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[26350] (デジアド無印に大輔投入)おれとぼくらのあどべんちゃー
Name: 若州◆e61dab95 ID:e58c3713
Date: 2011/05/10 14:29
注意書き
デジモンアドベンチャーの世界に、デジモンアドベンチャー02の主人公の一人、本宮大輔がいたら、という再構成ものになります。
上記作品のメディア展開で使用された設定、キャラクター、及びそれらをもとに独自解釈した非公式設定が登場する場合があります。

20110415 第一話から三十一話 ファイル島編 完結












彼には6つ上の姉がいる。
6つという歳の差は意外と大きいもので、彼が生まれたとき姉は小学校に入学していて、
彼が小学校に入学したとき既に姉は小学校を卒業し中学校に入学していた。
おそらく彼が小学校高学年になる頃には、姉は中学校を卒業し高校に進学するだろう。
それは彼がまだ知らない世界を少しだけ早く、その自慢気な口ぶりから情報として知ることができて、
いずれ自分が知ることができる世界に想いを馳せる楽しみがある。
1歳でも歳の差が縮まれば小学校の時だけは、1年間だけでも同じ通学路を歩き、
おそらく日常茶飯事のケンカをしながら通うことがあったかもしれないが、事実上それはありえない。
つまり、姉は常に彼にとって一歩だけ早い人生を歩んでいて、
おそらく同じ進路を取るだろうとぼんやり考えている彼は、彼女が通ってきた道を歩むことになるのである。
それがいやとか、いやじゃないとか彼は小学校に進学するまで具体的に思い描いたコトはなかった。
ただなんとなく、姉のことを知っている人がいるから、
顔と名前を覚えてもらえるのは早いだろうなという漠然とした予感だけはしていた。
実際にそれは事実だった。
どうやらほんの少しだけ珍しい苗字は、あっという間に姉を連想させたらしい。、
姉の弟かと何回も顔も見たことがない上級生や先生、通学路沿いの近所の人達に聞かれたし、
別に隠すことでもないので肯定したし、しばらくすれば面倒になったので自己紹介するときには必ず姉の名前を先に付けるようになった。
ああ、あの、と大抵初対面よりも親しげに、時には姉が在学していたときの思い出話も交えながら話しかけてきて、
顔と名前だけは確実に覚えてもらえるのは便利だった。
しかし、とある一点において、そのある意味お約束のようなやりとりが次第に苦痛になってきたのはいつの頃だったか、彼ははっきりとは覚えていない。

姉が所構わず自分をネタにして笑っていると知ったとき、少なからず彼はショックを受けた。
そりゃあ、6つも下の弟なんて姉からすれば全てが未熟であり、
欠点だらけでプラスになるようなところなんてひとつも無いかもしれない。
何か失敗したり姉と比較して劣るところがあったとき、
いつも両親から姉を見習えと耳にたこができるほど聞かされてきたのは事実である。
彼も彼なりに姉のことはある程度見本とすべきところはあったし、姉として認めていたつもりである。
だが、上級生や先生から聞かされる思い出話の中で、姉は彼の欠点をあげては笑い、
こんな弟嫌いだと、いらないと軽口程度に話していたと、まるで濁流のように聞かされ続ければ、
小学校に入学する前姉をどのように見ていたのか彼はまるで思い出せなくなっていた。
時にはその噂を伝聞してきた上級生に、実際にそういう人間なのかと面と向かって聞かれたこともある。
もちろん全否定に全力を注いだが、そういう事が1年間続いた彼は、姉の言葉を使うとすればすっかりすれてしまった。

姉の愛情表現だと人は言う。自分の弟について話すとき、無条件で褒めちぎるのはブラコンだけだと。
普通はどうしても照れが入ってしまい、あることないこと口に出してごまかしてしまうだけだから気にするな、と励まされる。
でも、とまだ幼い彼は思うのだ。
本当に嫌いじゃなかったら、隠れて自分の弟のことをわざわざ悪く言うなんてことしないんじゃないかと。
そうこぼすと決まって、本当にお前は姉のことが大好きだなと満面の笑み付きでからかわれてしまう。
ちがう、そうじゃない、と反論したところでお門違いの揶揄は止まらず、
気づけば彼のまわりではすっかりシスコン扱いとなってしまっていた。不快である。
そういうわけで、すっかり彼は姉に習って、自分から姉のことは嫌いであると公言するようになってからずいぶんな月日が流れていた。

幸か不幸か彼は直球かつ単純な少年だった。
喜怒哀楽の表現が実に分かりやすく、端から見ているととても微笑ましい言動や行動が多々あり、
人によってはそれをからかったり、怒らせたりして楽しんでいる。
そういう意味でも非常に周囲から好かれる人間だった。
勢いに任せて行動したり、土壇場になればそれなりに根性を発揮して人を引っ張れる力のある子だった。
姉に嫌われているのではないか、という目先の疑惑に対して考えながら行動するタイプであり、
どうしてもその向こう側にある背景や人の考えを読み取るのは、まだ小学校2年生の彼にはあまりにもハードルが高すぎた。
目には目を、歯には歯をというハンムラビ法典のような単純明快な態度は、
返って姉を楽しませているのかもしれないという予感を常に抱えるはめになっているが。
なにはともあれ、彼、本宮大輔と本宮ジュンの関係は今日も元気に険悪である。


「勝手に入ってくんなよ、姉貴」


お姉ちゃんから姉ちゃんに変わり、姉貴になる頃には大輔はすっかり反抗期に突入していた。
小学二年生が口にする言葉にしてはやや乱暴であるが、内弁慶のきらいがある彼はとりわけ姉に対しては顕著だった。
勝手知ったるなんとやら、とばかりにノックも無しに堂々と入ってくる失礼極まりないジュンは、
いつものように大袈裟に溜め息をつくのだった。


「あいも変わらず可愛くないわねえ、アンタは」


ふん、と鼻を鳴らし、素で見下し状態のジュンが姉という立場に君臨しながら、
大輔と自分の関係を女王様と下僕の関係から認識を改めたことは一度もない。
それが大輔の反発をさらに強めているのは言うまでもない。
ずかずかと入ってきた色気も糞もない部屋着のジュンは、呆れた様子で大輔の部屋を見渡した。


「ちゃんと掃除しなさいよ?手伝わされんのアタシなんだから」

「うっせーなあ」

「足の踏み場もないなんて信じらんない。
アンタねえ、明日からキャンプだってのに少しは片付けたりしないわけ?
ほら、またサッカーのユニホーム脱ぎっぱなしにしてる。
ほら、さっさと脱衣所持ってきなさいよ、きったないわねー」


勝手にベッドの上を占領され、まるで汚物をみるがごとくぞんざいに摘まれた哀れなユニホームが、大輔の顔面に直撃する。
何すんだよ!とさすがに怒る大輔だが、次から次と衣類を放り込まれればたまらずそれをもって部屋から一時退却せざるを得なかった。
結局最期はしぶしぶ言う事を聞くのは、大輔の部屋は汚部屋というが相応しい惨状だったので、
弁解の余地無しであり、ジュンの言うことに寸分の横暴もないことは事実だからだった。
男兄弟の頂点に立つのに必要なのは、暴力や恐怖ではなく、完膚なきまでに叩きのめせる正論の嵐と圧倒的な話術である。
わっとまくし立てられてはさすがに対処の仕様がないのが悲しいところだ。
大好きなサッカー選手のポスターが泣いている。
しばらくして帰ってきた大輔が見たものは、折角リュックの中に準備していた明日持っていくキャンプ用の荷物を、
ポケットというポケットから全部ひっくり返された部屋だった。


「何すんだよ、姉貴!勝手に触るなよ!」

「あーあー、ほら、適当に詰めてるからチャック壊れるんじゃないの。
お父さんから借りてるやつなんだから、ほら、もっかいちゃんと入れなきゃ駄目じゃない」

「わかったわかったから、返せってば!」

「つべこべ言わずにさっさと着替えこっちに渡しなさいよ。ほら、ネーちゃん畳んであげるから」

「なんだよもー」


図星ながら、口だけは減らず口。売り言葉に買い言葉の応酬が続く。
まるで幼児のごとく一から十まで世話を焼かれるのがこれまた微妙な羞恥心を伴うから勘弁して欲しい。
出版関連の仕事についている父から借りた大きめの旅行カバンは、はちきれる寸前だった。
投げつけるように渡した衣類を手慣れた様子でたたみ、
くるくると丸めてビニル袋に入れる姉の手際の良さにより、あっという間に収納スペースが増えていく。
ん、と差し出された手に、はあ?と返した大輔に待っていたのは、さっさとプリント出しなさいよという冷たい姉の声だった。
仕方なく勉強机の上からそれをひっぱり出してきた大輔から渡されたプリントにざっと目を通したジュンは、
そのまま一つ一つ確認するとばかりに持ってくるものを呼称する。
ぼけっとすんな馬鹿と一睨みされ、しぶしぶ一つずつ姉に見せていく大輔は、
明日のカレーに使う米と集金袋を両親に伝え忘れていたことに気付き、
慌ててキッチンで肉じゃがを作っている母のもとに飛んでいった。
再び大輔が帰ってくる頃には、まだまだ余裕のある旅行かばんが用意されていた。
しかし傍らに座っている姉の様子がおかしい。


「大輔、これなによ」


げ、と大輔は思わず後退した。差し出されたのは新品のカメラだった。


「なに勝手にお父さんのカメラ入れてんの」

「いーじゃん、別に」

「よくない。いくらすると思ってんのよ、馬鹿じゃない?」

「んだよ、ケチ。姉貴の修学旅行は持ってってた癖に」

「ダメに決まってんでしょ、アンタそそっかしいからすぐもの壊すし、無くすし、危ないじゃない。
アタシが前使ってた使い捨てカメラ、まだフィルム余ってるから持ってきなさい」

「ちぇ」

油断もすきもありゃしない、と大袈裟に溜め息をついた姉は立ち上がった。
さっきキッチンで会った母の反応からして、恐らくこの一連のお節介すぎるちょっかいは母の差し金で間違いなさそうだった。
相変わらず仲がいいわねえとサラリと流してしまう母には、姉よりも頭があがらない大輔である。
残りのスペースに、ありったけお菓子やゲームを入れれば入る。
ありがとうの一言がどうしても言えず、ちらちらと視線を向けながらも、
ごそごそとリュックを漁り始めた大輔に溜め息が降ってくる。


「ったく、手伝ってあげたんだからお礼の一つや二ついったらどう?」

「頼んでねーじゃんか、俺、ひとこ、いででででっ?!」

「生意気なこと言う口はこの口かしら?」

「ごめんごめん、いういういうって!ジュンお姉ちゃんどうもありがとうございましたあああっ!」

「そうそう、宜しい。素直が1番よ、素直がね。
あーもう、素直におねーちゃんおねーちゃん言ってくれてたアンタはいったいどこに行っちゃったのやら」

「………姉貴のせいだろ」

「え?なんかいった?」

「なんでもねーよ!さっさとどっかいけってば」

「はーいはい」


すっかり赤くなってしまったであろう頬をさすりながら、涙目で睨む大輔などどこ吹く風。
まだまだアタシより身長低いくせになに言ってんのかしらねえ、このちびっ子は、と
優越心全開で笑うジュンに、再びイラッとくる大輔だった。
そうそう、と去り際に思い出したように振り返る姉に、今度は何だと身構える。


「大輔」

「んだよ」

「ほら、手え出して」

「は?」


しぶしぶ顔を上げれば、ぽん、と投げられた何かが落下する。
反射的にキャッチした大輔の手元から輪っかのひもが垂れ下がった。


「ほら、それ持ってきなさいよ、大輔」


思いの外重量があって驚いてみてみれば、中学進学と同時にジュンが両親にお小遣い一年分と引換にして買ってもらったPHSではないか。
そしてそこには、ひもが通してある。


「キャンプ場すっごく広いみたいだし、アンタ友達と遊んでるうちに迷子になりそうだから、それ首から下げときなさい。
なんかあったら、お母さんに連絡しなさいよ。使い方は聞けばわかるでしょ」

「え、あ、っと」

「壊さないでよ、何かあったら罰金ね」


思わぬ奇襲にしどろもどろになる大輔、してやったり顔で笑うジュンは出て行く寸前だった。


「ありがとう、ねーちゃん!」

「ホント、ソレくらい素直な方がいいわよ、絶対」

「うっせえ」


バタンと扉を閉じられた。大輔はPHSをリュックの上に置き、はあ、と溜息をつく。
結局今日も自分のことが嫌いかどうか問いただすことができなかった。
自分から行くなんてできないから、こういう機会でもないとなかなか話す機会なんて無いのに。
ずりいよ、ばーか、とこぼした言葉は、少しだけ泣きそうだった。








少年はまだしらなかった。ひと夏の思い出が、大きく彼を成長させていくことを。
そして、母と共に出かけたサマーキャンプが誰も知らない世界への冒険の始まりになることを……。
干ばつ。洪水。真夏に降る雪……。世界中がおかしかったその夏。
日本からは見えるはずのないオーロラを目撃した少年たちは、
オーロラの裂け目から飛来した謎の光に異世界へと連れ去られてしまう。
すべてが未知のその世界で彼らは出会い、そして学んでいく。

今、新たな冒険の幕が開く。



[26350] 第一話 激闘!サイバードラモン!
Name: 若州◆e61dab95 ID:e58c3713
Date: 2011/03/06 00:06
大輔は退屈だった。
折角キャンプ場なんていう広大な遊び場を目の前にして、団地住民の親睦だかなんだかの目的のために、
ろくな自由時間も設けられないままがっちがちのプログラムに拘束されているのが大いに気に食わない。
テントを設置するときには、ここでみんなと一緒に寝るのかとわくわくしたし、
夜になれば肝試しや花火大会、ビンゴといったココロ踊るイベントが控えているとしてもである。
空は入道雲が眩しい夏色の快晴に恵まれているし、ちょっと外に出るだけでハイキングコースとして設けられた森や渓流釣り、
鮎つかみなんていう面白そうな看板が立っているきれいな川がある。
しかもサッカーできそうなくらいの広場や遊具があり、
実際家族連れや他のイベント参加者達の、キャッチボールやバトミントンなど楽しそうな喧騒が横たわっている。
なのに、なんで自分はここでひたすら人参の皮を剥いてるんだろうと我に返るたび、大いに落胆する大輔である。


「大輔、手がとまってるーわよー」

「はいはい、やりますよ、ミヤコサン」


大嫌いな姉のごとくニヤニヤしながら指摘してくるのは、鶏肉のカットに悪戦苦闘している幼馴染である。
たった1歳しか違わないのに、下級生と上級生に分けられる区分が確かに存在していた。
カレー作りと言っても、包丁を使ったり、ガスコンロで火を使ったりするのは上級生の仕事として割り振られていて、
下級生組は危ないからとそれらの機材を触らせてすらもらえない。
納得がいかずごねた一部の女子生徒は、両親からマンツーマンの指導協力のもと悪戦苦闘しているが、
さすがに母親に見てもらいながら料理をするのは気恥ずかしくて頼めやしない。
結果として代わりに渡されたのは、百円ショップで調達したのだろうプラスチックのピーラーと、
ごろごろと入った野菜で今にもひっくり返りそうなザルとボウルだった。
下ごしらえを任された下級生たちの反応は、男子と女子で綺麗に別れたのは言うまでもない。
最初こそ滅多に無い経験に目を輝かせて、真面目にひとつひとつ水洗いする係、
ピーラーでひたすら皮を剥く係、大量のお米を洗う係と仕事をこなしていたのだが、
30分もすれば黙々とやっている女子はさておき男子は飽きてしまう。
包丁を握らせてもらえないせいで、実際に野菜を切ったり、じゃがいもの芽をとったり、
肉やウインナーを切ったり、といった作業すら上級生に独占されてしまっているのだ。
そのため、危険が伴う作業に保護者が自然と集中してしまうのはある意味仕方のないことで、
大人たちの目が手薄になり、褒めてもらえる気配すらないと察知するや彼らの手のひら返しは早かった。
単調すぎる作業ばかり押し付けられているという現実は、
たちまち慣れてしまった下級生たちに飽きと不平、不満をもたらす。


つまらない、と愚痴をこぼしたのは誰だったか大輔は覚えていない。
しかし、あっという間に広がっていった同調は主に男子の間に広がっていき、
かねがね同意だった大輔も手元がお留守になる。
やがて隣に座っている友達との会話に夢中になり、順調だった作業に滞りが見え始めると、機敏に反応したのは女子だった。
小学校低学年は男子も女子もあまり性差はでないが、成長期が早い子だと男子よりも身長も体格も精神面でもずっと大人びていく事が多い。
そのため、大輔が参加しているグループもその例にもれず、男子のことをまだ子供だと馬鹿にしている子がちらほら出始め、
そのなかでもリーダー格の子が代表して文句を言いに来ることが多かった。
子ども会のイベントでは、度々男子の不真面目さを優等生よろしく指摘する女子と男子で喧嘩になるか、
目ざとく保護者に密告した女子に男子が報復でケンカを売りに行く、という仲間割れが発生するのが恒例行事となりつつあった。
今回は後者がそれに当たる。
子ども会のイベントは学校と違ってその子供の両親が参加しているという大きな違いがあり、
直接その親に密告するほうがダメージがでかいと女子はよく知っていたのである。
こうしてアドバンテージを最大限に有効活用された結果、
その男子のある意味筆頭でもあった大輔、他数名の男子下級生は両親に捕まり、
公衆の面前でこっぴどく叱られたのは言うまでもない。
やんちゃ盛りのスポーツ少年に、ちまちまとした作業を当たらせるのは少々酷だと判断したのか知らないが、
大輔は呆れた様子で母に罰として、男子上級生達に混じって飯ごう炊さんに使うマキを拾ってくるように命じられたのだった。
してやったり顔の幼馴染をにらみつつ、そのメガネに今度落書きしてやると犯行予告を心のなかに刻みながら、
大輔は上級生グループに追いつくべく荷物を持ってかけ出したのだった。
ちなみに罰を命じられた瞬間、よっしゃ、ラッキーと反省ゼロのガッツポーズを目撃した母親は、
大いに肩をすくめてあまり遠くに行かないようにと釘を差したのは別の話である。マキ集めなんてさらさら大輔にやる気など有るはずもない。
折角目の前に今まで行ったことのない知らない場所が広がっているのだ。
くまなく探検したってなんら問題は無いはずだ。
あとで女子に自慢してやろうと考えながら、大輔はマキ拾いの場所として教えられた場所へと急いだのである。

山道を抜けると祠が立っていた。
ここまで来てようやく知っている顔を見つけた大輔は、早速大声でその人の名前を呼んだ。


「太一さーん!空さーん!」


大輔の声に気付いた二人が手を振り返してくれる。
一目散にかけ出した大輔に、太一と呼ばれた青い服装の似合うゴーグル少年は驚いたように名前を読んだ。
何故か木の上で昼寝をしていたらしい彼は八神太一、大輔の通うお台場小学校のサッカー部の先輩である。
サッカー部のエースであり、キャプテンとして多くの部員を抱えるサッカー部を纏め上げている頼れる先輩といったところか。
ちなみにあこがれの先輩である太一のトレードマークとも言えるゴーグルを、
何度か大輔はねだっているが、今のところ却下されて撃沈している。
結局自分で似たようなゴーグルを見つけて付けるようになってから、
真似すんなよ、と軽口叩かれるようになった。

太一の妹に光という大輔と同級生の女の子がいるが、今日は風邪をこじらせて休みである。
一緒に行くと最後まで強情に粘る妹を説き伏せるのに苦労したと笑う太一の話を聞くたびに、
今まで同じクラスになったことがなく、こういったイベントで挨拶する程度でよく知らないが、
太一さんが大好きなんだろうなあと大輔は思っていた。
そりゃあ、こんなに可愛がってくれるお兄ちゃんがいるなんてうらやましい限りである。
姉といわば同属嫌悪を通り越した複雑な関係を形成している大輔にとって、
それが大きなハードルとなり、今となっては家族にうまく甘えることができないという寂しさを抱えている。
妹がいることで兄として人に頼られることが当たり前だ、
というスタンスの太一は非常に居心地がいい存在だった。
太一も、懐いてくれる下級生をもつことに満更でもないため、かねがね良好な関係を構築しつつある。

しかし、姉とのことを知られたくない大輔は、家に友達を呼んだことはない。
もっぱら遊びにいく専門のため、休日なんかは友達とも太一とも外で遊ぶことがほとんどである。
詳細について知っている人間は皆無だった。
今のところ大輔は打ち明ける気もないし、今更相談できる問題でもないため、
だれも知らない状態である。
よいせっと軽い身のこなしで木から飛び降りてきた太一が、よう、と笑った。


「大輔じゃねーか、どうしたんだよこんなトコで。下級生は料理の手伝いじゃなかったっけ?
あー、まさかお前面倒になって逃げてきただろー」

「違いますよ!ただ、みや、じゃなかった女子がサボってるってちくったせいで、
マキ拾い手伝って来いって言われただけですってば!」

「駄目じゃない、大輔君。仕事はきちんとしないとね」

「はーい」


先程空さんと呼ばれたボーイッシュな服装の女の子は、
太一と幼馴染で、同じくお台場小学校5年生の竹之内空という。
お台場小学校のサッカー部は、女子でも混じって参加することができる。
大輔がクラブに入ったとき、空は太一とツートップでお台場小サッカー部の黄金期を支えている紅一点の女子選手だった。
そして、親睦を深めて今に至る。
残念ながら足にケガをしてしまい、休止状態である。
無理をおして出場した大会で、無念の敗北を喫した遠因となったのを負い目に感じてか、と噂されている。
俺たち、いつでも待ってますよ、とエールを送る大輔だが、
なぜだか空は、いつも複雑そうな笑顔でありがとうというだけだ。
真面目な人なんだろうなあ、と大輔は思っている。

密かにジュンじゃなくて空が本当の姉だったらいいのに、と思い描くこともしばしばだ。
空は大輔が思い描く理想の姉ともいうべき存在だった。
自分のことを否定しないし、理由もなく理不尽な命令も言わないし、悪口も言わないし、
なによりもサッカー部の大会があると必ず来てくれて、レギュラーだけでなく補欠やサッカー部のみんなを褒めてくれる。
自分がサッカー部に入ると決めてから、一度も見に来てくれたことの無い、
おそらく興味もないだろう姉とは大違いである。
お前空の前のほうが素直だよな、と口を尖らせる太一の言葉に、はあ、と大輔は首をかしげた。
なんのことかさっぱりわからない。
大輔にとって太一も空も理想の兄や姉というフィルターが掛かっているせいか、
上級生相手ではそういった方面はとんと無頓着でもあった。
ちなみに太一はかわいがっていたいとこが、
実は他の親類に対しても、結構懐いているのをみてショックを受けるのと同じダメージを受けているだけである。
意匠返しに羽交い締めを食らってちょっかい掛けられる。
なんとか逃げ出した大輔は、けほけほと軽く咳き込んだ。


「なあ、カレーってどこまで進んでる?」

「まだ下ごしらえの準備っす。まだまだかかりますよ、きっと」

「うへえ、腹減った」

「太一ソレばっかりね」

「だって朝光説得すんのに時間掛かってさ、だめなんだよ。あーもー、腹減った」


大げさにお腹を抑える太一に、空と大輔は笑った。


「あ、雪!」


緑色の帽子と服が印象的な見たことのない男の子が無邪気に声を上げる。
大輔と同じくらいだが、団地住まい向けの子ども会主催のサマーキャンプに、
無関係な子どもが紛れ込んでいるとは考えにくい。
小学校は普通同じなはずだし、団地に住んでいるなら顔も名前も大体憶えている自信のある大輔はてんで記憶になかった。
あんな奴いたっけ、と考えながら大輔は本降りし始めた雪に見入る。
謎の小学生は、傍らにいた同じ金髪をしている上級生らしき男子に話しかけている。
あの人なら見たことある。太一さんとよくいる人。仲いいんだろうか。
つられて大輔も空を見上げると、さっきより降量が増えている気がする。
8月なのに雪?と仰天する声がして振り向けば、パソコンをいじっていた上級生。
カウガールのような格好をしている女子生徒に、
何やらカバンを抱えて走ってきた、最上級生らしい男子生徒が何やら話しかけていた。


「やべえな、そろそろ帰ろうぜ」

「そうね、ちょっと寒いもの。行きましょ、大輔君」

「ハイ」


急に気温も下がり、猛吹雪の予感すらしてきた。
これはさすがにマキ拾いなどしている暇はない。
すると大輔の首もとにかけられていたPHSが音をたてる。
あわてて覚えたばかりの手順で耳を押し当てた大輔に、少々慌てた様子で母親の声がした。


『大輔、今どこにいるの?』

「え?あ、太一さん達と一緒にハイキングコースの崖のとこ」

『急に天候悪くなっちゃったから、とりあえずキャンプは中止ですって。
太一君達にも駐車場でまってるから、早く戻ってらっしゃいって伝えてくれる?』

「おう、わかった!」


PHSを切り、早速太一たちに事情を話した大輔は、太一が周囲にいた子供たちにも説明するのを確認する。
さすがにこの猛吹雪の中行くのは危険だというメガネの上級生の意見により、
たまたま近くのお堂に逃げこむことにする。
空に連れられて同行した大輔は、しばらくしてやんだ雪により、一面銀世界に包まれた光景にテンションが上がる。
大輔の目の前をさっきの謎の小学生が走っていく。
それを太一の友達の上級生が、危ない、とか、風邪引くとか注意しながらかけていく。
まるで兄弟みたいだが、太一さんの話では聞いたことないなあ、とぼんやり思う。
羨ましいと嫉妬の根が張ることに気付いていながら、大輔は見て見ぬふりを決め込んだ。
一目散にかけ出した大輔に、ずりーぞ置いてくなよ先輩差し置いて!と
憤るキャプテンの声がするがスルーである。
雪玉でもぶつけようかと手にとろうとした大輔は、
カウボーイハットの上級生がテンション高く上げる声に顔を上げた。


「すごーい綺麗!あれって、オーロラ?日本でも見れるんだー!」


思わず見とれる大輔は、ありえないと頭をかかえる最上級生の言葉も、
何故かさっきまでつながっていたネット通信も、携帯電話も、使えないと戸惑う上級生の言葉も気づかない。
よって、大輔のことを心配してさっきから電話をかけているのだが、
なぜか繋がらなくなっているPHSの向こう側の母親の心労など知るはずもない。
オーロラが本来オゾン層と太陽光線の関係で発生する現象であり、
オゾン層が限りなく薄くなる南極もしくは北極でなければ観測されないことなど、
まだ小学2年生である大輔が知るはずもないし、
そもそも日本で観測されるのは極北に位置する場所だけであることなど分かるはずもなかった。

ただニュースで洪水が起こったとか、地震が起こったとか、
やけにニュースが多いなあくらいしか気に留めていない小学生に、そ
んな難しい話を理解するほうが困難である。

なんにせよ。

その見とれていたオーロラから突如放たれた光に気付いたときには既に遅く、
大輔、そしてたまたまその場所にいた他7名の子供たちは、
その光りに包まれてどこか知らない異世界へと飛ばされてしまったのである。









第一話 激闘!サイバードラモン!










「ここ………どこだよ……。太一さーん!空さーん!誰かーっ!いたら返事してくれよっ!!」

気がついたとき、大輔はテレビの中でしか見たことがない、ジャングルの密林の中にひとり倒れていた。
そばにいたはずの太一も空も、他の子どもたちの姿も見当たらず、
さっきから必死に大声を上げて助けを求めているのだが、返事はなし。
代わりに聞いたこともないような猛獣らしき声が聞こえてきて、
恐怖のあまり立ちすくんでしまったほどである。


迷子になったらその場からなにがあっても動くなと、
大型ショッピングモールに家族連れで買い物にいくたびに、
姉から聞かされていたためか、体に染み付いていた。
闇雲に動き回られるとすれ違いになったり、
時間が掛かったりして二度手間で迷惑をかけるだけだから、と何度となく叱咤されてきたのだ。
泣きべそかいて母親にすがった幼少期、もうこのころから既に姉は冷たい目で自分を見ていた気がする。
お客様サービスセンターで両親を待ちわびる子供は、誰もが無事でよかったと笑顔で頭を撫でもらったり、
手をつないで帰っていたのに、姉にそういう事をされた記憶はない。
探せど探せど、姉からの愛情を感じ取れるような思い出が、皆無だという事実が重くのしかかる。
そのことに気付いてから何年経っただろうか、大輔は姉に弟として愛されることを半ば諦めていたのかもしれなかった。

だから、なおさら。

無意識のうちに姉として、兄として、重ねてみていた太一と空がいないという現実は、大輔にとって凄まじいダメージを与えていた。
泣きそうになるのを我慢して、必死に呼びつづける大輔の声が響くことなく密林の中に溶けていく。
どうしよう、どうしよう、とパニック状態になりつつあった大輔は、
首にかけられていたPHSに気付いてあわてて母親に連絡しようと操作するが、
圏外という表示が無常にも記されただけだった。
途方にくれる大輔は、無意識のうちにPHSを両手で握り締め、祈るような思いで待っていた。
いつも待っていれば必ず誰かが声をかけてくれたのだ。
淡い思い出が、彼の性分である無鉄砲を抑えこみ、直感で進んでいくという無謀な行動を抑制していた。
彼がその自由奔放な行動を発揮することができるのは、心に余裕が有るときだけである。
まだ幼い彼が突然置かれた環境を楽しむことができるような楽天さは持ち得ていなかった。
その判断はかねがね正解といえる。
現在彼がいるのはファイル島のとある密林地帯、現在彼が見つめている先の山道は崖が待ち構えていた。

しかし、待っていれば誰かが助けに来てくれる、という淡い期待は、この日を境に木っ端微塵に粉砕することになる。



がさり、と音がした。ほっと安堵して大輔が振り返ると、巨大な影が落ちる。
大輔は一瞬呼吸の仕方を忘れてしまった。
なぜなら、彼の何倍も大きな大きな巨体が彼を見下ろしていたからである。
真っ黒な体をした大男が、4枚の赤黒く染められた血のような羽を揺らし、
しっぽをゆらし、ゆうゆうとこちらに近づいてきたからである。
表情が読みとれない銀色の仮面からは、鋭いツノが二本頭上に突き出している。
その鈍色の仮面に歪んでうつる、今にも泣きそうな子どもが自分であると気付いた大輔は、あわててかけ出した。
大男は無言のまま、凄まじいプレッシャーを帯びながら迫ってくる。
なんなんだよ、あいつ!と大輔は訳がわからないまま絶叫した。


デジモンデータ

サイバードラモンーCYBERDRAMON―

レベル:完全体

タイプ:サイボーグ型

属性:ワクチン種

どんな攻撃にも耐えられる、特殊ラバー装甲に身を包んだ竜人系のサイボーグ型デジモン。
コンピュータネットワークにウィルス種のデジモンが発生すると、
どこからともなく現れて全て消滅させてしまう。
特殊ラバー装甲は、優れた防御能力だけでなく、攻撃力をも増幅させて繰り出せる機能も持っている。
必殺技は、両腕から構成データを破壊する超振動波を出して、敵の周囲の空間ごと消し去ってしまう「イレイズクロー」だ。


走って走って走って、追い立てられるように走っても、低学年の体力と持続力ではどうしてもすぐにバテてしまう。
時折後ろを振り返りながら一直線に逃げていた大輔は、突然広がった視界に戦慄を覚えた。
ころころと蹴飛ばした石が奈落の底へと誘わんとして、口を開けて待っている断崖絶壁。
退路はない。振り向けば、正体不明の怪物がその鋭利な爪と腕にあるブレードを豪快に振り上げているところだった。無
我夢中で助けを求めて叫んだ大輔の目前に、容赦なく暴力が襲いかかる。
飛び降りるかどうか必死で考えた大輔は、
その豪腕で体ごとたたきつぶされて殺されるくらいなら飛び降りてやる、と即決して、決死のダイブをはかった。
これがひとつのきっかけであったかもしれない。
少なくともこの日から、大輔は自分から動かないと誰も助けてくれないのだと、強烈に思い込むようになっていた。



その時である。

無防備に投げ出された小さな体を受け止める何かが、横からサイバー・ドラゴンのもとを飛び去った。
空振りした豪腕から振り下ろされた爪が、さっきまで大輔がいた断崖絶壁をえぐりとり、
奈落の底へと轟音をたてて落としてしまう。
そして目前で獲物をかっさらった、新たな敵を無機質な視線で見つめるのだった。


「おい、おーい、大丈夫か?起きろ、やばいんだから!」


たしたし、と軽く叩かれ、記憶が彼方に飛んでいた大輔が目を覚ますと、ものすごい風圧が大輔を襲う。
反射的にゴーグルをした大輔に、便利だなソレ、と太一くらいの謎の少年が何かにつかまりながら大輔を支えていた。
ほら、捕まれよ、と手を差し伸べられ、わけがわからないまま、真っ青な何かに捕まった大輔は、
自分が何かの動物の上に乗っており、それが大きな羽を羽ばたかせていることにきづく。
大きな尻尾とまるで恐竜のような姿。ゲームで出てくるドラゴンを彷彿とさせるそれ。
驚きのあまり手を離しそうになり、暴れると落ちるってば!と少年に指摘され、
慌てて少年の体にしがみついた大輔は訳がわからず少年に疑問をぶつける。


「え?え?ここどこ?こいつなに?!えええっ?!」

「だから暴れるなよ、落ちるってば!あーもう、賢くらいの癖に落ち着きない奴だなあ。
俺は遼。秋山遼。アンタは?」

「お、おれ?オレは大輔。本宮大輔」

「そっか、大輔。オレがさっき、崖から落ちたアンタを助けたんだ。な?エアロブイドラモン」

「そうだよ、大輔。崖から飛び降りるなんて危ないじゃないか!なんでオレ連れてないんだよ、はぐれたの?」

「うわっ?しゃべった?!」

「何いってんだよ、大輔。オレだよ?進化の姿違うけど、覚えてないの?!」

「はあっ?オレのこと知ってんのかよ、お前!」

「あれ?おかしいな。人違いじゃないのか?」

「違うって!オレが大輔のこと見間違う訳ないじゃないか!
オレだよ、大輔!パートナーのブイモンだよ!覚えてないの?ホントに?」

「ぶ、ブイモンだか、なんだか知らないけど、オレアンタたちのこと知らないって。
なんなんだよ、ここ!オーロラに巻き込まれて気づいたらここにいたんだけどっ」

「………おい、エアロブイドラモン、どーいうことだよ。ゲンナイさんが言ってた時間軸じゃないじゃないか!」

「お、オレに言われても知らないよ!オレはただゲンナイさんが言うとおり、
この先にあるアジトをぶっ潰せっていわれただけで……!」

「くっそ、こんなところにまで時間の歪が起きてんのかよ!
入るゲート、やっぱとなりの奴であってたんだ。間違えた!」

「なにわけ分かんないこと、話してんだよ、あんたら!」

「詳しいことはあとで。まずは、サイバードラモンをなんとか正気にしなきゃ」

「黒い歯車で操られてるんだよ、遼!」

「ったくもー、強い奴の気配がするって勝手に飛び込んどいて、
なに操られてんだよ、バカ!早く目覚ませよ!」


デジモンデータ

エアロブイドラモン

レベル:完全体

種族:聖龍型

羽が生え、空が飛べるようになった青い大型の竜型デジモン。
遠距離攻撃、接近戦どちらも対応でき、空中戦を得意とする。そ
の姿はさらなる試練と戦歴を得たものだけが到達できる姿とされ、
伝説にも歌われている。
必殺技は逆V時の光線を口から吐き出し、相手を引き裂くVウイングブレードだ。




とりあえず、サイバードラモンと呼ばれたバケモノは、本来遼の仲間らしい。
遼がエアロブイドラモンに指示している方向を凝視すると、確かに後ろの背中に黒い歯車みたいなものが突き刺さって見えた。
好戦的らしいあのバケモノが飛び出していって、もともと来る予定ではなかったところに来てしまったらしいが、大輔はそのおかげで命拾いしたわけで、そのゲンナイとか言う人に大輔は密かに感謝した。
どうやって壊すのか遼は困っている。サイバードラモンがこっちに気付いて、一気に急上昇したのだ。
逃れるように大きく旋回する図体にしがみつきながら、大輔は、勇ましく仲間を救おうと頑張る遼の姿を間近で見たのである。
それはそれは、強烈なインパクトを持っていた。
何か止めるものがあれば、とつぶやいて必死に考え込んでいる。
エアロブイドラモンが言うには、サイバードラモンは容赦なく襲いかかってくる猪突猛進型だから、
背中を向けることは絶対にありえない上に、エアロブイドラモンのスピードでは撹乱は無理らしい。
だからといって逃げるのは仲間を見捨てるからできないと必死で打開策を考えている遼。
なにもできない自分を歯がゆく思いながら、大輔はふと有ることを思いついてリュックの中を探った。


「なあ、これ、使えないかな?」

「おおっ!サンキュー、大輔!これならなんとか行けるかも!
よっしゃ、行くぞエアロブイドラモン!あの脳筋の目を覚まさせてやんないと!」

「OK,遼。さっすが、大輔。オレのパートナーだけあるよな!」

「だからお前誰だよ」


さっぱりついていけない大輔は、とりあえず目の前の驚異に集中することにした。
チャンスは一度だけ。緊張のあまり震える手を必死で堪えながら、
大輔はエアロブイドラモンの頭の上までよじ登ると、追いかけてくるサイバードラモンをみた。
遼が後ろから白いデジタル時計のようなものを取り出して、構えている。
なんかのどっきりメカなのだろうか。
遼が後ろから3,2,1,とカウントしてくれる。
せーの!で大輔は使い捨てカメラのフラッシュをサイバードラモンにかざした。


「よっしゃ、今がチャンス!」


一瞬まばゆい光に反射的に振り払う動作をしたサイバードラモンの隙をついて、
大きく旋回したエアロブイドラモンはその口から豪快にビームを発射した。


「Vウイングっ!!」


放たれた光線が黒い歯車に直撃する。
その衝撃により、豪快に吹っ飛ばされたサイバードラモンが岩壁に縫い付けられた。


「だ、大丈夫なのか?味方なのに!」

「大丈夫だって、あの戦闘狂。ほっといてもピンピンしてるから」

「だな」

「ありがとうな、大輔。お前のおかげで助かったよ」


くしゃくしゃ、と頭をかきなでられて、大輔は照れくさくなって、そんな事はないと首を振った。
弟という立場でずっと生きてきた大輔にとって、人から頼りにされて感謝され、
そして褒められるという体験は数えるほどしかない。
屈託ない笑みを向けられ、ありがとう、と口にしてくれた遼は、大輔にとって凄まじい衝撃を与えたも同然だった。
人から頼りにされるということは、こんなに心が暖かくなるものなのか、
くすぐったくなるものなのか、と初めて知った感覚に戸惑いを隠せない。
生まれて初めて、対等に認めてもらえた気がして、大輔は気分が昂揚するのが分かった。
太一が下級生のサッカー部員に対して「頼れるお兄ちゃん」であろうとする理由が少しだけ分かったきがした。
この体験は、大輔の中に強く刻み込まれ、太一と同様に少しでも人から頼りにされる人間になりたい、
という大輔の初めて抱いた希望をはっきりと自覚させるきっかけとなる。
いまはまだ、その時ではないけれども。


思い出したように、大輔はつぶやいた。


「ところで、ふたりとも、何者?」


エアロブイドラモンと遼は、どこか気まずそうに目を逸らした。
微妙な沈黙の中、先程紐なしバンジーを決行した崖へと再びエアロブイドラモンは、大輔を下ろしてくれた。
ようやくお待ちかねの質問タイムである、筈なのだが、
遼とエアロブイドラモンはさっきの潔さはどこへやら何やら焦っている様子である。
さすがの挙動不審に大輔はジト目で睨みつけた。


「なあ、ここってどこ?お台場の近く?」

「いや、違うよ。えーっと、その、あえて言うなら、異世界、かな?」

「えっ?!異世界?どういう事だよ」

「うーん………なんていうか、どこまでいっていいのやら、ええっと、その」

「どうかした?」

「………驚かないで聞いてくれよ、大輔。実は俺たち、未来から来たんだ」

「・・・・・・・・・・・えー」

「信じてくれないの、大輔?!」

「だから、なんでお前はオレのコト知ってるんだよ」

「そりゃ、オレと大輔は運命共同体だからだよ。パートナーなんだから」

「だから、そのパートナーってなんだよ」

「だーもー、エアロブイドラモンは黙っててくれよ、ややこしい。
俺達はとある事情で未来から来て、こうして敵と戦ってるんだ。
大輔たちを助けるために」

「助けるため?」

「信じてくれとは言わないけど、本当なら俺たち大晦日に会う予定なんだ」

「大晦日?………意外とすっごい近くの未来だなあ」

「まあ、そういうわけで、未来から来たから、いろいろ喋っちゃうと未来が変わっちゃうっていうか、
俺達と大輔が出会った時点でいろいろやばいかもしれないけど、
これ以上の変化はこわいから黙っててくれ」

「えー」

「頼むよ、このとおり!」


太一ほどの年上の人間に頭を下げられることに慣れているはずもない大輔は、
なんだか申し訳なくなってきて分かったと頷いた。
あからさまにほっとした様子で遼は胸をなで下ろす。


「その様子だと、まだブイモンとは会ってないみたいだな。
これから会う仲間なんだ、大切にしてやってくれよ」

「そっちの俺にもよろしくね、大輔」

「なんか意味分かんないけど、分かった」

「ここにいれば助けはくるから、安心してよ」

「未来予知?」

「まあね」


わかったと頷いた大輔に、じゃあ半年後に会おうな、と意味不明な言葉をのこじて秋山遼とエアロブイドラモン、
そしてサイバードラモンは空の彼方に消えてしまったのだった。
しばらくして、これからどうしようか途方にくれている大輔を発見した太一から、
大声で呼ばれるまで空の彼方を大輔は眺めているのだった。






本日の特別ゲスト

秋山遼
デジモン02の賢の回想、およびデジモンテイマーズにも出演した。
ワンダースワンソフトから始まるのデジモンの育成シュミレーションゲームシリーズの主人公である。
デジアド及び02に密接したストーリーシナリオとなっているが、細部には矛盾も見られるため、
ゲームとアニメはパラレルワールドということになっている。
このSSに登場した遼の時間軸は、このシリーズ初のゲーム、アノードテイマー&カソードテイマー である。

ゲームのあらすじは以下のとおり。
デジアドの冒険が終わり、『選ばれしこども』達に平穏な日々が戻ってきた。
しかし、彼らに倒された敵の生き残り・ムゲンドラモンとキメラモンが互いに生き残るために融合し、
ミレ二アムモンとして復活、時間を操る能力を駆使してかつての強敵デジモン達を復活させ、
こども達を異空間へ幽閉してしまう。
大晦日にチャットを楽しんでいた主人公・秋山リョウが太一のアグモンに助けを求められ、
デジタルワールドで冒険をすることになる。
敵の時間を操る能力のため、太一たちの冒険がなかったことになり、
時間が夏の時代に戻ってしまっている。
それを救うために太一たちが過ごした冒険をつい体験する内容になっている。こ
のSSでは大輔が初代選ばれし子供のため、反映されたようだ。
ちなみにサイバードラモンはテイマーズにおいて相方として出演している。

このゲームでブイモンは出てこないが、続編には初期の相棒候補として登場する。
そしてそのブイモンがアニメのブイモンと同一個体であることが明かされているが、詳細は不明。
アニメでも何らかのかかわりがあったと思われるが、
アニメで唯一接点が確認されている、ゲームでもアニメでも選ばれし子供として遼と共に冒険したはずの賢が、
暗黒の種の副作用で当時の記憶を喪失しているため回想の真意は不明である。



[26350] 第二話 僕らの漂流記
Name: 若州◆e61dab95 ID:e58c3713
Date: 2011/03/07 04:20
巨木に青い小さな腕が生えている。
うわあっと飛び退いた大輔の声に反応して、ぶんぶんと大輔の声に反応するように上下に揺れる腕が、
にゅきにょきと生え、突如歪んだ緑色の光からちっこい青い生き物が飛び出してきた。
へにょりとした三角の耳と小さいしっぽを揺らしながら、
見事に着地した青いドラゴンの子供のような生き物が、キョロキョロとあたりを見わたす。
顔の部分と腹の部分は真っ白である。誰かを探しているのか、どこか必死な様子だ。
エアロブイドラモンをマスコットにしたような小さな姿に、さっきの出来事を思い出した大輔は、
もしかして、こいつが俺のパートナーとかいうブイモンなのか?と連想する。
しかし、あの逞しいドラゴンのような勇姿とは程遠い、頼りなさそうな、ちっこい生き物である。
何となく姿の面影はあるものの、あまりのギャップの激しさに、イマイチ大輔は声をかけていいかどうか困ってしまう。
そのうちそのちっこい生き物は、大輔の姿を発見するなり、あーっと大きな声で叫んだのである。


「あーっ!見つけたっ!」

「おあっ?!見つかった!」


反射的に間抜けな返答をしてしまった大輔は、何いってんだ俺、とセルフツッコミする。
しばし目と目がかち合ったまま、お互いに硬直していた大輔とちっこいの。
瞬きすること数回、硬直していた大輔よりも先に、行動に起こしたのはちっこいのだった。

くりくりとした大きな赤い瞳が、うううう、と抗議の眼差しを大輔に向けたのだ。
今にも泣きそうな顔でじわじわと大粒の涙を貯め、ぐずり始めたではないか。
突然現れたちっこいのが何故大輔の顔を見るなり泣き出すのか理解できず、困惑と戸惑いに揺れる大輔。
お、おい、どうしたんだよ、と声を掛けるやいなや、凄まじいスピードでちっこいのは大輔に襲いかかった。
突然の出来事に状況すらろくに把握できず、うまく飲み込むことができないまま、
真正面の攻撃にもかかわらず、とっさの判断でうまく受け止めることができない。
だからといって避けるのはかわいそうだし、弾き返すのはもっての外だろう。
結局直接行動にうつす前に、無防備なまま大輔は後ろにひっくりかえったのだった。
受身なんて知らない素人同然の子供に、受け流しなんて出来るわけもなく、
豪快に尻餅を付いた大輔は、その衝撃をもろにうけてしまう。体が悲鳴を上げた。
いってえ、と若干涙目な大輔は、反射的に何すんだよ、と怒ろうとしてその言葉を飲み込んだ。
腹の上に乗っかったちっこいのが、超至近距離で大輔の顔をじいいっと覗き込んでいたからである。
その顔は今まで抱えてきた激情を爆発させる寸前までになっていて、思わず言葉を失ってしまう。
そしてちっこいのは、ありったけの不安と怒りをはらんだ声で、
それこそ、この密林全体に響かんばかりの大声で、叫んだのである。


「だいしゅけのばっかあああ!」


それはもう鼓膜が破裂するのではないか、という程の轟音だった。
舌足らずなあまり「す」の音が発音できない様子は、その愛らしさと相まって非常に保護欲をそそるが、
唾を吐かれながら大声で喚かれた大輔はたまったものではない。
耳を塞ぎたいが容赦なくちっこいのは喚き続ける。


「なんで?なんでっ?!なんでオレを置いてっ、どっか、いっちゃうんだよおおっ!おいてくなよ、ばかああっ!」


あまりの迫力に痛みなど吹っ飛んだ大輔は、ぽかんと口を開けたまま絶句するしか無い。
ちっこいのは、なんで?なあなんで?!と大輔のアンダーシャツをぐいぐい引っ張りながら聞いてくる。
ぼろぼろ涙を流し、しゃくりあげながら、だいしゅけだいしゅけとまっすぐ見上げてくる。
まるで一人ぼっちになった迷子が、ようやく会えた両親にあえて、安心のあまり泣き出してしまったそれとよく似ていた。


「うっぐ……ずっ……待ってたんだよ、オレっ!ずっとオレ、だいしゅけのこと、
待ってたんだよ!会うの楽しみにしてたんだよおっ!なのに、なのに、う、う、ううう」


ぽかぽかと叩いてくる手に大輔は自然と手が伸びていた。
ちっこいのが暴れたせいであらぬところにひっくり返ったPHSの音がなる。
微妙に首が締まって痛いが、寂しかったと泣きじゃくるちっこいのを見ていると、
こうしなきゃいけないんだ、という感じが湧いてきて、大輔はちっこいのを抱きしめていた。
ぴたり、と動きが止まる。おずおずと顔を上げてきたちっこいのに、大輔は自然と笑顔になっていた。
泣くなよ、と頭を撫でてやると少しだけおとなしくなる。


「わっ、わりい、ごめん。気づいたら一人ぼっちだったから、怖くなって逃げてたんだよ」

「オレがだいしゅけって呼んだの、気付いてなかった?」

「ごめん、ぜんぜん聞こえなかった」

「ひどいや、だいしゅけ。もう置いてかないよな?」

「置いてかないって。俺が置いてかれたのかと思ったんだよ、太一さんも誰もいないしさ」

「よかったーっ!」


安心しきった様子でにへらと笑ったちっこいのは、ぐしぐしと乱暴に顔を拭う。
そしてまっすぐ大輔を見据えて、元気いっぱいな笑顔を浮かべたのだった。


「オレ、チビモン!だいしゅけのパートナーなんだ!よろしゅくな、だいしゅけ!」


デジモンデータ
チビモン
レベル:幼年期2
タイプ:幼竜型
幼年期のデジモンには珍しく胴体と両手両足を持っており、
小さな両手で物をつかみ、両足でぴょんぴょん移動することができる。
非常に食べ盛りで、特に甘いモノが大好き。また、寝ることも大好きで、目を離すとすぐ寝てしまう。
必殺技は、ぴょんぴょん跳ねながら相手に体当りする、ホップアタックだ。


「よろしくな、チビモン!」

「うん!そーだ、だいしゅけ!早く太一たちのとこにいこう!みんなだいしゅけのこと探してるんだ」

「マジかよ、そういう事は早くいってくれよな、チビモン!どっち?」

「んーと、あっちだ!」


チビモンを抱き抱えたまま、大輔は走りだしたのだった。

「だいしゅけー、痛いよ、これ!」

大輔の腕にすっぽりと収まり、だっこされたまま道案内しているチビモンが悲鳴をあげる。
反対方向に引っかかっていた大輔の首にさげられたPHSが、走っている衝撃で所定の位置に戻ってきたため、
さっきからカチャカチャと音を立てて、チビモンのそこかしこにぶつかるのだ。
そのためなんとかPHSを捕まえようと躍起になるも、あっちにこっちにと揺れるそれをなかなか捕まえられず、
ようやく捕まえたと思ったら落っこちそうになり、あわてて拾い上げた大輔が立ち止まってくれて今に至る。
何とかしてくれとのパートナーデジモンの要望に、大輔はうーん、と考え込んでしまう。
圏外表示で使いものにならないPHSだが、ジュンが自分の為にと貸してくれた大切なPHSだ。
首から下げて、絶対に離さないようにと念を押されている以上、
下手にリュックにしまいこんでなくしてしまったらあとが怖い。
これを返すときには、今度こそ頑張ってジュンが姉として家族として、自分のことをどう思っているのか聞こう、と
サマーキャンプに出かけるときに決めたのだ。いわば願掛けの部分もある。
だからいつもならめんどくさがってリュックに入れっぱなしにするところを、頑ななまでに持ち続けていたのだ。
そして今や、訳の分からない、遼にいわせれば異世界に飛ばされてしまった以上、
家族との繋がりを感じることができる唯一の品物がPHSと言っても過言ではない。
もし無くしたりして怒らせたら、今度こそ大輔はジュンに対して何も言えなくなってしまう。
大っキライと散々公言しておきながら、やっぱりどこか期待しているフシがある大輔だった。

それをチビモンはなんとかしろという。
初対面で大輔のことを知っていて、パートナーだと宣言したこの頼りないちっこいのを抱えて、
俺が守ってやんなくちゃいけない、と少なからず感じていた大輔である。
無邪気なまでに一途に信頼されるのは、眩しいほどに初めての経験だらけである。
張り切るのも無理はなかったが、少々由々しき問題だった。
そんな事知らないチビモンは、どうして大輔がそれだけ頭を悩ませて、うんうん唸りながら歩くのかわからない。
そして、大輔は言ったのだ。

「じゃあ、いっぺん降りろよ、チビモン。おんぶするから」

「やだっ!オレ、離れたくない!だいしゅけ、それ、片付けろよう」

「だめ、ガマンしろよ」

「えええっ!なんで?!」

「なんでも!」

「むあーっ!オレより大事なのかよう!オレ、だいしゅけのパートナーなのにーっ!」

「ダメなもんはダメなんだよ!ねーちゃんのなんだからっ!」

「………え?」

「あ………。あ、その、あ、姉貴から借りてる奴だから、無くしたら怒られるんだよ。
オレの姉貴、すっげーこわいし、面倒だからその、わりい」


感情の高ぶりのあまり、無意識のうちにねーちゃん、と口にしてしまった大輔は、
慌てていい慣れた姉貴という言葉に置き換えてごまかすように説明する。
何故か大輔の名前を知っていたとはいえ、チビモンは出会ったばかりの存在だ。
いろいろと説明してやらないと分からないことに気付いた大輔は、
心の奥底にある気持ちを押し固めるように言葉を紡いでいく。
やがて落ち着いてきたのか、いつもの調子を取り戻した大輔に、チビモンはPHSをつかんだまま笑った。


「分かった。じゃあ、オレが持ってればいいんだよな!」

「おう、よろしくな、チビモン」


再び一人と一匹は他の子供達と合流するべく先を急いだのだった。
道中、ふと大輔はチビモンに秋山遼やサイバードラモン、エアロブイドラモンを知っているかと聞いてみたが、
チビモンは首を振って知らないと答えた。大輔の知り合いかと逆に尋ねられ、なんでもないとごまかした。
やっぱり未来から来たっていうのは本当かもしれないと判断した大輔は、太一たちに話すかどうか悩んだ末、
結局自分でも説明しきれないと気付いて黙っていることにした。
ゲンナイさん。黒い歯車。ゲート。操られている。本来知りえない情報を聞いてしまった大輔は、
のちに彼らが本当に未来から来たのだと知ることになるのだがそれはまた別の話である。
同じく、運命共同体って何だと聞いてみたがチビモンは疑問符だ。
しかし、何となくニュアンスは感じ取れたのか、口癖にように俺と大輔は運命共同体だと嬉しそうに言うようになるのも
完全なる余談である。










大輔が7名の漂流してきた子供たちと再会したのは、それからすぐの事だった。

「よかったなー、チビモン。大輔見つかって!」

「太一たちのおかげだな!みんな、ありがとう!」

「チビモンに感謝しろよ、大輔。俺達がここに来たとき、大輔はどこだって大騒ぎしてたのチビモンなんだぜ?
おかげでみんなで手分けして探してるうちに、俺がこの望遠鏡で崖にいたお前見つけられたってわけだ」


ほら、忘れ物。お前のだって、と太一から、遼が持っていたものと全く同じ白い機械を渡される。
ありがとうございます、と受け取った大輔は、どこか誇らしげなチビモンにありがとなともみくちゃにする。
デジヴァイスというらしいそれは、どうやらここにいるメンバー全員が必ず持っているもののようで、
大切なモノだとチビモンからも言われた大輔はそれをPHSと同じところに下げることにした。


「えっと、迷惑かけてごめんなさい。それと、探してくれて、ありがとうございました。
俺、お台場小学校2年の本宮大輔です。太一さんと空さんと一緒で、サッカー部に入ってます。
よろしくお願いします」

サッカー部で培った上下関係を尊ぶ運動部の規則と生活が、元気な挨拶としっかりとした挨拶を可能にした。
大輔の自己紹介が済んだところで、実は大輔を捜すために既にお互いの紹介が住んでいるらしいメンバーは、
大輔が知っている太一や空を除いて、再び挨拶してくれることになった。
メンバー紹介は以下のとおりである。

メガネをかけているメンバーの中で1番背が高い上級生は、城戸丈というらしい。
アザラシかオットセイの子供のような姿のプカモンがパートナーのようだが、
イマイチこの世界やデジモンのことを受け入れられず挙動不審気味である。
微妙にプカモンとも距離をおいているのがちょっと気になった。
漂流してきた子供たちの中に大輔がいないことに最初に気付いて、
必死で探してくれたチビモンのため、すっかり仲良くなっている大輔に驚かれたのは言うまでもない。
唯一の6年生ということで、何か困ったことがあったらいってよ、と言われたので、
大輔は素直に頷いた。どうやらこのメンバーの中では自分達が最年少らしいと気付いたのである。

次に丈の横から飛び出していたのは、太刀川ミミというカウボーイのかぶってる帽子
(テンガロンハットという言葉をまだ大輔は知らない)
とウエスタンな格好をしている4年の女の子である。
ころころとよく表情が替わる人で、言いたいことははっきりいう感じらしく、
大輔は何度か返答に困って太一や空にバトンタッチする場面が多々あった。
パートナーはタネモンという植物を乗っけたデジモンで、プカモンと違って口調が女の子だった。
パートナーによって性別が一緒なのかと聞いた大輔に、
チビモンは性別って何?オレたち、そんなのないよ?と言われて驚いたりする。

そしてミミの隣にいたパソコンを抱えている少年を見たとき、ようやく大輔は同じサッカー部の上級生だと気付いた。
ミミと比べてかなり小柄であり、電子機器を使いこなしているところをみると、
なんだか頭よさそうなイメージが先行してしまい、グラウンドで一緒に活動する以外、
顔を合わせたことがなかったため気付かなかったのである。
通りでさっきから太一や空と、大輔のことを手のかかる後輩だと話しているわけである。

「光子郎先輩、パソコン使えたんすね、知りませんでした。すっげー!」

「そんなこと無いですよ。大輔君だってPHS持ってるじゃないですか」

「え、あ、これは、迷子にならないようにって持たされてるだけなんで」

「あはは、そうですか。どうです?使えます?」

「だめっす、圏外だって」

「そうですか、僕の携帯も使えないんですよ」

はあ、と二人はため息を付いた。


そんな光子郎を半ば押しのけて前に出てきたのは、太一の友人である5年生の上級生だった。
抱えられているツノをもった丸い形をしたツノモンとの挨拶もそこそこに、大輔は思った。
金髪で日本人離れした外見を持つ彼を大輔は何度か見たことはあるが、実際にこうして会うのは初めてである。
何度か太一の口から聞いているはずなのだが、太一の話は大抵話題があっちこっちに飛んでループするため、
聞かされる側はイマイチよく覚えていなかったりするので、大輔はなんですか?と尋ねるしか無い。
どこか近づきがたいクールな雰囲気を持っており、なんだか怒っていることが分かって、
大輔は少し身構えながら顔を上げた。
石田ヤマトだと短く挨拶してくれたので、軽く会釈した大輔。
彼はしばし大輔を見下ろしながら沈黙し、その気まずい雰囲気にいたたまれなくなった大輔が、
しどろもどろに成っていると、ボソリとつぶやいた。

「なんであんな所にいたんだ?」

「え?」

「だから、なんであんな崖に一人でいたんだ?危ないだろ」

「え、っとあ、その」


話さない、と決めた手前、じゃあお前は何をしていたのだと当然聞かれるであろう返答を、
全く考えていなかった大輔は虚をつかれ、ますます挙動不審になる。
眉を寄せるヤマトに、大輔の腕の中にいたチビモンがずいっと顔を上げた。


「なんで怒ってるんだよ、ヤマト。
だいしゅけはみんなと離れてて、一人ぼっちで目が覚めたんだ。
だから、わけわかんなくて、オレのことも、すぐ近くに行くまで全然気付いてなかったんだよ?
すっげー怖くて訳分かんないから、あの崖んとこでみんないないか、探してたんだ。
だいしゅけのこと、いじめるなよ!」


言い返されたヤマトは、一瞬驚いた顔をして、あ、いや、ちがうんだ、と慌てて言葉を重ねる。
なにが?と警戒しているチビモンに、大輔は落ち着けってば、と諭した。


「大輔っていったっけ、お前、タケルと一緒でまだ2年生だろ?
このメンバーの中では1番小さいから、あんまり危ないことすんなって言いたかっただけなんだ。
誤解したなら、謝る。ごめんな、心配したから」

「あ、は、はい、心配させてごめんなさい。気をつけます」

「分かってくれたんならいいんだ」


少しだけ表情を緩めてくれたものの、イマイチ、ヤマトという人は顔に出す表現が足りない。
言葉のちょっとしたニュアンスや会話の流れから、相手の思考を予想してみる、憶測する、
という作業がとても苦手な大輔にとって、動作や顔といった分かりやすい部分がほとんど無愛想なヤマトは、
正直全く何を考えているのか分からず、なにを返していいのか分からなかった。
チビモンのおかげで、心配してくれたから注意しただけだと知ることができたが、
大輔は内心この人苦手だとすっかり苦手意識をもってしまう結果となる。
なんかこえーこの人、あんま話したくないな、とヤマトに聞かれたら落ち込みそうなことを心のなかでつぶやいていた。

ちなみにヤマトの方でも、タケルと同じ年ということで守ってやらなくてはいけない、と考えていたのだが、
無邪気で素直でいい子なタケルと比べて、活発で自分のことは自分でする、自立心あふれる真逆のタイプだったため、
率直に守ってやるといっていいのかどうか分からず戸惑ってしまっただけだとフォローしておくとしよう。


そして最後に、大輔が小学2年生であると知るやいなや、さっきから話したくてうずうずしていた、
例の謎の小学生がひょっこりと顔を出した。
さっきヤマトの口からも名前は出ていたのだが、無駄に緊張していて頭に入らなかった大輔は、
その小学生を見ることにする。
よっしゃ、俺のほうが微妙に身長高い!と朝の朝礼なんかで前から数えたほうが早い大輔は、
少しだけ優越感を感じていた。

「こんにちは、大輔君。僕、高石タケル。僕も同じ小学校2年生なんだ、よろしくね。
この子はトコモンだよ」

「よろしくねー、大輔」

「おう、よろしくタケル、トコモン」

このメンバーの中では、このタケルという少年と自分が最年少のようである。
年上ばかり相手だと敬語を使わなくてはいけないので、ようやくいつもの砕けた口調で話す相手が見つかり、
大輔は肩の力を抜いた。

そして少しだけ疑問がもたげてくる。
ヤマトはタケルのことを、まるで兄弟のように気にかけていたようだが、
聞いた限りではヤマトとタケルは苗字が違うではないか。
同じ金髪だし、てっきり兄弟だと思っていた大輔は疑問符を浮かべた。
小学二年生に二人の兄弟が両親の離婚という家庭の事情で離れて暮らしていることなど、
察せよと言う方が無理である。
それよりも、とりあえず同じ学年なら、なんで大輔は自分が知らないのか分からなかったので、
先に聞いてみることにした。
大輔の事前情報として、サマーキャンプは団地に住む子供向けの子ども会のイベントであり、
そこに住んでいる人しか参加しないはず。
たいてい参加する子供たちは同じ小学校に通っているはずだ、という先入観が先にある。


「なあ、タケルって何組だっけ?わりい、思い出せないんだけど」

「え?あ、ううん、違うよ。僕河田小学校の2年生なんだ。
夏休みだから、お兄ちゃんのとこに遊びに来たんだ。ね?お兄ちゃん」


タケルが振り返ってヤマトを見る。ヤマトは思わぬ質問に一瞬答えを窮した。
まだ幼い弟は、家庭の事情について未だによく理解していない気配がある。
その上、ヤマトは家庭の事情について、野球部に所属する過程で、
同じ運動部という共通点から親しくなった太一や空に対しても、
自ら語ったことはない。
それは幼い弟を傷つけたくない、聞いてしまったと友人に気を使われてしまうのが嫌だ、という
ヤマトが基本的に相手が傷つくことに非常に敏感であるため、慎重である性分がそうさせていた。
ここに答えてしまえば、自分とタケルが兄弟であることが判明して、家庭の事情が知られてしまうことになる。
どう答えようか迷っているうちに、横槍が入った。

「そっか、大輔知らないんだっけ?タケルはヤマトの従兄弟なんだよ。
夏休みだから遊びに着てたんだってさ」

それは、初めてこの問題に直面したとき、とっさについた嘘だった。
夏休みともなれば、お台場という絶好の観光スポット近くに済む団地の住人たちは、
よく親類を集めて遊園地やフジテレビなどに出かけることがよくある。
そのため、いとこが遊びに来ていて、サマーキャンプに参加したのだという嘘は、
今までヤマトがタケルの存在を微塵も感じさせなかったため、あっさりと信ぴょう性を帯びてしまった。
なんだ、お前弟いたんだ?と何気ない太一の言葉に、反射的についてしまった嘘は、
あっさりと受け入れられ、またこうして大輔という少年にまで浸透している。
従兄弟ってなに?と無邪気に聞く弟に、離れて暮らす子供同士のことだと、
近からずも遠からずな表現で教えたためかタケルもうなずいている。

そんな事、知りもしない大輔は、太一が嘘をつかない性格であると当たり前のように受け入れているため、
あっさり納得した様子でうなずいてしまった。
まずい。ヤマトはそう思った。
タケルも大輔も同じ年だから、きっといろいろ会話することが大くなるだろう。
守ってやらなくては、と人一倍タケルに過保護な自覚のあるヤマトも、
3歳という歳の差は、意外と話し相手でも微妙に大変だったりするので、
大輔の存在は正直ありがたかった。
ただし、大輔が従兄弟という嘘を信じてしまったということは、
一人で従兄弟の家にきて、この漂流に巻き込まれてしまった一人っ子だと勘違いしているおそれがある。
そこからいろいろ話がいったら、バレてしまうおそれがあった。
どうしよう、と自ら付いた嘘に必死で打開策を考えているヤマトは、
タケルと大輔を見比べて怖い顔をしていることに気づかない。
それがますます大輔の苦手意識と、チビモンの不信感を煽っていることなど、知るはずもない。


やがてこの微妙な誤解が、ややこしい事態を招いていくことになるのだが、
突如現れたクワガーモンの奇襲によって、海へとダイブすることになる彼らは、
まだ知りもしないのだった。



[26350] 第三話 大好きと大嫌いの狭間で
Name: 若州◆e61dab95 ID:ab875a90
Date: 2011/03/09 23:35
クワガーモン
レベル:成熟期
種族:昆虫型
頭に大きなハサミがついた昆虫型デジモン。全身がかたいカラに守られているため、防御力にもすぐれている。
パワーも強力で、ハサミの部分で一度敵を鋏むと、倒れるまで離さない。カブテリモンとはライバル関係にある。
必殺技は、巨大な腕を使って相手を真っ二つにするシザーアームズだ。

8人の子供たちとデジモンたちは、モチモン曰く「知能がなく本能的な行動しかできない」らしいクワガーモンに襲われた。
必死で逃げまわる子供たちを守ろうと幼年期のデジモンたちが果敢にも成熟期のデジモンに立ち向かう。
しかし、全く通用しない技に半ば諦めかけたとき、8体のデジモンたちは光に包まれ、成長期へと進化を遂げる。
そして彼らの総攻撃でなんとか撃退することができたものの、油断した隙を突かれて、最期の一撃が子供たちとデジモンたちを海へと落下させた。
プカモンから進化したゴマモンの操る魚たちのおかげで、なんとか岸辺に辿り着いたものの、元いた場所から大きく離されてしまった。
海沿いを歩けばつづ大陸があるかもしれないという太一の意見で、海を目指したものの、電話ボックスがずらりと並ぶ奇妙な光景が待っていた。
疲れた太一達は、そこで休憩もかねて持ち物を確認し合い、しばしの自由時間とすることにしたのだった。

「大輔、お腹へったよー!」

「俺も、ぺっこぺこだ、腹減ったあ。そういえば、カレー結局食べそこねちまったんだよなあ」

あーあ、とがっくり肩を落とす大輔に、カレーって何?と機敏に反応した相方が食いついてくる。
チビモンの時よりもずっと大人びた声ながら、態度そのモノは無邪気で元気いっぱいなやんちゃ坊主と変わらない。
大輔くんと良く似てるわね、と空は笑ったが、大輔はゼッテー違うと否定した。
俺、こんなに甘えたがりじゃないし、真っ直ぐ思ったことをそのまま言えないし、素直じゃないし。
もし俺がこいつとおんなじなら、かわいい弟が欲しいとのたまう姉が、これだけ自分を嫌うわけがない。
きっと姉が欲しいのは、タケルみたいな奴なんだろう。
従兄弟のヤマトをお兄ちゃんお兄ちゃんと慕い、無邪気に笑ってニコニコしていて、しかも素直でいい子である。
絵に描いたようないい子である。自分とは大違いだ。
そこまで考えてはたと我に帰った大輔は、何考えてんだ俺、とネガティブ思考を打ち消すべく首を振った。
全部腹が減ってるから悪い。だかららしくなく、うじうじ考えてしまうんだと切り替える。
余計腹減るから勘弁してくれと思いながら、目をキラキラさせている弟分にいやということもできず、
大輔はサマーキャンプで食べるはずだったカレーについて語り出す。
お互いに空腹なせいでより具体的な情景描写が入り、空想もとい妄想が余計に空腹を加速させてしまう。
何度目になるかわからない腹の虫を見かねてか、それともこの世界に来る前から腹が減っていた影響か、
持ち物を確認したときにタケルと大輔が大量のお菓子を持っていたため、
大切な食料だからと一括して管理することになったジャンケンでパーを出した太一の宣言により、
ひとつだけお菓子を選んでもいいことになる。

大輔が選んだのはチョコレートだった。
育ち盛りの食いざかり、昼飯を食いそこねている子供に、チョコレートひとつはあまりにも偏食粗食と言わざるを得ないが、
漂流の身である以上文句は言えない。とうていチョコレート一枚で空腹が満たせるとは思えないが、何もないよりはましだった。
本当なら全部一人で食べてしまいたい。
家にいたら、大抵半分こと言いながら、明らかに3分の2,いや5分の1を残して横取り独占してしまう横暴な姉がいるが、
今はそんな奴いないのである。でもなあ、と大輔はちらりと横を見た。
その代わりに、チョコレートって何何、大輔!と興味津々で甘い匂いのするパッケージをガン見している我が相棒が一人いる。
自分を運命共同体だと未来予知したエアロブイドラモンが、大切にしてやれと、よろしくといっていた、あのブイモンが。

ブイモン
レベル:成長期
種類:小竜型
数少ない古代種デジモンの一匹。古代種の成長期の中でも高い戦闘力を持っている。
性格はいたずら好きでやんちゃ。
今はその時ではないが「デジメンタル」を使って、「アーマー進化」すると爆発的な力を発揮する。
必殺技は、勢いをつけて頭から突っ込む強烈な頭突きを食らわせるブイモンヘッド。
ちなみに威力は中くらいの木なら簡単になぎ倒すほど。
子供たちのパートナーデジモンの中では、唯一の接近戦型の直接攻撃の技を持っており、射程の長い相手は苦手。

真夏のテントの中に放置していたので、嫌な予感はしていたのだが、やっぱりチョコレートは少し溶けていた。
これでも日陰の方を置き場所に選んだつもりだったが、みっしりと沢山の荷物の中にうもれていたせいで、
あまり予防効果は無いらしい。
パッケージを破って銀紙に包まれた板を取り出した大輔は、いち、にい、さん、とブロック数を数え、
ちょうど半分あたりでパキンと真っ二つに割った。そして早く早くといきり立っている食いしん坊に、
その銀紙を少しだけ剥がして渡したのだった。
虫歯の詰め物のせいでうっかり銀紙をかんでしまうと、きーんとなるトラウマのおかげで、
なんだか世話をやく兄貴のような行動になっている。
そんなこと気付きもしない大輔は、自分のぶんもぱくついた。
ありがとだいすけー、と初めてパートナーと食べる食べ物に触れたブイモン。
その数分間のテンションの上がり方は尋常ではなかった。
この世のものとは思えない絶品を食べたとばかりに、大絶賛。じゃあここで何食べてたんだよと大輔は思ったが流された。
あっという間に平らげてしまったブイモンに、もっとくれと強請られて、慌てて自分の分を死守するために猛攻を交わすハメになり、
結局最後までゆっくりと貴重な食べ物の味を堪能することができなかった悲劇。
最後の一口を放り込んだ大輔に、ブイモンはあああっと大声を上げて、まるでこの世の終わりのような顔をした。
チビモンのようにわんわん泣くことはなくなったが、その代わりにずっと大きくなったためだっこできなくなった。
その時と同じくらいショックな顔をしている。いちいち行動が大げさでつい大輔は笑ってしまい、ブイモンは拗ねるのだった。
周りを見れば、みんな思い思いに休憩時間を楽しんでいる。
クタクタに疲れていた大輔は、しばらくブイモンと色々話をすることで、棒になっている体を休めることにした。

しかし、厄介ごとはそう待ってはくれないらしかった。

砂漠に響き渡るミミの悲鳴。何だ何だと集まってきた子どもたちの前に、巨大なヤドカリのようなデジモンが現れたのである。
あろうことか太一たちが集めて置いておいた荷物の真下から現れたそれは、邪魔だとばかりに荷物を豪快に投げ飛ばし、
近くにいたミミたちに襲いかかった。
デジモン博士と化しているテントモンによれば、シェルモンというらしいこのデジモンは、海辺に住処を構え、
縄張り争いが熾烈で、とっても凶暴らしい。早く言えと全員からのツッコミを受けたのはおいといて、
あわててそばにいた太一とアグモンがミミたちを助けるためにかけ出した。

シェルモン
レベル:成熟期
種族:水棲型
「ネットの海」の海岸や浅い海底などに住む、ヤドカリのような姿をした水棲型デジモン。体は柔らかいため、体が入るものなら何にでも住み着いてしまう。
体の成長とともに住処を変えるため、最後には小さな岩山程度の大きさにまでなるらしい

無茶だとテントモンの叫びに、うるさいとバッサリ切り捨てて、必殺技の火の玉で応戦するアグモンだったが、
とっさにミミをかばって太一がシェルモンの鞭のようなツタに捕まってしまう。
縦のように太一を差し向けられ、慌てて太一たちに加勢しようとした大輔たちは立ち往生を余儀なくされてしまう。
シェルモンのつたが太一をギリギリと締め上げる。 ボクが太一を守るんだと叫んだアグモンの叫びに、太一のポケットに入っていたデジヴァイスが反応した。
激しい振動音に溢れる光。眩しかったのか、投げ出すように太一を開放したシェルモン。投げ飛ばされた太一を受け止めたのは、
成熟期に一段階進化を遂げたグレイモンだった。

グレイモン
レベル:成熟期
種族:恐竜型
頭の皮膚が硬い殻のようになった恐竜型デジモン。攻撃力、防御力ともに高く、体中が凶器。
性格は気性が荒く攻撃的だが、頭が良く手なずければ心強いパートナーになる。
生息範囲が広いのも特徴でほとんどの島や大陸に生息しており、特にフォルダ大陸に住むグレイモンは狂暴性が低く知性が高いため、
仲間と緻密に連携しながら戦うことができる。
必殺技は、超高温の炎を吐き出し、すべてを焼き払うメガフレイム。

圧倒的なパワーでシェルモンの攻撃をはね返したグレイモンは、必殺のメガフレイムでシェルモンを海の彼方へ吹っ飛ばす。
進化によって力を使い果たし、太一の前に再びアグモンが退化した姿で倒れる。
慌てて駆け寄ってきた子供たちは、疲れただけだと笑うアグモンに感謝し、アグモンが復活するまで暫く休憩を延長することにした。
先程の進化の光、デジヴァイスの関係、などいろいろ上級生たちが難しい顔をして話し合っている横で、
さっぱり話に加われない大輔は、太一に言われてばらばらになった荷物をタケルと二人で回収することになる。
さすがに小学生2人では運べないということで、ヤマトが付き添いに同行することになった。
心のなかで、まじかよーっと一方的な苦手意識を持っているヤマトの先導のもと、複雑な心境で沈黙しているブイモンと共に
山林へと足を運んだのだった。





第三話 大嫌いと大好きの狭間で




「あった!俺のリュック!」

旅行かばんとは別に、いつも持っていく荷物はサマーキャンプ用に買ってもらったリュックに放り込んでいた大輔は、
唯一この世界に持ってきた私物が詰まっているリュックを草むらで見つけて、ほっと胸をなでおろした。
ありましたー!と高々とリュックを掲げる大輔に、ぶっきらぼうにヤマトがそこで待っているよう指示を出す。
どうやら他の子供達の荷物の中には、さらに奥のほうに投げ飛ばされたものがあるらしい。

「ボクも見つけたよ、おにーちゃん!」

白いリュックを抱きしめたタケルに、ヤマトは二人で待っているよう告げると、そのまま奥に消えてしまった。
はーい、とお行儀よく返事をしたタケルは、大輔のところにやってくる。
別のところを探していたらしいブイモンとパタモンも集合した。
ヤマトが見えなくなったことで、ほっとした様子で小さくため息を付いた大輔に、
タケルが興味津々で話しかけてくる。

「ねえ、ねえ、大輔くん、大輔くんがもってるそれ、オウチの人に貸してもらったの?」

光子郎との会話で、迷子防止に持たされていると聞いていたタケルの質問に、
まーな、と大輔は嬉しそうに笑った。いいだろー、と自慢気に笑う大輔に、いいなあ、ボクもほしいとタケルはいう。
素直な反応に気を良くした大輔は、得意げにかざす。傍らに吊り下げられているデジヴァイスがカタリと音を立てた。

「姉貴のだから、壊したら怒られるんだよなー、大輔」

何となく楽しそうな二人の会話に加わりたくて、ブイモンは大輔と自分しか知らない話を出して、
話題の中心になろうと躍り出た。あっ、こら!と慌てて口を抑えた大輔。
もがもがと苦しそうに手足をばたつかせるブイモンを強引に引き戻した大輔は、
恐る恐るタケルとパタモンを見る。

「へええ、大輔くんってお姉ちゃんいるんだ」

「タケルと同じだねー」

「だね!」

従兄弟のヤマトをお兄ちゃんを慕うタケルをみて、従兄弟と実の姉弟は微妙に違うだろと思いつつ、
必死で姉貴の話題をどうそらそうか考えた。くふひいよひゃいふけとバンバン叩いてくるブイモンに気付いて、
あ悪いとようやく解放する。酸欠で危うく死ぬところだったブイモンは、恨めし気に大輔を睨みながら深呼吸した。

「大輔くんのお姉ちゃんってどんな人?」

ほらきた。一番聞かれたくない質問が飛んで来る。
姉のことは誰にも言わないで欲しいと、早いことブイモンに言うべきだったと後悔したがもう遅い。
なんで?と聞かれたら、姉と自分との間に横たわっている複雑な事情と現状、そして自分の気持ちを
一から全て説明しなければならないほど、ブイモンは大輔と同じことを知りたがる。
嫌な予感はしていたのだ。しかし、ジレンマに陥っていた大輔は、結局チョコレートの時に
ブイモンとの会話があまりに楽しくて問題を先送りにしてしまってこの様である。
俺の悪い癖だと笑った。
八つ当たりだと分かっていながら、ついついブイモンを睨んでしまう大輔である。
あれ?なんかオレ睨まれてる?と大輔の心境なんて分かりっこないブイモンは不安気に大輔を見上げて、
消え入りそうな声で名前を呼ぶ。はあ、と大げさにため息を付いた大輔はタケルを見た。



大輔の不自然な対応に、あれ?とタケルは早速違和感を覚えていた。
タケルからしてみたら、なんとなく、お姉ちゃんとお兄ちゃんの差があるとはいえ、
同じ弟の立場であることが明らかになり、いろいろと話ができるだろうと思うとうれしくなって聞いただけである。
まるでお姉ちゃんの存在を知られてほしくなかった、としか取れない行動、
そしてみるみるうちに困ってしまう大輔の態度、表情、全てがタケルにとって肩透かしだった。
話題を提供してくれたブイモンに不機嫌そうに睨みつける大輔は、一瞬ではあるが本気で怒っていた。
なんでだろう、と思うのも無理は無い。
タケルにとって、ヤマトお兄ちゃんは自分のことを気にかけてくれて、かまってくれて、遊んでくれる
とっても優しいお兄ちゃんである。
お母さんもお父さんも好きだが、甘えたいさかりで両親の離婚という家庭の事情から引き離され、
こうして長期休みみたいな機会がないと会えなくなったお兄ちゃんがタケルは大好きだった。
数年前までは当たり前のように、一緒に遊んだり、ご飯を食べたり、ゲームをしたり、
テレビを見たりという何気ない日常が確かに存在していたが、奪われてしまった思い出は戻らない。
一緒の小学校に通う夢はもう見ない。
会いたい時に会えない寂しさがお兄ちゃん子にさせる一方で、その離婚にいたるまでの経緯が、
タケルに歳相応以上の卓越した観察眼を身につけさせてしまったのが悲しいところである。
不意識のうちに、相手が何を考えているのか読み取ることに慣れてしまったタケルは、
言葉や行動に起こさないと相手が何を考えているのかよくわからない、小学生らしい感性をもつ大輔とは違い、
大輔のとったあべこべな行動が訳のわからないものとして映ってしまう。

PHSがお姉ちゃんのものだとブイモンは言う。
大輔は嬉しそうにPHSを見て、笑い、自慢気に、得意げに見せてくれたはずだ。
そしてデジヴァイスと同じように常に肌身離さず持っている時点で、とても大切なモノだ。
迷子用といってはいるが、それはきっと大好きなお姉ちゃんのものを貸してもらえたからだろう。
大輔の抱える事情を全く知らないにもかかわらず、タケルは残酷なほど大輔の真意を見抜いていた。
それゆえに、何故それを教えてくれたブイモンを、その驚くほど冷ややかな眼差しで咎めるようににらめるのか、
そして不自然なほど沈黙してしまうのか全く理解出来ない。

じゃあ、分からないことは聞いてみよう、という素直な思考回路に到達した。
タケルはいい子である。いや、無意識のうちにいい子であろうとする癖が身についている。
離婚調停が決まるまで、親戚の家に預けられ、そして母に引き取られて数年になる生活の中で、
母子家庭で仕事に忙しく家を空ける多忙な母に少しでも迷惑を掛けまいと、
お母さんや友達や先生、近所の人達が望むいい子のタケルくんであろうとしている。
それはお兄ちゃんであるヤマトにまで及んでいるが、
タケルが無意識のうちに素直で明るくて聞き分けのいい、いい子な弟であろうとすればするほど、
同じ境遇を強いられてタケルの癖に勘づいているヤマトはますます過保護になっていく。
本当はこの世界に来たときに、真っ先にヤマトに、帰りたいと抱きついておもいっきり泣きたいのだ。
わがままになって、甘えてみたい、もっと素直になりたいと思いながらもできないタケルにとって、
年上のメンバーばかりの中で唯一同学年の大輔は、背伸びをしなくていい存在として認知されていた。
いい子であることは変わらないけれども、同じ年で、弟という同じ立場なら、
ちょっとだけ話を聞いてもらえるかもしれないという思いがあったことは事実である。
タケルが観る限り、お姉ちゃんがいるとは思えないほど、大輔はしっかりしている男の子である。
それこそ、ヤマトにくっついている自分が恥ずかしくなってくるくらいに。
だから正直、ヤマトに危ないことはするなと怒られている大輔が羨ましかったりするのだが、まあそれは置いといて、
気のいい大輔だったら分からないことは教えてくれるだろう、という気持ちがそうさせた。
それなのに、投げかけた質問に帰ってきた答えは、驚くほどあいまいなものだった。

「わかんね」

「え?」

「わかんねーや、全然」

「なんで?」

「なんでって………俺が知るかよ」

困ったように大輔は頭をかく。

「まあ、いーじゃねーか、別のこと話そうぜ、タケル」

大輔は話題を切り替えたいのか、強引に話題の転換を要求してくる。
タケルの頭の中ではすっかり、大輔のお姉ちゃんイコールヤマトお兄ちゃんのような存在であるという公式が出来上がっているのに、
大輔は全く頓着しない様子で、本気で困っているのである。嘘を付いているようには見えない。むしろ答えが見つからなくて困っている。
タケルはここで引き下がるのは嫌だと思った。
大輔はおそらくお姉ちゃんと家族と一緒に住んでいて、毎日毎日同じ時間を過ごして生きているのである。
それこそタケルだけの力では、どれだけ頑張っても願っても届かない夢の世界に似ている毎日の中にいるはずの大輔が、
いつでも側にいてくれるだろうお姉ちゃんのことが分からないと言うのである。
正直、タケルには聞き捨てならない言葉だった。大好きなお兄ちゃんを否定されて、また家族で暮らしたいと思っている自分を
否定されているような気がしたのだ。それは明確なまでの嫉妬であり、蔑ろにする大輔への秘めた怒りでもあるが、タケルは気づかない。

「何で分かんないの?」

予想以上に食い下がるタケルに、少々大輔は驚いていた。
まだまだ出会ってから数時間も立っていないと思うが、ちょっとだけ話して、一緒に行動してきた中で把握していたタケルとは違う。
異様なほど大輔と姉の関係性について突っ込んでくる、頑固者の一面、しかも何故か怒っているような気配さえ感じられる。
なんか俺、変なコトいったっけ?と思い直してみるが、特に変なことを言ったつもりはない。
姉との複雑な関係を知られたくない大輔は、それでもタケルの質問には正直に答えたつもりである。
だって、どんな人?と聞かれたから。答えは単純明快わからないである。
同じ屋根の下に住んでいるとはいえ、6つも歳の差がある大輔とジュンは生活サイクルが全く違う。
ジュンは中学生だし、朝は部活、夜は部活か友達と遊びにいったり、泊まったりで遅かったり帰って来なかったりする。
大輔もサッカークラブの活動で帰るのが遅くなる日もあるが、基本的にはぎりぎりまで友達と遊んでいるため帰るのは遅い。
バタバタする朝なんて、大輔が寝坊寸前に起きることには、ジュンはいないし、帰ってきても夕食は適当に済ませる。
部屋は別だし、ゲームばっかりしていて、うるさいから勉強に集中できないと怒鳴り込まれることはあるが、
基本的にお互い無干渉である。だから大輔は姉の好きなものも友達もなにをしているのかも全く分からない。
聞きたいとも思わないし、逆に聞いて欲しいとも思わない。顔を合わせたら喧嘩ばかり、若しくは下僕扱い。
ジュンが自分のことをどう思っているのかも知らないのに、答えられるわけがなかった。
そうして出した結論なのに、問われるがまま馬鹿正直に答えた大輔は、タケルが信じられないという顔をしているのがわからない。


お互いがお互いのことを知らなさ過ぎたこと、そして同じ年だったこと、原因はいろいろある。
お互いが置かれている環境が真逆と言ってもいいにもかかわらず、無意識のうちに前提を自分の家族として会話を進めていたせいで、
致命的なまでに二人の間には認識のズレが存在していた。
それ自体分からないため、二人は次第に喧嘩腰になっていく。はらはらと見つめるパートナーデジモンなど眼中になく、
どんどん口調が乱暴になっていった。
やがて姉のことを知られたくないと考えていた大輔も、次第にヒートアップしていく中でどんどん会話が本気になっていく。

「しらねーもんは、しらねーよ。とりあえず、姉貴が俺のこと大っきらいだとは思うけどな。
姉貴のやつ、所構わず俺の悪口言いふらして、俺なんかいなきゃいいなんていうんだぜ?ふざけんな」

「大輔くん、お姉ちゃんと喧嘩したの?」

「ケンカ?んなもん毎日毎日飽きるほどやってるよ。しばらく会わなくていいんだもんな、せいせいするぜ」

「大輔君、ずるいよ」

「は?」

「大輔君ずるいよ、何でそんな事平気で言えるんだよ。僕だってお兄ちゃんと一緒に喧嘩してみたいのに」

「はあ?なんだよそれ」

「僕だってお兄ちゃんと毎日喧嘩したり、仲直りしたり、遊んだり、一緒に学校いったりしてみたいよ。
大輔くんはお姉ちゃんと一緒に住んでるんでしょ?僕は……そんなこともうできないのにっ!
ずるいずるいずるいよ、大輔くんは!なのにお姉ちゃんのこと大っきらいだなんて、ふざけないでよ!」

ここで、ヤマトがついた嘘が止めをさしてしまう。
大輔はヤマトがついた嘘を太一経由で教えてもらったため、タケルとヤマトはいとこ同士だと認識している。
大輔からすれば、大好きないとこのお兄ちゃんと住めない、とダダをこねる一人っ子の甘っちょろいわがままと同列にされてはたまらない。

「何いってんだよ、お前。ヤマトさんとお前はいとこ同士なんだろ?
兄弟じゃあるまいし、一緒に住めないなんて当たり前じゃねーか。
なに勝手に八つ当たりしてんだよ、ふざけてんのはお前だろ!」

タケルはヤマトの知識により、従兄弟≒兄弟と認識している。
大声を上げるほどの大げんかに慣れていないので、感情が先走り顔を真赤にしたタケルが叫んだ。

「なんでそんなこといえるの?なんでお母さんとかお父さんと一緒のこというんだよっ!
なんで僕だけお兄ちゃんと一緒にすんじゃだめなの?!ふざけないでよ、バカっ!
ホントはお父さんともお母さんともお兄ちゃんとも一緒にまた暮らしたいのにっ!
それだけなのにっ!」

「はあ?なんだよそれ、それじゃまるで、お前とヤマトさんが兄弟みたいじゃ……」

「僕とお兄ちゃんは兄弟だよっ!」

「苗字違うじゃんか」

「おかあさんとお父さんが仲悪くなっちゃったから、一緒に住めなくなっちゃったんだもん、
僕じゃどうしようもないもん!」

ここでようやく大輔はタケルとヤマトが抱える複雑な家庭環境を垣間見て一瞬言葉が詰まるが、
ヒートアップしてしまった頭はもうとっくに余裕なんて喪失していた。
タケルが一人っ子と言う事で我慢していたことがある。
でも、タケルがヤマトと兄弟であるということを知った今、
なんども大輔が夢見た仲の良い兄弟の姿を見せつけられてきた大輔にとって、
タケルの言葉は火にガソリンのタンクを投げ込むようなものだった。

「なんだよそれ、なんだよそれっ。一緒に住んでりゃ家族なのかよ、ふざけんなっ!
あんなやつ、家族でも何でもねーよっ!
俺みたいな弟なんていらないって、いなきゃよかったのにって平気でいって回ってるようなやつ、
お姉ちゃんでもなんでもねーよっ!
タケルお前、言われたことあんのかよ。謝っても、ありがとうお姉ちゃんっていってもぶん殴られて、
おまえなんかいらないんだって公園の真ん中でみんなの前で怒鳴られたことあんのかよっ!
どんなに頑張っても褒めてくれなくて、お前はダメだって言われ続けて、
弟だって認めてくれたことも一回もないなんてふざけたこと、ヤマトさんからされたことあんのかよ!
離れてても仲がいいならいいじゃねーかっ!ずりーのはタケルの方だろ、バカヤロウ!
俺だってケンカなんかしたくねーよ、もっと仲良くしてーよ、でも姉貴が俺のこと嫌いなんだ、どうしろって言うんだよ!!」

「僕に八つ当たりしないでよ、知らないよ!」

取っ組み合いのケンカが始まりそうだった。
二人の剣幕に圧倒されていたパタモンとブイモンが慌てて仲裁に入ろうとしたとき、
二人を一気に現実に戻す第三者の声と力強い手が二人の間に割って入った。

「なにやってんだよ、二人とも!」

ぴしゃり、という大声に仰天した二人が顔をあげると、急いで走ってきたのか息を切らしているヤマトの姿が眼に入る。
反射的にヤマトに大輔のことをいおうとしたタケルは、ヤマトが大輔もタケルも関係なく真剣に怒っているのを感じ取って恐怖に駆られる。
こんなお兄ちゃん、知らない。見たことない。ヒートアップしていた大げんかはどこへやら、借りてきたねこのように大人しくなった二人。
ブイモンとパタモンはほっとして、お互いに顔を見合わせた。
二人の大声を聞きつけて走ってきたヤマトは、丁度大輔の姉に関する情報をしつこく聞きたがるタケルと嫌がる大輔の問答から
以下全部の内容をほとんど聞いていたのだ。
さすがに状況が状況である、大げんかの原因に自分がついた嘘が絡んでいることは嫌というほど理解している。
ここで自分がすべきことは年上としてケンカを仲裁して仲直りさせること、ソレが二人にとって1番傷つかない方法だと判断しての行動だった。

「いいから落ち着け、二人とも。一体どうしたんだ、俺が聞いてやるから全部話してみろよ」

実の弟のほうを取るのではないかと訝しげな大輔だったが、するわけ無いだろ、と断言するヤマトにしぶしぶ事情を説明する。
タケルもタケルで意固地になっている部分もあり、大輔の目は避けていたが、主張するところは外さない。

「そうか、なるほど」

ヤマトの判断に二人はハラハラしながら見上げる。
ヤマトは二人の目線にまでしゃがむと、二人の肩に手をおいた。

「悪いな、ふたりとも。俺の嘘でケンカがこじれちまったんだ。俺のせいだな、ごめん」

「は?」

「え?」

思わぬ第三者からの謝罪に思わずタケルと大輔は顔を見合わせた。

ヤマトは苦笑いして事情を説明する。全然気付いていなかった二人は、その点についてはお互いに謝った。
そしてお互いに生じていた微妙な誤解が解消されたところで、でも、と言いながらまた喧嘩しようとした二人に、
平等にげんこつが振り下ろされたのだった。



[26350] 第四話 お姉ちゃんという宿題
Name: 若州◆e61dab95 ID:8b8e6d47
Date: 2011/03/09 23:25
それは1年ほど前に遡る。
お台場小学校サッカークラブは、各学年それぞれが、保護者やOG・OBが会員を務める後援会の全面協力体勢のおかげで
外部から指導に来てくれるコーチのもとで、思いっきりサッカーをすることが出来る環境が整っていた。
代表者の佐々木コーチは、サッカーをすることが大好きな子供達に思いっきりサッカーに打ち込める環境を提供し、
お台場小学校を卒業しても子供たちが人生においてスポーツを愛してくれるようにすることが指導方針だと話している。
関わる全ての人達に元気と感謝の気持ちを分け与える事ができるチームにするという方針のもと、
多くの子供達が広大なグラウンドでサッカーボールを追いかけている。
毎週決まった曜日と土日祝日はサッカー練習で埋め尽くされる。
サッカークラブに入りたいと入部届けを職員室に提出してから早半年、
大輔も小学二年生以下を対象とした関東にある小学校との交流戦や地方大会ともなれば、
少しでも背番号10番のツートップの片割れに近づきたいと、一生懸命レギュラーとして日夜努力していた。
本人は大好きなサッカー選手に憧れ、ボランチをやりたいとずっと言い続けているが、
担当コーチからこれからたくさんの壁にぶつかり乗り越え、いろんなタイプの選手と味方として敵として会うのに、
基本技術の向上やサッカーの基礎知識の学習、ボールの技術向上がまだまだ発展途上であるにもかかわらず
そんな簡単に任せられるかと突っぱねられて長いことになる。
なかなか認めてもらえないとやっきになり、どんどんサッカーにのめり込んでいる大輔他多くの子供たちのもっぱらの楽しみは、
親御さん達の差し入れ、もしくは家族が手によりをかけて作ってくれたお弁当だ。

もちろん大輔もその一人であり、その日も練習の合間、貴重な1時間半の休憩に入るやいなや、全速力で昼飯タイムに突入した。
友達と弁当のおかずを比べたり、互いに好き勝手争奪戦を繰り広げるさなか、大輔も参戦すべく愛用のお弁当箱を開いた。
しかし、その日のお弁当は、母親が調子でも悪かったのかと心配になるくらい、チームメイト他本人からも大不評だったのを大輔は覚えている。
育ち盛り食べ盛りのスポーツ少年は、好き嫌いが実に分かりやすく、彩りや栄養バランスを気にするご家族の心遣いなどどこ吹く風、
いわゆる真っ茶色な弁当が大好きだった。ハンバーグや唐揚げ、ミートボールなんかが入っていたらテンションが上り、
嫌いな野菜が細かく刻んで紛れ込んでいるとあからさまに食欲が失せてしまう。
そして仲間たちでなんとか消費して、空っぽなお弁当を家族に見せようと努力する。
なぜなら嫌いなものだからと残したり、まずいと文句を言ったりしたら、折角労力を尽くして創り上げたお弁当を否定されて怒ったご家族が、
お弁当を二度と作らない、もしくは自分で作れ、買って来いと脅迫めいた脅しをかけてくるからである。
そんな攻防もまた日常茶飯事な本宮家におけるその日の弁当は、はっきりいってラインナップだけなら弁当の三種の神器が揃っていた。
おにぎり、玉子焼き、タコさんウインナー。あと付け合せのトマトとポテトサラダ。
いつも弁当箱の傾きなど考慮せず適当にカバンに突っ込んでいるせいで、寄り弁になってしまうのが当たり前だったその日はなぜか、
寄り弁にならずささやかな奇跡に感動したりしていた。
その日は特別「いつもの味」が徹底的に排除されていたのを覚えている。ポテトサラダ以外。
おにぎりの形は歪だし、のりの位置がおかしいし、なんかしょっぱいし。
本宮家直伝の甘い卵焼きは焦げ目がほとんどを覆いつくし、苦くて甘さなど吹っ飛んでいたし、
タコさんウインナーはなんかいつもの四足じゃなくて二足歩行になってたし、茹で過ぎたのか体が破裂してたし。
それでも物体Xや汚弁当ではなく、食べれることは食べれたので完食したはいいものの、
大輔のお母さん風邪?とチームメイトに本気で心配されたほどだった。
大輔の母は料理を趣味とするような人間ではなかったが、既に2年のキャリアを誇る台所の魔術師が、
ここまであからさまな失敗をするなど考えられなかったのである。
お大事にってよろしくな、と別れた友達を背に、真っ先に家に帰った大輔はお帰りと迎えてくれた母が元気なのにほっとした。
いつものように泥だらけにして帰ってきた大輔に風呂場に行くよう指示を出し、忘れないうちにプリントと連絡帳を渡すよう言われ、
かばんをひっくり返して渡す。
湯沸かし器をスイッチいれてと叫んだ大輔は、思い出したようにいったのだ。

「なあ、今日の弁当スッゲー酷かったんだけど、寝坊した?」

思えばその日、朝から珍しく姉貴とは喧嘩しなかったと大輔は回想する。
やけに上機嫌でソレがかえって不気味で話しかけられなかっただけなのだが、本人に言ったら殺されるので大輔だけの余談である。
その時大輔が見たのは、明日コロッケの調理実習があるとかで昨日の晩からキッチンで練習していた、
エプロン姿の姉だった。聞き耳を立てていたらしく、ばつ悪そうに顔を背けたジュンは慌てた様子で部屋に帰っていく。
ぽかんとしながら姉を見送った大輔に待っていたのは、なんてこと言うのアンタ、とものすごい剣幕で怒る母親だった。

「今日は大輔のお弁当も作ってあげるんだって、5時からずっとキッチンにたってたんだよ、ジュンは。
お弁当忘れたの気付かなかったでしょ?今日お友達と映画行く約束してるって言うのに、
わざわざ反対方向までいってくれたんだよ?なんてこと言うの、大輔。謝りなさい!」

その頃の大輔は、まだジュンのことを「お姉ちゃん」から、何となくチームメイトに言うのが照れくさくなって「姉ちゃん」に切り替えた頃だった。
ジュンのことを知っている先輩や先生方から、自分の悪口を姉が言いふらしているということを聞いてはいたものの、
まだ姉のことを信じていた時期である。素直に自分からごめんなさいと言える時期だった。
お弁当を作ってくれたのは嬉しかったし、今まで興味のかけらも示さなかったサッカーを頑張る自分を見てくれたのが嬉しかった。
でも何で練習を見に来てくれたんなら、一声掛けてくれなかったんだろう、そしたらもっと頑張れたのに。
疑問に思いながら大輔はジュンの部屋を尋ねたが、鍵がかかっていた。
ジュンは昔から不都合なことが起こると鍵を掛けるくせがあり、怒っていると直感した大輔は、
いつものように「ごめん」と自分から謝り、「今日お弁当作ってくれてありがとな」と感謝した。
いつもなら、仕方ないわねー、と横暴な条件付きではあるもののジュンは笑ってゆるしてくれたのだ。
しかし、その日だけは何故か様子が違った。
いつまで待ってもカギを開ける音がしない。バンバン叩かないでよ、ドア壊れたらどうすんの、と軽口叩いて
招き入れてくれたはずの姉の笑顔が現れない。そして、なんども開けようとノズルをまわしても返事がない。
これは本気で怒らせたと次第に焦り始めた大輔は、「姉ちゃん」から「お姉ちゃん」に変わり、
嫌われたらどうしようという焦燥感と不安からどんどん嗚咽が混じった叫びに変わっていく。
しばらくしてドアは開いたものの、そこに立っていたのは真っ赤に泣きはらした姉の姿があった。
それからなにがあったか大輔はよくおぼえていない。
確かなのは、その時はまだ言われたことがなかった酷い罵声と拒絶の言葉を一方的にまくし立てられ、
ごめんなさいという言葉を繰り返しながら俯いたら、乱暴に突き飛ばされたこと。
ばたばたばたと走り去った姉は、帰り際からぽつぽつと降り始めた雨にもかかわらず、傘もささずに飛び出したのだ。
大輔は慌てて傘を2本もって姉を追いかけ、いつもサッカーをして遊んでいる公園の真ん中で姉を見つけた。
ざんざんぶりの雨の中、傘もささずに力なくブランコに座り込んでいるジュンを見つけた大輔は、声をかけようとした。
ここまでは断片的な記憶だから、無我夢中だったのだろうと大輔は思う。
その時ジュンが笑っていたか泣いていたか、もう思い出せない。だが、そこでかわされた会話だけ鮮明に憶えている
とこか遠くで夏休み期間でも活動を続ける小学校か、中学校の生徒の帰宅を知らせるチャイムが響いていた。
小学生の集団下校が見えた。

「アンタが笑ってた相手、誰?」

「え?ああ、いっつも話してるだろ?太一さんと空さんだよ」

その時、ジュンはあーもう!と乱暴にブランコのチェーンをつかんだため、錆び付いているブランコがきしんだ。
ああ、思い出した。確か、ジュンは、ジュン姉ちゃんは、生まれて初めて俺の前で泣いていた。

「あーあ、いっつもお姉ちゃんやってたアタシが馬鹿みたい。何やってんだか」

「はあ?」

「アンタはいっつもそうよね、なんにも知らないで、平気な顔してアタシばっかり空回りするんだ。
もう疲れちゃった。もういいわ、大輔、アンタ今日から家族でもなんでもないわ。
「お姉ちゃん」て二度と呼ばないで」

乱暴に傘を奪って返ってしまったジュンの姿にぽかんとした大輔は、
とんでもないことを言われたことに気付いて、あわててジュンを追いかけてすがって謝って走った。
大衆の面前で同じ言葉を繰り返されたってめげなかった。振りほどかれた拍子に、殴られたような跡が残ったって気にしなかった。
たった一人の姉だ、お姉ちゃんと呼べなくなるのが嫌だった。気づいたら家にいた。
とりあえずびしょ濡れになった大輔とジュンは母親にこっぴどく叱られ、その日は一言も話せないまま終わってしまった。
次の日目が覚めて大輔は真っ先にジュンの部屋に駆け込んだ。もしかしていなくなっているのではないかと心配したのだ。
しかし、待っていたのはいつもと変わらず、何やってんのアンタ、とあっけらかんとして笑うジュンの姿。
まるで昨日のことは嘘だったのか、とばかりにけろりとしていて、大輔の言葉にはあっさり「嘘」だと翻してしまったのだ。
そんな事が何度か続いたある日、気づいたら大輔は姉の言うことが素直に信じられなくなっていた。









それが大輔がタケルとの大喧嘩の最中に口走った、「謝っても、ありがとうお姉ちゃんっていってもぶん殴られて、
おまえなんかいらないんだって公園の真ん中でみんなの前で怒鳴られたこと」、のあらましである。
生まれて初めて家族以外の人間に、自分と姉との間にある複雑な関係を積み重ねてきた一端を、
ぽつぽつではあるが話した大輔は、自然と心が軽くなった気がした。
はあ、と大きなため息を付いた大輔に、ブイモンが大丈夫か?大輔、泣きそうだよ、と見上げてくるので、
乱暴に目元を拭った大輔は、にひひと笑った。
なんて言っていいのか、言葉が見つからない。そうヤマトとタケル、そしてそれぞれのパートナーデジモンの顔に書いてある。

「だから姉貴のこと話すのいやだったんだよ。嫌いになれない俺が、スッゲー情けねえじゃんか」

はあ、と自嘲気味につぶやいた大輔に、ごめんね、大輔くんとタケルが言ってくるので力なく首を振った。

「いーって、気にすんなよ」

むしろ思わぬ形で心の黒い塊が吐き出せたことを大輔は素直に感謝していた。
そして大輔は、何か思うところがあったのか、思案しているヤマトを見上げる。どうした?と無愛想な眼差しが向けられた。
ヤマトに対する一方的な苦手意識は、もう大輔の中から完全に消え失せていた。
相変わらず何を考えているかよく分からないものの、タケルと自分をえこ贔屓なしで真剣に、対等に叱ってくれた人である。
ただちょっとだけ、いやだいぶ?考えていることを行動とか体で表現するのが苦手な人なのだ。
それでも本気でタケルや自分のことを1番に考えてくれる人であると分かった。それだけで十分だった。
なるほど、太一と空と仲良しなわけである。
ようやく納得いった大輔は、改めてこんなお兄ちゃんがいるタケルが心のそこから羨ましいと思った。
そして、この人ならなんか教えてくれるかもしれない、と思い、大輔は思い切って口を開いたのである。

「ヤマトさん、姉貴、なんであんな事言ったと思います?」

「うーん、そうだな。大輔、何個か聞いていいか?」

「え?あ、はい」

「ありがとう、と、ごめんは言ったんだよな?じゃあ、ごちそうさまは?おいしかったは?またつくってほしいは?
ついでにいうと「サッカーを見てもらえたらもっと頑張れるから、一回練習見に来てもらいたい」って正直に言ったか?」

「えー、そんな事恥ずかしくて言えないっすよ」

「言ってないんだな?」

「………はい」

「俺の意見を言わせてもらうとすれば、ごちそうさまが言えないお前は、
もし俺の弟だとしてもジュンさんと同じでぶっ飛ばしてたと思うぞ、正直」

「えええっ?!」

予想外の返答を真顔で返された大輔は、ブイモンと共に思わず声を上げた。
ヤマトの物騒な物言いに同じくびっくり仰天したタケルが、どうして、お兄ちゃんと訪ねてくる。
ヤマトはいいか?よく聞けよと前置きすると、うっすらと笑ったのだった。

「実はこう見えても、俺は料理が得意だ」

「………はい?」

「返事は?」

「へ、へえ、凄いっすねヤマトさん」

「まあな。さっき説明したとおり、俺は父さんと二人で住んでるんだ。でも父さんは全く料理ができない。だから俺がするしかなかったんだ。
ちなみに野球部の大会とか、練習とかで必要な弁当は全部俺の自作だ。金かかるしな」

「はあ」

「大輔、お前料理なんてしたことないだろう。大変だぞ。目玉焼きがうまく作れないせいで、その日のテンションががた下がりするくらい落ち込む」

「ええっ」

「だから分かるんだ。弁当を作るっていうのは、思いつきでできるようなもんじゃないんだってことがな。
不恰好だって、失敗だらけの弁当だって、ジュンさんがお前のために作ってくれた弁当だろ?
俺なら、「ありがとう」より「ごちそうさま」が欲しいな。「ごちそうさま」って言葉は、食べた人にしか言えない言葉だろ」

「………なるほど。でも、言い過ぎじゃないっすか?」

「まあ、俺もジュンさんじゃないから、あってる自信はないけどな。俺がそう思っただけだ。
あとは、「お姉ちゃん」から「姉ちゃん」に変わったのもその頃なんだろ?何でやめたんだ?」

「だって恥ずかしいじゃないっすか」

「じゃあ聞くが、太一に聞いたんだけど、お前最初は「太一先輩」「空先輩」って呼んでたそうだな。
なんで「そのころ」から「太一さん」「空さん」って呼び方を変えたんだ?」

真っ直ぐ見下ろされる視線に、大輔は思わず顔をそらしてしまった。
うまく言葉が紡げない。図星である。ばれている。誰にも口にしたことないのに。
不思議そうに相方の名前を呼ぶブイモンに、この動揺によってうるさくなった心臓の音が聞こえないことを祈りながら、
大輔は必死で言葉を考える。なんとか言い返さなくては。ここで言いよどんでは認めてしまうといっているようなものではないか。
必死で考えるものの、半ばパニック状態で真っ白になった頭はろくに機能せず、ただぞわぞわとした悪寒がする。

やっぱりな、とヤマトが呟く言葉にびくりと大輔の体が揺れた。
大輔が「太一先輩」「空先輩」という、お台場小学校サッカー部の先輩、後輩の関係を連想させる呼び方から、
唯一二人だけ「太一さん」「空さん」という単なる上下関係に使われる汎用性高い呼び方に意図的に変えた時期は、
大輔の中で「ジュン」という「お姉ちゃん」像が揺らぎ始めた時期と完全に一致する。
あの日、「お姉ちゃん」であることが「疲れた」、とはっきり言い放ったジュンの言葉は、今も強烈な印象をもって大輔に打ち込まれていた。
それはさながら、自分には「価値」があると自己肯定の礎となる条件付きではない、無償の愛情注がれて育つはずの赤子が、
その対象である母親から、母親ではなく女としての一面を見せられる不幸に似ている。
それは、生まれて初めて大輔の目の前で「ジュン」が「お姉ちゃん」であるという存在を脱ぎ捨て、
一人の人間として現れた瞬間でもあり、未知の存在でもある「ジュン」というタダの人間を目撃した瞬間だった。
大輔は知らないのである。
「ジュン」という一人の人間は生まれた頃から大輔にとっての「お姉ちゃん」であった一方で、
「本宮ジュン」というはっきりとした自己を確立しようともがく思春期の兆候が見え始めた、
13歳のちっぽけな子供であるということを。
そして子供から大人へと変化していく中で、今までと同様に「お姉ちゃん」であることを無条件に求められた「ジュン」は、
「お姉ちゃん」の象徴である大輔の腕を振り払おうとしたのだ。
「ジュン」は気付いていたのである。
「お姉ちゃん」であることをやめた「ジュン」ではなく、新しい「お兄ちゃん」「お姉ちゃん」の形である
「太一さん」「空さん」という存在が、大輔の中にしっかりと芽生えてしまっていることに気付いてしまったのである。
本当は大輔は、八神太一のことを「太一(お兄ちゃん)」、武之内空のことを「空(お姉ちゃん)」と呼びたいのである。
しかしそれはできないと分かっているから、さん付けにする。
なぜなら、八神太一は、どれだけ頑張っても本宮大輔のお兄ちゃんにはなってくれないからである。
八神太一には、八神ヒカリという3つ年の離れた妹がおり、大輔と同じ年であるため、
そして太一が妹の存在を公言するほど大切に思っていることを、言葉の節々から、大輔は嫌というほど感じていた。

3年前太一は光を殺しかけたことがあるという。
体調が悪い妹の世話を頼み、留守番をお願いして出て行った共働きの両親。
お兄ちゃんだからといわれ、調子にのって頷いたものの、思い出した友達と遊ぶ約束。
遊びたいさかりの太一は、風邪を引いていたヒカリを無理やり外に連れだして、友だちと一緒に遊ぶという暴挙に出る。
もともとお兄ちゃん子だったヒカリは、丁度いろんなことを真似したがる時期だったため、
出かけるという太一になんの疑問も抱かずついていってしまう。
そうしてサッカーに夢中になる太一は、辛さを我慢してベンチでずっと待っていた光のことなど忘れ、
陽が沈むまでザンザン遊び倒し、我に帰ったときには風邪をこじらせ高熱で倒れた妹がそこにいた。
搬送される救急車、扉の向こうに運ばれる妹、そしてこっ酷くしかる母親と緊急連絡で慌てて帰ってきた父親。
あの時、太一は心のそこから妹を失うことを恐怖した。そして負い目が生まれた。
俺は「お兄ちゃん」にならなきゃいけないんだと、その時初めて太一は思ったという。

遊び半分の戯れの中で大輔は太一に「お兄ちゃん」と呼んでもいいかと聞いたことがある。
可愛い後輩の戯言に太一は少し困った顔をして、ごめんな、と笑ったのである。
俺は八神ヒカリだけのお兄ちゃんであって、八神太一は八神ヒカリのお兄ちゃんでなくてはならない。
だから八神太一は本宮大輔のお兄ちゃんにはなれないと、冗談めかして言われたのだ。
だからせめてもの抵抗で、大輔は「先輩」呼びから「さん」付けに呼び方を変えた。
どうやらすでに見抜かれている大輔の心理、ことごとくこの兄弟は自分とは相性が悪いと大輔は痛感した。
やっぱ苦手だ、この人。

もちろんヤマトも、始めこそ姉の心理を完全に理解しろという無理難題を押し付ける気はなかった。
しかし、大輔は無意識ながら「ジュン」という「お姉ちゃん像」が揺れ動いたという事実を感じ取っており、
全く知らない「ジュン」という存在が現れたことを知っていながら、怖くなって距離を置いたと気付いた。
大輔はそこまで理解できる子供だと判断した。だから中途半端にヒントを出して投げたのだ。
あと一歩。姉に嫌われていると思い悩む大輔が、その泥沼から這い上がるのは目前なようにヤマトには見えていた。
だから畳み掛ける。

「お前、ジュンさんと太一や空と比べて、どっちが好きだ?」

「え?」

「嘘つくなよ、重要なことだから」

「………………そりゃ、姉貴に決まってるじゃないっすか。嫌われてたって、姉貴は俺の姉貴なんだし」

「そこまで分かってるなら答えは簡単だな、大輔。あとは自分で考えろ」

「えええっ?!そんな、俺考えるの苦手だから相談したのに!」

「まあ、ひとつアドバイスしてやれるとすれば、大きくなったらわかることもあるって事だな。
「お兄ちゃん」や「お姉ちゃん」はお前の考えている以上に大変だってことだ。
がんばれよ、大輔、」

さあいくか、二人とも。太一たちが待ってる。大輔の頭から離れて言った手が先導する。
思わぬ宿題を残されてしまった大輔は、意地悪だこの人と心のなかでぼやく。
ヤマトと大輔のやりとりを聞いていたタケルは、パタモンを抱えて大輔と同じように首をかしげている。
分かったか?と一抹の望みを託して聞いてみたが、全然分かんないや、とタケルは肩を落とした。
分かった?大輔、と疑問符を浮かべているブイモンに、頭を抱えた大輔はわかんねーよ、とつぶやいた。





やがて大輔は知ることになる。
「お兄ちゃん」や「お姉ちゃん」という存在はあくまでも、大輔の見る絶対像に過ぎず、
彼らには彼らなりの苦悩が有るということを。
しばらくして、他ならぬヤマトと太一から教わることになるのだが、今はまだ知るよしもないのだった。



[26350] 第五話 僕らの漂流記 その2
Name: 若州◆e61dab95 ID:8b8e6d47
Date: 2011/03/10 22:58
ヤマトやタケルと共にみんなの荷物を回収した大輔は、集合場所に指定されていた浜辺へと帰ってきた。
激しい波が岩礁に打ち付けられ、潮風が冷たい。絶えず海水が雨のように舞っている。
おーい!と手を上げた大輔たちを待っていたのは、全員総出でのお出迎えではなく、逃げろーっという本日二回目の太一の絶叫と
必死でこちらに全速力で走ってくるみんなの姿だった。
訳がわからないまま合流した3人に、毎度おなじみのテントモンによるデジモン紹介講座が始まった。

デジモンデータ
モノクロモン
レベル:成熟期
種類:鎧竜型
鼻先に巨大なツノが生えた、トリケラトプスのようなデジモン。ツノは成長すると、体長の半分をしめるほどの大きさになる。
このツノと体を覆う物質はダイヤモンド並に硬く、貫けない物はないといわれている。
草食性でおとなしいが、一度怒らせると恐ろしい反撃を繰り出してくる。
必殺技は、口から火炎弾を吐き出すボルケーノストライク。

大人しいから心配要らないという説得力皆無な解説に、全員がじゃあ何で襲われているのだと突っ込んだあと、
その直後に反対方向からもう一体のモノクロモンが現れる。
モノクロモンは群れで生活するデジモンではないと否定するテントモンだが、回りこまれたと焦る子供たちは、パルモンとミミの一声で、
ついさっき大輔たちがいた樹林方面へと逃げ出した。
実はシェルモンの時と同様に、縄張りに迷い込んだ子供たちを敵だと勘違いしたモノクロモンが、
縄張り争いになると、その巨大なツノで相手が出て行くまで襲いかかるという本能のまま行動したことなど知る由もない。
子供たちを追い払い、もう一体の侵入者を発見したモノクロモンは、自らの生息区域を守ろうと豪快にツノを振り上げた。

海辺の砂浜に電話ボックス、密林に立ち入り禁止の自動車標識という意味不明な組み合わせが、この世界の特異さを物語る。
西日が傾き、樹林全体が茜色に染まる。伸び始めた影が次第にゆっくりとなり、疲れた様子で歩きの足取りも重くなっている。
この世界に迷いこんでから、ずっと走りっぱなしだった子供たちは、すっかりくたくたになっていた。
真っ先に音を上げたのは、このメンバーの中でも体育以外の運動に縁がなく、上級生としてのメンツもないミミである。
オシャレを優先して移動に不向きなブーツでこの世界に来たミミが、不慣れな一日全力疾走も合わせて、もう疲れて動けないといった。
そろそろ休憩したいと、丁度近くにあったヤシの巨木に体を預け、先に行こうとする太一に声をかける。
シェルモンに襲われた際に助けてくれた太一が、まだまだ先を目指そうと足取りを緩めないため必死で付いて行っていたのだが、
そろそろ限界が来てしまったようである。
天真爛漫で自由奔放を体現したような女の子であるミミが、わがままと取られかねない率直な意見を我慢して、
今までみんなに付いてきたのは大したものだった。
実際問題、そろそろ体力の限界を感じ始めていたメンバーたちは、ミミの言葉にここぞとばかりに便乗し、
そろそろ寝る場所を探そうという方向で固まった。昼飯はお菓子の袋一つだけ、空腹も拍車をかけている。
さっきのモノクロモンに関する件から名誉挽回しようとテントモンが、すっかり有焼け色に染まる空に豪快な羽音を立てて舞い上がる。
見つけたと博多弁で真っ赤な爪を興奮気味に差したテントモンの先には、大きな湖があった。
目の前に広がる湖にホッとしつつ、このままでは野宿になると嫌がるミミに、またもや朗報が飛び込んでくる。
存在を主張するように丸いヒカリを放つ乗り物、荒川区都電でおなじみの路面電車が一両、何故か湖につきだした丸い孤島に放置されていたのだ。
本来なら不審に思う光景だが、この世界にきてから幾度も不自然な光景を観てきた子供たちはすっかり慣れてしまい、
こういう世界なのだという感想を持って、かねがね好意的に受け入れられた。
ちなみにこの電車、真っ白な車両に緑と黄緑の横線がデザインされたものである。
人がいるかも知れないという期待を胸に中にはいってみるも、だれもいない。光子郎いわくまだ新しいらしい。
線路もなく、電気を供給する場所もないのにライトが暗くなり始めた湖を照らしている。
とりあえず、ここを今日の宿とすることが決定するやいなや、5年生組は火おこし、その他は食べ物調達係に迅速に別れることになった。
みんなお腹がすいているという一点においては共通していたのである。





第五話 僕らの漂流記 その2





「大輔、こっちこっち!」

「わーっ、とっと、あっぶねえ!ブイモン、もっとゆっくり歩けよ、こける!」

「いーから早く!」

お前の鼻は犬並みか、とこっそり大輔は思いながら、ぐいぐいと大輔の右手を引っ張って先導するブイモンにつられて走った。
こっちのペースなどお構いなしで、ブイモンは未だに有り余っている元気で大輔を振り回す。
まるでゴールデンレトリバーのような大型犬に振り回される子供である。
大輔はタケルを探していた。見失って何となくブイモンに聞いた大輔は、例の件でヤマトにすっかり相談役を取られ、むしろ大輔を怒らせてしまい、
大喧嘩のあとの仲直り=親友フラグのタケルに、大好きなパートナーを取られるのではないかと危機意識を募らせていたことなど知らない。
大好きな大輔に頼られた!と目をキラキラさせ、ブイモンなりにパートナーとして少しでも役に立とうとしているのだが、
イマイチうまいこと伝わっている気配はない。

「いたよ、大輔!タケルだ!」

パタモン達は果物をとりにいくと行って、パートナーの子供たちから離れて森の奥に行ってしまっている。
もちろんブイモンも誘われたのだが、最初の出会いでのっけから置き去りにされたのではないか、という
恐怖を味わってしまったブイモンは、首を振って今に至る。
チビモン時代の狼狽ぶりを知るメンバーは心中お察しするとばかりに誰も茶化したりはせず、あっさりと別れたのだ。
それに加えて大輔が抱える悩みを知ったブイモンの中では、大輔が最優先事項であり、
他のメンバーは越えられない壁が存在していた。
ありがとな、と頭をなでられ、にこにこと笑ったブイモンは釣竿片手に魚と格闘している光子郎と、
泳いでいる魚たちを眺めながら、水をくんだバケツを横においたタケルを見たのだった。

「あれ?どうしたの?大輔君」

「あ、いや、その……まだ謝ってなかったと思ってよ、あんときはヤマトさんの話で頭がいっぱいでそれどころじゃなくてその、
ごめん。悪かった。なんにも知らないのに、いろいろひどいこといってごめん。だから、その、なんだ」

えーっと、とその先をわざわざ口にだすのが恥ずかしいのか、赤面させながらばつ悪そうに大輔は目をそらす。
しどろもどろながら大輔の言いたいことが大体把握できたタケルは、ぱっと目を輝かせた。
なんだよ、ときまり悪そうに睨んでくる大輔に、ううん、なんでもないとタケルは笑いながらごまかした。
同年代の子供の中では、ある意味未来予知、先読みとも取られてしまうほど、タケルは相手の感情を読み取るのが巧みだ。
そんなタケルにとって、大輔は気持ちがいいくらい喜怒哀楽、考えていることが分かりやすい相手である。
裏表がない、隠し事が一切ない、抱えているものがない、というぞっとするほど真っ白な子供は存在しないが、
タケルの印象はかねがねそんな感じで、大輔は嘘を付くのが苦手な人間であるという高評価を持っていた。
始めこそ、大輔が抱えている問題とその背景、そして勘違いが理解出来ないせいで大喧嘩してしまったが、
今となっては大輔が常に一本の道をとおっていることがはっきりと見通せた。
基本的にタケルは、両親の離婚といい子であろうとする優等生思考が邪魔をして、
自分の意見を主張して相手と対立したり、時には争いごともじさないという強気な姿勢は回避の対象であり、
自分もそういった状況を好まない平和主義的な傾向にある。
だから、そもそも大輔との大喧嘩がタケルにとっての大事件であり、
ヤマトに二人で叱られたのが生まれて初めてのお兄ちゃんに怒られたという、出来事でもある。
今まで友達と喧嘩なんてしたこともなかったタケルは、道徳の時間や教科書、テレビ、等による知識として、
喧嘩の仲直りの仕方を知ってはいても未経験だ。
そもそも仲が悪くなった友達がいたら、相手の気持ちを本人より先に理解してしまい、自分から意見を引っ込めて謝るのがタケルであり、
大喧嘩にまで至らないのが普通だった。
だがその普通をぶち壊したのが、本宮大輔という自分とはあらゆる意味で正反対の少年である。
仲良くなりたいと思ってはいたものの、具体的な行動が伴った実績がないタケルは、
大輔に嫌われていないか、友達になりたいと思ってもらえなかったらどうしようという不安が先行してしまった。
いらぬところまで慎重なのは、大好きなお兄ちゃん譲りである。
なかなか行動に移せずにいた矢先、大輔から誤りに来てくれたのである。うれしいに決まっていた。

「僕の方こそごめんね、大輔君。僕、今まで喧嘩したことなかったから、どうやって謝っていいのか分かんなくて遅れちゃった。
許してくれる?」

「許すもなにも、謝ったんだからもうこれで終わりだろ?
つーか、今まで喧嘩したことないってどんだけヤマトさんと仲いいんだよ、お前。すげーな」

「喧嘩できなかっただけだよ、えへへ。今度、お兄ちゃんと喧嘩できるかな」

「やめとけよー、ヤマトさん怒らせるとスッゲー怖かったじゃねーか。喧嘩しないに越したことないって」

「でも、喧嘩するほど仲がいいんでしょ?」

「し過ぎはどーかと思うけどな」

「じゃあ、僕と大輔くんはもう友達だよね?」

「なっ………」

「どうしたの?」

「なかなか恥ずかしくて言えないようなこと、サラッというんじゃねーよ!こっちが恥ずかしいわ!」

わざわざ口にだすなよ!と大輔が絶叫する。
まるで幼稚園児の女の子がお互いに友達であるかどうかを確認し合い、頷き合ってニコニコしあう様子が浮かんでしまう。
ますます顔を赤くした大輔がタケルを睨むものの、それが照れ隠しであり、はっきりと友達だと肯定してくれた喜びから
タケルは自然と笑顔になっていた。なに笑ってんだよ!と大輔の怒鳴り声がするもお構いなしである。
そんな大輔をちょいちょいと引っ張る青い手がある。
なーなー大輔えと甘えた態度が嫌な予感をさせる。
恐る恐る振り返った大輔は、案の定タケルの喧嘩したら友達発言を真に受けて、喧嘩しようぜとばかりに戦闘態勢をとっているブイモンを見た。

「ば、ばっか、そんな事しなくても、俺達は運命共同体だろ?喧嘩なんかいらないっての!」

大輔は必死で叫ぶ。まるで免罪符のような使い方に少々不満げながら、ブイモンはしぶしぶ解いたのだった。
ブイモンの必殺技でもある頭突きは、中くらい木ならなぎ倒してしまうほどの威力がある。
小学二年生の男子生徒、しかも平均よりしばし小柄な体格、がそんな攻撃をもろに受けたら死んでしまう。
あー、よかったと胸をなでおろした大輔は、そうだ、と思い出したようにタケルを見た。

「なあタケル、友達としてお前に言っとくことがある」

「え?なに?」

「お前ずりーぞ、なんでさっきから太一さん達にばっかかまってもらってんだよ、ヤマトさんがいるだろ!」

「ええっ?!なんだよ、それっ」

「こけたくらいで太一さんとヤマトさんに声かけてもらえるとか、う、うらやましすぎるんだよお前!
荷物持ってもらえるとか、大丈夫かって声かけてもらえるとか、どんだけ贔屓だよ」

「えーっ、欲張りすぎるよ大輔君!僕、お兄ちゃん以外知らない人ばっかりだったのに、
大輔くんはもう空さんとか太一さんとか、光子郎さんと知り合いだったじゃない!
それに、それって大輔君なら大丈夫だからって思われてるからでしょ?
僕、この中で1番頼りないって思われてるから、羨ましいのに!」

「なにおーっ」

「なんだよーっ!」

隣の芝は青いというか、お互いに正反対であるがゆえに無い物ねだりの極地、である。
お互いの当たり前が一番欲しいものであるという事実が、ついさっき仲直りしたばかりだというのに
再び喧嘩を火の粉を散らす光景となっている。大丈夫だろうか、この二人は。

そして二人を止めるのもまた、上級生であるという事実は変わらないようである。

「大輔君」

先程から聞いてみれば、事情はよくわからないが仲直りした下級生という現場に居合わせたのはまだいい。
微笑ましい青春の1ページを間近でみた。これもまたいいことである。
しかし、大輔が来る前に、のんびりと泳いでいたゴマモンのせいで魚影がまばらになり始めていた時点で、
いらっときていた。

「タケル君」

そして、こちらの事情などお構いなしに、所構わず大声を上げて喧嘩し始め、どんどん乱暴になっていく足あとが
魚影の数をどんどん減らしていくのである。
極めつけが、空腹という何者にも代えがたいイライラの原因である。
あ、と声を上げて恐る恐る振り返った大輔とタケルが見たのは、
わなわなと怒りに震える上級生、さっきから完全に存在を抹消されていたサッカー部の先輩ブレーン、知識の泉、光子郎だった。
魚が逃げないように、全力で感情を抑えながら声を落として話しているため、余計恐怖心を煽る。
なんか背後にいる。滅多に怒らない人を怒らせる恐怖を何度か経験したことのある大輔は反射的に後ずさりする。

「僕は何をしていますか?分かりますよね?」

「はい」

「釣りです」

「どうして僕が怒っているか分かりますよね?」

「はい」

「ごめんなさい」

「今すぐ、ここから立ち去って、食べ物探してきてください。そうじゃないと釣った魚、あげませんよ」

バケツには何匹か既に連れた獲物が泳いでいる。
顔を見合わせた大輔とタケルは謝り、大輔はブイモンと共に果物をとってくると言って森に消え、
タケルはお兄ちゃんを探しに行ってくると、その場をあとにした。









「なあ、ブイモン、なんかうまいもん知らねえの?」

頭の上で好物の赤い実のなった房を抱えているテントモンがいる。ピヨモンが羽ばたきながら、空高く実を付けている木の実をとろうと悪戦苦闘し、
持ち前の間接攻撃で収穫したきのみをキャッチするという連携をとっているパタモンとガブモンがいる。
そして植物であるという特性からか、やたらときのこの知識が豊富でミミに褒められているパルモンがいる。
恐らくここにいないアグモンは、火をつけるという役割を果たしているだろう。この世界の知識など皆無な大輔は、当たり前だがブイモンに頼る。

「まっかせとけ!どんな木だって倒してやるもんね!」

「うおおおいっ!違うって、きのみ、果物!なんか知らないかって俺は聞いてんだよ!」

「え?何だよ、大輔、それならそうと早く言えよなあ。こっちだよ、早く来て!」

「ってまたこのパターンかよ、うわあっ!」

しばらくして、大輔はブイモンが知っている「美味しい果物」とやらがなっている木の前に到着した。
大輔二人分位の高さに、たくさんのみずみずしい果実が成っている。
緑色の細長い葉っぱの間から、ハートを逆さまにしたような大きな実が沢山なっていた。

「桃だ!すげーぞ、ブイモン。ここってホントに何でも有るんだなあ」

バナナだったり、りんごだったり、ミカンだったり、ココナッツだったり、
育ちやすい気候も環境も、そして季節さえバラバラな果物が沢山あるおかしな場所である。
それはここデジタルワールドがネットの海を漂うたくさんの情報、データを元に作られており、
類似したデータが沢山組み合わさって出来上がっているという秘密がそうさせている。
そのため現実世界の常識などでは到底考えられないちぐはぐな光景がデータ処理の関係で存在しているのだが、
無論現時点で大輔たちが知るはずもなかった。

「よーし、俺登るから大輔取ってくれよ」

「おう、まかしとけ!」

上着を脱いでアミの代わりにした大輔は、ひょいひょいと登っていくブイモンにいつでもこいと手を振る。
ほそっこい枝にこそ実が集中しているが、体重で大きくしなっている枝がなんとか届く距離まで下げていた。
大きいやつを狙い目に、8人分×2この16こ、ひとつひとつ落としていく。
こういうことは得意な大輔は、いい感じで受け止めていった。上ばっかり見上げていて、足元がお留守になるのだけは頂けないが。

「おわっ、とっとっと」

「大輔!」

枝が折れんばかりに揺れる。ひっくり返る光景を想像して思わず目を閉じたブイモンは、しばらくして恐る恐る下をのぞいた。

「大丈夫かい?大輔君」

「あ、じょ、丈さん。ありがとうございます」

「大輔、大丈夫?!」

「おう、丈さんが支えてくれたんだ」

慌てて飛び降りたブイモンが駆け寄る。ずれたメガネを戻しながら、気さくな笑顔を浮かべて現れたのは、6年生の丈だった。
どうやら一度迷子になった前科がある大輔が、ブイモンが共に一緒であることは承知ながら心配になって付いてきたらしい。
気をつけなよ、と大輔から離れた丈は、大輔の抱えるたくさんの桃に目を丸くした。

「大丈夫かい?重くない?」

「え、あ、あはは、結構重いです」

「じゃあ持つよ、貸してごらん」

「え?いいんですか?」

「い、いいよ、いいとも。2年生の君にそんなたくさん持たせるわけには行かないからね」

見るからに優等生な外見の丈である。
身長は高いし大輔よりもずっと大きい体格をしているが、見るからに勉強一筋といった様子で、
なんというかどことなく頼りなさを感じてしまう大輔だが、あえて言わなかった。
6年生であるというプライドが全面に出ている上級生にわざわざ口答えする必要はない。
甘えればいいのである。それがサッカー部の中で学んだ下級生の特権だった。
お願いします、と差し出した大輔に、受け取った丈が一瞬、い、という顔をしたのを大輔とブイモンは敢えて気づかないふりをした。
いや、ブイモンがダメ出ししようとしたのを慌てて大輔が止めたのだ。なんでーとブーたれるブイモンのことを気づかれる前に大輔は指示を出す。
こういう時変に気をつかってしまうと、サッカー部の先輩あたりからよく怒られたのである。

「そーいや、味見してないよな、ブイモン」

「え?食べていいの、大輔?」

「だって、まっじー奴だったら怒られるじゃん。丈さん、一個くらいなら味見してもいいっすよね?」

「え?あ、いやいや、ダメだよ大輔君、ブイモン。みんなお腹空いてるんだから、先にたべちゃ」

「えーっ」

予想以上の真面目基質な丈の対応に驚いた大輔だったが、仕方ないので3人でもどることにした。





太一たち5年生組が作った焚き火を囲んで、子供たちは星空が広がる中、念願の夕食にありついた。
やけに詳しいヤマトの手ほどきにより、魚は一匹ずつエラから尻尾にかけてぐるぐる回して、
肝臓などの器官は取り除かれ、真水らしい湖にさらわれて処理済みだ。
すごいやお兄ちゃんと尊敬のまなざしを向けるタケルに、満更でもなさそうにヤマトは笑った。
もしかして、タケルにいいお兄ちゃんを見せるために、こっそり勉強でもしていたのかもしれない。
なんとなくそう思って指摘した大輔は、しーっという言葉と口を塞がれ、黙ってろという無言の訴えにより肯定された。
お兄ちゃん、一緒に食べようよと大輔と話しているのにむっとしたのかタケルが袖を引いてくる。
見るからに嬉しそうなヤマトである。やっぱり大切にされてるなあ、と改めて思いながら魚にかぶりついた大輔は、
骨をとってやろうかと甲斐甲斐しく世話を焼きながら、頭から行くのが男だろ、という太一のちゃちゃによりスルーされた
ちょっとかわいそうな一面を見た。
また太一さんに世話焼かれてる……と無言のまま見ている大輔に、側に座っていた空がぽんぽんと肩を叩いた。
慌てて振り返った大輔に、空はにこにこと笑う。

「太一ったら、こんな可愛い後輩置いといてなにしてるのかしらねえ」

「な、ちょ、空さん!」

名前を呼ばれたことに気付いたのか、何だ大輔?と太一が寄ってくる。
あわあわとした大輔が、なんでもないっす、としどろもどろになりながら言うので、ふーん、と太一は腕を組んで見下ろした。

「なーんか。怪しい」

「へ?」

「大輔、俺に隠してることないか?タケルは同い年だからいいとして、
なんか荷物取りに行ってから、ヤマトと仲よさそうじゃねーか。
自己紹介したときはすっげービビってたみたいなのによ」

「え?そ、そーっすか?まあ、その、いろいろあったんで」

「いろいろねえ」

昔から太一の直感は侮れない。冴え渡る時が多々あることを知る大輔は、冷や汗を流した。
サッカー部を引っ張るキャプテンとしての立場は、そのみんなの中心となるカリスマ性だけではないのである。
大輔からすれば、姉との不仲というある種の弱みは、尊敬する太一の友人であるというややずれた立場にあるヤマトだからこそ、
ある意味打ち明けられたと言ってもいい。
あの人は慎重だから、こっちの心境を察して、必要でもない限り闇雲にふれ回ったりしないだろうという判断だ。
尊敬するからこそ、ひそかに兄のように慕っているからこそ、幻滅されたくないという思いが強い。
そんなフクザツな心境を後輩が抱えていることなど知るはずはない太一は、
ただただ可愛がっている後輩が不自然なまでに短時間で、ヤマトと仲良くなっているのが気に食わない。
しかもそれを秘密にするのが気に食わない。
いつもそうだ。こいつ、懐いてる割に、一度も家にあそびに来たことないし、家に呼んでくれたこともない。
こっちはいつでもいいっていってるのに、何故か友人の家か公園が選択肢になる。
大輔は姉の不仲を知られたくないため、家に呼ぶのは慎重になる。
しかも太一の家にいったら、きっといやでも八神ヒカリのお兄ちゃんである太一を見るハメになるのだ。
怖くてできるわけがないのである。
まあ、そういうわけで、徐々に入っていった誤解の兆候が、一気に亀裂を生んだのは夕食後のことである。







大輔は衝撃を受けていた。目の前で、太一とヤマトが取っ組み合いの喧嘩しているのである。
きっかけは、青いしましまの毛皮をかぶっている温かそうな恰好のガブモンに、太一がその毛皮を布団替わりに貸してくれと
冗談がわりにいったこと。
アグモンのような色をした体格を覆い隠す毛皮を取られ掛け、ヤマトのところに逃げ込んだ恥ずかしがり屋。
ヤマトは勢い余って太一を突き飛ばしてしまい、ソレが勘に触ったのか喧嘩に発展してしまった。
呆然としているうちに、でるわでるわお互いに溜まっていたらしい不平や不満の嵐。
「お兄ちゃん」という頼れる存在が、しょうもないことで喧嘩しているだけでも驚きだが、
本気の言い合いの中に、タケルと大輔がやったのと同じような、嫉妬から来る怒りが混じっていることに大輔は硬直していた。


ちょっと待ってくださいよ、太一さん。
なんで俺のことまで引き合いにだしてんですか。
いたたまれなくなって、大輔は何も言えなくなってしまった。



[26350] 第六話 星明かりの下で
Name: 若州◆e61dab95 ID:8b8e6d47
Date: 2011/03/13 20:06
本宮大輔は「暗い」を経験したことはあっても、「真っ暗」を経験したことはない。
本宮家では、寝室もリビングもキッチンも、ありとあらゆる部屋の電気を切ってから寝ることは暗黙の了解で禁止されており、
何故か必ずひとつは豆電球を付けた薄暗い明かりをつけたままにしておくことが、義務付けられていた。
たまたま真っ暗な部屋があれば、わざわざ豆電球をつけるという不自然なまでの徹底ぶりである。
当たり前だと思っていた習慣が実は珍しいものであると知った大輔が、不思議に思って両親に聞いた限りでは、
災害に巻き込まれた際に真っ暗なままだと困るという、やけに説得力のある真に迫った説明だった。
ああ、なるほど、とどこからの情報源であるのかまでは大輔は気にしなかったため、知る由もないが、
もし大輔が細部にいたるまで突っ込んでいたら、家族は一般論と正論、常識の言葉を積み重ねて誤魔化されていた。
それは、このお台場にある団地に住んでいるごく一部の家庭において共通していることであり、
半ば暗黙の了解としてタブー視されている出来事がきっかけであるのだが、それらを大輔が知ることになるのはまだ先のことだ。
大輔が聞いた理由は、人は目が暗闇に慣れるには、個人差があるがある程度の時間を要する上に、
身動きがとれないことはいざという時に致命的な時間ロスになるということだった。
それはジュンが中学進学と同時に念願の一人部屋を手に入れた大輔にも、自然と身についている習慣であり、
まどろみに落ちるまでの数分間、まぶたの向こう側はいつもうっすらとオレンジを帯びていた。
それに寝付けなくてカーテンをめくれば、夜遅くまで勉強をしているのか、生活サイクルが違うのか、
ベランダの向こう側のカーテンからはいつも光が漏れていたし、
ベランダの外に出て、遠くを見れば夜遅くまで高層ビルや大きなネオンの光が溢れ、行き交う車のライトが通りすぎていく。
小学校で雨の日の昼休みにかくれんぼをした時だって、掃除用具の中に隠れたとしても足元や上の方は光が漏れていたし、
絶好のサボり場所として大人気の体育館の準備室だって、目の前のものの輪郭が確認できるくらいには薄暗い程度。
自分が立っているのか、座っているのか、どこにいるのか、感覚的に迷子になってしまうほどの縫い目のない真っ暗な世界など、
寸分の光すら存在しない、真の意味での「真っ暗闇」など、現代を生きる子供たちがまず経験することはない世界である。

本宮大輔は、気づくと生まれて初めて経験する真っ暗闇の中にいた。
無音の静寂があたりを支配する、ぞっとするほどの真っ暗な世界の真ん中で、大輔はそこにいた。
見渡しても見渡しても、習字の時間に使う墨汁、若しくは絵の具の黒をぶちまけたような世界が広がっている。
おそるおそる、とんとん、と大地を踏みしめてみるとしっかりとした安定感があり、どうやら立っていることに気づく。
慌てて太一たちを呼んでみるが、声は響くことなく暗闇の中に吸い込まれてしまう。
大輔の心のなかをあっという間に埋め尽くしたのは、この世界の中に一人ぼっちではないかという耐え難い孤独と恐怖、そして不安だった。
ここから逃げ出したい衝動にかられるが、この世界がどうなっているのか全くわからないという、別の方向からの事実が震え上がらせた。
一歩踏み出して、実は奈落の底に続いていたらどうしよう。どこまでいっても真っ暗だったらどうしよう。
込み上げてくる感情を踏みつぶすために、口元に手を当てて大声で仲間たちの名前を読んだ大輔は、
かちゃかちゃという音が胸元にあることに気づく。
手探りで首もとにかかったままのデジヴァイスとPHSの存在に気付いた大輔は、祈るような気持ちで手を伸ばしたが、
ディスプレイの光であたりが照らせるかもしれないという安心感は、あっという間に崩れ去った。
次第に荒れていく呼吸。目尻あたりに込み上げてくる熱がある。乱暴に拭った大輔は、何とかこらえようと深呼吸した。

その時、初めて大輔は寒いと思った。
この世界に来る前の猛吹雪で感じた壮絶な冷たさが、大輔の口から肺いっぱいに満たされていく。
まるでたった今、思い出したみたいな不思議な違和感があった。
まるで感覚が戻ってきたみたいな、微妙なズレがたった今修復されたみたいな、よくわからない何か。
なんで今まで気づかなかったんだろうと首をかしげたくなるほどの寒さが、大輔を襲った。
吐き出された息が温かい。おそらく白い息が暗闇に溶けていくに違いない。
思わずはいた息で少しでも暖かくなろうと手をこすり合わせるが、ますます手先が冷えていく。
頭のてっぺんからつま先の指まで、震えたくなるような寒さが襲いかかった。
小さく悲鳴をあげながら、大輔は縮こまった。びゅうびゅうといつの間にか耳元では、風の音が聞こえる。
真っ暗な世界に音が生まれた。感覚も生まれた。でも何も見えない凍てついた世界が広がっていた。
まるで冬みたいだと大輔は思った。木枯らしが大輔の真っ赤になった耳を撫でた。

『―――――――――て』

びくりと大輔は肩を震わせた。
風が泣いているのかと思ってあたりを見渡すが、暗闇のなかでただ木枯らしの音が響いている。
小さな声だった。聞き逃してしまうような、小さな小さな声だった。でも聞こえた、そんな気がした。
人間なのか、デジモンなのか、それともあんまり考えたくないけれども、それ以外の幽霊とかそういったたぐいの何かか。
さっぱりわからないけれど、大輔には、何かを紡いだ存在がいることがはっきりと感じ取れていた。
だれかいるのかと大輔は叫び返すが、その小さな小さな声は聞き取ることができない。
風の音が強すぎてうまく聞き取ることができないのだ、すぐ側で何か言っているという感覚はあるのに。
もどかしくて、聞こえないと大輔は叫ぶ。こっちこいよと大輔は呼ぶ。
一人ぼっちじゃないと、この世界にただひとり存在しているのでは無いのだという希望が、恐怖や不安を吹き飛ばして、
大輔を積極的な行動に取らせた。

『―――――』

聞こえた、今度こそ聞こえた。風の音じゃない、気のせいなんかじゃない、誰かの声が聞こえた。
はっきりと聞こえた!確信した大輔は一目散に走りだした。風の向こうにだれかいる。はっきりといったのだ、来てと!
全速力で走る大輔。進行しているのか後退しているのか感覚が迷子になり、方向すらわからないがただ一直線に大輔は走った。
一人は寂しい。一人は嫌だ。そう思って、懸命に走った。息が上がり、走るのが辛くなり、やがて体力の限界が来るが大輔は走った。
そして息が上がりきり、膝に手を当てながら体全体で呼吸した大輔が、再び走ろうと前を向いたとき。

突然、光が現れた。今にも消えてしまいそうな、暖かな光だった。ふわふわと大輔の目の前で浮かんでいる。

「蛍?」

ぽつりと大輔がつぶやいたとき、ぱちりと目が開いた。ぼんやりとした世界がやがてひとつの輪郭を形作っていく。
だいすけえ、と心配そうに顔を覗き込んでいるブイモンがそこにいた。

