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自主・平和・民主のための広範な国民連合
月刊『日本の進路』2007年4月号

「従軍慰安婦」を否定する安倍首相

元参議院議員  清水 澄子


 国会で「従軍慰安婦」問題追及

 「従軍慰安婦」について「狭義の意味で強制を証明する事実はなかった」という安倍首相の発言は、一九九三年の「河野談話」(資料参照)を真っ向から否定するものです。
 戦後五十年を目前にした一九九○年から、当時参議院議員だった私は「従軍慰安婦」問題で政府を追及してきました。しかし、政府の態度は「解決済み」、「資料が見当たらない」という不誠実なものでした。
 「政府は『解決済み』と言うが、それは国家間で約束したことで、これは個人の人権回復の要求だ。個人の人権回復の請求権を消滅させた国家があるのか」と追及したら、政府は「それはない」と答えざるを得ませんでした。一九九一年に、金学順(キム・ハクスン)さんが「従軍慰安婦」だったことを公表し、日本国を相手に提訴しました。日本政府は「個人の人権回復を国家に請求する権利はいかなる理由があろうと消滅させることはできない」ことを認めざるを得ませんでした。
 政府は「朝鮮に関する資料がない」と答弁しましたが、敗戦直後、軍から二週間以内に都合の悪い役所の資料は焼却せよ、という指令が出されていました。この指令で他の必要な資料まで燃やしてしまったと、岩波から出ている本に書かれています。戦後調査したものも焼却していたようです。私は「徹底して真相解明すべきだ」と要求しました。
 そうした追及をしている時に、中央大学の吉見義明教授が防衛庁研究所図書館で「従軍慰安婦」に関する軍の資料を発見し、九二年に発表しました。「南支派遣軍ノ慰安所設置ノ為」「醜業ヲ目的トスル婦女約四百名」を送れなどとあります。陸軍省が中支派遣軍参謀長に出した通牒には、軍の威信を傷つけないように、「募集ニ当リテハ、派遣軍ニ於テ統制シ、之ニ任スル人物ノ選定ヲ周到適切ニシ、其ノ実施ニ当リテハ関係地方ノ憲兵及警察当局トノ連携ヲ密ニ」せよと書かれています。私はこの資料で事実を政府に確認しました。
 「強制とは何か」という質問に対して、政府は「単に物理的に強制を加えることのみならず、脅してといいますか畏怖させて、本人の自由な意思に反してある種の行為をさせた、そういう場合も広く含むというふうに私どもは考えています」(一九九三年三月二三日参議院予算委員会)と答弁しました。つまり、だましたり脅したりして本人の意思に反して慰安婦にした場合も、強制だとはっきり答弁しています。
 私はさらに、どんな経過、どんな方法で連れていかれたのか、「慰安婦」にされた本人たちからの聞き取り調査を要求し、政府に実行させました。この時、A級戦犯で絞首刑になった板垣征四郎の息子である板垣正議員らが「いまさら、恥をさらして何になる」と、ものすごい野次を飛ばしていました。
 この問題で政府を徹底して追及してきた一人として、こうした事実をくつがえそうとしている安倍首相の言動は絶対許せない思いです。

