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2006年4月24日 (月)

松永英明さんへインタビュー ③

R30 :幾つか人生の岐路みたいなところがあったと思うんだけど、まとめサイトみたいなところにもちょっと書いてあったみたいですけど、一旦脱会しましたと言って、その後で結局戻りますと言った時とか、それなりに名前が売れてきたりとか、チャンスを掴みそうになった瞬間にパっとどっちかと言うと世界観に殉じる方向に自分の身を振られるのは、それはどうしてなのかなって。そっち方が金とかそういうものより大事だというその時々の判断なんですか。それって自分であまり転機だと思っていない?その時割と自然な選択として普通にそういう風にやっていた?

松永 :出家は、かなり大きな転機だと思っていたけれども。だから作家デビューというのよりも今まで思っていた出家願望の方が大きくなったという感じなので。だからすごく悩んでどっちかを取るって感じじゃないんです。

R30 :なるほどね。戻った時もやっぱりそんな感じなんですか。

松永 :戻った時は仕事ですごく行き詰っていたというのもあって、自分は仕事ができないんじゃないかみたいな。取引のあった某出版社は、潰れかけて「執筆料は手形でいいですか」とか言われて、「やべぇ、ここ」みたいな。普通は「何月に振り込みます」で終わるはずが、「手形で・・・」「ちょっと待ってください。もう仕事請けられません」って感じで、逃げたりとか。

佐々木 :それは何の本だったんですか。

松永 :ずっとゴーストで書いてたところの出版社だったので。本社ビルは売り払ってるし、「待てよ」って感じで。そういう状況だった2000年にアーレフという新しい形になって、謝罪賠償やりますという路線なんで、これは戻ってまた修行するというのもいいかなと。それまでのゴタゴタとはちょっと違うという感じ。中に入って、当時は上祐さんから「こっち来ないか」みたいな感じのお誘いがあって。

R30 :その時にさっき言ってたような世界宗教にしたいみたいな方向性というのは、もちろん聞いていたの?

松永 :そこはね、何と言うのかな。世界宗教的な話というのは、まだそういう段階じゃなかったんですよね。それよりも、教団がいわゆる正悟師がまとまんない、家族もまとまんない対立みたいなごちゃごちゃのところに、上祐さんが出てきたら何とかまとまるだろという期待が教団中にあったという土台があって、で、帰ってきましたと。パシパシと新しい教団を作り始めたという流れのところだったんで。だから、そこはあんまり論点じゃなかったという。

R30 :なるほど。どっちかというと、経済的な問題で、戻った方がちょっとは楽になるんじゃないかって思ったわけね。

松永 :経済的な問題というよりは、落ち着いた教団、まとまった教団であれば、そっちでやってみたいかなというのもあったというか。

R30 :それは、世俗の欲を満たすような生き方、他人の欲に付き合って切り売りするという生き方よりは、やっぱりどっちかというとホーリースティックなものを自分の中できちんともう1回求めたいっていう考え方?

松永 :それはある。だから宗教的なところに引っ込むという形になるので。実際には100%引きこもれなくて、いろいろな教団の仕事が出てくるし。

R30 :でも、そこは予期していたんでしょ?そもそも教団は完全に外界との接触を絶って生きられるわけではないので。

松永 :うん、生きられるわけではない。ただ、やっぱり教団の中で出家・在家というのがあって、主に在家の人が働き、出家の人は宗教的な働きをするという構造が、ある意味健全なものとしてあるはず。ところが、実際オウム真理教時代だと、その人数比が1対10なんですよ。これでやっと成り立つ。ところが、アレフになった頃だと1対1.いくつくらい。今はだいたい1対1くらいなんですよ。もしかすると出家の方が多いくらい。そうなるともう経済的に成り立たない。その辺で目論見は崩れているということはありますね。宗教的に専念できるわけでもないし、自分自身も宗教的に専念するというのは、やっぱり性に合わない部分が出てきてって。

R30 :それはどうしてだったんですか。宗教的なことに専念することはできないのに?

