PRANJワークショップ記録
「新テロ法案の一ヶ月」 民主党 代表室 須川清司氏 2001年10月25日 CSIS戦略国際問題研究所 にて (ワシントンDC) |
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本日は、私は一応民主党の職員ということなのですが、ここでは民主党の立場を離れて、日本政治の一観察者としてお話しさせて頂きたいと思います。どちらかというと概括的な話をした後、個別の話は皆さんに質問して頂いて、答えられる範囲で答えていきたいと思っています。 9月11日のショックの大きさは、日本においても、アメリカに住む日本人の皆さんが感じられたのと非常に近かったのかな、と思っております。つまり、CNN効果がここでも、ものすごくあったのですね。今回に関して言えば、日本が湾岸の時と同じく「軍事的には何もしなくてよい」と言う感覚は、ほとんどの人が持たなかったと思います。政党について言えば、社民党と共産党は反対でしたが、ただ、この人たちもテロを非難すると言う点まではまったく同じでありました。そこのところは、自衛隊を使うことも含めて、何かやらなければならないということで、ヨーロッパと比べても、国民レベルでのコンセンサスはテロの直後からあったように思います。報道振りだけから判断すれば、もっと国論が割れているようなイメージを持たれるでしょうが。 まず、日本の対応について話しましょう。ひとつは自衛隊を使うということがありました。これについては後で詳しく述べますが、所謂、新テロ法案を通したと言うことです。ただ、今思いますと、9月末近くまでは、周辺事態法の適用という考え方もくすぶっていました。私自身もテロが起きて2日後ぐらいには、「今回は周辺事態法を使って、海上自衛隊をインド洋に派遣するということを考えなければならない」と思いました。しかし、これについては、最終的に外務省、政府の方は、周辺事態法では無理だということになりました。もともと周辺事態法の国会での議論の時、「周辺事態とは地理的な概念ではない」ことにしていましたし、「インド洋での活動については想定していない」という答弁はありましたが、「法律上、出来ない」という答弁はありませんでした。したがって、今回はまさに想定していない事態が起きたということで、政治的意志さえあれば、周辺事態法の適用は可能だったと今も思っています。もちろん、政治的なプラクティカリティーからして、新法を作る方が良かったのかもしれませんが、それによってタイミングを逸するよりは、周辺事態法で無理しても早く出したほうがよかった、という意味です。当時、自衛隊関係者と話すと、「10月の前半から中盤には、米軍のアフガニスタン作戦の準備が整う」ということでした。そのため、それに間に合わせると言う意味でも、周辺事態法の活用が一つのオプションであると私は思っておりました。しかし、実際には、政府の方で新法と行くことになったので、私たちの方も新法で行く、と決めたわけです。 9月の終わりぐらいまでは、「新法を作る場合でも、10月の第1週から遅くとも2週ぐらいまでには、法律を通しておかないと、間に合わないのではないか」と言う感覚を我々も持っていました。政府から非公式に入ってくる話も同じでした。9月の最終週になり、「10月の半ばに小泉さんがAPECに行くまでに法律を通す」と言うことになりました。その意味では、テロ特措法は、「もっと早くできたものが、意外に時間がかかった」というのが個人的な感想です。 あとは、外交や財政面から言えば、ご存知のように特使を関係国に派遣したり、パキスタンへの経済援助を復活させたり、ということが行なわれました。また、インテリジェンスの交換ということに関して言えば、こちら(アメリカ)の政府関係者は「(日本は)よくやっている」と言ってくれていますが、額面どおり受けるかどうかは別の問題です。もう一つ、日本の取り組みが遅れているのがテロリストへの資金を断つということです。口座の凍結に関して言えば、国連が指定した、180ぐらいの口座を凍結する、ということぐらいしか、現時点では行っていません。また、警察との連携も不十分です。 最近言われているのは、アフガニスタンのポスト・タリバンの国家経営に、日本がどういう役割を果たすのか、ということです。日本に関しては、96年以降、北部同盟とタリバンを個別に東京に呼んだりしたため、若干のコネクションがあるということが、ひとつの救いです。最後に、国内のテロ対策に関しては、ぽっかり穴があいておりまして、基本的にはあまり行われておりません。これについては、質問があれば後で述べます。 テロ特措法の話に戻ります。今回の法案についてですが、湾岸の時に比べて、日本政府の対応が早いと言われたのは、周辺事態法と言う財産があったからです。周辺事態法がなければ、今日の段階でも未だに議論している状態だったと思います。それぐらい、周辺事態法の存在は大きかったと思います。