃るってもんだな。


「わかったよ」


 俺はイノチノシズクの鉢植えを抱え上げると、衣留を探すべく店を飛び出した。

 店の前にはいつものスクーターがあったが、さすがに鉢植えを抱えたままでは乗れないのでノーサンキューして、自分の足で走りだす。

 目指すは――



 はて? どこだ?



「……しまった、衣留の居場所がわからん」



 いきなり躓いた。






◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇






 訳の分からない鉢植えを抱え、必死な様子で女の子を捜すズブ濡れ男を見たら、フツーの人間はどうするだろうか?


 正解は――避けるに決まっていた。


「あの、すいません! このくらいの髪の女の子をなんですけど……」

「うるさいな、急いでるんだ」

「あ、ちょっと……」

 また一人、有力な情報を持っているかもしれない人が去ってゆく。

 聞き込みを初めて一時間。まさかまともに話を聞いてくれる人すら居ないとは思わなかった。

「マッチ売りの少女の気分だな……」

 一旦ルンランリンレンに戻ってきた俺は、軒先のベンチに腰を下ろすと、魂が出てしまいそうなくらい深くため息を吐いた。凍死しそうな季節ではないが、俺の心はすでに半分ほどシャーベット状になっている。

 元の世界に戻ってきた俺が最初に感じたのは、世界があまりにも普通に動いているということだった。疲れたサラリーマンのオジサンの服の皺も、面倒くさそうに学校に向かう学生のスニーカーの汚れも、子供の手を強引に引きながら買い物をするオバサマの化粧の厚さも、すべてがあまりにも普通で、だから俺はこう思わずにはいられなかった。


 あと一年で世界が終わるというのに、皆、そんなことでいいのだろうか、と。


 確かにこの世界にいれば、那乃夏島にいるより五十倍以上長生きできるのは間違いないだろう。しかしそれでも、世界が終わることにかわりはないのだ。

 なのに、この世界の人たちは、いつもと変わらぬつまらなそうな生活を続けている。
 そのことがあまりに不思議で、気がついたときには俺は、その疑問をため息と一緒に吐き出していた。

「……みんな、世界が終わることに気付いてないのか?」

「きっとみんな、忘れてしまっているのデースよ」

 不意に響く声。

「花を買いたいのですが、ありマースか?」

「あ、すいません。いま休業中……で……」

 俺は顔を上げ、思わず目を見開いた。


 すぐ目の前に立っていたのは……ニューマンさん!


「ど、どうしてニューマンさんまで那乃夏島からこっちに戻ってきてるんですか!」

 思わずニューマンさん――ニューヨーク太郎マンハッタン次郎さんに詰め寄る。

 しかし当のニューマンさんはと言うと、首をかしげながら、

「ボク、貴方に会ったことありマーシたか?」

「何言ってるんですか! 暗黒の木曜日で……」


 そこで俺は言葉を詰まらせた。

 ニューマンさんの姿に違和感があった。金髪碧眼の容姿は確かにニューマンさんなのだが、なんというかこう、芸能人のそっくりさんを見たときのようなしまりの悪さがあった。ニューマンさんの服装が黒い喪服であることが、さらに違和感を助長させる。

「あの、ニューマン……ニューヨーク太郎マンハッタン次郎さんですよね?」

 俺の問いに、ニューマンさんは驚きの声を上げながらも、しかし首を横に振った。

「OH! いいえ、違いマース。ニューヨーク太郎は確かにかつてのボクの名前ですが、マンハッタン次郎はボクの名前じゃありまセーン」

 ……なに? どういうことだ?



「マンハッタン次郎は、死んだ双子の弟の名前なのデース」



「……死んだ……双子の弟?」

「そうデース」

 寂しげな微笑を浮かべるニューヨーク太郎さん。

 しかし俺はそれどころではなかった。

「死んだ弟って……だって……」

 頭の中で色々なことがツイストし、ぐちゃぐちゃになっている。

 そんな俺をどう思ったのか、ニューヨーク太郎さんは「ふむ……」と顎に手を添えると、

「どうやら、実物を見せた方が早そうデースね」

 カモン・ボーイ、というネイティブな発音と共に俺を手招く。

 オーバーヒート気味の頭を雨で冷ましながら、俺はニューマンさんの後を、ハーメルンの笛に操られたネズミのようについて行った。








◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇








 まるで大都市のミニチュア模型を見てるみたいだな……。

 頭の片隅でそんなことを考えながら、俺は目の前にあるお墓を呆然と見つめていた。
 ニューマンさんに連れてこられたのは、薬品臭いお城の横の、こぢんまりとした教会の脇にある、質素な墓地だった。整備された墓地で、乱立した墓石の合間を規則正しく通路が走った様は、まさに都市圏の縮図のようだった。

 もっとも、石のビルディングに住んでいるのはもう動かない人ばかりだが。


 俺は石版状の墓碑に刻まれた文字を、かみしめるように読み上げた。


「マンハッタン次郎……本名、リチャード・ニューマン……永久に眠る……」

「ちょうど一年前デーシたよ。肺ガンで……アッという間デーシた」


 ニューマンさん――ちなみに本名はアルフレッド・ニューマンというらしい――によれば、アルフレッドさんとリチャードさんは、四年前に演歌歌手として来日したとのことだった。双子であるという強みを生かした息のあった歌で、始めはそれなりに人気があったらしい。

 しかし人気は間もなくダウンバースト。

 それでも二人は歌手を続けようとしたらしいが、しかしその矢先、弟であるマンハッタン次郎さんが急死してしまったのだと、元演歌歌手のニューヨーク太郎さんは語った。



「ボクの弟は、本当に歌が大好きデーシた。歌は誰かを元気づけるのだと、歌のない世界など摩天楼のないマンハッタンだと言って、売れなくなった後も歌い続けようとしマーシタ。でも、それは叶わなかったデース」

 もちろんニューヨーク太郎さんも、始めはマンハッタン次郎さんの意志を継ぎ、歌い続けようとしたらしい。

 しかし大切な弟を失った悲しみは、ニューヨーク太郎さんか歌う気力を奪ってしまったのだった。

「ボクはあの日から『ニューヨーク太郎』という名前を封印したのデース」

「マンハッタン次郎さんのことを思い出すからですか?」

「……いえすデース」

 ニューマンさんは頷く。
 その横顔を彩っていたのは弟を失った悲しみと、弟の意志を継いであげられない自分へのやるせない怒りだった。

「Sorry, my brother…」

 すまないと謝りながら、ニューマンさんはもっていた紙袋をお墓の前に置いた。

「あの、それは?」

「特製バーガーデースよ。弟の好物だったデース」

「……あ」

 俺の脳裏に、あの三十センチはあろうかという超高層バーガーの雄々しい姿が蘇る。
 それと同時に親指をビシリと上げ、誇らしげにウインクするニューヨーク太郎マンハッタン次郎さんの顔が思い浮かんだ。

 どうやらあの人も、ミズミカミさまやルゥちゃんや時々丸のような、不思議の国の住人だったらしい。

 幽霊にせよオバケにせよ、死んだ割にむやみやたらと明るい人だったと俺は思った。


「……いや、違うな」


 俺はすぐさま自分の考えを真っ向から否定した。「死んだ割に」と言ったが、それは差別的な言葉ではないかと考えたからだ。

 幽霊やオバケはマイナスなイメージが持たれているが、別に明るい太陽みたいな死んだ人がいたっていいではないかと俺は思う。

 いや、そもそも『死んでいる』という考え方自体が間違っているのだ。

 どんな物語にも最後のページがあるように、誰であろうと、どんな世界だろうと、終焉はいつか必ずやってくる。

 終わりというのは、別に特別なことではないのだ。



 ――みんな生きて、みんな終わる。



 それが普通であり、だからこそ俺は、マンハッタン次郎さんに対して『死んでいる』という言葉を使ったことを心の中で取り消した。


「あの、信じられないような話かもしれませんが……」

 俺はニューマンさんに、那乃夏島で出会った喫茶店のオーナー――もう一人のニューマンさん――の事を話した。

 始めはうさんくさそうな表情で俺の聞いていたニューマンさんだったが、話が進むにつれ徐々に真剣になり、最後には大声で笑い出した。

「HAHAHA! さすがは弟デースね!」

 腹を抱え、爆笑するニューマンさん。笑い過ぎたためだろうか、その目尻には涙が浮かんでいた。

「やられたデース! ニューヨーク太郎マンハッタン次郎とは……そういうことデースか!」

「そういうことって、どういうことですか?」

「弟はきっと、ボクの名前を乗っ取る気なのデース! 間違いありまセーン!」


 乗っ取るといったニューマンさんだが、しかし彼自身、そんな風に思っていないことは確実だった。

 たぶんだが、ニューマンさんは気付いたのだろう。マンハッタン次郎さんが、どうしてニューヨーク太郎マンハッタン次郎と名乗っていたのかを。

 きっと弟さんは守っていたのだ。お兄さんが封印してしまった『ニューヨーク太郎』という名前を、お兄さんがもう一度前を向くその時まで、自分という思い出の中で大切に守っていたのだ。

