悪い男・4
「レックス――」
彼がずんずんとこちらに向かって歩いている。
テーブルも椅子も、ひっくり返しそうな勢いだ。
今度こそ彼に言おう、そう思っていた気持ちがたちまちひるむ。
眉間に皺をよせて、唇を曲げている――これは明らかに怒っている顔だ。
「ちょっとこっちへ来い」
そう言って乱暴に腕をつかむと、アイラを立たせた。
たちまち両側から非難の声があがった。
「レックス公子、アイラ様は具合が悪いんですよ。無茶はやめてください」
「レックスのばかっ!! アイラの腕を離せっ」
「うるさいなーー。 これは俺とアイラの問題だ」
「おっまえなんか関係ないやーー!! アイラに触るなーー」
「わたしが何かしたか、レックス」
「何をしたもどうしたもないだろう――」
「何の騒ぎだ――? シャナン、木苺をもらっただろう。セリスぼうやにもわけて
やってくれ」
「いちご〜〜いちご〜〜」
3人が騒いでいる中、セリスを抱いたブリギッドが現れた。
食堂に人が増えてきた――。アイラはますます途方にくれた。
「ここで話す問題じゃない、行くぞ」
レックスはアイラを半分抱えるようにして強引に歩き出そうとした。
その腕にシャナンがしがみつく。
「アイラに乱暴しないで! アイラのお腹には僕の子がいるんだから」
「はあっ!?」
一瞬、その場の空気が凍りついた。
アイラの体が、くらりと傾き、フュリーに支えられてテーブルに手をついた。
「お、おまえなーーおまえの子供なわけないだろう? アイラの子供は俺の子だ」
「ちがうっ。イザークの子はみんなぼくの子だ!」
「なんだってコドモがコドモの親になるんだよっ」
「……レックス公子落ち着いてください。大人げないですよ」
「レックスこそ、どーーして、アイラの子供がおまえの子になるんだよ!!」
「どうしてって俺の子だから俺の子なんだ。俺がそう言っているから絶対間違いない」
「あはははは、面白いことになってきたなあ、セリス?」
「あいっ」
「ブリギッド様……笑っている場合じゃありません……」
アイラはもう口を開く気力もなかった。
「……おいおい、どうしたんだ、騒がしいな?……あ、水をもらえるかな」
「ぱぱぁ!! ぱぱぁ!」
騒ぎの途中にやってきたのはシグルドだった。
外から帰ってきたばかりらしく、マント姿で、腰に剣を帯びている。
駆けよって来たセリスを抱き上げ、ブリギッドから水を受け取ると、レックス達を見て
穏やかに微笑んだ。
「レックス、それにアイラ。今、神父様に話を通しておいた。君たちの望み通り、
式は1ケ月後の今日だ。晴れるといいな。おめでとう」
「ああ……それはどうも、ありがとうございます」
答えるレックスの隣でアイラはきょとんとしていた。
「式って……何のことですか……?」
「何って君たちの結婚式だよ」
その言葉が、アイラがかろうじて保っていた――平常心の限界を越えた。
「……結婚式だなんて、わたしは聞いていないが、レックス」声が震えていた。
「いいだろう? その日はちょうどお前の誕生日だ。忘れなくていい」
レックスはぶっきらぼうにに答える。
アイラは頭の中で日を数えた。確かにそうだ。
「だからって、勝手に日時を決めたのか。だいたい結婚するなんて、わたしは
一言も聞いていない」
「冗談だろう、俺はちゃんと言ったぜ。だいたいそっちだって子供ができたことを
どうして俺に教えてくれなかったんだよ」
「おまえがわたしの話をちゃんと聞かなかったんじゃないか」
「挙げ句の果てに怪しげな店の怪しい薬の会員証までもらうなんて……
どういうことだ」
「あれは、無理矢理……押しつけられて……。子供のことは言いそびれたんだ。
だけど、おまえは言わなかった。わたしに断らずに結婚と、日時を決めた」
「言ったって言っているだろう?!」
「いったいいつ、どこで言った? わたしは覚えていない!!」
「言った、確かに言った!! アイラと初めて結ばれた晩に、おまえの胸の上で
言った」
水に朱を散らしたように、アイラの顔がぱっと染まった。
「ば……ばかっ!!」
言葉と、平手うちがレックスの頬に飛ぶのは同時だった。
「ばか、レックスのばか! そんな時に――覚えているわけないだろう!!」
そう叫んでアイラは食堂を飛び出して行く。
「……っ!!……ばかはそっちだ!」
レックスが追いかける。
「アイラ、待って!!」
二人の後を追おうとしたシャナンの腕をブリギッドがつかんだ。
「はいはい、シャナン、あの二人はほっておいて木苺でも食べよう」
「だって、ブリギッド! これはどういうことなんだよっ」
