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2006年5月 9日 (火)

滝本弁護士へインタビュー

2006年5月1日 月曜日

「少し悪いヤツであって欲しかったんだけどね、会ってみてやっぱりいいヤツなんでショックでしたねぇ。」
当時、その残虐さからマスコミに「殺人マシーン」と呼ばれた地下鉄サリン事件の実行犯・林泰男に面会をした時の印象を滝本太郎弁護士はインタビューの中でこう語りました。
滝本弁護士と言えば、オウム事件がテレビで毎日のようの報道される頃、よくテレビの中で見かけていた人で、オウムを潰すのに躍起になっている人というのが、つい先日までの私の中のイメージです。
その滝本弁護士が一瞬見せた、やるせない表情でした。

滝本弁護士は、現役信者、脱会者そして実行犯と、多くのオウム信者と面会をしており、実行犯を含めた彼らのことを「みんないい人」と言います。そのいい人達が日本中を震撼させる事件を起こしたところにオウムの恐さがあると。
「悪意の殺人は限度があるけど、善意の殺人は限度がない。そこが一番の恐い本質ですね。」
教団内に今残っている人がいい人で、こわい人達はみんな捕まったという認識は大きな間違いで、麻原への観想がある限り、いい人たちは善意の下に人を傷つける可能性を持っているということです。

オウムは完全に潰さなければならない、潰すというのは麻原を観想する人をゼロにするということ。そのために社会において必要なのは、「脱会」とは何かを知り、そして力で押さえつけるのではなく、脱会者を社会に受け入れることだと滝本弁護士は言います。
オウムを潰すために、その集団に所属していた人達を受け入れなければならないなんて、何とも皮肉です。

しかし、脱会者を受け入れるのは、全てを許すということではありません。滝本弁護士は一層口調を強めて言いました。
「麻原を観想している限り、現役信者なんだ、ということを決して忘れてはならない。組織から離れるかどうかは二次的なことに過ぎない。それを国民的な認識にもっていきたい。」
滝本弁護士は被害者や家族などの当事者だけではなく私たち第三者にも、その態度を望んでいます。信者の人格を全否定するのではなく、彼らの中に存在し続ける麻原を決して許してはならないという態度を私達は持ち続け、完全に麻原を観想しなくなった者を受け入れることで、社会から完全にオウムを排除できると滝本弁護士は提案しています。

滝本弁護士の言葉で、ずっと混乱していた気持ちが整理され、自分が何を間違っていたのかはっきりとしました。
オウム信者を否定することは松永さんの人格全てを否定してしまうと勘違いをしたこと、オウムを拒絶している私自身の気持ちを明確に言葉や態度に示さなかったこと、それがどれだけ大切なことだったのかを滝本弁護士のインタビューから学びました。


次のエントリーでは、滝本太郎弁護士のインタビューを元に、松永英明さんのインタビューを再度読み直して、今回の一連の騒動を振り返ってみたいと思います。




滝本太郎さんプロフィール
滝本太郎さん運営ブログ:『日常を愛する人は?』-某弁護士日記
弁護士(横浜弁護士会所属)。1957年神奈川県生まれ。早稲田大学卒。
1989年の坂本一家拉致事件を契機に「オウム真理教被害対策弁護団」に加わる。
「日本脱カルト協会(JSCPR)」事務局理事、「カナリヤの会」窓口。
共編著者:「マインド・コントロールから逃れて オウム真理教脱会者たちの体験」(恒友出版)、「破防法とオウム真理教」(岩波ブックレット)、「オウムをやめた私たち」(岩波書店)、「異議あり!『奇跡の詩人』」(同時代社)


以下インタビュー(敬称略)
※ 話し言葉そのままでは理解しづらく誤解を招く可能性がありますので、読みやすいように編集して掲載しています。



  :滝本さんは、河上イチロー時代にはお会いにはなっていないんですか。

滝本 :会ってないですよ。彼が本を作るとき、メールで一度取材の申し込みが来たけどね。「貴方はどこの誰?、メールの取材なんて断るよ」と返事した。その前に、彼がオウム信者だと思われたから、それを指摘して激しく掲示板で戦っていた、そして案の定、当たっていた。

  :では実際にお会いになったのは、この3月ですか。

滝本 :うん。こないだね。いつでしたかな。

  :12日くらいでしたか。

滝本 :うん、それくらいでしょ。彼の言ってる通りです。
彼も泉さんのインタビューに応じているわけだから、私も、まあ話せる範囲で話します。

  :3月の時にお会いになったのが初めてですか。

滝本 :会ったのはね、はい。

  :その時に脱会についてお話なさいましたか。

滝本 :いろいろ話しましたけど。

  :インタビューをさせていただきまして、松永さんが本当に脱会したかどうかというところがはっきりしないので、その辺を伺いたいと思うのですが。

滝本 :泉さんとして脱会はどの様に定義します?

  :それはずごく難しいと思うんですね。単純に教団を抜けたからと言って脱会したとは言えないと思っていて、

滝本 :「教団を抜けた」という場合の教団とは何を指します?

  :アーレフ。

滝本 :デカルトじゃないけど定義付けが大事でしょ。教団とは何ぞや、脱会とは何ぞや。

  :アーレフを抜けたからと言って、それを脱会と言っていいのかどうなのかっていう

滝本 :そうそう。アーレフと言っても今は二つに分かれているし、他にケロヨンもあるしNグループとかもあるし、分派がいくつもあるんですよ。そういうものを全部含めて「教団」と言うべきだと思うんだけど、その前に「脱会とは何ぞや」なんですね。

  :ええ。単純に脱会届を出されていないということで、ネット上でも「なぜ脱会届を出さないのか」ということが議論されているんですが、その辺のお話は聞かれていますか。

滝本 :彼は脱会届を出してないと書いてあったっけ?

  :出したとは書かれてないですね。

滝本 :私は、脱会届を出したか出さないとか、あんまり気にはしてないですけどね。だけど、本当に脱会するなら、出さないより出した方がいい。カナリヤのサイトを結構見ておられれば、私の脱会の定義もご存知ですよね。何ですか?

  :定義ですか。脱会の定義は、麻原さんを捨てられるかどうかということですか。

滝本 :そうですね。麻原さんの観想をやめたかどうか、これが一番の定義ですね。
彼は、組織からは離れているんじゃないですか?

  :組織は離れている・・・。はい。そう聞いています。

滝本 :「カナリヤの詩」をよく見られれば、脱会とは何ぞやということがわかると思います。麻原さんを観想しないこと。これが私の脱会の定義です。ネットでもあちこち書いてますよ。

  :そういう意味では、松永さんへ麻原さんについてお話を聞いた時に、どうも曖昧と言うか、一連の事件については主犯であるかどうかは本人が話していないのでわからないという言い方をなさっているんです

滝本 :麻原さんを本当に観想していないかどうか、オウムを総括をしたか、もしくはしようとしているかということは、一般論としてどういう風に判断できるかと言うと、話していてオウムの発想がどこまで抜けているかということと、今までして来たことをどこまで全て喋っているかということでわかるわけです。だから、本当に脱会したかどうかという意味の判断をするには、彼が何をやって来たかをインタビューならいっぱい聞かなきゃいけないんですよ。失礼だけど、それが全然聞かれてないなと思いました(苦笑)。ご自身ひとりでインタビューされたらまだ良かったのかなぁ。悪いけど、若干宗教がかった様な方が横から言ってて、あんな文化論を話してもしょうがないのにね。あれじゃ彼にとってもマイナスだよ。河上(松永)にとってマイナスというのは、彼自体がより誤解されてしまうということ。

  :そうですか。その誤解というのは、具体的には

滝本 :コメントにいろいろ書かれているように、全然脱会してないじゃないかと思われるだけでしょ?だから、脱会への心理過程をわからない方が、変にインタビューをしてそのまま出すのは不安だなとは思ってたんですけどね。まあ、彼がいいならいいんだろうけど。だって、オウムで何をやって来たのかということをしつこく聞いてないじゃないですか。だから「なんでインタビュー?」と抗議を込めてちょっと申してる(苦笑)。何も聞いてないじゃない。いつ入って、どうして入って、何をして来たか、して来たことについてどう思うか、裏づけはグーグルで検索して彼がしてきたことを把握していけば結構わかるのに。私への抗議文やなんかについて、これをどう考えたのか、とかあるじゃないですか。私の言いたいことはそれ。もう1回インタビューするなら、ちゃんとされたら?って。

