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【芸能・社会】

石原プロ“大政奉還”渡社長退任 まき子夫人に経営を全面委任

2011年5月12日 紙面から

社長退任の会見をする渡哲也(左)。右は小林正彦専務=東京・調布市で

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 「石原プロモーション」の社長を務める俳優渡哲也(69)が11日、東京・調布市の同プロ本社で会見し、自身の健康問題や事業のスリム化などを理由に社長職を退任し、故石原裕次郎さん夫人で同プロ会長の石原まき子さん(77)に経営を全面的に任せることを明らかにした。同プロの屋台骨を支えてきた「番頭」の小林正彦専務(75)ら5人の取締役も3月の任期満了で一斉退任。社長職は当面、空席となる。渡、舘ひろし(61)、神田正輝(60)ら7人の俳優は引き続き同プロ所属俳優として活動する。“大政奉還”で「石原軍団」が次代に向け一つの幕を下ろした形となった。

 1987年に同プロ社長に就任した渡は、「石原(裕次郎)前社長の遺志を引き継ぎ、24年の長きにわたり、石原の名を傷つけないよう社長職を務めてきました。これからは心機一転、新しい石原プロになれるよう、今まで通りご支援お願いします」とあいさつした。

 渡によると、2009年の23回忌を節目に社長辞任を決意。昨年7月17日の裕次郎さんの命日直前、東京・成城のまき子さん宅を訪れ、「裕次郎さんが社長だった24年を超えて社長職にとどまることは本意ではない」と辞表を提出。まき子夫人は「お預かりします」と答え、「23年間、裕さんの石原プロを守ってくれてありがとう」とも。辞表は裕次郎さんの仏前に供えられたという。

 渡は直腸がんを患ったことなどで健康が万全でなく、小林専務も持病の糖尿病に加え、近年は軽度の心筋梗塞も発症。東日本大震災の被災者に向けた宮城・石巻市で4月に同プロが行った炊き出しにも2人は駆けつけるなど無理を重ねてきたが、俳優業や制作業務などに加えて経営に携わることはもはや限界の状態だった。

 「自分が死んだ後は映画を1本作ってほしい」というのが裕次郎さんの遺言だったが、2人の在任中は果たせぬ夢に終わった。これについて、小林専務は「『黒部の太陽』(1968年)などがヒットした後、客の入らない映画を何本も作ってしまった。そのことがトラウマ(心的外傷)になって、自信がなかった」と打ち明けた。渡も「みんな映画が好きですから。でも、ゴールすべき脚本に巡り合えなかった」と悔やんだ。

 裕次郎さんの右腕としても活躍した小林専務。志半ばで身を引くことに、渡は「裕次郎さんも『コマサ(専務の愛称)、もういい、ここまでやってくれて十分だ』と言ってくれている」と励ましたが、小林専務は「おれは怒られていると思うね。申し訳ない」と下を向いた。

 一方で、小林専務は「財政危機とは違う。赤字会社ではないし…」とあくまで経営難ではないことを強調した。

 今後は事業のスリム化を図るため、同プロの所属俳優、社員は6月30日で退職金を受け取った上で、いったん退職し、再雇用という形を取り、7月1日から新体制となる。版権問題もあって再上映されなかった映画や、往年のアクション刑事ドラマ「西部警察」のDVD化を推し進め、収益の柱とする方針だ。 (山田雄一郎)

 

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