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2006年4月24日 (月)

松永英明さんへインタビュー ⑤

R30 :積極的な帰依というのは、宗教的なルールに定められてる以外のことはしないというのだと思うんですよ。で、もう一つは、消極的なと言ったら変だけど、ルールに禁止されていること以外はOKっていう(笑)、そういう信心の仕方もある。仏教徒のつもりである僕自身は、仏教が在家信者向けの戒律で禁止していること以外はなんでもOKという感覚です。松永さんは、自分の中のそういうつまみを今どの辺に回そうとしているのかっていうのを聞いてみたいんですが。

松永 :それは松永として行動しはじめた時点で、かなりゆるい方向に行って、出家者としては普通やんないというところまで実際振り切れてたというかね。だから実際破戒者と言ってもいいんじゃないかというくらいのレベルまでは当然行ってて、それでもう「これはサマナじゃないよな」という自覚が完全に出るぐらいにはなっていた。だから2003年の夏に、教団の経済状況が悪化してきたから、外で働いてくださいと言われて働きはじめたら、もう外に振り切ってしまったという状況で、とにかく仕事を3つ4つ同時進行でやってたりとか、それはそれで一生懸命やってるわけなんで、回りからは止めらんないわけです。「もっと宗教的なこともやらないとまずいよ」と言う人たちもいるんですけど、「はいはい。でもこれ片付けないとだめだから」って感じ。そうしている内に、宗教的な枠組みの中で生きてる感じはなくなっちゃってる。それこそ完全に出家者の中の枠組みとして生きてるというところから、もう完全にふっきれてしまってたというか。

R30 :つまり今はそのつまみをすごくゆるめている状態だと思うんですけど、それに対するある種居心地の悪さみたいなものを何か感じてます?というのは、今までの話を聞いている中で、やっぱり2000年の復帰というのも、それからここに来て教団を出てきたというのも、ある意味経済的な変化の中で起こってきたことなのかなあという気がするんですよ。人間って決して経済状況から自由で有り得ないので、それはしょうがないと思うんだけれども、松永さん自身の望む方向性というか、自分が本来あるべきだと思っているつまみの位置というのは、どの辺なのか。経済状況が許すかどうかとは関係なく。

松永 :あるべきというのがどこか、多少気分的なものというのはあると思うんだけど、ただ自分としては、自分の性に合っているのはおそらくゆるい方なんだろうと。元々修行者のタイプとして瞑想だとか欠かさずやっていて、教団のための仕事であっても、それはやらないといけないからやるっていうタイプの人と、むしろ私のように、瞑想はやれと言われたからやるって感じのタイプ、教団のための仕事とか、仕事としてやる分にはいくらでもやるけれどというタイプがあって、私はどうしても瞑想だとか、内向きに入っていくよりも、何かやってる方がいいところがあって、そうすると仏教的戒律の最低限のところで、あとはふっきらせてもらった方がということはあると思う。
2000年の時に戻ったというのも、完全に修行に専念するということじゃなくて、宗教的なことが絡んだ仕事があるからっていう。その教団内もゴタゴタしているのがおさまったというのがあったし。ここは大きいと思う。だからいきなり「じゃあここで修行に入りなさい」と言われていたら、行ってなかったかな。

R30 :2000年にもし修行できる環境ができたから戻って来いよと言われてたとしても、多分それは嫌だっただろうと。

松永 :それだったらちょっと違ったなっていう。

佐々木 :やっぱり表現することが好きなんですか。

松永 :そうでしょうね。表現するのか、或いは組み立てるのか。わからないことをわかるようにするとか。

佐々木 :解き明かしたりとか。

松永 :ええ。できるだけわかりやすい言葉で、自分のわからなかったことがわかるようになった部分をみんなにもわかるようにできるかなって。そこは自分の中に課題としてある。そこにはあまり宗教性ないよね。

R30 :うん。それは単に個人の能力の適性の問題だから。多分社会的に言うとね。

松永 :だから宗教的なものというのは、ひとつの方向性だったけれども、自分のいわゆる社会の中でやっていきたいこととなると、そういう表現になってくるかなぁ。

R30 :「光源氏」とか、松永さんの世界観的な言い方で言えば、圧倒的に「カルマを増やす」方向だよね。そういう仕事をやらなきゃいけない局面に対しても、それはもう、カルマを増やしているかもしんないけど、別に戒律を破っているわけじゃないからいいやというぐらいの割り切りは、もうできちゃってるんですかね?それとも、そこは本当はやりたくない?あるいは、なるべくなら世の中全体のカルマを減らす方向にしていきたいという感じなんですか。

松永 :だからあんまりあざとい方向のことはやりたくないし、悪いものを煽るようなことはやりたくないけど、今はもう結構割り切っている部分が多いかな。

佐々木 :自分の仕事としてこれをやりたいというような目標ってあるんですか。

松永 :具体的にこういうのってのがあるわけじゃないんですよね。だから今言ったのはかなり抽象的な、ものすごくわかりづらいと思われているものをわかりやすく表現するような、そういうことをいろいろやっていきたいというのはある。

佐々木 :そのわかりづらいものという対象は何かに限られる?

松永 :いや、とにかくわかりづらいものなら何でもいいです。例えばね、日本史世界史で、これって絶対わかりやすくなるっていう本の企画あるんです。

佐々木 :ほー、それは勉強する人向けですか。

松永 :勉強する人向け。ただ、一般的に社会人が読んでも、「ああ、こういう仕組みか」という。頭の整理ができるような、そういうものは作れると思う。

佐々木 :それはもう、人間のタイプとして宗教者というよりは、違う人ですよね。

R30 :学者(笑)

松永 :あんまり自分の行動も潔癖だとは思ってないし、ネットで書くことも悪口書くし、人を煽ってるし。全然聖人君子じゃないよなという。

佐々木 :お聞きしているとね、松永さんが宗教に向かうというのは、自分のステージを高く上げたいとか、解脱したいとか、そういうことじゃなくて、ただ単に、世の中の仕組みを解き明かしたいというような、この複雑な構造の世界をいかにすっきりと見せるようにするかみたいなところに、実は興味があるのかなと思ったりするんですが、どうですか?

松永 :それはそうかもしれない。教団の中でも「あなたは何を目指しているんですか」と改めて問い直されたりした時に、だいたいの人が「解脱」とか「悟り」とか「救済」とか言う。私は、んーどれもピンと来ないなっていうのがあって。

R30 :そうなんだ。むしろ体系的に「これはすごい。俺の世界理解をここまでわかりやすくしてくれた」みたいなことの方の感動があるんだよね?

松永 :それもある程度、いろんなとこを体験できるといいなというのは当然あるけれども、解脱・悟りというのは、できたらいいけどねっていう。

R30 :涅槃の境地へたどり着くまでにもっといろんな楽しいことがあるだろう、とかそういう感じ?

松永 :うん、すげー遠いよな。

 :松永さんは、サマナの中では異端者みたいなものだったんですか。

松永 :異端と言えば異端だけどね。ただある意味、異常にプラス思考だった。最近ちょっと落ち込んで、異常なくらいプラスじゃなくなってんだけども、それ以外の時は基本的に信じられないくらいプラス思考。私としゃべっていると何でもできそうな気がするという話があって、そういう意味では重宝されていたみたい。

 :例えば、今日のインタビューを読者に伝える時に、オーソドックスなオウムという感じでは伝わらなさそうですよね。

松永 :みんなひとりひとりがすごく個性的だとは思う。いわゆる正悟師ひとりずつに聞いても、まるで話が違うと思うのね。規格化されたオウム信者というのは、なかなか出てこないと思う。同じようなことを言う部分はあると思うけど。

 :この問題に限らず社会問題って何でも一括りにしたらまずいと思うんですけど、少なくとも私が読んできた手記にはすごく統一感があったんですよね。

R30 :それはそういうものを選んでるから。

 :そうなんですかね、やっぱり意図的に選んでいるんですかね。

松永 :だってそれは脱会しましたということをアピールした手記なわけでしょ?だとしたらそれは強調しどころがあるから。

R30 :その時に「俺はここまで自分で考えてもっと強くなれたから脱会した」と書くよりは、「ここまで弱かったんです、すみません、全てを反省しますから脱会します」と書いた方が、世の中に認められる商品価値が高い。