 しかしどうやら、それも終わりらしかった。



 ひとしきり笑った後、ニューヨーク太郎さんは優しげに墓石を撫でた。

「返してもらうデースよ。ニューヨーク太郎は、ボクだけの名前デース」

 その声は、間違いなく前に向かって突き進むであろう声だった。

 俺は分かっていながらも、あえて聞いた。

「また、歌うんですか?」

「そうデースね……」

 ニューヨーク太郎さんはわずかに考え込んだ後、ニカッと笑いながら、

「摩天楼バーガーを売り歩きながら、世界中で歌うというのはどうデースかね? 世界が終わる、その時までデース」

「グッドだと思います」


 俺は親指を上げた。

 ニューヨーク太郎さんも同じようにサムズアップする。




 しばらく笑っていた俺たちだったが、ふとそこで、ニューヨーク太郎さんは思い出したかのように、

「そういえばボーイは、誰かを捜していると言いましたね?」

「あ、はい」

 衣留の見た目や名前や雰囲気などを、ジェスチャーを交えて説明する。

「ふむ……髪の長い女の子デースか……」

「なにか知ってるんですか?」

「前に、そんな感じのお嬢さんを見たことがあるのデース……確かあれは弟が入院していたときだから……」


 ニューヨーク太郎さんはおもむろに首をグルリと回し、視線をある方向に向けた。

 その先にあったのは……病院?


「そういえば……」


 様々な情報たちが、サンマの大群のように俺に押し寄せてくる。

 垂らしていた釣り針にかかったのは、那乃夏島での初日の出来事だった。


「病院か!」

 初めて衣留と出会った記念場所。花束の配達を依頼されたお届け先。

 聖クレナンド病院。


「俺、行きます!」

 イノチノシズクの鉢植えを抱え、俺はダッシュした。



「God Bless you!」



 ニューヨーク太郎さんの祈りの声に背中を押してもらいながら、俺は走った。







◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇








「はぁ、はぁ……」

 胸が引きつり、息が上がる。

 足りない酸素を脳みそに気合いで送り込みながら、俺は様々な事を考えていた。



 ――なぜ俺が枯れた花を見たくないと言った時、衣留はあんな瞳をしたのか?

 ――なぜ始めの日に、衣留は俺に花束を注文したのか?

 ――そもそもどうして衣留は、病院にいたのか?

 ――そしてなぜ、俺はこうまでして走っているのか?



 それら全部の答えが、春になってニョキニョキ出てきた草木の新芽のように、ようやく顔を覗かせ始めていた。


 廊下は走らないでください! というナースのオバサンの声を聞き流し、俺はツルツルした廊下をひた走った。記憶力に定評のない俺だが、珍しいことに配達先だけはしっかりと覚えていた。


 三〇三号室。衣留と出会った場所。

 あった!


「よし!」

 部屋にかかった入院患者のネームプレートを見て、俺はガッツポーズをした。



『星野衣留』



 間違いない。ここだ。

 もどかしげに引き戸を開け、わずかな隙間に身体をギュウギュウと押し込む。

 転がり込むように俺が入ったのは、殺風景な病室だった。どれほどハードボイルドに憧れている人でも、こんなに生活感の無い部屋はゴメンこうむるに違いない。八畳ほどの室内は真っ白で、そして薄暗い。室内にあるものと言えば、ごちゃごちゃとした機械と、とてもゲームには使えなさそうな液晶モニター、そしてパイプベッドだった。

 ちなみにパイプベッドの上には、静かに横たわる人影があった。


「衣留!」


 俺は弾かれたようにベッドに顔を向ける。

 刹那、ヒュッ! という音が俺の喉から漏れた。


 はたしてベッドの上に、衣留はいた。

 しかし同時に俺は、そこにいる患者さんが本当に衣留なのか判別できなかった。

 ベッドの上に横たわる少女。その姿は、誰がどう見たってミイラか枯れ枝だった。



「衣留……なのか……?」


 ファラオの呪いを恐れる発掘作業員のような足取りで、俺はそろそろと少女に歩み寄った。白い布団の敷かれたベッドに横たわり、全身に電極や酸素呼吸器を付けたその様子は、まるでミイラを現代に蘇らせようとする禁断の儀式のようだった。

「……衣留」

 俺は愕然としたまま、二、三歩後ろによろめいた。

 ドン、と背中を壁に預けたところで、ふと俺はベッドの脇のテーブルに花瓶が置かれているのに気付いた。花瓶には花束が生けられていたが、しかしすでに力なく萎れ、鮮やかだったであろう花も無惨に枯れ果てていた。おそらくだが、一週間近く放置されているに違いない。

 かすみ草も、白ユリも、ダイアンサスも、全て枯れ果てて――

「これ……もしかして……」

 そこで俺はハッとなった。


 かすみ草、白ユリ、ダイアンサス。

 間違いない! これは一番始めの日に、衣留に送った花束だ!


「――」


 俺の中を、カミナリより凄まじい光と衝撃が駆け抜ける。

 唐突に俺は、今まで衣留を見ていながら、本当の衣留を見ていなかったのではないかという思いに駆られた。放置されたこの花束のように、一週間近く一緒に過ごしていながら、本当の衣留に目を向けようとしなかったのではないか、と。

「……衣留」

 俺は今一度ベッドの上に視線を向ける。

 その時だった。



「……しは……ゃない」



 衣留の口がかすかに動く。

 俺は恐る恐るベッドに近づくと、シュー、コー、と音を立てる酸素呼吸器に耳を寄せた。
 衣留の呟きを耳にしたとたん、俺は思わず泣きそうになった。




「わたし、は……枯れた花なんかじゃ……ない……わたしを見て……私を見て……ください……」




 衣留はうわごとのように呟き続けていた。

 ……いや、呟やいているのではない。

 衣留は叫んでいた。

 少ないであろう命をかき集め、ずっとずっと叫んでいたのだ。





 ――私は枯れた花なんかじゃない!

 ――私を見て! 私を見てください!






「衣留……」

 奥歯をギリギリとかみしめ、俺は漏れそうになる嗚咽を必死に堪えた。

 同時に、衣留の姿を見て『枯れている』と思った自分を、頭の中で何度も殴りつけ、罵倒する。

 衣留のいったいどこが枯れた花だというのか。
 彼女は、こんなにも咲き乱れているではないか。やせ細った茎を必死に伸ばし、萎れかけた葉を力の限り広げ、美しい花を咲かせている。


 ようやく俺は気付く。


 俺は、始めから大きな勘違いをしていたのだ。

 花びらを広げただけが『花』ではないのだ。

 小さな種の状態だろうが、地味な葉っぱだけの状態だろうが、あるいは枯れかけた状態であろうが、そんなのは全く関係ない。


 生きている。

 それだけで『花』たるには十分なのだ。




「私を……見て……」


 太陽に恋いこがれる花ように、衣留がその手を伸ばす。

 イノチノシズクの鉢植えを枯れた花瓶のすぐ横に置くと、俺は飛び付くように衣留の手を握りしめた。

 かさかさの手は、それでも衣留の手だった。



「綺麗だ……」


 ついに俺の涙のダムが決壊した。


「綺麗だぞ、衣留……なんつーか、お前は、綺麗だ…………」


 気の利いたセリフなんて出てこなかったが、それでいいと俺は思う。

 衣留は綺麗だ。

 理屈もうんちくもない。なんとなくそう思ったから、そう言葉にする。

 それだけだった。


「お前は、綺麗だ……」

「……ありが、とう……ございます……店長……」


 衣留の瞼が、わずかに開かれた。

「ねえ、店長……」

 衣留は強ばった顔を必死に動かしながら、それでもふんわりと笑った。



「私……綺麗ですか……?」

「ああ……世界で一番だ……」



 間違いなく衣留は、世界で一番綺麗だと俺は思った。











[25396] 6日目 ~さきゆくつぼみ~ ③
Name: 達心◆324c5c3d ID:ac75e696
Date: 2011/01/15 23:11


    6日目 ~さきゆくつぼみ~ ③








 お花屋さんになりたがっていた小さな花が、この病室でひっそりと咲くようになったのは、一年くらい前のことだったと衣留は途切れ途切れに語った。

「始めは、色んな人がお見舞いに来てくれたんです……でもだんだん、みんな来なくなりました……」

 詳しい病名なんかは衣留自身も知らないらしいが、とにかく衣留の身体は重い病に侵されているらしく、病気と薬の副作用によってこんなにまでやせ細ってしまったらしい。

「みんな、私を見るのが辛かったんです……枯れていく私を見るのが苦しくて……でも私は、それでも誰かに見て欲しかったんです……」

「衣留……」

 俺は衣留の手を握る腕に力を込めた。

 衣留は続ける。

「私、これでも夢いっぱいの乙女だったんですよ……ずっとずっと夢を叶えたくて、でも叶えられなくて……だから私は、那乃夏島に行こうと思ったんです……七日で終わる、少し不思議な世界に……」

