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宮城・南三陸に「番屋」が完成、学生ら30人が支援

2011年5月8日5時11分

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【動画】宮城県志津川漁港に大学生ら「番屋」手作り

写真:番屋が完成し、もち投げをして祝う漁業関係者や大学生のボランティアたち=7日午後3時8分、宮城県南三陸町の志津川漁港、西畑志朗撮影拡大番屋が完成し、もち投げをして祝う漁業関係者や大学生のボランティアたち=7日午後3時8分、宮城県南三陸町の志津川漁港、西畑志朗撮影

 大津波で壊滅的な被害を受けた宮城県南三陸町の志津川漁港に7日、漁師らが集う「番屋」が完成した。宮城大の学生らによる手作りの「贈り物」。地元の漁師らは「復興の第一歩」と喜んだ。

 取り組みは、宮城大事業構想学部の竹内泰准教授が指導した。同町出身の学生、工藤茂樹さん(20)の実家は、カキの養殖・加工を営んでいたが、養殖施設も自宅も被災ですべて失ったことを知り、支援を申し出た。

 震災で売れなくなった木材を安く譲り受けるなどし、学生や教員ら約30人と、3日から作業を進めた。避難生活をしていた漁協の若い会員らも、集まって作業に加わった。

 7日は、津波で流されなかった大漁旗を掲げ、もち投げで完成を祝った。工藤さんの父、忠清さん(46)は「仲間が集まる場があれば、前向きな意見も出てくる。楽しいです。みんな笑顔だ」と、声を弾ませた。(浅倉拓也)

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