海上自衛隊イージス艦「あたご」と漁船「清徳丸」の衝突事故で、漁船の2人を死亡させたとして業務上過失致死罪などに問われた自衛官2人(起訴休職中)に無罪を言い渡した11日の横浜地裁判決(秋山敬(ひろし)裁判長)は、漁船の右転が事故原因で、漁船側に回避義務があったと判断した。【松倉佑輔、中島和哉】
最大の争点となっていた清徳丸の航跡について、判決は検察側、弁護側双方の主張を認めず、当直士官だった3佐、長岩友久被告(37)らの供述を基に独自に特定。清徳丸が右転しなければ、あたごの艦尾500メートル以上の場所を通過していたと認定した。被告側の監視も不十分だったことなどを認めつつも、清徳丸が右転しなければ危険は生じなかったと判断。「衝突の危険を発生させた清徳丸側が避航すべき義務を負っていた」と述べ、「被告側が注意義務を負っていたとは認められない」とした。
検察側は、衝突時の長岩被告は注意義務があるのに漫然と航行を続けたとして、直前の当直士官だった3佐、後潟(うしろがた)桂太郎被告(38)については接近中の漁船群の動きを正確に把握する注意義務を怠り「停止操業中」と引き継ぎ、過失の競合で事故を起こしたとして、2人を起訴していた。
加藤朋寛・横浜地検次席検事の話 検察官の主張が入れられなかったのは遺憾。判決内容を検討し、適切に対応したい。
長岩友久被告(37)は会見で「無罪を確信していたが、一抹の不安はあった。無罪と聞き、ほっとした」と話した。後潟桂太郎被告(38)も「(判決を聞き)怒り、悲しみ、感謝といろいろな気持ちがない交ぜになった」と振り返った。【山下俊輔】
事故で亡くなった清徳丸船長の吉清(きちせい)治夫さん(当時58歳)と長男哲大(てつひろ)さん(同23歳)親子。治夫さんのおい祥章(よしあき)さん(21)は判決後の会見で「『何で』と思った。自衛隊は組織として『無罪』と受け取ってほしくない。今後も(安全のため)部隊を厳しく指導・監督してほしい」と指摘。弟美津男さん(60)は「死人に口なし」と涙をぬぐい続けた。【黒川晋史】
毎日新聞 2011年5月11日 22時02分(最終更新 5月11日 22時59分)