周辺事態法は朝鮮半島有事を想定し、海上自衛隊が公海上で米軍に対して支援をするということがメインの活動として想定されています。これに対して、今回の新法では周辺事態法と比べて、いくつかの点で広がりが見られます。一つは、地理的な活動領域の広がりです。第三国の領域でも、当事国の同意があれば活動できるようになりました。周辺事態法では、公海まででしたから、その点が広がりました。次に、周辺事態法でなかった難民支援という機能が加わりました。三番目は、米軍以外の他国に対しても、後方支援が出来るようになりました。また、今回の法案は、時限立法で、なおかつ、今回のテロに限定した特例法だということも、大きな違いです。にもかかわらず、テロ特措法の大きな骨格は周辺事態法を踏襲していると言えます。 今回のテロ特措法の正当性に関しては、いくつかの柱が指摘できます。最初に来るのが、「アメリカとの同盟」と言う文脈です。小泉さんや外務省は、完全にこの感覚が強かったですね。もちろん、同盟国として、友人として、苦難にあるアメリカを助けたいと言うことがありました。しかし、より大きかったのは、湾岸のトラウマ、です。「今回、自衛隊を使わず、何もしなければ、同盟から見捨てられてしまうのではないか」という恐怖から突き動かされた、ということは否定しようがありません。今回、日本政府の国内テロに対する対応がおろそかになっているのも、政府を支配した動機付けが同盟のコンテクストである、ことを思えば、ある意味で当然の帰結であるとも言えます。例えば、米軍基地を自衛隊が守れるようにすると言うことは、自衛隊法の改正で可能になりました。しかし、丸の内や新宿が攻撃されると言うことは、あまり想定されておりません。どうしてこんなことになったかといえば、米軍基地に関して言えば、米軍からリクエストがあったからです。丸の内に関して言えば、そういうことを考える声はあったかもしれませんが、基本的には自民党内での自衛隊に対するアレルギーと、警察関係との縄張り争いで日の目を見なかったです。また、それを乗り越えてまで行うには、必要性が十分に認識されていなかったと言うことです。総じて、今回のことが日本にも起こりうるのだ、という視点が弱かったです。 二番目のコンテクストは、集団安全保障ということです。不完全ながらも国連で決議され、テロと闘うということが、一種の国際公共財とみなされましたので、そのような意識から積極的に自衛隊を使おうと言う意見がありました。どちらかというと、民主党は同盟のコンテクストよりも、こちらのほうが強かったような気がします。 三番目のコンテクストは、人道的活動の側面です。米軍に対する後方支援ということではなく、主にパキスタンを想定した難民支援をしっかりやるべきだ、というものです。保守派にとって見れば、難民支援をすることは、対米支援、テロ対策の一環になることであり、また、難民支援を名目に自衛隊の役割を膨らませることも出来る、という思惑があったと思います。一方、興味深かったことには、従来自衛隊の海外派遣に慎重だったはずのリベラル、我が党内で言えば、旧社民党系の方々が、「難民支援のためならば、危険であっても自衛隊を派遣すべきだ」ということを、堂々とおっしゃっていました。この点は、今までに比べると、違っていました。リベラルと言われてきた人たちが、自衛隊の効用ということを、ヒューマニタリアンという観点からであっても、初めて堂々と認めたことは、画期的であったと思っております。また、女性議員に関しても同じです。決して女性だからと言うわけではありませんが、日本の場合は、女性議員が平和的なことをいうと言うことは、傾向としてはやはりあります。我が党の女性議員の中には、アメリカへの後方支援はいろんな問題があるが、自衛隊による難民支援の方は、逆にしっかり行うべきだ、という意見が多かったですね。そのため、もの凄いねじれがありました。 新保守主義的な若手議員には、今回の武器使用基準の緩和は非常に不完全で、そうした制約の下、パキスタンに自衛隊を派遣することは、やるべきではない、という意見がありました。もしやるのだったら、憲法解釈を変えて、きちんとした形で派遣すべきだ。それが出来なかったら、海に限定した方が、現実的であるし、自衛隊の安全にとっても、よいはずだ、という意見が、若手の方には多かったですね。あるタイミングではかってみますと、保守系の若手がむしろ法案に慎重で、リベラルの人たちが突き上げると言う形が、一瞬ではありますが、存在しました。政治家だけでなく、メディアも同じで、従来リベラル系と言われる新聞、テレビも、難民支援に関しては、「自衛隊を使うべき」という意見が強かったようです。しかし、こういった方々に、(難民支援のための自衛隊のパキスタン派遣と)従来の憲法解釈との関係を尋ねますと、全然詰めて考えていなかったですね。「いや、テロは別なのだ」という答なんです。「テロは別、ということは、憲法解釈を変えるか、付け加えるということですか?」