悪い男・3


レックスは小さな建物の前に立っていた。
リベリオン通り、二の辻を曲がった3軒目の一階。「マーシの店」と書かれた看
板がぶらさがっている。レックスは手にした札を見る。看板の字体は札に彫られ
たものと同じものだ。ここに間違いない。
息を呑んでノックし、扉を押した。

「いらっしゃあいませ」
甘ったるい女の声がレックスを迎えた。
室内には、妙な匂いが漂っていた。レックスは鼻をひくつかせる。
嫌な匂いというわけではない。何種類かの薬草が入り混じった匂いだ。
壁を取り囲む棚には、大小さまざまな壷が並んでいた。
店の奥には、栗色の巻き毛の、美人で色っぽいが、とろんとした表情の娘が座っ
ている。レックスを見ると甘ったるい声をあげた。
「あ〜いらっしゃいませ〜〜男のお客様は珍しいです〜」
娘は、さらにレックスの手にある木の札に目をとめる。
「おきゃくさま、会員証をお持ちですねえ〜〜。『とくべつ』なおきゃくさまですね。
少々おまちくださーーい」
「……とくべつ?」

娘は、そばの棚から、小さな白磁の壷を三つほど持ってくると、卓の上に並べた。
「はぁい。お待たせしましたあ。どれにいたしますかあ?」
娘は壷の蓋を開ける。中には、薬草を粉にしたものと思われるものがたっぷりと
つまっていた。
「こっちはあんまり効かない薬ぃ。こっちはひょっとしたら効くかもしれない薬ぃ。
これはかなり効く薬ぃ〜〜。これがいちばん高いですう」
「薬、薬って、なんの薬だ?」
「やーーーだ、おきゃくさまったら、とぼけちゃって。うふ。絶対効く薬もあります
けど、それにしますか? かなり高いですよ〜。おきゃくさま、ふところに余裕が
あるかしらあ?」
「それにします、って言われたってなーー。本当にわからないんだ。薬って何だ。
風邪薬か? 腹痛の薬か?? ハゲを治す薬か?」
「おきゃくさまぁ……だって……会員証をお持ちの方には、この薬を買っていた
だくことになっているんですぅ」
「だから、何の薬だと聞いている! わけのわからん薬を売りつけられてたまるか」
思わず大きな声になってしまった。
「あの……」
「だから、教えてくれ、何の薬だ?!……それとも、言えないような薬なのか?!」
娘の顔に脅えの色が浮かんだ。あたふたと店の奥に向かって叫ぶ。
「マ、マーシさまぁ〜〜マーシさまあ〜〜!!!!」
「どうしたんだい? サラ、大きな声を出して」
奥の扉が開いて、背の低い、ちんまりとした白髪の老婆が現れた。
娘は飛びつくように老婆に駆け寄る。
「マーシ様〜〜大変です〜〜お役人です〜〜この店はもうダメです〜逃げましょう」
「何を言っているんだ……ここはシレジアだ。アグスリアやグランベルじゃない。
お役人は来ないよ。御法度の薬を売っているわけじゃないんだから」
「だって、あの人が〜〜言えないような薬を売っているって〜〜」
「何だって?」
マーシは狭い店の真ん中にむっつりとと突っ立っているレックスに目をやった。
「誰だい? あんた」
「……一応、客だ」
「会員証を持っているから、『とくべつ』なお客様だと思ったんですぅ〜〜」
娘がべそべそ泣きながら訴えた。
「ああ、わかっているよ、サラ。さて、色男さん。その会員証を見せてごらん」
レックスは木の札をマーシに渡した。
「103番……おや、これは、わたしが今朝、黒髪の娘にわたしたものだね。
すると、お前さんが、あの娘のいい人かい?」
「いい人? いい人だか悪い人知らないけれど、これはいったいどういうことだ? 
アイラはこの店に何の用事があるんだ? この壷に入っているのは何の薬だ?」
「お前さんは、ここが何の店か知らずに来たのか?」
「知らないよっ。誰も教えてくれないから自分の目で確かめにきたんだ!」
「おやまあ……。あの娘は何も言わなかったのか」
「とにかく! この薬が何なのか教えてくれ!」
「ふふっ。お前さんも飲んでみるかい?……この壷の薬はみんな、わたしが調合
した堕胎薬だよ」
「だ、だたい……?」