松永 :マインドコントロールにかかってた、みたいなね。で、納得しやすい。

 :そうなんですよね。でも、これ家族とか、回りに支援者がいなければ絶対救われないだろうと思うような内容なんですよね。

松永 :確かにね、今から教団出ますと言った時に、経済的問題だとか、或いは仕事がない間どうするのかとか、そういう問題は絶対ついて回るので、私の場合は、仕事も蓄えも何とか確保できたというところで、家族はないけど出ることに踏ん切ることができたというところはあったよね。だから、もう教団の中はうんざりという人たちもいたとして、でも、それこそ世間の反応もあるし、だったら中の方が安泰でいいやってのもどうしてもあるよね。私も正直言うと、結構そういう感じのわざわざ出るまでもないかなというのはあったの。

R30 :話が若干それちゃうんですけど、今のアーレフに関して、ものすごくわけわからなさを感じるのは、麻原の子供の存在なんですよ。多分、教団の中の人にとっても、あの人たちは特別な存在でしょう?とすると、あの人たちの存在が、これからもある意味教団にとってはリスクファクターであり続けるだろうと思っていて。彼らは今どういう状態で、何を考えているのかという質問なんですけど。

松永 :実際ほとんど接点がないんで、私がアーチャリーのところにいるという説をネットで元サマナが流してるらしいんだけど、なんでやねんっていうね。そもそも2000年以降、教団と家族というものは切り離される方向で行って、係わらないことでお互い安泰っていう。家族の方は教団と係わりませんということで、社会の中で生かしてもらい、教団の方も、家族を連れて来ないことで、今まで独自路線というのかな。
さっき教義のところで言いそびれたんだけど、グルイズムという要素が危険視されるところなのかなというのはあるけど、グルイズムを切り離すために、家族とは切り離すというのがある。例えば裁判だとか、そういうところでどうしても接点は一部あるわけだけれど、一般的にサマナは、その家族とは接点を持ってない。

R30 :っていうのはでもさ、ある意味建前論じゃない?

松永 :と言いつつ、実際のところ係わりようがないんで、何とも言えないという。
三女は一時期後継者指名があったけど、じゃあ教団を引っ張れるかというと、全く社会的経験はないに等しい。やっと大学に1回断られて入れてもらえましたという段階でしょ。すごくしっかりした人だと思うけど、その人を担ぎ上げて教団がまとまるのかとか、今のこの状態の教団を何とかできないか。できるわけないとみんな思ってる。

佐々木 :松永さんにとってグルというのはどういう・・・今でも信仰対象なんですか。

松永 :今イメージに浮かんでこない。だから、自分のイメージとしてはそれこそ先生なわけね。(注釈:グルは、サンスクリット語で「先生、教授」の意味)

佐々木 :さっき言ってた統一された世界観を作り上げたのは彼なわけですよね。それを作ったことに対して、多分すごいなという気持ちがあるんだろうけど、その作ったことによるすごさと、その人自身がある種の精霊というか神というか、そういう存在とはちょっと違うじゃないですか。どっちなのか、それとも両方なのかというのは。

松永 :(長く考えて)自分の体験としては、すごく力のある人だったなと。霊的力のある人だなという体験は自分自身にとってあって、だからそこで恩恵を与えられたという印象はある。ただ、教団に反発して辞めたという人たちが持っているような恨みだとか敵愾心だとかは私は特に持ってない。逆に言うと、「なんであんな事件起こしたんですか?教えてくださいよ」という気持ちがあるけれども。「なんであんなことになったんですか」と。

佐々木 :そうすると、松永さんの心の中のイメージとしては、あの世界観を作った麻原彰晃という人が事件を起こして被告となっているというのは、イメージとしては分裂してるんですか。

松永 :イメージとして分裂しているというか、それは同一人物であるんだけど、つまり1人の人間であっても、いろんな要素があるわけでしょ。すごく仕事できるけど、家では飲んだくれているとかね。いろいろな部分はあるけど、でもだからといって全て否定するわけじゃないし、全て肯定するわけでもない。そういうイメージ。じゃあもう1回サリン撒けと言われたらサリン撒くのかという質問はよくあるのだけれども、なんで撒かなあかんのですかっていう。

佐々木 :ある種アンビバレンツなものがあるんですか。

松永 :アンビバレンツというか、どういうんですかね。(しばらく考えて)自分の直接知っているグルというものと、事件に係わった自分の知らない部分をすり合わせるのが結構大変というのはありますよね。

佐々木 :すり合わさったんですかね、あれから10年。

松永 :あれが同じ人であっても不思議ではないんだなというところには来てます。

佐々木 :それは、人間の多面性として理解しているということですかね。

松永 :多面性というか、事件自体、結局裁判でもなんか明らかになったかというと、明らかになってないですよね。

佐々木 :まあそうですね。

松永 :明らかにする前に判決を先にしろみたいな感じで。だから、何もわからないと言えばわからない。実際、推測は私としてはやっている部分はあるけれども、例えば「サリン事件は井上さんだろう」とかね。「あの人が指揮したんでしょう?間違いないんじゃないの?」みたいな感じだったりとか、そういうところはあったりするんで

R30 :状況証拠として、少なくともオウムがサリンを持っていた。井上さんは自分でやったと言っている。麻原が言わないことをわざわざするような人はいるはずがないだろう。というところまではみんな感じてるんだけど。

松永 :グルが許可を与えるかどうかというのはあるけれども、全て発案するのか、それとも「やりますけどいいですか?」「ああ、いいよ」みたいなノリなのかっていう。その辺はニュアンスとして有り得るんだけど、見てないからわかんない。でも、それは有り得るのね。弟子がなんか変なことを言い出して、「いいよ、やれば」みたいな時は結構あったんで。で、失敗して「やっぱりだめです」「そうだろう」みたいな。失敗させるグルだったのね。弟子が好きなことをやりたいと、「じゃあやってみれば」みたいな感じで、やってみて失敗して「ホラだめだろう。どうしてだめだったかよく考えろ」というタイプのグル。失敗させるタイプのグルなので、だから「突拍子もないことやります」とか「ここでやればうまくいくんです」と弟子に言われたら「そうか、じゃやってみろ」と言う可能性はあるよね。

R30 :権力が教団を狙ってるという話は、麻原は自分で言ってたわけですよね。俺たちは付け狙われているという話をすることで、「じゃあ私こうやります」と下の人間が言って、「やれば」と言ったというところは、流れとしては考えられるということ?

松永 :だから具体的方法は、おそらく下から上がってる。だから「強制捜査何とかならないのか」ということを言って、「じゃあサリンを撒けばいいと思います」みたいな。井上さんは言いかねないと。「うんそうか、じゃあやってみろ。本当にうまくいくのか」という会話はあると思う。「いきます」みたいな。

佐々木 :でも、それは推測なわけでしょう?

松永 :うん。でも、ありそうな会話だからね。

R30 :雰囲気的にはありそうみたいな。

佐々木 :でも、その可能性を頭に浮かべることによって、グルの責任が若干薄まればいいなと松永さん自身が期待しているからじゃないですか、それは。

松永 :もしかしたらそうかもしれない。ただ、いわゆる省庁制以降の教団ってのが、全体にそういうノリだったと。例えばイニシエーション開発なんか、ほとんど全て法皇官房が推進していて、グルはそれに対する承認を与えるくらいの感覚だったという流れもあるので、今言ったのは、事実からそんなに離れているとは思わない。むしろ、「そういう会話があったんだよ。ここで認めたんだから罪があるよね」と言われたら「はい」っていう感じ。

R30 :社会的には、それが殺人教唆と言われたら、まあそうかもしれませんねって。

松永 :そうそうそう。そうなんですねと逆に認めやすいっていう。でもね、逆に何でもかんでも上から指示があったと「あいつら殺して来い」という話になるとピンとこないっていう。

佐々木 :結局折り合ってないんですよね。

R30 :ハハハハハ

 :そうなんですよね。

佐々木 :主犯であるグルと世界観を作ったグルというのが、相変わらず

松永 :そういう意味では折り合ってないという話になる。ただ今のような流れを想定するならば、同じ人がやっているという風につながるという。あの人だったらそういうことを言うだろうなっていう。