松永 :案外ね、最初に出家した時は、修行ってものに憧れたというのがあったんだけど、実際には修行はしてなかったんですよね。それまで、例えば集中セミナー何日間とか、そういうのにも出たことがなくて、せいぜい京都の道場へ行って丸一日何かやってるとかそれくらいだったので、本格的な修行の経験ってあまりなかったんですよ。出家してしばらくしてから、最初は70日、それから1ヶ月半、後は1ヶ月とか、そういう修行をやったりしたけれども、日々の修行をコツコツやるタイプではないということがわかってきて(一同笑)

R30 :そこでずっと座ってヨーガしてろって言われてもね。

松永 :例えば毎日何時間しろって言われてもね、逆に集中修行に入ってしまうと、1週間なり専念するんだけど、毎日何時から何時に修行しなさいというのは、自分にはできないっていうことがわかって。

R30 :なるほど。結局、仕事の方をやってると、後々までそっちが頭に残っちゃうわけですね。

松永 :そうそう、そっちにはまってしまう人だという。それはそれでいいよという話もあったんだけど、「君はそれが修行だ」とか言われて。集中力つけるとかね。いろいろ話はあるんで。

R30 :っていうのは、最初の3年4年くらいの時に、ある程度もうわかっていたわけですよね。それでまた2000年にというのは、そっちのワークの方が中心だろうなとわかりつつ戻ってという。

松永 :宗教性がほとんど皆無のところから、宗教性が高いところに戻るという印象。それから、例えば原稿を書くにしても、「週刊光源氏」とかね、そういうのを書いてるというのは、完全に世間向けに書いてるわけだけれども、中で書くというと、信徒向けだったり、或いは一般向けであっても教団のものを伝えるという宗教性が高くなるでしょ。そういう意味での宗教性が高いっていう。例えば書くもの全てが、宗教に絡んだものになってくるという。

R30 :知行合一させたかったわけですね。

松永 :まあ、そういうところは

R30 :なるほどね。で、戻ってみたら知行合一も何もなかったという。それは、日々のコツコツができない自分の意志の弱さなのか、実質的にもう教団がそういうことをサマナに対してやらせてあげられる余裕はなかったのか。

松永 :あのね、そこは松永名義で仕事をはじめたところに絡んでくるんですけど、それまでは言ってみりゃ上祐派の拡大路線で、新しい教義とか楽しいことをいろいろはじめようと。例えば、青森の方に行って、古代縄文文明は実はクンダリーニヨーガ文明であったとかね、なんかそういう話を掘り起こしに十和田湖に行ったりとか、諏訪に行ったりとか。そういういろいろな路線に走りつつあった。ところが、あまりにも行ってしまって、ちょっとこれはまずいんじゃないか。もうこれは元の教義と全然違う。

R30 :そうだよね。僕も上祐サイトを全部一通りコンテンツ見て、映像も音楽も全部聴いたけど、これは多分麻原彰晃が言ってたこととは、全く違うなと感じた。面白いし一般向きなんだけど、違うよね。

松永 :違うんだけど、あの人は実は麻原さんになりたいんです。グルになりたいという願望が一番強い。だから、教団が危険かどうかという話があったけど、あの人は危険だと思います。一言で言うと。完全に新しい教義になってもあの人がグルなら。そこでサリン撒けとかそういうことは言わないと思う。だけど、自分が指導者になりたいという願望が強い人なんで。

佐々木 :反上祐に転じた理由というのは、その辺なんですか。

松永 :うんそこ。そういうところ。教義的に完全に新しいものを作ろうとしている。もうちょっとセンスがあればよかったんだけど、80年代『ムー』のノリ。今は違うでしょってね。そういうのもあったし。

R30 :そこら辺はちょっと、僕はよくわかんないけど(笑)

松永 :それが楽しいのは我々の年代で、今は癒しとかそういう時代でしょう?ヒーリングとかね。英国式リフレクソロジーでびっくりしたのは、「ムーコース」「アトランティスコース」「レムリアコース」というのがあって、これやばいだろうと思ったんだけど。(笑)
むしろ、今はあっちの方向にニューエイジは流れてる。あとはフォンベルトに流れているという路線で、アセンションとか耳障りのいい言葉を言ってあげないとだめで、そういう戦略的な問題は別にして、ポイントはあの人がグルになろうとしている。で、私はあの人をグルにはできないと思っている。