「…………あれ?ゆ、夢?」

「大輔え、大丈夫か?なんかうなされてたけど」

「ブイモン……あー、なんだ、夢か。なんか。変な夢見た」

「どんな夢?怖い夢?」

んー、と寝ぼけ眼なまま、ごしごしと目をこすった大輔はブイモンに話そうとするが、えーっと、と間延びした言葉の先が紡げない。
あれ?どんな夢だっけ?ふああ、と豪快に大きなあくびをして、涙目を再び乱暴に拭うが、さっぱり思い出せない。
まるで砂漠に垂らした一滴の水のように、思考の彼方に沈んでしまった夢の断片は、もうすくいきれないほど曖昧になっていた。
夢をみたという自覚はあるし、変な夢をみたという感覚もあるし、モヤモヤとした不安が漠然と残っているものの、
大輔が現実に戻ってきたときにはそれは霞の彼方に消えてしまっていた。

「わかんねーや」

「そっか」

「あーもう、だめだ、寢らんねえ」

すっかり目が醒めてしまったらしい頭は冴え渡り、眠気が全く訪れないことに気付いた大輔は小さくぼやいた。
ようやく慣れてきたあたりを見渡せば、みんな思い思いのリラックスする体勢のまま、深い眠りに堕ちている。
いびきが聞こえたり、寝言が聞こえたりしている。ここでだらだらとブイモンと喋っているのもいいけれど、
外を見れば相変わらず変な色をした紫色の空と薄暗い外が広がっている。時間はわからないが、夜なのは分かる。
ぼんやりとオレンジ色の光と二つの影が見えた。
そういえば、太一、ヤマト、光子郎、丈の順番で、かわりばんこに見張りをすることになったと大輔は思い出した。
俺もやりたい。夜の焚き火で見張り番とかなんかワクワクする、と好奇心を刺激されてブイモンと立候補したことも。
太一の影響を受けたのか、大輔だけずるいと思ったのか、タケルが僕もやるといいはじめて、二人でごねたのだが、
結局太一とヤマトに危ないから駄目だと却下されて拗ねたまま寝てしまったのだ。
そーだ、と大輔はいいことを思いついたと笑う。首を傾げるブイモンに内緒話。

「ブイモン、ちょっと外いこーぜ。太一さん達と一緒なら、怒られないだろ」

一人とデジモン一匹で危ないのなら、見張りをしている太一達上級生と一緒なら大丈夫だろうという屁理屈にも程がある理由づけ。
だが、どうしてこうも、こっそり抜けだして夜の散歩というシチュエーションは、冒険するみたいなわくわくを生むのだろう。
抗いがたい好奇心に抵抗できず、ブイモンも頷いた。
折角みんな寝ているのに、起こしてしまったら悪い。大輔は、電車の椅子からそっと足音を立てないように降りると、
そっと外に抜けだしたのだった。





第六話 星明かりの下で





「すっげー!」

手が届きそうな満天の星空が、大輔とブイモンの頭の上に広がっている。
この世界の空は大輔の知っている色ではない。真っ黒な空に紫色を混ぜあわせたような、奇妙なマーブル模様を描いている。
それはこの世界にきてからずっとそうだった。青空は気持が悪いくらいの水色。空は青や水色や藍色が混じった変化があるものだと知っていれば、
一色しか無い空なんて、それこそ小学低学年が描く絵画の世界である。
夕焼けだって赤とオレンジと茜色がグラデーションを描くのではなく、マーブルクッキーのような中途半端な混ざり具合だった。
これはこれで面白い光景である。
頭上に瞬く星々は、白だったり黄色だったり青だったり赤だったりするが、星座や宇宙について微塵も知識がない大輔は綺麗だとしか思わない。
家のベランダから見る空はネオンの光に遮られて、月はおろか星の姿さえ見せてくれないことを思えば、この光景は十分感動ものである。
北極星がないから、北半球ではないこと。でも、南十字の星座が見えないから、南半球かも怪しいこと。
知っている星座が一つでもあって、星を見ただけで結び付けられるような知識と経験、そして冷静に考えられる現実を見通す目があったら、
こうものんきに口をとじるのも忘れて見入ることなんてなかっただろう。
大輔はまだ小学二年生である。理科なんてまだ習っていない。夕食時に丈や太一、空たちが空を見上げて深刻そうに話をしていたのは知っているが、
好奇心を満たすのに毎回大忙しの大輔がである。わざわざ面白くもなさそうな話に首をつっこむはずもなかったので、無理も無い。
一つのことに夢中になると気が済むまで全力で突っ走る、よく言えば集中力がある職人タイプ、悪く言えば配慮が足らない子供。
そんな大輔が、背後から近づいてくる足音と気配に気づかないのは、ある意味いつものことであった。

「なーにやってんだよっ、大輔!」

ばしっと後ろから両肩に手を置かれる。うぎゃっと変な声を上げてしまった大輔につられて、ブイモンも縮み上がってしまう。
慌てて振り返った一匹と一人の前に、いたずら成功とばかりにニヤニヤしている太一の姿があった。
駄目だろ、勝手に抜け出しちゃと呆れた様子で肩をすくめられ、軽く頭を叩かれた。
痛い痛いごめんなさいと力任せに肩を揉まれ、別に肩なんて凝っていない大輔は悲鳴を上げた。
ほら、こいよ、とずるずる大輔が強制連行されてしまう。ブイモンは慌てて、焚き火を見守っているアグモンのところへ駆け寄った。

こうこうと炎が揺らめいている。常にゆらゆらと火影を揺らしながら、面白い動きをしているのを見るのは結構おもしろいと大輔は知る。
温かい光と熱が肌寒い夜を凌がせてくれている。
なんとなく夢で寒かったことを思い出した大輔は、夜が寒いからあんな夢見たんだなと、勝手に自己完結していた。
獣は火を怖がるらしい。だから、火を絶やさずにいることが、見張り番の大切な仕事の一つなのだと得意げに語る太一に
感心の眼差しが4つ。
ふふん、すげえだろ、と胸をはる太一に、さっきまで眠いとかいってたくせにー、とマイペースなアグモンがちゃちゃを入れた。
え、そうなんすか?と残念そうにアグモンと太一を見比べる後輩の眼差しに、う、と太一はつまって、あははとから笑いした。
お前余計なこと言うなよ、とアグモンを睨みつける太一。アグモンはどこ吹く風で、顔洗ってくるんじゃなかったの?と返した。
黙らせようと立ち上がった太一とアグモンのおっかけっこが始まってしまう。
いや、もう聞こえてますから、太一さん。大輔はぽんぽんとブイモンが肩を叩いてくるのをみて、小さくため息を付いた。
この世界にきてから、どうも自分の中の「尊敬するサッカー部の先輩としての太一」が、
がらがらと音を立てて崩れ始めている気がするのは、きっと気のせいじゃないだろう。
空回りしている印象があることに大輔は気づきつつあった。出来れば知りたくなかった一面である。
しばらく、お互いに話す言葉もなく、4つの沈黙が続く。しばらくして、大輔がぽつりとつぶやいた

「なんか、驚きました」

「んー?なにが?」

「太一さんでも、喧嘩するんだなーって」

「あはは、そりゃ俺だって怒ったり泣いたりするって。当たり前だろ、何いってんだよ大輔」

「そりゃ、そーですけど、その………ヤマトさんとのあれとか」

「あー……あれはなー」

かっこわりいとこ見せちまったなあ、と太一はばつ悪そうに頭をかいた。

結局、やめてよお兄ちゃんというタケルの今にも泣きそうな叫び声と、丈の仲裁により事なきを得たものの、
一歩間違えたらヤマトと太一どちらかが喧嘩別れして、メンバーの中から戦線離脱しそうな緊迫感があった。
一発触発の恐ろしい喧嘩だったと大輔は回想する。
あれだけお互いに本気を出して大喧嘩しているのは生まれて始めてみた大輔である。
自分とタケルよりずっとずっと大きい二人が、大声で喧嘩をしていた。とても恐ろしいものを見てしまった。
正直二人を見るのが怖くなって、大輔はずっとうつむいているしかなかった。
大輔の心中を察したのか空に連れられて一足早く電車に乗り込んで、大丈夫よ、と優しく背中をなでられて、
頷いて、ブイモンに手を握ってもらいながら、ハラハラしながらそのまま眠ってしまったのだ。
もう夢のことなど覚えていないが、悪夢を見るのは無理も無いかもしれないと改めて大輔は思った。
大輔にとって、太一は「お兄ちゃん」であってほしい人なのである。
姉であるジュンのように大声を上げて喧嘩をする姿など、想像したこともなかったし、想像したくもなかった、
ある意味最悪とも言える光景を見てしまったわけだから、大輔が自分が考えている以上のダメージを受けるのは無理も無い。
勝手に創り上げた心の拠り所が、自分とは望む一面とは違った一面を見せてしまったことで、
久方ぶりに大きく大輔の中で揺らいでいるものがあるが、まだ大輔は気づいていない。
太一は、少しだけ、沈黙したあとでぎこちない口調で呟いた。

「あれ、大輔も悪いんだぞ」

「え?俺ですか?」

「大輔が、ヤマトと仲良くなったりするから」

ずいぶんと子どもじみた理由だった。

「なんか、俺、のけ者みてえじゃん。なんか、ヤマトにいくら聞いても教えてくれねえし、お前ごまかすし」

覚えのある言葉である。
ヤマトお兄ちゃんがいるくせに、太一にやたらとかまってもらっているタケルの姿が目について、
ずるいずるいと駄々をこねて、なかば八つ当たり気味に喧嘩になったことを思い出す。
欲張りだとタケルに言われてカチンときたが、実際その通りだと大輔は思った。
自分のことは自分でする、という自主性と自律性を遺憾なく発揮すればするほど、
母親、父親、近所の人達、コーチ、にえらいえらいと褒められて嬉しくてどんどん一人で頑張って、
出来ることは自分で全部することが当たり前になっていた。
クラスメイトからも友達からも、サッカー部の先輩からも後輩からも、
大輔なら一人でできるから安心だと、任せられると、頼りにしてると、言葉をかけてもらえるたびに
認めてもらえるようで嬉しかった。
対等に扱ってもらえているきがして、嬉しかった。背伸びしていると自分も大人になれた気がして余計に頑張れた。
だから、自分が転んだときは自分で立ち上がったし、大丈夫かとブイモンに言われたときは笑ってきにすんなと返したし、
食料集めだって誰かにくっついて手伝うのではなく、自分で食べ物を調達するという行動に自然と出ていた。
だからだからだから、一度本気で大喧嘩したからこそ、うっかりタケルには我慢していることを口に出してしまったけれど、
いつもの大輔ならば「なんだって一人でできる大輔」で有ることが自分であり、
「甘えたい大輔」は子供みたいで恥ずかしいと無意識のうちに心の奥底に押し殺してしまうはずだった。
まるで拗ねたように不機嫌そうに大輔を睨んでくる太一が、自分そっくりに見えて、
大輔は何故か心のなかにすとんと落ちてくるものがあった。
なんだ、太一さんも、俺と同じなんだ。そーいうところ、あるんだ。
思わず笑ってしまった大輔は、なに笑ってんだよこら!と半ば羞恥心をごまかすためにちょっかいを掛けてきた太一に捕まってしまう。
じーっと二人のやりとりを見ていたブイモンが、大輔に言う。

「なあ、大輔。太一にも相談してみたら?」

「え?」

「なんだ?大輔、お前なんか悩みでもあんのか?」

「え、えーっと……」

「ヤマトと一緒でおにーちゃんなんだし、相談したほうがいいって大輔」

「お?なーんか聞き捨てならないこと聞いたぞ、大輔。
サッカー部の先輩じゃなくて今日あったばっかのヤマトに相談することってなんだよ、おい」

やばい、と思ったときには遅かった。容赦なく脇腹と脇の下あたりをこちょこちょとくすぐってくる攻撃が大輔を襲う。
たまらず大笑いし始めた大輔は、やめてくれと必死で抵抗するが、太一は容赦なくくすぐり攻撃を仕掛けてくる。
ひいひい言いながら、涙目、呼吸困難になり始めた大輔は、この時ばかりは本気で笑死しかねないと危機感を募らせ、
とうとう言います言いますから、やめてください!と白旗を全力で振りかざしたのだった。
その場に崩れ落ちた大輔は、半ば笑いながら太一に全て白状するしか道は残されていなかったのである。

「なんで今まで相談してくれなかったんだよ、お前」

「だって、太一さん、いってたじゃないッスか」

「え?俺なんかいったっけ?」

「言いましたよっ!だから俺、相談できなかったのにっ………」

「え、あ、おい、泣くなよ!」

「泣いてません!」

「えー………わりい、全然わかんねえや。なあ、俺、何かいった?」

「八神太一は、八神ヒカリのお兄ちゃんじゃなきゃいけないから、
八神太一は本宮大輔の「お兄ちゃん」にはなれないんだっていってたじゃないっすか。
だから俺、てっきり相談しちゃだめなんだって思ったんすよ。
ヒカリって子の「お兄ちゃん」じゃなきゃいけないってことは、
一瞬でも「お兄ちゃん」としての太一さんに相談しちゃだめなんだって」

「あー………あんときか、だってお前、あん時そんな素振り全然見せてなかっただろ?分かんねえよ」

「言えるわけないじゃないッスか、そんなこと。嫌われたらって思ったら、怖かったし。
俺、姉貴にも嫌われてるかもしれないのに、姉貴と仲悪いってバレたら、
姉貴とも仲良くなれない悪い子だって思われたくなかったし」

「考えすぎだって、大輔。そんくらいで俺がお前のこと嫌いになるわけ無いだろ、ばっかだなー」

辛かったんだな、とわしゃわしゃ頭をなでられて、うるっと涙腺が緩む大輔だったが、
無言のままうつむいてしまう。

「そっか、だからタケルとヤマトが仲いい兄弟だって知って、喧嘩して、相談したわけか。
ごめんな、大輔。俺全然気付いてなかったな、俺がヒカリのこと話すたんびに辛い思いしてたわけか」

「………はい」

「難しい問題だよなあ。俺、ヤマトと違って全然分かんねえからアドバイスとか思いつかねえけどさ、
俺がジュンさんの立場だったら、あれだな。寂しいかもな」

「さみ、しい?」

「そうそう。大輔って2年生のくせに、人一倍サッカー頑張ってるだろ。ちょうちょ結びだって一人でできるし、
コーチにあーだこーだ言いにいったりして、言われたことだけやったりなんて、絶対にしないだろ?
お前が俺の弟だったら、あれだな、お兄ちゃんとしての立場、カタナシだな。俺、いらねーじゃん、みたいな?」

なんていうか、わからないけどな、と太一は続ける。

「もっと素直にさ、甘えたらいーんじゃねえかな。お前もタケルも全然わがままいわねーじゃん。
そりゃ、年上ばっかりだし、言いにくいかもしれないけどさ、もっと頼れよ、俺達を。
つーか頼りにさせろよ、寂しいだろ」

「そうそう、太一やボクたちを頼ったらいいんだよ、大輔。一人ぼっちでないたりしないでさ、
ブイモンとか、みんなに困ったことがあったら言えばいいんだよ」

アグモンと太一の意見に耳を傾けていた大輔は、はい、と小さくつぶやいた。
それでよし、と太一達は笑う。焚き火の勢いがやや弱まったのを確認した太一は、傍らに積んであるマキをくべた。

「じゃあさ、そろそろ寝ろよ、大輔。明日も大変だしな」

「ここはボク達に任せて、おやすみー」

「分かりました。おやすみなさい」

「ありがとな、太一、アグモン。おやすみー」

「おう」

「またあしたねー」

立ち上がった大輔とブイモンが電車へと帰っていく。ブイモンが様子を伺うように、大輔を見上げた。

「なんか、不満そうだね、大輔」

「うーん、なんていうか、嬉しいんだけど、なんかなあ」

「そうだよなあ。オレもなんかもやもやする。太一たちの言葉はうれしいけど、なんか足りない?」

「んー、なんていうか、わかんねーけど、もやもやする」

「なんでだろう?」

「なんでだろうなあ。わっかんねーや。でも、もう変な夢は見ない気がする」

「手、握っててあげようか、大輔」

「んー……おう」

どこか遠くで、ハーモニカの音が聞こえた気がした。









空が白み始めた頃である。
ブイモンと空に起こされた大輔が外を見ると、路面電車があった陸の孤島がものすごい勢いで動いていた。

デジモンデータ
シードラモン
レベル:成熟期
種族:水棲型
蛇のように長い体をした水棲型デジモン。ネットの海や湖などに生息する。
攻撃力は高いが知性はほとんどなく、感情のままに生きている。敵に巻きついて物凄い力で相手の体をしめあげる。
必殺技は氷の矢を吹き出す、アイスアロー。

ざぶんと沈んでいくシードラモンのしっぽを見た太一が声を上げた。どこかで見たような模様だと思っていた大輔は顔を引きつらせた。
あれは陸の孤島にへばりついていた、大きな葉っぱか何かだと思っていたら、眠っていたシードラモンのしっぽだったらしい。
やばい、俺とブイモン何回も通りすぎるのに、普通に踏んでたような気がする。あわあわとしていると、大きな衝撃と共にぐらつく。
丈にブイモンごと抱え込まれた大輔は礼を言った。やっべーという顔をしているのは、大輔だけではなく、太一たちもである。
大輔と別れたあと、太一とアグモンは見張り番を続けていたのだが、新しくくべたマキの中に竹と同じ構造のものが混じっていたらしく、
熱せられたそれは中の空気が膨張して破裂し、破片が飛び散ってしまう。それが丁度ぐさりとシードラモンのしっぽに突き刺さったらしい。
お前らのせいかとその場にいた全員の心の声が一致したところで、ようやく浮島だったことが判明した陸の孤島が、
何故か沈んでいる鉄塔だらけの地帯で停止する。しかし四方は湖。シードラモンに襲われたら為す術がない。
唯一進化した経験のあるアグモンが何度か試みるが、何故かデジヴァイスも反応がない。何も出来ないまま、シードラモンが現れた。
デジモンたちが応戦するものの、成熟期のシードラモンの大きな巨体相手には技が届かない上に、
空中戦ができるデジモンたちの攻撃が命中する前に素早い動きでかわされてしまう。

その時、タケルとパタモンの悲鳴が聞こえた。
振り返ると、対岸に置き去りにされていたヤマトとガブモンがみんなに追いつく為に湖を渡っており、
さっきからヤマトの姿が無いことに気づいて必死で探していたタケルが、周囲の静止を降りきって駆け寄り、
さっきの衝撃で湖に落ちてしまったのだ。
ようやく岸に辿り着いたヤマトの前に、タケルを救出したゴマモンが顔を出す。
一同がほっとしたところで、シードラモンの叫び声が現実を引き戻した。

「こっちだ、シードラモン!」

タケルのことを頼んだとゴマモンとパタモンに言い残し、ヤマトは単身シードラモンを挑発して反対方向に泳いでしまう。
ガブモンがあわててシードラモンに攻撃してヤマトから気をそらそうとするが、巨大な尻尾に薙ぎ払われたガブモンが陸の孤島に吹っ飛ばされてしまった。
一向に進化の兆しを見せないアグモンに業を煮やした太一が湖に行こうとするが、空たちに止められる。
大丈夫かと大輔とブイモンがガブモンに走りよる。ガブモンは毛皮を背負ったせいで泳ぎが不慣れであるにもかかわらず、なんとか泳ごうとするが足がすくんで動かない。
タケルが必死でパタモンに助けを求めるが、自分の弱さを自覚しているパタモンは及び腰、タケルを任せると言われた手前、タケルのそばから離れることができない。
みんながハラハラとヤマトを見守る。せめて岸の上に上がってしまえば、という希望も虚しく、追いつかれてしまったヤマトがシードラモンのしっぽに締め上げられ、
湖の底に沈んでしまう。ぶくぶくと泡が沈んでいく。
大輔は慌てて行こうとするが、ブイモンに全力で止められた。ざばんと豪快なしぶきが上がる。締め上げられたヤマトの絶叫が響く。
相手が息絶えるまで締め上げるという事実を鬼のようなタイミングで告げるテントモンを、光子郎が叱責した。
泣きそうな顔で見守るタケルのお兄ちゃんという声が木霊した。

「もうヤマトの吹くハーモニカが聞けないなんて……あの優しい音色が聞けないなんて……!」  

嫌だ、と咆哮が湖全体に響いたとき、ガブモンの体が白い光に包まれた。 ガブモンとヤマトの絆に共鳴したデジヴァイスが、2つ目の進化を開花させた瞬間である。

デジモンデータ
ガルルモン
レベル:成熟期
種族:獣型
極寒に生息している狼のような姿をしている獣型デジモン。
全身が青白く輝く毛に覆われていて、そのひとつひとつは伝説のレアメタルといわれる「ミスリル」のように硬い。
獲物を見つけ出す勘と、確実に仕留める力をもっているため、他のデジモンから恐れられている。
またとても賢く主人に従順で、なつきやすい性格をしている。「グレイモン」同様生息範囲が広く、
属性もワクチン・データ・ウィルスと全てのパターンが確認されている珍しい種だ。
必殺技は口から高温の炎を繰り出すフォックスファイアーだ。

それは圧巻だった。大きく跳躍したガルルモンがヤマトを拘束していたしっぽに噛み付き、
緩んだところでヤマトが湖に落下する。
タイミングよくゴマモンの配下の魚たちが絨毯となって受け止めたのを確認したガルルモンは、
痛みのあまり水の中に逃げこもうとするシードラモンの首筋に襲いかかった。
振り払おうと暴れ回るシードラモンだが、あれだけ威力を誇ったしっぽがガルルモンに傷ひとつ付けない。
ガブモンのかぶっていた毛皮は、実はガルルモンのデータであると判明した瞬間である。
ガルルモンの毛皮は伝説上の金属のように硬いという解説がテントモンからなされるが、肝心のミスリルの単語が出てこないため、
デジモン解説講座は半ば子供たちから信用半分に聞き流され、役に立つか絶たないかわからないと手厳しい光子郎の言葉に撃沈する。
それはともかく、シードラモンの口から吐き出された氷の矢を、高温の時に初めて現れる青光い炎が圧倒し、追撃するようにガルルモンがシードラモンをなぎ倒す。
まるで猛獣の狩りを見ているようなド迫力の光景に唖然としている子供たちは、とりあえずヤマトの無事と、シードラモンを撃退したガルルモンの帰還を祝ったのだった。

やがて岸はゴマモン達の大移動によってもとに戻り、再び子供たちは眠りについた。
湖には、眠るタケルとパタモン、ガブモンへの子守唄に優しいハーモニカの音が響いていた。



[26350] 第七話 僕らの漂流記 その3
Name: 若州◆e61dab95 ID:8b8e6d47
Date: 2011/03/14 22:27
漂流生活2日の朝。小学6年生が1人、小学5年生が3人、小学4年生が2人、そして小学2年生が2人の計8人、
やけに上級生に比重が偏りすぎているメンバーご一行は、昨日集めた食料を上級生男子が分担で持ち、
女の子と小2コンビは特別扱いでもともと持っている荷物以外はなにも持つことを許されないまま、湖を発つことになった。
どこに行くのか、というこれからを決定する会議にも、最年少であるが故の弊害でまともに参加させてもらえない。
大輔たちは何にも心配しないで、付いてくればいいんだよ、とご機嫌斜めな後輩に太一は笑った。
どうやら昨日のうちにすっかり太一と仲直りしたらしいヤマトも、大輔のコトを太一から聞いたのかは知らないが、
心なし視線が優しい気がする。よかったわね、と空にまで微笑まれてしまえば、これ以上不満を漏らすのは贅沢すぎる気がした。
なんかタケルの目が据わっている気がする。
いや、そうだけど、なんか、なんか違うんだよおおっと心のなかでモヤモヤと格闘しながら、必死で少ない語彙の中から名前を捜す大輔は、
しっくりと来る表現を見つけられないまま、こくこくと頷くしかなかった。目立ちたがり屋だが注目されることには慣れていないのである。
昨日の夜の直談判が功を奏したのか、ほんの少しだけかまってもらえるようになった嬉しさと恥ずかしさ、もやもやを抱えながら、
しぶしぶ頷いた大輔はブイモンと共に、太一たちと離れないようにひたすら付いていくことが求められることを知った。
ふくれっ面の大輔に、タケルとパタモンが機嫌を直すよう説得する。
お前はそれでいいのかよ、とのつぶやきに、僕達まだ小さいんだよ、仕方ないよ、という返答。かち合った目にはやや不満の色。
どうやらお互いに今の置かれている立場にやや疑問があることはわかったものの、それを解決するにはどうしたら良いか考えつかない。
せめてお互いのパートナーデジモンが進化してさえいれば、いろいろと上級生たちの目も変わってくれるかもしれないのに、と
お互いに非力すぎる身の上をこの時ばかりは呪った。

それがきっかけだったのかもしれない。暇を持て余しているブイモンと大輔は、ひたすら進化について話し合っていた。

アグモンがグレイモンに進化した。
ガブモンがガルルモンに進化した。
いずれもパートナーである八神太一と石田ヤマトが生命の危機にさらされた時、一度だけそれは訪れていた。
パートナーデジモンが心の底からパートナーを助けたいと思ったとき、
デジヴァイスが反応してデジモン達が鮮やかな光りに包まれて、成長期から成熟期へと進化をとげている。
一度進化することが出来たデジモンならばいつでも行えるわけではなく、進化しているデジモン達本人ですら、
イマイチその進化条件が分かっていないため、何故デジモン達が進化できるのか、何故進化したデジモンが再び成長期に戻ってしまうのか
いろんな疑問が子供たちの間で浮かんでは消えるものの、結局何一つ解決することができないまま、今に至る。
アグモンが言うには、太一を助けたいと思ったら、凄まじい力が湧いてきたらしい。
秘密はデジヴァイスにありそうだが、この白いデジタル時計の秘密は今はまだ誰も知らないのだった。
しかし、幾度ものピンチを救ってきたデジモンの進化の光景は、まだ進化を経験していないデジモンとそのパートナーの間で、
もしかしたら自分たちもできるのではないかという期待と不安から、あれこれと予想するには事欠かない。
大輔とブイモンもその例外に漏れることなく、あれこれと予想しては空想の中でかっこ良く敵のデジモンを倒す様子を想像しては、
早く進化したいという様子を包み隠さず話しあっては、盛り上がっていた。
進化する本人すら進化するその瞬間まで、成熟期の姿も名前も全くわからない状態なのである。
誕生日プレゼントを空ける寸前のわくわくを噛み締めながら、大輔とブイモンは、
進化したパートナーを連れていることで自然と子供たちの前衛を任されるに至った、太一とヤマトを懸命に追いかける。
深い密林の木の根っ子やごろごろ転がっている石、そして足場の悪いぬかるんだ道などものともせず、
ブイモンと進化後の姿はどんな感じなのか、について本人たちは至って大真剣に話し合っていた。

「オレ、もっともっとでかくなりたい!そしたらこーんなでっかいデジモンが出てきたって、オレだけで倒せるだろ!」

ぶんぶん拳を振り回していきり立つブイモンの頭の中には、グレイモンよりずっとずっと大きく巨大化したブイモンが、
「おれがかんがえたさいきょうのわるもの」相手に勇猛果敢に勝負を挑み、パワーで圧倒して、
ブイモンヘッドでお星様に変える光景が浮かんでいた。そしたら、大輔はきっといってくれるに違いない!
自然とブイモンは口元がおもいっきり緩み、鼻歌すら浮かんでいた。考えていることが顔だけでなく全身に出やすいのは誰に似たのやら。

「さっすがはオレの相棒だ、ありがとな!ヤマトさんや太一さんじゃなくってお前だけが頼りだ!」

わしゃわしゃと頭を撫でながら、大好きな笑顔をブイモンだけに向けてくれるに違いないのだ。
ブイモンの頭の中では、抱きしめてくれる大輔がいて、現状において保護者的立ち位置にいる太一とヤマトが悔しそうにこっちを見ていて、
グレイモンとガルルモンが、参りましたとばかりに頭を下げて白旗を降っているのである。
四足歩行のガルルモンが何故グレイモンと共に白旗を前足でもって、降っているのかは突っ込んではいけないところである。
そしたら大輔のことも守れるし!とそれはそれは嬉しそうににかっと笑いながら、今はまだ大きい大好きなパートナーを見上げた。
あれ?いない?大輔は?側にいたはずの大輔の姿も形もない。あれ?あれ?とキョロキョロあたりを見渡していたブイモンは、
ようやく自分がずるずると大輔に引きずられている事に気がついた。
さっきから、明後日の方向に飛んでいってしまったブイモンの意識を戻すべく、しつこい位にブイモンの名前を連呼したが、反応はない。
振り返れば太一もヤマトもどんどん先をいってしまう。湖を出発したばかりで、まだまだ元気が有り余っているはずのブイモンの謎の硬直。
もっと頼れと心強いお言葉を頂いたばかりであるとはいえ、こんなしょうもないことで先陣の足取りをわざわざ鈍らせるのはあれである。
追いついてきたヤマトや空に先にいってもらって、大輔が取ったのは持ち運びだったわけである。
さすがに大輔に置いて行かれることに関して、トラウマとも言うべき心の傷を負っているブイモン相手に、置き去りにするという選択肢はとれるほど外道ではない。
大輔の頭の中では、凄まじい狼狽を見せて、パニック状態になりながら必死で東西南北に大輔の名前を連呼して捜し回るブイモンの姿が、
寸分狂い無く想像することができた。想像力豊かなのはお互い様である。
小学校二年生男子として持ちうる限りの力を注ぎこんで、石像と化していたブイモンを引っ張っていた大輔は、
ようやく正気に戻ったブイモンに呆れながら、先を急ごうと手を伸ばしたのだった。

実際のところ、大輔の中での頼りになる存在ランキングは、今までブッチギリの1位だった太一が首位から陥落している。
だが相談に乗ってくれたので、2位に踏みとどまっている。何かと気にかけてくれる空に首位は奪われてしまったが、
今まで圏外扱いだったヤマトと丈が急浮上しており、太一と丈が2位を争う結果となっている。
丈は今のところ3位である。最上級生だし、しっかりしてるし、なんだかんだで大輔は丈に桃を持ってもらったり、
湖に落ちそうになったところを助けてもらった。それにいろいろ難しいことを知っている。空が先輩と呼んでいるのも影響していた。
大輔の自主性とタケルと比べてなんでも自分でやりたがる性質を知っている、大輔のことを知っていればいるほど、
上級生たちは大輔の中にある甘えたいという意識と認めてもらいたいと背伸びする意識の葛藤を汲みとってくれない。
ヤマトは4位だ。理由は簡単、苦手意識が上位3位にランクインするのを拒否したのである。意地悪な人は姉を連想してしまう。
聞きたいことを教えてくれなかったこと、こっちが嫉妬に駆られるほどの仲睦まじい姿を見せつけられること、
相変わらずタケルにものすごく過保護なのをみるたびに、顔を背けたくなってしまうなどの理由がある。
そういうわけで、ブイモンが大好きな本宮大輔の頼れる人ランキングで、堂々首位を奪取するのは、
まだまだ先が長そうだった。

「なあなあ、大輔、大輔はオレにどんな進化して欲しい?」

「そーだなあ、やっぱドラゴンだな!」

「どらごん?なにそれ、かっこいいのか?」

「そりゃそーだろ、なんたってドラゴンは空の王者なんだから!」

大好きなゲームシリーズに登場する架空のモンスターの話をする大輔の目は、さっきとは打って変わって輝いていた。
大輔の理想の進化像を聞きながらブイモンは想像してみる。
どらごんはブイモンよりずっとずっと大きくて、グレイモンより大きいらしい。
ブイモンと同じで額に角があり、大きなしっぽがあり、二足歩行でぶっとい脚とでかい腕を持っていて、
とここまで聞いたブイモンはほとんどグレイモンと変わらないではないかと大輔に返すが、全然違うと大輔に力説された。
大空を自由に飛び回ることができるツバサを持った、それはそれはかっこいい勇ましい姿らしい。
大輔の語るどらごんは、世界征服を企む魔王ってやつを倒すために、世界を救うために立ち上がった勇者の大事な大事な相棒で、
運命共同体そのものの関係性を構築しているらしい。
結局言葉の意味が分からなかったので、丈に道中聞いた話では運命共同体とは、ものすごく分かりやすく言うと
生まれた時から死ぬまでずっとずっと一緒にいる相手のことをいうらしい。
嬉しいことがあっても悲しいことがあっても、つらいことがあっても、未来になにがあってもずっと半分こしながら過ごしていく、
相手やグループのことをいうらしい。
まさしくオレとパートナーの大輔のことだと大喜びしたブイモンは、よくそんな難しい言葉を知ってるねと感心した丈に対し、
ちょっと聞いたのだとごまかした大輔の挙動不審ぶりに気づくことはなかった。

なにそれかっこいい。

ブイモンの頭の中では、「おれのかんがえたさいきょうのしんかけい」の姿をしたブイモンが大輔を乗せて大空を羽ばたいていた。

「ブイモン青色だから、青いドラゴンになるな。かっけー。早く進化できるといいな」

「うん!オレ、空が飛べるようになりたい!」

すっかり大輔の言葉に感化されたブイモンは、その時が来るのを夢見て、今はただ見上げるしか無い空を眺めたのだった。
大輔がかっこいいと絶賛した進化系の姿は、もちろん大輔が初めてこの世界に来たときに出会った、秋山遼とエアロブイドラモンがモデルである。
強烈なインパクトをもたらした彼らの勇姿は、鮮明なイメージとして克明に反映されているが故の結果である。
エアロブイドラモンは成熟期ではなく、さらに進化を遂げた完全体であることなど知るはずもない大輔は、
どうせならまたエアロブイドラモンに会いたいと思っただけである。
でも進化の姿は違うとエアロブイドラモンがいってたことを思い出した大輔は、他にもいろいろ進化の姿があるのかと一瞬思ったが、
そんなこと実際になってみなくてはわからない。
どんな姿に進化したとしても、ブイモンは大輔にとってのパートナーデジモンであることにはかわりなく、
でもどうせならかっこいいほうがいいなあ、という男の子なら当たり前の発想がそうさせていた。
まるでお母さんと結婚するのだと宣言したちっちゃい男の子のような無邪気な約束である。
ブイモンが割と本気で楽しみにしていることに気づくワケもなく、大輔はブイモンにつられて空を仰いだのだった。

その時である。

遥か上空を飛ぶ飛行機のようなエンジン音が、ものすごいスピードで近付いているような、
きいいいいいいいん、という音が空全体に響き渡ったのである。
何だ何だと大輔とブイモン以外の子供たち、パートナーデジモンたちも空を見上げる。
木陰が涼しい、木漏れ日の暖かなその場所で、大輔は巨木達の間からのぞく大空を横切る黒い物体を目撃した。
一瞬のうちに通りすぎていった黒い物体は、ざわざわと木を揺らす風を産み落として、音も共に連れていってしまった。
唖然とした様子で呼吸をするのも忘れて、その黒い物体が飛んでいった方向を見つめる大輔の後ろで、
上級生たちが空飛ぶ円盤だとか隕石だとか、不気味なものだとか口々に連想ゲームみたいに話し合っている。


ヤマトが歯車みたいだと口走った瞬間に、大輔は冷たい手で心臓を掴まれたような感覚に襲われた。
毎日サッカーボールを追いかけている大輔の目は、はっきりと捉えていたのである。
間違えようがない、あの黒い物体は、真っ黒で大きな歯車だった。黒い歯車が遠くに飛んでいったのを目撃してしまったのだ。
大輔の脳裏に、まだ記憶に新しい、操られていたサイバードラモンに襲われ、崖に追い詰められた様子がよみがえる。
あの時は本気で死ぬかと思った。あのまま無残にも暴力の犠牲になるくらいなら、と決死の紐なしバンジーを決行したので無我夢中だったが、
秋山遼とエアロブイドラモンに助けられたあの崖で、再び奈落の底に口を開けていた断崖絶壁を見下ろしたとき、へなへなと腰が抜けて立てなくなった。
エアロブイドラモンは、黒い歯車が原因でサイバードラモンが操られている、とはっきりと発言していたのを大輔は覚えている。
忘れようがないのだ、初めてこの世界に来たときに我が身に起こった最初の生命の危機である。
もしかして、もしかして、もしかして。空の彼方に消えてしまった黒い歯車を見据えて大輔は思った。ごくりとつばを飲み込んだ。
今まで遭遇してきたデジモン達は、初めから明確な意思を持って自分たちを本気で殺そうとしてきた訳ではない、と大輔は思っている。
シェルモンのときは、砂の中で寝てたのに気づかないままたくさんの荷物を置いてしまったから怒らせたし、
モノクロモンは、帰ってきたときにはすでに太一たちが襲われていたからわからないが、きっとなにかやらかしたんだろうし、
昨日にいたってはしっぽに火のついた枝を突き刺したり、気づかなかったとはいえ何度も踏んだり、と結構自業自得な面があった。
だって、あの時本気でこわいと思った、睨まれただけで心臓が止まってしまうのではないかという圧倒的な殺気やプレッシャーなど
一切感じることはなかった。
さっきの黒い歯車がまたデジモンを操って襲いかかってきたら、どうしたら良い?あの時と違って秋山遼とエアロブイドラモンはいないのだ。
なんかあったらどうしよう、という一抹の不安が大輔を怯えさせる。頼れよ、と言われたことを思い出した大輔は、太一に言おうとしてやめた。
秋山遼とエアロブイドラモンからは、絶対にいうなと言われた。未来を変えてしまうから、言うなと言われた。
未来の大輔たちを助けるためだと彼らはいっていた。もしここで口に出して、彼らが助けに来てくれなくなったらどうしよう?
そしたら大輔の想像よりずっとずっと酷い形で、未来が変わってしまうかもしれない。
あの時、大輔は彼らの未来から来たという情報を微塵も信じていなかったが、今となっては確信を持って本当の情報だと判断できる。
今更、秋山遼という少年とエアロブイドラモン、サイバードラモンに出会ったというのか?


ぐるぐるしている大輔の後ろで、丈が興奮した様子で人間が円盤型のラジコンを飛ばしたのではないか、というトンデモ説を豪語している。
丈はこの世界に来てから、ずっと自分たち子供以外の人間がどこかにいるはずだから、助けを求めたほうがいいという立場を元に、
半ば強引にこの世界で観てきたあらゆるものごとを、第三者の人間の存在(丈に言わせれば大人)と結びつけようとしているフシがあるのは、知っている。
桃を運ぶ途中でも、メンバー最年少の大輔を励ますため、というよりは非現実的な世界にいるという異常性から、少しでも自分を離れたところから見て、
冷静にあろうとする彼なりの防衛手段が講じられていた。
なんか必死だということくらいしか分からない大輔は、そんな丈の発言の後に、かつて怪しまれた(と大輔は思い込んでいる)ヤマトから
庇ってくれたブイモンの発言を無下にすることはできなかった。
それに、そんなこと口にして、どこにいってしまったのかも分からない秋山遼という少年の存在を期待させるのは、あまりにも残酷である。
いえるわけがない、と改めて大輔は言いかけた言葉に自らカギをかけた。
実際に丈とそこまで会話したわけではないものの、何かと最年少の大輔を気遣ってくれる丈を間近で観てきた大輔が、
もし自分が丈だったら、という想像を駆使して辿り着いたのがその結論である。
大輔は相手の考えていることを観察したり、空気を読むことで読み取ることが苦手である。
それが原因で良かれと思ってやったことが、相手にとって自己中心的で、自分勝手で、独りよがりであると判断されてしまい、
何度か問題になったことがある。
そんな時、解決策を教えてくれたのが、幼稚園の先生だった。いつも先生はいっていた。相手の立場にたって考えなさいと。
同じおもちゃで遊びたくなって取り合いになったとき、いつもそうやって諭された。実行したら、ほんの少しだけ優しくなれた。
小学校に入学することには、大輔はその小学校という集団の中で生活する上でわりと致命的な欠点を
相手の立場に立って考えることで、少しでも相手のことを理解しようとして、コミュニケーションを取ることでカバーできるようになっていた。
道徳の時間とか国語の時間の読解力の問題とかで、担任の先生はあの先生と同じことを言っていたので間違いないんだろう。
ただしこのやり方は、ある程度親しくなった相手にしか使えないこと、そしてあくまでも想像する本人が大輔のため、
相手が大輔の前で本音と建前を分ける大人であったり、ヤマトのようにクールで無愛想だったり、
想像以上の境遇に置かれていると全く通用しないという欠点がある。
それでも大輔にとっては、もはや自然と身についたやり方であり、いつものように想像力を働かせた結果の行動だった。

「大輔―っ、早く早く!置いてかれるって、おーい!」

はっと我に帰った大輔に、立場逆転とばかりにブイモンが楽しそうに笑って腕を掴んで、ぐいぐいとひっぱっていく。
気づけば、太一たちが歩みをすすめる先には、ようやく代わり映えしない森から、一気に空が近くなり見渡すかぎり砂漠が広がっている。
テレビで見た光景なのは分かるが、具体的な地名や場所は全くわからない大輔である。
しかし、さすがの大輔も一面に広がる砂漠地帯は、鉄塔や電信柱がたくさん突き刺さっているような場所ではないことくらい分かる。
走って追いついた大輔たちは、足を取られないようにと太一たちのすぐ後ろを付いてくるよう言われて、従うことにした。
じりじりとした暑さが肌を焼く。あっちー、喉乾いたーという言葉がますます暑さを助長させるため禁句となり始めた頃、
大輔は暑いと強引にブイモンと繋いでいた手を離そうとしたが拒否られた。
なんだよー、とあまりの暑さに扱いがぞんざいになる薄情なパートナーにもめげず、ブイモンが小声で大輔に聞いた。

「なあ、大輔。どーしたんだよ?なんかやなことでも思い出した?」

手、あん時、すっげー汗かいてた。顔色も悪そうだったし、つらそうだったし、太一たちに言いかけた言葉なんか飲み込んでたみたいだし、
と指折り数えながら大輔の挙動不審ぶりを並べ立てていくブイモンは、まっすぐに大輔を見上げた。
ブイモンはこの数日の間に、パートナーである大輔のことで学んだことがひとつある。
本宮大輔という人間は、基本的に「聞かれたこと」でなければ「話してくれない」「教えてくれない」。
しかも、何でおかしいと思ったのか「証拠」を話さなければ、「答えてもくれない」奴であるということ。
大輔は確かに喜怒哀楽が分かりやすい人間であり、思ったことがわりとすぐに顔に出てしまう正直な人間だ。
しかし、その癖に本人はそのことをイマイチはっきりと自覚しておらず、心のなかにしまいこんだこと、
言いそびれたこと、嘘を付いたことは克明に顔や動作、行動に反映されているにもかかわらず、
気づかれていないと明確な根拠もない自信をもって信じ込んでいるフシがある。
はたから見れば、隠し事がありますよーっと大声でひとりごとをつぶやいておきながら、周囲の注目を集めておいて、
本人は周囲の誰にも自分の隠し事はバレていないのだと信じきっている滑稽さに似ている。
人によってはそれがおちょくったり、からかったり、怒らせたりする恰好の餌食として愛される要素と成り得るのだが、
本宮大輔という人間の1番になりたいブイモンにとって、それは正直不満の塊である。
なんで話してくれないんだろう、なんで一人ぼっちで苦しんでいるんだろう、オレが隣にいるのに!という思考につながった。
ブイモンもブイモンなりに大輔が黒い物体に怯えていた理由を考えてみるが、さっぱりわからない。
だから聞くしかないのである。大輔は真っ直ぐ見つめてくる無垢の目に気圧されて、目をそらしてしまう。
今の大輔にとって、ブイモンは気まずい相手でしかない。だがそんなパートナーの冷たい反応に臆していては先に進めない。
8人の子供たちが砂漠らしき地帯を横断しているさなか、大輔とブイモンの水面下の攻防はやがて終止符を打った。

「大輔ええ」

捨てられた子犬のような庇護欲をあおる声がして、あー、とぼやいた大輔は、しぶしぶ振り返る。
チビモンの頃、大輔はずっと小さかったチビモンを守らなくてはいけないという責任感と庇護対象がいるという高揚感で、
ずっと抱っこしてくれていたという記憶がブイモンにはある。
大輔は甘えん坊の寂しがり屋の泣き虫だけど、何でも一人でしたがる背伸びする目立ちたがり屋でもあるとブイモンは、
今までの大輔との旅の中で知ってきた。だから分かる。ある意味計画犯とも言える。
大輔は、チビモン時代のことを連想させる、この声と反応には極端に弱かった。
欲を言うならタケルの頭の上を我が物顔で陣取っているパタモンのように、だっこしてもらいたいブイモンだが、
大輔の背丈は変わらないのにブイモンはチビモンから大きくなりすぎてしまって、それは叶わない夢だ。
それをぼそりと愚痴ったとき、やっぱお前犬だよと大輔に笑われたから覚えている。
まるで子供から何も成長しないまま、一気に大きくなってしまった大型犬みたいだ、と大輔は断言した。いや俺犬飼ったことないけど、マンションだし。
犬がどんなのか知らないブイモンだが、馬鹿にされているのは分かったから、その仕返しでもある。
ずりーぞと眼差しが語っているが、仕方ねえなあ、と手を差し伸べられたブイモンは勝った!と心のなかで勝利宣言して大輔の側に駆け寄る。
教えてくれとねだるブイモンに、しばしの沈黙の後、大輔は夜になと小さくつぶやいたのだった。
そして、大輔と共にあるためには、運命共同体になるためならなんだってするんだ、とありがた迷惑すぎる闘志を燃やすブイモンとは正反対に、
ずーっとパートナーにべったりのデジモンもいる。デジモンによって性格は色々なのだと大輔は改めて思う。

「アタシは空がいてくれれば、なーんにも心配いらないの。それで安心!夜も安眠!」

ブイモンが甘えるような仕草を思いついたのは、間違いなくピヨモンのせいだと大輔は気付いた。
テントモン曰く人懐っこい性格のピヨモンは、パートナーである空に、それはもうべったり、甘えん坊さんを遺憾なく発揮していて、
子供たちとデジモン達を微笑ませていた。どうやら空の方はじゃれている訳ではないらしいが。

「だーかーら、完璧に安心されちゃっても、困るんだってば。なんかあっても責任とれないよー」

難しい言葉を使われて疑問符を浮かべ、意味を聞いてくるピヨモンを前に、我に帰った空はあわててなんでもないと言葉をかき消した。
頼りになるお姉ちゃんな空、らしい言葉だと大輔は思った。
大輔みたいに迷惑だとはっきり突き放すような言い方をして、振りほどくこともできるはずなのに、空は優しいからそれをしない。
ただ無条件に向けられる信頼と安心に戸惑い、困惑し、それを守るために払う労力や負担、責任を客観視できる年齢も加わって、
ほんの少しだけ天秤に掛けることができるお年頃であるがゆえの、こぼれ落ちた言葉である。
ピヨモンの存在を重いと感じてしまったのだろう。空は一人っ子である。無条件に姉であらねばならない環境など置かれたことはない。
それがヤマトや太一との最大の違いであり、それでも求められたことを理解して、自分なりに頑張ろうとするのが空だった。
だから大輔は空のことを姉のようにしたってはいても、「お姉ちゃん」であることをあからさまに求めたことはない。
それは迷惑でしかないのだと、本当は振舞いたい行動を体現しているピヨモンを目の前にして、改めて自覚するにいたって、
自分の判断は間違ってなかったのだと大輔は思った。

しばらくして、あまりの暑さに子供たちもデジモンも言葉少なになっていく。相変わらずブイモンは元気なのかと思いきや、腹減ったとぼやいている。
チビモンと変わらず食い意地を張っているところは変わらないらしかった。
そして、もう一匹、暑さは得意なのか元気なデジモンが2匹いる、ああ、そういえばアグモンとピヨモンは攻撃技が炎だっけ。

「そーら、そーら、そーらー」

なにやってんだよ、ピヨモン。ばっかだなー、そんな事したら。

「ピヨモン、あなたホント元気よねえ」

いくら優しい空さんだって。

「そーらー、元気だして歩こ、先は長いんだから、ねえそーらー!」

迷惑に思うに決まってんのに、何で分かんねえんだろ。

「あーもう!」

ほら、やっぱり。

「いい加減にしてよ、ピヨモン!今はアタシも喉が乾いてるし、暑い中ずっと歩いてて疲れてるの!
もう喋るのも辛いの!無邪気にじゃれ付かないでよ、余計に疲れるじゃない!」

「空疲れてるの?ごめんなさい、ピヨモン大人しくする」

そんなこといっても、やっぱり空さんだって怒るだろ、普通。

「………分かった分かった、一緒に歩こうピヨモン」

あれ?



[26350] 第八話 夏の決心
Name: 若州◆e61dab95 ID:02ac1bf6
Date: 2011/03/16 00:30
砂漠地帯だと思われていた現在地が、実は砂鉄で覆われた地帯だと判明した。
サマーキャンプと聞いて、父の持っていたキャンプセットを内緒で持ってくる、という豪快な勘違いをかましたミミの荷物は、
半ば漂流生活に欠かせないものの宝庫であり、ご一行にとって四次元ポケットのような扱いである。
ミミが得意げに掲げた方位磁石がぐるぐると回ったことで、今歩いている方向が東西南北どこなのか、さっぱり分からない。
むしろますます自分たちが置かれている漂流生活のやばさと、この世界の訳のわからなさが判明してしまい、
大いに落胆する結果となってしまった。

何故か一行の中で最後尾を務めている光子郎は、携帯電話やノート型パソコンという小学校4年生がもつには高価過ぎるシロモノが、
足元に広がる砂鉄の悪影響を受けないかと心配して、風が吹いて砂が入らないようにと神経質になりながら、タオルで巻き直し始める。
大輔君もPHSしまった方がいいですよ、と親切心から言われたものの、大輔は困ってしまう。
光子郎が言うとおり、PHSもなかなか高価なシロモノであり、万が一壊してしまったら無くした場合と同様、ジュンに怒られるだろう。
でもここまで来るのに、海に落ちたり、崖から落ちたり、全力で逃げまわったりしてもPHSは全く壊れていない。
むしろ今まで無くしたり、壊したりしていないのは、大輔の扱いからすれば奇跡とも言えた。
相変わらずの能天気は、積み重なった幸運を持ち前の楽観さで、これからも大丈夫だろうという根拠ない自信により、
曖昧なまま過ごそうとしていたが、マニアの芽が開花し始めていた光子郎が許すはずもない。咎められてしまった。
でも、と大輔は思う。お守りであり、願掛けの象徴であるPHSを今更しまうのは、正直言って心細い事この上ない。
唯一家族と繋がっているのだと実感できるものであり、肌身離さず持っていることが当たり前になっている大輔は、
いいっす、大丈夫なんで、と笑った。
そうですか、と受け入れてもらえなかった提案に少々不満ながら、光子郎がせめてPHSを守れるようにと渡したものがある。
本来マウスなんかを入れる、無地の真っ黒なケースだった。
光子郎いわく、子供にPHSを持たせるのならば、普通はこういった柔らかい素材でできたカバーケースに入れるのが普通らしい。
落としたり、振り回したり、乱暴な扱いが眼に見えているにもかかわらず、ずいぶんと無遠慮だと遠まわしに注意された大輔は、
苦笑いするしかなかった。
本宮家において、電子機器に関する知識が豊富なのは、出版関係の仕事柄、パソコンに向き合うことが多い父親である。
残念ながらサマーキャンプ前日、及び当日は、連日の異常気象の取材に追われて、徹夜でホテルに缶詰になっているため、
肝心の父親の姿はなかった。
姉と母は日常的に使う程度の知識しかないし、わざわざ説明書片手に格闘するようなマニュアル熟読タイプでもなく、
大輔にいたってはろくに説明書すら読まないまま、ぶっつけ本番で使い始めてしまう子供である。
ジュンの手により、父親の大切な仕事道具が無断で持ち出されるのが事前に阻止されたのは、本当に幸運としか言いようがない。
この世界から帰れたら返してくださいね、と言われた大輔は、素直に頷いた。
真っ黒なケースに覆われたPHSを首から下げてみる。もうデジヴァイスとぶつかっても、かちゃかちゃ騒がしい音は立てなくなった。
大輔と光子郎にやり取りを見ていた太一が、なにやらニヤニヤしながら二人のところに向かおうとする。
こら、と首根っこ捕まえてそれを阻止したヤマトが、何すんだよ、と首を絞められて軽く咳き込んだ太一を見咎める。
太一からすれば、微笑ましいやりとりをしているサッカー部の後輩たちの中に混じり、
光子郎の好意を断ってしまった大輔のために、事情を説明してやろうと思っただけなのだ。
太一の直球すぎる好意からの行動は、ヤマトからすれば大輔に対する配慮に欠ける行動に映ってしまう。
内緒にしてくれって言われただろ、と小声で言われたものの、納得行かない様子で太一はでもよーと言葉を濁す。
太一の知っている大輔は、姉に嫌われているのではないか、という悩みに立ち止まって、うじうじ考えているような奴ではないのである。
もっと直球かつ熱血屋で、その単純すぎる性格と行動からムードメーカー的な役割を知らず知らずのうちに請け負っており、
大雑把すぎる楽観さとお調子者のキャラクターで、太一とは別の方向性で人を引っ張ることができるような奴なのである。
ちなみに大輔のサッカー部でのアダ名は、突撃隊長である。その場の勢いに任せてしまう所があったためだ。
らしくない後輩を見ていると、ついつい世話を焼いてしまいたくなるサッカー部のキャプテンである。
放任主義全開でタケルにいろいろいっていた方向とは、まるで逆方向ではないか。
ヤマトはそう思いながら、見守ってやれ、と相談を受けた第一人者として太一を止めたのだった。

「しかし、本当に何も見えてこないな」

代わり映えしない砂鉄の海と電信柱の突き刺さった光景は、もはや飽きの極地まで到達している。

「森に戻って、また考えたほうがいいんじゃないか?」

「まあまあ、ちょっと待てよ」

慎重派のヤマトの提案に、さっき言いくるめられた悔しさから太一は異を唱える。望遠鏡で覗いてみると、その先には村のような集落が見えた。

「村だ!おーい、みんな、村だぞ!」

勝ち誇ったような太一の歓声に、みんな嬉しそうに顔を上げたのだった。









ご一行を出迎えてくれたのは、人間という珍しい生き物を間近に見て、興味津々でわらわらとたくさん住居からでてきた。
見覚えがあるピンク色の姿だと思えば、ピヨモンの進化前であるピョコモンだった。

デジモンデータ
ピョコモン
レベル:幼年期2
種族;球根型
青色の色鮮やかな花が頭に咲いた小型デジモン。行動的な性格をしており、ピンク色の球根のような体の下は、根っこのような足がはえている。
数百匹もいる仲間と群れで生活している。根っこのような触手を使って移動し、短い距離なら空を飛ぶことも出来る。
必殺技は、花びらの形をした弾けるシャボン玉を飛ばして、驚かすシャボンフラワーだ。他にもあわを破裂させて驚かせる技もあるが、
文字通り戦闘向きの能力はなく、性分も戦闘を好むわけではない。

日本史を習った上級生組は、弥生時代を連想させる村の風景のスケールの小ささに驚いていた。
泥を塗り固めて、屋根には束ねたワラのようなものを敷き詰めている質素な佇まいは、
窓と入り口に当たる部分は穴があいており、当然ドアも窓をしめる扉もない。
住んでいるピョコモンが、子供たちの膝くらいの大きさしかないのだがら、当然家々はスモールサイズである。
運がよければ、休ませてもらえるかもしれないという期待は、その家の小ささのせいでもろくも崩れ去ることになってしまう。
だが、すっかり喉がカラカラの子供たちには、何よりの朗報があると真っ先に気付いたタケルがいった。
明らかに場違いすぎる、公園によくある水辺の中心にある人工的な作りの噴水が、村の中心にどんと立っていたのだ。
ピョコモンいわく、ミハラシ山というここからよく見える真正面の山から、美味しい真水が湧きでており、
ここらあたりにある井戸も噴水も湖も全て、ミハラシ山にある泉が水源であるらしい。
ミハラシ山の言葉に、テントモンが反応した。どうやら名水百選のように、この世界でもミハラシ山の水は美味しいと有名らしい。
それは期待がもてそうだ、と子供たち、デジモン達は一目散にそちらに向かったのだが………。

ついさっきまで豊富にあったハズの、ありとあらゆる水が不自然な形で消失しているではないか。
おかしいおかしいとピョコモンたちが騒ぎ始める。ミハラシ山はメラモンが守ってくれているから、こんなことはありえないのだという。

デジモンデータ
メラモン
レベル:成熟期
種族:火炎型
ファイアーウォールから誕生した、真っ赤な炎で屈強な人の姿を形成している火炎型デジモン。
普段はおとなしい性格をしているが、怒ると手がつけられないほど全身を燃やし、辺りを焼き尽くす。そのため手なずけることはほとんど無理といってもいい。
必殺技は、燃え上がる腕からパンチを繰り出すバーニングフィストだ。

大輔は嫌な予感が的中してしまったことを知ることになる。
ミハラシ山に隣接している森が、炎に包まれているとピョコモンたちが騒ぎ始めたのだ。
太一があわてて望遠鏡を覗くと、凄まじい勢いでこちらに向かってくる炎に包まれたバケモノが見えたらしく、顔を引きつらせている。
しばし言葉を失った太一は、この世界にきてから計3回目となる、みんな逃げろ!という言葉をありったけの力を込めて、
叫ぶことになったのである。










すっかり干上がってしまっている湖は、まるでボウルのようにぽっかりと口を開けて、ピョコモン達の先導で必死で逃げてきた子供達を待っていた。
急激な坂となっている岸辺から一気に底の部分まで駆け下りれば、遠方からでも確認できた沈没船が、その巨体の全貌を明らかにする。
真っ二つに折られた船体の半分が、まるで湖の底に突き刺さっているかのように大きく船体を傾けて、先端を空に向けて立ちふさがっていた。
湖の底に沈んでいたのかと見まごうほどの光景は、近づいてみると、どうやらもう半分が長年の泥や砂の蓄積により埋まってしまっているらしい。
氷山の海に沈んで多くの犠牲者を出したことで知られる、ハリウッド映画でも有名なタイタニック号を連想させる光景だが、
長年の月日が流れた影響か、すっかり老朽化しサビつき、泥と藻に覆われている船体は赤く黒ずんだ船名の入ったロゴすら読ませてくれない。
ぬかるんでいて滑りやすくなっているため、急勾配の坂と化している船体から直接登るのは難しい。
立ち往生する大輔達。どんどん避難してくるピョコモンたちの姿が膨れ上がり、足元は一面ピンク色に覆われていく。
わらわらわらと所狭しと密集していくピョコモン達。早く避難できる場所を探さなければ、ピンク色の輪が広がりすぎては攻撃から守り切ることができない。
しかし、この巨大な沈没船に入るための場所が見つからない。ロープで上がることも提案されたが、ピョコモン達は発達した指を持たないため、
何百匹、何千匹もいるピョコモンたちを引き上げては、子供たちがメラモンから放たれる炎から逃れることができなくなってしまう。
どこか他に入る場所がないかと必死で探し回っていた太一達は、沈没船の側面に大きな切れ目があり、大きな穴がいくつも開いていることに気づく。
それは大型の船舶に見られる構造上の特徴である。長期の航海において、船のバランスを安定させることは安全な航海を支える上で不可欠である。
そのため、この沈没船も右側と左側に重しとなる海水を貯めこみ、巨大な船体を水平にするために設置されている巨大な貯水タンクがあったのだ。
丈の知識によりそれを確認した太一たちは、なんとかそこから安全に船の上に逃げ込めるルートを確保するため、無理やり穴を空けることにした。
アグモンのベビーフレイムとガブモンのプチファイヤーにより、急激に熱せられた箇所が赤みを帯び、強固に設計されている開閉部分を緩くする。
なんとかそこから蹴破ろうとするが、デジモン達、そして今この場にいる子供たちの力を合わせても、びくともしない。
せめてパルモンがいれば、その自在に収縮するツタの指でひかっけ、強引にこじ開けることができるかもしれないが、
大輔やタケル、光子郎、ミミ達はピョコモンたちと逃げながら、迷子にならないように付き添い状態のため、まだこの場に到着していない。
思わぬ問題に直面した太一たちは、何とかパートナーデジモンを進化させようと先程からデジヴァイスをかざしてみたり、
パートナーデジモンも何とか気合を入れたりしてみるものの、一向に兆候は訪れない。

まずいまずいと一行が焦りだした頃、ブイモンに後ろから支えてもらいながら、ずささささと降りてきた大輔がその勢いに任せて
太一達のところに合流する。事情を聞いた大輔は、何かを思いついた様子でブイモンを見た。大輔の言いたいことが分かったのか、
ブイモンは大きく頷いて、煌々と熱せられている船体から距離をとる。

「オレに任せとけーっ!どりゃあああっ!」

デジモン達の中で唯一、接近戦向けの物理攻撃を得意とするブイモンの必殺技が遺憾なく発揮された瞬間である。
豪快な打撃音が響いた。通常ならば、えぐれる程の大きなくぼみが形成されるだけだが、
アグモン達の支援で一部の金属はどろどろに溶けており、柔軟さと強固さを誇る金属も一部だけが異様にもろくなっていた。
開閉部分を中心に、船体の一部が轟音を立てて内側に破片を飛び散らせて、大穴があいた。
おおおっ!と太一達の歓声が上がる。ひゃっほーう、やったー!と嬉しそうに飛び上がったブイモンが大輔のもとに一目散に駆け寄った。
やったぜ、ブイモン!ナイス!とハイタッチした大輔は、船体の塗料と泥が付いていることに気づいて拭ってやった。
やるなあ、ブイモン!とヤマトたちが声を掛け、えへへ、と照れたようにブイモンははにかんだ。
その調子で頼むと言われるがまま、ブイモンはアグモン、ガブモンと共に早速中にはいっていって、
船の上まで駆け上がるための穴をあけるために、薄暗い空洞の中に消えていく。
大輔はピョコモンたちがケガをしないように、飛び散った破片をかき集める。
この時ばかりは、サマーキャンプで罰としてマキ拾いを命じられたときに、つけていくよう言われて面倒くさがりながら、
はめた手袋が役に立っていた。人生なにが起こるかわからないものである。備えあれば憂いなしを痛感する大輔だった。
やがてたくさんのピョコモン達の雪崩に巻き込まれるようにして、タケルや光子郎、ミミたちが追いついてきた。
上の方に逃げろと叫ぶようなヤマトの声が奥のほうからする。太一と空は穴の前でぎりぎりまでピョコモン達を招き入れている。
大輔もそろそろ上に行こうかと考え始めた頃、突然後ろから空の大声がした。

「ピヨモンはっ?!ねえ、太一、ピヨモンは?」

「え?あ、そういやまだ来てないな」

「えっ、嘘でしょっ。もうすぐメラモン来ちゃうのに、なにやってるのかしら、あの子!」

「空さん、ピヨモンは湖のほとりっすよ!飛んで逃げられるピヨモンは大丈夫だから、先に行けって」

大輔の言葉に反応した空が、ピンク色の列をつくっている崖の先を見上げた。
そこにはピョコモンたちを沈没船に誘導しているピヨモンの姿が、ちっぽけな姿ながら見えた。
ピョコモンはピヨモンの進化前である。ピョコモンの村において1番住人たちと馴染んでいて、なおかつ話が弾んでいたのはピヨモンだった。
誰ひとりとして仲間を犠牲にしたくはないという意識が、自分の生命の危機をそっちのけにして、ピヨモンをそこに留まらせている。
空は怒ったようにつぶやいた。

「あのバカ、仲間を助けてるんだ、そんなに空を飛ぶの早くないくせに、苦手なくせになにやってるのよ!」

パートナーデジモンの目前に迫る危機に、居ても立ってもいられなくなったのか、空が跳び出してしまう。
ピヨモンと、大きく名前を呼びながらかけ出した。
甘えん坊な面を疎ましく思っていたけれど、こんなデジモンと仲良く出来るのかと不安に思いもしたけれど、
空が危なくなったらアタシが空を守るのと、ピョコモン達に得意げに話していたその言葉を信じられなかったけれど。
友だちになったピョコモンたちを守ろうとするあまり、自分の危機を忘れ、
大丈夫まだ大丈夫とギリギリまで踏みとどまっている姿が、頼もしく見えたのだ。
頼れるところもあるんじゃないと見直した。無鉄砲さをみては。やっぱり自分がいないと危なっかしくてみていられない、と強く思った。
空の頭の中ではピヨモンたちを守らなければという強い意志がみなぎっていた。
メラモンが迫っているであろう中、逆走して目の前に迫る危険に自ら飛び込もうとする空の行動に、
船上からそれを目撃した子供たち、太一、大輔たちがあわてて戻るよう叫ぶが、聞く耳持たず、どこ吹く風。
一直線に空はピヨモンの元に走った。

やがて長い長い列を作っていたピョコモン達のピンク色の列が、沈没船のところにまで吸い込まれていく。
ほっとした様子でそれを見届けたピヨモンは、自分も逃げようと立ち上がる。
その背後に、真っ赤な巨体が現れて、空は無我夢中で叫んだ。

「ピヨモーンっ、後ろよっ、逃げてええええっ!」

空の叫びも虚しく、大きく振りかざされた腕がピヨモンをなぎ払う。
激しく岩壁に叩きつけられたピヨモンがぐったりとした様子で落下。ごろごろごろと無防備な体が投げ出され、転がっていく。
空はいやああっと悲鳴を上げて、ピヨモンのもとに一目散に駆け寄ると、その小さな体が叩きつけられる前にピヨモンを抱え上げる。
ピヨモンを庇って地面に転がった空は、ボロボロになったピヨモンに呼びかける。

「ピヨモン、大丈夫?痛くない?」

「………空、ピヨモンのこと助けに来てくれたの?もう、怒ってない?」

「ばか、もう怒ってないわよ。ピヨモンはアタシのパートナーだもの、当たり前じゃない」

ぎゅうと抱きしめた空に、ピヨモンが擦り寄った。しかし、目を開いたピヨモンは、空のてから離れてツバサをはためかせる。

「空、危ない!」

「え?」

「今度は、アタシが空を助けるの!みんなが危ないのに、こんなところで負けてなんか、いられないんだからっ!」

空にべったりで甘えん坊でしかなかったピヨモンが、守られる側から守る側へと、
改めて明確に空を、子供たちを、ピョコモンたちを守るのだと強い意思をひめて、覚悟を決めた瞬間だった。
空のデジヴァイスが光りに包まれる。ピヨモンが3体目の成熟期へと進化を遂げる瞬間がやってきた。

デジモンデータ
バードラモン
レベル:成熟期
種類:巨鳥型
メラモンと同様に、インターネットのファイヤーウォールから生誕した、不死鳥のような神々しい姿を持つ巨大な鳥類デジモン。
大きな翼をひろげて気持よく大空を駆けることが大好きで、戦うことはあまり好まない。
しかし、自ら守ると決めた存在のためならば、向かってくる敵に容赦はしない。
必殺技は、翼を羽ばたかせ、流星のように、燃えさかる羽を無敵に飛ばすメテオウイングだ。

大空に舞い上がる鮮やかな尾をなびかせ、バードラモンが同じファイヤーウォールの性質を持つメラモンと対峙する。
幾度も打ち込まれる炎の弾丸だが、同じ性質を持つ攻撃はバードラモンには通じない。無効化され、威力が増大する。
バードラモンのメテオウイングが炸裂し、周囲に炎の矢が打ち込まれる。
逃げ場を失ったメラモンに、バードラモンは滑空した状態から一気に体当りした。
空や他の子供達、デジモン達、ピョコモン達はその姿に圧倒されて確認することができなかったし、
バードラモンはその衝撃を受けて火の威力が落ち、メラモンが倒れたと判断したが、
実はメラモンの体内に食い込んでいた黒い歯車が、勢い良く地面に叩きつけられた衝撃で破壊された。
メラモンが正気に戻ったのを確認したバードラモンは、ゆっくりと羽ばたきながらピヨモンへと退化し、空のもとに戻る。
ピヨモンと空が抱き合いながら、お互いの無事を祝っているのを確認して、ほっとした太一達は、あわてて空たちのもとへと駆け寄ったのだった。

「すげえ……」

甘えん坊だったピヨモンが、勇猛果敢に空たちを守るべく立ち上がり、そして進化するというドラマのような一連の光景を目の当たりにした大輔は、
今までのアグモンやガブモンとは違った意味で、感動と衝撃を持って、その様子を受け止めていた。
気分が高揚しているのが分かる。すっかりほてりきった体のまま、ブイモンと合流して、大輔は大量のピョコモンと共に空のもとに向かう。
このぽかぽかした感じは、覚えがある。暖かくなった心は、しっかりと憶えている。
そうだ、これは守られる側として、守ってくれる人たちの背中を見つめ続ける祈りを待つ、弱い自分じゃない。
サイバードラモンを黒い歯車から解放するために、エアロブイドラモンと秋山遼のために、
自分が、自分自身が使い捨てカメラのフラッシュという打開策を考えて、提案して、受け入れてもらえて、実行して、
サイバードラモンを正気に戻すために役に立てた、守る側になれた強い自分と出会った瞬間の思いだ。
すっかり忘れてしまっていたけれど、あの時、秋山遼はなんと言っていた?笑顔でありがとうと言ってくれたのだ。
よくやった、とか、やるなあ、という守る側の立場の人間から守られる側の人間に、思わぬ助力を得たときの言葉ではなくて、
ただ純粋に助けてくれたコトに対する感謝の気持ちと、対等な相手に掛けられると大輔は判断した、ありがとうの言葉を。
対等だと認めてもらえる気がして、歯がゆくて、恥ずかしくて、それでもとっても嬉しくて誇らしくなった気持ちを大輔は思い出した。
そして目の前には、思いっきり空に抱きついて、大好きだと素直に思いを伝えて、甘えているピヨモンがいる。
空が、空お姉ちゃんが、ピヨモンに大好きだと返して、抱きしめて、甘えてくるピヨモンを本気で可愛がっている。
その姿を見て大輔は思いついたのである。そうか、なるほど、対等な存在に認めてもらえたら、甘えてもいいんだと。
迷惑じゃないかとかいろいろ相手の立場にたって考えて、苦手で分かりもしない相手の気持ちを考えてドキドキして、
相手の様子を伺わなくても、思いっきり甘えても怒られないんだと、むしろ甘えさせてくれるんだと思った。
素敵な思いつきのように感じられて、大輔はきらきらとした目をして、決意の拳を作る。
対等な立場だと認めてもらいたいという意識と、甘えたいという意識が、いつも対立して葛藤の苦悶を抱えていた大輔は、
それらが簡単に両立して、なおかつ達成することができる方法をようやく見つけることが出来た気がした。

「いいなあ、ピヨモン。オレも空飛べるようになりたい」

なー、大輔、と顔を上げたブイモンは、今まで見たことのない大輔のキラキラとした表情を見つけて、
何かいいことでもあったのか、と首をかしげた。
興味津々でしっぽを揺らしながら、背伸びして、大輔の袖を掴んで呼びかけると、大輔はにかっと笑った。
タケルと喧嘩したり、ヤマトに相談したり、太一に秘密がバレたり、波乱万丈な展開が怒涛のように押しかけていたせいか、
なかなか心の余裕が出来ていなかったせいで、悪夢を見たり、心あらずな様子を見せていた相棒が、
こんなに嬉しそうな顔をして自分に笑いかけてくれたことがあっただろうか!
つられて笑顔になったブイモンに、大輔ははっきりとした口調で言ったのだ。

「空なんか飛べなくってもいいぞ、ブイモン。
それより、船の穴をあけた時みたいにさ、みんなの役に立つことしたほうがかっこいいんじゃねーかな?」

「かっこいい?オレ、かっこ良かった?大輔」

「おう、すっげーかっこ良かったぞ、ブイモン!
アグモン達も頑張ってたけど、あれはブイモンがいなかったらできなかったことだろ!
だからさ、俺達でしかできないこと探しまくってやるほうが、いいかもしれないって思いついたんだ。
そしたら何時できるか、わかんねー進化を待ってるよりも、ずーっと良くねえか?」

そしたら太一さん達も、もっと俺達を頼りにしてくれるかもしれない!という大輔の提案にブイモンは即座に反応した。
大輔のパートナーデジモンであるということで、ブイモンも一括りにタケルや女の子たちと共に庇護の対象となっているという現状は、
大輔の1番になりたいと考えているブイモンにとって、目の上のたんこぶとも言える現状である。
さっき太一達に褒められて嬉しかったことも考えると、大輔だけじゃなくてみんなに褒めてもらえる上に、
大輔の1番になれるのが今よりずっとずっと早くなるかもしれないのである。
それに大輔の発言からするに、ブイモンと共に頑張りたいと大輔はいっていることになる。拒否する理由など皆無だった。
さんせー、と即答したブイモンに、大輔はよっしゃ、頑張ろうぜ、と本来のお調子者の一面を取り戻したかのように、
得意げに頷いたのだった。

もともとすれ違い気味だった大輔とブイモンのお互いの考え方が、本格的にずれ始めたのはこのころからである。
大輔が対等に扱って欲しくて、甘えたい相手は上級生に限定されている。もちろんその最終目標はジュンお姉ちゃんである。
一方で、ブイモンはずっと大輔に認めてもらいたくて、対等でありたい相手は大輔一筋である。
微妙にずれた思考回路をたどりながら、表面上は全くすれ違うことはなく、大輔とブイモンは大きく頷いたのだった。

メラモンが正気に戻ったことで暴走していた炎が姿を消し、水が元に戻るというピョコモン達の発言を受け、
太一の呼びかけで大輔とブイモンは慌てて湖からピョコモンの村へと移動することになる。
この夏最大の決心を胸にひめ、大輔達は、ミハラシ山に帰っていったメラモンを見届けて、
一息つく事になったのだった。
ちなみに、謝礼にとピョコモン達がご馳走してくれたのは、肉でも魚でもなく、
穀物らしきものを細かくくだいた正しく鳥の餌だったのは言うまでもない。





[26350] 第九話 ミミの恋愛講座
Name: 若州◆e61dab95 ID:1b10808a
Date: 2011/03/17 23:14
本宮大輔は悩んでいた。
怒られたり、迷惑に思われずに思いっきり甘えるためには、守られる側じゃなくて守る側に立つ必要がある。
そのためには上級生たちに認められたい、対等に扱われたいという明確な目標ができた。
そこで、8人の子供たちにとって「役に立つこと」、小学二年生の大輔でも「手助け」できること、「活躍」は一体なんだろう、と
必死に考え続けているのだが、全くもって思いつかないのである。
まず、限られた貴重な食料であるお菓子は、タケルや大輔が運んでいる形になってはいる。
果物は8人全員で持っている荷物の重さを考慮して、それぞれが持てる分だけ分担して運んでいる。
ピョコモンの村で新たに給水したペットボトルや水筒は、熱中症にならないようにという配慮から一人1本以上は必ず持っている。
しかし、実際にそれらを管理する主導権を握っているのは太一である。
いつ、どこで、どうやって、休憩をするのかを決めるのは、メンバーの様子を見ながらの小学校5年生以上のメンバーが多数決状態で決めていた。
つまり、大輔もきちんとみんなの食料であるお菓子や果物、水を運ぶという与えられた仕事を与えられており、こなすことがまず求められている。
この世界にきてから、決して太一は誰も特別視することなく、最年少の大輔であろうともメンバーの一員として参加できるよう気を配ってくれている。
さすがだと思うし、嬉しいと思うし、頑張ろうと思って今も必死で広大な砂鉄の砂漠を歩き続けている大輔とブイモンである。
でも、それでは駄目なのである。それが分かっているから、大輔は焦燥感ばかりが募り、現状に不満と疑問を覚え、ずっとずっと心だけが急いている。
そのままでは、大輔が求める対等な立場として認められるという目標を達成することができない。
思いついたときは簡単だと思ったのに、思った以上に現状では小学校2年生の大輔ができることなんて、殆ど無いのだと改めて感じてしまう。
無力な自分が嫌になってしまうばかりである。なんで俺、まだ8歳なんだろう。もっと大きかったら、こんなことで悩まなくってもいいのに、と。
太一達からお菓子と果物と水を預かっているという使命感と義務感、前回からますます自覚した責任感から、
自分の好き勝手な判断で使うことが駄目なことは大輔も分かっているし、そんなことでメンバーのみんなを困らせたくない。
それ以外のこと、と早々に結論に達した大輔は必死で考え続けていた。
今までここまで真剣に人の役に立ちたい、人に頼られたいなんて考えたことがなかった大輔は、必死で考えていた。
いっそのこと聞いてみようか、考えるの苦手だし。
そう思ってまわりを見渡してみる。太一、空、丈、ヤマトはメンバーの中でも決定権をもつ発言権のある人間である。
朝発つ時、彼らは大輔に我慢しないこと、無理しないこと、疲れたらすぐにいうこと、その上で遅れないように付いてくるよう言っている。
なんにも心配要らないからな、と太一に肩を叩かれたのはまだ記憶に新しい。きっと何か出来ることはないかと聞かれても同じようなことを言われるだけだろう。
自分たちが率先して守ってやらなきゃいけない、と思っている立場の最年少の大輔が言ったとしても、却下されるのは眼に見えている。
実際に自分もなんかやりたいと手を挙げているのに、未だに採用の気配がないからさすがに大輔も分かりつつあった。
じゃあ、と考えてみる。最後尾を務めている光子郎はどうだろう?相変わらずメンバーと少し距離を置いて歩き続けている。
先輩たちよりは話しやすいかもしれない。あんまり話したことはないけれど、サッカー部の先輩だし、名前を読んでもらえるくらいには知ってるみたいだし、
きっと太一から聞いたのだろうけれども。でも、大輔はすぐに無理だと判断する。
さっきからデジモン博士のテントモンと光子郎は、この世界についてとか、進化についてとか、デジモンたちについてとか、
大輔が聞き耳を立てているだけでも目が回りそうなくらい沢山の難しいことを話しているのだ。
大輔は難しいことに延々と頭を使って考えることが苦手だ。じっくり問題と向きあうと眠くなってしまうような性分である。
興味本位で首を突っ込んだところで撃沈するのは眼に見えていた。そもそも、微塵も興味がない話で盛り上がっているあの和の中に入っていく勇気はない。
大輔はもっと、こう、誰の目からも見える分かりやすいことをしたいのだ。上級生にアピールしたいと目的ありきの行動は、やはり現金なものに限られてくる。
例えば、手を引いてあげるとか、荷物を持ってあげるとか、そういった具体的な行動を伴うことがしたいのだ。
そしてふと、大輔よりもずっとずっと背が高くて、外国人みたいな外見をしていて、自己紹介で光子郎のクラスメイトだといっていた、
4年生の太刀川ミミの姿が眼に入る。そういえばあの人、何かと小2組である大輔とタケルと一緒に一括りにされていることが多いと気づく。
上級生の中では、自分と置かれている立場が近いことに気付いた大輔は、早速ミミとパルモンのところに向かうことにした。

「オレもいこーか、大輔?」

「え?あ、いや、とりあえずミミさん達に聞いてくるな。ブイモンは待っててくれよ」

「りょーかーい。がんばれー」

「おう、まかしとけ」

用事があるかどうか聞くだけの簡単なお仕事である。聞いてくるだけならすぐに終わるだろうという算段で、
ブイモンは列の先頭に残ったまま、大輔を見届けた。

大輔は無意識のうちに、今まで直接話したことのない太刀川ミミという少女に対して、話に行けるほどどこか親近感を持っていた。
それは、太刀川ミミという今なお新婚夫婦の一人娘として大切に育てられ、何不自由なく育てられてきた天真爛漫で純真無垢な女の子が持つ、
不思議な魅力に、知らず知らずのうちに感化されているからだった。
野宿は嫌、ふかふかのベットで眠りたい。入浴剤の入ったお風呂に入りたい。暖かいシャワーを浴びたい。新しいお洋服に着替えたい。
テレビがみたい。パパ、ママ、お友達と会いたい。美味しいご飯が食べたい。走ったり、歩いたり、疲れるようなことはしたくない。
みんなに聞こえるような大声でこぼしているわけでは無いけども、みんなが心のどこかで思っていること、言いたくても我慢していること、
みんなにも同じ思いを思い出させて辛い気持ちにさせたくないから、とあえて心のなかに閉まっていることをミミはぽんと口にだす。
わがままをいって困らせているわけではない。もしミミが言わなかったら、きっと誰かがこぼしているだろうことを彼女はきっと無意識に率先して先に口に出してしまう。
そうすると、いつだって上級生組が便乗する形でみんなそうなのだと肯定した上で、それとなくやんわりと我慢するように諭している。
そして理屈の上では理解しているけれども、どうしても我慢を知らないミミは、分かったと口には言いながらも、
その恵まれた可憐な容姿をほんの少しだけ不機嫌そうに、残念そうに歪ませながら拗ねるのだ。
それは4年生という上級生にさしかかりの年齢でありながら、まるで子供のような仕草であり、どこか微笑ましさを同居させている。
年下であるはずのタケルが、いつもニコニコして、守られている側である立場を一生懸命努め、泣き言、わがままひとつも言わずにいること、
大輔が上級生メンバーの中に混じって何かしたいのだと積極的にアピールしているということ。
これらも尚更比較対象としてミミの幼さを強調させており、ミミが言うならば仕方ない、という緩やかな寛容さがメンバーの中に生まれていた。
もしミミが自らをお嬢様とプライドを高く持ち、自分は何もしていないにもかかわらず、わがままの好き放題をいって、
駄々をこねたり、すねたり、大声で何かを言ったりという迷惑行為をもって、同様のことをしていたら、間違いなく嫌われていた。
しかし、彼女は、植物であるがゆえに灼熱地獄が苦手でへばっているパルモンに、テンガロンハットを貸してあげたり、
果物集めをしたり、といった行動をとっていることをみんな知っているのだ。
だから、彼女がお腹すいたといえば、それはある意味みんなの心の中の総意を正直に体現しており、ミミのいったあとならとタケルや大輔は弱音を吐ける面もある。
そういうわけで、ミミの発言は本人の預かり知らぬところで、半ばみんなの行動の決定を柔らかく促す判断材料となりつつあるのであった。

「あれ?どうしたの、大輔君」

いつも太一や空達先頭組に混じって歩き続けている小さな背中が振り向いたかと思うと、一直線にこちらに向かってきたのである。
自己紹介したし、みんなが呼んでいるのは聞いていたりするから、ミミもパルモンもすっかり大輔の名前は覚えていた。
しかし、この男の子は自己紹介以外では、今まで直接ミミとパルモンとお話しする機会はなかったはずだ。
ミミと大輔は純粋な意味で、この世界で初めてあった者同士の全くの赤の他人であった。
同じ小学校に通っているとはいえ、ミミはサッカー部に所属しているわけではないし、小学4年生だから学年も違うし、しかも女の子である。
知り合う機会が無いのは当たり前で、唯一の接点はサッカー部に所属している光子郎のクラスメイトであるという共通項しか、
ミミと大輔をつないでいるものは存在しない。
そういうわけで、大輔に関する情報が皆無に近いミミは、大輔がこちらに来る理由が全くわからない。
パルモンと顔を見合わせて首をかしげたミミは、どうしたの?と見上げてくる小さな少年を見た。

「どうしたの、大輔。パルモン達に何か用?」

パルモンも同じらしく、首をかしげている。
おう、とはっきり笑った大輔は、ずっと身長が高いミミに顔を上げて、聞いたのだ。

「なんか、困ってることありませんか?もしなんかあったら、手伝いたいなーって思って」

むしろ何でもいいので手伝わせてください、と期待とやる気に満ちた眼差しを向けられる。
さすがのミミもパルモンも青天の霹靂で、ぽかんとした顔でぱちぱちと瞬きをしていたが、大輔は本気のようで、
早く早くと無言の圧力とも言うべき気迫が感じられて、ますますミミ達は困惑してしまう。

「え、え、あの、何で?」

「どうしたのよ、大輔」

「だって、俺もなんかみんなの役に立ちたいのに、太一さん達なんも手伝わせてくれないし、
光子郎先輩たち、なんか難しいこと喋ってて聞きづらいんすよ。ミミさんなら聞きやすいかなーって」

「そっか、だからパルモン達に聞きに来たのね、大輔。えらいじゃない」

「へへ、まあな」

正直に答える大輔は、歩みを進めながらも太一達や光子郎たちに視線を走らせながら、はあ、とため息を付いて
がっくりと肩を落としている。その表情からは不平と不満がありありと浮かんでいる。
そういえば、この本宮大輔という少年は、何かと自分でなんでもやりたがる少年だと数々の行動を見て垣間見てきたミミ達は思い出す。
なるほど、有り余る元気とやる気を何かみんなの役に立つことに向けたいこの少年は、小学2年生であるという最年少の立場であり、
ミミよりもずっとずっと小さい体格、そして光子郎のように知識や思考といった、ある方向で突出している面がない普通の男の子である。
みんな微笑ましいと思って見守る立場であるものの、なかなか大輔の求める自分だけに出来ることを提供することができないのだろう。
大輔はまだまだ幼すぎる。
持っている荷物を誰か持ってくれないかなーと考えることもあるミミだが、さすがに2歳も年下の男の子に、
体格よりも大きくて重くて大変な荷物をお願いできるほど図々しくはなれない。
女の子は男の子に守られるべきではあるが、立派なレディは男の子に恥はかかさないものだ。
やる気と意欲が空回りしているのだ、かわいそうに。んー、と人差し指を口元に添えてミミは考える。

「どうする、ミミ?」

「うーん、何でもいいのよね?大輔君」

「はい、なんでも」

「そーだ、大輔君、お話相手になってくれない?」

「へ?」

「お話相手。みんな歩くのに夢中でおしゃべりしてくれないの。パルモンばっかりで退屈してたから。ね?いいでしょ?」

素敵な思いつきをしたと微笑んで提案してくるミミに、思わぬ変化球をくらった大輔は大いに面食らっていた。
あれ?なんか違う。自分が求める役に立つこととは、かなりズレているではないか。
もっと、荷物を持って欲しいとか、手を引いて欲しいとか、そういったことを予想していた大輔は驚くしか無い。
おはなし相手、つまり暇つぶしにいろいろ喋りたいとミミはいっているのである。
確かにみんな暑い最中、新たな脅威がないか警戒したり、いろいろ方針を話し合ったり、思い思いに移動している。
ただのおしゃべりはしにくい空気であることは事実だ。でも、だからってそれは無いだろう。おしゃべりなんて誰とでもできるではないか。
話しかけたのは失敗だったかもしれない、と今さらながらに後悔しつつ、自分から提案した手前引っ込めるわけにもいかない。
男の子に二言はないのよね?とピョコモンの村をガリバー冒険記の小人の王国と評した、意外と博識なミミがこれまた難しい言葉を使って逃げ道をふさいだ。
分かりました、としぶしぶ大輔は頷く。これで暇が暫く潰せそうだとミミとパルモンは嬉しそうに笑った。

「大輔君って2年生なのよね?好きな人っている?」

じゃあさっそくとばかりにミミは前のめりになって、思わず後ずさる大輔の顔を覗き込む。
そして、単刀直入でミミは今現段階で自分が興味を持っている話題をいきなり大輔にぶつけてみる。
不幸にも大輔は、ミミがサマーキャンプでは、キャンプの中でみんなと恋愛話をするのをなによりも楽しみにしていたことを知らない。
この世界に来てから、他愛もない話をする機会に恵まれず、ミミは非常にこの手の話題に飢えていた。
このメンバーの中で唯一女の子は空だけであるが、空は上級生組で何かとみんなを取りまとめる立場にいることが多く、
なかなか会話の機会に恵まれない。そこにやってきてくれたのが、本宮大輔というわけだ。
2歳も年下の男の子である。滅多にお話しする機会なんてない。そういうわけで、哀れにも大輔は不慣れな恋愛話に付き合わされる話になったのだった。

「えー、好きな女の子って言われても……」

「誰かいないの?気になる子とか」

好きな人と言われて、真っ先に家族を連想しない時点で、ミミはこの話題を続行することに決める。なんか面白そうだから。
ミミの目からすれば、大輔は小学校2年生にしてはずいぶんと大人びた印象がある男の子である。
低学年はまだまだお子様だから、あんまり話題は弾まないだろうことは分かっているが、そもそもライクとラブの違いすら分からないのが、
普通の小学校2年生である。おませな女の子のほうがこういった話題は食いついてくるものだ。
その困っている様子ながら、ミミが聞きたいのが恋愛話だと理解している時点で、大輔は恰好の餌食である。合掌。
不本意ながらも、早過ぎる思春期の兆候が見え始めるほど早熟な大輔の知識の入れどころは、もちろん思春期真っ盛りのジュンである。
よく友達との長電話がゲームをしている大輔の部屋まで聞こえるほど、大声で喋っているからいやでもそういった話題は理解してしまう。
誰が告白したとか、付き合ってるとか、好きだとか、ぺちゃくちゃしゃべっては盛り上がり、下手をすればオールナイトな姉である。
いやでも恋愛話には耳年増になってしまうのだ。しかも熾烈なチャンネル争いで、姉はアイドルのコンサートやドラマの恋愛話に目がない。
どこかミーハーな気配がある母と一緒に、朝の芸能ニュースで一大事があると食卓は大輔の肩身が狭くなるほどの大討論に突入する。
まともに落ち着いて会話に参加できるのは、父親がいる時だけであるという弟の立場の辛さであった。
でも、だからといって恋愛に興味が持てるお年ごろであるかといえば、そういうわけにもいかない。

「いないっすよ、クラスメイトの女子はみんなうるせえし」

「ふーん、そっか。なんで?」

なんでか、にこにこしながら突っ込んで聞いてくるミミにいたたまれなさを感じながら、大輔は続けた。

学校の掃除の時間ほど、退屈な時間はない。
ホコリやゴミをほうきやモップではいて、まとめて、ちりとりでとる役目がある曜日ならば全然いいのだ。
ゴミ捨てや黒板や黒板消しをきれいにするうわぶきの役目も楽でいい。雑巾がけが1番、大輔は嫌いだった。
なんでわざわざバケツに水を汲んで、雑巾を濡らして、絞って、教室の隅から隅まで雑巾がけをしなくてはいけないのか理解出来ない。
足でやったって同じである。ずっと同じ体制は疲れるし、早く早くと机を移動させるほうき係に追い立てられるのも嫌だし、
少しでも楽しもうと競争すると拭き残しがあるとか言って、女子がわざわざ怒るのだ。自分でやれよと言いたい。
掃除なんて少しでも楽しようとするのがあたりまえだと思うのだが、がっちがちに固められた掃除の仕方一つ守らないと
ぎゃーぎゃーうるさい印象しか大輔にはない。
ちょっと友達と野球ごっこしたくらいで、先生や上級生にちくるし、まるで掃除当番の代表だとでも言いたげな態度で、
お前が悪いのだと誇らしげに笑っているのが気に食わない。
大輔は知っている。そういう女子に限って、自分のグループの中で、こっちに聞こえているのも気づかないまま、
それはそれは大きな声でこれみよがしにこっちを見ながら笑っているのだ。
こそこそ内緒話して、トイレにも一人で行かないで、ぴったりくっついていく。ばっかじゃねーの?一人でもいけないのかよ。
そして、ちょっと仲がいい女の子が泣いたり、怒ったりすると、わざわざ集団で男子のところに押しかけ、
それって悪いと思うから直せと一方的に喧嘩を撃ってくるのである。
こちらにもこちらの言い分があるのに、女の子を泣かせるなんて最低だ、という理不尽な理由で悪者にされてしまうことが多々あった。
そして、姉のように誰それが好きだとか、誰々と一緒に帰っているのを見た、とか、あることないこと誇張して、
勝手に盛り上がって、ぎゃーぎゃー騒いでいるのだ。正直言ってうざいし、めんどくさいし、男子の友達同士でいるほうが楽な大輔は、
クラスメイトの女の子で好きな子は?と聞かれて答えられるわけがなかったりする。
うっかり標的になると根掘り葉掘り聞かれて、一方的な注目の的になるのも苦手だった。
特にサッカー部のキャプテンと仲がいいことを知っている女子から、何度も手紙とか贈り物の仲介を頼まれることも多い大輔は、
便利屋扱いするリーダー格の女子グループが嫌いである。押しの強さは押し付けがましさの体現だ。
たまにそういったグループから離れて、一人だったり、少人数の仲間と話していたりする女子の中には、
まだ普通にしゃべれる女の子がいることは大輔も知っているし、まだましだと考えるけれども、
いつも本を読んでいたり、女の子同士の話をしているのをみるとやっぱり女の子は分からない存在として写ってしまう。
ちょっと成長が早くて、いろいろ知っているからって、自分はなんでも知っているのだという顔をしてあれこれ指図するのは、
それはもう最悪だった。
女の子の比較対象が2年生しかなかったら、きっと大輔もそのなかでいろいろ考える余地があったかもしれない。
しかし、大輔はサッカー部の空というずっと大人びていてかっこいい5年生を知っており、
不仲とはいえども時折気まぐれで姉として接してくれるジュンという中学生を知っており、
サッカー部の部員同士の交流で誰々のおねえちゃん、妹、という幅広い世界を知っているため、
ずっとずっと魅力的な女の子を知っている。もちろん興味ないから知っているだけだけども。
それと比べるともうどちらに軍配が上がるのかは一目瞭然だった。

「そっかそっか、なるほどねー。みんな子供っぽく見えちゃうんだ」

「男子はガキだって言うくせに、いってることは一緒っすよ。そういう奴に限って、女の子だからってすぐ言い訳するし」

「中学校のお姉ちゃんがいるなら、大輔君がそう思うのも無理ないよねえ。
好きな女の子見つかるといいね、大輔君」

「えー、いや、あんま俺興味ないんすけど」

いい加減話の話題を恋愛話からそらせたいあまり、それとなく話の転換を促してみるが、ミミはどこ吹く風である。
むしろつまらなさそうにしている大輔の様子に、大好きな恋愛を疎かにされたと思ったミミは、
このままではいけない、なんとか大輔君に好きな女の子が出来たときの対処法を教えないと、とやる気に火をつけてしまった。
このモードになったミミを止めることができるのは、不測の事態だけであると言う事をきのこ採集の時に嫌というほど知っているパルモンは、
心のなかであーあ、とつぶやいた。こうなってしまっては、パルモンでも止めることはできない。
余計なことをいってこっちに話が飛んでこないように、ちゃっかりだんまりをして、聞き手に回っていたパルモンは、
選択肢を盛大に間違え、地雷を踏んだ大輔に合掌した。

「えー、つまんない。それに、大輔君、だーめそういうこと言っちゃ。
そういうこといってると、好きな女の子が出来たとき困るんだから。
いい?大輔君、好きな女の子ができたら、誕生日とかイベントは絶対に逃しちゃだめだよ?プレゼント、ちゃんと考えなきゃ」

「えー」

「これだから男の子はだめなんだから。
お洋服とか、アクセサリーとか、お人形とか、ミミが大好きなものは全部ミミを作ってるものなのよ?
お誕生日とか、クリスマスとか、イベントで男の子から貰えるプレゼントは、ミミが新しいミミになれる大切なモノなの。
いくら面倒でも、絶対にてを抜いちゃだめなんだから。プレゼントで女の子は男の子に愛されてるってわかるの。
だから、気持ちが大切だとか言うけど、カタチにしないとだめなの!」

「はあ」

「あー、信じてないでしょ。ミミのパパが言ってたことなんだから。
パパはね、結婚記念日とクリスマスとママに誕生日には、必ずバラの花束を送ってるんだもん、間違いないって。
ずーっと新婚さん気分でラブラブなの。ミミもああいう男の子と付き合いたいなあ。
大輔君も、好きな女の子ができたら、絶対、ぜーったいに教えてね!ミミが応援してあげるから!」

「・・・・・・・・・・・わ、わかりました、アリガトゴザイマス」

すっかりミミのペースに持って行かれてしまった大輔は、途中で考えるのを放棄したのか、呆けた顔で頷いた。
余程退屈していたのだろう。言いたいことを全部大輔に伝授することが出来たミミは、すっきりとした顔で微笑んだ。
鼻歌交じりである。
ようやく解放された大輔は、今まで以上に疲れを感じてしまったのか、大きく安堵の溜息でもって、
ミミのお手伝い終了を知ることになる。
お疲れ様、とパルモンにねぎらいの言葉をかけてもらった大輔は、力なく頷いたものの、
助けてくれなかった裏切り者にジト目で睨みつける。
あからさまに視線を逸らしたパルモンは、休憩まだかしらねー、ミミ、と笑いかけていた。

「どうしたんだよ、大輔。すっげー疲れた顔してる」

先頭に戻ってきた大輔の意気消沈ぶりに、心配そうにブイモンが様子を伺ってくる。

「あー、疲れた。なんで女の子ってあんな話長いかなあ………。オレってかっこわりー」

ぽつぽつとミミとの会話やパルモンのまさかの裏切りをきいたブイモンは、心底自分もいかなくてよかったと思ったのは胸のうちにひめ、
お疲れ様でした、と立派な大役をこなした大輔をねぎらうことにしたのだった。






しばらくして、大きな木陰を作る樹木を発見した太一が、休憩時間を宣言する。
もう歩けない、とその場に座り込んでいたタケルや、あんまり疲れてないけど休みたいというミミの言葉が手伝ってのこともある。
不慣れな恋愛話やミミのマシンガントークにすっかり圧倒され、精神的に疲れきってしまった大輔は、ブイモンと共に木陰に休むことになる。
タケルの隣に座ろうとした大輔に、ひらひら、とミミが手をふっている。あはは、と引きつる笑顔でなけなしの気力で手を振り替えした大輔は、
その場に倒れこむようにして、樹の幹をマクラに座り込んだ。あーすずし、と大輔はひんやりとする木陰で一息ついた。
ずっとずっと暑い中歩き続けていたため、喉が乾いていたのでブイモンと共に回し飲みした。
本来なら、ただの水を飲むよりも、スポーツドリンクみたいに塩などの汗に含まれる成分も補給してやらないといけないのだが、
さすがにスポーツドリンクの川など存在しているわけもない。
水道水を飲んでも、のどの渇きが潤わない理由を知っている大輔は、ペットボトルを空にしようとするブイモンから敢えて取り上げた。
先が長いのに全部飲まれてはたまらない。
あー、とか細い声をあげながら、ジャンプする気力もないブイモンは大輔の足の上で、ぐったりと這いつくばっていた。
大輔も体力の限界が近かったことを思い出した体がようやく悲鳴をあげだしたので、暑いとブイモンをけとばすこともなく、
そのまま目をとじてじっとしていた。
遠くで空たちが今後の方針を話し合っているが、流し聞きする気力もない。
ちょっとだけ、太一と光子郎の騒がしい声がしてうっすら目を開けたが、どうやらパソコンを叩いて治すという
ブラウン管テレビの治療法を太一が実行しようとしたらしい。
一緒に笑う気力もなく、休息時間はただ穏やかに過ぎていく。

「ねーねー、大輔君」

「………」

「寝てるの?」

「………どーしたの、タケル?」

「………んおー?どーした、タケル?大輔になんか用かあ?」

「おーい、起きてよ、大輔。タケルが呼んでるよー」

「あ、ちょっとまってパタモン」

「うあー?なんだよ、パタモン、うっせえなあ」

「大輔、大輔、タケルがなんか用あるんだって」

「あー?なんだよ、タケル」

「ううん、なんでもない。ごめん、大輔君」

「………んだよ、もー。用もないのに起こすなよお……んじゃおやすみ」

寝返りを打ってしまった大輔に、いいの?タケルとパタモンが聞く。
起こそうか?とブイモンが続くが、タケルは首を振った。
あとでいいや、と笑ったタケルはどこか寂しそうである。
そう言われてしまっては仕方ないと二匹はそのまま再びまどろみに落ちてしまう。





太一が工場があると大きな声で子供たちを呼ぶまで、それは続いたのだった。



[26350] 第十話 ちびっ子探険隊 その1
Name: 若州◆e61dab95 ID:ef33b9d9
Date: 2011/03/18 22:25
その工場は、非常に奇妙な場所だった。同じ部品を製造し、それらの部品を組み立て、ひとつの工業製品を完成させていながら、
完成するやいなや今度は逆の工程を踏んで、わざわざひとつの部品を作る原材料の段階まで戻してしまう、という全く無益な作業。
機械が全て行っていて、延々と続いている。もちろん人はだれもいない。
しかも巨大な単三電池とプラモデル用のモーターで動いているのだ。意味不明である。
太一、空、丈、のメンバーと、ヤマト、タケル、大輔、ミミ、光子郎というメンバーで分かれる。
巨大電池を徹底的に調べる光子郎とテントモンと別れて、いろんな場所を二手に分かれて探してみたら、上記の事実に行き着いた。
そして屋上にまでたどり着いたところ、先程別れた光子郎とテントモンが合流してきた。
何やらいろいろと調べて回っていたらしいが、さっきよりもテントモンが光子郎を気にかけている気がする、と大輔は思ったがは気のせいかどうかはわからない。
光子郎はとんでもない事実に行き当たったので、知らせに来てくれたのである。
なんとこの工場の電気を作っているのは、巨大な乾電池ではなく、乾電池の中にあるコンピュータのプログラム、つまり情報が電気を作っていたという。
つまり、パソコンに書いた情報が、この世界ではすべて実体化しているという事実に行き着いたのである。
分かりやすく言えば、ペイント機能で書いたりんごのイラスト、という情報がこの世界では本物のりんごとして存在していることになる。
しかし、残念ながらこの話の重大性を正確に把握できる人は、光子郎が話したメンバーの中にはこの時おらず、
光子郎も興奮が先走ってなかなかうまく言葉として伝えることができなかったため、曖昧なまま終わってしまった。
そしてデータを解析したというとんでもない技術力を披露した天才曰く、デジモン達が進化するのも、
データをダウンロードするのと同じように、デジモン達のプログラムに新しいプログラムが追加されることで起こるらしい。
なかなか伝わらない凄さにもどかしさを感じ始めていた頃、太一達が黒い歯車に操られたアンドロモンに追われていたのである。
なんかこのパターンばっかりな気がするが、気にしてはいけない。やたら太一がいるグループが狙われている気がするが、気にしてはいけない。
決して太一が厄介ごとを呼び込んでいるわけではない。8人の仲間の中でも、とりわけ強い主人公補正がそうさせていた。

デジモンデータ
アンドロモン
レベル:完全体
種族:サイボーグ型
ロボットのような姿をした全身メタルの完全体デジモン。サイボーグデジモンの試作型として開発され、機械をベースに作られた。
人型としては最強の誇り、究極体、完全体以外のデジモンは一撃で倒すことができる。
意志や感情はなく、プログラムされた行動しか行なわない。アンドロモンの開発技術は他の機械系デジモンに使われている。
必殺技は、胸からミサイルを二発発射する、おっぱいみ、ではなく、ガトリングミサイルと、腕からエネルギーでできた刃物を出して攻撃するスパイラルソードだ。

屋上に追い詰められた太一達を守るため、グレイモンとガルルモンが進化して対抗するものの、成熟期は一撃で粉砕してしまうアンドロモンの強さには為す術がない。
追い詰められた子供たちの中で、唯一この世界の秘密に迫りつつあった光子郎は、自分の中にあった仮説を実証しようか、と思ったが、成功するとも失敗するとも分からない
一発勝負である。もし失敗したらみんなアンドロモンにやられてしまう。テントモンを危険な目に合わせたくない、という思いから躊躇していたパートナーに、テントモンが自ら
実験の被験体を名乗りでた。前代未聞の進化の実験である。それでも光子郎を信頼して実を委ねたテントモンは、光子郎のプログラム実行のエンターキーにより、進化をした。

デジモンデータ
カブテリモン
レベル:成熟期
種族:昆虫型
カブト虫の姿をした昆虫型デジモン。アリのようなパワーと、カブト虫のもつ防御性能とを合わせ持つとされ、攻撃・防御ともに能力値は高い。
頭の部分は金属化していて守りは鉄壁に近い。ただ性格は昆虫そのもので、知性は無く、生き抜くための本能しかもっていない。
しかし、光子郎のパートナーであるカブテリモンは、確立した自己を持っているようである。
クワガーモンとはライバル関係にあたる。

グレイモン達の助けに入ったカブテリモンだったが、完全体であるアンドロモンを倒す方法が見つからない。
弱点はないのか、と必死で子供たちは探していくが、困難を極めた。そして、アンドロモンのデータを分析していた光子郎は、表示された正規のデータと比較して、
アンドロモンの右脚の装備に欠損があり、故障していることに気づく。光子郎の指示でカブテリモンのメガブラスターがアンドロモンの右足を直撃する。
そして子供たちの目の前で、黒い歯車が現れ、無残にも破壊され、データ自体が消えてしまったのだった。
カブテリモンも同様にもとのテントモンの姿に戻り、これで進化できる子供たちのデジモンは、4匹目を数えることになった。
正気に戻ったアンドロモンいわく、黒い歯車がベルトコンベアの間に挟まり作業を停滞させていたので、なんとかとろうとしているうちに、
故障している右足から侵入を許し、操られてしまったという。
アンドロモンの提案で、暑い砂漠よりも下水道をいったほうがいいと言われ、子供たちとデジモン達は真っ暗な穴の中に進んでいくことになるのだった。





第十話 ちびっこ探険隊 その1





「ねえ、光子郎さん。さっきパソコンでテントモンを進化させてたでしょ?」

「そうですよ」

「僕のパタモンも進化させられるの?」

「出来るかもしれませんね!やってみましょう」

タケルの頭の上に載っているパタモンが、ホント?!と耳であるオレンジ色大きな羽を広げて立ち上がる。
タケルも背伸びをして、ノートパソコンを抱えながらテントモンを進化させた時と同じプログラムを組み立て、
なれた様子でキーボードを打ち込んでいく。光子郎の様子を、はらはらしながら見つめていた。
しかし、なんの前触れもなくいきなり主電源を押してしまったかのように、いきなり画面が真っ暗になってしまい、
エラー音はおろか文字も一切現れなくなってしまった。
あれ?おかしいな、と再起動のプロセスを踏んでみるが、全く動く気配のないノートパソコン。
光子郎はしばらくうろうろしながら、考えつく限りの手段を講じてみるが、状況は全く変わらない。

「すみません、ちょっと今は難しいみたいです」

「ううん、ありがとう光子郎さん。パソコン治ったら教えてね」

「分かりました。その時は、パタモンが進化できるかどうか、頑張ってみましょう」

「うん!」

光子郎はパソコンの起動に時間がかかる様子で、テントモンといろいろ専門用語や難しい理論を交えながら討論し始めたので、
タケルとパタモンは邪魔にならないように、それとなくその場所から退散した。

「あーあ、残念だったね、タケル。進化できたらよかったのに」

「仕方ないよ、パタモン。パソコン動かなくなっちゃったんだから」

残念そうにオレンジの羽を横に垂れ、落ち込んでいるパタモンにタケルは励ますように笑った。
タケルがいいなら、いいや、という単純な理由で落ち込むのをやめてしまったパタモンは、
特等席である緑色の帽子からずり落ちそうになったので、慌てて羽ばたいて、タケルの頭の上ほんの少し中に浮いた。
タケルが帽子を深く深くかぶり直したので、その上から再び我が物顔でちょこんと陣取った。
パタモンは空を飛べるが、時速1キロのスピードしかでないため歩いた方が遥かに早い。
しかし、四足歩行が発達しているわけではないため、どうしても他のデジモン達と比べて小さい体をしているためか、歩くのも遅い。
そういうわけで、本人は納得してないが、必死に飛ぼうとしている姿がとても可愛いため、微笑ましい仕草が笑いを誘っていた。
タケルとにて、ちょっと泣き虫で、可愛らしい行動が多いパタモンは、実はピヨモンと同じで空を飛ぶのが苦手であり、
素早く飛べないのが悩みの種である。非常に素直で、タケルの言う事、みんなの言うことはよく守っている健気な性質をしている。
ずっと飛ぶと疲れてしまうため、移動するのに楽という理由からいつからかタケルの頭の上がパタモンの定位置になっていた。
大丈夫?と聞いてくるパートナーに、大丈夫だよーとパタモンは笑った。そんな無防備に笑っている二人に忍び寄る影がある。
抜き足、差し足、忍足、と足音と気配を消しながら、影が伸びる地下水道にてタケル達が気づかないようにしながら、
そのいたずら坊主に気付いた子供たちが視線を向けるが、人差し指を口元に置かれて、やれやれと肩をすくめた。
せーの、という小声と共に、謎の影がいきなりタケルの肩を叩いた。

「わあっ!」

「うわああっ!?」

「ひゃああっ!?」

下水道の中は想像以上に薄暗い。かろうじて下水道が通っている水路と、その両脇を歩くことができるコンクリートの道が見える以外は、
その円柱状のトンネルの形状すら忘れてしまいそうなほど先が長い。
ジメジメしていて、変な匂いもしている。水路は恐らく濁りきっていて、時折ペットボトルや空き缶、などのゴミが音もなく流れていく。
光も見えない薄暗い空間がずっとずっと続いている。なんか立っていそうで怖くて、敢えてそちらの方向を見ないようにしていた一人と一匹は、
本日の仕掛け人がやってくる方向にチラ見すらすることができず、完全にノーマーク状態だったのが拍車をかけた。
正直、何かが出る、と言われたら信じてしまいそうな雰囲気と光景が広がっている中で、すぐ側に仲間たちがいるから大丈夫だ、
オバケなんて、幽霊なんてでない、出ても怖くない、と心のなかで納得させていたタケルやパタモンにとってこの悪戯はかなり悪質だった。
耳元でいきなり大声をあげられた上に、両肩をいきなり力強く、がっと掴まれたのである。タケルとパタモンは、たまったものではない。
下水道のトンネル中タケルとパタモンの声が、さっきまで静寂に満ちていた世界に突如大きく甲高く響いていき、
何十にもやまびこにも似たエコーを放ちながら広がっていった。
慌てて飛び退いたタケルはその場から逃げるべく何十メートルも距離を取り、置いて行かれたパタモンは涙目でタケル置いてかないでよーっと
パニック状態で叫びながら、タケルのもとへと飛んでいく。
心臓バックバクである。一瞬呼吸を忘れてしまったタケルは、目の前がにじんでいくのを感じながら、ううう、と何とか込み上げてくるものを堪えながら、
おそるおそる振り返った。お兄ちゃん助けて、と叫ぶ寸前である。いざ、と息を吸い込んだ時、である。
怯えるようにタケルのリュックにへばりついて、がたがた震えながら縮こまっているパタモンと共に、真っすぐ前を見た時である。

そこには、言葉を失ったまま、行き場を失った両手をそろそろと降ろした大輔と、ぽかーん、と口を開けたまま瞬きしているブイモンがいた。
タケル達の予想を超えたあまりの混乱、狼狽、大パニック寸前の態度、悲鳴にむしろ驚きすぎて、両者の間にいたたまれない沈黙が流れる。
いたずらを決行した張本人達、なんと用意していた言葉が全部飛んでしまったのである。
あはは、引っかかったー、とか、なーにビビってんだよ、おもしれえ、とか、言いながら大笑いする準備が出来ていたのだが、
タケル達の様子はむしろとんでもないことをしてしまったのではないか、という360度回って大輔たちを冷静にさせてしまっていた。

しばらく呆けていたタケルとパタモンは、自分たちが仕掛けられたどっきりに気がついて、みるみる顔が赤くなっていく。
それは大輔とブイモンの奇襲とも言えるいたずらを、誰ひとりとして止めてくれなかったという共犯関係に気づいたからであり。
タケルとパタモンだけが気づかなかったという事実があまりにも恥ずかしすぎるからでもあり。
それは明らかに笑いをこらえているみんなが、あからさまにタケル達から目をそらして肩を震わせていることに気付いたからであり。
その抑えきれない笑いの連鎖がさらに笑いを呼びこんでしまい、ある意味エンドレス状態になって地獄とかしていく様子であり。
中には腹を抱えて笑っている人もいて、その中には寄りにもよって、大好きなヤマトお兄ちゃんがいるという怒りがこみ上げてきたからでもある。
その中でも1番タケルとパタモンを怒らせたのは、やっぱりいたずらを実行した主犯格である大輔とブイモンである。
怒りと羞恥心とがごっちゃごちゃになったタケルは、うまく言葉を発することができない。
ただすっかり頭に血が上ってしまったせいで、いつもならば無意識のうちに身についている「いい子のタケル」を置き忘れてしまった。
怒りに肩を震わせながら、一歩一歩近づいてくるタケルと、頭の上で必殺技のエアショットをかまそうといきり立っているパタモンが、
じりじり、じりじり、と大輔とブイモンに迫り来る。
大輔とブイモンは顔を見合わせて、即座にヤバい状況であることに気づいて、だらだらと汗を流しながら、じりじり、じりじり、と後退する。

「・・・・・・の」

いいから落ち着けと必死で説得しながら、両手でまったまったとサインを送る大輔を差し置いて、すっかりビビリ腰でブイモンは逃げようと振り返った。
すかさずパートナーの裏切りを察した大輔はその青い尻尾を鷲掴みにして、べたん、とこけたブイモンを睨みつける。

「な、何逃げようとしてんだよ、ブイモン!」

「オレ悪くないもん!大輔がやるっていったから、仕方なく!」

「こらああ!お前もノリ気だったじゃねーか!逃げるなよっ、俺ら運命共同体だろ!」

「こんな運命共同体やだよーっ!大輔を置いてオレは逃げるんだっ!まだ死にたくない!」

「ふざけんあああっ!お前も道連れにしてやるーっ!」

「大輔のばかあああっ!」

「うるせええっ!」

「大輔くんとブイモンのばかああっ!絶対許さないんだから!まてええっ!」

「よっくも僕達を驚かせたなああっ!僕怒ったぞーっ、エアーショット!」

間一髪かわした空気砲が、ざっぱーんと水路に大きな波を立てる。ひいい、と大輔達は悪寒に凍りつく。
いつもその大きな予備動作と繰り出される技の威力が反比例で、避けられることも多く、あんまり威力もないことに定評のある
パタモンのエアショット。あんなに威力でかかったっけ?
大輔とブイモンは、あんまり遠くに行くなよーという無責任な太一の言葉に、仲裁という名の援護が入らないことを悟る。
何という理不尽だ、自分たちも思いっきり笑ってたくせに!助けを求めようと走り寄ろうとした足をとめる。
巻き込むな、こっちくんな、としっしと手を払う薄情すぎるサッカー部の先輩たちがいるのである。何ということだ。
逃げ場を失った大輔達は、一目散に太一達が進もうとしていた進路に一足先に駆け出すことにした。

怒りのあまり体力の消耗を自覚していないのか、火事場の馬鹿力なのか、
運動部に所属しているという話は聞かないタケルの追っ手が一向に弱まることはない。
むしろエアショットの威力が上がってる気がするのは気のせいか。つーか、なんであんなに怒ってんだよ、あいつ。
しらないよーっとブイモンはぜいぜい言いながら走った。

「必殺技、友達に向けんなよおっ!」

「そ~言うときだけ、友達って言われても信じられないもん!」

「ごめん、ごめんってば、だからエアショットはやめてくれよっ!」

「だめーっ!まだ許さないーっ!」

後方から、大喧嘩の時よりも遙かに大きな怒鳴り声が響いてくる。正直言って、心当たりが全くない大輔はブイモンに聞いた。

「どんだけ怒ってんだよ、タケルの奴!俺達なんかしたっけ?」

「なんにもしてないよーっ!ただ、工場来る前に大輔がタケルを無視しただけじゃない?」

「えーっ?あん時タケル、何でもないっていってただろっ?!なんで俺が悪いんだよっ!」

「オレに聞かれても知らないってばーっ!」

ブイモンとの会話に必死になっていた大輔は、後ろからの追っての存在をすっかり忘れていた。
同時に二つのことを進行させることができない不器用さが、ここで足を引っ張ってしまった。
大喧嘩のあと、謝罪が遅れても許してくれたタケルである。
ちょっとちょっかいかけて怒らせても、すぐに謝れば許してくれるだろうと楽観視していたのが、思いっきり裏目に出てしまった。

「エアーショット!」

「うわあああっ?!忘れてたっ!ブイモン、伏せろ!」

あわててしゃがんだ大輔達。ほっとしたのもつかの間、ものすごい物音に気付いた大輔たちが後ろを振り返ると、
無我夢中で走っていたため気付いていなかったが、進行方向にあった大量のドラム缶に空気砲が直撃し、
がらがらがら、と大きな音を立てて退路をふさいでしまう。
大輔達の何倍もある大きなドラム缶が、その山からごろごろと転がってくるのだ。
ブイモンは大輔を守ろうと前に立ちふさがる。

「大輔、下がって!ブイモン、ヘッド!」

がこん、という音がして、豪快に投げ飛ばされたドラム缶がトンネルの天井に当たって、水しぶきを上げて水路にはまった。

「大輔、大丈夫?」

「おう、ありがとな、ブイモン。しっかし、あっぶねーなーもう」

ほう、と息を吐いた大輔は、ブイモンに差し伸べられた手で立ち上がる。
ぱんぱん、とジーパンを払って、大輔達は観念したのか、タケル達の姿が見えたのでそちらに向かうことにした。
その時である。ぐらぐらとしていたドラム缶がバランスを崩し、大輔達のすぐ横を通り抜けて、タケル達のところに転がっていったのだ。
ごおっという音を立てて横切っていった真っ赤なドラム缶に、大輔は血相変えてタケルに叫んだ。

「タケルっ、パタモンっ、危ない、となりの通路に飛び移れええっ!」

突然の大輔の叫び声に、え?という顔をしたタケルとパタモンだったが、ごろごろと凄まじい音を立てながら転がってくる影に気がついて、
あわてて横に飛び移ったのだった。
わーっという声がしたので、反射的にかけ出していた大輔とブイモンだったが、間一髪ドラム缶から逃れた友達の姿に安堵の溜息を付く。
せーの、でタケル達がいる対岸に水路を飛び越えた大輔とブイモンは、とりあえず、真っ先にごめんなさいと心の底から頭を下げたのだった。
今更、経験したことのないかけっこの距離がダメージに帰ってきたらしいタケルは、すっかり呼吸困難になっている。
さすがにタケルの頭の上にいるわけにもいかず、大丈夫?とパタモンは通路に降りて心配そうに顔を上げた。
こういう時は、激しい呼吸をしたがるのを我慢して、大きく深呼吸するようにして、中に空気を入れるといいというアドバイスが降りてくる。
こくこくと頷いたタケルは、言われたとおりにして、呼吸を落ち着けていく。まさかこんな所で体力づくりの知識が役に立つとは思わなかった大輔である。
そして、パタモンが差し出したペットボトルの水を含む頃には、まだ呼吸は荒いものの、なんとか言葉を話すことができるくらいには回復していた。

「大輔―、ブイモン、ごめんなさい。僕の攻撃のせいで」

「いいって、さっさと謝らずに逃げまわってた俺達が悪いんだしさ。お互い様だろ、パタモン」

「ううん僕達も悪いもん。喧嘩してたのに、助けてくれてありがと、大輔君」

「喧嘩してるからって、友達が怪我しそうなのにほっとける奴なんていねえよ。なーに当たり前のこと言ってんだ」

二人と一匹は笑ったのだった。

「ずいぶん遠くまで来ちゃったね。お兄ちゃんたちが心配してるから、早く戻らなきゃ」

「そうだよな。タケル、パタモン、大丈夫か?」

「うん、僕は平気だよ。でもタケルは?」

「僕も大丈夫。もう歩けるから、いこ」

「おー!」

元気の良いブイモンの声が響いて、遅れてみんなの笑い声がした。
静まり返る静寂の中、大輔達は今まで元きた道をゆっくり歩いて帰ることにする。
ところどころに曲がり角があったのは知っているが、いちいち確認している暇はなかったため、一直線に走ってきたのだ、
また一直線に歩いて帰ればいいのである。迷いようがなかった。
それに、いくら喧嘩をしている二人が勝手に行動をとってしまったとしても、優しい仲間たちはきっと元いた場所、
もしくは最初の曲がり角があるところで、待っていてくれるはずである。
置いて行かれるという心配は微塵もする必要はない。だから焦る必要もなかった。
というわけで、自然と帰り道は二人と二匹のおしゃべりタイムが始まっていく。

「なあ、タケル、何であんだけ怒ってたんだよ。俺、なんかしたっけ?工場の前の休憩の時のこと怒ってんのか?
なんか、らしくねえよ」

「ううん、違う。大輔君がうそつきだからだよ」

「はあ?なんで俺がうそつきなんだよ」

「だって大輔君、僕にいってたでしょ。太一さん達に構ってもらえるのずるいって。羨ましいからやめろって。
だから僕、我慢してたのに、大輔君今日の朝からなんか太一さんとか空さんとかお兄ちゃんに優しくされてるんだもん、ずるいよ。
それに、光子郎さんからプレゼントもらってるし、ミミさん達と楽しそうにいっぱいおしゃべりしてたし。
僕、みんなに置いて行かれないように歩くのにたいへんで、みんなとおしゃべりするヒマないのに」

「ヤキモチかよ」

「やきもちじゃないもん」

「ヤキモチだろ。なーんにも言わなくっても、ヤマトさんとか、空さんにずーっと付いててもらってるじゃねーか。
俺はなんにもしなくても構ってもらえるタケルと違って、みんなの役に立つことしないと甘えちゃダメなんだ。
ミミさんとしゃべってたのは、手伝えることないかって聞いたら、お話相手してって言われただけだよ」

「え?なんで、お手伝いしないと甘えちゃだめなの?」

「・・・・・・・・なんでもない」

「むー。でも、僕甘えてないもん。遠慮してるもん」

「えー?嘘だろ、あれでか?」

「嘘じゃないよ。ホントはもうおうちに帰りたいし、お父さんやお母さんと会いたいし、
お兄ちゃんともっともっと遊びたいけど我慢してるんだ。迷惑かけちゃだめでしょ?」

「べっつにいいんじゃねーかな。ミミさんだっていっつもいってるじゃん」

「うーうん、だめなんだ。僕、お兄ちゃんに甘えちゃだめなんだ」

ぽつりとつぶやかれた言葉にしては、やけにはっきりとした声がトンネルに響いた。
いつになく真剣そのものの表情で決意めいたものを見た大輔は、タケルとヤマトの抱える複雑な家庭環境に根ざしたものだと嫌でも気づく。
しょうもない理由だったら、ふーん、なんで?と興味のかけらもなさそうな顔をしたまま、あっさりと突っ込んでいけるが、
さすがにそんな事できるわけがない。大輔も表情を引き締めた。聞いてくれると判断したらしいタケルは、ほっとした様子で笑った。
勇気を持って告白した心中をスルーされたと感じたら、それこそタケルは傷つくだろう。
タケルの事情をある程度把握している今なら、相手の立場にたって考えるやり方は十分通用する。大輔は何にも言わないまま、先を促す。
小さく頷いたタケルは教えてくれた。

タケルの両親が離婚したのは、タケルが丁度小学校に進学する前の年、幼稚園卒業の年だったらしい。
仕事で忙しいという建前ではあったが、なかなか両親が会いに来てくれなかったり、不自然なまでに優しい親戚の家に預けられた時から、
うすうす家庭内の違和感は感じていたらしいが、もうその頃からタケルはヤマトに守られていた。
親戚や近所の事情を知る大人たちからの含みを交えた言葉を意図的に遠ざけ、タケルではなくヤマトが一身にその言語を受け止め、
対応を迫られている場面には何度も遭遇していた。
しかし、事情を一切知らされていないタケルは、遊んでいろといって大人の中に混じっていくヤマトが、
大人扱いされていて羨ましいと見当違いにも程がある勘違いをして、不満に思って、怒ったり拗ねたこともあったらしい。
しかし、タケルを守るお兄ちゃんとしての自分を拠り所にしていたヤマトは、どこまでも優しかった。
いつもごめんと言って自分から謝ってくれるのだ。きっと両親の喧嘩を目撃して、仲裁したり、巻き込まれたり、
タケルに気付かれないように必死でかくしていたに違いないのに。
今でも直接ヤマトはタケルにすべてを教えてくれはしないけれども、もうここまで来れば嫌でもタケルは理解していた。
両親が離婚するとき、子供は必ず一度はお父さんとお母さんのどっちがいいか聞かれるということを、
引っ越した先のアパートのおばさんからタケルは初めて聞かされた。
お兄ちゃんがいるとしっていたおばさんは、優しいお兄ちゃんだねえと笑っていたが、その瞬間にタケルは全てを察したのだ。
タケルは母親と一緒に済んでおり、ヤマトは父親と一緒に住んでいる。
タケルは何故お兄ちゃんが一緒にお母さんのところに来てくれなかったのか、とずっと思っていた。
お父さんがひとりぼっちは寂しいからだとタケルは思っていた。
酷い時には、僕のことが嫌いなんだと泣いたこともあるが、その時母親にこっ酷く叱られたことで、泣き止まないタケルにいらついた母の一言で、
タケルは自分の置かれていた立場が想像以上に残酷であることを不幸にも知ることになってしまう。
長期化した裁判や世間体、親類に対する説明、トラブル続きの仕事など子供の知らないところで両親も傷つきながらの果であることを知るのは、
まだまださきである。
きっとそういった一面もヤマトの心のなかにはあっただろうが、そんな甘いものではなかったのである。
離婚調停には、様々なことが裁判の上で取り決められる。
子供の親権を争うこともそのひとつであり、タケルからすればずっと一緒に暮らせる特権だと思っている。
かつて夫婦であったタケルの両親は、父親と母親一人ひとりが子供をひとりずつ引き取ることが決定されていたのだ。
つまり、初めからヤマトはタケルと一緒に住むことはできないと決められていたのだ。
そして、まだ物心ついたばかりのタケルのことを考えて、ヤマトはその残酷すぎる質問に対して、
まだ小学校3年生であるにも関わらず、迷うことなく即答したそうである。
俺が父さんと一緒に住むと。家事とか全部俺がやると。まっすぐ言い放ったそうである。
その時から、タケルの中では自分がお母さんをとってしまった、という強烈な負い目が生まれてしまい、
今でもなかなか遠慮が抜けず、本心からヤマトに思いっきり甘えることができないそうである。
ヤマトはきっとタケルの心中に気づいていない。そして今でもずっと一切告げないまま、過保護なお兄ちゃんでいてくれる。
それがタケルにはもどかしいが、どうすることもできない。だから、といったんタケルは言葉を切った。

「どうしよう、僕悪い子だよね」

小さくつぶやかれた言葉は、震えていた。
タケルは愛されている、大切にされていると実感することができる、守られる立場であるためには、何だってする子供である。
いい子にもなるし、我慢だってするし、わがままだって言わないし、辛くてもずっと笑っている。
だから置いて行かないで、と続くのだ。喧嘩は人がいなくなってしまう恐ろしいことだと半ば刷り込まれていたタケルにとって、
生まれて初めてした大喧嘩で大輔と友達になれたという事実は、トラウマを大分半減していた。
だから、甘えているといわれた時には、非常にショックを受けていた。もっと我慢しなくちゃだめなんだと思ったのに、というわけだ。
構ってもらえたり、遊んでもらえたりする対象が常に自分でなければ心配で心配でたまらないのである。
それを友達である大輔に取られているという恐怖と、嫌われてしまうのではないか、という恐怖を密かに抱えながら
こんなことみんながいる前では話せないから、話す機会を伺っていたら、一回大輔の方から潰された。
そして、何にも知らないくせに、ちょっかいを掛けられた。それがぷつんとタケルの中の許容範囲を超えてしまったのである。

ぽつりぽつりと話していたタケルがふと隣を見て驚いた。なんと大輔が泣いているのである。
え、え、どうしたの?!と予想外の展開に、過去を思いだして泣きそうになっていたタケルは、感傷的な感情が彼方に吹っ飛んでしまう。
ぼろぼろ涙を流しながら、うるせえよ、と鼻声でこぼした大輔は、ぽんと言葉を投げたのだ。

「仕方ねえだろ、涙が止まんないんだよ!」

ぐしぐしと乱暴に涙を拭った大輔は、目を真っ赤にしながら上を向いた。
タケルの話に完全に感情移入してしまっていた大輔は、同情を通り越して同一視する所まで突っ走ってしまっていた。
その言葉により、大輔の言いたいことはなんとなく分かったタケルは、ありがと、と小さくつぶやいた。
なんだか立場がが逆転してしまっているが、しばらくして大輔が口を開いた。

「俺、怒ったよな、タケルとヤマトさんが仲いいってうらやましいって。俺、姉貴と仲悪いから」

「うん」

「でもな、嬉しかったんだよ。俺、姉貴と仲よかったことないし、あったのかもしれないけど、もう思い出せねえし。
だから、仲直りしたいとは思ってたけど、そっからどうしたいのか分かんなかったんだよ。
今までは、俺んちが仲悪いの知られんの嫌だし、仲悪いのって変だから、仲いい兄弟見るのっていやだったんだ。
他の家じゃ当たり前なのに、なんで俺だけこんなに姉貴と仲悪いんだろうって思っちまうし。
でも、タケルとヤマトさん見てたら、なんとなく分かったんだ。
俺、姉貴と仲直りしたら、タケルとヤマトさんみたいな感じになりてーなって。
そしたら、タケルがヤマトさんとまだ仲わりいっていうから」

「仲悪くないよ!」

「甘えらんねえんだろ?」

「そ、そーだけど、そーじゃないもん!」

「あはは、なに怒ってんだよ。第一、俺がイメージしてる仲いい兄弟ってお前なんだから、
イメージ壊すようなことすんなよな。甘えらんないんなら、甘えろよ。
おにーちゃーんって思いっきり抱きついてみろよ、ぜってーヤマトさん喜ぶぜ」

「えーっ、なにそれ!話聞いてたの?大輔君!」

「聞いてた聞いてた。でもな、タケルがお兄ちゃんっていったとき、すっげー嬉しそうな顔してると思うぜ、ヤマトさん。
あの人、なんでか、いいお兄ちゃんになろうって頑張ってるのに、隠そうとしてるよな、変なの」

「え?そうなの?」

「だってさ、魚のやつ、あっただろ?竹の奴でぐるぐるってして、病気になるやつ全部一気に取れる奴。
あれ、ぜってータケルに見せるために自慢したくて、こっそり調べて勉強して、練習してんだ。
だって、それ言いかけたら、ゼッテータケルに言うなって怒られたし」

「へえー、そうなんだ。お兄ちゃん、僕のために頑張ってくれたんだ」

「俺、全然タケルの考えてること、難しくて分かんないけどさ、
ヤマトさんに甘えるの我慢すんのは持ったいねえ気がするなあ。
俺なんて、今ここに姉貴いないんだ。それだけでもすっげーチャンスだと思うけどな」

「うーん、でも、まだちょっと難しいや」

「別に今すぐじゃなくてもいいだろー、どんなにせっかちだよ」

「えへへ。大輔君のお手本にならなきゃいけないんでしょ?頑張ろっかなーっておもって」

「ちょ、おま、うぜええ!」

もう、大丈夫かな?とブイモンとパタモンはお互いに顔を見合わせる。大丈夫みたいだな、二人とも笑ってるし。
パートナーがお互いの話に夢中で、ずーっと放置されているパタモンとブイモンは、とうとうしびれを切らし、
構ってくれ!とばかりにお互いのパートナーのところに飛び込んだのだった。



[26350] 第十一話 ちびっ子探険隊 その2
Name: 若州◆e61dab95 ID:6d97b25a
Date: 2011/03/20 00:29
「ひいっ!」

「どうしたの、大輔君?!」

「な、なんか俺のく、首にいっ!」

みるみるうちに顔面蒼白になった大輔は、あわてて何かを払いのけるような動作をして、大きく頭を振った。
突然の相棒の怯えように、反射的に戦闘態勢になったブイモンはすかさずあたりを見渡して警戒するが、相変わらず地下水道は物音ひとつせず、
薄暗い空間には、ただゴミを運んでいく水路の音だけが響いている。我に返ったらしい大輔はおそるおそる首筋に当たったらしい何かを確認すべく
手を当ててみる。すると、一瞬感じたひやりとした感覚は、何か冷たい液体のようなものがあることを示していた。
そしたら今度は手の指先に当たる冷たい感覚。顔を上げた大輔が手をかかげてみると、ぴちょん、ぴちょん、と一定の間隔で落ちてくる水滴。
その一連の様子を見ていたタケルとパタモン、そしてブイモンの視線が自然と大輔に方に向く。張り詰めていた緊張感が一気にほぐれていく。
6つのお騒がせ者に対する冷ややかな視線にも気づかないまま、なんだよ、水かよ、びっくりさせんなよ、もう、と
大きく脱力した大輔は、はあ、と安堵の溜息を付いた。なーんだ、とブイモンは笑って再び大輔の傍らに駆け寄った。

「あははっ、なんだあ、驚かさないでよー。大輔君もオバケとかこわいんだ」

「うっせえ!ち、ちっげーよ、別にゆーれいなんて怖くない!」

違うんだからなと必死に否定すればするほど、先程の地下水のトンネル全体に響き渡るような絶叫とのギャップが大きすぎて、あべこべに見えてしまう。
羞恥心から赤くなった顔を見られまいと、ばつ悪そうに顔を背けた大輔はさっきよりも早足で先に進む。ブイモンがそれに気づいて後を追う。
タケルとパタモンは顔を見合わせて、くすくすと笑っていたが、問答無用で置いていこうとする友人たちにまってよーと後を追いかけた。
なに笑ってんだよ、と不機嫌そうに口を尖らせる大輔に、ちょいちょいと袖を引いたブイモンが、なんだよ、と振り返るパートナーに、
耳まで真っ赤になっているからバレバレだと指摘した。一瞬虚をつかれた顔をした大輔が耳に触れてみると、確かに右耳は熱を持っていた。
むぐぐ、と言い返す言葉もごまかせるような言葉も浮かばなくなった大輔は、すっかりすねてしまいそっぽ向いたまま沈黙してしまう。
そんな和やかな空気の中で、早く離れてしまった他のメンバーたちと合流しようと先を急ぐ子供たちの前に、
なにやら変なモノが見えてきた。思わず足を止めた大輔とタケル、そしてブイモン。よく見ようとタケルの頭の上で背伸びするパタモン。

彼らの前には、何故かソフトクリームから連想できる例のあれが、ピンク色のあれが、大量に落ちていた。
なんだこれ、と彼らの心のなかの声がひとつになったとき、彼らは嫌な光景を目にしてしまう。
例のあれがこれから大輔たちが太一達と合流するために行かなければならない先に、ずーっと落ちているのである。
足の踏み場もないくらいに、びっしりと。それはもう、びっちりと。どうしよう、これでは先に進めないではないか、と大輔達は顔を見合わせた。
よく見れば、水路にへばりついて溶けかかっているものもあるし、大量に落ちている例のあれは全部踏まれた後がある。
何かぬめぬめしたものが這いつくばっていったのか、不自然なまでに形状を引き伸ばしているものもある。
嫌な予感しかしない。近くには通路が分かれていて、小さな光が見える所を見ると、外に通じているようである。
しかし、その通路もよく見れば、その例のあれを踏んづけたままズルズルと這いつくばっていたやつが、登っていたらしく、
いろいろとこびりついているのがいやでも眼に入る。

「………ねえ、こっちに来る前に、外に通じてそうなトンネルあったよね?」

「………そうだよな。引き返すのめんどくさいけど、もっかい戻ろーぜ」

「さんせー」

「オレも賛成。というか、早くこっからでないと、やばい、気がするんだ」

この奇妙奇天烈な惨状に心あたりがあるのか、ブイモンは顔を引きつらせながら、早くここから出ようと促してくる。
どうしたんだよ、と疑問符を浮かべる大輔に、いいからはやく!と大輔の後ろに回ったブイモンが、グイグイと押してくる。
そしてタケルとパタモンに振り返ると、早く付いてくるよう手招きしてくる。
訳がわからないまま駆け足で曲がり角を探し始めた大輔達の後ろから、何やら無数のうごめくものの音が聞こえ始めたとき、
ブイモンはますます血相変えて急げ急げと大輔を急かせる。
躓きそうになりながらも、なんとなく置かれている状況が理解でき始めた大輔とタケルは、おそるおそる後ろを振り返った。
なんか大きな目玉がたくさんこっちの方をぎょろりと見て、ものすごい勢いで追いかけてくるではないか。
しかも、なんか気持ち悪い甲高い声をあげながら、何かが這いつくばってくるような粘着質の音が怒涛の勢いで近づいてくるではないか。
生理的な嫌悪感から真正面から見るのを本能的に拒んだ大輔達は、さっきよりも走るスピードを早める。
パタモンもようやくブイモンが恐れている事態を把握したのか、タケルから振り落とされないように必死で帽子にしがみついた。
なにあれーっと思わず叫んだタケルに、パタモンがヌメモンだよーっと叫んだ。

デジモンデータ
ヌメモン
レベル:成熟期
種族:軟体型
ぎょろりとした大きな目の玉を二つ持ち、大きな口から真っ赤で長い舌をいつもだしながら動いている緑色の軟体型デジモン。
ナメクジのようにヌメヌメとした体をしている。暗くてジメジメしたところが大好きで知性や攻撃力はなく、本能のままに生きている。
自分から戦おうとはせず毎日だらだらと生活しているが、敵に襲われると仲間達と共に集団で襲いかかってくる。
必殺技は、素手でつかんだ自分のあれを相手めがけて投げるあれなげと、長距離あれ投げと、連続あれ投げである。
デジモンアドベンチャーにおけるギャグ担当のデジモン代表格の筆頭。もちろんシモネタ方面で。
そのあからさますぎる必殺技は、冒頭とあらすじ、デジモン紹介を担当したナレーターが唯一言いよどんだ程の威力を誇る。

ブイモンとパタモン曰く、デジモンの中でも、この世界でも嫌われ者の筆頭だという補足が加わるが、
そんなことどうでもいいとばかりに大輔達は一目散に、ようやく辿りついた曲がり角を一気に駆け上がった。
狭くてくらい世界が一気に広がる。暗いところから急に明るいところに出た二人とデジモン達のまぶたに黒い斑点が飛んでいき、
やがて一面に広がるサバンナのような光景が現れる。空を見上げれば、雲行きがあやしいものの、雲から太陽の光が照っていた。
振り返れば、日の当るところが苦手らしいヌメモンの大群が、恨めしそうにぎりぎり影のところを境界に先に進めないのか、
みっしりとトンネルを塞ぐようにこちらを睨んでいる。
あまりの気持ち悪さに鳥肌がたったらしいタケルは腕をさすりながら、ふう、と逃げ切れた安堵感から溜め息をこぼした。
大輔も同様だが、ヌメモンは太陽の光が出ていなければやばい。外は活動範囲が広がってしまうとブイモンに言われて、うそだろ、と顔を引きつらせた。
太陽が顔を出している間に少しでも距離を稼いでおかないと襲われてしまうのは眼に見えている。
しかし、適当に逃げたのではそれこそ太一達と完全にはぐれてしまう。どこから来たのかわからなくなるのは、あまりにも致命的だった。
合流すべき場所に確実に通じていたはずの道が塞がれてしまった今、別のところから地下水道に入る場所を探さなくては行けなくなった。
飛び出してきた地上への通路は、大きな大きな赤土ののぞく山にある。つまり、この山をずーっと本来進むべき方向にたどっていけば、
太一達がいるはずの場所に通じる穴を見つけることができるはずだ。
タケル達は仕方なく、ヌメモンたちから隠れる場所がないかとあたりを探し回りながら、必死でその場所から真っ直ぐ進んでいくことにした。
パタモンがタケルの頭から離れて、ゆっくりとした速度で空高くに舞い上がっていく。
どーだ?とまぶしそうに右手で影を作りながら、逆光のする空を見上げた大輔の言葉に、きょろきょろとあたりを見渡していたブイモンは、
ぐるぐると旋回すると、あったー!と大きく声を上げる。
どっちー?とタケルが口元に手を当てて叫ぶので、パタモンは大きく体をそちらの方向に向け、飛んでいく。

「あっちの方に1個だけ穴があるよー!」

「じゃあ、あっちだな!大輔、タケル、急ごう!」

パタモンが飛行能力の限界からかどんどん降下していくのを受け止めたタケルは、お疲れ様、と笑って頭の上に乗っけると、
大輔たちと共にその場所へと急いだ。
しばらくして、大輔たちが這い出してきた穴と同じくらいの大きさの穴が見つかる。
一目散に駆け寄った彼らはそこを潜ろうとして、そして、とある事実に行き着いてしまい、立ち往生するはめになってしまった。

「なんでヌメモンがここにもいるんだよーっ!太一さん達のところに行けないじゃねーか!」

「なんか、いっぱい落ちてる………」

空を見上げれば、太陽はまだまだ健在であり、雲行き怪しかった天気も雲と雲の割れ目が大きくなってきたのか、
相変わらず大輔達は暖かな光に守られて、トンネルから飛び出してきたヌメモンたちに襲われる気配はない。
それでも、いつ太陽が隠れてしまうか分からない不安定な天気である。一瞬でも隙をみせれば襲いかかってくるだろう。
ようやく見つけた通路もびっちりとヌメモンたちがうごめいており、先に進むことは難しそうだ。
しかもそのまわりは、さっき下水道で見たたくさんのあれが落ちている光景が、完全に再現されている。
大輔が怒るのも無理はなく、タケルが目を背けたくなるのも無理はなかった。
これでは太一達に会いに行けない。どうしよう、と二人は顔を見合わせた。
周りを見れば、ずーっと先にここから一直線に続いているあれの道が、3つほどに別れて、森の中、サバンナを真っ直ぐ突っ切る道、
花畑に続く道、とわかれていく。もしかしたら、ついさっきまで曇だったのかもしれない。ヌメモン達の大行進の痕跡がいやでも眼に入る。
そして、タケルと大輔は無言のままおそるおそる顔を見合わせた。この大行進に見覚えがあるからである。
あれ?もしかして、もしかするのか?しちゃうのか?といった様子で大輔は薄々感じていた嫌な予感に、ちら、と後ろにあるトンネルの入口を見る。
タケルも同じことが頭を過ぎってしまったらしく、口に出していいものかどうか、迷っている。嫌だ。正直、口にだすのは絶対嫌だ。
でも状況とタケル達が見てきた光景がそれを物語っている。答え合わせをすべく、どちらともなく二人は口を開いた。

「なあ、もしかして、さっき俺達が引き返してきた入り口って、これじゃねーか?」

「うん、僕もそう思う。おんなじくらい歩いたもん。ねえ、大輔君、ってことは、もしかして」

「俺達みたいに下水道にいた誰かが追っかけられて、逃げようとして外に出たんだよな」

「でも、お日様が出てなくって、曇りで、ヌメモンたちが出てきちゃって、」

「このままじゃ捕まっちゃうから、3つくらいのグループで別れて、逃げた……?」

大輔とタケルの会話にパタモンとブイモンは顔を見合わせて、あわわわわ、とヌメモンの大行列の跡を見る。
みんな青ざめるしかない。8-2=6。小学2年生なら簡単にできる引き算。加えて、3つのグループと言うことは、
とまだ割り算を習っていない2人は、思い浮かぶ名前をそれぞれ指折り数えながら、3つのグループを作ってみる。
ぴったり丁度である。タケル達は居ても立ってもいられず、かけ出した。
大変だ。その一言だけで十分だった。
大輔たちを待ってくれていたはずの太一達が、ヌメモン達に襲われて、ずーっと逃げ続けているうちに
ばらばらになってしまったのだ!
とりあえずヌメモン達の跡を追いかけていった大輔達は、自動販売機がたくさん立っている荒野に出た。
残念ながら全ての自動販売機はかぱりと中がオープンになっており、缶ジュース一本入っておらず、
何故かからっぽの空洞が晒されていた。そしてそこからふたたびピンク色のソフトクリームがたくさん投げ飛ばされていた。
どうやらここからも、ヌメモン達の大群が新たに加わったらしい。想像するだけで悪寒がする光景である。
ますます大輔達は太一達のことが心配になった。そして、暫くの道なりの後、3つに別れている道で立ち止まる。

「みんな、どっちにいったのかなあ?」

「うーん、わっかんねー。早く探さないと太一さんたちが危なかったら大変だ!急ごうぜ!」

「えーっ!ダメだよ、僕達一緒にいったほうがいいよ。迷子になっちゃったら大変だもん」

「えー、そうかあ?」

「そーだよ。みんな、僕達よりずーっと大きいから、きっと大丈夫だよ。だってタケルや大輔が逃げられたんだから。
大輔が心配するのは分かるけど、僕達じゃなんにもできないよ?」

「そんなことないって!オレと大輔がいれば、なんにもこわいことなんかないんだ。ね!大輔」

「おう。なにビビってんだよ、タケルもパタモンも。進化できなくったって、俺達にしかできないことなんてたくさんあるだろ?
はやくさがそうぜ!」

「うーん……でも。ヌメモン達がたくさん襲ってきたらどうするの?」

「簡単だろ?逃げるんだよ。そういうの、逃げるが勝ちっていうんだって」

「えー……。でも、大輔君。今、お日様があるから、たぶんヌメモン達どっかに隠れちゃったんじゃないかなあ?
お兄ちゃんたち、大丈夫だと思うよ?」

「あー、そっか。ちぇー、太一さんたちの手助けできると思ったのに」

ブイモンと顔を見合わせて残念そうに肩をすくめる大輔に、役に立てることをしなければ甘えてはいけないのだ、という
大輔の言葉を思い出したタケルは、小さく首をかしげた。
タケルとヤマトの兄弟関係を理想像だと語ってくれた大輔は、タケルに悩みなんて気にしないで、まずは思いっきり甘えてみればいい、と
力強く後押ししてくれた筈なのに、どうして自分はわざわざそんな条件を付けて、みんなに甘えることを我慢しているんだろう、と考えてしまう。
タケルからすれば、みんなの役に立つという大輔の語るそれは、無謀とも言えるほどの目標であり、きっとタケルなら思いつきもしないものである。
わざわざ自分からそんなにハードルを高く設定して、辛くないんだろうか。
見る限りでは、大輔もブイモンもその目標に向かって頑張ることをなによりも大切にしているのは、生き生きとしている様子からも感じられるし、
全く苦にする様子はなく、疑問にも感じていないし、違和感も全く覚えていないようだから、大輔とブイモンからすればそれでいいのだろう。
理由を聞いたが教えてくれなかったのは気になったが、きっと大輔とお姉ちゃんの問題に関わることなのだろう。
タケルの相談に乗ってくれたから自分も乗ってあげたいと考えるタケルだが、大輔達は今のところ全然そんな様子は見受けられないし
未だにヤマトからの宿題は検討がつかないのはタケルも同じだったから、アドバイスなんてできそうもない。
きっと相談に乗って欲しくなったら、タケルと違って大輔は自分から言ってくるだろうから、待っていればいいだろう。
そういう結論に達して、タケルはその疑問はとりあえずおいておくことにした。ただ。

