気象・地震

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東日本大震災:あの時から2カ月…大沢小・子供たちの日記

元気に授業を受ける子どもたち=岩手県山田町の町立大沢小学校で2011年5月12日、和田大典撮影
元気に授業を受ける子どもたち=岩手県山田町の町立大沢小学校で2011年5月12日、和田大典撮影

 東日本大震災の発生時に岩手県山田町の町立大沢小学校に通っていた子供たちは、あのとき以来、自らの思いを「震災日記」につづっている。毎日小学生新聞に「大沢からの報告」として随時掲載されている日記からは、震災2カ月の暮らしぶりや心情が浮かぶ。(原文のまま)

 ◇「母の日なのでひさしぶりに家族でたこやきを食べました

   ■4月11日 あの大震災から1か月。私は宮古にいた。午後2時46分。サイレンが鳴り、もくとう。いろいろな思いが頭の中に……。私は、これからがんばろう!と思った。命をなくした人の分まで。そして津波のことを思い出した。(武藤<ぶとう>愛・中1)

 今日で1か月になる。8日にも大きな地震があったように、余震はまだ続いているみたいだ。電気もいきなり消えるし……。世の中一体どうなっているのだろうか。おかしくなった。自然災害……。人間はこれには勝てないのかもしれない。(中村奈緒・中1)

   ■4月13日 今日はガレキの片付け。自分の部屋を片付けた。頑張ったから、今日の夜はねむたかった。ふとんの中に入って、ぐっすりねた。でも、ねてるとなんか目がさめる。(鈴木暖<のん>・中1)

   ■4月15日 お父さんたちが話していた。「津波で大沢の家が(約4キロ離れた)織笠まで流れていた」。本当にすごかった津波なんだとあらためて知った。もう前みたいな津波はこないだろう。そう思っても、何回も大きな地震がくる。津波なんかこないでくれと心の中でさけんでいる毎日。少しの地震でもあの事を思い出して苦しくなる。(大川海渡<かいと>・中1)

 学校に行った。最初に目に付いたのは、被災者のみなさんへと書かれた手紙だった。一枚一枚見るたびに勇気がわいてきた。さらにおどろいた事があった。アメリカの子どもたちからの手紙があった。世界中の人たちもぼくたちのことを応援してくれて、本当にうれしかった。(大川海成<かいせい>・中1)

   ■4月20日 かわいい1年生が11人、入学しました。こまったことがあったら、たすけてあげたいです。その夜、(お湯をわかすための)火の番をしていたら、けいさつの人が、せいふくをきさせてくれました。(福士悠太・小6)

   ■4月26日 28日がおじいちゃんのおそう式に決まった。今日はお墓のそうじをした。家にさいていたスミレの花を置いてあげた。

 おばあちゃんが早くみつかって、顔を見たい。

 お父さんをなくしたぼくのお母さんは一番悲しくて、つらいと思うので、これからも手伝いをして、役に立ちたい。(大川海成)

   ■4月27日 中学校で授業。私は1年1組。中学校生活がはじまってすぐ、私のクラスで転校する子がいた。一人でも少なくなると、すごくさびしくなるようだ。帰りの時間には、クラス全員で写真をとった。でも、ここでくじけてはいけない!と思った。(武藤愛)

   ■5月6日 学校に行きました。学校組織を決めました。私は、副委員長に立候補しました。午後は、くもんに行きました。たくさん勉強できるというのは、あたり前のことでしたが、今になると、とても幸せなことだと思います。今日は地震が多かったです。大きい地震が来るかもと予想して、まくら元に着がえを置きました。(中村奈緒)

   ■5月8日 「母の日」なので、ひさしぶりに家族でたこやきを食べました。

 ご飯のあと、お母さんに「いつもありがとう」と言いました。(福士悠太)

毎日新聞 2011年5月12日 12時55分(最終更新 5月12日 16時09分)

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