  :誤解をされてしまうということですが、脱会をするまでのいろいろなプロセスがあるわけですよね。松永さんは、今その過程のどこかにいるということなのですか。

滝本 :皆さん行きつ戻りつしますからね、全然おかしくないんですよ。行きつ戻りつしますから。あらゆる意味でぼちぼちって言ってるんですから。

  :完全にポツっと切てしまうのは無理なので、徐々にということなんでしょうか。

滝本 :脱会過程も、96、7年ぐらいまでは、まだプツっとやめる人はいたけど、特にここ数年はプツってやめることはあんまりないね。そもそも昔の出家者というのはオウム以外のことはしなかったわけですね。ところが、今の出家者は外でも仕事をするし、出家者500人と言ってみてもオウムの専従をやっているのは100人位でしょ?他の仕事をしてるわけだから、現世にまみれてくるわけですよ。そういう中で悩みが出てくるし。
だから、出家者であっても「あなたはもうほとんど脱会者みたいなものじゃない?」というような人もいる。一方で、とある元中堅幹部にこんな人がいました。組織的にはやめたと言ってみても、カナリヤのサイトに名前が出してあって、グーグルで検索すると自分の名前が出ちゃう。自分が今までしてきたことが出ちゃうということで、「もう私は本当に脱会したんだから削除してくれ」と言って来た。でも、その中堅幹部がやめたという話はとんと聞いてないし、組織からは離れたということでは脱会者ではあるけど、話をしてみれば全然麻原さんのことが抜けていないので、「あなたはまだ現役だとしか思えない、重要な立場だったんだしその感じでは悪いけれど名前を消せない」と、カナリヤのサイトから名前を抜いていない人はいます。そういうものですよ。

  :私が松永さんにお話を聞いた中でも、麻原さんが主犯格であると認めていないということは、教団からは離れているけれども、きちっと抜けた、脱会したとは言えないということですか。

滝本 :うん。主犯と認めるかだけじゃなくて、事件をどう捉えるか、なんです。オウムの「正しい」信者ならば、尊師は救済活動をした、死んだ人は今尊師に感謝している、なんですから。
で、脱会は麻原さんを観想しなくなることで、多くの殺人も救済なんかじゃ決してなかったと知ると。
さらに社会復帰するためには、「呆然とする、強烈な自己嫌悪、麻原さんを憎み、憎む自分を憎む、いつか麻原さんを乗り越える」という過程が必要です。ここまでは、率直に言ってどんな早い人でも3年かかるからね。
彼は大学時代から、自分の全アイデンティティーを含めてやってたわけでしょ。彼は修行好きではないのだけれど、オウムの陰謀論好きの発想が強くあったし、薬物を使ったイニシエーションは当時の出家者のほとんど全員が受けているんですよ。そんな経験、とくに神秘体験の影響を確認しないといけない。
薬物を使うようになったのは94年6月からですよ。オウムのサイトを読めば出てくるけど、そのイニシエーションがあるから、神秘体験の解決をどうしたかは結構大切なことだから。それをどう感じてるかとかね。悪いけど、そういうのも聞かなきゃ。まあ急遽オウムのことをやらざるを得なかったから仕方ないのかもしれないけど。
だから、彼は行きつ戻りつしてるところでしょ。

  :その状況が、事件後すぐっていうのならわかるんですけど、地下鉄サリン事件から見たとしても11年経ってるわけですよね。これは私の考えですけど、あの様な事件を引き起こした事実があるわけだから、もうここからは抜けなければいけないという思考にならないことがすごく不思議なんです。

滝本 :うーん。それをひとことで言うのは無理だな。こういうの(カナリヤの詩)を読んでもらってからならわかるねぇ(笑)。
自分が人生を賭けてきたことを否定するなんてそう簡単にできるわけないんですよ。カナリヤを見れば出てると思うけど、一貫していたいというのが人間だから、彼は一貫していたいし、全部否定なんてなかなかしたくないし、神秘体験もLSDでさせられているわけだから。何と言っても彼は本当に頭がいいし。あれだけ頭がいいから利用されちゃったね。

  :教団にですか?

滝本 :うん。彼も完璧な中堅幹部ですよ。かつ有能だからね。ネット対策では極めて有能だから。

  :教団の中ではかなり発言力があったのかなと、私は勝手に想像してるんですけど。

滝本 :実務的にはそうでしょうね。ホームページ作りとか、そういう関係ではね。
上祐派が彼を失い、今、原理派が彼を失うというのは思いっきり痛手でしょう。

  :では、松永さん本人が抜けると言った場合に、教団が引き止めるということも有り得るんですか。

滝本 :そうでしょうね。有り得るでしょうね。

  :それはあの手この手を使ってということも考えられる?

滝本 :うーん、わからないけど有能な人は欲しいでしょうから。
とある今の中堅幹部が言いましたもの、「新しい信者は使いものにならないよ」って。
新しい信者、95年以降に新しく入信した人というのは、精神的に不安定な人が多くて、宗教巡りばかりしてたりとか、統合失調症気味だったりノイローゼだったり、そういう人達が中でトラブルを起こしてばかりなんです。A君をストーカーしちゃってる出家者とか、中で大変な状況なんですよ。
だから、元々いる有能な人というのは、ホーリーネームも持っていれば尚更、一定程度の解脱をしたということになるし、大切な存在なんです。そして、彼は能力があるから、教団としては彼を失ったのは相当な打撃でしょ。

  :そういう意味で、かなり自由にさせてもらえていたということなんでしょうか。

滝本 :ネット作りの場面は広げていく場面だし、ネットを通して社会の世論をオウムへ理解のあるようにしようとしたわけでしょ。実態としては、彼は河上イチロー時代に私をも取り込もうとしたわけです。あの本(「サイバースペースからの挑戦状」)を出す過程でね。こちらは、「会わなきゃ取材なんて受けないよ」と答えたわけで。
彼は97、8年偽装脱会をしながらネットで活動してきた。それはあまりにダーティーなことですよね。あれは書き方からして、どう見てもオウムのサマナだと思ったから攻撃したわけで、西村新人類さん辺りがその時ようやく明らかにしてくれて、それでバレたんですよ。

  :河上イチローがサマナだということが明らかになる前に、彼が書いているものを読んでサマナが書いたものだとわかったんですか?

滝本 :そうです。他にも幾つかありますよ。裏付けがしっかりしたら暴露するけど、オウムのダミーサイトはいくらもあるし。
だから、そういうところから新しい信者が入ってくるからね。その責任もあるわけだ。

  :今の松永さんと河上イチロー時代との明らかに違うところというのはどんなところですか。

滝本 :明らかに違うのは、正直に話し始めたということでしょ。

  :それは大きな違いですか。

滝本 :正直に話し始めた。要するに「麻原さんを観想してません」とか、さらには「あれは全く麻原さんが全面的に指示した。けしからん。あんな人死んじゃえ」なんて、わざわざ強調して嘘のように言って欲しくはないんです。そういう点で彼は正直に言ってる。良くも悪くも。

  :私もそれはすごく感じたんですよね。松永さんは、信者さんの中でも異質な感じなんですか。

滝本 :ああ、異質でしょうね。能力があって、本を作ってた人だし、「週刊光源氏」なんて結構売れましたよね(笑)。あれは大変なことだ、大したもんだよ。だから彼は出版部門、ネット部門で、オウムの中ではトップじゃないですか。彼がいなくなったというのは非常に打撃でしょうね。

  :松永さんがオウムに入る前からのエッセイを読んで、実際に今の世界観の話を聞くと、松永さんは世界観・宗教観を今もしっかり持っていらっしゃると思うんですが

滝本 :オウムの世界観?

  :根本にあるのは、原始仏教だとおっしゃっていました。

滝本 :それはオウムだよ。彼は、別にオウム以外で原始仏教を習ったわけじゃないからね。
だから、地獄・動物・餓鬼・人間・阿修羅・天界と、オウムではそうなってるんだけど、そんな順番は信じていようといまいと別に構わないですよ。アストラル界更にその上にコーザル界があるという風なオウムのお話になっていると、それを信じるかどうかはどうでもいいんです。
大切なのは、オウムの設定では、麻原彰晃の魂はどの世界でも行けるんだ、ということ。麻原さんは、コーザル界から指示していて、宇宙のアーカシックレコードを持っていて、彼は全ての魂を支配するんだ、全て知ってるんだという論理があるわけです。だから、現世で彼の思う時にポアしてあげる、殺してあげることはいいことだという論理にオウムはなってるわけです。だから世界観の問題よりも、麻原の位置付けが大事なのであってね。

  :では、やはり教義を捨てられるかというより麻原を捨てられるかという

滝本 :いや、教義=麻原だから。オウム真理教の教義というのは、麻原さんの言うことだから。宗教団体もカルトもそうでしょうけど、教義というのは後でついてくるんです。オウムもそうで、教義を後で作ったんです。最初は麻原さんにともかく帰依をしたケイマさん(マハー・ケイマ:石井久子のホーリーネーム)ね。絶対的信仰が先にあった。その人がすごい人だという気持ちが先にあって、その後に教義が出てくる。それは、ロシアのオウムでは麻原さんはキリストさんなのであってね。だから麻原さんをどう位置付けるようにできたかが大切。

  :松永さんは、幼い頃から奈良ということもあって、お寺なんかを見て興味を持って、出家したいとお寺に行ってみるんだけれども、自分の持っている世界観にぴったりはまるものがなかった。たまたま大学でオウムを見た時にピタっとはまるものがあったとおっしゃっているんですね。松永さんの世界観とオウムの世界観がぴったり合うと。それは