「大輔君、ブイモン、お兄ちゃん達に大変なことがあってほしいの?そんなこといっちゃダメだよ」

「あ、わりい、タケル、俺達そういうつもりじゃないんだ。ごめん」

「ごめーん」

失言を咎めるのは忘れなかった。しかし、肝心の、どちらの方向に行ったらいいのかわからない。なかなか決まらない。
結局、グーとちょきとパーの道を決めておき、ジャンケンで勝ったときに出したカタチで先に進むことになった。
何度かのアイコのあとで、大輔が勝ったため、パーのまま、まっすぐに進むことになった。
暫く進んでいったが、まだまだあれの道は続いている。先はまだまだ長そうだ、と思われたのだが、何故か途中でヌメモン達はおろか
この先に逃げていったであろう子どもたちの姿がぱったりとその痕跡を消してしまったのである。
すっかり途方にくれていた二人は、顔を見合わせた。
メンバーの中で唯一、1番高い視点から世界を見わたすことができるパタモンは、懸命に耳を羽ばたかせながらあたりを見渡した。

「あっちの方向におもちゃの街があるよー!」

「おもちゃの街ってなに?ブイモン」

「おもちゃの街って、もんざえモンっていうデジモンが町長さんをやってる、遊園地みたいなとこだよ、タケル。
こーんなにいっぱいのたっくさんのおもちゃや風船が、迎えてくれる、すっげー楽しい場所なんだ」

「へえー、この世界にも遊園地ってあるのかあ。ジェットコースターあるのか?パタモーン」

「うん、あるよー。すっごい速いのが。でも僕は観覧車のほうが好きだなー」

「おお!」

「お兄ちゃん達見つけたら、あとで行ってみようよ、大輔君!ねえ、パタモーン、お兄ちゃん達みつからなーい?」

「うーん、いなーい。おっかしいなあ、って、ああ!」

「どうしたのー?!だれかいたの?!」

「ううん、みんなじゃないけど、もんざえモンが見えるよー!たっくさんの青いハートの風船もってる!
なにか知ってるかもしれないから、きいてみよーよー!」

「オレもパタモンにさんせー!もんざえモンはおもちゃが大好きで、おもちゃももんざえモンが大好きで、
みんなを幸せにするいいデジモンなんだ。きっと力になってくれるよ、大輔、タケル」

ブイモンの提案で、二人はタケルの頭に帰還したパタモンの先導のもと、先に急ぐことにした。

デジモンデータ
もんざえモン
レベル:完全体
種族:パペット型
謎の多きパペット型デジモン。お腹が白く、それ以外は全身が黄色の大きなクマのぬいぐるみのような姿をしている。
背中にチャックがついていて、誰かがいるのは確かなようだが、だれが入っているのかはだれも知らない。
おもちゃの街という遊園地のような華やかで楽しい街で、おもちゃを誰よりも愛し、また愛されながら暮らしている町長である。
必殺技は、受けると溢れる愛に包まれ、どんな悪い心を持つ者でも幸せな気持ちになってしまうラブリーアタック。

しかし、急いでもんざえモンのもとに急いでいたタケル達は、青い風船が思っていたよりもずっとずっと大きなものであると、
しっかりと自分の目で確認できるような距離まで追いついたのだが、もんざえモンは気づかないまま先に行ってしまう。
待ってくれと必死で呼びかけようとした大輔は、青い風船の中に見覚えのあるシルエットが見えて、驚きのあまり立ち止まってしまった。
指差す大輔につられて、よーく目を凝らしたタケル達は、その青い風船一つ一つに、なんとずっと探していた太一達が閉じ込められていることに気付いた。
なんとおもちゃの街のやさしいデジモンであるはずのもんざえモンが、子供たちとデジモン達を捕まえてしまっているのである。
飛ばされていく風船の数は、全部で10こ。大輔とタケルを抜いたらあと一人と一匹がなんとか逃げ延びていることになる。
それが誰なのか確認することができないまま、もんざえモンはおもちゃの街に太一達を連れ去ってしまった。

「大変だ、なんとか太一さん達を助けなきゃ!」

居ても立ってもいられず走りだそうとする大輔を、あわててタケルは腕を掴んで引き止める。
大輔は驚いた、なんで目の前でヤマトさん達が捕まってるのを目撃してるのに、タケルは大輔を止めようと必死になっているのかわからない。
別に真正面から突っ込んでいくわけじゃないんだ、後をつけていって様子を見てくるだけだから、と言葉を重ねてみる。
それくらい無謀なのは大輔だって分かっているつもりである。しかし、頑ななまでにタケルは反対の姿勢を崩さない。そして、大きく首を振った。
放せよ!みんなが!と遠ざかっていくもんざえモンの背中を睨みながら、必死で振り払おうとする大輔に、
タケルは待って、待ってよう!と必死でずるずるずるとなるまで踏みとどまった。

タケルからすれば、大輔の言葉は全部一人で飛び出していこうとする言い訳にしか聞こえない。
なんで大輔君はいっつもいっつも自分一人でどんどん決めて、どんどん先にいっちゃうんだろう!信じられない!
1番年も近いし、友達だし、いろいろ話しやすいの僕だと思うんだけど、違うのかなあ、と何度思ったか分からない。
全く頼りにされている気配もなければ、その頭の中には上級生達以外に本当に存在しているのかすら心配になってくるほど、
自分がアウトオブ眼中なのが分かってしまい、タケルは余計辛かった。
そりゃあ、上級生のほうが頼りになるだろうし、自分が1番頼りにならないし、大輔君の場合は一人で問題を解決しちゃうような子だから、
そういうことまで求めてしまうのは贅沢なのかもしれないけれど、ちょっとくらい夢見たっていいじゃないかと思ってしまう。
友達って、相談に乗ってもらったり、一緒に遊んでもらったり、一方的な関係ではないはずだ。
こういう上級生が誰もいない時こそ、一緒にいろいろ話しあって、助けあって、頑張っていくのが友達なんじゃないのか。
ちょっとくらい、相談を持ちかけてくれてもいいんじゃないかとタケルは思うのだ。
なんでブイモンは止めないで、むしろ一緒に行く気になっているのか分からない。だから止めるしかないのである。

強行なまでのストッパーに納得行かないという顔をありありと浮かべて、なんでだよ、と半ば八つ当たり気味に叫んだ大輔に、
タケルは落ち着いてよ!と呼びかけた。舌打ちをして、イライラしている大輔は、タケルを睨みつけた。
ここで大輔の長所でもあり短所でもある感情と行動が直結しているという面が、顕著にマイナス作用として現れていた。
特攻隊長とあだ名される通り、その場の感情の勢いで突発的な行動に出てしまう大輔は、頭の中では分かっているつもりでも、
この状態になるとすっかり感情に振り回されてしまい、完全にまわりが見えなくなってしまう。通信簿でも落ち着きがありませんと書かれる理由はここにある。
こうやって目の前で自分の大切な人たちが危険にさらされているという状況下になると、居ても立ってもいられず飛び出してしまう。
自分の絆の中に入れてしまった人間に対して、非常に義理堅い性格であるが故の大輔の行動だが、
太一と違って全てを内包せずに一つのことに一直線になってしまう点、守りたいと考えているみんな、の中に自分がすっぽりと抜け落ちてしまっている点、
そしてなによりも守るために必要な力もなければ、自分が出来ることをはっきりと自覚出来ていないという点で、今ここではそれは単なる無謀であり、
やがて彼が尊敬する先輩から引き継ぐことになる勇気とは到底言えるものではない。最もこれは彼が憧れている太一と同様に陥りやすい状態である。
太一と大輔で大きく違うのは、やはり年齢と兄と弟という立場による理性の作用の仕方である。
あくまでも現段階で大輔がその勇気と似た行動を冷静なカタチで行うことができるのは、
自分のことを見ていてくれる保護者的な立場の人間がいるという安心感、心の余裕があってこそ発揮されるものであり、
その存在を排除されてしまった今、非常にそれは不安定なものでしかなかった。そういう点で、まだ大輔という少年は幼すぎた。

唯一の幸運は、やがて成長していく中で、彼の持つ危うさを止めることができる人間がいなくなってしまうかもしれないが、
現段階に置いて彼はまだ小学校2年生であり、まだ止めることができる友人が丁度側にいることだった。

「大輔君、おちついてーっ!もんざえモンは完全体なんだよ?すっごく強いんだよ?
ブイモンもパタモンもまだ進化できないんだよ?一人でいっちゃ駄目!捕まっちゃうよ!
大輔君まで捕まっちゃったら、僕どうしたらいいのか分かんないよおっ!」

「そうだよ、大輔え、しんこきゅーしんこきゅー。どお?落ち着いた?」

「…………わっり、ちょっと頭ん中真っ白になって」

「風船10こだったから、誰かまだ捕まってないはずだよな?大輔。探そう、そんで合流するんだ、きっと近くにいるよ」

「はああ、よかったー」

「ごめんなー、タケル。俺、かってなると自分でもなにしてんだか、解んなくなっちまう時があってさ。
止めてくれてありがとな」

「うん、いいよ、また止めてあげる。でもね、大輔君、僕もパタモンも頑張るから、一人ぼっちでがんばらないでよ、友達でしょ?」

「・・・・・・・・・・・」

「え?どうしたの、大輔君」

「………なあ、タケル」

「なに?」

「友達だったら、相談してもいいんだっけ?それって甘えてることにならないんだっけ?」

「あたりまえだよ!友達って、えーっと、なんだっけ、たいとーでびょうどーなんでしょ?
なんかあったら一緒に頑張るのが友達なんだって先生いってたよ」

「あー、そっか。忘れてた。俺とタケルは友達だから、相談してもいいんだ」

「そうだよ!」

タケルは嬉しくなって大きく頷いた。
大輔は、たった今目がさめたような顔をした。上ばかり見ていて、背伸びすることばかり考えていたせいで、まわりを見ることをすっかり忘れてしまっていた。
本宮大輔には、高石タケルという友達と、そのパートナーのパタモンと、運命共同体であるブイモンというパートナーがいるではないか。
がんばろうな、と大輔は自然と笑顔になっていた。


さあ、3人目の救出隊を探しに行こう。



[26350] 第十二話 ちびっ子探険隊 その3
Name: 若州◆e61dab95 ID:db010904
Date: 2011/03/21 01:36
なんでお日様が雲の間から顔を出してくれないんだろう、ミミのこと嫌いなのかなあ、とミミは内心ショックを受けていた。
一瞬でもいいから、お願いだから、なんとかぽかぽかのお日様のヒカリが浴びたいと心の底からお祈りしてみるが、
一切状況に変化はない。ミミ、ミミ、呼んでる、とパートナーデジモンの声が聞こえてきて、一気に現実に戻されてしまう。
なーに、パルモン、とミミはいう。ヌメモンが呼んでるわよ、と言われたミミは、大きく首を振ったのだった。
ただいま、曇天である。

「ねえねえ、お姉ちゃん、オレとデートしなあい?」

「いーやーよっ!ぜーったい、いやああっ!なんでアンタみたいな汚ったないのとデートしなくっちゃいけないのよーっ!」

「きっついこというお姉ちゃんだなあ、いくらオレでも傷つくぜえ」

「ホントのこと言ってなにが悪いの?きゃーっ!だから、こっちこないでよおおっ!パルモン助けてええ!」

「ミミー、たしかにヌメモンは嫌われ者だけど、さすがに言い過ぎじゃない?って、私を盾にしないでよおおっ!」

「アンタも言ってること変わんないぜえ」

気持ち悪い、気持ち悪い、気持ち悪い!
全身鳥肌がたってしまい、ミミはしっかり脳裏に焼き付いてしまったヌメモンの姿を全力で頭の中から追い出すべく、
全身を使って全力でヌメモンからのデートのお誘いを拒絶していた。
がっくりと項垂れて下を向かれると、ほんの少しだけ言い過ぎたかなあ、と良心が咎めるものの、
そのナメクジみたいな体が視界に入ってしまうだけで、生理的嫌悪感がちっぽけな良心の呵責など踏みつぶしてしまうくらい、
圧倒的なまでに押し寄せてきてしまう。
目を閉じればなんとかなるかもしれない、と頑張ってみようかと思ったが、うっかり視線があってしまい、
ヌメモンがミミ視点で、ぐふふといやらしい笑みを浮かべてしまうものだから、たまったものではなかった。
さっきからやたらとミミをデートに誘ってくるこの不届き者のことだ。
目をとじている無防備な美少女を前にして何をしでかすか分からない。
もし目の前に現れて、その視点があっていない大きな目玉がこっち見てたらどうしよう。
そのヘドロの塊みたいな濁った緑色の手が、ミミの大好きなお洋服に触れようとしていたらどうしよう、
もしかしたら手を握ろうとするかもしれない。想像するだけで、もう二度とお嫁に行けなくなったらどうしよう、と暴走する思考は止まらない。
それともその無駄に真っ白で歯並びのいい大きな口を開けて、真っ赤な舌をだらりと垂らしながら、唾を飛ばすくらいの至近距離で、
き、き、キスされてしまうかもしれない!冗談じゃない、こっちは大好きな人にファーストキスはあげるんだと決めているのだ、
こんな気持ち悪いヌメモンなんかにあげてたまるもんですか!とパニック状態の中でも被害妄想と自意識過剰が同居している状態で、
ミミの頭の中では満場一致でヌメモンに対する態度を一切変更しないことが即決された。同情の余地はない。
たとえ、ヌメモンのおかげで、もんざえモンから逃げられた、という確固とした事実が存在しており、
ヌメモンがお礼としてご褒美を要求する権利があるということを、ミミ自身が心の何処かで納得している部分があるとしても、だ。

「た、助けてくれたのは、ありがとう、ヌメモン」

すでに泣きそうな声である。泣きそうな顔である。ヌメモンのヌの字も口にしたくはないが、だからといってお礼を口にしないのはダメだ。
感謝の気持ちを伝えないのは、女の子にとって一番しちゃいけないことだとママやパパから言われているのだ。
別にヌメモンを見直したとか、そういうわけじゃなくて、ただ言わなかったら言わなかったでミミがミミじゃなくなる気がしたから、
ミミは口に出していた。
ヌメモンからすれば、ツンドラ状態の女の子がデレたようにしか見えない。都合のいい脳内補正である。
おおお!と声が上がって、ミミとパルモンはひい、と一歩下がった。

「じゃ、じゃあオレとでいとしてくれる?」

「それとこれとは話が別なのーっ!お願いだから、かんべんしてえっ!」

なんでこんなことになっちゃったんだろう、とミミは思いっきり口にだしながら、はああ、とその場に項垂れたのだった。
ミミは回想する。もとはといえば、大輔たちがタケル達を怒らせて追いかけっこを始めたまま、何時まで経っても帰って来ないのが始まりだった。
そのうち帰ってくるだろう、という暗黙の了解とも言える判断のもと、ずーっとその場で待ち続けることになった子供たちは、
誰が言い始めたかは知らないが、しりとりをして時間を潰そうと言うことになったのだ。
デジモン達も混じって始めたのだが、この世界にあるデジモン達しか知らない場所やアイテムの名前、食べ物の名前を出されては、
いちいち本当に存在するかどうかを確認するため、なかなか先に進まない。
それはデジモン達からみてもそうだったらしい。解説の応酬が続き、やがてグダグダになってしまった。
デジモン達は名称に必ず「モン」がつくというどうでもいい法則性が発見された頃、いたたまれない沈黙があたりを支配し始めたため、
太一の提案で、意外とアグモンたちがカラオケに入っているような歌や流行歌を知っていることに気付いたため、
仕切りなおしということで歌詞のワンフレーズでしりとりをすることになったのだ。
これは意外と続いたのだが、漂流生活2日目を数え始めた中、しかも気を使わなくてはいけない最年少組が不在であるという状況、
ずーっと元の世界の歌を歌っていたせいで、ついつい子供たちは元の世界のことが無性に懐かしくなってしまい、
ホームシック状態になってしまった。そして、もし今家に帰れたら、まず最初に何がしたいか、という話題で盛り上がったのだ。
きっと大輔たちがいたら、そんなことをみんなで話し合えるような雰囲気にはならなかっただろう。
家族や友達に会いたいと思っているのはみんな同じだが、二人は1番小さいし、しかも揃ってそういうことを一切口にせず
ずーっと頑張っているのである。一番小さい二人が我慢しているような状況で、誰がその手の話題を口にできるというのだろうか。
そういうわけで、無意識のうちに我慢していたこの手の話題は暗い方向にはいかず、和気藹々と進んだ。
洗濯、お風呂、学校の宿題、友達へのメール、と来て、ヤマトがサマーキャンプでお昼を食べそこねた上に、
こっちの世界に来てからお腹いっぱいご飯を食べられない状況が続いていることを反映してか、焼肉が食べたいと言い始めた。
そこから食べ物の話題に移行して、ミミも冷たいコーラが飲みたい。赤いパッケージの赤いのじゃなくて、ビンのやつ!と
思い浮かべていた頃、この横にいるヌメモンたちに襲われたのだ。
大輔達は心配だが、ヌメモンの攻撃を食らってまで待ち続けられるほど、子供たちは我慢強くない。
そういうわけで、ヌメモンたちにずーっと追いかけられて、下水道から外に出て、ずーっと走った子供たちとデジモン達は、
たくさんの自動販売機があるところに隠れて、なんとか逃げ延びたのである。
走り続けたらのどが渇くのは当たり前の現象だ。目の前には自動販売機がある。ミミは我慢できなかった。
今まで水しか口にすることができなかった上に、ついさっきまでコーラのことを想像していたのも拍車をかけていた。
そしたら、その自動販売機の中の人が飛び出してきたのである。それが、この隣にいるヌメモンだった。あってはならない邂逅である。
クラスで1番可愛いと言われるほど容姿に恵まれていて、可愛いをずっと努力し続けているミミが、
生まれて初めて可愛いという賛辞と一目惚れしたという告白、そしてデートのお誘いという、
元の世界でクラスメートの男の子から言われたら、ちょっとドキドキするような一連のコンボを一切迷うことなく拒絶した
記念すべき瞬間であった。同時に災難の再来でもあった。
その言葉に怒ったヌメモンが仲間たちに号令を掛け、自動販売機からたくさん現れたヌメモン達、
しかもさっき逃げ切ったはずのヌメモンたちまで呼び出してしまい、さっきとは比べものにならないヌメモンたちが太一達に襲いかかったのである。
太一の提案で3手に別れたはいいものの、逃げるのに必死で一緒に逃げてきたはずの太一とはぐれてしまったミミとパルモンは、
もんざえモンというデジモンと出会ったが、目からビームで攻撃された。
ようこそ、いらっしゃいました、ゆっくりお楽しみください、と満面の笑みで言われたが、えぐれた地面を前にして、
はいそうですか、と言えるわけもなく、必死で逃げ回っていたところを、このヌメモンに助けられたというわけだ。

これからどうしよう、パルモン、とパートナーデジモンに聞きながら、おそるおそるもんざえモンがいないかどうか確認するため、
ミミはそっと堀の中から顔を出す。お気に入りのテンガロンハットが長い髪を落とさないように、深く深くかぶったままで。
ぐるりとあたりを探してみたが、さっきの大きな黄色いぬいぐるみの姿はどこにもなかった。
いないわね、と伸縮自在な足でミミの視界と同じくらいの高さになっているパルモンが言うので、頷いた。
太一達はヌメモンの大群から逃げ切れただろうか。もんざえモンに襲われていないだろうか。
いろいろ不安はよぎるものの、ミミとパルモンはまだ進化することができない組の一人である。
完全体相手に成長期のパルモンが太刀打ちできるとは思えないため、初めから助けなければいけないという選択肢自体生まれていない。
まだこの時ミミは、自分以外の子供たちに起こっていること、そして自分の置かれた状況を何一つ知らないままだった。
そして、なんとなく空を見上げたパルモンとミミは、見慣れた姿を見て、思わず顔を見合わせたのだった。

「パタモンだわ、ミミ!」

「タケル君と大輔君ね!無事だったんだわ!」

そういえば、ヌメモンに追いかけられ、もんざえモンに追いかけられ、という怒涛の展開ですっかり忘れてしまっていたが、
離れてしまった最年少コンビはどうやら無事らしい。下水道のもとですれ違いの待ちぼうけという最悪の事態はまぬがれた。
パルモンしかいない、という状況よりは、一人でも多くの子供達と早く合流したほうがいいのは一目瞭然である。
年下の男の子だって男の子にはかわりない。一人と一匹ぼっちでいるよりはずーっと心強いはずだ。
それに、タケルや大輔達はきっとミミたちになにがあったか知らないはずである。
唯一そのときのことを全部知っているのはミミとパルモンだけである。早く会いにかなくちゃ、とミミ達は堀を乗り越えて走ったのだった。
背後から、待ってくれよ、お姉ちゃんたちーというおっそろしい声が聞こえていた気がするが、気のせい気のせいとミミとパルモンは、
意識の中からそのおぞましい存在を全力でスルーすることにしたのだった。
これが太刀川ミミという可愛い女の子が、何故か気持ちの悪いデジモンから異様に好かれて、モテモテである、という
本人からすれば気絶ものの事実が判明した瞬間である。もちろんこの時まだミミは、自分の恐るべき体質について知るはずもなかった。





第十二話 ちびっ子探険隊 その3





大輔達はミミ達と合流して、おもちゃの街に行く道中でお互いに遭遇した事について、簡単に話し合った。
結果的にどうしようもなかったとはいえ、大輔達を置き去りにする形で下水道のトンネルから脱出してしまったこと、
ヌメモンたちが大軍勢になって押し寄せてきたのは、ミミがなにが入っているか分からない自動販売機に手を出した挙句、
曇であるという状況を忘れてヌメモンを怒らせてしまったからであるということを包み隠さず打ち明けたミミは、
ごめんね、と素直に謝罪した。
言いたいことはついついオブラートに隠すことを忘れて、ずばずばとはっきりいってしまう性質のミミであるが、
裏をかえせば隠し事をするのは得意じゃない、とばかりにさっぱりと打ち明けてしまえる竹を割ったような、
からりとした性格と言えた。
ミミからの包み隠さない告白に、ある程度太一達に起こったことを探偵ごっことも言える推理に近い行動で把握していた大輔達は、
今まで憶測に過ぎなかったことを答え合わせする形で、ミミから直接事情を聞くことが出来たので、あっさりと頷いた。
そもそもちょっかいをかけた大輔達やタケル達が怒って追いかけっこを始めることで、太一達が待ちぼうけを食らうはめになった訳であり、
どちらが悪いのかを追求するということは良くないことだとみんな分かっている。
自分たちのことだけ棚にあげてケンカするのは、良くないことだとみんな知っていた。
何よりも、おもちゃの街に行くまで、ずーっと後ろから一定の距離を置いて付いてくる、ストーカーと化しているヌメモンと
付いてこないでと必死で逃げ惑うミミとパルモンを目の前で目撃してしまった以上、嫌というほど彼女たちの心境が理解できた。
これは逃げる。だれだって逃げる。こんなやつに好かれちゃってかわいそうなミミさん、綺麗な人って大変なんだ、というレッテルが
同情めいた視線と共に貼られていることに気づかないまま、ミミ達はおもちゃの街にやってきたのだった。
太一達が捕まっているという大輔達の目撃情報に、さすがのミミもパルモンもおどろいたようだ。 
ブイモンもパルモンもパタモンも、誰一人として進化を経験しているデジモンがいないのが、
完全体のもんざえモンに立ち向かうには戦力的に考えるとあまりにも致命的なのは明白だったが、
ここでずっと考えていてもしょうが無いから、おもちゃの街にいってみようとミミが提案したのである。
この中で1番年上はミミである。それにもんざえモンが実際に攻撃するところを唯一目撃したのもミミとパルモンであり、
彼女たちがその経験も踏まえて提案している以上、これ以上の説得力はなかったし、いい作戦が浮かぶわけでもなかったから、
タケルもパタモンも素直に受け入れることが出来たのだった。

まるで遊園地のような街だった。一番高い場所には三角柱の赤い屋根と大きな窓をいくつも持った、白いお城が立っている。
観覧車やジェットコースター、メリーゴーランド、といった様々なアトラクションがここからでも見えるし、
西洋風の素敵な街並みを再現した通りが大輔たちを待っていた。いろんな色の風船が空に上っていくのが見える。
状況が状況でなければ、わくわくする光景だったのかもしれない。子供たちだけではめったに来れない場所である。
しかし、大輔は不気味で仕方なかった。静寂に包まれた遊園地は、放課後忘れ物をして警備員さんにお願いして門を開けてもらい、
職員室の先生にくっついて教室にいくまでに、嫌というほど味わった夜の学校とよく似ていた。
本来、遊園地も学校もたくさん人がいる場所である。いろんな音や人の声で溢れていて、自分以外の存在がたくさん感じられる場所である。
とりわけ遊園地は華やかで楽しい場所というイメージが有るせいか、想像したことがない開店前の遊園地を見ているようで、
自分の知っている遊園地ではない雰囲気と風景にどうしようもない違和感と恐怖を感じてしまうのかもしれなかった。
7色の鮮やかな色彩でWELCOMEと大きく書かれた看板が、しましまのアーチのど真ん中に立っている。

「なーにが、welcome!よ!」

ミミは怒っていた。

「「う、うえる?」」

なんだろう、それ、とテレビや漫画で言葉を見たことはあるけれども、イマイチ意味を理解していないタケルと大輔は首をかしげた。
もちろんデジモン達が知っているはずもなく、自然とミミに視線が向いていく。
小学校4年生のミミは学校の授業で、英語に慣れ親しむという名目で、簡単な英単語や英語の歌という言葉の学習をすでに始めている。
それに、ミミの両親は外国のものが大好きで、外国の歌やミュージシャンが大好きだったから、ミミのまわりはいつも英語で溢れていた。
そのため、ちょっとだけ普通の小学生よりも英語の発音が上手なミミの言葉は、聞き取れなかったようである。
ミミはふふと笑って、日本人らしい発音に変えて説明してくれた。

「うえるかむ、っていうの。英語でね、ようこそ!とか、歓迎します!っていう意味の言葉なの。
なーにが、ようこそ、歓迎します!よ。アタシのお友達をひどい目に合わせてるくせに、許せない」

なるほど、と大輔達は頷いて、大いにミミの意見に同意した。
ますます遊園地という楽しい場所であるはずのこの街が、どこか殺伐としている場所に見えてきて、
みんな緊張感を新たにおもちゃの街に進んでいったのだった。

どこかの牢屋に閉じ込められているのではないか、という大輔達の心配はすぐに解消されることになった。
捕まっていたはずの子供たちはみんな、元気に街中を走りまわっているのである。
ほっとした大輔達は早速走ってきた太一に声をかけようとしたのだが、満面の笑みを浮かべながら、
太一は3人と3匹の様子が見えないのかスルーしてしまった。大輔の空を切った右手が虚しく置き去りにされる。
驚いて何度も名前を読んでみるが、楽しいのだという不自然なまでの棒読みと共に笑顔が走り去っていく。
太一の後ろには大きな列車が追いかけっこするように走っていて、あっという間に見えなくなってしまった。
全然楽しそうじゃない。名前を読んでも、やっと会えたのに無視された。まるで感情が亡くなったみたい。
おかしすぎる現象に見舞われているのは太一だけではなかった。
ヤマトも、丈も、空も、光子郎も、みんな大きな玩具に追いかけられながら、おっかけっこを楽しむ言葉を口にしているが、
そこには全く感情が伴っておらず、むりやり笑わされて、むりやり言わされているような印象しか受けない。
はっきりいって異常事態だとしか言いようがなかった。みんな大輔たちのことを透明人間であるかのように無視するのである。
お兄ちゃん、と泣きそうな顔でその背中を見送ったタケルに、ミミは優しく頭を撫でてはげました。
絶対に何かあったんだ、太一さんたちがこんなことするわけ無いだろ、と大輔が不安をかき消すように言うので、頷く。
薄ら寒い感覚に顔を見合わせていた大輔達は、本来一緒にいるはずのパートナーデジモンたちがいないことに気づく。
色とりどりの街並みが眩しい中、どんどん進んでいくと広場のような場所に出た。
そして、ある家を通りすぎようとしたとき、大きな物音が聞こえて一行は足を止めて窓をのぞいた。
見つけたのは大きな大きな宝箱。なんとアグモン達が中に閉じ込められていたのである。
無理やり開けようとしたが、大きな錠が掛けられており、子供たちやデジモン達の力では空きそうもない。
カギはもんざえモンが持っているため、もんざえモンを倒して、カギを何とかして取ってくるかしか方法はない、と
アグモン達はとんでもないことを宣言した。えええっ、とさすがに大輔達は声を上げた。
無理よ、どうやってたおせっていうの!というミミの悲鳴が響いたのである。

その時である。どすん、どすん、という大きな足音が響いてきたのは。

「ようこそ、いらっしゃいました。ここはおもちゃの街、どうぞごゆっくり楽しんでいってください」

ぎぎぎぎぎ、と壊れてしまった機械のように、おそるおそるアーチを描く大きな窓をのぞいた一行は、
Hello!とばかりににっこりと笑う赤いひとみとバッチリ目があってしまう。黄色いぬいぐるみの顔が鏡全体に映し出されていた。
こんにちは、初めまして、アタシのトラウマ。出来れば会いたくなかったです。
両手いっぱいに、クマの形をしたいろんな色の風船を携えたもんざえモンが、窓からこちらを覗いていることに気付いたミミは、
いやあああああっ!と力いっぱいに叫んだ。逃げるんだ!という宝箱からの声に我に返ったミミ達は、一目散に逃げ出した。
もうすっかり3人にとってくまのぬいぐるみは、トラウマ以外の何者でもなくなっていた。
どうしよう、アタシのお部屋にあるくまちゃん気に入ってたのに、もう一緒にだっこして寝れない。
両親がプレゼントしてくれた大切な思い出を、恐怖の光景がすっかり上書きしてしまい、もう可愛らしいとは連想できなくなってしまった。
ミミは走りながら、もんざえモンに叫んだ。

「あなた、おもちゃの街の町長さんなんでしょ!なんでアタシの友達をひどい目に合わせるのよっ?!」

「ひどい目に合わせているのは、皆さんのほうでしょう?おもちゃを買ってもらっても、あきたらすぐに捨ててしまう。
そんな子供たちが許せないのです。だから、そんな悪い子には、感情を奪っておもちゃのおもちゃになってもらいました。
もちろん、みなさんにもなってもらいましょう。寂しくないですよ、みんな一緒ですから」

「ひどい……みんな、おもちゃに遊ばれてたのね。アタシはお友達やママたちからもらったおもちゃはずーと大切にしてるわ!
勝手に決めないでよ!」

「そうだよ!僕もおもちゃは大事にしてるよ!お兄ちゃんとまた一緒に遊ぶために大事にしてるんだ!」

「お、俺も大事にしてるよ!」

「みんなそういうんですよ」

もんざえモンから放たれた風船が、ふわふわと空を飛んでいく。そして、舞い上がったもんざえモンの真っ赤な目から、
ビームが通路を直撃した。粉塵があがる。轟音と爆発音に吹っ飛ばされそうになりながら、もんざえモンから逃れるべく、
一行は距離をとった。

「………無くしたり、壊しちゃったりするけど」

「「大輔くーん!!」」

小声でつぶやかれた大輔の言葉に、すかさず二人はツッコミを入れた。なんて正直な子なのだ、わざわざこんな時に口に出さなくてもいいのに!
せめて心のなかでつぶやいて欲しかったと思いつつ、振り返ってみるが状況は変わらない。
どのみち、子どもたちの言葉には耳を傾けようとしないもんざえモンには、ミミ達の言葉は責任逃れの嘘にしか聞こえないだろう。

パタモンのエアショットが炸裂するが、なぎ払うように振り回される大きな腕に叩きつけられ、
パタモンが吹っ飛ばされてしまう。
危うく地面にたたきつけられるところだったパタモンを、なんとかタケルが受け止める。
かばうように前に出たパルモンが、大きく広げた両手からツタを伸ばしてその大きな腕を受け止める。
そして、ブイモンがその足止めの間にブイモンヘッドで攻撃するものの、成長期と完全体の差はやはり大きいらしく、
もんざえモンは微動だにしない。
まるでゴミでも払うように片手で払われてしまったパルモンは、そのツタを掴まれて、そのまま投げられてしまう。
ブイモンも何度か攻撃してみるが、その大きな巨体に潰されそうになり距離をとるしか方法がなくなってしまう。
このままではブイモンがぺったんこに潰されてしまうと危機感を感じた大輔は、慌ててこっちに逃げるように手招きする。
悔しそうに後退したブイモン目がけて、もんざえモンが再び真っ赤な目から、ビームを発射した。
豪快に破壊されていく道路から追い立てられるように、一行は慌てて走りだした。
もう、いやあ!どうやって倒せっていうのよーっ!と叫ぶミミに、大輔は何とかしないとダメだ、と思い始めていた。
どうする、と問いかけようとした友人の姿がない。追いついたブイモンに大輔はタケルの姿がないことを口にする。
嘘!とミミもパルモンも立ち止まって、まさか、と振り返った。
パタモンが、タケルーっと声を上げた。うわっと石につまづいてこけてしまったタケルの後ろに、もんざえモンが迫る。
あわててかけ出した大輔が立ち上がりかけていたタケルに手を伸ばし、助け起こすと同時にえぐれる地面から飛び退いた。
幸い直撃はまぬがれたものの、半ばかばう形で倒れこんだ大輔たちが立ち上がるには時間がなさすぎた。

「大輔君、タケル君!」

「どうしょう、ミミ!」

「パルモン、早く大輔君達をこっちに連れてきて!」

収縮自在なパルモンのツタのように操れる手ならば、なんとかなるのではないか、と希望を託したミミの声。
とっさに長く伸ばされたツタが二人に向かうが、パルモンは、駄目、間に合わない!と叫んだ。
その時である。

「おうううれに、まっかせとけー!」

どこからともなく、大きな声が響いた。なんでこんなときに!と思わずミミは引きつるが、目の前に現れたヌメモンたちが
ミミたち、大輔たちをかばうようにもんざえモンの前に立ちはだかる。

「いっけー!」

ヌメモンの号令で、たくさんのヌメモン達が攻撃し始める。
その隙をついて、何とか大輔達はパルモンのおかげでミミたちの所に合流することが出来た。
大丈夫、大輔―っとブイモンが飛んでくる。大丈夫大丈夫、怪我なんてしてねえよ、と大輔は心配性の相棒に笑いかける。
パタモンもタケルに抱きついて、無事でよかったとすがりついてくる。パタモンを抱きしめながら、タケルは大輔にお礼を言った。
いいって、気にすんなよと笑った大輔は、友達のことを気づかせてくれたお礼だから、とタケルにはよく分からない返答をする。
パルモンにお礼を言う二人だったが、庇ってくれているヌメモンたちがつぎつぎと投げ飛ばされていく。
気持ち悪い、という理由でずっと拒み続けていたあのヌメモンが、ミミたちのためにたくさんの仲間達を呼びに来てくれたのだ。
そして、自分の身を呈して助けてくれているではないか。
しかし、無常にももんざえモンの青いハートマークの風船がたくさん現れ、ヌメモンたちを捕まえていく。
その勇敢な姿に煽られる形で、自分たちも何とかしなくちゃいけない、逃げ出すばっかりじゃいけないのだ、と感じた
ミミとパルモンが頷いたとき、ミミのデジヴァイスが反応した。

デジモンデータ
レベル:成熟期
種族:植物型
大きなサボテンの形をしたデジモン。体内に栄養のデータをセーブすることができ、砂漠でも生きることができる。
グローブをはめていて、バトルのときにはここからトゲが飛び出すぞ。
のんびり屋で、一日中ボーッとしていることが多いが、一度怒ると暴走し、顔つきまで変わってしまう。そうなると、もう誰も手をつけられない。
必殺技は、拳のトゲを普段より硬く変化させ、敵をバンバン殴るチクチクバンバンだ。

「パルモン……ううん、トゲモン、がんばってー!」

ミミの声援を一心に受け、もんざえモンに真っ向勝負を挑んだトゲモンと、もんざえモンの壮絶な殴り合いが始まる。
パワーではやはり不利なトゲモンが押され始めるが、トゲモンの必殺技が炸裂し、無数の鋭い針がもんざえモンを襲う。
視界不良となった攻撃を跳ね返すべく、目からビームを発射しようとしたもんざえモン。
その隙をついて、豪快なアッパーカットが炸裂した。中を飛んだもんざえモンの背中にあるチャックに何かが覗いていた。
黒い歯車である。すかさずトゲモンのパンチがそこに炸裂し、見事破壊された黒い歯車から解放されたもんざえモンは、
そのまま地面に沈んだのだった。

トゲモンがパルモンに退化する。
そして、黒い歯車におもちゃを思う気持ちを利用され、操られていたと語るもんざえモンのおかげで、
アグモン達は無事に宝箱から解放され、おもちゃのおもちゃにされていた子供たちは無事に元に戻る事になった。
いつもは守られる側である3人と3匹の活躍、特にミミの頑張りを聞いた子供たちが大いに感謝したのは言うまでもない。
今回の騒動のお詫びに、今夜一泊泊まっていくようにと言われた一行が大喜びするさなか、
お礼にデートしてくれと現れたヌメモンにミミとパルモンが再び追い掛け回されることになるのは、別の話である。



[26350] 第十三話 そしてはじまる幸福論
Name: 若州◆e61dab95 ID:81b13f60
Date: 2011/03/22 19:55
ほら、と促されるがまま、大輔は右足のジーパンを引き上げた。現れたのは、うわー、と言いたくなるような傷である。
厚手の布地が激しく肌にこすれたために出来上がったそれは、足の皮膚がめくれ上がっている。
そして擦り傷のような箇所がたくさんできており、明らかに前のめりになって豪快に転んだ上に、そのまま痛みをこらえて右にずれ、
そして無理やり体を動かしたがために、余計に布地がケガをしている箇所を傷つけてしまったのが明白だった。
しかし、スポーツをやっている大輔には日常茶飯事のケガであるためか、本人はいたってあっけらかんとしていた。
ケガをして痛いのは事実だが、これくらい別にヘッチャラなほど大輔は痛みに慣れっこになっている。
その証拠に、大輔の手足は実際、あっちこっちにカサブタや傷が治ってめくれがっている場所があちこちにある。
子供は風の子元気な子とはよくいったもので、遊びに行ってくる、と出かけてはしょっちゅうどこかしらケガをして帰ってくる息子に、
また服を汚したり穴をあけてきたりして、と半ばあきらめ気味な顔で母親は叱るのだ。
成長期である子供は新しく服を買ってもすぐに小さくなってしまうが、大輔のようなやんちゃ坊主がいる家庭では、
服がだめになる頻度が同じ年の娘を持つ一般家庭の2倍はサイクルが早いのだ。母親の愚痴もうなずけると言える。
怪我の多さは男の勲章、といってはその母親から父親は大輔を庇っては、一緒にサッカーをしようとかキャッチボールをしようとか言って、
たまに帰ってくる休みの日は誘ってくれるのだ。そんな父親も、なんだかんだいって救急箱片手に世話を焼いてくれる母親も大輔は大好きだった。
なんとなく、救急箱やソーイングセットをこの世界に持ってきていた空に世話を焼かれている大輔は、なんとなく両親のことを思い出していた。
いつも母親がやっているように、大輔はジーパンの袖を内側に大きく食い込ませてずれないようにしながら、持っている。
どれくらいひどいケガなのかむしろ気になってしまい、ついつい自分の膝に前のめりになってしまうが、
空に影になって見えないからじっとしていろ、とやんわり押し返されてしまう。
はーい、とおとなしく頷いた大輔は言われるがまま、空がポートの中から取り出したウエットポケットティッシュで、
すでに乾きつつある血を拭っているのを眺めているしかない。
退屈である。そわそわしていると、動くなとピシャリと言われてしまう。思わず肩をすくめた大輔は、ごめんなさーいと口にした。

「空さん、もう血止まってるんだし、いいんじゃないっすか?」

早く動きたくてうずうずしている大輔に、はあ、とため息を付いた空はゴミ袋にウエットティッシュを突っ込みながら、
消毒液を探しつついう。

「ダメよ、じっとしてて」

取り付く暇もない。おかしいなあ、と大輔は思った。いつになく真面目な空である。
大輔が実はもんざえモンの攻撃を避けるときに、ほとんどスライディングのような形でタケルを巻き込んで倒れたせいで、
右足にケガをしていて、もしこれがバレたらタケルがまた余計なこと気にして悩むから、めんどくさいから黙ってよう、と
こっそり秘密にしていたのにバレてしまったときは、相当怒られたことを思い出して、つばを飲み込んだ。
サッカー部の活動をしていた頃の空だったなら、きっと太一と同じように、名誉の負傷だとかほっとけば治るとか、男の子なんだからなかないの、
とかなかなか豪快なことを言って笑い飛ばすに決まっているのに。
最近はめっきり空はサッカー部の活動に顔を出さなくなっていた。たまに現れても見に来ただけだとか、まだ本調子じゃないから、とか
いろいろ理由を付けて、結局サッカー部の全員が待ち望んでいるはずのツートップの武之内空復活をずっと先延ばしにしている。
マネージャーの真似事をしているのを見たときは、マネージャーをやっている女子も含めて驚いてしまったものだ。
もしかして、ケガをしているのに無理をして大会に出たのに、結局負けてしまったことを気にしているから、
大輔がケガを黙っていたことに異様なほど過敏に反応してしまったのかもしれない。
ちょっと悪いことをしてしまったのかもしれない、と思った大輔はようやく空の治療の妨げにならないよう大人しくなった。
空がみんなにケガを黙っていたことはショックだったし、実際それが原因で空がサッカー部に居づらい雰囲気ができてしまった時期はあるが、
空のサッカーに賭ける想いは感じていたし、ろくな治療をしなかったせいでギブスまではめる事態にまで病状が悪化していたことを知った以上、
もうサッカー部には空の無責任を糾弾するようなバカはいない。和解は済んでいるし、空も気にしていないと笑っていたのを大輔は間近で見ていた。
今ではコーチからも復帰を促すような呼び出しを空が受けていることも、サッカー部の中では暗黙の了解として存在している。
でも、が続いてだいぶ長いこと経ってしまった。空のやついつまで休んでんのかなー、と無期限休止状態の相棒を寂しそうに見ている太一を大輔は知っている。
空が寂しそうにサッカーの練習を観ているのを目撃したときは、なんでだろう、という疑問は尽きなかったが、2年生チームを担当しているコーチから、
いろいろあるんだよ、放っておいてやれ、と直々に注意されてしまったため、空に対してその話題はNGと化している。
この世界でも言えるわけがなかった。

「この世界はどんな世界なのか全然わからないんだから、ちゃんと消毒しておかなきゃ。
もし私たちの世界には無いバイキンとか、病気とかあったらどうするの?
ずーっとほっといたら、大輔くんの足、腐って取れちゃうかもしれないでしょ?
そうなったら、もう2度とサッカー出来なくなるのよ?それでもいいの?」

そのサッカーという言葉の前に、ちょっと前の空ならばきっと「私たちと」を付けてくれたはずなのである。
ちょっとした違いに気づいてしまえるほど、大輔はずっと太一と空というお台場小学校サッカー部のツートップだった
2人を見つめ続けてきた。目標とし続けてきた。もちろんサッカーが大好きでずっと頑張っているけれども、
いつか同じ背番号のユニフォームが着れることを夢みて、大輔に任せたと言ってもらえるようになるまで頑張っていた。
そのうち一人がサッカーから離れようとしている気配を感じてしまう。やめないで欲しいと言えない歯がゆさと寂しさで、どうしても無力さを感じてしまう。
大輔は空が口にした大げさすぎる脅し文句にも似た喩え話、とは微妙にずれたところに反応して、それは嫌っす!と慌てて首を振ったのだった。
てっきり大げさすぎる言葉に反応しての事だと思ったらしい空は、おかしそうに笑ったのだった。

「ならじっとしてるの!こら、うごかない!」

落ち着きのないサッカー部の後輩目がけて、容赦なく空は消毒液を噴きかける。
じんじんとした痛みが広がり、空気に当てられてひんやりとするせいで余計に痛さがましてしまう。
痛いという言葉が声にならずに悶絶に変わり、思わず顔を歪めた大輔に、今度こそ空は声を上げて笑うのだった。
やがて、包帯や湿布をしたとしてもあっという間に取れてしまうことを知っている空により、
傷口が空気に直接触れないように、粉状の粉末剤がかけられるスプレーをかけられることで、
大輔は再び声にならない悲鳴をあげることになるのだが、それはまた別の話だ。

「男の子っていいわよねえ。私も男の子になりたかったなあ」

ぽつり、とつぶやかれた言葉に、大輔は思わずえ?と聞き返したのだが、なーんでもない、と苦笑いされてしまう。
空はボーイッシュな恰好を好んでいるためか、制服が存在せず私服通学のお台場小学校において、
大輔はスカート姿を見たことがない。男の子の恰好ばかりの空である。
男の子になりたいという言葉に何ら疑問点はないが、わざわざそれを口にすることの物珍しさに大輔は反応した。
結局何一つ空に声を掛けられないまま、大輔は空にぽんと肩を叩かれて、ハイおしまいと言われてしまったのだった。
個人的には、お姉ちゃんとして慕っている空が本当に男の子になってしまったら、大輔はちょっと困ってしまう。
頭の中でついつい想像してしまう好奇心旺盛な想像力を慌てて頭を振ることで防止したのだった。



第十四話 そしてはじまる幸福論



いつもならば胡座をかく所だが、ケガを黙っていたことと我慢していたことにご立腹の空に、散々傷口を消毒液攻撃でいじめられたせいで無理である。
しかも、一人で悩まず頼れよ、というお墨付きを直々に与えたにもかかわらず、素直に泣きつかなかったことに対して先輩のプライドを酷く傷つけられた太一、
痛くない!と強行なまでに主張する強情な友人に対する意匠返し、かつ見たこともない大怪我に興味津々のタケルによって、
黄色い粉末が乾くまでちょんちょんとつつかれたせいで、今でも膝はじんじんしているのだ。もう涙目である。
ジーパンで隠してしまったはいいが、カサブタになる頃にはそれをめくりたい衝動に駆られるのは眼に見えている。
そんな様子を彼らの前で晒したら最後、またカサブタを剥がされて消毒攻撃のコンボになる可能性がある、と大輔は学んだ。
もう2度とケガをしたことを黙っているのはやめよう、と心に誓った。どっかで見たことがある光景だと思ったらあれである。
長時間に渡るお説教で死んでしまった足の裏に嬉々としてちょっかいかけては、倒れこんで悶絶する大輔をケタケタと笑っては指さして罵声する姉の姿を幻視した。

そんな夜の帳が降りた空の下で、ふああ、と大輔は大きく欠伸をした。ぼすん、とふかふかのベットに倒れこむ。そして思いっきり足を伸ばした。
もんざえモンの計らいにより、2日ぶりのまともな食事やシャワー、真っ白でお日様の匂いがするベット、という至れり尽くせりの衣食住。
おもちゃの街にある大きなお城に案内された子供たちは、贅沢にもパートナーと共にとっても広い一人部屋を用意してもらって今に至る。
電気をつけなくても、空は星空と月明かりでとっても明るく、きれいである。
月明かりが強すぎると星のまたたきなど霞んでしまうことを大輔もブイモンも知らないため、まるでアニメのような空には何の疑問も抱かない。
息を飲むような絶景をカーテンで蓋をしてしまうのはもったいないので、大輔とブイモンは大きく振り返るカーテンに悪戦苦闘して、
ひもでぐるぐる巻きに縛って吊るしてある。窓の格子すら邪魔だと全開にしてある。
テントモン曰く、デジモン以外存在していないという(魚がいた時点で信ぴょう性はゼロに近い)この世界の夜は、
きっと明かりのもとでも窓にびっしり付いている小さな虫を気にしなくてもいいのだ。
もともと神経質とは真逆な性質の大輔は、もしそんな光景を目撃しても全く頓着しないけれど、口に入ったら嫌である。
さやさやと心地良い風に吹かれながら、今日はよく眠れそうだと大輔は思った。
ついさっきまで、大輔は子供チームとデジモンチームに別れて、全員で枕投げ大会を敢行していたのだ。もうくたくたである。
ちなみに大輔は、勝利に貪欲で意地悪なデジモン達、主にブイモンによって真っ先に右足を狙い撃ちされたため、早々に戦線から離脱するハメになった。
我慢することができず、ほとんどやけくそで、もんざえモンの協力のもと、その大きな体によじ登って大きな毛布を上から被り、
油断したデジモン達がやってきたことで豪快に毛布を投げ落とし、視界不良になった隙をついて、子供たち全員で上から袋叩きで
たくさんのマクラを投げ込んだのはすっきりしたが、それ相応の報復があり、結局決着はつかないまま大笑いしたのだった。
またやりたいなあ、と思いながら大輔は伸びをした。ここまで思いっきり遊んだのは久しぶりである。
うとうとしつつある大輔がマクラを独占して大の字になっていると、なにやら真剣な顔をしたブイモンがちょいちょいとつついてくる。
今にも眠ってしまいそうなほど、とろんとした目のまま、大輔は不機嫌そうにその手を払いのけようとするが、ブイモンはまだ眠くないようだ。
ちょいちょい、と服をひっぱられ、大輔はなんだよー、とまどろみに落ちそうな幸福を邪魔されてそっちに寝返りを打った。
横にはベットに埋まりながら、毛布の海を泳ぐブイモンがいる。

「大輔、大輔、まだ寝るなよ」

「なんでだよー、もうねみいい」

「駄目だってば、まだ話し聞いてないよ、大輔」

「話い?」

「そうそう。大輔が、黒い歯車みて怖がってた理由、まだ聞いてない。
夜になったらっていってたのに、忘れるなよ。オレ、ずーっと聞きたいの我慢してたのに」

むう、と頬をふくらませるブイモンに、そういえばそういう約束をしたかもしれないと言う事を今更のように思い出した大輔は、
あー、と言葉をこぼした。はやく、はーやーく、と腕を掴んでぐいぐいとひいてくるブイモンのせいで、ベットが揺れる。
あまりにフカフカでおもしろいからピョンピョン何度も飛び跳ねて遊んでしまい、ベットから落ちてしまったことを思い出した大輔は、
あわてて分かった分かった、と応じた。ちらりとドアのほうを見るが、ちょっとだけ開いている隙間からはなんの姿も見えずにほっとする。
あのときは怖かった。本気で怖かった。ベッドが壊れるからやめてくださいね、とあのトラウマを彷彿とさせる真っ赤な目を全く笑わせないまま、
満面の笑みを浮かべたこのお城の主が、あの隙間からじいっとのぞき見ていたときには反射的に毛布をかぶってしまったほどだ。
また音もなく現れて、無言の圧力でずいっと至近距離に迫ってくる恐怖はもうゴメンである。
誰にもういなよ、絶対な、という念には念を入れた大輔の言葉に力強く頷いたブイモンは、
ふたりだけの秘密という言葉に反応して嬉しそうに笑った。

そして大輔は語りだす。
エアロブイドラモンに進化したブイモンと、未来の大輔たちを助けるために頑張っているのだという秋山遼という少年のこと、
黒い歯車によって操られたサイバードラモンによって崖からバンジージャンプするはめになったこと、
それを二人に助けてもらったこと。そして、サイバードラモンを助けるために頑張ったこと、褒められたこと、嬉しかったこと、
これと空とピヨモンのやりとりを見て、ブイモンに提案した話を思いついたこと。
ブイモンが次から次にと浮かんだ疑問を片っ端から説明責任を果たせとばかりに迫ってくるものだから、
気圧される形で大輔は洗いざらい思いつくことは全部話してしまう。
そしてその出来事を秘密にするよう言われたから、黒い歯車を発見した時点で操られたデジモンが襲ってくることは予想できたが、
結局未来を変えてしまうのではないか、という恐怖のあまり、いろいろと考えてしまい、太一達に何も言えなかったことも話してしまった。
大輔がヤマトに怒られていたときに、事情を知らないにもかかわらず庇ってくれたブイモンの好意に甘えていたこと、
パートナーだと無邪気に慕ってくれるブイモンに嫌われるのがいやで言えなかったこと、いろいろ胸の中に溜まっていたことも全部全部、
溢れてしまった言葉は止まらなかった。勢いに任せて全部全部ブイモンに大輔は話してしまう。
眠かったため、早く話を終わらせてしまいたい、という意識などとうの昔に置き忘れ、本意ではない秘密を抱えていた大輔には、
やはりいろいろと精神的な意味できつかったようである。楽になりたいという意識があっという間に濁流のような一方的な話を形成していく。
時々、ブイモンが話をまとめるためにオウム返しで聞いて、わからないことは聞いて、大輔が説明して、という作業が行われたが、
ほとんどブイモンは聞き役に徹していた。

ブイモンは内心飛び上がりたいほど嬉しかった。うんうん、と頷いては大輔が話しすのを聞くたびに、ニコニコしてしまう。
大輔がパートナーデジモンである自分にだけ、友達としてまた仲良くなったタケル達や保護者的立場を顕著にし始めた太一達ではなく、
他でもないブイモンにだけ話してくれたことが、とんでもなく嬉しかった。
大輔と自分だけが秘密を共有できるのだ、という優越感とパートナーデジモンとしての特権をはっきりと自覚できて大満足である。
大輔がブイモンにこのことを話そうと思ったキッカケは自分がもぎ取ったものであり、信頼関係も、頼りにされているということも、
ひしひしと感じることができてブイモンは幸せだった。
大輔の力になれたのだ、という事実がたまらなく気分を高揚させた。もっと頑張らなくてはいけないという焦燥感も強迫概念も浮かんでくる。
だって大輔は、明日からはほんの少しだけ、まわりを頼ることになるだろうことがわかるから。
今まで太一達に認めてもらうことに一生懸命で、背伸びばかりしていた大輔は、大輔が求める対等で平等な関係性に最も近い友人という存在に気づいてしまった。
ブイモンはずっと黙っていたのである。タケルやパタモンが無茶な行動をする大輔を止めようとしても、一緒に止めてくれと目で懇願されても、
あえて大輔の言葉に便乗する形で最後まで抵抗し続けていた。なんで止めないんだとパートナーデジモンとしてのあり方を疑問視されることを、
こっそりあとからパタモンに言われても、気づかないふりをして知らんぷりしていた。
理由は簡単。そうすればずっと大輔はブイモンと一緒に目標に向かって頑張ろう、と二人だけで考えようとしてくれたから、
その間だけはブイモンのことだけを見てくれるから、というどうしようもない独占欲である。
大輔の一番になりたいというブイモンの目標を叶えるには、一番近道だと思ったから。ただそれだけだ。
そのためなら何だってしてやるんだ、と大輔にもはっきりと宣言した事だが、なんら嘘偽りなく、ただしたたかに大輔の知らぬところで行われている。
大輔はずるいのだ。他の子供達やパートナーデジモンのことはよくわからないけれど、ブイモンがいなくっても、きっと一人で何でもやってしまう。
一人で決めて、一人で行動して、一人でどんどん進んでしまう。大輔はたった一人で完成してしまっている子供なのだ。
完結してしまっているのだ。じゃあなんでブイモンは大輔のパートナーデジモンとして選ばれたのか、全く分からないではないか。
大輔のとなりにいることが居場所である、と明確なまでに存在価値を限定している訳ではない。
ただ大輔と一緒にいたい、ならどうすればいいかを考えた結果、じゃあ大輔の1番になれたら絶対に離れなくてもすむ、という
単純明快な思考回路である。ブイモンは大輔が大好きだ。同じくらい大輔がブイモンのことを大好きだったらいいけど、
なかなか大輔はブイモンの欲しい言葉や行動をしてくれない。返してくれない。かまってくれない。寂しい寂しい。
直接行動に移したら、かまってくれるけれど、それだけじゃ全然足りないのだ。やんちゃ坊主の無邪気な甘えっ子は、こうして毎日頑張っていた。
ブイモンが大輔のパートナーデジモンとして選ばれたのは、ほんの少し照れ屋で早過ぎる思春期真っ盛りなせいで、なかなか素直になれないパートナーの、
なかなか出てこないいいところをぎゅっと押し固めたような子であるということ、本質を色濃く反映しているからだと、
お互いが自覚するのは、まだまだずっと先のことである。
でも、ブイモンはひとつだけ、大輔の話でどうしても納得行かないことがあった。

「大輔」

「どーした、ブイモン」

「ホントのホントに、それ、オレえ?」

ぶーたれるブイモンに、はあ?と大輔は訳がわからないと言いたげに疑問符を浮かべた。

「そりゃ、こっちの世界の俺によろしく、とかいってたから、そうなんだろ?」

「だって、ないって、ぜーったいありえないって。おかしい。なんでオレがパートナーの大輔の側から離れて、
その遼ってやつと一緒に旅してるんだよう。そっちのオレは、なんでそっちの大輔ほっとらかしにしてるんだよう。
大輔達が危ないんなら、きっと時間を飛び越えたってオレは助けに行くだろうけどさ、パートナーは大輔だけなのに。
納得行かない!」

「………おまえなあ」

「んー、どしたんだよ、大輔。マクラに顔埋めたりして。って、うわあっ!」

ぼすん、と上から真っ白なマクラを投げつけられたブイモンは、顔面に直撃してベットから落下する。
どすん、という鈍い音がして、いたあい、という涙目の声が聞こえた。ヒドイや大輔、と額を抑えながら再びベッドに上がってくるブイモンは、
毛布に体をすっぽりうずめながら、なぜかわなわなと体を震わせている大輔を発見した。
そんなに寒いのかなあ、とのんきに考えていたブイモンは、大輔が声にならない声を挙げていることに気づかない。
落下したマクラを抱えているブイモンから、マクラが取り上げられてしまう。大輔ばっかりズルイ、とむくれるブイモンに、
大輔がじゃあやるよとばかりに再びマクラを投げつけた。
なにすんだよーっと納得行かない様子で、今度はしっかりと受け止めたブイモンは、力任せにマクラごと押しつぶされてしまう。
ぼふぼふぼふ、と上から何度も叩かれて、ブイモンはたまらず悲鳴を上げた。

「なにすんだよおっ、大輔っ!」

「だまってろーっ」

「えええ」

「恥ずかしいことばっかいう口はちょっとだまってろよっ!」

「なんで?!オレ本気でいってるのにっ」

「だったら尚更いうなよおっ!恥ずかしいんだよバカ!」

「大輔、もしかして照れて」

「ないいいっ!照れてない!ぜってー照れてないんだからな!変なこというなよ!」

「だって、大輔、耳まっ」

「いうなってば、ばーか!」

毛布攻撃を食らったブイモンは視界が真っ黒になる。ばたばたと暴れる塊を全力で押し付けながら、大輔はいった。

「なんで俺じゃなくって遼さんと一緒かなんて俺がききてえよ!ホントは、俺じゃなくって遼さんが最初のパートナーじゃねえのかよ。
覚えてないだけで!」

「何いってんだよ、大輔!」

「だって、エアロブイドラモンは、すっげー遼さんと意気投合してたんだ!俺となんかよりずっとずっと楽しそうだった!」

「大輔、もう毛布やめろってば!」

「もし遼さんが最初のブイモンのパートナーだったら、ぜってーおんなじこと遼さんにいうくせに。
俺じゃなくっても誰にでもいってそうだよな、ブイモン。
未来から来たのが俺じゃなくて遼さんだったのも、俺がホントは2番目のパートナーだって思い出したからで、
俺じゃなくって遼さんを選んだからじゃないのかよ。
実は2番目だって分かったら、最初のパートナーなんだって信じてた俺が馬鹿みたいだろ!ヤキモチやくの俺だけじゃねーか!」

そんなのぜってーやだからな!ブイモンのばかやろおおっという声が響く中で、ようやくブイモンは自分の言った一言がとんでもない失言だったと気づく。
大輔がずっとずっとブイモンにも打ち明けずに一人ぼっちで悩んだり、だんまりを決め込んだりしていたのか、ようやく理解できた。
大輔もブイモンと同じように不安で不安でたまらなかったのだろう。
ブイモンが大輔に必要とされている存在なのか、と悩む一方で、
本宮大輔という少年は、ブイモンというパートナーデジモンにとって、自分は本当に必要とされているのかということで悩んでいたのだ。
もしかしたら、たまたまブイモンが覚えていないだけでもっと相応しいパートナーが居るのではないか、という
他の子供たちとデジモン達ならばまず疑問を挟む余地もないような、当たり前の関係性について、ずっと悩んでいたのだ。
この悩みを打ち明けるということは、命の恩人である秋山遼という少年と交わした約束を破ることになってしまう、という
二律背反の間でずっと大輔は誰にも打ち明けるという選択肢を取ることもできないまま、不慣れな秘密主義者にならざるを得なかったと知る。
毛布を蹴破ったブイモンは、今にも泣きそうな顔で嗚咽を必死で我慢しながら、荒い息をしている大輔の胸に飛び込んだ。
なにすんだよ!と叫ぶ大輔に、ブイモンは大輔がしてくれたのと同じように、思いっきり抱きついた。

「ちがう!ぜーったい、そんな事ないって!なんでオレが大輔のこと知ってたのか、とか、この世界のこととか全然分からないけど、
オレが大輔のこと、生まれた時からずーっとずっと待ってたのはオレが覚えてるんだ!間違いない!嘘じゃない!
だからオレ、太一達がこの世界に来たとき、すっげー嬉しかったんだ。どこだろう、オレのずっと待ってたパートナーはどこだろう、
大輔はどこだろうって探しまわったんだから!大輔も分かるだろ?オレ、チョコモンだったとき、大輔がいないって分かって、
すっげー不安になったんだ。みんなパートナーと会えて自己紹介してるのに、ずっとオレだけ一人ぼっちで、オレがどんだけ怖かったか分かるだろ?
オレが大輔見つけたとき、なんであんだけ泣いたか、なんであんだけ大輔から離れたくないって言い張ったのか、分かるだろ?
大輔がどっか言っちゃうかもしれないと思うとこわくてたまんなかったんだよっ!その時の気持ちも嘘だなんて言わないでくれよっ!」

大輔!と真っ直ぐ見上げてくるブイモンの言葉に、大輔は何も言わないまま、ぎゅうとブイモンを抱きしめ返すことで答えた。
何度も何度もうなずいている相棒の気配を感じながら、ブイモンはよかったと心から思った。
やっぱりブイモンは本宮大輔という少年にパートナーとして必要とされていて、必要としているのだ、
という当たり前のことがどんなに幸せなことか、今ここではっきりと噛み締めることが出来たのだ。
その当たり前のことを信じることができない、疑ってしまうことがどんなに辛くて悲しいことか分かったのだ。
まだまだ大輔の一番になることは難しいかもしれないけれど、パートナーは自分しかいないのだ、という
確固とした地位を今ようやく確認することが出来た時点で、今まで限り無く不安定だったブイモンの精神がようやく安定に向かう。
大輔の本質の生き写しである仲間思いであるという性質が、今まで大輔一色だったブイモンの心にようやく顔を出し始めたのはこのころからだ。
この自信の確立によって、心の安定を得られたことで、ほんの少しだけまわりを見渡すことができる世界を見せる。
きっと明日から、大輔もブイモンもほんの少しだけ違う世界を見ることができるのだ。

「もう、なんか疲れたなあ、ブイモン」

「うん。全然寝られなくなっちゃったなあ」

「よーし、こうなったら夜更かししようぜ!」

「えええっ、でも明日からまたどっか行くんだろ?大丈夫?」

「大丈夫、大丈夫、ちょっとくらい寝坊したって誰か起こしに来てくれるって。
それより、俺、ブイモンの話が聞きたいな。なんか話してくれよ、もっとブイモンのこと知りたい」

「じゃあじゃあオレも大輔のこと知りたい!」

「せっかくのお泊り会みたいなノリなんだし、夜更かしは大事なイベントなんだって太一さん言ってたし、
ずーっと話してようぜ!」

「さんせー!」

和気藹々と話し始めた彼らの間に、すっかり涙は消えていた。
ちなみに。お静かにしてくださいね、というろうそく片手に巡回中のもんざえモンのライトアップのせいで、
すっかりトイレに行けなくなってしまった大輔達が、太一の部屋に泣きながら駆け込むのは別の話である。



[26350] 第十四話 寝ない子誰だ
Name: 若州◆e61dab95 ID:fc6d36c0
Date: 2011/03/23 21:17
静寂が満ちている果てしなく凍りついた世界で、本宮大輔は一人ぼっちで立っていた。
なんか、知ってるぞ、ここ。なんか、一回来たことある気がする。どこだっけ?
ただぼんやりとこの世界に見覚えがある大輔は、どこで見たのか、聞いたのか、体験したのか、なんとか思い出そうとするけれども、
まるでもやがかかったように記憶の彼方に忘れ去ってしまった風景を思い出すことはできなかった。
ふわりふわりと舞い降りてきたのは、真っ白な光に包まれた、今にも消えてしまいそうな明かりだった。
暖かさすら感じさせる穏やかな光に魅せられて、音もなく漂い降りてくるその明かりに見入っていた大輔は、
その明かりが照らす光でほんの少しだけ世界が広がったと気づく。
その明かりが大輔が立っている場所のほんの少し先に落ちて、あたりの真っ暗な空間を照らしてくれるが、
まるで雪のようにその明かりはすぐに溶けてしまう。
名残り惜しくてしゃがもうとした大輔は、さっき見失ってしまった明かりがひとつ、ふたつと増えていき、
世界を瞬く間だけ照らし、やがては消えていく事に気づく。
思わず顔を上げた大輔の目の前には、見渡すかぎり真っ白な明かりがたくさん、ふわりふわりと舞っている光景が広がっていた。
音を立ててはいけない気がして、思わず感嘆の息をもらすのをぐぐっとこらえて、じいっと大輔は溢れていく光を見つめていた。
それでも興味津々の奮い立つ好奇心を抑えることはできなくなって、うずうずしていた大輔は、思い切ってその光に手を伸ばす。
まるで大輔の手のひらから逃れるように、その明かりはひらりと逃げていく。
じれったくなって大輔は一歩一歩と歩き出し、やがてかけ出すように明かりを追いかけて真っ直ぐ真っ直ぐかけ出していた。
そして気づく。まるで吹雪のような明かりは、ひとつも大輔に触れることなく、ただゆっくりと上から下へと落ちていることに。
大輔は無意識のうちにこの凍てついた暗闇の世界は冬なのだと思っていたし、この明かりは雪なのだと判断していたが、どうやら違うようだ。
雪ならば大輔はきっと雪だらけになって、あまりの冷たさと溶けてしまった雪による湿り気によって、
ますますこの寒い世界を実感するハメになると言うのに、今の今まで気づかなかったということは、もしかしてこの明かりは雪じゃないのか。
追いかけていた明かりが真っ暗闇に溶けてしまい、すっかり見失ってしまう。
それでも諦めきれずに思い切って手を伸ばした大輔の手に、たまたま降りてきていた明かりがやってくる。
逃げないようにと両手で捕まえた大輔は、思いの外重さがあることに驚いてしまう。
想像していたような柔らかい感覚でも、すぐに溶けてしまう泡のような感覚でもなく、はっきりと質量を感じる。
しかも溶けることなくはっきりと大輔の手の中に残っているそれは、煌々とした明かりを隙間から放ち続けていた。
おそるおそる右手の蓋を開けてみた大輔の目に飛び込んできたのは、ちっちゃくちっちゃく粉砕された跡がある、
薄くて四角くて白いプラスチックの破片みたいなやつだった。それが真っ白な光を放っているのである。
なんだこれ、と思わず口にした大輔は、この幻想的な光景を形作っているのが、このプラスチックのゴミみたいなやつだと知って、
ちょっと幻滅してしまった。わくわくしていた気持ちがどこへやら、すっかり興ざめしてしまう。
なんだよ、つまんねえ、とぼやきながらちょっとだけ力を入れて触ってみる。
すると、ちょっとしか力を入れていないにもかかわらず、そのプラスチックの塊はあっという間に原型を失い、
サラサラとした砂のような粉末状態になってしまう。そして、今なお発光を続ける謎の物体は、大輔の手からこぼれ落ちて、
後ろから吹いてきた冷たい風に押し流されてしまう。あ、と声を上げたときには遅かった。
びゅうびゅうびゅう、という冷たい風の声が世界に広がっていく。あまりに風が強くて反射的に顔に手を当てた大輔は、
暫くとじていたまぶたを開く。

「すげえ」

それはさながら蛍の大群生だった。
強い強い風に煽られて、上から下に行くしかなかった明かりがたくさんぶわっと舞い上がるのだ。
真っ暗な世界で、その明かりしか存在しないというこの状況下に置いて、まるで生きているように明かりが下から上に、
そして風に流されるままに縦横無尽に飛び交っているのである。
大輔はすっかり口をとじることも忘れて、呼吸の仕方すら忘れてしまったまま、空を見上げる。
降り注ぐ明かりが世界に満ちる。

その時、大輔はしゃん、しゃん、しゃん、という鈴の音色を聞いた。お、と大輔は聞き耳をたてる。
冬、雪、鈴、と来れば大輔が連想するのは、たくさんのトナカイにそりを引かせて、世界中に子供たちにプレゼントを配る真っ赤な服のおじさんである。
真っ赤な服と真っ赤な帽子をかぶっていて、真っ白なひげを蓄えた、陽気で小太りのおじさんである。
毎年冬になると、ずっと遠くの寒い国にサンタさん宛に手紙を送ると、その子供宛にメリークリスマスと英語で手紙を書いてくれるらしい、と
クラスメイトの友達が実際に貰ったことを知っている大輔は、サンタクロースという老人の存在を固く信じていた。
世界にはたくさんの子どもがいるから、一日で全員のプレゼントを届けるのは無理だから、両親がその手伝いをしているだけであって、
クリスマス近くになると両親がやたらと自分が今欲しい物を聞きたがっているのは、サンタクロースの手伝いをしているのだ、と信じている。
今は8月である。あわてんぼうのサンタクロースという合唱コンクールの曲を知っている大輔は、
もしかして、もしかするのか、マジで?!と割とテンション高めであたりを見渡していた。
しかし、その姿は見受けられない。ほーほーほーとかいう笑い声も聞こえてこない。
良く考えてみれば、トナカイの首に付けているベルの音にしては、あまりにも小さいし、一つ分しか聞こえなかった気がするから、
違うのかもしれない。勝手に勘違いして、勝手に落胆した大輔はちょっといらっとしてあたりを見渡した。
しゃん、しゃん、しゃん、とまた鈴の音がした。
まるで幼児向けの音がなるスリッパのように、ゆっくり人が歩く足音ような一定のリズムで、その清らかな音は響いている。
これだけ風の悲鳴とも聞き間違えたのだ、と勘違いしてしまいそうなほど、木枯らしが吹き荒れているこの世界で、
不自然なまでに鈴の音が響きわたっている違和感がそこにある。聞き漏らさないように集中しながら、大輔はその音の方角を探った。
いやにはっきりと響いている音がある。その音を頼りに再び歩み始めた大輔の足元を照らすように、見渡すかぎり明かりの雪が広がっていた。

『きて』

たった2音の言葉だったけれども、大輔はその意味をはっきりと理解することが出来たし、聞き取ることが出来た。
なんか、どっかで聞いたことがあるような気がするなあ、どこだっけ?
ふたたびもたげてきたデジャビュ的な感覚にもどかしさを噛み締めながら、大輔はまっすぐに進んでいく。
小さな鈴を転がしたような、凛とした音である。女の子の声だった。でも知らない声だった。
空でもミミでもジュンでもなく、大輔の知っている女の子、もしくは女の人の声ではない。
でも何故か大輔はその声の主を知っている気がするのだ。違和感だけが芽生えていく。
なんか気持ち悪いなあ、と思いながら、その中途半端な感覚を少しでも早く解決したくて大輔は急いで先に進んでいった。

『こっちにきて』

こっちってどっちだよ、と思わずつぶやいたが、声の主は答えない。

『わたしのところに、きて』

誰だよ、と問いかけた言葉は闇に溶けていく。
ふと気づくと、あれだけたくさんあった明かりがひとつもなくなり、ふたたび世界は闇に落ちていた。
それでも声の方向ははっきりとしているから、もう先に進むしかないだろう、もうどこから来たなんてわからないんだし、と
大輔は決意してまっすぐに進んでいった。そしてそしてそして。

「けっ、大輔っ、おっきてよーっ!大輔えええっ!!」

「うわあっ?!」

大輔の腹の上に乗っかって、アンダーシャツをガシッと掴んで必死で揺さぶっているブイモンがそこにいた。
がっくがっくがっくと揺さぶられた大輔は、たまらず悲鳴をあげる。何すんだよ!と叫んだ大輔は、
その声に反応して、よかったーっと腕の中に顔を埋めるブイモンの豹変ぶりにすっかり怒りが失せてしまう。
ぱちぱち、と目を瞬かせあたりを見渡してみるが、昨日就寝した広い広い部屋があり、大輔とブイモンは大きなベットに寝ている。
もうすっかり朝になっているらしく、暖かな太陽の光が四角いひだまりを形作っており、白くて薄いカーテンがゆらゆらと
穏やかな風に煽られてゆれていた。おもちゃの街の城の中にいるということを思い出した大輔は、ブイモンとすっかり夜更かしして、
とうとう眠気に耐えられず途中で記憶が無くなっていることに気づく。いつのまにやら話疲れて眠ってしまったようだった。
寝坊したにしては他のメンバーたちが待ちかねている気配はないし、もんざえモンがいる様子もない。
なんだかやたらと怯えているブイモンがずーっと大輔に抱きついているものだから、大輔は訳がわからないままブイモンをみる。
大輔が起きたのがそんなに嬉しいのか、ごしごしと乱暴に涙を拭ったブイモンは、にっこりとわらったのだった。

「よかった、よかった、よかったー!大輔起きた!おはよう、大輔!」

「お、おはよう?どうしたんだよ、ブイモン」

まるで雪山登山の最中に遭難してしまった仲間が眠いと言い始めたから、寝たら死ぬぞ、と必死でたたき起こした隊長のような反応だ。
イマイチ状況が飲み込めず首を傾げる大輔に、ブイモンは安堵の溜め息をこぼした後、そろそろと大輔から降りて横に座った。
なんか怖い夢でも見たのだろうか。主にもんざえモン関連のトラウマ映像なら今でも大輔の心のなかに深刻な傷を植えつけているため、
心当たりはいくらでもあったのだが、それにしてもブイモンの反応は本気で怯えと恐怖にゆがんでいたのを思い出した大輔は、
相当怖い夢でも見たのだろう、と考える。
大輔も前も見た気がする、という違和感をずっと拭いきれていなかったのだが、目が覚めて頭が動き出すと同時にようやく理解する。
そういや俺、昨日も似たような変な夢見た気がする。気がするんじゃなくて、きっとほとんど同じ夢、いや、夢の続きを見たのだ。
すとん、とずっともやもやしていたものがようやく理解できた大輔は、小さく息を吐いた。
なんで今日はやけにはっきりと見た夢のことを覚えているのかはわからないが、相当強烈で意味不明な夢だった。
そう結論づける。全部全部、もんざえモンが悪いのだ、と大輔は早々に夢を見てしまた原因を自分なりに結論づけた。
多分、もう覚えてないけど怖かったテレビ番組のことをうっかり思い出してしまったのだろう。
夏休みの怖い話とか、ホラー映画とか、怖い怖いと分かっていてもついつい見てしまう大輔は、
その日の夜になると風呂場にある鏡や洗面所の鏡を直視することができなくなり、部屋に引っ込む時もやたらと背後が気になってしょうがなくなる。
そして決まって、時計の音やクーラーの音といったいつもならば気にもとめないような音がすっかり気になってしまい、
ぎんぎんに冴えてしまった頭がいろいろ空想してしまうのを必死で堪えて、タオルケットに丸まって震えながら眠るのだ。
でもそういう時に限って、ベッドの下に斧を持った大男がいるとか、目を開けたら真っ赤な服をきた女が立っているとか、
アリもしない気配を感じ取ってしまい、ビクビクするハメになる。
夢のなかに逃げこんでも、全く同じような夢を見てしまい、目が覚めてもはっきりと覚えていることなどよくある。
そして目が覚めた時間帯が、うっかり丑三つ時だったりしたが最後、泣きながら両親の部屋に逃げ込むハメになるのである。
こういう時、姉のもとに助けを求めると、おもしろがった姉がいろいろとこわいことが今まさに怒っているのだ、
というアリもしないことを捏造しては、大輔を泣かせると知っているからとてもではないがドアを叩くことはできなかった。
大輔助けて、と金縛りにかかったフリをして、さんざん怖がらせてきたジュンの悪行など嫌というほど大輔は覚えている。
忘れたい夢ほど全然忘れさせていくれないのだ。きっと今日見た夢も似たようなものなのだろう、と大輔は思った。

「大輔、またうなされてたけど、なんか怖い夢でもみた?」

「あー、うん、なんか変な夢みた。前は覚えてなかったけど、多分昨日みた夢の続きみたいなやつ?」

「どんなの?」

「え?えーっと、なんか真っ暗な場所にいてさ、こんなちっせえ欠片みたいなやつが光ってるんだ。
雪とか蛍かと思って捕まえてみたけど、すぐ崩れちまったからわかんねーや。
それがなんかいっぱいあって、すっげー綺麗だったのは覚えてる。すっげー寒かったけど」

「誰もいなかったのか?」

「んー、誰がいるとか全然分かんなかったなあ、だってホントに真っ暗だったんだぜ?
ブイモンも太一さんたちもだーれの声も聞こえなかったから、多分俺だけ、かなあ。
でも風が強かったからなあ」

「そっか。変な夢だなあ」

「そーだろ?しかも、なんか鈴の音とか女の子の声とかするし」

「女の子?大輔の知ってる子?」

「ぜーんぜん、しらねえや。聞いたことない子の声だった。
すっげーちっさかったから、初めは風の音かと思ったんだけど、なんか違うんだよ。
こっちに来てとか、私のところに来て、とか、変なことばっかいうんだ。
誰だよ、とか、こっちってどっちだよ、とか聞いても教えてくれないんだ。今思うとすっげーこわいなあ」

「大輔、その子のところにいこうとした?」

「そりゃー、見渡すかぎり真っ暗な世界に一人ぼっちだったら、こわいし、寂しいし、一人ぼっちは嫌だろ?
誰か他にいるんじゃないかって思ったら、もうそれだけしか考えてなかったなあ」

それに、と今思い出したように大輔は言った。

「なんか、あの女の子、泣いてた気がするんだよなあ。かわいそうになってさ」

男の子である大輔だって怖かったのだ。もし女の子があの場所にいたら、大輔よりもずっとずっとこわい思いをするに違いないだろう。
もしかしたら、泣いていたのかもしれない。その場にうずくまってどうしようもなくて、誰かの助けを待っていたのかもしれない。
だから大輔に、こっちに来て欲しいと必死で呼んでいたのかもしれない。
真っ暗で寒くて凍えそうな世界で、びゅうびゅう風に吹かれながら、ずっと一人ぼっちで立っているなんて、
今思い出すだけでも身の毛がよだつ様なおそろしい状況である。そう思うと、大輔は途中で夢から覚めてしまったことを後悔した。
今日見た夢では正体不明の明かりがあまりにも幻想的で、すっかり忘れてしまっていたけれども、朧気ながらも思い出した昨日の夢の中では、
大輔は間違いなくずっとずっと怖い思いをしていたはずなのだ。
せめて女の子のところにいってから、一人ぼっちじゃないんだということを教えてあげてから目が覚めればよかったのに、と思うものの、
覚めてしまったものはどうしようもない。
そのことを口にした途端、ブイモンが硬直した。そして首がもげるのではないか、というくらいぶんぶん首を振って、ブイモンは大輔に叫んだ。

「ダメダメ、駄目だって、大輔!行っちゃ駄目!」

顔面蒼白である。もともとブイモンは青色の体をしているが、顔の部分は白いため、それを通り越して気分悪そうな顔をしている。
全身真っ青である。なんか変な表現になってしまうが、事実なのだからしょうが無い。

「なんでだよ?」

「その夢の中で、なんか怖い思いしなかった?」

「え?全然。それだけだけど」

「大輔気づいてないだけだろ、それえーっ!オレびっくりしたんだから!」

「だーかーら、何があったんだよ、ブイモン」

「…………てた」

「へ?」

「どっかに連れてかれそうだったんだよ、大輔!」

「…………はああっ?!え?なんだよそれ、え?いつ?」

「大輔が寝ちゃったあとで、オレトイレ行きたくなったから、ちょっとだけ部屋から出たんだ。
帰って来たら、あ、あ、あのへんが、なんか穴あいてた」

「あなあ?!」

言われるがままブイモンの指差す先を見た大輔は、なんのへんてつもない絵画が飾ってある真っ白な壁を見る。
丁度大輔の真後ろである。思わず大輔はその場からそれとなく移動した。
よくよく見れば、いくら寝相が行儀よいと言えない大輔やブイモンでも、ここまであからさまにそちらの方向に向かって、
都合よくマクラやシーツ、毛布なんかを引っ張ったように蹴落とすことは不可能だろう。
ありありとブイモンの証言を裏付けるような情景が完全に残っているではないか。
さすがに力持ちのブイモンでも、わざわざ大輔を怖がらせるためにここまで用意周到な準備をしているとは考えづらいし、
大輔と仲直りしたばかりのブイモンが、また大輔とケンカするようなことを思いつくとは考えづらい。
他の子供達がまだ眠っているだろうことは、時計で確認したから判明済みだ。
もんざえモン曰く大輔たちしか夜更かししている子供たちやデジモン達はいないようだし、早寝している子供たちやデジモン達がいないのも知っている。
早起きなんて無理だろう。さすがに寝起きどっきりで4時より前に仕込みをするとは考えられない。
ひやりとしたものが込み上げてくるのが分かった。大輔は思わずブイモンの腕にしがみついた。
どうやら知らず知らずのうちに、ホラー映画も真っ青な怪奇現象の犠牲者になりかけていたようである。

「こう、なんか、ぐにゃーってなってるトンネルがあったんだ。大輔、ずーっと寝てるまんまだし、そのまま吸い込まれそうになってたよ。
オレがあわてて大輔ひぱって、なんとか起こそうとしても全然起きないんだ。もうすげーこわかった!」

「なんだよ、それええ。嘘だろお」

「嘘じゃないってば!オレ何回も何回も大輔って呼んだのに、全然気づかなかったんだろ?もう駄目かと思ったんだ。
そしたら、大輔のもってたデジヴァイスが光って、そのトンネル、あっという間になくなっちゃったんだ」

「デジヴァイス?」

「うん、デジヴァイス。進化するときとおんなじ光が追っ払ってくれたんだよ」

「そ、そっか。そうなんだ。持っててよかった」

「大輔、きっとその夢のなかの女の子が大輔をどっかに連れてこうとしたんだよ。
大輔優しいから、ほっとけなかったんだと思うけど、気をつけたほうがいいよ?
それでもほっとけなかったら、オレ呼んでくれよな。オレも行くから。一人でどっか行っちゃやだぞ、大輔」

「おう、分かった。気をつける。そのかわり、俺が呼んだらぜーったいに来いよなブイモン」

「あったりまえだろ!オレ達運命共同体なんだから、ずっと一緒じゃなきゃ駄目なんだ!」

えへへ、と笑ったブイモンに、大輔は安心したように釣られて笑ったのだった。
とりあえず、このことを太一達に知らせなければいけない、と大輔とブイモンは居ても立ってもいられず、
太一の部屋に直行することになる。
だが、昨晩遅くに何度もトイレの同行に叩き起された太一とアグモンはすっかり寝不足となっており、
夢と現実の区別がつかないまま、本当にあったのだと驚いて怖がっているだけだと解釈されてしまい、スルーされてしまう。
まだ4時である。子供たちもデジモン達も活動を早めるのは、あまりにも早すぎた。
でも、もう一度同じ部屋に行くことがすっかり怖くなってしまった大輔とブイモンは、すっかり目が醒めている。
夜更かししたため睡眠時間は極端に少ないが、変なテンションになっているのは否定出来ない。
それが信ぴょう性をますます落としこんでしまっていた。
結局、朝早くに廊下を歩いている一人と一匹を発見したもんざえモンにより保護された大輔達は、
電気をつけっぱなしのまま同じ部屋に寝させてもらう事になる。
そして、すっかり寝坊してしまい、みんなに迷惑を掛けることになってしまうのだが、それは6時間後の話である。



[26350] 第十五話 僕らの漂流記 その4
Name: 若州◆e61dab95 ID:f32d0746
Date: 2011/03/24 20:55
なんだよ、なんだよ、なんだよ、太一さんの馬鹿。
困ったことがあったら、一人ぼっちで悩まずに俺に相談しろ、任せとけって胸をはって笑ってくれたのはどこの誰だよ。
頼ってもらったほうがうれしいから、むしろ寂しいからどんとこいっていってくれたのは、太一さんなのに。
甘えてもいいんだって言ってくれたのは、アグモンだって同じなのに。やっぱ相談しなきゃよかった。嫌いだ、太一さんなんか。
心のなかでありったけの悪口を叫びながら、大輔はじーっと先を先導している尊敬しているサッカー部の先輩の背中を恨めし気に見つめていた。
大輔は回想する。昨日、トイレに行きたくなって一人は怖いからと太一の部屋のドアを叩いたときには、
やっぱり大輔はまだガキだなあ、と笑われながらも頭を撫でてくれたのだ。そして一緒についてきてくれたのだ。
何度も起こしてしまったのは悪いとは思うが、もんざえモンが怖かったのだから仕方ない。
おねしょなんてとんでもない失態を防ぐためにはぜひとも協力を仰ぐ必要があったのだ。1番部屋も近かったし。
大輔も大輔なりに、こんなことでわざわざ太一を起こすなんて迷惑極まりない行動を、やっていいのかどうかブイモンと一緒に考えたのだ。
きっと昨日までの大輔だったら、選択肢にすら絶対浮かばないようなことだったが、今までの経験がちょっとだけ大輔に素直になることを教えてくれた。
助けを求めたら、手を伸ばしてくれる、ということを学んだ。今まで躊躇していたことをするということが、こんなに勇気がいることなんだとは知らなかった。
しどろもどろになりながら、恥ずかしさのあまり顔を真赤にする大輔に、太一は思わず笑ってしまっていたけれども、本人からすればかなり心外であった。
それでも嫌だとは言わずに、いろいろとおしゃべりしながら助けに答えてくれたという事実は、ますます大輔に甘えと認識していた行動を、
抑制していた行動に対するハードルをぐっと下げてくれたのは間違いなかった。それなのにである。

大輔とブイモンは例の怪奇現象について速攻で太一とアグモンに相談したのだ。しかし、大輔達の恐怖体験を切々と訴えたにもかかわらず、太一達の反応は淡白だった。
それどころか、悪夢にうなされるあまり、現実で起こったことと夢の中で体験したことをごっちゃごちゃにしてしまい、パニックになっているだけだろう、と指摘され、
落ち着けよ、と笑われてしまったのだ。大輔はショックだった。いくら夢じゃないんだと訴えても、部屋を見せても、全然信じてくれないのである。
それどころか、おもちゃの街から出発したときに、あれだけ秘密にしてくれとお願いしておいたトイレ同行の件と一緒に、
大輔とブイモンが怖がりであるという笑い話をみんなにするついでのエピソードとして、怪奇現象についても冗談交じりに暴露されてしまったのだ。
もう最悪である。上級生組には微笑ましげに生暖かい視線を向けられるし、大輔が甘えん坊であるという一面がまたひとつ強調されてしまったため、
からかわれるし、ちょっかい掛けられるし、頭なでられるし、慰められてもあからさまに肩を震わせられてしまっては嫌でもその心中は把握できる。
大輔とブイモンが怒って抗議しても、羞恥にかられて意地っ張りになっているだけだ、と受け取られてしまい大輔達の本心を全くすくいとってくれない。
実際大輔たちが取った行動はひとつも脚色なく事実だけ語られているのが余計タチの悪さを煽っていた。
結局のところ、大輔達の気持ちなど太一は大輔たちではないからわからないのだ。分かってくれないのだ。
その当たり前の事実に行き着いた大輔は、裏切られたような感覚を覚えてしまい、余計太一の行動を許せない、と思ってしまう。
でも内心では、なんでここまで太一に対して激しい怒りを感じるのか大輔はわからず、自分の感情に戸惑っているのが実情である。
今まで感じたこともない途方も無い憎しみにも似たそれは、いだいている本人すら恐怖を抱くほどであり、大輔はそれを太一にぶちまけることはなかった。
それは、大輔の中にある八神太一と、目の前で歩いている八神太一が全く違う人間であると大輔が無意識のうちに気付き始めており、
そのギャップの多さに、かつてお姉ちゃんという存在を崩壊させた本宮ジュンというトラウマがある大輔が本能的に危機感を覚え、拒否反応を示しているからである。
もともと大輔の太一に対する評価には、尊敬するサッカー部の先輩である、という事実のほかに、理想的なお兄ちゃんである、
という精神的な安定を得るために本人には内緒で勝手に創り上げた前提が存在している。
いわゆる過大評価を招いており、毎日クラブや学校であったり、遊んだりしているにもかかわらず、大輔の中で太一という少年は、
確立した八神太一という実像からかけ離れすぎていた理想像を見出していたせいで、八神太一という少年を現実的に見られていなかった。
それは自分を慕ってくれる後輩にカッコ悪いところを見せられるはずもない、かっこいい先輩でいたい、という太一の思考と行動がある意味助長していたのだが、
こうやって24時間ずっと共に行動するという漂流生活を送ることになったことで、太一もさすがに大輔が知っている尊敬するかっこいいサッカー部の先輩
という一面ばかりを見せるわけにもいかなくなったのだ。
もちろんそんな事知りもしない大輔からすれば、たまったものではない。毎回毎回、自分の中にある安定剤と化している理想像を揺るがす大事件である。
大輔は自分が持っている感情の名前を知らない。それはやつあたりと逆恨みであるということを知らない。それを理解するには、まだまだ大輔は幼すぎた。
ある意味で、血のつながった姉であるジュンしかお姉ちゃんがいないから、ずっと向きあって問題を解決するまで頑張るという道を、
ずっとずっとお姉ちゃんやお兄ちゃんをしてくれる人に恵まれてしまったという、大輔の置かれているサッカー部の環境が阻害し、
代用品を用意して、現実から逃避してしまうという選択肢を可能にしてしまった悲劇とも言えた。
そういうわけで、現在本宮大輔は、まわりの子供たちやデジモン達が声を掛けるのをためらってしまうくらい、とっても怒っていた。



そんな大輔の様子を見かねたヤマトや空から謝罪するよう言われたものの、なんで俺が謝んなきゃなんないんだよ、と
意固地になっているのは太一である。大輔が神聖化している八神太一という少年はお台場小学校5年生のただの子供である。
この8人のメンバーの中で、八神家のお兄ちゃんとして頼られてきたように、人に頼られることをしたいと頑張っているから、
みんなにも自分を頼りにすることを強制してしまうため、なにかと空回りしてしまうちょっと苦労人の子供である。
怪我したことを空がいうまで(それを最初に指摘できなかったことも実は結構なダメージである)ずーっと我慢していたり、
いつの間にかタケルやミミといっそう仲良しになっていたりするサッカー部の後輩が(なんか俺だけのけもん?とこっそり悩んでいる)、
何度言ってもわがままひとついうことなく、助けを求めるといった頼られていると実感できる行動や言動をしないことにいらついて
怒ったり、からかったり、ちょっかいを掛けたくもなる行動ばかりしていた後輩がである。
一人でトイレに行くのがこわいから付いてきてくれ、なんて可愛いことを言ったときには、そりゃあ嬉しかった。
それでも、うとうとし始めたときに何度も起こされてしまっては、最初の感動なんてどっか彼方に飛んでいってしまうものである。
しかも朝の4時なんて、サッカー部の朝練でも起きたことがないような早朝に、叩き起されてしまってはさすがの太一も我慢の限界だった。
ずっと歩き続けていろんな出来事があって、疲れているのはみんな同じである。
でもパートナーデジモンであるアグモンが1番最初に進化した太一は、この世界で巻き起こる騒動に子供たちが危機に晒されたとき、
真っ先に頼りにされているし、本人もそのつもりで頑張っている。
特に女の子や最年少の大輔やタケルを守るために、いろいろと不慣れな警戒や緊張感を持って周囲を見なければいけないし、
何かあったときのためにいつだってすぐに行動できるよう意識しているし、それを悟られないように気を使わなくてはならない。
さすがに24時間体勢でお兄ちゃんをしなければならないのは、本来頭を使って考えるという方向性でリーダーをやっているわけではない太一には相当な負担である。
そんな素振りは微塵もみせていないけれど、太一だって他の誰よりも疲れているのだ。
後輩と違って自分は上級生組であり、弱音とかわがままなんて言ったらいけないことくらい太一も分かっている。
頼りにされる側の人間は、他に頼りにできる人間がいないという意味で、孤独なのである。夜くらいゆっくり寝かせて欲しかったのだ。
そしたら、訳の分からない怪奇現象を目撃したとか、大輔が連れ去られそうになったとか、意味不明なことを後輩とブイモンがいうのだ。
もともと心がとっても広くて我慢強いという先輩としてのメンツは、ヤマトとの喧嘩で剥がれてしまったことを不本意ながら実感した太一は、
少しずつ大輔に対して先輩ぶるのをやめ始めていた。だって大輔がお兄ちゃんとしての太一も求めているということを知ったから。
その言葉を太一はそっくりそのまま、一緒に暮らしている妹の光に見せている素の部分も見せてもいいのだと判断した。
お兄ちゃんであるということは、そういうことだ。先輩である太一を見せなくてもいいのだと思った太一はラッキーと思った。
だから、積極的に太一を頼りにしてくれることは嬉しかったが、さすがに太一もいい加減大輔がうっとおしくなってきたので、
たまに光に対していっているような態度をとったのだ。そしたらなぜだか大輔は怒った。しかも自分一人が悪者扱いされている。
その不公平な扱いと雰囲気は、太一が大っ嫌いな状況とよく似ていた。
それは、光と玩具の取り合いやおもちゃの取り合いをした時に必ず発生する母親からの「お兄ちゃんでしょ」という台詞だ。
3歳年上であるお兄ちゃんであるというだけで、光は無条件に許されるのに自分だけはやたらと我慢を強いられる。
そしてそれは不公平だからおかしい、という太一からすれば当たり前すぎる台詞は「お兄ちゃんでしょ」という魔法の言葉で全て説明されてしまう。
今まで一切納得出来る説明をうけたことがない太一は、この言葉も状況も嫌いだった。光は大事な妹だが、24時間365日そうかと言われたら別である。
お兄ちゃんと妹では、両親の愛情を優先的に受けることができるのは妹であると相場は決まっているのである。
サマーキャンプの時だって、光が風邪を引いたときにはお母さんが休んで、自分だけで行くハメになってしまうのではないか
という危機感を常に抱くハメになった。結局お父さんがたまたま仕事が休みだったからそれはなしになったけれども、
最後まで一緒にキャンプに行くのだと太一と良く似て、頑固で好奇心旺盛の妹を説き伏せるのは苦労した。
お母さんを独占できるなんてめったにないのである。なにせ、光は賢い上に強敵だ。
妹という立場をフル活用して、甘えるためにはどうしたらいいかよく知っている。だから両親に構ってもらうための水面下での攻防戦はいつも熾烈を極めるのだ。
学校の八神ヒカリちゃんと八神家における八神ヒカリは大きく違っていることを知っている太一は、
いつも太一達に対等に扱われようと頑張っているくせに、甘えたがりなところがどんどん出てきた大輔が、どこか光と重なってしまったのだ。
「お兄ちゃんだもんね」と勝ち誇ったように笑う光と大輔が重なってしまい、イイトコどりで最年少という立場を利用しているようにしか見えない。
もちろん大輔がそんな難しいことができる奴ではないと太一が1番知っているが、それとこれとは別である。両親と会いたいのは太一も大輔も同じだった。
それに、大輔が太一に求めていることがイマイチちぐはぐで要領を得ないため、太一は始めて大輔のことがわからないと思い始めている。



そんな二人の抱える事情など知るはずもない他のメンバーやデジモン達、ついでにパートナーデジモン達からすれば、
なに変な意地はって喧嘩してんだ、こいつら、状態である。喧嘩は他所でやってくれという雰囲気に気圧されてか、とりあえず激しい意地の応酬はなりをひそめたが、
どこまでも子どもっぽい理由で喧嘩している時点で低レベル次元で喧嘩していることにはかわりない。意外と似たもの同士かもしれないという笑いを誘っていた。
そういうわけで、当事者達は、朝からずっとろくに目も合わせないまま口もきかずに喧嘩継続中だが、理由があまりにもしょうもないせいか、
太一とヤマトの言い合いの時のようにメンバー総出の仲裁とまではいかず、なかば放置されている。
ほっとけばけろりとした顔でまた軽口を言い合うだろうことは誰の目にも明らかだった。



現在、ムゲンマウンテンに向かう道が、どんどん冬に近付いている。熱帯雨林に存在する樹木から、針葉樹林や寒さに強いとされている広葉樹に森が変化していく。
やがて雪原が広がる中、冬の風景となった。子供たちとデジモン達は目を輝かせた。一部でブリザードが吹き荒れているが、お互いに不干渉を貫いているため、
他のメンバーたちはどこ吹く風、直接的な被害は何も無いのだからほっとけ状態だ。
今は1番最後尾を歩いている大輔は、これからの進路方向について上級生組が話し合っている様子を、いつもなら自分がいるはずの最前列から少し離れた特等席を
ほんの少しだけ後悔しながら遠くから見つめていた。
雪合戦や雪だるま、かまくら、と季節外れの雪遊びに興じようと目を輝かせていたタケルとパタモンが、ぼーっとしている無防備な好敵手を放置するはずがない。
いつかのいたずらの仕返しもしたいし、ずーっとだんまりをしている大輔なんて大輔じゃない。遊ぼと手招きするが全然気づいてくれない。
大輔と同じようにちっとも信じてくれないみんなに憤りを顕にしながらも、目の前に広がる雪の光景にうずうずしていたブイモンは、
パートナーの手前我慢していたが、タケル達に気づいて速攻で裏切りを決意した。
タケルがありったけの力を込めて作り上げた大きな大きな雪玉が、さくさくさく、という足音と共に豪快なフォームを描いて投げられる。
ふわふわの雪は、いくら固めても固めてもこぼれ落ちてしまう。あまりにも温度が低すぎると形成される雪はサラサラになり、粉のようになっている。
悪戦苦闘しながら、渾身の一球を作り上げたタケルに、おおお!とパタモンとブイモンが尊敬のまなざしを向けた。
きっといつもの大輔だったら、タケルより先に雪遊びに飛び出していたに違いない。だって真っ白な雪原である。足あとをつける優越感は耐え難い。
ミミと競うように走っていたタケルは、いつまでも追いかけてこない大輔にようやく気付いたのだ。こういう時、遊びに誘うのが友達だよね。

「えーい!」

「いてっ!」

ぼろぼろと崩れ落ちながらも、見事大輔の頭に命中した雪玉があっという間にばらばらになり、大輔はあっという間に雪だらけになってしまう。
今気づいた様子である。なんという無防備。なにが起こったか本気で気づいていない様子である。遅れてつめてえという声がする。
びっくり仰天しながら雪を払った大輔の頭には、たんこぶが出来ていた。きょろきょろとあたりを見渡して、奇襲の相手を捜す大輔に、
あははっと大きな笑い声を上げてタケル達は知らせた。さあ大変だ。これからとんでもない報復が始まる。
こんなこともあろうかとばかりに、さっきから黙々と作り上げていたたくさんの雪玉が転がっている。
タケル達を睨みつけた大輔は、わなわなと怒りに震えていた。
そんなこと知ったこっちゃないとばかりにブイモンとパタモンが雪玉作成の手を休めてやってくる。

「オレもやりたーい!」

「僕も僕もーっ!」

「お、お、お前らなにすんだよっ!3対1とか卑怯だぞ、ずりいことすんな!
つーかブイモン、お前俺のパートナーのくせに何でタケルの味方してんだーっ!」

「なんだよー。太一とずーっと喧嘩してる大輔が悪いんだよーだっ!オレが話しかけてもぜーんぜん答えてくれなかったくせに!
大輔なんかこうしてやるーっ!」

魂のシャウトが聞こえた。ありったけの気持ちを込めてえぐり込むように作られた雪玉は、とんでもない強度を秘めている。
それをデジモン達の中でも1,2を争う馬鹿力によって豪速球として投げ込まれた大輔は、反射的にしゃがむ。
しかしあまりの寒さに右足の痛みがぶり返し、うまいことしゃがめないことを思い出した時には既に遅し、
どごっというあまりにも鈍い音がして、大輔は豪快に倒れた。そしてしばらくの間両者に沈黙が流れる。
我に返ったブイモンがあわてて大輔―っという声を上げて近寄ろうとするが、モノの見事な人型から這い上がった雪だらけの大輔の顔を見て硬直した。
大輔は無言でいつもは額に置かれているゴーグルに手を伸ばすと、そのまま目に装着した。
ずるい、それじゃあ雪が眼に入る心配がいらないから突っ込んでいけるじゃないか。そう思ったタケルが文句を言うが、ブイモンは後退した。
ブイモンは知っている。大輔が一度だけゴーグルを装着した時を。サイバードラモンをもとに戻すために本気で頑張ったときに装着したのだ、と
話に聞いていたから知っている。やばい、大輔が本気出した、出しちゃった、勝てるかなあこの雪合戦。

「どうしたの?ブイモン」

「大輔本気出しちゃった、どうしよう」

「え?ホント?雪合戦は戦いだってテレビで言ってたよ。そうこなくっちゃ!僕達もがんばろ!」

「え?そうなの、タケル?」

「うん。ほっかいどーってとこでやってる雪合戦はね、すっごく大きい大会で、勝ったチームはおっきいトロフィーもらってた」

「トロフィーってなんだよ、タケル?」

「えーと、えっと、一番強いチームだよっていうことだよ、うん」

一番強い、という言葉に反応したブイモンとパタモンの眼の色が変わった。

「どわっ!」

「うわー、すごーい」

「ホームラン!」

「ちょ、おま、俺を殺す気かよっ。ちょー痛えんだけど、お前の雪玉っ!しかも全力投球すんなよ、一瞬お花畑が見えたじゃねーか」

「えーい」

「うわっ」

「えーっ、なんで僕のだけよけちゃうの、大輔!つまんないよー!」

「おいパタモン!人が話してる時に口目掛けて飛ばす奴があるか!つーか、そんなヘボイ玉あたんねーよ!
そっちがその気ならこっちだって考えてやらー!」

やがてノリ気になってきたらしい大輔は、タケル達の猛攻を避けながら逃げ始める。
そして、雪の塊に葉っぱと石ころをくっつけて、小さなうさぎやら雪だるまをたくさん作って遊んでいたミミとパルモンのもとに駆け込んだ。

「ミミさん、パルモン、助けてください!タケル達が3対1で雪合戦してくるんすよ!」

「えっ、ほんと?ずるーい、なに楽しそうなことやってるの、アタシもやる!大輔君だけなんてかわいそうだからアタシは大輔君のチームね」

「えーっ、ミミさん呼ぶなんてずるいよ、大輔君!」

「そーだ、そーだ、ずるいぞー!」

「うっせえ!3人でよってたかってフルボッコにするお前らのほうが悪いだろ!」

「そうねー、ちょっとタケル君達が悪いよね。うん、だからアタシ全力で行ってもいいよね、大輔君」

「はい!」

「うわーっ!にっげろー!」

雪玉を持って追いかけていたタケル達が蜘蛛の子を散らすように逃げていく。

「ミミ、雪合戦てなーに?」

「雪合戦はね、雪をこうやってボールにして、相手に向かって投げるの。えーいっ!」

お手本とばかりにちゃっちゃと作り上げた雪玉を投げつけたミミは、ブイモンがうわーっと倒れこむのを見てよし、とガッツポーズした。
おー!さっすがミミさん!と拍手する大輔に、ミミはまあね、とウインクした。
子供たちから教えてもらえる遊びはデジタルワールドには存在しない、今まで見たこともないようなものばかりである。
パルモンは面白くて楽しいものだと即座に理解して、私もやるーっと早速雪玉を作り始めた。
タケル達も負けてはいられない、とばかりにパタモンを中心に空から攻撃を開始する。
なんだかどんどん大規模化していく雪合戦に、さっきからずっと楽しそうにしているチビッコたちを羨ましいと思いながら
相談を継続していた上級生たちが、そしてそのパートナーデジモンたちがガマンできるのかといえば当然否である。
真っ先に戦線離脱したのは、パートナーデジモンたちだった。
デジモン達がずるいから参加させろといって適当に二つのチームに散り散りになって遊び始める。
そして、4年生のミミとパルモンが参加しているんだから、クラスメイトである僕も参加していいですよね、と屁理屈こねて光子郎とテントモンが離脱すれば、
もう子供たちの崩壊は早かった。
いつの間にか、なにが原因で始まったのか誰も思い出せなくなるくらい長い間、子供たちとデジモン達は雪合戦に没頭してしまうことになる。
ようやくみんながくたくたになって、決着がつかないまま強制終了するころには、まだまだ前にあったはずの太陽がもうすっかり真上に登ってしまっていた。
もうすぐお昼時である。



[26350] 第十六話 僕らの漂流記 その5
Name: 若州◆e61dab95 ID:6a89e797
Date: 2011/03/26 01:28
変な臭がする、というアグモンの反応に釣られる形で空を見上げた子供たちは、光子郎が森の中に湯気が立ち上っているのを発見し、
もしかしてという期待を込めてそちらに向かった。湯気がだんだん色濃くなり、温かい空気が雪原の白を寄せ付けず、そこの周辺だけが緑に満ちていく。
やがてさらに進んでいくと岩だらけの地帯になり、入浴剤や旅行先でおなじみの匂いだと気付いた子供たちは、いよいよ温泉だとテンションが上がった。
そこにあったのは、念願の温泉である。お風呂に入れる!と期待はますます膨らんだ。
昨日、おもちゃの街でシャワーを貸してもらえたのだが、残念なことにシャワールームはビジネスホテルにあるようなトイレと一体式のものであり、
子供たちがいつも見慣れている思いっきり足を伸ばせるようなバスタブが付いておらず、シャワーを浴びるスペースだけが確保されていたので、
くつろげるような空間ではなかったのである。
一目散に駆け寄った子供たちがその中を覗き込んだが、みるみるうちにその表情は曇っていき、えー、という落胆の表情に変わってしまった。
残念なことに、その温泉はすべてぐつぐつとまるで灼熱地獄のごとく煮立っており、沸騰していたのである。
いくら寒いとはいえ、この中に入るのはいくらなんでもためらわれた。
温度はどれくらいだろうか、と試しに足元にあった石ころを掴んで、昨日樹林地帯で確保してきたツタをリュックから引っ張り出しくくりつけて、
比較的浅そうなところに、ぽいっと太一が投げ込んでみると、沈んでいった石ころはそのまま沈んでいった。
再び引き上げてみるとツタも石も原型はとどめていて、湯気が立ち上っている。どうやら普通のお湯よりかなり熱いくらいである、ということが判明する。
もちろん直接入るのは熱すぎるし、雪を投げ込むにしても労力がかかりそうだし、せめて近くに川があればここまで引いてこれそうだが存在しない。
結論としてお風呂としてこの温泉を利用するのは無理である、という結論にいたり、子供たちは大いにがっかりした。
6つある温泉は全て、子供たちがテレビや雑誌、旅行先で一度も見たこともないような色、原色のペンキをぶちまけたような強烈な色をしていた。
光子郎曰く全部実在する温泉らしい。赤色をしているのは硫化鉄を含んでいるから、黒色は酸化鉄を含んでいるから、白は硫化水素、
黄色は、と説明してくれたがもちろん誰一人としてついてこれていない。知ったかぶりでうなずいているのが数名いるが、理解している気配はない。
さすがにこれらの色全ての温泉が存在する場所は日本中どこを探してもないし、海沿いでもないのに緑色だったりするとお手上げらしい。
とりあえず暖かな湯気に包まれたこの一帯が、真冬並みの気候の中では天国のような地帯であることにはかわりなく、
そろそろお腹も減ってきたし、お昼ごはんにするかと誰ともなく言い始める。食料はどうするんだ、と丈が心配そうにつぶやいたとき、
タケルが冷蔵庫を発見した。この世界にきて、今まで何度も大自然の中に人工物という組み合わせを目撃していた子供たち、
この世界で生きているため、これが当たり前だと考えているデジモン達はなんら疑問を挟む余地はなく、その冷蔵庫に殺到した。
そして冷蔵庫と冷凍庫しか無いという昭和懐かしいデザインの冷蔵庫を開いてみると、たくさんの卵が大量に入っていた。
果物や魚、お菓子しか口にしていない子供たちにとっては久しぶりの卵祭りである。目を輝かせた大輔は、ちょっと待ってよ、という丈の声に振り向いた。
食べられるかどうか分からないんだから、まだ気が早い、という至極真っ当な危険性を指摘した丈に、太一がさらっと自分が毒見するから心配要らないと笑う。
不自然すぎる状況に慣れっこになりつつあるため、この玉子が第三者の所有物かもしれないから、泥棒になるかもしれないという発想はあっても口にしなかった丈は、
本来自分が取るべき最上級生としての態度と責任をいまいち果たすことができず、太一やヤマト、空に置いて行かれることが多い現状に焦り始めているようだ。
そんな事知らない大輔は、昨日果物を集めていたときに助けてくれたときと違って、ずいぶんとぴりぴりしていることに気づく。なに怒ってんだろ、丈さん。
そういえば、さっきの雪合戦にゴマモンは参加していたが丈は参加していなかったことを大輔は思い出す。その時からイライラしてる気がする。
ミミの話の中で今家に帰れるとしたら何がしたい、という話題に、中学受験を控えている身であるためか、
春休みの宿題と塾の課題をたくさんやりたいと語っていたそうだから、てっきり勉強が大好きで運動が苦手な人なのかと思っていた。
或いは雪合戦は子どもっぽい遊びだから興味がわかないから、参加していないのかと思っていた。それにしてはなんだか言葉の節々が乱暴だ。変なの。
しかし、大輔の興味はそんなことよりも卵が食べられるのかどうかにすぐに移ってしまう。
太一が試しにひとつ卵を割ってみると、現役主夫が板につき始めているヤマトの判定により新鮮な卵であるということが判明し、
今日の昼飯のメインディッシュは卵ということになった。調味料も主食も副菜もないが、お湯が近くにあるということは,
焼く以外の調理法もできそうである。バリエーションが増えるのは眼に見えていた。料理経験が浅い子供たちでも簡単に作れるのが、卵料理である。

ブイモンと大輔を初めとする力持ちなデジモン達が頑張って運んできた6つの岩が、丁度3つずつ円になるような形で置かれる。
他のデジモン達が力を合わせて薄く丸く仕上げてくれた鉄板替わりの岩が乗せられる。特に表面は頑張ってミミとパルモンが綺麗にした。
太一と光子郎が運んできたマキがその下に敷き詰められ、アグモンの炎によりめらめらと燃え上がった。
ピヨモンが羽を羽ばたかせて新鮮な空気を送り込み、ますます火力が強くなったことで鉄板が熱せられていく。
そしてその上から空が失敗一つなく8つ分の目玉焼きを作り上げ、焼き加減を調整している。
蓋をすることはできないが、おもちゃの街から持ってきた水によって蒸発していく水蒸気が焦がすことなく目玉焼きを作っていく。
半熟、堅焼き、といろいろ好みは分かれるだろうが、アグモンとガブモンが自慢の牙とあごで荒削りの器を現在進行形で作っているため、
おそらく目玉焼きは堅焼き一択となりそうだ。ちなみに、テーブル替わりにも使われる予定の鉄板が冷めたら、並べられる予定である。
そして太一が得意料理だと豪語したオムレツが大量に作られていく横で、アグモンがすごいねえ、とマイペースに笑った。
ヤマトとタケル達は何故か冷蔵庫の中に入っていたカゴにたくさん卵を入れ、6つある温泉の中でどれが無事にゆで卵ができるか実験していた。
幸い全部まともなものができると分かったが、真っ黒になったり茶色になったりしたからの中はすべてゆで卵である。残念ながら温泉卵はできそうにない。
ミミが持ってきていたキャンプ用具からナイフを借りた丈は、せっせと全員分のはしを作っている。やがて、見渡すかぎり卵料理が出来上がった。
椅子までは出来なかったため、みんな直接地べたに座るハメになるが、目の前にある精一杯のごちそうにいちいち無粋な文句をいう事ができるほどの余裕はない。
腹が減ってはなんとやらである。いっただきまーす、という合唱と共に、思い思いにみんな食べ始めた。

「あー、大輔、お前オムレツ食うなよ。お前の分作ってねえんだから」

「えーっ、なんすかそれ!こんなにいっぱいあんのに?いいじゃないッスか」

「ダメだっての、まだ俺お前のこと許してねえんだからな」

「それはこっちの台詞っすよ、ばーか。けーち。調子にのって作りすぎてたくせにー」

「んなっ?!なんでお前が知ってんだよ、暇だからって温泉に石投げ込んでやけどしてた癖に!いったな、お前!」

「こらこら、食事中に喧嘩しないの!これ以上騒いだらご飯抜きだからね、二人とも」

ぴしゃりと空からの仲裁が入り、むむむ、と両者にらみ合いながらも立ち上がりかけた場所に再び座る。
そしてお互いに視線を逸らしたまま、黙々と食べ始めた。
そんな二人のやりとりを見ていたメンバーたちは、二人に気付かれないように顔を見合わせてクスクスと笑う。
これでは仲が悪いのか良いのか全然分からない。むしろただ意地の張り合いをしているだけで、両者は喧嘩をしているつもりなのだろうが
第三者的な立場からすれば微笑ましい軽口の応酬にしか見えない。
なにせ二人とも喧嘩していると口をそろえていうのだが、お互いがお互いのことを意識しすぎているのである。
太一はマキを集めながらもあっちこっち駆けまわっては仕事を探している大輔を見ているし、
みんなから待っているよう言われてつまらなさそうに水切り遊びをブイモンとし始めたことまで知っているのだ。
大輔も大輔でちらちらと太一の方を見ては寂しそうな顔をしてぼーとしているから、飛び跳ねてきたお湯に気づかず火傷して、
雪のあるところまで駆け込む騒ぎを起こしているのだ。
はやく謝って仲直りしたいと既に顔に書いてあるのだからさっさと実行すればいいのに、
なぜだか両者ともにどちらかが謝るまで自分は謝らないと主張してずーっと平行線をたどっている状態である。
どんだけ仲いいんだこいつら、と心のなかがひとつになっていることを知らないのは、きっと太一と大輔だけである。
サッカー部の同属嫌悪同士の扱いにはすっかり慣れている空はそんな2人のコトなど軽くスルーして、さっさと話題を転換することにした。

「みんな、目玉焼きにはなにかけて食べる?」

卵料理は美味しい。久々に食べる卵の味は腹ペコの子供たちやデジモン達にも大好評であるのは事実なのだが、
なにせここには調味料が一切無いので、いい意味でも悪い意味でも素材の良さが引き立つ料理しかできない。
つまるところ卵料理はいくら調理しても卵の味しかしないので、次第に飽きてきてしまうのだ。
もちろんあっという間に完食してしまうのは時間の問題だが、きっとリュックの中にある果物は消費期限も気になるから食べることを考えれば、
デザート前の会話といった感じである。
空の予想ではそれなりのグループに分かれて話題が弾むかな、という感じでの提案だったのだが、実はここにいる子供達、
全員が使用する調味料がばらばらであるということが判明した。
丈はオーソドックスの王道は、やっぱり塩と胡椒だろうと強硬に主張した。素材の味が生かされるとの事である。
太一はやっぱり醤油だと言い切った。塩コショウでは半熟の黄身にかける醤油の組み合わせには勝てないらしい。
ヤマトとタケルはマヨネーズだそうだ。ヤマトは料理を始めたばかりの頃はよく焦がしてしまったため、味をごまかすために使っていたら慣れたらしい。
タケルはお兄ちゃんと一緒だし、マヨネーズはなんでも合うし、美味しいし、目玉焼きは味が薄いからそのままはあんまり美味しくないらしい。
大輔もタケルと同じくはっきりとした味がしないのはいやなのか、ケチャップを付けると言った。たまにソース混ぜると美味しいと付け足すと、
空が便乗した。空はソース単体派で、たまにおたふくソースを使うとかウスターを使うとか気分によって変えるらしい。
光子郎はポン酢と口にしてみんなから引かれていたが、大根おろしと梅にポン酢という組み合わせを聞いたらなんだか美味しそうな気がするのは何故だろう。
ミミはみんなおかしいと指摘した上で、余程の甘党なのかお砂糖を掛けるのが1番、もしくは納豆と口にしてみんなを驚かせた。
納豆に生卵の組み合わせなら父親がしているのを見たことがある子供達は、なんとなく連想しやすいが、目玉焼きとの組み合わせはかなりの異色だ。
思わず笑いをこらえてしまったみんなに、ミミはなにようと頬をふくらませた。
そして、果物をみんなが口直しに食べ終えて、食器やらなんやらをいろいろと処理したあと、これからどうするのかという会議が始まる。
大輔やタケル、ミミ、光子郎たちもテーブルに残っていたのだが、空が立ち上がって低学年組のところにやってきた。
何やら上級生組が色々話をしているが、どうも会議が紛糾しているらしく、何を話しているのかは分からないが結構もめているようである。
不安そうに下級生たちが上級生組を見ていることに空は気付いたらしかった。
漂流生活初日も太一とヤマトの喧嘩を見ているため、また激しい喧嘩が行われているのではないか、とみんな気が気ではないのである。
空は心配要らないのだと笑って話してくれた。

「ムゲンマウンテン、あるでしょう?」

目前に迫る大きな大きな山である。

「後ろは雪原でしょう?」

確かに吹雪こそ無いものの一面銀世界がこの温泉地帯を抜ければ待ち構えている。

「前を行くか後ろを行くか、みんなで一生懸命考えてるの。どっちも危ないから、みんなのことを考えるとどっちがいいか、
私たちも頑張って考えてるの。だからしんぱいしないで、ね?決まったら教えるから、みんなあっちにある洞窟で待っててくれない?
もしどこまでいっても野宿できる場所がなかったら、多分あそこで寝ることになると思うから、石とか取り除いてほしいの」

きっと上級生組が話し合っていることはもっともっとたくさんある筈である。
でも下級生たちが知りたいことを全部汲みとって説明してくれた空のお願いを断ることができる子供たちもデジモンもいなかった。
わかりました、という元気の良い声のあと、光子郎とテントモンを先頭に、歩き始めていく。
最後までテーブルに残っていようか迷っている様子の大輔だったが、タケルとブイモンに早く早くと急かされて、
後ろ髪をひかれるような名残惜しさを残して、あわてて追いかけていったのだった。





なあなあ、大輔、と袖を引いてきたブイモンに振り返った大輔が、どーした?と振り返った。
腕の中にたくさん集められた石ころは、入り口まで運ばれてぽいっと捨てられている。
4人がかりで目についている石ころやゴミを片っ端から集めては一箇所に集め続けていたおかげか、
8人と8体が横になる分は確保できているようだ。
ミミは砂埃がある地べたに寝て野宿することに難色を示し、せめて温かい温泉地帯で寝たいと主張しているが、
雪がふるかもしれないこの気候を考えると、雨風もろくに防げない野ざらし紀行で寝るのはあまりにも危険だという
光子郎の指摘に撃沈している。
デジモン達が襲いかかってくることを考えると、隠れる場所がないのはあまりにも危険であり、
温泉地帯は細い道しか無いため逃げる時に不向きであるという光子郎の指摘に挙げられた理由を聞いて始めて、
なるほど、と大輔もブイモンも思った。どうやら上級生たちは自分達が考えているよりもずっとずっといろんなコトを知っているらしい。
理解する事ができる知識と思考回路を持っている光子郎に比べて、なんで自分は何にも知らないんだろう、と改めて大輔は思ったりした。
やっぱり小学校における1年の差はずっとずっと大きいらしい。本来ならそんなこと考える必要もないことなのに、考えるハメになるのは難儀なことである。
タケルとパタモンはミミたちと一緒に、少しでも寝転がることになる地面を綺麗にしようと、いろいろ悪戦苦闘して砂埃と戦っている。
大輔達はまだまだたくさんある石を運ぶ仕事が残っているため往復を繰り返していた。

「なあ、大輔。今日の夜ってみんなで寝ることになるんだよな?じゃあ、大丈夫かなあ?」

ぱんぱん、と手袋を払っていた大輔は、ブイモンの言葉に困ったような顔をした。今朝のコトを思い出すと、はああ、という溜め息しか出てこない。
怪奇現象について誰も信じてくれないということは、誰も助けてくれないということだ。自分の身は自分で守らなければいけないということになる。
ブイモンと大輔が知っていることといえば、大輔がこの世界にきてから必ず夜になると同じ夢をみることと、その夢は続いていること、
その夢を観ている間、実は大輔は誰かに攫われそうになっており、大輔自身はその夢から目覚めることができないということだ。
はっきりいって、今から太陽が沈んで夜になると思うと心配で不安で怖くてたまらない。
ずっと起きていようと思っていたのに、いつの間にか寝てしまったときに起こった怪奇現象である。
ずっと起きているという選択肢は潰れてしまっている。どうしようか、全然対策が思いつかないのだ。

「わかんねえよー、どうしよう、ブイモンずっと起きててくれよ」

「うーん、でもオレ、ずっと起きてるの無理だよ大輔。
あの時はたまたま起きてたから大輔のこと助けられたけど、ずーっと起きてたら倒れちゃうよ」

「そうだよなあ。………って、あああ!そういえば寝なかったら死んじゃうんだってテレビで見た!寝ないとおっきくなれないんだって。
ずーっと起きてるようなことしてたら、俺、身長止まっちゃうかもしれないじゃねーか。ゼッテーやだ!」

ただでさえクラスの中では小柄な部類に入る大輔は、身長が低いことを理由に何かと女子に見下されている現状がある。
いつか大きくなって見返してやるんだと毎日牛乳が苦手な友達からもらったパック牛乳は頑張って飲んでいるし、
家でも柑橘類と一緒に取るようにしている。大豆とかお豆腐とか肉とか体が大きくなるためには大切だと言われているものも
好き嫌いを我慢して頑張って食べている途中なのである。こんなことで地道な努力を無駄に支度はない大輔は割と必死だった。

「うーん………なるべくみんなの近くで寝る?大輔」

「そうだよなあ、何かあったときに、おっきな声出したらみんな気づいてくれるよな。それしかないよなあ」

ホントはやだなー、俺とこぼした大輔にブイモンは同情した。
大輔は怖がりでトイレにも一人でいけないのだというレッテルが不本意ながら貼られているのである。
悪夢を現実と混同するほどの怖がりであり、ブイモンと手をつないで寝ているのだと思われているのである。
こっちはいつ怪奇現象に襲われたとしても、引き離されることがないように、という精一杯考えた末でのせめてもの抵抗と対策なのにだ。
そんな大輔がみんなの近くで寝たがったとしたら、みんなにどう思われるかなんていくらでも想像できた。
散々笑われたのだ。絶対に馬鹿にされるに決まっている。しょうがないなあ、なんていういたたまれない空気の中で、甘えさせてもらうのだ。
想像するだけでそれはとんでもなく大輔にとって屈辱である。耐え難いものである。タケルのように守られる立場として甘えられるのは大輔の望むところではない。
みんなに対等に認めてもらってこそ、思いっきり甘えられるのだという目標を捨てたわけではないのだ。
だって、甘えたいという意識と認めてもらいたいという意識を両立させる他の方法である、素直に全部話してあいてに受け入れてもらうという方法を発見したのに、
みんなに信じてもらえなかったのだから。どうせよというのだ。正直大輔は泣きそうだった。八方塞がりにもほどがあるではないか。
相談しろといった太一には笑われるし、対等だと言ってくれた友達のタケルは信じてくれないし、誰も大輔とブイモンの言う事を悪夢以外で受け入れてくれないのだ。
大輔とブイモンが取れる選択肢は殆ど無い。我慢してみんなと一緒に寝ることを選ぶか。
いっそのこと怪奇現象に身を投じて行方不明にでもなれば、みんな大輔達の言っていたことが嘘じゃないと気づいてくれるんじゃないか、ととんでもないところにまで
思考が飛躍するが、さすがにそれは無理だと大輔は速攻で却下した。訳のわからない物に襲われているから怖いのだ。なんで自分からそっちに近づくのか分からない。
本末転倒にもほどがある。もしもの事があったらと思うと、一瞬でも馬鹿な事を考えた自分が笑えてくる。大輔の右手をブイモンが握った。

「寝るときずーっと手握ってような、大輔」

「おう、ホント頼りにしてるぜ、相棒」

「うん、オレ頑張る」

一人と一匹は顔を見合わせて笑った。

それにしても、何時まで経っても上級生組がやってこないことが、いい加減気になって仕方ない大輔たちである。
ムゲンマウンテンを登るにしろ、雪原を突っ切るにしろ、早く決めないと日がくれてしまう気がするのになにやってんだろう。
昼ごはんを食べてからずいぶんと時間が経った気がするが、空をみあげてみても、大きな森に覆われているせいで太陽の位置がわからない。
太陽の位置がわかったところで時間の変化など分かりっこないのだが、丈や空がよく空をみあげているのを見ている大輔達は、
見よう見まねでやっていた。
洞窟の方を見ると、パタモンのエアショットで最後の大掃除が終わったようで、3人と3匹は疲れたのが雑談を始めていた。
大輔はブイモンとしゃべっていたせいで、まだ石の山を運ぶ仕事がまだ残っている。
それに気付いた大輔達は、慌てて最後の岩の山をたくさん抱えて、入口の方まで運んでいったのだった。
おっわりー、とたくさん積み上がった石の山に最後の山を放り投げた大輔とブイモンは、思いっきり伸びをした。
服の汚れなど頓着しないで運んでいたせいで、すっかり上着は汚れってしまっているが、そんなこと気にしないで適当に払うだけ。
体の節々が痛い気がするのは、欲張って一度にたくさん運んだからだろう。
ブイモンが力持ちであるためか、なにかとそれに付き合う大輔も結構肉体労働をしていることが多いのだ。
もう慣れっこだが、いい加減どこかで洗濯したいものである。遊園地に洗濯機なんてあるわけもなかった。

「ホントおっせーよな、なにやってんだろう、空さん達」

「さーあ?なあなあ大輔、もしかしてまだ決まんないのかなあ?」

「マジかよ、空さんと、ヤマトさんと、丈さんと、太一さんがいんのに?4人もいんのに?」

指折り数えて、まさかあ、そんなわけねーって、と笑った大輔の言葉に思わぬ返答が帰ってきた。

「そのまさかだよ」

驚いて振り返った大輔達の前には、丈が立っていた。丈さん、と声を上げた大輔に、丈はやれやれと首を振って苦笑いした。

「みんな呑気すぎるよ。もっと深刻に考えたほうがいいと思うんだけどね、僕は」

「なんかあったんですか?」

「うん、まあね。考えたら分かるけど、これ以上気温が下がれば野宿は難しくなるし、寒いところだと食べ物もなかなか手に入らないんだ。
僕はさっさとここから抜けだしたほうがいいと思うんだけど、みんなそこんとこ、よく考えてないんだよねえ」

「あー……ごめんなさい?」

「え?あ、いやいや、大輔君のせいじゃないよ。雪合戦に参加してこれからのこと後回しにしてた太一達が悪いんだ。
僕たちは、いや、僕はみんなを守らなくちゃいけないんだからね。ボクが1番年上なんだから。
それなのにゴマモンまで僕のこと、どうでもいいことで悩むし、融通が聞かないっていうんだ、ヒドイ話さ」

「ゆううず?」

「あー、なんかあったときに、ルールの通りにしか動けないってことだよ。言われたことしかできないってことさ」

「えー、なんで?丈は大輔助けてくれただろ?言われたことじゃないじゃん」

「だよなあ、丈さん頼りになるのにゴマモン酷いよな。少なくとも太一さんよりはずっと……」

「はは、ありがとう。大輔君、早く太一と仲直りしたほうがいいよ。なんか太一、焦ってるみたいだから」

「へ?」

「太一はムゲンマウンテンに登れば全体が見渡せるから、みんなで登ろうっていうんだ。
ヤマトは、危ないからそんなこと出来ないっていうんだ。あの山は強いデジモンがたくさんいるらしいしね。
何時までも逃げ腰じゃどうしようもないとか、太一の強引さにみんなを巻き込むなとか、大喧嘩さ。
みんな疲れてるとは思うけど、太一もヤマトも意地はっちゃってるみたいで、なかなかお互いに話しあおうとしてくれないんだよ。
太一は多分、焦ってるんだ。なんか頑張りすぎてまわりが見えてないね」

「………なんで焦ってるんすかね、太一さん」

「うーん、僕もよく分からないなあ。僕、2人兄さんがいてね、1番下なんだ。だから兄さんたちとよく似てるから気付いただけで、それだけだよ。
あれはたぶん、お兄さんを頑張りすぎてるんじゃないかな」

お兄さんを頑張りすぎている、という言葉を聞いた大輔は、お兄ちゃんやお姉ちゃんはお前が考えているよりもずっと大変なんだ、と
ヒントを教えてくれたヤマトの言葉を思い出した。それが何故太一が意地を張ってまで自分の意志を押し通そうとしている、焦っている、という
事態に繋がっているのかさっぱり検討がつかないが、キッカケが大輔との喧嘩であることはなんとなく理解する。

「いっておいでよ、大輔君、ブイモン。君達はもっと話し合ったほうがいい」

「うーん………丈さんがいうなら、ちょっと行ってくるか?ブイモン」

「うん、それがいいよ大輔。いこう」

「ありがとうございます、丈さん」

「いいよいいよ、いってらっしゃい」

かけ出した二人は、結局突然現れた丈の真意に微塵も気づくことができないまま、去ってしまった。

それとなく話題を逸らした丈はため息を付いた。
年長者としてひとりですべてを背負い込んでいた丈だが、実際には生真面目で慎重すぎる性格が災いして、なかなかみんなの為に具体的な行動に出られないでいる。
そのため、必然的に太一やヤマトにみんなのリーダーとしての立場を奪われる事態となっていることを、こんな年下の少年に悟られるわけにはいかなかった。
その太一とヤマトのケンカを止められなかったことで、リーダーとしての自信をすっかり失っているのである
島全体を見渡すためにムゲンマウンテンに登ることを主張する太一と、みんなの安全を考えて太一に反対するヤマト。
どちらか一方を強要されて二人に意見を求められても、結局どちらにも一理あることが分かっていて、なおかつ二人を同時に納得させる折衷案を
すぐに提示することが出来なかったのである。それが丈にはショックだった。自分ならできると思っていたのだ。
太一が目指すリーダーと丈が目指すリーダーは違っている。こういった意見の対立でグループが行き詰ってしまったときに、みんなの意見をまとめて話しあって、
グループ全体の統率力を促すのがリーダーの役目だと丈は思っている。こんな一致団結とは程遠いメンバーばかりを抱えたら尚更。
もっとでーんと構えて、精神的な意味での支えとしてみんなの力になりたいと考えている丈は、どうしても慎重に考えすぎてしまう。優柔不断になってしまう。
そのため、女性らしい気配りにより他のメンバーの小さなことに気が付きやすい空に、すっかりお株を奪われている形となっているのが悲しいところだ。
今の丈は、年長者としての責任を必要以上に強くプレッシャーとして感じているせいで、成果を急いでいる。
目指すリーダーの理想と現実のギャップに焦るあまり、精神的な意味でのリーダーは信頼されなければならないという前提があるため、
なんとかみんなに丈の存在を知らしめようとしているのだがうまくいっていなかった。無理をして太一のように行動で示すリーダーと履き違えて行動しようとしていた。
そこで決意してこっそり此処に来たのだ。何もできなかった悔しさや優柔不断な自分自身へのいらだち、を抱えたまま、
思いつめた表情で丈はこっそりと入り口にガリガリと石で何かかき残す。そこには、夕方までには帰るから、ここで待っているようにというメッセージが刻まれた。
太一やヤマトたちから信頼を得るためには自分が行動しなければならない、なら自分だけでムゲンマウンテンに登って、この島全体を見わたすことが出来ればいいのだ。
それが思い余って丈が出した結論である。
これは一人でなければならないことだった。だから大輔たちがここにいては困るのだ。去ってしまった少年とデジモンにゴメンねと一言こぼし、
丈はそのままこっそりとムゲンマウンテン目指して去ってしまったのだった。



[26350] 第十七話 僕らの漂流記 その6
Name: 若州◆e61dab95 ID:00522ca9
Date: 2011/03/29 00:30
「大輔え、なんでオレ達隠れてるんだよ」

「しーっ、静かにしろってば」

「太一のことが心配なんだろ?大輔。なんでこんな木陰から見てるんだよ」

「べ、別に心配なんかしてねえよ。太一さんは俺が心配なんかしなくたって大丈夫だろ、小学校5年生なんだから」

「じゃあなんで見に来てるんだよー、変なの」

「見に来てるわけじゃねーよ、お、俺はただ、その、話し合いはどうなってんのかなって気になっただけで」

「じゃあさっさと聞きに行けばいいんじゃない?大輔」

「だーもー、うっせえ。ブイモンは黙ってろよ」

口を塞がれてしまったブイモンは、むーむーと抗議のまなざしを向けるが大輔は聞く耳持たずで、ずっとこっそり木陰から様子を伺っている状態だ。
こちらの姿がバレないように大輔とブイモンは、茂みの中にしゃがみ込み、そーっと目だけだして、もくもくと白い湯気が立ち上っている場所を見つめている。
もっと近づいたほうがいいかなあ、と大輔はつぶやいた。すこし距離があるせいかあの場所にいるはずの上級生組姿がイマイチ確認できず、
なにを話し合っているのかよく分からない。シルエットすら確認できないことに舌打ちした大輔は、ブイモンにちょっとだけ距離を近づけようといった。
本当に素直じゃないんだから、とブイモンはこっそり大輔の背中を見つめながら笑った。置いて行かれないようについていきながら、パートナーを見上げる。
太一のことが嫌いだ、と公言しておきながら、大輔はずっと太一と今日一日喧嘩以外の会話をしていないことが相当ショックな様子で、心あらずなことが多い。
ブイモンは気付いていた。大輔がとっている行動は、そっくりそのまま姉であるジュンと仲直りできないと口にしたときの大輔とよく似ている。
本当に嫌いになったんなら、太一の真似をして付けている額のゴーグルなんてさっさと外して、どこかに捨ててしまえばいいのに、
大輔は今のところそんなこと思いつきもしない様子で、相変わらずPHSやデジヴァイスと同じようにずっとつけっぱなしなしなままだ。
それを指摘してもいいけれど、そうしたときにきっと大輔は一瞬だけでも傷ついた顔をすることがブイモンには分かっているから、あえて言わないままだ。
ブイモンの1番は大輔だ。その大輔にパートナーデジモンとして必要とされているのだ、とはっきりと宣言してもらえたブイモンは、すっかり心に余裕ができており、
以前のように少しでも大輔が他の人間やデジモンと仲良くなっていくのが嫌で嫌でたまらず、ハラハラ見たり、嫉妬にかられながら邪魔したりという行動は無くなっている。
ちょっとだけ一歩離れたところから行動することにもガマンできるようになっていた。
もちろん、大輔のパートナーデジモンであるという地位が揺らぐような緊急事態になったら、何がなんでも邪魔する、何だってするという方針は変わらないけれど。
ほんの少しだけ周りを見ることができるようになったブイモンは、自分以外に向けられる大輔の表情とか、行動とか、考えとか、言葉とか、
いろんなモノを間近で見られるということも結構楽しいかもしれないとも思い始めている。それも含めて全部大輔なのだ。何で気づかなかったんだろう。
大輔はブイモンが一緒にいることを当たり前のように思っているし、ちょっとだけ自分が考えていることをブイモンだけにはこぼしたりしてくれるようになったのだ。
大満足な毎日がここにある。本来ならさっさと大輔の背中に回りこんで、ぐいぐいと背中を押すべきなのは分かっている。
慌てる大輔の様子が眼に浮かぶようで笑ってしまうが、抵抗なんて聞く耳持たずで大輔をさっさとあの湯気の向こう側に特攻させて、
太一と仲直りさせたほうがいいのは知っているが、ブイモンの1番は大輔であって、太一でもアグモンでもないのだ。むしろライバルだ。
なんでわざわざライバルに協力しなくちゃいけないのか分からない。
本人に言わせればきっと丈の言葉があったから、というに決まっているが、そんな事しなくたって大輔はきっと自分からそういうコトをするだろう。
なんにも心配なんていらないのだ。だからブイモンは大輔のあとを追いかける。これ、かくれんぼみたいで結構楽しい。
太一達に見つからないように、こっそりこっそり行動するのは結構おもしろい。パートナーには内緒でブイモンはこの状況を楽しんでいた。
ブイモンは無邪気な子どものような性質を持っている。
ブイモンのいう1番とは、どこまでも遊ぶこと、食べること、寝ることと同じくらい大好きという意味である。
でも一つのことに集中すると一直線で、周りのことに気が回らなくなってしまうという悪い癖は、どうやらパートナーと同様らしい。

「大輔にブイモンじゃないか。そんなところでなにやってるんだ?」

2つの間抜けな声が上がった。

「なんだよ、人をバケモノみたいな反応して。どうしたんだ?」

「かくれんぼでもやってるの?」

ヤマトとガブモンがそこにいた。てっきり湯気の向こう側にいるとばかり思っていた大輔とブイモンの驚きは尋常なものではなかった。
しかし、復活して状況を把握したあとの1人と1匹の反応は全く違った。
え、いや、その、とワタワタしながら動揺を体現している両手が訳の分からないジェスチャーをしている大輔の横で、
違うよー、とブイモンはあっさりと白状して首を振った。
おいブイモン!、というまさかの裏切りに抗議の声が上がるが、どこ吹く風でブイモンは、ね、大輔と返した。
まさかのパートナーからの追撃である。あー、うー、えーっと、と必死で頭を回転させながら言い訳を考えている大輔は、
本当に隠し事や嘘を付くのが下手であるとこの場にいた全員に印象づけるのは言うまでもなかった。
ブイモンと大輔の会話を見ていたヤマトとガブモンは、顔を見合わせる。だいたいのことを把握したらしく、口元がほころんだ。
げ、と大輔はあからさまに嫌そうな顔をする。ヤマトは自分だけが分かっていることをわざわざ得意げな顔をして誇示し、
思わせぶりな言葉を重ねて、わからないという顔をする大輔に、まあ頑張れとニコニコしながら肩を叩くという印象が植えつけられている。
それを大輔はかっこつけ、とかクール、とか呼称している。きっと本人の耳に伝われば最後、また鉄拳が降りるのは分かっているので
わざわざ本人の前でうっかり口にするほど大輔は馬鹿ではなかった。

ヤマトからすれば、トラウマや悩みを抱えて奮闘する大人びた小学校二年生が、時折垣間見せるとてつもなく幼稚で微笑ましいギャップが
楽しくて仕方ないだけである。
もちろんヤマトもガブモンも、大輔が太一に謝りたいが、どうしても踏ん切りがつかなくてグズグズしているのだと理解している。
ここでするべきことも理解している。逃げ腰の大輔を捕まえて、ヤマトはしゃがみこんだ。目線を合わせて話せるのはヤマトのいいところである。
だがガブモンは気付いていた。
ヤマトがみんなの行動を決める上で大切な、これからの進路という重大な決定事項を、まだ決められていないこと。
そして、太一の意見とぶつかったまま平行線を辿り、仲介に入った丈とも3つどもえの争いとなってしまったこと。
挙句の果てに空からいい加減にしろと叱られた上、パートナーデジモンたちに落ち着けと説教された挙句、
会議ごと強制終了させられてしまい、頭を冷やしてこいという無言の圧力に屈して、事実上追い出されたのだというあまりにも情けない事実を、
全力で棚に上げる方針なのだと理解して、ちょっとだけジト目でヤマトのことを見つめていた。
冷ややかなパートナーデジモンの眼差しにめげることなく、全力で気づかないふりをすることにしたヤマトは、わざとらしく声を上げて笑った。
もちろんそんなこと知るはずもない大輔とブイモンは顔を見合わせた。
みんなと一緒でない限り、絶対に大笑いしたりするような人ではないと知っている分、今この状況は事情を知らない大輔たちには恐怖でしかない。
どうしよう、この人全然感情がこもっていない顔で笑ってるよ。怖い、すっげー怖い。やっぱり苦手だこの人。
またヤマトの知らないところで大輔の苦手意識が大幅に上昇していた。

「太一ならあそこにいるぞ」

「……俺まだ何もいってないんすけど」

「空は洞窟の方を見てくるっていってたし、あそこにいるのは太一とアグモンだけだ。心配しないでいってこいよ」

「…………はい」

やっぱりこの人には隠し事をするのは不可能なのだと改めて感じた大輔は、観念した様子でがっくりと肩を落としたので気づかない。
じゃあなんでヤマト達はここにいるのだという至極もっともな疑問を大輔たちが気づく余地も挟む隙すら与えず、ヤマトはたたみかける。
こっそりブイモンに話そうとしているガブモンの青い毛皮をそれとなく踏んづけながら、
引っかかってべたんとこけたガブモンからの恨めしげな視線などどこ吹く風、ヤマトは行って来いと後押しする。
まるでコントのような不可解なヤマト達の行動に疑問を覚えながらも、大輔が頷いたのでそっちを優先することにしたブイモンは、
全力でごまかしきれたと汗を拭うヤマトを目撃しながら、その場をあとにした。あとで聞けばいいや。





「太一さん」

「よう、どうしたんだよ、大輔。今は喧嘩するような気分じゃないからどっかいけよな」

拾いあげられたこぶしサイズの石が、ぼちゃんと音を立てて温泉の中に吸い込まれていく。
広がっていった波紋は、ぐつぐつに立っている水面にあっという間に飲み込まれて、見えなくなってしまった。

「いやっすよ、俺も喧嘩する気分じゃないんで」

あー言えばこう言う。今まで冗談交じりの喧嘩をしたことはあった太一だが、本格的な喧嘩になるとなかなか手強い相手だと知った。
てくてくてく、と太一のもとに歩いて行く大輔に、なんでこんな時にくるんだよ、と愚痴をこぼした太一は、はあとため息を付いた。
厄介ごとは次から次とやってくる、と太一は頭をかいた。大輔との喧嘩、ヤマトとの喧嘩、丈との喧嘩、そして空やデジモン達の言葉、
図星ばかり指摘されてしまっては、いくら元気印の太一だってうまくいかないことばかりの現状、落ち込みたくなる時だってある。
気を効かせてくれたのか、さっきから姿が見えないアグモンに感謝しつつ、なんだよーとみんなに対する愚痴を
温泉に向かって投げつけていたこの状況で、よりによって1番会いたくない奴が来てしまったのだ。最悪である。
なんでみんな俺についてきてくれないんだろう、俺だって頑張ってんのに。努力に見合う成果が得られない現状は、相当なストレスなようだった。
空回りしているという自覚はあった。ただ勢いとテンションに任せてごまかしていただけで。
そうでなければ、ヤマトにそれを残酷なまでに明確に指摘されたときに、カッとなってしまうことなんてありえないのだ。
分かってるけど、どうしたらいいのか分からない。頭がぐちゃぐちゃしているときに、大輔が来てしまったのだ。言葉だって辛辣になる。

見るからに落ち込んでいる太一の姿に、自分が知っている自意識過剰なまでにポジティブな姿が全く見出すことはできない。
泣いたり怒ったりするのは当たり前だ、何をいっているのだ、と太一本人から言われたときは、
少なからず幻滅していたが、心臓にナイフを刺されたような気がしたことを大輔は思い出す。
今回はその比ではないけれども、太一に初めて相談したとき感じたもやもやが、今心のなかで渦巻いていると大輔は気づいて戸惑っている。
言葉の意味も理解していたつもりではあるが、大輔の心のなかでは到底納得出来るものでないのは言うまでもない。
目を背けたくなるようなとんでもないショックを覚えながらも、大輔はもうここに来るときに覚悟は決めてきたので、怯むわけにもいかずそのまま隣にやってきた。
たった一言ごめんなさい、というだけにもかかわらず、なぜここまで躊躇と抵抗、葛藤の連続を体験しなければここまで来ることすらできなかったのか、
イマイチ大輔本人は理解しきれていない。
ここまで本格的な、ねじれに捻れた喧嘩は初体験だが、太一と大輔は軽口程度の言い合いならいつでもやっていたから、お互いに戸惑っている部分はある。
それにしたって、いつもなら大輔からにしろ太一からにしろ、ごめんなさいとさっさと謝って仲直りすればいいだけだと分かっているのにだ。
なんでここまで言葉が重いのか大輔はわからないが、もう太一と喧嘩をするのは嫌だと思った気持ちは本物だ。
だったらその為に行動すればいいことを大輔は知っていた。それは大輔からすれば相当な苦痛を伴う一歩である。
理想と現実の違いをまざまざと見せつけられる光景がある中で、最初の大げんかを目撃したときのように逃げるという選択肢もあったのに、
あえてそれをすることはなく行動できているのは、紛れもない一歩前進であると言えた。
こうして大輔は少しずつではあるが、ジュンお姉ちゃんとの仲直りに向けた経験を積んでいく、紛れもない成長を進めていた。

