「岡田さん、もうケンカ、できなくなりましたね…。よく怒鳴られ、怒鳴り返したこともあった…」
岡田氏とは映画の作り方をめぐりよくケンカをしていたという文太は、今は穏やかにほほえむ遺影を見つめながら静かに語りかけると、懐かしそうに遠くを見つめた。
新東宝、松竹を経て、73年にスタートした東映の任侠映画シリーズ「仁義なき戦い」の主演に起用され、一躍銀幕スターへと上り詰めた。そのきっかけを作った“恩人”、そして日本映画界のドンと呼ばれた岡田氏の訃報に、「大木が倒れた」とうつむいた。
「飛騨の山に50年入っていた山男に聞いた話だけど、ふた抱えもあるヒノキを電気のこぎりじゃなくて大きな手ノコで倒すときに『ヒノキ一本寝るぞ〜』と呼ばわるそうです。昨日の朝、岡田さんという大きな木が倒れる音が、農園の裏山から聞こえてきた」
が、男の別れに涙はいらない。再び前を向くと「でも、心配しないでください。岡田さんの後のヒノキが大きく育っていますから。いまの偽善的な世の中にパンチを喰らわすような東映作品が、必ず生まれます」。天国の恩人を安心させるよう力強い声で呼びかけた。
同じく東映のスターに育て上げられた三田は弔辞で、当時のあまりの忙しさに「岡田さんに『もう少し自分を見つめる時間を下さい』と直談判をしに行ったことがある」と秘話を披露。岡田氏に「仕事というものは後先考えずに、前に前にと進むことも必要。ここで立ち止まってはいけない」と諭されたといい、「今でも私の大きな指針です」と明かした。
ほかに女優の吉永小百合(66)ら2400人が弔問。映画界にとっての大きな損失を嘆き悲しんだ。葬儀・告別式は11日に同所で営まれる。
(紙面から)