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ちまたの旬な話題から、日本の未来像を問うテーマまで。


これからのエネルギー政策を考える〜

守りは鉄壁だけど、なにも説明しない罪

大西 宏のマーケティング・エッセンス

大西宏 プロフィール

東電の清水社長の記者会見は、なにのために記者会見を行なったのかの開催意図も不明なままに終わりました。清水社長の復帰を印象づけたかったのかもしれませんが完全に失敗でした。

以前の東電の記者会見でも感じたものと同じで、問題になる発言をしないように、慎重に言葉を選び、しかもどのような質問があっても、同じ言葉を繰り返す頑なな態度でした。

コンプライアンスの目的は企業防衛?

そこにあったのは、危機に立ち向かうリーダーでも、インフラ企業として社会責任を果たそうとするリーダーでも、また現場の劣悪な環境で危険を冒して作業している人たちを勇気づけるリーダーでもなく、鉄の鎧兜で身を固め、守りに徹しているという姿でした。

事態をどう感じているかという説明も、現在の課題はなにであり、どのような手を打っており、経営会議ではなにを検討し議論しているのか、さらにこの先にどのような対処を行おうとしているかを説明するのが、東電経営者には求められているはずですが、その発言はほとんど皆無でした。

清水社長はもはや現場を動かすリーダーとしての立場は、おそらく社内でも失ってしまっているものと思います。辞任はタイミングの問題だけだと思います。

そのことはご本人も認識されているでしょうが、あとは生き様の問題であり、東電を守ることに残りの人生を捧げられるのか、あるいはなぜFUKUSHIMAが起こってしまったのか、そこにいたった失敗の原因を、正直に語られるかしかないのです。

東電清水社長が社会貢献できるたったひとつの方法

なぜなら、社会は学ばなければならないからです。問題は、原発を進めたことではなく、実はこれまで起こってきた原発事故を正しく学び、対処してこなかったことにあるはずです。

いや、東電の原発問題だけでなく、危機にどう向き合い、どのように対処するか、また失敗をどう学ぶかを日本は怠ってきたのではなかったでしょうか。

本日の日経「大機小機」で書かれているのと同じ思いをしています。
国難である。地震、津波も深刻だが、原発事故は日本の危機管理体制の欠陥を露呈した。この欠陥は原子力政策に限ったものではない。1990年代から日本経済は失政に悩まされてきた。バブル対応、不良債権処理、制度改革、デフレ対策と、政策は後手後手に回ってきた。大震災以前から日本の危機管理体制は欠陥だらけであった。
総需要抑制論の誤り(大機小機

なぜ危機管理ができないか、それは危機に直面してなにも決断しない、またなにも対策を講じないことを許してきたからでしょう。そのためには、危機に対して「なにもしない」「なにもできない」ことは厳しく問うべきなのです。

日本の官僚も、現実は時代が変化し、求められることが異なってきても、過去を踏襲しつづければ責任が問われないために、日本を危うくしてきました。

危機管理というと、危機対応マニュアルの有無がよく問われますが、もちろん不測の事態を想定した危機対応マニュアルを整備することは重要だとしても、危機は「不測の事態」として起こるものであり、「想定外の事態」にどのように取り組むかを決断し、行動する能力なのです。

失敗を反省しない、うやむやで済ます、時が過ぎ忘れさられるのを待つ、挙句の果ては責任転嫁する。そういった誘惑は誰にでもあるのかもしれませんが、それではなにも学べないし、ほんとうに不測の危機が起こったときに、どのように向き合い、どう行動すれば良いかも学べません。

政府や東電の一連の危機対応の是非は、一段落した段階で、どうであったかを検証する必要を感じます。
さらに過去の政権下で危うい原発行政を進めてきた人たちも同じく、どのような判断に誤りがあって、どうしておれば事故は防げたのかの検証も必要でしょう。清水社長にはぜひその引き金を引いてもらいたいものです。

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