「空だろ」

「え?」

「俺達がここにいるって教えたの」

「違うっすよ。丈さんとヤマトさんです」

「あいつらー、嫌がらせかよ」

「嫌がらせってなんすか、それ。俺はただ太一さんがしんぱ」

「え?」

喧嘩中の後輩からの思わぬ言葉に、もう一投準備していた石ころが太一の手元から転がり落ちる。
その石ころが温泉に落ちて、ぼちゃんという小さな音を立てた。両者の間に沈黙が落ちる。
心配?と言い返した太一は、ぽかんとして瞬きを何度か繰り返していた。
勢い余ってとんでもないことを口走ってしまったことに気付いた大輔は、あ、いや、その、違います!と慌てて否定する。

「俺が心配なんかしなくっても、太一さんが大丈夫なのはわかってますけど、その、えと、なんていうか」

「ぷっ、くくく、あははははっ、なんだよそれ、一緒だろ!俺のこと心配してきたのかよ、大輔!
変なやつだなー、俺達今喧嘩してる途中だろ!」

「んなっ、なんで笑うんすか、太一さん!」

「普通喧嘩してる奴が心配でわざわざ来ましたなんて言う奴いねえよ!しかも本人の前で!
だめだ、死ぬ、笑い死ぬって、やべえ、マジで止まんな、あははははっ!」

「いててててっ、叩かないでくださいよっ太一さん!」

突然腹を抱えて笑い始めてしまった太一は、息をするのも辛いのかヒイヒイ言い始めてしまう。
涙目でばんばんと背中を叩かれてしまい、大輔は思わず咳き込んだ。
なんだよ、もう、と予想外過ぎる反応をされてしまい、いたたまれなくなってしまった大輔は、すっかりすねてしまった。
しかし、いつの間にかいつもの調子を取り戻したらしい太一は、ニヤニヤとしながら大輔を見下ろしてきた。
これはヤマトやガブモンから向けられた視線と同じものであると嫌というほど悟った大輔は、何とか逃げようとするが無理である。
この時の太一は大輔をからかったり、ちょっかいを掛けたりするためなら、何だってするようなとんでもない悪者顔をする。
しまった、と思ったときには遅かった。へー、そっか、ふーん、と太一は冷や汗を浮かべる大輔に笑いかけた。

「俺のことが心配で来てくれたんだろ、大輔」

「だから、違うっていって……」

「じゃあ落ち込んでる俺を笑いに来たのかよ、ひでえなあ」

「そ、そんな事いってないっすよ!」

「じゃあ何だよ、ヤマトたちからの嫌がらせか?お前らぐるかよ」

「だから違うって!」

「じゃあ何だよ」

「うぐぐぐぐ」

こうなってしまったが最後、散々からかいたおしてくるのだ、このサッカー部のキャプテンは。
大輔は不本意ながらサッカー部のチームメイトやクラスメイト達からいじられ役として見られている気配があり、
基本的に怒らせても謝れば必ず許してくれること、そのことを何時までも引きずらずにさっぱり水に流してくれるという
あっさりとしていて優しいところをみんな知っているためか、こうしてからかわれることも多いのだ。
サッカー部の中でも太一はある意味その筆頭でもあり、大輔はこういう所だけは嫌だったりするのだが、
ようやく本調子に戻ってくれたらしい太一を見てしまうと何も言えなくなってしまう。

「そうっすよ、太一さんが心配でここまで来たんすよ!」

なかばやけになって叫べば、太一はまた声を上あげて、それはそれは楽しそうに笑った。
今まで悩んでいたことが嫌になってしまうくらい、あっさりと太一と大輔は仲直りしていたことに気付いた。

「ありがとな、大輔」

「え?」

「えってなんだよ、えって。しっつれいだな、俺だってありがとうくらい言えるさ」

「あ、は、はい。その、ごめんなさい」

「あー俺もごめんな、秘密にしてくれって言われたのに。
お前が頼りにしてくれるなんて、あまりにも珍しかったもんだから、ついついヤマトや空にも自慢したくなっちまってさ」

「なんでそこで空さん達が出てくるんすか」

「さーなー」

「えー、教えてくださいよ!」

「やなこった。ぜってー教えねえ!」

べー、と舌を出す太一に、イラッとした大輔は言い返そうとしたが避けられてしまう。
やがて追いかけっこにしては、ずいぶんとお互い全力疾走しているマラソンが始まってしまうが、
双方いつものことなので気にも留めていなかった。
二人を仲直りさせるために頑張った影の功労者達は、茂みに隠れてにこにこと笑っていた。
そんな穏やかな昼下がりをぶち壊す一声が飛び込んでくることになるなど、このときは誰も予想することはできなかったのだった。

「太一、太一、大変よ!丈先輩とゴマモンがいないの!」

血相変えて飛んできたのは空とピヨモン、アグモン、そしてブイモンだった。
突然の情報に驚いて太一と大輔は慌てて空たちのもとに駆け寄ると、ぜいぜいと息を吐きながら空が状況を教えてくれた。
洞窟の前に、ムゲンマウンテンに登ってくる、夕方までに帰ってくるから待っていてくれ、と刻まれたメッセージが見つかり、
そこには城戸丈と書かれていたらしい。
光子郎達も荷物を取りに来ている丈を見たのだが、丈はいつもの通りな様子だったし、出て行こうと準備しながら、
太一とヤマトの意見により折衷案として上級生がムゲンマウンテンに登り、帰ってくるまでみんな待っているということを聞かされたため、
てっきりそれが話し合いで決まったものだとすっかり勘違いしていたため、引き止めるのは誰ひとりとしていなかったのである。
まさかその上級生が丈のみだと誰が予想できるだろうか。メッセージだって普通に考えれば、上級生組を代表して丈が書いたと考えてしまう。
太一は丈の優柔不断な態度をみてイライラすることがあったので、喧嘩になってしまったが、その折衷案をきいたとき、
太一やヤマトの意見にどちらも賛同しないで話しあおうと主張していた理由をようやく理解する。
なんだよ、丈のやつ、しっかり考えてんじゃんか、なんでいってくれなかったんだよ。そしたら俺だって。
すっかり頼りないイメージがついていた印象がガラリと変わる。見直した。やるじゃん、丈のやつ。
どうやら丈の考えを見抜いていたらしいゴマモンは、一人でムゲンマウンテンに行こうとしているパートナーと一緒に行くことを選んだらしい。
丈とゴマモンは正反対の性質であるため、よく言い合いをしているのを目にしていた子供たちやデジモン達は驚いた。
なんだかんだで丈のことを1番理解していたのは、パートナーデジモンであるゴマモンだったということだ。
ムゲンマウンテンにはたくさんの凶暴で強いデジモンがいるのだ。ゴマモンはまだ進化できない。
丈とゴマモンが危ないということを把握した太一達の行動は早かった。
ヤマトは一緒にムゲンマウンテンに行きたい気持ちをグッとこらえて、下級生組を守るため洞窟で待っていることを選んだ。
ピヨモンから進化したバードラモンにのって、太一達と空が丈達を助けに行くということが決定する。
そして、助けだせ次第、大丈夫そうだということが確認できたら、そのまま太一達は先に上る。
空はバードラモンと一緒にヤマト達に様子を知らせて、安全だとわかったらみんなでムゲンマウンテンに上ることになった。

「どうしましょう、太一さん。丈さんがイライラしてるって分かってたのに、なんで話し合いしてる途中なのに突然来たのかオカシイって
全然気づけなかった!ゴマモンと丈さんになんかあったらどうしよう!」

「落ち着けよ、大輔。大輔は悪くないだろ?」

「だって、多分丈さんがメッセージ書いたの俺達が行った後なんすよ!もっと早く空さん達に知らせてたら!」

「光子郎たちだって全然気付いてなかったんだ。俺なんて丈がイライラしてるなんて全然知らなかったんだ。
そんなこと言うなよ。無理すんな。大輔は大輔のまんまでいいんだよ。
丈がついた嘘を見ぬいて、俺達に知らせるなんてできっこないだろ?そんなことできたら大輔じゃないってみんな知ってんだから。
ここは俺達に任せて待ってろよ。待ってんのも大輔にしかできないことだぞ!つか俺のことも心配しろよ!」

「はいはい、仲直りしたのは分かったから、早く行くわよ太一」

「が、がんばってください!」

進化の光りに包まれた火の鳥が大きな翼をひろげて、湯気を一気に吹き飛ばし、岩だらけの高い高い山へと登っていく。
その様子を小さくなるまで見守っていた大輔は、空に言われたとおり洞窟でヤマト達と合流することにした。
待っていることも大輔達にしかできないことだと言われても、どこか歯がゆい大輔は何度もムゲンマウンテンを振り返った。

「大丈夫だよ、大輔。太一達が負けるわけないだろ?」

「分かってるよ」

「だったら早くいこーぜ!みんな待ってるんだからさ」

「分かったよ」

「あーあ、やっぱり太一が羨ましいや」

「はあ?」

「太一はずるいよ。だって太一はオレが大輔に会うずっと前から知り合いなんだ。
オレが知らない大輔をいっぱい知ってるんだ。それってずるい。勝てっこないじゃんか。
太一なら大丈夫なんだって一番良く知ってるのは大輔だろー、大輔、絶対オレのことそこまで頼りにしてくれっこないんだ」

「ブイモンお前」

「でもいいんだ。絶対いつかオレが大輔の1番になるって決めたんだ。大輔、見ててよ、オレ頑張るから」



[26350] 第十八話 うそつきのこども
Name: 若州◆e61dab95 ID:10839619
Date: 2011/03/29 00:31
デジモンデータ
ユニモン
レベル:成熟期
ギリシャ神話のユニコーンのツノと、ペガサスの羽をあわせ持った聖獣型デジモン。
背中の大きな翼で、コンピューターネットワークの世界を瞬時にかけまわる。
野生のユニモンは賢くて大人しいが、性質は気難しく手懐けるまでにはその気性の粗さに手を焼く。
手なずけてしまえば、手足のように扱う事が出来る。必殺技は、口から気功弾を吐くホーリーショットだ。

ムゲンマウンテンの滝に水を飲みに来ていたユニモンに黒い歯車が襲いかかったとは、目撃者である丈とゴマモンの弁である。
間一髪助けに来た太一達により、バードラモンとグレイモンで応戦したものの、グレイモンは足場を確保できず動きが鈍り、
単身空中戦を強いられたバードラモンは足に捕まっている空を庇って戦わなければならず、隙の多さをその俊足に突かれて大苦戦。
2体が撃墜されてしまい、状況は逆転、今度こそ危ないというとき、ゴマモンが進化した。

デジモンデータ
イッカクモン
レベル:成熟期
北極探知基地のコンピュータの中で発見されたデジモン。吠える声はライオンに似ている。頑丈なカラダで、極寒の地でも生活できる。
氷の上にいるときは、高熱を発してで足場をとかし、ツメをくいこませて安定させる。そのため足をすべらせることはない。
頭のツノは伝説のレアメタル“ミスリル”でできており、何度でも再生可能。必殺技は ツノをミサイルのように撃つハープーンバルカンだ。

イッカクモンの放ったハープーンバルカンは、苦戦を強いていた俊足を捉えた。ツノから現れたのは、追尾機能が搭載されているミサイルだった。
そして、見事ユニモンを蝕んでいた黒い歯車を撃破したことで、我に返ったユニモンはどこか遠くへ飛んでいってしまったのである。
こうして助けに来たはずがすっかり立場が逆転してしまった太一達は、丈達と仲直りすると共に、お互いにすれ違い始めていたことを反省し、
なんとかこの世界からもとの世界に戻るための手がかりを得るために、一足先にムゲンマウンテンの頂上目指して進んでいった。
以上がムゲンマウンテンまでの道中の安全を確認した空とバードラモンが伝えてくれたあらましである。
洞窟前で空の知らせを待ち続けていたヤマト達は、太一達を追いかけてムゲンマウンテンを上ることになったのだった。
ちなみに、太一との仲直りを躊躇していた大輔の心中を知りながら、発破をかけて背中を押すふりをして、
ほとんど騙す形で洞窟から遠ざけてしまったことを謝罪するという伝言を空から伝えられた大輔は、
先に行ってしまったバードラモンと空に、キッカケをくれてありがとうと伝えて欲しいと言って見送った。
そして、ヤマトたちを先頭に、長く険しい山道を一生懸命登ることになったのである。

丈達の体験した激しい戦闘の名残は、至る所に残されていた。
グレイモンたちが暴れまわった大きな足あと、激しく激突したらしい岩壁にはグレイモンそっくりのカタが出来ていた。
そして、たくさんのひび割れ、落ちてきた岩によってますます狭くえぐられてしまっている山道、
足を踏み外せば断崖絶壁状態のこの岩道では、スリル満点の光景である。下から上に吹いてくる風がますます背中を凍らせた。
極めつけが人の頭ほどの大きさの岩が、ごろごろと転がっているのだ。子供たちとデジモン達はゴクリとつばを飲み込んだ。
しかし、満場一致でムゲンマウンテンを上ると言ってしまった手前、今更洞窟の前で待っているとも言えないし、やっと中腹まで来たのである。
引き返すなんていう雰囲気でもないため、みんな文句ひとつ言わず必死で足を動かし続けていた。



ブイモンから伸ばされた手をつかみ、せーの、で大きな岩を一気に駆け上がった大輔は、ブイモンと一緒にジャンプして見事向こう側に着地した。
最後はタケルとパタモンである。最初はみんなと一緒に4つ足で歩いていたパタモンは、
もうここまで来るとすっかり音を上げてタケルの帽子にへばりついている。
大輔とブイモンのやりとりや行動をちょっとだけ羨ましそうに見ていたタケルは、ヤマトに呼ばれて大岩に近づいた。
タケルは見ていた。ヤマトに手を貸そうかと呼びかけられた大輔は、ブイモンがいるから大丈夫だと笑っていた。
差し伸べた手を寂しそうに戻したヤマトを思い出したタケルは、ちょっとだけ大輔に感化されて一人頑張ってみようと思っていたのを引っ込めた。
兄として当然の努めだとばかりに、今度こそという気概も伝わってきそうな真剣さでヤマトが手を差し伸べてくる。
いつもだったらなんにも考えずに手を伸ばしたはずだったのに、タケルはその手をとっていいものかどうか、一瞬迷ってしまった。
勇気を出してヤマトお兄ちゃんに甘えるんだ、とタケルは決めていたはずだ。それなら迷うことなく手を伸ばせばいいのである。
そして、ありがとうお兄ちゃんと笑えばいいのである。そしたらきっとヤマトは嬉しそうに笑うに違いない。
そのタイミングを逃さず、手をつないで欲しいといえば、きっとヤマトはいつもより正直になったタケルに驚きはしても拒絶は絶対にしないはずだ。
ずっと我慢していたタケルなりのわがままや甘えたいという意思表示をするには、絶好の機会であると分かっている。
しかし、タケルは迷ってしまった。ホントにそれで良いのかなあ、と思ってしまった。
なにせヤマトの隣では、早く来いよー、と呼んでいる大輔がいるのである。
この大岩を途中までクライマーのようによじ登り、最後の最後だけブイモンの力を借りて、ほとんど自分の力だけで頑張って乗り越えた大輔がいるのである。
それなのにタケルはヤマトから差し伸べられた手をとって、初めからヤマトの力を借りてタケル自身はなにもしないまま岩を越えようとしている。
ちょっと悔しいと思ってしまったのだ。ゴマモンが進化したことで、パートナーデジモンが進化していないのは大輔とタケルだけになってしまった。
相変わらず最年少組としてみんなから守られる立場として見られていることを歯がゆく思い、頼りにされないことを悲しく思っているのは同じだが、
タケルと大輔はそもそもスタンスが正反対と言えた。タケルから見れば、となりの芝はずっと素晴らしく見えてしまう。
守られる側でいることを受け入れるか、反発するか。守る立場になりたいと背伸びするか、自分の力の限界を冷静に自覚しているか。
ずっと24時間行動し続けて、もう5日目を数えている。タケルと大輔はお互いに影響をうけあっているが、それが顕著に現れた。
タケルの中に、甘えたいという気持ちと共に、本来よりもずっとずっと早い形で、大輔に感化される形で、
一人でできることはやりたいと思う気持ちが芽生えてしまった。それがタケルをそのまま素直にさせることを躊躇させてしまう。
少しの戸惑いから訪れた不自然な沈黙の後で、タケルはヤマトの手を借りることを選んだ。
タケルの中に自主性に芽生えるキッカケを与えたのは大輔である。あくまでも大輔と比べたときの敗北感から現れたものだ。
その大輔は、タケルとヤマトが仲の良い兄弟であることを羨ましがっており、お手本としても甘えたほうがいいとアドバイスされた。
それを考えたときに、つかの間の敗北感はあっという間に塗りつぶされ、そして優越感に置き換わる。
ヤマトはタケルが手をとったことにほっとした様子で、そのまま一緒に向こう側に飛び越えてくれた。
手を離そうとしたヤマトは、タケルが慌ててその手を追いかけるようにつないでくるのに気づいて、驚いた様子で振り向いた。
タケルは意を決した様子でヤマトを見上げて、言ったのである。

「お兄ちゃん、手、つないだまま行っちゃダメ?」

「え?」

「えっと、えっとね、僕……」

やっぱりいいや、ごめんねと言いかけたタケルの言葉を遮るように、しかし掠れるような声がした。

「だ、駄目なもんか」

それはその時、ヤマトが発することができる精一杯の肯定の言葉だった。
ただあまりにも突然だったせいで、意識が彼方に飛んでいってしまったヤマトは、再起動するまでにしばし時間がかかってしまったのだ。
諦めかけていたときに返ってきた言葉は、タケルを舞い上がらせるには十分すぎるほどの威力を誇っていた。
ヤマトもヤマトで嬉しいやら恥ずかしいやら照れがまぜこぜになって、真っ直ぐタケルを見ることができない。


「ホント?」

「ああ、手つないだまま行こう」

「ホント?!やったー!ありがとうお兄ちゃん!」

ヤマトはタケルと手をつないだ。タケルは腕まで回して喜んでいた。
ヤマトははっと我に返る。ここはどこだ。ムゲンマウンテンの頂上に向かう道中だ。もちろん他の子供達やデジモン達もいるのだ。
おそるおそる周りを見れば、飛び上がらんばかりに大喜びのタケルの声に気付いたらしい光子郎たちが、
ヤマトとタケルの微笑ましい行動に気づいて顔を見合わせた。そして、ヤマトと視線を合わせると、生暖かい眼差しで、ニコニコと笑ったのだ。
その瞬間、ヤマトの中でタケルが手を取る間にとった不自然な空白なんて、あっという間に忘れ去られてしまう。
よかったねー、とガブモンまでタケルに笑いかけている。ヤマトの心のなかは、うわあああああ、という頭を抱えたい衝動にかられるがぐっと我慢した。
大輔とブイモンは、こっそりタケルとパタモンがやったよとばかりにピースサインを出して笑っているのを見て、釣られて笑ったのだった。
それにまで気づかないほど周囲に無頓着なヤマトではない。
タケルと大輔の間になにがあったのかは知らないが、間違いなく大輔が唆すなりなんなりしたに違いない。そう思うと兄としては心中複雑である。
余計なことを、というか、ありがたいというか、なんというか。言葉に出来ない何か、間違いなくその中には嫉妬も多大に含まれているであろう
複雑なヤマトは無言のまま、行き場を失ったいたたまれなさを大輔たちに威圧することで解消した。タケルはもちろん気づかない。
アングル的に大輔とブイモンだけが気づいている。もちろん大輔はこえーよーと心のなかで絶叫し、再びヤマトの苦手意識を深めていた。

「大輔君、太一さんと仲直りできてよかったね」

すっかり上機嫌なタケルは、先導する関係以外の私情も絡み、ついつい早足になるヤマトの歩行速度など全然気にする様子もなく、
すぐ後ろを歩いて来る友人に話しかけた。ブイモンが疲労を見せ始めた大輔の背中をぐいぐいと押している。
こけそうになるたびに大騒ぎしていた大輔は、もうこのころになるとすっかり疲れていたのかさすがに口数少なくなっていたが、
触れられた話題が話題なので、まーな、と笑って返した。
洞窟の中では丈達が無事かどうか心配でたまらなかったし、登山中は今までいつヤマトに甘えようかずーっと考えていたタケルは、
ようやく他のことに興味を示せるようになったというわけである。
それにタケルは分かったのだ。
なんであれだけ大輔が不自然なほど甘えるという行動に対して、わざわざハードルをあげるようなことをしていたのか。
なかなか実行できないような枷ばかり付けて、まるでその行為自体から逃げるような行動ばかり、言動ばかり取るのか理解できなかったが、
今のタケルだったら分かったのだ。なんだ、大輔君も甘えたかったんだ。僕よりずっと素直じゃないから、気づかなかった。
意識して甘えるという意思表示をすることは、とっても疲れるし、勇気がいるし、ドキドキするのだ。きっと大輔は知っていたのだろう。
だから太一に対する説明として、自分に対する説明として、建前と理由を自分で作ってから実際に行動に移したのだろうと思った。
怪奇現象を見たなんて誰の目から見ても明らかな嘘をついて、大輔なりの甘えるという意思表示をしたのだろう。
なんて遠まわしな分かりにくい行動だ、それじゃあ太一だけでなく、みんなにも気づいてもらえないに決まっている。
そうタケルは思っていたが、実際には違っていたと知っている。やっぱりお兄ちゃん達は凄い。大輔君の気持ちに気づくなんて。
せっかく勇気を出してやった行動を誰ひとりとして理解してくれないとなったらそれはそれは虚しい事態である。
しかし、大輔の行動は理解されたが、太一によってみんなに宣伝されてしまったのだ。それは喧嘩にもなる。
でもそれはあんまりよくない方法だとタケルは思った。素直になれないからと言って嘘を付くのは良くないことだ。
えーっと、なんていったっけ。嘘をついてばかりいると誰にも信じてもらえなくなるというあらすじの。そうだ、あれだ。
大輔君、と呼んだタケルに、んー?と大輔はほとんど気力で歩いている状態にも関わらず、律儀に返事した。

「でもね、嘘をついちゃうのは良くないよ?狼に食べられちゃうもん」

幼稚園の先生が読んでくれたイソップ童話の絵本の中でも、代表的とも言える残虐的な結末を迎えるお話になぞらえてタケルは言った。
タケルが知っているのは、羊飼いの少年と狼、もしくはオオカミ少年として絵本に描かれている典型的な寓話だ。
羊飼いの少年が、村の大人たちに構ってもらいたいがために、退屈しのぎに「狼が出た!」と嘘をついて騒ぎを起こす。
羊は村人とって財産であり、大切な家畜である。狼はその羊を問答無用で襲って食べてしまうのだ。
大人たちは騙されて武器を持って来るが、もちろん少年の嘘により徒労に終わる。
少年が繰り返し嘘をついたので、本当に狼が現れた時は大人たちは信用せず、誰も救援に行かなかった。
そのため、村の羊は全て狼に食べられてしまう。嘘をつきつづけた少年自身が襲われて狼に食べられてしまう懲罰的な結末である。
人は嘘をつき続けると、たまに真実を言っても信じて貰えなくなる。常日頃から正直に生活する事で、必要な時に他人から信頼と助けを得ることが出来る。
分かりやすく言えば、嘘を付くのはいけませんよ、ということだ。
もちろんタケルはあくまでも例えとしていっただけであり、大輔とブイモンの話は甘えるための口実だと信じているから、そんな事が言えた。
だっていつもの大輔とギャップがありすぎたのである。
タケルよりもずっと大人びている大輔が、太一をトイレに一緒に来るよう何度もドアを叩いたっていう話自体、信じられないほど驚いたし、
怪奇現象に遭って、どこかに連れ去られるかもしれないと怯えて、もんざえモンの所に逃げ込んだなんて、ありえないと思ったのだ。
タケルは知らない。タケルが少しずつ変わろうとしている一方で、大輔もまた変わろうと必死で足掻いていることなんて知らない。
自分のことで精一杯でも誰からも怒られない、それが許される小さな目には、まだまだ理解するのは早過ぎると言えた。
それでも、紡がれた言葉はもう戻らない。お互いに心を許し始めた友人同士ならば尚更のこと、タケルの言葉は大輔をえぐった。

「…………そーかよ。もう、それでいいや」

タケル、と咎めるような声が隣から飛ぶ。ブイモンが真っ直ぐタケルを睨んでいた。大輔は一瞬泣きそうな顔をした。
あ、とタケルは言葉をこぼした。ブイモンの目からはありありと怒りが浮かんでいたからだ。
みんながいる手前ぐっとこらえていたけれども、友人であるお前が言うのか、相談しあうのが友達だと言ったお前が言うのかと
目がはっきりと訴えているのが分かった。タケルは言い過ぎたかな、と思った。そして焦る。
今日一日の出来事を通して既にデジャヴュを覚えるほど体験している大輔の目に浮かんだのは、怒りでも悲しみでもなく、
あきらめの極地である。はあ、と溜め息ひとつ、ブイモンの手を引いて内緒話。一言二言交わした大輔は、首を振った。
怪奇現象を体験して、孤立無援の中で、必死で困り果てている大輔とブイモンからすれば、お前は嘘つき呼ばわりされていることに他ならない。
もうすでに大輔とブイモンの中では失われた選択肢だ、何を今更という訳だが、その光景を初めて目撃したタケルは衝撃だった。
大輔を傷つけたことだけは分かったが、その過程が全くわからないなんて体験、タケルには初めてだったのである。
タケルは慌てて大輔を呼んだ。

「ごめん、大輔君、ブイモン、僕なにか言い過ぎちゃった?」

「俺もブイモンも嘘付いてねえよ」

何度繰り返されたか分からない会話の中で、それだけは大輔は絶対に譲らなかった。なんでそこまで意固地になるか分からない。さっぱりわからない。
タケルの知っている大輔ならば、きっとばつ悪そうに何で嘘を付いていたのがばれたのかとぼやくのだ。そして観念したように肩を落とす。
そして嘘を付くことは悪いと知っているが、それしか方法がないんだよ、悪いかと開き直りすら見せて、苦笑いするはずなのだ。
そしたら嘘を付くのはやっぱりダメだよ、とタケルは笑っていえるのに。タケルは、そっか、ごめんね、と言うしかなかった。
はっきりと大輔とブイモンの主張を理解してくれたわけではないということを知っている大輔は、ん、と言葉短に答えた。
そして始まる無理矢理過ぎる話題転換。もうこれ以上話すことはないという最終通告とも言えるものである。
太一と和解してもなお、この件に関しては一貫して曲げようとしない大輔に、やはりこの手の話題は触れるべきではなかったとタケルは改めて痛感した。
ちなみにタケルが抱いている心境は、他のメンバーのある意味共通見解と言えた。
諭せば諭すほど頑なに意固地になっていく大輔は、そこで妥協してしまったら最後、ブイモンが大輔に対して嘘をついたと認めてしまうと知っている。
ブイモンがかけがえのないパートナーデジモンであると再認識したばかりの大輔にとって、優先すべきことなど初めから決まりきっていた。
そこから続くのは果てしない平行線である。大輔も好きでみんなから向けられる説得を振り払いたいわけではないのだ。
できることは触れないことくらいだ。静寂が満ちた中で、ヤマトが気を効かせて頂上が近いと話題をふる。
待ってましたとばかりにみんな食いついてくる。そして先程の気まずい沈黙は両者の間に残されたまま、表面上は穏やかな会話が再開された。

ちなみにタケルの知っているイソップ童話の原題は、嘘をつく子供である。
絵本は嘘をついてはいけませんという教訓ありきで書かれているため、本来描写されている不適当な場面はすべて削除改変されている。
原作は羊飼いの少年が村の羊を全て管理しているわけではなく、あくまでも村はずれで自分の個人的な財産として羊を所有している。
村の大人たちが少年の嘘に騙されたのは、羊飼いの少年の安全ももちろんのこと、自分の大切な財産の家畜を奪う狼の存在を恐れたからであり、
実際問題少年に羊を管理させるはずもなければ、少年の個人的な財産の結果など大人たちは問題にしないし、何度も武器を持って駆けつけてくれたりなどしない。
それを知っていて少年は嘘をついたのである、結構なしたたかさだ。
そしてこの羊の全体の財産と個人的な財産の扱いの差は、ひとつの大きな教訓をこの寓話から削除してしまっている。
原作ではあくまでも羊だけが犠牲になり、少年は羊をすべて失うが、命までは奪われたりしない。その必要がないからだ。
そのかわり、少年の狼が来たという発言を嘘だと決めつけた大人たちの財産である羊も犠牲になってしまっている。
そこから導きだされる教訓は、先入観によって物事を決めつけ、人の言うことを信じないという行動自体にも、相応の危険がはらんでいるという事だ。
みんなが信じてくれないから、自分たちだけでどうにかするしかない、と勝手に諦めたせいで、狭すぎる視界でしか行動できなくなっている大輔も、
いつもの大輔の先入観が邪魔をして、客観的に大輔の行動の違和感を察知することができなかったタケルも、
これから待ちうける困難において、嫌というほど実感することになる。
思い込みによって人を信じないということが、どんなに恐ろしいことなのか、幸いにも彼らはまだ知りもしないのである。



頂上にようやく到達した大輔達は、大げさなまでに打ちひしがれている丈と、まあきにすんなってなんとかなるさ、と
励ましにもならない脳天気な言葉をかけて、尚更丈に追い打ちをかけているゴマモンを見つけた。
奥のほうでは望遠鏡を覗いて、なにやら熱心に書いている太一とそれを横目になにしてるんだと覗き込んでいるアグモン。
みんな、と真っ先に気づいて手を降った空とピヨモンの声に、ようやく気付いたらしいみんなは合流を喜んだ。
そして何故丈が絶望を叫んでいるのか、すぐに後からやってきた子供たちは気づくことになる。
この島で一番高いムゲンマウンテンから望む風景は、それはもう絶景だった。
今まで巡ってきた街や地帯が余すことなく一望できるのである。
いつもならすげえとテンションあげていくところだが、さすがに大輔も今自分たちが置かれている事態を把握し、二の句が継げない。
見渡すかぎり海である。空との地平が曖昧になって弧を描いているので、この世界も丸いのだとどうでもいいことに気づきながら、
懸命に探すがないのである。海しかないのである。船も島も何一つない。見渡すかぎり青、青、青の大海原。
この島は、無人島なのであることは分かりきっていたが、孤高の離島。離れ小島どころの話ではなく、大海原にぽつんとこの島しかないなんて聞いてない。
この島の生まれであるデジモン達はこの島のことはとっても詳しいが、いくら聞いてもこの島の外の世界のことはさっぱりだったので、
上級生組はうすうす嫌な予感がしていたが、必死で否定し続けていた事実がもう言い逃れできない状況で現れてしまった。
タケルがヤマトにくっついて怯えているのを横目に、大輔は大丈夫?と心配そうに見上げてくるブイモンの問いかけに、初めて首を振った。
そして友人の兄弟が目に入らないように、だっとかけ出して、すっげー、と大げさなほど大きな声を出して崖の方に向かった。
あんまり行くと危ないですよ、という光子郎の言葉に、はーい、といつものように返事して、大輔はそのまま立ち尽くした。
いろいろ限界である。ずっと心の奥底で我慢していた、母親に会いたい、父親に会いたい、友達に会いたい、サッカー友達に会いたい、
クラスメイトに会いたい、このまま死んじゃうなんて嫌だ、ブイモンや太一さん達がいるけれど、日本のどこでもないこの島でどうやって
帰れというのだ。無茶ではないか。溢れ出した感情は目頭を熱くする。もしかしたらが止まらない。
このとき初めて、大輔は姉がここにいないことを心の底から絶望した。みんな自分のことに精一杯で自分のことなんか構ってくれないのだ。
こういう時、すがりつける存在がないことの辛さがここまで堪えるとは思わなかった大輔である。
口ではいくらでもいえたが、大輔の心は嫌われていたって一方的な片想いだって構わないのだ。心はどこまでも正直に姉を求めていた。
いつもはこっそり胸の中に秘めて、いつの間にか使わなくなっていたお姉ちゃんという言葉を何度も何度も半濁する。
ブイモンは、結局勝てない姉の存在の大きさをひしひしと感じながら、そっと大輔の手を握った。
少しだけ安心したのか、大輔はぐしぐしと乱暴に目尻をぬぐって、泣きながら笑った。
素直になりかけていたのを最悪のタイミングで潰されてしまっていた大輔は、こっそりと泣くしかできなかったのである。

「この世界に来なきゃよかったとか言わないでよ、大輔。そんなこと言ったら怒るよ、オレ」

なんて大輔は絶対にそんな事言うわけがないことを知りながらブイモンはつぶやいていた。

「ばーか、そんなこといわねえよ」

と心外だとばかりに大輔が笑いながら訂正してくれる。ほら、もう泣いてたことなんて忘れている。
大輔の笑っている顔のほうがすきだから、まだ笑えているなら大輔は大丈夫だと確認しながらブイモンは、
うん、ごめん、と返事した。

「なに書いてるの、太一?」

「地図を書いてるんだよ、もしかしたらなにかの役に立つかも知れないだろ?」

「なるほど、有効な手かもしれませんね」

太一達の声が聞こえる。太一はどうやらこの島の全景を書いているようだ。孤島のマッピングは貴重な情報源となるだろう。
後ろから聞こえてくるその会話に、思わず振り返った大輔は、えー、と声を上げた。さっきのうるっと来た感傷など吹っ飛んでしまったらしい。
どしたの、大輔?とあいも変わらず喜怒哀楽の切り替えが激しい相棒に、ほっとした様子でブイモンが問いかけた。
子供はひとつの感情の中にずっと埋没していられるほど暇ではないのである。きっとそうしなければ壊れてしまう。
まだ大輔は大丈夫らしいことが確認できたことを安心しつつ、見上げてくるブイモンに、大輔はこっそり教えてくれた。
サッカー部において、自由研究などの夏休みの宿題は最後の1週間で済ませることが常識である子供たちを見かねてか、
後援会の保護者達は容赦なく交流会という名の勉強会、その名を夏休みの宿題を終わらせよう会を敢行して、
逃げる子供の首根っこをひっとらえて強制参加させる。
大輔もその会の犠牲者の一人であり、低学年は親との共同制作が許されているため今年も両親の力を借りる気満々なのだが、
夏休みの友から逃げることはできなかった。たまたま太一達と一緒のグループになったときに知ったのである。
図画工作の宿題に悪戦苦闘する太一の画用紙には、ネコバスが描かれていたので、悟ったのである。
スポーツ万能なキャプテンは、図画工作が致命的なまでに苦手で、センスの欠片もないことを知ったのだ。
そこにシンパシーを感じたのか、運動はできても勉強はできないを体現したような二人が仲良くなるのは早かった。
ちなみに猫っすか?と聞いた大輔に、太一はライオンと言い切った。ついでに万年アヒルだとも聞いた。
これで真ん中普通判定なんておかしいとさすがに気付いていた大輔は、未だに小学校高学年は3段階評価ではなく5段階であるとは知らない。
大輔と一緒に笑っていたブイモンは、みんなに笑われてやけになった太一が、本人が分かればそれでいいのだと開き直るのを見た。
広げられていた地図らしきものは、目で確認しながら逐一確認しなかったせいで、輪郭を追いながらにもかかわらず、
もはや島の全景とは到底言えないような、ミミズがのたうちまわった地図が出来上がっている。
やがてみんなが雑談をこぼすほど回復し始めた頃、そろそろムゲンマウンテンから降りようという事になる。元きた道を帰ることになった。
大輔とブイモンは、そろそろ一緒に寝るという提案をしなければならない、まさに公開処刑タイムが迫っていることに気づいて、
別の意味ですっかり打ちひしがれていた。
そのとき、どごおん、という大きな音が聞こえてきたものだから、子供たちとデジモン達は慌てて先に向かった。
そこに待っていたのは、山道を切り落としてしまったレオモンの姿だった。

デジモンデータ
レオモン
レベル:成熟期
種族:獣人型
“百獣の王”や、“気高き勇者”などと呼ばれる獣人型デジモン。強い意志と正義の心を持ち、多くの凶悪な敵を倒してきた。
日々鍛えたたくましい肉体は、どんな攻撃にも耐えることができる。攻撃はすばやく、相手を瞬時に倒す力を持っている。
腰には先祖の形見である「獅子王丸」を身に着けているが、基本は拳なのであまり使うことは無い。
そのカタナを抜くときは、レオモンが絶対に倒さなければならない強敵が現れたという証である。
必殺技は、右手からライオンの顔をした、エネルギー波を放つ、獣王拳だ。

「選ばれし子供たち、倒す」

正義の味方、いいデジモン、とほっとした様子でデジモン達は説明するが、そんな事を言われては反対側の道に引き返すしか出来なくなる。
選ばれし子供、なんて言葉を聞いた気がするが、間違いなく自分たちを目的に襲いかかってきているのだ。
この世界に来てからというもの、テントモンを始めとしたデジモン達の知識は全くアテにならないのだ。
それは黒い歯車によるデジモン達の暴走もあれば、意外とうろ覚えな知識がそうさせている。知らなくても生きていけたのだろう。仕方ない。
デジモンからみたデジモンと、人間から見たデジモンが同じとは限らないのである。
そしてテントモンおなじみのデジモン解説講座において、獅子王丸というらしいカタナ=敵判定と知った子供たちはますます焦る。
今まさにレオモンがその腰に備え付けられている鞘から刀を抜き、思いっきり襲いかかってきているのだ。
なんで敵扱いされているのかわからないし、なんか白目向いてるし、ぼそぼそ小声で喋りながら追いかけてくるのだ。つか選ばれし子供って何。
黒い歯車も見つからないから操られているわけではなさそうだし、いくら呼びかけてもまともな返事はない。もう逃げるしかなかった。
そして、今まで通ったことがない反対方向に降りるであろう道を真っ直ぐ進んでいた太一達の前に、
まさに挟み撃ちする形でもう一体凶悪なデジモンが姿を表した。

デジモンデータ
オーガモン
レベル:成熟期
種族:鬼人族
鬼の姿をした鬼人型デジモン。頭は良いが気性は荒く、発達した筋肉から繰り出す攻撃は、岩をも砕く破壊力を持つ。
どんな相手にも勇敢に戦いを挑むので、通称“デジモンハンター”と呼ばれている。持っている骨は「スカルグレイモン」を倒したときの戦利品。
レオモンとはそりが合わず、ライバル関係にある。必殺技は、力を溜め、強力なパンチを繰り出す覇王拳だ。

どうやら初めから子供たちとデジモン達をはさみうちにする作戦だったらしい。
本来ならレオモンがオーガモンから守ってくれる展開の筈なのに、と本気で信じられない様子のデジモン達の目の前で、
無情にも2体のデジモンが遅いかかった。
大輔とタケルはヤマトたちに押し込まれる形で岩壁の方に引っ張られ、上級生組がかばうように空を見上げる。
太一は舌打ちした。アグモン達は一度進化をするとエネルギーを激しく消耗してしまうらしく、二度目は不可能なのだ。
丈とゴマモンを助けるために一度進化したせいで、アグモン、ピヨモン、ゴマモンはもうできない。
ガブモン、パルモン、テントモンの3体だけで子供たちを守りながら、二対同時に相手するのは相当危険である。
そうこういってられず、3体のデジモン達が進化して、先に襲いかかってきたオーガモンに迎撃する。
その隙をついて襲いかかってきたレオモンに、本来進化できなかったはずの3体の体とデジヴァイスが輝いた。
2度目の進化をしたグレイモン達は、レオモンを相手に応戦する。いけーっと声を張り上げる太一は、その激闘に水をさす岩雪崩を目撃した。
気づけばオーガモンとレオモンはいなかった。
ユニモンとの戦いの時にヒビが入っていたのかも知れない、という光子郎の指摘に、浮かべていた疑問を引っ込めた太一は、
何故デジモン達が2回も進化できたのかという話題に話をそらすことにした。空はすっかり黄金色である。
せっかく下級生たちが準備してくれていた洞窟まで辿り着くのは、もうすっかり困難になってしまった。
夜になってしまえば方角が分からなくなってしまう。闇雲に歩きまわるのは誰の目から見ても危険だ。
もし夜行性のデジモンに襲われでもしたが最後、今度こそ全滅は免れない状況にある。
進化したデジモン達はもちろん、とりわけ2回の進化を経験したデジモン達の困憊は顕著だ。
もう歩けない、お腹すいた、とかわいそうなくらいぐったりとしているパートナーに頑張れと鼓舞しながら、連れて歩いて行く上級生たち。
後ろを付いていく大輔は、元気なままのブイモンと顔を見合わせて、改めて進化できないもどかしさをかみしめた。
進化できなくてもできることはある、とはいうものの、こうしてみんなの危機が迫ったとき、なによりも無力なのは自分たちであると
改めて思い知ったのである。守りたい人たちがいるのに、守れない、むしろ守られている背中を見つめているしかない歯がゆさ。
一人と一匹はため息を付いた。

「なあ大輔、オレやっぱり早く進化したいよ」

ブイモンはつぶやいた。なんで進化できないんだろう、と自分の青い手を握りしめる。
アグモンたちが進化したのは、パートナーを、子供たちを、仲間たちを守りたいという気持ちが鮮明に思い描かれた時である、
ということをブイモンも大輔も知っている。だからこそ、一向にデジヴァイスが輝かない、進化できない、という現実は殊の外プレッシャーである。

「大輔を守れないなんてやだ。絶対ヤダ。オレが大輔を守るんだ」

パートナーの危機が共通しているとすれば、何故昨日の夜、大輔が連れ去られてしまうという恐怖と怪奇現象を目撃しながら、
必死で大輔の名前を読んで引き止めていたときに進化できなかったのか、ブイモンにはわからないのだ。
デジヴァイスが輝いたとき、進化できるかも知れないという期待が胸をよぎったのは事実だ。
謎の空間が歪んでできたトンネルはその光によって撃退されたため、結果オーライではあるものの、落胆もその分大きかった。
夜は目前である。さっきからずっと大輔とブイモンは手をつないでいる。絶対に離れないように手をつないでいる。
みんなと一緒に寝ることが決まっても、きっと寄り添って寝ることになるだろう。ぬくもりがより一層強くなる。

「ばーか、俺とお前は運命共同体だろ?お前ばっか、かっこいいこと言うなよ。俺だって頑張りたいんだ」

本当は恐いくせに、指先が震えているくせに、大輔はそうやって笑うのだ。
森の中に突然現れた洋館に、子供たちとデジモン達の歓声が響いてくる。みんなが入っていくので、大輔たちも慌てて追いかけた。
さあ、恥ずかしがってないで、早く一緒に寝たいと提案しよう。いよいよもってなけなしのプライドを投げ捨てて、公開処刑に臨もうと深呼吸。
太一さん、と呼びながら洋館の古びた門をくぐりぬけた大輔と、待ってよ大輔―っと置いて行かれないように慌てて走ったブイモン。

「なんだよ、大輔」

振り返った太一がその姿を目撃することはなかった。

「あれ?大輔とブイモンは?」

その言葉に、明確な答えを示せるものは、誰ひとりとして存在しなかったのである。




[26350] 第十九話 すたんどばいみー
Name: 若州◆e61dab95 ID:57e3220e
Date: 2011/03/30 02:49
洋館はひとりずつ部屋が分かれているのか、それともベッドがたくさんある部屋があるのかわからない。
出来ることなら後者がいいなと大輔は思っていた。
後者だったらわざわざひとりで寝るのは怖いから、一緒に寝させてください、
なんて公開処刑もいいところな羞恥プレイをする必要なんて無くなるのだ。
たぶんみんなが早い者勝ちでベッドを選ぶことになると思うが、端っこや壁に近いところじゃなくて、
みんなに囲まれている真ん中あたりを選んだら、きっと少しは安心出来るだろう。
それでも度重なる夢と怪奇現象はすっかり大輔に夜に対する恐怖症を植えつけつつあり、夜が来なかったらいいのに、
なんてホラー映画やドラマを見た後と同じようなことを考えるまでに大輔は追い詰められていた。

そんな大輔がである。

洋館の扉をくぐりぬけた瞬間、先に部屋を調べるために赤いカーペットが引かれているエントランスを抜けて、
螺旋階段を登り始めていた上級生組が、そしてパートナーデジモン達が忽然と姿を消してしまうという信じられない現象に見舞われたら。
それはもう、可哀想なくらいのパニック状態になってしまう。呆然としているブイモンのことなんてすっかり忘れて、手を振り払ってしまう。
大輔!ととっさに叫んだブイモンの声なんて、もはや大輔のもとには届かない。ブイモンは慌ててパートナーのもとに飛んでいった。
何度か瞬きをした後、だっとかけ出して赤いカーペットを駆け抜けて、螺旋階段の手すりに手を掛けて、吹き抜けになっている天井目がけて
ありったけの声をあげて太一達の名前を悲痛な面持ちで叫んだ。洋館全体に次第に泣き声に変わっていく大声が響いた。
頭の中が真っ白になっている大輔は、挙動不審の極地を見せていた。返事がないか、物音がしないか、せわしなく小動物のように動きまわり、
必死で忽然と姿を消した仲間たちの姿を探してかけずり回る。いないいないいないどこにもいない!なんで?なんで?おかしいだろ、なんでだよ!
エントランスホールから見える螺旋階段も、吹き抜けからみえるたくさんの扉が並んでいるベランダ付きの通路も、
人っ子ひとりデジモンすらその気配を感じさせない有様である。螺旋階段の奥のほうに通路がある。そこにも扉が続いている。
もはやこの時点で、この洋館は不自然な違和感に満ちているのだが、すべて彼方に吹っ飛んでしまっている大輔は、わからない。
精神的な支えである太一や空をはじめとして、心を許し始めた友人であるタケルや仲良くなり始めた仲間達、デジモン達の喪失が
あまりにも致命的なダメージを与えていたせいで全く気づくことができない。
誰もいないはずの洋館で、何故シャンデリアに明かりが灯っているのか。
何故大きな暖炉には薪がくべられ火が燃えていて、洋館全体が暖かくなっているのか。
そして二階の扉の前にあるランプがすべて付けられているのか。まるで人が住んでいるかのような気配や雰囲気が感じられる洋館である。
不気味さが満ちている。そんな中で、螺旋階段の向こう側に無我夢中で飛び込んでいこうとした大輔を必死で引き止める手がある。

「大輔、大輔、だいすけええっ!待ってよ、大輔!オレがいるよ!」

ここにいるよ、大輔の隣にいるんだよ、気づいてよ!とブイモンは必死で訴えかけた。
がしっと掴まれた右手と一途なまでに大輔のことを呼んでくれる声が、ようやく大輔を正気にさせた。ぴたり、と止んだ大輔は、くるりと振り返る。

「なんで置いてくんだよ、大輔え。オレも一緒に行くって約束しただろ!」

ひどいや、と憤りを包み隠さずぶつけて来るブイモンのところに、登りかけていた階段を一歩一歩戻り始める。
ひっくひっくと嗚咽すらこぼし始めた大輔は、ぼろぼろと涙を流している。乱暴に涙をぬぐったり、懸命に泣くのを我慢したり、
必死で我慢する傾向にあった大輔は、すっかり躊躇していた行動を抑制する性質が失われているようだった。
感情の高ぶりがあまりにも大きすぎて、もうちっぽけな体では抑えきることができる許容範囲をとっくにオーバーしているのだ。
ここで初めてブイモンの存在に気付いたようだ。
ブイモンの名前を読んだ大輔は、一人ぼっちではないということに心の底から安堵したのも拍車をかけた。
迷うことなく腕を広げたブイモンに飛び込んだ。ますますくしゃくしゃになる顔をブイモンに押し付けて、思いっきり抱きついた。
大丈夫、安心してよ、オレが大輔を守るんだ、と優しくささやきかけてくれるパートナーデジモンの言葉に、
うんうんと何度も何度も大輔は頷いて、今まで化石になっていた感情が溶けていくのを感じる。
そして、ありったけの声を上げて大輔は泣いた。
大輔は喜怒哀楽が激しく、沸点も低いせいで怒りっぽく、ころころと表情が替わる忙しくて騒がしい子である。
その上に想像力豊かで感性豊かなせいで、よく泣くため泣き虫であると言われることもあるが、
ここまで周りのことも忘れて子供のように泣くのは滅多にない。
大輔がわんわん声を上げて泣くのは、心の底から信頼と安心を寄せる相手にだけ見せることができる証でもある。
これがきっと大輔とブイモンにとって、パートナーとしてほんとうの意味での始まりだったのだろう。
大輔が心の底からブイモンのことを必要としたのは、この瞬間からである。
そして、ブイモンが一途に想い続けていた願いが、ちょっとだけ達成された瞬間だった。
大輔は強い子である。今こうしてブイモンを頼りにしてすがってくれるが、きっと感情をありったけ吐き出した後は、
ぐしぐしと自分で顔をぬぐって、ブイモンのもとから離れて、自分の足で立ち上がってしまう子である。
そして自らの足で歩き始めてしまうような子なのである。きっとその頃にはすっかり今のことなんて忘れてしまっているに違いない。
それが分かっているブイモンは、大輔はやっぱりずるいんだと思ってしまう。
嬉しくて、寂しくて、もどかしくて、いろいろとぐちゃぐちゃ考えてしまうことはあるけれども、
それが本宮大輔という少年であるということもブイモンは知っている。
自分がそんな少年のことが心の底から大好きなのだと言うことが分かっているから、ちょっとだけこの時間が長く続くことを祈りながら、
ブイモンは大輔と一緒に赤いカーペットの上で座っていた。



ばたん、と勢い良く閉じられた洋館の古びた扉の音に、びくりと大きく肩を震わせた大輔とブイモンは、体を縮こまらせた。
後ろを振り返れば、静寂の中異様な存在感を際立たせている、大きな大きな扉が迫ってきていた。
この洋館を訪れる客人を最初に出迎える顔をになってきた、アンティーク調のおしゃれなデザインを模したアートが飾られ、
それだけの月日を重ねてきたからこそ、作り上げられる重々しいほどの雰囲気をまといながら、大輔たちを見下ろしてくる。
迫力満点である。反射的に閉じ込められた!と感じて、大輔は錆びついた金色のドアノブを回す。
錠前は落ちていないし、鍵穴がある気配はないのに、立て付けが悪いのかなかなかすんなり回ってくれない。
さっき丈とヤマトが最初に扉を全開にしたときには、すんなりと大輔たちを招き入れてくれたというのに。
がちゃがちゃと今にも壊れそうな悲鳴をあげるドアノブを乱暴に回した大輔は、
ようやく開いた扉をありったけの力も込めて、ばーんと豪快に開けた。扉が跳ね返って再び大輔達の前に立ちはだかる。
反動でその重い扉が再び戻ってこないようにと、支えるために扉を追いかけたブイモンと大輔は、
ついさっきまで確かにあったはずの風景が一転していることに気づいてそのまま立ち尽くしてしまった。

「さっむーいっ!寒いよ、大輔ええ!」

「さっびいいい!なんで雪が降ってんだよ、しかも積もってるし!」

冬かよ!と大輔は思わず叫んだ。白い息が灰色の空からたくさん降ってきている雪の中に立ち上って、やがては消えてしまった。
それは暖かい部屋から一歩外に出た瞬間、容赦なく吹きこんでくる木枯らしに似ている。
扉の向こう側で待っていたのは、見渡す限りの一面銀世界である。
薄暗くなり始めている世界ではなおさら、縫い目のない白がどこまでも続く雪景色に、
本来そこにあるはずの森や山道などもはや見出すことはできなかった。
この風景自体異様な光景であるということを、さっきまでそこにいたハズの大輔もブイモンも気づいている。
ムゲンマウンテンの周辺は雪が積もっている寒冷地帯であり、雪合戦の記憶が新しいものの、その地帯はとっくの昔に通過したはずだ。
なぜならレオモンとオーガモンの奇襲を受けた際に、そちらの方向へ戻るはずの山道を切り崩されてしまったため、
残されていたムゲンマウンテンの反対側に降りていくルートしか行くところがなかったのである。
ムゲンマウンテンの麓ながら、気候の関係か森が一面に広がるその地帯は、密林が育つほどの熱帯ではないものの、
サマーキャンプに参加していたメンバーの夏服でも十分過ごしやすい、春ような穏やかな気候に恵まれた地帯だった。
もちろん大輔も半袖であり、ジャケットを着ているとはいえ薄着であることにはかわりなく、
すっかり油断していた大輔は、突然春を通り越して訪れた冬の猛攻の前に為す術がなかった。
一見すれば、この洋館はムゲンマウンテンの近くの森にあるという現実をすっかり忘れ去ってしまっていた、大輔達の敗北である。
季節の変わり目ならば、春と冬を行ったり来たりはよくあることだ。
この島で1番ともいえる高い標高を誇る山がそびえているならば尚更のこと。
この世界に天気予報があるのかどうかは不明だが、季節の変わり目の高山地帯の的中率は絶望的なまでに低いに違いない。
それにしたって、ついさっきまでいたはずの春の気候があっという間に冬に塗りつぶされてしまった不可解さは明瞭だ。
もちろん寒い環境に適応しているわけではないブイモンも音をあげて、突然閉まったホラー映画の冒頭によくあるお決まりの展開に
びくびく、ドキドキしていたことなんてあっという間に忘れてしまい、一人と一匹は力を合わせて再びドアを閉めることにした。
びゅうびゅう吹いてくる木枯らしと猛吹雪のせいで、扉はぴったりと洋館の壁に張り付いて、なかなか動こうとしてくれない。
すっかりかじかんでしまった指先は感覚が無くなってしまったのか、なかなか力が入らない。
せーの、とありったけの力を込めて扉と悪戦苦闘していた大輔とブイモンは、
すっかり踏み固められてしまった雪が滑りやすくなっていることに気づかない。、
そのまま踏ん張ろうとした足場が滑ってしまったブイモンが、わああ、と悲鳴をあげる。
ブイモンの悲鳴に引きずられる形で、がくっと体勢を崩した大輔は、
そのまま揃って雪が降り積もっていく後ろへと豪快に尻餅をつく事になってしまった。
まるで綿毛のように真っ白な雪が舞い上がった。ふわふわの雪はすっ転んだ一人と一匹の音すら吸収してしまう。
どさりなんて音すらしない。しんしんと降り続いている雪が、やがては起き上がった双方にどんどん積もっていく。
つめてええ!と飛び上がった大輔は、あわてて体にくっついた雪を払いのける。
ぶるぶるとシャワーを浴びた猫みたいに雪を払ったブイモンも、がたがたと体を震わせた。
振り返れば大輔とブイモンの形をしたヘコミが出来上がっている。
なんとなく顔を見合わせた大輔とブイモンは、なんだかおかしくなって笑ってしまったのだった。
ひとしきり笑っていた大輔に、ブイモンが何かに気付いた様子で、ねえねえ大輔と袖を引いてくる。
どした、ブイモンと返事した大輔に、ブイモンが指し示すのは森のほう。
降り積もる大雪の重さに耐えられず、どさりと雪を落としたせいでどんどん埋まっていく森の一本の大木だ。
モミの木によく似ている針葉樹林である。

「あれ見てよ大輔。なんか変じゃない?」

「あー?どこが。別にどこもへんじゃ………あれ?」

ないだろ、と言いかけた言葉が、大木が再び枝の雪を落としたことで現れた幹を目にしたとたん、あっという間に飲み込まれてしまう。
大輔とブイモンは目撃したのだ。その大木には、鋭くて大きな大きな爪の跡が残されていることに、気づいてしまったのだ。
まるで有り余る力とその存在を誇示するかのように、深く深くえぐり取られた樹の幹は、5つくらい傷を付けられていた。
大輔とブイモンは顔を見合わせた。お互いに体が硬直している。いやでも想像ができてしまう。顔がひきつっていく。
再びその大木を見た大輔は、周囲を見渡したときに比べてみると、その場所あたりが何故か不自然なまでに木の本数が少ないことに気づく。
まさかまさかもしかして、まじで?大木に残された大きな爪の跡で1番高いところは、大輔よりもずっとずっと高いところにある。
大輔は顔面蒼白で背筋が凍る。悪寒のせいか、冷や汗すらうかんでいた。白い息を吐きながら、大輔はブイモンに問いかけた。

「あれ、爪の跡だよな。あんなところにまで届くってことは、そうとうでっかいよな」

「うん」

「あんなでっけえ傷をつけられるってことは、そうとうつえーよな」

「うん」

「木が倒されてるってことは、そうとうきょうぼーだよな」

「うん」

「ち、近くにいるって事だよな?!」

「うん」

「ウン以外にもなんかいえよっ、いってくれよ頼むから怖いだろ!
つーかブイモンしっかりしろってば、お前が俺のこと守ってくれるんじゃないのかよ!?」

「ダイジョブダヨダイスケオレガマモルカラ」

「おおおいっ!棒読み、すっげー棒読みになってんぞブイモン!帰って来いってば!」

がくがくと必死で揺さぶりながら大音量で名前を読んだ大輔のおかげか、ようやく我に返ったブイモンが遠い目から帰還する。
前途多難なこれからに凄まじい不安を覚えながら、大輔はとりあえずブイモンと共にこの大きな扉を閉める作業を再開することにした。
頭のてっぺんから足の爪先まで、すっかり凍えてしまった大輔とブイモンは、真っ先に暖炉の前に直行した。
毛布なんて無いから、ぎりぎりの所まで暖炉の前に近づいて、手をこすりあわせながら暖を取る。
やがて温かくなってくると、すっかり霜焼けになってしまった手がかゆいとブイモンが言い始めるが、
ガマンしろと大輔はその掻き毟ろうとする手をとって諌めた。
そして、今、大輔とブイモンが置かれているこの状況を整理するべく、なけなしの頭をフル回転させて、いろいろと話し合ってみる。
この洋館には、どうやら太一達はいないらしい。どこにいったかは全く分からないし、なんで大輔たちだけ取り残されているのかも不明だ。
外は豪雪、猛吹雪、もはや方角すらわからないほどの積雪、一面銀世界。とてもではないが外に出てあちこち捜し回るのは自殺行為である。
迷子になって凍えて死んでしまう、崖に落ちてしまうかもしれない、ブイモンと大輔が離れてしまうかも知れない、と
思いつく限りのことを連想ゲーム式に言い合っていたら、とんでもないことになったのでその方向は却下となった。
しかも大輔よりもずっとずっと大きい凶暴で凶悪で、大きな爪を持ったデジモンが近くにいるかも知れないのだ。
ブイモンは未だに進化することができないので、大輔とブイモンはもしそのデジモンと出会ってしまったら逃げるしか無い。
でも、一面銀世界では、ろくに走ることもできないだろう。足を取られて転んでしまうだろうし、こうも寒くては満足に動けない。
絶対に100パーセント逃げられるかといえば、断じて否である。せめてこの吹雪でも止んでくれないとろくに外にも出られない。
結論として到達したのは、この洋館から出られない、というどうしようもない現実である。なにせもうすっかり外は夜だ。
夜は夜行性の大型デジモンが活動を積極的にするから、行動の原則は基本的に太陽が登っている間だけであるということを、
先陣を歩き続けているリーダー陣の話し合いを盗み聞いていた大輔は覚えている。
早く太一達が大輔とブイモンがいないことに気づいて、見つけてくれるといいな、という希望的な観測を胸に抱きながら、
これからどうしよう?という話題に緩やかに移っていく。

大輔は立ち上がった。その瞳はこの洋館に対する興味津々な様子に溢れており、うずうずとしていた。
今まで見たこともない装飾品や骨董品、高級感ある家具などが溢れかえっているこの屋敷である。好奇心を抑えることなんてできっこなかった。

「探検しようぜ、ブイモン。太一さん達を探さなくっちゃ」

さらりと建前のように付け足された重要事項だが、どっちに優先事項があるのかはもはや言うまでもない。
太一達が大輔たちに内緒で、集団かくれんぼとドッキリを仕掛けているわけがないと知っていながら、
大輔は笑いながら口走った。
もしここに善良な第三者がいたならば、きっと律儀にツッコミを入れたり、大輔の失言を咎めたりしてくれただろうが、
残念ながらここにいるのは、大輔至上主義のブイモンだけである。どっちかというと天然が入っている彼にツッコミは無理だ。
むしろ大輔のほうがツッコミ役だが、今回はもう探検という言葉に反応して目をキラキラさせている一人と一匹に期待するのは無理である。

「さんせー!」

「あ、でもカーテン閉めようぜ!」

即決したコンビの行動は早かった。大きな大きなステンドグラスが眩しい窓の向こうはすっかり真っ暗である。
夜であるということで、怪奇現象を連鎖的に思い出したくない大輔とブイモンは、悪戦苦闘しながら真っ白なレースが編んであるカーテンをしめた。

「まずは、あっち!」

螺旋階段の下をくぐり抜け、奥へと続いているレッドカーペットの道を選んだ。
まるで追いかけっこのように、かけ出した大輔をブイモンが追いかける。
ばたばたとレッドカーペットを走り抜けた大輔達は、ノックなんてするワケもなく、ばーんと乱暴に扉を開いた。
カギがかかっていなければ片っ端から開けて回る。
そして最初から最後まですべてのドアを開けっ放しにするという、大輔達だけしかいないからこその行動を起こした。
そこは全部でひとつの部屋だったのだ。どうやらとっても広い食堂のようである。シックな絨毯がひかれていた。
お金持ちの食卓という連想をそのまま体現したかのように、ながーいテーブルが中心に置かれていて、
真っ白なテーブルクロスが置かれていて、テーブルと同じ色をした椅子が全部で10つ置かれていた。
奥のほうにはキッチンもあったのだが、そこまでくるとこの部屋にも置いてある暖炉の暖かさは届かないらしく、
ひんやりとした空気を機敏に感じ取った大輔達はそこから逃げ出した。もちろん扉は開けっ放しである。
残念ながら広い広いキッチンには食べ物一つ置いてあらず、わくわくしていた大輔たちを大いに落胆させた。
冷蔵庫も棚も食器棚の上から下まで全部確かめたのだが、何も出てこなかったのである。

続いて大輔達は早速螺旋階段を駆け上がって、たくさんある吹き抜けから一望できるドアというドアを片っ端から開けていくことにした。
取材や編集の仕事に追われるたびに、ホテルや出版社に缶詰にされる父親が何度も母親にねだっては撃沈している書斎があった。
一ページ開いたら眠くなってしまいそうな分厚い海外の本が沢山入っている本棚の並んでいる書庫があった。
ソファがたくさん並んでいるのは、恐らく談話室である。そして念願のお風呂があった。それもとびっきり広いのが。
そしてトイレ休憩の後、最後に1番大きな部屋に飛び込んだ大輔とブイモンは、
そこに10つのふかふかなベッドが並べられているのを見た。
思わず触ってみたところ、真っ白なシーツや温かそうな毛布、クッションがあり、
旅行で泊まったときのベッドのように、なんだかものすごく綺麗で、シーツはぱりっとしていた。
なんだかテンションが上がってきていた大輔とブイモンは、ここで太一達を待っているのもいいかも知れないと思い始めていた。
そして、気の赴くまま走りまわり、はしゃぎまわっていた大輔とブイモンは、ようやく屋敷の大捜索が終了し、
なんだか名残惜しさすら感じながら、ふたたび螺旋階段のもとに戻っていった。
すっかり気分が高揚しているせいか、会話も弾む。そしてようやく晩ご飯がまだであるということに、気付いたのだった。
ぐーとそろって鳴いたのは腹の虫である。それすらもおかしくて、顔を付き合わせて笑った。
長い長い階段をグリコしながら降りていった大輔とブイモンは、これから晩ご飯はどうしようかと考え始める。
そしてふと、顔を上げた大輔は、吹き抜けの中でひとつだけ閉じられたままの部屋があることに気付いた。
おかしいな、片っ端から開けたのに。どうやら階段から見て死角になってしまうようなところにあるらしいその部屋である。
ずーっと開けっ放しのドアが並んでいるのに、そこだけ閉じられたままなのは気に食わない。
お腹すいたとうるさいブイモンを引っ張って、大輔は再び螺旋階段を駆け上がった。

その部屋は、2階の通路をずっと進んでいくだけでは辿りつけないような場所にあった。まるで隠し部屋である。
それだけでもちょっとドキドキするのだが、まるで隠れ家のように他の扉と比べて、一回り小さいのだ。
これは屋根裏部屋的な何か、秘密基地的な何かだろうか、と発想が膨らんでいく。
想像力を掻き立てられるようなものに強烈な魅力を感じるお年ごろの大輔と、すっかり大輔が話すロマン講座に感化されたブイモンは、
お互いに顔を見合わせて、ドキドキしながらドアノブを回した。
真っ暗である。大輔とブイモンは顔を見合わせた。すべての部屋は明かりがついているのに、どういうわけかこの部屋だけ真っ暗だ。
どうやら電気が付いていないようである。手探りであたりをさぐった大輔は、スイッチを入れてみた。
ぱちりという音がして、部屋が明るくなる。他の部屋よりもずっと小さな空間であるにもかかわらず、その全景をみた大輔は思わず入るのに躊躇した。
今まで我が物顔で部屋に突入し、片っ端からあたりを物色しまくっていた不届き者とは思えない豹変ぶりである。
大輔の豹変に疑問符を浮かべたブイモンは、慌ててこの部屋から逃げ出そうとする大輔の横から部屋を覗き込んだ。
そして、納得した。あわあわとして狼狽しまくっている大輔は、心なし顔が赤い。明らかに照れや恥ずかしさが混じっている。
そりゃそうである。人間の部屋なんて見たことがないブイモンだって、大輔が後ろめたさを感じてしまい、逃げ出すように出て行った理由がわかる。
パステルカラーで統一された暖かな印象の部屋は、きっと大輔が見たことのないものばかりで埋め尽くされているのだ。
ふわふわで、かわいくて、きれいなものがたくさんおいてあるこの部屋は、明らかに大輔とブイモンにとって場違いだ。
これはきっとミミの方がよく似合う。そう、女の子の部屋だった。

「そこにいるのは、だあれ?」

こんなタイミングで、いきなり後ろから女の子の声がしたのである。ぴしり、と大輔とブイモンは凍りついた。
えーっ、という声が両者の心のなかでつぶやかれる。片っ端からドアというドアを開けまくっていたにもかかわらず、
人間もデジモンも誰もいなかったものだから、てっきり大輔達は自分たちだけしかいないのだと思い込んでいた。
しかし、あわてて振り返った大輔とブイモンの前には、いつの間にか女の子が立っていたのである。
やばいやばいやばい、と焦る。間違いなくこの部屋はこの女の子の部屋である。
つまり、この広すぎる屋敷はこの女の子のものに違いない、と大輔達は判断した。
あきらかに大輔達の方がまずい立場に置かれていた。

「あ、あの」

「あなたね、たくさんのどあ、あけていったの」

「ご、ごめんなさい……」

「ううん、いいの。さがしものはみつかった?」

女の子は微笑んでいる。大輔とブイモンは顔を見合わせた。
てっきり怒られると思っていたのだが、どうやら女の子はそんな様子は見られない。
ほっとした様子で胸をなでおろした大輔は、あはは、とごまかすように笑いながら頭の後ろで手を組んで頭に乗っけた。
ブイモンも曖昧模糊のまま笑う。
しかし、なにか気になることでもあったのか、じいっと女の子の方を見つめていたブイモンは、おもむろに匂いを嗅ぎ始めた。

「え、な、なにするの」

「こら、ブイモン、なにやってんだ、お前!」

戸惑い気味の女の子である。
初対面であるにもかかわらず匂いをかぐというとんでもないことをした変態に天誅を食らわせた大輔は、
ごめんなさい!と頭を下げた。お前もだよ!とぐぐぐっと力を込めてブイモンの頭も下げさせる。
なにやら考え事をしていたブイモンは、きのせいかなあ、とつぶやいて、女の子を見上げた。

「オレの勘違いみたい。ごめんね」

「……ええ」

かなり引いている様子の女の子である。大輔は頭が痛くなった。
お前変態だったのか、とボソリとつぶやいた大輔に、違うよーっとあわててブイモンは弁解するが全然説得力がない。
ため息を付いた大輔は、ふと、女の子を見た。そして気付いた。
てっきり外国人の女の子かと思っていたが、普通に言葉が通じているのである。
日本語がものすごく上手なのか、それともタケルやヤマトのように外国人のような日本人なのか大輔にはわからないが、
言葉が通じなかったらどうしようという戸惑いと困惑が最初の緊張に拍車をかけていたので、落ち着いてみるといろいろ気づく。
ブイモンとのやりとりを見て、首をかしげている女の子の声をどこかで聞いたことがあるきがしたのだ.
間違いなく、大輔はこの女の子のことを知っているのだ。
もしかして、と大輔は女の子に話しかけようとしたが、先に女の子の方から遮られてしまった。

「きてくれたの?」

「え?」

「わたしのこえをきいて、きてくれたの?」

大輔、もしかして、とブイモンが見上げてくる。大輔は女の子に聞いてみた。

「俺を呼んでたのって、もしかして、」

「わあ、うれしい!ほんとにきてくれたんだ、ありがとう!」

「おわっ」

花咲くように笑った女の子は、軽快に走りよってくるなり、あまりの至近距離にどぎまぎしている大輔のことなんかお構いなしで、
その手をつかんだ。そして両手で握りしめて、真っ直ぐ見つめてきたのである。

「あなたのおなまえおしえて?すきなものはなあに?おたんじょうびはいつ?けつえきがたは?わたしにぜんぶおしえて?」

積極的な女の子に迫られた経験など、健全な小学校2年生の男子である大輔にあるわけもなく、うえ、とか、あの、とか
戸惑いっぱなしで二の句が継げない大輔をよそに、はーやーく、と女の子は笑ったのだった。
ちょーっとまった!と間に入ってくるのはブイモンである。ずっとほっとかれっぱなしは嫌なのだ。
率直すぎる好意を初対面でいきなりぶつけて来る女の子を、警戒心ばりばりで睨みながら、ブイモンは大輔にくっついてくる。
なにこれ、とモノ扱いする女の子はどうやら機嫌を損ねたようで、ブイモンを睨んでいた。
突如訳の分からない空間に巻き込まれてしまった大輔は、すっかり困り果てて、両者を仲裁するしかなかったのである。




[26350] 第二十話 ぼーいみーつがーる
Name: 若州◆e61dab95 ID:5e925926
Date: 2011/03/31 03:26
どんくらいかなー、と暖炉の前であぐらをかきながら、大輔はつぶやいた。
レンガ造りの暖炉では、組み上げられた薪を燃料にこうこうと火が揺らめいている。
そのオレンジ色の火影に照らされて、うっすらと赤みを帯びている大輔は熱心に暖炉の中を覗き込んでいた。
その右手に握られているのは、キッチンから拝借した見るからに高そうな銀色のフォークである。
その先に突き刺さっているのは、先程からふんわりと甘い匂いを漂わせ始めているマシュマロだ。
大輔のリュックの中に、お菓子の一つとして入っていたものである。サマーキャンプなんてイベントでもなければ、買わないような代物だ。
綿菓子のようにふわふわで柔らかくて甘いだけである。女の子は好きかもしれないが、すぐに口の中で溶けてしまうためあまり食べた気がしない。
普段だったら、一袋完食する前に飽きが来てしまいギブアップすることは明らかであるため、
オヤツ目的で駄菓子コーナーにやって来た場合は絶対に手を伸ばしたりはしないはずである。
この珍しすぎるラインナップがチョイスされた理由は、飯ごう炊さんでカレーを食べた後のデザート替わりとして、マシュマロが予定されていたからである。
本来なら母親が子ども会からのお知らせにあった必需品項目を管理する立場として、お米と一緒に持っているべきものであった。
しかし、おやつが欲しいとねだる大輔と共にスーパーで買出しした母親は、家に帰ってから買い物袋を仕分けしようと考えたまま、すっかり忘れていたのである。
いちいちビニール袋の中を確認するような性格ではない大輔は、そのままリュックの中に放りこんでしまい、今に至るというわけだ。
そして今晩のご飯は何にしようかとリュックの中を漁っていた大輔の目に止まり、引っ張り出されたわけである。
そういえば、ともう5日も前になるサマーキャンプの時に、マシュマロの変わった食べ方があるのだと、
大輔のいたグループのまとめ役の人が熱心に説明していたことを思い出した大輔は、聞きかじったそれを実行しているというわけだ。
ちなみに、1番長いからと用意された銀色のフォークは、直火でマシュマロをとろけさせるための棒としては不向きである。
すっかり熱くなってしまったフォークを持っていられなくなった大輔は、半分とろけたマシュマロを慌てて隣に用意していたクラッカーに置いた。
もう一本のフォークで何とかマシュマロをとろうとするが、とろけかかっているそれは、まるで水飴のように伸びてしまい、うまくいかない。
四苦八苦しながらようやく蓋をした。マシュマロサンドの完成である。匂いはとっても美味しそうだが、見た目はあまりに不恰好だ。
フォークを口にくわえた大輔は、まるでべっこう飴のような甘さの塊に驚いた。
ちょっと冷えてしまっただけなのに、もうフォークにくっついていたマシュマロはネトネトになっている。
これは甘すぎる。クラッカー選んでよかった。チョコチップクッキーとか、マーブルチョコのやつとか、ブイモンはラインナップをしていたが、
却下して正解だったとほっとする。もしクッキーに挟んでいたら、とてもではないが大輔は完食する自信はない。絶対に胸焼けする。
そして、このフォークはもう大輔だけしか使えないことに気づいて、あ、しまった、と我に返る。まだフォークあったっけ?
ブイモンだけだったらそんな事気にもとめないだろう、洗い物が増えるのめんどくさいし、でもそういうわけにもいかなくなったのだ。
ふかふかのソファの背もたれから顔を出したまま、ずーっと大輔のなんちゃって料理を眺めていたのは、ブイモンである。
マシュマロサンドの試作品第一号がおかれている皿を見たブイモンが、あまりの完成度の低さに落胆する。

「大輔―、あんまり美味しくなさそうだよ」

「うっせえブイモン。文句言うなら食うなよな。つーか待ってないでお前も手伝えよ!
さっきから腹減った腹減った言ってばっかで、なんにもしてねえじゃねーか、腹減ってんのは俺だって同じだっての。ったく」

お腹が減ってしまって動けないブイモンには、あまりにも酷な台詞である。
えー、オレじっとしてんの無理、苦手だよとブイモンは言い張っている。マシュマロを焼くというメンドクサイ調理法を実践しようとした大輔に、
お腹が空いたのだから早く食べたいと思っていたブイモンは、ずーっとごねていた。いいじゃん、そのままでも美味しいよマシュマロ。
それでも暖かいものを食べたいという率直な意見には大いに賛成だったため、今に至るのだ。かれこれ30分ほど待ちわびている。
マシュマロのとろけさせ加減が意外と難しいのである。
真っ黒になったり、とろけすぎてしまったマシュマロがフォークから落ちてしまったり、とろけすぎてネトネトの物体になってしまったり、
完成に手間取ってすっかり冷めてしまい、マシュマロが堅焼きせんべいのようにカチカチになってしまったりしたのだ。
試行錯誤やった末に、ようやく完成した記念すべき1個である。不恰好だが味は保証する。たぶん。
自分なりに一番ましな力作だと考えていた大輔は、それをボロクソに言われていらっときたらしく、皿を取り上げてしまう。
失言だったと気ついたブイモンがあわてて謝ろうとソファから降りて大輔のところに行くが、もう既に遅し。
マシュマロを一つ一つフォークに刺す作業を淡々とこなしていた女の子が、目を輝かせて大輔にねだっていた。
どうやらこの瞬間を虎視眈々と狙っていたらしく、勝ち誇ったような顔をしてブイモンに微笑みかける女の子は、
ありがと、と笑顔を浮かべてマシュマロサンドを食べてしまった。あー!というブイモンの声が響く。

「オレのマシュマロサンドーっ!大輔、ずるいよ、なんでなっちゃんにあげちゃうんだよ!」

「お前が文句ばっか言うからだろ?てっきりいらないのかと思ったのに」

「いらなくないーっ!オレ、腹減って今にも死にそうなのにーっ!大輔のばかああ」

「あーもー、マシュマロサンド一個でどんだけ泣いてんだよ、お前。さっきから言ってるだろ、自分で作れってば」

「ひどいや、大輔。オレが何したっていうんだよう。あんまりだあ」

「はあー、わかったわかった。すぐ新しいの作ってやるから待ってろよ」

「ホントか、大輔!やっほーい!」

だーもー、メンドクサイ奴だなあ、とわがまま放題のブイモンに大輔は頭をかいた。
くっそー、今度こそ綺麗に作ってやる、と意気込みを新たに大輔は暖炉の前に向かっていった。
わかってない、全然わかってないぞ、大輔!とブイモンは心のなかで叫んでみる。
ブイモンが欲しいのは大輔が作ったマシュマロサンドなのであって、ブイモンが作ったマシュマロサンドではないのだ。
それだけでどれだけブイモンにとって、わざわざずーっと待っているだけの価値が落ちてしまうのか、全然分かっていないパートナーにため息ひとつ。
直接直談判しようかとも考えたのだが、大輔のことである、はあ?なんだそれ、何が違うんだよと素面で返答されてしまうのは眼に見えている。
隣にライバルが居るにもかかわらず、そんなこと出来るわけがなかった。一目見た時から気に入らないのだ。こいつは敵だとブイモンの勘が告げている。
パートナーデジモンであるブイモンの地位を脅かしかねない存在であると、大輔の1番を横からかっさらってしまうかもしれない存在だと
一目あった瞬間からブイモンは、なっちゃんと呼んでいる女の子を判断した。理由なんてさっぱりである。本能が叫んでいるのだから仕方ない。
ずっと何かを見過ごしているような違和感があるのに、どうしてもそれがわからなくて、もどかしくて、ブイモンはずっとイライラしている。
敵対心をむき出しにしているブイモンに一切怖じけづくことなく、むしろ対抗意識を燃やしている女の子はずっと大輔の隣を陣取って
マシュマロサンドづくりに励んでいる。





なっちゃんとブイモンと大輔から呼ばれ、自らもなっちゃんと呼ぶことを宣言した女の子は、のれんにうでおし、やなぎにかぜ、
というコトワザを体現したかのように、掴みどころのない、不思議な雰囲気を持っている女の子だった。
彼女は熱心に大輔のことを知りたがった。
本宮大輔という名前、年齢、生年月日、星座、好きなもの、嫌いなもの、などなど好きなこのことなら何でも知りたいという
恋に恋する女の子のような振る舞いで、今まで出会ったことのないタイプの女の子に、きゃらを掴みかねている大輔は、
どう対応していいものかわからず、すっかり戸惑いっぱなしである。完全にペースを飲まれて振り回されていた。
すぐ隣にいるのに完全スルーされて、そっちのけで大輔のことばかりに熱心な彼女が面白くなくて、
パートナーデジモンであるということを強調して自己紹介したブイモンに、彼女は凄まじい落差で対応した。
まるで存在自体に全く気付いていなかったかの如く、今更のように態度を取られたことも衝撃だったのだが、
開口一番に「なにこれ」とモノのような扱われ方をするとは思いもよらなかったブイモンである。
どうやらなっちゃんの中では、明確な優先順位が存在していて、ヒエラルキーの頂点に大輔がいて、
それ以外は全くどうでもいい取るに足らないもの、としてひとまとまりになっているようだ。
さすがに大切なパートナーデジモンを蔑ろにされて不快に思ったらしい大輔が仲裁に入ってくれたおかげで、
最初の頃の露骨すぎる態度はなりを潜めたものの、それはあくまでも大輔が言ったから実行しているに過ぎないのだろうことは、
ブイモンは嫌というほど分かっていた。そしてその心中も理解できてしまう。

自己紹介が済んだ後、大輔達は簡単にではあるがこの世界にやってきた経緯とパートナーデジモンとの出会い、デジヴァイスによる進化、
思いつく限りの出来事と未だ分からない謎、そしてこの世界に迷い込むまでの経緯について包み隠さず話した。
なにせこの世界にきて初めて出会う人間の女の子なのである。
もし、この世界の住人なのだとすれば、この世界についてもいろいろ話が聞きたかったし、太一達と合流することも考えると、
是が非にでも聞きたいと思うことが山ほどありすぎて、どれを取り上げるべきか迷ったほどだった。
しかし、大輔たちが言葉を紡げば紡ぐほど、彼女はどんどん悲しそうな顔をして言葉少なになり、とうとう最後はうつむいてしまったのである。
自分たちのことばかり話していたせいで彼女が傷ついたのだと気付いた大輔達は、あわてて謝罪したのだが、
そのときぽつりとつぶやかれた言葉が、彼女のすべてを物語っていた。

「わかんない」

大輔とブイモンは顔を見合わせた。
マシンガンのようにぶつけられた無遠慮すぎる質問の数々に、たった一言、全ての心中を濃縮したような一言は、あまりにも破壊力があった。
律儀にも彼女はその一言ですべての質問に答えたのだ。
自分の名前も、どこからきたのかも、ここがどこなのかも、なにもかもぜんぶ、彼女を形成している一欠片すら、彼女は覚えていなかった。
彼女はいう。気づいたらあのお部屋にいて、ずっと一人ぼっちで、寂しくて寂しくてたまらず、ずっと誰か来てくれないかと待ち続けていたのだと。
だから大輔が声を聞いて来てくれたと知った彼女は、ずっと一人ぼっちだったという孤独から解放されて、心の底から嬉しかったらしい。
初対面であるにもかかわらず、全てにおける過程をすべて吹き飛ばして、大輔だけに一直線で好意をぶつけたのも、ひとえにそれが理由だった。
彼女にとって、大輔が自分の声に答えてくれた、そして来てくれた、この洋館における初めてのお客様なのである。
そこまで聞いてしまっては、彼女のとる天真爛漫すぎる積極的なスキンシップに何も言えなくなってしまう。
大輔もブイモンも、この屋敷の置かれている状況が、いかに危険に満ち溢れているか嫌というほど分かりきっていた。
どうやら彼女はデジヴァイスもパートナーデジモンもいない、ほんとうの意味で一人ぼっちで、この世界に迷いこんできたらしい。
大輔が吹雪が止んだら外に出ようと考えられたのも、ブイモンがいて、デジヴァイスがあって、太一達という仲間たちがいるからである。
彼女は何一つ持っていないのだ。無防備な女の子がなにひとつ持たないまま旅をすることができるほど、この世界はやさしくはない。
彼女が今まで屋敷の外に出たことがないという言葉も、なんら不自然なものではない。むしろ当然であり、今までよくぞ堪えられたと考えてしまう。
窓から大型の凶暴なデジモンが外をばっこしているような光景を見てしまったが最後、同じような状況に置かれたとしたら、
とてもではないが大輔だって楽観的な思考回路で飛び出していけるわけがない。
自然と大輔とブイモンは、ごめんなさいと頭を下げていた。不用意な言葉を口にしてしまった。
今まで彼女が知る必要がなかった、質問したことに何一つ答えられない、向けられる期待に答えられないという
もどかしさや歯がゆさ、羞恥心、プレッシャーというたくさんの負の感情を、知らず知らずのうちに大輔達は提示してしまったのである。
無知であるがゆえの不安や恐怖を教えてしまったことに対する罪悪感がそうさせた。

そう考えたときに、大輔のように彼女の悲痛な叫びが届いたわけではなく、ただくっついてきただけのブイモンは、
彼女にとってはただの付属品でしか無いと思われるのも仕方なかった。
今ではようやくブイモンと呼んでくれるようになったが、無邪気すぎる彼女はやや毒舌過ぎる時があった。
一般的な常識や知識、すべてにおける基盤すら喪失しているせいか、彼女はやや独創的な発想の持ち主である。
できそこないのイルカみたいだとか、ツノの生えた青蛙のようだと形容されたときには、悪気がないと知っていても怒りたくなったブイモンである。

ある意味、生まれたばかりの雛のようにまっさらな彼女は、一見すると異様なほど大輔になついていた。
大輔に名前をつけて欲しいと提案してきたのは、彼女だったのだ。
名前は?と大輔に聞かれたとき、その愛らしい顔をこてんと傾けた彼女は、名前というものを知らなかった。
気付いたときには、すでにこの広すぎる洋館で一人ぼっちだったという彼女である。
当然ながら、自分ですら忘れてしまっている名前の存在など気に止めることなく、今まで生きてきていたらしい。
大輔とブイモンはその話を聞いたとき、あまりにも現実離れしすぎていて、過酷すぎる環境で生きてきた彼女の深刻さを悟った。
名前には言霊が宿るとは言うが、自分以外に誰も存在しない世界においては、きっと言葉はどこまでも無力なのである。
人が人の間で初めて人間となれるように、自分は自分であるという当たり前の意識なんてものは、比較対象である他者がいなければそもそも成立しないのだ。
人は説明するときにどんどん長くなる形容表現が面倒だから、名前をいうレッテルを張って会話することからコミュニケーションは始まったというのだから、
彼女が道具の使い方を知っていても名前を知らないのは何一つ不自然なことではないのである。たとえ、それが自分の名前であったとしても。
彼女の理論からすれば、彼女が彼女であるという定義付けをしてくれたのが、記憶を失って生まれて初めて遭遇した他者である大輔であり、
それを教えてくれたのも大輔なのだから、名前をいうレッテルを張るのも大輔がやるべきである、というわけだ。
さっぱり話しについていけない大輔とブイモンは、とりあえず彼女が勝手に呼んでくれればそれを名前扱いすると判断した。
彼女はわくわくしながら見守っていたのだ。これはなかなか責任重大だと思った大輔は、一生懸命考えたがさっぱり浮かばない。
困り果てた大輔は、ずーっとうなっていた。

「だいすけがすきななまえってなあに?」

「好きな名前え?」

それは好きな女の子の名前はなにか、と聞いているに等しい問い掛けである。ミミに問われたときのように返すしか無い。
そしたら、オレは大輔のことなら何だって知っているのだ、と誇示したがる症候群を発病したブイモンが、
いつだったかと同じようなタイミングで爆弾を投下した。

「ジュンだよね?大輔」

「じゅん?」

「そ、そーだけど……」

「じゃあ、わたし、じゅんにする」

彼女からすれば、大輔が好きな名前だったら何でもいいという考えなのだろうが、ジュンという名前を聞いたとき、
真っ先に思い浮かぶ女性がいる大輔は、凄まじい勢いで拒絶反応を示した。
この世界にきてから5日を数え、思い出の中でしか会えないジュンお姉ちゃんが、彼女で塗りつぶされてしまうきがしたのだ。
大切な思い出が全部全部彼女で埋め尽くされてしまう、塗りつぶされてしまう恐怖を覚えた大輔は、
ぶんぶんと大きく首を振って、断固拒否を宣言した。
ジュンお姉ちゃんのことをジュンお姉ちゃんと呼んでいいのは自分だけなのである。弟の自分だけなのである。
大輔は自分がジュンお姉ちゃん以外を呼ぶための言葉として、一言足りともジュンという言葉を発することは絶対に嫌だった。
いくら可哀想な女の子だからって、これだけは譲れない。

「駄目、それだけはゼッテー駄目!頼むからやめてくれ、他の名前考えるから」

「そう、わかった。だいすけがきめて、わたしのなまえ」

少しだけ不満そうに口を尖らせたものの、素直にこくりと頷いた彼女は、大輔が再び思考の海にだいぶするのを見届けた。
ブイモンはチョコとかクッキーが好きだとか抜かしたが、それではまるで犬や猫に付けるようではないか、と大輔は反論した。
そしたら、ことのほか彼女は乗り気だった。大輔が好きなものだったら何でもいい、というお墨付きを頂いた大輔達は、
少しでも人間らしい名前を考慮に入れながら、好きなモノを連想ゲーム式にぽんぽんと口に出してみた。
しかし、サッカーでは、さっちゃんとなってしまう。
有名な童謡に歌われているさっちゃんは、実は交通事故で死んでしまい、バナナをちょっとしか食べられなかった、
とかいう小学校で流行っていた都市伝説を思い出した大輔は、却下する。いくらなんでも不吉すぎる。
ラーメンでは、あんまり過ぎるだろう。らっちゃんもなんか言いづらいし。
うーんうーん、と考えていた大輔は、ふと外を眺めて、猛吹雪のあまりカーテン越しに窓のきしみが聞こえてくるのを耳にする。
冬より夏のほうが好きだな俺、今寒いし、とこぼれ落ちた言葉を拾い上げたのは、彼女だった。

「だいすけ、なつ、すき?」

「そりゃー、今はスッゲー寒いし、暖かいほうがいいよなあ」

「じゃあ、なつにする」

「え?いいのか?そんなんで決めちゃって」

「うん。なつだから、なっちゃん。なっちゃんてよんで、だいすけ。よろしくね」

すっかりお気に召したらしいなっちゃんは、鈴を転がしたような声で名前を紡いだ。それはそれは嬉しそうなほほえみをたたえている。
なっちゃんは、どう見ても外国人としか思えないような容姿に恵まれているし、服装だって女の子をしているといった感じの様相だ。
どこをどう見ても、日本人の女の子にありがちなニックネームが似合うとは到底言いがたいし、とってもミスマッチであると大輔は分かっている。
せめて外国人っぽい名前のほうがいい気がしたのだ。夏、なんていまどきの女の子がもっている名前とはあまりにも程遠い気がする。
昔の時代劇なんかで出てくる、名前の前に、おをつけるのが普通だったような、すっごく昔の女の子だったら普通なのかも知れないけれども、
だってほら、お夏とかなんかいそうだ。
絶対に彼女が持っているであろう名前とはかけ離れていることは明瞭だった。
本当にいいのかと大輔は心配になって聞いたのだが、どこまでも素直ななっちゃんは、
大輔に名前をもらえたことにすっかり舞い上がっていて、大輔の考えていることなんて全然気にしていない様子だった。
まあ、いっか。記憶を取り戻すまでの一時的な名前なんだし、これがほんとうの名前になるんじゃないんだし、
きっとなっちゃんだって名前を思い出したら、本当の名前のほうがいいだろうから、なっちゃんなんて忘れてしまうだろう。
こうして、ぼーん、と柱時計が時間を知らせてくれた頃には、とっぷりと日が暮れて、夕ごはんの時間と相成ったわけである。
どういうわけかブイモンとずっと仲が悪いらしいなっちゃんである。ちょっとくらい仲良くしてもいいのに、と大輔は思ったのだった。

なっちゃんが大輔にぴったりくっつこうとしているのは、きっと恋愛感情とかそういったものではないと大輔は判断している。
生まれたばかりの雛鳥のように、他に頼る人がいないだけだろう。こうやるしか方法を知らないのだろう、若しくは探しているのだろう。
時々、これで大丈夫だろうか、という様子を伺うような不自然な問いをなっちゃんはする。大丈夫だと返すと笑うのだ。
態度とか距離とかいろいろわからないから、なっちゃんなりに頑張っているのだろう。
今まで一人ぼっちで過ごしてきた女の子が、フォークの名前すら疑問符だった女の子が、
記憶を無くして初めてであったのが、たまたま大輔だっただけで、だから頼りにしているだけなのだろう、と思っている。
だから、なっちゃんが積極的なまでに一直線に好意を示しているのは、素直にうれしいし、ありがたいけれども、
それにどうやって返したらいいのか大輔は未だに分からないでいる。

だって、なっちゃんは知らないだろうけれども、女の子にあんまり興味がない大輔だって、
その思わせぶりな態度とか、言葉とか、動作とか、あからさまに迫られてしまったらいくら何でも無関心ではいられない。
思わずドキドキしてしまうような、結構かわいい女の子なのである。
今だって結構、顔が赤いのをごまかしている部分はある。大輔は照れ屋な少年である。
クラスメイトの女子でよく話すのは、自己主張の強い気の強いグループのリーダー格とか、男女関係なく友好関係を結べる子位だ。
あとはジュンとか空とかミヤコとか、いずれも年下の大輔に対して、年上振りたかったり、先輩だったり、上下関係を強いたりと
わりと大輔よりも上からの立場で、もしくは対等な立場でやりあうような感じの人たちばかりである。
気の強い女性と縁のあるため、そういった女性ならある程度余裕を持てる大輔だったが、
その真逆とも言えるタイプはあらゆる意味で困難なことばかりだ。どうしていいのかわからない。女の子は未知の世界なのである。
それをごまかすために、ついついブイモンを緩和剤にしたくて、巻き込みたくて意地悪してしまう。
はあ、と小さく大輔はため息を付いた。


いつの間にか、マシュマロサンドは、大輔の分だけしか残っていなかった。




[26350] 第二十一話 そして、想いは進化する
Name: 若州◆e61dab95 ID:69dba68d
Date: 2011/04/01 19:55
想いは消えないよ
想いは残るよ
想いはいろんなコトを起こすよ
いいことも
悪いことも










大輔が生まれたとき、既にお台場小学校一年生だったジュンは、大輔が物心ついた頃には既に自分の部屋を持っていた。
このころ、両親と共に寝ていた大輔は、もちろん自分だけの部屋なんてない。自分だけの部屋を持っている姉が羨ましくてたまらない。
自分だけの勉強机やベッド、洋服ダンス、といったあらゆる自分だけの所有物を持っているのが、ずるいと思ってやまなかった。
だから、自分の部屋があるにもかかわらず、あくまでも生活の基盤は両親の部屋であり、自分の部屋は自分のものを置いておく物置部屋として
姉が使っているのかさっぱりわからなかった。
大輔がちょっとした好奇心で入ってきたときには、女の子の部屋に入るのは最低だ、と顔を真赤にして怒るくせに、
大輔と同じく両親の部屋で一緒に寝ているのか全然理解できなかったし、父親と母親の間という特等席をいつも独占する姉が許せなかった。
小学校に入学したといっても、まだまだ甘えたいさかりの時期に生まれたばかりの弟に両親の愛情と注目、感心というあらゆる特権を奪われ、
自分よりずっとずっと腕白で元気で活発な男の子である弟が、しょっちゅう何かしらの問題を起こしたり、ケガをしたりしては、
両親の手をかけさせることで構われている、守られているのが、お姉ちゃんであるという理由だけで不平不満を封殺されるジュンの心境などわかるわけもない、
ジュンの寂しい、構って欲しい、大輔だけの両親ではないのだから自分のことを見て欲しい、頑張ってるんだからこっち見て!という無言の抵抗である。
もちろん両親も大輔に掛かり切りで孤独を感じて子供返りしている、小学校高学年の女の子の心中を理解しないワケもなく、
何にも言わずにみんなで川の字になって眠っていたし、なるべく両方の学校行事には積極的に参加するようにしてバランスをとる。

しかし、なんとか姉弟に対する愛情を公平にしようと頑張る両親ではあるが、大輔がサッカークラブに入ったことで、
もともとシーソーを平行にするくらい難しかったバランスは、あっという間に崩壊してしまう。
忙しさの前にはいずれの微笑ましい要望などいつでも無力である。
スポーツドリンクやタオル、クラブユニフォームなど毎日準備しなくてはいけないし、大会やイベントが入ろうものなら両親同伴が原則である以上、
お弁当にも車の送迎にも力が入り、大輔がサッカーを頑張れば頑張るほど比例して両親の負担も跳ね上がっていく。
そのしわ寄せを被るのは、いつだって中学校に進学して、すっかり大人扱いされるようになったジュンである。
その頃から、もともと言い争いや喧嘩が絶えなかった大輔とジュンの間では、姉弟同士の激しい衝突は日常茶飯事となった。
もちろんジュンにはジュンの言い分、大輔には大輔の言い分があるのだが、お互いに意地っ張りであり素直ではないという同属嫌悪が拍車を掛けて、
それに加えてジュンが思春期でアイデンティティの確立に葛藤する難しいお年ごろに突入したがための新たな問題も噴出し、
もはやこじれにこじれてどうしようもないモノになっていた。
アンタは弟だから姉であるアタシの言うことは聞くべきなのだ、という横暴すぎるジャイアニズムにずっと屈服し続けて8年になるが、
そういった不平不満は口喧嘩でも殴る蹴るの大げんかでも、ずっと体格の大きい姉に叶うわけもなく、6歳の開きは未だに超えられない。
そういう時は最終手段として両親を召喚するという奥の手を使う大輔は、姉がお姉ちゃんなんだから、と叱られるのを怒られるのも見て笑うたびに、
大輔も男の子なのだから泣いてはいけない、と強くなくちゃダメだ、と諭されてしょぼくれたりする。
両親の目を盗んでやってくる姉の報復も恐れなければならず、本宮家は大輔にとってもジュンにとっても毎日が戦争のようなものだった。

それがある日、とうとう大爆発を起こすことになるのだが、それがまさにゴールデンウイークに差し掛かったころである。
大輔はお下がりが嫌いだった。同性でないため、ジュンが使っていた体操服や運動靴といったありとあらゆるモノを共通で使い回す、という
最悪の事態はまぬがれたのだが、習字セットや絵の具セット、リコーダーなど男女差が明確でないものは両親から使うよう言い渡されていたのだ。
自分のものであるはずのものには、本宮ジュンという名前が書いてあり、それをいちいち黒いペンで塗りつぶして使っていた。
みんなピカピカの新品を使っているのに、自分だけ使い古されたものである。それが大輔には耐えられなかったのだ。
ジュンの使い方が丁寧だったため、わりと綺麗なままだったのは幸いだが、扱いがぞんざいで乱暴な大輔は、しょっちゅうものをなくす。
新しいものを買って欲しくてつい、そういう扱い方をしてしまうのだが、ジュンからすればかつて自分のものだったものを
適当にいい加減に扱われて、どんどん汚くなっていく文具をみるのが耐えられない。そこでまた喧嘩の火種がちっていく。
そして、極めつけが、小学校に進学したにもかかわらず一人部屋がもらえないということだった。
お台場の高層マンションに住んでいるというお家事情により、本宮家では自由に増改築することができない。
それにジュンと違って、自分で片付けをしたり身の回りのことをきちんとすることができず、
なにかと両親の手を借りてやっていた大輔にはまだ早いだろうという両親の判断である。
さんざんごねる大輔に、自分でちゃんと机に向かって勉強するという約束をしっかりと取り付けた両親は、勉強机だけは買ってくれると約束した。
今までリビングで宿題をやっていた大輔は大喜びだったが、今度は置き場所の問題が出てくる。
普通ならば二段ベッドを購入していたジュンの部屋に大輔の机を置いて、共同で使用してもらうのが望ましかったのだが、
当然ながら、ジュンと大輔双方からの大ブーイングが起こったのである。
ジュンからすれば、もう中学校1年生である。ずっと一人部屋だったのに、なんで大輔と一緒の部屋になるのかと怒るのも無理はない。
PHSでお友達と内緒話したり、好きなアイドルのことで盛り上がるのが大好きなのに、プライベートもクソも無くなる上に、
中学校に上がってから生活の基盤を緩やかに一人部屋に移し、着替えや就寝をこちらに置きつつあった乙女からすれば、たまったものではない。
大好きなアイドル歌手のポスターや女の子らしい雑貨品で溢れていた自分の城である。男子禁制、不可侵領域だ。
中学校に上がったことでアップしたお小遣いと広くなった活動範囲を利用して、もっともっと部屋を充実させる予定だった。
大輔にあげるようなスペースなんて、一畳も無いのである。
大輔だって願い下げだった。ジュンが一人部屋を持っているのに、なんで自分だけ駄目なのかと納得行かない。
両親と共同で使っている部屋にあるサッカー選手のポスターとか、ゲームとか、スペースを制限されて飾れないおもちゃだってたくさんある。
友達を家に呼びたいと考えていたのに、お姉ちゃんと同じ部屋なんて恥ずかしいから嫌だ、と否定した。それはジュンも同じだ。
その結果、収納スペースと化していたもうひとつの子供部屋を片付けて使うことになったのだが、
その準備には結構な時間がかかるということで、しばらくの間ジュンと大輔は不本意ながら共同の部屋を使うハメになってしまったのだった。

具体的にはゴールデンウイークの間であるその一週間は、大輔にとって生まれてから一番最悪な一週間だったと記憶している。
机の前にすわって勉強を終えてから遊びにいくという約束を守るべく、四苦八苦して大っきらいな勉強を費やしていた大輔だが、
なにかとジュンがちょっかいを掛けてくるのである。集中できるわけがない。
CDを流したり、問題が分からない大輔をからかいはしても、自分で考えろといってヒントばかりで答えを教えてくれないし。
それに着替えだとかお出かけの準備だとか何かと理由をつけて大輔をランドセルごと追い出すのである。
一人部屋になったら自分一人で寝るのだ、と一人部屋にすることに難色を示していた両親を納得させるため、意地を張った大輔は、
二段ベットで寝ることになったのだが、妨害がまたひどかった。
上で寝てもいいとかたまに優しいことを言うのかと思えば、マットレスを下から蹴り上げてくるいたずらを仕掛けてくる。
結局二段ベッドは下だ。しかも宿題や勉強が大変なのか、ずっと夜遅くまで勉強机に向かっているせいで、
眠たいにもかかわらず電気が眩しくて寝られない。音楽が漏れてて眠れない。電話がうるさくて眠れない。3重苦である。
文句を言っても、両親と寝ればいいだけだろう、と言われてしまう。無茶苦茶である。1週間一人で眠れたらが一人部屋をもらえる条件なのに。
結局、念願の一人部屋が手に入るまでは、すっかり寝不足になってしまった大輔は、その期間に行われた交流試合で散々な結果を出してしまうし、
ミスしてコーチに怒られるし、家でのことをチームメイトに愚痴れば、いつも嫌いだと言っているお姉ちゃんと一緒の部屋で寝ているという
あべこべさを機敏に感じ取られてしまい、からかいいじり倒される。もう思い出したくもない出来事である。

そういうわけで、その時期から今に至るまで、男の子がたとえ家族であろうとも女の子の部屋に勝手に入るのは許されないことであり、
なにがあっても文句をいってはいけないのだという無茶苦茶な暴論を問答無用で受け入れてきた大輔にとっては、女の子の部屋は嫌な思いでしか無い。
それに第二次性徴を遂げつつあるジュンは、どんどん女の子から女性という大輔にとって異性に変わっていく。
大輔のことなんて男として微塵も意識していないジュンは、私生活に置いてもなにかと大輔を下っ端としてこき使うが、
大輔が下着姿でうろうろしたり、みっともない恰好で寝てたりしても、邪魔だとぞんざいに扱うだけである。
それなのに、恥らいを覚え始めてからはちゃんと自分でいろいろするようになったし、
以前みたいにタオルを忘れたから取って来いとか言われても、ちょっと扉を空けるだけで姿を現さなくなった。
姉の変化は、もちろん弟にも変化を及ぼしていく。大輔が早過ぎる思春期を迎えているのは、間違いなく姉の影響が色濃い。
戸惑いや動揺、恥ずかしさや照れというものを経験した大輔は、女の子と男の子が別の生き物であると知った。
女の子から女性になっていく過程で、興味をもつジャンルもだんだん大人びていくジュンの持っているものは、
大輔にとって全てが未知の世界だったことも手伝って、訳のわからないもの、こわいもの、とされていく。
なんだこれ、のオンパレードだ。ジャイアンだって映画ではイイヤツになるのに、大輔は姉がイイ姉になることを一度も見たことがない。
だって、大輔がジュンに貸してくれと申し出ても文句を言われて怒られるのに、ジュンが勝手に大輔のものを持って行っても、
姉の権限でなかなか返してくれないのである。ヒドイ話だ。
それに、お姉ちゃんと一緒に寝ることは恥ずかしいことなのだ、とすっかりチームメイトとの喧嘩で刷り込まれてしまった大輔は、
女の子と一緒に寝ることは恥ずかしいことなのだと、まだ小学校2年生であるにも関わらず悟りきってしまっている。
空やミミが雑魚寝をするときに距離を置いていたことに何の疑問も抱かなかったし、
一緒に寝て欲しいとお願いするのは太一達男の子組にのみ向けられていたのがその証だ。
そんな大輔が、同じ年くらいの女の子であるなっちゃんから、一緒に寝ようなんて言われたら、当然断るに決まっていた。

「どうして?どうしてわたしがだいすけといっしょにねちゃだめなの?ぶいもんはいいのに」

むう、と頬をふくらませる愛らしい女の子に、大輔はにのべもなく、取り付く島も与えずに駄目だって!と強硬に反対した。
なっちゃんは、大輔の予想を大きく上回る形で、ずーっと一緒に居たがるのである。ぴったりくっついて離れようとしない。
それはもう、一瞬だって離れたくないのだとはっきりと宣言したから知っている。ブイモンも大輔もすっかりタジタジだ。
この屋敷には大きなお風呂があったが、男女にはっきりと分かれていて、大きく女性マークと男性マークののれんがあるのに、
記憶喪失の彼女はそもそもその区別の意味がよくわかっていないらしく、説き伏せるのに苦労した。
そして本日二度目の押し問答タイムを迎えていた。
大輔にはよくわからない。なっちゃんには、なっちゃんの部屋があり、ぬいぐるみとくっしょんに覆われた女の子のベッドがあるのに。
大輔とブイモンは、この屋敷の探検で見つけた客間用のベッドルームを借りて寝ることにしたのだが、
おやすみ、と別れようとした大輔をなっちゃんが逃すはずもなく、こうして10こあるベッドの一つを占領して、
寝間着姿の女の子はじいいっと大輔たちを見ているのだ。
そしてなっちゃんは、なっちゃんの部屋にあるベッドで、大輔とブイモンと一緒に寝たいと言い出して聞かない。
あんなファンシーな部屋で見ず知らずの女の子と一緒のベッドで寝るとか、突拍子無さ過ぎる提案に絶句した大輔は、
顔を真赤にして首をふるしかなかった。
せっかくのお客様がいるのに、一人ぼっちで寝るのは嫌だとなっちゃんが考える気持ちも理解できるし、
寂しそうに、悲しそうに、目をうるませる女の子を泣かせてしまっている気分になるのは罪悪感いっぱいだが、
こればっかりは無理だった。恥ずかしさとか照れとか、そういうのがごっちゃごちゃになってしまう。
大輔は気づかないうちに、はっきりと女の子としてなっちゃんを意識し始めている。なおさら拍車をかけていた。

「だってオレと大輔はパートナーだもんね、大輔」

ブイモンは優越感に浸りきって笑っている。なっちゃんは悔しそうに、むむむ、とブイモンを睨んだ。
ブイモン曰く、デジモンには男や女という性別は存在しないらしいが、パートナーと同じ性別と思わしき性格や話し言葉をしているため、
すっかり大輔達はその事実を忘れてしまっている。もしブイモンが女の子のような振る舞いや一人称、話し言葉をしていたら、
たぶん大輔はそうとう態度を決めるのに動揺するハメになっただろうから、ブイモンの台詞は微妙にずれていた。

「ずるい、ずるい、ずるい。わたしもいっしょがいい。ひとりぼっちはもういやなの。さみしいのはもっといやなの。
おねがい、ひとりにしないで」

縋られるように訴えかけられてしまった大輔は、うーん、と非情になって却下することができるはずもなく、迷いが生じる。
捨てられた子犬のようなしぐさである。ブイモンもちょっと可哀想かなあと思い始めてしまい、無言になる。顔を見合わせた。
もともと太一達との漂流生活において、みんなを守る立場になりたい、という意識に芽生え、
行動を一貫して通してきた大輔とブイモンからすれば、なっちゃんは明らかに自分たちよりもずっと弱い立場であり、
まさに守るべき対象の象徴である。ここまで絵に書いたような分かりやすい対象は、きっと珍しい。
頼りにされていることはひしひしと感じられるだけに、渇望していた立場になってみると、何やら面映い照れくさい感じがしているので、
自然と大輔の態度が軟化するのは緩やかだった。ブイモンもちょっと意地悪しすぎた反省からか、ふと思いついたことを口にする。

「じゃあ、なっちゃんがこっちにくればいいんしゃない?大輔」

「こっち?」

「あーそっか。なっちゃんがこっちにきたらいいんだ。こんだけたくさんのベッドがあるんだから、2つ使ったって変わんないよな」

「わたしが、こっちにくるの?」

「うん。なっちゃんがこっちにきたらいいんだよ」

それが大輔の取れるぎりぎりの譲歩である。しばらく瞬きしていたなっちゃんは、ぱっと顔を輝かせた。
うん、そうするね!と笑ったなっちゃんに、大輔はほっと胸をなで下ろす。
ベッドをくっつけるとかいう提案をされたとしても、さすがに小学2年生くらいの女の子と大輔とブイモンの力を合わせても
この大きな大きなベッドを動かすのは無理だろう。すっかり機嫌を直したらしいなっちゃんは、立ち上がった。

「わたし、うさちゃんのまくらもってくるね。あのこがいないとねむれないの」

「ん、わかった。いってらっしゃい。なっちゃん」

「あんまり遅くなったらオレ達ねちゃうよ」

「はやくもどってくるね!まってて!」

ぱたぱたと走り去っていったなっちゃん。大輔達は、ばたんと閉まるドアを見届けた。
はあ、と大きくため息を付いた大輔は、大きく伸びをして、そのままベッドに倒れ込んだ。
同じ年くらいの女の子とずっと一緒に行動したり、会話したりしたことなんてない大輔は、すっかり体が疲れていた。
お疲れさま、とブイモンは笑って、大輔の隣に座った。そして、少し真面目な顔をして続けた。

「これからどうする?大輔」

なっちゃんを不安にさせてはいけないと、無意識のうちに避けていた話題である。ようやくこれからのことを検討できる時間がやってきた。
大輔もブイモンの言いたいことが分かっていたのか、ベッドから起き上がって、なにやら足元に転がっていたリュックを拾い上げた。

「どうするもなにも、ずーっとここにいちゃダメだろ」

ほら、と大輔はブイモンにリュックを見せる。あー、ほんとだ、とブイモンは中を覗き込んでうなずいた。
この世界に初めてやってきた日、大輔のリュックは今にもはちきれそうなくらい、ぱんぱんにお菓子が詰まっていた。
でも5日目になったことで、リュックの重さはどんどん軽くなっていき、ずっと歩き続ける負担も軽減されるくらい、
ずっとリュックの大きさは小さくなっている。つまり、それだけ食料がどんどん減っているということだ。
反比例して膨らんでいくのは、これからのご飯の不安である。食料は心もとない。
この屋敷にせめて何か食べ物が一つでもあれば、リュックいっぱいに詰めることが出来たのだろうが、
冷蔵庫も棚の中も全部空っぽだったのだから仕方ない。
なっちゃんはなんにもいわないけれど、ずっとこの屋敷の中に閉じ込められる形で生活を強いられていたのだから、
きっとなっちゃんが全部食べてしまったのだろう、と大輔は考えていた。大輔たちに心配掛けないように言わないのだろう。強い子だ。
大輔とブイモンがここに来るにしても来ないにしても、遅かれ早かれ、彼女は大きな決断を強いられることは間違いなかった。
なっちゃんは大輔との出会いをとても喜んでいるけれども、こういった現実をまざまざと見せつけられてしまうたびに、
なっちゃんが夢で大輔を呼んだのは、あながち間違ってなかったのかも知れないと思う自分がいることに気づく。
もし大輔が答えようとしなければ、なっちゃんはもしかしたら、ここで誰にも会うことなくひっそりと死んじゃったかもしれないのだ。
心にナイフが突き立ってられるような恐怖が大輔を襲う。そんなのあんまりだ。かわいそすぎる。大輔は不吉な想像を頭を振ってかき消した。

「明日、もし雪が止んだらさ、ここを出ようぜブイモン」

「ずっとここにいても、太一達が来てくれるとは限らないもんな」

「それに、ここがみんなで泊まろうとしたトコなのかとか、確かめなくっちゃいけないだろ」

「もし、オレの知らないところだったらどうしよう?オレ、この島のこと全部知ってるわけじゃないんだ」

「そんときはそん時だろ?せっかくここがあるんだし、食べ物を探しに行くだけでもいいと思うぜ。
お菓子だけじゃ、腹一杯になんないもんなあ、腹減った」

「あー、ごめん、大輔。オレとなっちゃんがほとんど食べちゃった……」

「いーんだよ。そのかわり、明日はいっぱいがんばれよ」

「うん、オレ頑張るから期待しててよ、大輔。そーだ、ねえ、なっちゃんはどうするの?」

「え?なっちゃん?そりゃ、待っててもらわないと危ないだろ、女の子だし」

「うん、オレもそう思う。でもなっちゃん大輔にべったりだし、納得するかなあ?」

「大丈夫だって、なっちゃんも分かってくれるだろ」

どこまで説明しようかな、と大輔とブイモンは相談する。
もし、果物がたくさんなっている場所とか、食べ物が見つけられたら、呼んでくればいい。
もし、ここがどんな場所なのかがわかって、これからどうするのかが決まったら、なっちゃんに説明すればいい。
ずっとここにいることを強いられていたとはいえど、まるで我が家のように慣れ親しんだ屋敷との別れだ、
なんにも決まっていないのにいうのは不安をあおるだけのような気がする。
なっちゃんは寂しがりで何にも知らない女の子だ。一緒に外を探検しに行くのは楽しいかも知れないが、
外では凶暴なデジモンがいるかも知れないという危険性が残っているのだ。
パートナーデジモンがいない女の子にもし何かあったら大輔はどうしていいのかわからなくなってしまう。
だってここは病院じゃない。ちょっとしたケガだったら救急箱でなんとかなるが、大怪我したらもうそこに待っているのは言わなくてもわかる。
そこでふと、丈が言っていた、みんなを守らなくっちゃいけない責任、という言葉を思い出した大輔は、難しいなあと思った。
ただはっきりしているのは、大輔もブイモンも、その時が来たらなっちゃんを一緒に連れていくということだけである。
最終的にそれだけはなっちゃんに言っておこうという結論に達した大輔達は、何時まで経っても現れないドアの向こうを眺め見る。
変だな、と思う。すぐに来るから待っててくれと言って飛び出していった後ろ姿が脳裏をよぎる。
大輔とブイモンは顔を見合わせた。だんだん心配になってくる。時計を見ればいくらなんでも遅すぎる。
ここはどんなにゆっくり来ても、30分もかからない場所なのに。だんだん心配になってきた大輔は、なっちゃんを見てくると言って立ち上がり、
オレも行くよ、大輔、とブイモンが続いた。



がちゃり、とドアノブを回して外に出れば、ベランダのように吹き抜けから螺旋階段と談話室、エントランスが見渡せる通路に出る。
大輔はそこに見慣れないものが落ちていることに気づいて、なんだこれと拾い上げた。真っ白なうさぎが刺繍されたクッションである。
しかし、そのクッションを見た大輔は戦慄した。可愛らしいうさぎの首のところから、思いっきり何かで貫いたような跡が残っているのだ。
ふわふわとクッションから綿毛がこぼれ落ちていき、通路に広がっていく。
まるで突き刺したものを思いっきりぶん回したように、ズタズタに引き裂かれたクッションから、うさぎの洋服についていたボタンが落ちた。
硬直する大輔を不思議に思ったブイモンは大輔の横から顔を上げて、同じく硬直した。見るも無残な光景である。
大輔とブイモンの脳裏に、夕方頃に外で見かけた大きなデジモンの残した爪痕がよぎる。
うさぎの枕がないと眠れないと出かけていった女の子のことを大輔とブイモンは知っている。

「なっちゃん!」

思わずクッションを放り投げて、螺旋階段から上の方に叫んだ大輔は、クッションから出てきた綿毛が飛んでいくのを見た。
綿毛がフワフワと上から下に落ちていく。あれ?なんでこの綿毛、こんなに光ってるんだ?デジャビュが込み上げてくる。
すっかり忘却の彼方にあった夢の続きが、今まさに屋敷全体を覆い尽くしていることに気がついた大輔は、嫌な予感がした。
違う、これは綿毛じゃない。とっさにつかんだ大輔の手の中に、夢のなかよりも、もっともっと原型をとどめている、
硬くて、白くて、プラスチックのような四角いものが生まれた。
その破片は、どこかで見たことがあるような形状をしていた。どこだっけ?あれ?うーん、と考え込んでみるが、思い出せない。

「どうしたんだよ、大輔」

「これ、夢で見た」

「え?」

「夢で見たのと一緒なんだ!いっぱいの光がたくさん!」

「それほんと?」

「間違いない!俺がなっちゃんの声を聞いたとき見た光だ!なっちゃんが危ない!デジモンが来ちゃったのか?!行くぞ、ブイモン!」

「うん!急ごう、大輔!なっちゃんを守れるのはオレ達しかいないよ!」

「わかってる!」

いざ行こうとしたときに、うわあああ!という声が聞こえた。

「ブイモン、どうした?!って、あれ?」

いつもの定位置にいるはずの視点に、額に黄色のV字がトレードマークの青いドラゴンの子供が見つからない。
ブイモン?!と慌てて叫んだ大輔があたりをきょろきょろ見渡してみると、くいくいとジーパンを引っ張ってくる手がある。
だいしゅけえ、と懐かしい声がして、まさかと思って足元をみた大輔の目の前に、何が起こったのか全然わからず、
すっかり涙目のチビモンがそこにいた。

「お前、何でこんな時にもとに戻っちゃってんだよ!」

「わかんないよーっ!たっくさんあるヒカリにさわっちゃったら、なんか、もとに戻っちゃったんだ!」

「えええっ?!早く進化しろよ!」

「できないんだよーっ!さっきから頑張って進化しようとしてるのに、なんか、ヒカリにぶつかっちゃうと力が抜けちゃうんだ」

「これのせいで?」

信じられない、と大輔はチビモンを抱き上げて、手の中の発光する謎の物質を見せた。
大輔が触ってもなんとも無いことに驚きつつ、それを覗き込んだチビモンは、あーっと叫んだ。

「そうそれ!なんか、それにぶつかると、なんか体からひゅーんってなんかが抜けてく感じがするんだ。
えっと、これ、なんていったっけ、その、データチップだよ!」

「データチップ?」

「うん。オレたちデジモンにとって、とっても大事なものなんだ。
オレがチビモンだってこととか、だいしゅけと出会ったこととか、全部全部記憶してくれてる大事なもの。
これを無くしちゃったら、大変なことになるんだよ」

どうやったらデータチップができるのか、よく知らないけど、デジモンならみんな知ってるよ、とチビモンはいう。

「大変なことって?」

「わかんない」

「どうすんだよ、なっちゃんが危ないかも知れないのに!」

だっこしながらずっと走るには、まだまだ大輔の体は小さすぎた。

「オレも急ぐから、早く行って大輔!なっちゃんを連れて、逃げるんだ!」

「わかった!早くコイよ、チビモン!」

「うん!」

大輔は持ち得る全速力でなっちゃんがいるであろう、3階のなっちゃんの部屋へと一直線に向かった。
螺旋階段の向こうに何度もなっちゃんの名前を呼ぶが、あの女の子の声が聞こえない。姿も見えない。
無我夢中で走っていた大輔は、すっかりチビモンとどんどん距離が離れてしまう。早く行ってあげて、というブイモンの後押しを受けて、
大輔は一気に階段を駆け上がり、ばたばたばた、となっちゃんの部屋へと駆け抜けた。
そしてノックもせずに、ばん、と乱暴にドアを突き破るように開けた。

「なっちゃん!」

「だいすけ?」

そこには驚いた様子で立っているなっちゃんの姿があった。
なにやらあわてて後ろを向いたなっちゃんは、ごしごしと目をこする仕草をして、何度か頭をふる。
その声は少しだけ鼻声になっているが、大輔は最悪の想像がどんどん膨らんでいたせいで、
早とちりの勘違いだったと気づいてそれにすっかり安心しきってしまい、気づかない。
どうしたの?とただ突然の訪問にきょとんとしているなっちゃんがそこにいるだけだ。
女の子が大好きなものをたくさん詰め込んだ宝箱みたいな部屋があって、真ん中に彼女はたっている。
はー、と大きく息を漏らした大輔は、よかったー、と一気に脱力してその場に座り込んだ。
だいすけ?と不思議そうな顔をしてなっちゃんが近づいてくる。大輔は、はあはあと息を荒げながら、言葉を紡いだ。
酸素を求める体が悲鳴を上げて、なかなかうまく話をさせてくれない。

「なっちゃんが、遅い、から、心配に、なったんだよ」

「わたしが?しんぱい?………よくわかんないけど、しんぱい、してくれたの?」

「なっちゃんが、いってた、うさぎの、まくら、が、ぼろぼろに、なってたから、
デジ、モンに、おそわれたのかと、思ったら、居ても、立っても、いられなくなって」

「………そっか、ありがとう。だいすけは、やっぱり、やさしいのね」

げほげほと咳き込み始めた大輔に、なっちゃんは眩しそうな眼差しをむけた。
女の子に優しいなんて言われたことがない大輔は、思わず赤面してしまい、顔を上げることができないためなっちゃんの表情は伺えない。
しばらくして、大輔はようやくまともな会話ができるまでに回復する。
すぐにブイモンが来るだろうから、ここで待っていたほうがすれ違いにならずにすむだろう。

「ねえ、だいすけ」

「なに?なっちゃん」

「パートナーって、どんなかんじ?」

なっちゃんはどこか寂しそうな顔をしている。その顔を見るのは、もう何度目になるだろう。
パートナー?もしかして、パートナーデジモンであるブイモンのことを言っているのだろうか?
そこまで考えてから、ようやく大輔はなっちゃんが言いたいことが予想することが出来た。
なっちゃんは、大輔のように、パートナーデジモンであるブイモンがいない。
大輔以外にも太一達がいることを話した時も、なっちゃんはパートナーデジモンがいるのだと話したときには寂しそうな顔をした。
気がついたときには、自分のことも、なんにも覚えていなかったなっちゃんの側には、一緒に寄り添ってくれるデジモンがいなかった。
もしかしたら、はぐれたのかもしれないから、一緒にさがそうと大輔は提案したことを覚えている。
ブイモンと一緒にいる大輔の言葉だから、なんだか余計に寂しくさせてしまったのか、ううん違うのと否定されたが、きっとなっちゃんも寂しいはずだ。
大輔にとって、ブイモンはどれだけこの漂流生活の中で心の支えになってきたか、もう数えきれないくらいたくさん感謝している。
もちろん喧嘩したり、怒ったり、泣いたり、笑ったり毎日忙しいけれども、一緒にいることがとっても楽しくて、うっかり忘れてしまうけれども。
ここをでて一緒に行くことが決まったら、なっちゃんのパートナーデジモンも探さなくちゃいけないなと考えていたところだった。
大輔は、んー、と頭をかいてから、恥ずかしそうに笑った。

「なんつーのかな、ずっと一緒にいる、友だちみたいな、家族みたいな、相棒みたいな、言い表せないくらい大切な奴、かな。
運命共同体なんだ」

「うんめい、きょうどうたい」

「うん、大丈夫。なっちゃんにも見つかるって。ブイモンみたいな奴がさ。きっとどっかでなっちゃんのこと探してるよ。
だからさ、ここから出て、一緒に探しに行こう、なっちゃん。すぐに行けるわけじゃないけど、絶対会えるって。心配すんなよ」

な?と笑った大輔に、なっちゃんはしばしの沈黙の後、小さく首を振った。
それは欲しかった言葉を得られなかった子どもが起こす癇癪にも似ていた。

「いらない」

「え?」

「パートナーデジモンなんて、いらない」

「なっちゃん?」

「どうして?」

「え?」

「どうして、わたしじゃだめなの?」

「え、なにが?」

「だいすけは、わたしのこえをきいてきてくれたんでしょう?だから、あなただとおもったのに。
どうしてわたしじゃだめなの?どうしてぶいもんなの?
わたしなら、わたしなら………もっともっと、だいすけのこと、だいすきなのに。だれにもまけないのに」

だんだんなっちゃんは崩れ落ちていく。大輔は近寄ろうとしたが、こないでえ、と言われるやいなや、謎の力に吹っ飛ばされる。

「どうして、なでなでしてくれないの?だっこしてくれないの?わたしだけにわらってくれないの?
だいすけだとおもったのに。わたしにほほえみかけてくれたひと。もどってきてくれたとおもったのに。
ぼんやりとしかおぼえてないけど、きっとわたしがだいすきだったひと。わたしをだいすきだったひと。
ねえ、どうして?」

なっちゃんは崩れ落ちた。ぼろぼろと涙を流しながら、両手で顔を覆っていく。

「ひとりにしないで。おいてかないで。まってるのに。ずっとまってるのに。どうしてあいにきてくれないの?
どうしてどこにもいないの?もうつかれたの。もうあるけないの。もうさがしにいけないの。
もういや。もういや。なんでわたしだけひとりぼっちなの?わたしはただあいたいだけなのに!
またわたしだけ、ひとりぼっちなの?またわたしだけひとりぼっちで、ずっとまってて、ひとりぼっちでしんじゃうの?
いや、もういや」

大輔はなっちゃんの体から、無数の光が爆発したようにあふれるのを見た。

「なっちゃん!」

必死で名前を読んだ大輔だったが、もうなっちゃんには届かない。

「もう、いやあああああああああ!」

なっちゃんの悲痛な叫び声が洋館中に響き渡ったとき、なっちゃんの体からあふれた光がなっちゃんを包みこんだ。
眩しくて正面を見てられない大輔だったが、なっちゃん、と何度も名前を呼んだ。
突風が吹き荒れ、ドアから弾き出された大輔は、手すりに激しく体を打ち付けた。
うっすらと開けたまぶたの向こう側には、なっちゃんのシルエットを突き破るようにして現れたのは、禍々しいオーラをまとう巨大なデジモンだった。
そして、光が屋敷全体に広がった。5本の大きな爪を持った何かが、なっちゃんだった何かが、激情を込めた雄叫びを上げていた。

「なっちゃ、うわあああっ」

もう大輔のことを認識することすらできなくなってしまったのか、そのデジモンは大輔に刃を向けた。
豪快に振り下ろされた腕から繰り出された豪腕から放たれたのは、5つのかまいたち。
禍々しい光を帯びながら飛んできたそれが、大輔がなんとか立ち上がろうとして支えにしていた手すりごと崩壊させる。
轟音が響く。なすすべなく大輔の小さな体は投げ出され、3階の吹き抜けから落下する。
螺旋階段を必死で登っていたチビモンは、大輔の叫び声とともに、どんどん落ちていく大輔を目撃して、悲鳴を上げた。
だいしゅけええ!と身を乗り出して、助けようとするが、小さな体では手すりの間をくぐれず、大輔がすり抜けていく。

大輔が死んじゃう!という恐怖がチビモンにこみ上げた。
やだ、やだよう、オレが大輔を守るって決めたのに、それで褒めてもらうんだって決めたのに、だいしゅけが死んじゃうなんてやだああ!