滝本 :それは、彼はまだ分析し尽くせてないと思いますけど。麻原さんに幻惑されてはまったんであって、世界観が同じだからはまる云々じゃないわけだね。

  :それは後付けなんですかね。

滝本 :うん、後付だね。やめた後だって「麻原さんの魅力はなかなかきつかった」と言う人はいくらもいるわけで、「ああ、そう?」って「そういう時は中島みゆきの歌でも聞いた方がいいわ」と言うわけですけどね。

  :松永さんの場合は、ご両親がいらっしゃらないということもあって、松永さんご自身が、元々家族というものをあまり重視なさっていないようなんです。家族がいないという環境で完全に麻原を捨てるというのは、やはり難しいことなのでしょうか。

滝本 :先ず、彼に両親がいないと言っておられるけど、それが本当かどうか私は知りません。で、ご自分もそれは調べてないでしょ?だから、その前提に立っていいかどうかわからない。まあそんなことで嘘をついているとは思わないけどね。調べりゃわかることだから。
親が元気で経済的に余裕があるかどうかということは、関係ないです。そりゃ余裕があっていた方がいいけど、親がいない方がいいなと思う時もありますから(苦笑)。要するに、支配的な親だったり、その親が嫌だからオウムにいた場合もあるわけですから。
そういう場合、親が変わっていなければ、かえって親元に戻ればむしろオウムの方がいいなと思ったりするもんだから。親がいれば当然メリットがあるということではないです。もちろん経済的な意味では、彼は今病気だからなぁ。親がいればね、そこで親の有難味を改めて知るから、その方がいいに決まってるけどね。だけど、親がいないからオウムに戻りやすいとは限らない。むしろ現実に食っていかなければいけないという前提があるから、その点必死になって、現世の嫌なところも有難いところも知ることができるかもしれない。

  :松永さんの様に社会と接触を持っている出家信者でも、事件に対する認識が一般社会とかなりギャップがあると感じたんですよね。

滝本 :その前に泉さんはオウムなんて全然想像もしなかったんでしょう?

  :そうです。だから当初は公私混同していた部分があったと思うんです。だけど、世間からの批判を見ていく中で、オウムの問題は今もこんなに大きな問題なんだと実感して、もっと見方を変えなくてはいけないんじゃないかと、たった数ヶ月の間に考えが変わっていくわけなんですが、そういうことを松永さんは11年間経った今でも整理できていないというのは、やはり自分にとってのプライドやなんかなのでしょうか。

滝本 :うーん、プライドっていうか、先ずね、オウム信者と言うと、特に近頃はみんな服もきれいになってきたし、お風呂もちゃんと入るようになったしさ。わかりにくいかもしれないけど、オウム以外のことについては、全くごく普通の人達ですよ。麻原さんやオウムの宗教観の話をしなければ全く普通の人達ですよ。例えば私の友人が実はオウム信者だったとしても、何の不思議も思わない。そういうものです。そういう大前提は結構知られてない。
だから、今新しく入る人たちや、ここ数年間で入った人たちは、言ってみれば「オウムの人は普通じゃないか。むしろいい人じゃない」ということで、「ああそっか、本当のこわい人達、危ない人達はもうみんな捕まっちゃったんだ。今残っている人達はみんないい人達なんだ。だからオウムは悪いことをしたけど、修行とか教義とかそこだけは切り離されて、自分はいい部分だけをやれば加害者側にならないんだ」と思って、いい人達と一緒にいいバイブレーションの場で修行したいなということで入る人が多いわけですね。だから大きい誤解があるんです。オウムはいい人なんですよ、はい。

  :松永さんもそうですもんね。

滝本 :松永さんだけじゃなくて、サリン撒いた人達もいい人なんですよ。これは烏山の講義なんかでも言って嫌がられたし驚かれたけど、それが極めて大切であって、サリンを撒いた人たちもいい人達なんです。
オウム事件の本質で一番こわいところは、いい人達がとんでもないことをやったということ。救済のためにサリンを撒くまでした、坂本一家も殺した、滝本・私も殺そうとしたというところが恐ろしいんで、「悪意の殺人は限度があるけど、善意の殺人は限度がない」、そこが一番の恐い本質ですね。
オウム事件のもうひとつの本質は、化学兵器サリンまで使って無差別大量殺人までしたという途方もないところ。それから麻原という絶対的な存在、彼のやりたかったこと、これがオウム問題の本質だと。
一番大きいのは、なぜそれだけいい人達が、救済のために悪いことをやったのか、そのシステム・機序・マインドコントロール・洗脳というのが問題なのであって、彼がいい人なのに、そして現世と交わってきたのに、どうしてやめないのかとか、社会とギャップがあるのが不思議だと言われることが、私はむしろ不思議なの。そういうものなんです、宗教というのは。
オウムは破壊的カルトだけど、同時に宗教ですから、全然不思議じゃない。

  :では、自分たちがテロリスト集団なのかを咀嚼しろと言う方が無理があるっていうことなんですか。

滝本 :うん、まずいろんな事実を見ないといけなからね。「事実を見る勇気、見つめ続ける気力と勇気」というのだけれど。で、オウムの場合は更に実感として感じるかどうかの問題です。実感を湧かせるために、これは地下鉄サリン事件の被害者の会からもらったりしたんですけど、彼にはこれをあげてなかったかなぁ、あげたかなぁ、サリンの被害者の手記集とか「こういうのを読んでみて」ってやってるわけです。
彼ももちろん驚きだったでしょう。彼は松本サリン事件は米軍の仕業だとかいう小説を書いた張本人で、やられてると思っていたのであって、自分たちがやっているとは想像もしてなかったわけだからね。
オウムも他の仏教もそうかな。現実感覚がなくなるわけですよ。現世は幻。オウムの詞章はご存知です?「ホー 湖面に映る虚像のような様々な幻影に引きずられ、輪廻の大海を浮沈する生き物たち。彼らすべてが 、絶対自由、絶対幸福なるマハーヤーナに入るまで、四無量心込めて大乗の発願をいたします」
憶えちゃったけど、「ホー 湖面に映る虚像」なんですよ。現世は湖の面に移る虚像。その現実感覚のなさが一番の恐さだろうと思います。現世は幻だという。現世でつらいことがあっても、「他の苦しみを自己の苦しみとする」と言ってみたって、他の苦しみを痛みとして感じられない。
だから、脱会の一番多いパターンは、実はカウンセリングとか強制捜査よりも恋愛なんですよ。オウムの中で誰かを好きになっちゃった。男女関係は完全に禁止でしたからね。一番上になれば別だろうけど。中で好きになっちゃったり、それから外で働いている間に好きな人ができたりということで、恋愛になって現実感覚を戻して、それでやめる人が実際には一番多い。

  :現実感覚がなくなるというのは、死への恐怖とかそういうものが原因ですか。

滝本 :それよりも、要するに、精神科医に言わせれば、現実感覚を失う解離性障害みたいな現象の問題なんです。病院に入院にした人もいるし、病院で面会した人も何人もいますけど、要するに心が解離するっていうの?分かれてしまう。典型的な解離は金縛りでしょう?あと幽体離脱。自分が眠っている時上から見る気がする。私も若い頃経験がありますけどね。ほとんど病気かなと思うような方もいらっしゃいます。心が解離しちゃってね。オウムの信者さんらは、軽い解離になっていると思います。
だから、解離が解かれてくる過程が恋愛だったりするからね。ある意味では客観的だと本人は思っているんだけど、恋愛している自分とそれを見る自分というのが、本当に惚れちゃったら統合しちゃうでしょ。客観的に自分を見れなくなるじゃないですか。それは現実感という意味でもあろうし。
オウムの信者は、現世は幻なんて発想を言葉じゃなくて実感として持っているわけですよ。多くの仏教学者や仏教者というのは、言葉として現世は幻と思っているかもしれない。頭ではね。でも体では思ってない。オウムでは厳しい修行、呼吸法で神秘体験をしているし、LSDで解離しちゃっているし、そういう体験をしてるわけだ。現実に現世は幻。テレビの向こう側の世界。映画の世界。
だから、やめた後の感想を聞くと、「なんか映画観てたみたいです」というような言葉も出てくる。

  :薬とかは今もやってるんですか。

滝本 :今はやってないですよ。

  :私の中では「危険な集団」というイメージがあるんですけど、松永さんは「何が危険なの?」と言われるわけですよ。

滝本 :彼が言うのは今の話でしょ?