R30 :でもさ、世界観がそういう集団行為を生み出したとは考えないの?そこどうなんですか。

松永 :それはね、世界観というよりは、もっと実務的な部分でこういうことになったんだろうと。

R30 :アホなイエスマンを省庁のトップにしたからだと、ぶっちゃけ。(一同苦笑)

松永 :いや、それを最終的に決めたのは、親分ですからみたいな感じだから。教団というものが動いていて、それこそ省庁ごとのせめぎ合いがあった。それぞれが勝手に動こうとしているみたいなところがあって、つまり弟子が、特に有力な弟子がいろんな方向に動こうとしてた。

R30 :功名争いだもんね。

松永 :まあそれもある。こっちでは功績上げてるが、こっちでは全然何もないとか。こっちは全然関係がないとか、経理は経理で出し渋るとか、いろいろあの頃は省庁間の壁みたいな感じで、実際中でもそういうことを言われていて、何かやるにしても、向こうの省庁のトップの人に許可をもらわないと、この人に仕事頼めないみたいなね。そういうものが教団運営という次元のところから来てるのかなという部分もある。だから、一つ理解できないのは、サリンの攻撃を受けているという話が広まっていて、例えば第3次大戦がもうじきはじまるんで、そのためのシェルターだとか防御の仕方とかを一生懸命開発してますということは本気でみんなやってた。つまり、攻められた時にいかに守るかということをみんな考えてた。ところがなぜかサリンがあった。それは攻められた時にみんな逃げ込もうという教団の中の思考回路を持って言っているのに、かたっぽに攻めるものがあったというのは、そこはすごくわかんないところだね。なんでそんなものがあったの?みたいな。或いはミサイルがあったとか、自動小銃を作っていたとか。自動小銃なんてのは、話を聞くと、撃った人が死ぬみたいな武器らしいんだけど、そんなものこわくて誰も撃てないよ。大量生産の話もあったみたいだけど。だから、サリンができてしまったというのは、予想以上にできてしまったんだろうと思うんだけれども、作れと言っても出来ないと思ってたんじゃないかみたいな。

R30 :問題の根源は、サリンを誰が作れと言ったかという話でさ、それは井上さんなのか、土谷さんが自分で作ると言い出したのか。井上さんは裁判では、

松永 :あれは違う話でしょ

R30 :違う話だけど、麻原さんがやれと言ったんだっていう話をしてるわけだよね、彼なんかは。

佐々木 :サリンを撒かなくても、実はサリンを撒いたのは強制捜査が間もなくだって話だから撒いたわけで、もし強制捜査が来るという話がなければ、自動小銃を量産して、それで部隊を作って霞ヶ関に乗り込むという計画が夏くらいにあったわけでしょう?

松永 :その話はよくわかんないっていうか、いわゆる早川メモとか、その世界ですよね。

佐々木 :そうですね。

松永 :そんなもん誰も知らないしどこの誰が銃を撃てますか、みたいな。だってみんなそんな体力もないし。

佐々木 :教団としてトータルとすれば、やっぱり国家に対する挑戦をしてたのは、もう否定できない事実ですよね。もう10年経ちますけど。でも、じゃあ事件を起こさなかったオウム真理教、教団っていうifの可能性というのはあったんですか。どう思います?

松永 :それだけいろいろ裏で準備されていたというのが。うん。それが全部なかったとしたらというぐらいの想定にはなってしまうので

R30 :多分世の中が求めるのは、そこまで深く考えて求めてる人がいるかどうか知らんけどさ、多分ネットも含めてガーっとみんながオウムを揺するのは、やっぱり世界観というものと現実にオウムがそこまでのことを考えていたという傍証みたいなものとかさ、やっぱりオウムの人の中で、未だに結びついていないことに対して「なぜだ」みたいなさ。多分言い分としてはそういうことなのかなと。非常に深く考えると。だけど、それは現実問題松永さんの中では結びつかないよねということなんですよね?未だに。

松永 :うん、そう。例えば革マルとか中核だと革命を起こすことのために、そこに入ってこうやって鉄パイプを振り回すわけでしょう?それは目的と行動と日常が全部一致してるんですね。ところが、オウム信者は全然一致してなくて、でもごく一部の信者は動いてて、ほとんどが完全に知りませんでした。

R30 :それって、「戦争をなぜ日本が起こしたのか、お前は靖国に行って参拝することをなぜ反省しないのか」と未だに言われてる話と構造が全く同じで、「いや、私はそこまで考えていませんでしたよ」というのと、ほとんどレベル的には同じですよね。単にそれが非難する側とされる側の両方の集団を比べたら、される方の日本の経済力が圧倒的にでっかいから、する方は黙ってるしかない、みたいな。そういう感じだよね。

松永 :これから例えば「今サリン作ってます」とか言って、作り始めたら材料を運びはじめた時点で教団壊滅というのはわかっているから、そんな派手なことをやれると思ってないというのもある。例えば仮に今サリンを作りますと言って、当然それに対しては、そんなもん金払えるかということになると思うんだけれども、そうじゃないものが、いつの間にか違う目的で使われてましたと。自分がそこに係わっていたら、それは感じるだろうけれども、いつの間にか自分の稼いだ金が違う目的で使われて、別のものを作ってましたと、しかもそれは武器でしたみたいな。

佐々木 :事件を起こしたのはごく一部の人たちで、他の人は知らなかった。それは確かにそうだと思うんですけど、それから10年以上経って、その間ずっと分裂したイメージをどうやって融合させるかという努力を教団内部の人間はやってきたはずですよね。俺たちは殺人教団なのかどうなのか、その努力は10年経っても相変わらず実っていないと思うのですが。

松永 :それは内部にいると、少なくとも人を殺すために教団に居続けるという人はいないわけですよね。

R30 :だから俺らはやってないよね、知りもしなかったしって。

松永 :自動小銃作るのに係わっていました、部品作っていましたと。或いはロシアへ行って拳銃売ってきましたという人もいたりはするんだけど、じゃあそういうことをやるためにもう1回教団に戻ってくるのかと言ったら、そうではない。さっきの革マル中核の喩えというのはそこで、そういう目的だったらある意味確信的なというか、そのための目的があるんだけど、

佐々木 :彼ら(革マル・中核)は別にね、社会から批判されても、警察に捕まって裁判起こして有罪になっても全然屁でもないわけですよ、確信犯なわけだからね。オウムはそうじゃないわけでしょ。

松永 :そうなんです。

佐々木 :だから、もちろんもう1回事件を起こすということはないんだけど、さっきの話の繰り返しになっちゃいますけど、外からは贖罪しろよと言われ続けて来て、内部ではピンと来ないと言い続けて、それでもう10年経ってるわけでしょう。なんで未だにそこが融合できないのかすごく不思議な感じがする。

R30 :それって戦後50年、なぜ日本がアジアとの関係を決算できなかったのかというのとほとんど同じ質問ですよね。

佐々木 :それは賠償金払っているからいいじゃないですかと言うしかない?