佐々木 :どうしてですか。

松永 :兄弟子であっても、あの人を師匠にはできない。

佐々木 :それはどういう違いがあるんですか。

R30 :でも、2003年まで更新されていたあのサイトを見ると、そこら辺は結構努力して達成できるかのように見えているという部分はありますけどね。そこら辺は相当意識して加工してるんじゃないですか。

松永 :はいはい。実は、『覚醒新世紀』という本の中で、体験談を書き直してるんですよ。最初『進化』という内部向けの機関誌に載っていたのは、「ひとり成就者が出ました」という話で、それはいろいろなことを経て成就しましたという話だったのが、本になった時あの人が書き直すのを私、目の前で見ていたんですけど、折に触れて上祐さんが係わることによって成就したという風に全部書き直されてた。

一同 :ふーん

松永 :つまり、あの人が成就させたという話になっていて、自分がグルであると。あともう一つは『生死を超える』という初期のいわゆる麻原著の代表作の中の一つが、完全に盗作で載った。ちょこっと書き直すだけで、自分の本ですって感じで出た。

佐々木 :タイトルも変えて?

松永 :タイトルというか、一部分にそれが入っていた。しかも私の体験であるみたいな感じになってて。

 :それって内向きの?

松永 :それは一般向けの、東山出版から出た世紀の悪書と社長だった私が言ってるんですけど。(一同笑)全冊回収したいんですが。

 :権限ないんですか。

松永 :流石に全冊回収ってことになると大変。

佐々木 :教団で作っていた本ってほとんど松永さんが係わってるんですか。

松永 :それは時期によりますよね。

佐々木 :いた時は?

松永 :いた時は、でも部署が全然違う時もあったし、翻訳にいた時もあるし。

佐々木 :ゴーストなんかもやってたんですか。

松永 :ゴーストなんかはやらせてもらえないです。説法に関しては、テープ起こしを厳密にやって、ほとんど直さない。語尾なんかもそのままということで、あんな読みにくい説法になっていたという形だし。編集部が書きましたという文章のところは、結構いじったりとかはありますけどね。だから『日出づる国、災い近し』とか最後の『亡国日本の悲しみ』とか、あの辺で麻原彰晃が語ってますというところの以外のところで、編集部編の中で書いているものはあります。

 :今、インターネット上でアーレフであるということを隠してサイトを作ったり、掲示板に書き込みをするということは考えられますか。

松永 :それはやろうと思えばできますけど。

 :やってる可能性は?

松永 :今ね、それを作れる人材はほとんどいない。完全に100%商売用でやっている人はいるけど、それ以外で更新しているサイトとていうのは、占いサイトっていうのが1個あるぐらいだからね。

 :商売用というのもアーレフということを隠しているわけですか。

松永 :それは、いちいちバラさないって言うか。あとは完全に隠してないパソコンショップがあると思うんですけど、あとは個人の、それこそ個人商店をそれぞれがやっててというのはあると思いますよ。

 :それは商用目的で、教義を広めたいということではなくて?

松永 :ではなく。うん。うちのサイトもそういう形だと。

 :うちのサイトってどのサイトですか。

松永 :だから松永のサイトってそうだったわけで、ライターとしての松永っていうのを売り出すというのはあったけど。

佐々木 :でもそれはみんなオウムの教義を広めるためだとか言ってる人がいるわけじゃないですか。それをどう

松永 :それは読めと。(一同笑)
なんかね、全記事を読むとか言ってやりかけている人がいたんだけど、途中でくじけてて、「くじけるなよ」と。あれ誰だっけ、「それができるのは本人しかいないのが問題だ」って、あれ誰だっけなぁ。

R30 :話戻すと、上祐さんが危険だっておっしゃいましたけど、彼が危険だっていう理由は何なんですか。個人の頭の中で世界観とかって言ってる分には何考えたって自由ですけど、それが表に行動として表れる時に、どこまで社会に受け入れられる形になるのかというところが、宗教の大きなポイントだと思っているのね。上祐さんの出方というのは、内部的には全部麻原の盗作だろうとか、いろいろ異論はあるとは思うんだけど、ある程度は世の中の価値観と融和しようという意志を見せていたと思うんですが。それがどうして危険なんですかね。

