残したままで、どうすればいいのか議論すべきだった--。半分解体された旧広島市民球場(中区)を見てそう思う。わざわざ“市民”と球場に銘打ったのは、復興途中だった当時の思いの現れだろう。だからこそ、跡地計画は市民の意見を尊重するべきだ。
「ドイツでは30年前に市民参加の手法が編み出され、実際にまちづくりに生かされています。古い大工場の跡地利用について、歴史保存や緑地確保、駐車場やレストラン、住宅などさまざまな市民意見があったレンゲリッヒ市では、97、99年に無作為で選ばれた市民が、文化や未来、住宅や交通事情について専門家や行政マン、政治家からレクチャーを受けて市民答申を出しました。答申には財政的に厳しい提案もありましたが、建築家が知恵を出した結果、文化的価値から大工場の一部を市民ホールにするなど、さまざまな市民意見をうまく共存させられたのです」
今、東日本大震災で、自分だけ生き残った事実に戸惑う人がいる。南区・宇品に住んでいて被爆したという父方の祖母(故人)も、そんな状況下で生き残った。小学校時に一度その話を聞いたきりで、お互いに積極的に話すことはなかった。もっと聞いておけばよかったと思うが、祖母が生きていたおかげで自分がいるからこそ、広島のためにできるだけのことがしたい。
「ドイツなどの例を踏まえ、日本にも市民参加手法を開発する研究者がいます。私も大学院生だった03年から4年間、名古屋市のごみ処理計画策定に向け、市民提案をまとめる仕組み作りや運営に携わりました。ごみ問題の当事者による会議の結果を踏まえ、市民の手間や、ごみの量による負担の大小別に4種類の方向性を専門家が作り、無作為抽出された市民が議論して方向性を選び取る手法でした。この手法を、旧市民球場の跡地計画で生かしたいのです」
旧市民球場の建て替え断念の決定経緯などから、跡地計画はきちんと市民意見を聞いているのかと疑問を持っていた。旧市民球場は原爆からの復興の象徴。大勢がプロやアマチュアの野球を観戦して楽しんだ空間だ。球場移転が決定した時から、毎年お盆は両親らと試合を見にいくのが恒例行事となっている。
「市民にとって跡地計画はとても大事な問題。市民自身が自分たちのまちを考えるいいきっかけになると思う。もちろん市民参加の仕組みを作って市民答申を出したとしても、実際の計画にどう生かすかは、市長や市議会の手腕次第です」【矢追健介】
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■人物略歴
75年、広島市生まれ。広島大、同大大学院を経て、01年から名古屋大大学院へ。大学時代に環境保全団体に参加していたことから、ボランティアの参加意識の研究を始めた。今はより広い公共政策への市民参加を研究し、大学で講義する。
毎日新聞 2011年5月7日 地方版