松永 :いや、いいんじゃないですかとはみんな言えない、それはね。

R30 :まーね、それはね、ごめんなさいと言い続けるしかないよね。

佐々木 :言えませんけど、やることは一生懸命やってますよということですよね。

松永 :だから徹頭徹尾、宗教の団体としての動きをしてきて、そのためにいるとしか思っていなくて、事件を起こしたいと狙っている人は基本的にいない。となると、「またやるだろお前ら、今度は何を企んでいるんだ」と言われても、「何も企んでないです」と答えて「嘘つけ」と言われるみたいなね。そうなるともう途方に暮れるしかない。

 :そこなんですよね、そこを考えれば考えるほどわからないんですよ。

R30 :というわけで、公安が烏山の前にいるのは日本国憲法をGHQに押し付けられたのと同じレベルの話じゃないでしょうかという。

松永 :ただ、今は占領下にあるから、

R30 :危ないことはしねーだろという

松永 :できないんですよ。

R30 :できないだろという話になってるだけで。

松永 :よっぽど国が、「お前ら技術があるんだからサリン作れ」と、こっそり警察予備隊を作りはじめるような流れになってれば別ですけど、なってないんで

R30 :まーね。でも、それで僕が言おうとしたのは何かと言うと、日本は今アジアから、「日本が憲法改正したらまた攻めてくるのか」と言われてるのと同じで、内部の本質的な反省がない中で、外から与えられた枷だけで今そこに踏みとどまってるだけじゃないのかというのが、今のアーレフだっていうことでしょう。あんた方はこの10年間であの事件の内部的な問題として何を反省したんでしょうかという質問に、「今は僕は何もそんな危険なことは考えてないから」と言うのは、外の人が要求する説明にはなってないんだよね。つまり世界観がああいうことに結びついたという解釈なのか、それとも単なる組織問題として、アホなイエスマンをたくさん省庁のトップにつけて、イエスマン同士が功名争いしてサリンを作りましたみたいな話なのか、それとも何なのかという、そこの問題をどう自分たちなりに結論出しているのか、全然わからないじゃないですか。

松永 :だから、おそらく世界宗教という目標が、ある程度大きくなってくるとどんな宗教でもあると思う。その場合の手法が問題だと思ってる。つまり教義だとかいろいろあるけれども、じゃあ具体的にどういう手段を取るのかという、そこで、例えば、純粋に宗教だけにいけるのかと。或いは、選挙に打って出てそこで訴えることはできるのかと。それがだめだったら、国をひっくり返すしかないのか、みたいな。そういう発展の仕方は教団の運営方針として有り得たと思う。ところが、運営方針自体は、代替がきくというのかな、目的が一緒で、或いは目指す思考は一緒でも、取る手法はいくらでもかえられる。例えば、ヴァジラヤーナとか五仏の法則まではいかないにしても、教団を守るためという大義名分が一番に来て、それでごまかされてしまうところがあったとしたら、それは結びつく部分なんだろうなと。但し、それが例えば「お前はオウムをまだ信じているのか、だから危険だ」という風に結びつくかというと、内部的にはみんな結びついてない

R30 :一番最初の方で言ってましたけど、選挙に出た時当選してればまたちょっと変わってたですよねって話があったじゃないですか。実は当初のオウムは、単に頭の中の世界観を作って、それを本にして皆さんに説いて幸せになってもらうだけじゃなくて、何らかの形で自分たちが社会的に認められた集団であるということを実力をもって証明しなきゃいけない。そういうところに目的をおいていたのかなという気がすごくするんだけど、それが結局合法的な方法では認められなかったから、非合法で存在を認めさせようみたいな方向になったのかなと。僕が見ていて疑問に思うのは、それが世界観自体から内発的に生まれてきたのか、それとも麻原個人の考え方だったのか。今聞いてる限りではどっちとも判別つかないんだけれども、自分たちの存在意義みたいなものを何らかの形で、リアルな世界にリアルな形で打ち立てるというものを描いてるということ自体が、そもそも問題なんじゃないかと思います。それはどうですか?

松永 :要はシャンバラ化計画だとか、そういう絵に描いた餅じゃだめだと。理想郷は作るものだという考え方は当然あったし、それを実現しようとして、最終的に突っ走ったというのは見方として正しい部分はあると思う。それともう一つは、予言というものが、煽るために内外的に使われたと。内部にも外部にも、「時間がない。今やらなきゃだめよ」という形のものを煽るために、予言が使われたというところはあったと思うので、その辺の相乗効果で、結局事件に結びつくような流れができたという要素はあるんじゃないかと思う。ただ、今は予言が全て無効化されたというか、無期限状態であるというのと、今どう考えてもこの状況でシャンバラ化計画は有り得へんでしょと。もう自分たち一人一人が信仰を守るのが精一杯。そうじゃないって人たちが、また頑張って布教しようと思っているわけだけども、だから、そこで強引な手法に出る必要がない。必要もないし、そういうものをやりたいということも当然ないし。

 :目的のためには手段を選ばずとよく言われますけど、そういうこととかですか。

松永 :ま、それに近いのかなと。

佐々木 :上祐さんの考えていることは、割りに危険ですよね、そういう意味では。

松永 :そういう意味では危険だろうなという。焦りが出た時に、じゃあ彼がどういう手段を取るかということは誰にも言えないし、危険なことをやるとも言えないわけだけども、でも方向性としては

佐々木 :同じ方向を向いている感じはありますよね

松永 :そう。

R30 :ネットの中を読んでいる感じで言うと、むしろA派の方が危険だみたいな声の方が多いのは、実は代表派が何となく表面的には社会と融和しようとしているみたいに見えるわけですよ。

松永 :そう、それはそういう風にPRしてるから。

R30 :一般人から見ると、融和しないようにこもっていくヤツの方が、マジで危ないと思えるのは、僕が言ったみたいに内在的な論理の中で、もしかしたら自分たちを社会の中で存在証明するために、また何をやらかすかわからないみたいなさ。多分そこの反省があるのかないのかというところで、むしろMよりAの方が危険なように見えるというのが、実はあると思うのね。そのギャップって、中にいるとわからないでしょ、きっと。

松永 :中にいるとわからないと言うか、実際のところ主流派は、このまま社会の中で存在をアピールすることなく、いわゆるフェードアウトに近いんだけども、だんだん勢力が弱まろうと何だろうと、もう消えて行くことを受け入れるというのかな。みんな寿命も近くなるし、10年経つとみんな結構高齢化って感じで、例えばバイト行っても雇ってもらえないというのが問題としてもう出てるし、或いは老人問題。実際老人がいて、日本の縮図かって感じでね

佐々木 :フリーター、ニート問題と同じですね。

松永 :そうそうそう。働けるくせに働かんとか、働いて稼いだ金を教団に入れない問題とか。

 :社会問題の坩堝ですね。

松永 :そうそう。そういう感じで結構みんな働いているはずなのに、教団自体に金が入って来ないとか。年金未納問題ね。そういう感じで、教団自体おそらく経済的な問題で今年中もたないでしょう。

 :そんな早いんですか。

松永 :もうそんなもの。いや、今年もったら奇跡。今年いっぱいもったら奇跡。よっぽど大金持ちの信徒が入りましたというなら話しは別だけど、そういうことは有り得ないというかね。

 :散り散りになって、どこかへ潜伏するんじゃないかという

松永 :潜伏とかそういう

佐々木 :言葉の使い方がね

松永 :だって烏山にみんな集まっていたらいいのかと言ったら、そしたら「出て行け」なわけでしょ?「解散しろ」なわけでしょ?出てきたら今度は野田さんに暴かれるわけでしょ?だから、私が出た直後は、内部でもちょっと動揺して「もう出ちゃおうか」と言っている人もいたらしいんだけど、その後ネットの様子を見て、逆に踏みとどまってるらしいんだよね、今。

一同 :うん。

 :そうでしょうね。

R30 :そりゃ気持ちはわかるよ。

松永 :やっぱり止めとこうかみたいな。世間厳しいみたいな話はあるらしい。

佐々木 :でもいずれは出ていかないといけないわけですよね、この状況で行くと。

松永 :出て行かないといけない。或いは分散するしかないという。

佐々木 :あとは教団という形でなくて、ひとりひとりもしくは少しずつのグループに分かれてそれぞれがある種のオウム真理教という教義を大事にしつつ生きていくということしかないわけですよね。

松永 :そういう形にならざるを得ない。ただ、代表派はグループを作ってひとまとまりで、ある意味まとまった教団になっていく可能性はある。

 :何人くらいいるんですか。

松永 :えーっとねぇ、どのくらいいるかなぁ、サマナで熱心なのは20人とか30人、信徒の方は、200人とかそのくらい。残り大多数がいわゆる主流派なのね。A派とかって言うけど、全然Aでも何でもなくて、残り派という感じ。でもそっちがメインみたいな。

R30 :結局僕の感覚からすると、世の中がすごく問題にして、解散しようがしまいが、散り散りになろうがまとまっていようが、常に攻撃し続けるというのは、この人たちが内在的にああいう風なことをまた起こす論理を持ってるんじゃないかという恐怖だよね。