  :はい。今はどうですか。

滝本 :うん、危険性あると思ってますよ。

  :やはりありますか・・・。それは松永さんのお話では、上祐さんの思考が危険なんじゃないかということですけど、やはりそういうところですか。

滝本 :上祐も危険だし原理派も危険だし。原理派は、上祐みたいな麻原隠しが我慢できない人達だから、危険がこれから一気に開花する可能性はあります。上祐派は、5年後10年後に残っていれば危険でしょう。隠すことができるから。
泉さんは何歳でいらっしゃるのかな。

  :39です。

滝本 :昔の革マル派とか中核派とかご存知ないかもしれないけど、生き残ってるわけなんですよ。それは、隠すことができる人達。大人になっちゃってるわけだ。もう今は60、70と結構な歳だけど(笑)、大人になったテロリストになってるわけだ、確実にね。
そういう意味で、原理派はヘボだから、今の革マル派や中核派のようになれない。

  :いろいろなところで、オウムの信者さんに幼稚なところがあると書かれています。私も報道メディアを設立しようと考えていた時には、松永さんへアドバイスをいただいたのですが、単純に好奇心が旺盛で新しいものが好き、面白いものが好きという、いい意味で少年のような人だなと感じていたんですね。それで、オウム信者さんに幼稚なところがあるという記事を読んだ時に、「そう言われてみればそうだな」と実感としてあったんですけど、やはり他の信者さんもほとんどの方がそうなんですか。

滝本 :失礼な話だといいながらも、よく言うんだけど、オウムに20歳で入信し出家して5年経ったら25歳ですね。25歳でも精神年齢は20歳のままだなんてよく言うんですが、私は違うと思う。15歳だと思う。精神年齢は下がるよと言ってるわけ。
要するに、オウムというひとつの完璧な部分社会にはまってしまっていて、それ以外のイデオロギーや情報を遮断していたわけです。彼は情報としては入れていたけれども、それがとんと入らない。麻原さんの指示なら、全て何でもするというのがオウムですからね。身口意全部を捧げるわけだから、それをして来た状況ですから、社会のことは知らない。社会で仕事しててもよ。社会とある程度接触持ってても。だから・・・幼いですよね。ネクタイができるできない云々だけの問題じゃなくて、彼はネクタイは元々できたでしょ?多分つけられる。だけれど、「社会の常識はオウムの非常識、オウムの常識は社会の非常識」なんて言い方をするけれど、要するに社会の仕組みを知らない。本当の仕組みね。本音と建て前とか。あと、逆に社会の厳しさを知らない・・・ところはあるね。
だから、あなたのインタビューを受けて、あれが出ることで自分が今後どうなるかという心配が、まだ足りないなと思いますけどね。
一般には脱会した後に半年や1年2年3年、「手記をいつか書いてね」と言ってるけどなかなか書けない。急に書いた人は、本名で出してくれなんて言う人もいて、一度本名で出したこともあるけど、後になって「やっぱり本名じゃない方がよかった」なんて言う人もいて。その厳しさを知った時に、一度本名でカナリヤに出しちゃったことはまずいんですよということで、消した人もいくらかいます。あくまで本名じゃなきゃ出ないと言っていた人がいたけど、後々つらいよね。
だからやめた後もしばらく幼稚です。
でもそれが数年間、本当に社会復帰していく中で、すごく素敵な大人になるから、それが一番の楽しみですけどね。

  :でも、本人が麻原を捨てられたとしても、社会復帰ってそう簡単にはできないんじゃないでしょうか。オウムに入っていたということが世の中にわかってしまうと、その人の居場所はなかなか確保できないのでは。

滝本 :どうかなぁ。麻原さんを完璧に捨て去ること自体が、先ずつらいけどね。ぼちぼちぼちって言ってるけど。
脱会者への目は、日本は結構温かいと私は思いますよ。うん、比較的。コレ、江戸時代やなんかだったら、全員首切りでしょ?それこそ九州で起こった天草四郎の島原の乱だったら、子供まで全員殺されたわけだなぁ。これがアメリカや中国だったら・・・。中国だったらとっくにもっと大勢やられてるでしょう。で、殺されないにしても、日本は破壊活動防止法をかけなかった。これは本当に良かった。破防法をかけると、端的に言えば本当に脱会した後もレッテル付けられるんですよ。これで完璧に公務員になれないんです。「政府を暴力で破壊することを主張する政党その他の団体を結成し、又はこれに加入した者」は公務員になれないと法律で決まっている。これは破防法とリンクしているんです。その宣誓で嘘をつかなきゃいけないわけ。破防法がかかってしまうと、正直に言ってしまうと公務員になれないんです。
公務員だって幅広いからね。そして、破防法ということになればリストに当然入るし、それで大会社なんて到底入れない。
しかしさ、オウムってのは大勢の人を殺したわけよ。しかも化学兵器サリンを使ったんだよ、2回。私を含めれば3回。あと創価学会も一度あったから4回。日本は原爆2回落とされてサリンを2回やられた国になっちゃったんですよ。こんなの世界で初めて。サリンを今まで使ったのは、イラクのフセインがクルド人相手にやったと。これは裏付けあるようだけど、それだけ。オウムは化学兵器サリンまで撒いた団体で、連合赤軍どころの話じゃないのよ。新左翼どころの話じゃないのよ。そこにいた人達が何とか就職できると。正社員になった人もいくらもいます。そういう社会で、日本は宗教の扱いをある程度知っているな、破防法適用しないで良かったなと、つくづく思います。
だって95年、法制度の中で我々も随分政府と交渉したけど、オウムの元信者ということになれば、精神病院などに少し通院する、もしくは入院するだけで生活保護がすぐに出ます。あと職業安定所でも優遇してくれるんですよ。秘密をよく守ってくれて。まあ、職安を利用する人はあんまりいないけど、生活保護はオウムの元メンバーであればスムーズに出るし。それから夜間中学なんかも交渉したけどね。東京都はひどいけど、神奈川県は受け入れてくれましたよね。小学校3、4年で親と一緒にオウムに出家させられて、小学校中学校さえ卒業していない20歳くらいの子が結構いるんです。もう25歳位になっていたりするけどいるのよ。そういう人達が何とかほとんど無償で入れるようにしてくれている。

  :夜間中学って、今回の取材で初めて知ったんですけど、元々あるものなんですか。

滝本 :義務教育を終わってない日本人、外国人ももちろん結構多いですから、そういう人達が入れる。

  :元々そういうシステムが日本にあるんですね。

滝本 :うん。「学校」っていう映画観たことないかな。観られるといいね。
だから、特に生活保護だな。生活保護が割りとスムーズに出るということを利用したのがケロヨン。ほとんどの人が生活保護を受けていて、それで分派を作ってたんだからひどい話。ひどいもんですよ。
そういう意味で、社会が厳しいと言うけどあまいよと。日本の社会は優しいよと。私は日本を誇りますよ。アメリカの記者とかテレビ局とかフランスとかから取材を受けて、「なぜまだ教団は潰れないんですか」「なぜ破防法を使わなかったのか」と、それは日本が宗教の扱いを知っているからだと。日本では、比叡山焼き討ちを信長がやった。これは1571年だと。キリスト教の弾圧もやった、ですが今は宗教の扱いを知っている。そこから説明して日本を自慢しますよ。
要するに、オウムというものを本当に潰すには力だけじゃだめなんだということを知ってるという意味です。

  :片や被害者の方から見れば、そういう状況に対してどういう感情を抱いていらっしゃるんですか。

滝本 :そりゃあ足の裏をかかれる、隔靴掻痒の感で怒りに思う人もいるでしょうね。ただ、私も被害者自身だけど、地下鉄サリンの被害者や松本サリンの被害者の人達に会うことはあるけれど、かなりわかってはもらっています。オウムを本当に潰すには、力で破防法でバラバラになってそれで終わりというものじゃないんだと。それで終わりじゃないんだと。だって、一番許せないのは、もちろん麻原彰晃だけど、あとサリンを撒いた人達も許せない。でも、今も麻原を信じているヤツらがいるということを非常に怒りに思うわけよ。ましてや、そこのお金で賠償が回ってくるというのも、非常に自己矛盾でかわいそうですよ。ひどい話だ。で、その自己矛盾は嫌なわけで、オウムというものは完璧になくなって欲しいんですよ。オウムがなくなるとしたら、麻原を信じる人をゼロにして欲しいわけ。
そういう観点からした時に、力だけで何とかすりゃ終わりじゃないんだということは、広がってきたように思います。それは努力したわけで。ほんで、アメとムチが必要なので、アメもあるけど、今はムチがちょっと弱まっちゃってるなと思ってますからね。公安調査庁の調査と公安警察の厳しい調べがあるけど、これは引き続きやるようでしょう。そろそろ公安警察も本腰入れてきていいんじゃないかなと私は思いますが。

 :昨日もTBSの報道特集拝見しましたけど、

滝本 :ああ、私?出てたよ。自分が見てないんだ。(2人笑)

 :松永さんもおっしゃっていましたけど、教団は今年いっぱい持たないんじゃないかと

滝本 :うーーん、そうではないと思うけどね。A派に捜査が幾つかのことで入る可能性はある。あと、マイトレーヤ(上祐氏のホーリーネーム)・上祐派をどういう風に扱うか。実態としては、上祐は公安警察のスパイ役をしてくれているわけです。彼は出所前に公安警察とどの程度接触したかわからないけど、オウムの牙を抜いた。一応は麻原の教えは封印しなければいけないと。これは麻原家を外さなきゃいけないと、表立っては言う。内側では、麻原さんのまずいところをともかく封印しましょうよという言い方をして、そして牙を抜く。で、現実に麻原を観想しようとは、上祐は言わなくなったわけ。自分は麻原の写真を机の上に置いていたりするけどね(苦笑)。今は机の下に入れたかもしらんけど。
上祐はそうなんだけど、麻原さんへのことを表立っては決して言わないようにすることで、これは然れども実態としては牙を抜くことができた。それが、我慢できなくなって原理派ができたという経緯ですね。

