中日スポーツ、東京中日スポーツのニュースサイトです。ナビゲーションリンクをとばして、ページの本文へ移動します。

トップ > 中日スポーツ > 芸能・社会 > 紙面から一覧 > 記事

ここから本文

【芸能・社会】

岡田茂さん 通夜 菅原文太、三田佳子が別れの言葉

2011年5月11日 紙面から

東映の波をイメージした岡田茂さんの祭壇(嶋邦夫撮影)

写真

 肺炎のため9日に87歳で亡くなった東映の名誉会長、岡田茂さんの通夜が10日、東京・青山葬儀所で営まれた。「網走番外地」「仁義なき戦い」など任侠(にんきょう)・実録映画路線で一時代を築き、戦後の映画界をリードした岡田さん。幅広い人脈を示すように芸能界、政界などから約2400人が涙雨の中参列し、その死を悼んだ。

 お別れの言葉を担った菅原文太(77)は、約8000本の菊などで東映映画の象徴「波」を表現した祭壇の真ん中でほほ笑む遺影に向かい、「もうケンカもできなくなりましたね」とあいさつ。その上で「心配しないでください。後が育っています。今の偽善的な世の中にパンチを食らわす作品が必ず生まれます」と批判を尻目に斬新な企画を次々手掛けた岡田イズムの継承を誓った。

 小林稔侍(68)が進行を務めた式で、弔辞に立った三田佳子(68)は、強烈なリーダーシップで“映画界のドン”とも呼ばれた岡田さんらしいエピソードを披露。あまりの忙しさに不満をぶつけた時、「後先を考えず進むことも必要だよ。立ち止まってはいかんのだよ」と言われたという。「揺るぎのない一言が私の身のうちに染み込んで、大きな指針となっています」と明かした。

 弔電は、実に約2000通。岡田さんが大スターへと押し上げた高倉健(80)は「大きな時代の節目を感じるお報(しら)せでした。長い間お疲れさまでした」との文章を寄せた。

 戒名は、隆徳院殿茂岳秀榮大居士(りゅうとくいんでんもがくしゅうえいだいこじ)。素晴らしい業績を残した人の意味が込められた。葬儀・告別式は11日午前11時から同所で営まれる。

◆長男・裕介氏「別の形の東映作る」長女・美也子さん「甘い父親だった」

 通夜の前には、長男で東映社長の岡田裕介氏(61)と長女の日本大学教授・高木美也子さんが会見した=写真。岡田茂さんは、映画づけの人生を「いい人生だった」と振り返っていたといい、病室で「頑張って」の呼び掛けに「頑張る」と答えたのが最後の言葉だったという。

 仕事には厳しいと評判の岡田茂さんだったが、「怒られたことがない」(裕介氏)、「甘い父親だった」(美也子さん)と、家では別の顔を見せていたよう。美也子さんは「昔は岡田茂の娘がプレッシャーだったけど、今は良かったと思います」と涙ぐんだ。裕介氏は「オヤジは脱テレビだったが、今はテレビと映画を作る時代。今後は別の形の東映をつくっていきます」と話していた。

 

この記事を印刷する

PR情報

Ads by Yahoo!リスティング広告



おすすめサイト

ads by adingo




中日スポーツ 東京中日スポーツ 中日新聞フォトサービス 東京中日スポーツ