松永 :それは、教義に関して危険だということはないと思っている。問題は、あの人のグルになりたい体質というか、そこがややこしいことになりそうだなと思う。

R30 :危険という言葉は、正に僕ら、一般人にとってどう危険なの?という意味で聞いてるんです。それはなぜ危険なんですか。

松永 :要はね、上祐さんというのは、グル、霊的指導者になりたい人であるというのがある。それからもう一つは、拡大欲求があって、これはうちのサイトの上祐さんのところで最初に書こうと思っていた話なんだけど、東山出版を作る時に人が集められた。一通り出版社を作って本を出していきましょうという話になって、それが決まった後の雑談の時に、「2015年ぐらいに私が首相になったらみんな何やるかな」ということを上祐さんが言い出したんです。なんかそういうところを狙いたい人というか、権力欲求がものすごく強いという。君は、例えば文部大臣で、こっちは財務大臣で、とかね。「荒木は官房長官か、いや次の首相を狙っているだろ」ということを言い出して、荒木さんは何のことかとキョトンとしてたんだけど。

佐々木 :それは真面目に言ってるの?

松永 :「2015年に首相」みたいなのは、青写真としてあの当時2001年くらいは少なくともあった。その後みんなの裏切りに合い、教団もボロボロになりで、年表は狂いつつあるとは思うんですけど。

佐々木 :麻原彰晃だって権力欲は当然あったわけでしょう?上祐・麻原の違いは?

 :私もそう思います。

R30 :彼はあの事件から何を反省したんだろうね。

松永 :わかんない。

R30 :その話を聞くとやっぱり「は?」って感じになりますよね。

 :1回踏まえたのにということが大きな違いですか?

松永 :というか、麻原彰晃が狙っていたのは、少なくとも日本の権力なんか眼中にないという。つまり世界の宗教的法王というのはあったかもしれないけども、或いはどこか別のところに独立国を。シベリア辺りでも独立国を1個切り取って、そこの王様みたいなことはあったかもしれないけど、日本みたいなちゃちなものを取ろうとは。

 :じゃあ、なぜ選挙

松永 :だから選挙で落ちたからっていうのはあると思うけど、政治的に力を持ってというのは、やりかけて最初でコケたっていうかね。もしかそこで通ってたりなんかすると、もっと穏健に進んでいた可能性が逆にあるかもしれない。

佐々木 :上祐さんと麻原さんの違いはそこだけですか。政治的な権力を求めるかどうかという。

松永 :政治的なという、何というかな・・・・・・・うん、とにかく力を求める、数を求めるという。だから、あの人の想定というのは、サマナは働かず宗教的なことだけをやり、信徒に恩恵を与えると。で、信徒を拡大することによって収入を安定させるという発想なのね。となると、簡単に言うと信徒数を10倍に増やさないといけない。ところが今のこの状況の中でそれは有り得ないだろう。そうなるとそこでかなりの無理が生じる。そこで、教団内部に対しては、麻原さんへの信仰を捨てるわけではありませんと。信仰対象をちょっと変えて、外から変えたように見えるようにするだけなんですということを言っていて、外に対しては、麻原信仰捨てます、写真捨てます、ビデオ見ませんと、そういうことを言って、どうしたって欺瞞性が出てくるわけですよ。

R30 :どっちが本当なの?って話になりますよね。

松永 :そうそうそうそうそう、うん。完全に捨てるなら捨てるで行きゃあいいものを、どうもこだわっていて、俺は代表なんだというところにすごくしがみついているとか、教団内で力を持ちたいと。代表派は教団を抜けて行った方がよっぽど拡大しやすいだろうに、なぜかあの人の矛盾してるところなんだけど。出て行った時に、どうしても歪みが出てくるので、じゃあ「上祐のヨーガ教室です」と言って堂々とやれるのかと言ったらやれなくて、いわゆるダミーの教室でとか、ダミーサークルとかそういう路線に行ってしまうと。実際ダミーをやっているのは上祐派の人たちばかりで、どうしても欺瞞性を持ったまま発展させようとする。権力欲もあり、自分はグルだと認められたいという人が動く時に、非常に大きな歪みが出てくるんじゃないかと。例えば「俺はサリンを作る」とか、そういうことじゃないとは思ってはいるんだけども。

 :そこに宗教心はあるんですか。(一同やや笑)

佐々木 :それ根源的なところですね、考えてみれば。

松永 :最近、妙に神懸っているのであるんじゃないですか。

R30 :でも世界観という点では、やっぱり麻原さんが捉えたもの以上の世界観は彼から出てこないんでしょ。それでも麻原捨てると言うと、結局それまで「麻原の」と書いてあったところを全部、

松永 :そうそうそう「私の」と書くしか

R30 :そう、書き直すしかないよね、彼の立場からすると。

松永 :そう、それで実際やった。

 :でも、それは嘘ってバレバレなわけでしょう?