 :松永さんは、上祐は表立ってはそういうこともしているけど、実は自分が上に立ちたいんだ、それは恐いんだという風におっしゃってるんですけど

滝本 :うーん、どうなんかなぁ。上に立ちたいという願望は上祐の煩悩としてあろうと思いますけど、ただ一番のきっかけは、神がかりになっちゃってたからね、一時期上祐は。それこそ松永君の東山出版の出した本の中にあるけど、本当に彼、冗談で言ってるのかと思ったら、本当に自分が神がかりになってきたつもりなんだなぁと思ってね、あほやなぁって思ってたんだけど、その辺が耐えられないんじゃないですか。それは思いますね。
重要な課題は、松永君にどう助言するかを自分は考えるわけで、それはここでは言わないけれど、彼に助言するとすればどう言うかを自分としては考えるわけで、泉さんご自身として、本当はお願いしたいのは、そりゃあジャーナリストの立場だから自由でいらっしゃるんだけど、するんだったらあれは不満が出るよ。あれじゃあまだ追究してないよね。要するに、彼自体が振り返る材料をそれこそ彼を充分ググってさ、これは今どう考えるか、厳しくするところはしなきゃあと思います。ただ、まぁ彼は食っていくことが大切でしょう?うーん、力仕事でもすりゃあいいんだけど、なかなかできないしね。

 :インタビュー前に日時の確認で電話をした時も、息も絶え絶えでした。

滝本 :そうでしたか。ねぇ、要するにあれだけ嘘をついてきた人が、嘘をつくのがワークだったのは上祐もだけど、彼も嘘をつくのがワークだったわけですよ。それで信用をしてもらうにはどうすればいいかと、人はそう簡単にもう信用してくんないんだと、まだわかってないんでしょうね。少しずつわかってくるだろうけど。

 :ネット上の松永さんに対する批判もそうですけど、社会の中でオウムに対する恐怖感や警戒心がすごく強いと思うんですね。松永さんへのインタビューをUPして特に感じることなのですが、当事者ではない私達が、「被害者の気持ちがわかるのか」と正義感を振りかざして、もちろん被害者の気持ちも理解しなくてはいけないし、考えなくてはならないんですけど、松永さんに「被害者の気持ちは・・・」と声高に迫ったからと言って、問題解決ができるとは思えないんです。そことは違うところ、そこをひとつ超えて考えていかなければならないと思うんですけど。江川さんの文章を読んでも、当事者ではない人ももっと考えなくてはいけないと書かれていて、ついこないだまでの私も全く当事者意識なんてなかったですけど、当事者ではない私たち、ネットの住人を含めて、私達は何ができるのでしょう。

滝本 :オウム信者の気持ちを理解はするが許さないぞという態度は、全員必要じゃないですか。先ずね、被害者って言うけど、被害者はみんな違うしね。被害者の気持ちって結構違うものですよ。
それから、みんな被害者ですよ。日本自体が当時戦争状態だったんです。これ、忘れてはいけないんで。95年11月にサリン70tを本当に撒こうとしていたんだから。麻原は日本国を乗っ取ろうとしてたと一方で言うことがあるけど、その前に全て破壊しようとしてたんです。強烈な・・・すごいことですよ。
当時心配していたのは、私は原爆です。麻原さんは「毒ガスの次は原爆かもね」と説法で言っていたんだから。チェチェンから5億円で原爆を買えるはずだから、それを持って来てるんじゃないかと。新実ぐらいだったら自分が死んででもボタンを押すから、それを心配したけど、買ってはいなかった。だからみんな当事者なんですよ、それを忘れてる。
オウムの信者を理解するけど、決して許さないぞという態度が絶対必要なんです。で、上祐は、オウムを生き残らせるために工夫している、上祐路線の元に社会の人に許してもらおうと考えているわけです。麻原の教えを使ったまま、ヴァジラヤーナは隠したまま、いつでも封印を解ける状態でね。それに括弧書きの知識人とか括弧書きの人権派が乗っちゃうわけだ。それを決して許さないぞという態度が極めて大事なのだろうと思う。上祐こそ「嘘をつく」のがワークなのだということを忘れては困る。
で、もちろん厳しく言って事件が解決するわけではない。だから私も厳しく言わないけど、許さないぞという態度を忘れたならもう終わり。でも、「許さないぞ」という態度を忘れているように感じられる発言が時々あるわけだ。仏教の課題として一般化する議論をしたり、社会論一般にしたりね。
彼も含めて、オウムはサリンを作り、サリン以外も作っているわけですよ。VXも作り、いろいろやってきた。LSDもやってきた。内部では大勢の人が殺された。実に大勢の人が。記憶喪失にさせられたのは100人からいる。そういうおぞましいところにいたことの責任、それに関与したことの責任。だって本来、全員出家者は向精神薬の犯罪で捕まるべき人達なのよ。そこまでやり切れないからやらなかっただけの話でして。それをあたかも許されるがごとく、個人個人の問題、社会一般の問題に還元してしまって、誤解を与えてしまっては非常にいけない。で、そういう人が多いの。こないだのインタビューでもそうだし、文化人でもあるけど。
要するになぜ許しちゃいけないかと言うと、ナチスをドイツは決して許さないでしょ?反ナチス法ができているわけだ。それと同じ。「戦う民主主義」って言葉を聞いたことあるかな?民主主義というのは、民主主義を潰そうとする人達にも発言を永遠に完璧に認めなきゃいけないのかという大きな問題なんですけどね。ドイツやなんかだと、ナチスマークをするだけで捕まるでしょ?ナチス擁護の発言をするだけで、客観的事実に反していることを言うだけで捕まるよね。それは、ナチスというものがあれだけ残虐なことをして、大勢の人を苦しめた。塗炭の苦しみを与えた。それは絶対的に排除しなきゃいけないものだということでもって、反ナチス法があるわけですよ。
それと同じで、日本が戦う民主主義というものを取るべきだと私は思うね。オウムというものを絶対許さないぞという態度は、国としても必要だし社会に於いても絶対忘れてもらっちゃ困る。
だって本当に、何も言わずにポアするのがオウムなんだけど、こうやって話していても翌日には殺しに来るわけよ。ね。私は94年の11月4日、青山弁護士や林郁夫と赤ちゃん返せの交渉をやっていて、ニコニコ話する一方で、私にはボツリヌス菌を飲ませてるわけよ。ね(苦笑)。

 :あれは、未遂じゃなかったんですか。

滝本 :あれはトキシンという毒素が出てないから。だからボツリヌス菌では起訴はされなかったの。でも、ボツリヌス菌が入っていたのは確かなの。なぜ断言できるかと言うと、それをやった人が後で謝りに来てね。「おおおおお、すごいね」って。
だから私を殺そうとした人とも、もちろん会ってるし、東京拘置所で最高裁までいってる人とも何人も会ってるわけで、坂本を殺した人とも会ったし・・・ね、いろんな人と会いましたけど、みんないいヤツなんだよ。参っちゃうよねぇ。林泰男なんていうのは、8人彼の撒いたサリンで死んでるわけだ。で、少し悪いヤツであって欲しかったんだけど、会ってみてやっぱりいいヤツなんでショックでしたねぇ。1審判決の判決文の中では「およそ師を誤るほど不幸なことはなく、その意味において被告人もまた被害者である」というようなことが書いてあるんだよ。死刑判決なのに信じられない死刑判決文でしょ。裁判所もよくわかってくれたんだなぁと思う。それがオウム事件の一番の恐ろしさ。
だから、社会というのは、その本質をもっと知った上で決して許さないんだと。オウムの発想、麻原の発想、要するに、社会への強烈な恨みルサンチマン、権力を持ちたい・人を支配したい、それも果たされないときの強烈な破壊願望タナトス、それは決して許さないんだという態度をしていかなければ、オウム真理教というもの、麻原を観想する人はただの一人も許さないんだと、国家じゃなくて社会に於いてそういう態度でいて欲しいのね。そうじゃなきゃオウムはなくならないですよ。

 :破防法とかで急激に押さえてしまうと、散り散りになって潜伏してしまうのは、やはりこわいということですよね。

滝本 :うん、やり方として強烈なやり方がいいとは限らんと。戦術の問題なのであって、目的としては同じ。強烈にやりたいという人も。
でも破防法は、いろいろ法律上欠陥があるから。あれは使える法律じゃないもん。一方で、団体規制法の再発防止処分に6ヶ月間何もやっちゃいけないという防止処分があるけど、これは将来使うことは有り得ると思いますよ。それで潜伏することがあるけど、ここまで把握してきたら潜伏もそう恐くはなくなったなぁと思ってるから。要するに、炙り出しがかなりもう出来たから、そろそろ再発防止処分も有り得るんだろうとは思います。そういうことよ。厳しく言って解決するものじゃないってことは、イコール許してもいいんだなんていうところに持ってきちゃう人がいるからね。信教の自由とか。