松永 :だから、教義によって事件が起こったとみんな思っているんだけど、中にいる人たちは、教義と事件が結びついていないわけ。

R30 :それって、戦争責任のとり方について日本を批判するアジアと同じだと思う。僕は特定アジアというよりは、タイという表面的には極めて親日な国で、ものすごい勢いで非難された経験があるので、やっぱりその辺の感情が、日本人が思いもよらないレベルでアジア人の根っこに深くあるというのは、すごくよくわかるのですよ、実は。決して中国人や韓国人が国内政治のために言ってる話だけではないということも僕はものすごくよくわかるのね。だからたまたま日本はその後もまた経済大国になれたので、みんなしょうがないからね、あんだけ自分の国よりでかい国なんじゃ文句言ったって始まらないかなというので黙っているけど、多分経済的な力がない国であれば、確実に日本人はオウムみたいに徹底排除されてた。今の話を聞いているとすごくそう思う。多分、力のない人たちって、散り散りになって最後のひとりが死ぬまで「お前らには内在的に危険な論理があるんだ」と言われ続けて終わるんだと思うんだよね。そうならないためには、そこにやっぱり何かが必要なんでしょうね、何かが。反省と言うとすごい軽い言葉になっちゃうんだけど、事件を起こした本当の原因を探し出して批判しないと、多分これって終わらないのかなという気がしていて。

松永 :だから結局事件の全貌がわからないが故に、何を批判しなければいけないのかが見えない。例えば、五仏の法則なりグルイズムなり何なりが、直接事件の原因であったと

R30 :建前上は言うんだけど

松永 :逆にそれがはっきりすればわかりやすいんだよね

R30 :わかりやすい。だけど教団の中の人間がそもそもそれを信じてないわけじゃない?「五仏の法則なんて俺らはやれとも言われてなかったのに、それが事件の原因であるわけないだろ」って、みんな思ってるわけだからさ。

松永 :世間的にも、具体的に教義のどこが危険であるとか、それを抽出できてないわけでしょ。とにかくオウムが危険だ。オウムの教義が危険だという話はするけど、じゃあオウムの教義のどこが具体的に危険なんですかと言ったら誰もわかってない。内部の人間でさえ推測が成り立たないという。しかもその事件自体が、教義に則って行われたものなのか、それとも目先の対応のために行われたものなのかっていう、そこだって確定しないわけでしょう。

 :一般的には、おそらく教義の内容はどうでもよくて、殺人を犯したという事実だけを見ていて、その事実があるから全てをやめなければいけないという考え方ですよね。

松永 :全て否定しろということでしょ?「マインドコントロールされていました。アイツらに騙されてました。だから出てきました」と、私はそういう言い方ができないから。それは嘘だからね、流石にね。自分で好き好んで入って、でもそういう事件を起こすなんてことは予想してなくて、多少評判悪いってのは確かにあったけども、いろいろ言われるものだしなみたいな。その程度で

R30 :確かに世の中的に言えば、「私は相変わらず納得がいかない五仏の法則が原因かなと思ったりはするけど、あまり納得がいってない」としゃべるよりは、「ここで佐々木さんと泉さんとR30さんに囲まれて、自分がマインドコントロールされていることに気がつきました」と言った方が、きっとみんな納得。

松永 :そりゃもう絶対そうなのね。それは100%間違いない。だけど、それができない

R30 :「私はそうは言えません」というレベルにあるならば、逆に言うともう、これってアジアと日本の戦争責任問題と同じだぞと。日本人って実はアジア人からこういう風に見られてるんだぜ。それって俺たちがオウムってことなんだぜ。と言うしかないんだよね、そう思う。

<文責/泉 あい>

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コメント

多数の犠牲者を生んだ集団の関係者として、松永氏は被害者や遺族たちに言論すべきことがあると思っています。そのことを捨象して、殺人事件と信仰の折り合いなどと、まるで井戸端会議のように語る人々に憤りを感じます。

もし、私が今回のようなインタビューの機会を持つならば、まず最初に坂本弁護士家族などの霊たちに黙祷をささげます。それからでないとインタビューを始める気になどなりません。
ここに書かれたひとつひとつの昔話が多くの人の命を抹殺することにつながっていった。そして、まだ後遺症に苦しんでいる人たちがいる。そのことに思いをいたさずに対話を続ける人たちに、冷血を感じない人がいるでしょうか。

松永氏に対する批判のほとんどは、彼の社会活動そのものではなく、社会活動を再開する前に遺族や社会に対して行うべきことがあるだろう。ということ。彼らは被害者たちに祈りを捧げているのだろうか。懺悔をしたのだろうか。私には、そんな社会の構成員として当然のことさえしていないような気がするのだが…。

投稿: スポンタ | 2006年4月24日 (月) 20時08分

スポンタさん。そう言いたもうな。
ようやくカーテンが上がったのです。

投稿: BigBang | 2006年4月24日 (月) 21時17分

そうですね。
松永さんへのインタビューは期待できないと思っていただけに驚き貪ってしまった。
読み応えあるわ。

さてさてコレがどう転ぶか・・・・
そういやサイバッチの名も出てきましたね。

取り敢えず今は、松永さんが地下に潜らずに生活できる事を祈ります。
どうもそれは誰の利にもならないような気がしますから。

投稿: トリル | 2006年4月24日 (月) 23時30分

泉さん、遅すぎたとはいえ、お疲れ様。
ただし、松永氏告白の前にすべきだったインタビューと、全てが明らかになった後のインタビューとでは、同じ質問でも意味が異なります。
また、インタビューというのは、質問者と回答者との格闘です。質問者は回答者の心の奥底を表に出さなければなりません。
さて、泉さんに聞きたい。

(1)インタビュー中に、松永氏が感情をあらわにしたり、怒った場面はありましたか?
泉さんの質問によって、松永氏がインタビューを打ち切ろうとしたような場面はありましたか?
あれば、その場面を教えてください。

(2)泉さんは、松永氏はアーレフ(または、その分派)から本当に脱退したと思いますか? 「はい」「いいえ」でお答えください。 
(3)泉さんは、松永氏がオウムから離脱しようと努力していると思いますか? 「はい」「いいえ」でお答えください。 
(4)泉さんは、インタビューの時点で、松永氏がオウムの教義から離脱できていたと思いますか? 「はい」「いいえ」でお答えください。 

 (2)(3)(4)は、泉さんの主観でよいのでお願いします。

投稿: biaslook | 2006年4月25日 (火) 00時48分

尼崎脱線事故を起こしたJR西日本の社員は、被害者に対しては勿論、社会全体に対しても、自分の属する集団の過ちを認め謝罪する姿勢をとっています。それをしない松永氏をどう思いますか。そして、それを求めないインタビューに加わった自分とあなたの友人たちをどう捉えますか。
BigBangさんは「カーテンがあがったのだからいい」と言いますが、あの軽薄な会話はインターネットという空間でパブリックになっているのですよ。けっして井戸端会議じゃない。だから、松本サリン事件で報道被害を受けて、いまもその後遺症で悩んでいる奥さんの世話をしている河野さんが読む場合もある。また、病床にいる多くの被害者の唯一の楽しみかもしれないインターネットで読んでいる可能性もある。そして、確実に湯川さんのサイトの件でスポンサーにメイルを送っている人は読んでいるはずだ。
そういう人たちに、謝罪や弔意のないエントリーを読ませる意図はなんなんですか。

私はかねてから、「取材対象との距離を求められるジャーナリズムは、他者の悲しみさえも自分の悲しみとする市民感情とは相容れない」と、書いています。
泉さん。あなたは後遺症に苦しむ被害者たちの前で、オウムの教義について歓談できるのですか。たとえインターネットとはいえ、そういうことをしているのですよ。
今回の件がゴシップ的な興味を煽るのなら、それもよしかもしれぬが、ゴシップで成立する女性週刊誌でも、被害者の視点は忘れない。

私は、ライブドアのパブリックジャーナリズムから拒絶され、JANJANに絶望し、市民参加型ジャーナリズムの場はどこにあるのかと模索しています。そして、「自由な言論は2ちゃんねるにしかない」と言って、湯川さんに失笑をかっています。
そして、私は市民参加型ジャーナリズムが盛り上らない原因は、運営者の側だけではなく、市民の側にもあると感じ始めています。そういう雰囲気を少しづつ変えていくために、このようにコメントをここに残しています。