「あそこは、願えば叶う世界だからな」

「ちょっと違いますよ、店長……」

 衣留はくすりと笑った。

「この世界だって、本当は願えば叶う世界なんですよ……だって私の願い、叶っちゃいましたから……」

「願い?」

「はい……店長にもう一度会いたいっていう、ささやかな願いです……」

「……っ!」


 ヤバイ。俺、また泣きそうだ。


「……お前にしてみればささやかでも、俺にとっては重労働だったんだが」


 気づかれぬように目元を拭い、努めて明るくそう言う。

 しかし衣留は全て分かっているとでも言うように、


「おつかれさまです、店長」

「……まったくだ」


 俺は椅子に座りながら、ぐでりんと衣留のベッドの隅に頭を乗っけた。

 俺の頭を、衣留がいい子いい子する。



 それから俺たちは、何時間も何時間も話をした。

 実にくだらない話題や、ドキリとさせられるような話題や、しんみりする話題など、どちらかと言えば長年連れ添った夫婦のように語り合った。これまで避けていた話題も含めて、全てを打ち明け、話し合った。

 気がついたときには、窓の外は真っ暗になっていた。







◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇







「ごめんなさい……店長……」

 消灯確認に来た看護師さんをベッドの下に隠れてやり過ごしたところで、ふいに衣留が小さな声で謝ってきた。

「お店や、星見山の花のことです。店長やミズミカミさまが大切にしていたのに……」

「…………」

「私、うらやましかったんです。綺麗に咲いている花が……」


 目尻に涙を浮かべる衣留。


「たぶん、私の命はずっと前から枯れちゃってたんです……もしかしたら、今こうして店長と話が出来ていること自体、奇跡なのかもしれません。私っていう花は、もう枯れちゃってるんです……」


 衣留はそこでわずかに咳き込んだ。

 俺はふいに悟る。こうしている間にも、衣留の命は枯れ続けているに違いない、と。

 しかし衣留は、言葉を紡ぐことを止めようとはしなかった。


「私、神様にお願いしたんです。七日だけでもいいから、願いを叶えて欲しいって……健康的な身体になって、素敵な旦那様と一緒にお花屋さんで働いて、綺麗なお花をいっぱい育てて……たったの……たったの七日間だけでいいからって、お願いしたんです……」


 衣留はかすれた声で続ける。


「でも、七日間だけでいいと思ってたのに、七日間だけじゃ嫌だったんです……もっとずっと、あの優しい世界にいたいって……ずっとずっと店長と、草弥さんと一緒に居たいって……そう思っちゃって……私、ほんとは有能なんかじゃないんです……バカなんです……お花なんて図鑑くらいでしか見たことないのに、物知り顔して……」


 そこで衣留は、花瓶に生けられた花束を見つめた。


「その花束だって……自分で、自分の退院祝いに頼んで……本当は退院なんかしてないのに……退院した気になって……バカなんです、よね……だって私はもう枯れちゃってるのに……それをずっと見ないふりしてたんですから……」


 枯れた衣留の目から、ポロポロと涙が零れる。


「罰、なんですよね……八つ当たりでお花さんたち、踏みつぶしちゃったから……もっともっと店長と一緒にいたいなんて、わがままなこと思っちゃったから……だから神様に、こっちの世界に戻されちゃったんです……ほんと、バカですよね……」


 ケホッ! と衣留が咳き込む。

 口の端からどす黒い血が流れた。


「お、おい! 衣留! お前!」


 俺は思わずナースコールを押そうとした。

 しかしそれを衣留の手がとどめた。


「いいんです、店長……罰、なんです……から……」

「衣留……」


「それにやっぱり、神様は優しかったんです……だって最後に……店長と会わせてくれたんですから……この世界にいるのは、意地悪な神様かもしれないけど……でも意地悪な神様も、やっぱりすごく優しい神様だったんですよ……だって、店長に会わせてくれて……一緒にいさせてくれて……でも私は……もっと一緒に居たくて……」



 衣留の声が、悲痛なものに変わってゆく。



「あ、あれ……おかしいです……一緒に居られて嬉しいのに……店長、私、おかしいんですよ……もう良いって思ったはずなのに……でも……もっと一緒に居たいって思っちゃって……枯れた私なんかが思っちゃダメなはずなのに……思っちゃって……」



 涙を流しながら、いよいよ衣留は叫んだ。



「一緒に、もっと一緒に居たいのに……なんで……なんでぇ……嫌ぁ……私、嫌です……このまま終わりたくなんてない……終わりたくなんてないのに……なんでなのぉ……」


「衣留!」


 俺は衣留の身体を精一杯抱きしめた。

 それしか出来なかった。


 衣留は必死に虚空に手を伸ばし、懇願の声を上げた。


「神様! 神様ぁ!」


 衣留は泣き叫ぶ。


「お願いです、神様! もうわがまま言いません……ウソもつきません……だから、だからお願いです! 草弥さんと……大好きなこの人と、もっと一緒に居させてください……お願いです、神様ぁ!」


 衣留は泣きながら願う。

 この世界のどこかにいるであろう、心優しい神様に向かって。



「お願いします、神様! 私、終わりたくなんてない……終わりたくないんです! もっと草弥さんと一緒に居たいんです! 一緒にご飯食べて……お花の世話して……ケンカして、仲直りして、エッチなことして……私、もっと一緒に居たいんです……私、もっと生きていたいんです……神さま、お願いで、す……おねが、いです…………おねが…………」



