関西行動保守求刑について
- author: kotakotaokota
- 2011年03月22日
本日、京都地裁に於いて京都朝鮮学校事件と徳島県教組事件の公判が結審し、それぞれの被告に求刑が行われたとの事です。
西村斉氏/懲役2年 川東大了氏・荒巻靖彦氏/懲役1年6ヵ月 中谷辰一郎氏/懲役1年
それぞれの被告は徹底して無罪を主張していましたから、判決が注目されるところです。
筆者も身を置いていました関西の行動保守運動ですが、おそらくこの判決を以てその活動が変化していくものと考えております。御存知の方も多いと思いますが、関西の行動保守運動はその激しさで注目され、特に所謂従軍慰安婦への謝罪と賠償を求める「水曜行動」に対する抗議は空前の盛り上がりを見せ、ピーク時には大阪梅田の歩道橋に新規参加者が続々と詰めかけ、200人近い人数を集めた事もあります。
その特徴は、徹底して「敵」が集合するイベントに抗議街宣をぶつける、あるいは名分を建てて敵の本拠に乗り込むなど、正に「行動」を地でいく活動であり、筆者もまた日常生活からスイッチを切り替えて戦闘モード全開で参加したものでした。
また、そういう激しい現場もこなしながら、住民監査請求など「敵」の弱点を衝くような地道な活動を行っていた事を知る人は少ないでしょう。
しかしながら、こういった活動も逮捕者を出したこの二つの事件や、逮捕者こそ出ませんでしたが「敵」の告訴を受けて参加者全員が被疑者として取り調べを受けた事などにより一つのピークを迎えたのだと判断しています。
今回逮捕され求刑された4名は、そういった関西の活動に於ける中心人物であった事は事実であり、冒頭に述べましたように「無罪」を訴えていましたから、このまま活動全般が終息してしまうような事はないだろうと予想しています。
ただ、以前のエントリーで取り上げた部落解放同盟への街宣や、その事による同盟側からの差別事件(人権侵害)としての法務局への通告や糾弾闘争の組織決定に対する「反論」を見ても分かる通り、その主張や論理建てが「仲間内」だけで通用するものであり、社会的に通用するようなものでは無いという欠点もさらけ出しています。
これは、今回の裁判に於ける一部被告の陳述や答弁でも明らかになりましたが、自らの正義を主張する余り、「自家撞着」「牽強付会」としか思えない主張と共通しています。
筆者は、政治活動に参加するに当たり、日常生活の延長線上に活動を行う事や、政治活動上の判断の基準に「一般常識」や「良識」を以てする事には反対しておりましたが、「社会」を相手にする以上、過激な行動に対する批判に対して論理的反論ができるようにすべきだと常に考えておりました。
今回の結審、求刑、判決を受けて、彼等もまた自ら「生かされている」社会の中での変革運動として、自己主張のみではなく一定の社会性を意識せざるを得なくなっていると思われ、それが良い方向に向かって行く事を願って止みません。
また、行動保守運動が市民運動や大衆運動としての性格を維持していくとするならば、身内に甘く、批判を攻撃と曲解して排除するような姿勢は真剣に反省してもらわねばなりません。
そして、「敵」からの攻撃や様々な政治勢力からの批判や指摘に対してそれを論理としてきちんと理解した上で、本能的に反応するのではなく、「正論」を堂々と展開できるような知力をつける努力を、一人一人が積み重ねていかなければなりません。
老兵は消えゆくのみですが、正に老婆心で本エントリーを呈します。
- kotakotaokota at 19:10
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