松永 :見る人が見ればね。ああ、懐かしい文章やなってそういうことになりますよね。

佐々木 :新しく入った人はわかんない?

松永 :まあ、言われなければわからない。

R30 :じゃあ逆に言うと、反上祐派の人たちというのは、それ以上のこと、新しい世界観を作るとかやってるんですか。っていうかそれ(本を書き直す)以外に何ができるんですか。

松永 :何もできないので、コツコツとバイトしに行きましょうと、そういう話なわけ。だから、サマナがサマナらしく生きていけないという。でもとりあえず心の中で思って、広げると言ってもこの世の中の今の状況じゃ無理よねと、ある意味諦めている人たちが大半で、だから細々とバイトしたりとか。

佐々木 :それはほとんど大乗仏教か小乗仏教みたいなもので、

松永 :あ、そうそうそうそうそう、正にね。だから一時期、代表派というのは、大乗派と名乗っていたことがある。(一同笑)

佐々木 :自称ですか。

松永 :大乗と小乗で、自分たちのことしか考えてない。愛のない人たちだとか言って、主流派を、大多数のサマナを批判してしまった。

 :例えば、宗教心とは別のところで賠償責任を負うために教団に残っているんですという人達はいないんですか。

松永 :そういう頭の人たちは、別の基金があるから、出て勝手にそちらで払えばいい。

 :個人的にやってるんですか。

松永 :うん。私も外の基金の方にちょこちょこっと払っている。

R30 :結局上祐さんは、教団を最終的にはぶっ壊すために今いるという感じなんだなぁ。

松永 :教団を全部支配できなかったので、出ざるを得なくなった。

R30 :そこで次の中心になる人というのは、全く見えない?

松永 :ない。全く何もまとまっていませんという、烏合の衆。ただ、それでも何となくまとまると言えばまとまるし。夢も希望もないけどね。

R30 :外界から見れば、少なくとも「アーレフ」という固まりとしては見えますからね。

 :夢も希望もないんですか。

松永 :だってね、例えば烏山だと目の前に警察官が24時間、それから朝9時から夜6時までは公安調査官が立ってるわけですよ。更に区からは、一応地元の住人ということで、監視する人が2人ずつくらい毎日朝来て夕方帰ると。もう完全に見られっぱなしの生活。出掛ける時と帰ってくる時は、時間のチェックを受けてる。

佐々木 :もう1回教団へ戻ろうという気持ちはないんですか。

松永 :今から?

佐々木 :今からというか将来

松永 :将来?

佐々木 :うん。

松永 :戻ってもねぇ。

佐々木 :教団の状況が変われば、可能性としては否定しない?というか変わると思ってない。

松永 :変わると思ってないと言うよりは、今からもう潰れるしかないと思ってるんで。

R30 :でもさ、2001年に戻ってしばらくは何とかなるように思っていたわけですよね。

松永 :うん。

R30 :もうこりゃだめだなって気がついたのが2003年位からなんですか。20004年とか?