 :ネット上で議論がされることにも大きな意味があるんじゃないかと思うんですけど、どういう方向で議論をしたらいいと思われますか。

滝本 :いや、議論はみんな自由にするんだから方向も何もないんだけど、私は今申したように、許さないという態度は絶対に必要で、許すような森達也監督とか・・・また彼は平気で嘘をつくから。ひどい話だ。だって映画『A』なんてのは、映画『A』推進委員会ってのを作って、彼は映画『A』推進委員会というのは、オウムとは関係ないと聞いてるということで逃げてるんだけど、あれはオウムが作った推進委員であって、映画『A』はオウムの理解を強めるために意義のあった映画だからね。オウムの宣伝になったわけですよ。

 :森さんとしては、必要以上にオウムに対する恐怖感や警戒心を煽ぐことが問題なんだよいうことが言いたいわけではないんですか。

滝本 :一番大切な本質が出てない。そういういい人達がサリンを撒いたということがとんと出てない。要するに、今残っている人達がいい人だということしか描かれてない。サリンを撒いたヤツも、これらと同じようにいいヤツなんだということが描かれてない。だから大いに誤解を招く。だからオウム推進委員会を作って・・・。あれは親御さんらには見て欲しいと言ったよ。映画『A』も『A2』も、信者さんの親御さんらには、子供の気持ちをわかってもらうために。だけど、社会にはあまりにも誤解を招く。残っている人はいい人だってことになっちゃうでしょ。その前にやった人達もいい人なんだと、そこにオウムの恐さがあるんだという、これが抜けてるから、本当に率直に言って底の浅いものだと思います。
あれのお陰で荒木君なんて脱会できないでしょ。あんなのに出ちゃって。

 :あれのお陰でできないんですか。

滝本 :あれのお陰ですよ。要するに、ルビコンの河を渡っちゃったわけでしょ。彼はまぁ、上祐のせいで表にあのキャラクターが出たわけだけど、あれだけ顔出しちゃってやめるにやめられないですよ。ルビコンの河ってあるでしょ。シーザーがヨーロッパからローマに戻る時に、小さい河を渡っちゃった。元老院と戦うと決めたんだな。荒木君もあの映画に出ることで、ルビコンの河を渡っちゃった。そういう時に一貫性の原理が人間にはあるから、自分をやり直そうと考えることはなかなかできない。
だから抗議文をネットに出してあるけどね。あれだけ無責任な知識人はいないと思うよ。ひどいね。吉本隆明なんて、それこそ死んじゃった埴谷雄高から「お前の頭、スポンジになったか」と言われたわけだけど、どうしようもないねぇ。そういう人いるんですよ。

  :脱会しようと思っても、教団の中の方が居心地がいいからということもあるでしょうね。

滝本 :うん。脱会しようという人はいない。そろそろ脱会かなぁというイメージだけどね。だから中堅幹部以上の人は居心地がいいでしょ。中にいれば尊敬してくれるし、外に出れば、地位と社会的評価は逆転するわけだから。それが中にいるとわからない。それがわかってくればより恐怖になるし、わからないまま一応離れた場合は、社会でも自分はラージャ・ヨーガ成就、クンダリーヨーガ成就してるから能力あるし尊敬されるはずだなんて思ってやめる人が中にはいるけど、こういう人は戻りやすい。だってオウムでの修行とか、それってなんぼのもんじゃいと。チョモランマの頂上へ上る修行だと思っていたわけだけど、それはマリアナ海溝の底へ落ちていく修行だったんだと。修行としての殺人ですから。坂本一家もサリン事件も。その本質をわかった時には、オウムをやめれば逆転するということがようやくわかる。そうするとそれで逆にまた恐いから。
だから、ある意味で「こっちの水はあ~まいよ♪」じゃないけど、本当に脱会すれば社会は受け入れるよという態度を示し続けなければいけないのかもしれない。その代わり、本当に脱会していない人にあまいことを言う必要はないわけですよ。

  :そうですよね、その見極めがすごく難しいと思うんですけど

滝本 :組織から離れればそれでいいようなあまい考えはいかん。

  ;松永さんのあのインタビューの中の発言は嘘ではないと思うんですね。あれは素直な気持ちだと思うんですよ。

滝本 :うん、正直ですよね。

  :ええ。で、教団を出てきました。先ほどもおっしゃられたように、本当に麻原を捨てるためのプロセスの中にあるというところで、今回叩かれることを承知でインタビューに応じてくださったわけです。今たまたま入院なさってますけど、ネット上の批判や仕事などの厳しい現実から、また戻ってしまう可能性もあるわけで、そうすると「やっぱり嘘ついてたんだじゃないか」、「あのインタビューで話したことは嘘だったんじゃないか」「やっぱり脱会してないじゃないか」と言われる可能性もあるわけですよね。

滝本 :まぁ、前の偽装脱会の時とは違うよね。前は完璧に偽装していたわけだけど、今度は明らかにしちゃったんだから。
要するに、人間というのは思想・感情・行動で動くとかってよく言うんだけどね。(図を描きながら)思想と感情と行動というのは正三角形だと。例えばね、自分の好きな人が右翼だったとすれば、好きな人といろいろと話していく内に、またその人と一緒になりたいから、自分の思想も右翼的になると。自分の行動として、ある一定の行動をしてしまうと、例えば統一教会でも何でもいいや、例えば100万円のお布施をしてしまう。それを騙されたとは思いたくないのよ。だから感情もその人に縛られるし、思想も文鮮明さんの教えが正しいじゃないかと思うわけ。そういうので引っ張り合うわけ。
で、彼の場合も、行動でもう十数年オウムに尽くしたと。それをどうしようかと迷う。まだ全てを言えないでいる。思想として、頭の中ではそろそろ麻原さんを捨てなくてはいけない、間違っていると思ってたとしても、行動がそれだけあったから、そう簡単に変えられないということね。
だから、女性信者なんかは、麻原さんへの恋愛感情へも似たものがあるから、それに結構引っ張られている。それぞれリンクするのでね。
「止めたって言うなら全て明らかにしろ」って、ともかくそんなに急がせないでよってどこかに私書き込んだけどさ。急がせないでよと思うね。
だから、インタビューも本当はしないで欲しいくらいだったんだけど、要するに、ただ泉さんご自身の立場としてはするし、彼も説明義務がある立場だから、理論的には当たり前なんだけど、彼をそれこそ完璧な脱会に持っていくためにはその理解が大切。彼はもう上祐には、感情的にも思想的にも離れているみたいだけどね。

 :松永さん本人は、「マインドコントロールされてないから」とおっしゃっていましたけど、やはりマインドコントロールされているんでしょうか。

滝本 :彼は自分からオウムへ近寄っていった方だけど、少ないとは言え修行してきたし、神秘体験したわけだから、その辺の分析はまだ不充分なんでしょうね。

 :全くマインドコントロールをされていないとは言えないってことですか。

滝本 :うん、全くされていない人はいませんよ。しかも薬物だよ最後は。う~ん、薬物だよ。すごいんだよLSDは。
(「カナリヤの詩Ⅱ」を持って)この「カナリヤの詩」という冊子のⅡの表紙は、そのクンダリニーが発現したうわぁーと出た時の自分のイメージね。背中から熱が上がってくる感覚。それは神秘体験の一つ。背骨をずーっと上がってくる。

 :マインドコントロールを解くためには、自分の取った行動をひとつひとつ噛み砕いていくことが大切なのですか。

滝本 :うん、だから彼はあなたと話すでも何でもいいから、いろんなことをそれこそ振り返りながら、何年何月頃何をやってた、何年何月頃何をやってきた、それを全部聞くだけだっていろいろな話が出てくるし。その中で麻原さんとあったこと、上祐とあったこと、いろいろ話をしていく中で解かれていく。

 :今「オウム・アレフ(アーレフ)の物語」というのを書いていらっしゃいますけど

滝本 :つらいだろうねぇ・・・。あれだけ書くとつらいだろうねぇ。つらいよ。その中の言葉の端々にまだ不充分だと思う人は結構いるだろうけど、やめてまだそんなに経ってないのにあれを書き始める人もそういないだろう。まぁ、そういう性格だからしょうがない。

