オタクタイプ
ところで、ミクシィはどう考えてもベンチャー企業だが、ヤンキー臭くもなければエリート風でもない。ミクシィを分類するなら、オタクと呼ぶのがもっとも適切だろう。
オタクは、コミュニケーションが不得手な代わりに、特定の専門分野に関しては深い造詣を持つ。ただ、半々の確率でコミュニケーション拙者が単に逃げ場としてオタクであることを選択するから、そういう場合はヤンキーに引け目を感じており、頭が上がらないことが多い。そういう意味ではオタクとヤンキーは同じヒエラルキーを構成している仲間と言える。いわゆるスクールカーストでも、オタクはヤンキーから2〜3枚落ちる下位層に位置する。
ミクシィ絡みで面白かったのは、笠原氏と奥菜恵の熱愛疑惑が報じられたときだ。奥菜恵は言わずと知れたサイバーエージェント藤田氏の前妻で、笠原氏は藤田氏とも親交があった。当時の私は「オイオイ、オタクが先輩(ヤンキー)の元カノを略奪ですか、カネがあると人間違うね!」と一人で勝手に盛り上がっていたが、一瞬で笠原氏から「そのような事実はまったくございません」が放たれ、事態は収束してしまった。一度や二度のIPOで得たあぶく銭程度では覆らない、動物的で本能的な序列の存在を垣間見た気がしたのである。
そんな笠原社長のパーソナリティを反映してか、ミクシィ自体も実に大人しい印象の会社である。ミクシィがM&Aをしたことがあっただろうか。私の記憶する限りはただの1件もない。IPOで調達した資金も何に使うでもなくタンス預金で、粛々と日記コミュニティサイトと人材紹介のサイトを運営している。極めて地道。真面目。目立たない。
ミクシィ以外では、ライブドアも結構オタクだったと思う。まあ、堀江氏の、オンザエッヂが上場した当時の金八先生みたいなへスタイルを見て、堀江氏自体がオタクであることを否定する人はいないと思うが。ライブドアは、M&Aなどを担うファイナンス部門だけがヤンキー的だったんじゃないだろうか。オタクがヤンキーを従えて、道路を蛇行しながらテレビ局などのスーパーエリートに喧嘩を売っていたわけだ。そりゃ逮捕もされるというものである。逮捕というか補導だなあれは。
一応のまとめ
以上、完全に印象だけで話を進めてきたので何の自信もないが、日本のベンチャー界にはエリートとヤンキーとオタクという3種類の企業があると言える。
3つのうちで一番数が多いのがヤンキーなわけだが、これは考えてみれば当然のことだ。我が国では、エリートコースという言葉の意味するところがそれ即ち大企業での出世であるから、ベンチャー企業に集まる人材は必然的に非エリートが中心となる。「ヤンキー的なもの」は非エリートが自らをアイデンティファイするための最適な価値観なのだ。
元暴走族のヘッド矢島金太郎が、熱いハートや筋の通った考え方などといったわけのわからない力を操ってエリートサラリーマン共を蹴散らし、出世街道をばく進する様にカタルシスを覚えるのは、読み手が非エリートだからである。
我が国の学歴社会ぶりは世界でも有数で、数年の受験戦争が人生の大半を左右する。そこでの落伍者が「学校では教えてくれない大事なこと」を求めてヤンキー道を進むのはある種の必然であり、社会全体として見ても必要なガス抜きなのである。
「ヤンキー的なもの」とはつまり、「エリート的なもの」に対するアンチテーゼである。ヤンキーが「粗暴だけどほんとは優しい」とか、「ワルだけどカワイイ(ファンシーな)とこもある」などといった二面性を重視するのはこのためだろう。上で述べた通りだ。学習することでエリートに敵わなかったヤンキーたちは、容姿を筆頭に、気合や根性や熱いハート、人としての筋など、なんとなくより本質的な感じがするもので勝負したがるのである。
オタクは元来能力が特定の方面に特化した天才タイプを指すが、近年インターネットの普及によって概念としての「オタク」が一般化したことに伴い、エリートにもヤンキーにも成りきれなかったいじめられっ子タイプが大量に「オタク」に流入し、玉石混交を極めた。よってオタクの大半はヤンキーの手先に過ぎないが、マレに天才タイプがいるという状況になっている。
読者の皆様におかれましては、もしベンチャー企業への投資を考えるようなことがあれば、大部分を占めるヤンキー系企業(手先としてのオタクを含む)は捨て置いて、極マレに混じっているエリートタイプか天才型の純オタクタイプを探すと良いだろう。