 衣留の声が、そこでぷっつりと途切れた。虚空に伸ばされていた手がパタリと落ちる。

 抱きしめていた俺には、衣留の中でチクタクと時を刻んでいた心臓の動きが、ゆっくりとなっていくのが分かった。



「……おい、衣留……うそだろ」


 俺は衣留を揺さぶった。


「起きろって……ほら……」

 何度も何度も揺さぶるが、衣留は目を覚まさない。

 鼓動がさらにゆっくりになってゆく。


「衣留!」


 俺は叫ぶ。

 その時だった。



「……や……さん」

 衣留の指がわずかに動く。

 ゆっくりと伸ばされた衣留の人差し指が、俺の背後を指さしていた。




「…………あ、れ……見てくだ、さい」



「……」

 俺は肩越しに振り返り、目を見開いた。

 テーブルの上に置いてあったイノチノシズクのつぼみが、今まさに花開こうとしていた。


 呆然とする俺とぐったりする衣留を前に、イノチノシズクが花を咲かせてゆく。



 その命を見せ付けるように。

 まるで俺たちを見守るかのように。



 花びらが開くにつれ、徐々に俺たちの周りが明るくなってゆく。

 それはまさに命の輝きだった。

 ひとしずくの命がもたらす、眩い光。


 その熱く暖かな光に俺たちは身をゆだね、そして……


 ………………


 …………











[25396] 7日目 ~おわるせかい~ ①
Name: 達心◆324c5c3d ID:ac75e696
Date: 2011/01/15 23:14


   7日目 ~おわるせかい~ ①








「グッド良い朝! ニャんと今は七日目の午前九時二一分~ッ! 世界が終わるまで、残り十四時間と四八分と二二秒だニャ!」



「――ッ!」

 世界そのものを揺さぶるような強烈なダミ声に、俺は強引に夢の中から引っ張り出された。

 初めて地上の世界に出てきたモグラのように、キョロキョロと周囲を見渡す。

 果たしてそこは、古くさいボンネットバスの車内だった。ガタゴトという揺れが、俺を揺りかごにのっているような気にさせた。



「ようやく起きただニャね、草弥ニャン」


「……」

 聞き覚えのありまくるダミ声の発生源に、俺は目を向ける。

 バスの運転席。やたら様になった様子でハンドルを握っていたのは、なんと時々丸だった。

 ……今までよく事故らなかったな、このバス。


「失礼ニャね。これでもミーは無事故・無違反・無免許だニャよ」

「おい、ちょっと待て! 最後のは明らかにヤバイだろう!」

「細かいことは気にしちゃだめニャ」


 時々丸はニマニマした笑みを浮かべながら肩越しに振り返ると、


「それよりあんまり騒ぐと、可愛いレイディが起きちゃうだニャよ」

「……へ?」


 時々丸に言われ、俺はようやく自分の隣で一人の女の子が眠っていることに気付いた。

 さらさらの髪を腰まで伸ばし、白いワンピースの上に俺のパーカーを羽織った女の子。
 くぅすぅと可愛らしい寝息をたてていたのは、紛れもなく衣留だった。


「衣留!」

 俺は思わず衣留の華奢な身体を抱きしめた。

 彼女の心臓は、休まずしっかり動いていた。


「ふぁ……あれ、店長……?」

 衣留の瞼が、ゆっくりと開かれる。

 衣留はぼんやりと周囲を見渡しながら、


「ここは……?」

「どうやら、那乃夏島に戻ってきたみたいだぞ」

「那乃夏島って……じゃあ……」


 衣留は恐る恐る自分の手を見た。

 ほっそりとした、しかし健康的な手だった。


「私……戻って来たんですね……」

「ああ……一緒にな……」


 もう離れないとばかりに、俺たちは互いを抱きしめあう。



 しばらくしたところで、時々丸がふて腐れたようにこう言い放った。

「二人とも、一番の英雄であるミーを蔑ろにするなんて酷いニャ。いったい誰のおかげで那乃夏島に戻って来られたと思ってるだニャ」

「誰って……」

 もしかして、お前なのか?

「そうだニャよ!」

 軽快にハンドルを切る時々丸。

「二人とも、ミーに感謝するニャよ! 大切な懐中時計を質に入れてまで、このバスをレンタルして迎えに行ってあげたニャからね!」


「………は?」



 質入れ?



「懐中時計を質入れしたって……」


 俺と衣留は運転先まで歩いてゆくと、時々丸の胸元をのぞき込んだ。

 チクタクと時を刻んでいたはずの懐中時計は、そこに無かった。


「じゃあ、本当にお前が?」

「当然だニャ。それとも疑ってるだニャ?」

「いや、そういうわけじゃ……でも、よかったのか、時々丸? あの時計、大切なものなんだろ?」

「大切は大切だニャけど、でも必要ないと言えば必要ないニャ」


 時々丸は毛むくじゃらの顔をくしゃりと歪め、ウニャウニャと笑った。


「時計なんて、時々見るくらいでちょうどいいのニャ。それに時計がなくたって、ミーも、草弥ニャンも、衣留ニャンも、みんなもう一つの時計を持ってるだニャ」

「もう一つの時計?」



「これだニャ」



 時々丸は片手運転をしながら、あいた方の肉球で自分の胸と、俺の胸と、衣留の胸を、順にポンポンポンと叩いた。


「耳を澄ませるだニャよ、二人とも。きっと聞こえるはずだニャ。終わりにむかってチクタクチクタクと動き続ける、ちょーっと不規則で、でも働き者の時計の音が」


 俺と衣留は自分の胸に手を、耳を澄ませた。

 ドキドキという鼓動の音が、この時ばかりは「チクタク、チクタク」と鳴っているように聞こえた。


 ……なるほど、確かに働き者の時計だな。



「ミーたちはみんな、自分たちの中に自分だけの時計を持ってるだニャ。最後の最後まで動き続けてくれる、とーってもステキな時計を。だから、二つ目の時計なんて別に必要ナッシングだニャ!」



「……そうかもな」

「……ですね」


 俺と衣留は顔を見合わせ、くすりと笑う。



 ひとしきり笑ったところで、ふと俺は、時々丸が自分の肉球をムニムニと握ったり開いたりしていることに気付いた。

 何してるんだ、こいつ?



「う~む、しかしやっぱり衣留ニャンは隠れ巨乳だったニャね」



「……エロ猫め」

 とりあえず俺は時々丸のヒゲを握りしめると、溢れる感謝の気持ちを込めてギューッと引っ張ってやった。







◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇







「酷いニャ。ミーのダンディーなおひげが曲がっちゃっただニャ」

 曲がってしまったヒゲを撫で撫でしながら、時々丸はアクセルを踏み込んだ。心持ち荒い運転になっているのは、ヒゲのセットを崩された腹いせだろうか。

 さすがにやりすぎたかと思わないでもないが、しかし無断で女の子の胸を触ったのだ。痴漢の現行犯で警察に突き出されなかっただけマシと思ってもらいたい。



 俺と衣留を乗せたボンネットバスが走っていたのは、海辺の道路だった。

 本日の天気は100点満点の快晴で、サンサンと輝く太陽さんに照らされ、海がキラキラと輝いている。全開に開けた窓から飛び込んでくる海風は少しだけ塩辛かったが、しかし俺は、その塩辛さこそが生きている証なのだと思った。

 なぜなら、血も、汗も、涙も、みんな塩辛いのだから。


「店長!」

 衣留がふいに窓の外を指さした。

「あれ見てください!」

「ルゥちゃん?」


 衣留に促され、俺は窓から身を乗り出した。バスと並ぶように、ピンク色のクジラが空を飛んでいた。

 気づいてくれたことが嬉しいのか、ピンククジラはその場でクルリとロールした。



「るぅ~るぅ~るるるぅ~!」



 るぅるぅと鳴きながら、ルゥちゃんはぱたぱたと胸びれを動かす。

 始めは手を振っているのかと思った俺だが、しかしすぐにそうではないことに気付いた。

 あの動きは……拍手?



「ステータスモニターを出せってことか?」


 俺はすぐさま、パン、パン! と柏手を打ち、ステータスモニターを出現させた。
 ルゥちゃん情報の欄には、こう記されていた。





 ○ ルゥちゃん情報……こうご期待!





「ご期待?」

「るるるぅ!」

 ルゥちゃんは高らかに一声鳴くと、一気にスピードアップした。ときおり曲芸飛行を見せながら、天高く昇ってゆく。

 そして数十秒後、ルゥちゃんの身体がブルリと震えたかと思った次の瞬間――



「るぅぅぅぅううぅぅぅぅ!」



 ルゥちゃんの頭のてっぺんから、シュパア! と物凄い勢いで潮が噴き出された。


「うわお」

「ふわあぁ! すごいです!」

 俺も衣留も感嘆の声を漏らした。


 ルゥちゃんが大空に描き出したのは、巨大な虹だった。七色のアーチが、まるで俺たちを歓迎するように架かっている。

 ルゥちゃんからのとんだサプライズだった。



「ニャフフ、サプライズはこれだけじゃないニャよ」

 ニマニマと笑う時々丸。

「なに?」

「本当のサプライズはこれからだニャ!」

 チクタク猫の運転で、ボンネットバスは那乃夏島をひた走る。



 海辺を逸れたバスは、那乃夏島の中心部に向かっていた。ノキナミ商店街やホームセンター『ノノムラ』、そして俺の店『ルンランリンレン』を通り過ぎ、まもなく現れた巨大な鳥居をくぐり抜ける。

 ここまでくれば、バスの終点を想像するのは簡単だった。


「店長……」

 ふと衣留が、俺の手をぎゅっと握りしめてきた。

 衣留の瞳は、心の底からの罪悪感に揺れていた。花を踏みつぶしてしまったことを後悔しているのだろう。目尻には涙まで浮かんでいる。

 しかし衣留の涙を見ても、俺の心までが揺れ動くことはなかった。

 何となくだが、俺には大丈夫だという確信があった。なぜと聞かれると上手く答えられないが、しかし山道に居たはずのお地蔵様が全員いなくなっていたことから、たぶん大丈夫だと判断する。