「もーちょっとキミが大人になったら説明してあげるよ」
「はははは……なんというか……大丈夫かな……ちゃんと結婚するのかな」
シグルドが頭をかきながら言った。
「わたしは結婚する方に100ゴールドかけるけれど?」
「まあ、じゃ、わたしは150ゴールド賭けますわ、ブリギッド様」
「なるほど、わたしも結婚する方に200ゴールド賭けようか。あの二人は仲が
良すぎてケンカしているみたいだから」
「ぼくは結婚しない方にイザークの牛100頭を賭けるよ」
シャナンがふくれっ面でそう言うと、皆は困ったように笑い、セリスは楽しそうに
テーブルを叩いた。
アイラは城の庭の木立の下で膝を抱えていた。

その隣に座ったレックスが必死で彼女をなだめる。
アイラの目に涙が浮かんでいることに気がついたからだ。
「だからさ……俺が悪かったよ」
「知らない……」
「結婚したくないのか?……俺の子供はいらなかった? あ……お腹の子は俺の子だよな?」
「何言っているんだ、もう……俺の子に間違いない、って言ったのはお前じゃないか」
「いや、そりゃそうだけど……。
そんな風に泣かれると自信がなくなってくる。結婚は嫌か? 嫌だったらはっきり
言ってくれ」
「嫌だと言ったらどうするんだ」
「うーーん、アイラが嫌でも俺は絶対結婚する。子供も産んでもらう」
「なんなんだ、それは……」
「俺は最初からそう決めている」
アイラの足元に涙がぽとぽとと落ちた。
「……レックスが子供をいらないって言うかと思った……心配していたんだ……
イザークの子なんていらないって」
「言うわけないだろう……そんなことを言うくらいなら最初から愛したりしない」
「そうなのか……?」
「お願いだから、一人で思いこむのはやめてくれ」
「そっちこそ、一人で何でも勝手に決めないで欲しい」
「わかったわかった……」
陽が落ちる頃には、アイラはレックスの胸に顔をうずめていた。
レックスを愛している――。
そのことを誰かに隠す理由を、アイラはもう見いだすことはできなかった。
「やあ、マーシ」
老婆は顔を上げた。目の前に、なじみの金髪の女が立っていた。
彼女の腕には以前にも見たことのある青い髪の子供が抱えられている。
セイレーン城下の街路では、今日も多くの市が立ち、人々が賑やかに行き交っていた。
その中で、マーシはいつものように「占い屋」の看板を前に、悩める女たちが相談に
訪れるのを待ち構えている。
恋に悩む女、結婚に悩む女、夫に悩まされる女達は、「マーシの店」の上得意に
なる可能性がある女達なのだ。
だが、この金髪の女――元海賊のブリギッドだけは違う。
昔、オーガヒルの海賊たちの妻や女達相手に商売を行っていた頃からの知り合い
だが、一度も老婆に相談ごとを持ちかけてきたことはなかった。
「ほーら、おすそわけ。結婚式の残りだ」
ブリギッドは、どん、と篭をマーシの目の前に置いた。篭の中には、シレジアでは
なかなか口にすることのない、オレンジやレモンなどの南国の果実が入っていた。
「おやまあ、わざわざありがとう。誰が結婚したんだね」
「あんたが客にしそびれた女だよ。東の国の黒髪のお姫さまだ」
「ああ、黒髪の娘か。あのデカイ男と結婚したのか? あいつはからかいがいの
ある男だったね」
「おかげさまで、昨日めでたく結婚式だ。綺麗だったよ。
黒い髪黒い瞳に白いドレスがよく映えていた。最初から最後まで恥ずかしそうに
亭主によりそっていたよ」
ブリギッドは目を細めた。
昨日のアイラは、まるで光の糸で織られた幸福のヴェールに包まれているかのようだった。
ヴェールの中から、何度もレックスと目を合わせ、笑みを交わしていた。
実際、あんな可愛い女だったとは、ついぞ思わなかった。
レックスはいい女を手に入れた――これがブリギッドの正直な感想だった。
「……で、おまえさんは? そういう浮いた話はないのかね」
「あいにく全然ないね」
やれやれ、と老婆はため息をつくと、くすんだ緑色のローブの下から小さな硝子の
壜を取り出し、ブリギッドの手に渡した。
「ほら、これをやろう。他人の子供のお守りばかりしていないで、もう少し自分の
ことも考えることだね」
「なんだこれは?」
「惚れ薬だよ」
ブリギッドは苦笑した。
「効くのか?」
「マーシ様が調合した薬だよ。効くさ」
「もらっておこう――さあ、行こうか、セリス」
セリスが、あい、と頷き、にこにこと微笑んで老婆に手を振った。
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