その言葉の意味を呑みこむまでに、しばらく時間がかかった。

「だ、堕胎って、妊娠して……その、子供をおろす薬か? それって違法だろう?」
「グランベルやアグストリア諸国では違法だね。以前、バーハラやアグスティで
店を開いていた時は役人にしょっぴかれたよ。バーハラでは2年牢に入れられた
し、アグスティでは、法外もない罰金を取られた。でも、シレジアでは禁じられて
いないのさ。ラーナ王妃様万々歳、だね。ここで扱っている薬は、主に女性特有
の病気ための薬だ。中でも、この札を持った客には、わたしが特別に調合した
堕胎薬を売っている……と、そういうわけだ」
「……ええと、ちょっと、待てよ……」
レックスは頭を抱えこんだ。
「どうしてアイラにそんな薬が必要なんだ……?」
「そりゃあ、おきゃくさま、その方が妊娠しているからですよぉ」
サラが気のぬけるような声で言った。
「妊娠って……?」
「身に覚えがないかい?」
「いや……ある……ありすぎる」
レックスの顔は、今や真っ青になっていた。
「じゃあ、何も疑問に思うことはないじゃないか」
「妊娠しているとして……俺の子だとして……どうしてその子をおろさなければ
ならないんだ?……そもそも、なぜ俺が妊娠していることを知らないんだ」
「あの娘、お前さんに相談しなかったんだね。秘密にしておきたかったんだろう」
「……なぜ、秘密にする必要があるんだ」
額を押さえるレックスの横で、サラとマーシは目配せを交わしあった。
「そりゃあ、産みたくないからだろう? 決まっているじゃないか」
「そうそう、おきゃくさまの子どもじゃないんでしょーーね。だから、言えなかった
んじゃないのかなぁ」
「産みたくない……俺の子じゃないって……」
「よくあることですよねぇ、マーシ様」
「そうだね……うちの店に来る人はわけありの娘さんが多いからね」
「アイラに限ってそんなことがあるわけないだろうーー!?」
レックスがばん、と卓を叩く。あまりの勢いに卓の上の壷が横転した。
「あいつがそんな器用なもんか。それにあの時、処……」
「処……なんだい?」
「な、なんでもないっ。まったく、何考えているんだ!!!」
レックスは靴音を鳴らし、ものすごい勢いで店を出て行った。
乱暴に扉を閉めると、戸棚が揺れ、その勢いで壷が2、3個落ちそうになった。
サラがあわてて受けとめる。

「邪魔したなっ!」
男の叫び声が店の外から響いた。
老婆はため息をつき、そして微笑んだ。
「おまえも結構意地悪だね、サラ」
「うふふふふ。サラを驚かした罰だもーーん」



シャナンとフュリーの心配そうな視線を受けて、アイラは、人生二度目の危機に
陥っているような気さえしていた。
一度目は兄に別れを告げてシャナンを連れてイザークを脱出した時。
そして、二度目は、今。
――目の前が暗い。
……なぜ、シャナンが自分の妊娠を知っているのだろう。
シャナンには、注意深く振る舞っているつもりだったのに……。
恋に、レックスに、溺れている自分を、誰よりもこの子には知られたくなかった。
そう思うとまた、腹部の底から不快感がこみあげてくる。
アイラはテーブルにつっぷした。
「アイラ――気持ち悪いの? 大丈夫??」
「アイラ王女……おやすみになった方がいいですよ。部屋までお送りしましょう」
「いや……いい……」
もはや何を言えばいいのかわからない。おそらく、フュリーも自分の妊娠を知っ
ている。どうしてレックスにも言えなかったことを二人が知っているんだ。
こめかみがずきずきと痛んだ。
こういうことは顔を見ればすぐにわかってしまうものなのだろうか?
せめてレックスには、誰の口からでもなく、自分の口から言わなければ。
そう思った時。

「アイラっ!」
その問題の相手の声がした。



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