 ブロロロ……ブスン、と音を立て、ついにバスが停車した。


「到着だニャ! さあさあ、降りるだニャよ!」

 時々丸が、俺たちに下車を促す。

 俺は震える衣留の手を引き、バスから大地へと降り立った。顔を上げ、泉の方を見つめる。


 やっぱりな、と俺は思った。


「衣留、見てみろよ」

「…………」

 うつむいていた顔を、そろそろと上げる衣留。

 その目から涙が溢れるまで、十秒もかからなかった。


「……あ」


 口もとに手を当て、衣留は真珠のような涙をポロリンポロリンとこぼした。悲しい涙ではない。感情が高ぶったことによる感動の涙だ。


 俺たちの目の前に広がっていたのは、一面の花畑だった。

 泉をグルリと取り囲むようにして、カラフルな花柄の絨毯が敷き詰められていた。


「ねえ、店長……」

 衣留は頬をびっしょりとぬらしながら、

「誰が、ここを天国に変えてくれたんですかね?」

「その答えはきっと、女神さまが教えてくれるさ」


 花畑の中から、泥だらけの巫女服を纏った女神さまが、バッ! と現れる。

 いつも通りの眠そうな表情で、しかし誇らしげに両腕を大きく広げながら、ミズミカミさまはこうおっしゃった。


「……どう……驚いた?」

 俺と衣留は一にも二にもなく頷く。

 ミズミカミさまは満足そうに笑うと、


「だって……みんな……」

 次の瞬間、シュバッ! と花たちの合間から飛び出してきたのは、たくさんの光の玉だった。

 一斉にパチンとはじける。

 満面の笑みを浮かべた半透明の子供達が、そこに立っていた。



「みんな……がんばった……」

 ミズミカミさまは優しげに微笑した。

「みんな、がんばった……二人のためにいっぱいのお花を植えようって……がんばった二人をお花で迎えようって……だから、みんなみんな、がんばった……」

「そういうことだよ、お兄ちゃん! お姉ちゃん!」


 俺たちの方にふよふよと飛んできた光の玉がパチンとはじけたかと思うと、一人の女の子の姿になった。四日目に俺たちを手伝ってくれた、あの女の子だ。

 女の子は衣留に向かって、そっと手を伸ばした。


「ねえ、お姉ちゃん、覚えてる? 泣いてたわたしに、お姉ちゃんがなんて言ったか。泣いていたわたしたちに、お姉ちゃんが何を教えてくれたか」


 やんちゃそうな男の子が、おとなしそうな女の子が、泥だらけになった手を伸ばしてくる。

 気がつけば全ての子供たちが、衣留に向かって手を伸ばしていた。

 その半透明な手は、しかし、生きている人間以上にあったかそうだった。


「お姉ちゃんが、わたしたちにこう教えてくれたんだよ。濡れたものは、まとめて乾かせばいい、って。――そうだよね、みんな?」


 満開の花のように笑いながら、子供達は一斉に頷く。

 もはやそこに、生まれてこれなかったことに対する悲しみはなかった。


「だからね、お姉ちゃん。乾かせば良いんだよ。濡れちゃったお目々も、濡れちゃった心も、全部まとめて乾かせばいいの。――だって!」

 かつて衣留がそうしたように、子供たちが一斉にその手を空に伸ばした。



「今日は、こんなにも良い天気なんだからね!」



「あは……私……一本、取られちゃいました……」

 顔を涙でくしゃくしゃにしながら、衣留は満面の笑みを浮かべた。

 とても綺麗な笑顔だった。


「さあ、行くよ、お姉ちゃん! 植えなきゃいけないお花、まだまだいっぱいあるんだからね!」

「れっつ……ごう……」

「は、はい!」


 女の子とミズミカミさまに手を引かれ、花畑へと向かう衣留。

 俺もその後に続こうとしたが、しかしその矢先、俺は時々丸に呼び止められた。



「そうそう、忘れるとこだったニャ!」



 時々丸は運転席の下からあるものを取り出すと、俺に向かって放り投げた。

 真っ赤なそれを見て、俺は目を見開く。

 時々丸が放り投げたのは、花屋ルンランリンレンの店員用エプロンだった。


「草弥ニャンと衣留ニャンの分、二着だニャ」


 八重歯をニュッと除かせ、時々丸は得意げに笑った。


「それがないと締まらないんじゃないかニャ?」

「……そうだな」

 俺は苦笑する。衣留ではないが、一本取られるとはこのことだった。

「サンキューな、時々丸」

「どういたしましてだニャ!」

 シュタッ! と手を挙げ、時々丸は心底楽しげに言った。



「それじゃニャね、草弥ニャン! 胸の中にある時計が終わりを刻むその瞬間まで、しっかり楽しむといいニャよ!」



 ブスブス……ブロロロロ、とバスが再び走り出す。

 少しエロくて、しかしとても優しい猫の神さまに深々と頭を下げると、俺はエプロンを手に衣留たちのほうへ走っていった。








[25396] 7日目 ~おわるせかい~ ②
Name: 達心◆324c5c3d ID:ac75e696
Date: 2011/01/15 23:17




    7日目 ~おわるせかい~ ②







 楽しい時間はあっと言う間にすぎてしまうと言うが、しかし今日ばかりはお日様も気を利かせてくれたのか、それとも最後の空中散歩を楽しんでいるのか、その動きはいつもよりもちょっとのんびりだった。


「店長、次はあっちをお願いしますね!」

「オーケー、わかった」


 俺がガシガシとトラクターで耕した場所に、衣留とミズミカミさまと子供たちが、よってたかって花を植えてゆく。やはり人間の手の力というものはすごいもので、少しずつ、しかし確実に花畑は大きくなっていた。

「こりゃ、冗談無しに一面の花畑になるな」

 額を流れる汗を拭いながら、俺は改めて泉の周りを見渡した。

 ため息しか出てこないような光景だった。カラフリーな花たちが、太陽の光を全身で受け止めながら咲き誇っている。読んで字のごとく、自分の美しさを『誇って』いるかのようだ。すぐ側に目を向ければ、大きなハイビスカスが主役顔で俺を見つめている。

 ん? ハイビスカス?


「ちょっと待てよ……」

 このハイビスカス、どこかで見覚えが……


「お前まさか、ウチの温室にあったやつか?」


 ハイビスカスに向かって問いかける。

 返答は背後から聞こえてきた。



「その通りです。今まで気付かないとは…………この巨乳至上主義者め」



「……誰が至上主義者だ、誰が」

 振り返る。アンジェロイドのオネーサンが、いつものように無表情で立っていた。

 つか、あんたはこんな登場しか出来ないのか、スミレさん?


「いえ、出来ないのではなく、単にしないだけです。神出鬼没はこの島の住人の必須スキルですので」

「いや、スキルって……」

「お気になさらずに」


 スミレさんはきっちりスルーしつつ、マイペースに御辞儀をした。


「良い終焉です」


「……ある意味、この島で一番マイペースなのはアナタっすね」

 いつでもどこでも変わらないというか、なんというか……

「別に変わらないわけではありません。草弥様が気付かないところで、ワタシは刻々と変わっているのです」

「例えば?」

「はい。例えば昨日より、ワタシは『スミレ2800』から『スミレ1400』に変わりました」

「は? 1400?」


 確かアンジェロイドの名前の後ろに付いた数字は、そのアンジェロイドの時給を現しているはずだから……2800円から1400円に減額したって事か?



「……つーか、半額だな」

「はい、半額です。実はミズミカミさまに値切られまして」

「値切られた?」


 スミレさんによれば、この花畑の造成にはアンジェロイドのオネーサンたちまで関わっているらしかった。なんでもミズミカミさまがスミレさんのところまでレンタル交渉に来て、丁々発止の壮絶なる値切り合戦の結果、ほぼ全員のアンジェロイドを半額以下の値段で買い占めたそうだ。

 ……この一面の花畑を作る裏で、まさかそんなやりとりがあったとは。


「くやしいことですが、50%オフまでやられました」


 そう言いつつ、しかしスミレさんの顔は全く悔しそうではなく、むしろ満足そうなものだった。

「良かったのか、安売りなんてして?」

 スミレさんたちアンジェロイドの時給というのは、彼女たちの価値を示すもののはずだ。それを安くすることは、自分たちの価値を下げることではないか?