いま、ネットの誕生から約10年。2006年は、エバンジェリックな言論者たちが退場していく時期です。簡単にいえば、印刷屋さんが新聞をつくっていた時代から、言論人が新聞をつくる時代へ移行する時期です。ブログというのは、まさにそのことを実現したメディアです。
早く良質な言論がインターネットを闊歩する時代になってほしいものです。

投稿: スポンタ | 2006年4月25日 (火) 09時13分

要するに松永は、今の信教を捨てる気は全くない、と。
要するに今もオウムだし、これからもずっとオウムだということはよくわかりました。
それならそれで、社会の側もそのように扱うだけです。
泉さんがこのオウム教徒とつきあい続けるならその分のリスクを自分で負うだけですから、どうぞご勝手に。

でも、たまには入院さえできずに死んでいった何十人もの「普通の人」たちの事を思い出してくださいね。

>松永さんのインタビューを終えて今感じることは、このインタビューだけでは終ってはいけないということ。このインタビューの内容を、オウムに詳しい客観的な立場の人にぶつけて意見をもらう必要があるということ。

今回のインタビューは非常にレベルの低いものです。しかしほとんど泉さんの責任ではなくR30氏と佐々木氏のせいですので気にしないでください。他の方(特に批判派の方)へのインタビュー、匿名になるかもしれませんが・・・をこれからも行っていってください。

投稿: 槇英人 | 2006年4月25日 (火) 12時26分

ひどいインタビューですね。
まるっきり松永ファンクラブの飲み会じゃないですか。
日本人は陰から石を投げるだのなんだの、いつから犯罪集団はそんなに偉くなったんですか?
まずは松永の所属した教団が人をなぜ殺したのか、それすら聞くこともできずにあんたら何を聞きに行ったんですか?
アーレフや松永は、いつまた人殺しを始めてもおかしくはない、非常に危険な存在なことが証明されたことだけは褒めてあげます。

投稿: それにしても | 2006年4月25日 (火) 14時09分

ひどい匿名掲示板ですね。
まるっきり嫌韓厨どもの飲み会じゃないですか。
韓国人は陰から石を投げるだのなんだの、いつから敗戦国はそんなに偉くなったんですか?
まずは過去の日本人が韓国、中国人をなぜ殺したのか、それすら聞くこともできずにあんたら何を聞きに行ったんですか?
嫌韓厨は、いつまた人殺しを始めてもおかしくはない、非常に危険な存在なことが証明されたことだけは褒めてあげます。

投稿: こぴぺ? | 2006年4月25日 (火) 15時22分

biaslookさん
>(1)インタビュー中に、松永氏が感情をあらわにしたり、怒った場面はありましたか?
泉さんの質問によって、松永氏がインタビューを打ち切ろうとしたような場面はありましたか?

どちらもありませんでした。

(2)(3)(4)については、「まだわかりません」です。
その為に追い取材を予定しています。

話はそれますがバイスさんだったんですね。ビックリしてます。
これからも以前と同じように、コメントいただけると嬉しいです。

投稿: 泉 あい | 2006年4月25日 (火) 21時58分

この座談会で松永さんへ同意はしないが理解はできた。

それでだ。
コレは自分の連想というか感想なのだが、政党ブロガー懇談会にしても何というか半島系のややこしい組織の利益や理念に添うようなマンガめいたモノを感じたんだが、それはコーディネイターや主催者側の意図に合っているのだろうか?

穴だらけだけど全てが繋がるように見える理由はある。
求められれば順序だって説明しよう。
第一にそういう主張をする組織として日本共産党も社民も日教組も合法的に日本に既にあるではないか?

投稿: トリル | 2006年4月25日 (火) 22時35分

>泉さん
現時点の感触でいいのです。
70%位は「はい」だとか、30%位は「はい」だとか。
そして、次の取材に進んで、それに対して再び考える。

それが無理ならば、次のインタビューが終わった時点で、必ず答えを出してください。
何度も言ってますが、タイミングが重要ですよ。

投稿: biaslook | 2006年4月25日 (火) 22時58分

biaslookさん
わかりました。客観的に違う立場の意見を聞いた上で、私なりの答えをだしてみます。
その答えは単純な「はい」「いいえ」ではないかもしれませんが、出来るだけ明確に私の考えを表現してみるつもりです。
ありがとうございます。

投稿: 泉 あい | 2006年4月26日 (水) 00時26分

泉さん、自分を守るために結局、弱い者をいじめる側に回ったんだね。俺は逆に今回のことであなたのやることに完全に関心を失った。義理も人情もあったもんじゃないんだねえ。大変だ。女ひとり、ジャーナリストで生きていくのは。

誤解なきよう。俺はオウムのシンパでも何でもない。ただ、公安調査庁とか公安警察のやってることがとても胡散臭く思えるただの人。公安ではないが、警察関係者に知り合いがいるから、彼らの思考パターンなどは多少分かる。

>もし、私が今回のようなインタビューの機会を持つならば、
>まず最初に坂本弁護士家族などの霊たちに黙祷をささげます。
>それからでないとインタビューを始める気になどなりません。

笑っちゃう。この偽善。書いた人が坂弁の友だちだとか仕事で助けてもらったなら分かるけどさ。
じゃあ、JRに乗る時は福知山線の犠牲者に黙とうを捧げて、日航機乗る時は墜落事故の犠牲者に思いをはせなきゃな。

これだけ執拗に寄ってたかって異端、異質、理解不能な者を排除すれば、そりゃカルトになるわな。カルトは自分たちの恐怖を映し出す鏡なんだ。鏡を覗き込んで安心している自分の顔、恐ろしくゆがんでないかい? つくづく正義を掲げる大衆は残酷だ。

安心してほしい。もうこのブログへの関心は完全にうせた。二度と書き込まないし、読まないだろう。今後、ここの主が何を書こうが訴えようが、自分の立場がまずくなれば簡単に立ち位置を変える人間なんだと思えば、どんな文章であれ、読む気がしない。
ジャーナリストって情報源(自分なりの仁義)を守るためには刑務所にも入る覚悟があるもんだって思っていた。

投稿: 何だかなあ | 2006年4月26日 (水) 02時36分

あいさんへ

バーターは必要なんだろうけど。
それにしてもちょっと驚いたよ。

今回のインタビューですが
一応総括エントリちゃんと書いて
次のやるまえにみんなに一度相談して欲しい。
あのインタビューみたいに暴走しないで欲しい。

手足になりますとか言うならさ。
やっぱしそれが与えてくれたものへの仁義なんじゃないかと。
書かれたら書き返すのが、人としての道なんじゃないかと。

みんながせっかくの声あげてくれてんだし。
・ ・・特におっさん連中。

全部にコメントやTBするわけにはいかないけど
このままだと声あげた人たち、格好がつかないよ。
・・・もう書いてるのかもしれないけどさ。


アイドルは大変だし
無視したら無視したで逆恨みもとかもくいそうですが。
まあ答えられなければ、別に保留で次回、ってのでいいとおもうし。
総括もできないジャーナリストってのは
どうなんだろうとか。

・ ・・なんて、最近そんなことを思ってます。
きつくて申し訳ないけど、私はそう思ったよ。


もう一つのエントリがあがって
全体像が補完されるまでは
Gripでは私は沈黙通す予定です。

返事は要りません。


#業務連絡業務連絡#

スポンタさんのとこ書き込めなくて困ってます。
どうすりゃかけるのかな・・・

投稿: ぼこ。 | 2006年4月26日 (水) 14時03分

>総括もできないジャーナリストってのは
>どうなんだろうとか。

同感。それと自分たちのやったことを11年経っても総括できない自称宗教関係者もね。

しかしなんで松永を擁護する自称「人権意識の高い人」は次元の全く違う話をごちゃまぜにして話をわざと混乱させようとするんだろうね?
どこをどう見れば松永が弱い者になるんだろう?