松永 : 2003年の夏から経済的にやばいということで、結構な人が「働きに行ってください。中のことはしなくていいから」とか「中のことをしつつ」とか、そういう感じで言われて、私も仕事を探し始めて。だいたいの人がアルバイトとかを探しに行くんだけど、私の場合は文章書く方がよっぽど儲かるというか、他をようやらんというか。別に店員くらいやるけれども。

 :さっきおっしゃっていた宗教心や世界観みたいなものと、今現実としてやりたいこととのバランスは今どうなんですか。

松永 :松永名義ではじめて、ブログブームに乗っかってしまって、気がついたら仕事が軌道に乗ってる。気がついたら、内側の修行なんて全然やってない。もう1年半、2年とかそういう感じで、全然やってないという状況で、結局自分のやりたいことは何だろうって思ったら、もう外のことしかなかった。気がついたら、アレフのマンションの屋根の下に寝に帰るだけだった。

佐々木 :宗教心そのものが消滅しているわけではないんですか。

松永 :だから宗教心はいきなり消えるもんじゃないというところだし。

佐々木 :それはどうするんですか。自分が抱えている世界観、宗教心というのがあって、どこかへそれを大事に持っていかなきゃいけないというのは当然ありますよね。

松永 :ほっといて残ってる部分が、自分としてはそんなもんなのかな、と。改めて強めようとか、無理に消そうというつもりはない。例えば瞑想だとかも全然やってないし。ヨーガなんてのは、例えばマッサージの後にストレッチを教わったら、ヨーガでずっとやっていたあのポーズでイケるみたいな。そういうのがあったりするので、それくらいはやったりするけれども。

佐々木 :宗教的コミュニティを求める心ってのはないんですか。

松永 :今はないです。自分でというのは。

R30 :麻原さんが唱えていた世界観みたいなものって、自分の中にまだ残っている部分とはどんなところなんですか。或いは、捨てちゃった部分、結局もう自分には合わないなという部分は、どの辺なんですか。

松永 :あのね、大きく分けると、原始仏教的な部分チベット密教的な部分、それから技法的にヨーガと仙道というか気功法というか、それがあって、あとはおまけとして教義的なつまり世界の宗教を包含してますよという証明の意味で、儒教だとかあとはキリスト教の部分があった。でもキリスト教の修行を直接的に取り入れているわけじゃないし。あとはエジプトとかの要素が入ってくるけど、主流で言うと、原始仏教とチベット密教。ヒンズー教的な要素もチベット密教的な部分に入ってくるから、それも含めて密教だとすると、私は元々密教の知識は全然なかったんです。ミラレーパだとかマルパとかナーローパとか名前も知らなかった。その部分に関しては、私は教団の中にいる時から、あまり熱心にやってないと言うのかな。教団の中にはいろんなタイプの人がいるんですよ。行法ばかりやっている人とか、密教の瞑想が大好きで仕方がない人とか、或いは気功法がとにかく好きとか、いろいろなタイプがあって、私はいわゆる南伝仏教的なというか、原始仏教的なというところに興味がある。元々そうだったし。実践的なヨーガとか気功法なんかは、ある程度覚えられたらいいなというのがあったから、身につけたというのがあるんだけど。そうすると、いわゆる密教的な部分というのは、自分の中に根付いてないし、じゃあ今やるかと言っても、「捨てろ」と言われりゃ捨てれる部分というのかな。

佐々木 :じゃあ今残っている部分は何なんですか。

松永 :今残っているのは、原始仏教的な部分は元からの興味としてあって、それを再編した世界観は、オウムで教わったものがあるけれども、それは残っている部分がある。

R30 :自分が元々勉強していて知っていた部分もあるわけですよね。

松永 :そうそうそう、かなりね。それが整理された形の、整理の仕方というものは、つまり仏教の世界観を元にして、今言った六道の構造と色界・無色界というのがあって、涅槃ニルヴァーナがある、と。ここに全てのものを当てはめられるんだよ、と。梵天の世界というのが、例えばキリスト教の神の創造神に当たる、とか。そうするともっと明確になるけど。

 :今の日本の仏教に継承されていれば、それでよかったという

松永 :ところが、されてないから問題だったというのが、アーカイブの残っている部分に書いてある通りで、つまり高校は、真言宗のお寺の大僧正がやっている学校に通っていて、週に1回くらい大僧正がやって来て授業やるとか、毎朝般若心経唱えていた。「これのどこが仏教やねん」みたいな。

R30 :アレ読んで笑った。激しく笑った。でもまぁ、そんなもんだよね、日本ってね。

松永 :そうそうそう、「『徳・健・財』って、財ってなんやねん、財って」みたいな。そういう世界で、「財はおまけで手に入るよ」だったらいいんだけど、それが目的だとか言い出して、おかしくなってる。

④へ続く

<文責/泉 あい>

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