 市民運動と世論が政府を動かす

 一九九〇年代から、市民運動の側でもアジア各国からの戦争被害者を招き、証言してもらう取り組みがさかんに行われ、「従軍慰安婦」問題など戦後補償の問題が国民の中に広まりました。これに火をつけたのは国会の活動だったと思います。戦後五十年をひかえ、遅くなったけれども過去の歴史を見直し、反省しなければならないという認識で、当時の社会党が頑張ったのです。
 韓国の被害者たち、フィリピンや台湾などアジア各地の被害者も立ち上がり、女性を中心にして国際的な世論にもなりました。国会と市民の運動と大きな世論が、政府を動かしました。「従軍慰安婦」問題では、不充分にしても政府が軍の関与を認めて謝罪しました。それが九三年八月の「河野談話」です。そこで「われわれはこのような歴史の真実を回避することなく、むしろこれを歴史の教訓として直視していきたい」と述べています。だから、私たちは次の世代に引き継いでいくために、教科書に掲載するよう要求しました。宮沢首相も「教科書に載せていく」と答弁し、「従軍慰安婦」問題が教科書に掲載されるようになりました。
 その後、女性のためのアジア平和国民基金(アジア女性基金)ができました。この基金については批判もありました。国が三百万円、民間が二百万円出し、アジア女性基金を通じて申請のあった元「慰安婦」の方に償い金を渡したのですが、政府の責任において謝罪し、補償するという形をとらなかったからです。政府は他の戦後補償に波及することを恐れたのです。韓国では受け取りを拒否する運動が起こりました。しかし、被害者は戦後も大変な苦労をしてきたわけですから、せめて生きているうちに償い金をもらって、自分の身内に少しでも配りたいという人もいました。私たちは首相の謝罪文をつけるよう要求し、償い金と首相の謝罪文が渡されることになりました。
 「従軍慰安婦」は、国際的には「日本軍性奴隷」という表現が使われています。とくに奴隷制度のあったアメリカでは、奴隷ということについてものすごく敏感なのです。国連人権委員会でも「日本軍による性奴隷」という表現になっています。「河野談話」を発表するとき、軍の命令があったのだから「性奴隷」という表現を使うべきだと主張しましたが、「日本で奴隷という言葉はなじまない」と拒否されました。強制についても結果的には「本人たちの意思に反して」とか「軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた」という表現になりました。

 歴史的事実の否定

 「河野談話」は自民党の右翼的な人たちには我慢できないことでした。彼らは「河野談話」の数日後に、「自民党歴史・検討委員会」をつくって動き始めました。九三年七月に初当選したばかりの安倍議員は、すぐこれに参加しました。「大東亜戦争」は侵略戦争ではなかった、南京大虐殺や「従軍慰安婦」は事実ではなかった、というのが歴史・検討委員会の総括でした。
 教科書に「従軍慰安婦」問題が載るようになり、九七年に「新しい歴史教科書をつくる会」が発足すると、安倍議員はこれを支援する「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」を結成し、事務局長に就任しました。「若手議員の会」は、「確たる根拠もなく『強制性』を先方に求められるままに認めた」と「河野談話」を非難し、河野元官房長官を呼びつけて撤回を迫りました。安倍首相はこうした動きの中心人物でした。
 「狭義の強制性はなかった」という問題の立て方そのものが、「従軍慰安婦」の存在を否定しようという安倍首相の本音を表しています。狭義だろうと広義だろうと、何十万という人たちの人権を侵害したことに変わりはありません。これは性犯罪、戦争犯罪、人道に対する罪です。
 世界各地で批判の世論が盛り上がりました。ようやく外交関係を回復した韓国や中国でも大きな問題になっています。特にアメリカの反応は、安倍首相にとっては意外だったのでしょう。訪米前でもあり、「河野談話」を継承すると言いました。しかし、強制を否定した発言を撤回せず口をつぐんだだけで、本音は何も変わっていません。
 日本は「従軍慰安婦」だけでなく、たくさんの朝鮮人を強制連行して強制労働をさせましたが、政府は認めていません。徴用した軍人・軍属の遺骨問題もずさんなままで、遺族に生死すら伝えていません。強制連行した労働者の遺骨問題は放置したままです。
 安倍首相は北朝鮮の拉致問題だけが人権問題のようです。「従軍慰安婦」問題など過去の人権問題を認めていません。現に起こっている被差別部落問題など日本人に対する差別・人権問題、また在日の人たちに対する差別・人権問題については何もしません。人権条約の大事なところは批准を保留したままです。国際社会に向かって人権外交だと威張るのは矛盾しています。