「だいしゅけええええ!」

チビモンの心の叫びが木霊したとき、大輔の首もとに掛けられていたデジヴァイスがきらめいた。
そして、溢れ出した光が、屋敷全体に満ちていたデータチップの雪を吹き飛ばし、チビモンに届く。
虹色の光が、爆発した。



[26350] 第二十二話 可哀想な女の子の話
Name: 若州◆e61dab95 ID:0328a3f0
Date: 2011/04/04 07:31
どこかの世界のハッカーがコンピュータ上でサイバーテロを行うために、人工知能を備えさせたウィルスを広めた。
それが、すべての始まりである。
そのウィルスはやがてハッカーの手を離れ、ネットワークを通して世界中を渡り歩くうちに、
データを吸収して姿や性質を変え、生物のようなものになっていく。それらはやがて、自分たちだけの世界をつくりだした。
のちにデジタルワールド、とよばれることになる世界の誕生である。
この世界は、現実世界にあるコンピュータやネットワーク上に存在している、ありとあらゆるデータによって成り立っている異世界である。
いわゆる電脳空間なのだが、コンピュータやネットワーク上に広がるデータを、多数の利用者が自由に情報を流したり、
情報を得たりすることが出来る仮想的な空間としての機能が、現段階に置いて果たされてはいない。
あくまでも、現実世界から何らかの理由で流れこんできた情報やデータが、物体として実体化することができる異世界であり、
現実世界とデジタルワールドがつながるためには、ネットワークやコンピュータを介在しなければいけない。
デジタルワールドの世界で、砂鉄の砂漠に大量の電信柱が立っていたり、密林に様々な交通標識がひっついていたり、
湖のほとりに都電が一両あったり、温泉の近くに冷蔵庫と卵があったりと、現実世界と比べてどこかおかしな所があるのは、
この世界を構成しているデータに破損や欠損があるからだ。デジタルワールドを作っているデータは、
流れこんでくるまでに何かしらの問題を抱えていることが多いらしく、このような摩訶不思議な世界を作っている。
また現実世界では単なる文字列に過ぎないプログラムが、実際に力を持ったりするため、尚更それに拍車をかけている。
このデジタルワールドにおいて実体化したデータのうち、生き物であり、なおかつ現実世界では存在しない人工知能を持つ生き物の総称を、
デジタルで出来たモンスター、デジタルモンスター、通称デジモンといった。

デジモンの体は、デジコアとよばれる細胞核のような働きをもつ電脳核、その上方をもとに骨格であるワイヤーフレーム、皮膚であるテクスチャからなる。
デジモンの姿には、デジモン自身がコンピュータ上のデータから読み取り学習したものと、人間がパソコンで作成したものとが存在する。
それらは主に、ネットワークに存在している様々なソフトから学び取ったものである。
デジモンは主にデジタルワールド上の食物を食べて生活し、さらにはネット内の様々なデータやプログラムも吸収し餌としている。
また、デジモンの生命活動を維持するためには電気が必要であり、これは人間で言う酸素に相当する。
デジモンは現実の生物と同じようにデジタマとよばれる卵から誕生し、病気や怪我などの外的要因や寿命で死亡する。
デジモンは成長の節目でより強力な形態へと進化する。
この「進化」は現実の生物の進化とは違っており、その個体が自らの構成データを大きく書き換え成長することを指している。
成熟期に至るまでは元々持っている因子や、生活の仕方や戦闘経験、住まう環境の変化などにより、様々な進化形態へと分岐する。
ただし、オスメスの区別が存在しないデジモンは、種を残そうとする本能が皆無に近く、なおかつ至る所に豊富な食べ物が存在しているため、
3大欲求のうち2つは常に満たされていることになり、デジモン同士で捕食し合う必要はない。結婚や家族という概念を持たないことも多いようだ。
基本的に、デジタルワールド内での攻撃行為は主に縄張り争いのためか、自己の力を示すために行われる、ある種平和な世界といえた。
ただし種族や時と場合によっては、高度な知能を持つデジモンが、相手のデータを吸収することでより強くなるために、
デジモン同士での捕食行為も行われているようであり、人工知能を持つデジモン達も現実世界と同じように組織を作り、派閥を作り、
激しい闘争を繰り広げているのは世の常である。
デジモンには進化の段階があり、基本的に誕生から順番に幼年期、成長期、成熟期、完全体、究極体の段階を経て進化していく。
この進化経路以外にも、例外的な進化経路やモードチェンジという力を開放したり、変質したりした個体も存在し、その例外二つを同時にこなす者もいるが、
ここでは割愛する。
成熟期以上のデジモンは他のデジモンたちと戦い、勝って勝率を上げることでより強力な完全体や究極体のデジモンへと進化することができる。
また、過酷な環境の変化に耐えうることも、今後の完全体、究極体への進化に影響する。
デジモンは基本的には年齢で進化し、進化する年齢の平均は各世代ごとに決まっている。
種を残す概念が存在しないデジモンが何故今日まで、デジタルワールドで繁栄し続けているのかといえば、それはデジタマの特殊な誕生にあった。

デジモンは、なんらかの外因で死ぬと、データが分解されて、自らのデータを転写したデジタマに戻ってしまう。
そして、基本的には全てのデジモン達にとって故郷とも言える、はじまりの街と呼ばれる場所へと還る。
そのデジタマから生まれたデジモンは、自分の前世もしくは祖先とも呼ばれる個体の記憶を引き継いでいることは少なく、
能力値だけは1度も進化を経験していない同じ種類の個体と比較したときに、特別強い個体が生まれる傾向にある。
ただし、その記憶の引き継ぎに関しては個人差が大きいらしく、記憶を完全に覚えたまま生まれ変わりを自覚する個体、
記憶は覚えていないけれども心の何処かで覚えているのか、特定の場所や存在に対して、懐かしいという感覚を覚える個体、
全くそういう事もなく普通の人生を歩むことができる個体もいる。
もちろんそのデジタマに、意図的に特定の情報に対して親密感を抱かせるデータが組み込まれていたらその限りではないが、
デジタルワールドで生きているデジモン達にとって、本来ならその程度の誤差など、やがて独り立ちして生きていく上で、
なんら障害となることは無いはずであった。



しかし、いつだって例外というものは存在する。不幸にも彼女は、その例外として始まりの街に生まれ、そして自らの意志ではじまりの街を飛び出した。
彼女が覚えていることは、たったひとつだけである。彼女の名前を呼んで、抱きしめて、頭を撫でてくれた、微笑みかけてくれた存在があったというコト。
彼女は知らなかった。その存在がこのデジタルワールドには存在しない人間という生き物であり、現実世界という異世界で生きているということを。
何故本来ならば知らないはずの人間のことを彼女の前世が知っていたのかなんて、彼女はわからない。だって、彼女は記憶を完全に受け継いだわけでは無いからだ。
きっと彼女の前の人生を終えたデジモンにとって、1番幸せな記憶だったのだろう。生まれ変わっても決して忘れたくないデータだったのだろう。
幼年期に他の個体よりも強い能力を持って生まれた彼女は、その愛情を一心に受けて育った過去の記憶にすがった。寂しいという感情を知ってしまったのだ。
前世と自分は別の存在なのだと認識するより前に、夢という形で知ってしまった彼女は、前世と自分を混同し、同一視した。世界が歪んだ。
デジモンには家族という概念が存在しないが、幼年期に愛情をたっぷり受けて育ったデジモンが、精神的に安定して進化していくのは変わらない。
幼年期のデジモン達を世話するデジモンは存在するが、それは保育器に入れられた赤ちゃんに対する看護師、医師と同じスタンスである。
みんな一緒、みんな同じ、平等で公平な愛情は、彼女にだけ注がれていたかつての愛情と比べるとあまりにもそっけないものに見えてしまう。
比較対象が存在し、その理不尽さを理解できるだけの知能を獲得していた彼女は、夢として現れる過去と現在を比べて苦しみ、葛藤する。
なんで、なんで、どうして?かつての当たり前が満たされなくなった環境が、どうしようもない違和感となって現れてしまうのだ。
ちょっとだけ能力が高くて成長が早かった彼女は、かつての記憶と同じように、自分だけを愛してくれる存在を探して飛び出してしまう。
そしてデジタルワールドのファイル島という広大な世界を、たった一個体で冒険することになる。
しかし、愛情を受けるという一点において生きる意味すら見出してしまった彼女にとって、それ以外とのコミュニケーションの仕方が分からない。
デジモン達は、人間という存在を知らない。誰も知らない。だから夢で見たという彼女の証言を誰も信じてくれない。
否定され、諦めろといわれ、知らないと言われ続けた彼女は意固地になっていく。説明を重ねる中で具体像が固まっていく。
彼女の夢の中では、ただ抱きしめてくれたぬくもりと、撫でてくれた5本の指、優しい声だけしか思い出せないにもかかわらず、
彼女はいろんなデジモンと出会い、別れを繰り返すうちに、その存在に近い者を参考にして、どんどん勝手に想像していく。
姿も顔もわからないのに、どんどん勝手に決めていき、頭の中でパーツを組み上げ、色を塗っていく。
そして、いつしか彼女の中でどんどん理想に昇華していくその存在は、かつて夢のなかで見た存在とはかけ離れた、
彼女が考えた私だけの大切な存在という形で、ハードルをあげてしまう。理想と現実の狭間で、ますます彼女は苦しんだ。
みんなと仲良くなりたいけれども、みんな彼女の旅の目的を否定するのだ。彼女にとって、その目的はすっかり生きる意味にすらなっているのに。
存在価値すら決定づけるアイデンティティを見出していた彼女は、自己否定につながりかねないことしか言ってくれない他者を少しずつ避け始める。
自分は自分であり、旅の目的は旅の目的でしか無いのだと言うことに気付けない。それほどまでに彼女は追い詰められ、盲目的になっていく。
それに加えて、本来よりもずっとずっと早い時期にはじまりの街を飛び出してしまった彼女は、致命的なコミュニケーション障害を抱えていた。
みんなが受けているのは、愛情なんかではない、と自分だけが知っていると得意になっていたせいかも知れない。
彼女は幼年期の個体の中でも、自分自身を特別視する傾向にあった。能力的にも成長的にも早い個体である。仕方ないことだ。
自分は他のみんなとは違うのだという証明のために、彼女は自分しか知らないその存在を特別視するようになったのかも知れなかった。
幼年期に愛情を受けているにもかかわらず、それが愛情だと理解できなかった彼女の不幸である。
彼女が何者であろうとも受け入れてくれる場所があったのに、時々始まりの場所に帰りたいと思うのに、もう遠くまで来てしまった彼女は、
ひたすら前に前に進むことに無我夢中になっていた彼女は、もう戻れない。思い出せないのだ。自分がどこにいるのかすらわからないから。
従順なまでの依存と子供の癇癪にも似た破壊の衝動でしか、他者と関わり合うことができない彼女は、いつだって孤独で愛情に飢えていた。
理想と現実の間で常に揺れ動く彼女の心境を理解してくれる存在が現れなかったこともまた、余計に彼女を寂寥感に蝕ませた。
慢性的な虚脱感、感情の不安定さ、強迫概念にも似た理想への固執、それらが彼女とデジモン達を遠ざけていく。
すべては存在価値を自分で肯定してあげることができない彼女の自己評価の低さが原因だ。
しかし、デジモンも人と同じように無条件で自己肯定できるのは、愛情をたっぷり注がれたという経験があるからこそだ。
その根底からまずは決定的な欠如を抱えている彼女は、精神的に見れは幼年期のままどんどん力だけは大きくなっていく。
その力がデジタルワールドを守っている見えない何かにとって、危険視されるに至ったとき、彼女はデジタルワールドに包まれた。
人間のことを知っているという事実もまた、彼女が特例措置を取られた理由でもあるようだ。
そして、彼女が気付いたとき、心象風景を色濃く反映した、寒い場所に一人ぼっちでいることになった。
デジタルワールドは彼女にとってどこまでも厳しくも優しかった。
彼女が記憶を取り戻せるような場所を敢えて用意して、安心して眠れる場所を用意して、彼女が少しずつ前世を思い出せるようにしたのだ。
彼女は感情が暴走するたびに、進化と退化を繰り返し、自傷行為とも言えるエネルギーを浪費し続けて寿命を縮めていたせいで、
彼女の癇癪が収まるたびに、デジコアが粉砕されたデータチップを拡散し、このままではデジタマにすら戻れなくなるところだったのだ。
直接彼女に前世について教えるということは、現在のデジタルワールドの状況を考えると、いろいろと都合が悪く不可能だった。
そのため、苦肉の策として彼女はデジタルワールドの用意した揺りかごの中で、自分で答えを見つける毎日を過ごしていた。
しかし、揺りかごに入る前にはもう、データチップが光となって降り注ぐたびに、彼女はどんどんいろんなコトを忘れていた。
自分で自分を保つことすら困難になり始めた彼女は、いつの頃からか、自分の中で理想化しつつあったその存在を思い出せるようにと、
自らの姿を理想の存在にして進化の姿に固定するようになる。
この世界で人の形に近い姿をしているデジモンは極少数に限られる。
彼女が外国人にも似た容姿になったのは、彼女がデジモンであるために力を貸してくれた、この屋敷を用意してくれた天使型のデジモンが反映されていた。
天使型のデジモンは、現実世界の天使というイメージが反映されているため、皆金髪である。私の考えた理想の存在とするには、ちょうどいい題材だった。


もちろん、デジタルワールドが危機に陥っている今、彼女の存在を利用しようとしないデジモンが現れないわけがなかった。
強大な力を持っているにもかかわらず、幼年期の頃に精神的な成長が止まっているデジモンだ。
愛情に飢えている彼女は、善悪の区別などわからない。愛情を見せ掛けであろうとも注いでくれる存在があれば、すがってしまう。
誰からも守ってもらえない無邪気な子どもは、悪い大人に騙されてしまうのが世の常だ。
本来彼女の後ろ盾になってくれるはずのデジタルワールドが、彼女に干渉することができなくなってしまうほどの危機に陥っている隙をつかれ、
彼女は何も知らないまま、ある日、屋敷に訪れた珍しいお客様を招き入れることになる。
そこで彼女は、そのお客様からもうすぐこの世界に、人間という彼女がずっと待ちわびていた存在がやってくることを聞かされたのだ。
彼女は喜んだ。会いたいと思った。その中に彼女が待ち続けている人がいるかも知れないのである。
絶望の世界でようやく見えた光である。
この世界から出られない理由を彼女は知っていた筈だった。天使のデジモンと約束したはずだった。
それでも、ある時を境に全く姿を見せなくなった天使のデジモンとの約束は、やがて猜疑心と不安に苛まれていて、
そのお客様がいった、彼女が危険だからここに閉じ込められているという嘘を信じてしまうに至る。
待っていたのは裏切られたという思い込みと絶望だった。
そのお客様が天使のデジモンが来られないように、邪魔をしているなんて知らないまま、
彼女はずっと我慢していたこと、感情を抑えきれなくなると進化と退化を繰り返す、データチップの拡散を再開してしまう。
そして、お客様の甘言に乗せられる。子供たちとあわせてあげるから、彼女と話ができる子供がいればあわせてあげるから、
ちょっとだけ、彼女がいる世界を貸して欲しいと。子供たちを招待するから、この屋敷のデータを貸して欲しいという言葉に乗せられてしまう。

彼女は知らない。
正義のデジモンであるレオモンを洗脳し、オーガモンも配下にすることで、2体のデジモンに子供たちを襲わせ、
意図的にパートナーデジモンたちに過度な進化をさせて疲弊させることも。
その先にある突如出現した洋館に子供たちを誘い込んで就寝した隙を見計らい、そのデータを幻として消失させ、
黒い歯車で侵食されていたファイル島全体を切り離し、そのばらばらになった孤島に子供たちとデジモン達を分かれさせ、
戦力の拡散と確実な戦力つぶしを狙っていたことなんて、知るはずもなかった。


そのお客様の名前はデビモン。選ばれし子供たちという言葉をレオモンに教え、そして初めて子供たちとデジモン達の前に現れた、敵である。



デジモンデータ
デビモン
種族:堕天使型 
レベル:成長期
闇のように真っ黒な衣に包まれた堕天使型デジモン。
元は光り輝く天使「エンジェモン」だったが、ダークサイドに引き込まれ堕天使になってしまった。
とてもズルがしこく狂暴な性格をしているが、知性は優れているので主人には忠実に従う。
デビモンの赤い目に見つめられると体の自由を奪われてしまう。
必殺技は、自由に伸び縮みし、時には空間すら貫通する腕、デジモンの心臓とも言えるデジコアをわしづかみにして、攻撃するデスクロウだ。



彼女はただ嬉しかった。デビモンが言ったとおり、大輔とブイモンが来てくれた。ずっと一緒にいてくれる。そう思っていたのに。
うさぎのクッションを抱えて扉の前にやって来たなっちゃんは、大輔とブイモンが自分に隠れて内緒話をしているのを聞いてしまった。
仲間はずれにされたこともショックだったのだが、大輔達が真剣に話し合っている内容は、なっちゃんにとって耐え難いものだった。

「これからどうする、大輔?」

「どうするもなにも、ずーっとここにいちゃ駄目だろ」

ぽとり、とうさぎのクッションが落ちた。ここにいちゃダメ、という言葉が大輔から語られたことが、なっちゃんには信じられなかった。
なっちゃんは大輔とブイモンに嘘をついた。
もちろん、自分のことを思い出せない記憶喪失に陥っていることも、ここがどんな世界なのかもわからないし、どこから来たのかもわからないのは事実だ。
でも、この世界はなっちゃんの世界である。なっちゃんのために用意された世界である。
なっちゃんが自分の記憶を思い出すまで、ずっとこの世界はとじたままなのだ。デジタルワールドには戻れないのだ。
天使のデジモンと約束したことははっきりと覚えているなっちゃんは、どうしていいのかわからなかった。
結局天使のデジモンは来てくれなかったし、孤独に怯えることを知っているから、毎日来てくれると約束したのに一方的に破られた。
なっちゃんが危険だから閉じ込めたのだとデビモンの嘘を信じきっているなっちゃんには、もうこの世界から脱出する手段なんて無いのだと思い込んでいる。
大輔とブイモンがなっちゃんのことをデジモンではなく、人間だと勘違いしていることには薄々気付いていたけれども、
それによっていろいろと世話を焼いてくれるのが嬉しくて、結局言い出せないままだったのが尾を引いた。
大輔とブイモンに、この世界から出られないことがバレたらどうしよう。なっちゃんがこわいデジモンだと知られたらどうしよう。
この世界に閉じ込められてしまうような、みんなから嫌われている世界のデジモンだと知られてしまったらどうしよう。
嫌われたらどうしよう。もう二度とおしゃべりしたり、笑ったり怒ったり泣いたりできないかも知れない。
一人ぼっちになってしまうかも知れない。いや、そんなのいや!混乱と焦燥の極みのはてに、なっちゃんはドアを開こうとした。
もう全部全部話してしまおう。そう衝動的に思ったのに。そしたら、聞こえてきたのだ。

「そーだ、ねえ、なっちゃんはどうするの?」

「え?なっちゃん?そりゃ、待っててもらわないと危ないだろ、女の子だし」

「うん、オレもそう思う。でもなっちゃん大輔にべったりだし、納得するかなあ?」

「大丈夫だって、なっちゃんも分かってくれるだろ」

断片的な会話は、なっちゃんの心に止めを差した。大輔とブイモンの会話を中途半端にしか聞き取れなかったなっちゃんは、置いて行かれる!
という反射的な捉え方をして戦慄した。強烈な恐怖に直面したなっちゃんは、進化の光を帯びていることに気付いた。
今ここでなっちゃんが凶暴なデジモンであることがバレてしまったらすべてが終わる。
怖くなったなっちゃんは、いつもならば昨日の山林のように、感情に任せて破壊の限りを尽くすのを我慢した。
疲れて眠ってしまうまで、我を忘れて、八つ当たりをしまくるという行動を生まれて初めて我慢した。
気付いたとき、クッションはズタズタになっていた。そして、怖くなって逃げたのだ。
それを勘違いして助けに来てくれた大輔は、どこまでもやさしい男の子だった。でも、同時になっちゃんを傷つけていく。
パートナーデジモンは、ずっと一緒にいる、友だちみたいな、家族みたいな、相棒みたいな、言い表せないくらい大切な奴だと語った大輔は、
運命共同体なんだとはにかんだ大輔は、なっちゃんが今まで観てきた中で1番、きらきらしていた。
大輔によれば、みんなパートナーデジモンと一緒にいるという。
なんだ、勝手に舞い上がっていたのは自分だけだったのか、居場所なんて入る余地が無いくらいの繋がりがあるのか、と
心の底からパートナーを求めてきたなっちゃんに、他ならぬ大輔が言い切ったのだ。何も知らないまま、残酷な言葉を告げたのだ。

「うん、大丈夫。なっちゃんにも見つかるって。ブイモンみたいな奴がさ。きっとどっかでなっちゃんのこと探してるよ。
だからさ、ここから出て、一緒に探しに行こう、なっちゃん。すぐに行けるわけじゃないけど、絶対会えるって。心配すんなよ」

ずっと会いたいと思ってきた存在が、理想に近い存在が、なっちゃんに向かって、はっきりと言い放ったのだ。
もう、なっちゃんは、我慢の限界だった。そして、癇癪を起こす。
きらい、だいっきらい、いらない、大輔もブイモンもいらない、どっかいけ、どっかいっちゃえ、こわれちゃえ!
彼女は生まれて初めて、孤独のあまり耐え切れずに暴走する形でしかしたことがない進化を、自らの意志で行った。
今までは進化している間の破壊行為は、どこか朧気な記憶の彼方でしかなかったけれども、
凶暴で凶悪で、大きな大きなデジモンに進化してしまった彼女は、はっきりと意志を持ったまま暴れていた。
彼女の涙がデータチップとなってこぼれていく。彼女の助けてという叫びは、禍々しい怒号に姿を変えていた。




[26350] 第二十三話 ダイヤモンドリリーの咲く丘で
Name: 若州◆e61dab95 ID:9f015cfe
Date: 2011/04/05 22:15
重厚な造りをしている木製の螺旋階段の手すりを飛び越え、べきりと重量に耐え切れず歪んだ踏み台にして、思いっきり跳躍する。
落下していく。まだまだ届かない。視界を遮るように雪のごとく降り注ぐデータチップの光が無数に飛来している世界を落ちていく。
瞬く間に見失ってしまった姿を懸命に追いかけるが、見つからない。必死にパートナーの名前を呼ぶが、届かない。
どっけえええ!と業を煮やした真っ白な翼が、ごおっという突風を産み落とした。
吹き飛ばされた光のその先に、気絶したのかぐったりとしたまま落ちていく少年の姿を見つけた。真っ白な翼を持つ真っ青なドラゴンが、全力で翔んだ。
鋭利な3本の爪で少年を傷つけないように柔らかく広げ、慎重に優しく、そしてまた二度とその手を離してしまわないように腕を広げる。
しっかりと抱きしめたまま、天使の翼のような神々しいそれではなく、たくましく進化を遂げた勇姿に相応しい屈強なそれで浮力を生む。
反転する。そして、どおおおん、という豪快な轟音と共にエントランスホールにもたらされる衝撃が、清潔感溢れていた綺麗な床に食い込んでいく。
みしみし、べきべきと強大な両足が床を破壊していく。反動で少しだけ後退しながらも、しっかりと大地に立つために鍛えあげられた3本の巨大な爪が、
床に深く深く食い込み、着地を無事成功させた。
生まれて初めての飛翔も着地も全てはパートナーを助けるために、無我夢中で、全力で、その為だけに行われた。
吹き抜けの上空ではシャンデリアが振り子のように揺れている。静寂が世界を支配する。しばらくの沈黙。呼吸すら忘れていた。
守るために広げて抱き抱えていた青い腕がゆっくり開かれる。

「大丈夫、大輔?」

大輔と呼ばれた少年が生まれて初めて聞いた声である。まるでオーケストラの演奏を支える重低音のように、ズシンと来るとっても響く声である。
大輔を軽々と抱え上げてしまうほど大きな大きな存在にもかかわらず、鼻先にある鋭利な刃物のようなツノが大輔を傷つけないように苦心して、
本当は今すぐにでも頬ずりしたいのにできないもどかしさに、うずうずしている。
一口で大輔を飲み込んでしまいそうなほど大きな口を持っているにもかかわらず、本気で心配そうな顔をして、ぎりぎりまで大輔に近づき、
その様子を人目でも確認したいと覗き込んできている。
力加減がいまいちよくわからないのか、急に大きくなってしまったために距離感をつかむこともやっとらしく、
進化前のように手をつないだり、抱きついたりする事ができず、勝手が違うためにどうしていいのかわからなくなって、涙目になっている。
口から胸部にかけて真っ白で、頭の額にはおなじみの黄色いV字マークが刻まれていて、空や海のような青色に包まれている優しい相方を大輔は知っている。
見上げたその先に、優しそうに目を細める赤い瞳を見つけた大輔は、思いっきり腕を伸ばして抱きついた。

「ありがとな、ブイモン!進化できたのか、おめでとう!」

ぎゅうと抱きしめて、歓喜に沸くパートナーに、かつてブイモンだった相方は、無事でよかったと心の底から安堵の笑みを浮かべた。

「ブイモンじゃないよ、大輔!エクスブイモン!オレ、エクスブイモンに進化できたんだ!」

「エクスブイモン?!」

「よかったっ、ホントよかったっ!大輔死んじゃうんじゃないかって思ったんだからなっ、心配させるなよバカ!
大輔はいっつもオレに心配掛けさせてばっかだなあ、ちょっとは反省しろおおっ!」

「ごめんな、いっつも心配掛けて。エクスブイモン、助けてくれてありがとう!」

「へへっ、あったりまえだろ、オレ達運命共同体なんだから!」

図体ばかりが大きくなったものの、中身は全くブイモンの頃と変化がないことがおかしくて、大輔は笑ってしまった。

デジモンデータ
エクスブイモン
レベル:成熟期
種族:幻竜型
ブイモンが規則的な進化を遂げた個体の原種にあたるデジモン。派生として、亜種のブイドラモンが存在する。
ブイモンの頃からある頭のV字マークは健在であり、刀身のようなツノが鼻先に付いていること、
胸部にはV字にV字を反転して書き足したようなXマークが刻まれているのが特徴。
岩を粉々にするほどの強力な腕力と脚力を持ち、空を飛ぶことができる白い羽を持っている。
正義感がとても強いが、むやみやたらと力を使うことはない。
必殺技は、胸のXからエネルギー波を放射するエクスレイザーだ。

「大輔、後ろに捕まってて!」

「おわあっ?!」

「ほら、はやく!」

突然、大輔を支えていた両腕が大輔を抱えたまま右肩まで挙げられる。
そしてそのまま手を離されてしまい、バランスを失った大輔は慌ててエクスブイモンの右肩にしがみついた。
それだけでは心もとないので、背中にある羽の付け根辺りに足を引っ掛け、振り落とされないように首周りにある青い突起に捕まった。
なんとかよじ登って捕まった大輔を確認したエクスブイモンは、吹き抜けを見上げる。
シャンデリアが飛んできた衝撃波によって、ひとつ残らずガラスを割られ、パリンという音が響いて振り子のように揺れたかと思うと、
その振り子作用に耐え切れなくなり、落下してきたのである。明かりを失ったエントランスホールは真っ暗になった。
エクスブイモンの咆哮が屋敷全体に反響した。胸部にあるXマークを中心に銀色の光がだんだん収束していく。
振り落とされないように必死で捕まっていた大輔は、その光があまりにも眩しくて目を凝らした。

「エクスレイザーっ!」

耳をつんざくような轟音と衝撃で吹っ飛ばされそうになるが、なんとか根性で踏みとどまる。
目も開けてられない中、Xを模した光線が解き放たれ、シャンデリアが跡形もなく破壊される。
瞼の裏には残像。やがて緩やかに消えていったそれの代わりに、光を失った屋敷全体を覆い尽くしているのは、データチップの雪である。
すっげえ、とエクスブイモンの強さに仰天し、思わずつぶやいた大輔は、その光の雪が切り裂かれるのを見た。
大輔が吹っ飛ばされる原因となったカマイタチが、ぶわっと切り裂くように上空を通りすぎていく。
そして遅れて聞こえてくるのは破壊音、そして砂埃の雨、エントランスホールに降り注ぐ洗礼は、まだまだ続いている。
そのなかでまるで泣いているようにしか大輔には聞こえない、なっちゃんだったデジモンの泣き声だけが響いていた。

「なっちゃんは?!なっちゃんはどうしたんだよ、大輔!」

はっと我に返った大輔は、なっちゃん、と叫んだ。
エクスブイモンの肩からよじ登り、まっすぐに上を指さして、ここにはいない少女の名前を口にした大輔に、
えええっ?!とさっぱり事情が飲み込めないエクスブイモンは仰天の眼差しで大輔を見る。
チビモンからブイモンに、そしてエクスブイモンへとジャンプするように進化を遂げた彼は、
螺旋階段から、3階の吹き抜けから落下していく大輔の姿を見ただけであり、一体何が起こっているのか分かっていないのだ。
まさかなっちゃんがデジモンにやられてしまったのか、とアワアワするエクスブイモンに、悲痛な面持ちで大輔は搾り出すような声をだした。

「デジモンなんだ」

「え?」

「なっちゃんは、デジモンだったんだ!」

そして、感情をぶちまけるようにして、大輔はエクスブイモンに事情を説明する。
3階のなっちゃんの部屋でなにがあったのかを、あくまでも大輔が理解できて考察することができる限界ギリギリの中で、
完璧になっちゃんのことを分かってあげられないことをもどかしく、歯がゆく、無力に思いながらも、必死で伝えた。
想像力を必死で駆使して、頭の中がパンクしそうになるまで回転させながら、大輔がなっちゃんが零した心の叫びを言葉にして解きほぐしていく。
憶測に憶測を重ね、推理なんて到底言えないようなほころびだらけのなっちゃんの過去、正体、そして現在にいたるまでの経緯、を明らかにしていく。
要領を得ない混乱ばかりが先行していた大輔の話が、ループしまくっていた話が、だんだんひとつにまとまっていく。
言葉を紡いでいくことで、エクスブイモンという第三者に説明するという行為を実行することで、大輔の中でも同時進行で理解が深まっていく。
ぐっちゃぐちゃになっていた頭の中が整理整頓され、どんどん道が開けていく。結論を導きだす頃には、すっかり大輔は落ち着きを取り戻していた。
根気強く聞き役に徹していたエクスブイモンが、そんな、と零した。

「ごめん、大輔。オレがなっちゃんのこと人だって勘違いしちゃったから、大輔まで思い込んじゃったんだ。
オレがちゃんとしてたら、なっちゃんを傷つけなかったのに」

「どうしたんだよ?」

「ほら、オレ、なっちゃんと初めて会ったとき、なっちゃんの匂いかごうとしたでしょ?
なんか変だと思ったんだよ。大輔となんか違う匂いがするから、おんなじ人間なのに変だなあって思ったんだ。
それになんか覚えがあるなあって思ったんだ。でも、なっちゃん、ミミとか空みたいに普通の女の子みたいだったから、勘違いかなって思ったんだ。
今ならわかるよ、大輔。あのデジモンの匂いとおんなじだ。外で見た、あのおっきな爪の跡を残したデジモンと」

「そんなこというなら、俺だって。なっちゃんがデジモンに進化するとき、すっげえ苦しそうだったんだ。
吹っ飛ばされたって、何度だって近づいて、なっちゃんの名前呼んであげればよかったんだ。
耳をふさいでうずくまってるなっちゃんの手をとってあげればよかったんだ。でも、何にもできなかった。
なんにもできなかったんだよ!あんなに嬉しそうに笑ってた女の子を、俺のこと優しいって言ってくれた女の子を、
大好きだって、言ってくれた女の子をっ!人間だってデジモンだって関係ない、助けなきゃ、こんなのってねえよ、悲しすぎるだろ!」

「うん、行こう大輔!なっちゃんを助けられるのはオレ達だけなんだ、急がなきゃ!
このままじゃなっちゃん、消えちゃうよ!エネルギーをあんなに使いまくって、データチップ撒き散らしちゃったら、消えちゃうよ!」

「駄目だ、そんなの!ぜってーダメだ!」

大輔を乗せたエクスブイモンが一気にエントランスホールから、三階の吹き抜けへと駆け抜けた。





生まれて初めて成長期から成熟期に進化を遂げたエクスブイモンは、全てが不慣れである。
使い慣れている体とは到底スケールがケタ違いの巨体を手に入れ、力の使い方も体の使い方もぎこちなく、そして不器用だ。
勝手が違うために、イマイチ飛翔のスピードが安定しない。今まで大地しか走ったことがないため、空をとぶという感覚がつかめない。
ピヨモンのように空をとぶやり方を成長期から知っているならば、初めて進化したバードラモンがメラモンと激突した空中戦のように、
思うがままに飛翔することができるのだろうが、なんとなく、でしかやっていないエクスブイモンは本能に従うしか無い。
ただ無我夢中で、自分が今出せる全速力で、少しでも早く助けたいなっちゃんのもとに駆けつけるために、
大空よりもずっとずっと狭い切り取られた円柱を真っ直ぐ突き抜ける。想いに任せて飛ぶしか無い。
パートナーの心に反応するデジヴァイスから伝わってくる感情が、さらなるパワーをエクスブイモンに注ぎこんでいく。
ばさり、と真っ白な翼を広げて駆け上がったエクスブイモンと大輔が見たのは、地面を這い蹲るようにして、
鋭い爪を床に突き立て、ずるずる、ずるずると進んでいく禍々しいオーラを纏うデジモンのなれのはて。
エクスブイモンと大輔に気付いたのか、耳をつんざくような咆哮を上げながら突進してくるように躍動したデジモンは、
大きく爪を振り上げた。5本だった爪が3本になっている。力を失ったのか、それとも本来の姿に近付いているのか、わからない。
ただ、大輔の目には、大地に這い蹲るデジモンを覆い尽くしているのは、ガブモンがかぶっているガルルモンのデータのように見えた。
まるで空気の抜けた風船をかぶっているようにみえた。
エクスブイモン目掛けて仕掛けられたと思われたカマイタチが、見当違いの方向に飛んでいく。そして破壊されていく壁。データチップ。
狙いを定めているわけでは無いらしい。ただ本能で動くものを追いかけているわけでもないらしい。
子供の癇癪のごとく、八つ当たりのごとく、当り散らしているだけなので、非効率な不差別攻撃がエクスブイモンに襲いかかる。
全くパターンも軌道も読めないため、仕方なくエクスブイモンはエクスレイザーでカマイタチを相殺させ、少しでも近づこうと心みる。
じいっとなっちゃんだったデジモンを見つめていた大輔は、はっとした様子で辺りを見渡した。
大輔危ない!というエクスブイモンの焦った声ととっさの機転により、肩からバランスを崩して落っこちそうになった大輔は事なきを得る。
なにやってんだよ、という呆れ混じりの声に、わりい、と生返事で返した大輔は、意を決した様子でありったけの声を張り上げた。

「なっちゃん、聞こえるだろ!俺だよ、大輔だよ!」

「大輔?」

「静かにしてくれ、なっちゃんの声が聞こえねえ!」

「声、聞こえるの?大輔」

「間違いねえ、なっちゃんの声だ。おーい、なっちゃん!聞こえてんだろ、返事してくれよ!あん時も言っただろ!声が小さくて聞こねえんだよ!」

怒鳴りつけるように叫んだ大輔の声に、まるで反応するようにデジモンが攻撃を仕掛けてくる。
今までろくに命中する気配すらなかった衝撃波が、エクスブイモン目掛けて幾重の軌道を描いて襲いかかる。
慌てて必殺技でねじ伏せながら、なんとかなっちゃんの声を聞き取ろうとする大輔が落っこちないように注意しながら、
エクスブイモンは大きく旋回する。どんどん屋敷が破壊されていく。真っ暗な屋敷を満たす光は、データチップだけである。
エクスブイモンには戦慄の咆哮にしか聞こえないが、どうやら大輔にはなっちゃんの声がしっかりと届いているようである。
大きく首を振ったり、そんな事ねえよ、勝手に決めんな、と怒鳴りつけたり、必死で説得したり、今にも泣きそうな顔で頷いたり、
どうやら大輔はなっちゃんの暴走をなんとか止めようと躍起になっているようである。
データチップを自ら破壊していくたびに、なっちゃんはどんどん原型を失っていく。
そんななっちゃんを前にして、必殺技も得意技も放つことなんてできないまま、大輔に望みの綱を託したエクスブイモンに出来るのは、
ただひたすら、少しでもデータチップを吹き飛ばして、そこになっちゃんの攻撃を誘導することくらいである。

「ごめん、なっちゃん!寂しかったんだよな?俺とブイモンの仲の良さ見て、嫉妬しちまったんだよな?
太一さん達にもみんなパートナーデジモンがいるんだって言って、なっちゃんを傷つけちまったんだよな?
そんな事ねえよ!パートナーじゃなくったって、なっちゃんは俺たち、俺にとって大事な存在だよ!
勝手にきめんなよ!居場所なんて勝手に作っちまえばいいんだよ!いいんだよ、それで!な?」

目尻から溢れる熱さなんて気にしないまま、大輔は必死で言葉を紡ぐ。

「そんなことねえよ!俺がいてやるから!俺達がずっと側にいてやるから!
なっちゃんが思い出すまで、なっちゃんが全部思い出すまで、ずっと一緒にいてやるからさ!
だから、約束しようぜ、なっちゃん。一緒に出よう?ここから出よう?
なっちゃんの大切な人、パートナーが見つかるまで一緒に行こう?
今度は一人じゃねえよ、俺もブイモンも、太一さんたちだってきっと力になってくれる!
この世界にいなくったって、俺達の世界に来ればいいだろ?あっちにはたくさん人がいるんだ、絶対に見つかる!
だから、もうやめようぜ、なっちゃん!なっちゃん、今、どんな声出してるかわかるか?泣いてるんだよ!」

ぼろぼろと涙を流しながら、大輔が叫んだ。

「え?どうしたんだよ、なっちゃん、なっちゃん!?返事しろよ、してくれよ、なっちゃん!え?何だって?
にてる?エクスブイモンが?なにに?え?なんだよ、聞こえねえよ!」

ぴたり、とデジモンの動きが止まる。なっちゃん?とつぶやいた大輔とエクスブイモンの目の前で、
突如今までへばりついているだけだったデジモンのデータらしきものが、みるみる膨らみ始める。
今まで大輔たちがデジモンの腕、若しくは前足だと思い込んでいたのは、どうやら鉤爪であると気づく。
廊下を這い蹲り、手すり越しにしか攻撃を仕掛けられなかったそれが、大きな翼を広げた。

「え?ほんと?ホントに思い出したのか、なっちゃん!」

その刹那、デジモンから強烈な電撃が炸裂し、エクスブイモンはそれをモロに右の翼に受けてしまう。
がくんと揺れた体とエクスブイモンの激痛に伴う悲鳴が辺りに反響した。

「エクスブイモン、大丈夫かっ?!」

「大丈夫、ちょっとびっくりしただけだから。今度は当たらない!なっちゃんはなんて?」

「なっちゃん、思い出したみたいなんだけど、様子がおかしいんだよ!
さっきまで会いたい人のことが思い出せないって苦しんでたのに、思い出した途端、また泣き出したんだ!
行かないでって、置いてかないでって、私が悪いんだって泣いてるんだ!
ば、馬鹿なこというなよ!なっちゃんが死んだら俺が悲しいんだよ、変なこというなあああっ!」

エクスブイモンは大輔の絶叫に居ても立ってもいられなくなり、一直線にデジモンのもとに飛んでいく。
大輔もエクスブイモンから落ちないぎりぎりのところで、ずいっと体を前のめりに出し、何とかなっちゃんに届かせようと左手を伸ばす。
なっちゃん!と何度目になるか分からない声を上げた大輔。
このまま飛び降りてなっちゃんのところに飛んで行きやしないか、とひやひやし始めたエクスブイモン。
ぱたり、と攻撃がやんだ。あれ?と辺りを見渡した一人と一匹の目の前で、あれだけたくさんあったデータチップの雪はもうまばらになっている。
デジモンの上げていた咆哮が、今まで聞いたことがない甲高い音となったとき、データチップが再び本来の主のもとに戻って行く。
収束していく光に包まれていく。大輔を乗せたエクスブイモンは緩やかに近づいていった。
その光が人の形を作っていく。そこにいたのは、なっちゃんだった。大輔はエクスブイモンから飛び降りると、一直線になっちゃんのもとに駆け寄った。

「なっちゃん!」

「だいすけ」

「なに?」

「だいすけがだいすきなおなまえ、わたしがもらえなかったおなまえ、なんだっけ?」

「え?」

「おしえて」

「ジュン、ジュンだよ、なっちゃん。俺の姉貴の名前。俺にとっては、たった一人の姉ちゃんの名前」

「じゅん?」

「うん」

「そっか、だからだめだったのね?」

「そう」

「ありがとう、だいすけ。また、あえてうれしかった。きえちゃうまえに、またあえて、ほんとにうれしかった。
おもいださせてくれてありがとう、だいすけ。たいせつなきおく、うまれかわってもわすれたくないきおくをおしえてくれて。
できれば、じゅんとあいたかったけど、もうだめみたい」

「なにいってんだよ!約束しただろ、一緒にここを出ようって!一緒にパートナー探そうって、約束しただろ!」

「ごめんね、だいすけ」

「やだっ!やだっていってるだろっ!いくなよおっ!まだ俺なっちゃんの名前教えてもらってないのに!」

「ほんとうにごめんね、だいすけ。わたしのなまえはまだおしえちゃだめみたいなの」

「なんだよそれっ!わかんねえよっ!」

「おねがいがあるの、きいてくれる?」

「なっちゃんはずるいよ。断れるわけ、ないだろっ」

「うん、ずるいわたしのおねがい、きいてくれる?わたし、かえりたいの。
まもってくれた、いつでもまもられてたのに、ぜんぜんきづかなかったやさしいばしょにかえりたいの。
わたしがうまれたばしょ。しんでしまうでじもんがかえるばしょ。はじまりのまち。つれていってほしいの」

「いくらでもつれてってやるよ!どこだって、いつだって、一緒に側にいてやるよ!だから、さ、そんな事いうなよっ!」

「ほんとうにごめんなさい、だいすけ。わたし、もう、ねむいの。すごくねむいの。こんなにあたたかくってしあわせなのひさしぶりなの。
わたしがようねんきだったころにね、なんにもしんぱいしないで、ただおいしいごはんとふかふかのおふとんのことだけ、
あそぶことだけかんがえていられた、あのころみたいなの。もう、ずっとよるはこわかったのに。いまはもうすごくしあわせなの。
おやすみなさい、だいすけ。ありがとう。………だいすき」

「なっちゃあああんっ!」

伸ばした手は空を切る。色鮮やかな光に包まれて、なっちゃんだった光は、やがてゆっくりとひとつの力にまとまっていく。
溢れ出した涙が止まらない。止めどなく溢れ出していく涙が顔を伝っていく。その光が呆然と立ち尽くしている大輔の腕の中にすとんと収まった。
光の中から現れたのは、暖かな鼓動を感じる、不思議な柄をした卵だった。

「デジタマだ」

進化の疲労をもろともせずに、一生懸命駆け寄ってきたブイモンがつぶやいた。
もうろくに人間の言葉を発することができない大輔の嗚咽を聞きながら、後ろから大輔の肩に腕を回して頭を載せる。

「デジモンはね、死んじゃったらデジタマに戻るんだ。きっとなっちゃんは、データチップを使い過ぎちゃったんだ。
疲れちゃったんだよ、大輔、寝かせてあげよう?ずっと安心して眠れなかったなっちゃんが、今度こそ幸せになれるように一緒にいてあげよう?
始まりの街は、オレ達デジモンにとって、故郷みたいなものなんだ。家族みたいなものなんだ。だから、きっと大輔も気にいるとおもう。
だからさ、オレが側にいるからさ、泣いてもいいんだよ?大輔」

こくこくと頷いた大輔は、デジタマをしっかりと抱きしめて、思いっきり泣いた。ブイモンも泣いた。
この世界の主が失われたことで、この世界が存在意義を失って、緩やかに閉ざされていたデータが解除されていく。
真っ暗だった世界は一転して、青空と一面花畑の丘へと変貌を遂げたが、そんな事気にしないまま、一人と一匹は名前も知らないデジモンのために泣いた。
涙が枯れた頃には、きっとまた立ち上がって一緒に歩くことができると知っているから、今はただ何にも考えずに感情に任せて泣いた。
なっちゃんのことだけをずっと想っていられるほど、他のことそっちのけで一つのことに永遠にとらわれていられるほど、大輔もブイモンも子供ではない。
その残酷さと恐怖を知っているからこそ、なっちゃんからのお願いごとを叶えるために、進むためには必要なことだと本能的に分かっているからこそ、
わんわんと泣いたのだった。誰かのために流してあげられる涙は、きっと強さになる。大輔にとっても、ブイモンにとっても。
穏やかな春の陽気に包まれた楽園で、ずっと大輔達はいた。そこは見渡すかぎり花畑が広がっている。
花言葉なんて知らない大輔もブイモンも気付きはしないけれども、それはなっちゃんからの最後の贈り物だった。
咲いているのは、ネリネ。ダイヤモンド・リリーとも呼ばれる花である。
花言葉は、輝き、忍耐、華やか、箱入り娘、幸せな思い出。そして、また会う日を楽しみにしています。また会いましょう。




今回の特別ゲスト
なっちゃん
デジモンアドベンチャー02の公式ドラマCD「夏への扉」に出演した少女型デジモン。
サッカーの試合にぼろ負けしたり、ヒカリを海に誘って撃沈したり、男同士の友情を確かめ合ったはずの伊織に彼女ができたり、
散々な夏休みを過ごしていた大輔が、唯一の楽しみとしてチビモンを連れて傷心旅行に出かけた小6の夏、
アメリカのニューヨークでミミやウォレス(劇場版デジモン02映画のオリジナルキャラ)と再会した先で、遭遇した。
現実世界そっくりのだれもいない冬の世界で、一人パートナーをずっと探し続けている。
パートナーに名前をつけてもらうことで、パートナーの一部になれることがパートナーデジモンのあり方だと思っているのか、
長い孤独が自分の名前さえも忘れ去ってしまったのか、最後まで自分の本当の名前を明かすことはなかった。
なっちゃんとは、夏だからという理由でミミがつけたものであり、大輔が夏が好きだと頷いたため採用された。
大輔達が来る前に、進化後とおぼしき破壊の跡が残っていたため、
孤独に耐え切れないときには進化して破壊活動を行っては退化を繰り返していたようである。
なっちゃんの声が聞こえたのは大輔のみであり、ミミやウォレスはもちろん、デジモン達も聞き取ることはできなかった。
パートナーを探しているなっちゃんは、自分の声を聞いて来てくれた大輔にパートナーの白羽の矢を立てるが、
大輔にはチビモンというパートナーがすでにおり、喧嘩しても、大切にされていることに気づいて嫉妬する。
ウォレスもミミもすでにパートナーがいて、自分だけが一人ぼっちであることに気付いた彼女は、
孤独に耐えることができずそのまま、暗黒進化とも言える形で暴走してしまう。
彼女の歌う歌詞によれば、頭を撫でて微笑みかけてくれた人がいたという夢をみており、
その人を必死で探し求めているようである。
幼年期に愛情を受けることができなかった彼女は、依存のように寄り添うか癇癪を起こして破壊の二択でしか、
他者とコミュニケーションが取れない。
蛍のようなヒカリはデータチップであり、暴走と退化を繰り返すなっちゃんからこぼれ落ちたものである。
これに触れるとデジモンは自らの意志に反して不本意な行動をしてしまうほか、この世界では進化することができないようである。
暴走するなっちゃんの心の叫びを聞き取った大輔の懸命の説得により、なっちゃんは退化することが出来たが、そのまま力尽きてデジタマになってしまった。
現実世界で死んだデジモンがはじまりの街に戻ってこれるのかは不明であり、デジタマはどこかへ消えてしまったため、
なっちゃんのデジタマがどこへいってしまったのかだれも知らない。



[26350] 第二十四話 イチバン!
Name: 若州◆e61dab95 ID:b34797ba
Date: 2011/04/07 03:04
遥か彼方に見えるムゲンマウンテンに夕日が落ちる。
ぱち、と顔を上げたブイモンは、無数のまっすぐに伸びる茎から直接花を付けている特徴的な花に気づく。
上半身を起こしてみれば、その花は8つほどの小さな花が集合体となっており、
葉っぱや枝分かれなどがない、ずいぶんと変わった花だと気づく。
赤、桃、朱、紅、白、と様々な混合種が存在しているらしく、密集した形で咲き誇っている。まるで燃えているようだ。
ネリネは南アフリカ原産の球根植物だが、もし大輔が目覚めたならば、ちょっと背筋が寒くなるかも知れない。
ネリネはヒガンバナ科の植物であり、花はもとより植物の全体像までがそっくりである。お彼岸といえば田舎の墓参りと相場がきまっている。
そんな事知らないブイモンは、すぐ隣でぐっすりと眠っているパートナーの姿が目に入って、ほっとひと安心した。
その腕の中にはしっかりとデジタマが抱かれていたので、すっかり疲れて眠ってしまったのだと思いだしたブイモンは、体を起こす。
うーん、と思いっきり伸びをして、ふあーっと大あくびをして、涙を拭う。ちょっと目元の辺りに涙の跡が残っていたので、ゴシゴシと拭った。
ブイモンの瞳はもともと真っ赤だから充血なんてしていてもバレないが、もしかしたら顔がちょっとむくんでいるかもしれない。
試しに腕やら体やらを動かしてみると、やっぱり一晩大地に寝っ転がっていたせいか、体の節々が微妙な違和感とダルさを訴えていた。
思いっきり泣いた名残なのか、気分はすっきりしているのだが、どこか疲労感が残ってしまっている。それに声も枯れている。
初めての進化にも関わらず、長期に渡る飛行をほとんど根性でこなしていたせいではないだろう。
現に電撃を食らった箇所はもうすっかり回復しているし、痛みもない。
さすがに無茶をしたアザや打撲痕は残っているが名誉の負傷だ、元気だから大丈夫。
きょろきょろと辺りを見渡したブイモンは、大輔が起きないうちにお目当てのものを探してネリネの海を泳ぐ。
踏んづけないように飛び越えながら先を進んだ。
あった!と自然と顔がほころんだブイモンがつかんだのは、失われた洋館のベッドルームに置き去りにしていた大輔のリュックとPHSである。
よかった、もしPHSがなくなったら大変だ、と2度に渡ってパートナーデジモンとして頼りにされた誇らしい経験が行動させる。
よいしょっと軽々と二つを持ち上げたブイモンは、元きた道を帰り始める。どうやら大輔はまだネリネの絨毯で眠っている。

「大輔もう夕方だよ、起っきろーう」

すっかり寝過ごしてしまったブイモンは、全力で自分のことは棚上げすることにした。
昨日はいろいろありすぎたのだ。仕方ない。うん、仕方ない。オレ、悪くないもんね。
大声を出してみるが、身じろぎはするものの起きる気配はない。リュックとPHSを傍らにおいたブイモンはそっと大輔に近づいた。
出会った頃から気付いていたが、大輔は朝に極端に弱い。そのうえ寝相が悪いし、寝起きはたいてい最悪だ。
本人曰く、目覚まし時計をセットしても止めたまま二度寝してしまう筋金入りのねぼすけで、
小学校に通うことになってから、今まで一度足りとも目覚まし時計よりも早く起きたこともなければ、
遅刻ギリギリまで眠ってしまい、母親に叩き起されて慌ただしい朝の準備と朝食を済ませるハメになるのはもはや習慣らしい。
何時まで経っても起きないパートナーを起こすのが仕事となりつつあるブイモンは、いつものように勢いつけて大輔に飛び乗った。
カエルの潰れたような声がしたきがするが気のせいである。ぴょんぴょん飛び跳ねながら、だっいすっけ、おっきろーっと叫ぶ。
ゆうがただぞー、ゆうがったー!と迷惑極まりない目覚まし時計に、たまらず大輔は一発で起きる寸法である。
たいてい大輔は文句を言いながら、時には怒気をはらみながら恨めし気にブイモンをにらみつつ、あくびを噛み殺して起きてくれる。
それでもブイモンは気にしない。伝授してくれたのが他ならない大輔だからである。もちろん本人は話しのアヤで言ったに過ぎないが、後悔しきりだ。
たまに帰ってくる休暇はごろごろしたいのだと午後まで布団をかぶっている父親をたたき起こし、公園でサッカーをねだる大輔の常套手段が行われていた。

「おそよう、大輔」

「んあーっ……ふあああああ、おはよう、ブイモン」

まだ寝ぼけ眼らしい大輔は生返事のまま起き上がる。やっぱり大輔はひどい顔をしているので、ブイモンはあははと笑った。
もともと跳ねっけのある短髪は、毎回のことだが寝ぐせが凄いことになっている。手ぐしではどうにもならないので既に本人はあきらめ気味だ。
目も充血しているし、いつもより顔が大きいし、疲れた顔をしている。元気印の大輔にしてはビックリするほど珍しい光景だ。
一夜に2度も大泣きしたのである。当然であると言えた。はやく近くにある小川で顔くらい洗わないといけないだろう。

「はい大輔、リュックだよ」

「おう、さんきゅー。やべえ、なんか体がだりい」

「オレもだよ、大輔。顔洗いに行こ」

もうここまで来れば頭も冴えてくるのか、このだらだらとした居心地のいい雰囲気に飲まれて変な会話をしていたと気付いたらしい。
まるで母親のような言葉に大輔はばつ悪そうに返事をした後、リュックを背負い込んでPHSを首にかける。
ブイモンがデジタマを持ってくれるので、そのまま足早に進んでしまう。待ってよっと慌ててブイモンは追いかけた。
冷たい小川で顔を洗った大輔は、なんとか寝癖をまともな形にしようと水鏡を覗き込んで、必死に手ぐしをかけている。
ぶるぶると豪快にしぶきを飛ばしたブイモンは、ふう、と一息ついて、大輔を見た。そしてジーパンを引く。

「大輔、ちょっといい?」

「んー?どうした、ブイモン」

「ちょっとだけ、大事な話」

おう、と即答してくれた大輔は、そのままブイモンに向きあってあぐらをかいた。どうやらブイモンの違和感に気付いていたらしい。
ブイモンは大輔の顔を見つめることが出来ないのか、ちぎれ雲が流れていく穏やかな春の陽気を見上げて言った。
これだけははっきり言っておかなくちゃいけない、とブイモンが思っていたことだ。
少しだけ緊張感からか声がひっくり返ったが、大輔は揶揄することなく聞き役に徹してくれる。

「なっちゃん反則だよ、ずるすぎる。大好きなんて」

はあ、とブイモンは大きな大きなため息をついた。しゅん、としっぽも耳も元気がなくうなだれる。
今だからこそ、今の大輔とブイモンの構築してきた関係だからこそ言えるような言葉である。
なんで?と大輔は返した。そこには故人に対する暴言レベルの愚痴に対する非難や憤怒よりも、純粋な疑問の方が大きかったらしい。
なっちゃんとの風の様に過ぎ去ってしまった時間を共有し、出会いと怒涛のような出来事の果ての別れを経験した大輔は、
ブイモンが本気でなっちゃんに対して憎悪を向けているわけがないと知っている。

「………だって、だってえっ!」

ブイモンは、ぐっと両手を握りしめた。そして語りだす。
なっちゃんは、大輔とブイモンが怪奇現象に恐怖し、なんとか逃れようと苦心していた一連の日々の元凶である。
せっかく大輔が歳相応の振る舞いに抵抗を薄れさせ、素直になること、甘えること、誰かに助けを求めることを実行すると受け入れ、
これから、という最悪のタイミングでその微笑ましいながらも、大輔にとって大切な一歩を完膚なきまでに叩きのめしたのだ。
ブイモンを庇って、子供たちやデジモン達との間に距離感を作って、孤独や孤立感すら深めながらも大輔はブイモンを信じていてくれた。
それなのに、再び躊躇してしまうに至った一連の行動について、特に素直になることの大切さについての心の柵を、
かつてよりもずっとずっと溶かしてくれたのは他ならぬなっちゃんなのである。
ブイモンは大輔の一番側で、すぐ隣でずっと一緒だったからわかるのだ。
大輔は失いかけていた意欲とやる気を取り戻していて、また頑張ってみようという気になっている。
ジュンお姉ちゃんと仲良くしたいという大輔にとって原点とも言える最終目標を結果的に再認識することになったから。
なっちゃんは、ずるいのだ。ほんとうにずるいのだ。
本来なら、なっちゃんを助けられなかったこと、分かってあげられなかったこと、そして傷つけてしまった女の子デジモンの存在は、
大輔にとって致命傷とも言うべきトラウマを与えるはずだったのである。
再起不能にまで追い込まれることはないが、少なくとも今までの漂流生活ですこしずつ学んできたことが一気に無に帰るほどの衝撃はあったはずだ。
しかし、そうはならなかった。後悔して悔やんで免罪符の象徴となるはずだったなっちゃんは、最後の力を振り絞って、自らそれを全力で拒否したのだ。
負の柵にすることを無慈悲に、徹底的に、完膚なきまでにたたき壊し、そして幾度も大輔が使ってきた逃避という手段を木っ端微塵に粉砕した。
なっちゃんは愛されることに関しては天才的な才能を秘めていたと言える。
あの可憐な姿すら、すべては自分を愛してくれる存在を忘れないように、いわば愛されるために一生を捧げた集大成で作り上げた存在なのである。
無意識とはいえども、大輔が心から求めていた、守る側になるために必要な守られる側としてのなっちゃん、
ジュンお姉ちゃんが誰よりも大好きな大輔を理解してくれる、肯定してくれるなっちゃん、
そしてまた大輔が一歩を踏み出せるように、敢えて最後まで自分の自分勝手なお願いごとと称した、導き手としてのなっちゃんを、
あの女の子デジモンは完璧なまでに成し遂げてみせたのである。
そんなことをされて、大好き、なんて鈴を転がしたようなほほえみをたたえて消えてしまったなっちゃんを、
大輔が免罪符として使えるわけがないのである。きっと大輔はなっちゃんの件に関しては、迷うことなく進んでいけるだろう。
大輔にとってもブイモンにとっても、なっちゃんはこの上なく綺麗な思い出として鮮明な記憶と共に刻まれたのである。
これからなっちゃんのことを思い出すたびに、すべては思い出という美しいフィルターと共に昇華されていく。
ブイモンはパートナーデジモンとして、これからもずっと大輔と共に歩んでいくことになるのだが、
ブイモンの中ではブイモンだけの、大輔の中では大輔だけのなっちゃんが、ずっと生き続けることになるのだ。

「ずるいよ、なっちゃんは。大輔の1番をとってっちゃったんだ」

ブイモンには、好きになるという感情も、愛するという感情もイマイチよくわからない。全部一緒くたで好きなのだと思っている。
だから余計に混乱する。ブイモンは大輔にとっての1番になりたいと考えているけども、どこまで嫉妬しなきゃいけないのか分からないのだ。
でも、大輔がなっちゃんのことを女の子として意識していたことは分かっているし、
その意識の先にある感情が思慕なのか憧れなのか、大輔にとってこの上ない理想を体現したような存在だからこその親密感なのか
明確な答えを大輔が自ら導きだす前に、中途半端な、もっとも頭を悩ませる最高のタイミングで別れを告げたのだ。
死んでしまったなっちゃんには、同じ土俵で戦っても、もう絶対に勝てないことをブイモンは自覚している。
だってブイモンにとってもなっちゃんは、とっても大切な存在としてこれからも残っていくことが分かっているから、余計に辛いのだ。
大輔の一番になるということは、大輔にとっての一番を蹴落とすんじゃなくて受け入れる事なのだと、
ジュンや太一達と大輔の関係を見つめ続けてきたブイモンは、なんとなく分かっていたはずなのだが、突きつけられるとキツイものがある。
中途半端な覚悟じゃとてもできそうにないことである。
それでも、哀しいかな、今この世界で最も大輔のことを分かってあげられるのはブイモンだけであり、
その一点に置いては、一生かかったって誰も分かりっこない、理解出来ない領域にブイモンはいるのである。
全力で受け止めることで響く言葉があるのだと、他ならぬ大輔が教えてくれたことをエクスブイモンだったブイモンは覚えている。
ブイモンはなっちゃんを形容するとき、あえて大嫌いという言葉を使わなかった。
だって、大好きの反対は大嫌いではないと気づいてしまったから仕方ないのである。
大好きも大っきらいも、裏をかえせば相手に対して本気で強い興味関心を抱いていることに代わりはなく、無関心が真の意味での正反対なのだ。
今ここでブイモンが大嫌いという言葉を使うのは、大好きと言っているも同じなのである。
ブイモンにとって、なっちゃんはいわば、大輔にとってのジュンと同義にほかならない。
言葉を紡いでいくブイモンに、正直そこまで真剣に考えたこともなければ、今まで全く頓着していなかった大輔は驚きのあまり言葉が紡げない。
というか、太一やヤマト達に一時期なんかやたらと敵愾心向けてたのは分かっていたし、
タケルやパタモンにも警戒心を顕にしていた時期があることは分かっていたものの、まさかそこまで考えぬいての嫉妬だとは考えもつかない。
ただ単に構ってくれない大輔にすねて、なっちゃんに対して怒っているだけだろうと考えていた大輔には寝耳に水だった。
どうやら我らが頼れるパートナーデジモンは、大輔が考えている以上に大輔のことが大好きらしかった。

「お前、どんだけ俺のこと好きなんだよ」

「だって大輔はオレのパートナーなんだ、大好きにきまってるだろ!
もしかして、大輔がなっちゃんのパートナーになっちゃうんじゃないかって、すっげー心配してたんだからな」

「あのなあ、どんだけ信用ないんだよ。そんなことするわけないだろ、なっちゃんには一緒にパートナー捜そうって言ってたじゃねーか」

「オレ、なっちゃんの声聞こえないんだ、わかるわけないじゃんか」

「あはは。ったくもう、何いってんだか。家族でもねえし、友達でもねえし、好きな女の子でもねえのに、
ずーっと一緒にいる変なのなんて、お前だけで十分だっての。変な心配すんなよ」

くしゃくしゃに撫でた大輔は声を上げて笑った。え?と聞き返したブイモンが心底嬉しそうな顔をして立ち上がる。
もう一回言って!とねだられるが、えーやだ、と笑いながら大輔は却下する。
がーんとショックを受けたブイモンは、待ってよ大輔!とリュックとデジタマを抱えて逃げてしまった大輔を追いかける。
やなこった、と大輔はこっそり舌を出す。言葉では言い表せないくらい大切なやつ、だなんて、絶対にいってやらないのだ。
さあ、はじまりの街にいこうぜ、と大輔は憮然としているブイモンに手招きした。




「大輔、ちょっとは手抜いてよっ!」

「ばーか、だーれがするか」

「できないよ!」

「あったりまえだろ、こっちは毎日毎日頑張って練習してんだ、すぐに取られてたまるかよ」

「むあーっ、大輔の意地悪!」

はじまりの街は、おもちゃ箱をひっくり返したような素敵な街だった。
一歩ふみ出せば、ふかふかのベッドのようにスプリングが軋んでいるわけでもないのに、
超反発してくるので、まるでトランポリンみたいにジャンプしながら進むことができる。
碁盤の目のように四角く区切られた緑色の道をおもしろがって進めば、積み木のおもちゃで出来た塔がたくさんある。
たくさんの木があるのだが、そこになっているのは全部おもちゃだった。
ぬいぐるみだったり、ブリキのおもちゃだったり、昔懐かしいデザインのおもちゃがたくさんある。
どっちかというと赤ちゃんや幼少期の子どもが好きそうな、ちょっと大輔とは対象年齢が離れたおもちゃがある。
長い長い影を並ばせながら進んでいた一人と一匹は、夕焼けに染まるおもちゃの街を見ていた。
そして、デジタマがたっくさんある場所と、幼年期のデジモンが揺りかごの中にいる地帯を見つけた。
たくさんのデジタマのど真ん中に、なっちゃんが寂しくないように、とデジタマを置いた大輔とブイモンは、
幼年期のデジモン達の世話を焼いているはずのデジモン達が見当たらないことに困惑した。
おかしいな、どこにいるんだろう、なっちゃんのこと話さなくちゃいけないのに、と首を傾げる。
おーい、誰かいませんかーと呼びかけたが返事はなし。
途方にくれていると、珍しいお客様に興味を惹かれたのか、揺りかごからわらわらわらと沢山のデジモン達が集まってきたのだ。
ブイモンにより一匹一匹紹介されるが、ちっちゃくて可愛いデジモン達は、生まれたばかりのようでしゃべれないらしい。
自己紹介した大輔とブイモンは、すぐ側にあったおもちゃの木にぴょんぴょん飛び跳ねていることに気づく。
まるでだるま落としのごとく、一匹の上に一匹が乗って行く。ハラハラ見つめるしかない。
7匹までグラグラしながらいったのだが、風が吹いてきて崩れ落ちた。
あぶない!と慌てて大輔達は一匹残らず救出に成功したのだが、余計になつかれてしまったらしく、取ってくれとばかりに鳴かれる。
そのおもちゃの中に、小さなサッカーボールを見つけた大輔は、目を輝かせたのだった。
そしていまに至る。大輔達のまわりは、デジモン達の取り巻きが出来上がっていた。
なんとかサッカーボールをとろうと躍起になっているブイモンと大輔のやりとりをはしゃぎながら見ている。
みんな、ぴょんぴょんと興奮した様子でボールのまねをするのだ。もう可愛らしくて仕方ない。
すっかり得意になっている大輔は、久々のサッカーボールに夢中になっていた。
ブイモンも何とか頑張ろうとするのだが、相手は毎日努力に努力を積み重ねている生粋のサッカー大好き少年である、
大輔に挑むのは、かなり無謀と言えた。

クラブコーチの方針で、大輔はサッカーの基礎技術を叩き込まされてきたのだ、鈍っているとはいえ負けるわけにはいかない。
小学校2年生のチームは、チーム戦術で勝ち負けを駆け引きするよりも、
ひたすらサッカーボールに一分一秒でも長く触って、色々してきたことが何よりも評価される環境に置かれている。
小柄な体格の大輔は、パワーやスピードは中学からで十分だと励まされて今にいたている。
もちろん、上級生のキック技術は一級品だし、50メートル余裕でとばしたり、
カーブ掛けてキックしたり、ボレーキックを豪快に決めた我らがエースを見るたびに、
応援に熱が入るが、真似をして無茶をしても体を壊すだけでなんにもならない。
部活だけじゃなく、サッカー仲間と遊びにいったり、父親に付き合ってもらったりと
大輔にとってサッカーは何者にも代えがたいものである。
野球かサッカーに興味を持ってもらいたい、と本来ならば次男に付けるような、
二番手という意味合いがある大輔の名前をもらった我が息子に父親は大喜びのようだった。
得意になって話すのだが、専門用語が飛び交う会話にはさっぱりついていけないブイモンは、
また新しい大輔の一面も見つけて嬉しそうに笑ったのだった。

「ブイモンじゃ相手になんねーな、よーし、今からリフティングするから、カウントよろしく」

「え?あ、うん、わかった。1,2,3」

1年生のワンバウンドからの練習は地獄だった。
リフティングは練習すればするだけ上達するのだという言葉を信じて、必死にやっただけはある。
きっちりとボールの捉え方から、蹴り方、足首の力の入れ方、正確な位置で受け止め、きっちりける、
という一連の流れを一回でもみすったらテスト不合格、補習、居残りである。
勉強が大嫌いな大輔はよく算数で先生に呼び出しを食らっている。
ダブルブッキングは死んでも嫌だと必死だったから、これだけは上達が特別早かった。
リフティングばっかり上手くなっても、成績が悪すぎるとレギュラーから落っことされるのが、
小学校のサッカー部の辛い所なのである。泣きながら課題をやらされたのは今に始まったことではないが。

2年生の今は、なかなか150の壁が超えられない。
足をまっすぐに伸ばして、高い位置からのリフティングに移行してから後半の乱れが、どうしても直らない。
どうしてもバランスを崩してしまう上に、ここはまるでトランポリンの真上である。難易度は桁上がりだった。
100を超えたら、交互に足を使えとのお達しのため何とか四苦八苦するのだがなかなかうまくいかない。

「うおああああっ、だーくっそ、135とか鈍ったっ!」

ぽん、ぽん、と転がっていったサッカーボールと一緒に転がっていく幼年期のデジモン達。
大輔のリフティングを見て真似したくなったのか、頭の上にボールを乗っけて、
ポーンポーンとヘディングで繋ぎ始めた。地味に美味い。
すげえ、と大輔はカウントを開始し、すっかり本来の用事を忘れているパートナーに呆れつつ、
ブイモンも一緒になって遊んだのだった。
ちなみに最高記録は149。カウントしてくれていたペアの人は、無常にもおまけしてくれなかった。おかげでまだ次の課題に行けていない。

「大輔、大輔、探さなくってもいいの?」

「えー、あとちょっと、あとちょっとだけ!な?こいつらにパス教えてえ!うますぎるぞ、こいつら!」

「もー大輔ええ」

すっかり自分の存在も忘れてデジモン達と遊ぶ大輔に、ふくれっ面のブイモンがずるずると引きずっていった。



[26350] 第二十五話 ともだち
Name: 若州◆e61dab95 ID:aa2b7a75
Date: 2011/04/08 15:37
「何やってんだ、ベビーたち。っつーか、お前ら誰だ」

夕食時にもかかわらず、もっと構って構ってとわらわら集まってくる幼年期デジモン達の元気に圧倒され、
もうすっかりへとへとになっていた大輔とブイモンは、これ幸いとばかりに助けを求めたのだった。

デジモンデータ
エレキモン
レベル:成長期
種族:哺乳類型
ガブモンの進化前であるツノモンから、毛皮の部分が進化した哺乳類型デジモン。
好奇心が強く、イタズラが大好きなところはツノモンの頃とあまり変わらない。
9本の尻尾は孔雀の羽のように広げることができ、威嚇や戦闘時に敵が驚いた隙をついて、電撃を浴びせる。
必殺技は、しっぽから強烈な電撃を放つスパークリングサンダー。

「お、お、おちびっ、おちびじゃねーかっ!この柄のデジタマは間違いない!4年前にどっか行っちまったおちびだっ!
どこいってたんだよーっ、心配かけやがってこの野郎っ!」

よかった、と心から大輔は思った。なっちゃんの帰りを待ってくれているデジモンがここにいるのである。きっと寂しくはないだろう。
大輔の手から引ったくるようにして、なっちゃんのデジタマを受け取ったエレキモンの反応は、それはそれは嬉しそうだった。
ぎゅうう、となっちゃんのデジタマを割れてしまうのではないか、と大輔達が心配になるほどのありったけの力を込めて抱きしめ、
感動の再会を体全身で喜んでいる。頬ずりして、うさぎのような耳を押し当て、デジタマの鼓動を感じて生きていることを噛み締めている。
よかった、ホントによかった、と涙すら浮かべているエレキモンは、このはじまりの街で生まれてくる幼年期のデジモン達をベビーと呼び、
毎日のように小川から魚を取ってきたり、果物を山ほど持ってきたり、遊び盛りのデジモン達相手におもちゃを提供して、時には一緒に遊ぶ、
この街のみんなのお父さんとお母さんを一手に引き受けているデジモンである。
エレキモン曰くなっちゃんがこの街を飛び出すころから、このエレキモンはずっとこの街でたくさん生まれてくるデジモン達の世話をし続けているらしい。
卵の柄だけで判定してしまうということは、この膨大な数のデジタマも幼年期のベビーたちのことも、デジタマの頃から全て知っているようだ。
はじまりの街では、デジタマは時間経過若しくは刺激を与えられることでデジモンが誕生し、自動的にデジタマが揺りかごにデータ変換されているらしい。
たくさんの揺りかごが広がっている。ブイモンも生まれたばかりのことはよく覚えていないけれども、ここに来ると懐かしい気分になるらしい。

きっと4年前、大輔がまだ4歳だった頃になっちゃんはここで生まれたのだろう。そう思うとなんだか不思議な感じがする大輔とブイモンである。
デジモン達はここで生まれて、幼少期を過ごした後に、みんな一人で生きて行くために旅立っていくとブイモンが言うので、
特別番組で見たサバンナの動物の親子を追いかけたドキュメンタリー番組を思い出した大輔は、野生の動物達の生きる過酷さを幻視した。
ということは、と指を広げて数えてみる。ひょっとしなくても、なっちゃんが探し続けていた大切な人とは、なっちゃんの前のデジモンの記憶なわけだから、
少なくとも4年前よりまえに出会ったことになる。これは困ったことになった。なっちゃんが会いたがっていた人に、なっちゃんのことを知らせたい大輔は、
この世界でもし太一達以外に誰かと出会えたなら、聞いてみるつもりだった。もしくは元の世界で聞いてみるつもりだった。
あの時大輔はなっちゃんに一緒に捜そうと言ったが、4年である。さぞかしなっちゃんの放浪の旅は過酷を極めたのだろうコトを思うと、胸を締め付けるものがある。
あの時はなっちゃんを助けたい一心で、思いつく言葉を片っ端から並べていたけれども、大輔の話すこれからになっちゃんが共感してくれたというよりは、
大輔が必死になってなっちゃんでは無くなってしまったデジモンに向けて、ずっと耳を傾け、話し続ける直向さが響いたのかも知れないが、
今となっては確認するすべがないし、大輔の中では既に完結した世界にいる住人である。うだうだと考えるのは性に合わないと考えるのをやめた。
デジモンなんて変わった生き物に出会った人がもし元の世界にいるのなら、きっと世界中どこにいたって必ず日本に飛び込んでくるニュースにあるはずだ。
新種の動物発見、とかなんとかいう情報で。こういう時こそ、出版関係の仕事についている父親にお願いして調べてもらえばきっと分かるだろう。
今こうしてはじまりの街に帰りたい、というなっちゃんとの約束を果たすことが出来た大輔とブイモンは、肩の荷が降りたのか顔を見合わせて笑った。

「本当にありがとうな、お前ら。えーっと、名前は?」

「俺は本宮大輔っつーんだ。こいつはブイモン」

「よろしくな、大輔のパートナーのブイモンだよ」

「おう、よろしくな」

「なあ、なっちゃん、いつぐらいに生まれるんだ?」

「なっちゃんだあ?なんだそりゃ。このオチビ、なっちゃんモンってのになったのか?聞いたことねえぞ?」

不思議そうに首を傾げるエレキモンに、あー、と今さらながらになっちゃんのデジモンの時の名前を知らないことを自覚した大輔は、
あはは、と苦笑いを浮かべた。まあいいけどよ、と深入りするほど興味を見いだせなかったのか、エレキモンはあっさりと話題を切り替え、
ちっと待ってろ、聞いてみる、と耳をデジタマに押し当てて眼を閉じる。とくん、とくん、という鼓動がデジコアの音として聞こえてくる。
んー?と眉を寄せたエレキモンは、おいおいおい、と呆れた様子でなっちゃんのデジタマを見た。

「こんの甘えん坊、あんときは口だけは一丁前なこと抜かして、この街を飛び出しやがったくせに、今度はずーっといたいだあ?
ったくしょーがねえなあ、ここがどんなにいい場所か気づくのが4年越しなんて遅すぎんだよ、オチビ。
今度はゆっくりしてけ、あん時いられなかった時間を思いっきり堪能しろ。いつでも生まれてきていいからな」

「え?言いたいことが分かんのか、お前!」

「ちょ、本気にするなよ、大輔っていったっけ?ちょっとしたジョークじゃねえか」

「なんだよ、紛らわしいな」

「まさか本気で引っかかるとは、ぶわっはっは」

「笑うんじゃねーよ、ブイモンもエレキモンも、俺に失礼だろ!」

エレキモンとブイモンに指を刺されて笑われた大輔は、笑うなーっと顔を真赤にして怒るので、ますます笑いを助長させる。
いや、お前のそういう単純なトコ好きだぜ、と言われたが、全然嬉しくない。エレキモンと大輔って似てるなあ、とつぶやいたブイモンには、
一人と一匹は間髪入れずに否定した。まるで始めから打ち合わせをしたかのようなコント仕様に、ますますブイモンは笑ってしまう。

「ったく、あいつらが似てる似てるいうから、どんなにかっこいい奴なのかと思えばこんなやつかよ、バカにしてやがる」

なっちゃんのデジタマを抱っこしたまま、憮然とした様子でエレキモンは、胡散臭そうな眼差しで大輔を上から下まで見つめる。
うん、俺のほうが百倍かっこいいなと言い切られ、大輔はますますいらいらが蓄積されていくが、
ここでいちいち反応していては何時まで経っても話が続かないとばかりにブイモンが先を促すので、しぶしぶ聞かない振りをする寛大さを見せた。
俺って大人だなあと自己陶酔にも似たボケは、お調子者の悪い癖が出ていると判断して、ツッコミを放棄したブイモンによって軽くスルーされた。
こほん、と気を取り直す形で会話を再会したエレキモン曰く、なっちゃんのデジタマの様子から考えるに、ずいぶんとデータに欠損が見られるから、
自己修復する期間が相当長引くことを考えると、生まれてくるのはずーっと先だと聞かされた。
デジモンは生まれてきたい時に生まれてくるため、はっきりとした日数までは断言できないらしい。
記憶の継承の有無は完全にアトランダムに行われるらしく、なっちゃんの頃には記憶が中途半端に継承されたからと言って、
次に生まれてくる幼年期が必ず同じ姿とはいえども、同じようにいく可能性は全く保証できないとのこと。
ただ、もしその記憶の継承がなっちゃんのデジタマにとって重要だとこの世界が判断した場合は、意図的に介入してくることもあるらしいが、
最近この世界がおかしくなっていると本能で感じ取っているエレキモンは、ちょっと難しいかも知れないと言葉を濁した。
なっちゃんのことを考えるなら、記憶が完全に継承されないほうが新しい人生をちゃんと真っ直ぐ歩いていけるコトは分かるものの、
やっぱり忘れられてしまうということは、とっても悲しいことである、と大輔もブイモンも共通して考えたのか、悲しそうな顔をしていた。
なっちゃんのことを聞きたいかと聞いたブイモンに、エレキモンは微塵も興味がない様子で首を振った。
エレキモンにとっては、はじまりの街に帰ってきたデジタマと生まれてくる幼年期のベビー達の幸せが全てであり、
人生を終えたデジモンの歩んできた旅路などには微塵も興味がないらしい。どうでもいいとあっさり流されてしまった。
そっか、と残念そうに肩をすくめた一人と一匹に、よっぽどこのオチビと仲が良かったんだなあと判断したらしいエレキモンは、
にひひと笑って胸を張ったのだった。

「まあ、オイラにどーんと任せとけよ。オイラが責任持ってこのデジタマは育ててやっから。
お前らのこと覚えてようが、覚えてなかろうが、会いに来てやってくれ。お前らおチビたちに相当遊ばれ、げふんげふん、
気に入られてるみてえだからな、あいつらと一緒で大歓迎だ。しっかし、ホントに今日は訪問者が多いなあ」

突っ込まない、突っ込まないぞ、と心のなかで葛藤を押さえ込みながら、大輔はさっきから出てくるあいつらとやらについて聞いた。



第二十五話 ともだち



たくさんいるベビー達にこれから今日のご飯を配るのだ、これはオイラの仕事だから生きがいを分捕るな、と
あっさり手伝いを断られてしまった大輔とブイモンは、案内されたとおりにはじまりの街を進んでいった。
もくもくと煙が立ち上っている赤い屋根の煉瓦の家にたどり着く。エレキモンの家には、どうやら大輔たち以外の訪問者が泊まるらしい。
ベビー達のご飯は、処理も調理もされていない生の魚まるごと一匹とか、固い殻に覆われた果物とかが見えてしまった大輔達は、
まともな食事にありつけるだろうか、ととっても心配していたのだが、エレキモンから訪問者の名前を聞いた途端、杞憂だと悟った。
いい匂いがしてくる。これは魚を焼いているのだろうか。昨日の夕食はマシュマロサンドと水だけである。今日にいたってはまだ何も食べていない。
さすがにグーグーうるさい腹の虫に我慢の限界を超えつつあった大輔達は、迷うことなく、ちょっと背伸びしてピンポーン、とインターホンを押した。
まだ元気があったならば、きっとピンポンダッシュとか意味のないイタズラを仕掛ける頭が回ったのだろうが、
もう腹が減りすぎて言葉少なになりつつある大輔達は、そんな意地悪をすることなく普通に玄関前に立っていた。
もしそんな事をしてしまえば、また相手を怒らせてしまい、家に入れてもらえなくなることは容易に想像できるので、即刻却下された。
彼らの懸命な選択は、かねがね正解と言えた。はーい、というお行儀のいい声と共に、がちゃりとドアを開けたのは一日ぶりの友人だ。

「エレキモンはいませんけど、どちらさ……」

ひょっこり顔を出した緑帽子の少年に、よう、と軽く会釈をした大輔、そしてヤッホー久しぶりとぶんぶん手を振るブイモン。
言いかけた言葉を紡ぐのも忘れて、まじまじと突然の訪問客をみた彼は、大きく目を見開いて、あ、あ、と大きく口を開ける。
おもしろいくらいに硬直している少年を疑問に思ったのか、どうしたのー、と少年の足元をくぐり抜けて、
よちよちと二足歩行でやってくるデジモンは、大輔たちを見るなり、全く同じ反応をして固まった。
まるで亡霊を見るかのごとくな扱いに、ちょっとだけショックを受ける大輔である。

「なんだよ、久しぶりに会えたってのに、その扱い。ひどいじゃねーか。どうしたんだよ、タケルもパタモンも」

どこまでも脳天気なお調子者の久しぶりの声を聞いたタケルもブイモンも、じわっと目頭が熱くなったのか、泣きそうな顔をする。

「ちょ、なんでお前らが泣くんだよ、大げさだなあ」

大輔の予想を遙か斜めに飛んでいく反応で、タケルとパタモンは迎えてくれた。
見当違いの勘違いをしてわたわたと慌てている大輔は、どうして集団行動を絶対視しているはずのタケルとパタモンが、
たった1コンビだけではじまりの街にやってきたのかなど、疑問に思うわけもなく、ヤマトさんに殺されるという恐怖に怯えている。
タケルとパタモンは、太一達と一緒に行動しており、たまたまはじまりの街に辿り着いたところに合流できたのだろうと思ってやまない。
洋館からなっちゃんの世界に迷い込んだ大輔達は、昨日の夜からタケル達に何があったのかなんて、全く知らないのである。
泣くなよ、と戸惑いと困惑に翻弄されながら狼狽しきっている大輔には、全く事情が把握できない。訳がわからない。意味不明である。
タケルだけでなくパタモンまで泣きそうになるなんて、相当ヤバい事態であることくらい大輔にもわかる。
ドアをばーんと勢い良く空ける音がして、びくりと肩を揺らした大輔に待っていたのは、泣き崩れるタケルの姿である。
ぎょっとした大輔はこっちが泣きそうだよ、と思いながら、どうしたんだよ、と慌ててタケル達のもとに駆け寄った。
タケルが本気で泣き出すところなど見たことがない大輔は、とりわけ人前に涙を見せるような性質ではないと知っているため、
あまりにもかけ離れすぎた突発的な行動には、もう白旗ぱたぱたのお手上げ状態だった。
タケルがそんな大輔の様子を見て、ぐしぐしと涙をぬぐいながら言葉を荒らげた。

「大輔君のばか!今までどこに行ってたんだよう!急に居なくなっちゃうから、みんなで探したのにいないから、突然消えちゃうから、
ほんとに、ホントに心配したんだからね!なんでなんにも言わずにどっか行っちゃうんだよう!僕達友達でしょ?酷いよーっ!
みんな、大輔君達のコト傷つけちゃったから、どっか行っちゃったのかとか、デジモンに攫われちゃったのかとか、ホントに心配したんだからね!
僕が大輔君のこと、嘘つきだって言ったから、怒ってどっか行っちゃったのかと思ったんだから!大輔君たちのこと信じてあげられなかったから、
ホントにどっかに連れてかれたんじゃないかって、すっごく怖かったんだ!僕が一人ぼっちになることが一番怖いの知ってるくせにーっ!大輔君のばかばかばか!」

一気にまくし立てられても、全然状況が飲み込めない。
とりあえず、うんうん、と大きくうなずいているパタモンやひたすら言いたいことがループしているタケルの混乱迷走ぶりから、
大輔とブイモンがいなくなってから、みんなが心配して色々と手段を尽くして探してくれたことは分かった。
大輔もブイモンも顔を見合わせる。そして小さく頷いてから、迷惑をかけてしまったことを謝罪する。
ただいま、と笑った大輔に、こくこくと何度も頷いたタケルは、おかえりなさい、と返した。
ほっとしたせいか、タイミングを見計らったかのごとく、大輔とブイモンの腹の虫が騒ぎ始める。
きょとんと顔を見合わせた一同は、まばたき数回、なんだかおかしくなって笑ってしまったのだった。
エレキモンの家で、久しぶりのまともな食事にありついた大輔達は、食器を洗って片付け、ソファに座る。
そして、お互いがどういった経緯でこのはじまりの街に辿り着いたのか、話しあうことになった。


大輔とブイモンがいなくなったことに気付いた太一達は、大輔とブイモンが怪奇現象の件で孤立を深めつつあることを知っていたから、焦った。
小学校2年生のくせに、やたらと自立心に溢れ、積極的な行動をとる大輔は、思い込んだら一直線に突っ走ってしまうことをみんな知っている。
追い詰められた大輔が取るであろう行動なんて、全然予想することができないのである。
太一達に愛想を尽かし、自暴自棄になってブイモンと一緒に飛び出してしまったのかと思って、洋館の周囲を捜し回る。
洋館に勝手に上がりこんで、持ち前の好奇心旺盛な本能に従って、勝手に探検を始めているだけかも知れない、と思って洋館中駆けまわる。
とうとう夜になっても見つからない現実に直面した太一達は、大輔とブイモンの危機を予感してしまう。
デジモンに攫われてしまったのかと思われたが、進化の疲労でろくに立てない有様のデジモン達の代わりに、唯一元気だったパタモンが証言した。
みんな以外の気配は感じないし、物音ひとつしなかったと。屋敷中をうろついた太一達が誰一人として大輔とブイモンをさらう現場を目撃しないのはおかしいし、
いざとなったら何がなんでも抵抗して助けを求めるのが大輔である。そうやすやすと誘拐されるとは考えづらかった。
そして大輔達の最近の行動や言動でおかしなことがなかったか、という推理パートにおなじみの情報集めが始まったとき、
ようやく彼らは、大輔とブイモンの冗談だと聞き流していた怪奇現象に思い至り、誰一人としてまともに取り合っていなかったことに気づいて、戦慄する。
とりわけ大輔の必死の訴えを戯言として流していた太一とアグモン、そして大輔に嘘をついてはいけないよと結果的に見れば見当はずれの注意をしたタケル、
パタモンのうけたダメージは尋常なものではなかった。どうしよう、という混乱が子供たちに広がっていくが、全然証拠も状況もわからないので、どうしようもない。
そして気まずい雰囲気が流れ始めた頃、誰かのお腹の音が間抜けに響いた。思わず笑ってしまった一同は、みんな疲れていて、お腹がすいているコトにようやく気づく。
大輔とブイモンが心配なのは分かるが、みんながみんな、オロオロしていてもどうしようもない。もう遅いし、この洋館で泊まろうという方向でまとまったのだ。
タケルが話す洋館の構造は、なっちゃんの洋館とそっくりである。変な符合に不思議を覚えながらも、天使の絵画が飾ってあったという違いだけが妙に引っかかる大輔は、
とりあえず話だけは全部聞きたいので、疑問は先送りして、先を促した。

思いがけない事態が起こり、警戒感も疲労でガタ下がりしてしまった一行は、次々と歓声を上げる。
おいしい料理に温かい大浴場、それにフカフカのベッドまで用意されていたのだ、おもちゃの街以来のまともな衣食住が保証されている。
漂流生活を送っている子供たちには、思いがけない幸運だったのだ。
料理のくだりに反応したのはブイモンである。肉や魚、果物、パン、スープという子供たちが発想できる豪華な食事があったというのだ。
タケルやパタモンが美味しかったねとやたら具体的にしつこい位に細かく説明するものだから、さっきご飯を食べたばかりだと言うのに、
またお腹が減ってきてしまう気がして、いいなあ、とブイモンは喉を鳴らした。
そして、みんなで10個あるベッドルームで眠ったら、大変なことになったといったんタケルは言葉を切った。

それというのも、それはすっかりみんなが寝静まった頃に起こったことであり、気がついたときにはそれに巻き込まれていたタケルとパタモンは、
イマイチよく分かっていない。大輔たちに説明しようとしても、結局話せるのは自分たちが経験したことだけである。
気がついたらベッド以外は洋館が跡形もなく消えていて、デビモンというブイモンも知っている悪いデジモンが現れ、
子供たちの乗っているベッドをそのまま中に浮かせたというのだ。
振り落とされないように捕まるのに必死で、デビモンと太一、アグモンがなにやら喧嘩をしているようだったが、その具体的なやりとりまではわからない。覚えていない。
タケル達が覚えているのは、大きな満月を背に翼を広げて高笑いするデビモンのシルエットだけであり、ベッドがみんなバラバラに空を飛び、
みんなと離れ離れになってしまったという事実だけが残された。

タケルとパタモンはふたりぼっちである。ヤマトたちとはぐれてしまった寂しさに耐え切れず泣き出してしまうタケルを見て、
優しいパタモンはバードラモンのように進化して飛べない自分を嘆いて泣いたらしい。驚いたタケルは泣き止んで、パタモンと一緒に笑った。
この世界にきて初めてお互いしか頼れる存在がいないという状況下に置かれたタケルとパタモンが、
今まで以上に仲良くなるのは早かった。
とりあえず、ムゲンマウンテンが見える方向を目印に、ひたすら歩き続けた。そして辿り着いたのがはじまりの街ということである。
エレキモンとのちょっとした誤解から喧嘩になってしまったので、バトルを開始してしまったパタモンにタケルは困り果てる。
大輔との3度に渡る喧嘩と仲直りの経験は、タケルからトラウマとも言うべき争いごとと対立に対する異常なほどの恐怖は払拭してくれたが、
戦闘というものには未だに抵抗感があるタケルは、ベビー達が怖がっているという理由を盾に制止させた。
子どもの喧嘩は仲直りできる、と学んだけれども、大人の喧嘩はすぐにごめんなさいすることができないのだ。みんなタケルの前から居なくなってしまう。
それなのにパタモンもエレキモンも、お互いがガキ扱いされることに怒っていて、大人は自分だと言いはるのである。そして戦闘する。
タケルの中ではまだまだ心の奥底に刻まれた怖いことを再現しようとしてくるのだ、たまったものではない。
結局、タケルの思いついた綱引きによりパタモンが勝ち、エレキモンと仲良くなることができて、泊まって行けと言われたというわけだ。

大輔くんは?と言われたので、大輔はタケル達に聞かせることにした。
パートナーを探して4年間一人ぼっちで生きてきた可哀想な女の子、優しいと言ってくれた女の子、大好きだと言ってくれた女の子、
自らデジコアを粉砕してデータチップを撒き散らし、自分で自分を傷つけて寿命を縮めてしまった可哀想な女の子デジモンの話をする。
はじまりの街に帰りたいという約束も無事達成できたから、また生まれてくるから、その時にはまたこの街に会いに来るつもりである。
そう締めくくった大輔が見たのは、なっちゃんの境遇を今の自分と重ね合わせたのかうるっと来ているタケルとパタモンである。
そして、大輔が居なくなってしまったために、言いそびれてしまった遅すぎる謝罪をしたのはタケルとパタモンだった。

「気にすんなよ、お互い様だろ。だって俺達がいなくなってからのことなんて、全然考えもしなかったもんなあ。
そっか、みんな心配してくれたんだ。よかった」

「あたりまえだよ、大輔君もブイモンも、大事な大事な友だちだもん。みんな心配するよ」

「だって、だーれも信じてくれなかったじゃねーか、本気で泣きそうだったんだぞ」

「うん、本当にごめんね、大輔君にブイモン」

「まー、分かってくれたんならいいや。タケルもパタモンもいきなりみんなとはぐれたのは一緒だろ。
ホントにあえてよかったなあ」

「うん、ホントにそうだよ。パタモンも一緒にいてくれたけど、やっぱり不安だったもん」

ね?と隣のソファで寝転がっていたパタモンに話題を振ったタケルは、え?と一瞬悲しそうな顔をしたパタモンを見た。
あれ?とタケルは思ったのだが、パタモンはうーうん、なんでもないよと笑って、すぐにタケルに同意してくれたので忘れてしまう。
タケルは1日ぶりに再会できた友人との会話のほうに一生懸命になってしまう。
タケルにとって、一番大切なヤマトお兄ちゃん、他上級生組は自分たちを守ってくれる頼りになる存在である。
大輔とブイモンは、彼らとはまた違ったつながりを持っている友達であり、毎日忙しいくらいにいろんなコトをしている対等な関係である。
それに加えて、タケルはまだ無自覚だが、少しずつ大輔のことをライバル視しつつあり、ちょっとずつ頑張って競うことを緩やかに促す存在であり、
話を聞けばとうとうブイモンが進化してしまったと言うではないか。さすがにちょっと悔しいと思ってしまったタケルである。
じゃあパタモンはと聞かれたら、タケルは大輔たちと同じ友達だと答えるだろう。実際に今日でずっと仲良くなれたことをタケルは友達と称した。
ただし、タケルの中では大輔よりもずっと自分に近い立ち位置にいる友だちである。
一緒に寄り添って歩いてくれるパートナーデジモンを、タケルは心の何処かで自分と同じような存在であると認知していた。
みんなの中では一番ちっちゃくて、頼りなくて、弱くって、それでもそれなりに一生懸命守られる立場を一緒に頑張ってくれる存在。
タケルの心理を一番理解してくれるのがパタモンだということが、なおさらそう思わせる。
大輔やブイモンはタケルとは正反対の立ち位置だから、言葉で伝えてもイマイチ伝わらない感覚や意識をパタモンは掬いとってくれる。
タケルが一番自分に素直になれるのは、ちみっこい存在であるからこそのパタモンなのは、間違いなかった。
パタモンも意外と人をよく見ているようで、言葉をかわさなくってもタケルの言いたいことを分かってくれるし、
タケルもパタモンのいいたいことは全部分かっているつもりになっている。だっておんなじだから。
だからなのかもしれない。パタモンがエレキモンと喧嘩をしてから戦闘をしたことがショックだったのは。
タケルにとってパタモンは一緒に寄り添ってくれる弱い者仲間であり、対立や戦闘を好まない性質のタケルのことを誰よりも分かってくれるのに、
くれている筈なのに、タケルがやめてよ!と叫ぶまで、ずっと喧嘩をやめてくれなかった。違う側面が見えてしまい、怖くなったのだ。
いつもなら、タケルがいいならいいよ、と柔らかく受け入れてくれる、必ず賛同してくれる味方なのにだ。
もちろん、タケルはパタモンに直接そうだよねと確認したことはない。だって会話すらいらない関係だから。そう思っている。
これは、お互いに無いものを補完しあう形で存在し、お互いに影響しあって成長していく他の子供達とパートナーデジモン達の関係性では、
絶対に考えられないようなつながり方である。
パタモンとタケルは心理的にはどうあれどこまでも立場的には同じような存在で、お互いがひっそりと寄り添いあって、
頑張っていくちょっと変わった関係だからこそ、タケルが結論を出した関係性である。
そうなったとき、パートナーが進化したことで着実に守る側へと成長していく大輔をうらやましいと思い、好ましく思うことは有れども、
よわっちい自分たちを歯がゆく思う気持ちを自覚するまでには、まだまだ時間を必要とした。
だから不安だったといった。だってタケルもパタモンも弱いから。
まだまだ大輔へのライバル意識が芽生える兆候が見えはじめたばかりのタケルは、よわっちい自分を自覚していて、
守ってくれる存在があまりにも充実しすぎているせいで、今の立場で満足してしまい、これから先が浮かばない。
パタモンがはやく進化しないかなーとは思うものの、そこまで求めてはいなかった。
だってパタモンが進化したら、よわっちいのは自分だけになってしまうではないか。そんなの嫌である。
パタモンの進化について考えたことはあったけれども、そこまで本気で考えてはいないタケルが想像するデジモンが、
やる気のない、へんてこで、おもしろくて、笑っちゃうようなのばっかりだったのはそれが理由だ。
パタモンはすっかり怒ってしまい、そんなデジモンに進化するくらいなら二度と進化しないと言ったけれど、
タケルからすれば進化はわりとどうでもいいので、えーそんなにイヤあ?と軽く流した。
真剣に怒っているのに、とパタモンが落ち込んでいた本当の意味をタケルはまだ知らない。
タケルはとりあえず、大輔とこれからをどうするかで作戦会議中だ。

「ムゲンマウンテンに登って、デビモンに会いに行こうよ、大輔君。お兄ちゃん達をどこにやったのか、聞かなくっちゃ」

「そーだなあ、エクスブイモンになったら空飛べるし、タケル達も一緒に行けるよな?」

「うん、大丈夫だよ。もし強いデジモンが襲ってきたって、オレがやっつけてやるんだ」

「よかった。僕とパタモンで明日出かけようねっていってたんだけど、どうしようかなーって思ってたんだ。
ムゲンマウンテンにいくには、海を超えなくっちゃいけないんだ」

「え?なんだよ、それ。孤島じゃなかったっけ?」

「なんかね、起きたら島がバラバラになってたんだ」

「えー、まじでか、何があったんだよ」

「さあ?」

大輔もタケルもデジモン達もまだ直接デビモンというデジモンについて、悪いデジモンであるという情報しか知らない。
目撃したはずのタケルも太一とアグモンがデビモンと言い合っていたように見えただけだし、
ベッドでふたりぼっちの旅を強いられたけれども、直接攻撃されたわけではなく、何か理由があるのかもしれないと思って、
そこまで深刻に考えてはいなかった。なにせ、今まで黒い歯車で操られていたデジモン達としか会ってないのである。
デビモンだってそうかも知れない、と連想するのは無理もなかった。
大輔にいたっては、まずデビモンがどんなデジモンなのかすら分からない状態である。
置かれた状況はなかなかに困難極まりないものの、情報の乏しさと状況を冷静に理解する知識も経験も無い二人には、
ちょっと早かったようだ。

大輔はなっちゃんから聞いた、なっちゃん視点の情報しか知らないため、ますます実像とはかけ離れたイメージが形成されていく。
天使のデジモンは、なっちゃんが一人ぼっちで寂しくなると、進化して暴走して自分の寿命を縮めてしまうことを知っていながら、
毎日会いに来るという約束を破って、ある時を境に全く来なくなったのである。
天使のデジモンが来てくれるから寂しくない、と精神的に安定し、信頼し始めた頃にそんな暴挙をしたなんて信じられない。
それが結果的になっちゃんが死んでしまう原因になったと分かっている大輔は、その天使デジモンのこともちょっと許せないでいる。
デビモンはそんななっちゃんの前に現れて、大輔たちがこの世界にやってくることを知らせてくれた上に、大輔となっちゃんをあわせてくれたのだ。
なっちゃんの視点からみるとデビモンはまるでいいデジモンにしか見えない。
天使デジモンしかなっちゃんの世界のことを知らなかったはずで、なっちゃん自身それをちょっと不思議がってはいたものの、
天使デジモンがなっちゃんを危険だから閉じ込めていると教えてくれた衝撃でどうでも良くなっていた。
大輔はデビモンが天使デジモンから聞いたのだろうと考えているため、会いに行くというタケルの提案にはかねがね賛成だった。

「進化、かあ。なっちゃんと戦っちゃったんだよね?ブイモン」

「うん。でも大輔が、なっちゃんの助けてっていう声を聞いてくれたから、オレは迷わなかったよ」

「そっか。………進化って、戦うのと一緒なんだね」

もともと進化という必要性をそこまで重視していないタケルの中で、パタモンの進化にまたハードルが上がっていく。
進化するということは、パタモンがみんなの為に戦うということとイコールなのだと、この時初めてタケルは気付いた。
今まで進化と戦いはタケルの中では別のものとして存在していた。
アグモン達の戦いは観てきたけれども、やっぱり心の何処かでどこか遠い世界の話、自分には関係の無い話であると
無意識のうちに切り捨てていた情報である。無理も無い。いい子であるということは、いろんなことを諦める名人でもあると言うことだ。
そう考えたときに、嫌だ、という想いが込み上げてくる。
パタモンが傷つくこと、パタモンが傷つけること、なによりもタケルをおいてパタモンが背中を見せる立場になってしまうことは、
タケルに言いようのない恐怖を感じさせる。
タケルは何故かずっと黙ってうずくまっているパタモンを見た。寝てるの?と聞いたタケルに、パタモンはあわててあくびをして、
つまんないから眠たいよう、と笑った。そして涙を拭う。

「ねえ、パタモンもやっぱ進化したい?」

「………え?そ、そんなことないよ?タケルは進化して欲しくないんでしょ?だったら僕、しないよ。タケルが望まないなら。
それに約束したじゃないか、僕はこのままでいいって。ずっとこのすがたのまま、君のそばにいるって」

「うん! 約束だよ。ボクたち、ずっと友達だからね!」  

微笑みあうタケルとパタモンに、ブイモンがんー?と首を傾げる。

「パタモン、タケルを守りたくないのか?」

「…………タケルがいいなら、僕はこの姿のままでいいんだ。だって、ブイモンたちが守ってくれるでしょ?」

おう、まかしとけー、と大輔が笑い、タケルもよろしくねと笑う。
今にも泣きそうな顔をして笑っているパタモンに、ブイモンは納得いかなさそうな顔をして、再度問いかけるがパタモンは首を振る。

「なんでおんなじ友達なのに、こんなに違うんだろうね、ブイモン」

パタモンの小さなつぶやきが、笑い声に溶けていった。






[26350] 第二十六話 天使と悪魔の表裏一体性について
Name: 若州◆e61dab95 ID:71f981f0
Date: 2011/04/10 02:43
ゴーグルを付けた短髪の子どもが、後ろから青と白のシマシマのアンダーとジャケットを引っ張るパートナーデジモンに呼ばれて振り返る。
なにやら相談事があるらしく、外に出たいと玄関を指さすので少年は仕方ないなと肩をすくめて、先程まで会話していた友人にわりいと謝る。
いいよ、いってらっしゃいと手を降った友人は、ソファですっかり眠ったふりをしたまま引込みが付かなくなってしまったパートナーが、
ちらちらと窓越しに少年たちの後ろ姿を伺っていることなんて知らないまま、てっきり一足先に眠ってしまったのだと勘違いして時計をみる。
すっかり夜になってしまったが、未だに本来の家の住人は帰って来ない。
ふあ、とあくびをして少年たちを待つことに決めたようだ。外は昨日と同じ満月が輝いている。
外に出たゴーグル少年は、窓をしきりに伺っているパートナーにつられてのぞいてみると、目があった友人がどうしたの?と首を傾げる。
隣では、はっとした様子で慌てて顔を背け、うつ伏せのまま強く目をとじてオレンジの大きな耳で顔を覆ってしまったパートナーがいる。
何でもねーよ、と笑った少年はパートナーに引かれるがまま、ちょっとだけ辺りを散策し始める。月明かりが遠くにある積み木の塔を照らしている。
友人のパートナーデジモンの挙動に不審を覚えたらしい少年に、青きドラゴンが真剣なまなざしでなにやら説明し始める。
半信半疑で眉を寄せる少年だったが、やがて相棒の説明に何点か思い当たるフシがあったのか、次第に納得し始め、緩やかに賛同に向かう。
少し言い返す場面はあったものの、拳を握って力説する相棒に、腕を組んで考える素振りをした少年は最終的に頷いた。
その際、なにやら茶化すような事を言って笑い始めた少年に、むっとしたらしい相棒は言い返す仕草を見せたが、
うまく言い返せないのか少年のからかいに拗ねたように頬をふくらませた。

夜であるにもかかわらず、鮮明な光景を写しとっていた鏡に突如ぴしりとひびが入る。
どんどん深くなっていったかと思うと、ガラスが砕け散るような音がして、そのまま木っ端微塵に粉砕されてしまった。

「何故だ」

最敬礼しているオーガモンとレオモンが呼吸のタイミングや方法、仕方を忘れてしまう様な、禍々しい重圧が生まれる。
ごくりとつばを飲み込むことすらはばかられるような、厳粛かつ圧倒的な恐怖を本能に刻みこむような殺気は、
もはやプレッシャーの領域を超えて、この場にいるデジモンだろうが人間だろうが死にたくなる雰囲気を形成する。
静寂と沈黙があたりを支配する。己の心音だけが響いている。その音すらうるさいと感じるほどだ。気が狂いそうになる。
その空間の主は、まるで地獄の底から這い上がってきたかのような、戦慄の声色で言葉を紡ぐ。
それは激情のはらんだ、明確な怒り。

「何故生きているのだ」

蹂躙された鏡の破片が跡形もなく消えてしまう。鏡の主であるデビモンのウイルスに侵食され、そのデータを失ってしまった。
闇の洗礼を受け、デジコアを直接ウイルスで染め上げられてしまったため、廃人状態のまま支配下に置かれているレオモンは微動だにしない。
しかし、かつてこのファイル島を侵略しに来たスカルグレイモンを倒すため不本意ながらも共闘して以来、ライバル視していた歴戦の勇士が、
こうも呆気無くダークサイドに落ちる様子を目前で見て、その戦利品であるホネこんぼうすら叶わないと悟ったオーガモンは違う。
逆らうことが出来ずに自らの意志で服従したオーガモンは、初めて私的な感情を露呈したデビモンの豹変ぶりに違った意味で恐怖を抱く。
ムゲンマウンテンの主であるデビモンは、確かにファイル島において成熟期の中でも屈指の実力者ではあったが、
ここまで露骨にデジタルワールドの征服に野心を燃やし始めたのは、黒い歯車という完全体すら支配下における入手経路不明の力を手にしてからだ。
スキあらば計画を乗っ取ろうとしていたが、この様子を見ると下手をすればこちらまで抹殺の対象になりかねないと悟る。選択肢を誤ったが後の祭りだ。
黒い歯車の侵食はムゲンマウンテンからファイル島全土にまで及んでいた。
ムゲンマウンテン以外の全てのエリアに組み込まれた黒い歯車が作動し、一夜にしてファイル島は沢山の離れ小島と化してどんどんデータの海を泳いでいく。
そこに選ばれし子供とパートナーデジモンを孤立させることで、確実に戦力の分散と粉砕を狙った合理的な計画は、すでに瓦解の兆しを見せ始めている。
黒い歯車によって操られたデジモン達を大量に差し向けたが、選ばれし子供たちはその圧倒的な逆境を跳ね返し、デジモン達を開放し、
協力してエリアをもとの場所に戻すことに成功しているのはもうデビモンも把握しているはずなのに、不敵な笑みと余裕を崩さないのだ。
オーガモンから見ても明らかに、パートナーデジモン達は進化の都度に、そのレベルの戦力を保つ時間も伸びていて、進化の回数も劇的に増えている。
パワーアップをしているのは明瞭で、追い詰められているにもかかわらず、どこまでもデビモンは態度を変えなかったので、
その豪胆さとしたたかさと底知れない心情に気味の悪さすら覚えていたのだが、選ばれし子供の中でも最年少組を極端に警戒するのは大いに疑問である。
選ばれし子供たちはすでに最年少組を除いて皆合流を果たし、未だに海を漂流しているエリアを発見してからずっと向かっているのに、
デビモンの優先すべき驚異は相変わらずそちらに向けられているのだ。
それは、緑の帽子と服をきた金髪の子供とパートナーデジモンの中でも最弱の部類に入るデジモンに対して、
当初からオーガモンとレオモンをどちらも派遣するという計画があったことからもうかがい知ることができる。
オーガモンは知っている。鏡の向こう側にいるそのオレンジのデジモンを見るデビモンの目は、
憎悪を超えて不倶戴天の敵を見るような激しい何かを宿していた。
虎視眈々と計画を遂行していく主眼だけ重要視していたデビモンが、私的な感情を顕にするのはそのデジモンだけだと思っていたが、
どうやらそいつだけではなかったらしい。明らかにデビモンは何がなんでも抹殺する対象を広げた。
選ばれし子供はパートナーデジモンに力を与えるという面では驚異だが、デジモンさえ倒してしまえばただの子供は赤子をひねるより容易く始末できる。
そのため、オレンジのデジモンを無力化するという目的でパートナーの子供も標的になっているが、
デビモンは、明らかにゴーグル少年とパートナーデジモンを抹殺する対象として見始めたのだ。これは異常である。
見当はずれにも程がある幼稚で稚拙な推理と行動をしている最年少組は嘲笑の対象でしか無く、わざわざ敵陣に乗り込んでくるつもりならば、
盛大な歓迎会でも開いてやったらどうだ、とオーガモンは提案したから知っている。
黙れ、とデビモンは言ったのだ。絶対零度の眼差しは、イービル・アイを発動してオーガモンの動きを封じ込めた。
これは異常なほどの執念、執着を超えた何かがデビモンを突き動かしている証だ。感情によって能力を発動させるなど三流のやることである。
これは計画とは完璧に無関係な私怨だとオーガモンは確信する。
なぜなら、イービル・アイを解除してその場に崩れ落ちたオーガモンとレオモンに、デビモンがはっきりと宣言したからである。

「あのデジモンだけは絶対に進化させてはならない。そのためには、パートナーの子供を始末することが先決なのは変わらない。
しかし、貴様らは散々計画を失敗させてきたから、事情は変わった。私が行く。
貴様らは合流しようとしている選ばれし子供たちを確実に足止めし、始末しろ。最後のチャンスをやろう。
今回失敗したならば、我が糧として貴様らには死んでもらう。覚悟しておけ」

嘘だ、とオーガモンは確信した。建前などいくらでも用意できるが、司令塔を気取って今まで必要以上に姿を表さなかったこのデジモンが、
直々に抹殺するために赴くと宣言するのは、はっきり言って方向転換にもほどがある。
どうやらそこまでさせる何かがあるらしい。面白くなってきやがったぜ、とこっそり笑いながら、オーガモンはレオモンと共に姿を消した。
配下が去ったのを確認したデビモンは、満月を背にウイルスに侵食されてボロボロになってしまっている、漆黒の翼を広げて高笑いした。

「しくじったか、裏切り者め。最後の最後に情にほだされて、余計なデータまで消費するとはバカなやつよ。
選ばれし子供とデジモンを解放するために使ったエネルギーを自分の為に使えばデジタマにまで戻らなくとも良かったものを。
見ていろ、貴様が生き残らせた奴らと洋館もろとも心中したほうが幸せだったと、はじまりの街で懺悔するがいい」

オーガモンは抹殺の対象を最年少組であると判断していたが、デビモンの抹殺の対象は始まりの街にいるデジモン達にまで拡大されている。
それはなっちゃんを利用すると計画した時点で、デビモンの計画の中ではなっちゃんに関わりあった者は、
全て何がなんでも抹殺しなければならない対象として認定されるからである。
デビモンにとってなっちゃんの存在はどこまでも邪魔であり、この世界に生きていたという証すら残してはいけない存在である。
それは、完全なる私怨である。満月から、堕天使の影が消えた。



第二十七話 表裏一体



月明かりが穏やかに降りてくる夜道をのんびりと散歩していた大輔は、ブイモンと共にエレキモンの家まで帰る途中だ。
タケルとパタモンになんて言えばいいのだろうかとブイモンと相談しながら、まっすぐにうっすらと見える明かりを目指して進んでいく。
夜行性の大型デジモンと遭遇したとしても、まだ今日は一度も進化していないブイモンは、夕方まで眠っていたせいか元気がありあまっているため、
万が一のことが起こっても心配要らないという安心感がある。散歩と言っても、ほんの50メートルほど先をうろうろしていただけだ。
進化することが出来ないパタモンとタケルをほっとらかしなんて出来ないため、足には自信がある大輔たちがすぐに駆けつける事ができる距離だ。
もう20メートルを切っている。うまく話の切り出し方が見つからずに四苦八苦していた大輔達は、もうなるようになれとばかりにため息を付いた。
窓からタケルとパタモンがこちらに気づいて手をふっている。手を振った大輔は駆け出そうとした。
それを引き止める手がある。振り返った大輔は、一瞬顔をこわばらせて仰天し、すぐに警戒と戦闘態勢に切り替えたブイモンを見た。

「大輔、何かくるよ!避けるんだ!」

ぐいぐいと手を引かれ、つまずきそうになりながらも走りだした大輔が振り返ったときに見たのは、
先程までいた獣道に突如出現した不気味な模様が禍々しい光沢を放ちながら広がっていく光景である。
どんどん範囲が拡大されていく。追いかけられる形で必死に走る大輔は、なんだよこれ!と叫んだ。
ブイモンはその模様がエレキモンの家からなるべく遠ざかるように、懸命に元きた道を突っ走っていく。
タケルとパタモンが大輔達の突然の行動に驚いて窓から外を覗き込むのが見える。
異常事態を察知したらしく、タケル達は玄関に向かったのか、窓から姿が見えなくなる。
あのバカ、何やってんだ!家でじっとしてろよ、見つかるぞ!隠れろと言いたいが、叫んでしまったらタケル達が危ないから言えないもどかしさ。
大輔の真後ろで、完成した魔方陣目掛けて無数のレーザーが炸裂した。まぶたに残像が残る。ぎゅーっと目をつぶって瞬きを極力押さえ込みながら、
大輔は再び展開され始めた魔方陣の主を捜すべく、レーザーが飛んできた空を見上げた。
満月を背に空に佇んでいる影があった。喉元を引き裂いてしまいそうな爪をもつ腕が膝まで届きそうなほど長い。
そして、人のような姿のシルエットからは、ボロボロに穴が開いた真っ黒な翼が広げられている。

「デビモンだよ、大輔!」

うそだろ、という言葉が漏れる。すぐ後ろではレーザーに焼き尽くされたところから、風に乗って草の焼けた匂いが漂ってくる。
どんどん魔方陣の展開する速さは早くなっている。このままでは追いつかれてしまう、と悟った大輔は、胸元で飛び跳ねているデジヴァイスをかざした。

「行けるよな、ブイモン」

「うん、いつでもオッケーだよ!」

「お前の背中、また借りるぞ!」

「まかしといて!」

大輔とブイモンの足元にまで侵食してきた魔方陣にレーザーの雨が降り注ぐその刹那、
デジヴァイスからダウンロードされたデータがブイモンを構築しているデータを迅速な速さで分解、スキャン、再構成をする。
光から現れたエクスブイモンに飛び乗った大輔は、ぎりぎりでデビモンの得意技であるレザーウイングをかわして、一気に駆け上がった。

「いきなり攻撃してくるなんて危ないじゃねーか!何すんだよ!」

不敵な笑みを浮かべるだけで、終始無言のデビモンは真っ赤な目を細めて大輔たちを見下す。
初対面したデビモンは、大輔がなっちゃんから聞いていた通りの文字通り悪魔を彷彿とさせるような姿をしている。
ゲームでよくある単純な二元論で語られる善悪の悪のイメージをかき集めて、カタチを作って、色を塗ったような奴だ。
もし事前情報がなかったら、きっと勘違いしていたに違いない。デジモンも人も外見で判断できないものだと学んだ大輔は、
気圧されるコト無く、デビモンから感じられる殺気やプレッシャーをはねつける。
大輔は気付かない。正しい情報をなにひとつ与えられていない大輔とブイモンは、完璧にデビモンを勘違いしていた。
デジタルワールドで初めて襲われたサイバードラモンが同種の恐怖を与えてきたから、黒い歯車で操られてしまったデジモンは、
本気で相手を圧倒的な暴力による蹂躙で抹殺しようとすることもあるのだと知ってしまっていたから、勘違いしていた。
デビモンはあくまでも黒い歯車によって操られているだけであり、ブイモンが言っていたもともと狡賢くて凶暴な性格が、
ますます暴走しているだけなのだろうと思い込んでいる。
実際、ブイモンやパタモンが知っている悪いデジモン、ムゲンマウンテンの主としてのデビモンは、
確かに狡賢くて凶暴だが、知性がとても高いため無益な戦いはせずに、計略と謀略で頂点に君臨しているようなデジモンだったから、
触らぬ神にたたりなしといった感じで、わざわざ関わり合いにならなければ害にも薬にもならないような存在として知られていた。
そうでなければファイル島において、他のデジモン達に悪いデジモンだ知られることがまずありえない。今まで棲み分けることができるわけがない。
なによりもこのデジタルワールドが、成熟期が中心に生息していて、完全体が少数のエリアであるファイル島で、
そもそもデビモンが生きることを許すはずがないのである。もっと相応しい場所を選ぶはずだ。
だがその情報を大輔に提供したブイモン達は、その情報自体すでに古いものであり、
このデジタルワールドが危機に陥っていることは知らなくても、おかしくなっている現段階に置いて、
全く役に立たなくなっており、むしろ信用したがためにいろいろとひどい目に会ってきたことをすっかり忘れてしまっていた。
無知であるがゆえの行動は、どこまでも無謀でしか無い。

大輔は慎重に黒い布に身を包むデビモンから、黒い歯車がどこにあるのかを捜そうと目を凝らしてみるが、さっぱり見当たらない。
おかしいぞ、と違和感を覚え始めた頃、デビモンがおもむろに両手を広げてエクスブイモンの前に立ちはだかった。

「デビモン、アンタに聞きたいことがあんだ。なっちゃんをあの世界に閉じ込めた天使のデジモンってどこにいるんだよ」

「フ、フフ、フハハハハハハハハハッ!」

大輔とエクスブイモンは、突然狂ったように笑い始めたデビモンを見て絶句する。
高笑いするデビモンはどこまでも嘲笑の眼差しで大輔たちを見つめてくる。
そして、その耳を塞ぎたくなるようなゾクゾクとする囁きが、大輔たちを凍らせた。

「なんたる無知!愚かなる選ばれし子供よ、その愚鈍さを呪うがいい!」

デビモンの腕が突然大輔の体から生えてきたかと思うと、鈍色の光沢を放つ真っ赤な爪が深く深く大輔の首に食い込んだ。
突然の奇襲にぎりぎりと首を閉め挙げられた大輔は、呼吸することも叫ぶこともままならないまま、持ち上げられていく。
大輔はここでようやく悟る。このデビモンというデジモンは、本気で大輔たちを抹殺しに来ているのだと、殺しに来ているのだと、
初めて現れた敵なのだと、倒さなくてはいけない存在であり、説得や解放といった手段は通用しないのだという無情な現実を知る。
じたばたと暴れる大輔が、エクスブイモンの体から離れて中に浮いていく。
大輔っ!と叫んだエクスブイモンは、大輔をはなせええ!と叫んで異空間に沈ませている右手目がけてエックスレイザーを発射する。
しかし、そこにデビモンの姿はない。どこだと懸命に捜すエクスブイモンの目前で、デビモンが大輔の首を締めながら、高笑いをしているのが目に入った。
てっめえ、となっちゃんを騙していたのはこいつなのだと気づいて睨みつける大輔に、一瞬だけ浮かんだ恐怖と絶望を笑う。

「冥土の土産にいいことを教えてやろう、愚か者よ。そんなデジモンなどこの世界には存在していない」

「なっ!まっさか、おま、天使のデジモンをっ」

「いないといっているだろう!」

「うわああああっ!」

大輔!とエクスブイモンは叫ぶが、大輔を人質にとっている以上、盾にされかねない位置にいるパートナーを巻き込んでまで、
必殺技も得意技も打つことは出来ない。もしその爪が大輔の喉元を掻き切ったら一瞬で小さな命は終わってしまう。
天使のデジモンという言葉に過剰反応するデビモンは、違和感に満ちている。
まさか、そんな、うそだろ、と脳裏をよぎっていたものの、今まで幾度も却下してきた事実が信ぴょう性を帯びてきて、
大輔は否定して欲しくて、違うと言って欲しくて言葉を紡ぐ。
大輔たちに絶望を与えるのならば、天使のデジモンはすでにデビモンによって抹殺されており、なっちゃんに語ったことはすべて虚構だと言えばいいのだ。
そしたら大輔はもちろんエクスブイモンも、デビモンをイイデジモンであると感謝しながら死んでいったなっちゃんが、
完璧に利用され、死んでしまったのだというあまりにも残酷な事実を目の当たりにして、確実に絶望することになる。
なのに、初めからそんなやつはいないのだということを事実のように振りかざすのだ。このデビモンというデジモンは。
みしみし、と声帯がやられていくのを感じながら、激しく咳き込んだ大輔は、それでも屈せずに叫んだ。

「まさか、お前、が、天使の、デジ、モン、だったって、いうのかよ!」

嘘だと言ってくれ、と祈りにも似た叫びだった。おかしいとは思っていたのだ。
この世界から遣わされた天使のデジモンしか、なっちゃんの世界のことは知らないし、なっちゃんの世界を自由に出はいりできない。
なっちゃんは自分の理想を拒絶し続けてきた他者という存在を極端に恐れるようになっており、それは猜疑心と疑心暗鬼に満ちている。
もし自由にデジモン達が入るように出来ていたら、他者恐怖症でありながら寂しがり屋の彼女は、きっとデジモン達を傷つける。
だからこそデジタルワールドから切り離した箱庭、揺りかごの中で緩やかな更生をする日々を送っていたのだから、意味がなくなってしまう。
天使のデジモンを抹殺したという言葉が聞けないことは、ますます大輔とエクスブイモンを動揺させた。
大輔の言葉を聞いたデビモンは、興奮した様子でその血走った目で大輔を見下した。

「やはり貴様らには死んでもらおう。この世界に、忌わしき屈辱の歴史を知る者などあってはならないのだ!
私はデビモン!いずれデジタルワールドの頂点に君臨する者として、光に屈し、自由を知らぬ愚か者だった事実など、
今の私には必要無いのだ!」

デビモンの衝撃的な発言は、ますますエクスブイモンに攻撃を躊躇させることになる。
かつて、なっちゃんの為に揺りかごを用意して、共に更生の道を援助すると約束した天使と、
この目の前にいるなっちゃんを死に追いやるキッカケを与えた堕天使が同一のデジモンであるなど、誰が信じられるだろう。
もちろん、大輔やエクスブイモンの反応を見ての計画犯であるデビモンは、見せつけるように大輔の声を枯らす。
デビモンがかつて下級レベルの天使であったこと、自ら望んでダークサイドに落ち、デビモンとして誕生したという事実は、
デビモンにとって誰にも知られることは許されない。絶対に。
こんなことを知っている存在の抹消は、かつての同族であったエンジェモンに進化する可能性を秘めているパタモンよりも、
遙かに優先度を超えてしまう。なぜなら闇と光は背反し、悪と善は背反するが、実は境界が限りなく曖昧だとこの子供は気づいてしまったのだから。
デジモンはネットやパソコンに存在するデータをもとに実体化した存在である以上、人間が育んできた思想や宗教概念も色濃く反映されている。
悪と善は常に表裏一体だった。人間が想像した存在を反映しているのだから、どこまでも人間臭いのは当たり前である。
神が存在しているのに悪がなくならない理由付けのために生まれたのが、堕天使でありアクマであり魔王である。
かつて神に並ぶ存在だった天使が、簒奪を試みて世界で最初の地獄の住人になったのが悪の根元である。
数が多くなりすぎたという理由だけで、天使は簡単に堕天するし、悪魔は簡単に天使となる。
もともと他の思想や信仰を排除して自分たちの考えを反映させる人間の歴史の中で、排除されたのが悪魔になり、取り込まれたものは天使になった。
それが実体化して生きているのがデジタルワールドなのである。
デビモンにとって、自分は悪であり闇である。背反する立場だった過去など絶対に知られてはならない。
かつて規律と調停を重んじる厳格な戒律の中で最下層として存在していたこと、完全なる善の存在を盲目的に信じて服従していたこと、
他する思想や存在を一切認めずに相手の存在を完全抹消させることに対して、何の疑問も持たずに生きていた無知で無学で愚か者で、
何よりも自由という存在が存在しなかったことを思い出させる屈辱的な過去である。
レオモンやオーガモンに任せておけるわけが無いのである。何としてもこの子供とデジモンだけは抹殺しなければならない。
たとえこの世界を征服することが失敗したとしても、デビモンはきっと大輔たちを本気で殺しに来るだろう。

呼吸困難になり始めた大輔は、次第に意識が朦朧としてきたのか、クラクラとしている。
悲痛なエクスブイモンの叫びが聞こえる。デビモンが確信に満ちた笑みを浮かべたとき、それは起こった。

「ゴッドタイフーンッ!!」

突如発生した竜巻が、デビモンだけでなく大輔もろとも巻き込まん勢いで迫ってくるではないか。
避けるために大輔を放り出したデビモン。その隙を見計らってエクスブイモンがあわてて大輔を抱き抱える。
助けるためとはいえ、いくらなんでも大輔が怪我をするかもしれない攻撃を平気でしてくる存在がいるなんて信じたくはなかった。
しかし、エクスブイモンは、どこかで予兆を感じ取っていたので、振り返って、やっぱり、と思ってしまう。

「なあなあ、大輔、オレ、パタモンは本当は進化したいと思うんだ。
だって、パートナーを守りたいって思う気持ちは、パートナーデジモンはみんな同じはずなんだよ。
でもタケルはなんでか知らないけど、パタモンに進化してほしくないみたいだ。それってとってもおかしいことになるよ」

「なんでだよ?パタモンはタケルが言うんならいいんだっていってたじゃねーか」

「それがよくないんだよ。だって、オレ進化してみて、なっちゃんみてて分かったんだ。
進化って、きっと想いが産むんだよ。心から思った願いから生まれるんだよ。
大輔はオレに進化して欲しいって思ってくれたから、デジヴァイスでオレと大輔の想いが伝わって、進化できたんだ。
パタモンは進化したがってる。ずっと守られるってつらいんだよ?
パタモンにとっては、パタモンがいなくてもヤマトや太一やみんながタケルのことを守ってくれる、
今度はオレが進化できるようになったから、大輔が守ってくれるようになっちゃった。
パタモンは優しいから、タケルにずっと言わないで我慢してるからあれだけど、
オレ達にとって、大好きなパートナーから頼りにされないって、すっごく辛いんだよ、大輔。
オレ、すっごく辛かったんだ。大輔は全部一人で決めちゃって一人で進んで一人でなんでも出来ちゃうから、
オレいらないんじゃないかって、すっごく悩んだんだもの。
大輔はパートナーデジモンとしてオレを大好きだって言ってくれたから、もうオレは迷わないでいられるけど、
それまでは嫉妬しちゃったり、大輔が他の人と仲良くなるのを邪魔したり、結構いろいろしてたんだよ、オレ。
でもパタモンは、なんにも言わないで、なんにもしないで、なんにもできないで、ただじーっとタケルと一緒にいるんだ。
それって、とっても残酷なことだよ」

「なあ、もしパタモンの気持ちが爆発しちゃって、進化したらどうなるんだ?」

「さあ?でも、とっても怖いことになるのは間違いないと思うんだ、オレ。
だって、なっちゃんみて分かっただろ?大輔。デジモンって本当は一人で生きていくのが当たり前なんだよ。
家族なんていないし、姉弟なんていないし、ピョコモンみたいにみんなで生きていくデジモンもいるけど、
普通は同族で生きて行くのが当たり前なんだ。オレだってこんなことがなかったら、きっとパタモンたちと会うことなんて絶対になかったと思う。
でも人間は違うでしょ?家族がいて、友達がいて、知り合いがいて、沢山の関係をもって生きていくんでしょ?
大輔とパートナーになった時点で、きっとオレは普通のブイモンとは違ってると思うんだ。
本能で生きてるブイモンとオレはきっと進化のあり方も違ってるんだよ。
もし、オレがデジヴァイスを通して、大輔と想いを通じ合わせて進化できなかったら。
普通のブイモンみたいに進化することと同じだと思うんだ。それって、きっと本能でいきるエクスブイモンと同じだよ。
大輔、怖くない?進化したら、オレがなんにもしゃべってくれなくなったら、エクスブイモンになったオレを怖がらないでいてくれる?」

「あー………そっか。そーだよな」

「だろ?エアロブイドラモンになったオレが怖くなかったのも、オレがしゃべったからだよね?
パタモンが何に進化するかなんて、進化してみないと分かんないけどさ、タケルもパタモンも傷つくよ。
きっと、その進化の先にいるのは、パタモンじゃない、全然違うデジモンだと思う。
いこう、大輔。このままじゃ、きっと、大変なことになる」

「おう、わかった。急ごうぜ。あー、でもなんて切り出すんだよ、ブイモン。
タケルのやつ、いろいろ大変だったから多分パタモンに戦ってほしくないんだろうし、
パタモンは今のまんまでいいっていってる状態なんだろ?どうすんだよ」

「あーそっか。どうしよう?」

「俺に聞かれてもわかんねえよ」

そこにいたのは、パタモン時代に蓄積された負の感情を、完全な善の存在であるがゆえに認めることが出来ずに、
自らが信仰する正義の為に、いかなる手段を使ってもデビモンという悪の存在を完膚なきまでに叩きのめすために生まれた天使がいた。
自分の存在理由と背反する感情を抱く矛先であるエクスブイモンと大輔にも、刃を向けようとする、現実世界の下級天使の本質を投影した、
エンジェモンがそこにいたのである。

デジモンデータ
エンジェモン
レベル:成熟期
種族:天使型
輝く6枚の翼と純白の衣を身につけた下級レベルの天使型デジモン。完全な善の存在で、幸福をもたらすといわれている。
しかし悪に対してはとても厳しく、相手が完全にデリートされるまで黄金に輝く拳を繰り出し、決して攻撃を止めようとしない。
あの「デビモン」も以前は「エンジェモン」タイプのデジモンだったらしい。
「エンジェモン」はまた、デジタルワールドが誕生間もない頃、デジタルワールドが危機に陥った時に仲間を率いて降臨したという説も残っている。

進化の際に光に飲まれてしまったパタモンの意識がエンジェモンにあるのかどうかは、エクスブイモンには分からなかった。



[26350] 第二十七話 届かない声
Name: 若州◆e61dab95 ID:7b291483
Date: 2011/04/11 01:51
「ねえねえ、おかあさん。きょうりゅうがいたんだよ。すっごくおおきなきょうりゅうがね、すっごくおおきなとりさんとけんかしてたんだよ。
だから、こうなったんだよ」

もうずっと昔の話で、タケルもヤマトも覚えていない出来事がある。
まだタケルとヤマトが表面上は一般的なごく普通の家庭として、両親と共に暮らしていた頃の話である。
もう小学校1年生だったヤマトは、うすうす父親と母親の冷え切っていく関係性に気付き始めており、
それでも気づいてしまえばきっと家族は壊れてしまう、ばらばらになってしまう、と必死に現実から目を背けて、タケルのお兄ちゃんを「始めていた」。
新婚気分などとうに抜けきった家庭の中心が子供に緩やかに移り、夫婦は育児を通して初めての両親という立場を必死で学んでいき、
父親、母親という役割を務めることにゆっくりと変化していき、それでもそこに確かな気持ちがあるのが一般的であるとされる。
しかし、もうすでに夫婦が共にある理由が、2人の幼い兄弟がいるからというただ一点の言い訳に使われ始めたとすれば、
教育、世間体、金銭面、仕事、家族、親戚、という様々な理由を作るための枷として利用され始めたとすれば、それはとても悲しい現実だ。
まだ4歳だったタケルは、そんな事知らないまま、小学校1年生のヤマトとある日、大きな大きな恐竜を見た。
物心が付いていたヤマトは、もちろん夢かもしれないそんなことをわざわざ両親にいうなんてことしない賢さが身についていたが、
タケルはそうではなかった。
1994年のある日、それは後に光が丘テロ事件と呼ばれる出来事が日本を震撼させた、衝撃的なニュースの渦中にタケルの家族が巻き込まれた日だった。
一夜にして光が丘の集合住宅地にある高層マンションを中心に、まるでテロ事件が発生したかのような無残な光景が広がっていたのである。
原因は不明、犯行を行ったテログループの声明もなし、警察の威信をかけた捜査も空転、結局迷宮入りしてしまった事件であり、
そのマンションの住人たちはマスメディアに翻弄され、世間からの好奇の目に晒されるハメになった。
もちろんほとんどの家庭は光が丘の高層マンションを引き払い、別のマンションに引っ越してしまうことになる。
マスコミ関係者だった父親、名のある小説家だった母親は世間に顔が知られている、いわば有名人一家であったタケルの家は、
まだ幼いタケルはまるで理解できなかったが、まちがいなくその出来事による一連の忙殺が家族の亀裂を決定的にしたのは間違いなかった。
テロ事件に巻き込まれた有名人一家、というマスメディアの恰好の餌食にされたことで、もともとお互いの仕事に関する姿勢や仕事内容、
家族に対する考え方など、様々な問題が一気に夫婦間に噴出してしまったのである。不慣れな対応を強いられた夫婦は、もう疲れきっていた。
毎日、仕事と家庭の両立、マスコミからの執拗なプライベート追求や無遠慮なまでにずかずかと家庭環境の不和を取りざたされ、
それらから何とか子供たちを守ろうとしていた、キャリアウーマン、いわば自立した女性として知られた母親が、
テロ事件という渦中に突き落とした忌々しい夜のことを、愛しいわが子がそんなふうに表現したらどうなるか、いうまでもなかった。

「ああもう、またそんな空想と現実をごっちゃにして。一体誰に似たのかしら」

その瞬間、タケルにとって、おおきなきょうりゅうさんとおおきなとりさんの喧嘩は、夢の世界の出来事として、
遙か記憶の彼方に忘却していくことになる。
やがて夫婦は離婚し、タケルは母親に引き取られ、父親に引き取られたヤマトがいるお台場の高層マンションから遠く離れた、
世田谷区にあるマンションに住居を移すことになった。
シングルマザーという言葉が書籍によって流行語になり一般化してから、まだ10年しか立っていないような時代である。
今まで家庭安全神話が当たり前とされ、不可侵領域とされていた、タブー視されていた家庭内に存在する様々な問題が、
芸能人などのブラウン菅テレビの向こう側の世界ではなく、一般の家庭ですら起こり得ることに日本中の人々が気付き始めた。
学校もいじめや不登校という問題があり、決して子供たちにとって絶対視できる安全性を保証してくれる神話がもろとも崩れ去り、
連日ニュースで報道されるような時代だった。
なにが正しいのか、なにが間違っているのか、日本中の家族や学校関係者、世間が懸命に答えを探し、真剣に考えはじめた時代である。
そんな時代に、離婚という選択肢をとった有名な小説家の母親は、シングルマザーになった。
タケルという愛しいわが子を、なんとか立派な大人に育てなければならない、という母親に掛けられたプレッシャーは尋常なものではなかったに違いない。
光が丘テロ事件について、空想に満ちた想像力を働かせる我が子は、このままで大丈夫だろうか、このままではいけないのではないだろうか、と
母親が苦悩するのも無理はなかった。
そんなこと知りもしない幼い息子は、普通を目指して苦心する母親に守られながら、愛されながら育った。
小学校に行って、友だちを作って、一緒に遊んで、そしてゲームや漫画といったサブカルチャーに興味をもつ普通の子どもになっていく。
当時、まだまだ成長途中だった産業であるサブカルチャー文化は、まだまだ宝石とゴミクズがぐっちゃぐちゃの時代であり、
大人が子供に与えてもいいと判断するのに必要な基準、いわゆるレーディングが設置されていなかった。
そのため制作会社はいろんなゲームや漫画を発表することが出来た一方で、子供を守るべき意識に目覚め始めた保護者達はその判断に苦心する。
サブカルチャー文化にまだまだ誤解や先入観がはびこっていた時代であり、関連の事件がお茶の間を騒がせるから無理も無い。
タケルの母親もおもちゃ屋のチラシを眺めては、これがほしい、あれがほしい、と無邪気に笑う息子のことを心配する母親であり、
ゲームや漫画を買うときには必ず一緒にでかけ、一緒に目を通してから、判断を下してOKをだしたものだけ与えるという、
小学校2年生の子どもを持つ母親としてごく普通のことをしていた。ちょっとだけしつけや教育に厳しい普通のお母さんだった。
母親から向けられる期待と愛情を一心にうけたタケルは、ちゃんとした男の子として育っていく。
残虐性や性的描写はもちろん、一般的な価値観から考えて、子供の教育上あんまりよろしくないものは排除された優しい世界で育つ。
いいことはいいこと、わるいことはわるいこと、というシンプルな世界のなかで生きていることが許される、まだ小さな子供である。
ちっぽけな子供でしか無いタケルにとって、今まさに繰り広げられている光景は、まさに悪夢と言えた。
この出来事はタケルの根本を変えてしまうような影響を残さない代わりに、
タケルが今まで生きてきた世界を支えていた価値観や常識、行動の指針となるものを何一つ残さない平地にしてしまうことになる。


第二十七話 届かない声


タケルは必死で現在置かれている状況を把握しようとしていた。デビモンはわるいデジモンである。これは間違いない。
だって、デビモンは大輔から聞いたなっちゃんという女の子のデジモンが死んじゃうキッカケを与えたデジモンである。
それに、タケルとパタモンを守るために、果敢に立ち向かう大輔とエクスブイモンと戦っているし、
なっちゃんのことを知っているやつはみんなやっつけるなんて怖いことを平気で言っているし、
それににゅーっと生えてきた手で大輔の首を掴んで、ぎゅーっと絞めたのだ。ひどい、これってないよ、ひどすぎるよ。
さすがにここまで来れば、タケルだって、黒い歯車に操られているのが見つけられないデビモンは、
みんなを傷つけるデビモンは、悪いヤツなんだって、やっつけなくちゃいけない奴なんだってことは理解できる。
漫画やゲームで出てくる主人公にやっつけられる悪者なんだって分かる。いいデジモンじゃないんだ。
しかし、ほんとうに?と心の何処かで引っ掛かりを覚えてしまうのである。デビモンは本当に漫画やゲームに出てくるような、やっつけてもいい奴なんだろうか。
だって、デビモンは天使だったんだよ?なっちゃんにいい子になろうねって、一緒に頑張ろうねって約束した天使だったんだよ?と心の声が問いかけてくる。
もしかしたら、もとの天使のデジモンに戻れるかもしれないよ?なっちゃんだって大輔くんとブイモンが頑張っていいデジモンにもどれたんだから。
でも、もう天使じゃないよ?デビモンはわるいデビモンになっちゃったんだから、もう天使じゃないんだから、関係ないよ?
それにいいデジモンだったことを知られたくないからって、いいデジモンだった頃のことを利用して、なっちゃんが死んじゃうきっかけを作って、
大輔くんとエクスブイモンが戦えなくなっちゃってるんだよ?それって、悪いデジモンがすることより、ずっとひどくない?
じゃあ、天使じゃないデビモンはわるいデジモンで、天使に進化したエンジェモンはいいデジモンなの?と自答する。
今までタケルにとって、クリスマスに見る天使や漫画、ゲームに出てくる、絵本に出てくる天使は、
いいこと、幸せ、正義の味方という正しいことの象徴だった。
パタモンが、進化しないって約束を破ってごめんねって言いながら、進化したときにはなんでって思ったけれども、
大輔やエクスブイモンが危機に陥っているこの状況下で、進化したのはまさにタケルにとっては喜ばしいことだった。
真っ白な天使に進化したパタモンは、エンジェモンになった。天使がエンジェルっていうことくらいタケルは知っている。
本来なら、パートナーデジモンであるパタモンが進化したのがエンジェモンなんだから、
タケルの大切な友達なんだから、タケルはそんなこと疑問に思うことなく、そうだと肯定しなければいけないことくらい分かる。

それがタケルにはできない。どうしてもできない。むしろ、タケルは生まれて初めて天使に対して恐怖を感じている。
それはもう、悪魔であるデビモンと同じくらいの恐怖を感じているのだ。
なんで、エンジェモンは、大輔くんを助けるためにデビモンを攻撃したときに、大輔くんまで巻き込もうとしたの?
なんで、昔おんなじ天使だったデビモンとお話しすることもなく、一方的な蹂躙とも言える暴力をふるおうとしたの?
タケルが争いごとや対立が嫌いで、なかなか戦いに決心がつかないこと、パタモンにギリギリまで進化してほしくなかったことを知っているはずなのに、
エンジェモンになってから、一度も僕のことをみてくれないの?話しかけてくれないの?ずっと無表情で無言でずっと戦ってるの?
エクスブイモンはブイモンの時と一緒で、大輔くんといっしょに会話が出来ているのに、どうして僕とエンジェモンは出来ないの?
どうして、デビモンだけじゃなくて、エクスブイモンにまで攻撃してるの?
エクスブイモンが必死に説得してるのに、やめてくれっていってるのに、なんでやめてくれないの?
エクスブイモンはエンジェモンから何度も攻撃を受けても、ただひたすら逃げまわってるのに。
あれ?なっちゃんの時みたいに、攻撃を攻撃でうち消しちゃえばいいんじゃないかな?
ああ、そっか、大輔くんを抱えたまま飛んでいるから、攻撃できないんだ。もう逃げまわるしか無いんだと理解する。
デビモンに首を締められちゃったせいで、大輔くんは息をすることすら出来ないくらい苦しがっているんだ。
意識も朦朧としてて、立てないんだ、しゃべれないくらい危ない状態なんだ、最初みたいにエクスブイモンの背中に乗れる元気はないんだ。
エクスブイモンはお腹にあるエックスからブームを発射して攻撃する、もしくは両手でパンチしたり、キックしたりする、と
大輔から聞かされていたタケルは、大輔を守り切ることに必死であるエクスブイモンが全てを封じられていることに気づいて、
ますますエンジェモンがしていることが卑怯極まりないことに気づいて驚いてしまう。
エクスブイモンはすぐにでもタケルのいるところまで大輔を送り届けたいのだろうが、デビモンからの猛攻があることを考えると、
無防備になってしまっているタケルのところに行くのは危険極まりなく、エンジェモンがタケルのもとに近づけようとしないから、
なおさら孤立無援になってしまっている。まるで集団リンチである。防衛しか手段を取れない相手への一方的な暴力である。
これではエンジェモンがデビモンの味方みたいではないか、エクスブイモンの味方のはずなのに。
本当なら、エンジェモンはエクスブイモンと一緒にデビモンと戦わなくてはいけないのに!
おかしい、これっておかしい。一体どうなってるんだろう、何があったんだよう!タケルはもう何が何だか分からなくなっていた。
天使だとか悪魔だとか、悪いデジモン、いいデジモン、敵だとか味方だとかそういった考え方ではもう頭が追いつかないのだ。
もう叫ぶしか無い。タケルは必死でエンジェモンの名前を呼んだ。

「っめて、やめて、やめてええ!やめてよ、エンジェモン!エクスブイモンに攻撃しないでよーっ!
大輔君もエクスブイモンも僕達の友達でしょう?!なんで攻撃するの?やめてよおおおっ!」

タケルの必死の問いかけに、今まで沈黙を守っていたエンジェモンが、どこまでも無機質な声色で返す。

「何故そんな事を聞くんだい?」

タケルはぞっとした。まるでマネキンのようである。そこには一切の感情が感じられない。
もうそこにはタケルの知っているパタモンの名残はどこにも見出すことが出来ない。
まるでエクスブイモンと大輔に対して攻撃することに対して、何の疑問も抱いていないような様子である。
いくらなんでもおかしい、とタケルは確信した。なんかおかしい。エンジェモンはなんかおかしくなっている。
だって、エレキモンと出会ったときに、なんだか大輔みたいだと言ったのはパタモンなのだ。
短気でせっかちで喧嘩っ早いけど、守りたいものを守るためなら体を張って頑張ることができる、
喧嘩をしてもすぐに仲直りすることが出来る、とってもイイヤツであると笑ったのはパタモンなのだ。

「だっておかしいよ!友達を傷つけるのはおかしいよ!」

「タケル、それは私が信じている正義と比べて、大切な事なのかい?」

「え?」

「私は善の存在なんだ。しかし、パタモンだった頃に、私は大輔やブイモンに対して嫉妬や妬みという負の感情を持ってしまっている。
これはいけないことなんだ。私は完全なる正義の存在でなければいけないんだ。なくさなければいけない。だから私は、彼らを攻撃する」

「なに、それ」

「大輔達がいなくなれば、私は私としていられる。あたりまえのことをしているだけだ。タケル、どうしてそんな顔をするんだい?」

あまりにも無慈悲な発言に、無茶苦茶すぎる発言に、タケルはついていけない。
エンジェモンは何を言っているんだろう、と必死で考えてみるのだが、全然理解出来ないのである。
まるで宇宙人と会話をしているような気分になる。タケルにとってもはやエンジェモンの考えていることは、許容範囲を超えていた。
タケルとエンジェモンの会話が続いている間も、エクスブイモンは懸命にデビモンの攻撃から逃げまわっている。
最も警戒していた選ばれし子供とパートナーデジモンの成立しない会話を聞いていたデビモンが、心底愉快だとでも言いたげに笑った。

「相変わらず虫唾が走る!その傲慢なまでに自らの信仰する正義にそぐわないものを排除しようとする姿、まさにエンジェモンだな!
自らに非があることは決して認めようとすらしない!だから私はダークサイドに落ちたのだ!」

「黙れ、デビモン。善良なデジモン達を黒い歯車によって操り、悪いデジモンに変えているお前を私は許しはしない!」

デビモンのいうことも、エンジェモンのいうことも、タケルにはどっちも正しく聞こえてしまうが、どちらも間違っているように聞こえる。
どちらも極端すぎるのである。タケルからすれば、正義だとか、悪だとか、そういったものの前に、もっと大切な事がある気がしてならない。
タケルはエンジェモンをよんだ。そして、問いかける。

「よくわかんないよ、エンジェモンの言ってること。僕にはわかんないよ。だって、だからって友達を傷つけていいことにはならないよ」

「………残念だな、タケル。キミは分かってくれると思ったんだけども。
すまないが、私にもタケルの言っていることがよくわからないよ。デジヴァイスで伝わってくるキミの気持ちは、わからないよ。
きみは喜んでくれないんだね。私はもう弱いパタモンではない。だから、キミのことを守ってあげられる。
大輔達に頼らなくっても、私だけの力で君を守ることができる。でも君は喜んでくれないんだね、頼ってはくれないんだね、どうしてだい?
君はデビモンと戦うことも、大輔やエクスブイモンと戦うことも、私が進化していることも望んでいない。
では、君は私に何を望んでいるんだい、タケル?教えてくれないかい?君は私に、何を求めているのかな?」

その質問に、タケルは、とっさに答えることができなかった。タケルは返答に窮した。
タケルの中では、もう今まで行動の指針となっていた価値観や思考回路が、目の前に行われている光景によって、
見るも無残な形で、がらがらと音を立てて崩れ落ちているのである。
求められることに機敏に反応して、相手が望むようなことを返すことが当たり前と成っているタケルにとって、
エンジェモンから求められていることを理解出来ないし、どうやって答えたらいいのかも分からないし、
ただなんとなくではあるが、その求められていることは確実に間違っているのだと心が叫んでいる。
だから言葉が紡げない。自分から求めることを、やっとし始めたばかりのタケルには、あまりにも無理難題すぎるものだった。

「わかんないよ、僕、わかんなよエンジェモン!」

パートナーの言葉に残念そうに肩を落としたエンジェモンは、タケルに背を向けた。
あ、と手を伸ばそうとしたタケルに、エンジェモンは言い放った。

「ならば、私は私の正義の為に戦うよ、タケル。私はただ君を守りたいんだ」

どこまでもタケル以外の存在は勘定されていないという残酷さがここにある。
ホーリーロッドから繰り出された光が、エクスブイモンに直撃する。
とうとうエクスブイモンは進化するエネルギーを使い果たして落下する。
大輔を守るために抱きしめたまま落下していくブイモンに、迫りくるデビモンの追撃。
タケルは慌てて大輔とブイモンの名前を呼びながら、エンジェモンの静止を降りきってかけ出した。
どうして、と困惑するエンジェモンを尻目に、デビモンは子供たちもろとも止めを刺そうとレーザーの雨を発射した。
ダメだ、とタケルは思った。エンジェモンは大輔とブイモンを助けてくれない。なら僕が守るしか無いんだと懸命に走る。

「大輔、タケル、大丈夫かっ!!」

ずっとずっと心待ちにしていた声が聞こえてくる。

「お兄ちゃん!ガルルモン!」

ガルルモンに乗ったヤマトがタケルをのせて、レーザーから間一髪逃れる。
タケルは大輔とブイモンが空とバードラモンによって見事救出される瞬間を見た。よかった!ともう涙ぐみそうになるタケルである。
後ろを振り向けば、ようやくオーガモンを撃退し、レオモンの洗脳をデジヴァイスで解いたことで、
タケル達の危機を知り、駆けつけることが出来た太一達がデビモン相手に奮闘している。

「よく頑張ったな、タケル。大輔たちと一緒に頑張ったんだな、えらいぞ」

頭をなでられる。ほっとして、タケルはヤマトに顔をうずめた。

「もう大丈夫だ。でも、エクスブイモンも大輔もボロボロじゃないか、怖かっただろう?
タケル達を守るために無茶したんだな、大輔。遅れてゴメンな、タケル」

タケルは涙が止まらなくなる。今まで必死にこらえてきたものがぷつんと緊張の糸を切り、溢れ出してしまう。
うわああああん!とタケルは大声を出して泣き出した。背中をさすってくれるヤマトに抱きつきながら、タケルは違うのだと首を振った。

「どうしよう、お兄ちゃん!エンジェモンが、エンジェモンがっ!」

「エンジェモン?あの天使みたいなデジモンか?」

「パタモンが進化してエンジェモンになったんだけど、おかしいんだよ!パタモンじゃなくなっちゃったみたい!
僕のいうこと聞いてくれないんだ、僕の声、届かないんだ!大輔君達に嫉妬してるとか何とか、それをもっちゃダメだから、
大輔君達を攻撃するんだって、いって、何回も、何回も、僕止めたのに!やめてって言ったのに!うわあああああん!」

大泣きし始めた弟の恐怖は察するに余りある。しかし、その場にいることができなかったヤマトは、タケルにどう声をかけていいのか分からない。
ヤマトはしっかりとタケルを抱きしめたまま、デビモンと熾烈な戦闘を始めているエンジェモンというらしいデジモンを見上げた。
パートナーの気持ちを置き去りにして独りよがりの進化を遂げた天使に、持ち得ている聖なる力はほんの少ししか使えるわけもなく、
何とか奮闘するのだがことごとく返り討ちにされる。
やがてエンジェモンはそのまま撃墜され、パタモンに戻ってしまったところを、何とか他の子ども達が受け止めたのだった。
選手交代とばかりに、グレイモン達によるデビモンへの一斉攻撃が始まるが、デビモンはもう戦闘する気はないのか、全てをかわして夜空を翔んだ。

「興ざめだ。どうやら私はとんだ見込み違いをしていたようだな。聖なる力すらろくに扱えない者など、私の驚異には成り得ない!
選ばれし子供たちよ、ムゲンマウンテンで待つとしよう。そこで決着をつけようではないか。
そんなザマで到底私の敵となり得るとは思えんが、せいぜい、怯えながらその時をまつがいい!」

高笑いが木霊する。逃げるなんて卑怯だぞ、戦え!といきり立つ太一の叫びに応じることはなく、デビモンは姿を消した。



[26350] 第二十八話 兄姉奮闘記
Name: 若州◆e61dab95 ID:f55e3960
Date: 2011/04/12 02:44
バードラモンから下ろされたブイモンと大輔が、レオモンの手によって慎重に草むらに寝かされる。
心配そうに見下ろしているみんなの眼差しに、その傍らでぐったりとして気を失っている一人と一匹の様子を確認していたレオモンは、
命に別状はないから心配しなくていいと、安心していいとはっきりと告げ、大きく頷いたので、一同はほっと胸をなでおろした。
大輔は首筋にデビモンに首を締められたときに出来た大きな手の後が痣となって残っており、
必死に抵抗したのだろう両手は打撲後やアザが小さくはあるが点在している。
レオモンの見た限りでは、その目を背けたくなるような痣を見たときは、器官が物理的に傷つき、下手をすれば後遺症になるのではと心配したが、
幸いにもそうではないらしい。執念とも感じられるほど克明に残っている手形は、確かに大輔の意識を朦朧とさせるほど、声帯を攻撃したはずだが、
大輔は首を締められたという精神的なショックにより、気を失っているらしい。呼吸困難になったわけではないらしかった。
選ばれし子供であるがゆえのデジタルワールドの加護なのか、現実世界の人間のためデジタルワールドではちょっと違うのか、
デジタルワールドでデータ化している影響で自己修復関連の能力が異常になっているのか、さすがにそれは誰にも分からない。
他の子供達もこの世界になれてきたからでは説明がつかない、肉体的、精神的な能力の向上を自覚することは多々あったが、
今回はそれを改めて感じさせる。それでも、大輔が無事であったという事実を前にしては、いかなる議論も不要になる。
ブイモンもボロボロではあるものの、レオモンすら驚愕させる生命力の強さから、きっと数日もしないうちに元気に回復できるだろうとのこと。
他のデジモン達と比べると進化の回数がまだ2回であり、パワーアップしていく速度が劣っていたため、
もしブイモンがアグモン位の進化回数を経験していたならば、その日のうちに回復できるレベルに到達していたらしい。
げに恐ろしいほどの進化の生み出す神秘のパワーである。
なんで進化することでどんどん強くなっていくのか分からないが、それでブイモンが元気になるのならそれでいい。
デビモンに敗北を喫して撃墜されたパタモンは意識もはっきりしており、光に飲まれてからの記憶はぼんやりとしているものの、
エンジェモンの時の記憶はほとんど感覚的に覚えており、ぼろぼろの身でありながらタケルにだっこされつつ、その報を聞いて涙した。
自分のしでかしたことの大きさにすっかり恐怖を抱き、オレンジの耳で体を覆い縮こまって小さく泣いているパートナーの声を聞きながら、
しっかりとその体を抱きしめているタケルは、もとのパタモンに戻ってくれたことだけが唯一の幸いだとばかりに頬ずりする。
すっかり意気消沈してずーんと暗い雰囲気を纏っているちっぽけな存在に、何にも言わないで、ヤマトは優しく頭を撫でた。
タケル達の間に一体何が起こったのか、子供たちもデジモン達もその場にいなかったため、全く状況を把握できないものの、
タケルやパタモンの様子、大輔達の様子を見ればなんとなく想像はつく。みんな優しいから何も言わない。励ましと柔らかな言葉が降り注ぐ。
その優しげな雰囲気が余計タケルとパタモンの心を絞めつけた。ただ心が痛い。
なんでこんないい子達が、一番小さなこの子たちが、こんな目に合わなくてはいけないのかと理不尽すぎる現実に、みんなの心に去来するものは様々だ。
レオモンが大輔とブイモンを運んでいこうとすると、みんなを押しのけて一直線に駆けてきたのは太一だった。
俺がする、と真剣なまなざしに宿る太一の気持ちを見出したレオモンは、大輔をお願いしたので、太一は大輔をしっかりとおんぶして運ぶことになる。
小学5年生の太一がおんぶできるほどちっぽけな存在であるということを、太一はその重さを持って改めて自覚する。
1日ぶりに再会した後輩は、ぼろぼろである。太一は己にいらだちを隠せずにはいられない。舌打ちしたいのをこらえて前に進んだ。
なにがなんにも心配いらないだよ、なにが守ってやるから心配するなだよ、なにが頼ってもらわないとこっちの立場がないだろだよ!
大輔はちゃんと俺を頼ってきてくれたじゃねーか、なんで俺はあん時ちゃんと聞いてあげられなかったんだよ!
ヤマト達からこの漂流生活の中で何度も、他の子供達やデジモン達に対する配慮や気遣いが足りないことに苦言を呈されてきたが、
どこか心のなかで大丈夫だと楽観視していた自分がいることに腹がたって仕方ない。
太一も太一なりに大輔に対してちょっとだけ素を見せるほどの距離の縮み方を感じていたから、なおさらのこと。
もう過ぎてしまったことを後悔してもなんにも変わらないことは分かりきっているが、だからといって責めないわけにはいかないのだ。
それが一番楽であり、それが一番仲間たちに対してぶつけそうになる感情を押さえ込める方法だから、みんな沈黙している。
きっとみんな心のいらだちをぶつける対象を必死に探して、模索して、悩んでいるのである。みんな二律背反に葛藤している。
レオモンは思う。この子達は想像以上に強い子供たちだと、選ばれし子供たちである以上に強い何かを秘めていると感じるのだった。

「………あ、れ?たい、ち、さん?」

すぐ後ろから聞こえてきた懺悔の対象に、大きく目を開いた太一は目頭が熱くなるのを感じながら、ぎゅっと目をとじて歯を食いしばる。
よかった、という想いが心を満たしていく。太一の肩が震えているので、大輔は困惑した。目が覚めたら尊敬する先輩におんぶされているのである。
体の節々が痛いし、腕に目をやればずっとたくさんのアザやケガがあってぞっとする。喉にこもっている熱が夢ではないのだと自覚させる。
デビモンからの首絞めから記憶が抜け落ちている大輔は、さっぱり状況が飲み込めない。ぱちぱち目を瞬かせ、辺りを見渡すと、みんないる。
太一の横にレオモンがいることにぎょっとするが、大丈夫か、と声をかけてくる優しい笑顔を見ると、どうやらデジモン達が言っていた、
正義の味方レオモンに戻っているらしかった。こくこくと頷く大輔は、太一が沈黙を守っていることが分からなくて首をかしげた。
なんだか恥ずかしくなって降りようとするのだが、太一はずり落ちそうになった大輔を再び背負いこみ、全然下ろしてくれない。
え、なんだこれ、新しいバツゲーム?と見当違いにも程がある発想に赤面して俯いたまま、大輔はただそっと太一の肩に手をおいた。
今までぐったりとしていた手が動いているのである。最悪の事態すら脳裏をよぎっていた太一は、もう鼻声であるが、大輔に声をかけた。

「俺のこと一番に頼ってくれてありがとうな、大輔。なのに、一番大事なときに側にいてやれなくてごめんな、大輔。おかえり」

「はい」

「ばーか、ここはただいまだろ」

「はい、ただいま、太一さん」

おう、と頷いた太一はやっぱり泣いているようだ。なんでだろう、とさっきから疑問符がたくさん浮かんでは消えている。
タケルかパタモンになっちゃんの話を聞いたんだろうか、と大輔は思うが、首が痛くてあまり頭を動かせないため、太一の背中だけが広がる。
ただ久しぶりに感じた人の暖かさにふれて、ずっと恋しかったことを思い出した大輔は、思い切って太一に体を預けることにしたのだった。
大所帯で帰ってきた大輔達をみて仰天したものの、レオモンがいるということでなにやらただならぬ事情を感じたらしいエレキモンは、
突然の訪問と数日の滞在をお願いしてきたレオモンに、大歓迎だと招き入れてくれた。

「さー、大輔、風呂いくぞ」

エレキモンの家は小さなバスタブとシャワーしかないのだが、太一はそう言うやいなや、えええ、と驚いている大輔の気持ちは置き去りにして、
無理やり一緒に風呂行きになってしまう。なぜだか鏡の前に座る太一のせいで、ちゃんと体が洗えない。どいてくださいと言ったのだが、
やってやるよ、と言われてしまい、さすがに大輔はフリーズした。お兄ちゃんであって欲しいと思ってはいるが、断じてこういう意味ではない。
まるで赤ちゃんでも扱うかのごとく世話を焼かれてはたまらない、と大輔は散々悲鳴を上げて逃げまわるのだが、逃げ切れるわけもない。
風呂場から悲鳴が聞こえて、空たちはもっと隠すにも慎重になれないのかと呆れた。

ブイモンは?と先程から姿が見えない相棒を心配して質問した大輔は、ケガを治療することが先だと空たちに言いくるめられた。
自分のことより相棒のことを心配するなんて!とみんなからすれば呆れ半分大輔らしいと苦笑い半分の生暖かい眼差しが向けられる。
もっと自分のことを大切にするように、と忠告された大輔なのだが、本人は一体自分に何が起こったのか、さっぱり飲み込めていないので、
本当にみんながここまで甲斐甲斐しく扱ってくれる理由がわからなくて、しどろもどろになっていた。
大輔に対して世話をやくことが今できることなのだ、と圧倒されるほどの意気込みを感じた大輔は、二の句が紡げないまま頷いた。
ソファの上に座った大輔の所に、エレキモンから借りた救急箱をもって、空がやってくる。
はい、と差し出されたのはタオルで巻かれた氷のたくさんはいった袋だった。
言われるがまま喉元に当てた大輔は、じんわりと伝わってくる冷たさに心地の良さと痛みの鈍化を感じる。
ああ、そう言えば首を締められたんだっけ、とデビモンに対してなっちゃんのことを問いただすことに懸命だったため、
自分の体のことなど全然眼中に入っていなかった大輔は、いまさらのように思い出す。どこか記憶はおぼろげだ。
痣は体が内出血したことにより、紫だったり黒だったりいろんな跡が浮かび上がってくる立派なケガだ。
痣を消すだけなら、目立たなくなる薬を使ったり、化粧でごまかしたりしてしまえばいいが、
医者に見せることが出来ない以上、真っ先にすべきなのは冷やすことである。
女の子であるため、サッカーで出来た痣などに何かと敏感だった空は、まさかこんなところで役に立つとは思わない。
しばらくして腕もきちんと治療が施されているのをぼんやりと眺めていた大輔は、虚脱感に襲われていた。
それはそうである。本人は意識していないけれども、首を締められるなんて体験など普通に生活していれば絶対にありえないことである。
いくら本人が大丈夫だ、大したことはないと思っていても、小学校2年生でしかない大輔の深層意識が、
その見えない暴力の影に怯えて、すっかりトラウマを植えつけているのは仕方のないことだった。
ぼーっとしていた大輔は、空に呼びかけられて目を覚ます。炎症に効く軟膏を塗りたいから首を上げて、と言われた大輔は頷いた。
天井を見上げた大輔は、ちりちりとする痛みを堪えながら、じっとしている。短く爪を切られた空の手が大輔の前に伸びてくる。
そのとき、反射的に大輔は後退した。びくりと体が揺れる。体が硬直する。緊張感に苛まれた大輔は、冷や汗が浮かんだ。
あれ?なんだこれ、おかしいな、と思ったときには遅かった。もしかして、と顔をこわばらせた空は、大丈夫?と手を引っ込めて問いかける。
は、はい、と頷いたものの、体が思ったように動かない。空から軟膏剤を渡された大輔は、鏡を渡されて、自分で塗りなさいと言われた。
鏡を覗き込んだ大輔は、初めて自分の首に残された痣に驚いて硬直する。
それでも空の手が伸びてきたときの恐怖はすっと消えていき、さっきまであった違和感はあっという間になくなってしまう。
何事もなかったかのように大輔は軟膏剤を塗り、渡された包帯を首に回し、目立つとかっこ悪いからかしてあげると言われたバンダナを首にまいた。
空は傍らで見守っていた上級生組と視線を交わして、心配そうに大輔を見る。うまいことちょうちょ結びが出来ずに悪戦苦闘する大輔は、気づかない。
ようやく完成した不恰好なそれは、ちゃんと大輔の痣を隠してくれた。

「バンダナじゃなくって、俺のヘアバンドかしてやろーか?大輔」

「なにいってるのよ、太一。あなたの汗臭いヘアバンドなんてしたら、治るものも治らないでしょ」

「どー言う意味だよ、空!」

大輔を心配させないように、ゴーグルをはずして青いヘアバンドを差し出そうとした太一の軽口に、空は呆れたように笑った。
つられて笑った大輔に、太一がにいっと笑ってのぞき込んでくる。なんすか?と首をかしげた大輔の手を掴んで、太一が立ち上がる。

「さー、寝ようぜ」

「え゛」

「なにぼーっとしてんだよ、一緒に寝てほしいって言ったの大輔だろ?」

「そ、そりゃそーっすけど、でも、あれはもう終わったっつーか、なっちゃんだから大丈夫っつーか、もうい」

「聞こえねえなあ、先輩のいうことは聞くもんだろ、大輔」

「えええええっ?!ちょっとま、待ってくださいよ、太一さん!エレキモンの家、寝室以外はソファしかナイっすよ!」

「それがどうした?一緒に寝ればいいだろ?首が痛いだろうから、だっこかなー」

「だ、抱っこおっ?!そんな俺もう8歳っすよ、赤ちゃんじゃないんすから、んな大げさな!
つーかんなことしたら、またブイモンが拗ねちまって面倒なことになるんでやめてください!」