と更問いすると、「いや、だから、テロは別なんだ」と繰り返されたんですけど、まったく、良くわからないですよね(笑) 今回の国会での論戦を振り返ってみて、3つばかり思ったことがありますので、それをご紹介します。一つは、憲法の議論が無かったということです。これまでは、国会で安全保障と言えば、憲法に関わる神学論争となるが常でした。これは不毛なので現実的論争をしよう、ということならば分かるのですが、実際どうなったかと言いますと、神学論争から常識の世界へ一気に飛んでしまったんです。例えば、武器使用や、武力行使の一体化に関して、今回の審議中に小泉さんがよく使った議論は、「常識で考えようよ」とか「タテマエばかり言っても仕方がない」といったものでした。これに対して、国会での委員会で、怒号ではなくて笑いが起こるというのは、私が見ていて、非常に気持ちが悪かったですね。なおかつ、マスコミ、一般国民もこれに関して寛容であったように思います。これはもちろん、小泉さんの人気と言うことが関係していると思います。しかし、私は、「常識」と言った場合は、誰の常識なのだ、と疑問に思います。小泉さんの常識とすれば、総理が替われば、常識も変わるわけです。小泉さんの言いぶりを聞いていると、「現場で判断するしかない」というような言い方をしています。そうすると、常識イコール現場の自衛隊員の常識、になってしまい、憲法よりも現場の自衛隊の判断が上位に来るということになってしまいます。これは法治国家としてはおかしなことです。今回は時間の制約があったため、ある程度建前論も仕方なかったと思いますが、次のステップで憲法論議に持っていく布石を打っておくべきでした。でも、そうしないで、常識と言う言葉で小泉流にごまかしてしまったことは非常に気持ちが悪い。 もう一つ、残念だったのは、新法が、9月11日のテロに関係した自衛隊派遣を規定する具体的な法案でありながら、国会の場で具体的な議論をほとんど行わなかったことです。つまり、特別措置法といいながら、法案の中身と国会の議論は、周辺事態法と同じような一般法ということになってしまいました。自民党と民主党との党首会談の中でも、民主党側から「今回は、全然具体的な議論がされていない」と指摘したところ、自民党サイドは「何を言っているんだ。具体的だ。」と言うんです。「自衛隊が行うこととして、輸送業務、医療業務、被災民支援ときちんと書いてある。具体的ではないですか。」と言うんですね。そこで、民主党サイドから「そういうことではなくて、パキスタンへ派遣するのか、派遣するとしても、イスラマバード近辺か、アフガン国境まで行くのか、南の港湾の方なのか、インド洋であればどのあたりまで考えるのか、あるいは中央アジアはどうなのかなど、完全には考えられないにしても、もっと説明が出来るのではないか」「具体的には、どれくらいの規模の派遣を考えているのか」という質問をしました。自民党側の答は「そういう具体的なことは法案が通ってから考える」です。このように議論はまったくかみ合いませんでした。政府の方は、アメリカ側からの具体的なリクエストがない段階で、日本側から具体的に絞ってしまうことは避けたかった、ということがもちろんあったんでしょう。でも、それも程度問題だと思います。まったく何も言わない、というのは、いただけません。 民主党は、海のオペレーションを中心に、なるべく早く行う、というのが基本姿勢でした。海での後方支援に関しては、仮にタテマエであっても99年に周辺事態法の成立で、憲法問題はクリアーしていると考えたわけです。タテマエが入りますが、「戦闘区域とは一線を画する」と言う法律上の概念が、海に関してはまだ成立し得るのです。しかし、これが陸になると、(制海権に対して)制地権という概念は存在しません。ゲリラなどを考えると、人がいる限り、どの場所も戦闘区域になる可能性があるわけで、憲法上の問題は限りなくブラックに近いわけであります。憲法改正または解釈変更をしない限り、これをやるのは法治国家として拙いでしょう。さらに言えば、自衛隊が最も価値ある貢献が出来るのは、海です。つまり、海上自衛隊は米海軍に次ぐくらいの力をもっていますし、イージス艦も米海軍以外は日本しか持っていません。また、海には日米協同訓練の歴史があります。そういった意味では、海自はアメリカにとっては非常に使える軍隊です。そのため、海での協力を最大限かつ早急に行うことが、一番意味があるのではないかと思ったのです。 それに対して、陸自は、パキスタンに派遣できるかという点でも非常に可能性が低いということです。一つは武器使用基準が非常に不完全なわけであります。事実として、つまり、今回、報道されているのと違って、新法でも実際には武器使用基準はあまり緩和されていないわけです。今回の改正でも、基本的には自己保存という考えの中にあると思います。従来は、「誰を守れるか」と言うと、自分しか守れませんでした。厳密に言えば、99年のガイドライン関連法の際に、邦人救出の際には、自衛隊員以外を守るために武器使用できるようにしていたのですが、それでも、自分しか守れないのが基本だった。