 みんなが立ち上がらなくては

 「従軍慰安婦」の存在を否定することは、あの戦争は間違っていなかったと、過去の侵略戦争や植民地支配を正当化することです。安倍首相に、過去の歴史を本当に反省して新しいアジアの友好的な関係を作ろうという意思のないことは、見え見えです。これらはみな、憲法を改悪すること、日本を軍事大国にすることにつながっていると思います。
 アメリカやよその国に批判されて、安倍首相はやむを得ず修正のふりをしていますが、これでは何も解決しません。日本の中でもっと大きな運動を起こすときです。その場合、意見の違いはいろいろあっても、「河野談話」の誠実な実行を求めて、みんなで力をあわせなければ状況を変えることはできません。国会の中でもワーワー騒いで追及するべきです。日本の将来のために、日本の良心的な部分の姿勢が見えるようにするべきだと思います。(談・文責編集部)


(資料1)慰安婦関係調査結果発表に関する内閣官房長談話

       平成五年八月四日 内閣官房長官 河野洋平

 いわゆる従軍慰安婦問題については、政府は、一昨年十二月より、調査を進めて来たが、今般その結果がまとまったので発表することとした。
 今次調査の結果、長期に、かつ広範な地域にわたって慰安所が設置され、数多くの慰安婦が存在したことが認められた。慰安所は、当時の軍当局の要請により設営されたものであり、慰安所の設置、管理及び慰安婦の移送については、旧日本軍が直接あるいは間接にこれに関与した。慰安婦の募集については、軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たったが、その場合も、甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、更に、官憲等が直接これに加担したこともあったことが明らかになった。また、慰安所における生活は、強制的な状況の下での痛ましいものであった。
 なお、戦地に移送された慰安婦の出身地については、日本を別とすれば、朝鮮半島が大きな比重を占めていたが、当時の朝鮮半島はわが国の統治下にあり、その募集、移送、管理等も、甘言、強圧による等、総じて本人たちの意思に反して行われた
 いずれにしても、本件は、当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題である。政府は、この機会に、改めて、その出身地のいかんを問わず、いわゆる従軍慰安婦として数多くの苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われたすべての方々に対し心からお詫びと反省の気持ちを申し上げる。また、そのような気持ちを我が国としてどのように表すかということについては、有識者のご意見なども徴しつつ、今後とも真剣に検討すべきものと考える。
 われわれはこのような歴史の真実を回避することなく、むしろこれを歴史の教訓として直視していきたい。われわれは、歴史研究、歴史教育を通じて、このような問題を永く記憶にとどめ、同じ過ちを決して繰り返さないという固い決意を改めて表明する。
 なお、本問題については、本邦において訴訟が提起されており、また、国際的にも関心が寄せられており、政府としても、今後とも、民間の研究を含め、十分に関心を払って参りたい。


(資料2)慰安婦関係調査結果の要旨>

       平成五年八月四日 内閣官房外政審議室

1.調査の経緯

 いわゆる従軍慰安婦問題については、当時者によるわが国における訴訟の提起、我が国国会における議論等を通じ、内外の注目を集めてきた。また、この問題は、昨年一月の宮澤総理の訪韓の際、盧泰愚大統領(当時)との会談においても取り上げられ、韓国側より、実態の解明につき強い要請が寄せられた。この他、他の関係諸国、地域からも本問題について強い関心が表明されている。
 このような状況の下、政府は、平成三年十二月より、関係資料の調査を進めるかたわら、元軍人等関係者から幅広く聞き取り調査を行うとともに、去る七月二十六日から三十日までの五日間、韓国ソウルにおいて、太平洋戦争犠牲者遺族会の協力も得て元従軍慰安婦の人たちから当時の状況を詳細に聴取した。また、調査の課程において、米国に担当官を派遣し、米国の公文書につき調査した他、沖縄においても、現地調査を行った。調査の具体的態様は以下の通りである。

 ▽調査対象機関(略)
 ▽関係者からの聞き取り(略)
 ▽参考として国内外の文書及び出版物(略)