投稿: はて | 2006年4月26日 (水) 19時51分

長大なインタビューと書き起こし、お疲れ様です。
唐突ではございますか、確認したい件がありますので質問させていただきます。

冒頭で、
>オウムに詳しい客観的な立場の人にぶつけて意見をもらう必要があるということ。
>立場の違う2つの意見を踏まえることで、はじめて今回の事件を私なりに総括した記事にまとめることができると考えています。

とされていますね。

この後立場の違う方の意見を聞くとして、"新たな疑問"や"明確にしておくべき事由"も表出してくるかと予想されるのですが、松永氏への再インタビューは想定されていますでしょうか。

泉さんに現時点においてその意思があるのかどうか、ぜひ聞かせて下さい。
以上よろしくお願いします。

投稿: 法河 | 2006年4月27日 (木) 04時50分

泉さん(や、おそらくR30氏たちも)は、松永氏の疑惑のまとめサイトを知っておられるにもかかわらず、疑惑について質問しなかったのはなぜですか?
http://kawakamihideaki.web.fc2.com/index.html

正直なところ、全くインタビューの体をなしていないどころか、一方的な印象操作で松永英明氏の疑惑はさらに深まったと思います。

投稿: 篠原 | 2006年4月27日 (木) 10時48分

法河さん
現時点で松永さんへ再インタビューをする予定はありません。

今回のインタビューも、松永さんの内面が正直に表れすぎていて、インタビュー後に「間違いなく叩かれるだろうし本当に公開しても大丈夫ぶかな?」と余計な心配をしたくらいです。この思いは他のインタビューに同行をお願いしたお二人も同じ気持ちだと想います。
でも、松永さんから掲載を取りやめてほしいとの意見はありませんでしたので、このインタビューは松永さんから私へのお詫びの意味もあると勝手に感じています。
だから次のインタビューは現実的にはむずかしいと思ってますし、私も再インタビューは今のところ考えていません。

投稿: 泉 あい | 2006年4月28日 (金) 01時15分

篠原さん
今回のインタビューの趣旨は松永さんの内面の部分を見ることでした。疑惑を追及するつもりはありませんでしたので、会話の中で無理なく質問できるものしかしていません。

それから、一方的な印象操作ととられるのは、まだ松永さんの言葉しか出ていませんので仕方がないかもしれません。でもこれで終わりではなく、次に違う立場の方の意見を聞くつもりですので、そのエントリーが出てから判断していただきたいと考えています。
ご理解ください。

投稿: 泉 あい | 2006年4月28日 (金) 01時25分

泉さんに質問なんですが、
3/13の「取材活動ができなくなる可能性~お願い」のエントリーがこちらの新しいサイトで削除されてるようなんですが何故でしょうか。

投稿: サンサンサン | 2006年4月28日 (金) 04時56分

泉さんへ

「松永さんの内面が正直に表れすぎていて」って、私も本当にそうだと思っています。

日本社会の公序良俗の範囲の中の人であれば、自分が所属した集団が死傷者を出したならば、自分の内的な真実を隠避してでも、その方々への思いを語るはずです。松永氏は、あえてそれをしない。そういう内面。

松中氏の内的真実は、日本社会の公序良俗の範囲外にあるのだから仕方のないこと。だから、そういう日本社会の外にあるのだということを明確にして、言説すればいいことかもしれません。ただ、今回のインタビューは、参加者全員で日本社会の公序良俗の範囲外に行ってしまった…。
だから、今回のインタビュアー諸氏が終わってしまったと、多くのコメンターが感想を漏らしているのです。
泉氏や今回の対談に加わった人たちは、すでに日本の公序良俗の範囲内の個といえない状況になっている。

私は自分の内的真実ばかりに気をとられてしまって、他人や社会に気を遣わない人がいたら、それは間違っていると指摘するし、そういうのが良識だと思っています。
宅間死刑囚に限らず、ほとんどの殺人者は自己の内的真実に誠実だった人のはずです。
日本の公序良俗の範囲内でも、死刑も戦争による殺戮もある。ただ、それは一定の手続きを経て行われるのです。オウム者はオウムの戒律によってしか裁けないというのなら、日本の社会にいる資格はない。ましてや、そのような人に言論の場を与えることは…。

再インタビューができないというのも、すべての日本人がそれほどの違和感もなくできるはずの死者のための黙祷さえも、彼の内的真実がゆえにできないから。というのが真相ではないですか。
何故なら、カルト宗教を実践してきた彼らの精神にとって、黙祷や祈りがとても深い意味を持っているからです。
懺悔なくして祈ることなどできぬ。そして、懺悔しても許されるような罪ではない。
頭のよい松永氏のこと。そのような自らの存在の出口のなさを気づいた上での一連の行動であることを忘れてはなりません。

投稿: スポンタ | 2006年4月28日 (金) 13時29分

> 参加者全員で日本社会の公序良俗の範囲外に行ってしまった…。

なるほど。

すべての韓国、中国人がそれほどの違和感もなくできるはずの戦死者のための黙祷さえも、日本人のの内的真実がゆえにできないから。というのが真相ではないですか。

ということですかね。
私自身、何を何十年も前のことを・・・としか考えていませんし。

投稿: なるほど | 2006年4月28日 (金) 14時57分

分かりました。では、

次に向かうインタビュー先は具体的にどのような見地を持った人を想定し、
主にどういった事柄について意見交換したり質問を行おうと考えていらっしゃいますか?

冒頭を抜粋し推察するに、
"オウム事件の被害者の気持ちと脱会者の気持ちを見てきた方"
に対して、泉さん自身衝撃的と評した
"事件と信仰の折り合いがついていないことに対する諸問題"
などを主要テーマにインタビューを行うということでしょうか?

大方想定している流れを差し支えない範囲で教えていただければと思います。

投稿: 法河 | 2006年4月28日 (金) 17時48分

サンサンサンさん
ご指摘ありがとうございます。
サーバー移転の時にインポートデータを細かく分割して漏れてしまったようです。他にも漏れがないかチェックしてアップしなおしておきます。

投稿: 泉 あい | 2006年4月28日 (金) 23時33分

法河さん
>"オウム事件の被害者の気持ちと脱会者の気持ちを見てきた方"
に対して、泉さん自身衝撃的と評した
"事件と信仰の折り合いがついていないことに対する諸問題"
などを主要テーマにインタビューを行うということでしょうか?

はい、そう考えています。
内容については松永さんのインタビュー内容を元に、真の脱会について(精神的)、脱会後の現実や、脱退しても戻ってしまうケース、被害者遺族が望む信者の対応などを考えています。脱退後の信仰心の行方や、精神的な迷いのようなものがわかれば現実が見えてくる気がしています。
インタビューまでに少しでも多くのオウム関連の書籍を読んでみるつもりです。

投稿: 泉 あい | 2006年4月28日 (金) 23時43分

黒崎さん
umeさんへトラックバックをいただいたことをお伝えしておきます。
ありがとうございます。

投稿: 泉 あい | 2006年4月28日 (金) 23時55分

「他者に共感できる人」と「他者を疑うしかできない人」は、相容れない心が強く働くものです。
そこで、私は、他者を、個人と社会の二つにわけて考えるようになりました。
社会をどんなに疑ったとしても批判されることではありません。
しかし、個人を疑うということは、実は反社会的である。
このことに対するスタンスが、人柄としておおきく現れます。
そして、他者を疑うことがビジネスになっている現実があります。
もう一方、ビジネスにならないことは評価が低いという風潮もとても強くなります。
益々、他者を疑うことになり、個人も疑われることになります。
なぜなら、個人は社会の一部としか見ない人も多いからです。

そもそも、心が傷つく人ばかりがたくさんでることに、本当に意味があることなのでしょうか。
個人から発信されるブログからです。
すくなくとも、私は、共感できません。

投稿: 仁徳 | 2006年4月30日 (日) 08時36分

umeさんは局所的キーパーソン。
時事が馬鹿じゃなきゃ動かざる得ないと思う。
スポンタ通信でなら話すよ。

エントリーと関係話で済みません、泉さん。
不愉快なら消して貰って結構です。

投稿: 名無し(トリル) | 2006年5月 1日 (月) 00時11分

私は裏事情はまったく見えてませんが、とりあえず場所は提供します。

http://www.doblog.com/weblog/myblog/12516/2521131#2521131

投稿: スポンタ | 2006年5月 1日 (月) 12時35分

泉あいさん、貴女のパートナーのumeさんという人物が、時事通信
に対して「黒崎氏の個人情報を教えろ」と恫喝まがいの行為をしていた事が、かなり広範囲で話題になっています。事実についてすみやかに回答お願い致します。

投稿: take | 2006年5月 1日 (月) 13時36分

梅さん、メールありがと。
上記のスポンタさんのトコに、言いたい事は挙げたよ。
多分困惑しながらも面白いと思うよ。

投稿: 名無し | 2006年5月 1日 (月) 19時39分

>>umeさんという人物が、時事通信に対して
>>「黒崎氏の個人情報を教えろ」と恫喝まがいの行為をしていた事
事実なら、これは感心しませんね。ご本人様、出て来て釈明をする
べきだと思いますが。「黒崎氏の尻を追い回す女の腐った様な人間」
であるというレッテルを貼ったまま生き恥をさらしますか?