誰か助けて!と必死で周りを見るのだが、みんな微笑ましげに大輔と太一を見ているだけで、誰ひとりとして助けてくれない。
ウザイくらいにかまい倒してくる太一から逃れるべく腕を振りほどこうとしたが、小学校5年生と2年生では力の差は歴然だ。
ぎゃーっと騒ぎ喚く大声にみんな釣られて笑う。もみくちゃにされているうちに、いつの間にか太一にホールドされていることに気づくが、
いつの間にかあの時感じた違和感はずっと軽減されていた。
もちろんなくなったわけではないため、青くなった大輔は吐き気に襲われてトイレに駆け込むハメになってしまい、太一は大いに空に叱られる。
大輔の精神に刻み込まれたトラウマが、太一達による楽しさによって少しずつ少しずつほぐれていく。
この調子ならば、痣が無くなっているころには、大輔の深層意識は大幅に改善されていることだろう。

「そーいや、タケルとパタモンはどこっすか?」

見当たらない友人たちに、意識を失っている間の出来事を全く知らない大輔は、首を傾げる。

「タケル達ならヤマトと一緒に寝てるよ。ブイモンももう寝てんだ、起こしてやんな」

ぐりぐりと頭をなでられながら時計を見れば、確かにもう深夜を回っている。
そっか、なら仕方ねーよな、と太一の言葉を素直に信じた大輔は、とりあえず太一と一緒に寝るという由々しき事態を打開するべく、
全力で抵抗することにしたのだった。
そして、水がほしいんだけどコップはどこだ?と寝室から出てきたヤマトに気づかないまま、逃げまわることになる。





喉が乾いたというパタモンの要望に答えて、ドアの向こうに消えていったヤマトを見届けたタケル達は、
ドアの向こう側で大輔の元気な声が聞こえてくる幸福を噛み締めながら、顔を見合わせて安堵の溜息をつく。
パタモンはデビモンの一撃を食らっただけであり、ヤマトにケガの処置をしてもらえば、もうご飯を食べてオフロに入って寝れば元気になる、と
レオモンから直々に言われているため、パタモンはずっと元気だ。でもパタモンが傷つけてしまったブイモンが担ぎ込まれた部屋は閉ざされている。
パタモンはうつむいて、しゅんと耳の羽で顔を隠して泣いてしまう。
立ち入り禁止の理由がたとえ、ブイモンが大輔と顔を合わせたら絶対にケガのことなんか忘れてはしゃぎまくるからであり、
久々にみんなと会えたことを喜んで、大騒ぎで遊びまくり、寝ていれば元気になるのになおさら症状を悪化させかねないというレオモンの的確な判断であってもだ。
現在ブイモンは、大怪我をしているのに大輔たちのところに行きたがるのを呆れるレオモンと、寝る場所を奪われた腹いせから、
いらないところまで包帯でぐるぐる巻きにして遊んでいるエレキモンによって、むりやりベッドに拘束されている。

タケルの膝の上で頭をなでられながら、パタモンはずっとタケルに、どうしてエンジェモンに進化したときにああいった事態になってしまったのか、
パタモンなりに考えた理由を必死で紡いでいた。
タケルのパートナーデジモンなのに、タケルが頼ってくれない寂しさと、よわっちいから仕方ないんだという諦め、
その癖に一丁前に嫉妬や妬み、いらだちを抱えて、ずーっと我慢していたことを告白する。
太一やヤマト達に対する負の感情ももちろんパタモンの中にはあったし、タケルに対しても確実に存在していた。
しかし、大輔とブイモンは、タケルが言うにはパタモンと同じ「友達」という括りの中にいる同じ立場なのだ。
それなのに、タケルは、同じ「友達」であるにもかかわらず、相談するときには必ずパタモンではなく大輔を選ぶ。
会話をするときには基本的にパートナーデジモンのことはそっちのけだし、喧嘩したり仲直りしたり、
パタモンとタケルは出来ていないことを全部全部大輔はやってしまうのだ。取られた、という意識が芽生えていく。
選ばれし子供の中でパタモンにとってタケルの次に一番近い存在なのは、ヤマトと大輔、そしてパートナーデジモンたちだが、
ヤマトはタケルのお兄さんであり、デジモン達にとっての一番はパートナーだと分かっているから、まだガマンできる。
でも大輔はパタモンと同じく、タケルとこのデジタルワールドで初めてであった友達という関係性という意味で、比較対象と成り得る。
比べっこしたときに、やっぱりパタモンと大輔はいろいろと差があると感じてしまうのである。
仲がいいからこそ、近い立場だからこそ、なおさら感情をぶつけやすくなっているのだ。
大輔とタケルの喧嘩を観てきたパタモンは、大輔が小学校2年生にもかかわらず、時折誰にも負けないくらい大人びている時があり、
たとえ対立したとしても、喧嘩したとしても、一度仲良くなった相手のことは絶対に嫌いにならないという
心がとっても広くて寛大であるという点を知ってきた。
たとえ戦うことになったとしても、最後まであきらめないで受け入れようとするということをなっちゃんの話から知った。
パタモンはとてもではないが真似できない、羨ましく思う性質である。嫉妬ばかりしているのに仲良くしてくれる大輔を見ていると自分が嫌になる。
きっと大輔ならどんなことをしても許してくれるだろうことを分かっていながら、それを理由にパタモンは自らが抱える負の感情を主に向ける代表を、
大輔とそのパートナーであるブイモンにしたのである。どうしようもない甘えである。結局のところ、パタモンは誰にも嫌われたくないのだ。
どこまでも自分勝手で生意気な考え方である。こんなことバレてしまったら、きっとタケルは愛想を付かせて離れてしまうだろう。
ただでさえパタモンは一緒にいることしかタケルの役に立てないというコンプレックスを抱えていた。
それが尚更進化への固執につながる。強い自分になりたい。よわっちいパタモンである自分は大っきらいだけど、進化できたら何かが変わる気がする。
自分ではなんにもしないくせに、考えばかりが肥大していき、行動できないことの言い訳も全部大輔たちのせいにして、
都合の悪い部分は全部全部見ないふりをしていたのである。なんでブイモンも対象にしたのかといえば、
かつてはブイモンもパタモンと同じく嫉妬する仲間同士だったが、ブイモンは大輔との関係構築に成功したのか、
大輔にべったりで付き合いが悪くなってしまい、吐き出し口が無くなってしまったのも原因の一つ。構ってくれなくなったからだ。
タケル達が会話に夢中に成っている間、パタモンとブイモンはずーっとパートナーが気づいてくれるのをまっているか、
お互いに不満とか愚痴とか、わりといろいろな話を交わしていたことを初めてタケルは知る。
意外とかわいい顔をして、預かり知らぬところでは結構毒舌なパタモンの一面にびっくり仰天するタケルである。
だいたい、最初の漂流生活の時の食料集めの時に、喧嘩は友達の証だという話を大輔とタケルはしているのに、
オレと大輔は駄目なんだって、というブイモンからの不満や愚痴を聞いていたパタモンは、
エレキモンとの喧嘩をしたときにどうしてタケルがやめさせたのか分からない。やっぱり特別扱いや贔屓だと不満が募っていく。
そして、頼りにされていない、ということを節々に感じるタケルの態度は、ますますパタモンを孤独にさせていく。
パタモンはたしかによわっちいと自分のことを認めているが、それを悔しいともどかしいと歯がゆく思っている点で、
タケルとは大きく認識の違いがあったというわけだ。
タケルは今までおんなじ立場だと思い込んで、なんにも話をしていなかった自分たちの関係性が、いかにすれ違いの上で成り立っていたかをようやく知る。
タケルもパタモンも相手の求めていることだけは過敏なまでに感じ取ることが可能だった。それがお互いの思いに気づくのを遅らせた。
だから、進化のときに、わけわかんなくなっちゃんだろう、とパタモンは思う。
初めての進化で、心の中で何度も繰り返してきたことを、実際に大輔やブイモンに対して行なってしまったという事実は、
パタモンに進化に対する躊躇を生む。怖い。また誰かを傷つけてしまったら、と思うと怖くなる。
そう言って泣いているパタモンをタケルは抱っこした。

「ごめんね、パタモン。僕、ずっと君のこと、僕と一緒でなんにも出来ない子だって安心してた。仲間だと思ってたんだ」

「うん、知ってるよ、知ってたよタケル。タケルがパタモンの僕しか必要としてないの、分かってたよ」

「ホントにごめんね、パタモンは僕のパートナーデジモンなんだもんね、つらかったでしょ?」

「うん。すっごくやだったよ、タケル。それで諦めて、我慢しちゃう僕がもっと嫌だった。だからね、進化したかったんだ。
進化さえ出来れば、全部全部解決するって思ってた。でも、そうじゃなかった。僕、怖いよ、タケル。
エンジェモンだった時のこと覚えてるけど、僕の中に僕じゃない僕がいるんだ。僕がいるのに、全然違う僕がタケルと話してて、
大輔たちを傷つけて、デビモンに戦うんだ。進化しても僕なのに、僕、あの時の僕がいってたことがわかんないんだよ。
全然分かんないんだよ、怖いよ、タケル。僕、もう進化したくないよ、進化しなくっちゃいけないのはわかってるけど、もうやだよ」

タケルにしがみつくパタモンは、すっかり進化に恐怖心をいだいているようだった。
自分が自分ではなくなってしまうのだ、そりゃ怖いに決まっている。光に塗りつぶされてしまう恐怖が侵食しているのだ。

「僕もね、エンジェモンのいってることが全然わかんなかったよ、パタモン」

「うん」

「でもね、僕がもっと辛かったのは、エンジェモンが僕に何をして欲しいかって言われたときに、
何を望むんだいって聞かれたときにね、なんにも答えられなかったのが、すっごく、すっごく、ショックだったんだ。
僕、もう、何がいいことなのかとか、わるいことなのかとか、全然分かんなくなっちゃった。
難しいね、パタモン。僕、エンジェモンを見たとき、綺麗だって思ったんだ。かっこいいって思ったんだ。
何にも出来ない僕を導いてくれるんだっておもったんだ。でも、エンジェモンが僕に教えてくれなくって、
僕に教えてくれって言われちゃったんだ。きっと僕がからっぽだから、エンジェモンもそうなっちゃったんだと思ったら、悲しくなっちゃったよ」

「タケル……」

ぱたん、とドアがあいて、振り返ったタケルのところに、ヤマトがやってくる。
たっぷり注がれた水を渡された一人と一匹は、流した涙の補給をしながら、隣に座ってくれたヤマトを見る。
ドアのほうをしきりに気にしているヤマトが不思議で、お兄ちゃん?と首をかしげたタケルと、見上げてくるパタモンに、
少し言いよどんだあとで、ヤマトは罰が悪そうにつぶやいた。

「ごめんな、さっきの話、聞こえてた」

そのあとに不自然な空白。ヤマトがいない隙を見計らっての会話である、入るタイミングを見計らっているうちに、
引込みが付かなくなって強引と分かっていながら入ってきたのだろうと判断したタケル達は、うーうん、大丈夫と笑った。
ヤマトが一人と一匹をなでる。

「からっぽなんかじゃないぞ、タケルもパタモンも。一生懸命悩んでるだろ、考えてるだろ、考えるから生きてるんだって昔の人が言うくらいだ、
そんなこというな」

「考えるから、生きてる?」

「お兄ちゃん、難しいこと知ってるんだね。すごいや」

「ま、まあな」

褒められることに慣れていない、照れ屋なところはやはりガブモンに似ている。そう言えばガブモンはどこにいったんだろう。

「タケル、パタモン、ちょっといいこと教えてやるよ」

「いいこと?」

「なに?お兄ちゃん」

「さっき、タケルはエンジェモンに教えてくれって言われてショックを受けたみたいだけどな、
天使だって、天使の仕事を始めたばかりの頃は、俺達みたいにいろんなコトを勉強するんだ」

「え、そうなの?」

「ああ。だれだって初めてのことを、誰からの説明も助けも受けずに、成功させることなんて出来ないだろ?
天使だって失敗したり、悪いことをして謝ったりしながら、未熟だったけど一人前に成長するんだ。
どこで勉強すると思う?」

「どこなの?」

「俺達の世界だよ」

「え?どうして?天使って天国にいるのに、僕達の世界で勉強するの?」

「なんでだと思う?」

「うーん、わかんないや」

「それはな、俺達のほうが天使よりも勉強するのが上手だからなんだ。
それに、俺達も家じゃなくて学校って言う離れたところで勉強するだろ?天使だって天国は家みたいなもんだ、俺達の世界が学校なんだよ。
俺達の世界で勉強して、テストを受けて、成長して一人前の天使となって天国に帰って行くんだよ。
タケルもパタモンもエンジェモンに教えてやればいいんじゃないか?
俺達の世界に勉強しに来てるんだから、ゆっくりでもいい、エンジェモンが理解できるまで教えてやればいいんじゃないか?
何をするのが正しいのか、間違ってるのか。タケルやパタモンが、先生になってやればいいんだよ」

「僕たちが」

「先生?」

「ああ」

「でも、先生ってことは、僕達がいろんなこと知ってなくっちゃ、分かってなくちゃだめだよ?お兄ちゃん。
僕達に出来るかな?僕まだ小学校2年生なのに」

「できるさ。タケルは俺の弟で、パタモンはそのパートナーデジモンなんだから。
それが分かってるんなら、これからいろんなコトを勉強していけばいいってことも分かるだろ?」

「うん、わかるよ。先生って、いっぱい勉強して、本読んで、いろんなコトをやって、それで僕達に教えてくれるもんね」

「そうなの?タケル。先生ってすごいね」

「うん。友達を傷つけちゃだめだとか、喧嘩したら謝るとか、教えてくれたの幼稚園の先生だったもん。すごいんだよ」

「そうなんだ。そっか、うん、ありがとうヤマト、僕ちょっと元気でてきたよ」

「ありがと、お兄ちゃん。僕、ちょっとだけ、頑張ってみる」

「ああ、その調子でがんばれよ」

うん、と頷いたタケルとパタモンが微笑む。
安心した様子で笑ったヤマトは空っぽになったコップを抱えて、ヤマトが再びドアの向こうに消えて行く。
やっぱりお兄ちゃんはすごいなあ、いろんなことを知ってるんだなあ、と改めて大好きなお兄ちゃんに尊敬の念を込めるタケル。
パタモンも、ちょっとだけ元気が出たのか、キラキラとした目で先生という存在に想いを馳せた。

ばたん、と扉が閉まり、はあ、と大役をこなしたヤマトはようやく重荷が降りたのか溜め息をついた。
隣を見れば、ずーっと聞き耳を立てていたらしく壁に張り付いていたミミと光子郎と丈が、あはは、と笑っていた。
お前ら、と思わず声を荒らげそうになるが、タケルくんたちに聞こえちゃいますよ!と光子郎に言われて、うぐ、となる。

「どうでした?」

「ああ、ちょっと元気が出たみたいだ」

「ふふー、でしょ?ヤマトさん。やっぱり天使様の絵本はいいお話だもん。タケルくんにはちょうどいいと思ってたんです。
やっぱり男の子ってこういうとき、だめだめなんだから。頼りにならないんだから」

「そんなこと無いだろ、人は考える葦であるって言葉を教えた僕にも感謝してもらわないとね」

「いえ、お二人の言葉をヤマトさんでも伝えられるように、言葉を優しくした僕が一番頑張りましたよね」

「………なあ、怒っていいか?」

「なんて声をかけていいのかわからないっていってたのはヤマトの方だろう?
ここは素直にありがとうって言うべきだと僕は思うね」

「あたしも」

「僕もそう思います」

「…………ありがとう」

聞こえていたの言葉に続くのは、外の博識三人組である。
誠意が足りない、と日ごろ6年生であるにもかかわらず、5年生のヤマトに呼び捨てにされている恨みからか、
眼鏡を光らせながら丈が畳みかけ、いつもはクールな癖に弟のために頼れるお兄ちゃんであるためには、
ちょっとだけ意地を張るヤマトが面白くて4年生コンビは調子に乗る。
ヤマト、頑張れ、と巻き込まれたくないガブモンは、ちゃっかりデジモン達とともに傍観を決め込んでいた。




[26350] 第二十九話 違う物語が、キミたちからはじまる
Name: 若州◆e61dab95 ID:31c5fb0c
Date: 2011/04/15 08:41
誰かが気を利かせてかけてくれた毛布を隣で寝ている太一が独占してしまったため、大輔は突然訪れた寒さのあまり目を覚ましてしまった。
向かい合う形で添い寝している太一の姿に驚くが、腕枕してもらっていることに気づいて、
昨日の深夜に及ぶ攻防は、抱き枕しようとした太一の腹を蹴飛ばすことで何とか決着が着いたことを思い出す。
むくりと起き上がった大輔は、太一から毛布のすそを奪還して再びまどろみに落ちようと眠りに落ちる。ちょっとだけ太一と距離をとって。
しかし、すぐにパチリと目を開け、恨めし気に太一を睨んだ。うるさい。寝れない。ひでえいびき!それに訳のわかんねえ寝言!
耳をふさいで深く毛布に潜り込むが、今度は寝返りを打った太一に弾きだされてしまい、どすんという鈍い音がした。
たんこぶを作った大輔は、今度こそ声にならない悲鳴を上げて太一を殴りたくなる。本人はといえば幸せそうな笑顔と共に背中を向けている。
毛布はしっかりと握っている太一のせいでクッション替わりにもなってくれなかった。冷たいフローリングから起き上がった大輔は舌打ちする。
大輔も寝相の悪さでは太一に文句を言えるような立場ではないものの、こっちは一応けが人である。ちょっとくらい配慮して欲しいものだ。
たんこぶが出来てしまった頭を抑えながら、もうここでは安全な睡眠時間が確保できないことを悟った大輔は、
もう二度と太一と寝るもんか、と強く心に決めるやいなや、別の場所を探して立ち上がった。
ようやく慣れてきた暗闇の中では、規則的な寝息を立てている子供たちとデジモン達がソファで眠りについている。
やっぱりこの中では一番太一がいびきと歯ぎしりがでかいようである。選択肢を誤っていたことを大輔は悟るのだった。
手探りでテーブルに辿り着いた大輔は、小さい方のゴーグルを掴むとそのまま頭に装着し、PHSとデジヴァイスがくっついている紐を首に通した。
抜き足、差し足、忍足、で太一達が眠っているリビングルームから離れることにした。もうソファには大輔が潜り込めるスペースはないのである。
誰かを起こそうかと考えたが、もし万が一起こしてしまったら、きっとまた太一のところに連れ戻されてしまうに決まっているのだ。
寝不足にいい思い出がない大輔には勘弁してくれと言わざるをえない。
ぺたぺたと廊下を歩く大輔は、うっすらと見える暗がりの中で何となく見える扉を少し開けては、どこかにいいところがないかと探してみる。
トイレとかお風呂とかに行き着いてしまい、ふああ、とあくびをしながら目をこすりつつ、先に進んでいくと寝室があった。
かちゃりとドアノブを回してちょっとだけ顔を出した大輔は、そこでタケルとヤマトとパタモン、ガブモンが眠っていることに気づいて、
ちょっとだけ笑うとそのまま扉を閉めた。よかった、タケルもパタモンも元気そうだ。ケガをしたのは大輔とブイモンだけらしい。
デビモンにふたりぼっちにされていたことをタケルから聞いていた大輔は、久々の兄弟水入らずの微笑ましい空間を邪魔する様な気にはなれない。
おやすみ、とこっそりつぶやいて、さらに奥へと進んでいった。そういえばエレキモンとレオモンの姿が見当たらない。
大輔の記憶が正しければ、レオモンはたったまま壁に体を預けていたような気がするのだが、どこにも姿が見当たらない。
きょろきょろと辺りを見渡した大輔は、なにやら音が聞こえた気がして、誘われるがままカーテンが揺れている窓に近づくと、開いた。
満月が輝いている空の下で、レオモンが持っている刀でなにやら鍛錬をしている姿があった。
物音に気付いたらしく振り向いたレオモンは、窓の縁に手をかけてみを乗り出している大輔に気づいて、どうした、と近づいてきた。

「たしか、大輔といったか、どうした?まだ太陽が昇るまでは時間があるぞ、早く寝るといい」

「あはは、太一さんにソファから落っことされたんすよ。そーいや、エレキモンは?」

「災難だったな、大輔。ああ、エレキモンなら幼年期の子供たちの夜泣きが聞こえると言って飛んでいったな。
多分、そのまま朝の食料を確保しにいってるんじゃないか?」

「そっか、教えてくれてどうも。そうだ、どっか寝るトコナイっすか?」

「なら、ずっと奥にいくといい。ブイモンが寝ているはずだ。大輔に会いたがっていた、顔を見せてやれば喜ぶんじゃないか?
ただし、あまり無理はさせるな、今日一日休めば回復できるはずだから、派手に騒いでベッドから抜け出せなくなっては意味が無い」

「はーい」

教えてくれてありがとうと礼を言った大輔は窓を閉めると、カーテンをしめて先に進む。
レオモンの言うとおり、その先にはちょっとだけ光が漏れている。どうやらブイモンは起きているらしかった。
たしかここは客間だったはずだ。こんこん、とノックした大輔に、どーぞー!とテンション高いブイモンの声が聞こえてくる。
どうやら元気いっぱいらしい。ドアを開けた大輔は、よう、と顔を出した。大好きなパートナーのお見舞いにブイモンはぱっと顔を輝かせた。

「やっほー、大輔!お見舞いに来てくれたんだ?おっそいぞー」

「ちょ、おま、大丈夫なのかよ、その怪我!」

ひらひらと手をふっているブイモンの姿を確認した大輔は、しーっ、まだ夜中だよ!と言われて慌てて手に口を当てる。
おそるおそる廊下を見るが、明かりが漏れている以外に特に変化はなく、相変わらず穏やかな夜が降りている。
慎重にドアを閉めた大輔は、そのままブイモンのところにかけていく。大輔はびっくり仰天だ。大怪我ではないか、と心配する。
意気揚々としているブイモンは、まるでミイラのように頭のてっぺんからつま先まで包帯でぐるぐる巻きにされているのである。
そして右手がギブスでもはめられているのか、と間違えかねないほど、厳重に包帯でぐるぐる巻きの塊になっていて、首につられているのだ。
その聴き慣れた声がなかったら、もがもがしているブイモンを初めて会ったデジモンと間違えてしまうところだった。
ベッドから立ち上がろうとするブイモンを慌てて制止させた大輔は、病人は寝てろよ!と押し戻す。
レオモンたちと一緒の事言うなよ、意地悪―とどこまでも脳天気な声が聞こえてきて、おいおい、と大輔は呆れたように肩をすくめた。

「大輔、助けて。これじゃ全然動けないよ」

「いやいや、大怪我じゃねーか、じっとしてろってば」

「違うんだよ、大輔。オレ、ここまで怪我してないんだよ。エレキモンが、寝るトコが無いのはオレのせいだって、こんなにしたんだ」

「え?マジで?」

「そうだよ、ほら、このとおり元気いっぱいなのにだーれもベッドから下ろしてくれないんだよ。
オレ、すぐにでもみんなと会って、早く遊びたいのに!」

「でもレオモンは今日一日寝てれば元気になるっていってたし、おとなしくしとけよ」

「えー、でもエレキモン、ケガの手当してやってんのに、ちょこまか動くから意味がないって怒ってたけど、
絶対に落書きしたいだけだって、ほら!オレで遊んでるんだよ、酷いだろ!」

ブイモンが見せてくれたギブスもどきや体の包帯をよく見れば、「エレキモン参上!」とか「ブイモン進化、ミイラブイモン」とか
いろいろとふざけたメッセージが乗っかっている。
ブイモン曰く、お見舞いに来てくれた太一達もここぞとばかりに便乗して落書きをしていったらしく、いろんな人が書いた文字やイラストが、
油性マジックで書かれていた。サッカーボールとか、デジヴァイスとか、デフォルメされたアニメやゲームのキャラクターとか、
やたら達筆な字で「早く元気になってほしい」と書かれたものもある。額に肉はデフォルトのようだ。
そういえばドラマとかでよくギブスをはめている入院患者に、お見舞いに来た来訪客がいろいろと好き勝手書いているのを見たことがある。
ひどい、と涙目のブイモンである。大輔も油性マジックで参加したい衝動にかられるが、ぐぐっとこらえた。
涙目のブイモンを見ているとちょっと可哀想になったので、ブイモンが言うとおり、本来必要な分だけ包帯や手当以外は全部取り去ってあげた。
ありがと大輔、とようやくまともに身動きが撮れるようになったらしいブイモンは、うーん、と伸びをしてベッドに横になった。

「そう言えば大輔、何しに来たんだ?」

「太一さんと寝てたんだけど、いびきうるさいし、歯ぎしりするし、ヨダレとか色々酷くて寝れないから、一緒に寝に来たんだよ」

「うあー、大変だ。一緒にねよー、大輔。オレだけベッド独り占めもいいけど、大輔なら一緒に寝てもいいよ」

「おう、よろしく」

ベッドに潜り込んだ大輔に、ブイモンはおもちゃの街以来だね、と笑った。そーだな、とまるで遠い昔のような気がして、懐かしくて笑ってしまう。

「なあブイモン。俺が気を失っている間に、なんかあったのか?なーんか、太一さんたちがすっげー俺にかまい倒してくるんだけど、
聞いてもだーれも教えてくれないんだよ。うれしいけどなんか気になるんだよなあ、教えてくれないってすっげー不安になんのにさ」

今までとは一変したように、みんながみんな大輔が本気で怖気付いてしまうくらい、これでもか、とかまい倒してくれる。
記憶が飛んでいる大輔は、さっぱり理由が分からないため、みんなの考えがわからなくて、ずんずん疑問符が膨らんでいく。
なんか気を遣われてしまうようなことがあったのだろうか、とむしろ申し訳なくなってしまう。
露骨すぎる好意からの行動に不慣れな大輔は、後ろめたさを感じてしまっている。
最初はなっちゃんの世界に迷いこんでしまった上に、みんながバラバラになったことで色々と心配を掛けてしまったから、
誰も大輔とブイモンのことを信じてくれなかったという罪悪感や後悔、反省からの行動なのかとも思ったのだが、
それならそうと大輔に言ってくれたほうが気が楽なのは、少なくとも太一や空は知っているはずなのにである。
意図的にみんな大輔が飛んでいる記憶について触れたがら無いのである。もう確信しないほうがおかしい。
絶対になんかあっただろ、としか思えないのだが、誰も教えてくれないし、一様に口を閉ざしてあからさまに避けてしまう。
気にならないほうが無理である。そう語る大輔にブイモンは、あー、と言葉を吐き出したが、ちょっと迷った様子で視線を泳がせる。
どうしようか迷っている様子だが、ブイモンは、じーっと見つめてくる大輔の真剣な様子に根負けして教えてくれた。

「大輔、パタモンとタケルのこと、嫌いになっちゃやだぞ。ちゃんと仲良くしてくれよ、じゃないとオレ、怒るよ」

もちろん、念を押すように紡がれた言葉に、空白の記憶の間に起こった大事件を知った大輔が納得するわけがなかった。


第二十九話 違う物語がキミたちからはじまる


「なんだよそれ」

ぽん、と紡がれた言葉は、口にしたはずの本人がビックリするくらい、寒々として乾ききっていた。
今まで数々の衝突と和解を繰り返してきた大輔を一番隣で見てきた、一番大輔のコトを知っているのだ、と自負しているはずのブイモンが、
その赤い目を大きく見開いて、気圧され、びくりと肩を震わせるほどだ。
ブイモンに対して怒っているわけではないと知りながら、ブイモンはちょっとだけ距離をとってしまう。
そんなパートナーデジモンを見て初めて、ああ、オレ、怒ってんだ、と生まれて初めて大輔は客観的に自分の感情を把握することが出来た。
なんだか不思議な感覚である。いつもならば心のなかでばーんと爆発した感情に振り回される形で頭に血がのぼり、
自分でも何を言っているのかわからなくなるくらいなのに、衝動的に激情を撒き散らすことしか知らないのに、である。
そしてその激情が収まれば、もうけろっとした様子で何事もなかったのように平常の穏やかな心境に戻り、何をいったのかなんて全然覚えてないのがしょっちゅうだ。
だから大輔はいつも本気だと思っていた喧嘩では、いつもいつも貧乏くじを引く。
収集をつける第三者に対して言い訳や説明をするときに、相手が自分の都合のいいように歪曲したとしても、
それが違うと反射的に理解できても、自分が何を言ったのか覚えていないから、正当な主張を展開できないのだ。
だからいつだって大輔は姉であるジュンと喧嘩で勝った試しがない。
6歳差で身につけた理論武装つきの大熱弁を前にして、感情論に終始するしか無い大輔は勝てるわけがなかった。
でも今は違う。きっと大輔本人ですら初めて体験する感情である。
いろんな感情がごっちゃごちゃになっているのに、心が激情に飲み込まれているのに、頭が妙にすっきりしている。
大輔はつーっと流れていく感情の片鱗に気づかないまま、ブイモンに問いかけた。

「なんでブイモンがタケルとパタモンのこと庇ってんだよ」

その一言で、ブイモンは悟る。大輔とタケル、そしてパタモンのことを想うあまりに行った説明が大失敗し、
大輔の滅多なことではならないはずの堪忍袋の緒が切れて、逆鱗に触れてしまったのだと悟る。シマッタと思ったときには遅かった。
ブイモンは誤魔化そうとしたのだ。ブイモンから見ても明らかに無理がある展開だと感じるところは多々あったが、
なんとかエンジェモンが行ったことを恣意的に好意と捏造に満ちた視点と解釈から、情報を取捨選択して不慣れな理論展開を無理やり披露したのだ。
もちろんブイモンはそういう事が大の苦手な部類に入る。なんにも知らない大輔だって気付いてしまうほど、その説明には無理がありすぎた。
どうしても曖昧な部分や言及できないところ、都合のいい事実ありきの展開にほころびが生じてくる。
大輔の徹底的な追求と説明を求める怒涛の問いかけに、ブイモンが全部対応しきれるわけがなく、とうとう白状してしまう。
大輔からすれば、1番の被害者であるはずのブイモンがエンジェモンを庇っていること、それ自体が全く理解出来ない、信じられないものだった。

「大輔?」

「なんでブイモンが庇ってんのかって聞いてんだよ!」

掴みかかった大輔は、がくがくとブイモンを揺らす。大輔苦しいよ、落ち着いて!とブイモンは叫ぶのだが、落ち着いてるよ!と大輔は即答した。
結局間に合わなかったんだ、と後悔と無念さをにじませながら、そう切り出したブイモンは、話したのである。
パタモンがエンジェモンに進化し、デビモンに大輔が人質に取られるせいで、身動きがとれないエクスブイモンの代わりに攻撃したこと。
大輔もろとも巻き込もうとしたことよりも、大輔に呼吸すら忘れるほどの憤怒に走らせたのは、
守りたいと思っていたパタモンから進化したエンジェモンが、大輔たちを攻撃をしたという事実である。絶対にあってはならないことだ。
それなのにブイモンは、心配していたことが的中してエンジェモンがおかしくなってしまったことばかりに終始して、
なっちゃんを救った大輔のようにブイモンなりに頑張ったのだができなかった、やっぱり大輔はすごいネと笑ったのだ。
全然笑えない。全然笑い事ではないではないか。
本来味方であるべきエンジェモンと、敵であるデビモンから、容赦なく怒涛の猛攻の嵐に晒された挙句、
仲間であるから攻撃できないことをいいことに、ぼろぼろに傷ついたエクスブイモンに止めを差したのはエンジェモンなのだ。
ホーリーロッドからの聖なる光で撃墜させたのは、エンジェモンなのだ。デビモンではなく、エンジェモンなのである。
大輔からすれば、遅すぎる怒りですらある。

「なんでブイモンがこんな目に合わなくっちゃいけないんだよ!俺達はただタケルとパタモンを守ろうとしただけじゃねーか!
なのになんでエンジェモンから、お前が、ブイモンが攻撃されなきゃいけないんだよ!ひでーよ、あんまりだろ!
ブイモンじゃねーか、なあ、タケルとパタモンのこと、最初に気付いてたのブイモンじゃねーのかよ!
危ないんだって、何とかしなきゃって、俺に相談したのお前じゃねーか!これってあれだろ、裏切りじゃねーか」」

そうなのである。タケルとパタモンが抱えている薄氷の関係に、パートナーデジモンであるがゆえの独自の視点と経験から、
真っ先に気付いたのは大輔ではない、ブイモンなのである。
寸分狂い無くブイモンの予感は的中していた。そういう意味でも、1番身を案じていたはずの相手から、ブイモンは傷つけられたのだ。
それなのに、ブイモンは止められなかったこと、間に合わなかったことを後悔しているのだ。そこじゃないだろ!と大輔は怒る。

「なあ、ブイモン。なんでお前怒らねえんだよ、怒ってもいいんだぞ、つーか怒らなきゃ駄目だろ!なんで怒ってくれないんだよ、おかしいだろ!

大輔はブイモンの底なしの寛容さに全く共感することができない。パートナーデジモンなのに、ブイモンの態度が全く分からない。
どこまでもタケルとパタモンを思いやっているとしか思えない。なんで?なんでだよ、お前が1番ひどい目にあったのに!
ブイモンがこうでは、怒っているはずの大輔がおかしいのではないかと思ってしまう雰囲気になるが、
大輔はじぶんの怒りが間違っていないと確信できるので、尚更イライラするのだ。
ブイモンが自分の為に怒らない、という不可解さを、誰よりもブイモンのことを大切に思っている大輔が怒る。
ブイモンは大輔、と目を瞬かせる。ぼろぼろ泣きはじめた大輔は、ブイモンの肩に手をおいたまま、うつむいて嗚咽を始めた。
図らずも対象が全く一致していないという点を除けば、大輔とブイモンは、この事件に対して表明した態度は全く同じだった。
お互いに自分のことがすっぽりと抜け落ちている。この危うさが顕著になったのだ。
しかし、まだまだ大輔とブイモンはお互いのへんてこなところに気づくことができても、それが鏡写しであると気づくまでには至らない。
ブイモンは手を握った。そして優しい少年に目を細める。デビモンとの激闘からの記憶が抜け落ちている大輔は、ブイモンの話から憶測するしかない。
だから、ブイモンの話をきいて、大輔は大輔のために怒っているのだと信じてやまない。
相手の感情を自分のことのように感じることができる優しい少年は、ブイモンのために怒りなのに、自分の純粋な怒りだと錯覚して、
判断ができないくらい混同していた。だから大輔は生まれて初めての激情を体験した。ブイモンと大輔一人と一匹分の怒りを吐き出しているのだ。
それなのにブイモンは言うのである。

「そんなこと言うなよ、大輔。オレはパタモンがもとに戻ってくれたらから、それでいいんだよ。
きっと1番傷ついてるのはタケルとパタモンなんだ。今回はきっとなんかの間違いだよ。そんな怒るなよ」

「……間違い?間違いってなんだよ、ブイモン!」

大輔はばっと顔を上げて怒鳴りつける。

「いくらおかしくなったって、やっていいことと悪いことがあるだろ!飛び越えなくちゃいけない一線ってもんがあるだろ!
そこから先に突っ走んのと躊躇すんのと既の所で踏みとどまるって全然違うじゃねーか!
エンジェモンは迷わなかったんだろ?!突っ走ったからブイモンがこんなことになってんだろ!
心のどっかで考えてなきゃできないじゃねーか!」

「だから、エンジェモンはおかしくなったんだって」

「タケルまで攻撃したのかよ」

「してないけど」

「やっぱりそういう事じゃねーか!俺達にだけ攻撃したってことはそういう事じゃねーか!
エンジェモンは俺達をころっ……!」

「大輔!」

ぴしゃりとブイモンが遮る。
これ以上言ったら本気で怒るよ、とブイモンに怒られた大輔は、まるますカッとなって高揚しきった顔でブイモンを睨みつける。
ブイモンは、ぽんぽんと大輔の肩を叩く。気が動転してるんだよ、落ち着いて、とブイモンが笑った。

「大輔、ここから出るとオレ怒られるからさ、タケルとパタモンの話聞いてきてよ。なんにもしないで喧嘩するって、最初の喧嘩と一緒だろ?」

「あん時とは全然違うじゃねーか」

「ううん、違わないよ。タケル達の話、ちゃんと聞こうよ大輔。そしたらオレも考えるから」

「なんでそんなに簡単に許せるんだよ、ブイモンは!俺はお前ほど心広くねえんだよ!」

その手を振りほどこうとして、結局その優しさを振り払うことが出来ない大輔は、そのままうつむいてしまう。

「広いよ大輔は。オレよりずっとずっと広くって暖かくって優しくて、オレはそういうとこが大好きだよ、大輔。
なあ、大輔はオレのこと、ちょっとだけ勘違いしてない?」

「はあ?」

「大輔はオレのこと、タケルやパタモンのこと怒らない、すっごくイイヤツって思ってるかもしれないけど、違うんだよ、大輔。
そーじゃないんだ。もっとオレは自分勝手で、いい加減な奴だよ」

「はあ?なにいってんだよ」

「だって、オレがエンジェモンのこと怒らないのは、どうでもいいし、キョーミないからなんだ。
オレにとっては大輔が1番で、それ以外ってぶっちゃけどうでもいいんだよ。
それでいいのに、ホントは、さすがにちょっとだけ怖かったし、悲しかったし、もう2度と仲良くなれないかもしれないと思うと悲しかったよ。
それってきっと大輔が教えてくれたんだって思ったら、全然怒る気になれなくなっちゃったんだ。オレ、言ったでしょ?
デジモンって普通は一人で生きて行くのがフツーだから、大輔みたいにいろんなコト考えて、悩んで、怒って、泣いて、なんてこと知らないんだ。
友達だってそう。大輔からすれば、オレとパタモンって友達に見えるかもしれないし、もしかしたらもう友達かもしれない。
でも、大輔とタケルがそうだったから、パタモンと一緒に真似してただけなんだよ、オレ達。
パートナーデジモンでしかなかったのを変えてくれたのはきっと大輔たちがいたからなんだって思ったら、宝物に思えたんだ。
だから、パタモンのこと、エンジェモンのこと嫌いになったら、怒ったら、せっかく大輔が教えてくれたことがなくなっちゃう気がするんだ。
なあ、大輔、間違ってる?オレ、間違ってる?こういうの初めてだから分かんないんだ。やっぱり、怒ったほうがいいのかなあ?」

「………俺に聞くなよ、当たり前だろ」

なんでそんなことも分かんないんだよ、と大輔はすっかり怒る気が失せてしまったのか、はあ、とため息を付いてブイモンから離れた。

「なんか疲れた。ブイモンのせいだぞ」

「え?なんで?なあなあ、大輔、やっぱり怒ったほうがいい?」

「いちいち聞くなよ、当たり前だろ、ブイモンは怒らなきゃいけないんだよ」

「なんで?」

「なんでって、そりゃ、その……あーもう、とにかく怒んなきゃダメなんだよ、こういう時は!」

理由なんてないんだ、と怒鳴る大輔に、ブイモンはそんなもんなの?とつぶやき、そんなもんなの!と返される。
なんだかグダグダになってしまった。疲れてしまった大輔は、喉が結構からからになっていることに気づいて、青ざめる。
しまった、大声だしすぎた!今夜中なのに!
もしかしたらみんなを起こしてしまったかもしれないと、あわててドアを開けた大輔は、硬直した。

「……だいすけえ」

すがるように見上げてくるパタモンと言葉が紡げず悲しそうな顔をするタケルがそこにいた。

「だいすけ、あの、ぼく」

「大輔君、あのね、パタモンの話聞いて」

あげて、と伸ばされた手は空を切った。ばたん、と乱暴なドアの音が木霊する。
大輔はもう訳が分からなくなって、もうほとんどやけくそになって、がちゃりと鍵をかけてそのままが開かないように、全力で体重をかける。
ドアに背を向けて、どんどんとタケルとパタモンがノックをしているのを押さえてしまう。大輔の名前を呼んでいるのがドア越しに聞こえてくる。
大輔はもうその場に立っていることができなくなって、ずるずるとドアを伝ってうずくまってしまう。そして耳をふさいだ。

「何しに来たんだよ!今度は盗み聞きとかふざけんのもいい加減にしろよっ!!」

きりきりと胸が締め付けられるので、ますます訳が分からなくなっている。
怒っているのはこっちなのに、悪いのはあっちなのに、なんでこっちがこんだけ苦しなまきゃいけないのかわからない。

「話を聞いてよ、大輔君!」

「やだ、ゼッテーやだ!見損なったぞ、パタモンもタケルも!友達じゃねーのかよ、俺ら!
許さねえからな、ブイモンが許したって、許してあげてって言ったって、俺は許さねえからな!
大っきらいだ、お前らなんか大っきらいだ!どっかいけよ、どっか行っちゃえよーっ!」」

「やだ、絶対やだ!大輔君が話を聞いてくれるまで、ブイモンと話をさせてくれるまで、絶対にどかない!どっかいかない!」

「僕もいかないっ!僕もうやなんだ!すぐに諦めちゃう僕になっちゃうのやなんだ!
何でも許してくれる大輔とブイモンに甘えて、何にも出来ないの、大輔たちのせいにして、また傷つけるようなこと、もうしたくないよ!」

何でも許してくれる、という言葉を来た途端、大輔は大きく目を見開いて、溢れ出す涙を堪えるために目をとじて、ぶんぶんと首を振った。

「なんだよそれ、なんだよそれええっ!
そんな理由でっ……そんなどうでもいい理由でっ……エンジェモンはエクスブイモンのこと傷つけたのかよ、ふざけんなああ!
あんまりだろ、俺達が何したって言うんだよ!なんにもしてないだろ、頑張っただけなのに、お前らを守ろうって頑張ってただけなのに!
何やっても許してくれるってなんだよそれ!そんな訳の分かんない理由でなにしてもいいと思ってんのかよ!
俺はそこまでイイヤツなんかじゃねーよ!みんなみんな、俺のこと勘違いしすぎなんだよーっ!俺はそんなにイイヤツじゃねえよ!」

ブイモンもタケルもパタモンも、みんなおかしいんじゃないかと大輔は思う。
過大評価にも程があるではないか、実際に大輔はブイモンと違ってこうやって怒っているのだ。ひどいことを言っているのだ。
許さないって、大っきらいだって、思いつく限りの暴言をはいて、多分ドアの向こうのパタモンとタケルを泣かせているのだ。
熱しやすくさめやすい大輔は、いつだって全部感情を吐き出してから、はたと我に返ったときに後悔の波が濁流のように押しかけてくるのだ。
こういうとき、いつも大輔は自分のことが嫌になる。
悪いのがどんな相手だって沸き上がってくるこの感情に、大輔は押しつぶされそうになる。
良心や優しさという名前のプレッシャーが、大輔に謝れと間違っているのは自分だとささやきかけてくるのだ。
心が広いとか、寛容だとか、なんでも許してくれるんだとみんな言うけれども、そういう大輔が大好きだというけれども、
大輔は喜んで自分からそういうことをやってるわけじゃないのだ。ただこの心苦しさから少しでも早く解放されたいだけなのだ。
だから懸命にタケルとパタモンの必死の問いかけから耳をふさぐ。
だって一言でも耳を傾けたが最後、きっと大輔の心はその言葉に耳を傾けようとするのである。
そして許そうとしてしまうのだ。実際、もう大輔の心は許そうとしている。あっさりと穏やかになりつつある自分に気づいているから、
大輔は尚更苦しんだ。訳がわからない。それが原因でエクスブイモンがエンジェモンに攻撃されたのであれば尚更のこと。俺のせいじゃないか!
いつもいつもこうやって自分の感情が曖昧になってどこかに消えてしまうから、姉に1番聞きたいことを聞けないまま1年間が過ぎてしまっているのだ。
同じじゃないか、と大輔は思う。もういやだ、こんな自分が嫌だ。傷つきながら怒り続けている大輔は、泣きながらドアに向かって叫ぶ。

「苦しいんだよ!怒ってんの俺なのに!悪いのお前らなのに!いっつもいっつも俺ばかり、俺ばっかり息が出来なくなるくらい苦しいんだよ!
おかしいだろ、なんで俺がこんな目に合わなくっちゃいけないんだよ!俺なんにも悪いことしてないのに!
何でだよ、おかしいだろ、もうやだよ、こんなの、こんなの、もうやなんだよ!」

だからお前らと話なんかしたくない、と大輔は泣き叫ぶ。
しばらくの沈黙、はあはあと息を荒らげ始めた大輔のドアの向こうで、なんと返していいのか分からずに困惑しているパタモンの横で、
タケルはドアを叩いていた手をもう一度、どん、と叩いた。びくっと大輔がゆれる。
タケルはもう引き下がれない。もうここでタイミングを失ってしまったら、もう二度と大輔はタケルやパタモンに対して、
本音とも言える発言を言い合える関係になること自体、考えるのをやめてしまうだろう。
タケルは一度、大輔からの相談を冗談だと勘違いして潰しているのだ。最後のチャンスである。タケルは嬉しかった。
やっと大輔とほんとうの意味で対等になれるタイミングが見つけられたのだ。いままで何かと助けてくれた大輔に、恩返しする意味でも。
本当の友達になる意味でも。不意にしてたまるかとタケルは問いかけをやめない。

「いつまで?」

「いつまででもだよ!」

「大輔君、ずっと苦しんでるの?」

「お前らのせいだよ!」

「うん。僕らのせいだよ、だから、話しようよ、大輔君」

「だから、俺はお前らと話なんかしたくねえよ!」

「僕は話したいよ、パタモンと一緒に、大輔君とブイモンと話がしたいよ。ねえ開けてよ、大輔君。
だってやっと話してくれたよね、大輔君。やっと僕達に相談してくれたよね、苦しいんだって、もういやだって。
大輔君が僕の相談に乗ってくれたように、僕も相談に乗りたいよ、一人で何でもやっちゃうずるい大輔君が、
やっと言ってくれたんだもん。僕もパタモンも、退かないよ。僕達、大輔くんともっと仲良くなりたいんだ」

「ずるいのはどっちだよ、そんな事言われたら、開けるしかねえか、やっぱり嫌いだよ、タケルもパタモンも」

「嫌いでもいいよ。また仲良くなればいいんだって教えてくれたのは、大輔君じゃないか」

「うん。そうだよ、大輔。だから、僕、大輔とブイモンに謝りたいんだ。大っきらいだなんていわないで?また仲良くして?
僕、約束する。もう二度と大輔とブイモンを傷つけないって約束する。だから、あけて?話を聞いて、謝らせて、お願いだよ」

ちくしょー、と大輔はつぶやいた。結局のところ、大嫌いになれたら楽なのにそれが出来ないから大輔はいつだって苦しんでいるのだ。
はあ、とため息を付いた大輔は、顔を上げた。ずーっと沈黙を守っていたブイモンは、視線を合わせると笑った。

「ほら、やっぱり大輔は心が広いよ」

観念してドアを開けた大輔は、飛び出してきたパタモンに飛びつかれてひっくり返る。それをみて、タケルとブイモンは笑った。



[26350] 第三十話 BRAVE HEART
Name: 若州◆e61dab95 ID:b3115785
Date: 2011/04/15 08:40
デビモンが口にした「聖なる力」を解き明かすべく、子供たちとパートナーデジモン達は、研究熱心である光子郎にリビングに呼び出されていた。
光子郎に促されるがまま、デジヴァイスを置いた大輔は、テーブルに並んだ8つのデジヴァイスを眺めながら、ソファに沈む。
なにやら真剣な雰囲気にごくりとつばを飲み込み、前に出てきた光子郎を見た。光子郎はデジヴァイスを手にとると、早速説明を始める。
デジヴァイスと皆が口にしているけれども、実は誰もその正体について正確な情報を持っていないという切り出しから始めた光子郎は、
このデジヴァイスは小さなパソコンであると結論から先に述べて、子供たちを驚かせた。
こんなに小さなデジタル時計みたいなものが、パソコン?そんなばかな、とみんながデジヴァイスを見て光子郎の発言に首を傾げる。
証拠の提示を求められた光子郎は、私物であるパソコンをデジヴァイスの横においた。食い入るようにみんな見つめる。

「デジヴァイスって、デジモンの正式名称であるデジタルモンスターと、デバイスって言う言葉の造語だと思うんです」

すかさず、はーい、と生徒とかしている太一が手をあげるので、なんですか?と説明を遮られて嫌そうな顔をした光子郎は、
しぶしぶ太一に聞いた。

「なあ、光子郎、デバイスって何だ?」

思わずがくっと何も無いところで転びそうになった光子郎である。

「デバイスはデバイスですよ、何言ってるんですか、太一さん!情報の時間に習ったでしょう?」

光子郎の記憶が正しければ、「聖なるデバイス、デジヴァイスを使うんです」と太一にアドバイスしたことで、
太一とヤマトが見事レオモンを廃人の洗脳状態から解放することができたはずである。
あのときはデバイスという言葉に、ああなるほど、としっかり頷いていたのを光子郎はこの目にしっかりと焼き付けている。
まさかノリとかんでやっていたとは思いたくなかったらしい光子郎は、すっかり頭が痛くなっていた。
呆れ気味で聞いた光子郎の前で、んー?と首をかしげた太一は、習ったっけ?と空とヤマトに話を振る。
え?とまさかこっちに話題が飛んで来るとは思っていなかったのか、ヤマトと空はしばしの沈黙、硬直してるとも言う不自然な空白のあと、
明らかな知ったかぶりでもって光子郎の冷ややかな眼差しを頂戴した。予防線に目線をさっきから合わせようとすらしない・
唯一、なるほど、デジタルのままだとダブルミーングにしては愚直すぎるよね、とさらっと知識に上乗せをしてくれたのは丈だけである。
ええ、僕もそう思います、と嬉しそうに笑った光子郎だった。
さっぱり意味がわからないので初めから考察を放棄して、
光子郎の解説待ちのタケルや大輔はまだ小学校2年生だから情報の時間はまだであると分かるので納得できる。
問題は、その隣で足をブラブラとさせながら同じように待っている、ミミは光子郎と同じ4年生のクラスメイトであるということだ。
やっぱり納得行かない、と思う一方で、光子郎はちょっとみんなが心配になった。

「あの、みなさんパソコンの時間ですよ?ちゃんと授業受けてるんですよね?」

お台場小学校では、情報の時間やパソコンの時間という呼称で、来るべき情報化社会に向けて子供たちに最低限度ラインの知識や技術を身につけてもらおうと、
数年前に新設されたばかりのパソコンの教室での授業が導入されている。もうすでに家でやっていることばかりでつまらない、という子どももいるが、
みんなに平等な教育を施すのが目的の小学校では、その家庭間で生じ始めている環境差を少しでも埋めることで必死なのだ。
小学校4年生から、ローマ字やかな入力といった基礎的な知識からはじまるその授業では、実際にパソコンを使っていろんなコトをしてみる、
子供たちからすれば遊びの時間のような感覚である。クーラーや暖房が付き、ローラー付きの椅子に座れるし、こっそりゲームやHP見てもバレないし、
友達としゃべっていてもあんまり怒られないし、当然なのかもしれない。フロッピーやCDが自分用にもらえるというのもポイントが高く、
まだまだ高価なデジカメを研究発表の時に使えるとあって、結構な人気を誇っている。
だってテストは教科書に出てくる固有名詞を暗記すればいいだけなのである。もしくは授業中に作ったイラストとか文章をコピーして提出である。
本来なら光子郎の言うデバイスだとか、CPUだとか、そっちの知識の方もしっかりと先生が教えるべきなのだが、
なにせ先生の間でまずその知識を生かせる授業をできる人材が不足しており、
深く突っ込んだ話をしてしまうと子供達がついて来れなくなるか、逆に子供達に置いて行かれるか、という両極端になってしまうため、
結局プリントを利用したものになってしまうのである。
テスト丸暗記で授業を乗り切ってきた組が大半を占めているらしい上級生組は、光子郎の解説を申し訳なさそうに待っている。
はあ、と小さくため息を付いた光子郎は、仕方なく関係の無い補足を入れるはめになってしまった。

ちなみに、デバイスとは、単純な特定の機能を持った機器、装置、道具という意味の英単語であり、狭義には何らかの特定の機能を持った電子部品という意味と、
コンピュータ内部の装置や周辺機器などの意味で用いられることが多い専門用語である。
後者の意味の場合は、CPUやメモリ、ハードディスク、ビデオカードなどコンピュータを構成する各機械装置、
キーボードやマウス、プリンタ、ディスプレイなどの周辺機器をまとめてデバイスと言う。
デバイスを正しく作動させるためには、その働きを制御するソフトウェアが必要であり、これをデバイスドライバという。
普通はパソコンにあるデバイスドライバはOSに同梱されていることが多いため普段はあまり意識することは無いが、
二つセットで初めてまともに起動させることが出来る。
ものすごく解りやすく言うと、デバイスはサッカー選手でデバイスドライバは作戦を指揮するコーチである。

ここまで優しくして、ようやくみんな理解してくれたのだが、退屈そうにしていた太一から、最初っからそう言えよ、と身も蓋もないコトを言われてしまえば、
もう若干涙目になるしかない光子郎である。光子郎はん、こらえて、とテントモンの切実な訴えやまだ学校で習っていないことを教えてもらって、
ものすごく嬉しそうな顔をしている小2コンビのキラキラとした賛美の眼差しがなかったら、きっと心がポッキリ折れていただろう。
とにかく、と光子郎は締めくくる。

「デジヴァイスは、デバイスと同じ働きを持っていると思うんです。そして、デバイスドライバは僕達、そしてデジモン達じゃないかと思うんです」

それは何故子供たちがこの世界にやってきたのか、という最大の謎に迫る根幹とも言うべき核心に光子郎が着実に近付いていることを証明していた。
もちろん、なんとなく光子郎の言いたいことが分かっているレベルの子供たちやデジモン達でさえ、それを無意識のうちに察して、
おお、と声を漏らすほどには衝撃を与えていた。

「デジヴァイスには不思議な力がありますよね、それが聖なる力っていう奴じゃないかと思うんです。みなさん、もう気づいてますよね?」

この質問にはいよいよ持って、みんなそろって頷いた。
デジモンはデジヴァイスがなくても進化することができるが、平均化された年齢や条件が明確に存在していて、
それをクリアすることができるごく少数の者だけが進化できているという現状を、子供たちは把握しつつある。
でもデジヴァイスを介して進化したパートナーデジモン達は、その常識を打ち破って、一発で進化することができるのである。
それがどんなに異常なことなのか、考えなくても分かることである。
本来進化したらその姿を変えることはないデジモンが、一時的な進化のためにデジヴァイスの力を借りて、その姿を維持し続けるには、相当なエネルギーが要る。
デジモンが進化するには、自分の持っているデータを分解、構築、再構成の過程で進化後のデータをダウンロードする必要があるのだ、
何年もかかるその作業を一瞬で終わらせ、しかも維持し続けるなんて凄まじいデータ量が必要となる。データが力を持つこの世界では。
そう考えると、デジヴァイスの力を借りた進化のあとで、パートナーデジモンたちが退化するのは当たり前である。
それなのに、デジヴァイスによる進化は何度も繰り返すことで確実にパートナーデジモンたちを強くする。
何気なく使ってきたものの、秘められている力は、凄まじいの一言に尽きた。

それに加えて、デジヴァイスは黒い歯車を浄化する作用がある。
これはウイルスに対してアンチウイルスソフトで撃退することと同一のものなのかどうかまではわからない。
しかし、この力によって子供たちはたくさんの危機から逃れることが出来ていた。
闇の洗礼を受けてデジコアを黒い歯車で侵食されていたレオモンを救ったのは、デジヴァイスの光である。
なっちゃんの世界に引きずり込もうとしたデビモンの魔の手から、大輔を守ったのはデジヴァイスの力である。
黒い歯車を破壊することができるこのデジヴァイスは、掲げることで光を放つ。
これが一体なんの力なのか、未だに光子郎ですら解析できない状態らしい。
謎が謎を呼ぶ形ながら、この世界を支配すると豪語するデビモンがデジヴァイスを扱うことができる太一達を危険視し、襲ってくるのは理解できた。

「なんなんだろうなあ、これ」

改めてにらめっこしている子供たちの心境を代弁した太一に、ずっと壁に体を預け、腕組みをしながら聞き入っていたレオモンが、声をかける。
振り返った子供たちとデジモン達に、レオモンは話し始める。ごくりとつばを飲み込んだ彼らの前で、レオモンは語り始めた。

「いつの頃だったかはわからない。しかし、このデジタルワールドでまことしやかに囁かれ始めた噂があったのだ。
この世界が暗黒の力に覆われたとき、別世界から『選ばれし子供達』という存在がやってきて、この世界を救ってくれるという噂がな。
もともと人間という存在や別世界があるなんていう事自体、こうして君達に会うまで信じているデジモンなどいなかった。私のようにな。
確かにデジモン達の間ではそういう伝説があるという噂が流れ始めて、ずいぶんと長いことになる。もう伝説と言ってもいいレベルでな。
今まで半信半疑だったが、キミたちの話を聞いて、もう疑う余地はないだろうな。
今のファイル島はデビモンによって、黒い歯車という驚異でもって、まさに暗黒の力におおわれようとしている。そこに君達が現れた。
君たちがどう思おうが、これはゆりうごかすことが出来ない確固とした事実だ。
君達は元の世界に帰りたいのだろう?もしそうだとしたら、暗黒の力を消滅させれば、この世界にとって君達は役割を果たしたということになるかもしれん。
言うまでもないかもしれんが、改めて頼みたい。選ばれし子供たちよ、どうかファイル島に覆われた、この闇を打ち払ってはくれないか」


第三十話 BRAVE HEART


子供たちは歓喜した。
今まで現実世界に帰るための方法を懸命に探し続けてきた漂流生活の突破口を、ようやく開くことが出来るヒントを得ることが出来たのである。
そして、いきり立つ。なんとしてもデビモンを倒さなくてはいけない。
たとえその先に待っているのが、パートナーデジモンとの別れであるとしても、今はただその事実から目を逸らしたままで、みんな一致団結する。
世界を救うという大義名分よりも、子供たちをやる気にさせたのは、もとの世界に帰ることができるかもしれない、という憶測である。
みんな信じて疑わなかった。これが終われば、すべてが終わる。長かった漂流生活が終わる。心に思い描く人たちにあえる。
憶測がいつか確信に変わり、ゆるぎ難い事実として子どもたちの間で勝手に捏造され、なんの確証もない期待へと変貌を遂げる中で、
ブイモンが回復したことで、みんなが一緒になって戦うことができるようになった翌朝、太一達はデビモンが待つムゲンマウンテンへと出発したのである。
迷いなど一曇りも、子どもたちの間にあるわけがなかった。
パートナーデジモン達は子供たちのために戦うだけだ。大好きなパートナーが望むのなら、どんな敵にだって立ち向かえる。
戦いの終わりが別れであるとレオモンから語られた伝説で証明されているのだとしても、漂流生活の中で1番闊達な子どもたちを前に、
別れたくない、など言えるわけがない。
パートナーデジモンとパートナーが微妙に違う視点から世界を見つめながらも、ときは一刻と過ぎていく。決戦は、迫っていた。

突然強大な地震がファイル島を揺るがす。
立っていられなくなった子供たちが地面に這い蹲り、パートナーデジモン達は迫り来る驚異を察知して、前に躍り出た。
ムゲンマウンテンが割れる。真っ二つの割れていく。その畏怖すべき光景に絶句しながら、麓で見上げていた子供たちとデジモン達の前に現れたのは、
空に届かんばかりに巨大化した、デビモンの姿である。
デビモンのヤシロであるムゲンマウンテンが黒い歯車の生産工場と化しているのは子供たちは間近で観ている。
だが、まさか、この世界に存在していた全ての黒い歯車を自らの体に取り込んで、子供たちとの最終決戦に備えていたとは思わない。
デビモンはどこまでも選ばれし子供たちとそのデジモン達を確実に抹殺することができる手段を講じてきた。生きて返す気など、毛頭ないのである。
空に響く轟音のような笑い声。

しかし、負けるわけにはいかない。なんとしてもデビモンを倒して元の世界に帰らなけれないけないのだ。
子供たちの感覚では、もう漂流生活を始めてから、ゆうに一週間以上が経過しているのである。
待っている人がいるという現実が、子供たちを奮い立たせ、パートナーデジモンたちを強くする。
進化の光りに包まれたデジモン達がいっせいに攻撃を仕掛けていく。
しかし、あまりにも強大な存在として立ちはだかっているデビモンを前にしては、まるで米粒のようにちっぽけな存在である成熟期は、
同じ成熟期であるはずのデビモンを前にして、なすすべなく蹂躙されていく。
子供たちは怯むこと無くパートナーデジモンたちを必死で応援する。がんばれと。負けるなと。そしてパートナーデジモンの名前を呼ぶのだ。
ぼろぼろに傷つきながらも懸命に立ち向かっていくパートナーデジモンと、なんとかデジヴァイスに必死で心からの声援を送り込み、
少しでもデータとして解析されていく想いの力をデジヴァイスに託して、パートナーデジモンのパワーアップを支援する選ばれし子供達。
彼らの勇姿に少しでも報いらんとばかりに、単身勇猛果敢に立ち向かっていったレオモンが、
デビモンの宣言通りにデビモンの糧となって体に飲み込まれてしまったかつての好敵手を見て絶句する。
こう言った形で決着をつけたくはなかったと歯ぎしりしながら、レオモンはオーガモンに自らの魂である剣を向けた。



「もう迷わないって決めたんだ!いくよ、タケル!僕、今度こそ、今度こそちゃんと、みんなを守るために進化してやるんだ!」

力強く叫んだ決意は、やがて光となってタケルがぎゅっと握り締めているデジヴァイスに、確かな鼓動となって降り注ぐ。
うん!と大きく頷いたタケルは、かつて答えられなかった問いかけに答えるために、ぎゅっと目を閉じる。
そして心のなかでエンジェモンに伝えるために、一言一言祈りを込めてはっきりと告げる。
その心からの言葉はやがてデジヴァイスによって解析され、パタモンの決意と一つとなったとき、一直線に登っていく光がある。

「僕が、僕が教えてあげるよ、エンジェモン。これから一緒に探そう、何をしなくっちゃいけないのか、何をしちゃいけないのか。
だから、みんなと一緒に戦って欲しいんだ。僕も一緒に頑張るから。それが、僕の気持ちだよ。君にやって欲しいことなんだ」

二元論のような単純な価値観や世界観では到底説明しきれない、光と闇という存在に対して、真正面からぶつかったタケルが導き出した答えである。
タケルはエンジェモンに言ったのだ。光や闇のどちらかに属するのではなく、タケルと一緒に、これから、を捜すために歩んで欲しいと言ったのである。
それは極端な闇と光のあり方を間近で見て、体験し、どちらにも理解と疑問を持ってしまったタケルが、自分なりの正しいことを見つけたい、と
心から思ったがゆえの結論だった。
かつてのデビモンとエンジェモンのあり方が、光と闇であるということ以外、全く変わらないことに気付いたがゆえの結論だった。
これは、これから先、光や闇というわかりやすい存在があるにもかかわらず、どちらからも一定の距離を保って、バランスをとりながら、
中立に歩んでいかなければならないという、途方も無い決意と同じである。
しかし、それは同時にタケルがタケル自身の為に、なんにもとらわれないでやりたいことを見つけていくという決意表明でもある。
きっと大丈夫だろう、タケルはもう一人ではないのだから。

希望とは厄災でもある。やがてタケルが手にすることになる多彩な解釈ができる希望という紋章について、タケルが明確に定義付けた瞬間だった。
どんな暗闇の中でも決して失わない光、という他の精神的な形質を示す紋章とは一線を画す非常に解釈が難しい紋章にタケルが選ばれたのは、
ひとえにタケルが選ばれし子供たちの中で、精神的な意味で最も幼かったという一点に理由が集約されている。
最も幼い子どもは確かに非力であり、守られる側であるが、既存の価値観や常識にさえとらわれなければ、
柔軟な発想を持って、自由に、なんにでもなれるという無限の可能性を秘めているに等しい。
その将来性でもって選ばれたタケルは、希望という紋章が持つ特有の性質と非常に似ていたのである。
希望という性質をよく表しているとされる寓話の中に、パンドラの箱という話がある。
神から「あらゆる厄災が詰め込まれた箱」を中身を知らされないまま渡されたパンドラという女性が、好奇心に耐え切れずに開けてしまったため、
この世界は厄災に溢れてしまったが、あわてて箱を閉じたパンドラがのぞいてみると、そこにはエルピスというものが残っていたという話である。
このエルピスというものがなんなのかは、この寓話をどう捉えるかによって、大いに解釈がわかれてしまう非常に難しい話である。
後世の創作意識を駆り立てるために存在しているため仕方ないといえるのだが、そのエルピスは一般的には希望と解釈される。
災厄が起こり得る世界で、希望があるおかげで人は諦めずにどんな困難でも乗り越えて行くことができるのだとされている。
しかし、そもそもどうして「あらゆる厄災が詰め込まれた箱」の中に希望と解釈されるエルピスが入っていたのか、を考えてみると、
そこに希望というものの本質が現れてくるのだ。
幸福が逃げてしまっても、いつかは手に入るのだという希望があるからこそ、人は絶望しないでいられるということになる
それは同時に、人は絶望することができず、空虚な期待を抱きながら生きて行くことも意味する。
未来が分からないため、人は諦めることを知らず、ずっと希望と共に生きていけるが、それは同時に絶望も味わうこともあると意味する。
いずれにせよ、箱の中に残ったものは、自分の手元にあり、意志や自分の力で制御することが可能なものであり、
箱の外に飛び出したのが、自分たちではどうにもならない、いつどのように世の中でもたらされることになるのかわからないものである。
そしてそれらはかつてワンセットであり、箱の内と外に別れてしまったが、結局はすぐ側にあるということに代わりはない。
非常に面白い側面があるのだ。

まだまだ無意識ではあるけれども、確実に一歩、タケルが成長した証である。
その安定した心はしっかりとパタモンから受け継がれ、エンジェモンへと伝わっていく。
今度は安定した進化にもかかわらず、僕から私に一人称が変化し、がらりと性格が変わってしまうのは、
パタモンというデジモン自体はそもそも哺乳類型のデジモンであり、善悪とは直接関係の無い普通のデジモンであり、
聖なるものに属するデジモンではないからだ。
進化すると突然エンジェモンという明確な正義や善の所属に立ち位置が代わってしまうからに他ならない。
もちろん、規則的な進化を遂げることが出来たエンジェモンには、はっきりとした自我がわずかながらではあるが芽生えている。
あの時とは比べものにならない、鮮やかな閃光に包まれて現れた天使は、ばさりと大きく6枚の羽を揺らした。
タケルがその旅の果てに答えを見つけることが出来たとき、きっとそこにいる天使は誰よりも輝いている。
今はまだ未熟な天使は、すこしばかり戸惑いながら、しかしはっきりとタケルの答えにぎこちなく微笑みかけた。

「それが、タケルの答えなんだね。人の心という不確かで移ろいやすい、曖昧なもののために、私に戦えと言うんだね。
分かった。私はタケルの信仰する人の心というものの為に戦おう。たとえそのために、光の加護を失って、力を発揮することが難しくなろうとも、
私は戦うことを今ここで約束しよう。タケル、君が望むなら」

ホーリーロッドを振りかざしたエンジェモンが、凛とした声で宣言した。
届いた!僕の声がエンジェモンに届いたんだ!とタケルは喜びでいっぱいになって、うん!と大きく頷いた。

「頑張って、エンジェモン!デビモンなんかに負けないで!」

パートナーの心からの力強い声援がデジヴァイスを通してエンジェモンに力を与える。
それは中立の立場を選択したことで、失われてしまった聖なる力を補強して有り余るものだったが、
黒い歯車を取り込み、強大な存在として立ちはだかるデビモンを倒すために必要な、対等の力を得るためには、まだまだ足りない。
それを悟ったエンジェモンは、きらきらとまばゆい光に包まれている上空を眩しそうに見ている子供たち、そしてデジモン達に叫んだ。

「私に力を貸してくれ!デジヴァイスの力を私に!」

切実な未熟者の天使の声に呼応して、太一の、空の、ヤマトの、光子郎の、丈の、ミミの、大輔の、そしてタケルのデジヴァイスの光がエンジェモンに届く。
進化に使われている筈だったエネルギーを根こそぎ奪われたパートナーデジモン達は、あっという間に成長期に戻ってしまった。
エンジェモンが何をしようとしているのか察知したデジモン達は、慌ててやめるようエンジェモンに叫ぶ。
そして子供たちのデジヴァイスから溢れる光を何とか抑えようと奔走するが、
エンジェモンのタケルの気持ちに応えたいという気持ちが凌駕してしまい、あっという間に爪弾きにされてしまう。
かつてパタモンを飲み込んだ光の濁流がエンジェモンのもとに、まるでクリスマスツリーのネオンのごとく集まっていく。

「愚か者め、死なばもろとも心中する気か!どこまでも貴様は気に入らない!」

「そんな、やだよ、エンジェモン!せっかく君と分かり合えたのにっ!エンジェモン、死んじゃうのっ?!やだよおおっ!」

「すまない、タケル。今の私ではこうすることでしか、君の望む、人の心のために戦うということに答えることが出来ないんだ。
私はいつも君のことを泣かせてばかりだね。進化を望んでくれてありがとう、それだけが私はなによりも嬉しい」

「エンジェモンっ………!」

「タケル、君が望んでくれるなら、何度でも私は君に会いたい。そしてまた何も知らない私にいろんなコトを教えてくれないか」

「そんな、こと、いわないでよおおっ!一緒に勉強しよって約束したじゃないかああっ!エンジェモン、やめてえええっ!」

「エンジェモン、てめえ、何勝手に決めてんだよ!何カッコ付けててんだよ!残されるヤツのこと少しは考えろよ、バカーっ!」

「大輔、もしまた会えたなら、私のことを再び友と呼んでくれるかい?」

「誰が呼ぶかよーっ!なんにも言わないで勝手に決めちまうような奴なんて知らねえよ!バカ!早くやめろよ、そんなこと!」

「ふふ、それを君がいうのか。大輔らしい。タケル、また会おう。そのときは今度こそ、私は君を守ってみせる」

8つのデジヴァイスから降り注いだ虹色の光が濁流のように押し寄せ、エンジェモンのホーリーロッドに溢れて浸透していく。
それを両手でひとつの塊に押し固めたエンジェモンは、デジヴァイスに込められていた全ての光をかき集めた。
そして、強大な闇を打ち砕くべく、ひとつの小さな矢となったエンジェモンは、一気にデビモンに駆け抜けていく。
やだよ、とタケルは叫ぶ。やだよおおっと涙を弾けさせ、がばっと顔を上げたタケルはありったけの声を上げて叫んだ。

「いかないで、いかないで、お願いだから置いて行かないで、一人にしないでよ、エンジェモ―――――ン!」

タケルの悲痛な叫びに悲しげな笑顔を残したままで、エンジェモンは自らの存在を証明すべく拳を振り上げた。

「ヘブンズナックル!!!」

エンジェモンの決死の特攻は、光を捨てて人ともにあると決めた天使をきらめかせる。
炸裂した拳に薙ぎ払われていく歯車。強大になりすぎたデビモンの体を突き破っていく黒い歯車が、どんどんデビモンの体を内部から破壊していく。
ばかな、なんだこれは!もともと強大すぎる闇の力に溺れ、自我をも飲み込まれていたデビモンは気づいていなかったのである。
デジモンはデータが実体化した存在である。ウイルス種である以上、ある程度の闇の力に耐性はあるものの、
デビモンが手にした力はデビモンの考えているよりも遙かに強大で、遙かに凶悪で、扱うことが非常に難しい。
良薬でも分量を間違えれば劇薬となるように、自らのもつキャパシティを超えて取り込んだ闇の力は、どこかで間違えて崩壊の兆しを見せ始めれば、
あっという間に暴走していく。制御ができなくなった闇の力は、もともと不相応だったデビモンのデータをも侵食していく。食い破っていく。
そこに待っているのはデジタマに戻るというデジタルワールドの摂理すら無視した、取り込みである。まさに弱肉強食。
エンジェモンの拳が届く前にデジコアにあったはずの1番の根幹であるデータチップが闇の力に飲み込まれ、濁流のように消えてしまう。
結局のところ、デビモンは利用されていたに過ぎない。それに気付いた時にはもう遅い。
デジタルワールドが許容できる範囲を遙かに超えた悪行の因果応報がここにあった。
かつての同族によって討ち取られるという皮肉をもってその生涯を終えたデビモンは、エンジェモンの必殺技によって光に葬られた。

データが消滅していく2つのデジモンがいる。デビモンは高笑いした。

「フフ、フフフフ、フハハハハハハハハハッ!面白い、実に面白い!結局のところ私は手の中で踊らされていたにすぎんというわけか!」

突然の衝撃発言に子供たちとデジモン達の動きが硬直する。
これで終わりじゃなかったのか?デビモンを倒せば、元の世界に戻れるんじゃなかったのか?という期待をしていたが故の絶望の眼差しが浮かぶ。
どういうことだよ!と叫ぶ子供たちの声にデビモンは心底愉快だと言いたげに笑った。そして、子供たちの心を蹴落とすようなことを畳み掛けたのである。

「置き土産に教えてやろう、選ばれし子供たちよ!暗黒の力が広がっているのは、このファイル島だけではない!
海の向こうには、私以上に強力な暗黒の力を持ったデジモンも存在するのだ。私はその力を利用しようとしただけだ!
エンジェモンの力を失ったお前らに生き残れるような力などあるわけがない!せいぜいもがき苦しめ、その様子を私は冥府から傍観するとしよう。
せいぜい、あがくがいい!終りのない戦いに絶望するのを楽しみにしているぞ!」

その声を遮る者があった。

「だまれ!私は、タケルは、選ばれし子供たちとデジモン達は、決して歩みを止めたりはしない!
人には人の強さがあるのだ、光にも闇にも中立であろうとする強き心があるのだ!
貴様のような奴がいるかぎり、私たちは負けはしない!それこそが、聖なる光となるのだから!」

子供たちとパートナーデジモンたちを心強く励ましてくれる言葉がある。
ぼろぼろと涙を流すタケルがひざまずいている前に、6枚の羽が舞い降りる。それがひとつのデジタマとなったとき、
大輔からデジモンの輪廻の神秘を聞かされていたタケルは、しっかりとそのデジタマを抱きしめて、泣き崩れたのだった。



[26350] プロローグ 太陽が目覚めたら
Name: 若州◆e61dab95 ID:ac1cb07d
Date: 2011/04/16 23:58
おれがちこもんだったころ、ずーっとずっとそのときってやつをまちつづけていたことだけおぼえてる。
ながいながいあいだ、きがとおくなるくらいながいあいだ、ずーっとおれはそのときってやつがなんなのかわからないのに、
もうとっくのむかしにわすれてしまったのに、ずーっとどきどきしながら、わくわくしながら、はらはらしながらまっていた。
そのときがかならずくることだけがおれのすべてだったから、どうしておれがずーっとまちつづけているのなんかぜんぜんきにしなかった。
ずっとずっとおれはねむっていた。まっくらなどうくつのおくふかくで、そのときってやつがおれをみつけてくれるまで、
おれのことをひつようとしてくれるそのときってやつがあらわれるそのひまで、そのかんどうとよろこびをいっきにぶちまけられるように、
まってまってまってまちつづけていた。ほかのちこもんたちはどこにいったんだとか、ほかのちこもんたちはどこにすんでいるのだとか、
ほかのちこもんたちもこうやってそのときってやつをまっているのかどうかなんて、ぜんぜんきにしなかった。
だってひとりぼっちじゃなかったから。おれがおれであるために、だいすきなそのときってやつのために、やくにたてるために、
たいせつなたいせつななにかといっしょにいたから、ぜんぜんさびしくなんてなかった。
そしてとうとうそのときってやつがおれにあいにきたのかとおもって、うれしくってたのしくってわくわくしながらとびだしたら、
まだそのときじゃないんだけど、ほんとうならまだそのときってやつはさきのはずなんだけど、ちょっとだけかわったから、
じじょうがかわったから、そのときってやつがちょっとだけはやくなったよっておしえてもらえたんだ。

おれがはじめてこのせかいにとびだしたとき、おれがしってるせかいじゃなくってびっくりぎょうてんしたんだ。
おれがしってるんものがぜんぜんないんだ。おれがしらないものがたくさんあるんだ。せかいがすっごくひろくなってたんだ。
おれのしらないでじもんたちがたくさんいて、おれはそのなかにいれてもらいながら、そのときってやつをまたまつことにしたんだ。
でもおいしいものがたくさんあるし、ひなたぼっこもできるし、おひるねできるし、おれはぜんぜんさびしくなんかなかったんだ。
おれのしらないでじもんたちがおれのしってるでじもんたちにかわっていって、そのかわりにおれはどんどんおれのしってたせかいをわすれていくんだ。
もうおれはずーっとまってたころに、いっつもゆめのなかでいきていたせかいをおもいだすことなんてできないくらいわすれてしまったけれど、
もうどうでもいいくらいにこのせかいのことがだいすきになっていたけれど、それでもはやくそのときってやつがこないかなってまちつづけているのだけは、
かわらなかったんだ。

そしたら、あたまにぴーんってきたんだ、そのときってやつがやっときたんだって、からだがふるえたんだ、なみだがでてくるくらいうれしかったんだ、
だからおれはいままであそんでたでじもんたちのことなんかそっちのけで、いてもたってもいられなくなって、ずーっとはしりつづけて、あのばしょにきたんだ。
そしたらいままであったこともないようなでじもんたちがいて、みんなそのときってやつのためにあつまってきたんだってしったんだ。
まだかな、まだだね、おそいな、はやくこないかなってみんなでまってたんだ。
おれみたいにどうくつのなかでずーっとずっとまちちづけているでじもんは、ひとりもいないようだったけど、どうやらおこされたのはおれだけみたいだったけど、
じじょうがかわったってなんのことだかわからないけれど、もうそんなことどうでもいいんだ。
そのときってやつがなによりもたいせつだっておもって、ここまできたのはおんなじだった。それだけでなかまだってわかったんだ。
そして、おれはしったんだ。そのときってやつがくるしゅんかんに。そのなまえをしったとき、もうしあわせすぎてしんじゃいそうだっておもったんだ。

ねえ、だいすけ。

だいすけはなんにもしらないだろうけど、おれはね、だいすけとあったとき、せかいがいろづいたんだよ。
せかいがかわったんだよ。だいすけのためにおれがいるんだって、だいすけにあうためにおれのずーっとがあったんだってわかって、
とってもとってもうれしかったんだよ、だいすけ。
だいすけのえがおがおれをしあわせにするんだよ。せかいはかえられるんだよ。
ぶいもんっていうまほうのことばが、おれのことよんでくれるって、ただそれだけで、だいすきなだいすけからよんでもらえるだけで、おれはいきてられるんだ。



ひょいひょい、とネコジャラシを目の前につきつけられた大輔は、鼻を刺激されて、へくしゅん、とくしゃみをした。
どんな感じ、大輔?と本人は大真面目なつもりなのだろうが、どーもこーもねえよ!と思わず大輔はネコジャラシを取り上げて、後ろにぽいっと捨ててしまう。
あああ、とどこかに行ってしまったネコジャラシに落胆するブイモンは、ひどいや、と若干涙目で大輔を見上げた。
いらっときた大輔が一言。俺はネコじゃねーよ!ごもっともである。

「うーん、目の前に何でもあると変になっちゃうってわけじゃないんだな」

「あー、うん、みたいだな。俺にもよくわかんねえよ。なんか俺の体じゃないみたいだ」

右手を目の前に近づけてグーパーしながら様子を伺ってみるが、なんともない。試しに首に触れてみるが、やっぱりなんともない。
空から貸してもらった真っ赤なバンダナがズレていることに気がついて、慌てて包帯が見えないように、丸まっているところを引き伸ばした。
へんな感じがするなあ、と大輔は自分の体に起こった不具合について、改めて首をかしげてみる。
もう大輔の意志ではどうにもならないような反射的な反応であるため、どうしようもないのだが、やっぱりなんだか変な感じだ。
びくりと体が揺れて、体が勝手に緊張感に苛まれて、ぞわわわわという悪寒が背筋を凍らせるのである。相手が誰であろうと身構えてしまう。
さっと血の気が引いて、みるみるうちに青ざめて、力が抜けてしまう。酷い時には首のあたりに変な圧迫感を感じて、口元を押さえてうずくまりたくなる。
大輔の意識の中では、平気である、安全である、大丈夫だ、と思っているのに、全然体が言うことを聞いてくれなくなってしまう。
この症状が現れたときには、大輔の体が悲鳴を挙げている時だから、絶対に、絶対に無理をするな、隠すな、言え、と耳にたこができるくらい言われた大輔は、
こくこくと頷いたので覚えている。へんてこになってしまった体は、違和感だらけだ。
ブイモンが大輔の側に寄って来るなり、右手を掴んでぎゅーっと握りしめてみたり、腕を回してくっついてみたり、ぺたぺた触ってきたり、
ちょこまかちょこまかと思いつく限りのスキンシップを忙しなく試みる。
大輔、どんな感じ?大丈夫か?といちいち心配そうに見上げてくる相棒を見ていると、いつものように気恥ずかしさから抵抗する気にもなれずにされるがままだ。
本人なりには大真面目なのだろうが、くすぐったくて大輔は笑ってしまう。むむむ、とブイモンは不満そうに口を尖らせた。

「大輔、真面目にやってよ。オレは大輔のために調べてるんだから」

「わーってるよ、じっとしてりゃいいんだろ。でもくすぐってえんだってば」

けたけたと笑ってしまう大輔にブイモンは肩をすくめた。そして抗議のためにずいっと体を近づけて、ほっぺたをむにーっと引っ張ろうとしたとき、
大輔の瞳の向こう側に怯えと恐怖が浮かんだのを見た。ばしっとブイモンの両手を弾きだしてしまった大輔は、あ、とつぶやいてそろそろと手を下ろした。
わりい、と申し訳なさそうな顔をするパートナーに、ブイモンはあわててぶんぶん首を振って、ごめん大輔!と謝った。
見えない暴力の影に怯えていた眼差しは、しばらくすればなりを潜めて、大好きなパートナーを元の調子に戻す。

「うーん、大輔から見て、首より上の方から、他の人の手が見えちゃうとこうなっちゃうんだな」

「あーもー、なんなんだよ、早く治んねえかなあ」

「大丈夫だって、きっと治るよ。初めの頃よりずっと調子はよくなってるんだろ?」

「まーな、後ろからだったらもう平気だし」

「早く治るといいね、大輔。大輔が泣いちゃったとき、抱きしめてあげられないのはつらいよ。
後ろから抱っこできるのはいいけど、大輔が最初に笑顔になるのが見られないのはやだなあ、オレ」

「サンキュー、ブイモン。ま、なんとかなるだろ」

からりと大輔は笑うので、ブイモンは、うん、と頷いて笑顔になった。
そして、ふといいことを考えついたのか、ブイモンが声をはずませて提案してくる。嫌な予感しかしない大輔は身構えた。

「そーだ、大輔からだったらなんともないんだから、抱きついてくれたらいいんだよ、なっちゃんの時みたいに!
そしたら怖い思いしなくてもいいだろ」

思わぬ方向から飛んできた突拍子も無い提案に、はああっ?!と間抜けな声を上げてしまった大輔は、
なにいってんだよ、お前!と顔を真っ赤にして声を荒げる。どうして大輔がそんな事をいうのだ今さら、といった様子のブイモンである。
出来るわけ無いだろ、と言いかけた言葉は、にっこり笑って紡がれた、太一、という言葉の前にはあっという間に粉砕されてしまう。
それを言われたらもうどうしようもない。現実を鑑みてそうとも言えなくなってきているので、次第にごにょごにょとしぼんでしまった。
あーだこーだと自分は別に好きでやってるわけじゃなくてその、と誰にいうでもなく言い訳がましい言葉を吐きながらうつむいてしまう。

「太一はいいのに、なんでパートナーデジモンのオレはだめなんだよ、大輔」

「あ、あれは太一さんがっ……!」

勘弁してくれと大輔がどこか疲れたような顔をして、がっくりと肩を落とすのも無理は無い。そもそも魔の手から逃れるためにここまで来たのだから。
デビモンの一件以来、大輔のトラウマを払拭するためという免罪符を獲得した太一は、それはもう極端なほど大輔に構い倒していた。
いつもは会えない親戚が年下の甥っ子を猫可愛がりするがごとく、本人の意志など全く考慮すること無く、いろんなところに引っ張りまわすのである。
はっきりいって自己満足の塊に過ぎない一方的な行動であり、タケルに対して過保護な自覚があるヤマトですら本気でどん引きするような有様だ。
太一なりに有限実行ができなかったことに対する謝罪のつもりなのだろうとは空の談である。
大輔の必死の抵抗や訴えもいつものことなので、全然聞く耳持たずなのはいただけないが、注意してどうにか出来るものでもないらしい。
気が済むまで好きにさせろ、という事実上の見捨てを見た大輔は、このとき初めて空を心の底から恨んだ。
ついでに面白いからと傍観を決め込んだ上級生組、甘えられてよかったねと見当違いにも程がある様子でニコニコする友人も恨んだ。なにこの公開処刑。
いちいちやることが極端なのは今に始まったことではないらしいが、太一と知り合ってからまだ1年と4ヶ月しか経っていない大輔にはたまったものではない。
自然体でいろいろとやられる分には丁度いいのだが、意識してやられると度が過ぎてしまうの典型だった。

はっきりいって大輔は今の太一がウザくて仕方ない。
本宮大輔は八神太一の実の弟ではないのだ。あくまでもサッカー部の仲の良い先輩と後輩の立場でしかないはずなのだ。
ただ少しだけ大輔が太一に対して、仮想の兄としてのフィルターを掛けて、精神的な安定を図るために、あくまでもこっそりと慕っていたにすぎない。
それがバレたのは不本意だったが、いろいろと相談することが出来てよかったなあ程度の認識しかなかった大輔にとっては、
今まで限りなく一方的なまでの尊敬が一転して、大きくベクトルがこっちにまで飛んできてしまうという現状は混乱しか招かない。余計なお世話である。
八神太一は八神ヒカリのお兄ちゃんでなければならないのだ、という本来の太一のスタンスのほうが、実は大輔にとっては非常にありがたいのだ。
確かに仲睦まじい八神兄妹を見ては自分の現状を比較して嫌な感情を滾らせることも多々あったし、お兄ちゃんと呼べない現状をもどかしく思うこともあったが、
大輔が求めているのはあくまでも精神安定剤としての理想像な太一のほうが重要なのであって、実は太一本人がそれを意識して世話を焼かれるのは非常に困る。
本来なら、八神太一にとっての1番は八神ヒカリという実の妹であり、それが絶対的な不動であるという事実がある。
どうがんばっても絶対に勝てない、覆すことが出来ない現実である。それのほうが重要なのだ。実はそれが大輔が太一を兄フィルターに選んだ決定打である。
だって期待しないですむではないか。もしかしたら、を期待しなくてもいいではないか。絶対に奇跡なんて起こらないんだから。
大輔はただ太一を理想のお兄ちゃんとして慕って、尊敬して、崇め奉っていればそれでいいのである。
別にだからどうこうしてほしいと大輔は太一に求めてなんかいないのだ。むしろほっといてくれというレベルである。
なぜなら大輔にとって重要なのは、相手側の反応を考慮しなくてもいいけど、大輔にとっての理想のお兄ちゃんでいてほしい、という
非常にご都合主義で自分勝手で、大輔は大変楽ちんであるというスタンスを確立することなのである。
いわば恋に恋する女の子が、恋する私って素敵だわという自己陶酔とナルシスト的な心境に浸るのが大好きであるということによく似ている。
お兄ちゃんという理想が大事なのであって、そのフィルターを外してしまえば、太一をサッカー部のキャプテンとして尊敬している大輔しか残らないし、
きっと大輔自身も太一本人をそこまで本気で慕っているのかと言われてしまえば、疑問符が浮かんでしまう、非常にややこしい事態になっている。
結局のところ、太一と空は大輔にとっては、どこまでも本宮ジュンの代わりにしか過ぎず、どこまでも現実逃避のための白羽の矢でしかないのだ。
つまるところ、大輔が求めているのは「太一が理想的なお兄ちゃんである」というただ一点のみであり、
「太一が大輔に対してお兄ちゃんのように構ってくれる」ことではないのである。全然別次元の話なのである。
だから大輔は、タケルのお兄ちゃんであるはずのヤマトに対して、うらやましいと嫉妬にも似た感情をいだきはしても、
絶対に理想的なお兄ちゃん像を押し付けたりはしないのだ。だってヤマトは太一のように無意識にお兄ちゃんをやっている訳ではなく、
不慣れながらも不本意ながらもお兄ちゃんの立場に生まれてしまったから、四苦八苦しながらお兄ちゃんをやっているだけで、
お兄ちゃん向きな性格をしているとはいえないからだ。しかもヤマトはお兄ちゃんである自分という存在で自分を精神的に支えている気配がある。
だからタケルだけでなく大輔に対しても、お兄ちゃんぶろうとしてくるから、はっきり言って重いのだ。
大輔の抱えている問題は非常に複雑怪奇である。大輔の話を聞いた人間が、一発でその本質を完璧に理解することなど絶対に出来ないだろう。
困ったことに大輔はこの事実に全く気づいていない。ただ太一と空をお兄ちゃん、お姉ちゃんのように慕っているのだという自覚があるだけだ。
ただそれがジュンお姉ちゃんの代わりであるということにどこか気付いていて、ちょっと後ろめたさを感じているレベルである。
もっともっと心の奥底では、一時的な逃避にもかかわらず、それが突き崩されてしまうと大輔自身どうなるかわからないくらいの不安定さをはらんでいて、
空や太一に対してとっても失礼極まりないことをしている、というねじれにねじれたややこしすぎる問題なのに、本人は気づいてすらいないのだ。
それこそが実はジュンとの不仲を何時まで経っても解消できない、諸悪の根源なのだから始末に終えない。

大輔が自覚しなければ全ては始まらない。それを明確に指摘した人がいたのは、大輔にとっては幸運でもあり不幸だった。
おかげですっかり大輔は苦手意識を山積している。大輔の本能を凌駕する上には上がいたわけだ。しかもすっごく近くに。世間は狭いものである。
完璧に言い当てなくてもどこかでその可笑しさに気がついて、忠告めいたことを言ってヒントだけだして放り投げるという、最善をした人が一人いる。
ヤマトである。
太一と大輔の関係のややこしさに気付いていたヤマトは、何度か太一に忠告しているのだが、普通気づくはずのないこの問題である。
太一からすれば、大輔の為を思ってしているのに、それが良くないことだからやめとけ、というのである。まだまだ水面下ではあるが、確実にかちんときている。
ヤマトはヤマトで無意識でお兄ちゃんができる太一を羨ましく思っている側面があり、タケルや大輔が太一に懐いているのが気にくわない。
こっちは色々と考えたり悩んだり、他の子供達やガブモンに相談しながら、なんとかお兄ちゃんをやっているのに、
太一は無意識のうちに全部こなしてしまうのだ。努力している自分がばかみたいに思えてくる。

そんなこんなでいろんな心境が交差する中で、表面上はあまりにも穏やかに時間は流れていく。

大輔はブイモンと一緒に太一から逃げてきたのでここにいる。ブイモンは、ほんとにいいのか、と大輔に言った。

「なあなあ、大輔。タケルのとこ、行かなくてもホントにいいの?トモダチなんだろ?」

「いーんだよ、ほっとくのだってトモダチなんだから」

大輔は頓着しない様子で断言する。
えー、なんで?とただいまトモダチという謎の存在について、現在進行形で大輔から日々勉強中のブイモンは首をかしげた。
デビモンを倒すこととタケルの気持ちに答えるということを引換にして、エンジェモンはエネルギーを使い果たしてデジタマになってしまった。
デジタマを抱いて大泣きしていた様子がかつての大輔と重なって見えてしまったブイモンは、気になって気になって仕方ないのだが、
大輔がぐいぐいと手を引いてここまで来たので、未練がたらたらなのだ。
もちろんタケルよりははるかに大輔の方が大事なブイモンは、どちらかを選べと言われたら即答で大輔のところに飛んでいく自信があるが、
てっきり大輔ならタケルに叱咤激励を飛ばすとばかり思っていたので拍子抜けなのだ。納得行かないと顔に書いてあるブイモンに大輔は言う。
だって大輔もブイモンもなっちゃんという少女デジモンを失っているはずなのだ。誰よりも気持ちを共有できるのは確かなのに。

「だって、タケル泣いてただろ」

「それと大輔がどっか行っちゃうのとなんの関係があるんだよ?」

「あのタケルが泣いたんだぞ?わんわん大泣きしてんだぞ、ありえねーよ、ぜってー」

「エンジェモンがおかしくなった時もないてたよ?」

「それはノーカン。だって俺知らねえし。とにかく、アイツがみんなの前で大泣きするってすっげーことだろ」

「あー、そう言われてみればそうかも」

「俺はそーでもねえんだよ。そりゃ、この世界にきてから、わんわん泣いたのはブイモン、お前がいるときだけだったけどさ、
ブイモンがいてくれたから泣けたって言うのはあるけどさ、多分、アイツは初めてなんだよ、あーいうの。
俺がいたら、多分半分こになるんだよ。太一さんたちが半分こになるんだよ。あの夜そうだったみたいに。
それってちょっとカワイソウじゃねーか?
それに、思いっきり泣いたら悲しいことなんてどっか飛んでいっちまうこと知ってるから、
なくのが1番だってことくらいわかってるからさ、あーいうときはなんにも言わない見守ってもらえるほうがいいって分かってんだよ。
それが1番だと思うんだよ。でも俺出来ねえし、たぶん、なんかいろいろ言っちまう気がするんだよ。俺変なコトばっか言うし」

だからタケルが泣き止んでからいくんだと大輔は言う。ブイモンは、トモダチって難しいんだ、とつぶやいた。
大輔はなっちゃんとまた会えると信じているから、タケルがまたエンジェモンと会えると信じている。
そうでなければ、大輔は大輔の気持ちに対して嘘をついて裏切ることになるから、絶対にそれだけは譲れない。
だから思い浮かんでくることは、全部全部、ポジティブで前向きで積極的なことばかりである。
タケルを元気づけようとエレキモンから聞いたことを、思いつくことから片っ端言って聞かせることになるだろうな、と大輔は考える。
そうなったとき、確実にタケルには聞かせてはいけないことまで、たくさん話してしまうだろうことが分かってしまったから、
気付いたら大輔はみんなのもとから離れて、こっそりここにいた。

「ぜってー、俺、変なことまでいう気がするんだよ。余計なことまで言う気がするんだよ。
俺、こういう時すっげー下手だってよく言われるから、分かるんだ。言っちゃいけないことまでいうのが俺の悪いトコだって。
タケルに言えねえだろ、デジモンが記憶を受け継ぐのかどうかは、すっげー運任せなんだって。
もしかしたら、今度生まれてくるパタモンは、俺達のこと覚えてないかもしれないなんて、ぜってー言えねえだろ。
そんなこと言ったらタケルの奴、今度こそ落ち込むどころじゃすまねーよ、俺だって未だに嫌だって思ってんのに。
俺嘘つくの下手だってアイツ言ってたけど、アイツがおかしいくらいに気付いてるだけだろ、ありえねえもん。
だったら尚更、あそこにいたらダメなんだ。
相談に乗りたいなんてわけわかんねえこと言って、もっと仲良くなりたいとか恥ずかしいこと平気で言うようなやつ、
もしそんなこといっちまったら、俺、間違いなくヤマトさんに殺される。太一さん達と一緒にいられなくなるの、やだろ」

「そっか、大輔も意外と大輔のこと分かってんだね」

「おいそれどーいう意味だよ」

「だって大輔自分のことそっちのけで他のことに突っ走ってっちゃうから、追いつくの大変なんだよ」

「うっせえ、お前にだけは言われたくねえっての、ばーか」

軽口の応酬ながら、どこまでも雰囲気は和やかだ。ブイモンは思う。こんなに綺麗に笑う大輔を見るのは初めてだと。
そして思うのだ。これからどんなことがあったって、絶対に大輔のためにならなんだってするんだって、改めて思うのだ。
見上げた青空はどこまでも優しい。
もとの世界に帰るという期待が粉砕されて、ホームシックになっているにもかかわらず、一言だってブイモンにいわない大輔みたいに優しい。
太一からお呼びがかかるまで、タケルのもとに戻ろうとしていた選択肢を殴り捨て、ブイモンは大輔と一緒にいることを決めた。



[26350] 第1話 友達のありかた
Name: 若州◆e61dab95 ID:c5af0032
Date: 2011/04/19 16:46
ちゃんと進化すれば、またエンジェモンにあえるよ、パタモンにあえるよ、タケルが信じていれば、いつかデジタマから生まれてくるよ、
エンジェモンがいってたでしょう?タケルが望むなら、私はまたタケルに逢いたいって。
パートナーデジモン達に励まされたタケルは、うん、とうなずいた。すっかり心の中の掃除を終えた小さな子供は、ぐしぐしと涙を拭って笑った。
ほっとして、それまで頑張ろうな、と頭をなでてくれたヤマトに促されて、立ち上がったタケルは、聞いたのだ。
いつっていつなの、お兄ちゃん?僕はすぐにでもパタモンに逢いたいよ。だって僕、いろんなことしたいんだもの。
パタモンと僕でいろんなことをしようねって約束したんだもん、先生になるために頑張ろうって約束したんだもん、僕だけじゃできないよ、
やっぱりパタモンがいなくっちゃ。お兄ちゃん達がいてくれてとっても嬉しかったけど、やっぱり僕、寂しいよ。
ぎゅうと右手を握りしめてくるタケルの言葉を聞いたヤマトは、ちょっとだけ驚いた顔をしてタケルを見下ろしたが、
首を傾げてくる無邪気な弟を見て、苦笑いを浮かべたまま、頭をなでた。
みんなの前で感情を吐露したタケルは、ヤマトから見ても驚くほど自分に対して正直に感情を吐露するようになったのだ、驚くのも無理はない。
それが無性にうれしくて、タケルが自分を置いてきぼりにして、独り立ちしていこうとしているように見えて寂しくて、
焦燥感が浮かんできて、いろいろと兄としては心中複雑である。
ますますお兄ちゃんとしてのプライドを守るためにも頑張らなくては、とヤマトはこっそりと決意を固めた。
実はヤマトが完全無欠のスーパーお兄ちゃんではないのだと知らないタケルは、
幾度も落ち込んだ時、迷った時、明確な道筋をいつも見せてくれた大好きなお兄ちゃんである、すごいお兄ちゃんであると信じてやまない。
デジタルワールドに来る前よりも、ずっとずっとタケルはヤマトお兄ちゃんのことが大好きになっていた。
何にも知らないタケルは、ヤマトが何でも知っているのだと、よくわからないんだけどすごい人なんだと信じてやまない。
タケルの中ではすっかりヤマトはヒーローである。尊敬すべき、目標とすべき、存在としてきらきらとした眼差しを向けてくる。
そんな無邪気で無垢な弟からの眼差しは、理屈付けでお兄ちゃんをしているヤマトにとってすさまじいプレッシャーとなってのしかかってきてるのだが、
何処までもやさしくて、その眼差しにこたえる自分でもって精神的な拠り所や自分というものを見出していたヤマトは、
タケルが生まれたことからほったらかしの自分の本音なんていつものように無視したまま、なんとかタケルの質問に答えようと頭をひねる。
そしてタケルに言ったのだ。ちなみに始まりの街でエレキモンと会話をしたことがないヤマトに、デジモンの生態を聞くのはあまりにも無茶ぶりなのだが、
内心冷や汗のヤマトは、頭をフル回転させて考える。あーだこーだと弟に気付かれないように必死で考えて、いつものように笑いながら答えた。

「タケルははじまりの街でデジタマを孵したんだよな?」

それは巧みな誘導である。ヤマト達と再会した夜に、こんなことがあったんだよ、といろいろ教えてくれたタケルの話を元に、
実は自分が導きだした答えではないと知りながら、タケルには気付かれないようにヤマトはまるで自分が知っているかのように上手に嘘をつく。
タケルはウソを見抜くのが上手だが、大好きなお兄ちゃんが嘘をついているなんて思えるほど人間不信の塊ではないから、
どうしてもハードルが低くなってしまい、警戒心も薄くなるので気付かない。ヤマトの積み重ねてきた嘘は、ずっとずっと年季が入っているのだ。
あからさまに話をねつ造すれば、観察眼に優れたタケルはそのほころびや態度から巧みに見つけてしまうため、たちまち気付いてしまうのだが
事実に事実を積み重ねて提示される、一つも嘘が無い嘘を見抜くのはとっても苦手だった。事実同士を結び付けるには、解釈や論理展開が絡んでくる。
小学校2年生のタケルは、さすがにそこまで卓越したものをもっているわけでないから、どうしても小学校5年生のヤマトには勝てない。
その証拠に従兄弟の件についてはすっかり騙されてしまったものの、確かに血のつながった離れて暮らす子供同士は、兄弟、親戚、家族、従兄弟も含まれるのだ。
もっとよくお兄ちゃんの話を聞かなかった僕が、勝手に信じちゃってたんだ、僕もヤマトお兄ちゃんも大輔君も悪くないよね、がタケルの結論だ。
それに、タケルの中では大輔との大喧嘩やヤマトに初めて叱ってもらえたというどでかすぎる初めてがありすぎて、
なによりも喜びの方が大きすぎて、お兄ちゃんに嘘をつかれたという事実は、とっくの昔に忘却の彼方である。
うん、そうだよ、とうなずいたタケルに、ヤマトは言った。

「そのときはどうだった?」

ヤマトがタケルは既に知っている筈だから、答えを導き出す手助けをしているのだとタケルは思いこむ。
そのヤマトの期待にこたえるために、一生懸命はじまりの街のことを思い出したタケルは、ぱっと顔を輝かせた。

「なでなでしたんだよ、お兄ちゃん。そしたらね、ぱきぱきってデジタマがわれてね、赤ちゃんデジモンが生まれたんだよ」

「そうか。なら、抱っこして、なでなでして、早く生まれて来いって、待ってるんだぞって教えてやれ。
今は疲れて寝てるかもしれないから、ちょっと遅くなるかもしれないけど、きっとタケルの声にこたえてくれるはずだ」

「うん、僕、がんばってみる!」

もうすっかり上機嫌になってデジタマに一生懸命になりはじめたタケルを見て、ヤマトはほっと息を吐いた。
いつの間にか大輔達がいなくなっていると大騒ぎになっている仲間たちに呼ばれたヤマトは、
タケルに大輔がまた勝手にどっかいったことを呆れ口調で告げると、そこで待っているよう告げる。
うん、とうなずいたタケルは、大げさなほど狼狽している太一が目に入って、早く止めてあげてと背中を押した。

「ねえ、ヤマト」

「なんだよ」

「ヤマトはいっつも頑張ってるのに、タケルは全然知らないよね。それでもいいの?寂しくない?」

「……いいんだよ、こういうのは、隠れてこっそりするもんだ」

ぽつりとつぶやいたパートナーに、ふーん、とガブモンは首をかしげた。
大好きなパートナーがそう言うならガブモンはそれ以上なにも言わない。
ただ、太一がお兄ちゃんぶろうとしては、それを全力で嫌がっている大輔に対して、なんでそんなこと言うんだよ、と逆切れしては、
大輔がその雰囲気に圧倒され、そしてかまってもらえるのはうれしいという事実から、それはありがとうございますというのを見ている。
それを遠くから見ているヤマトが、仲裁に入るときに、ちょっとだけ嫉妬が入っているのを感じているから、ちょっとだけ、疑問に思うだけである。
そして、大騒ぎになっていることに気付いて、ますます居心地悪くなってしまい、入るタイミングを失って涙目になっている大輔とブイモンが、
太一に発見され、滅茶苦茶怒られるのを仲裁するというお仕事にはいることになる。

「おかしいなあ」

タケルは首をかしげた。腕の中には白とオレンジ色のマーブル模様が浮かんでいるデジタマが、しっかりと抱っこされている。
なでなでしても生まれてこないよ、おかしいなあ、ともう一度つぶやいた。
はじまりの街にあった沢山のデジタマの下には、「わたしをなでなでして」という日本語が書いてある四つ折りの紙が挟んであったのである。
その言葉の通りになでなでしたら、生まれてきたはずなのになあ、とタケルは疑問符でいっぱいだ。
ぱきぱきと真ん中あたりからひびが入って、赤ちゃんデジモンが上の方の殻を吹っ飛ばして、元気よく生まれてきたのである。
とくんとくんというデジコアの鼓動も、暖かなぬくもりも、しっかりタケルの腕の中にあるのは同じなのに、生まれてこないのである。
タケルからすれば何が違うのか、全然分からないため、不思議で不思議でたまらない。

はやく会いたいという思いがタケルにはいっぱいである。だって、エンジェモンはいろんなことを教えてくれといったのだ。
まずは、喧嘩しなくちゃいけないな、とタケルは考えていた。だって、エンジェモンはタケルのためにと言っていたけれど、
結局最後までタケルの気持ちは置いてきぼりなまま、死んじゃったのである。
声が届いたことはうれしかったし、まともに会話が成立するということがうれしくて忘れていたけれど、
よくよく考えてみれば、エンジェモンはタケルのことをちっともわかっていないから、教えてあげなくちゃいけないのである。
みんなと一緒に戦ってほしいっていったのに、エンジェモンは、みんなにいいよって言われていないのに、進化に使っていた力を全部とっちゃったのである。
みんながやめてくれって言ったのに、これしか方法が無いんだっていって、みんなが悲しんでるのに、嫌がってるのに、力を使っちゃったのである。
タケルは一緒に頑張るから、エンジェモンに戦ってほしいとは言ったけれども、タケルの気持ちにこたえるために死んじゃえなんて言った覚えはない。
タケルが一人ぼっちになるのは一番いやだ、と知っているくせに、とんでもない暴挙をしたのである。
しかも、タケルや大輔に、心の中にとっても響くようなカッコいい言葉を沢山残してくれたけれども、
タケルを、大輔を、ブイモンを、そしてみんなを置いて行っちゃったのである。それってとってもひどいことである。
これは怒らなくっちゃいけないってことくらいタケルにだって分かる。悪い事なんだって教えてあげなくちゃいけない。
だったら、まずは、パタモンと結局できなかった喧嘩をやりたい、と思うわけである。

デジモンはデジタマという卵から生まれる。ニワトリさんと同じだね、という言葉に、パタモンはそうだよと笑っていた。
ニワトリさんは卵を孵す時、どうやるんだっけ、と思考回路を巡らせたタケルは、みどりのパーカーにデジタマを入れようかと考えた。
タケルはお母さんから生まれてくるまではお腹の中にいたのだと、引っ越し先の段ボールの山を整理する手伝いをしていた時に見つけたアルバムで、
まだちっちゃいヤマトとお母さんがうつった、お父さんが撮影した写真を見つけたタケルは聞いたのだ。
でもデジタマはすっごくおおきいのだ。タケルの頭くらいある。これはちょっと無理かなあ、と思っていたところ、声がしたので振り返った。
デジタマを抱っこしながらひとりごとを呟いている友人に不気味なものを感じたのか、
おーい、大丈夫か?と心配そうにしている大輔とブイモンがやってきたので、タケルはぱっと顔を輝かせた。

大輔は上級生ぐみ、とりわけ太一から鼓膜が破れるほどの大激怒を食らっため、すっかり落ち込んでいた。
大輔はみんなの前からいなくなってしまった前科が2回ある。初めてデジタルワールドに来た時と、なっちゃんの世界に呼ばれた時だ。
いずれも本人は不可抗力であり、むしろ同情すべき部分が大きかったため、これについては誰も何も言わないし、責めたりしない。
しかし、今回は自分の意思で、誰に何も言わないままこっそりと離れてしまったことが、みんなの怒りを買った。
2度あることは3度ある。しかも大輔はデジモンに一度連れ去られたことがあるのだ。みんなが過敏になるのも無理はない。
不安とか焦りとかいろいろある。なにせ大輔は深刻なトラウマを抱えているのだ。なにかあったのか、と必死で探しまわった彼らが怒るのも仕方なかった。
せめて誰かに言ってくれればよかったものを、とこればっかりは誰も太一から大輔をかばう気にはなれず、
手を出そうとしたのをやめさせるくらいである。大輔はすっかり涙目で、しょげきっていた。まだ耳がきんきんする。
ブイモンも隣で、もう勝手にどっかいくの、やめよう、大輔、と大きくため息をつきながらつぶやいた。おう、と力なく大輔は答える。
側にいたのになんで大輔を連れ戻さなかったのか、という指摘になにも返答できず、ごめんなさい、と謝った相方と一緒に、
大輔は改めて、本気で心配してくれる仲間達がいることを心の底から嬉しく思った。
でもやっぱりちょっと納得いかないところはある。
せっかくブイモンがエクスブイモンに進化できたのに、それについては誰も褒めてくれないのである。驚いてくれないのである。
エンジェモンの姿をみたみんなは、驚いてたのに。まるで進化するのが当たり前だって感じで、だーれも取り合ってくれないのだ、つまらない。
ちょっと拍子抜けで、肩すかしだ。やっぱりみんなから頼りにされるには、まだまだいろんなことが足りないと自覚した大輔は、
ちょっと方向性を変えてみたのだ。タケルのことを気遣って、大輔なりに頑張って考えたことを実行してみたのだ。そしたら怒られた。
もっと自分のことを大切にしろと怒られた。なんなんだよ、もう、と内心訳が分からなくて、おもしろくなくて、ちょっとだけ怒っている。
まだまだ小さい子供は、自分がどれだけみんなから大切にされているのか、どれだけ守らなければならない存在として見られているのか分かっていない。
背伸びすることばかりに集中して、足元がすっかりお留守になっている大輔は、いまいち自分の立場がいかに認識と現実でずれているのか分かっていなかった。
もっと自分のことを大事にしろって言われるけれど、それじゃあまるで守ってもらう立場でいろってしか、大輔には聞こえないのだ。
あくまでも大輔がみんなに認められたいと一生懸命大人ぶるのは、大人に褒めてもらえてうれしい子供と同じ行動原理である。
両親からもサッカー部のコーチからも、先生からも褒めてもらえるのに、たったひとりだけどうしても、どんなに頑張っても褒めてくれない人がいる。
その愛情に非常に飢えている大輔にとって、代用品である筈の太一や空から怒られるのは、とっても悲しいことだった。
思い出してしまうのだ。一度たりともこっちを見てくれない本宮ジュンを本能が思い出してしまうのだ。大輔は悲しかった。
どこまでも褒めてもらいたいっていう単純な出発点があるのに、他にもいろんな方法があるのに、自分のことがすっぽ抜けている大輔は、
自分のことをどこまでも大切にしない大輔は、はたから見れば危なっかしいことをしているようにしか見えない。
不満タラタラな大輔の一方で、ブイモンもブイモンで悩んでいた。
大輔を守るという立場であるはずのパートナーデジモンの在り方を、完全に放棄したと怒られたのだ。そんなつもり、全然無いのに。
ブイモンは大輔のためなら何だってする、非常に大輔贔屓すぎる立場ながら、一応大輔がみんなのことを大切にしてるから、
大輔と同じ世界が見たくって、毎日一生懸命大輔の真似をすることで、なんとか「仲間」とか「友達」とか理解しようとしている。
みんなきっといちいちそんなこと気にしないで、パートナーがしているから、一緒に漂流生活を送ってきたから、という
緩やかな結束の中で、なんとなく「仲間」とか「友達」をやっている。ブイモンほどパートナーとの認識の落差を自覚するまでには行っていないのだ。
でもブイモンは大輔との間に強烈な認識の落差があると自覚してしまったので、それは嫌だと思ったので頑張っているのに、
だーれも理解してくれないのだ。考えすぎだよ、とアグモンに言われた時点で、みんな似たような感覚なのだろうと気付いて、
言いわけは全部封殺されたも同然だった。パートナーデジモンは、パートナーと一緒にいるのが当たり前。それ以上でもそれ以下でもない。
でも、ブイモンは、大輔と出会ったその瞬間から本来ならその疑問を挟む余地が無い関係性について、根本から揺るがされる体験をしてきた。
がんばらなくちゃ大輔と一緒にいられなくなるかもしれない、と知ってしまった。それはとっても怖いことである。
大輔がブイモンのことをパートナーデジモンとして、誰よりも大切だと言ってくれたから幸せだけども、幸せすぎて怖いのだ。
なかなか難しいことである。
なにはともあれ、すっかり落ち込んでいる大輔とブイモンに、おかえりなさい、と笑ったタケルは、
少しだけ拗ねたように、薄情にも励ましに来てくれなかった友人達を見る。じとっとした目でにらむ。
なんだよ、ととどめを刺された大輔は、消え入りそうな声でつぶやいた。今度はなんだよう、とブイモンも見上げてくる。

「どこいってたの、大輔君もブイモンも。僕達友達じゃないの?友達が泣いてるのにほっとらかしなんてひどいよ」

もう大輔やブイモンに対して遠慮は失礼だからいらないよね、とどこまでも素のままタケルは正直に愚痴を言う。
この件に関してはヤマトから、大輔君達は?と聞かれていた複雑な嫉妬も絡み合い、必要以上に言及された大輔とブイモンは、平謝りするしかない。
タケルが絡んだヤマトさんは絶対に怒らせていはいけないのだと嫌というほど味わう羽目になってしまった一人と一匹は、
もう苦手意識なんてもんじゃない。別の意味でトラウマである。
ちなみに、ヤマトもヤマトなりに大輔と太一の複雑な関係に気付いていて、いろいろと根回りしているのだが、
どこか大雑把な似た者同士はことごとくこっちの好意を無下にする上に、気付いてすらおらず、いらいらするのも無理はない。
こっちばっかりとばっちりが来るうえに、大切な弟はすっかり大輔と親友同士になっている。これはもう面白くないどころの話ではない。
大輔はタケルのようにお兄ちゃんとして慕ってくれないのだ。お兄ちゃんであることが何よりの誇りであるヤマトには、
自分のプライドを傷つけられたとしか思えない。タケルと違って自分の努力を魚の下処理の件で気付いてくれている大輔が、である。
やっぱりどこまでも相性が悪い二人である。

「大輔君たちなら、すぐに飛んで来て、いろいろ励ましてくれるって思ったのに。あの時みたいに、アドバイスくれるって思ったのに。
ひどいよ、大輔君もブイモンも。うそつきだよ」

「なんだよ、あんとき、甘えたくないっていったの嘘かよ。対等になりたいとかいったの嘘かよ。
俺だって俺なりにタケルのこと考えてやったのに。俺がいたら、太一さん達がタケルのことに集中してくれねえから、半分こになるなあって思ったから、
タケルが泣きやむまではなれてようってブイモンと一緒に決めて、ずーっと待ってたのに、なんだよそれ」

「えー、僕そんなこと思ってないよう。泣き虫だってばれちゃったから、大輔君達に嫌われちゃったのかと思ったんだよ、僕」

「タケルが泣き虫なのは今さらだろ、何言ってんだよ。それにやっぱお前知らなかったんだな。
思いっきり泣く時って、我慢しない方がいいんだよ。みんなに励まされて泣きやむより、気が済むまで泣いた方がいいんだよ。
そーいうときって、背中なでてもらったり、頭なでてもらったりした方が安心できるんだよ。
俺、そーいうの出来ねえから、なんにも出来ねえから、それならいない方がいいかなって思ったのによー」

「あはは、へんなの。大輔君らしくないよ」

「おま、ひっでーな!」

「大輔君は大輔君のまんまでいいよ、なんか変な感じするもん。友達なのに気を使うって変だよ、前の僕みたいだよ?」

「……そりゃ悪かったな」

以前のようなタケルと自分自身を重ね合わせた大輔は、ブイモンと一緒に持ち前の想像力でいろいろと考えた結果、
即答でぶっきらぼうに謝ってくれた。それもちょっとどうなんだろう、僕に失礼な気がするとタケルは思うが、あえて言わない。
そして話題はタケルの持っているデジタマへと移っていく。

「変なんだよ、大輔君、ブイモン。デジタマがね、生まれないんだ。はじまりの街だと、なでなでしたら生まれてきてくれたのに」

「恥ずかしがり屋なんじゃない?」

「パタモンが?」

「ねーな、パタモンだったらすぐに飛び出してくるって」

「じゃあ、きっと疲れてちゃって寝てるんだよ、なっちゃんみたいに。
なっちゃんはデジコアを自分で傷つけちゃったから、ずーっとケガが治るまで寝てなきゃいけないから、
生まれてくるのはすっごく先だって言われたんだよ、オレ達。ね?大輔。
でもパタモンはすっげー大きな力を使って疲れただけだから、きっとそんなに先じゃないよ、タケル」

「そうなの?」

「おう。ちょっと頑張りすぎただけだろ、そのうち生まれてくるって、ぜってーさ。
それまでに、エンジェモンにいろいろ仕返ししなきゃいけないからなー、考えねえと」

「仕返しってなにするの?」

「だって一人でカッコつけて、一人で戦ってしんじゃったじゃねーか。俺、あーいうの一番嫌いなんだよ。
あのカッコいい頭の奴取って、顔見せてもらうくらいしないと、俺は許せねーよ」

おもしろいことを思いついたと顔に書いてある悪戯っ子の、にししというあくどい顔に、目をぱちくりさせたタケルは、
そういえば、と考えてみる。エンジェモンは表情が見えなくて怖いと思っていたけれども、そもそも十字架の刻まれた、
きらきらのお面見たいな、仮面みたいな、羽根の生えたやつをかぶっているから、口元くらいしか見えないのである。
デザイン的にはカッコいいし、ゲームで出てくるやつでは、間違いなく一番強そうな感じがしていたけれども、
そう言われてしまうと無性に顔が見たくなてしまうのは人のサガである。
喧嘩して謝るときには、ちゃんと人の目を見て謝らなくちゃいけないとタケルは知っている。
タケルはあやまっているのに、エンジェモンは仮面を着けたままって、なんかずるい気がしてしまう。
あの仮面自体が身体の一部で取れないのか、それとも装備品なのかという細かい事情をしらないタケルは、
とりあえず生まれてきたパタモンから、最初にエンジェモンが進化したらそれくらいやっても罰は当たらないと確信する。
すっかり悪い友達にそそのかされてしまったタケルは、大輔と一緒にいろいろと考え始めて、おかしそうに笑う。
あわわ、とパートナー達のとんでもない陰謀を聞いてしまったブイモンは二の句が継げない。
これではエンジェモンがかわいそう過ぎるではないか、とあわてて仲裁に入るのだが、二人が口をそろえて、えーというので困ってしまう。
なんとかパタモンが進化するまでに二人を説得しなければいけない、とブイモンが決意したのは別の話である。ちょっと気になっているのは秘密だ。

「ねえ、大輔君、ブイモン、僕になんか隠してるでしょ」

「……お前なあ」

「やっぱり無理だったね、大輔」

「大輔君は嘘ついてるってすぐわかっちゃうんだもん。いいことだと思うよ」

「ぜんぜん嬉しくねえよ」

「どうして?嘘をつくってよくないことだよ?嘘をつかないでいられるんなら、とっても素敵なことだと思うよ」

「そりゃそーだけど、テストが悪かった時とか小遣い減らされるんだよ。俺すぐばれちまうし」

「ふーん。大輔君のお家はお小遣い貰えるんだね。それは大輔君が悪いよ、宿題とかちゃんとやらなくっちゃ」

「仕方ないだろ、サッカーの朝練で疲れてんだよ。授業の時間は寝る時間だろ」

「えー、だめだよ、大輔君。お兄ちゃんはちゃんと野球も勉強も頑張ってるっていってたもん」

「すげー。ホントすげえな、ヤマトさん。家のこともして、学校のこともして、野球までしてんのか」

「えへへ、やっぱりすごいね、お兄ちゃん」

大好きなお兄ちゃんを褒められてうれしいタケルは、デジタマにお兄ちゃん自慢を話しかけている。やっぱり友人はブラコンである。
ほんとかよ、とこっそり大輔は思う。絶対、ヤマトは同じ学校に通っていないことをいいことに、脚色してタケルに話している気がしてならない。
覚えがある話である。小学校に入学するまでは、ジュンことを何でもできる完璧超人だと思い込んでいた大輔からすれば、かつての自分を見ているようだ。
本当の完璧超人は、ニュースでやってた小学校5年生の一乗寺っていうサッカー天才少年のことを言うのだ、と大輔は思う。
だって、テストでもサッカーでも全国で一番らしいのだ。それはもうあり得ない世界の住人である。
小5でありながら6年生との混合チームのキャプテンを任された太一は、お台場小学校サッカー部で一番すごい人だとは思うが、彼は勉強が出来ない。
サッカー天才少年は尊敬すべき領域だ。ヤマトが天才なのか、と言われたら、疑問符な大輔だが、それを言ったら確実に怒られるので黙っとくことにした。
どこか上の空だと気付いたタケルは、まだ大輔とブイモンが隠していることをあきらめたわけではないので奇襲をかける。

「ねえ、どうしても僕に教えてくれないの?」

不意を突かれた大輔は、すかさず呼びかけを兼ねた牽制を投げたブイモンにより、ぼろを出さずに済んだ。
はっとなり、恨めしげにタケルを見る大輔に、作戦の失敗を悟ったタケルは肩をすくめた。

「まだ、ダメなんだよ、ぜってーダメなんだよ、今はまだ」

「絶対?」

「絶対の絶対」

「嘘をつかれて、僕が悲しいのに、それよりダメなの?」

「ダメなんだよ。ぜってーダメ、俺、ここにいられなくなる」

そこまで言い切られてしまっては、さすがのタケルも頑固さをひっこめるしか無くなってしまう。
大輔とブイモンが本気で聞かないでくれと目が訴えているから、本気で思っていることは明らからしい。
どこまで大輔達が真剣に内緒にしようと決めたということは、よっぽどのことである。
ちょっとだけ怖くなってしまったこともある。タケルはようやくあきらめたのか、前のめりになっていた姿勢を戻した。

「そっか、ならいいよ。そのかわり、いつか教えてね」

「おう」

「その時になったら、絶対教えるから、待っててね、タケル」

そして、最年少コンビとパートナーデジモンは、なにやら見つけたらしい上級生に呼ばれて、そちらの方へとかけていくことになる。
約束を守るということに関しては、ウソをつくことと同じくらい絶対視しているタケルの様子を見た大輔は、ブイモンと顔を見合わせた。
そして、もう後戻りできない、と覚悟を決めた。
もしパタモンが記憶を継承せずに生まれてきた時、それを隠していたことを知ったタケルが確実に怒ること、
もしかしたら絶交まで行くかもしれないことを知りながら、あえて黙っていることを選んだ。
今のタケルは死んじゃったパタモンが、今度生まれてくるパタモンと全く同じデジモンであると信じているからこそ、立ち直って笑っているのだ。
でも大輔は知っている。なっちゃんとなっちゃんの前のデジモンは、全然違う人生を歩んだ、全くの別の存在だと知っている。
そんなこと言ったら、タケルがどうなってしまうのかなんて、わざわざ想像するまでも無い。自分がその支えをとる役目なんて絶対に嫌である。
パタモンが少しでもいいから記憶をもって生まれてくることを祈りつつ、もしぜんぜん覚えていなかったら、
タケルに内緒でタケルとパタモンのことを一から全部こっそり教えるくらいのことをしなきゃいけないなと考えていた。
大輔にとっても、ここまで仲良くなった友達はきっと初めてなのである。だから、どこまで正直に話していいのか迷ってしまう。
なんにも考えないで気楽に付き合えるのが友達だと思っていたが、ドアごしの喧嘩は大輔の価値観を広げた。
本気でぶつかり合う友達は、ここまで大きいのだ。相手のこともちょっとは考えないといけないんだと、
本来鈍感であるはずの大輔が自覚するくらい。不慣れながらも頑張ろうとして、空回りしてしまうくらいには。
まだまだ初めてだらけの経験で、不器用な小さな子どもたちは、ちょっとずつ進んでいる。


自分の思っていることが、必ずしもみんなにとっての当たり前ではないことを、正しいとは思ってくれないことを、
これからの旅路が子供たちに教えてくれることになる。
まだ何も知らない大輔とブイモンは、タケルと一緒に、黒山の人だかりになっている所へと向かった。



[26350] 第2話 旅立ちの夜に
Name: 若州◆e61dab95 ID:25d2fc89
Date: 2011/04/19 22:14
ベンパツという奇抜な髪形に、どこまでが頭でどこまでが顔なのか判断に苦しむ顔は、その年齢と共に刻んできた沢山のしわがある。
一見寝ているのかと心配してしまいそうな一重まぶたに、限りなく細い目、しかしながら妙に貫禄があるのは、その実態がつかめない正体不明さからか。
腰が曲がっているのか中腰に両手を回しているその男は、子供たちを端から端まで眺めて、飄々とした笑顔をたたえて、特徴的な笑いをこぼした。
身を包んでいる服装は赤と青の民族衣装のように見えるが、映りが悪い映像のせいでいまいちどういった衣服なのかは判断がつかない。
デビモンが妨害していた通信が復活したことで、ようやく子供たちとデジモン達の前に現れることが出来た、とあまりにも予定調和のタイミングで、
ホログラムから現れた老人は、ゲンナイと名乗った。

この正体不明の老人は、子供達からすれば、この世界に来てから初めてであった人間である。
ということで、質問攻めにしてくる子供達からの信頼を得る気は全くないらしい。
打てば響くように返ってくる言葉は、全て要領を得なくてあいまいで、嘘をついているのか本当のこと言っているのか意図が読めない雰囲気をまとっている。
何者だと聞けば、この世界が出来てからずっとこの世界に住んでいると発言し、人間であって人間ではないが、デジモンではないとどうともとれる言葉を紡ぐ。
何故子供達がこの世界に呼ばれたのか、と聞いても、不自然な沈黙の後には知らないとか分からないとか言って煙に巻いてしまう。
どうやったらこの世界から元の世界に帰れるのかと聞いても、先ほどよりも長引く沈黙の後に、知らんのう、と笑うのだ。
それでいて、じゃあなんで子供たちの前に現れたのだ、と苛立った問いかけには、「選ばれし子供達」に「サーバ大陸」に来てほしいと妙にはっきりと断言する。
「サーバ大陸」に来て、暗黒の力である敵を倒してくれと、こちら側の利益になることは一切提示しないくせに、一方的に要求を突き付けてくるのである。
選ばれし子供達ならできるはずだと、義務と責任を押し付けてくる初対面のこの老人に、子供たちは当然ながら猛反発した。
この世界における伝説にしかすぎないはずの英雄譚に無理やりあてはめられた子供達はたまったものではない。
確かに結果的にファイル島をデビモンの暗黒の力から救ったのは子供たちとパートナーデジモン達であるが、それはただ元の世界に帰りたい一心だっただけだ。
余計な期待をさせてしまったことを謝罪するレオモンには、みんな首を振った。
レオモンはあくまでも可能性を提示しただけであり、今まで元の世界への手段を掴めなかった子供達はその可能性を極大解釈しただけであり、
レオモンにとってはこのファイル島は故郷である。なかば騙すつもりになってしまったとしても、共に戦ってくれた仲間であり、謝ってくれたのだからそれでいい。
デビモンの言葉がみんなの耳に残っている。エンジェモンがみんなのデジヴァイスの力と自分の命を引き換えにしてようやく打倒したような強敵以上の敵がいると、
デビモンは高笑いしながら絶望の宣言をして消えていったのだ。エンジェモンが放った全力の叱咤激励である程度持ちこたえてはいるが、嫌でも弱音を吐いてしまう。
このデジタルワールドの住人ゆえか、どこまでも人間の感情や情緒といったものを考慮できるだけの配慮が微塵も感じられないゲンナイは、そんなことはないと否定する。
たった一言でも「よく頑張った」とねぎらいの言葉をかければ、それだけでも純粋な子どもたちの心に響くものがあるのだが、びっくりするほど機械的なゲンナイは、
開口一番に「デビモンを倒すとはなかなかやるのう」と妙に上から目線で言葉を吐いた。はっきりいって第一印象は最悪に近い。
この世界に来てから初めてであった大人であるはずのゲンナイから、そういう態度と言動を持って対応されたのだ、だれも首を縦に振ることはない。
子供たちの警戒心とどん底の信頼関係など一切気にする様子も無く、ゲンナイは子供たちに問われた「デビモン以上の強敵への対抗手段が無い」という疑問にのみ答える。
パートナーデジモン達はもう一段階、進化することが可能だと提示した。頑固一徹、全然人間らしくないゲンナイの言葉に不信感を抱きつつあった子供たちを引きとめたのは、
新しい力の提示だった。この漂流生活において、子供たちを支えてきたのはパートナーデジモン達であり、デジヴァイスの力であり、進化である。
いわば、仲間である子供たち、パートナーデジモン達以外に、唯一信頼することが出来るものである。
しぶしぶ耳を傾けることにした子供達に、ゲンナイは映像を何点か見せた。
「タグ」という首から下げるタイプのアクセサリーのようなものと、「紋章」という「タグ」の中に入れる四角く手薄くて小さなチップのようなものだ。
この2つをデジヴァイスに使うことで、パートナーデジモン達はもう一段階進化することが出来るという。
ごくりと唾を飲み込んで、顔を見合わせた子供たち。しかし、肝心の場所について問われたゲンナイは、これまた要領を得ない対応で、子供たちを不安にさせる。
「紋章」は「サーバ大陸のあちこちにばらまかれてしまった」という。「タグ」は「デビモンがまとめて何処かに封印してしまった」というのだ。
つまり、ゲンナイの要求をまとめると、サーバ大陸にいって、どこにあるのかも分からないタグと紋章を探して、暗黒の力を持つ新たな脅威に立ち向かえというのである。
しかも、言動と態度から察するに、ゲンナイという老人は子供たちとデジモン達に一切手を貸してくれる気配はない。
あまりにも無茶苦茶すぎる要求である。しかも、ゲンナイはまた別のデジモンの妨害が入ったから、これ以上の通信はできないと一方的に宣言し、
早く大陸に来るよう発破をかけ、待っているという言葉を残して、ぶつりと映像が途切れてしまう。ノイズと共にかき消えた立体映像。
子供たちは途方に暮れてしまう。敵とも味方とも分からない傍観者的な第三者の立場の人間が、いかに厄介で嫌で、最悪な奴かということを知ることになってしまうのだった。

いつまでもムゲンマウンテンの麓で立ち尽くしているわけにもいかず、子供たちはデジモン達と共に、
ムゲンマウンテンの湧水が沢山あふれている豊富な水源をたどり、滝が流れている洞窟で夕食をとることにしたのだった。



第2話 旅立ちの夜に



「この地図が正しいなら、ファイル島からサーバ大陸はそうとう離れてますね」

ファイル島からサーバ大陸までの場所がわからない、ともっともな指摘をした光子郎に、ゲンナイはパソコンにデータをダウンロードさせた。
テントモンがカブテリモンに進化した、アンドロモンの工場以来、充電不足で起動することが無かった筈のノートパソコンが、
今では何事も無かったかのごとく普通に動いている。ダウンロードしたデータを展開した光子郎は、最大画面にしたパソコンをみんなに見せた。
今までのファイル島の漂流生活において、決定権を担ってきたのは上級生組による多数決と話し合いである。いつものようにパソコンは5,6年生によって占領される。
いつものように彼らの決定の行方を見守ることにした大輔は、サーバ大陸かあ、と呟いてるブイモンの横で、退屈そうに座っていた。
本当に大陸だね、と溜息しか出てこないらしい丈のボヤきが聞こえたのか、首をかしげている。なにか大陸であることが問題なのだろうか。
そんな様子を見つけた光子郎は、持ち前の知的好奇心とめったに振るえない誇示心を満たすべく、しめたとばかりに近づいた。
一応光子郎にとっても大輔はサッカー部の大切な後輩の一人であり、大輔も太一や空がなにかと光子郎を頼りにしているのを見ている筈なのに、
なにかと大輔は太一や空に頼ってばかりで、なかなか先輩としての面目を立たせてくれないのだ。4年生と5年生、一歳しか違わないのにである。
光子郎自身、太一の押しの強さに負けてサッカー部に入部した経緯があり、この仲間達の中ではいまいち太一以外は信頼しきれていないのは、
すっかり棚に上げているようだ。
長い漂流生活が少しずつみんなの氷壁をゆるやかにしつつある証拠かもしれないが、まだまだ統一感の無い子供達が、一致団結するのは先がながそうである。
確かに光子郎はミミと比べるとずっと身長も低いし、体格も小柄であり、タケルや大輔よりもぎりぎり大きいくらいの差しかないため、
頼りないと思われるのは仕方ないかもしれないが、それではちょっとプライドが傷つくので認めたくない光子郎である。
これでもサッカー歴は大輔よりも2年は長いのだから。ちなみに光子郎は太一による暴露をヤマトが事前防止したため、大輔の事情を一切知らない。
大輔からすれば、研究者体質の光子郎は非常に近づきがたい雰囲気を持っている。
いつもテントモンと難しい話ばかりしているし、敬語だし、知識や倫理展開においては恐らく丈と並んで子供たちの中では一番突出した面があり、
決定権を持っている上級生組がときどき、大事な話し合いの時に意見を求めているのを見ているから、同じ4年生のミミよりも上級生組として見ている。
でも、光子郎は4年生であり、サッカー部の先輩ではあるが、光子郎の危惧していた通り、どこか頼りなく見えてしまう。
全てにおいて中途半端な立ち位置に見えてしまうらしく、悲しいほど接点が見つからない。話すにしても話題が悲しほど見つからないのだ。
共通項は同じサッカー部であり、大輔も光子郎も方向性は全く違えども信頼している太一であるが、太一が仲介に入らなければ話もなかなかしずらい微妙な関係である。
気になることがあるとみんなのことそっちのけで、ノートパソコンに向き合って石像のように固まってしまう知識欲の塊がなおさら距離感を感じさせる。
それに敬語だし。サッカー部の先輩なんだから敬語じゃなくてもいいのになあ、と他人行儀に感じてしまうのも、ちょっとためらわせていた。
これは完璧に光子郎の取っていた行動が裏目に出ている。
テントモンにだけ砕けた口調をしている光子郎は実のところ、筋金入りの礼儀正しい敬語少年ではなく、年下の後輩には溜めぐちを聞くのが普通だ。
しかし、ならば何故タケルや大輔に対してまで敬語を使っているのかといえば、頼りなく見えてしまう小柄な体質で年上として見られないのは嫌だから、
せめて話し言葉くらいでも敬語を使って、大人びたところを見せて、先輩ぶりたいという非常に男の子らしい考え方がそうさせていた。
悲しいかな、全く別の意味で大人として見られてしまっている光子郎が、ようやく見つけたのが自分が豊富に持っている雑学レベルから学術レベルの知識の披露だった。
デジヴァイスに関する話をした時、大輔とタケルは初めて光子郎に対して、すごいこのひと!という反応を明確に見せ、思い切り食い付いたのだ。
これはいける、と思ったのも無理はなかった。そんなこと知るはずもなく、大輔はなんすか?といつもなら絶対に話しかけてこないであろう先輩に、首をかしげた。

「どうしたんですか?大輔君」

「え?」

「なにか、気になることでもありますか?」

「あ、えっとっすね、光子郎先輩、大陸だからなんか問題でもあるんすか?」

「いい質問ですね、大輔君。そもそも島は、自然にできた陸地があって、海に囲まれていて、高潮っていう一番波が高くなる時でも見えてるのを言うんです。
大陸と島って、実は明確な違いはないんですよ。
ただ、オーストラリアより大きい陸地を大陸、グリーンランドっていう世界で一番大きな島より小さい陸地を島と呼ぶのが、世界共通の考え方なんです。
丈さんが言ったのは、ファイル島と比べて、サーバ大陸がとんでもなく広いので、これから僕達が旅をするとしたらすっごく時間がかかりそうだからです。
ゲンナイさんがいうのが本当なら、僕たちは紋章を探さなくてはいけませんからね」

「へー、どんくらい広いんすか?」

「そうですね、大輔君は伊豆大島に行ったことはありますか?」

「え?い、伊豆大島?えーっと、行ったことはないっすけど、東京からずーっといったとこにあるトコっすよね?」

「ええ。その伊豆大島がこのファイル島だとしたら、サーバ大陸は地図を見る限りでは、日本の関東と関西を合わせたよりも、もっと広そうです」

「えええっ?!」

「それに、相当距離が離れてそうなんですよ。地図っていうのは、縮尺といって、何百分の1くらいの大きさで書かれているので、
縮尺ががわかればどれくらい離れているのか、計算できるはずなんですが、ちょっとわからないんです。
かなり離れているのは事実です。もし行くことになるなら、何日かかるか、それに、どうやっていくのか考えないと」

「はえー、すごいっすね、光子郎先輩。あの地図みただけで、そんなにいっぱいわかるんすか」

「ええ、3年生4年生になれば大輔君も学校で習いますよ」

「うえー、難しそうっすね、俺勉強嫌いなんすよ。大丈夫かなあ」

この世界にまできて、勉強の話を聞く羽目になるとは思っていなかったらしい大輔は、本気で将来の勉強について不安をにじませている。
間違いなくこの後輩は、都道府県や日本の地理といった一般常識レベルの社会の問題でも、四苦八苦しながら暗記する羽目になるだろうことは予想できる。
とりわけ都道府県は出来て当たり前の常識クイズだ、おそらく毎年恒例の書き取り問題が行われるだろうことは明白。
毎年毎年暗記問題や地理系の問題が大っきらいな小学生が絶叫する地獄の季節がやってくる。ああ、そう言えば夏休み明けにやるって担任の先生が言ってたきがする。
余計なことまで思い出してしまった光子郎は、あはは、まあ頑張ってください、と誤魔化すように笑った。

「夏休みの宿題、ちゃんとやりましょうね。そしたら大丈夫ですよ」

「嫌なこと思い出させないで下さいよ、先輩!俺、一個もやって無いんすから!」

「去年みたいに宿題提出まで、クラブ立ち入り禁止令がでないように気をつけてくださいね」

「ううう」

がっくりと肩を落とした大輔に、同情の余地はない。
4年生の光子郎からすれば、夏休みの自由研究が図画工作でも許される低学年組はうらやましいの何ものでもない。
もちろん調べたり、まとめたりすることが大好きな光子郎にとって、その宿題は苦痛でも何でもないのだが、
みんなの前で発表するとなれば話は別である。模造紙で張り付けた研究結果をみんなに見てもらうだけでいいではないか。
何故わざわざ4年生のクラスの担任は、みんなの自由研究を発表会という形で公開処刑するのかわからない。
もともと社交的ではない性質の光子郎は、みんなの前で発表するという目立つ行動を強制されるのは大の苦手である。
この漂流生活だって、もはやどうしようもないと諦め、そして慣れてしまったため苦痛に思うことは大分なくなってきたのだが、
初めのころは24時間みんなと一緒という集団行動が嫌で嫌でたまらず、少しでも距離をとるために後ろの方を歩いていたこともある。
みんなと一緒が嫌だと思う一方で、頭脳明晰な頭はその非現実的な願望が実現不可能であると簡単に叩きだしてしまい、行動をまず抑制してしまう。
上級生との馴れ合いをしたくないと予防線として始めた敬語は、年下に対しては先輩ぶりたいという感覚で共に固定化されている。
もともと内向的な性質に、さらに拍車をかける事件が光子郎を襲ってから何日たつか分からないが、このどうしようもない漂流生活は、
光子郎にとっては素の自分がちょっとずつ曝け出されてきている兆候が見え隠れしている。
敬語がすっかりキャラクターとなっていることに気付いてしまった光子郎は、せめて年下である大輔やタケルにだけでも崩したいなあと考え始めている。
おもちゃの街の一件以来、明らかに同じクラスのミミは、タケルや大輔と共に仲良くなっていて、普通に会話しているのをよく見かけるようになった。
やっぱりちょっとさみしいのである。なかなかタイミングが見つからず、結局なにも言いだせないまま終わってしまったけれども。

「なあ、お前ら、ちょっとこいよ!」

太一からの声がする。せっかく低学年組との親しくなるとっかかりとして、ヤマトのガードが堅いタケルよりも先に、
共通項が多く、比較的話しかけやすかった大輔とようやく話すタイミングが見つかったというのに、またつぶしやがったサッカー部のキャプテンめ。
一番信頼しているがゆえに、一番正直な感想をぶつけやすい矛盾をはらんでいる光子郎は、内心いらっとしつつ、立ち上がる。
デビモンの一件以来、大輔に対して太一が構い過ぎているとは光子郎も感じていることである。事情もわかるが、それにしたってあれはおかしくないか。
大輔が嫌がるってそうとうだろう、光子郎と違って人見知りしない社交的な性格の友達も知り合いも多くて、よく遊んでいるのを見かけるアウトドアの典型のはずなのに。
太一のことを一番慕っている微笑ましい後輩であると認識している光子郎が、そのやりとりに驚いてしまうくらい、第三者から見てもおかしかった。
顔を見合わせて首を傾げた大輔と光子郎は、手招きする太一に言われるがまま、話し合いが紛糾しているらしい奥へと向かった。



太一と空、ヤマト、そして丈の話し合いはいつにもまして紛糾していた。
サーバ大陸に行くか、行かないか。たったひとつの議論であるにもかかわらず、今後の方針としてはどでかすぎるのだ、無理もなかった。
結果だけ見るならば、行くのは太一のみ、行かないは空、ヤマト、丈で、3対1と圧倒的に太一が不利である。
それぞれが明確なメリットデメリットを抱えており、ムゲンマウンテンの時のように、妥協案である和解案や折衷案を提示することは、
事実上不可能であることは明白だったので、みんな真剣だった。どちらが間違っている正しいと言えない状況である、なかなか決着がつかない。

行かないという選択肢を選んだ場合、デビモンという暗黒の力を打ち破ったことで、このファイル島は平和になっていることが最大のメリットだった。
衣食住は確実に保障されているし、もう敵が現れないことは、ゲンナイという老人が逆説的に教えてくれている。
今まで黒い歯車から解放してきたデジモン達がいるのだ、お願いすれば何処だって子供たちやパートナーデジモン達を受け入れてくれるだろう。
もう戦わなくてもいいという最大級の安心材料は、漂流生活の中で仲間達の安全など様々な課題を抱えながら、時には励まし、時には和ませ、常に気を使ってきた、
精神をすり減らしながら頑張り続けてきた上級生組にとっても、デジモン達と一緒に頑張り続けてきた仲間達にとっても、とっても魅力的であることはいうまでもない。
建て前ではみんなのことを守るため、と慎重論を振りかざしながら、もうここまで来ると個人的な意見や私情が思いっきり入り込んでくる。疲れが見え始めていた。
もう戦いたくない。つかれた。もう休ませて。一人になりたい。もう嫌。すぐそばで守るべき子供達がいる手前、言えない言葉はオブラートに包まれ、反対意見に変わる。
ファイル島からサーバ大陸までの移動手段。ゲンナイという老人に対する判断。衣食住の保障、安全性の不確定さ、もたらされた情報の不明瞭さ。
様々な形を変えて、自分で自分の言いわけを作り上げ、ほら、やっぱり無理だよ、という言いわけを紡ぎだしていく。勢いがあるのは当然である。本音に一番近いから。

行くという選択肢を選んだ場合、現状打破という一点がすべてである。
ゲンナイという爺さんは信用できない。たしかにファイル島を離れてサーバ大陸にいくなんて、無謀極まりないし、何もわからないし、罠かもしれない。
わざわざ目の前にある幸せの楽園から、未知の世界に飛び出すなんて、ばかばかしいにもほどがあるだろう。
しかし、現実問題として、ファイル島には元の世界に帰る手段がすでに無いことは、みんなわかっている。もう手段も手掛かりも無いのだ。
それは、この島全て回ったことで、地図が完成してしまったという達成感と共にもたらされた、残念すぎる事実だった。
あきらかに何かを隠しているゲンナイという老人は、サーバ大陸にいるという。そして会いに来いと言ったのだ。
これは子供達に残された唯一の手掛かりなのである。
ゲンナイという老人は、確実に何かを知っていて、隠していて、それでいて子供たちとデジモン達の力を必要としている。
太一は空達の慎重論の真意を同じくらいわかっているから、発破をかける。今ここで諦めてしまったら最後、ずっと死ぬまでここに生き続けるも同じだ。
歩みを止めてしまったら、一度でも座り込んでしまったら、もうみんな立てないだろう。また旅をしようという意欲はきっと無くなってしまう。
守る立場に置かれてしまったとはいえども、所詮上級生組だって、まだ12歳前後のちっぽけな子供なのだ。何度も立ち上がれるほど強くない。