  :強いと思います。

滝本 :うーーん、強いけど、人間の本当に強いのは柳じゃないですか(苦笑)。本当に強いのは柳じゃない。だから、あんまり頑張らないでよと言いたいんだけど。でもまぁ、ネットなりブログなり、出版で食っていくために松永という名前をまた変えるわけにいかないんだったら、早く清算しなきゃいけないんだから、それは仕方ないだろうけど。うーー、つらいよなぁ。ポキっと折れちゃったら大変だ。急がないでねと思うけど。
一般には、結構な幹部もみんなやめた後、影に隠れちゃったでしょ。やめてそれこそ欝状態に陥ったり、自殺未遂したり、精神病院へ入院したり、いろいろある。そういう中で、いつかはすっきりしていくんだけどね。
彼は立場上、カルマが当たってるなぁと思うけど(苦笑)、そういう意味では厳しくやんなきゃいけないという立場に自分がなっちゃったからなぁ。表で表現活動をやってきたから、仕方が無いんだろうけどなぁ。まぁ、いろいろ話があちこち。
だから、一番お願いしたいのは、もしまたインタビューするなら許さないぞという態度を示して欲しいんだよ。ともかく一般論や文化論にすぐ回るような人となんで一緒に・・・。何これ?と思ったよ。話が散漫になるだけと思った。

  :「え?」と思うシーンもあったんですけど、私は数週間の間に「オウムはやっぱり今もこわいのか」、「なんでなんで?」という思考がありますし、もう一人の方は、元新聞の事件記者さんですので、松永さんはプライドが高い方でしょうし、一人宗教観を持っている方が同席してくださることは、松永さんの宗教観を引き出すという意味では重要だったと思うんですけど。

滝本 :ともかくマスメディアも、NHKだって幾つかの新聞社も、それから他のテレビ局にもオウムの信者は何人もいたんだから。

  :メディアの中にですか。

滝本 :そうです。ご存知ない?95年の頃、結構暴露して守ってもあげたけどね。だから東大卒やなんかで
「私も実はイニシエーション受けてきてた」
「なんだそりゃ(笑)。あーら、あなたも信者さんだったの?」
って。

  :意外と多いですか?

滝本 :多いですよ、本当に。だって官僚にもいたし、法律関係者も実はいた。だから、薬物やったのは5000人位はいるんじゃないかな。学歴の高い人は、オウムの中でも優遇されていたし。

  :じゃあ、私がオウム信者だと疑われても全然不思議ではないんですね(苦笑)。

滝本 :全然全然。だってNHKの社員だった人がオウムの出家者になったりするんですから。だからオウムの中でビデオ作ってる人は、元プロだったりする人が結構いるわけよ。不思議でもなんでもない。

  :菊池直子にされるとは私も思ってはいませんでしたけど(苦笑)。

滝本 :あははは、顔似てるか。それは失礼な話だよな。
だから、Rなんとかさんとか、なんじゃこりゃって思うよ。宗教好きな人いるよ。そういう人がオウムにはまっちゃったって不思議でも何でもない。取材している内にはまっちゃった人もいるよ。95年頃。

  :私みたいに全く宗教観を持ってない人の方が、コロっとはまりやすいってこともありますか。

滝本 :世の中には魅力的なワル、恐い人がいるんだってことを知らないんだよね。

  :でも、片方ではオウムを許さないんだと言いながら、松永さんは嘘をついていないわけですよね。その兼ね合いというか、見極めというか

滝本 :その人を受け入れるんであって、思想を受け入れるわけじゃないでしょ。だから、オウムという思想、麻原に帰依をするという思想、現世は幻で現世を麻原の指示でぶっ潰してもいいという思想は決して受け入れないよと。で、「あなたがまだ麻原さんを観想するんだったら現役の信者であって、形は脱会しててもまだ脱会の内には入らないよ」という厳しい態度は当然できるんで。だからと言って、彼を全面否定するわけじゃないというだけの話でしょ。

  :全面否定しているネット上の書き込みとか、結構ありますよね。

滝本 :中にはいるよ。しょうがないね。
だって、麻原だって私は全面否定してないよ。死刑にして欲しいと思うけど、全面否定は決してしてない。死んでもなんでも。



<文責/泉 あい>

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コメント

おおお、予想はしてましたが引き続き凄いインタビューを実現してくれましたね・・・
本にしてもいいようなコンテンツですよ・・・
これに加えて、松永氏と滝本弁護士、この二人が直接対談(対決?)する本を出してくれたら
私買いますよ。

ともかく前向きにこの問題にコミットした泉さんには脱帽だ。いろいろ迷いながら試行錯誤して前に進むのは、見てるとハラハラさせられるが、泉さんの味。これからもこの調子で頑張ってください。

投稿: ねむ | 2006年5月 9日 (火) 22時31分

良いインタビューでした。

泉あいの勉強会って感じか?
しかし、これが必要な層も多いでしょう。
これはブログジャーナリズムと言って良いエントリーだと思う。

投稿: 名無し(トリル) | 2006年5月 9日 (火) 22時45分

オウムと松永の問題をご理解いただいたみたいで、よいインタヴューでした。
この調子で頑張って下さい。

あと、泉さんには迷惑かもしれませんが、少し松永に反論しておきます。

>メールで批判は来ないんです。むしろメールで応援は来るけど。わざわざ「バカヤロー」というメールが届くことがないよね。2ちゃんねるとかで叫ぶ分にはできるけども、直接メールを送るのはおそらくこわいらしい。

いえいえ、私は彼にメールしました。

>それくらい自分が全く相手から見えないところから石投げたいという人が多くて。

ふーん、是非直接お会いしたものですな。

http://www.geocities.jp/grbjh437/index.htm

投稿: ヨッシー | 2006年5月10日 (水) 00時55分

インタビューお疲れ様といいたいところですが、ねむさんが言っているこれ。

>ともかく前向きにこの問題にコミットした泉さんには脱帽だ。いろいろ迷いながら試行錯誤して前に進むのは、見てるとハラハラさせられるが、泉さんの味。これからもこの調子で頑張ってください。


こんなことずーっと言ってるんですよ。みんなして、ずーっと。これからもずーっと言い続けないといけないんでしょうか。

まるでデジャブみたいですよ。この数ヶ月。

投稿: samurai | 2006年5月10日 (水) 02時46分

>samuraiさん

いや、もう多分、その通りで、これからもズーッとでしょう(苦笑)
読み手も覚悟した方が良さそうです。
そういう意味で「泉あい」が完成したり安心させたりという事は未来永劫無いのではないかと思いますよ。
「ヘッポコ」だけど頑固にともかくやるんだという呆れるような気迫はコメント欄再開ぐらいから感じてます。

投稿: 名無し(トリル) | 2006年5月10日 (水) 04時11分

たいへんお疲れ様でした。しっかり読ませて頂きました。
ご自身の関係が近しい順番に松永さん→滝本さんとインタビューされたことは、結果論としていろいろ言えても、プロセスとしては間違っていないと思います。
松永さんといろいろお話をされたから上でだからこそ、滝本さんから、ここまで突っ込んだお話を引き出すことができたのですから。
こういう試行錯誤(失礼)がGripBlogの味かと思います。これからも楽しみにしています。
更にこのテーマを突っ込むのでしたら、松永さんの恢復を待って再インタビューとか、ほかのオウムウオッチャー諸氏や脱会者さんにもインタビューされてみると、より膨らむのではないでしょうか。

投稿: N | 2006年5月10日 (水) 07時28分

わたしはこのインタビューをまったく評価しません。
つぎは、地下鉄サリン事件被害者の会の代表世話人・高橋シズヱさんにインタビューして欲しいと思います。
あなたにインタビューが許されるとは思わないけれど、そういうことによって、あなたの魂が揺さぶられることが必要だと、おせっかいながら、感じています。

「他者の悲しみさえも自分の悲しみとするのが市民の良識であり、それは、取材対象に対して客観的立場を強いられるジャーナリズムの精神と相容れない」と、私は言い続けています。

私自身、その桎梏をうちやぶれていない。反省の日々を送っております。

投稿: スポンタ | 2006年5月10日 (水) 14時10分

「良いインタビュー」「試行錯誤」「まったく評価しません」-----そのどれもが当たっているんではないでしょうか? 良くも悪くもこの一連のインタビューでようやくスタート地点、言ってみれば<当たり前>の話、<当たり前>の感覚にようやく戻ったと。。その意味では、BigBangさんの「Flash発売日の前後1週間にこうあってほしかったと思います」という言葉(彼の本サイト・コメント欄)もむべなるかなと思います。現状のままではそれは望めないと言うしかない、というのも諸兄のおっしゃる通り。よくやってて(持ち直して)凄いなーっていうのが、私の素朴な感想ですがw
あと一点。乗りかかった船であり、また自らの責任問題と他から目されている以上、オウム関連のエントリーはまだ続くことでしょうが、それと同時に、ume氏と黒崎氏との間の問題についても改めて書かれることを期待しています。これは、いたずらにume氏の身許を明らかにせよといった声に応えよという風なこととは違います。このブログ上を発端として起こったことの顛末をきちんと報告することは、今後の継続にとって不可欠だと考えるからです。その具体的な形がどうあるべきかについては、ご自身で答えを出してほしいと思いますし、読者の側から突っ込んで書けるだけの材料もありませんので、あえて書きません。よく考えてみてください。

投稿: katshi | 2006年5月10日 (水) 17時56分

誤植お知らせ
滝本: 観想してなかどうか
滝本: 画観たとないかな
滝本: 赤ちゃん返せの交渉をやっいて
泉: 散り散りにになって
#もし見苦しいようでしたら、このコメントは修正後に削除していただいて構いません