投稿: 某S | 2006年5月 1日 (月) 21時39分

takaさん某Sさん
umeさんに確認しましたら、初めて連絡をとった時に立場の違いからお互いが感情的になった場面はあったそうですが、すぐにお互いがお互いの立場を理解して、お互いに謝罪しあったそうです。その後の何度かの話し合いでは普通にお話を進めたそうです。
umeさんも恫喝まがいのことをしたと認識していないそうですし、時事通信も恫喝まがいなことをされたとはとっていなはずだそうです。

>時事通信に対して「黒崎氏の個人情報を教えろ」と恫喝まがいの行為

これはどなたが言っているのか教えていただけませんでしょうか。
誤解が一人歩きするのは困るので、言われてる方にもお伝えます。

投稿: 泉 あい | 2006年5月 1日 (月) 22時42分

呆れた。
自らが胸中の人物にもかかわらず、最低限の情報すら得ようとしていないんですね。

投稿: 素浪人 | 2006年5月 2日 (火) 00時58分

ちょっと疑問に思うことがありましたので、まとめました。泉さん、できればumeさんに聞いておいて下さい。


■理由が「解雇」から「自主退社」へ途中で変わったのは何故か(ume氏発言より引用)

----------------------------------------------------
失礼、解雇ではなく一応自主退社扱いになっているはずです。
その点を含めて、警察や弁護士に見える相手を対象にしたほうがいいと言われています。
ですが、自分への疑惑を晴らすには黒崎氏からと考えていますのご理解ください。
----------------------------------------------------

■松永英明氏からのリークが途中で変わったのは何故か

----------------------------------------------------
あと、ume氏がクビってのは、私とつながりがあるという理由ではなく、きっこと関連があるというデマが原因ですので、意図的なミスリードはおやめなさい。
----------------------------------------------------

----------------------------------------------------
ここは私の聞き間違いでした。訂正してお詫びします。私の友人の友人で、少し話をしたことがあるからオウム信者に決まっているという意味不明なデマが原因
----------------------------------------------------
http://d.hatena.ne.jp/matsunaga/20060314


■果たして、社員の経歴書に書かれた一ブログを上司が入社後も注視するのか?(ume氏発言より引用)

----------------------------------------------------
転職などの経験のある方ならばわかるように、中途採用でそれなりの大手の会社に採用していただくのには履歴書以上に経歴書が大事です。
私はシステム携る仕事を長年続けており、再就職の際に自分のスキルをアピールする為、今まで依頼され制作してきたシステムやサイトなどを法人、個人問わず記載しております。
当然、その中の一つにGripBlogも記載していました。
このブログを作成し、サーバー提供をしていることに私の中で何の疚しい点をもっていなかったので、当たり前のように記載しました。
----------------------------------------------------


あと、湯川氏が自ブログ内で、「約1時間ほどコメント爛をざっと読みました。さっと読んだからかもしれませんが、名誉毀損にあたりそうな発言を見つけることはできませんでした」と言っておられますが、いかがですか?

投稿: taka | 2006年5月 2日 (火) 02時47分

>泉さん
>>時事通信に対して「黒崎氏の個人情報を教えろ」と恫喝まがいの行為
>これはどなたが言っているのか教えていただけませんでしょうか。

文脈からして、湯さんが黒さんへ出した回答メール

>Date: Fri, 7 Apr 2006 10:02:28 +0900
>UMEさんから罵倒されても話さなかったのに、受ける仕打ちがこれですか。

の事でしょう。以下に書いてあります。

黒崎夜話 
ume氏へ 3
http://kurosaki-yowa.seesaa.net/article/17255460.html

投稿: 名無し | 2006年5月 2日 (火) 03時07分

松永は今回は脱会届けも出さず(前回は脱会届を出してすら偽装だったのに)まるっきりオウムを捨てないままフェードアウトということですね。
次の名前は何という名前にするんですか?
あと、上祐との確執はいつ松永は文章として書くんですか?

投稿: で、結局 | 2006年5月 3日 (水) 14時31分

一連の騒動を見ていて明確にするべきと感じた事は、泉さんが設立に動いていた報道機関と松永氏の関係です。
松永氏にオウムの意思があったかどうかより、オウムの意思を反映できる立場や可能性のあった人間が企画の実権を握る立場にいたかどうかが重要です。
この点を具体的教えていただけませんか?

投稿: 流離 | 2006年5月 3日 (水) 18時09分

takaさん
umeさんは弁護士さんに相談して動いている最中のようなので、お答えできないと思います。
それに、takaさんの質問の趣旨が全く書かれてないので、趣旨を理解しないまま私が動くことはできません。
どの様な趣旨なのか疑問に思う質問でも、自分に対するものには出来る限り答えておりますが、趣旨を理解していない私が代わりに質問をすることはできませんのでご理解ください。

>あと、湯川氏が自ブログ内で、「約1時間ほどコメント爛をざっと読みました。さっと読んだからかもしれませんが、名誉毀損にあたりそうな発言を見つけることはできませんでした」と言っておられますが、いかがですか?

これは私へのご質問と思いますので、お答えします。
黒崎さんがコメント欄へ書かれた内容に事実とは違うことが多くありましたので、私は何度か否定をしましたが、聞き入れていただけなかったようです。
そのことで名誉毀損をされたと判断されるのはumeさんご本人ですので、ご本人の考えを私は尊重します。

投稿: 泉 あい | 2006年5月 3日 (水) 22時00分

流離さん
私が立ち上げようとしていた報道メディアに、松永さんは、企画の助言をくださっただけです。
企画書等の作成を手伝っていただいておりませんし、投資もしていただいていませんし、実際に誰かを紹介していただいてもおりません。企画、特にシステム面での意見をいただいただけです。
それから、松永さんが元オウム信者だと知らなかった時に、私から松永さんへ設立後もスタッフとしてお手伝いをお願いしたこともありましたが、松永さんから明確にお断りされました。
松永さん以外にも多くの方や企業にご相談しておりましたが、その方々と同じ立場です。

投稿: 泉 あい | 2006年5月 3日 (水) 22時21分

名無しさん
情報ありがとうございます。

投稿: 泉 あい | 2006年5月 3日 (水) 22時29分

http://wiki.livedoor.jp/doudemoiikedo/d/FrontPage
法律に詳しくはありませんが、一例とお考え下さい。

投稿: 通りすがり | 2006年5月 3日 (水) 23時40分

はじめまして。
メールしましたが届いておりますでしょうか?
宜しくお願いします。

投稿: ヨッシー | 2006年5月 6日 (土) 12時23分

上祐がオウムを分裂させるそうですが、そうすると上祐との軋轢で烏山を離れた松永は麻原派の中心になる可能性がありますね。
脱会届を出さなかったのは、当然そういった事態に対応するためでしょうね。
オウム真理教分裂へ 上祐代表が新教団を準備
http://www.asahi.com/national/update/0502/TKY200605020353.html
http://news.google.co.jp/news?sourceid=navclient&hl=ja&ie=UTF-8&rls=GGLG,GGLG:2006-05,GGLG:ja&q=%E4%B8%8A%E7%A5%90

投稿: 再度の偽装脱会確実 | 2006年5月 7日 (日) 19時50分

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