今までずっと孤独だった彼らでは、もうまともな話し合いなど望むべくもない。
それに無意識のうちに気付いている太一は、誰も賛成してくれない現状にいらついて、らちが明かない、ということで、
今まで完全なる蚊帳の外だった、守られる側だった子供達を呼んだのである。屁理屈にもほどがあるが、引っ張り込む気だった。
これからのことは、今までと違って最大の転換期になるから、こいつらにも権利があるだろとかなんとか、思いついた言葉を適当に並べまくれば、
太一の取った思わぬ行動に唖然としていた空達は、一理あるその意見が新鮮に見えてしまい、それもそうだと頷いてしまう。
彼らは気付いていない。その時点で太一が取った行動の術中にはまったも同然だった。みんな忘れていた。
どうして、上級生組が代表として話し合いをして、方針の決定権を握ってきたのか。それはひとえに上級生のプライドと責任である。
そんな彼らの前に、ずっと守るために頑張ってきた立場の子供達とパートナーデジモン達が、話し合いに参加するということで、
ちょっとだけ緊張しながら、ドキドキしながらやってきたのである。反対派はこの時点で、後ろ向きな発想である自分に後ろめたさを感じてしまう。
もうこの時すでに、緩やかに方針は決定し、この瞬間から太一はリーダーとしてこのメンバーの中で頭一つ抜けることを、丈とヤマトは自覚せざるを得なくなる。
残念ながら、太一本人は、なんでか賛成してくれないみんなにいらついて、単純にみんなの意見を聞きたかっただけであるという天然さだ。
この瞬間から、丈とヤマト、そして太一の中で、熾烈なリーダーというポジションの争いが幕を開けることになる。
上級生組はリーダーの必要性を痛感している部分では一致しているのに、ヤマトや丈がその責任の大きさと重大性を認識しながら目指す一方で、
俺が俺がと言っている太一が、いまいちその重要性を理解しておらず、単に目立ちたいから、頼りにされたいからという
何処までも自分本位の理由から離脱しきれないギャップを抱え始めるのもこのころからだ。
もともと一致団結とは程遠い集団である。ますます無意識のうちに増えていく対立の火種が、着々と芽生え始めていた。
そして同時に、元からサポート役に徹している空の心労が、ますます増大するのもこのころからである。

そんな上級生組には上級生組なりの苦悩があることなんて、何にも知らないそのほか子供たちぐみは、
太一達から問われた質問に、うーん、と頭を悩ませることになる。

「なあ、お前らはこれからどうしたい?サーバ大陸にいくか、いかないか」

シンプルイズベスト。あくまでも建て前は、そのほかの子供達の意見を聞くということであり、
そこに上級生組の意見や誘導があってはいけないから、とお互いがお互いに目を光らせ、余計なことを言わないかどうか監視している。

「うーん、サーバ大陸かあ」

今まで完全に蚊帳の外だった大輔が、上級生組の事情なんて知っているわけがなかった。
大輔は嬉しくて嬉しくてたまらない。よっしゃー、とガッツポーズしたくなる。
テンションが上がって、にこにこしてしまいそうになるのを必死でこらえて、考える。
だって初めてではないか!太一達上級生組が、自分達に意見を求めるなんて!確認とか、質問ではなく、大輔の意見を聞いてくれるなんて!
事情はよくわからないし、意図や背景なんて、全然わからない大輔は、ただその一点に注目して純粋に喜んでいた。
認めてくれたも同然ではないか。意見を反映してくれるかどうかはさておいて、仲間の一員として認めてくれたも同じではないか。
この漂流生活において、一度たりとも明確な役目を自覚させてくれるようなことを、上級生組が認めてくれなかったことを思えば、
それは大輔にとってあまりにも大きな大きな変化である。だからこそ、自分の意見と聞かれた大輔は、なんの迷いも無く答えることが出来た。

「俺は、行きたいっす、サーバー大陸」

それはゲンナイという老人と遭遇した時からすでに大輔の中では、とっくの昔に確定事項となっていることであった。
大輔はゲンナイと名乗った老人が現れた時、それはもう驚いたのである。思わず立ち上がって前に駆けだしてしまいそうになるくらい仰天したのだ。
みんな突然現れたホログラムに気を取られていて、大輔の態度に気付いているのは、大輔から話を全部きいて、秘密を共有しているブイモンだけである。
大輔の中では、どんなにゲンナイが不審者の塊であり、挙動不審の極致にいる正体不明の老人であったとしても、もう絶対に揺るがない。
味方であるという認識は揺るぐことはないのだ。だって、ゲンナイさんという老人は、パートナーであるブイモンから進化したエアロブイドラモンと、
大輔の中ではすっかり正義のヒーロー的なあこがれの存在にまで昇格してしまっている秋山遼という少年が、さんづけで呼ぶような人なのだ。
未来の大輔達を助けるために頑張っている秋山遼をサポートしているらしい人なのである。いわば命の恩人が敬意を示している老人なのだ。
もう問答無用で味方認定である。ゲンナイを疑うということは、秋山遼を疑うことになり、ひいては未来のブイモンというパートナーデジモンを疑うことになってしまう。
そんなこと大輔が出来るわけがなかった。
だから大輔はびっくりするほど即答で、明確に答えを提示して見せ、曖昧に言葉を濁して、うーんと悩んでいる子供達を驚かせた。
大輔の回答が巡り巡って自分のことを信じてくれているからこその解答なのだと知っているブイモンは、大満足で笑っている。
そんなこと知らない上級生組は、なんでだと聞いてみる。そりゃそうである。デビモンに一番怖い目にあわされたのは大輔なのだ。
ちょっとくらい戸惑ったり、困惑したり、迷ったりするのがふつうであると思っていたので、大輔らしいとは思いながらも、
ちょっと結論を出すのが速すぎやしないかと心配になってしまう。考えるのが苦手とはいえ、ちょっとは考えてほしかった。
孤立無援の中で、そんな言葉をぽんと投げかけられた太一が、上機嫌になるのも無理はなかった。

「だよな!」

太一から言われた大輔は、はい?と間抜けな回答をした。いまいち太一がどうしてそこまで大喜びしているのかわからない。
ぐりぐりと大輔の頭をなでながら、太一は屈託ない笑顔を向けて笑う。

「やっぱそーだよな、大輔!元の世界に帰るには、それしかねーもんな!」

「え?そーなんすか?」

大輔は驚いてしまう。サーバ大陸に行くしか元の世界に帰る手段が無いのなら、わざわざそんなこと聞かなくても答えは出ているではないか。
なんでいちいち呼びよせてまで聞いたのだろう、と疑問符が浮かぶ。上級生組しか知らなかった事実が大輔にだけ漏れてしまったと悟った空が、
こら、太一!と咎めるような視線を送る。しまった、と慌てた様子で我に返った太一は、なんてな、と笑う。

「だったらいーなって、あはは。大輔、なんでサーバ大陸に行きたいと思うんだ?」

太一はすっかり自分と同じ意見であると信じて疑わない。なんだかんだいってやっぱり可愛い後輩である。
太一はサーバ大陸と新たな力の象徴であるタグ、紋章というキーワード、そして選ばれし子供という英雄みたいな肩書を聞いて、
すっかり有頂天になっている。ゲームや漫画が大好きなお年頃である。RPGの主人公に自己投影して遊んでいる小学校5年生である。
とつぜん放り込まれた異世界で、とつぜん自分たちにしかできないといわれ、世界を救ってくれと言われたのだ。
一度はふざけるな、とか思ったけれども、新しい冒険の舞台と意味深な言葉を残して去ってしまったゲンナイという爺さんである。
わくわくしない方がおかしい。それが元の世界に直結しているなら一石二鳥ではないか。世界を救った英雄が元の世界に帰るときに、
今まで旅を共にしてきた仲間と感動の別れと永遠の友情を誓うんなんて、よくある王道的ストーリーである。
そういった大雑把で楽観的なところが太一のいいところでもあるのだが、ちょっとだけ大輔のことを勘違いしている。
大輔は大輔であって、太一ではない。あくまでも太一が構い過ぎているサッカー部の後輩である。
それに太一お兄ちゃんのことが大好きで、なんでも太一のことを正しいと無条件で肯定してくれる従順すぎる妹であるヒカリでもない。
それをはき違えている太一は、大輔がせっかく自分の意見を言ったのに、太一の意見と一緒だとひとまとめにしてしまうことに、
ちょっと怒っていることに気付けなかった。

「大輔君、太一から言われたからって、そのまま飲まれちゃダメだよ?君の意見が聞きたいんだ」

サッカー部の先輩後輩関係なしだよ、と丈に指摘された大輔は訳が分からなくて混乱する。
なんで大輔は大輔の意見をちゃんと言ったのに、太一から誘導された意見を言っているように思われているのかわからない。
なんにも考えないで太一の意見に賛成しているように思われているのかわからない。気に食わない。心外である。
なんにも考えないで意見を言わないような奴と一緒にしてほしくなんかない、と大輔はちょっと声を荒げた。

「そんなことないっすよ!ちゃんと俺考えましたってば!俺はサーバ大陸に行った方がいいって思ったからいったんすよ!
そりゃ、太一さんとおんなじだったのは嬉しいけど、たまたまですってば!」

「おいおい、そこまでむきになんなくてもいいだろ?」

ちょっと拍子抜けして傷ついた太一は情けない声を出す。
大輔と太一の様子に、そうかい?と一応納得してくれたらしい丈は、理由を聞いてきた。

「ゲンナイさんが言ってたんで」

その言葉には流石に子供達は凍り付いた。は?とみんな一様に大輔を見る。さすがにそれなら太一が言ってたから、の方が百倍説得力がある。
なにをいってるんだ、この子!本気で大輔のことが心配になってしまった丈は、何処までも持ち前の常識でもって、考え直すよう言ってみる。
世界中の怪しいっていう意味の言葉をかき集めて、押し固めて、濃縮したようなあの爺さんが言ってたからサーバ大陸に行くって言い放ったのだ、大輔は。
もともと突拍子が無いところはあるものの、どこまでも大人びている所がある大輔にしては、あまりにも斜め上すぎる。
太一も太一でショックである。意見の理由が自分じゃなくて、あんな怪しすぎる爺さんが言ってたから、だなんて!
俺より爺さんの方が信頼できるってことかよ、おい!と思わず大輔に詰め寄るが、大輔はそんなつもりはないというだけで、
爺さんのことを信頼しているのはありありと見て取れる。
ホログラムを大輔も一緒に見てたはずだ。どこをどう見れば信用に値する人間に見れるんだろう?と不思議で仕方無い。
太一だってゲンナイという爺さんのことなんか、現時点では微塵も信じていないのだ。
ただその情報しか判断材料に使える資料が無いから、仕方なく使っているだけにすぎない。それなのに大輔はあっさりと信じている。
将来がとっても心配になる太一である。丈の懸命の説得にも関わらず、あっけらかんとした様子で大輔は言うだけだ。

「んー、なんていうか、勘?えへへ、俺の勘、外れたことないんすよ」

よくわからない自信でもって、得意げに言いきった大輔である。勘、という言葉を聞いた太一はほっとした。
なんだ、勘か、シックスセンスか、なんとなくか、よかった。本当に良かった。もしかして、なんかあったんじゃないかと余計な勘ぐりをしてしまった。
楽観主義の塊は、日常的に自分の勘を頼りにして、何かといろんなことを決めているいい加減さをサッカー部連中は知っている。
それを説明した太一に、丈をはじめみんな肩を降ろした。小学校2年生である。今の状況をまずよくわかっていないはずである。
みんなと同じくらいしっかりとした意見を求めること自体が無理難題過ぎたのだと、ようやくここまで来て思い当ったらしかった。
大輔も大輔で深くまで突っ込まれたら、どうしよう、マジでどうしよう、と遼との約束を守るのに必死で、焦りまくっていたのでほっとした。
ただ。ちょいちょい、と引かれた腕を振り返ると、あれあれ大輔、と教えてくれる相方の姿がある。
言われるがままそっちを見れば、大輔の不自然さを感じとったらしいタケルから、また隠し事が増えていると咎めの視線とかちあった。
げ、とつぶやいた大輔は、両手を合わせてごめんのポーズを持って頭を下げる。
またあ?と眉を寄せるタケルだったが、大輔に振られた話題が今度はタケルに飛んで来て、それどころではなくなってしまったようだった。

ちなみにそれ以外組は真っ二つに意見が割れた。
生まれてくるデジタマのために少しでも勉強したいから頑張るんだと、大輔とは比べ物にならないくらいしっかりとした意見を述べたタケルである。
タケルを見習え、と耳打ちされた大輔は、反論できない事情を抱えてしまっている自分を恨んだ。
なんだか勝ち誇ったような顔をしているタケルがむかつく。そして執拗に言及される隠しごとについて、なんとか逃げ切ることに成功する。
そして小学校2年生組と違って、現実をずっと知っている光子郎とミミは当然のことながら反対派。
しかし、タケルが賛成に回ったことで、ネガティブな思考を勘ぐられたくないヤマトがまずは陥落する。これで4対4。
小学校2年生組が賛成側に回るとは思っていなかったみんなは、こんなちっちゃな子たちが言ってるのに、これでいいのかな、と思い始めてしまい、
最終的にみんな納得した形で、サーバ大陸に行くことが決定したのだった。
自分の意見でみんなを賛成に導けなかった不満は残るものの、太一は嬉しそうに、入口の方で待機してくれていたレオモンに、事の次第を説明した。



翌日の朝、ファイル島中から集まったデジモン達の協力で、大きな大きなイカダを作ることになる。
助けてくれたお礼だと、たくさんの食料や生活必需品を分けてもらった子供達は、ありがとうと笑顔になる。
みんながいってらっしゃいと海岸越しに手を振る中、行ってきます、と意気揚々と帆を張るイカダに乗って、子供達は旅立った。
そして、そのまま道中でホエーモンに食べられてしまうことになる。





[26350] 第3話 幻痛
Name: 若州◆e61dab95 ID:95d4d5c5
Date: 2011/04/23 17:22
ばしゃんばしゃんと波打つしぶきなんてものともせず、落っこちないようにブイモンにつかまりながら、大輔は右手を凪いでいる海にさらす。
波にさらされた右手は、ひんやりと冷たい感覚で襲いかかり、つめて!と思わず驚いて手をひっこめた大輔は、
肘が豪快にブイモンの鼻を直撃して一緒にひっくり返った。
丸太を繋ぎ合わせて出来ているイカダはごつごつしていて、もともと足場が悪かったので予想はしていたが、背中と頭をごんとぶつけたら結構痛い。
思わず悶絶する大輔とブイモンは逆さまの世界を見た。
元気ですねえ、大輔君、と今にも死にそうな顔をして笑っている光子郎と、笑おうとしたのだが無理だとぎこちなく口元を押さえているミミがいて、
パルモンとテントモンが心配そうに、それぞれのパートナーをのぞきこんでいた。予想以上の揺れは個人差があるものの、結構なダメージを与えているらしい。
その向こう側では、突然の物音に驚いて振り返った太一と空と丈が、大輔達を見て噴き出していた。望遠鏡片手の先導組は、今日も変わらず見張り役に徹している。
たんこぶが出来ているらしく、頭を押さえた大輔は、いてえ、とぼやきながら逆光をまぶしそうに手でさえぎりながら立ち上がろうとした。
そしたら直射日光をさえぎってくれる影がある。何やってんだ、と呆れ気味のヤマトは後方の見張りとみんなの様子を見守る係を兼ねている。
ほら、立てるか、と手を差し出された大輔は、いつものように大丈夫だと言って笑って自分で立つか、ブイモンに頼ろうとしたが、
いつもなら飛んでくるはずのブイモンは思いのほかダメージが大きかったらしく、すっかり涙目でうずくまっている。
反応が遅れた大輔に溜息をついたヤマトは、そのまま大輔の手を掴んで立たせた。
そして、一連の大輔の行動を見てデジタマを抱っこしたまま笑っているタケルのもとに、ブイモンともどもガブモンと一緒に押しやってしまう。
荷物と真っ白な三角の帆で出来上がっている大きな影に、お守役としてはみんなが入っていないとちょっと自分の仕事が出来ているという実感がわかないらしい。
腕を組んでヤマトは大輔を見下ろした。そしてためいきをついて、そのまま辺りの警戒を再開する。
要するにじっとしてろという沈黙のプレッシャーを受け取った大輔は、大人しくタケルの所にいって、荷物の山に背中を預けることにした。
思い出したように右手の人差し指をなめた大輔は、やっぱりする海の味にちょっとだけ残念そうに肩をすくめた。異世界だから変な味がしても面白かったのに。

「なにしてるの?大輔君」

「こっちの世界って俺達の世界と違うだろ?だからしょっぱくねえんじゃないかって思ったんだよ」

「あはははっ、なにそれーへんなの!えっと、やっぱりしょっぱかった?」

「まーな、つまんねえ」

見上げる空はこんなにへんてこなのに、面白くねえの、と大輔はうーんと大きく伸びをして腕を頭の後ろに回して固定する。
ふあというあくびと一緒に広がる青空は、相変わらず大輔の知っている大空とは程遠い。
真っ青な絵の具をぶちまけた上から、乾かないうちに適当に白い絵の具で入道雲のようなものを描き込み、
その上からうっかりつまずいた水入れの容器をひっくり返してしまったかのような、にじみきったマーブル模様である。
まぶしそうに目を細めている大輔の視界に、復活したブイモンが、恨めしげにのぞき込んでくる。ずいっと近寄られ驚いた大輔が、近い近いと押し戻した。
いまだにひりひりする鼻を押さえながら、はいふけえのばかあ、とうるんだ目を訴えてくるにパートナーがそこにいた。
きょとんとする大輔とタケルに、ひはがははにあはっはんはよう、と通訳を必要とする宇宙語を話すブイモンだったが、
その視線が大輔の膝に向けられているので、大体状況を把握したらしい大輔は、あーごめんわりい、と両手を合わせて謝った。
反省の態度が微塵も見られない態度に腹を立てたのか、ブイモンはむーと頬を膨らませると、すっかり拗ねてしまったらしくそっぽ向いてしまう。
なに拗ねてんだよ、と謝罪にもかかわらず許してくれないブイモンに、困ったように大輔は肩をすくめた。
びたんびたんと青い尻尾が抗議にイカダを叩きつけている。なんだよ、ブイモンの奴、と納得いかないのか大輔は口をとがらせた。
微笑ましい友人とパートナーデジモンのやり取りを見ていたタケルが、くすくすと笑う。

「大輔君、ブイモンを隣に座らせてあげようよ。暑いからひっつくなってかわいそうだよ」

「えー?んだよ、そんなことで怒ってんのかよ、お前なあ」

「そんなことじゃないよ、大輔のばーか」

「あーもう、仕方ねえなあ。ほら、こっちこいよ」

「あ、ほんとにいいの?やっほーい!ありがとな、タケル!」

ぺしぺしと隣を叩く大輔に目を輝かせたブイモンが、ころっと態度を変えて一目散に飛んでくる。
ううん、いいよいいよとタケルは笑う。僕も早くああいうことがしたいなあ、とちょっとさびしく思いながら、タケルはデジタマを抱きしめた。

「なあ、ブイモン、お前ファイル島から出たことないんだろ?サーバ大陸のこと、何にもしらねえの?」

「うーん、ファイル島よりずーっと強いデジモンがいるんだってことは知ってるんだけど、どんなデジモンかまではわかんないや」

「はあ?なんで強いデジモンがいるのは知ってんだよ?」

「えーっとね、大輔達が来るずーっと前に、ファイル島では見たことないデジモンが突然大暴れしたことがあったんだ。
あれってきっとサーバ大陸から来たんだと思うよ」

「え?そうなの?じゃあどうやってやっつけたの?」

「レオモンとオーガモンがやっつけてくれたんだ」

「え?でもオーガモンと初めて会った時、みんな悪いデジモンだっていってたじゃねーか。ゴマモンは正真正銘悪い奴だって」

「そうだよ、オーガモンは悪いデジモンだよ。だってときどきムゲンマウンテンから降りて来て、俺達のこと苛めるんだ。
そのたびにレオモンが俺達のこと助けてくれたんだ。レオモンとオーガモンはすっごく仲が悪いんだけど、なんか喧嘩するのが好きみたい。
その時はそのすっごく強いデジモンが大暴れしててみんな困ってて、みんなでレオモンに知らせに行ってたら、
なんか知らないけどオーガモンが一人で戦ってたんだよ。俺がやるんだーとか言って、レオモンが加勢するとか言うと怒るんだ。
いつもみたいに喧嘩するみたいにして、そのデジモンを追い払ってくれたんだよ。オーガモンが持ってる骨は、そのデジモンのなんだ。
その時からレオモンからオーガモンに喧嘩するようになっちゃったんだよね。へんなの」

タケルと大輔は顔を見合わせた。それは大輔達が持っているイメージとずいぶんかけ離れていた。なんかいい奴じゃないか?という気がしてくる。
パートナーデジモン達が口をそろえて「悪いデジモン」と口々に形容するものだから、
てっきりオーガモンはもともとそういうデジモンなのだと、大輔もタケルも思い込んでいたのである。
オーガモンはデビモンと同じくらい悪い奴だと。なにせ敵だったデジモンである。黒い歯車に支配されていたわけではないのだ。
最後までデビモンの手下として太一達の前に立ちはだかり、打倒したのだと太一から聞いていたので、なんだか違和感がある。
実はいい奴じゃないか?と大輔は聞いてみたが、ぶんぶんとブイモンは首を振って違うと否定する。
みんなで使っていた格好の遊び場を占領したり、ぐっちゃぐちゃに破壊したり、強い奴を探してるって理由で苛めてくるのだという。
それにみんなのことを助けてくれるレオモンが喧嘩してる相手だから、きっと悪い奴なんだとブイモンははっきり言いきった。
タケルが、でも助けてくれたんでしょう?と聞いてみると、うーん、それはそうだけど、とブイモンはちょっと困った顔をした。
そういえばレオモンはオーガモンがデビモンから現れた時、すっごくつらそうな顔をしていた気がする。
戦いの後、すっごくさびしそうな顔をしていたような気がする、と思い出したらしいブイモンは、あれ?あれ?と自分の記憶に自信が無くなってきたのか頭を抱え始めた。
そして、ようやく大輔とタケルはその違和感の正体に気がついたのである。
パートナーデジモン達は今でこそ成長期である姿がお馴染みとなっているが、大輔達と出会う前はきっと幼年期でこの世界を生きていたはずだ。
だから何にも知らない子供達は無条件でパートナーデジモン達の知識や情報を頼りに漂流生活を続けざるを得なかった。
そのパートナーデジモン達はかつては幼年期という赤ちゃんデジモン時代の記憶を頼りに、パートナー達に情報提供する。
もちろんそこには幼年期時代にしかわからないこともあるが、成長期になった今やっとわかったこともあるだろう。だから疑問が生じた。
そこにはきっと単純な世界があって、いろんなエピソードは幼年期特有の視点から見た世界でしかみられない。
デジモンだって人間ほど複雑ではないだろうが、生きている以上感情だって考え方だっていろいろあるハズで、
説明には必ずそのデジモンの立場が大いにかかわってくる。
なんにもしらない子供達はパートナーデジモンのいうそれが、この世界の常識であり当たり前の考え方なんだろうと思う。
それは真実なのだが、あくまでも幼年期だったパートナーデジモンにとっての真実であり、どうやらレオモンはレオモンの真実があるらしい。
もうとっくの昔に見えなくなってしまったファイル島で別れたレオモンを思い出し、大輔とタケルはちょっとだけしんみりした。
それはきっといいことでもないけれど、悪いことでもない。でも、と何処までもいい子であるタケルや大輔は心が切なくなっていた。
悪い奴なんだと思い込んでいたデジモンが、ちょっといいところもあるのに気付かないでいるのは、ちょっと変な気がしてしまう。
ブイモンの話を聞かなかったら、きっと一生気付かなかっただろうことだ。
実はずっと疑問だったのである。オーガモンもデビモンもファイル島が平和だった頃は、なんでかみんな一緒に住んでいたのである。
悪い奴なら追い出しちゃえばいいのに、なんでファイル島が危なくなるまで、レオモン達は悪いデジモンを追い払わなかったんだろうと。
ようやくすとんと落ちた気持ち。なんだか言いようのない感じがするのはどうしてだろう。タケルはデジタマを抱きしめた。

「ねえ、言ってたよね、エンジェモン。いいデジモン達を黒い歯車で悪いデジモンにするのが許せないって。デビモンだから許せないって言ってなかったよね。
デビモンのことが許せないのは、悪いことをしたからだって。もしかして、悪いデジモンじゃなくて、悪いことをするデジモンがいるのかな?」

紡いだ言葉はデジタマに語りかけているというよりは、タケルがタケルの心の中に問いかけているような感じである。
なんとなくつぶやいたタケルの思わぬ発想に、目を見開いた大輔は、ぱちぱちと眼を瞬かせた。
今まで考えたことも無いような発想である。大輔は後ろからハンマーで分殴られたような衝撃を覚えた。
悪いデジモンがいればぶっ飛ばせばいい。なっちゃんみたいに、望まぬ形で悪いことをしているデジモンには、頑張って話しあえばいいと思っていたのだ。
その根本を覆すような斬新過ぎる視点である。少々頭が混乱してしまったのか、ブイモンはどういうことだと大輔に説明を求めるが、
俺だってわかんねーよと大輔は肩をすくめた。仕方無いので大輔達はタケルに聞いてみることにする。肩を叩くとうひゃあという間抜けな声がした。
みんなの視線を一身にあびる羽目になってしまったタケルは、な、なんでもないよ、と首を振って、顔を真っ赤にしながら座り込んだ。
大輔とブイモンがなんかしたんだろうという暗黙の了解である。すぐにみんな思い思いの作業に戻ってしまう。
手を叩いた本人が硬直しているので、どうやら悪戯したというよりは、ぼーっとしていたタケルが驚いただけらしいと判断したヤマトも持ち場に帰る。
まさか大きな独り言になってるとは思わなかったらしいタケルは、いきなり一人の世界に友人達が介入してきたので、驚いて思考の海が何処かに飛んでしまう。
もうそこに待っているのは恥ずかしさだけである。何でもないよ、何となく思っただけで、僕だってよくわかんないんだもん、説明なんかできないよ。
というか忘れちゃったよ!と大輔達に責任転嫁である。なんだよそれ、と聞きたかったことが聞けないもやもやで大輔達は言い返す。
あーだこーだとどうでもいいことで白熱し始めた会話を止めたのは、タケルの腕の中にあったデジタマだった。

ぱきぱきぱき、という音がして、タケルの腕の中にあったデジタマが元気に震えだす。
わたわたとし始めたタケルが落っことさないように抱えなおして覗き込むと、こぼれおちたカケラの向こう側から真っ黒なつぶらな瞳が瞬きした。
タケルも大輔もブイモンも、顔を見合わせて歓喜に震える。思わず立ち上がったタケルに反応して、一気にわれたデジタマの上の殻が、
海の方に飛ばされて、あっという間に波の彼方に浚われてしまった。飛び出してきたのは、ゼリー状のデジモンである。

「や、やった、やったーっ、みんなみんな、大変だよ!ポヨモンが、ポヨモンが生まれたよ!!」

なんだなんだと振り返った子供たちとデジモン達に、ポヨモンを抱っこしたタケルがおおきく高い高いする。
おめでと、タケル!とブイモンが拍手する横で、きょとーんとしたまま置いてきぼりの大輔である。え?なんだよそれ?トコモンじゃねーの?
幼年期は実は2世代にわかれている場合があり、1世代と2世代で姿が変わってしまうことを、すでに出会ったころにはチビモン達だった大輔だけが知らない。
ちなみにチビモンも進化前はチコモンという幼年期の姿があることをこの時初めて大輔は知るのだった。

デジモンデータ
ポヨモン
レベル;幼年期1
「ネットの海」で発見されたデジモンの中で、もっともベーシックで原始的なスライム型デジモン。
そのため“デジモン発生のナゾを解くカギ”として注目を集めている。まだ生まれたばかりのため、言葉を話すこが出来ない。
透き通るカラダで「ネットの海」を漂っている姿はクラゲのよう。幼年期のためバトルはできないが、強力な酸のアワで敵から身を守る





デジモンデータ
ホエーモン
レベル:成熟期もしくは完全体
種族:水棲哺乳類型
「ネットの海」の深海に住むクジラのようなデジモン。大きく口を開けて海水ごと飲み込み、そこに漂うデータを主食としている。
その容量はデジタルワールド最大級の大きさで、並のコンピューターでは解析不可能。深海に生息しているため目は退化しているが、聴力はある模様。
たまに海上付近にも姿を現すが、怒らせると巨大な大津波を巻き起こし攻撃してくる。
ファイル島近辺に生息するホエーモンは成熟期だが、フォルダ大陸やサーバー大陸近辺などでは、完全体に分類される。
また、「ネットの海」のどこかに“幻の白いホエーモン”が居るという噂がある。ちなみにこのホエーモンは成熟期である。
必殺技は、噴射口からもの凄い勢いで、水を吹きだすジェットアローと、巨大な津波を起こして敵を押し流してしまうタイダルウェーブだ。


深海にすんでいる筈のホエーモンが突如海面に現れ、大きく揺れる荒波に飲まれまいと懸命にイカダにしがみついていた子供達は、
大きく大きく口を開けたホエーモンの口に飲み込まれ、まるで下水道のように大きな食道の中を航海する羽目になった。
異物を排斥しようとする生理現象と戦いつつ、辿り着いた胃から逃れるすべが見つからなくて、どんどん解けていくイカダ。
内側から暴れるにしても大砲を取り囲む城壁のような作りをしている、文字通り鉄壁の胃袋は攻撃すらままならない。
どうしようと途方に暮れていた太一達は、その上の方に深く突き刺さっている黒い歯車を発見した。衝撃である。
デビモンがいなくなったのだから黒い歯車の製造はすでに停止しており、てっきりその力すら失われているだろうと判断していた子供達は驚く。
デビモンが言っていた、暗黒の力はあくまでもサーバ大陸から入手したものであるという事実が、改めて浮き彫りとなってしまった形だ。
黒い歯車の原材料である暗黒の力とやらが無くならない限り、残っている黒い歯車はいつまでもデジモン達を苦しめ続けるのである。
全部終わったのだとファイル島で考えていたことが、いかに浅はかな早合点だったかを突き付けられた子供達は、
改めてサーバ大陸で待ち受けているであろう困難を思い、背筋が伸びる気がしたのだった。
そして、パルモンのツタのように伸びた腕を頼りによじ登った太一が、その黒い歯車にデジヴァイスの光を当てて破壊する。
正気を戻したホエーモンの潮吹きにより外に出られたものの、その衝撃でイカダが上空で大破してしまった子供達。
ホエーモンは謝罪と感謝を兼ねて、5日はかかるというサーバ大陸に送ってくれることになった。
しかも、デビモンが以前海底に現れ、何かを隠すところを目撃したという有力情報を提供してくれた。
もしかしたらデビモンが隠してしまったというタグではないか、と判断した子供達はホエーモンの案内で海底洞窟へと足を進めることになる。

その先にあったのは、DEGIという看板が目印のコンビニである。
拍子抜けする子供達の中でも、なんだか見覚えがあるその店舗に、大輔はちょっとだけ嫌そうな顔をした。
不思議そうに首をかしげて聞いてくるブイモンに、大輔は肩をすくめて簡単に説明する。
大輔達の住んでいる高層マンションの中には、1階部分がコンビニとなっている建物があり、そのコンビニを運営している家族を思い出したらしい。
愛と純真の店アイマートなんていう微妙に入るのも恥ずかしいキャッチコピーが看板にあるのが目印で、よく大輔はそこにパシリに使われるそうだ。
なぜならその家族の長女は、日々大輔の安眠を妨げるジュンの長電話の共犯者である同じ中学の友人であり、
パシリに来るたびに店番兼アルバイト兼看板娘を自称する彼女によくからかわれるついでに、姉への便利屋を任されるめんどくさいイメージしかないらしい。
一方的に名前が知られているものの、その家族は姉妹が多く、大輔は一番年が近い末っ子の妹しか名前が分からない。
それというのも、その家族はマンションに住居を構えているにも関わらず、学区がちょうど大輔の通うお台場小学校と他の小学校の中間にあり、
住人は自由にどちらを選んでもいいということになっている。だから同じ小学校に通っているわけではないのがこれまためんどくささをあおっている。
ある意味姉経由で知り合った末っ子は、ジュンからの情報をわりと信じている気配がある。知り合った人間関係からすれば仕方ないと言えるのだが、
大輔からすれば悪口でしかなく、割と本気で悩んでいる「出来の悪い弟」という言葉を何かと揶揄してくる、からかかってくるのが嫌で嫌でたまらない。
かといえば、妹と弟という微妙に立場的に考えればシンパシーを感じる所もあるせいで、変な感じで腐れ縁が形成されているから、なかなか難しい。
違うところがあるとすれば、大輔とジュンの仲の悪さを知っているにもかかわらず、彼女からすればただの姉弟喧嘩であるという範疇なのだろうか、
すべての姉達から一身に愛情を受けて育っている甘えん坊は、もっと仲良くしなさいよと軽い口調で笑うのだ。
なんだかんだで姉のいうことを聞いている大輔がジュンのことを大っきらいだと言うたびに、その矛盾を指摘されては言いくるめられてしまう。
そう言えばキャンプで別れたきりだ、何してんだろ、とどうでもよさそうにつぶやいた大輔である。
こっちが今まさに大変なことになっているのだ、家に帰ってクーラーの効いた部屋でまたパソコンいじってんだろうなと考えるといらっとする。
大輔が今のような性格になった一端が垣間見えたブイモンは、気の強い女の子と知り合いが多すぎるのも原因の一つじゃないかと考えてみた。
まさか2年後、その腐れ縁がお台場小学校に転校してくるなどとは夢にも思わない大輔である。
それはさておいて、いくぞ、と後ろから叩かれた大輔は、太一に手を引かれてコンビニへと足を踏み入れた。

どごおん、という豪快な音が洞窟に反響する。驚いた大輔の前に、地響きを立てて耳鳴りがするような音がこだまする。
耳をふさいだ大輔は、あわててどんどん盛り上がっていく土から逃れようと走る。ブイモンがかばうように前に躍り出た。

デジモンデータ
ドリモゲモン
レベル:成熟期
種族:獣型
鼻先に巨大なドリルがついた、モグラのような獣型デジモン。
地中を掘りながら高速移動し、いつも地中に潜っているためなかなか出会えない。
おとなしく恥ずかしがり屋だがイタズラ好きで、時々ガルルモンが地中に隠した骨を盗んで武器にしたりする。
必殺技は、鼻先のドリルを回転させ、自分も回転しながら敵に突っ込むドリルスピンと、ガルルモンから盗んだ骨を使って攻撃するクラッシャーボーンだ。

「デビモン様の命により、ここには誰も立ち入らせるなと言われているのだ!さっさと帰るがいい!」

「大輔、ここは俺達に任せて、タグを探して!」!

「おう!頑張れよ、ブイモン」

「まかしといて!」

すかさずかざしたデジヴァイスにより、進化の光が放たれる。光を突き破って現れたエクスブイモンたちが足止めをしている間に、
大輔は先を急げと先導する太一達に置いて行かれまいと慌てて走る。

「うわっ!」

「大輔君、大丈夫?」

「ちょっとこけただけだから、心配すんなよ、先いけ!」

「う、うん!」

戦う手段をもたないポヨモンとタケルが1番無防備で危険である。慌てて先を促した大輔は、立ち上がろうとして引っ掛かりを覚えた。
あれ?と思って辺りを見渡した大輔は、首にかけている紐が食い込んで痛みを覚える。
すぐ後ろではデジモン達が豪快に必殺技の応酬をしているせいで、爆風やら砂埃で視界がはっきりしない。
いろんなモノが飛んできて、危ないことこのうえない。

「何やってんだよ、大輔!早く来いよ!」

苛立った様子で叫ぶ太一の声がする。みんなの必死な声がする。焦燥感にかられながら慌てて手探りで原因を探る。
やべえ、なんでよりにもよってこんな時に!舌打ちをした大輔は、なんとかひもを引っ張ってみるがうごかない。
くそっと焦りと苛立ちでうずくまっている大輔は、飛んできた旋風でようやく視界がクリアになった。
ドリモゲモンの突き破ってきたトンネルが降ってきたたくさんの岩によって塞がれ、よりにもよってPHSが引っかかっている。

それをみた大輔は思わず無理やり引っこ抜こうとした手を止めて、どうすればいいのか分からなくなって硬直してしまう。
PHSは光子郎がこの世界から帰還するまでの期限付きで貸してくれた柔らかい素材のケースに入っているのだ。
力任せに引っこ抜いたら、尖った岩肌がのぞいているそれによって、確実に破いて穴があいてしまうだろう。どうしよう!
光子郎から返してくれと言われるということは、これはきっと光子郎にとって大切なモノなのである。
それを壊してしまうかもしれないと分かった瞬間、大輔は頭が真っ白になった。
あわてて大きな岩を取り除こうとするのだが、大輔の力ではイマイチうまくいかない。やばいやばいやばい早くしないと!
焦っているせいで、なかなかうまくいかない。泣きそうになりながら泥だらけになる大輔に、なにかおかしいと気付いたらしい。
それがPHSが挟まっているからだと気付いたとき、一目散に走りだしたのは光子郎だった。

「何やってるんだよ、大輔君!」

敬語なんて吹っ飛んでいる。驚いて顔を上げた大輔に、光子郎は珍しいほど声を荒らげて紐をつかんだ。

「だって、このまま引っ張ったら光子郎先輩から借りたケースがっ!」

「そんなことどうでもいいよ!ほら、早く引っ張って!」

「でもっ……!」

「大輔君のほうが大事なんだから、そんなこと言ってないではやく!」

埒があかないと判断した光子郎は、力が入っていない大輔の手を振り払って、力任せにケースを引っこ抜く。
びりびりびりとズタズタになって行くケースがクッションとなって、無事なPHSが返ってくる。
ようやく身動きが取れるようになったものの、呆然としている大輔はそれをみて、じわっと目頭が潤んでいる。

「なにやってんだよ、早く!」

光子郎は大輔の手を掴んで無理やり立たせると、そのまま走りだした。
後ろを振り向く大輔は観てしまう。吹っ飛ばされたトリモゲモンによって降り注いでいく大岩。
潰されていくケースがあっという間に見えなくなってしまう。
光子郎の大切なモノを自分のせいで壊してしまったと気付いた大輔は、大きく目を開いた大輔は、言葉を失った。
だって見えたのである。ずたずたになったことで、実はリバーシブルにでも使えるようにと工夫されているケースが。
そこに、わざわざ手縫いで「こうちゃん」と光子郎の愛称だろう言葉が刻まれた布地を見てしまったのである。
実は光子郎が貸してくれたケースが、光子郎の家族が丹誠込めて光子郎のために作ったものだと、愛情を込めて作ったものだと気付いてしまったのだ。
なんで裏返しなんかして渡したんだよ、光子郎先輩!初めっから見えてたら、もっともっと大切に慎重に扱ったのに!
なんでそんなに大事なモノなら、俺みたいに扱いが乱暴だってよく知ってるような奴に渡したりしたんだよ!
大輔は泣きそうだった。なんだか分からないけど泣きそうだった。
誰かのために作ったものを壊されたときの悲しみを大輔は何故か知っている気がするのだ。そんな悲劇的な場面に遭遇した記憶なんてないのに。
覚えてないのに。でもなぜだか胸を抉る。無性に泣きたくなった大輔は、そのまま我慢しきれずに泣き出してしまった。
その痛みを知っているはずなのに、それをしてしまったという罪悪感に押しつぶされ、
いつものごとく怒涛のように流れこんでくる良心の呵責とプレッシャーに押しつぶされてしまった大輔は、前がすっかり見えなくなってしまった。

両親や姉から口を酸っぱくして、自分のものはちゃんと自分で大切に使いなさいと説教されても、
全くと言っていいほど罪悪感がわかず、自分の物だったら躊躇せずに乱暴に扱っては、モノを壊してしまう大輔は、
どういうわけか昔から自分のものではないものを壊してしまうかもしれないとわかると、異様なほど慎重になってしまう。
物心着いた頃からそうだった。訳がわからないけど、人のものを壊しちゃいけないからそうだろう、と思っていただけだった。
しかし、すぐ後ろではデジモン達が戦っている。近すぎる。このままでは巻き込まれてしまうかもしれない。
自分の命のほうが大事だってことくらい大輔には分かっている。
光子郎が大輔の命のほうが大事だと判断したから、こんなことをしたんだろうと理解できる。でもなんでか心が納得してくれない。悲鳴を上げている。
もう、訳が分からなくなっていた。

「ははは、なんで君が泣いてるんだよ」

「だって、俺、おれ、うううっ、わあああああああっ!!」

気にしてないよ、と困ったように励ましてくれる光子郎に、ぶんぶんと大輔は首を振った。
なんとかぎりぎりのところで合流できた大輔と光子郎に、ほっとみんな安堵の溜息をついたのだが、大輔のPHSが晒されていることに気づいて息を飲む。
わんわん泣き出してしまった大輔に、途方に暮れたように、まいったなあ、と光子郎は頭をかいた。



[26350] 第4話 約束
Name: 若州◆e61dab95 ID:450f02a4
Date: 2011/04/23 19:01
用意するものは、公園や幼稚園にある格好のポイントとして友達の間で常識と化していた庭の一角にある土と砂、
先生から借りて持ってきたジョウロに汲んで、たっぷりに満たされている水道水、そして毎日泥だらけにして怒られるタオルとハンカチ、
最後に家からこっそり持ってきた、冷蔵庫につり下げられた紙袋に、結ばれて山のように放り込んであるビニール袋である。

いつものように友達の名前を呼んで見るが、友達は先生と呼べと言ってくる。キョトンとしたものの、すぐに先生と呼んだ。
腕をまくったら準備万端、初心者相手に遊びの極意を教える師匠の役割が出来てご満悦なのか、いつになく得意になっている友達がいて、
よーくみてろよ、と言われて、どきどきしながら、わくわくしながら、その様子をしゃがみながら目に焼き付ける。
運動会や集団遊戯で使われるグラウンドの真ん中あたりは、踏み固められてサラサラで乾いている。それが秘訣なのだと偉大なる先生は教えてくれた。
その場でツイストし始めた友達を見よう見まねでやってから、ざっざとスニーカーで大きめの砂を払い、きめ細やかな砂が出てくる辺りを探しだし、
そこに庭から掘り出してきた良質の土と混ぜ合わせてだいたい一緒くらいの比率で混ぜ合わせる。
水を混ぜ合わせようとすると、せっかく見つけ出した最高の素材が水に流されて台無しになってしまう、これだから素人は、と手厳しい指摘が入り、
肩をすくめてご教授願うと、任せとけ、と泥だらけの手で叩かれた。気にも留めていないが、きっと帰ることにはまた泥んこで帰ってきたことを怒られるだろう。
こんなこともあろうかと我らが先生は、どこから持ってきたのか大きな大きな皿引いて、その上に沢山の土を乗っけた。
なるほど、これなら水が無駄にならないし、土が流れて不純物が入らない。尊敬のまなざしを向けられることに気付いた友達は、ますます指導に熱が入る。
曰く、代々これを作るときにはこの皿を使うようにと、受け継がれてきた由緒正しい大皿らしく、友達も出所はさっぱりだが、
先生に怒られて没収されたことは一度も無いので、勝手にランチルームからかっぱらってきたものではないらしい。
土と砂に水がいきわたるようにジョウロで友達にストップといわれるまで注いでみると、真っ白だった土が真っ黒になってドロドロになる。
そして乾いたところが残らないように、徹底的に混ぜまくる。ここで手を抜くと完成した時にひびが入って壊れる、穴が開くという
見るも無残な形になってしまうらしい。それは大変だと大真面目で泥遊びに夢中になる。
目的が手段に変わり始めたころ、手でつかめるくらいしっかりとした泥が出来上がった。もうこれだけでも面白いのでどうでもよくなってしまうが、
ここからが大事なんだよ、と大幅に脱線しようとする不真面目な生徒をひっつかんだ友達により、マンツーマン教室は続行した。
手のひらに適量の土を乗せて丸めていく。大きさはこれくらい、と見本を何個も見せてくれた友達の完成品は、すさまじいレベルである。
よーし、頑張るぞとやる気を出したので、一生懸命手のひらにのるくらいの球体を作り上げていく。
作るときには水分を絞り取るように、ぎゅうぎゅうと力を込めながら作ると、びしょびしょにならずに、丸く作ることが出来ると、
きめ細やかな指導が入る。言われたとおりにしてみると、初めて作るには筋がいいと一番弟子として褒められ、嬉しくなって笑った。
初めてなんだからちょっとくらい砂利が入ったって気にしない、あまりにも大きいモノはダメだけど、と点検してくれる。
ここからは代々受け継がれてきた一子相伝の秘密だと念を押され、意味が分からないけど、自分にだけ教えてくれるんだと分かったので、
絶対に誰にも教えないと約束する。不格好ながら出来上がった泥団子を受け取った友達が、丸く丸く形を修正してくれる。
そして、せっかく作った泥団子に、さっき取り分けておいた土をどさっとかけてしまった。
思わずあー、と声を上げてしまうと、その様子にさもありなんといた様子でふふんと胸を張った友達は、これが秘密なんだよと内緒話で教えてくれた。
絶対に取ってきた土を使うこと、乾いた土を使うこと、と念を押されて頷く。免許皆伝の道はまだまだ遠い。
このまま指でこするとだめだから、とぱんぱんとなれた様子で砂利を払った友達は、磨き方までわざわざ手とり足とり教えてくれた。
どんどん出来上がっていくのは、遊戯の時間によく先生が手に持っているボールと同じくらい真ん丸な砂の覆われた泥団子である。
おおお!と目を輝かせると、まだまだこんなところで満足しちゃだめだ、と手厳しいお言葉が飛んでくるので、肩をすくめた。
あとはずーっと、どばどばっと土をかけて、砂利を払って、指で磨いていくという途方も無い作業が始まるのだという。
外で遊ぶのが大好きな子供にはすさまじい拷問だが、頑張れば頑張っただけ、すぐ横にこんなんができるぞと完成品の見本を置いてもらい、
しかも友達がずーっと話をしてくれるから全然気にならない。楽しい話をずーっとしながらやっていたら、全然気にならない。
なにつくってるの?と後ろから先生に話しかけられたので、これー!と差し出すと、がんばってね、と頭をなでられて精が出る。
子供が頑張って頑張って地面の隅っこで円を作りながら、黙々と泥団子を作っているのは、とっても微笑ましい光景である。
おやつの時間までには終わらせるようにと言われたので、うなずく。おやつの後はお昼寝の時間である。
そして、ようやく作業の時間が終了したので、ぽけっとから取り出したビニール袋に泥団子を放り込む。そして友達の言われる通り、乾かすことにした。
素人はここですぐに布で磨き始めるからいけないと友人はうそぶく。真の巧みとは、泥団子の表面が固まっただけの見せかけに騙されてはいけないらしい。
放っておくとせっかく閉じ込めた水分が表面から逃げ出してしまい、せっかく作っても完成品の見本にはならないのだという。
ここに一番の名人と言われる秘訣があったのか、と目を輝かせたまま、ほめたたえる。まーな、と声を上げて笑う友人につられて笑った。
ビニール袋に入れておくことで、カラカラに乾いてしまうのを防ぎ、別の日に出来るようになるらしい。なかなか考えられている。
チャイムが鳴る。友達と一緒に手を洗い、おやつの時間に飛んでいった。そして、お昼寝の時間をまどろんだ。そして目を覚まして再び作業を再開する。

ビニール袋から取り出した泥団子は、表面がしっとりとしていて、少し湿っている。ここからが根気勝負だと友人が言いきったので、改めて気合を入れる。
再びスニーカーで発掘したきめ細やかな砂を手にいっぱいつけ、うっすらと表面に残るようにする。この粉を使って、ひたすら磨く作業が始まった。
もう言葉を交わすことも無く、じーっと泥団子とにらめっこしながらの真剣勝負である。白砂と呼んでいる魔法の粉である。
友人曰く、友人が教わったこの作り方も、この砂が無いと絶対に完成品の見本レベルには到達しえず、ここでしかできないらしい。
力の入れ過ぎもダメだが、ちゃんと力を入れて磨かないと、いつまでたってもくすんだままの泥団子、目指す完成品には到達しない。
風が吹いたら砂ほこりとなって飛んでいくレベルのを選んで手に着けることが秘訣らしい。
ここは経験がものを言うからと、終盤にもなれば友人が代わりに全部やってくれた。ありがとう、の言葉に乗せて、当たり前だろ、と笑ってくれた。
磨いて磨いて磨いて、ひたすら磨いているのを横で見ているしかない。わくわくしながら、ずーっと横で眺めていた。

とうとう最終段階である。今日は絶対にジャージを着てこいよと念を押されていた理由をここで知る。
きめ細やかな布で磨くといいらしいが、小さな男の子がお母さんのストッキングとか持っていく理由が泥団子のためだと言ったら怒られる。
もうここまでくれば、服を汚してお母さんに怒られるなんて心配、吹っ飛んでいる。男の子である。外で遊んでなんぼである。
無我夢中でこすりまくった。ずーっと擦り続けていたので、太もも辺りが熱を持ち始めたころ、友達がみてみろよと言ってくる。
おそるおそるその面をみた。ぱっと輝いた表情に、だろ?と満足げに肩を回してきた友達が笑う。
真っ黒な泥団子が、まるで真珠みたいにその面だけぴかぴかに光っている!お母さんの持っているネックレスについてる奴みたいである。
もうここまで来ると夢中である。師匠友人よりは一回り小さいけれども、ちょっとひびが入ってしまっているけれども、
確かにぴかぴかの黒団子である。ぼんやりとではあるが、太陽の光に反射して、どこからどう見ても鏡みたいに光っている。
ビニール袋にくるんで、大切に大切にしまい込んだ。大きな大きな手作りの黒真珠である。きっと喜んでくれる。
家族の絵を描いたって、折り紙を作ったって、必ず喜んでくれる人を知っているから、その瞬間を思うと笑顔になる。
いてもたってもいられなくなる。まだまだ太陽が高い空を見上げて、早く夕方にならないかと早とちりな心は自宅に急いた。

「誰に渡すんだよ、大輔」

「おねえちゃん!ぼく、あ、じゃなかった、おれ、これ、おねえちゃんにわたすんだ!」

「おおおっ、いいなあ、それ!ピッカピカの泥団子だぜ、ぜってー喜ぶよ、大輔のおねえちゃん!明日、どうなったか聞かせろよ!約束な!」

「うん!ありがとー、せんせ。ぼく、ぜったいにおしえてあげる!やくそく!」

1995年3月4日の出来事である。光が丘テロ事件に巻き込まれた本宮家は、この日を最後にお台場にある団地に引っ越してしまうことになる。
もう名前も思い出せない友達。もう二度とピッカピカの泥団子は作れない。



第4話 約束



泉政実と泉佳江夫婦が愛する我が子を失ったのは、もう10年以上前になる。
念願の我が子を奪ったのは、病だった。治療の甲斐なくこの世を去った一人息子の死を受け入れられず、悲しみにくれ、
途方にくれる泉夫婦。親戚や近所の人々も気を使ってくれ、慰めてくれた。その中でも、
一番親身になって、葬祭関連のことから、私生活のことまで気配ってくれたのは、遠戚である数学者夫妻であった。
数学者夫妻は同じ時期に一人息子に恵まれ、いずれ育つであろう子供たちの将来と、いつか一緒に酒を飲み交わしたいと
見守っていく両親の喜びを分かち合った友人同士である。痛いほど泉夫婦の心痛を理解してくれたのだ。
いろんな人に支えられ、なんとか天国に召された我がこのためにも、これからのことを考え始めた泉夫婦に、
さらなる不運が襲い掛かったのは、そのころである。
数学者夫妻が生まれたばかりの一人息子を残して、交通事故で若くしてこの世を去ったのだ。
我が子だけでなくかけがえのない友人、親戚を失った泉夫婦は悲しみにくれる。
これから、今まで支えてくれた友人のために恩返しがしたいと、それを何よりも支えにして行こうとしていたのに、
また置いて行かれてしまったのだ。そして泉夫妻は決意する。光という名前が付けられたこの忘れ形見を、
数学者夫妻の代わりに、我が子の代わりに、誰よりも愛して慈しんで我が子として育てようと決意する。
泉光子郎が泉夫婦の養子として引き取られ、一人息子として大切に大切に育てられる人生が決まった瞬間だった。
なんにもしらない光子郎は普通の家庭の普通の家の一人息子として育てられ、数学者だった父親の血は争えないのだろうか、
理系の分野に興味を持つ、非常に探究心あふれる好奇心旺盛な男の子として育って行く。
とりわけパソコンに非常に興味を示し、泉夫婦が自慢に思うほど、まるでスポンジが水を吸収するかのごとく学んで行く。
面影を重ねることもある父としては、ぜひともその才能を開花させてほしいと理解を示した政実の手により、
光子郎は小学校4年生にもかかわらず、自分のパソコンやCDプレイヤー、携帯電話など環境を整えられて行く。
ある意味期待過剰ともいえる親心だが、自分の好きなことを精一杯支援してくれる父親のことが光子郎とは大好きだったし、
良家のお嬢様だったためか、親しき仲にも礼儀ありを体現するような、お上品で清楚な母親が大好きだった。
しかし、絵に描いたような幸せな家族にだって、いろんな葛藤や複雑な心境はあるものである。
たしかにそこに愛情はあるのに、受け取り方一つでそれはまるで間逆の作用を起こしてしまう。
我が子のように、ではなく我が子として育ててきた愛しい息子がどんどん数学者夫婦に似てくる複雑さ。
才能を磨けば磨くほど、どんどん離れて行ってしまうのではないかというずっと抱いてきた恐ろしさ。
もう数学者夫妻の代わりではなく、我が子の代わりではなく、泉家の光子郎である。かけがえのない息子である。
血のつながりではなく養子であるという事実は、いつかは告げなければならない。
この世に生まれてきたのは、数学者夫婦があってこそであり、自分たちにとっても光であり、
いつかは3人でお墓参りをしたいという思いがあるのに、いつごとになったら事実を告げなくてはならないのかという
背反する親心、矛盾する良心。一方でずっと黙っていることに対する良心の呵責と後ろめたさが泉夫婦を苦しめてきた。
それはきっといいことでもないけれども、わるいことでもないのだ。
真剣に向き合わなくてはいけない問題である。だからこそ、泉夫婦は何度も葛藤と衝突を繰り返してきた。
母親が父親に対して感情的になったり、ヒステリックになったり、父親がそれを寡黙に受け止めて説得したり、
仲むつまじい夫婦であるが故の互いの支え方というものがある。
ただ、それが何も知らなかった光子郎からすれば、それはただの言い争いにしか聞こえない。喧嘩にしか聞こえない。
たった10年しか生きていない子供に、大人には大人なりの感情との付き合い方があるなんて理解するほうが無理である。

「ねえあなた、いつになったら」

「まだ小学生だぞ、まだ早いだろう」

トイレに行くために夜中に通り過ぎた両親の部屋に明かりがついていて、なにやら物音がする。
こっそり覗き込んだ先で、感情を露骨にあらわにして怒っている母親とそれをただ聞いている父親がいるのだ。
そしてこの会話である。光子郎の心は混乱する。トラウマとして深く深く刻み込まれてしまう。
まだ理解するには早いだろうという両親の親心は、予想以上に精神的に早熟していた一人息子を傷つけた。
ネットで調べた先で見つけた養子縁組制度。調べれば分かってしまう本当の両親のこと。全部全部作り事、うそだらけだったこと。
光子郎の心は、どうして両親が喧嘩していたのか理解できなくて、必死で自分なりに正当化していく。
中途半端で聞いてしまった会話は、どんどん視野を狭めて行く。なんでがたくさんあって埋まらない。
好奇心旺盛な調べたがりの性質は、やがて答えが見つからないことに対する嫌悪感と潔癖さにエスカレートしていく。
子供は両親に対して憎悪を向けることは絶対にできない。壊れてしまうから。だから子供はその原因を自分に求めてしまう。
そして答えを勝手に作って埋めて行く。本当の子供ではないから、お母さんもお父さんも僕のことが嫌いだから喧嘩していた。
本当の両親のことを隠していたのも、話してくれないのも、お墓参りに連れて行ってくれないのもきっとそう。
疑心暗鬼は加速する。大好きだったお父さんからもらったパソコンたちが、自分を両親から遠ざけるためにしか見えなくなる。
お母さんが「光子郎さん」って息子なのにさん付けで他人行儀なのも、きっと名前で呼びたくないから、
あんたは腹を痛めて生んだ子供ではないから、と言われているようにしか聞こえなくなる。
もうここまで来れば、人間不信の極地である。
一度生まれてしまった不信の目を大好きな両親に向けなくてはいけないという悲劇である。
そんなことができるほど光子郎は強くない。だから、露骨なまでに避け始めた。予防線に敬語が身につき始めた。
何にも考えないでできていたはずのことが、必ず理屈だらけの理論思考に凝り固まると、どんどんできなくなって行く。
光子郎は友達の作り方がわからなくなっていた。そんなもの理屈でできるようなものではないから、なおさら。
気づいたらネットという直接人間関係を重視しなくても、文章だけでやり取りができる非常に便利な世界に気づいてしまう。
現実につかれきっていた子供がのめりこむのは早かった。
部屋に閉じこもってずっと自分の世界に浸っていても、やさしい母親も父親もお年頃なのだろうと距離感に困惑して、
なかなかうまいこと関係構築がうまくいかないことも拍車をかけて、本当は部屋から連れ出してほしい息子の心なんて気づかない。
初めての子育てなんてそんなもんである。
やがて、母親お手製のものを持たされ、うれしいとは思っていても、素直にそれを持つのはちょっと恥ずかしいと思い始める4年生である。
「泉光子郎」とか「光子郎」はまだいいけど「こうちゃん」はないだろう。生まれてこの方そんな風に呼んだことすらないくせに。
いまだにあの夜のことが怖くて怖くて聞けない光子郎は、変にうがったものの見方をする癖が身についている。
みんなに見られるのは恥ずかしいし、いまだに母親の心理が分からないから、こういうときだけ母親ぶるのが嫌である。
そのため、大輔がPHSを首からずっと提げているのをみた光子郎は、特に意識することなく貸したのだ。
元の世界に帰ったら返してくれといったのは、単なる言葉のあやである。無意識にこそ本心が隠されているのだと、
どうやら口にした本人よりも言葉とか表情とかそういう分かりやすいものから、相手のことを考えることができる
受感性の高い後輩のほうが見抜いていたようであるけれども。
それに気づいてない光子郎は困惑するしかない。
大輔は泣きながら怒るのだ。家族のお手製で作られた、先輩のためにつくった、丹精込めて作った、愛情込めて作った大事なものを、
なんで大輔みたいに扱うのが適当でよくものをなくしたり、壊したりしてコーチから怒られているのを見ているくせに、
なんで貸したんだと逆切れされるのである。気にしてないと、無事でよかったから気にするなと、泣くなと励ましているのに、
どういうわけか説教されている気分になってしまう。へんな逆転現象である。
そのくせ、大輔は大輔でなんで自分がここまで怒っているのかさっぱり分かっていない様子である。
ケースが失われてしまった本人よりもずっとずっと悲しんでいるのである。わけが分からない。
奇妙奇天烈な光景である。みんなそれに気づいて、どうやら当人同士でやったほうがわかりやすいだろうという
無用の好意でどっかいってしまった。たぶんホエーモンの体の中を探検しているのだろう。
残されたのはぐずっている大輔と途方にくれる光子郎、そしてパートナーデジモンたちだけである。
ああ、本当なら僕も今ごろホエーモンの体の謎について思いをはせているはずだったのに。
はあ、とため息をついて、光子郎は、大輔が泣き止むのを待っていた。置いてきぼりにするほど薄情になった覚えはない。

「たぶん、大輔は光子郎のことまで勝手に想像して、泣いちゃってるんだ。大変だよ」

助け舟を出したのはブイモンだった。いっている意味がよく分からなくて光子郎は疑問符である。

「オレが怪我したときも、オレがエンジェモンのこと庇ってるのはおかしいって怒るんだよ、大輔。
エンジェモンの攻撃に巻き込まれそうになったことなんか、ぜんぜん気にしてないんだ」

それはPHSのケースにも顕著に現れている現象である。
ちょっと相手のことが考えられるやさしい子、ではすまない気がして光子郎は心配になってくる。
はっきり言って異様である。いくらなんでも限度があるだろう。相手のことを考えられるということは、
決して自分のことをないがしろにしてまでできることではないし、きっとそこまで簡単な事ではないのだ。
自分のことを大切にしない人に、他の人のことまで本当に考えられるのかといえば、否である。
大輔はどこまでも自分のことがすっぽ抜けている。それはもう無意識である。偽善とか善意とかそれ以前の問題である。
自己犠牲の思考をもつ人だって、自分と他人を天秤にかけて、他人に天秤が傾くからこそそう思うし行動するのに、
大輔は思い込んだら一直線の面があるのは事実だとしても、躊躇したり戸惑ったり一切しないのは、明らかにおかしい。
まるで行動によって自分のことを見出そうとしているような、そんな危うさがある。
ブイモンもどうやらそれを感じ取っているからこそ、他のパートナーデジモン達よりも、ずっとべったりしているようだ。

「大変でんなあ、ブイモン。ワイかて光子郎はんがそんな危なっかしかったら、気が気じゃあらへんで。
ワイらパートナーデジモンにとっては、大輔はんや光子郎はんになんかあったほうが、ずっとずっと恐怖でっせ」

「そうなんだ」

「もちろんや、そのためにワイらはおるようなもんやから」

羽音を立ててテントモンが胸を張った。なんだか面映い気がして光子郎は笑ってしまう。

「大輔、どんどん突っ走ってっちゃうから、追いつくの大変だっていってるだろ。ちょっとはオレの方も見てくれよな」

何度目になるか分からない切実な気持ちである。光子郎は笑った。

「大輔君、みんなの役に立ちたいって気持ちは分かるけど、やっぱり君はまだ小さいんだから、あんまり無理しちゃだめだよ。
どうしてそんなに焦ってるんだい?」

ぐしぐしと涙をぬぐった大輔は、鼻声ながらつぶやいた。

「わかんないっすよ、そんなこと。ずーっと、ずっと前からそうだったんすよ。
オレが悪いことしたわけじゃなくても、俺のせいじゃないってみんなが許してくれてるってわかっても、
いっつもいっつもぎゅーって苦しくなるんです。もう、死にそうになるくらい苦しくなるんすよ。
我慢できないからやっちゃうんですよ。耐えられないから俺のせいだって思っちゃうんです。
そりゃ俺ずーっと考えるの苦手だし、ずっと喧嘩してるよりは早く仲直りして遊びたいから、
めんどくさいからさっさと忘れることにはしてますけど、なんかぜんぜん違うんです。
なんかわけのわかんないものにつぶされそうになるんです。なんなんすかね、これ」

「うーん、なんだろう。難しいな」

「光子郎先輩でもわかんないのに、俺にわかるわけないじゃないっすか」

「いや、そんなことないよ。僕にだって分からないことはいっぱいあるさ。悔しいけど」

「へ?そうなんすか?」

「うん。だからケースについては、ひとまず置いといてもらってもいいかな?大輔君。
僕の中でまだはっきりとした答えが見つかってないことが、たくさんあるから、そのときがきたらまた考えるよ」

「はあ。それってやっぱ俺が小2だからっすよね?俺まだちっさいし」

「違うよ。まだ、誰にもいえないことなんだ。テントモンにも太一さんにも。まだ僕の中でいろいろ考えてる途中だから」

「そっすか、わかりました。じゃあ、俺何したらいいっすか?結局約束破っちゃったし」

「え?だからそれは」

「なんかもやもやするんでお願いします」

「あはは。じゃあ、2つほどお願いしてもいいかな?」

「なんすか?」

「タケル君を呼んできてくれないかな?大輔君だけ敬語じゃなくなるって不公平だから」

「あ、はい」

「それと、大輔君、忘れてるかもしれないけど、一応僕もサッカー部だよ」

「わかってるっすよ、ちゃんと先輩っていってるじゃないっすか!」

「でも太一さんや空さんばっかりに頼ってるだろ」

「……あはは」

「ちょっとくらい頼りにしてくれないと、僕もちょっと複雑なんだ。考えてくれるとうれしいんだけど」

「が、がんばります」

なぜだか緊張気味にうなずいた大輔に大げさだなあと苦笑いをにじませながら、光子郎は立ち上がる。
これからみんなのところにいかなくてはいけない。いこう、と差しのべられた手を大輔は迷うことなく取ることが出来た。
ホエーモンでもサーバ陸までは5日掛かる。まだまだ航海は始まったばかりである。



[26350] 第5話  うそつき村
Name: 若州◆e61dab95 ID:6a43e74e
Date: 2011/04/25 19:35
大輔の首にかけられているものが、また1つ増えた。
PHSとデジヴァイスとタグである。PHSが一番中央におさまっていて、すぐに取りやすいようにと右側にちょっとずれた場所に、
白いデジタル時計はフックごとひっかけられている。もともと不安定で大輔が動くたびにスライドしてぶつかっていたデジヴァイスは、
タグによって固定されている。タグには首に着けるためのひもが通されているのだが、これ以上ひもを首にかけたくない大輔は、
タグを無理やりデジヴァイスのフックに何重にもぐるぐる巻きにして、そのトンネルにタグを放り込んで、デジヴァイスのすぐ下に
タグが来るようにがっちがちに固定してしまった。
タグはペンダントのような小さなものである。クリアガラスのような、プラスチックのような、よくわからない素材でできている。
黄色い三角形で挟まれているのは、紋章というやつを入れる長方形の透明な板が二つ重なったもの。
こんな小さな透明な所に入る紋章は、どんだけ小さいんだろうという話である。それをサーバ大陸というとんでもなく広い所で探せなんて、
砂漠の真ん中に埋まっているダイヤモンドを探せと言っているようなものだ。やっぱりゲンナイさんのいうことは無茶苦茶である。
きっとなにか訳があるんだろう、と何処までもポジティブシンキングな大輔は一点の曇りも無い思考で、
これからの旅路にやる気を出しているが、思いっきり子供たちやデジモン達の中では前向きすぎるメンツに入るといえた。
タグを握りしめていた大輔は、ほら、降りるぞと太一に声をかけられて慌てて返事をして、駆けだした。

データの海をホエーモンにのって航海して早5日、ようやく見えてきた大陸は何処までも広く、大きく横たわっていた。
本来ならホエーモンのてっぺんと同じくらいの高さにある岬に降りるのが普通なのだが、
ホエーモンが教えてくれた、今日宿泊させてくれそうな場所を優先した場合、どうしてもここで降りる必要が出てきたのである。
ホエーモンが教えてくれたのは、アグモンの進化前であるコロモンという幼年期2のデジモンが、沢山済んでいる村である。
ピョコモンの村を思い出した大輔は、あのとき一番嬉しそうだったピヨモンのように、今度はアグモンが嬉しそうにしているのを見た。
やっぱり幼年期が同じだったから、親近感がわくのだろう。

デジモンデータ
コロモン
レベル:幼年期2
種族:レッサー型
ピンク色をしていて、兎のように長い長い耳を持っている。まるで手のように使うことが出来る。
表面をおおっていたウブ毛がぬけて、ボタモンが少し成長した小型デジモン。
まだまだバトルはできないが、アワをはきだして敵を威嚇するなど、戦闘意欲は十分持っている

ブイモンが同族で生きるのが普通だと言っていたのを思い出した大輔は、
滑り台のようにホエーモンから降りて見事着地したブイモンが、はっやくー!と元気にぶんぶんと両手を振り回しているのを見て、
遅れてたまるかと勢いよく降りて行った。最後までかなりの高度がある中で、スカートのまま降りるのを渋っていたミミが、
くしゃみをしたホエーモンに驚いて転げ落ちてしまい、光子郎を下敷きにするのを見た。まるで押し倒したような構図である。
たぶんこれがドラマだったら、母親と姉はキャーキャー言いながら、演じている女優に私と変われといきりたつんだろうな、と
どうでもいいことを考えつつ、うわあ、とつぶやいてしまった大輔である。
どいて下さい、重いです、という乙女に対してデリカシーが無さ過ぎる失言を聞いた大輔は、思わず目をそむけた。
幾らなんでも死亡フラグすぎる。ぱーんという乾いた音が響いた。あーあ。ご愁傷様である。大輔は合掌した。

「大輔、女の子って怖いねえ」

「あれは光子郎先輩が悪いだろー、ミミさん優しいよな。姉貴だったらグーがくるって、グーが」

たぶん気が済むまでぼっこぼこにされるにちがいない。全国の乙女に謝れと怒られるに決まっている。
どこに乙女がいるんだと聞かないのが正しい処世術だ。そんなことをしたが最後、どうなるかなんて考えたくもない。
体重計に乗っては一喜一憂する複雑な乙女心という訳の分からないものに振り回されて、もう8年目になる。
女教皇のもとで下僕を続けて何年になると思っているのだと、世知辛い弟人生を改めて嘆きつつ、大輔は溜息をついた。
姉を持っている男の子は、こういう面でも変に女の子という生き物に対して、幻想を抱かずに生きていける悲しき定めである。
なっちゃんと出会った時、妙に現実じみた大人の対応をしていたのを思い出したブイモンは、これが原因かと悟ったのだった。

そしてホエーモンと別れを告げた一同は、コロモンの村を目指して、半日かけてまっすぐに道を進んでいった。確かにそこに村はあったのだが。
おかしいなあ、コロモンのにおいがするのに、と首をかしげるアグモンである。長い船旅ですっかり鼻が鈍ってしまったのかもしれない。
潮風は髪を傷めると女の子組が嘆いていたのだ。そして、白くてこじんまりとしたビニールハウスのような、放牧民族が持っている移動式の
布づくりの建物が沢山ある村で、子供達とデジモン達は大歓迎に包まれた。困惑するブイモンに疑問符を浮かべた大輔。
ブイモンは、噂と違うと肩をすくめた。

デジモンデータ
パグモン
レベル:幼年期2
種族:レッサー型ウイルス種
灰色の頭から生えている耳のようなもので、低空飛行をすることができるレッサー型デジモン。
この耳のような部分は、手のように使うことも出来る。
イジワルな性格をしていて、相手をバカにすることが大好き。コロモンたちやツノモンを追いかけまわしていじめている。

ずーっと海の上だったせいで、水浴びはおろか、ろくに身支度も整えられない不潔すぎる生活は、すっかりミミの許容範囲を超えていた。
5日もお風呂に入っていないという乙女としては絶対に許し難い状況である。お風呂はどこと聞いたミミとパルモンは、パグモンに運ばれてしまう。
突然の行動に驚いて悲鳴を上げたミミに、何かあったのかと子供達は慌ててミミ達を追いかける。落ちているテンガロンハット。手にもつ。
カーテンを開けた先には、籠があって、服があって、あれ?なんの躊躇も無く飛び込んでいく太一と光子郎を追いかけていた大輔は、思わずブイモンを止めた。

「どうしたんだよ、大輔」

「ミミさん、何かあったんじゃないの?」

ちょっと待って太一!光子郎くん!という空の声がする。いよいよもって状況を把握できたのは、何故だか大輔だけである。
なんでだよ、普通に考えて分かるだろ、聴こえないのかよ鼻歌!ミミが心配じゃないの?とタケルは大まじめに聞いてくる。
大輔の様子と空の慌てたような静止に違和感を覚えたヤマト達は、その場に立ち止まる。悲しいかな女姉妹を持たない男どもは何処までも鈍かった。
もう走るのも馬鹿らしくなって、再び乙女の鉄槌に巻き込まれるであろう先輩たちに合掌する大輔に気付いた空が、
ハンドであわててジェスチャーをしてくるのに気付いた大輔は、あわててカーテンを元に戻した。しゃっともどして距離をとる。

「お風呂に入ってんだろ、ミミさん」

しれっと答える大輔である。顔を赤くした野郎どもは、ああそう、と不自然なまでに沈黙した。
いやああああ!という悲鳴が聞こえる。たぶんいろんなものが飛んでいる。あーあ。大輔は二度目の合掌をした。
バスタオル忘れたから取ってきて、とか無茶苦茶な要求を突き付けてくる我らが姉の行動は、変に耐性をつけていた。
バスタオルを巻いた姉がニキビを気にして、あーだこーだと鏡とにらめっこしているのを横目に、
さっさと歯ブラシと歯磨き粉を確保して乱暴に戸を閉めて脱衣所から脱出するくらいの慣れはもう日常茶飯事である。
閉まってないわよ、寒いじゃない、と怒鳴られて、再び帰ってくるはめになるのもお約束。長いお風呂に鼻歌はコンボである。
初めこそ裸を見られたぎゃーぎゃーといろいろ物を投げられたりもしたが、結局うっかり入浴アイテムを投げてしまって困るのは姉であり、
別に減るもんじゃ無いし、と姉弟間で乙女ぶるのもばかばかしくなったジュンは、もうすっかり頓着しない。所詮家族である。変に意識する方がおかしいのだ。
大輔も大輔で気恥しくなって言葉は乱暴になるし、目を背けたりもするが、別にジュンに対して何か意識しているわけではない。
流石に入浴中にうっかり電気を消したり、換気扇を回したり、うっかり着替え途中に鉢合わせしたら怒られるけど、それだけだ。
入浴中を確認したうえで、がらっと脱衣所を開けて、いろいろと両親からの言伝を怒鳴るのはいつものことである。
もちろん姉のいない野郎どもには、弟が持つ気苦労なんて分かるはずもない。
男兄弟なら一緒にお風呂に入れるから意識なんてしないだろうが、姉を持つ弟は、生まれてこのかた、お父さんと入ったことしかないのだ。
だから言ったのにねえ?とカーテンから顔を出した空が苦笑いし、大輔が頷いているのを見て、なんだかいたたまれない空気が流れたのだった。



第5話 うそつき村



パグモンは意地悪で平気でうそをついてみんなを困らせるという噂は、やっぱり間違っていたのかなあ、と
アグモンをはじめとするパートナーデジモン達が首をかしげている。
歓迎会を開いてくれているパグモン達に悪いではないか、と子供たちに咎められてしまった彼らは、でもーと納得いかなさそうな顔をしながら、
大好きなパートナーに怒られて落ち込んでしまう。今まで、何かとみんなの持っているデジモン解説講座が役に立てた試しがなかったことが原因である。
噂は噂、と失礼極まりないことを言われているにも関わらず、さらりと流してしまったパグモン達が、沢山のごちそうを運んでくれた。
5日ぶりのまともな食事である。もう魚の丸焼は嫌だ。いろんな果物やキノコを焼いて醤油のようなものであぶった簡素でシンプルな料理を運んで来てくれる。
パートナーデジモンの代わりに謝罪した太一達に、パグモン達は分かってくれたんならいい、ここはパグモンの村だ、と歌いながら笑っていた。

「ねえねえ、あなたはどこの村の生まれなの?」

「え?おれ?パグモンの村に決まってんだろ」

「じゃあパグモンの村に行くには、どうしたらいいの?」

ミミの質問を聞いたパグモンは、にやりとわらった。

「どうって、もういるだろ?」

頭に乗っけていたフルーツの大皿を受け取ったミミが聞いた質問に、きょとんとした様子でパグモンが答える。
その答えを聞いたミミは、やっぱりパグモンは嘘つきのデジモンではないなと分かったらしく、ありがと、と笑って手を振った。
それを見ていた大輔は、どーしたんすか?と聞く。得意げにミミが笑った。

「ねえねえ、大輔君。あるところにうそつき村と正直村という2つの村があるとするでしょ?
正直村の村人は、本当のことを何でも正直に言ういい村なのね。うそつき村の村人は、必ず本当のことと逆のこという悪い村なの。
その村へ行く途中、大輔君は道に迷っちゃったので、たまたまその村の分かれ道から歩いてきた、村人とあったの。
一方は正直村へ、もう一方はうそつき村へ通じてるのね。大輔君は正直村に行きたいから、道を聞こうと思ったんだけど、
この村人は正直村の村人なのか、それともうそつき村の村人なのか分かんないの。
もしこの村人が正直村の人なら、正直に道を教えてくれるし、うそつき村の人なら、まったく反対の道を言われちゃう。
その人に一回だけ質問をして正直村に行くにはどうすればいいでしょう?」

「えっ、なんすか、それ?クイズ?」

「うん。さー、がんばって!いーち、にー」

「うええええっ?!わかんないっすよ!」

「よーくかんがえよう」

「俺こういうの苦手なんすけど」

「えー、つまんない。がんばってー」

そんなあ、と辺りを見渡して助けを求めようとするが、ブイモンもパルモンもさっぱりなようである。
みんな思い思いの会話に夢中で全然相手にしてくれない。はー、と溜息をついた大輔は、早々に白旗を振った。

「それはね、「あなたはどっちの道からきたの?」って聞いたらいいの。
もしこの村人が正直村の人なら正直村から来たんだから、それを正直に教えてくれるでしょ?
それにこの村人がうそつき村の人なら、うそつき村から来たんだから、嘘をつくから、反対の正直村の道を教えてくれるの。
これならどっちにしても正直村への道を聞くことができるでしょ?
パグモンはみんなに嘘をついて困らせるデジモンだっていてったけど、それってホントのこととは反対のことをいうってことでしょ?
だからね、パグモンはうそつきじゃないってわかったの」

「……えー?」

「ミミ、それってどういうこと?私わかんないわ」

「さっきパグモンにね、どこの村で生まれたの?って聞いたら、パグモンの村って答えたの。
コロモンの村で生まれたって嘘ついても、パグモンだからちがうってわかっちゃうでしょ?
だから、じゃあそのパグモンの村に行くにはどうしたらいいってきいたら、ここのことだっていってたの。
嘘をつくのが大好きなら、絶対1回は嘘をつきたくなっちゃうでしょ?でも、パグモンは嘘つかなかったの。
もし嘘をつくなら、コロモンの村の場所を教えるでしょ?でも、もうミミ達はパグモンの村にいるって答えたわ。
それって嘘をついてないってことになるでしょ?ここ、パグモンしかいないし、パグモンの村なんだから」

だからパグモンはいいデジモンなのよ、とミミは笑った。
さっぱり分からない大輔はブイモン達にすがるような視線を送るが、目をそらされてしまう。
うそつきクイズというらしい頭を使う問題である。こういった分野はてんでダメな大輔は、そうっすか、というしかなかった。
どこまでも親切なパグモン達により、しばらくゆっくりしていくよう言われたみんなは、もうここまで来るとすっかり警戒心なんて地に落ちる。
お風呂に入って、みんなで用意してもらったテントみたいな所で雑魚寝である。久々にゆっくりできるとみんなまどろみに落ちた。
ちなみにミミのいうこの理論は、あくまでも正直村と嘘つき村がどちらもしっかりと存在しているという大前提が必要となる。
もし、正直村の住人が追い出されて、嘘つき村の住人によってどっちの村も嘘つき村となってしまっている場合や、
もともと正直村しか存在しないのに、嘘つく村に乗っ取られてしまった場合、それは全く別の意味に変わってしまう。
そんなこと知らないみんなは夢の中。ちょっと眠れなくて、タケルの腕から逃げ出して、こっそり外に飛び出した好奇心旺盛の塊が、
うっかり見てしまう。本来パグモンの村には存在しないはずのボタモンという赤ちゃんデジモンが、逃げ出していたところを。
そして、それを助けるために飛び出して、なすすべなくつかまってしまったポヨモンは、ボタモンともども村の外れにある滝の方に運ばれてしまったのだった。

デジモンデータ
ボタモン
レベル:幼年期1
種族:スライム型
デジタルワールドにおいて、初めて確認されたデジタルモンスターであり、名前を付けられた記念すべき第一号。生まれたばかりの赤ちゃんデジモン。
スライム状の柔らかいカラダを守るように、表面全体が黒いウブ毛でおおわれている。
まだ戦闘本能が目覚めてないので戦うことはできないが、口からアワを吐き出しトレーニングをする。コロモンの進化前である。





次の日、子供達とデジモン達は大騒ぎになる。まだ幼年期1であるポヨモンが行方不明になってしまったのだ無理も無い。
まだ小さいからそんなに遠くには行っていないだろうと、パグモンの村と近辺を棒きれで簡単に地図を描いた光子郎に、
あっちにもいない、こっちにもいない、とぞくぞくと残念な情報が寄せられる。
ばってんを着けていく光子郎に、パグモン達が滝の方にはいなかったと情報を寄せた。
今まで親切にしてくれた上に、失礼なことを言っても怒らずに許してくれた上に、分かってくれたんならそれでいい、と
ずっと大人の反応をしてくれた赤ちゃんデジモン、幼年期の集団である。しっかりしすぎている。疑えるわけがない。おかげでなかなか見つからない。
今にも泣きそうな顔をして必死で探しているタケルを見ているといたたまれなくなって、子供達もデジモン達も懸命の捜索を続行するが見つからない。
太一は望遠鏡で辺りを見渡していた。おせーな、アグモンの奴、と何処まで行ったのかいつまでも帰って来ないパートナーデジモンに苛立つ。
こんな時にまさかアグモンまで迷子になって無いだろうな?こんな大事な時に!
舌打ちをした太一は、ふと見晴らし台のすぐ下で、ブイモンと大輔が何やら相談をして出かけていこうとしているのを見つけた。
思わず飛び降りた太一は、大輔の所に駆け寄った。




よそゆきのピンク色のワンピースを翻し、もじもじと恥ずかしそうにお兄ちゃんの後ろに隠れてしまったショートカットの女の子は、
おいおい、隠れるなよ、と苦笑いするお兄ちゃんに頭をなでられながら、背中を押され、おずおずとこちらをうかがうようにちょっとだけ顔を出す。
真っ赤なユニフォームにしがみつきながら、おそるおそるちょっとだけしな垂れかかる前髪をそのままに、じーっと見つめてくるのだ。
首にかけられている玩具のホイッスルが傾いている。そして、大輔と目が合うや否や、男の子に免疫が無いのかわたわたとしながら隠れてしまう。
肩をすくめたお兄ちゃんは、大輔に肩をすくめて、ごめんな、こいつ人見知り激しいうえに恥ずかしがり屋でさ、と苦笑いを浮かべた。

「こいつが俺の妹のヒカリだよ。ほら、挨拶ぐらいしろよ、ヒカリ。もう小学校1年生だろ?」

「に……にちは……。ヒカリ、です」

「よしよし、でな、ヒカリ。こいつは、俺のサッカー部の後輩で、大輔っつーんだ。お前とおんなじお台場小学校の1年生なんだぞ」

な?と大好きなサッカー部の先輩に聞かれた大輔は、はい、とにっこり笑って答える。元気が良すぎてヒカリと太一がびっくりするくらいの勢いで答える。
お台場小学校の1年生という言葉を聞いた八神ヒカリという女の子は、ちょっとだけ興味がわいたのか、初めて会う男の子に対する警戒心が薄れたのか、
ぱちぱちとまたたきしながら大輔の方を見つめてくる。

「俺、本宮大輔。1のAなんだ」

「う、うん。私は、1のB、なの」

ぎこちないながらも、にっこりと笑ったヒカリは、大輔を見た。
大好きなお兄ちゃんが大輔と呼び捨てで呼んでいたからだろう。彼女は何のためらいも無く、疑問すら抱くことなく、大輔に言葉を紡いだ。

「よろしくね、大輔くん」

「おう、八神さん」

「おいおい、大輔。俺も八神だぞー、ややこしいだろ」

「え?そうっすか?」

「そうそう。ヒカリでいいよな?」

「う、うん。みんな、ヒカリちゃんって呼んでるから、大輔くんも、ヒカリでいいよ」

「ふーん、ならヒカリちゃんでいっか?」

「うん」

それは太一の参加する4年生チームが交流試合で他校との試合をするということで、サッカー部で応援に向かった日の休憩時間。
見事決定打となる豪快なシュートを決めて歓喜に沸くお台場小学校サッカー部のウエーブに飲まれる形で、
大輔の所にまでやってきた太一に、おめでとうございます!と言いに行った大輔が、たまたま太一の試合を家族と一緒に見に来ていたヒカリと出会った日だった。
これが八神太一がお兄ちゃんで有らねばならない、と豪語するほど大切に思っている、八神ヒカリという女の子との邂逅である。
今まで太一の溺愛と贔屓と家族愛補正が掛かったフィルター越しのエピソードとか、いろんなちょっとした話を聞かされ続けてきた大輔が、
生まれて初めて等身大の八神ヒカリと出会った衝撃の日である。ああ、この女の子が八神太一先輩の最愛の妹なのかと大輔は思ったことを覚えている。
太一の後ろに隠れて恥ずかしそうに顔を赤らめている女の子である。現在に至るまで、大輔の中で八神ヒカリと言えばこのイメージしかない。
太一に手を繋いでもらったり、頭をなでてもらったり、ヒカリ、と呼んでもらえるたびに嬉しそうに柔らかな笑みを浮かべたりする、はにかむ女の子。
最愛の妹だけに見せる、ほんのちょっとだけ、優しい眼差しを向けている太一は、大輔が今まで見たことが無いような顔で笑っていた。
お兄ちゃんとこの世界で唯一呼ぶことが許されている、八神太一に妹として愛されることが当たり前の人生を歩んでいる女の子。
もしも、本宮大輔が本宮ジュンに弟として愛されていたならば、今でもきっと呼ぶことが出来ていた「お姉ちゃん」と「弟」の関係を、
大輔が知る中でも最高の形で体現している女の子。もしかしたら、大輔がそのポジションにいたかもしれない、女の子。

そんな女の子から、大輔君、と呼ばれた。名前で呼ばれた。太一さんとおんなじように!そのオゾマシサといったら無い。
大好きなお兄ちゃんが呼んでいたからって、わざわざ大輔が本宮大輔だって、わざとらしいくらいの不自然さで名字を教えたにもかかわらず、
大輔の笑顔がどんどんぎこちないモノに変わっていくのを、お?お前照れてんだろー、ヒカリはやらねえぞ、と
見当違いにもほどがある太一のからかいを真に受けて気付きもせず、無邪気に平気な顔をして、太一と同じように、呼んだ。
大輔がこっそり太一のことをジュンお姉ちゃんの代わりにしているなんて知らないまま、よろしくね、と笑った。
大輔はヒカリという女の子と出会った瞬間、完全敗北を自覚せざるを得なかった。やっぱりヒカリに勝つことなんてできっこないのだ。
その日から、大輔にとって八神太一という存在は、勝手に慕って崇拝して崇めたてまつるただの神様になった。
お兄ちゃんになってほしいという願いは、お兄ちゃんの代わりでいてほしいという願いに変わり、
八神太一が本宮大輔のお兄ちゃんになってくれるかもしれない、という期待やもしかしたらという奇跡を望まない代わりに、
こっそりどん底の自分を慰める理想のお兄ちゃんでいてほしいという願いの拠り所となった。最後の砦である。

ヒカリは気付いていない。なんにも気付いていない。最後まで大輔が八神ヒカリに対して、「よろしく」という一言を口にしなかった最後の抵抗を。
だってときどきサッカー部の応援で顔を合わせると、にっこり笑って挨拶してくれるくらいには、ちょっと会話するくらいには仲良くなったのは、
ヒカリから話しかけられたからだ。
小学校でもたまたま廊下ですれ違ったり、太一のサッカー部の練習を見に来た時にあったりすると、普通に会話するくらいには知り合いになった。
でもそれだけである。大輔にとって、ヒカリと大輔を繋ぐのは、何処までも八神太一でしかないし、話題も学校関連とサッカーを除けば尽きてしまう。
ヒカリは大好きなお兄ちゃんのことが聞ければそれでいいのだろう、と大輔は踏んでいる。
きっとヒカリにとっては、大輔はどこまでも大好きなお兄ちゃんのやっているサッカー部の後輩で、同じ小学校の同級生である。
きっと友達ですらない。知り合いである。ちょっと仲がいいとクラスメイトがはやし立てることがあるが、本人たちにそんな意識は微塵も無い。
だってサッカー部の太一のことを話せば、ものすごい勢いで食いついてくる。末恐ろしいほど仲がいい八神兄妹である。
目をキラキラさせて、自分の知らないお兄ちゃんを聞かせてほしいと面食らうくらい迫ってくる。そしてありがとうとそれはそれは嬉しそうに笑うのだ。
そこにいるのは学校の八神ヒカリちゃんであり、太一によく似てしっかりとした女の子である。どこにでもいるようなお兄ちゃんが大好きな普通の女の子である。
八神ヒカリはどこまでも八神太一が世界の中心で回っているような女の子であり、それが当り前であると信じてやまない女の子である。
それがどんなに幸せなことなのか、どんなにうらやましいことなのか、考えたことも無いような女の子である。
大輔があの日から一度たりとも、八神ヒカリのことを「ヒカリちゃん」と呼んだことはないにも関わらず、全く疑問に思わないような子である。
そんなヒカリから、太一のことを聞き出すために、いろいろと話をして、仲良くなることの何が悪いのだろうか。
話しているのは本宮大輔なのに、今まで一度たりともお互いについてプライベートに突っ込んだ話をしたことが無いのに、
何処までもその向こう側に八神太一を見ているような女の子と仲良くできるほど、大輔は心が広くない。
大輔はもうとっくの昔に八神太一がお兄ちゃんになってくれることを諦めているのだ、八神ヒカリによって。

それが今更、本当に今更、八神太一がまるでお兄ちゃんのように接してくるのである。どうせよというのだ。期待しそうになるではないか。
太一が構ってくれるたびに大輔は泣きそうになる。だから抵抗する。素直にそのまま受け入れることが出来ない。
奇跡なんて起こらないんだと現実を突き付けてきたのは太一のくせに、またかなわない願いを抱きそうになるのは太一のせいなのである。
しかもその扱い方が明らかに八神ヒカリに対するものであると、残酷なほど大輔は気付いてしまう。鈍感になりようがない。
ヒカリとの会話の中で、恥ずかしいと体験談を愚痴としてこぼしながらも、明らかにのろけが入っているのを聞かされてきたから分かってしまう。
大輔がこうして太一にかまってもらえるのは、きっと風邪で寝込んでいるというヒカリがこの漂流生活にいないからこそであり、
そのたびに大輔は優越感と罪悪感にさいなまれながら、嬉しくなってしまうのだ。
はあ、と溜息をついた大輔は、ほら、いくぞと当たり前のように手を引いてくる太一に手を掴まれたまま、
あの時のヒカリと太一みたいに手を繋ごうとしてくる太一の手を振り払えないまま、一緒にポヨモンを探す羽目になってしまう。
俺は八神ヒカリじゃない。本宮大輔である。なんかこの人、勘違いしてないか?ちょっとだけ、大輔はそう思った。
ブイモンは珍しく何も言ってこないことに不思議がりつつである。
ブイモンは大輔がデビモンに酷い目にあった後、どんな状態だったかレオモンに担がれながら見ているから、
太一がどんな面持ちで大輔を運んでいたか、どれだけみんなが心配したか知っているから言えるわけがないのだ。
一応大輔にも言ったのだが、いまいち本人は理解しきれていない。その時の記憶がない人間に、いくら言っても伝わらないものは沢山あった。

「お前さあ、ホント素直じゃねーなあ」

あんたって本当に素直じゃないわね、とあの日つぶやいた姉と重なってしまう。大輔は首を振って幻影を飛ばした。

「なーんで相談に来ねえんだよ。いつでも相談に乗ってやるって言ってるだろ、大輔」

「はい?」

「俺でいいだろ、相談相手。光子郎の奴、先輩ぶりやがって」

大輔は硬直する。なんでこの人、光子郎先輩とテントモンとブイモンしか知らないこと知ってるんだという衝撃である。

「なんで、知ってるんすか」

震えている大輔に、太一は何言ってんだとばかりに肩をすくめた。

「お前らおいて勝手にどっかいける訳無いだろ、見てたんだよ、みんなで」

「みんなでっ……?!」

「ゲンナイの爺さんのこと信じちまうような危なっかしい後輩ほっとけるかよ」

「んなっ?!何言ってんすか、俺はっ……!」

「俺は?」

「……」

はあ、と太一は溜息をついた。

「あのなあ、大輔。俺ってそんなに頼りないか?」

「そ、そんなこと無いっすよ!」

相変わらずの後輩に、太一は頭をぐりぐりしながら、なら頼れ、と呟いた。
わからない。可愛い後輩のことが分からない。全然分からない。太一は内心、大輔のことが理解できないで、すっかり困り果てている。
大輔の行動ははっきり言って矛盾だらけである。ジュンお姉ちゃんと仲が悪いから空や太一を兄や姉として慕ってくれていると知ったときには、
ヒカリを口にすることが大輔にとって辛いことだと知ったから、言わないようにしているのだ。明らかに遠い目をしなくなった。
そしたらお兄ちゃんのように慕っているというから、兄のようにふるまったら本気で抵抗してくるのだ、訳が分からない。
それに相談したいことあると言ったのは、結局玩具の街以来とんと音沙汰なく、何にも無いのかと安心しきっていたら、
どうやら親友であるタケルや光子郎には打ち明けているものがあるらしい。これは由々しき事態である。全然面白くない。
これはなかなかにダメージが大きい話である。八神家のお兄ちゃんとしてみんなから信頼を向けてくれと主張し続けてきた太一からすれば、
大輔の行動は明らかに裏切り行為である。背徳行為である。信頼していないと言っているようなものである。
そりゃあ、なっちゃんの件とかデビモンの件とか、大輔の中で太一の存在が権威が失墜するのは無理も無いかもしれないが、
太一は内心焦りまくっていた。必要以上にその事実に焦燥感を感じてしまっていた。
もともと大輔は思い込んだら一直線で、自分でやることは自分でしたがるしっかりとした後輩なのに、何にも変わらないはずなのに、
どう言うわけかいろんなことが気に入らなくなり始めているのだ。
だからどうしても行動がおかしいくらいに大げさになる。なんとかしようとするたび、おかしくなっていく。
それはきっと、太一は大輔の考えている通り、きっと無意識のうちに大輔をヒカリと重ねているからなのだろう。
炎天下の中でぐったりと死んだように眠っている妹を必死で呼びながら、おんぶしながら、泣きながらマンションに走って帰ったあの日と、
デビモンによってボロボロになってしまった大輔の様子が余りにも酷似していたから、太一にとって急所とも言うべき出来事と状況が似すぎていたから、
お兄ちゃんにならなければいけないんだと悲壮な決意を固めた、太一にとっての原点、二度とあってはならないあの日とあまりにも似ていたのだ。
だから違いがありすぎて、どうしても違和感が拭いされなくて、いらいらするのである。大輔は頼ってくれない!と。
よくよく考えてみれば、お兄ちゃんとして慕っているとは言うものの、何にも求められたことなんてない。大輔は大輔でいろいろ頑張っていて、
どうしても自分ではどうにもならないことがあれば、最終手段として太一に頼っているだけだった。
最悪なことに、我が最愛の妹は、昔から辛いことがあっても絶対に口にせず、じーっと我慢しているような困った性質をしている。
だから太一はヒカリに構い倒し、過保護になり、ずっとずっと守り続けてきたわけだが、それがお兄ちゃんであると確信してきたわけだが、
ヒカリはそれがお兄ちゃんと受け入れているのに、大輔は受け入れてくれないのだ。当たり前である。大輔はヒカリではない。
だが全てが無意識の太一はそれに気付かない。だから大輔が嫌がる理由が本気で理解できない。
なんでそんな泣きそうな顔をするのか分からないまま、太一は大輔の手を引いて、ポヨモンを探すことにしたのである。



[26350] 第6話 勇気
Name: 若州◆e61dab95 ID:011cff1d
Date: 2011/04/27 13:35
ドリモゲモンの鼻先にあるドリルをみて、ライバル視したらしいイッカクモンが、自慢のミスリル製の角で応戦する。
攻撃を真正面から受け止め、得意技であるヒートトップで額の黒い歯車を突き刺そうと振りかぶる。
しかし、本来極寒の地に生息するため全身が真っ白で柔らかな毛皮で覆われているイッカクモンは、防御力が低く、
両手から繰り出された鋭い爪に不意を突かれ、スクリュークロ―が襲いかかった。
それを止めたのは、カブテリモンによるメガブラスターだった。溜められた電撃が豪快にプラズマ弾として打ち出される。
不慣れな地中戦である。洞窟のせまい空間で吹っ飛ばされたドリモゲモンが、どおおん、という轟音と共に壁に打ち付けられた。
危ないぞ、周りをよく見ろよ、と必死な丈の声、懸命に叫ぶ子供たち、デジモン達の声を聞いた二体は、辺りを見渡した。
派手に暴れたせいでド派手にぶっ壊れている洞窟。ちょっとやりすぎたかなという呑気な考えは、
その瓦礫の中でPHSが引っ掛かって身動きが取れない大輔を発見したとたん、吹き飛んでしまう。
敵デジモンと戦うということは、大好きなパートナーのために最も力を発揮することが出来る絶好の機会である。
ついつい彼らはバトルに夢中になって、周りをよく見ていなかったようだ。
無防備な選ばれし子供が目の前にいるのだ。ドリモゲモンも気付いたらしく、黒い歯車の暴走で真っ赤な目が大輔の背後をとらえる。
ハープーンバルカンで今度こそ黒い歯車を止めようとしたイッカクモンよりも先に、動いた影がある。
辺りを撒き散らしていた砂ぼこりもろとも巻き込んで発射されたエックスレイザーが、ドリモゲモンの額にある黒い歯車と
ドリモゲモンごと豪快に洞窟の壁に貼り付けにした。大輔はPHSに夢中で気付いていないが、突風が吹きぬける。
光子郎が大輔とやり取りをしたのち、無理やり立たせて手を繋いでコンビニに一直線に駆けていく。
よかった、と安堵の息をもらしながら、デジヴァイスの進化の光から解放されたブイモンは、
巻き込みかけたことを謝罪するゴマモンとテントモンに、気にするなと軽く流して、急いで大輔の所に向かおうとした。
そしたら気が付いたらしいドリモゲモンと目があった。ブイモン達を見て、真っ青になって逃げ出してしまった。
ドリモゲモンは、もともと恥ずかしがりやで大人しいが、悪戯好きの性格であり、めったにお目にかかれない珍しいデジモンである。
おそらくタグを隠しにやってきたデビモンに見つかって、黒い歯車で操られてしまったのだろう。
捨て台詞のように置き去りにされた謝罪に3匹は苦笑いした。黒い歯車という大義名分があるとはいえ、結果を見れば1対3のフルぼっこである。
さすがにちょっとかわいそうだったかもしれないが、黒い歯車によって強化されたドリモゲモンのパワーとスピードは、
地中戦の地の利を得たことも相乗効果となって、大苦戦していたのだから、まあおあいこといったところだ。
大輔達の所に一目散に行こうとするブイモンの手を止めるものがある。驚いて振り返ったブイモンに、待っていたのはおめでとう!という声だった。

「やりましたなあ、ブイモン!」

「え?なになに?」

「何がって決まってるだろー、初勝利!初めて勝ったじゃん、おめでとーっ!」

ひょっこひょっことやってきたゴマモンが、ばしばしとブイモンの手を真ん丸の前足で叩いてくる。
目をぱちくりさせて疑問符を浮かべるブイモンに、ゴマモンとテントモンは顔を見合わせた。

「嬉しくないのかあ、ブイモン?」

「もしかして、気付いてなかったんでっか?これでワイら、全員、勝った数が同じでっせ!」

「………勝った?勝った?勝ったって、あれ?え、え、えええええっ?!」

「そない驚かんでもええやんかー、おもろいなあ、ブイモン」

「あはは、すっげー嬉しいだろ?」

「………そっか、オレ、勝ったんだ。初めて勝ったんだ」

何度も繰り返すことでようやく自分が成し遂げたことが現実を帯び始め、ブイモンは達成感のあまり気分が高揚する。
嬉しそうに目を輝かせて、全身で沸き上がってくるハイテンションのまま、ブイモンは全力で万歳して、ぴょんぴょんとび跳ねた。
ずっと昔に置いてきぼりにした感覚である。すっかり記憶のかなたで忘れ去られていた感覚である。お帰り、オレの原点。
待ち望んでいた初めての進化の果てにあったのは、大輔の次に大好きななっちゃんを相手に戦うという悲しき結末である。
エクスブイモンはなっちゃんのデジコアから作られて、破壊されていくデータチップを何とか壊さないように懸命で、
大輔に全ての望みをかけて逃げ回っていたため、それどころではなかった。
次こそはと進化したら、エンジェモンとデビモンから大輔を守りきり、無防備なタケルが攻撃に晒されないように警戒するのに必死で、
それどころではなかった。何とかおかしくなったエンジェモンを説得するのに精いっぱいで、そのまま撃墜された。
そして、3回目はまだまだ余力があったにもかかわらず、エンジェモンに根こそぎ進化のパワーを奪われてしまい、
ブイモンに退化せざるを得なかった。
よくよく考えてみれば、ブイモンはエクスブイモンに進化こそ出来ているが、黒い歯車からデジモンを開放する、
大輔達を襲いかかってきたデジモンから守る、宿敵を倒すという大義面分がある状況下で、まともな勝敗が考えられる状況は初めてだ。
ゴマモンとテントモンがずっとしてきた当たり前のこと、戦う理由というやつのために、ちゃんと戦うことが出来たのは初めてである。
なんにも考えないで、戦いに最後まで集中することが出来たのはこれが初めてである。
ついでにいうと、背中に大輔がいないで戦ったのも初めてだった。全てが新鮮だったが、突き動かしたのは大輔の危機である。
それだけは何にも変わらない。二体から、勝数が横並びに同じだ、と言われてブイモンは嬉しくなる。やっとみんなに追いついた!
かつて自分たちも同じ感動した覚えがあるらしいテントモンとゴマモンは、
共有する感覚と共に、ずっと頑張ってきたブイモンが初勝利を飾れて、感動もひとしおのようである。
喜んでくれる仲間達がいると分かれば、もうブイモンの心に浮かぶのはただ一人だけである。

「ほら、早くいってきなよ、ブイモン。オイラ達、ひきとめちゃったみたいでごめんな」

「そうでんなあ、きっと喜んでくれはるで」

「うん!オレ、言ってくる!一緒に初めて勝ったの半分こしてくるよ!俺達、運命共同体だから!」

力強くうなづいたブイモンは、喜び勇んで駆けだした。
思えばずっと待ち望んでいたはずの目標だった。進化して、大輔の役に立って、頭をなでてもらって、それからそれから!
大輔、大輔、褒めてよ!褒めてくれよ!よくやったなって言ってくれよ!オレ、初めて勝ったんだ!
大好きな大好きなパートナーのもとに駆けだしたブイモンは、大輔!と大声で呼んだ。

「だいすっ……け………?」

困り果てた顔をした光子郎と泣き崩れている大輔がいた。まただ、とブイモンは走るのをやめてゆっくりと歩みをとめた。
いっつもそうだ。大輔は、いっつもオレが一番欲しい言葉を、ほしいタイミングでくれない。
でも、運命共同体だから、悲しみを半分子にしてあげなくっちゃ、と思って、ブイモンは駆けだす。
複雑だけども、こういう時だけしか、大輔はブイモンだけを頼ってくれないから。
ずるいかもしれないけれど、ブイモンだけしか分かってあげられないことがたくさん増えたから、
大輔が泣くたびにブイモンは嬉しくて泣きそうになるのである。
早く大輔が抱えてる問題を解決してあげなくっちゃ、いつまでたっても大輔は周りのことに一生懸命になってくれない。
自分のことに一生懸命になれないやつは、他のことなんて一生懸命になれっこないのだ。絶対に。
がんばらなくちゃ、とブイモンは思った。
光子郎との問題が解決してから、初勝利のことを話したら、ブイモンの一番大好きな顔で笑ってくれた大輔がいたから、
ブイモンはちょっとだけ機嫌を直した。



第6話 勇気



ブイモンはかつて、とってもシンプルな世界を生きていた。
おいしいものをたくさん食べて、いっぱい遊んで、おひさまのもとでひなたぼっこして、おひさまといっしょに眠る。
必要以上にする必要が無いシンプルな世界は、心もとっても単純で、とっても静かな世界だった。
身体が覚えた経験、その時点での判断力、行動力、そう言ったものだけで十分だった。
ブイモンはアグモン達と共に大輔を待ちわびていたわけだが、本人はおろか仲間達が誰も気にしていないため、
子供達は誰も知らないが、ブイモンはチビモンとしてみんなと合流したのはあの森が初めてだ。実は初対面ある。
みんな一緒に始まりの街で生まれて、みんな一緒に幼年期1の時代を過ごし、そして幼年期2の時代になって、
あの森の辺りで大輔達を待ちわびるために集まった。そのながーい時間が彼らとの初遭遇だった。
ブイモンがパートナーとパートナーデジモンの関係性について、やたらと過敏なのは、異様なほど執着するのはきっとそのせいである。
事情が変わったから、と「いつか」のためにデジタルワールドが大切にしまっていた古代種をわざわざ復活させたのだ。
古代種の力を扱える子供とであうその日を待ち続けて、洞窟でその力と一緒に眠り続けていたブイモンを叩き越したのは、
デジタルワールドなのである。でも、事情が変わったから、としか教えてもらっていないから、なんで目が覚めたのか分からない。
本来一緒にあるべき力は、まだそのときじゃないから、と封印されたままである。
眠り続けていた理由を取り上げられてしまったブイモンは、なんのために目が覚めたのか分からなくて、困惑した。
故郷という名の生息域はとっくの昔に忘れてきており、過去なんてものもないから、本当に目覚めたばかりのころはすっからかんだった。
ブイモンは未来でも過去でもなく今を生きる。それはもう、前向きなほど今を全力で生きるしかない。自分の目で見て、考えたことが全てである。
そんなブイモンにとって、本宮大輔という新しく与えられた目覚めた理由である選ばれし子供のパートナーは、それはもう最上級の幸福だった。
だから幾らでも一途になれるし、一直線になれるし、大輔のためならなんだってする、一番になりたいとおもうのだ。

なんにも知らない大輔は、ブイモンにいろんなことを教えてくれた。
そして、それは同時に尽きることのない「もっと」の始まりだった。
進化しても足りない。初勝利できても足りない。パートナーデジモンとして大好きだって言ってもらえても足りない。
一度満足しても、全然足りないのである。ブイモンは大輔が大好きなのだが、その大好きが止まらないのである。
それは、あまりにも早く出会ってしまったから、大輔というパートナーが本来よりもずっとずっと幼いせいで、
ブイモンと大輔がお互いに成長していくために必要なものをそれぞれが上げて、混ぜ合わせて、半分こしても、
その本来必要な分を満たすことが出来ないせいのである。
だからそれを必死で埋めるために、ブイモンと大輔は、ほかのパートナーとデジモン達よりも、
いろんなことをもっともっと半分こする必要があるのが原因だった。
もちろんブイモンはそんなこと知らないから、ただ大輔の1番になりたくてずーっと頑張っている状態である。
ちょっとずつブイモンのことを考え始めてくれた大輔のおかげで、だいぶん空回りは解消されてきたが、まだまだ先は長い。



いつもはしまいこんでいる白い爪を久々に突き立てて、ひょいひょいと木に上ったブイモンは、
木の一番てっぺんに登ってぐるりと辺りを見渡す。ポヨモンがすぐにでも見つかるとは思えないが、なんにも無いよりはましである。
いつ何時何が起こるか分からないから、お気楽にエクスブイモンに進化できないのが辛い。進化したらすぐに空飛べるのに。
一度空を飛ぶ楽しさを知ってしまったせいで、空を見上げて地面にはいつくばっているのが退屈でたまらない。
目を皿にして見渡したブイモンは、ふとさっきまで無かったはずの白い煙を見つけた。なんだあれ?
おかしいな、あっちは確かパグモン達が見に行ってくれてた滝のある場所である。
いない、と残念そうに言ったパグモンに、そうですか、と肩をすくめてばってんをした光子郎をブイモンは覚えている。
これはさっそく下で待っている太一と大輔に知らせなければ、と器用に高い高い木の上からおり始めたブイモンは、
下の方から聞こえる大声に驚いて落っこちそうになった。太一と大輔の声である。
なんだなんだ、と目を丸くしており始めたブイモンは、嫌な予感がした。急げ急げ、なんかヤバいぞ!


下の方では、大輔が太一の手を振り払うのが見えた。大輔と太一がなんか喧嘩している。あの時と同じだな、とブイモンは思った。

「俺は……ヒカ…な………」

「それ……おま…が…ふざけ……!!おま……俺………太……!!……さ……ない!!」

よく聞こえない。これはヤバいかな、とブイモンは思って降りていく。
ブイモンは大輔が太一と喧嘩するのはあんまり好きではない。だってなんか違うのである。
人間の複雑な心理や感情、情緒を学び始めたばかりのブイモンは、その違いをはっきりと表現する術を持たないが、
喧嘩して、ごめんなさいって謝って、すっぱりと水に流してしまう、タケルやパタモン達とは違うのだ。それだけは分かる。
何というか、言葉が、ぶつかる想いが、いちいちとってもずっしりしていて、側にいるだけでとってもつかれるのである。
しかも、太一と大輔の喧嘩の間は、大輔の頭の中は太一のことで埋め尽くされてしまい、ブイモンがいくら話しかけても、
いくら行動に起こしても、いくら頑張ってアピールしても、ちっとも気付いてくれなくなってしまうのである。
初めて大輔と出会ったばかりのころを思い出してしまうのである。
こっちのことなんかぜーんぜん、構ってくれないし、気付いてくれないし、見てくれないし、なんか透明人間になった気分になる。
とりあえずあの頃と違って分かったことは、太一と喧嘩することは、大輔がジュンお姉ちゃんのことで思い悩んでいるときと、
まったく同じであるということである。きっと根っこの方でつながっているんだろう。話題を出す時の大輔は本当にそっくりだ。
なんとか止めなくちゃいけないな、と足場を作りながら降りていく。

ブイモンが落っこちないように降りていく間にも、どんどん状況は悪化していく。
ブイモンは大輔があんなに真剣に怒るのを初めて見た。太一が感情的になって大声を荒げるのを初めて見た。
怒るってことは、手や足が一切ないにも関わらず、これだけ圧倒されるものなのか、と驚いてしまう。
だって太一がかつてヤマトと大喧嘩した時と同じくらいの剣幕で、なんかまくしたててるのである。
大輔も一切それにひるむことなく、すさまじい勢いで食いついているのである。
大輔はジュンと毎日のように喧嘩しているとブイモンは知っているし、具体的にどんな感じで姉弟の喧嘩があるのか聞いたから、
ああこれがきっと大輔にとっての喧嘩なんだろうな、と分かるが、見る限りでは太一はショックを受けているようだ。
異性とは言え、大輔はジュンよりもずっとずっと小さいのだ。そんなちっぽけな大輔が毎日のように喧嘩するのである。
普通に考えて、暴力に物を言わせるのは体格的に無理だし、口で言い負かすのも無理とはいえ、
負けず嫌いの根性は確実に食いついて行くだけの上げ足とりの早さを身につけている。
八神兄妹の仲の良さがどれくらいなのかは知らないが、喧嘩の経験は圧倒的に大輔の方が上のようだ。太一が押されている。
流石に大輔に手を上げることは、かつて無いほど不安定になっている大輔に、薄れかけているトラウマを呼び起こすことになるから、
最後の理性を振り絞って我慢しているのであろう太一のお兄ちゃんとしてのプライドなんて、大輔は分からないだろうけど。
怪奇現象で大輔の減らず口と屁理屈、無茶苦茶な感情論の展開の早さには圧倒されていたようだったから予想はしていたけど。
やがて大輔は、自分の頭に付けられているゴーグルに手を付けた。これはマズイ!流石にブイモンは焦った。
あの時、大輔は喧嘩しているといっても、頭にある太一の象徴であるゴーグルに手をかけることなんて絶対になかった。
PHSと同じくらい大事に大事に身につけていた。これをあっさりと手にできるということは、大輔はすさまじく追いつめられている証だ。
大輔、と制止の言葉をかけてブイモンが飛び降りるのと、ゴーグルを叩きつけて、大輔が太一を睨むのはほぼ同時だった。

「太一先輩って呼べばいいんでしょう?分かりましたよ、もう二度と太一さんって呼びませんよっ!!」

しゃくりあげながら、もう支離滅裂な言葉をこぼしながら、大輔はぐしゃぐしゃになって走り去ってしまう。
大輔!と反射的に追いかけようとしたブイモンは、なぜか硬直してゴーグルを見ている、放心気味の太一に気付いて驚いた。
なんでびっくりしてるんだろう、太一。タケルや光子郎との喧嘩を見てないのだろうか?全然変わらないのに。
大輔はいつもいつも喧嘩になると訳の分からないものに押しつぶされてしまう恐怖と闘いながら喧嘩をしているって、知ってるんじゃないの?
相手とちゃんと喧嘩するために必要な言葉が、濁流のような何かによって飲みこまれて、うやむやなまま消えてしまい、
なんで大輔が怒っているのかっていう証を相手にぶつけられない恐怖と闘いながら大輔は喧嘩をするのだ。
だから早く早くと気持ちだけが急いて、いつも無茶苦茶な形でしか、言葉を吐き出せないのだ。
頭の中でまとまったままだしてしまったら、もうそのときには訳の分からないものに押しつぶされてしまい、
大輔から出てくるのは諦めとその重圧から解放されたいという一心から共に紡ぎだされる寛容の言葉である。
そのときにはもう、大輔の本心なんてとっくの昔に消え去っている。そこに残るのは、分かってもらえないというどん底の悲しみである。
太一言ってたじゃないか、光子郎とタケルの喧嘩、聞いてたって!だから大輔は太一にジュンの姉ちゃんにしてるみたいに、
本気で喧嘩しても大丈夫なんだろうって思って喧嘩したんだろうに。なんで?ブイモンは思わず口に出していた。

「どうしたんだよ、太一。なんで驚いてるんだよ、これが大輔の喧嘩でしょ?」

「………マジかよ」

「太一、もしかしてオレ達に嘘ついた?タケルと光子郎との喧嘩、見てないの?」

「喧嘩のことは知ってるけど、タケルも光子郎も教えてくれないんだよっ。だからカマ掛けたら……」

「大変だ!今すぐおっかけよう、太一!大輔、絶対勘違いしてるんだよ!
太一はもう全部分かってるんだって思ったから、全部全部見せようとしたんだよ!
分かんないならオレが教えてあげる!大輔はね、素直じゃないのが素直な気持ちなんだ。
訳の分かんないものに押しつぶされて、いっつもいっつも言いたいことが消えちゃって、もうそこには息もできないくらい苦しいって気持ちしかないんだ。
だから、自分の気持ちが消えちゃわないうちに、わーって最初に言いたいこと全部ぶちまけちゃうんだよ。
早くしないと大輔が一番怒ってる理由とか、分かってほしいこととか、全部全部潰れちゃうんだ。
だから、言いたいこととか、全然支離滅裂になっちゃうんだよ。訳の分かんないものに押しつぶされた後は、もう大輔諦めちゃうんだよ。
もうどうでもいいやってなっちゃって、なんでもかんでも許しちゃうし、忘れちゃうし、もうそこに大輔の言いたいことって残って無いんだよ!」

「でもあいつどっか行っちまったじゃねーか、もう俺と話したくないんだろ!俺ともう二度と話したくないって!」

「違うよ!最後まで自分の気持ちに一生懸命になれないのが、大輔が一番嫌がってることなんだよ!
太一とちゃんと喧嘩したいから、訳の分かんないものに押しつぶされちゃった後のことは、全部全部大輔の気持ちなんて無いから、
それを太一に勘違いされたくないから逃げちゃったんだよ!
タケルの時もそうだったんだよ、大輔とちゃんと仲良くなりたいって言った言葉が怖くなって、分かってくれなかったら嫌だって。
でもタケルは逃げちゃった大輔追いかけて、最後までずーっと喧嘩してたから、大輔諦めて自分のやなトコ喋ったんだよ。
だから友達になったんだよ。太一は大輔の友達じゃないの?」

「………あのバカ」

ブイモンは知らない。
一番大好きな人をお互いに重ねている矛盾を、こともあろうに相手の方だけ残酷なほど分かってしまっている太一と大輔の大喧嘩は、
もう目も当てられないほどの有様だったことなんて、知らない。
でも、大輔の言葉はブイモンには、訳の分からないものに押しつぶされる前に、何とか絞り出した言葉が全てだろうと断言できる。

「二度と太一さんって呼ばないから、お兄ちゃんって思わないから、太一のことサッカー部の先輩だって思うから、
嫌いにならないでって。大好きでいさせてって。オレにはそう聞こえたよ、太一。
大輔にとっては、もう時間が無かったから、嫌いにならないでくれって言えなかったんだ。
いこう、太一。喧嘩したらゴメンナサイして終わりなんでしょ?」

「ホントにそう思ってんのか?大輔」

「絶対そうだよ。だってオレ、大輔のパートナーデジモンなんだ。分からないことなんてない!」

「……俺は分かんねえよ、大輔のこと」

「なんだよそれ!オレよりずーっとずっと大輔と一緒にいて、オレの知らない大輔のこと沢山知ってるくせに、
なに贅沢なこと言ってんだよ、太一!オレだってまだまだ大輔のこと分かんないよ。でも、だからって謝らない理由にはなんないだろ!
太一は大輔のこと、嫌いなのか?仲直りしなくてもいいのか?それだけだろ?なにいろいろ考えてんの?人間の方が分かんないよ」

「うっせー、まだ数週間しかたってねえのに、知ったような口聞くんじゃねーよ!
俺達には俺達なりの喧嘩ってやつがあるんだよ!大輔、何処だよ、ブイモン。パートナーデジモンならそれくらい分かるだろ?」

案内しろよ、今すぐ!とせかす太一がそこにいた。言われなくっても案内するよ!とブイモンは叫ぶ。

その時である。

突然、ブイモンの身体が輝きだす。あれ?あれ?なんで?大輔も大輔のデジヴァイスもここに無いのに?あれ?
混乱しているのはブイモンも太一も同じである。太一のデジヴァイスには反応はない。
光がとかれた時、そこには間抜け面をしたエクスブイモンがそこにいた。

「なんでいきなり進化してんだよ、ブイモン!」

「オレに聞くなよー、知らないよ!でもこれならすぐに大輔が探せるんだ!どうでもいいだろ、早く乗って!
きっとオレの気持ちが届いたんだ!」

「お、おう!」

訳の分からないまま、勢いに流されて太一もエクスブイモンもそのまま、大輔を探しに出かけてしまう。
このデジタルワールドにおける冒険において、ブイモンが大輔不在にも関わらず、デジヴァイスを離れているにも関わらず、進化することができたのは、
この一度だけであったことを記しておくとしよう。



[26350] 第7話 太陽の紋章
Name: 若州◆e61dab95 ID:19c06a67
Date: 2011/04/29 16:11
『大輔、お前、前から思ってたけど全然分かって無いだろ!自分のこと分かってないだろ!お前、まだ小学校2年生なんだぞ?わかってんのか?!』

まず突き付けられたのは、本宮大輔という少年は、自分が思い描いている以上に、ちっぽけな存在であるという事実を、
客観的な立場であるとはとても言い難いが、他者である視点から真っ向勝負で断言された衝撃である。
太一は言う。お前がどう思っていようが、お前はお台場小学校2年生のただのサッカーが大好きな子供にすぎないんだ、という事実を告げる。
反発しようが、必死で否定しようが、一切脚色が含まれていない事実の蓄積は、ずたずたに大輔の心に突き刺さっていく。
大輔は現実を知る。現実を直視していなかった自分と現実を知る太一との間に、どれだけ大前提が違っていたのか、認識や理解の落差があったのか、
デジタルワールドに来たころから太一がずっと抱え続けていた不満や不平や愚痴といった形で、濁流のように聞かされ続ければ、嫌でも気付いてしまう。
ブイモンからの経由で知っている事実もあったが、言葉もあったが、もちろん忠告や指摘もあったのだが、ブイモンはパートナーデジモンである。
大輔が世界で一番大好きで、そして大輔と同じ視点から世界を見ようとして頑張っている存在だから、大輔が傷つくようなことは絶対に言わない。
それに大輔が分からないことなんてブイモンには絶対に分からないし、興味も無い。だから大輔の知る現実がブイモンにとっての現実だから、分からなかった。
おんなじ立場の存在から言われたって、説得力は皆無である。
でも太一は違う。太一はお台場小学校の5年生であり、サッカー部のキャプテンであり、お兄ちゃんであり、選ばれし子供の中でもみんなを引っ張ってきた一人だ。
完全なる他者である。だから太一の口から語られる大輔の現実は、すさまじい説得力があり、まざまざと生々しいくらいに教えてくれる。
大輔は守られるべき立場の人間であるということ。それを自覚せずに行動しているせいで、いかに大輔が危なっかしいのか切々と語られる。
なっちゃんの件、デビモンの件、大輔が喪失している空白の記憶に至るまで、全部全部みんなを守ろうと頑張ってきた太一の視点から語られる。
大輔がみんなに認められたいって思って頑張っているのは、みんな知っている。わかっている。微笑ましいし、頑張っているんだなって思っている。
気付いているのだ、と聞かされた時、大いに大輔は驚いたが、それくらい分かるにきまってるだろ、と断言される。
だからこそ、みんな心配になる。不安になる。大輔は別に全然空回りしているわけじゃない。
でも、足元がお留守番になっている大輔が起こす行動は、いつだってその頑張りと反比例して、みんなをはらはらさせているのだ。
たしかに最愛の妹であるヒカリと重ねてみていたのは認めるし、それで大輔が辛い思いをしていたのは知らなかったし、申し訳なく思うが、
大輔はなんにも言わないでじーっと我慢しているヒカリとは違って、積極的である。よくしゃべるし、よく行動に起こす。
それなのに心配をかけるのは全く同じだから始末に負えない。何をしでかすか分からなくて、尚更みんなをハラハラさせているのだ。
本宮大輔は大事な仲間だって、かけがえのない仲間だって、そう太一は断言した。だから余計に不安になるんだと。
みんなに大事にされているんだって、大切に思われているんだって、顔を突き合わせて真正面から言われた。初めて言われたのだ。
これで分からないほど大輔はバカじゃない。みんなに認められたいんだって頑張ってきたことは、最初っから報われていたのだと知ったのだ。
唐突に訪れた至福の時は、次々に紡がれる大輔にとっては辛らつな事実からの逃避を躊躇させる。

『なんでお前隠し事するんだよ!隠し事してますって、聞いて下さいって、思いっきり顔に書いてあんのにいっつもいっつも誤魔化すだろ!
大輔、お前、すっげー嘘つくのヘタなんだよ!見てて辛いんだよ、無理してるって分かってんのに、俺達何にも出来ないから!
じーって俺達のこと見てるくせに、なんでこっち来ないんだよ!相談あるなら言えっていってるだろ!』

きっと太一にとって、大輔に対する怒りの根っこはここにあるのだろう。
一気にヒートアップした怒涛の言葉の雪崩が、大輔の耳にきんきんするほどの音量でもたらされる。
そこで大輔は無意識のうちに当てにしていた、本来知りえるべきではない情報を持っている自分と、持っていない太一の間で、
どうしようもない思考回路の隔たりがあることを知る。
まず、ゲンナイさんをみんながどう思っているのかを聞かされ、ギャップを知る。
もちろん太一は、ゲンナイさんよりも自分のことを当てにしてくれなかった大輔に対する八つ当たりも多大に含んでいるのだが、
現時点において、大輔はみんなとま逆の考え方をしていたことを知って、大ショックを受けていた。
なんでだ、なんでゲンナイの爺さんをそこまで信用できるんだよ、俺より、と改めて問われた大輔は、今度こそ言い返すことが出来ない。
それでも負けず嫌いの怒涛の反撃を食らいながら、必死で大輔の本心を問いただしていた太一は、大輔が目をそらすのを見て、
大輔の中で確固たる根拠があるのを見出して、ますますかっとなる。すっげーいらつくんだよ、そういうとこ!と怒鳴られる。
大輔は誰にも言うなと言われた遼との約束と太一の怒りに二律背反になり、どうしようどうしよう、と狼狽しきっていた。
そして、うっかりポロっと「遼さん」という言葉を口に出してしまった大輔は、はっとなる。
誰だよそれ!と当然のごとく追及してくる太一の気迫に圧倒され、誰にも言わないでくれ、と必死で言いながら、
結局約束を破って太一に話してしまった。
太一はもう怒りで訳が分からなくなっている。大輔が必死に隠していたんだし、それはきっと嘘じゃないんだろう、信じられないけど。
でも大輔の語る節々から、その「遼さん」とか言う顔もろくに知らない少年に対する絶対的な信頼、それもあこがれの人に対する信頼、
ヒーローを見るような子供の無邪気な尊敬を感じとってしまった太一は、強烈な嫉妬にさいなまれてしまう。なんだよそれ。
だってそれは、本来なら大輔から太一に対して向けられている筈のものだったからだ。
それは大輔が太一のことをお兄ちゃんとして慕っていると言われた時に、ずっと思い込んでいただけだったのだと知らされて愕然として、
仕方ないか、と諦めたものである。大輔にとっては太一はお兄ちゃん的な立場であり、遼はあこがれの人ということで共存できたのだろうが、
そんなもの太一にとって我慢できるようなものではない。太一が大輔から欲しかったものを遼さんとか言う奴が、取っていってしまったのである。
面白い訳が無かった。そしてとうとう、太一はずーっと必死で押さえこんでいた言葉をついに発してしまうのである。
タイミングは最悪すぎたと言っていい。大輔はもう言葉を返すのに必死で、再び太一に向かって言い放ってしまっていたから。

『なんすかそれえっ!!ふざけてんのはそっちでしょう?!この世界に来てから、ずーっと俺のことヒカリって子としか見てないくせに!』

『それをお前が言うのかよ、ふざけんな!俺は誰だよ、八神太一だろ?!俺はジュンさんじゃねーんだよ!
ジュンさんはここにはいないんだよ!ここにいんのは、俺だろ?八神太一だろ?!
ヒカリに重ねられて辛いとか言ってるくせに、俺をお前のお姉ちゃんと重ねんのはやめろよ、ずりいんだよ!!
俺はサッカー部の先輩だろ!なんで俺がお兄ちゃんやんなきゃいけないんだよ、おかしいだろ!
俺はなあ、その遼さんってやつになりたいんだよ!大輔が思ってる遼さんってやつに向かってるやつが欲しいんだよ!
俺はサッカー部のキャプテンとして、お前に尊敬されたいんだよ、慕われたいんだよ、なんで分かってくれないんだよ!』



1999年8月1日、それはデジタルワールドという異世界でデジモンという生き物と出会ったメモリアルデイズである。
それは同時に、本宮大輔が、生まれて初めて、八神太一という等身大のただのお台場小学校5年生の男の子と出会った日だった。
この時の八神太一という少年は、まだ配慮や気遣いとは無縁であり、少々言葉が足らないことがあるが、全てにおいて直球である。
全力投球でぶんなげられた八神太一の本気の本音は、天性の鈍感さと大雑把さが年齢相応の幼さにより助長され、
表情とか言葉といった分かりやすいモノでしか、すべてを理解することが出来ない本宮大輔という少年に、それはもう残酷なほど響き渡った。
その時の衝撃は、きっと一生忘れられないものになる。



大輔はもう衝動的にゴーグルを叩きつけて、言い放って、もう訳が分からなくなって突っ走るしかなかった。

『太一先輩って呼べばいいんでしょう?分かりましたよ、もう二度と太一さんって呼びませんよっ!!』

自ら最後の砦を粉砕してしまった大輔は、1年前自らの身を守るために必死で築き上げてきた防衛手段を、事実上1つ失ったことになる。
1年前のトラウマの再発である。がらがらがら、と世界が崩壊していく。奈落の底に突き落とされたような感覚に陥る。
見捨てられた、という意識が絶望を招く。しかし、それだけだはないから、余計に小さな心は大パニックに陥っていた。
今までは、お姉ちゃんの代わりにしていて、ちょっとだけ後ろめたさを感じているレベルだったのだが、その比ではない。
自分ではなく別の人に重ねられる、そして行動される、扱われる、言葉をかけられるという身代わり人形の辛さを
今の大輔は身を持って知ったのである。だから太一の言葉も嫌というほど理解できてしまう。
自分が太一に対してどれだけ辛いことを強いてきたのか、もう後悔どころの話ではない。
お兄ちゃんではいたくない、サッカー部の先輩として見られたい、という太一の本音は、そっくりそのまま、
太一の妹のかわりではいたくない、サッカー部の後輩として見られたいという大輔の本音と鏡映しだった。
自分が作り上げた人間関係の中に囚われてしまい、がんじがらめになって動けなくなっていた大輔を、
現実に引っ張りこもうとしてずかずかと土足で入り込んできた太一が、無茶苦茶な方法ではあるが、帰って来い、と手を差し伸べた瞬間だった。
でも、一度にいろんなことを詰め込んだ重すぎる現実をぶんなげられて、それを必死で受けとめるには、大輔はまだ幼すぎた。
なんとか頑張ろうと必死になって手を広げるのだが、もともと大輔の世界は非常に不安定な仮設の安定のもとに存在していたから、
踏ん張れるだけの地面が無い。
大輔は中途半端に背伸びし過ぎていたから、太一はすっかり忘れてしまっていたのである。一人前に喧嘩するから忘れていたのである。
大輔は小学校2年生である。小学校5年生の太一では簡単に受け止めることが出来ることでも、そっくりそのまま受け入れられるほど
大輔は強い男の子ではない。頭でっかちになっている部分はあるけれども、精神的な面ではまだまだ子供なのである。ずっとずっと。
だから太一の言葉はぶっちゃけると、ほとんど大輔にとって意味はほとんど伝わっていない。
でも、その真っ向勝負な本音だけは、何となくではあるが、心が理解しているため、この大喧嘩はかねがね成功と言える。
しかし、今度はその心は理解できることはできるけれども、納得してくれないという可哀想な大混乱を巻き起こしていた。
なんとか言葉を紡ごうとしたが出来なくなって、そのうちまたずっと恐れていた訳の分からないものに押しつぶされそうになったと感じた大輔は、
もう逃げるしか残されていなかった。
かつて光子郎がちゃんとタケルとパタモンが理解できるように、悪戦苦闘しながら、宗教色が強い寓話と哲学者の名言を、
意味を理解して、とっても分かりやすい言葉にかえて、ちゃんと伝わるように細心の注意を払ってくださいねとヤマトにプレッシャーをかけて、
メモを渡したようにしてくれればよかったのだが、なかなかうまくいかないものである。
だってその方法だと、たとえ話ばかりの変化球で、ここまで大輔の心にはきっと響かない。太一だからこそできたことである。
自分の道は自分で切り開かなくちゃいけないんだ。逃げてばっかりじゃ何にも変わらないんだ。立ち向かわなきゃ怖いことはいつまでも追いかけてくるんだ。
太一が一番伝えたかったことは、しっかりと大輔の胸に響いていたことが、何よりの証である。





泣きじゃくる無防備な子供は、しばらくのあいだ、一人ぼっちになる必要があった。





もうどこからきたのか、どこへいくのか、迷子になってしまうのは分かり切っていたけれども、大輔はひたすらまっすぐまっすぐ走り続けた。
わんわん泣きながら、森の中を走り抜けていった。あぶないとかきけんだとか、そんなことに構っていられるどころの話ではなかった。
心のどこかで、きっと太一先輩は追いかけて来てくれる、とどこまでも弟思考の理性は、強く強く信じている。
大輔は大輔が思っている以上にジュン姉ちゃんのことが大好きで、きっとサッカー部のキャプテンである太一にも負けないくらいで、
それがいつのまにか、どこかで間違ってしまったのだろう。致命傷とも言うべき心の崩落を自覚しながら、思っている以上に大輔の世界は壊れていなかった。
それはこのデジタルワールドにおける冒険において、太一が大輔のしらない所を沢山沢山見せていたため、
大輔の心の中である程度、覚悟が出来ていたのかもしれない。それに、まだ大輔には空がいる。それが辛うじて、大輔が壊れてしまうのを阻止していた。
それが何を意味するのか、まだこの時、大輔は何も知らないままである。大輔の頭の中ではもう太一に嫌われたのではないかという恐怖におびえている。
大輔はどこまでも気付かない。大輔が一番怯えているのは、世界の崩壊ではない。必死に逃避の道を選んだきっかけとの再会である。
ずっと忘れていた感覚だった。ずっと忘れていられた感覚だった。
大輔が太一や空という大切なサッカー部の先輩を犠牲にしてまで、何が何でも逃げようと必死で足掻いていたものは、ずっと大輔の中にある。
痛みを伴いながら足音を立てて近付いてくる、大輔の心の中にある、大輔の心をいつもいつも踏みつぶしてしまう、あの「よく分からないもの」
それ自体である。もともとあったそれは、姉という存在が崩壊したころから顕著になった。いつからあるのかなんて全然分からない。
だから大輔は逃げるために走り続けている。本能は分かっていたのだろう。ここはデジタルワールドである。

人間が想像しえる存在がネットワーク上に情報として存在していれば、全て具体化するという異世界である。
時に優しく、時に厳しく、そして時に残酷なほど恐ろしい所である。
無防備で不安定な子供がそんなところに一人ぼっちで迷い込んでいる。しかも時にデジモンの声を聞いてしまうほど受感性の高い子供である。
想像力は人一倍ある。怖いモノを見ては、ありもしないものを勝手に想像して怖がってしまうような子供である。
恐怖を恐怖としてまっすぐに、真正面から感じてしまうような子供である。
大輔が生まれてくるずっとずっと昔から、恐怖というものは、いろんなものを生み出してきた。
それをモチーフにして作られた妖怪とか、幽霊とか、バケモノとか、世界にはたくさん存在する。
人間が想像しえるそれらは、必ずどこかの世界の特集とかテレビ番組を作るための題材として使われてきた、格好のネタである。
時には人の趣味でホームページに集められたりしている。奇しくも1999年はミレニアム問題とどこぞの大魔王の予言が組み合わさり、
空前のオカルトブームがあっせんしていた時期であり、それらを題材にしたゲームや漫画やアニメが大氾濫していた時代である。
大輔は知らない。このデジタルワールドには、いろんなデジモンがいるのである。そう、本当に、いろんなものが。

無我夢中で突っ走っていた大輔は、世界がひっくり返った。うわっとバランスをくずして、木の根っこに躓いて転んでしまう。
ごしごしと涙をぬぐいながら、大輔は必死になって立ち上がろうとした。その時、大輔は影を見た。
大輔よりも大きな大きな木が生い茂っているパグモンの村の森は、太陽の光すら入らないほど、朝方であるにもかかわらず、真っ暗である。
じめじめしていて、少し寒い。昨日食べたキノコはきっとこの辺りで取れるのだろう。
大輔は全然気付いていないが、ふんづけたキノコは足跡を残している。そんな薄暗い森の中なのに、なんでか克明に影が伸びている。
大輔の影はうっすらと映っているだけなのに!その真っ黒な影をたどっていった大輔は、その影が大輔の真後ろからのびていることに気付いて戦慄する。
だって、その影は、しゃがみこんでいた大輔を後ろから突き刺そうとして、三又の槍を高々と掲げていたのだから!

