東京電力・福島第一原発事故の被災者に対する賠償案が固まりつつある。はっきり言って、これは国民負担による東電救済策だ。菅直人政権は霞が関と金融機関の利益を代弁するつもりなのか。
賠償案は政府が設立する機構に交付国債を発行し、機構は必要に応じて東電に資本も注入する。賠償は東電が上限なく負担するが、資金が不足すれば交付国債を現金化して支払い、後で東電が長期で分割返済する。
一見すると、東電が賠償責任を負っているように見える。ところが、東電の純資産は約二・五兆円にとどまり、リストラに保険金を加えても、十兆円ともいわれる賠償費用を賄い切れない。
実際、勝俣恒久会長は会見で「東電が全額補償するとなったら、まったく足りない」と認めている。つまり、東電はすでに破綻状態なのだ。“実質破綻”している東電を存続させた場合、賠償負担は結局、電力料金の値上げによって国民に転嫁されてしまう。
東電だけではない。機構に負担金を払う他の電力会社も同じだ。事故に関係ない地域の利用者も料金値上げで負担する結果になる。被災者にすれば、賠償金を自分が負担するような話であり、とうてい納得できないだろう。
一方で、被災者には十分な補償が必要だ。したがって政府の支援は避けられないだろうが、その前にまず東電と株主、社員、取引金融機関ら利害関係者が最大限の負担をする。それが株式会社と資本市場の原理原則である。
ところが今回の枠組みでは、リストラが不十分なうえ、株式の100%減資や社債、借入金債務のカットも盛り込まれていない。
東電をつぶせば電力供給が止まるわけでもない。燃料代など事業継続に必要な運転資金を政府が保証しつつ、一時国有化する。政府の監督下でリストラを進め賠償資金を確保しつつ、発電と送電を分離する。発電分野は新規事業者に門戸を開く一方、旧東電の発電事業は民間に売却する。
銀行再建でも使われた一時国有化の手法は、東電再建でも十分に参考になるはずだ。
菅首相は原発事故を受けてエネルギー基本計画を白紙に戻し、太陽光など再生可能エネルギーの活用を推進すると表明した。そのためにも新規参入による技術革新を促す枠組みが不可欠である。賠償案は東電と癒着した霞が関と金融機関の利益を優先してつくられた産物だ。根本から再考を求める。
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