 そう質問した俺に、スミレさんはやれやれと肩をすくめながらこう答えた。



「天使の価値、プライスレスです」



 ……いや、意味不明なんだが。


「そもそも、価値とはなんなのでしょうか」


 スミレ1400さんは語る。


「確かにワタクシたちアンジェロイドは、生まれながらに存在の値段が決められております。しかしだからといって、値段と価値がイコールになるかというと、そう言うわけではありません」


 スミレさんは、おもむろに花畑の方に目を向けると、


「ご覧下さい。この花畑には、高価なハイビスカスもあれば、安価なアサガオも植わっています。しかし花の美しさというものは、果たして値段で決まるのでしょうか?」


「…………」

 俺はグルリと花たちを見回し、そしてぶんぶんと首を横に振った。

 どの花も、みんな綺麗だった。


「値段がどうであろうが、それで花の価値が決まるわけではありません。それはきっと、ワタクシたち天使にも、そして草弥様たち人間にも当てはまることなのです」


 スミレさんは、まさにスミレのような清楚な笑みを浮かべ、俺に言った。


「花の価値とは、ただ花であること――つまるところ、そういうものなのです」

「……そういうものっすか」

「そういうものです」


 命の匂いのする風が、ゆったりと過ぎ去ってゆく。きっとこの風も、綺麗な花たちを眺めているに違いない。高いか安いかなど関係なく、全ての花を愛でているのだろう。

 俺はそんなふうに思った。



「そう言えば一つ言い忘れていましたが」

 スミレさんは、ふと付け足すように、

「この花畑の造成に、もうひとかた、尽力下さった方がおります」

「もう一人?」

「はい。まもなく来られるかと」


 そうこうしているうちに、山道の方からやたらとコブシの効いた演歌が聞こえてくる。
 バーベキューセットやら木炭やらタンスやらテントやらクーラーボックスやらを満載したリアカーと共に現れたのは、テンガロンハットの似合う喫茶店のマスターだった。


「ニューマンさん!」

「ノーノー。違うでござーるよ、草弥殿。今の拙者の名前は、マンハッタン次郎でござる」

「あ……」


 俺はふと、元の世界で出会ったもう一人のニューマンさんとのやりとりを思い起こした。

 なるほど……そういうことか……


「名前、お兄さんに返したんですね?」

「ブラザーに取り上げられたでござるよ。おかげで拙者、単なるマンハッタン次郎に逆戻りでござる。まあ、身軽になったといえば身軽になったでござるがね」

 イタズラっぽい、しかし心底嬉しそうな表情を浮かべるマンハッタン次郎さん。

 それはそうと……


「マンハッタン次郎さん、その大荷物は?」


 なんというか、まるで夜逃げしてきたような荷物なんですが……


「実は拙者、喫茶『暗黒の木曜日』をたたむことにしたでござる」

「お店、止めちゃうんですか?」

「ノーノー。たたんだのは喫茶店の部分だけでござる。これからは、このリアカーで勝手気ままに営業をするつもりでござるよ。色んな場所で特製バーガーを売り歩いて、大好きな歌を歌って……マイブラザーに負けるわけにはいかないでござるからね」

「なるほど……」

 なんというか、ステキな生き方だと俺は思った。


「みんな、草弥殿のおかげでござるよ」


 すべて知っている、というような笑顔を浮かべ、俺に右手を差し出してくるマンハッタン次郎さん。

 こちらも手を差し出し、がっしりとシェイク・ハンズした。


「Thank you, Boy」

「いえ、どういたしまして」


 俺は改めて思う。

 確かに今俺と握手をしているマンハッタン次郎さんは、一年も前に死んだ人なのかもしれない。もしかしたらブーツの中の足は透けているのかもしれないし、テンガロンハットの下には天使の輪っかがみたいのがあるのかもしれない。マンハッタン次郎さんという存在は、もうすでに枯れ果てているのかもしれない。

 しかし枯れ果てていようが、花が花であることに変わりはない。生きる意味がどんなものであろうが、存在の値段がハウマッチだろうが、フツーに生きて、そしてフツーに生き抜いたということは変わらない。

 つまりはそういうことなのだと、俺は思った。



「そうそう、忘れていたでござる、草弥殿」

 ふとマンハッタン次郎さんが、リアカーから大きな保温ボックスを取り出した。

「餞別でござる。どうか、みんなでおいしく食べて欲しいでござるよ」

「…………うわお」


 保温ボックスの中をのぞき込み、俺は思わずつばをゴクリと飲み込んだ。

 ふわりと香るコクと旨味。そこにぎっしりと、しかし卵を扱うように優しく詰め込まれていたのは、ニューマンさん自慢の特製バーガーだった。

 やばい、腹が鳴りそうだ。


「うまそうですね」

「当然でござる。拙者の愛と歌が込めてあるでござるからね」

「歌、ですか?」

「隠し味でござるよ」

「……なるほど」


 それは美味いはずだ、と俺は思った。愛だけも十分だというのに、隠し味に歌まで込められているとは。

 まさに脱帽だった。



「ではさらばでござる。――God Bless you!」



 コブシの効いた演歌を熱唱しながら、山を後にするマンハッタン次郎さん。

 後ろ姿を見送ったところで、ふいに背後から衣留の大声が津波のように襲いかかってきた。




「あー、店長! なにさぼってるんですか!」

 衣留は腰に手を当て、プンスカプンスカと頬を膨らませながら、

「手が空いてるなら、こっち手伝ってください! 時間は貴重品なんですから、ハリーハリーです!」

 まったく、騒がしい娘さんだ。

「オーケー、今行く」

 俺は衣留に向かって片手を上げると、次いでスミレさんに向き直り、


「よかったら、スミレさんも手伝ってくれないか?」

「それはつまり、このワタシを雇うということですか?」

 いや、別にそういう意味じゃあ……


「冗談です」


 スミレさんは淡々とした様子で、しかし口元に隠せぬ笑みを浮かべながら、


「しかしまさか、高級型アンジェロイドであったワタシがただ働きとは……これでは『スミレ1400』から、ただの『スミレ』へと改名しなければなりませんね」

「ショックなのか?」

「いいえ、むしろ望むところです」


 どこからともなく軍手を取り出し、両手に装着するスミレさん。いつの間にかその手には、園芸用のスコップまで握られていた。


「……用意いいっすね」

「当然です」


 タダより高いものはない。

 そんな言葉がぴったりするような高級な微笑を浮かべ、スミレさんは頭上の輪っかを指先でチョンとつついた。




「金色に輝く天使の輪は、伊達ではないのです」




 意味はよく分からなかったが、気合いだけはよーく分かった。







[25396] 7日目 ~おわるせかい~ ③
Name: 達心◆324c5c3d ID:ac75e696
Date: 2011/01/15 23:18



    7日目 ~おわるせかい~ ③







 それから俺たちが過ごしたのは、ダイアモンドとかルビーとかサファイアをゴリゴリとすりつぶして、その粉を一分一秒にまで散りばめたかのような、まさにキラキラとした時間だった。


 ついに完成した花畑を前に、俺たちはマンハッタン次郎さんから貰った摩天楼バーガーと、ミズミカミさまが個人的に大量購入してきたチューチューアイスで、盛大なお疲れ様パーティーを開いた。

 お腹がいっぱいになったところで、水浴びアンド水遊びに突入。

 ルゥも水浴びするぅ~! とダイブしてきたルゥちゃんによって大津波が発生し、子供たちと衣留の水着が流されるというハプニングを挟みつつも、俺たちは楽しみまくった。


 この宝石のような時間が永遠に続けばいいのにと、そんなことを心の隅っこで思いながら。



 しかし開けない夜が無いように、沈まない太陽もまた無い。


 胸の中の時計はチクタクと動き続ける。


 青空はいつしか茜色に変わり、それもやがて、深い紫色のカーテンに覆い尽くされてしまう。


 そして――


 ……――










[25396] 7日目 ~おわるせかい~ ④
Name: 達心◆324c5c3d ID:ac75e696
Date: 2011/01/15 23:27


   7日目 ~おわるせかい~ ④










 優しい夜が、那乃夏島をそっと抱きしめる。

 花畑のど真ん中で寝転がり、俺は満点の星空を眺めていた。俺のすぐ傍らでは、衣留がずうずうしくも俺の右腕を枕に、同じように寝転がっている。

 花畑にいるのは、衣留と俺の二人だけだった。


 昼間の遊び疲れのせいか、子供たちはすでに夢の中へと旅立ち、ミズミカミさまはそんな子供たちを寝かしつけに行った。きっと今頃、慈愛に満ちた表情で子守歌を歌いながら、子供たちの魂をポンポンと撫でていることだろう。スミレさんは最後の最後まで誰かのために働き続けると言ってホームセンター『ノノムラ』に戻り、ルゥちゃんは全ての誰かさんの頭上を飛ぶべく空へと還っていった。


 残ったのは、俺たち二人だけ。


「なんだか、世界を二人占めしてるみたいですね?」

 衣留の言うとおり、世界は静かだった。

 ときおり吹く風が、俺たちの前髪と花たちをさらさらと撫でてゆく。瞬く星たちは俺たちを冷やかすでもなく、ただ無言で見つめてくれていた。


「……世界、終わっちゃうんですよね?」

「ああ」

「……私たちも、ですか?」

「たぶん、終わりだろうな」



 世界は終わる。

 俺たちも終わる。

 それは神様の決めた、絶対に変えられないこと。


「私、世界の終わりってもっと騒がしいと思ってたんですよね……」

 俺の腕にすーりすーりとほっぺたを擦りつけながら、衣留はクスクスと笑った。

「みんな泣き叫んで、地面とか空がグラグラと揺れて、バイクに乗ったモヒカンの人たちが暴れ回って……きっとそうやって世界は終わるんだって、私、思ってたんです。でも、全然ハズレだったんですね」

「ああ、大ハズレだな」


 世界の終わりは、何も特別なことではないのだ。

 きっとお日様がフツーに昇って沈むように、世界もフツーに終わってゆく。

 そういうものなのだろう。


「たぶんだけどな」


 俺は星空に手の平を向けると、指の隙間を通して世界をじっと眺めた。

 那乃夏島という、ほんの少しだけ不思議で、しかし元の世界と何ら変わらないフツーの世界を。


「世界が終わるなんてのは、フツーのことなんだと思うぞ。俺たちがフツーに生きて、フツーに死ぬのと同じで、世界もフツーに終わっていくんだ」

「フツー、ですか?」

「ああ、フツーだ。別に那乃夏島が特別なんかじゃない。みんな、フツーのことなんだ」


 もっとも俺たちは、そんな『普通のこと』を忘れてしまっていたのだが。



「なあ、衣留……俺、ずっと考えてたんだ。どうして神様は、こんな事をしようとしたのかって」



 ――なぜ意地悪な神様は、世界を終わらせようとしたのか?