今回からは自分の周囲にいる難民や、NGOの方などを守るために武器を使える、ということに変えたわけです。しかし、これはあくまで「誰を守れるか」という対象を広げただけで、「どういうときに武器を使えるか」と言うことに関しては、全然制限を緩めていないわけです。自衛隊の武器使用に係る条文には、最期に必ず、『相手を傷付けていいのは、正当防衛と緊急避難に限る』というフレーズが入っております。しかし、グローバル・スタンダードにしようと思ったら、これをはずさないとダメなわけです。ニュージーランドの話だそうですが、昔こういう条文が入ったままで海外に軍隊を派遣し、敵に遭遇し、空に向かって警告射撃し、その瞬間、敵に撃たれてしまった、それを受けてすぐにその条文を変えた、と言う話を聞きました。要するに、日本はまだこの段階にあるわけです。ところが、ここの部分を外そうと思えば、従来の武器使用に関する憲法解釈を変えるしかないわけです。つまり、「自衛のための必用最小限の武器使用しか出来ない」という、政府解釈を変えるしかないのですが、今回も変えておりません。 もうひとつ大事なことは、グローバルスタンダードですと、「任務遂行のための武器使用」が出来ます。しかし、これに関しては、PKO法をつくったときの政府解釈により、日本は出来ないことになっています。例えば、アメリカの輸送業務を日本が引き受けたとします。A地点からB地点まで明日の夕方までに輸送しなければならないとして、途中に峠を通らなければならないが、そこに山賊か何かがいて、通せんぼをしているとしましょう。通常の軍隊の論理で行くと、この山賊を排除して目的地まで行き、ミッションを遂行することが出来ます。しかし、今の日本ですと、山賊をどかすために武器を使うことは出来ません。つまり、任務を遂行するために邪魔だからと言って、武器を使ってどかす、ということは出来ないわけです。結局、どかすことが出来ずに、峠でさまようしかなく、B地点にいる部隊にはいつになっても、物資は届かないわけです。そうすると、「そんなことなら、最初から自衛隊には頼まない」と言うことになります。そういった意味で、武器使用に関しては、根本的なところは改善されていません。民主党の中でパキスタンへの派遣に消極的だった理由に、憲法の話と、そういった制限がある中で陸上自衛隊を派遣することはおそらく、陸上自衛隊にとっても危険が高い。下手をすると、自衛隊が途中で引き揚げるはめになり、逆に、日米関係を傷つけ、国際的な信頼を失ってしまう、という危惧がありました。また、現実的に考えても、パキスタンが陸上自衛隊を受け入れるか、受け入れるとしても武器を持っていくことを認めてくれるかどうか分かりません。2、3週間前に、航空自衛隊がイスラマバードに行った時も、飛行機の外では拳銃さえも携行できませんでした。これらのことを考えると、今回はそもそも、陸自の派遣は現実的ではないのではないか、と考えていました。そのような訳で、陸に関しては、民主党はどちらかと言えば消極的でした。ところが、困ったことに難民支援と言うことはパキスタンでないと出来なくて、海の上では基本的には出来ません。ということで、わが党の中でも、難民支援に積極的な人たちはパキスタン派遣に賛成し、別の人たちは陸での活動に慎重でした。ここでもまた、ねじれが生じたわけです。 最後にもう一つ残念だったことは、今回に限ったことではありませんが、国益ということが安全保障の議論の中であまり表に出て来なかったことです。国会では、「自衛隊が危険に遭うのではないか」という議論はしました。しかし、その手の議論は、小泉さんが「危険に遭ったら仕方がないではないか」と開き直れば吹き飛ばされるような小さな議論だと私は感じていました。 逆に、例えば、「自衛隊がパキスタン人を殺傷してしまうかもしれない」というようなことの意味については、今回ほとんど議論されませんでした。どちらかというと、こちらの方が重要であると私の方は思っております。つまり、日本がどういう形であれ、パキスタン人を殺傷した、ということになりますと、日本とパキスタンの関係のみならず、日本とムスリム、アラブの関係悪化という、アメリカでさえ最も恐れている構図に日本が入り込む可能性がある。なおかつ、アラブとのオイルショック以来、築き上げてきた関係を失ってしまうことになりかねません。そうなると、反テロリズムへのキャンペーンで日本がアラブ諸国に対して果たせる外交的役割まで失ってしまう。これはアメリカにとっても跳ね返ってきます。このように、十分に考えるべき問題が、今回国会では、ほとんど議論されませんでした。このことは反省材料です。それでは時間が来ましたので、ここまでと言うことで、後は質問に譲りたいと思います。 つづきはこちら 文責 鈴木紘平氏 (ありがとうございました) |
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