投稿: katshi | 2006年5月10日 (水) 17時57分

インタビュアーのおかげではありませんがね。
こんな当たり前の事を理解できない、おかしな人があまりに多くて辟易していたところです。
R30やトクホ氏など、アルファブロガーと呼ばれる影響力の高い人にもこの当たり前の現実感覚を持っていない人間がこんなに多いということに呆れていました。
ネット外のリアルでの現実感を欠いた人たちばかりと関係し、泉さんもおかしくなりかけていたところで、ようやくまともな「社会人」とインタビューできておめでとう、とまずは言いたいです。
これが現実なんですよ。わかりますか?
10年以上前、オウムが社会問題になっていた時に必死で非現実なオウム擁護をしていた自称「人権派」たちの愚を、インターネット内でリアルな現実感を欠いた人たちが再び繰り返しています。
それは、おかしなことだ、ということをやっときちんと説明する社会人が出てきていただいて、少しは連中も頭を冷やしてほしいものです。

今でもオウムは一般市民を蜘蛛の巣にひっかけるように勧誘を続けているんです。
オウムの恐怖は過去の話ではないのです。松永擁護の連中はチンケな正義感を振り回す前に、現実を少しは見て欲しいものです。
おそらくオウム教徒と同じで、ネット外のリアルの中での現実感覚を失っているのでしょうが・・・。

>許さないぞという態度を忘れたならもう終わり。でも、「許さないぞ」という態度を忘れているように感じられる発言が時々あるわけだ。仏教の課題として一般化する議論をしたり、社会論一般にしたりね。

この言葉を、底の浅い「人権」意識で松永を擁護する連中は、肝に刻んでほしいものです。
何度も殺されそうになりながらオウムを10年以上戦ってこられた滝本弁護士の言葉として。

投稿: 素晴らしいインタビューです | 2006年5月10日 (水) 18時57分

あなたには荷の重いテーマだとは思いますが、もしこの松永の件をきちんと掘り下げる事ができれば、本物のジャーナリストへの扉が開かれるでしょう。
いずれ本にまとめる事も考え、これからもがんばってください。

投稿: 素晴らしいインタビューです | 2006年5月10日 (水) 19時01分

みなさん、コメントありがとうございます。
様々なご意見を一つ一つ噛み締めながら、次のエントリーを焦らずに書いてみるつもりです。

katshiさん、ご指摘ありがとうございます。訂正しておきました。

投稿: 泉 あい | 2006年5月10日 (水) 21時52分

 オウムじゃないけどその他新興宗教にハマって大騒ぎな身内を何人か知ってる身の上からするとね。
 今回の一連の流れは、今のところ、いいとも悪いとも言えんのよね。まだ結果出てないっつうか。

 まぁとりあえず泉センセがやたら頑固でやり抜き系っぽいんで、頑張りさえすれば少々の失敗は結果オーライに持ち込めるかな? と。
 いまのところR30センセのインタビューとか無茶苦茶不評だけど、多人数に何度も何度も根気強くインタビュー繰り返して話の流れをある程度作っちゃうとね。始めにR30センセが悪乗りして要らん事言ってるのも「オウマー心理の発掘」的なポジションになっちゃったりして、結果オーライ的ナイス布石になっちゃったりするんよ。不思議なことに。
 人間万事塞翁が馬。未来に依らず、過去もまた然り。

 泉センセとしては、なんのかんので構った人には悪い目を見させないよう、そこだけは責任持って欲しいですな。
 観客なんていい加減なものだから、その都度その都度出た結果で「アイツは馬鹿でコイツは無能」って簡単に烙印押しちゃう。そういう自らの傲慢さは棚に上げて、結果出せ結果出せって小うるさい。
 そういう連中の下らない言い分とは無関係に(と言い切るのもアレだけど)、やると決めたことはとことんやり抜き、その過程で自らに寄与した人間に下手な泥を被せないよう。頑張っていただきたいものですな。

 自らの経験から類推するに、今のところ、まだ山登りの一合目の最初の1,2歩ってところよ。中継地点なんか全然見えてねえ先は永いぜ終わらないぜ多分途中で飽きちゃうか小休止しちゃう可能性高いぜベイベーって感じですかね。

投稿: 私 | 2006年5月11日 (木) 00時15分

>>泉センセ

 まぁ基本的に「死ぬまで直らない」類の話なんで、関わるなら死ぬまでトコトン頑張らんとね。今39歳だっつうなら、まぁ少なく見積もっても30年は生きるでしょ。その間、ずーっと関わりっぱなし。解決(笑)の目処、ほぼ立たず。新たに信者が出来るなら、そいつが死ぬまで直らない。またリセット、またやり直し。子々孫々八代先まで続くネタだと思ったほうがいい。
 そういうのに敢えて関わろうとするんだから、大したジャーナリズム魂です。流石39歳脂乗り切ってますな。10年20年程度のお付き合いで根を上げるくらいなら始めッからやんないほうがいいと思うけど、やるとおっしゃるんですから、とりあえず向こう10年20年は 様 子 見 ってところですかな。お手並み篤とご拝見。
 頑張れ。

投稿: 私 | 2006年5月11日 (木) 00時28分

評価しません。だなんて、偉そうに書いたのは、精神的に近い距離のトリルさんに向かって吐いたセリフであって、泉さんに当てたものではないので、ご容赦ください。

私が書いた趣旨を比ゆ的に表現すると次のようなことになります。

拉致問題や核兵器の問題が起きているのに、北朝鮮のチェジュ思想についてのレポートを詳細にあげている。既存のマスコミにそういうものはないでしょう。チェジュ思想の盲点をつくことが北朝鮮の悪性を指摘することになるとは思えません。

間違っているとはいわないけれど、そういう重要度に対する勘案ができていないと思っているのです。

勿論、めぐみさんの母親に取材したって、問題は解決しないのですが…。私が、高橋シズエさんにインタビューを試みたらどうだろう。と指摘したのは、そういうことです。

投稿: スポンタ | 2006年5月11日 (木) 07時02分

ただひとつ誤解して欲しくないのは、私はあなたの保身的行為のために、被害者の遺族の方々の心をこれ以上傷つけることを望んでいないこと。
よろしくご理解のほど、お願いもうしあげます。

投稿: スポンタ | 2006年5月11日 (木) 07時07分

いいインタヴューだ。
これを受けてもっぺん松永氏にインタヴュー(今度は座談会ではなく!)できたら、前回のダメダメなへたれっぷりから挽回できると思う。
がんがれ!

投稿: き | 2006年5月11日 (木) 11時41分

>スポンタ 氏

じゃ、自分でやんなよ。

投稿: 通りすがり | 2006年5月11日 (木) 12時48分

R30氏が変節したようです。
泉さんに責任を押しつけて自分を一段上に上げて逃げたいようです。この人には十分気をつけてください。
こんなおかしな言い訳が通じると思ってますから。

http://gripblog.cocolog-nifty.com/blog/2006/04/__c076.html#comments
>日本人って実はアジア人からこういう
>風に見られてるんだぜ。それって
>俺たちがオウムってことなんだぜ。
>と言うしかないんだよね、そう思う。

http://shinta.tea-nifty.com/nikki/2006/05/_lost_technical_1096.html
>悪いけど僕の意図はまったく逆ね。
>「だからお前らは必死で謝り続けな
>きゃダメだろ。俺は事件に直接関与
>してない、はまったくの屁理屈に過ぎ
>ないぜ」という意味で使った喩え。

投稿: 佐藤 | 2006年5月12日 (金) 23時57分

R30氏はこうも言ってました。
http://shinta.tea-nifty.com/nikki/2006/04/kotonoha_06d0.html
>今回のインタビューを終えてみた僕自身の結論は、「松永氏は普通の日本人と同じぐらいにguilty」というものだった。

これがこのこの文とどう繋がるのか聞いてみたいものです。
http://shinta.tea-nifty.com/nikki/2006/05/_lost_technical_1096.html
>悪いけど僕の意図はまったく逆ね。
>「だからお前らは必死で謝り続けな
>きゃダメだろ。俺は事件に直接関与
>してない、はまったくの屁理屈に過ぎ
>ないぜ」という意味で使った喩え。

投稿: ついでに | 2006年5月14日 (日) 02時09分

こんばんは、です。先日はどうも。
リンク先の所に一言書きました。ご参考までに。
では、これら記事のことでは、私としてはこれまでにて。
トラックバックと言うのが分からないので、コメントにて。

投稿: 滝本太郎 | 2006年5月14日 (日) 02時36分

松本被告死刑確定の報道がありました。新聞には第一審判決要旨などが掲載してありましたが、坂本事件については問われている犯罪について、(殺人)とあるだけで(死体遺棄)とはなかったのですが、そうでしょうか。判決文を読むと明らかに死体遺棄が問われているように読めるのですが、お教えください。

投稿: 伊東昇 | 2006年10月 4日 (水) 15時41分

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