 本問題については、政府は、すでに昨年七月六日、それまでの調査の結果について発表したところであるが、その後の調査もふまえ、本問題についてとりまとめたところを以下のとおり発表することとした。

2.いわゆる従軍慰安婦問題の実態について

 上記の資料調査及び関係者からの聞き取りの結果、並びに参考にした各種資料を総合的に分析、検討した結果、以下の点が明らかになった。

(1)慰安所設置の経緯
 各地における慰安所の開設は当時の軍当局の要請によるものであるが、当時の政府部内資料によれば、旧日本軍占領地内において日本軍人が住民に対し強姦等の不法な行為を行い、その結果反日感情が醸成されることを防止する必要性があったこと、性病等の病気による兵力低下を防ぐ必要があったこと、防諜の必要があったことなどが慰安所設置の理由とされている。

(2)慰安所が設置された時期
 昭和七年にいわゆる上海事変が勃発したころ同地の駐屯部隊のために慰安所が設置された旨の資料があり、そのころから終戦まで慰安所が存在していたものとみられるが、その規模、地域的範囲は戦争の拡大とともに広がりをみせた。

(3)慰安所が存在していた地域
 今次調査の結果慰安所の存在が確認できた国又は地域は、日本、中国、フィリピン、インドネシア、マラヤ(当時)、タイ、ビルマ(当時)、ニューギニア(当時)、香港、マカオ及び仏領インドシナ(当時)である。

(4)慰安婦の総数
 発見された資料には慰安婦の総数を示すものはなく、また、これを推認させるに足りる資料もないので、慰安婦総数を確定するのは困難である。しかし、上記のように、長期に、かつ、広範な地域にわたって慰安所が設置され、数多くの慰安婦が存在したものと認められる。

(5)慰安婦の出身地
 今次調査の結果慰安婦の出身地として確認できた国又は地域は、日本、朝鮮半島、中国、台湾、フィリピン、インドネシア及びオランダである。なお、戦地に移送された慰安婦の出身地としては、朝鮮半島者が多い。

(6)慰安所の経営及び管理
 慰安所の多くは民間業者により経営されていたが、一部地域においては、旧日本軍が直接慰安所を経営したケースもあった民間業者が経営していた場合においても、旧日本軍がその開設に許可を与えたり、慰安所の施設を整備したり、慰安所の利用時間、利用料金や利用に際しての注意事項などを定めた慰安所規定を作成するなど、旧日本軍は慰安所の設置や管理に直接関与した
 慰安婦の管理については、旧日本軍は、慰安婦や慰安所の衛生管理のために、慰安所規定を設けて利用者に避妊具使用を義務付けたり、軍医が定期的に慰安婦の性病等の病気の検査を行う等の措置をとった。慰安婦に対して外出の時間や場所を限定するなどの慰安所規定を設けて管理していたところもあった。いずれにせよ、慰安婦たちは戦地においては常時軍の管理下において軍と共に行動させられており、自由もない、痛ましい生活を強いられていたことは明らかである。

(7)慰安婦の募集
 慰安婦の募集については、軍当局の要請を受けた経営者の依頼により斡旋業者らがこれに当たることが多かったが、その場合も戦争の拡大とともにその人員の確保の必要性が高まり、そのような状況の下で、業者らが或いは甘言を弄し、或いは畏怖させる等の形で本人たちの意向に反して集めるケースが数多く、更に、官憲等が直接これに加担する等のケースもみられた

(8)慰安婦の輸送等
 慰安婦の輸送に関しては、業者が慰安婦等の婦女子を船舶等で輸送するに際し、旧日本軍は彼女らを特別に軍属に準じた扱いにするなどしてその渡航申請に許可を与え、また日本政府は身分証明書等の発給を行うなどした。また、軍の船舶や車輛によって戦地に運ばれたケースも少なからずあった他、敗走という混乱した状況下で現地に置き去りにされた事例もあった。