 ――なぜ優しい神様は、那乃夏島を創ったのか?

 ――神様たちは、俺たち人間に何をさせようとしていたのか?



 その答えと、俺はようやく出会えた気がした。


「きっと優しい神様も意地悪な神様も、俺たちに『普通のこと』を思い出して欲しいと思ったんだ。あんまりにも普通すぎて、俺たちが忘れてしまっていた『普通に大切なこと』を」




 命の時間は、限りあるものであるということ。





 それを思い出して欲しくて、神様たちは世界を終わらせることにしたのだと俺は思う。
 自分たちが『普通に死ぬ』ことを思い出せば、『普通に生きている』ことがいかに素敵で、いかに輝かしいことなのか、きっと思い出してくれると思って。

 しかし一年で終わる世界の人たちは、そのことを忘れたままのようだった。

 たぶんだが、一年では長すぎたのだろう。

 もちろん、中には自分の命があと少しで終わることを理解して、一日一日を大切に生きようと思った人もいるとは思う。

 しかしほとんどの人は終わりから目を背け、あるいは忘却の海の中に重しをつけてどんぶらこと沈め、これまで通りの退屈な日々を送っていた。


 自分は生きている……そのことさえも忘れて。


 だからこそ、優しい神様は那乃夏島を創ったのだろう。七日という、一粒くらいの時間しかない世界を。

 しかしその一粒は、俺にとって宝石以上に価値のある一粒だった。



「俺はさ、良かったと思ってる。那乃夏島っていう優しい世界に来れたことを」

「……もうすぐ、みんな終わっちゃうとしてもですか?」


 上体を起こし、衣留は俺の顔をのぞき込む。

 衣留の瞳は、夜風に吹かれた花びらのように揺れていた。


「店長も、私も、世界も……みんな終わっちゃとしても、店長はこの世界に来て良かったと思うんですか?」

「当然だろ」


 もちろん、俺だって終わることに対する不安や恐怖はある。

 けれど、それ以上に大切なことを、俺はもうすでに思い出していた。


「俺は後悔してない。だって……」


 伸ばした手を衣留の背中に回すと、そのまま自分の方に抱き寄せた。生きているぬくもりを、身体全体で受け止める。

 衣留は温かかった。



「星野衣留っていう、世界で一番綺麗な花と出会えたんだからな」

「店長……草弥さん……」


 衣留の瞳から、キラキラとした涙がこぼれる。

 それはまさに『命の雫』だった。


「私も、です……」


 泣き笑いを浮かべながら、衣留は言った。


「私も……草弥さんに会えて……よかったです……」

「ああ……わかってる……」


 俺はギューッと衣留を抱きしめた。衣留の涙が、まるで大地を潤す恵みの雨のように、俺の胸をぬらしてゆく。


 しばらくして、衣留が涙声で呟いた。


「終わり……なんですよね……」

「ああ……」

「終わりたくなくても……終わらなくちゃいけないんですよね……」

「俺たちは、今、生きているからな……」



 普通のこと。

 普通に大切なこと。





 ――今を生きている。





 それが、俺の見付けた答えだった。


「草弥さん……」


 衣留は涙声で、しかしはっきりと言った。



「大好きです。私は、草弥さんが大好きです」


「俺もだ。俺も、衣留が大好きだ」





 胸の中の時計が、ゆっくりと時を刻んでゆく。

 世界の終わりがどんなものなのか、神ではない俺では全く分からない。苦しいのか、眩しいのか、それともくすぐったいのか……全然分からない。そもそも本当に世界が終わるのかどうかすら、まったくもってさっぱりだ。


 しかし一つだけ、俺にも分かることがあった。




 俺たちは満面の笑みを浮かべながら、泉の方に顔を向けた。泉の側に植え替えられた、世界で一番綺麗だという花を見つめる。




 きっと、イノチノシズクは美しく咲き続けるのだろう。


 命が終わる、その瞬間まで――――










[25396] さいごに
Name: 達心◆324c5c3d ID:ac75e696
Date: 2011/01/15 23:27


   さいごに







 結局、俺が那乃夏島で学んだのは、極々当たり前のことだった。


 空は、いつも俺たちの上に広がっているということ。時間は、止まることなく流れ続けているということ。美味しいものを食べれば幸せになって、悲しくても嬉しくても涙は流れてしまうということ。俺たちは普通に生きていて、そして普通に死んでしまうということ。


 そんな当たり前すぎて、もし他人に教えてあげても全然感心してもらえないようなことを、俺は那乃夏島という不思議な世界で教えられた。


 別に俺は、先生ぶってそのことを言いふらそうとは思っていない。


 そもそも俺が教えられたことなど、ほんの少しの切っ掛けさえあれば、誰だって思い出すことの出来ることだからだ。


 そう、みんな、本当は知っているはずなのだ。




 ――自分たちの真上を飛んでいる、ナイーブなクジラの姿を。


 ――ちょっぴりエロい三毛猫の持つ、懐中時計の音を。


 ――毒舌な天使のオネーサンの頭上にある、天使の輪っかの輝きを。


 ――魂をそっと撫でてくれる女神さまの、小さな手のぬくもりを。






 そしてみんな、きっと思い出せるはずなのだ。






 ――自分が、今、生きているということを。






 それさえ思い出せれば、きっと毎日が今まで以上にキラキラしたものになるだろう。那乃夏島でなくても、世界は優しいのだから。

 俺はそう思う。




 あまり長々と話してもアレなので、最後に一つ話をして終わろうと思う。


 イノチノシズクについてだ。


 世界で一番綺麗だというイノチノシズクだが、それがどんな花なのか、確か俺は一度も説明していなかったはずだ。もしかしたら気になっている人もいるかもしれないので、最後にイノチノシズクがどんな姿をしているか説明して、俺の話を終わろうと思う。




 ……とはいえ、ホントのことを言うと、わざわざ説明するまでもないのだが。




 実はイノチノシズクは、割と見慣れた花なのだ。


 誰だって一度以上見たことがあるはずだし、もしかしたら一日に何度も見ている人だっているかもしれない。


 もし心当たりがないという人がいたら、暇なときにでも俺の言うようにしてみて欲しい。





 まず大きく深呼吸し、世界の優しさに身を委ねる。



 太陽のまぶしさとか、風のくすぐったさとかを感じたら、自分の胸に手を置き、チクタクという鼓動の音に耳を傾ける。そして最後に目を閉じる。










 どうだろうか?