「ひひひははははははっ!!」

「うわあああああああああっ!!」

耳が死んだ。おぞましいほど醜悪な笑い声が森に響き渡る。絶叫した大輔は、無我夢中で走り始める。なんだよ、あれ、なんだよ、あれええっ!!
さっきまでいた所に、ざっくりと三又の槍が突き刺さる。もしそこにいたら死んでしまったかもしれない!ぞっとした大輔は、もう突っ走るしかなかった。
もう本能が直視するのを拒んでいる。だって、大輔が今まで見てきた怖いモノを沢山沢山詰め込んで、形にしたかのようなデジモンだったから。

デジモンデータ
ブギーモン
レベル:成熟期
種族:魔人型
モチーフとなったブギーマンは、もともと聞きわけの無い悪い子供をしつけるために、両親は時折わざと子供を怖がらせるために用意した怪物である。
早く寝ないと妖怪が襲ってきて連れ去られてしまうとか、言うことを聞かないと食べられてしまうとか、架空の存在をでっちあげているのは、
万国共通のものである。幼い子供達が信じている、伝説上、もしくは民間伝承における幽霊とか、怪物である。
それは特定の外見を持っていない。だから子供達は心の中で勝手に自分だけの怪物を作り上げて怯えている。そして両親の言うことを聞くのだ。
いわゆる不定の恐怖が実体化したのがその怪物である。日本で言うなら元寇がモチーフとされるなまはげが代表的な例だろうか。
その正体不明の恐怖の具現化がデータとして実体化したのが、ブギーモンである。
暗闇で待ち伏せ突然襲い掛かってくる魔人型デジモン。体の不気味な刺青は邪悪な呪文になっており、刺青の数だけ呪文が使える。
必殺技は、てに持っている三又の槍で相手を突き刺す、デスクラッシュだ。

ひたすら走り続けた大輔は、いつの間にかずいぶんと遠くまで来てしまったようだった。
すぐ後ろでは大声で笑っているブギ―モンが追いかけてくる。もう涙目どころの話ではない。
森を抜けて、坂を走って、走って、走って、気付いたら滝をくぐり抜けたけど、やっぱり追いかけてくる。
誰か助けて!と叫んで洞窟に逃げ込んだ大輔が見たのは、檻に閉じ込められている沢山のコロモン達、そしてポヨモン。
ポヨモン達を何とか助けるために、単身乗り込んでしまったせいで進化することが出来ず、袋叩きにあっているアグモンだった。

「なんだー、てめえは!」

「大輔、危ないよ、にげてええ!」

アグモンが大輔をかばうために駆けだす。ぜいぜい走ってきた大輔は、すっかりおびえ切った様子でアグモンにすがり付いた。
突然飛び込んできた選ばれし子供に顔を見合わせた、この一連のコロモンの村乗っ取り大作戦を裏で指揮していたガジモン達は、
どうすんだ、と顔を見合わせた。
実はパグモンはガジモン達の手下であり、このサーバ島のボスであるデジモンの配下に置かれている。
そして、サーバ大陸を我がものとするため、いろんな村を襲撃し、のっとっては悪いことをしている集団の一つだった。
選ばれし子供達が上陸してくることを事前に察知していたボスによって、選ばれし子供達の存在は熟知していたようだが、
ボスはてっきり上陸に最適の丘から子供達はやってくるんモノだと判断し、先手必勝でピンポイントで叩きつぶそうと計画を練っていた。
しかし、コロモンの村を目指した子供達は丘の手前で降りてしまう。ものの見事の擦れ違いである。憤慨したボスにより、
選ばれし子供達をパグモンの村と称した乗っ取っているコロモンの村に滞在させ、この村ごと抹殺しようとしているなんて、
現時点では誰も知らない。

デジモンデータ
ガジモン
レベル:成長期
種族:哺乳類型
鋭いツメを持つ二足歩行の灰色の兎のような耳を持つ哺乳類型デジモン。とても目つきが悪くて気性も荒く、絶対に人間になつかない。
前足のツメは攻撃の時に有利だが、それ以外に穴掘りなどにも向いている。イジワルな性格なので、落とし穴を掘っては他のデジモンが落ちるのを楽しんでいる。

滝をヘビーフレイムで蒸発させ、のろしで場所を知らせようとしていたアグモンだったが、やってきたのが大輔だったので状況は悪化してしまった。

「大丈夫だよ、大輔。僕が守ってあげるから」

「あぐもっ……わあああああああん!」

3対1は相当分が悪い。それにアグモンはガジモンの必殺技であるパラライズブレスによって、身体が思うように動かないマヒ状態である。
殆ど根性で必死に太一を待ち続けながら、アグモンは大輔もポヨモンもコロモン達も守るために、必死でヘビーフレイムを放とうとした。
しかし、それを阻止するほど大きな影が伸びてくる。ちぢみあがった大輔は、アグモンの影に隠れて怯えた。

「うぎゃああああ!なんだ、ありゃあ!」

「みたことねえぞ、なんだあのデジモンは!」

「こ、こっちにくんああああ!」

滝を突き破って現れたのは、突然の招かざる客の乱入である。
子供の恐怖心が何よりの存在理由であるブギーモンは、どこまでもどこまでも大輔を追いかけてくる。
自分より強い奴にはどこまでもへりくだり、自分より弱い奴にはどこまでも傲慢という分かりやすい態度を一貫させているガジモンは、
成長期である自分達よりもはるかに大きい成熟期の登場に、もうアグモン達のことなんかどうでもよくなって逃げてしまう。

「だ、大輔、あのデジモンなに!?」

「分かんねえよっ、でもずーっと追いかけてくるんだよ!助けて、アグモン!」

「くっそー、太一がいたらっ!!」

守りたい存在がいっぱいあるのに、この場に太一がいないせいで、デジヴァイスが無いせいで進化できないもどかしさである。
いつもなら絶対に素直に助けてくれなんて言わないであろう、大好きな太一の後輩である。いいところを見せられないで、なにが男だ!
太一からの受け売りが実行できないことを苛立ちつつ、ヘビーフレイムで攻撃するが、真っ赤な魔人は微動だにせず、
つんざく奇声をあげて槍を振り下ろす。

「だいすけええええ!」

アグモンと大輔ははっとした。エクスブイモンの声である。大輔はアグモンにひっつきながら、必死でパートナーの名前を呼んだ。

「ブイモッ……エクスブイモンッ、けて、たすけてえええええ!」

絶叫である。大輔の声を聞きとった救世主が、滝なんてもろともせずに飛び込んでくる。
その背中に乗って現れたのは、ずっとずっと待っていた英雄だった。

「太一いいい!」

大好きなパートナーが来てくれて、思わず飛び降りてきた太一に抱きつくアグモン。
来てくれると心の中で信じていた人が来てくれて、大輔は思わず一緒に飛び付いた。
太一さんじゃない。お兄ちゃんじゃない。この人は八神太一だ。八神太一先輩だ。
俺とアグモン達を助けに来てくれた、サッカー部のキャプテンなんだ!そう思った大輔は、ごめんな、となでてくる太一に首を振った。

「たいちせんぱいいいいいっ!ごめんなさい、ごめんなさい、おれ、おれっ!!
いやです、おれ、ずーっとずっとなかよくしてたいです、きらいになっちゃやだあああ!」

わんわん泣きわめく後輩に先輩と呼ばれる寂しさと嬉しさを感じながら、しっかりと抱っこしたまま、
すっかりやる気になっているアグモンを見た。うん、と力強くアグモンは頷く。
大好きなパートナーがいる。守りたい存在がある。それだけでアグモンは強くなれる。

「だいすけえええっ!!」

デジヴァイスと大輔不在での進化はやはり無謀だったのか、いつになくへとへとに疲れ切ってしまい、
エクスブイモンから退化してしまったブイモンが一目さんに大輔に駆け寄る。
抱っこできないから、後ろから飛び付いたブイモンに、大輔はぐしゃぐしゃなまま自分から抱きついた。
おいてくなっていってるだろー!と何度目になるか分からないおしかりを食らった大輔は、心の底からごめんなさい、
助けに来てくれてありがとう!と笑ったのだった。

前に立ちはだかるのは、必殺技を放とうと大きく振りかぶるブギーモンである。

「行くぞ、アグモン!」

「うん!行くよ、太一!」

待ち望んでいたデジヴァイスの光に包まれたアグモンが、グレイモンに進化する。
強靭な剛腕でその槍をわしづかみにするやいなや、圧倒的なパワーで投げ飛ばす。
意味不明な奇声を発するブギーモンに、ひいい、と怯えている大輔。大丈夫だとしっかり言い聞かせながら、
俺が守ってやるから、とはっきりと宣言して、太一は、いっけえええ!と叫ぶ。
ブギーモンは恐怖を根源としているデジモンである。太一によってもたらされた安心感により、大輔はその勇敢な背中を焼き付ける。
明らかに弱体化の苦しみにもだえ始めたブギーモンは、さっきの機敏な動きや強靭な身体が嘘のように鈍ってしまう。
違和感を覚えながらも、いまだ!、と好機を逃すことなく、グレイモンは必殺技のメガフレイムでブギーモンを滝の彼方へと投げ飛ばしたのだった。



1998年4月1日、本宮大輔はお台場小学校のグラウンドで、サッカーをして遊んでいる八神太一というあこがれのサッカー部の先輩とであった。
そして、1999年8月1日、実に1年と4カ月ぶりである。
本宮大輔はサッカー部のキャプテンになった、あこがれのサッカー部の先輩、八神太一先輩と再会したのである。



仲直りした二人と、それを説明するブイモン、説明を聞くアグモン、力を合わせてコロモン達とポヨモン達を解放しようと頑張り始めたら、
エクスブイモンが飛んでいくのをみて、あわてて駆けつけてきた子供達とデジモン達と再会する。
かたくなに滝の方に行くのを阻止しようとするパグモンに不信を抱いた子供たちの追及に耐えきれず、
パグモン達は全てを白状して逃げ出してしまったらしい。
ポヨモンと再会して大喜びするタケルが、奥の方にある洞窟を見て、みんなを呼んだ。

そこには、全てを見守っていた、まるで太陽のようなデザインをしたオレンジ色のレリーフが、行き止まりの石壁に大きく刻まれていたのである。




[26350] 第8話 笑天門過ぎれば福来る
Name: 若州◆e61dab95 ID:92ae2670
Date: 2011/05/01 22:04
ブルックリンのあるペンキ屋で働く青年が、何の変哲もない代り映えの無い毎日の生活にうんざりしながら生きている。
彼の生きがいは、毎週土曜日にディスコで踊り明かすことである。
彼の周りにいる仲間達は、どこにも発散することが出来ないティーンエイジのエネルギーをぶつける場所を探している。
日常や常識から飛び出して、大人達からの束縛から逃げ出して、毎日毎日喧嘩やダンスや奔放な性的活動で心の隙間を満たそうとしていた。
ある日、ディスコで年上の美女と出会った青年は、彼女がインテリで将来設計を確立したキャリアウーマンであることを知り、
自分自身の生き方を見つめなおして行くことになる。
1977年に監督ジョン・ルタム、主演ジョン・トラボルタで封切られたアメリカ映画は、その娯楽面を前面に押し出しながらも、
若者が遭遇する苦い社会経験も含ませた一代出世作として、世界中で大ヒットし、若者たちをディスコ文化に熱中させた。
ジョン・トラボルタは一躍トップスターに駆けあがり、ディスコというサブカルチャー文化の代名詞として長き映画の歴史に語り継がれることになる。
やがてミュージカルにもなったこの映画の名前は、サタデーナイトフィーバー。
かの有名な、袖にきらきらでド派手な装飾を付けた真っ白なスーツに身を包んだ男が、右手の人差し指を高々と掲げて胸を張り、
仁王立ちしているというフィーバーポーズというものの発祥となった作品である。
今に至るまで様々なオマージュとして使われるほど印象的なこのポーズは、この作品自体知らない世代にも受け継がれ、
何となく見たことがあるというレベルにまで浸透している。
もちろん、かつて世界中の若者を魅了したフィーバーポーズであっても、時代の流れに抗うことはできなかった。
1999年8月1日、日本のお台場小学校に通う子供達がそのポーズを見て、真っ先に思い至るのは、
ほとんどが夏休み向けに放送されるバラエティ番組である。ゴールデンタイムぶち抜きの特別番組である。
有名人のモノマネをするものであったり、懐かしの曲と共に当時の映像が流れて、子供置いてきぼりで両親が熱心になるものであったりする。
だから、コロモン達を救出することが出来た安心感に満たされていた子供達、デジモン達が、これからゆっくりしようと洞窟を抜けた先で、
どこかで聞いたことがあるメロディーをガンガンに鳴らしながら、巨大な立体映像で現れたオレンジ色の全身タイツのデジモンが現われたところで。
そのデジモンがすさまじいハイテンションで、スポットライトを浴びたスーパースターがごとく登場した所で。
アチキの歌を聞きなさああい!とやけにドスの利いたやくざ声で、もりあがってるかーい!と拳を振り上げたところで。
初めて遭遇したサーバ大陸の大ボスとの初対面の邂逅にもかかわらず、状況に置いてきぼりになった彼らが、
すっかりポカーンとした顔で沈黙するのも無理はなかった。すさまじいテンションの落差が、双方の間で確認された時、空気は凍り付いた。
一瞬にして氷河期が到来した。全世界ブリザードである。
拍手喝さいと大盛り上がりの熱気を期待していた大ボスは、もともと短すぎる堪忍袋の緒がぶちぎれた。
せっかく宿敵の選ばれし子供達が、タグを持って、紋章を探しにやってくるという情報を得たことで、
盛大な歓迎会をしようと意気込んでいたのだ。舎弟達を大投入してオンステージを急ピッチで進め、今か今かと待っていたのに、来ないのだ。
いつまでたっても来ないと思ったら、いつの間にかコロモン達の村に上陸するためにそもそも丘まで来なかったのである。ふざけるなと。
愛用の黄金色のマイク片手にシャウトを聞かせたボイスが、きいいいいん、という騒音と共にもたらされる。子供達は耳をふさいだ。

「アチキをバカにすんのもいい加減にしなさあああい!」

怒りの咆哮である。

「うるさあああい!」

思わず太一は叫んだ。この場にいる全員の共通見解である。
遠く離れた洞窟の奥にまで響いてくるオカマ声に立っていられなくなった子供達は座り込んでしまう。
コロモン達も怯えた様子で縮こまり、パートナーデジモン達はみんなを守るために前に躍り出た。

「う、う、うるさいですってえええ?!1度ならず2度までもアチキをバカにする気なの?!ふざけんじゃないわよーっ!!
シャーラップ、お黙りなさい!よっくもアチキをコケにしてくれたわねえ!このキング・オブ・デジモンである、このアチキを!
デジモンキングであるこのエテモン様おおおおっ!そっちがその気ならこっちにも考えがあるわよ!
アチキを怒らせたらどうなるか、教えてあげるわーっ!!」

どこまでも傲慢かつ傍若無人な暴君は、高々と右手を上げた。


デジモンデータ
エテモン
レベル:完全体
種族:パペット型
突如出現した謎多き正体不明の自称キング・オブ・デジモン。その実力は張ったりとは言えず、侮れない。
もんざえモンと仲が良く、腰にはもんざえモンのパペット人形のキーホルダーがぶら下がっている。
またもんざえモンを陰で操っているとも噂されており、もんざえモンの中に誰がいるのか知っているのではないかと言われているが、
どんな攻撃にも耐えられる「強化サルスーツ」という腹の部分が白くて、ぴっちぴちのオレンジの全身タイツをきている他、
唯一素顔がのぞく顔面は大きなサングラスで隠してしまっており、正体が分からないという共通点から決して口を割らない。
サングラスの下の素顔や強化サルスーツの脱衣シーンが見たい方は、デジモンクロスウォーズの全話視聴をおすすめする。
必殺技は、相手の戦意を喪失させる歌を聞かせるラブ・セレナーデと、あらゆるものを消失させる暗黒の球体を召喚して放つダークスピリッツ。
ちなみに最も得意な歌はギターソロだ。


「あいさつ代わりにアチキという強大な敵を前にして、どんだけ無謀なことを仕出かそうとしてるのか!
まずは出血大サービスで教えてあげるわっ!ほら、ミュージック、スタート!」

傍らでスタンバイしていたガジモンが、ぽちっとな、とスイッチを押した。

「コロモン達の村を全滅させてあげるわーっ!!」

大音量で流され始めたロックに合わせて、ギターを縦横無尽にかき鳴らすエテモン。
その頭上に見る見るうちに大きな大きな黒い球体がいくつも出現し始める。

「ダークスピリッツ!!」

いっきなさーい!という八つ当たり全開の攻撃が展開される。なすすべなく住人たちのいないコロモンの村が粉砕されていく。
轟音と地響きが辺りを包み込む。やめてっとコロモン達が叫ぶが、もちろんエテモンが耳を貸すはずもない。
とんでもないことを聞いた太一達は、あわててそんなことさせるか、とばかりにパートナーデジモン達を進化させる。
一斉攻撃をしかけようとした選ばれし子供達の奇襲など始めから読めていた、とばかりにエテモンは不敵な笑みを浮かべた。

子供達もデジモン達も知らない。
デビモンが黒い歯車を生産するために使用していた暗黒エネルギーは、ダークケーブルという通信網という形で、
すでにサーバ大陸全土にまでまるで毛細血管のごとく張り巡らされているという事実を知らない。
エテモンが事前に選ばれし子供達の動向をまるでその場にいたかのごとく察知し、事前に計画を練ることが出来たのも、
全ては海底洞窟にまで及んでいたダークケーブルが、タグを入手し、ホエーモンで移動していることを全て、
エテモンの本拠地である笑天門号というモノクロモンに引っ張らせている車にあるモニタに筒抜けなのである。
彼らがサーバ大陸にいる限り、どこにいようがたちまち見つけ出してしまう、という絶対的な有利の立場にエテモンはいる。
だからこうして堂々と姿を現したのだ。
それに加えて、もともとエテモンはがんがんと前に出てくる自己顕示欲全開のデジモンである。
彼の周りにいるのは、すべてガチンコで勝負をして敗北に喫し、舎弟となった部下達ばかりであり、
自分が頂点であるということを名実ともに証明し続けなければ気が済まない性質であるエテモンだからこそ、
部下達は付き従っているという上下関係が成立している勢力である。
いわば昔懐かしの不良漫画に出てくるグループの世界がそこにはあった。
だから、一見するとふざけたキャラクターにしか見えないにもかかわらず、エテモンは清々しいくらいに合理的である。
下剋上を企てたり裏切りを決行した部下を簡単に処分するのではなく、そのまま手下として奴隷として働かせるか、
可能な限り有効活用するというしたたかさも秘めている。これはいずれ明らかになる。

何も知らない子供達は、すっかりエテモンのオカマ口調という強烈なキャラクターにひっぱられて、弱そうだという先入観を抱いてしまった。
ずっと選ばれし子供達を待ちうけていたサーバ大陸の大ボスは、そこに気付かないほど愚か者ではなかった。


「アチキを誰だと思ってるの?そうよ!アチキがこの世で一番最強のエテモン様なのよっ!
それなのに、一体全体どーいうことっ?!せっかくアチキのオンステージっていうのに、どーしてアンタ達は邪魔するのよ!
コンサートはまだまだ始まったばかりっ!!水差すお客はとっとと帰って頂戴!!ラヴ・セレナーデ!」


セレナーデとは、本来、夜想曲や小夜曲などに訳されるドイツ語である。18世紀ごろに発達した娯楽的な性格の強い多楽章の管楽合奏曲である。
一般的なイメージとしては、夕暮れや満月の美しい夜に、窓辺に腰かけている恋人や美しい女性、准ずる親しい人をたたえるために、
ギター片手に演奏されるようなロマンティックな曲、もしくはその情景を称して指す。
断じてロックでギターをかき鳴らし、シャウトするようなものではない。
ジャイアニズム全開で披露された大音量の単独ソロライブは、路上ライブをしているアマチュアの曲に興味が無い通行人には、
ただの騒音にしか聞こえないのと同じように、さらなる騒音として成熟期に進化して、エテモンを止めようとするデジモン達に襲いかかった。
子供達は愕然とする。みるみるうちに成熟期から成長期に戻ってしまったパートナーデジモン達がそこにいたのだ。耳をふさいで苦しんでいる。
パートナーデジモン達の苦痛に満ちた声がする。ダークケーブルの加護を受けているエテモンの必殺技であるラヴ・セレナーデは、
本来戦意喪失しかない筈の効果を大きく上回り、デジモン達の進化を阻害するというとんでもない性能にまで向上していたのだ。

「完全無欠のラヴ・セレナーデを前にして勝とうなんて無理無理!どんどんいくわよーっ!ダークミュージカルっ!!」

追撃とばかりにマイクを手にしたエテモンの得意技が襲いかかる。
まるで地獄の底から這い上がってきたかのような声が、意図的にメロディーを外しまくって拡散する波動となって襲いかかる。
エテモンの攻撃は身内をも思いっきり巻き込んでいるようで、側にいるガジモン達はみんな太一達と同じダメージを受けながら、
必死でサポートしていた。拡声器越しに、同じ苦しみを選ばれし子供達も味わえ、と憎しみのこもった悪意も加わり、
進化という唯一の対抗手段を失ったデジモン達は、一時退却を余儀なくされる。
逃がすもんですか、と洞窟すら崩壊させるまでに音量を上げてくるエテモンの猛攻。
ここでようやく太一達は、ゲンナイが言っていたさらなる進化の必要性を思い知る形となってしまったのだった。

「みんな、奥にいこう!」

がらがらがら、と崩れ始めた洞窟は、とうとう入り口をふさいでどんどん崩落を開始する。叫んだのはコロモンである。
はやくはやく!と騒ぎ立てるコロモン達に、さっきの太陽みたいなデザインの彫刻の先は行き止まりだったという事実を告げるが、
いいから!とせかされる形で子供達、デジモン達は先を急いだ。

大きく大きく刻まれている太陽のようなオレンジ色の彫刻である。

「村に何かあったら、ここに来るようにっていう伝説があるんだ。いこう」

コロモンにせかされて、先導していた太一はどうしろっていうんだよ、と半ば困惑しながらその行き止まりの壁に触れた。
太一の触れた所から、閃光の波紋が広がり、黄金の模様が彫刻を包んでいく。先ほどまでただの行き止まりだった岩壁がくりぬかれて、
四角い形になったかと思うとどんどん小さくなっていくではないか。
突然の出来事に呆然としている子供達をしり目に、太一の胸にかけられていたタグが宙に浮く。
そして、小さくなったオレンジ色の太陽のような彫刻は、そのタグの中に自動的に差しこまれ、かちりという音を立てておさまった。
その先にあったのはトンネルである。この山の反対側に通じていることを発見したみんなは、歓声を上げた。
胸におさまった紋章である。一番最初に手に入れた紋章である。よっしゃー!とガッツポーズした太一に、アグモンはやったねと嬉しそうに笑った。



第8話 笑天門過ぎれば福来る



「太一、ちょっといいか」

「うん?なんだよ、ヤマト」

選ばれし子供達の中で一番最初に紋章を手にしたという事実が、太一を高揚させていた。
喧嘩をした後輩とも仲直りできたし、お兄ちゃんをしなくても良くなったし、目に見える形で太一と大輔の関係は正常化した。
すげー!と目を輝かせて見せてくれとせがんでくる後輩が、太一先輩、と呼んでくれるのである。
1年ほど我慢していたあこがれの先輩という奴をやれるという事実は、ほら、いいだろ、と得意げに紋章を見せることで、
こくこくと大きく頷いている後輩相手にどこまでも現実味を帯びていく。
ヤマトと太一が話を始めるということで、大輔は名残惜しそうに振り向きながらも、ブイモンと共にタケルの所にとんでいった。
大輔が太一のことを理想的なお兄ちゃんとみるのをやめたという事実は、「さん」から「先輩」という呼称の変更で、
直ちに事情を把握しているタケルとヤマトにも太一と大輔の変化は伝わる。
いいことである。それについては異論の余地は無いので、ヤマトはさっさとスルーした。トンネルの道中はまだまだ長い。
さっきから大輔が興奮気味にまくしたてているのだ。
太一とグレイモンとエクスブイモンに助けてもらったんだと包み隠さずしゃべりまくっているのだ。
むしろ選挙中の立候補者の宣伝カーのごとく触れまわるので、大方の予想は出来ている。
なにはともあれ、大輔の相談相手第一人者としては喜ばしいことだ。問題はそこではないのだ。

「お前さ、そもそも、なんでアグモンと一緒に行動しなかったんだよ」

問題はそこである。選ばれし子供とデジヴァイスが無ければ、パートナーデジモンは進化することが出来ないという大前提がある。
よくよく話を聞いてみれば、ちょっと例外という由々しき事例が出来てしまっているものの、当事者たちの話を総合すれば、
ブイモンがエクスブイモンに進化できたのは、おそらく大輔が心の底から助けを求めたのがデジヴァイスを通して、ブイモンに変化を与えたのだろう。
進化のタイミング、退化のタイミングを考えるとそうとしか思えない。そう結論付けたヤマトとしては、大前提はやっぱり大事だ。
ヤマトからすれば、太一がアグモンと共にポヨモンを探して行動しなかったのは、とんでもない迂闊な行動にしか見えない。
リーダーという言葉が脳裏をよぎるヤマトとしては、みんなに褒められて天狗になっているようにしか見えない太一に対しては、
明確な対抗意識に芽生えつつあり、気に入らないことも増えてきている。こいつがリーダー?冗談じゃない。まかせられるか。
それなら俺が、という自己顕示欲があるが、やっぱりみんなを守るためという大義名分が一番大事であることを考えると、
紋章を手に入れて一番最初に次の進化への切符を手にしたという事実がある太一には、忠告をするのが先である。
今まで自分の気持ちなんて置き去りにしたまま生きてきたヤマトにとっては、戸惑いと困惑が先に来る。ここまで明確に心がざわつくのは初めてだ。
正直まだもてあましている本音である。しばらく考えたヤマトは放置した。臆病な少年はいつものように自分に対して嘘をついた。
どうしても天秤にかけてしまう。みんなを守ることと自分の気持ち。そして今回はみんなを守ることに天秤が傾き、優先順位がついた。

「なんでって特に理由はねーけど?気付いたらどっか行っちまったんだよ、アグモンの奴」

「コロモンのにおいがするから追いかけてたら、滝の方までいっちゃったんだ」

「お前ら……」

ヤマトは頭痛がした。がっくりと肩を落とす。
思わず頭を抱えそうになるが、どこまでも能天気な一人と一匹はどうしたんだよ?と首をかしげている。
震える拳をガブモンがまあまあとなだめる。選ばれし子供とパートナーデジモンは似るようだ。いい意味でも、悪い意味でも。

「あのな、太一、お前もっとよく考えて行動しろよ。アグモンはお前がいないと進化出来ないだろ。
お前がアグモンと一緒にコロモンのにおいをたどっていってたら、そもそもこんなこと起こらなかったんじゃないのか?
アグモンがガジモン達にやられなかったんじゃないか?もしブイモンがエクスブイモンになれなかったら、
ブギーモンにみんなやられてたかもしれないだろ」

「なんだよ、みんな無事だったんだからいいだろ?ヤマトは心配性だなあ。
いっつもそんな結果論ばっか言ってたらつかれるぜ?」

「俺はみんなのことを考えていってるんだ。今まで以上にサーバ大陸はヤバいことになるだろ。
俺達は紋章を集めなきゃいけないんだ。お前が一番最初に紋章を手に入れたんだから、しばらくはお前が一番の戦力だろ。
ちょっとは考えろよ、もし何かあったじゃ遅いんだぞ?」

「わーかってるって。今度会ったらエテモンなんてぶっ飛ばしてやるんだ。な?アグモン」

「うん、僕頑張るよ太一」

「それにヤマト」

「なんだよ」

「いっくら俺が紋章手に入ったのが一番だからって、お前が紋章持ってないのは俺のせいじゃねーだろ。
そーいうの、やつあたりっていうんだぜ?」

にやにや、と太一は笑う。時折誰よりも勘が冴えわたるサッカー部のキャプテンは、本人すら把握しきれていない真意を読み解いてしまう
図星であるにもかかわらず、まだ表層にまで至っていない本心をものの見事にいい当てられてしまったヤマトは、面白くない。
今は大事な話をしてるんだぞ、ふざけるな、と至極もっともな正論で持って反論する。
しばらく喧嘩にも満たない軽口の応酬の末、結局ヤマトはあっけらかんとしながらも了承してくれた太一とアグモンの言質を取ってから、
引き下がることにしたのだった。
なぜならそれどころではなくなったのである。
自ら吐きだした酸性の泡で見事檻から脱出したポヨモンが、その経験値によってか定かではないが、
ようやく念願の進化を遂げ、トコモンに進化したのだ。







デジモンデータ
トコモン
レベル:幼年期2
種族:レッサー型
体の下に短い手足が生えているレッサー型デジモン。まん丸な体が可愛らしい。
しかし、迂闊に手を出すと、大きな口を開けてびっしりと生えたするどいキバでかみつくこともある
うがーと大きく開けた口に手を出すと噛まれるので要注意である。
必殺技は、強力な酸の泡を吐き出し、相手を威嚇する超酸の泡だ。ちなみにこの技はポヨモン時代の強酸の泡の完全上位技である。


抱っこしていたタケルが歓喜に沸いて、隣にいた大輔とブイモンに見せようとしたときである。
はっとなった大輔ががばっとタケルからトコモンを取り上げたかと思うと、あっという間にトンネルの先を走り抜けていく。
まるでボールを取られて、あっという間にバスケットゴールに決められてしまう間抜け選手である。遅れてトコモンの悲鳴が反響した。
突然の暴挙にぽかんとしていたタケルだったが、パートナーデジモンをぶんどられてしまったというとんでもない事実に気付いて、
あわてて追いかける。ブイモンはあまりの早技についていけなかったらしく、あわててタケルの後ろに続いた。

「大輔君、トコモン返してよーっ!!」

え?え?なんで?なんでっ?!訳が分からないままタケルはどんどん遠ざかる背中を懸命におっかける。
全身全霊をかけた猛ダッシュである。小学校1年生のころからサッカー部をやっている大輔はタケルと比べてとんでもなく足が速い。
その上、体力もあるし、維持力もあるし、スポーツをやっていないタケルからすればずっとずっと運動神経がいい。
もちろんタケルも体育の時間は大好きだが、放課後終わるや否や、4時から8時までグラウンドでボールをおっかけている
サッカー少年と同列で語るのはあまりにも無謀といえた。ましてや2年生チームのレギュラーである。なんかやっとけばよかった。
ぐんぐん引き離されていくが、大輔はトコモンと何やら話をしているのか、駆け足ながらいつもの追いかけっこよりもスピードは遅い。
しかし、ちらちらと振り向きながら、タケルに追いつかれないように距離を調節しながらダッシュと重ねがけのブーストをされてはたまらない。
息が上がり始めたころ、ぴたりと大輔は歩みをとめた。そしてトコモンをぎゅーっと抱っこしているではないか。
ちょっと待ってよ、それ僕の!ずるいずるいずるい!僕が一番最初にトコモンとの再会を喜んで抱っこするって決めてたのに!
おしゃべりするって決めてたのに!なんてコトするんだよ、大輔君のバカ!
目の前で一番仲がいい友達にそんなことをされては流石のタケルだって怒るに決まっている。
事情がさっぱり分からないタケルは、ようやく追いついた大輔からトコモンを無理やり取り返して、
あっちにいったり、こっちにいったり、引切り無しの奪い合いの果てにすっかり目を回しているトコモンをしっかりと抱っこしたのだった。
いたいよう、タケルと進化したばかりにも関わらずとんだ災難続きのトコモンは、すっかり涙目である。
そんなことお構いなしで、二度と大事な大事なパートナーがどこにもいかないように押しつぶしているタケルが、当然のごとく怒った。

「なにするんだよー、大輔君!」

そんなタケルの言葉を背中で受けたまま、大輔がいう。

「タケル、もしも、トコモンが何にも覚えてなかったらどうする?」

「え?」

「だから!もしも、トコモンがタケルのこととか、俺達のこととか、今までのこと、ぜんぶぜーんぶ覚えてなかったらどうするって聞いてんだよ!」

「記憶喪失じゃなくって?」

「記憶喪失じゃねーよ。ホントに、真っ白なまんま、トコモンはトコモンだけど、赤ちゃんみたいな感じで、
何にも知らないまんまで生まれてきたら、タケルはどうするって聞いてんの」

突然投げかけられた質問に、腕の中にある相棒を見つめたタケルは、大輔の言っていることが分からないので、
同じように疑問符を沢山量産しているトコモンと目があった。もしかして、と顔をこわばらせたタケルに、ぶんぶんとトコモンは首を振った。

「ぼ、僕は覚えてるよ!ぜんぶぜんぶ覚えてるよ!何言ってるんだよ、大輔!また友達になってねって僕いったじゃないかあっ!」

トコモンの猛抗議にほっと胸をなでおろしたタケルは、うーん、と考えてみる。
もしもトコモンが何にも覚えていなかったら。それってきっと今まで僕達が体験してきたことが、全部全部無かったことになっちゃうんだよね。
一緒に喧嘩したいねって約束したことも、仲直りしようねって笑いあったことも、落ち込んだことも、立ち直ったことも、
嬉しかったことも、楽しかったことも、悲しかったことも、苦しかったことも、いつだって側にいて、いつだって時間を共有してきたそれが、
いろんなところに行ってきた思い出が全部全部無くなっちゃうってことになるんだよね。それっていったいどういうことだろう?
そこにあるのは忘れられてしまうというどうしようもない恐怖である。
タケル達は覚えているのに、トコモンはなんにも覚えていないのだ。初めましてって初対面の時に笑ったあの時が再びやってくるのだ。
タケルはぞっとした。トコモンを抱っこする力が強くなる。それってトコモンじゃない。そこにいるのはきっとトコモンじゃない。
タケルの知っている大好きなパートナーデジモンじゃない!気付いたらタケルは叫んでいた。

「やだよ!やだよーっ、忘れられちゃうなんてやだ!絶対やだーっ!そんなのトコモンじゃないもん!」

「なんでそんなこと言えるんだよ、忘れちまったってトコモンはトコモンだろ?おんなじデジタマから生まれたトコモンだろ?
なんにも変らないだろ?そんなこといったらトコモン可哀想だろ!覚えてるかどうかなんてトコモンのせいじゃないだろ!
だからってパートナーデジモンじゃないっていうのかよ、酷過ぎるぞ、タケル!」

「そっ……れは……っ!!でも、でもっ……やっぱり、やだよ、僕」

「ほら、やっぱ内緒にしといてよかったじゃねーか」

「え?」

キョトンとしているトコモンとタケルにようやくこっちを向いてくれた大輔は笑っていた。

「タケルが聞きたがってたことってそれなんだよ。ずーっと内緒にしてたことってそれなんだよ。
トコモンは全部覚えてるみたいだから、もう言っちまうけどな」

「どういうこと?」

さっぱり飲みこめないタケルとトコモンに、大輔はごしごしと目頭をぬぐう。
ようやく追いついたブイモンがバトンタッチして説明してくれる。また大輔は後ろを向いてしまった。

「エレキモンが言ってたんだよ。オレ達デジモンはね、一回死んじゃったら今までのことを覚えてるのかどうかって、
すっごくすっごく運任せなんだってさ。トコモンみたいに全部覚えてるのか、なっちゃんみたいにぼんやりとしか覚えてないのか、
それとも全然覚えてないのか、だーれもその時になるまで分かんないんだって。
だから、オレ達タケルにずっと内緒にしてたんだよ。タケルは生まれてくるトコモンがおんなじトコモンだって信じてたから笑ってたでしょ?
エンジェモンがタケルが望んでくれるなら会いたいっていってたでしょ?オレ達が知ってること話しちゃったら、邪魔しちゃうかもしれない。
トコモンがどうなるのか全然わかんなかったから、ずーっとだまってるしかなかったんだよ。
でも、やっぱり嬉しいよな、大輔。オレ達のこと覚えててくれてさ、ありがと、トコモン。すっげーことなんだよ、これって」

「……そっか。僕達のこと考えててくれたんだね。ありがと」

「大輔もブイモンもすごいねえ。僕が忘れちゃっててもそういうふうに思ってくれるんだ」

ブイモンと大輔は顔を見合わせた。そして、違う違うそうじゃない、と優しいからそういうことを言ったわけじゃないと大輔は否定する。

「嫌に決まってるだろ、そんなの。でもぜーんぶ忘れちゃった方がいいこともあるんだって、俺知ってるんだ。
なっちゃんは死んじゃう前のこと覚えてたからあんな風になっちゃったんだ。だから、嫌だって思うのちょっと変な感じがするだけなんだよ。
だって、俺、エレキモンと約束したんだ。またはじまりの街に逢いに行くって。そんときにいるなっちゃんがどーいうデジモンになってのかなんて、
全然わかんないだろ?なっちゃんかもしれないし、ぜんぜん違うデジモンかもしれないし。そんときまで楽しみにしてるんだ。だからやなだけなんだよ。
変だよなー、なっちゃんとトコモンっておんなじような感じなのに、俺全然違うこと考えてたんだよ。
トコモンはぜーんぶ覚えててもらわなきゃやだって思うんだよ。覚えてなかったら、タケルに内緒でぜーんぶ教えようってブイモンと考えてんだ。
そしたらポヨモンがこんなとこで進化しちまうだろー。もうわけわかんなくなって走ってた」

これで隠し事はおしまいである。タケルと大輔は笑った。ブイモンはふと思い出したように、あわててトコモンのもとに駆け寄る。

「トコモン、トコモン、大変だ。大輔達がね、エンジェモンの顔がみたいって内緒話してたんだよ。
オレ頑張ったんだけど、二人とも止められなかったんだ。ごめん」

「………え゛?」

トコモンの悲鳴が、後から追いかけてくる子供達とデジモン達をびっくりさせることになる。



[26350] 第9話 模擬パラドックス
Name: 若州◆e61dab95 ID:ffc6cacb
Date: 2011/05/04 15:17
新たなる強敵エテモンの圧倒的なパワーの前になす術もなく敗れ去った大輔達は、
トンネルの向こう側にある森でコロモン達と別れた後、砂漠の中を突き進んでいた。
エテモンが追いかけて来ない所まで、と見通しの全く立たない目標に向けて、懸命に歩き続けている。
時折、弱気ともとれる発言がみんなの本意を無自覚に代弁しているミミあたりから漏れるたびに、
穏やかにそれを肯定しながら、やんわりと否定することで循環していたハズのネガティブ思考の打破。
しかし、本来ヤマトや丈から打ち消されるはずの言葉が、「そうであることを願いたい」とか、
「そう思うしかない」とか曖昧な表現に終始し、断言されないことで、中途半端に後ろ向き思想が宙ぶらりんだ。
一番先頭はもちろん紋章を手に入れた太一であり、一番後方はサーバ大陸からサポート役を強化し始めた空である。
マズい、みんな追いつめられている、とみんなの状況を客観的に見ている故の苦悩が、どうにかしなきゃと考える。
みんな、大輔や太一みたいにポジティブシンキングが当たり前だったらいいのに、と思いつつ、
空がサポート役がいたにつき始めた原因は間違いなく、幼馴染みでありツートップの相棒である太一である。
はあ、とため息をついて、歩みは続く。意外と周りを見ているハズの太一が、どういうわけかまっすぐに前を見てばかりで、
一番こう言うときにこそ、ガッツを引き出してもらいたいのに、みんなを引っ張ってくれる言葉がこっちに向いてくれない。
いつもなら、もっと冷静に周りを見て、ちゃんと気を遣っているはずなのに。しかも無意識に。違和感が滲んだ。

「どうしたんすか?空さん」

「なーんでもない。ほら、頑張って歩きましょ、大輔君」

もちろん上級生組のことなんて知るはずもない大輔は、何処までも脳天気だ。
その無邪気さがこの砂漠道中記では、意外と救いだったりする。





第9話 模擬パラドックス





デジメンタルと言う今はデジタルワールドに眠り続けている力がある。
かつてデジモンが進化を知らなかった途方もない昔に、その力を借りて擬似的な進化をする事が出来た種族がいた。
一時勢力を誇ったその種族は、他のデジモン達が進化という岐路に適合し、勢力争いを繰り広げた結果、
一般化していく進化の前に、特権的だった立場が埋没していくに従って、やがて緩やかに衰退していった。
その種族の子孫こそが、古代種と分類されるデジモンの定義である。
また古代種の遺伝子データを持つデジモンを「アーマー進化」させることができる力を持ったアイテムが、
デジメンタルという、その時までデジタルワールドが封印し続けている力である。
デジメンタルは紋章という特定の人物が持つ心の形質を反映したが故に、
持ち主とそのパートナー専用のアイテムであるものとは、決定的に違うところがある。
それは、本来のデジメンタルは、あくまでも擬似的な進化を手助けするアイテムであるため、
特定の持ち主とパートナー専用のアイテムではないという点にある。
それはもともと一つの力、エネルギーに過ぎなかった。
古代種のデジモンであれば、どんな進化経路も選択可能であり、とてつもなく自由で汎用性のあるシロモノだった。
しかし、それ故に進化という新しい選択肢が生まれた時に、古代種はその脅威を微塵も感じなかった。
そのため、成熟期、完全体、究極体と古代種よりも遥かに凌駕するデジモンが現れたときに、
対抗する手段も持つことが出来ず、今まで軽視していた進化というものに適合する前に、
純粋な意味での古代種は緩やかに滅亡の道を進んでいくことになる。
その中でも唯一進化という選択肢に適合することが出来たデジモンだけが、生き残ったのである。
それがブイモン系列のデジモン他、古代種が歩んできた数奇な運命である。
この古代種を復活させる時、デジタルワールドはすでに進化というものに対して、
さらなる力を付与することが出来る紋章というものを確立していた。
そしてその紋章の形質とデジメンタルの力を組み合わせることで、パートナーがいるデジモンに、
さらなる爆発的な力を与えることが出来ることを確認したため、本来デジメンタルが持つとんでもない汎用性を限定し、
パートナーの「もっとも素晴らしい心の特質」が持ち主とパートナー達に力を与えるように、改変を施した。
その瞬間、デジメンタルとデジモンの間には相性が生まれ、無理に相性の合わない物を使うと暴走してしまうデメリットが生まれた。
その代わりに、アーマー進化はかつて淘汰した進化系列に対抗できうる手段として、確立されることになる。

もちろん、そんなこと知るはずもないブイモンは、大輔が太陽みたいだと尊敬の眼差しでもって称した、
太一のタグに収まった紋章を見たとき、強烈な違和感をデジャビュとして感じることになる。
目覚めたばかりでスッカラカンだったチコモンだったときに、ブイモンは確かにそれを見たことがあった。

デジモンデータ
チコモン
レベル:幼年期1
種族:幻竜型かつスライム型
小さくて水色の幻竜型デジモン。へにょりとした一本のツノを持っており、まん丸とした形をしている。
たくさんの竜型デジモンに進化できる可能性を秘めており、テイマーや研究者から珍重されている。
デジタルモンスターで初めて明確に竜と分類されたデジモン。
好奇心が旺盛で、人懐っこい。必殺技は酸の泡。

まだその時じゃないからと取り上げられてしまったデジメンタルは、ブイモンの知っているものでは無くなっていた。
エクスブイモンの鼻先にある刃物みたいなツノがついていて、炎のような赤色と黄色が混在して波打つような
デザインが加えられていた。そしてその中央には、その紋章が刻まれていたのである。
オレンジ色の丸があって、わっかがそれを囲んでいて、8つの三角形が左右対照的に配置された、へんてこりんなものが。
こんな模様あったっけ、とずっと眠り続けていた時にそばにいてくれたデジメンタルの急激な変化に戸惑うチコモンに、
たたき起こしてくれたどこかの誰かさんは、この力がブイモンだけのものになった証だ、と教えてくれた。
何にもしらなかったチコモンは、そっか、と嬉しくなった訳だけども、今こうして紋章は太一のものだと知ったのだ。
心中はお察しください、と言う他ない。これはブイモンがあまりにも早くに目覚めてしまった弊害でもある。
軽いタイムパラドックスを巻き起こしている。
デジメンタルで進化することが出来たなら、きっとかつてとは全く違うアーマー進化を体験して、
パートナーがいるという幸運と共に、好感を持って受け入れられた訳だが、今ブイモンがここにいる理由は、
純粋に大輔のパートナーデジモンだからと言う一点に集約されている。
そのデジメンタルは確かにブイモンのために用意されたものであり、確かに大輔とブイモンのものである。
そしてこのパートナーは元祖となる紋章の持ち主とは全く違う形ながら、確かにその紋章が意味する心の形質を秘めている。
もっともそれはあくまでも一面に過ぎず、大輔のもつ心の形質の一側面にしか過ぎないし、
デジメンタルの本質上それでも一向に構わないのである。だから。
紋章がデジメンタルの紋章とは違うのだという、一見すると訳の分からない事態となっている。
この誤解が解けるのは残念ながら3年の時を待たなければいけないわけだが、とりあえずブイモンは拗ねていた。

「紋章かあ、どんなんだろうな?ブイモン」

灼熱地獄なんてもろともせず、デジヴァイスの下にぶら下がっているタグを見つめて、
好奇心旺盛な想像力はあれやこれやと想像しては笑っている。
まさかあの紋章を見たときに、大輔のだ、と思っていたとは言える訳もないブイモンは、内心複雑な心境で、
隣を歩いていた。

「太一の紋章に負けないくらい、ずーっとずっと、カッコイイ紋章に決まってるだろ、大輔」

「あはは、なんだよそれー」

「ぜーったいそうだってば」

そうじゃないと嫌だ。絶対嫌だ。デジメンタルと引き離され、取り上げられて、ずっと傍にあったものを、
封印されてしまったときとおんなじ感覚がめぐってきて、ブイモンは手を握りしめた。
また取り上げられてたまるか。オレの一番大好きな大輔が持ってる紋章は、きっときっと素晴らしいものなのだ。
誰にも負けないくらい、誰にも取られたりしないくらい、世界で一番素晴らしいものなのだ。
だってブイモンが今ここにいる理由は、本宮大輔というパートナーがいるからこそなのだから。
もしかしたら、大輔は紋章を持っていないのではないか、なんて恐ろしい想像を打ち消したくて、
ブイモンは懸命に会話に夢中になった。もちろんそれは完全なる杞憂であり、勘違いなのだが、
残念ながら現時点に置いて、それを知るすべはない。

「今度は早いといいな、見つかるの」

「ぜーったい、早く見つけようね、大輔」

「おう。進化すんの遅かったもんなあ。みんな俺たちが頑張ってるんだって、分かっててくれたんだ。
今度こそ、みんなのために頑張りたいよな」

いつだってパートナーとパートナーデジモンの見つめる世界は、ほんのちょっぴりずれている。





そして上級生組と下級生組はさらにずれている。

大輔達がたわいもない会話で盛り上がっている最中、
上級生組は太一の持つ紋章と進化の関連性について、あーだこーだと難しい話を展開している。
進化の条件は、デジモンが膨大なエネルギーを使うこと、腹ぺこではないこと、
そしてパートナーに危機が迫ったときであると光子朗が言及すれば、なるほど、と上級生組は頷いた。
未だにゲンナイという老人を信用できるのかどうかという重大な事項は、みんなの中では保留のママだ。
太一だって大輔の話は嘘はないだろうが、信用できるかどうかは別の話なので棚上げ中なのだ。無理もない。
しかし、メンバーの中で唯一紋章を持っているという事実が、
太一にある天然リーダーのいいところを奪い去ってしまっている。
いつもなら元気出せよ、そんなこと言ってたってしょうがねーだろ、とあっけらかんと笑い飛ばすおおざっぱさが、
らしくなく、進化という謎への追究となって話題に上る。いつもならみんなの前で、こんなこと堂々と明らかにしないのに。
それが分からないものが多いという現実をみんなに突き付けているとも知らず。返って不安を煽っていると気づけない。
会議に参加していない、タケルやミミ達が世間話で盛り上がっている間でさえ、実は聞かないようにしているだなんて知らないまま。
大輔の場合は、意図的にブイモンが遠ざけるために大輔に積極的に話しかけているだなんてしれないまま。
そして、もっとよく考えろよ、と言うヤマトの忠告が、サーバ大陸に行くときの会議で、
みんなを説得することが出来なくて、結局最年少組がいく、と言ったことが決定打になり、何にもできなかったと
こっそり気にしていた太一の心に、実は深く突き刺さっていたことなんて、誰も気付いてなんかいないのだ。
いつも意識していないことを意識するとおかしくなることは、太一だって大輔の件で分かっていたのだが、
なんだかんだでうまくいった。上級生から下級生の関係性、大輔と太一の関係性だからこそ、あらゆる偶然が折り重なって
なんとか歯車がかみ合ってうまくいっただけに過ぎないのに、前例が出来てしまった。
今の太一は、焦っているのを自覚していて、どっかおかしくなっていることを自覚していながら、
何とかなるだろうと言う根拠無い自信の元で、なんとかリーダーを頑張ろうとしている、と言う
かなり危うい位置にいる。その焦りをもろに被るのはパートナーとして新たな進化が過剰に期待されるアグモンである。
パートナーとパートナーデジモンの気持ちが一つになってこそ、デジヴァイスは進化の光を放つ。
さらに紋章という第3の介入が入る。今まで以上にエネルギーも気持ちもひとつにならなければ、
待っているのは。誰もしたことがない完全体への進化など不安で不安でしょうがないにきまっているのに、
太一からかけられる言葉は「進化する」じゃなくて「進化させる」という言葉である。
アグモンはのんびりやさんで、マイペースに世界を見渡し、一番大切なモノを感覚で拾い上げることが出来る、
とっても素晴らしいデジモンなのだが、彼はパートナーである太一が一番大好きなのである。
パートナーデジモンは、共通して、パートナーであるえらばれし子供に真っ向に反抗することが出来ない。
逆らうことが出来ない。疑問すら覚えないまま、それほどまでに献身的である。それが存在意義だから。
大輔の時は、間違いを正してくれる上級生という立場の人間がいたが、その上級生が間違いを犯したとき、
恐ろしいことに、本人だけしかそれに気付いていなかった場合、止めることが出来るのは誰もいないのである。
出来るのは本人だけである。それが顕著になるのは、すぐそこまで迫っていた。


「オアシスが見えたぞー、休憩しようぜ」

太一の言葉に、はーい、と大輔は返事した。











オアシスは大きな大きな日陰を作ってくれている。
豊かなわき水をたたえている泉の近くで休憩を取ることにした子供達とデジモン達は、
思い思いの場所でご飯を食べることにした。太一達の所からご飯をもらってきた大輔は、
はっやーく!と食い意地を張っているパートナーデジモンの所にかけだした。
すっかり腹ぺこである。パンとりんご2つを持ってきた大輔に、えー、とブイモンはあからさまに顔をしかめた。

「大輔、大輔、オレチョコ!チョコ食いたーい!」

ハンバーガーとかコッペパンとか主食となるものがまだ食料としてあるにも関わらず、
ブイモンはいつでもチョコレートをねだる。生まれて初めて半分こして大輔と食べたからもあるだろうが、
もともととんでもない甘党にため息一つ、確かにチョコレートはエネルギーになるとか言うが、
腹持ちがいいものを食べないとダメだと却下されてむくれたブイモンは、ううううう、と涙目である。
そしてチビモンを思い出させる、こちらが悪いことをしているのではないかという罪悪感と後ろめたさを抱かせる、
庇護欲を煽る声で、だいすけーっと涙を浮かべて見上げてくるのである。もはや名演技にも程がある。
相変わらず大輔は極端に弱かったが、こうもいつもいつも乱発されると、いい加減耐性も出来てくる。

「だーもー!ダメなもんはダメなんだよ!怒られんの俺なんだから」

いつもこうだ。大輔がご飯はご飯、おやつはおやつ、と比較的保存が利くお菓子類は非常食となっている、
そういう決まりなのだと説明するたびに、この押し問答は繰り広げられてきた。
それに加えてブイモンはとんでもない大食いである。かわいそうだからと言ってあげてしまっては、
あっという間に袋の中が空になってしまうことを知っている上級生組から、チョコレート禁止令を
言い渡されている都合上、滅多に食べられない貴重品である。大好きなものが腹一杯食べられない苦痛である。
かわいそうに、ブイモンはすっかりがっくりと肩を落として、めそめそと泣いていた。矛先は何処までも大輔である。
時々、ちらちらとこっちを見ては、かわいそうになって持ってきてくれないカナーという魂胆が見え見えである。
何度もおなじめに引っかかるほど大輔はバカではない。
我らが相棒は、一つのことを達成するためなら、とんでもなくしたたかになることを大輔は誰よりも知っていた。
ちなみに大輔のリュックの中にある食料からは、すべてチョコレートに関する品物はただちに、
タケルの白いリュックの中に移転されている。その事実をブイモンは未だに知らない。
ほら、これ食えよ、と半分こしたパンを差し出されたブイモンは、お腹がすいているのは事実なので、
渋々口の中に放り込むことにした。あれ?

「大輔、これなに?」

一口で食べてしまったため、さっぱり分からないが、ただのコッペパンにしては甘いような。
というか口に広がるこの甘みと独特の粘っこい風味は、ブイモンの知っているチョコレートよりも、
ずっとずっとふわふわしているが、なんか甘い。しかもおいしい。なんだこれ。なんか挟まってた?
しまった、もっとじっくり味わって食べればよかったー!と後悔したが後の祭りである。
ハテナマークが飛んでいく相棒に、大輔はイタズラ成功とばかりに笑った。

「美味かっただろ、チョコレートクリームはさんであるやつ」

ほら、と見せてくれたそれには、確かにちょっと生クリームが混じっているために、
柔らかい色をしたチョコレートがはさんであった。大輔からすれば、明らかにこれはご飯ではない。
おやつの時に食べるようなやつである。あるいは小腹がすいたときに。大輔はブイモンほど甘いもの大好きではない。
まさかの気遣いの不意打ちである。なんで言ってくれなかったんだよう、と
遅れてきた感動をかみしめられない不運をブイモンは嘆いた。
大輔は笑ってまた半分こにしたそれを渡してくれた。
え?いいの?と思わず聞いたブイモンに、照れくさそうに頷いた大輔である。

「だいすけええ!」

後ろから飛びついたブイモンの反動で、落っことしそうになったパンを慌てて受け止めた大輔は、
なにすんだよ!と叫んだ。
こう言うとき、正面から抱きつけたらこれ以上ない愛情表現になるのに出来ないもどかしさである。
ブイモンは大輔におぶさったまま、食べることにしたらしかった。

「チョコって固まりじゃ無いんだ」

チョコチップクッキーとか練り込んであるやつとか、板のチョコレートしか知らなかったブイモンには、
衝撃の事実である。どんだけバリエーションがあるんだチョコレート。恐るべしチョコレート。
人間の食べ物の種類の豊富さはハンパない。
デジタルワールドだってそこまで食を追求しているやつは、指折り数えるほどしか無いだろう。
無性に大輔の世界がうらやましくなったブイモンである。そんな相方に意地悪な大輔はいろいろと教えてくれた。

「そんなことで驚いてたら、俺たちの世界来たら、お前幸せすぎて死んじゃいそうだな」

「え?」

そんなこと、だと?!ちょっとまってそれどういう意味。硬直するブイモンに、大輔はいう。

「ココアとかケーキとかあるしなー」

「ココアってなに」

「えーっと、なんだっけ、チョコレートとかして、あったかくして、のむやつ」

厳密にはホットチョコとココアは別物なのだが、小学校2年生が知っているわけもないので、ご愛敬。

「の、のんじゃうの?あっためちゃうの?なにそれ、なにそれ、おいしいのかっ!?」

「俺は牛乳無いと飲めないけど、姉貴は普通に飲んでるし、ブイモンなら大丈夫かもな」

「えええええ」

ちなみに大輔の頭の中では、コーヒー牛乳とホットチョコとココアがごっちゃごちゃになっている。
まったく未知の世界である。全然想像することが出来ないブイモンは、目をぱちくりさせるしかない。
行きたい行きたい大輔の世界。大輔が生まれてきた世界。ずっと育ってきた世界。
きっとそこはブイモンが知らないものがたくさんたくさんあるのだろう。
もっともっとチョコレートの話が聞きたいとねだるブイモンに、大輔はしかたねーな、と
笑いながら教えてくれる。すっかり置き去りにされているりんご2つ。
盛り上がっている大輔とブイモンに、水を差す人物が現れた。

「よう、大輔、ブイモン」

「あ、太一先輩。どうしたんすか?」

「お前ら、りんごくわねーのか?」

「え?あー、ブイモン、いるか?俺いらねーや」

「オレもいらなーい」

「ならいーよな、もらっても」

「どーぞ」

「太一食べるの?食いしんぼだなあ」

「お前がいうなよ」

ぺしっと右肩越しに叩かれたブイモンは、えーなんで、と口を尖らせた。、
太一の腕の中には、ありったけのご飯が抱えられている。
ハンバーガーとか、コッペパンとか、果物とか、色んなものが入っている。何食分だろうか。
みんなが食べられなくなったものを回収しているのかな、と上級生組の大変さを垣間見た大輔は、
はい、とりんごを2つ手渡した。さんきゅー、と受け取った太一の紋章が風に揺られて翻った。
ブイモンはそれが目に入らないように、意図的に大輔の上に登ろうとし始める。
おわああ、なにすんだよ、と何にも知らない大輔は、肩車できるほどの体格差が無いのでぐらつき始める。
やめろってば、とくすぐったくて抵抗する大輔とやーだと拗ねたまま構ってくれとばかりに、
過剰なスキンシップを試みてくるブイモンである。微笑ましい後輩達のやりとりを見ながら、太一は笑った。

「お前らからもらった貴重な食べ物は、ちゃーんとアグモンに届けてやっからさ。
そのアグモンに向けられてる期待、ちゃんと伝えとくからな」

「え?」

たったった、と駆けていった太一に、ようやく違和感を覚えた大輔は遠ざかる背中を見つめて首を傾げた。
働かざるもの食うべからず、という難しい言葉が通り過ぎていく。珍しい構図である。
ふり返ると、ハンバーガーを取られてしまったゴマモンがしょぼくれていて、丈が励ましていた。
食べている途中のご飯でも、まだ口を付けていないものを太一は、みんなから回収していっているのが見えた。
アグモンはといえば、普通にご飯を食べている。紋章が手にはいるとお腹がすくんだろうか?というか。
食料の分配の役目を担っている太一からそんなことを言われては、みんな断れるはずが無いのだ。
明かな職権乱用を見た大輔だが、どっかおかしいと気付いたばかりで、どこがおかしいか分からない。
太一はいつも通りの太一を見せていたため、直感でしか分からない違和感である。

「アグモンが食べるんすか、太一先輩」

つぶやかれた言葉は、本人の耳には届かない。アグモンってブイモンほど大食いだったっけ?

「なあ、ブイモン、初めて進化した時って腹減った?」

「え?あーうん、すっげー減ったよ、腹ぺこで死にそうだったよ、大輔」

「そうなのかー、ごめんな、全然気付いて無くって」

「いいんだよ、そんなこと。それどころじゃ無かっただろ?大輔」

「うん」

「だからいいんだよ」

それより、とブイモンはささやいた。

「なんでみんな何にも言わないんだろう?大輔の時には、いっぱい注意とかしてくれたのにね」

言われてみればそうである。
大輔があたりを見渡してみると、みんな太一のことが気にかかるのか、アグモンとのやりとりを見ている。
それなのに、きっと大輔が何となくしか感じ取れていない違和感を、きっと具体的に気付いているはずのヤマトとか、
空とか、丈とか、だれも太一に対して言おうとはしていないのだ。
何でだろう?うーん、と考えるが分からない。下級生である大輔は分からない。
上級生組は、水面下で熾烈なリーダー争いの火種が燻り始めていて、まだ目に見える形では表面化していない。
唯一諫められるであろうその争いの圏外の空は、ネガティブ思考が蔓延しているメンバーの空気をよくする方策に
必死で没頭しているせいで、なかなかそっちにまで手が回らないのである。明らかにサポート役が足りない。
だから、もし現時点で太一に対してヤマトや丈が注意したところで、恐らく燻りつつある火種は、
豪快に爆発してしまうだろう爆弾を抱えながら、サーバ大陸をみんな冒険しているのである。
確実に禍根が残る。メンバー離脱が目に見えている。それならあえて触れない方がマシである。
内部分裂が意味するものは何か。そんなもの言わなくても分かっている。全滅である。バッドエンドである。
下級生組はなんとなく太一の異変に気付いてはいるものの、大輔のように具体的な説明が出来るほどではない。
分からない。だから、きっと太一と話したところで中途半端になってしまう。それでも結局太一との間に亀裂が入るのだ。

太一がリーダーみたいなことが出来るのは、言葉が足りなくて、配慮が足りない所を
しっかりとサポートできる存在があってこそちゃんと機能する。
状況とタイミングが最悪だったと言っていい。なるべくしてなったと言っていい。
大輔は、太一の孤独を見た。なんとかしようとした。だって、なんか、嫌だったから。

でも、それを止める手がある。ふり返ると、行かない方がいいわ、と首を振る空がいた。
空からすれば、大輔はたしかに太一に対して禍根を残さない有力手の一つだろうが、
この子はまだ幼すぎる。太一のことをきっと理解しきれない。喧嘩して仲直りしたのは知っているが、
太一の抱える問題は、大輔には絶対に理解できないものである。太一も大輔も対立したら容赦ない。
以前の喧嘩とは全く質が違うのだ。以前は話から察するに喧嘩両成敗かつ太一の方に利があった。
小学校5年生が小学校2年生に問題を指摘されて見ろ、それはきっとこれ以上ない屈辱である。
確実に先輩としてのプライドがずたずたになる。いつもの太一なら構わない。一向に構わない。
本宮大輔という少年は、むしろ空からの差し金で送り出してもいいくらいの安全物件である。
でも今の太一はいつもの太一じゃないのだ。、
怒りの矛先は間違いなく、確実に、本来問題を指摘されるべき下級生である大輔に向かう。
可愛い後輩が火の中に飛び込もうとしているのを黙ってみていることが出来なかったのだった。

大輔の中で、これ以上無いほどの最高の抑止力だった。太一が尊敬するサッカー部の先輩となったことで、
ジュンお姉ちゃんとの問題が何にも解決していないにも関わらず、無理矢理行った自意識改革は
自動的に大輔の世界を崩落しつつある。世界を支えているのは、空に対する依存度である。
たちの悪いことに、大輔は空に極端なまでに依存しつつあるにもかかわらず、
相変わらず理想のお姉ちゃんしか必要としていないから、空に対しては何の負担ももたらされておらず、
しかも空自身は可愛い後輩からどういう風に見られているのかなんて、一㎜たりとも知らないのである。
初期の太一と大輔のような有様である。盲信は自殺行為だが、大輔は気付いていない。
だって、空には迷惑だなんて言われていないから。

だから、大輔はやめてしまった。ブイモンは大輔とおんなじ世界しか知らないから、興味がないから、
大輔がやめてしまうなら興味はすっぱりなくなってしまう。
ただでさえ、ブイモンにとって、太陽の紋章は心がとってもざわつくのだ。みたくないのだ。取られてしまうから。
仲間思いの性質は、結局のところ大輔ありきで構成されているに過ぎない。
パートナーデジモンはみんなそうである。パートナーが世界の中心でまわっているのだから、
何処までも優先事項は大好きな大好きなパートナーである。
まあそれが結果として大輔を傷つけてしまうと知ったから、ブイモンは頑張って色んなことをしている訳だけども。
だからブイモンは忠告する。そしたらみんなと繋がれるし、大輔から頼りにされるし、一石二鳥である。

「大輔、太一ってあんなやつだっけ?」

「ちがう。もっともっと、俺たちに優しいんだ。お荷物なんて言ったりしない。絶対に一人で戦わない。
もっと・・・・・・」

「ならなんで行かないんだよ」

「だって空サンが」

はあ、とブイモンはため息をついた。結局まだまだ大輔の一番になるのは先が長そうである。
突如、立ち上がった丈がタグが光り始めたと叫んだ。
みんな驚いて立ち上がったのでうやむやになってしまった。
望遠鏡を見た太一が、コロッセオを模した闘技場を発見する。悲劇まで、秒読み段階に入っていた。



[26350] 第10話 不都合な進化
Name: 若州◆e61dab95 ID:7e8fa696
Date: 2011/05/06 14:26
古代ローマにおいて剣闘士競技などの見世物が行われた施設が、砂漠のど真ん中に姿を現した。
中央の空間を観客席が取り囲み、全体的には楕円形の構造を持っている円形闘技場、イタリアのローマにあるはずのコロッセオである。
大きなアーチが沢山あって、それをくぐり抜けた子供達とデジモン達は、点滅している丈のタグを頼りにここまでたどり着いた。
でも、矢印が出ているわけでもなく、近づくにつれて光が強くなったり、点滅の間隔が小さくなるわけでもないタグである。
この無駄に広大なコロッセオをどう探せばいいのか、全然分からない。
うーん、とみんなが考えながらとりあえず、と中央を目指して通路をくぐり抜けた先で待っていたのは、どういうわけか、
日本のプロのサッカー選手が試合をしていそうなくらい広大なサッカーのフィールドが現われた。
不自然にもほどがあるのだが、もうデジタルワールドは何でもアリである。頓着する人間なんていやしなかった。
丈とゴマモンはタグの反応が気になるのか、休憩もしないであちこち歩き回っている。

そしたら、ころころと転がっている白と黒のボールを発見したツートップの方割れは、これだ!と思って、拾い上げ、
ずーっと歩き続けていたせいで、へとへとで、休憩中だったみんなに、ボール片手に笑いかけた。

「ねえねえ、みんな、サッカーしない?」

スポーツでもして気分を紛らわせればいいんじゃないかしら。空は満点の笑みである。
フィールドはあるし、ボールもあるし、ゴールもちゃんと2つある。これ以上ないくらい最適な環境が整っていた。
しかも子供達の中では、サッカー経験者が4人もいる上に、小学校のカリキュラムで1度は絶対にしたがあるスポーツなんて、
数えるほどしかないし、ルールだって浸透しているのはこれくらいだろう。
息抜きには最適だろう。ずーっと気が滅入っていたのだから。子供はやっぱり遊ぶのが一番である。
サッカーって何だ、とパートナーデジモン達が疑問符なので、ちゃんとルールを説明したら、みんな乗り気になってくれた。
あとはいつもみたいに太一が、我先にとボールを横取りして、蹴り始めれば始まりである。
流石にいつもと様子が違う太一だって、サッカーである。ボールを見ればきっといつもみたいに戻ってくれるはずだ。
そう思っていた空だったのだが、彼女が考えている以上に、孤独に追いやられていた、余裕を無くしていた太一は、追いつめられていた。
やるやる、とみんながやる気を出し始めたころ、ボールを置いた空の横を、駆けていく風がある。
どごっと豪快にけり上げられたボールは、あっという間に観客席に放り込まれ、見えなくなってしまう。
空のせっかくの気遣いが台無しである。唖然とするみんなに、とんでもないことをした少年は、いらだった様子で怒鳴り付けた。

「こんな時にサッカーとか、何考えてんだ!もっとみんなちゃんとしろよ!エテモンに追われてんだぞ、俺達!
紋章を探すのが先だろ!そんで、丈の紋章見つけたら、すぐに出発だ。また襲われちまってもいいのかよ!」

「流石に言い過ぎだぞ、太一、ちょっとくらい休んだっていいだろ」

「なんだよ、ヤマト!紋章持ってる俺にはちゃんとしろって、もっとよく考えて行動しろって言ってるくせに、
お前はみんなと一緒にサッカーして遊ぶつもりかよ、ふざけんな!俺だけに全部押し付けといて、ずるいのはお前だろ!」

「……え?お、おい、太一、何言ってんだよ?考えすぎだぞ。俺はそういうつもりで言ったんじゃないって、落ちつけよ」

「落ち着いてるよ!」

ここでようやく、自分の忠告が返って太一を追いつめていたのだ、と気付いたヤマトは、慌てて太一の所に行って、
説得を試みる。ごめん、と親友に謝られてしまった太一は、ちょっとだけ落ち着いたのか、自分の失言に気付いてみんなに謝った。
何やら離れたところでみんなが不穏な空気だと察したらしい丈が、そんなに元気があるんなら、紋章探しを手伝え、と
太一を名指しで呼んだ。せっかくサッカーをやろう、と観客席の方にボールを取りに行こうとしていた太一は、まじかよ、と涙目である。
しばしの和やかムードがサッカーを再開させることになる。いつまでたっても見つからない紋章探しに根を上げた太一が、
丈達をひきつれて、仲間に入れろとみんなの所に駆け寄り、デジモンチーム、子供達チーム、は反則級の守備範囲を持つ、
鉄壁のゴールキーパーのパルモンを突破することができず、0対0の大苦戦を強いられていたので、強力な助っ人は大歓迎された。

しかし、つかの間の憩いの時間はすぐにかき消されてしまう。電光掲示板に映し出されたエテモンが、サッカーゴールを操作して、
待っていた子供達を中に閉じ込めてしまったのである。アミはたちまち電流の流れた脱出不可能の牢獄と化す。
選ばれし子供達は、囚われの身である。唯一ゴールキーパーと戦っていた太一だけが自由な身となっていた。
そして、召喚されたのは、エテモンに屈することなく抗い続けたために、首にダークケーブルを巻かれてしまったため、
無理やり洗脳状態となっており、遠隔操作で玩具のように扱われているグレイモンである。
使うものは死ぬまで使うという恐ろしい合理性が反映されていた。
同種族との戦いの強要である。素晴らしいお膳立てでしょ?ゆっくり鑑賞させてもらうわあ、と観客気分全開のエテモンは、
ブルーハワイを呑みほした。傍らでは大きなうちわで風をあおっているガジモンがいる。
真っ赤な闘争本能に任せて、ゴールに閉じ込められているみんなに、グレイモンが襲いかかる。
太一は、慌てて、アグモンと共に個人による防衛戦を強いられることになった。なりを潜めていた焦りが復活する。最悪な形で、戦いは幕を開けた。





第10話 不都合な進化





手を掴まれた。びくっと肩を揺らした大輔は、振り向いた。

「大輔」

燃え上がるような真っ赤な眼差しが見上げて来て、大輔の言いかけた言葉をかき消してしまう。
まっすぐに見上げてくる相棒が怖くて、言い淀んだまま、大輔は目をそらすが、ブイモンはそれを許さない。
凛とした声が大輔を射抜いている。震える手を掴んで、ブイモンは、なあ、と呼びかける。
音が消える。ブイモンの言葉以外何も聞こえなくなってしまう。空白の世界で、ブイモンは言い放った。

「大輔は、オレになんかあったらどうする?」

大輔は大きく目を開いて、ブイモンをみる。

「んでっ……なんでそんなこというんだよっ……!こんな時に!」

「答えろよ、答えてくれよ、大輔」

「………ま、守る。守るよ、俺がブイモンを守るに、き、まってんだろ」

しりすぼみになっていく言葉は大輔の揺れている心を反映している。言いきれないもどかしさがちっぽけな自分を自覚させる。
しかし、どこまでも正直な少年は、嘘をつくことがとってもヘタな少年は、自分に嘘をつくことがとっても苦しくなって、
たぶん、と小さくこぼしてしまった。はっとなって、あわてて取り繕おうとする。ちがう、そうじゃない、さっきの嘘!
もし大輔がブイモンだったら、そんなこといわれたら、きっととっても不安になってしまう、と気付いてしまったから。
案の定、とっても悲しそうな顔をしているブイモンは、苦笑いしていた。

「多分?多分ってなんだよ、大輔。絶対って言ってくれよ、こういうときくらいさ。
ホントに大輔は嘘がヘタだよね、嘘つくときくらい、カッコいいこと言えばいいのに」

「うっ……うるせえ!お前が変なこというからだろっ!なんでそんなこと聞くんだよ、なんでそんなひでえこと聞くんだよ!
出来ねえよ、出来る訳ないだろっ……!もし、お前が今のお前じゃなくなって、すっげー怖いデジモンになっちゃって、
すっげー凶暴なデジモンになっちゃったとしても、お前を、ブイモンを倒すなんて、絶対できないだろ!してたまるかよ!
だけど、みんな太一先輩のパートナーなのにっ、グレイモンだったのに、平気で攻撃してるじゃねーか!
みんなそうしてるじゃねーか!ホントはやだよ、こんなことしたくねーよ、でも俺だけだろ、そんなこと悩んでんの、俺だけだろ?!
カッコ悪いじゃねーか!だからみんなとおんなじようにしようとしてんのに、何で邪魔すんだよ!こんなのって、どうしたらいいんだよ!」

手を振りほどいた大輔は、心の叫びを吐き出した。
攻撃を躊躇するのも、迷ってしまうのも、決心がつかないのも、すべては大輔の持っているいい所の裏返しである。
どんなときだって、直球で相手のことを理解しようと、受けとめようとぶつかろうとする心遣いの裏返しである。
しかし、これはとっても分かりにくい大輔のいい所である。
本人ですら、訳の分からないものから逃れるためにもたらされたものだ、と誤解しているせいで、大嫌いな所になってしまっている、いい所である。
だから周りのみんなと比べてしまった時に、とってもちっぽけな自分だと、カッコ悪い自分だと、勘違いしてしまう、弱さだと勘違いしてしまう、
直さなくちゃいけない所なんだと誤解してしまう危険を常にはらんでいる。ものの見事に大輔の心理は迷走しつつあった。
それを射抜かれたのだ、大輔からすればたまったものではなかった。だから悲痛になる。見ないでくれ、とお願いしたくなるくらい。
大輔はすっかり自信喪失に陥っている。必要も無い過小評価に陥って、無理に背伸びしようとしている。かつての大輔のように。
でもブイモンはそれを許さない。大輔の紋章だと思っていたものが太一の紋章だと思い知らされたから、大輔にしかないもの、大輔だけが持っているもの、
かけがえのないモノを探して、見つけて、絶対に取られないものがそれだと気付いたから、安心したいから、それをつぶそうとしている大輔を見ると、
とてもではないが、我慢できないのだった。すべては大輔のためである。そうじゃなかったら、わざわざ傷付けるようなこと選んで言わない。

みんな、わかっているのだ。戦わなくちゃいけない時があること、そしてそれが今まさに今であることを心のどこかで理解している。
グレイモンだったデジモンを信じて、パートナーデジモンを信じて、きっと元に戻ってくれると信じて、立ち向かわなくちゃみんな死んじゃうのだ、と
何にも考えなくても分かり切っていて、他のことなんて考えていられないほど必死なのである。
そんな背中に守られる立場である大輔が、置いてきぼりにされている!と焦るのも無理はない話である。
みんなの姿やパートナーデジモンの雄姿に、あたりまえのように受け入れられている雰囲気と状況に引っ張られて、あおられて、
気付かないうちに自分の考えていることがいけないことなんだと、間違っているんだ、と思い込んでしまいかけていた。
守られる立場でありながら、みんなと一緒に戦うことが出来るというこの上なく中途半端な大輔の立場が、尚更迷走させるのだ。
守る立場のみんなみたいに、必死で他のことが考えられない訳でもなく、一番大切なことを優先順位が付けられるほど現実が見えているわけでもなく、
守られる立場のタケルみたいに、完全なる傍観者、観客にしかなれない、応援することだけを考えていられる余裕を抱えていられるわけでもなく。
でもだからこそ、見えてくるものがある。ぽつりぽつりと大輔はこぼす。

「グレイモン、かわいそうだよ」

本能的に逃げようと背を向けた敵のグレイモンがグレイモンだった何かによって、なすすべなくぶっ殺された不条理を大輔は見た。
逃げようとしたということは、もう既に大輔達やグレイモンだった何かに対して、戦意を喪失して、逃げ出そうとしたということは、
もうそれ以上に戦う必要はないということである。決着はもうついているのだ。
大輔は初めて見たのである。敵だったけど、もう敵ではなくなった、ただのグレイモンになったデジモンが、ぶっ殺されるという、
大輔の言葉を借りるとすれば何にも悪くないデジモンが、尊い犠牲者になってしまったという残酷すぎる所を見たのだ。
加害者から被害者になって、しかも死んじゃったデジモンを初めて見たのである。幼い心にはこれだけでも相当な苦痛である。
そんなこと、みんなの前で言える訳がないだろう。ぶっ殺したデジモンは、太一のパートナーデジモンなのである。
そしてそのパートナーデジモンは、初めてタグを介した超進化を遂げたにもかかわらず、太一に対して攻撃する、
コロッセオを破壊する、仲間達を傷付ける、なんて無茶苦茶なことを今まさに行っているのである。
エンジェモンの比ではない、まさしくおかしくなってしまったのだ。きっとどっちも悪くない。不条理極まりない現実である。
大輔は混乱する。敵だったグレイモンは首になんか巻かれていたから、それを取っ払ったら大人しくなったんじゃないか、とか、
助けられたんじゃないか、殺さなくてもよかったんじゃないか、とか、いろいろ考えてしまう。
でもそれは、尊敬する太一先輩とアグモンを責めることになってしまう、非難することになってしまう、
きっと一番ショックを受けているのは太一先輩と、パートナーデジモンであるアグモンだった何かであるのに、追い打ちなんて掛けたくない。
だから必死でみんなの真似をして気付かないようにしようとしたのに、真っ赤な目が許してくれなかった。

「でも、タケルの奴、偽物だっていうしっ」

コロモンの村を見たのだから、察しのいいタケルだったら、野生のグレイモンとかアグモンとか沢山いることくらい、
気付いている筈なのに、全然大輔みたいに混乱したり、迷ったりしていないと傍から見たら見えてしまうのだ。
むしろ敵のグレイモンと太一のグレイモンの一騎打ちの時、偽物なんかに負けないで、なんてとんでもないことを言い放ったのだ。
大輔はショックだった。悩んでいるのはじぶんだけじゃないか、と追いつめられてしまったのだ。
もちろん、パートナーデジモンが幼年期であるタケルは、守られる立場を全力で頑張るしかない状況下に置かれている。
見ているしかない自分を何とか支えるために、敵のデジモンは偽物だと思い込むことで、その不条理から逃れる防衛手段を講じているだけである。
所詮殺したのは太一のパートナーデジモンである。タケルとトコモンには関係ない話である、と諦めの名人は無意識に判断を下して今に至る。
まだ幼年期のパートナーがそういうことをする可能性があることなんて、想像もできない。まだ、いつか、は考えなくてもいいのだ。
でも大輔は出来る。ブイモンはエクスブイモンに進化出来る。
いつかブイモンがそういうことをするかもしれないし、これからの旅でそういう状況下におかれることに気付いてしまった。
残酷なほど対比的な二人である。

「それでいいんだよ、大輔」

握ってくれるぬくもりがある。うつむいたまま、目を見開いた大輔は、ぎゅっと目をつむった。そして首を振る。

「……なんだよ、それ」

そのままでいいんだ、と受け止めてくれるブイモンの手を振りほどける訳もなかった。

「大輔がそれを忘れないでいてくれるんなら、オレはきっとあーいうふうにはならないよ、絶対ね」

ブイモンは、みょうにはっきりとした声で断言した。そして、笑った。
デジモンシリーズにおいて、唯一暗黒進化を免れたパートナーデジモンは、にっこりと笑った。
この試練がないということは、きっとこのパートナーは尊敬する太一のような立派なリーダーにはなれないだろうな、とブイモンは思う。
英雄にあこがれる、絶対に英雄になれない少年は、なんだよそれ、と戸惑いながら困ったような顔をしている。

「大輔が戦えないなら、オレが理由をあげるよ、大輔」

「りゆう?」

「大輔、覚えてる?サーバ大陸からきた、とっても強いデジモン。レオモンとオーガモンがやっつけてくれたデジモン。
あいつなんだよ、大輔。アグモン、そいつに進化しちゃったんだ。アグモンがかわいそうだよ。きっと止めて欲しがってるよ。
ファイル島、オレ達の故郷を、むっちゃくちゃにした、みんなが怖がってた、嫌われてたデジモンになっちゃったんだ。
しかも太一とか大輔とかみんなに怖がられてる。パートナーから嫌われちゃったら、オレ達きっと死んじゃうより辛いんだ」

だからオレ達、こいつだけは知ってるんだよ、どんだけヤバい奴か。ブイモンは言った。

ブイモンの言葉をきいた大輔は、あれ?と思った。
コロッセオに響き渡る畏怖の咆哮が、さっきまで怖くて怖くてたまらなかった叫び声が、どういうわけか、
泣きじゃくるアグモンの声にしか聞こえない。大輔の耳には、そう、克明に焼きつくことになる。もちろん、気のせいにすぎないが。





デジモンデータ
スカルグレイモン
レベル:完全体
種族:アンデット型
メタルグレイモンと対をなす存在。全身の肉が堕ち、デジコアが大きくむき出しになった骨だけになってしまったデジモンである。
戦うことに執着したデジモンが、肉体が滅びたにも関わらず、闘争本能だけで生き続けた結果、このような姿になってしまった。
闘争本能以外の感情は肉体と共に滅んでしまったため、知性のかけらも無く、他のデジモン達にとってその存在は脅威である。
知能あるものにとって、本能に生きる魔獣は恐怖でしかない。
普段はアグモン、グレイモンと同様の緑色の瞳をしているが、戦闘本能に支配されると、その瞳は真っ赤に染め上げられる。


デジモンシリーズにおいて、パートナーの心の在り方が求められるものと違った時、
制裁もしくは罰則として現れる暗黒進化の元祖エピソードの先駆となったスカルグレイモンは、仲間達の攻撃などもろともせずに凪ぎ払う。
間違った進化の象徴は、どこまでもどこまでも強かった。そして、完全体へのトリガーとして、わざと敵のグレイモンの所に飛び込んで、
挑発して、襲われそうになって置きながら、助けろって、進化しろって強要した太一の心に深く深くトラウマとして抉りこむことになる。
グレイモンが進化しようとした時、心にあったのはなんら気持ちの昇華を伴わない、進化という力に対する渇望だけである。
それはただの野蛮であり、無謀であり、ただの破壊と蹂躙を生む危険性をはらんでいて、実際にその通りになった。
ワクチン種、データ種、ウイルス種、すべてが発見されている珍しいグレイモンの進化経路は、進化ツリーと呼ばれている中から、
グレイモンの願いを反映して、進化形の中でも純粋なパワーでは最も優れている形として、スカルグレイモンを無機質に選択し、プログラムは実行された。
グレイモン系列は、幼年期1のボタモンがデジタルワールドで初めて発見されたデジタルモンスターであるゆえか、種類が多彩なのだ。
しかも、太一のパートナーデジモンであるアグモンは、本人すら気付いていないけれども、実はなっちゃんと同様に、
一度寿命を終えてヒトめぐりしたデジタマから生まれており、普通のアグモンより強い固体である。
選ばれし子供達のパートナーデジモンの中では、確実に一番強い因子を持っている固体なのである。
それが明らかになるのはずっとずっと先になるが、もともとアグモンがスカルグレイモンになる因子は、普通のアグモンよりも強かった。
それが最悪な形で反映された形である。

もしアグモンが選ばれし子供のパートナーデジモンでなかったならば、太一のパートナーデジモンでなければ、なんら問題はなかっただろう。
本来デジタルワールドに生きるデジタルモンスターの進化には、正しい進化も間違った進化も無いのである。
それは所詮受け取り側の都合にすぎない。だってデジモンにとって、進化は本来、どこまでも生きることと同義であり、当たり前であり、
そこに意味なんて無いのである。どんな姿に進化しようが、退化しようが、今しか考えなくてもいいデジモンは頓着せずに生きていく。
進化した新しい自分を丸ごと受け入れて生きていく。そこに後悔もなければ、喜びもない、とっても平穏で静かで恐ろしいほど平坦な世界があるだけだ。
デジタルワールドはデジタルモンスターのためにある世界である。だからどこかのだれかさんだって、スカルグレイモンの存在は許容する。
ワクチン種だろうが、ウイルス種だろうが、データ種だろうが、その世界の存在意義を否定したり、危機におとしいれるものでなければ頓着しない。
でも、アグモンは選ばれし子供の八神太一という少年のパートナーデジモンである。だから、そこに求められる進化はどこまでも厳しく制限される。
ましてや紋章は持ち主の心の形質に大きく依存していて、デジヴァイスという特殊な力を借りて、一時的に爆発的な進化を増進させるのだ。
もうそれだけで特別である。普通の進化とはかけ離れた進化の条件が生まれる。正しい進化と間違った進化はここから生まれる。
もちろんそんなこと知りもしない選ばれし子供達にとっては、どこまでもスカルグレイモンは間違った進化の象徴として刻み込まれていくことになる。
恐ろしいほどの抑止力として、抉りこまれていくことになる。

もちろん、スカルグレイモンという幼年期の刻み込まれた恐怖を必死にひた隠しながら、ブイモンは、大輔にいった。

「大輔、みんなはきっと信じてるんだよ。アグモンに戻ってくれるって、信じてるんだよ。大輔はそうじゃないのか?
元に戻ってほしくないのか?違うだろ?大輔はそう思ってるだろ?迷いも悩みも全部全部ひきつれたまんまでいいだろ。
今はオレのこと信じてよ。信じてくれよ。そしたらオレはきっとどこまでも頑張れるんだ」

「ん」

「どーしたの?」

「太一先輩連れて来てくれよ、ブイモン。パートナーデジモンにとって、パートナーになんかあった方が怖いんだって、
死んじゃうよりも辛いんだって言ってただろ。テントモン言ってただろ、ブイモンも思いっきり頷いてただろ。
アグモンが元に戻った時、太一先輩になんかあったら、アグモン可哀想だろ」

ぱっと輝かせたブイモンは大きく頷いた。かたくなに進化を拒んでいたブイモンは、ほっとした。
だって、大輔は気付いていないだろうけど、必死で誤魔化していたけれども、大輔のデジヴァイスは進化の光を放っていなかった。
大輔はブイモンが進化しないことに苛立っていたけれども、実は出来なかったのである。
むしろブイモンはチビモンにチコモンに退化しそうになるほど、どんどんエネルギーを奪われつつあったのである。
それを必死で必死で我慢していたから、動けなかったのだ。よかった、とホッとして、ブイモンは飛び上がる。
あんなことを聞いてしまったけれども、もしブイモンがどうにかなってしまったら、それはもうヤバいことになるだろうな、と
ブイモンは思った。大輔のいいところもわるいところも、はらんでいる危うさも、全部全部気付いているのはブイモンだけなのだ。
抑止力になってあげられるのはブイモンだけなのである。もし、その存在を大輔が失ったらどうなるだろう。
それはきっと抗いがたいほどの魅力を持っている。きっと大輔は唯一の理解者であるブイモンのためなら、それこそなんだってするだろう。
ヘタをしたら命すら差し出してくれるかもしれない。ブイモンのことだけ考えてくれるかもしれない。
そのまんまの大輔を丸ごとを肯定してくれたのは、ブイモン以外には、もう死んじゃったなっちゃんしかいないのだ。
1番になりたいブイモンには夢のような感じである。大輔の頭の中はきっとブイモンのことだけである。
でもそこにいるのは、きっとブイモンの大好きな本宮大輔という少年でなくなっているのは間違いないといえる。
だから、想像は自由だが、実行に移すほどブイモンはバカじゃない。非常に残念ではあるが、大輔のことを渡ってあげられる人が必要になる。
もちろん、大輔がそんな極端な道に突っ走ることなんて、あり得ないだろうけど。絶対あり得ないと言いたいけども、危険な綱渡りは嫌いだ。

大輔の声援を受けて、ブイモンは、エクスブイモンに進化して跳んだ。
まあ、オレがあんなふうになっちゃわないのが一番手っ取り早いよね。




結局のところ、ほかの選ばれし子供達も成熟期に進化したパートナーデジモン達も、スカルグレイモンに対して何にもすることが出来なかった。
スカルグレイモンは、進化エネルギーを使い果たし、コロモンに退化することでようやく暗黒進化の呪縛から解放された。
崩れ落ちたコロモンを真っ先に抱っこしたのは、太一である。ごめん、ごめんな、と抱っこする太一は、追いかけてきたみんなにも謝罪した。

「ごめんな、みんな。いつの間にか、俺だけで頑張ってる気になっちゃって、一人で突っ走って、ホント、ごめん」

うなだれる太一に、心配するなと気にするなと笑いかける。悪いことをしっかりと認めて謝れるのは、みんな共通するいい所である。
しかし、和を重視するあまり、太一を誰ひとりとして止めることが出来なかった、アグモンと太一を分かってあげることが出来なかったみんなに、
説教することが出来る権利などもとから無いのも、事実である。
みんな、わからないのだ。なんでタグとデジヴァイスの進化で、グレイモンがスカルグレイモンに進化してしまったのか。
憶測でしかものを語れないみんなに、太一に情報を提示することなんてできない。何もかも情報が足りない。
ただ色濃く心に残された残酷な事実だけが影を落とす。この日から、太一が真のリーダーとして開花していくための、苦難の道のりが開始された。

「コロモン、ごめんな」

「ううん、ごめん太一。みんなの期待にこたえられなくって、ごめん、ホントに、ごめんね」

太一はもういたたまれなくなってコロモンを抱っこした。この瞬間、みんな知ることになる。
パートナーデジモンは、どこまでもどこまでもパートナーが全てである。対等なんかじゃないのである。そこには明確な優劣がある。
だから、ずっとずっとパートナーである選ばれし子供達がしっかりしなくてはいけないのだ、という事実が、初めて明示されたのだった。
沈み込むみんなの中で、大輔がこっそりブイモンをみてつぶやいた。

「やっぱり怒んないんだ、コロモンも。やっぱお前らへんだよ」

「へんっていうなよう、大輔」

ブイモンは困ったように肩をすくめた。














今回の参考資料と引用元

デジモンアドベンチャー02 第11話 青い稲妻ライドラモン
「大輔は、おれに何かあったら守ってくれるか?」
「え? …あ、ああ、たぶん……」
「たぶん? たぶんなのか? 絶対って言ってくれ!」
デジモンアドベンチャー02 第11話 青い稲妻ライドラモンより抜粋
このセリフの後、フレイドラモンはブイモンに退化してしまう描写がある。


「俺にだってできないよ!もし、ブイモンが今のブイモンじゃなくなって、とてつもなく凶暴になったとしても、あいつを、
ブイモンを倒すなんて、絶対できない!」

劇場版デジモンアドベンチャー02 黄金のデジメンタルにおける、1シーンより抜粋



[26350] 第11話 続・ちびっこ探検隊 その1 
Name: 若州◆e61dab95 ID:d20ea322
Date: 2011/05/09 07:18
みんなのごめんねとよかったを沢山受け取った太一とコロモンは、ほんの少しだけ元気になっていた。
今か今かと待ちわびているゴーグルを付けている後輩と目があって、どーした?と呼びかけた太一は、一直線に駆け寄ってきた後輩を見下ろした。
大輔はヘアバンド無しで直接ゴーグルを頭に着けている。そのせいで、一度は強引に頭から取って投げ捨てた時に、ゴムの辺りが不自然に伸びてしまった。
実はこっそり回収していたブイモンから受け取ったとき、四苦八苦しながら調節して、再び頭に着けるようになった後輩のゴーグルは、
やっぱりいつも微妙に傾いている。誰かに言われて直すのだが、やっぱりすぐにずれてしまうのだ。もうびよんびよんである。
首にかけているひものせいで、ゴーグルを首にぶら下げるという選択肢は消滅しているから、もうどうしようもないが、
今度は尊敬する先輩のまねっこをしたいんだ、と無邪気に笑う微笑ましさを邪険にできるような薄情な奴、誰もいやしなかった。
ちょっと、いやかなり落ち込んでいる太一には、正直今の大輔は直視できるものでは無かったりするのだが、えーっと、あの、と
言葉を必死に探している勉強嫌いが悪戦苦闘しているので、思わず笑ってしまう。
なんすかー、と口をとがらせる大輔に、太一は早く言えよ、と発破をかけて、うぐぐ、と大輔を悔しがらせた。

「何て言っていいかよく分かんないっすけど、えーっと、えっと、ゴメンナサイ。ごめんなさい、太一先輩」

「はあ?なんで大輔が謝るんだよ?」

いろんなことを考えてみても、太一は大輔に謝罪される覚えはないので、何のことだと首を傾げた。
むしろ尊敬する先輩として慕われたいと主張しておきながら、思いっきり大輔の期待とかそういうものを裏切った挙句、
愛想尽かされても仕方ないような大失態をやらかした訳だから、正直まだ先輩と呼んでくれる大輔が微妙に感動である。
こいついい奴すぎる、と今更過ぎる認識を新たにしつつ、太一は真意を問うてみたが、相変わらず感覚で物事をとらえることが大得意で、
相手に説明することがすさまじく苦手な直感型は、ものすごく困っていた。あ、こいつ、自分で言ってること分かってねえな、と
長年の付き合いにより直ちに把握した太一は、大輔の口から語られるであろう、ものすごく抽象的で大雑把な理由の解読作業を開始する。

「太一先輩がなーんか変だなーってのはわかったんすけど、どこが変だとかわかんなかったんすよ。
だから、何とかしなきゃなーとか、太一先輩ほっとくのなんかやだなーとは思ったんすけど、何にも出来なくってごめんなさい。
俺が心配しなくっても、太一先輩なら大丈夫だろうって思ってたんすけど、やっぱ俺、心配してたんすよ。
俺、行こうとしたんすけど、空さんに止められちゃって」

ちら、と視線を向けた太一に、空は苦笑いを浮かべるだけである。空の行動は大正解である。でもやっぱりなんか落ち込む太一である。
焦燥感といらいらと訳のわからないものに、せき立てられるような強迫観念に襲われていたことを鮮明に思い出せる太一は、
きっと大輔に八つ当たりして酷い言葉を浴びせかけ、それこそ大輔と太一の仲が修復不可能になるような最悪の事態になるのはわかる。
でもやっぱり心中複雑である。尊敬する先輩であるというのも、お兄ちゃんであるということと同じくらい大変なのかもしれない、と
初めて太一は知ったのだった。

「いいんだよ、大輔。謝んのは俺の方だろ、ごめんな、大輔にブイモン。まだお前らに言ってなかったよな。
遅くなっちまったけど、俺達のために頑張ってくれてありがとな。危なくなった時、エクスブイモンに助けてもらわなかったら、
多分、俺、どっかケガしてたんだ。ありがとな」

「ありがとね、大輔、ブイモン。僕、もし太一にケガさせてたら、僕、きっと立ち直れなかったと思うんだ」

太一と腕の中のコロモンから、ありがとう、と言われた大輔はきらきらと目を輝かせて、よっしゃー!と声を上げてブイモンを見る。
ありがとうだって、ありがとうだって、ブイモン、俺、太一先輩とアグモンからありがとうって言ってもらえた!
ブイモンはずーっと頑張ってきた大輔を知っているから、よかったね!と満点の笑みである。
おう!、と元気いっぱいにガッツポーズして返答した大輔は、久しぶりに言ってもらえた言葉に感無量である。
そして、それはそれは嬉しそうな顔をして、はい!と頷いたのだった。両手放しで大喜びしている大輔に置いてきぼりの太一である。
あたりまえのことを言っただけなのに、なんで今だけ大喜びしてんだ、こいつ。へんなの。

「………太一、やっぱりわかって無かったんだ」

宣伝カーと化した大輔がタケルとトコモンに自慢しているのを眺めながら、ブイモンは、不動の尊敬の先輩ポジションを確立した太一に、
嫉妬の眼差しをむけながら、顔は笑っているくせに、びっくりするほど無感情な声で言い放つ。

「ジュンお姉ちゃんと仲が悪いって、こういうことなんだよ、太一」

すべては大輔の理解者を増やすためである。今はただ痛みと引き換えに。
あー、と呟いた太一は、弟として認めてもらえない、褒めてもらえない、お姉ちゃんが分からない、とくすぐり攻撃に屈して、
けたけたと笑いながら必死で説明していた大輔の言葉を思い出して、頭をかいた。
せっかく人が元気になり始めたのに、傷に塩をえぐりこむような所業をするブイモンに、降りてくるのは恨み節である。

「前から思ってたけど、ブイモンって俺のこと嫌いだろ」

「嫌いじゃないよ、大輔が尊敬してる先輩だから」

全然好きじゃないけどな、と生意気にも言い放つ笑顔が言いきる前に、太一はこめかみにしわを寄せて、この野郎、と足が出ていた。
ぱたぱたぱた、と走ってきた大輔は、べたん、と何もない所でこけているブイモンを見て、大丈夫かよ、と心配しながら手を差し伸べた。
だいすけー、太一がいじめるんだ、と言いつけようとしたのを、ばらすぞこら、という無言の圧力で阻止した太一は、
今度はどうしたんだよ?と返した。大輔の用はコロモンである。

「え?僕に用事?なに、大輔」

ブイモンと太一の間にとび散るばちばちを、我関せず、といったスタンスで、のんびりと眺めていたコロモンは、
無い首の代わりに饅頭のようなピンク色の身体ごと傾けた。

「怖がってごめんな、コロモン」

「え?」

「スカルグレイモンになって、一番怖かったのコロモンだよな、怖がってごめん」

怖がってごめん、なんて初めて言われた言葉である。というか、そんな言葉、どういう思考回路をたどれば、結論に至るのかさっぱりである。
スカルグレイモンの存在それ自体が、選ばれし子供達、パートナーデジモン達、そしてデジタルワールドに住むデジタルモンスターにとって、
恐怖の代名詞なのである。怖がるのが当たり前である。だからコロモンにとっては、みんなが怖がるのは仕方ないし、当たり前である。
何にも考えていなかったので、まさに青天の霹靂だった。とりあえず、コロモンはマイペースな性質だ、そこまで深いこと考えない。
ブイモンは大輔に向けて言った言葉が、ちゃんと大輔が大輔を見失わない道筋になっていることを確認して、こっそり笑った。
ぱちぱち、と瞬きしていたコロモンは、にまーっと大きな口を弓のようにつり上げる。真っ赤な目が笑った。

「ありがと、大輔」

太一の腕からぴょこんと飛び出したコロモンは、兎の耳みたいに長ーいピンク色のそれで、大輔の頭に巻き付く。
みんながぽかーん、としている前で、コロモンは大輔の顔面に張り付いた。
忘れかけていたトラウマの再来である。恩を仇で返されると思っていなかった大輔は、顔が真っ青になって、ばんばん、とコロモンを叩く。
我に返った太一は、何やってんだ、お前っ!と悲鳴を上げて、あわててコロモンを引っ張り、ブイモンもなにやってんだよ!と絶叫で引き離す。

「友達のしるしだよ」

前世の記憶が戻ったのかどうかは定かでないが、コロモンはあっけらかんと笑った。降ってきたのは太一のげんこつである。
身体の力が抜けてしまった大輔は、首にもたらされた圧迫感から逃れるのに必死でそれどころではない。
あ、と自分の仕出かしたことをようやく把握したマイペースは、ごめん、大輔!と慌てて謝罪する。
だ、だいじょぶ、だって、あはははは、と思いっきり言葉が上滑りする。どこが大丈夫だよ、目の奥は怯えきってるくせに。
大輔、大輔、と心配そうに手を握って必死で呼びかけるブイモンのおかげか、コロモンに悪気はないと知ってか、
パニック状態はすぐになりを潜め、力が入らないものの大輔は大きく深呼吸できるくらいには元に戻った。
ちょっと気を抜いたらこれである。抱きつけるのは先になりそうだ。これでもずいぶんとマシにはなったんだけども。

「お前なあ、友達のしるしって、デジモンはみんなそうすんのか?」

「そんなわけないだろ、太一!」

「うーん、なんだろ、すっごく嬉しくなった時にこうやってた気がするんだ」

「なんだそりゃ」

あきれ顔の太一である。ブイモンに手を引かれて立ち上がった大輔は、ごめんね、としょぼくれるコロモンの頭をなでた。
そんなやり取りをたまたま目撃したのか、硬直していた女の子の絶叫が響いた。

「あああああっ!なんてことするの、コロモンっ!」

コロモンの暴挙を見て飛んできたのはミミである。いつぞやの暴走モードスイッチが入っている。
ミミ待ってー、と追いかけたパルモンが見たのは、ダメじゃなーい!何がお友達のしるしよ!と猛抗議するミミの姿である。
いや、俺大丈夫っすから、とコロモンがかわいそうになってかばおうとした大輔に、これは大事件なの、大輔君は黙ってて!と
暴走特急に言われてしまえば、ブイモンともども、直立不動でハイと言うしかない。
腕の中のコロモンが怒られているのに、何でか自分まで怒られているような気がして来て、太一は顔をひきつらせた。
ミミの入浴シーンを見てしまったというラッキースケベで払った代償は、あまりにも大きかったようである。
おかげで年下なのに空みたいに呼び捨てで呼べない。ミミちゃんとしか呼べない。切羽詰まったら呼び捨てになるけども。

「いーいっ?!デジモンがどうかは知らないけどっ、一番最初にするキスは、ファーストキスって言うの!
男の子も女の子も関係無くって、すっごくすっごく大事なんだから!ぜーったい、もう誰にもしちゃだめー!
大輔君かわいそうじゃない!ファーストキスってすっごく大事なのに、すっごく大事な思い出として、みんなで喋ったりするのに!
みんなが、だれだれちゃんとやっちゃったーとか喋ってるのに、大輔君だけコロモンとしちゃったって言わせるとか最低よっ!」

大声で叫ぶミミによって、同情めいた眼差しが大輔に向けられる方がよっぽど被害が大きいのは気のせいだろうか。
むしろ目をそらして肩を震わせているのは気のせいだろうか。中途半端に耳年増な大輔は、可哀想にミミの言いたいことが分かってしまって、
みんなからの眼差しの真意が特定できてしまって、もういたたまれない。何この公開処刑。かばってくれているはずのミミがまさかのトドメである。。
すっかり涙目の大輔である。もういいっすから、やめてくださいい、と消え入りそうな声でいう大輔に、
ますます見当違いの正義に燃えるミミの大熱弁に熱が入る悪循環である。
ブイモンはミミが言っていることについていけなくて大輔に聞こうとしてくる。もうやだ、誰か助けて、と視線を向けるが誰も助けてくれない。
しばらくして、すっかり拗ねてしまった大輔をミミがごめんねと必死でなだめる光景が目撃されることとなる。
ちなみに。
にやにや笑って大輔の肩を叩いた薄情な先輩は、妹であるヒカリともども、昔コロモンによって同様の被害にあっているという悲しき現実が、
封印されていた記憶が解き放たれた時に明らかになるという事実を、この時は幸い知りもしないのである。

「太一さん、元気出ました?」

「え?」

「もう過ぎたこと後悔したって何にもなりませんよ。こーいうときこそ、コロモンのために太一さんが元気出さなくっちゃ」

「ミミちゃん」

「コロモン、友達のしるしは、太一さんだけにしないとダメよ?」

「ちょっとまて」





第11話 続・ちびっこ探検隊





本宮大輔の平日は大抵母親のいい加減起きなさい!という絶叫とベッドの落下からはじまる上に、時間との戦いである。
二度寝上等の遅刻寸前の寝坊が全ての原因だ。目覚まし時計がねを上げるほどの酷さなので、本人すらもう諦めている。
慌ただしくご飯を食べて、朝の支度をして、ランドセルと持ち物袋とスポーツバック抱えて飛び出すのだ。
当然ながら、お弁当を持って、とっくの昔に行ってきますと出て言ったジュンの姿が無いのは当たり前である。
サッカー部の練習がある日は4時から6時までだけど、サッカー部の友達と日が暮れるまで遊んでいる大輔が家に帰ってくるのは、
大抵7時から8時の間くらいである。もうくたくたで帰ってきたら、お風呂に入って、ご飯食べて、歯を磨いて寝るだけである。
宿題とか時間割の準備は寝ぼけながらやるので間違っていることが多いため、もう親のおせっかいが無いとちゃんとできない。
忘れ物なんかしょっちゅうで感想文を書かされるのはもう慣れてしまった。先生も出来の悪い生徒は何とやら、で苦笑いだ。
サッカー部の友達とか、クラスの友達から宿題をうつさせてもらえるようになったのはいつからだったか、もう大輔は覚えてない。
サッカー部の練習が無い日も結局は学校の友達とか、近所の友達と遊びに出掛けることの方が多いため、結局帰宅は7時頃だ。
土日は確実にサッカー部の練習でつぶれる。1,2年生が午前の時は、光子郎や太一、空達高学年は午後とわかれて練習することが多いが、
先輩たちの練習を応援したり、練習の参考にしたりするので、遊んでもらったり、一緒に帰ることを考えると、
学校の無い日は代わりにサッカーで塗りつぶされているだけのような気がする。家にいる時間帯の方が短い。長いのは何にも無い休日だけである。
一方、ジュンは中学生である。何をやっているのか大輔は知らないが、毎日帰ってくるのは8時くらいである。
だから、大輔とジュンが毎日確実に顔を合わせる時間は、夜しかないのである。
しかし、ジュンも大輔と負けず劣らず行動的であり、友達の家に泊まりに行っても怒られない年齢であるためか、
しょっちゅうどこかへ遊びに行っては数日帰って来ないとか当たり前、いわゆる戦利品だけリビングにどーんと置いてあったりすることがよくある。
それによく部屋にこもって、なんかしていることが多い。みんなに入ってきてほしくなかったりすると鍵をかけるのだ。
本人に言わせれば、長電話だったり、宿題だったり、自分の時間を有効活用したいらしい。
大輔が部屋の鍵をかければ両親は怒るのだが、何でかジュンは許されているのが暗黙の了解である。何でかはさっぱり分からない。誰も教えてくれない。
生活サイクルが違いすぎるのは、6歳の壁だろうか。

「テレビは一緒に見ないの?」

「みねーよ、8時から10時ってドラマばっか見るんだよ、姉貴のやつ。俺がバラエティとかスポーツ見てんのに、
勝手にチャンネル変えるんだ。しかもなんか最近、好きな芸能人が出てるとか言って、怖えードラマばっか借りてくるんだよ」

怖いのが苦手な大輔からしてみれば、アニメでも十分怖いのに、実写化なんてなんのイジメだレベルである。
母親とタッグを組まれては、リモコンの主導権などいつだって女性陣であり、肩身の狭い思いをするのは大輔だ。
たまに勝てば早々にジュンは自分の部屋に撤退するし、大輔も同様である。全然興味が無いテレビなんて面白くも無い。
もちろんチャンネル争いはなかなか熾烈である。ゲームやるか、テレビ見るかどっちかにしなさいって怒られる。
ながら食いしてる母親に言われたくないが、いらないのね、とお弁当を人質にとられると強く出れない。
多忙極まりないサッカー部の活動は、理解を示している両親の支え合ってこそである。

「ゲームは?もしかして大輔君だけとか、ジュンさんだけ、とかになってるの?」

「流石にテレビゲームは一緒だよ、携帯ゲームはちげーけど」

「僕もそうだよ。じゃあ、一緒に遊んだらいいんじゃないかな?僕、お兄ちゃんとよくゲームするよ」

「え?タケル、夏休みとかしかヤマトさんと会えねえのに、ゲームすんのかよ」

「うん。だってお兄ちゃん、僕じゃまだ出来ないゲーム、一杯持ってるんだよ!いっつも頑張ってるから、お父さん買ってくれるんだって。
お母さんにはないしょで、お兄ちゃんと一緒にするのが楽しみなんだ」

「へー、そうなんだ、すげーな。俺ん家は、お小遣い制だから、勝手にいろいろ買ってるよ。小遣い帳つけろってうるさいんだよなー」

「あ。そーじゃないってば、大輔君。ジュンさんがゲームしてるの見たこと無いの?」

「見たことはあんだけどさー」

「一緒にやらないの?」

「無理だって。俺がやってるとき、ぜーんぜん興味なさそうだし、むしろどけってコンセントごと抜いてくるんだぜ、無茶苦茶だろ。
それになー、あれはなー……全然面白そうじゃねーし、なんか話しかけづらいんだよ」

「なんで?」

「ゲームやってるときの姉貴、あんま好きじゃねーもん。コンサートのビデオみて、大騒ぎしてる姉貴なんだ。
長電話してる時の姉貴なんだ。ぜーんぜん俺のことなんか気にしてないし、邪魔だって怒るし、悪口言ってる姉貴と一緒なんだよ。
それになんかこえーんだよ。なんでかヘッドフォンしてるし、にやけてるし、なんかゲームのキャラと恋愛してるやつばっかやってるし。
俺RPGとスポーツのゲームしかやんねえからなあ。タケル面白いと思うか?」

「……ごめん、僕も大輔君と一緒だもん。つまんないと思うや。そっかー、お姉ちゃんだから大輔君と好きなものが全然違うんだね」

「そうなんだよ。だから俺から聞くしかねえかなあーって思って、もう1年過ぎちゃったんだよなあ。
姉貴、あの日から一度もお弁当作ってくれねえし、やだって、めんどくさいって言われるし、
サッカーの試合とか一度も来てくれねえんだよ。いっつも留守番とか用事でどっか行っちまうんだ。
サッカー嫌いなのかなー、でもあの日までは、どうだったとか、どんな感じだとか、いろいろ聞いてくれたんだよ。
やっぱ姉貴のことわかんねーや」

「ごめんね、大輔君。僕お兄ちゃんじゃないから何にも出来ないや」

「え?あー、いーっていーって気にすんなよ」

「えー、なんだよう、なんでそんなにあっさり言っちゃうの?僕、やっぱり頼りない?」

「ちげえよ、話聞いてもらえるだけで結構楽になんだってば。今まで誰にもここまで話したことなんてなかったしなあ」

案外、この友人に必要なのは、弱さを見せられる友達なのかもしれない、と大輔から相談を受けたタケルは思ったのだった。
でもやっぱりもどかしい。大輔に相談した時には、大輔は経験則からアドバイスをしてくれたのに、タケルは同じことをしても、
全然役に立てていないのである。お姉ちゃんとお兄ちゃんという、性別が違うというだけで、ここまで全然違ってしまうものなのかと思ってしまう。
親身に相談を聞いてくれた立場の人間から、自分の悩みが間違っていないのだと、おかしくは無いのだ、と
肯定してもらえるだけでどれだけ支えになるのか、たった8年しか生きていない子供に、そのありがたさが分かる訳もなかった。
もっとわかりやすいものじゃないとやった気がしない。大輔は十分ありがたいと思っているのだが、なかなか伝わりにくいことである。

「俺さ、この世界に来てから、ずーっともとの世界に帰れたら、姉貴に聞いてみようって決めてたんだけど、やる気出てきたぜ。サンキュー」

「え?そうなの?」

「おう。だからずーっとPHS付けてんだ、俺」

「おまじない?」

「みてーなもん」

「・・・・・・・・お願い事って、誰かにいっちゃダメなんじゃなかったっけ?」

「え゛」

「あ、え、えーっと、ぼ、僕誰にも言わないから!」

「お、おう、よろしくなっ」

「うんうん任せて」

うっかりをかき消すべく、こくこくと頷いたタケルに、大輔はほっと安堵のため息をこぼした。
タケルはヤマトと同様口が堅いことに定評がある。きっと大丈夫だろう、この頑固者なら。

「それにしてもあっちーなあ」

「うん、あついよー、死んじゃいそう」

大丈夫か、と互いにパートナーデジモンを見てみるが、いつもなら口出ししてくるようになったはずの彼らですら、
大輔とタケルの会話を聞くのが精いっぱいで、ぐだーっとしている。灼熱地獄である。
熱中症を危惧して、ペットボトルの水やら、木陰やら、何かと気にかけてくれる上級生組のおかげで、
わりかしタケルと大輔、そしてパートナーデジモンは元気な筈なのだが、なかなかうまくいかない。

「ねー、大輔君、大輔君はゲンナイさんのこと信じてるよね?なんで?」

「あはは、勘だっていっただろ」

「うそつきー、隠し事はもうおしまいって言ったのに」

「だってよー、仕方ないだろー、太一先輩が誰にも言うなーって」

「太一さんが?」

「うん」

「そっかー、太一さんが言うんなら仕方ないよね。でも大輔君、なんで太一さんにはしゃべったのに、僕には喋ってくれないの?」

「いろいろあるんだよー、聞かないでくれよー、俺だって好きで隠してるわけじゃねーんだよ」

返された言葉はわりかし切実である。
大輔が隠し事が不得意なのは周知の事実であることを考えると、ちょっとかわいそうな気がしてしまう。
とりあえず、タケルが相談相手として、友達として、信頼できないからでは断じていないのだ、と
それだけは大輔はわりと必死で口にしたので、タケルはちょっと安心する。

「でも、俺もちょっと自信無くなってきたなー。ゲンナイさん、言ってること訳わかんねー」

ちょっと迷いが出始めている大輔に、タケルはうんうんと頷いた。そしてちょっと違和感。やっぱりまだ信じてるんだ。
だって、タケルは知っている。敬語を崩してくれた光子郎ですら、年上には敬意を払う丈ですら、ゲンナイのことは呼び捨てである。
タケルは癖でさん呼びになってはいるものの、心の中では普通にみんなと一緒に呼び捨てである。
サッカー部の上下関係で年上には敬語が当たり前である(ヤマトと太一が丈を呼び捨てなのは棚上げだ)大輔は、
そんな中でも最初からさんづけなのである。一体何がどうなったらさん付できる人になるんだろう、とタケルは不思議でしょうがない。
スカルグレイモンは怖い、紋章による進化はなんかおかしい、とみんな思い始めている。もちろんタケルもその一人である。
でも、いつまでもトコモンがトコモンのままでいていいのか、といえば、そういう訳にもいかない。
ポヨモンがトコモンに進化してから、タケルが真っ先にやったのは、コロモンの村での失踪をちゃんと叱ることだった。
パグモンからボタモンを守るためとはいえ、勝手に誰にも言わずに飛び出してしまったのはポヨモンが悪いのが事実である。
なんで頼りにしてくれなかったんだよ、パートナーでしょ!と怒ったタケルに、初めて喧嘩できる嬉しさをかみしめながら、
トコモンは大きく口を開けて、全然起きなかったくせに!といい返し、微笑ましい喧嘩があったことはもう大輔には報告済みだ。
どのみち、何にも出来ない自分を歯がゆく思う起爆剤となっているのは確かであり、自然と紋章に話題は上っていく。
コロッセオの大騒動の最中、牢獄と化していたサッカーゴールから脱出するために穴を掘っていたデジモン達は、
その下が地下道になっていることに気付いて、そこで紋章のレリーフが刻まれたレンガを発見した。
たちまち丈のタグにおさまった紋章は、灰色をしていて、オレンジ色だった太一の紋章とは全然違っていた。
十字架に直角三角形が4つ配置されているデザインである。どうやらデジヴァイスとは違って、紋章はみんな違うらしい。

それでも、ゲンナイの言う通り、タグと紋章を揃えて、デジヴァイスで進化させたにも関わらず、グレイモンはスカルグレイモンになってしまった。
話と違うではないか。おかしいではないか。そう選ばれし子供達とパートナーデジモン達が思うのも無理はない話である。
数時間前、大輔達の前に、ゲンナイがホログラムで再び姿を現したにも関わらず、相変わらずの一方的な問答に終始したことも引き金である。
彼らにとって、パートナーデジモンと、進化という力が、今までの冒険とこれからの明日を歩んでいくうえで何よりもかけがえのない支えだった。
エテモンという脅威を前にして、新しい進化は急務なのだ。それなのにかけがえのない支えに突如不安要素が出現したのである。
不安に思うな、という方が無理である。この世界のことを子供達はあまりにも知らない。
スカルグレイモンの件、コロモンに強制退化した件を、八つ当たり気味に報告した太一に対して、
爺呼ばわりされたゲンナイが言ったのは、以下のとおりである。相変わらずの飄々とした様子で、ゲンナイは新情報を提示した。

ミミが紋章なんていらない、という当たり前の意見を口走ると、返ってきたのは新事実。
紋章とタグは惹かれあうものであるため、そこに持ち主の所持の意思は一切考慮されないという、
どこの呪いのアイテムだ、と突っ込みたくなるような特別仕様であるらしい。もはや詐欺レベルである。
相変わらず、申し訳ない、とか、無理をさせて済まない、とか一切謝罪を言わないゲンナイである。
なんだか人間じゃないみたいだ、とうすうす子供達は気付きつつあった。まるで機械みたいだ。あながち間違っていない。

そしてコロモンに退化した理由は、タグと紋章を揃えても、「正しい育て方」をしないと「正しい進化」はしないし、
「間違った進化」をするから、らしい。なんだそれ、と選ばれし子供達の心が一つになった瞬間である。
今まで子供達にとって、パートナーデジモンはかけがえのない仲間であり、「育てる」なんて言葉、意識するような関係性ではない。
でも、コロモンの件で、パートナーデジモンとパートナーは対等ではなく、子供達がしっかりしなければいけないのだ、と
明示されたばかりの子供達は、もしかして今まで接してきたことが間違っていたのではないか?と意識したせいで揺らぎ始めているのだ。
ましてや太一とアグモンペアが「間違った進化」をやってしまっているのだ。みんな不安になる。当然である。
ゲンナイが言っていることも間違ってはいない。間違ってはいないのだが、選ばれし子供達は徹底的に情報が足りないせいで、
ゲンナイの言っていることの真意が全くと言っていいほど伝わっていなかった。

この世界がどういう世界で、デジタルモンスターがどういう生き物で、選ばれし子供達とは一体何なのか、
デジヴァイスは何なのか、パートナーデジモンとパートナーは何でいるのか。どうして出会ったのか。
これらが全て例示されて初めて、「間違った進化」「正しい進化」「正しい育て方」の意味が理解できる。
でもそれが出来るような状況下に無いから、選ばれし子供達はデジタルワールドに呼ばれたわけで、なかなか難しいものである。
これは選ばれし子供達が、紋章という心の形質が重要視される選ばれし子供達であることが拍車をかけていた。
余計なことを情報として与えてしまっては、返って様々な障害が発生する危険性をはらんでいる。
かつて5人の選ばれし子供達をデジタルワールドの危機において、呼んだ経験があるデジタルワールドでさえ、
紋章の力は測りきれない前代未聞で、なおかつ未知の存在である。
持ち主の彼らの可能性に全てを賭けて召喚したものの、だ。
デジタルモンスターのために存在する世界が、デジタルモンスターではない彼らを支援すること自体が、現在進行形で初めてだらけである。
試行錯誤だらけで、なおかつ予行練習なし。ぶっつけ本番で、失敗したら全滅エンドという素晴らしく切羽詰まった状況下である。
結構お互いにどっちもどっちだったりした。


結局、わけのわからないことだけ言って、また通信が途絶えて消えてしまったホログラム。不安だけしか残さない。
選ばれし子供たちもパートナーデジモン達も、確実に疲れているのはゲンナイの言葉が灼熱地獄に加算されているからである。
パートナーデジモンに「正しい育て方」をされているのか、なんて自覚あるわけない。
選ばれし子供たちにも、「正しい育て方」をしている自信は皆無である。
そして思いだされる「間違った進化」のスカルグレイモン。これで気が遠くならないのは人間じゃないだろう。きっと人がいの何かである。

「正しい育て方ってなんだろう?」

「ねえねえ、タケル。僕とタケルはトモダチだよね?トモダチって、育てるの?」

「うーうん、違うよ、友達はね、一緒に頑張ってくんだよ。びょーどーでたいとーなんだよ」

「うーん、それってだめなのかなあ?」

「やだよ、僕、パタモンとトモダチだもん。それが間違ってるって、絶対やだ。
ねえ、大輔君、ホントにゲンナイさんのこと、信じてもいいの?」

タケルとパタモンはもともと立ち位置が非常に近い。優劣なんてわからないくらい。
みんなとはちょっと違う関係性を構築しているためか、違和感もひときわ際立つのだろう。
ゲンナイのことは信じられない、と今のところタケル達は思っているし、結果的に見れば「正しい育て方」は文字通りに捉える必要はないので、
タケル達の考え方は限りなく正解に近い。おかげで困惑しきりなのは大輔である。
「正しい育て方」に違和感を覚えるのは事実だし、おかしいと大輔の勘が告げている。
でも大輔はゲンナイさんを疑えない理由が確かにあるから、ゲンナイさんが何を考えているのか、多分意味はあるんだろう、と
どこまでもポジティブに受け止めるしかないので、そこを突っ込まれると弱い。大輔はもともと説明できない直感で世界を生きている。

「考えてたってしかたないだろー、そのうちわかるって」

「えー」

タケルは大輔の大雑把さの極致を見た。わかんないなら、わかんないままほっとけ、と途中で問題を分投げやがったのである。
タケルの質問には全く答えていないが、大輔が言わんとしていることが分かってしまう観察眼の持ち主は、
大輔がこんなにあやしいゲンナイさんを前にしてもなお、信じることが出来るものがあるのだ、と受け取った。
うらやましい限りである、楽観主義にもほどがある。大輔らしいが。

「ねえねえ、ブイモン、なんでそんなに嬉しそうなの?不安じゃない?」

「え?だってオレ、大輔に正しい育て方も間違った育て方もされた覚えないもん。だからよくわかんないんだよ」

「あははっ、そーだよね。大輔君って難しいこととか、全然わかんないって言ってるけど、なんでか間違ったことしないよね」

遠くでは大輔を笑っているように見えたらしい。

「おいそれどーいう意味だよっ!」

追っかけっこがはじまってしまうが、遠くから聞こえた汽笛の音が全てを停止させる。
でっけー、と大輔は眩しそうに手で影を作りながら空を見上げた。灼熱地獄のサバンナのど真ん中を突っ走る豪華客船が現われたのである。



[26350] 閑話:誰かエテモン様を止めてください
Name: 若州◆e61dab95 ID:3c90ebbb
Date: 2011/05/10 15:16
「ぬわんでっ……!」

ひいい、とガジモン達は平伏する。

「ぬ、わ、ん、でえええ!!」

きいいいん、とスピーカーから耳をつんざくような甲高い音がどんどん聴覚を破壊していく。
エテモンの大激怒と比例して巻き起こる騒音はいつものことだが、とりわけ今のエテモンはすこぶる機嫌が悪い。
おい、お前が何とかしろよ、バカ言え、オレに死ねってか?!、オレだってやだぞ、いけにえになんかなりたくねえよ!
とこそこそ話しあっているガジモン達は、びくっとした。

「なに悠長におしゃべりなんかしてんだ、てめえら。てめえら達も俺様をバカにしてんのか?」

おねえキャラ(デジモンに性別は存在しないため、厳密にいえばエテモンはおねえキャラでもオカマキャラでも無い)
を忘れたドスの利いた声が下りてきたからである。やべえ、本気で怒ってる!エテモン様怒ってるっと大量の汗を出したガジモン達は、
何でもありません、すいません、許して下さい、と最敬礼で持って許しをこう。ふん、と冷酷無情な面を垣間見せたエテモンは、笑った。

「どこぞの大バカみたいになりたくなかったら、アンタ達もせいぜい身を粉にして働きなさい」

そう、あいつみたいにね!とエテモンが口にしたそのデジモンの名前は恐怖政治の代名詞である。ガジモン達はひたすらに怯えた。
しかし同時に、そのデジモンの名前をエテモンが口にすることは、ガジモン達が忠誠を誓ったエテモンというデジモンが一番らしい面が垣間見れて、
ちょっとだけ安心できるという矛盾をはらんでいる。ガジモン達が忠誠を誓ったのはこのエテモン様ではない。
ダークケーブルという力を手に入れる前のエテモン様であって、今はその面影を追いかけて、ひたすら奴隷生活をしている日々である。
いつからどうしてこうなってしまったのかもうわからないが、もうガジモン達はこうするしかないのである。
唯一止められるはずだったデジモンは、もういないのだ。

「っていうか、ぬわんでだーれもいないのよーっ!!アチキよ?すえっかく、アチキがステージに立つのよ!?
満員御礼、拍手喝さいは当たり前でしょ?!観客席はフルハウスじゃなきゃアチキに失礼だと思わないのーっ!」

いや、もともと誰も来てません、なんて言えるはずも無く、ガジモン達は必死で言いわけを考えていた。
エテモンの行うコンサートは、一度始まるとアンコール、アンコール、と必死でガジモン達が桜をやって、
観客がいくら帰りたがっても強制ループ、エンドレス状態が続くことでもともと有名だったため、
エテモンのコンサートはもともとすっごく評判が悪い。
しかも、今のエテモンのコンサートはもれなくフーリガンも真っ青な破壊活動もついてくるのである。
もともとガラガラだったコンサートは、なおのこと人入りが悪くなりつつある。
今ではすっかり、ここまであからさまに、サーバ大陸に住んでいるデジモン達から、エテモン達は嫌われ者であり、嫌がられている有様である。
もちろん、ダークケーブルに魅入られているエテモンがその事実に気付く訳も無く、もともと酷かったジャイアニズムは凋落の一途をたどっている。
がらんとしたコンサート会場。笑天門号はもともとエテモンがコンサートをするために作った車である。
ガジモン達のゴマすり、ご機嫌伺いも大変である。スターって忙しいからっさあ!モニター越しでごおめんなさいね!と
太一達をコロッセオで言っていたのも、あながち嘘ではなかったりする。

「そこのアンタっ!」

「は、はいっ!」

直立不動に敬礼でガジモンが応えた。

「ちゃーんとここら辺の住人達に招待状は出したんでしょうね!?」

「もちろんです!………っが……ですが……その」

「なによ」

「エ、エテモン様のコンサートに参加するのは、い、嫌だと」

「ぬあんですってーっ!?」

青空の下で大絶叫が響き渡る。

「アチキを誰だと思ってんのっ?キング・オブ・デジモンになった、本物のスーパースターになったエテモン様なのよっ!?
そんなアチキがわざわざ来てあげたっていうのに、きいいいい!ふっざけんのもいい加減にしなさいよーっ!!
ふ、ふふふ、ふふふふふふふっ!!教えなさい!」

「はい?」

「い、ま、す、ぐ、その不届き者共が住んでる場所を教えなさいっていってんのよっ!
いい度胸じゃないの。覚えてらっしゃーい!そんなにいうなら、アチキの方からそっちへ行ってやるわああああ!」

ガジモン達の制止を振りきって、エテモンがマイク片手に笑天門号から飛び降りて、どどどどどっと砂ぼこりを上げながら一直線に走り出してしまう。
おいおい、まだ場所言ってないのにどこに行くんだよ、エテモン様、とガジモン達はあきれ顔で、モノクロモンに鞭打って、
笑天門号を方向転換して追いかける。本日の犠牲者は決定した瞬間である。あーあ、オレしらね。
きっとあいつら、くんな、くんな、こちくんなああああ!っていうんだろうなあ、と思いながらガジモン達は笑う。

「なーにやってんのよう!早くきなさいっつってんでしょーっ!!」

こうしてまた今日も、サーバ大陸から名前も無い村が姿を消すことになる。
そしてぶっ壊れたモニタが復旧し、選ばれし子供達の場所が確認できたといわれたものの、それどころではない。

「そっちで何とかしなさーい!アチキは今いっそがしいのよーっ!!」

だってよ、とガジモンから、ダークケーブルに乗って、豪華客船に伝えられることになる。
ほんの少し前まで日常だったのが、もう昔のことのようである。むなしいのはどうしてだろうか。



[26350] 第12話 続・ちびっこ探検隊 その2
Name: 若州◆e61dab95 ID:450f02a4
Date: 2011/05/11 12:07
「光子郎先輩、ヌメモンって、太陽が出てるとこって苦手じゃ無かったんすか?」

「え?あ、言われてみればそうだね」

「なんでっすか?帽子かぶってるから?」

「きっとファイル島にいるヌメモンとサーバ大陸にいるヌメモンは、別のデジモンなんだよ。なんか言葉、話さないし。
生息している場所が環境も、気候も、全然違うし、ほら、野良ネコと家で飼ってる猫って全然違うし、多分それと一緒なんだよ。
ここらへん、直射日光がきついサバンナみたいな所で、殆ど影が無いし、大丈夫なのかもしれない」

「あーそっか。さっすが光子郎先輩。俺、全然気付きませんでした」

「さすがは光子郎はん、よく知ってまんなあ。せやでー、ワイらデジモンは住んでる所で全然生活の仕方が違うんや」

あはは、と光子郎は笑うが、どこかぎこちないのを発見したブイモンは、首をかしげた。あ、あたってたんだ、というつぶやきは本人のみぞ知る。
いろんなことを知っている筈の光子郎が、まさか根拠のない憶測と経験則から、事実上のあてずっぽうを口走っているなんて考えもしない。
わからないことがあると調べなくては気が済まない光子郎でも、やっぱり得意分野を期待して頼ってくる後輩には、意地を張りたくなるものである。
突如現れた豪華客船に乗務しているのは、本来日光が苦手で、ジメジメした所に生息しているはずのヌメモンである。
まったく似合わない白い帽子に白い服を着ていて、忙しなく船上をはいずりまわっている。言葉を喋れないのか、話さないだけなのかは分からないが、
ずーっと始終無言で、大げさなまでのリアクションで受け答えしている状態である。
おもちゃの街に至るまで道中追いかけまわされた挙句に、れいのあれを分投げられたおぞましい記憶があるわけだから、
選ばれし子供達もデジモン達も最初は顔をひきつらせたが、ずいぶんと大人しいからほっとしている。
サーバ大陸のヌメモンはずいぶんと理性が発達しているらしい。
まあ、みんな疲れているから少しの間休ませてくれ、というぺったんこ美少女ミミの色仕掛けに陥落するところは、一切変わらないらしいが。

「ミミさん、何があったんすか」

「ヌメモン嫌がって無かったっけ?」

なあ?と大輔とブイモンは首をかしげる。おもちゃの街では少なくとも嫌がって逃げ回っていた記憶がある大輔は、
ヌメモンならあたしに任せて、と躍り出るくらいの潔さと度胸と豪胆さを垣間見て、少々面食らっていた。あれ?何かカッコいいぞ。
あはは、と光子郎は苦笑いした。

「なれたんだよ、きっと」

「え?」

「ファイル島がばらばらになったとき、僕とミミさんが最初に合流したんだけど、その時にはもうミミさん、
気持ちの悪いデジモンと仲良くなってたから」

「どんなデジモンすか?ヌメモン?」

「もっとひどいよ。あれにネズミが乗ってたよ」

「え゛?」

デジモンデータ
スカモン
レベル:成熟期
種族:突然変異型
金色に輝くあれのような姿をした突然変異(ミュータント)型デジモン。
コンピューター画面のゴミ箱に捨てられたデータのカスが集まって突然変異し誕生した。知性や攻撃力はまったく存在しない。
ここでもやっぱりナレーターが変に力むほどの威力を誇る必殺技は、くるくる回りながら、あれを沢山分投げてくる、あれパラダイス。

チューモン
レベル:成長期もしくは成熟期
種族:獣型
いつもスカモンの頭の上に乗ってるデジモン。
ネットワーク上に仕掛けられたトラップ“肉食獣(カボニア)”に捕まりそうなところをスカモンに助けられたことから、
仲良くなった。チューモンの悪知恵をスカモンに吹き込んでいつも悪事をしている。
必殺技は、大好物に模した爆弾を投げつけるチーズ爆弾だ。

どうやら知らないうちに、選ばれし子供達はこの漂流生活において、ずいぶんと精神的にも肉体的にもタフになりつつあるらしい。
可愛い子には旅させよとは言うが、いいことなのかどうかは誰にもわからない。
ミミの可愛いお願い攻撃に陥落したヌメモンは、船長を連れて来てくれた。
船長の帽子をかぶった大きな大きな白い鳥のデジモンは、灼熱地獄にぐったりとしている選ばれし子供達とデジモン達から、
エテモンに追われているのだという事情を聴き、同情し、しばらく休んでいるといい、と歓迎してくれた。
サバンナのど真ん中に停泊した豪華客船は碇も張らないまま、かんかんかんと音を立て、船上に上がるための階段を作ってくれたのだった。

デジモンデータ
コカトリモン
レベル:成熟期
種族:巨鳥型
地上で長く生活していたため、羽が退化し飛べなくなってしまった巨鳥型デジモン。
しかしその代わりに足が発達し、走るのが得意になった。荒々しい性格だが、大きな体を持つため戦いはあまり好まない
ちなみにバードラモンに進化して自由に空を飛びたいと願うピヨモンの大半が、こちらのコカトリモンになってしまうという、
悲しき事実があるのだが、空のパートナーデジモンは同じ系列であることを知らない。
必殺技は、目から不思議な光線を出し、敵を石化させてしまう、ぺトラファイアーだ

みんな思い思いの行動に移っていく。もちろん女の子組はお風呂に直行、あっという間に見えなくなってしまった。
もちろん最初から行く先が分かっているのなら、追いかけるようなバカはもういない。
太一と丈達は紋章を持つ者同士、積もる話でもあるのか、珍しく泳ぎたいとごねるゴマモンに乗っかってプールに向かった。
いつもは呼び捨てにしている丈に相談するのをみんなに見られるのは嫌なのか、プールという言葉に、
真夏のギラギラ太陽に海を恋しく思っていた後輩が目を輝かせて、俺も!とごねたのだが、却下されてしまった。
えー、と不満タラタラな大輔に、ブイモンは手を引いて、だいすけー、腹減ったあ!と主張するのでそれどころではなくなってしまう。

結局大輔とブイモンは、残されたみんなと一緒に行くことになる。直行したのは食堂だ。
太一のせいでご飯の時間は基本的に節約傾向な漂流生活、腹八分目なんて夢のまた夢、腹五分目くらいが精いっぱいなのに、
さらに自分達の食べる分を減らされてしまったせいで、腹三分目というありさまなのである。それはご飯とは言わない。おやつでしかない。
もうみんな腹ペコだった。
案内された食堂に至るまでが、一流ホテルが船の中に入ってしまったかのような豪華さに開いた口が塞がらない。
ぴかぴかの通路を抜けるとホテルのエントランスホールみたいに全面ガラス張りの庭園とか、高級ソファとテーブルとか、
受付のカウンターまで見たことが無い装飾品や骨董で埋め尽くされている。大理石の床はつるつるで、汚れひとつない。
すっげー、とバカの一つ覚えみたいに感心するしかない大輔である。すごいねえ、とブイモンもつぶやいた。
家族旅行だってサッカー部に入った都合上、長期にわたる滞在はもうとっくの昔に諦めているし、こんな高そうなトコきたことない。
それこそテレビの向こう側の話である。バラエティ番組の海外ロケスペシャルとか、旅行番組とか、いーなーといいながら、
家族と一緒に煎餅かじって眺めているような世界である。
そう言えば父親が海外に行くって話があったけど、結局大輔とジュンがまだまだ義務教育だからって、まだ遊んでくれるからって、
無しになったんだっけ、と大輔は思い出す。
父親がいなくなったら間違いなく大輔は今以上に家族の中で扱いが目に見えて悪くなる、と思うので安心した筈だ。
お姉ちゃんとのことも相談に乗ってくれるのは父親だけである。母親は姉の肩を持つ。そのうち仲直りできるっていつだよ。バカ。
ジュンと大輔の関係性を客観視できる両親は、時間が解決してくれると知っているから、平等に愛情を注ごうとするから、
贔屓に見てくれないとこは大輔はあんまり好きじゃない。ちっさい子供には今の環境は両親が考えている以上に辛いのだ。
そんなことよりご飯である、と主張するブイモンに引っ張られて、大輔はもう先に行ってしまっているヤマト達を追いかけた。

「なーなー、大輔、ごちそうかな?」

「食えるといいな!」

「そっか、大輔君もブイモンもご馳走は初めてだっけ?」

「みんなでご飯食べた時、大輔とブイモン、いなかったもんねー。おいしかったよね、タケル」

「うん。おっきな骨がついてるお肉とか、こーんなにおっきなステーキとか、あったかいスープとか、いっぱいあったんだよ」

「あああもう、思い出させんなよ、鬼かよお前ら!」

「オレ達その時、マシュマロサンドだけだったのにねー」

「しかもお前となっちゃんがほっとんど食っちまうしなー」

「ご、ごめんってば、大輔えー」

非常に残念ながらタケルとトコモンが食べたご馳走は、全部デビモンが用意した幻でした、腹に入ったのは空気だけです、という
悲しき落ちがあるのだが、知っているのは太一だけである。でも太一もアグモンもみんな知ってるだろ、屋敷幻だったし、と
勝手に判断しているせいで、幸せな勘違いは太一とアグモン以外はみんな持っていた。
つまり、タケルとトコモンは実は大輔達よりも酷い1日を過ごしている。丸一日、エレキモンの夕食以外食べていないのだ。
ご馳走を食べた、という勘違いが勝手に味まで捏造するのだ、恐ろしきはデジタルワールドである。
恨めしげに見つめる大輔に、地雷を踏んだブイモンは必死に謝る。食い物の恨みは後からやってくる。くすくすとタケルとトコモンは笑った。
ここで大輔を怒らせてしまうと、ただでさえ貴重品のチョコレートの入手経路が断絶してしまう恐れがある。ブイモンはぞっとした。
アグモンは太一にいっぱいご飯を食わされたせいで体重が重くなり、戦闘にまで響くという情けない結果を招いていたが、
おそらくこの小さな大食漢には無縁の話である。おかげで食糧分配のときには大輔が絶対に取りに来るよう言われているのである。
四足歩行で物を持つ機能が発達していないトコモンは、タケルの頭にへばりついて、ご飯を分けてもらうのを待っているという、
卵からかえったばかりのひな状態だ。全く運動していない。幼年期だから戦闘にもでれない。ちょっとぽっちゃりしているのは気のせいか。
進化して丸々と太ったらパタモンのとき、ますます飛べなくなるんじゃないか、という心配は、今のところ誰もしていない。
だってご飯を食べること自体が結構なサバイバルである。食べる時には食べとけ、食いだめ上等はみんな一緒だ。
漂流生活では間違いなくみんな体重が減っている。ドアを開けた光子郎とヤマトが目を輝かせて、食堂の奥に入ってしまった。
大輔達も追いかけてみると、待っていたのは所狭しと並べられたテーブルに、清潔そうなテーブルクロスが掛けられ、
見渡す限りのバイキング形式の料理である。一番手前には大きな皿とはし、スプーン、フォーク、全部ある。
ヌメモンが使えるんだろうかなんて疑問符、あっというまにぶっ飛んでしまう。おいしそうなにおいとゆげである。
わーっ!!と二人は声を合わせて、歓声を上げた。ごくりと唾を呑みこんだ。

「なーなー、大輔、食べようよ!」

真っ先に飛び出そうとしたブイモンを制止するのはヤマトである。

「待て待て、みんな来るまでまたないとダメだろ」

思いっきり料理に視線が釘付けである。視線がどれを一番最初にとろうかと狙いを定める捕食者の目になっている時点で
説得力は果てしなく皆無である。えー、とごねたのはブイモンだけではなく、大輔もタケルもトコモンもである。
なんで?目の前においしそうな料理があるのに。恨めしげな視線に気押されながら、何とかメンツを保とうとする。

「そうですよね、皆さんおなか減ってるのは一緒ですし、僕達だけはちょっとまずいですよね」

「ああ」

自分に言い聞かせるように光子郎は暗示をかけている。ヤマトが返事したのに気付いていない。
そんな殺生な、と落胆するテントモンに、待ってるの、ヤマト?と本人が必死に押し殺している本音を代弁するガブモンが追い打ちをかける。
でもでも、勝手に食べるのは、と理屈付けで我慢しようとする光子郎に、がらがらがら、という音が邪魔をする。
みれば、大きな皿を運ぶヌメモン達が、次々と新しい料理を運びこんでいるのが見えた。
これで少なくてもここにあるものが食べられてしまったことで、迷惑、という選択肢は消えてしまう。
だって何で食べないんだお前ら、とでも言いたげに不思議そうな視線が横を通り過ぎて行って、出ていったのだ。
マズイのか?とちょっと怒ったようにリアクションをとるヌメモンがいて、そういう訳じゃない、と説明したら、
不満そうな顔をして出ていった。ちょっと睨まれた。理不尽である。こっちだって今すぐ食べたいのに!

「太一さんとアグモンはともかく、空さん達が来るのは待ちましょうよ」

「ああ、太一とアグモンはともかく、みんな腹減ってるだろうし、知らせに行った方がいいかもな」

思いっきり太一とアグモンを除外しているヤマトと光子郎の目は据わっている。
テントモンもガブモンも頷きはすれども、可哀想だとは誰も言わない。げに恐ろしきは食い物の恨みである。
太一とアグモンは可哀想だし、気を使わなきゃいけないし、と腫れもの扱いと気遣いのすれすれを頑張っている二人でも、
それとこれとは話が別のようだ。むしろスカルグレイモンの件以来、太一にみんな声をかけるようになっているのだ。
おかげで太一もアグモンも本調子に戻りつつあるのだが、比例してみんなが間違いなく容赦なくなっている。
結構言うことは言うようになったので、別の種類のダメージを被ることになっている。いいことだがご愁傷様だ。
もっともな二人の言い分は理解できるが納得できない最年少組は猛抗議する。手をつかむ。そして上目づかいは標準装備。

「ねーねー、お兄ちゃん、光子郎さん、ちょっとくらいいいでしょ!」

「そうっすよ、二人とも!呼んでくるなら行って来て下さいよ、俺達まで待ってる理由無いじゃないっすか!」

ねえってば、とちっちゃい子供理論で言えば大正解な眼差しが突き刺さる。
うぐ、と否定することが出来ず、ヤマトと光子郎はどうしたものかと顔を見合わせた。これでいいのかよ?と大輔はタケルを見る。
うんうん、大丈夫、その調子!とタケルはアイコンタクトで頷いた。甘え方なら間違いなくタケルの方が大輔にとっては先生である。
小学校2年生二人組は、メンバーの中では一番小さいから、という理由で何かとみんなが優遇しようとして、拒否されてきた経緯がある。
みんなに褒められたいから我慢していた大輔も、みんなに迷惑をかけたくないからと我慢していたタケルも、
もうすっかりその扱いを許容することが出来ているせいで、破壊力は抜群である。可愛い我がままである。
それをここぞというタイミングで扱うのは明らかに全然可愛くないのだが、無邪気なまなざしは、
おにいちゃんでありたいヤマトと、せんぱいとしてしたわれたい光子郎の急所に入る。ストライクである。
でもでもでも!全然可愛くないぞ、こいつら、むしろなんかバカにされてる気がする、なんかむかつく!と二人の心は一つになる。
操縦されるのは気に食わない。扱いがうまくなっているちびっこに負けてたまるか。もうここまで来ると意地である。
だめ、となんで、と押し問答全開である。傍から見れば、果てしなくどうでもいい意地の張り合いを展開し始めたパートナー達に、
何やってんだろこいつら、と要領のいいパートナーデジモン達は皿を配って、それぞれ勝手にもう食べ始めている。
大好きなパートナーは、どこまでも、寝ること、食べること、遊ぶことと同じくらい大好きなのだ、優先順位は言わずもがな、2大欲求には耐えられない。
人間ってよくわかんないね、とデジモン達は首をかしげた。もしゃもしゃもしゃ、と飲み食いしている音はすぐに腹ペコのパートナーに気付かれる。
あーっと声を上げた子供達は、何勝手に食べてるんだよ!とそれぞれのパートナーデジモンの所に向かって怒る。
でも、大好きなパートナーのために、好きなもの、美味しいモノ、食べたいって言ってたやつを別の皿に取り分けていた彼らから、
はいこれ、と無垢な眼差しと共に鼻先に突きつけられたら、ハムスターみたいに頬を膨らませて、これおいしいよ、とお勧めを各自提示されたら、
もう、ごくりと唾を呑みこんで、大人しくフォークなりはハシなり手に取るしかない。ありがとう。

「ヤ、ヤマトさん、せっかくのご馳走が冷めてしまっては、作ってくれたデジモン達に悪いですよね!」

「そ、そうだよな、せっかく招待してくれたコカトリモンに失礼だよな!」

何にも悪くないんだ、これは仕方のないことなんだ、と必死で自分に言い訳しながら、苦笑い。理性はとっくに振り切れた。
二人の言葉にぱっと眼を輝かせた大輔とタケルは、いっただきまーす、と手を合わせる。
先輩の、お兄ちゃんの、威光は失墜していないことを慎重に確認してから、光子郎とヤマトは小さく合掌した。
こうして結局誰も食堂の場所を知らせもしないで、腹の空腹を満たすのに精いっぱいになってしまう。みんなのことなんて忘却のかなた。
いつもパンと果物とお菓子である。肉とか魚とか貴重なたんぱく質や手の込んだ料理、しかも出来立てなんて何日振りか分からない。
始めっから耐えられるわけがなかったのだった。

ハンバーグを食べようと突き刺したフォークを口に運んだら、歯がかみ合ってしまう。
あれ?と突然消えてしまったハンバーグに驚いたら、横からぱくっと食べてしまった不届き者がいた。

「あーっ、俺のハンバーグ食うなよ、ブイモン!」

「だって大輔の食べてる奴の方がおいしそうなんだもん!」

「さっきと言ってること一緒じゃねーか!だから1個上げたのに、何でまた食っちまうんだよ!いっぱいあるじゃねーか!」

「仕方ないだろー、大輔おいしそうに食べるのが悪いんだよ!」

「えー、なんだよそれー。じゃあ俺のとお前の変えっこしよーぜ」

「えええええっ、ダメダメダメ、ここにあるのは全部オレのーっ!とっちゃだめーっ!」

「どんだけ我がままなんだよ、おい!」

はあ、とうなだれた大輔は、そんなに言うなら仕方ないな、とブイモンに皿をあげる。溜息をついて立ち上がる。
あ、と声をあげたブイモンは、慌てて服の裾を引っ張って引き止める。大輔どこ行くの?と聞かれた大輔は、じとめだ。

「それお前にあげるから、俺も新しいの取ってくるんだよ」

「じゃあオレ行く!」

「はああっ?!何言ってんだよ、ブイモンが頂戴頂戴うるさいからあげるんだろー、お前まで来たら意味無いし、
バイキングって食べられないのに残したらダメなんだぞ」

「え?そうなの?」

「そうだよ」

うーん、と考えるそぶりをしたブイモンは、ちょっと待ってて、という。
はー、と溜息をついた大輔に、騒がしいトモダチを見ていたタケルはトコモンと一緒に笑っていたのを見て、肩をすくめた。

「よーし、いこー、大輔!」

「おう、って早っ!?」

もうすっからかんの皿が積まれている。普通、一緒に食べたいから我慢するんじゃないのか。
大輔はブイモンの食欲を甘く見過ぎていた。これで2回目のテーブル行きは確定である。
どうしよう、と大輔は冷や汗である。この前現実世界に来れたら、何でも好きなもの食べさせてやるって勢いで言っちゃった大輔は、
財布とお小遣いが盛大な死亡フラグを立てていることにようやく気付くことになる。
この調子じゃ本宮家の冷蔵庫や戸棚は大変なことになる。どうしよう。その時の約束は、やがて3年の時を超えて大輔を盛大に困らせ、
当時の自分を思いっきり殴りたいほどの後悔をすることになるのだが、まだ小学校2年生の大輔は知る由も無いのだった。

「オレ、チョコ食べたいチョコチョコチョコー!」

「俺まだご飯途中だから、取ってこいよ」

「えー、どれがおいしいか、どんな味がするかオレ知らないもん、大輔ついてきてよ」

「だ・か・ら、まだ俺ご飯食べてないって言ってるだろ、なんでデザート選ばなきゃいけないんだよー。
俺ご飯の代わりに甘いもの食べられるほど、好きじゃねーんだよ」

どっちかっていうと、タケルとトコモンが食べているポテトチップスとか、ジャンクフードの方が好きな大輔である。
いつもいつもブイモンに付き合っているせいで、耐性はできてきたが胸やけに怯えている大輔である。
結局根負けして一緒に並ぶことになる。









ごちそーさま、と言って、食器やらを全部所定の位置に戻した。
ようやく他の子供たちのことを思い出したみんなは、顔を見合わせて、あ、と声をあげた。
時計を見れば、もう30分以上過ぎている。まずい、まず過ぎる、太一とアグモンはともかく、みんな腹ペコだろう。
特にデジモン達は腹ペコだと進化すること自体難しくなってしまう、大変である。
ヤマトと光子郎は、大輔とタケルに待っているよう伝えると、食堂を出ていった。
タケルと大輔に、みんなから怒られるのは見られたくないらしい。
間違いなく怒られる、言いわけどうしよう、という冷や汗交じりの会話は幸い最年少組には伝わらなかったようだ。
みんなまだかなー、と大人しく、言われたとおりに待っている大輔達は、ゆっくりと会話しながら待っていた。

1時間経過。

2時間経過。

流石に遅すぎないか?と心配になってくる大輔に、タケルも頷く。どうしたんだろう、何かあったのかな?
顔を見合わせるパートナーに引っ張られる形で、ブイモンもトコモンも、そう言えばそうだ、と気付いて立ち上がる。
そしたら、聞こえたどーんという騒音と、船全体を大揺れにする謎の振動。わあっとひっくり返った大輔は、盛大に頭を打ち付けた。
たんこぶに涙が出そうになるけれどもがまんして、大丈夫?の言葉に、心配すんな、と笑って返す。
そしたら聞こえてきたのだ、ヤマトと光子郎の声が。外から。思わず食堂から出ようとした二人が見たのは、コカトリモンだった。
コカトリモンの目からなんか変なビームが出て、ヤマト達をかばおうとしたガブモンとテントモンを石に変えてしまったのである。
一瞬の出来事だった。いくらなんでも早すぎる。地面をけるコカトリモンの脚力はとんでもなく早かった。
大輔とブイモンは進化しようとしたのだが、コカトリモンがその間にタケル達に襲いかかったらヤバいことになる。
だって、光子郎とヤマトはパートナーを進化させる前に、パートナーを石に変えられてしまったのだ。
驚いて声を上げようとした二人に気付いた光子郎が、しーって指を当てて、早く逃げろって、隠れろってジェスチャーしてくる。
ヤマトも食堂に大輔達がいることを知っているから、時間稼ぎに逃げ回っている。どたどたどた、と近づいてくるヌメモン達。
あんなにたくさんの奴に襲われたら、いくらエクスブイモンでもやばい。ここは室内である。せめて外に出ないと。
慌てて大輔とタケル達は、窓から逃げることにしたが、背が足りなくて、とどかない。どうしよう、と途方に暮れたら、ブイモンが出てきた。

「オレが持ち上げてあげるから、みんな早く!」

力持ちのブイモンなら出来るだろう。うん、と頷いて、タケルとトコモンを先に行かせて、大輔も何とか窓から逃げる。
通路には誰もいない、急がなきゃ。そしたら、近づいてきたヌメモン達。大輔はサッシにつかまったまま、ブイモンに手を伸ばす。
ブイモンも手を伸ばしたのだが、手が止まった。

「何やってんだよ、早く来いってば」

「後から行くから、早く行って!オレまで引き上げてたら時間ないよ!」

「何言ってんだよ、トコモン進化出来ねえんぞ、お前いないとヤバいって!」

「いーから早く!」

しるか、と大輔はブイモンの腕をつかんで引き上げようとする。はやくはやく大輔君!と後ろでタケルが急かしている、わかってるよ!
でもブイモンは大輔の腕を払った。とうとう見つかってしまう!コカトリモンがやってくる!
ブイモンはごめんと口走るや否や、思いっきり壁にブイモンヘッドをかます。ぐらぐらと揺れて、たまらず大輔は押し出されてしまった。
ブイモン!と慌てて上ろうとした大輔が見たのは、石になってしまったブイモンである。
大輔は頭が真っ白になった。オレに何かあったら、守ってくれる?と言われた言葉が蘇る。言えなかったけど、言えなかったけど、
もし何かあったら守ろうって思ったのに!あの時のは嘘だって言おうと思ってたのに出来なかった!どうしよう、どうしよう、ブイモンが!
完璧に硬直している大輔の異変に気付いたタケルは、慌てて大輔に呼びかける。全然返答がない。手をつかんで、えーいっとのぞき込んだら、
ブイモンが石になっているのが見えた。そしてヌメモンに運ばれていく。コカトリモン達が食堂から逃げたタケル達を探してどっか行っちゃった。大変だ!

「大輔君、大輔君ってば」

身体を揺すっても返事が無い。反応も無い。ブイモン、ブイモンッと慌てて戻ろうとする大輔の大声を、しーっていって、慌てて引き止めた。

「なにすんだよ!」

「早く逃げよう、大輔君、僕達まで石になっちゃうよ」

「でもブイモンがっ!」

「ブイモンが逃がしてくれたんでしょ、今僕達が捕まったら、みんなに知らせられないよ」

「でもっ……でもっ……!」

どうしたんだろう、大輔君。いつもの大輔君だったら、そのまま突っ走ったら危ないってことちゃんと言ったらすぐにわかってくれるのに。
かっとなっている、周りが見えなくなってしまう、のはすぐに収まって、あっけらかんってするのが大輔君なのに。
明らかに狼狽しきっている大輔は、タケルが知っている大輔ではない。トコモンも心配になって、どうしたの?と聞いた。

「俺、ブイモンに言われたんだよ。ブイモンになんかあったら、守ってくれるかって。
でも、でも、俺っ……答えられなかったんだよ、多分って言っちゃったんだよ、あいつ、すっげー悲しそうな顔してたのに!
どうしよう、どうしよう、俺、ブイモンに何も出来なかった、嫌われたらどうしようっ!」

ブイモンがその発言をしたのは、大輔が周りの空気に呑まれて、悲鳴を上げる自分の心をないがしろにして、
みんなを守るために戦おうとしたのを止めるためにした、いわば楔だった。大輔の無意識はそれに気付いて、思わず足が止まったのだ。
無理しなくてもいい、とわかってくれる存在があると理解した大輔の身体は、自然とブイモンの言葉に耳を傾けていた。
ブイモンは大輔が大輔を見失っていた時に、半ば脅すような形になってしまったが、我に返すつもりで言っただけであって、
他意は無い。大輔が自分のいい所を悪いところだって思いこんで、大嫌いになっている所が悲しかっただけだ。
もちろん大輔もブイモンが大輔のことを嫌いになるなんてありえないって知っている。
でも、ちゃんと答えられなかったこと、そしてブイモンに唐突に質問をぶつけられた理由がさっぱりな大輔には、
あまりにも強烈なインパクトを持っていたのである。そして短絡的な思考しかできない幼い心は早急に結論を付けてしまう。
ブイモンが「そのまんまの大輔でいいんだ」といくら言っても、大輔はなかなか自分のいい所に気付いてくれない。
すべては訳のわからないものが原因である。だから、ブイモンの発言と発言の間がうまくつながらなくて、意味不明だったのだ。
そしてこの狼狽ぶりである。

「大輔君!」

タケルに耳元で怒鳴られた大輔ははっとする。

「しっかりしてよ、大輔君がそんなんじゃ僕だってどうしていいのかわかんないよ。
よくわかんないけど、ブイモンは僕達のこと助けようとしてくれたんだよ、僕達逃げなくっちゃいけないんだよ、
捕まっちゃったらブイモンのしたこと、無駄になっちゃうよ!」

守られる立場の先輩は、どこまでも度胸が据わっていた。

「今は逃げなくっちゃだめだよ、大輔君!僕達、捕まっちゃったら何にも出来ないんだから!」

「でも、でもっ……」

「落ち着いてよ、大輔君。忘れちゃったの?逃げるが勝ちって言ったのは大輔君じゃないか!」

おもちゃの街にいくもんざえもんを追いかける、追いかけないでもめた時、そう言ったのはほかならぬ大輔なのである。
ヌメモンから襲われたらどうするかって言った時だ。大輔君ってすごいんだなあって思ったからタケルは覚えている。
てっきりそういう意味だと受け取っていたタケルは、大輔がどうしてずーっとぐずぐずしているのか分からない。
全然大輔らしくない。なんかへんだ。ちなみに口走った本人は、なんにも考えずにタケルを説得するために並びたてただけだ。
俺そんなこと言ったっけ、と心の中で呟いてみた大輔は、大人しくなる。
ちょっとだけ落ち着いたのだ、と勘違いしたタケルは、いつもの大輔になってくれたとほっとする。
微妙にずれているが、まあ、落ち着くところには落ち着いたので良しとしよう。

「わりい、タケル、トコモン。そーだよな、俺達ががんばらねーと、ダメだよな」

「よかったー、またかっとなっちゃったんだね、大輔君。任せてよ、また僕が止めてあげるから」

「……お、おう?よろしくな」

かっとなった訳ではなく、らしくなく弱気になってしまっただけなのだが、まあいっか。

「僕も頑張るよ!」

唯一のデジモンになってしまったトコモンがタケルの頭の上で力強くうなづく。タケルと大輔は顔を見合せて笑った。
どうしたのー?と不思議そうにトコモンはいう。トコモンは本当にちっさいデジモンなのである。タケルや大輔が抱っこできるくらい。
こんなちっちゃなやつが頑張るんだ、俺が頑張らなくてどうすんだ、と大輔はまだぐるぐるしている心をなだめすかして、
本調子を取り戻すべく、前を向く。悩みとかそういうのはあとでいいや、その時になったら考えればいい。
ブイモンに後で聞いてみなきゃ、姉ちゃんに聞くって決めたんだから、逃げてちゃ意味がない。

慎重に通路を左右確認して、誰もいないことを確認した大輔とタケルは、エントランスホールに向けて、走り出したのだった。



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