 たぶん、きっと見ることができるはずだ。



 あなたの中で咲き誇る、世界で一番綺麗な花を――――













 









[25396] 願わくば ~Fin~
Name: 達心◆324c5c3d ID:ac75e696
Date: 2011/01/15 23:34








 いずれあなたにも訪れるであろう終わりが、優しいものでありますように―――













  ――― Fin ―――






[25396] 『あとがき』
Name: 達心◆324c5c3d ID:b8a5221e
Date: 2011/01/16 11:52


「もし、世界が明日終わってしまうとしたら、自分はどんな終わりを望むのだろうか……」

 そんな想像から生まれたのが、この『終わる世界の7日間』でした。





 改めまして、こんにちは。作者の達心(たっしん)と申します。

 まずは、ここまで読んでくださった皆様に感謝をしたいと思います。
 本当にありがとうございました。


 
 さて、この物語では『終わり』と『今』に焦点をあて、そこに関連する要素を『象徴』として登場させました。


 花、時計、女神、空、天使、死者、星、などなど……

 
 その中でも特に『衣留』『ミズミカミさま』『ルゥちゃん』『スミレ2800さん』『ニューマンさん』『時々丸』の主要登場人物には、様々な象徴としての役割を担ってもらいました。


 ですので、もし、この登場人物の中で特に心に残った誰かがいたら、その誰かのことを是非深めてほしいと思います。

 おそらく、その誰かが象徴している『何か』こそが、あなたが生きている上で大切にしていることだと思うからです。


 人間、なかなか自分のことは見えないものだと自分は考えます。
 何が大切なのか。自分はどんな終わりを迎えたいのか。どう生きたいのか。

 そういった問いに対する答えを明確に言える人は、なかなかにいないと思います。自分も言えないですし、よくわかっていないです。

 けれど、それが無い人はいないとも自分は思います。

 だからこそ、それを考えるきっかけになれば幸いだと思います。

 皆様の見る世界がキラキラしたものになれば、そんな嬉しいことは無いからです。



 最後に、感想等なんでもかまいませんので、なにかありましたらお寄せください。





 この度は拙作を最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 願わくば、皆様にもいつか訪れるであろう終わりが、優しいものでありますよう。




 2011年1月16日

 達心




 
 



[25396] まえがき
Name: 達心◆324c5c3d ID:db6553dd
Date: 2011/05/11 00:41

 こんにちは、作者の達心(たっしん)と申します。

 拙作『終わる世界の7日間』の完結より、しばしお休みをいただいておりましたが、こうして再び皆様の前に姿をお見せすることにいたしました。


 これより、前作『終わる世界の7日間』の外伝話をつれづれと執筆させていただこうと思います。

 はじめから全話書きためた後、投稿させていただきました前作とは違い、外伝話はこれから形作ってゆくものとなります。

 ですので、更新が不定期になることもしばしばあるかと思いますが、どうか暖かい目で見守っていただけたら幸いです。





 ちなみに、外伝と謳わせていただいておりますが、多少、世界観がリンクしているだけで、基本的には全く別のお話となります。

 その旨、ご了承いただければと思います。






 それではお送りしたいと思います。

 終わる世界の7日間 ~外伝~



 『ジョニー・パラダイス!』


 
 ご一緒にお付き合いくださいませ。





  2011年5月11日

  達心





[25396] 『ジョニー・パラダイス!』
Name: 達心◆324c5c3d ID:db6553dd
Date: 2011/05/11 00:42






 あなたは幸せです、と神様は言った。



 幸せとは何ですか、とオレは聞いた。











[25396] パラダイス認定員制度 開始のお知らせ
Name: 達心◆324c5c3d ID:db6553dd
Date: 2011/05/11 00:44




 『パラダイス認定員制度 開始のお知らせ』




 今年の春より、パラダイス認定員制度が始まります。


 パラダイス認定員とは、各種族からおおむね適当に選ばれる楽園認定員のことです。


 認定員に選ばれた方は、配布された認定スタンプを使って、楽園を楽園であると認定してください。認定結果は神様に報告され、今後に活かされるかもしれませんし、活かされないかもしれません。


 なお、パラダイス認定員の任期は春から冬までの一年とし、その間、認定員の方全員には例外なく『ジョニー』を名乗っていただきます。







パラダイス認定委員会



[25396] プロローグ『はじめまして/旅立ち』
Name: 達心◆324c5c3d ID:56a581a3
Date: 2011/05/11 20:00






 プロローグ 『はじめまして/旅立ち』












 楽園ってなんだと思いますか? というオレの問いに、センセイはこう答えた。


「幸せな場所のことよ」

「幸せな場所、ですか?」


 ……む、なんともの抽象的な答えが返ってきたものだな。

 幸せな場所か……幸せがある場所、という意味ではなさそうだが……


 いや、そもそも幸せとは何なんだ?


「さあね、アタシにも分からないわ」

「センセイでも分からないことがあるのですか?」

 オレは少々驚いた。

 生き抜くための知恵を与えてくれた師匠にして、『鳥居の上の賢者』『ニンゲン研究家』などと謳われたセンセイにも分からないことがあろうとは。


「……あのね、アタシにだって分からないことと百や二百はあるわよ」

「そうなのですか?」

「そうなのよ。例えばそうね……」


 鳥居の上の賢者は、文字通り鳥居の上から真っ青に晴れ渡った空を見上げた。隣にいるオレもつられるように顔を上げる。


「この空がどのくらい広いのか、アタシは知らないわ」

「空、ですか?」


 オレは空を見渡した。オレとセンセイが居るのは高い鳥居の上で、少しくらい空に近づいているはずなのに、しかし綿雲を抱えた空は全然近くなってはいなく、むしろ余計に遠ざかったように感じられた。


「アタシはこれまで、色んな空を見てきたわ。鳥居の上から、あるいは自分の羽で飛びながらね。でもどれだけ飛んでも、空の終わりを見たことはないわ」

「しかしセンセイ、空に終わりなどないのではないですか?」


 オレは以前センセイから、自分がいる世界が『チキュウ』という名前で、実はまん丸な形をしているということを教えて貰った。その理屈からすれば、地面の上に広がっているこの空もまん丸なはずで、とどのつまり終わりなどないと思うのだが。


「ふふ、確かにそうね。でもそれはニンゲンが勝手に言っていることで、アタシたちが実際に感じたことではないわ」


 ニンゲン研究の専門家であるセンセイは、どこか面白そうにクスクスと笑いながら、右の羽で正面を指さした。


「見てみなさい」

「…………」


 オレは言われるがまま、鳥居の上から目の前に広がる町並みを眺めた。

 どこまでも連なる屋根、屋根、屋根。もし羊の変わりに数えようとしたら、徹夜してしまいそうなくらいたくさんの屋根の群れが眼下に広がっていた。きっとあの屋根の下では、大勢のニンゲンたちがそれぞれの思いを抱えて生活しているのだろう。もしかしたら、あの屋根一つ一つがニンゲンたちにとっての楽園なのかもしれない。


 ふとオレの脳裏に、こんな疑問がヒュポン、と浮かび上がる。




 ――ニンゲンにとっての幸せとは、いったい何なのだろうか?




 ニンゲンとはとにかく不可思議な生き物だとオレは思う。そんなニンゲンにとっての幸せとはいったい何なのか、その答えをオレは無性に知りたくなった。

 ……まあ、自分自身の幸せすら分からないオレが言うのも何だが。


「答えが欲しければ、答えを探しなさい」


 オレの思いを察したのか、センセイは穏やかな声でそう言った。


「もう一度言うわ。答えが欲しければ、答えを探しなさい。あなたにはそれが出来るだけの力があるわ。世界を渡り歩くだけの足もあれば、見渡すだけの目もある。風の流れを感じるヒゲもあれば、考えることの出来る頭もある。それになにより、あなたには導き手がいるでしょう?」


 導き手って……まさか……


「あの小娘のことですか?」

「あら、苦手なの?」

 クスクスと笑うセンセイ。

「苦手というわけでは…………いえ、やはり苦手です。小うるさいところが特に」

「正直でよろしい。でもあまり邪険にしてはダメよ。あの子はあなたを導く為だけに生まれた天使なのだから。――ほら、噂をすれば」


 鳥居に向かってのびる石段を、一人の小娘が駆け上がってくるのが見えた。太陽の光を受け、小娘の頭上にある金色の輪っかがキラキラ光っている。

 どうでもいいが、そんなに走ると転ぶぞ?


「ジョニーさ~…………きゃぶっ!」


 予想通りというか、石段につまずいて転ぶ小娘。


 ああもう、落ち着きのない小娘だ!



「まったく仕方がない……」


 やれやれと頭をフリフリし、オレは鳥居から飛び降りた。本能に従ってクルリと身を捻り、柔らかくたわめた前足と後ろ足で、タシッ! と着地する。


 うむ、我が肉球は本日もプニプニなり。


「ではセンセイ、オレは行きます」


 鳥居を見上げる。白カラスの才女は優しく微笑んでいた。


「行ってらっしゃい。あなたはアタシの生徒の中でも特に優秀だったわ。パラダイス認定員の仕事、しっかり果たしてきなさい」

「はい、ありがとうございました」


 オレは深々と頭を下げる。

 背後からは優しい春風と、そして小娘の情けない声が押し寄せてきた。


「ジョ、ジョニーさーん……ヘルプミーですぅ……」

「……まったく、なんて締まらない旅立ちだ」




 オレはため息を吐くように、ニャア、と鳴いた。









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