対 決! <前編>
「戦う相手が欲しいのなら、わたしが相手になろうか」
ティルテュは驚いて目の前の女剣士を見つめた。
口元はわずかに微笑んでいるが、黒い瞳には射るような光が宿っている。
誰もが認めるシグルド軍一の剣の使い手。流星剣のアイラ。
彼女と剣を交えようなんて思ったこともなかった。
ティルテュが剣を持つようになったのは、冬も終わる頃、つい一ヶ月前のこと
だった。周囲の人々から剣くらい使えた方がいい、と言われ、そうかなと思い
ごく軽い気持ちで始めた。
最初はシルヴィア相手にきゃあきゃあ騒ぎながら剣を振り回していた。
やがて、見かねたアゼルやフュリー、時にはシグルドが剣技を教えてくれるよ
うになった。ティルテュの自称保護者(周りは恋人だと認めていたが)レックス
は剣を使えないくせに批判だけはした。腰が引けているだの、力みすぎだの。
憎らしい教官だが、彼を追い払う気にはなれなかった。
ともあれ、ティルテュの剣の腕はそれなりに上達し、ティルテュも剣を扱うの
が楽しくなってきた。
その日は中庭でフュリー相手に模擬戦をしていた。ところが、途中でレヴィン
に呼ばれ、フュリーはいそいそと城の中に戻ってしまった。
「あーあ。つまんなーい」
と大きな声をあげたところに、アイラが来たのだ。
わたしでよければ相手になる、と言った女剣士に、ティルテュはとまどいつつ
も正直に答えた。
「剣の腕が違いすぎるもの、わたしじゃあなたの相手にならないわ」
「では、わたしは左手しか使わないことにする。これでどうだ?」
ティルテュはアイラを見つめる。彼女の瞳に自分の姿が映る。
――彼女に勝てるわけがない。
多分、左手だけでもアイラは充分に強い。勝てる見込みなんてない。
だが、そう思えば思うほど、彼女と戦いたくなった。
心臓がどくどくと波打つ。
かつてレックスの心を占めていた女。
アグストリアにいた頃、レックスの恋人と呼ばれていた女。
剣を持つ姿が一番美しい女。闘気という衣装が誰よりも似合う女。
「わかったわ」
ティルテュが頷くと、アイラは左手に剣――模造剣だが――を持った。
この女に一太刀浴びせたい――。
ティルテュは剣を構え、地面を蹴ってアイラに飛びかかった。
レックスは中庭に向かって歩いていた。
ティルテュがフュリー相手に下手な剣をふるっているはずだった。
中庭に通じるテラスにさしかかった時、意外な人物に肩をつかまれた。
「中庭に行くのか?レックス。遠慮した方がいいぞ――」
ホリンだった。彼は、バルコニーの中庭がよく見える場所に彼を導き、とりこ
み中だ、と指差した。
えっ?――レックスは自分の目を疑った。
花壇の向こうで剣を交える二つの影。
ティルテュの相手をしているのはフュリーではなくアイラだ。
一方的に打ち込んでいるティルテュを、アイラはこともなげにかわしている。
「な、何やってるんだ?!」
あわてて走り出そうとするレックスの腕をホリンが捕まえる。
「邪魔をしない方がいい」
「アイラが相手じゃ、あいつがケガをする」
「アイラはそんなへまはしない――過保護だな、レックス」
レックスはむっとしたが、とりあえず立ち止まり、腕を組んで柱によりかかった。
考えてみればケガをするわけはないのだ。
素人のティルテュ相手に使われる剣はみな模造剣。剣の格好をしてはいるが、
斬れない、形だけの木製の剣だ。
アイラが相手だというだけで、動転してしまった自分が少し恥ずかしくなる。
ホリンはすぐそばの椅子に座り、中庭を眺めながら言った。
「あの子、筋はいいな。突きが素早い。アイラでなければ一太刀くらいは入っ
ているだろう。力が弱すぎるのが残念だ。それに、ひたむきなところがいい。
――可愛いな」
「人の女に目をつけるのやめてもらえませんか?」
レックスが不機嫌そうに言うと、ホリンは笑いだした。
「すまない、そんなつもりではなかったんだ。ただ、少しアイラに似ているな、
と思って」
「アイラに似ているだあ?? あんたなー、女はみんなアイラに見えるんだろう。
はっきり言ってびょーきだぜ」
「そうかもしれないな」
ホリンは笑いながらぬけぬけと言う。
あほらしい。レックスは小さく呟いて中庭を見つめた。
ティルテュの手から剣が落ちていた。アイラがたたき落とされたのだろう。
アイラが何か言うのを、首を横に振って拒み、彼女は剣を拾ってまたアイラに向
かって行った。
「アイラも物好きだな。なんだってまたマージの遊びの剣につきあっているんだ」
「遊びの剣なんかないよ、アイラには」
「そりゃ失礼」
「あの少女が気になるんだよ、アイラは。わたしが、レックス、君が気になるのと
同じように」
レックスの表情が凍りついた。
「男に気にされてたまるかっ。あんたはアイラのことだけ気にしてろ」
「そうしたいのだが、いつ君の気が変わって『アイラを返してくれ』と言いださない
かと思うと、夜も眠れないんだよ」
「あのなー……魂の裏側にまであんたの名前が書いてある女なんてぜーったい
いらんっ。安心して寝てくれ」
ホリンはやはり笑っていたが、少し声を落として言った。
「君の名前を消すのにずいぶん苦労したよ」
「それはそれは大掃除ご苦労様。雑巾で消したのか?」
「隅から隅までぴっかぴっかにか。きれい好きだな。ホリン先生。俺には真似で
きないよ」
「そうでもないさ。どちらにしろ全部は消せない。記憶は消せない――」
レックスは答えなかった。それきり二人は黙って中庭を見つめた。
ティルテュはすとん、と地面に座りこんだ。
さっきからアイラに一太刀浴びせるどころか、髪の毛一筋かすりもしない。
少し、頭にきていた。アイラはティルテュが打ち込むのをかわすだけだ。
右に、左に。そしてティルテュが疲れたところを見計らって剣をたたき落とす。
ばかにされている、と思った。3度目に剣をたたき落とされると、ついに癇癪を
おこし、剣を拾わずに座りこんだ。
「こんなことをどれだけやっても意味ないわ」
「もう、やめるのか?シャナンだってもう少し粘りがあるぞ」
「イザークの人間とは違うわ。わたしは剣なんか使う必要はないもの」
「雷の魔法が使えるからか?……だが、剣だろうと魔法だろうと、一緒だ。
今のおまえでは戦場では役に立たない」
ティルテュはきっ、となってアイラをにらんだ。
この女はどこまでもわたしをばかにするのだ。
アイラは模造剣を地面に置いた。そして、自分の腰の剣帯に手をやる。
そこに一振りの剣がある。
ティルテュの前で柄をにぎり、剣を抜く。ティルテュは息を飲んだ。
白銀の刀身がまばゆい光を放って現れる。何人かの血を吸ったはずの剣。
模造剣ではない、正真正銘、人を斬るための剣だ。
「もう少し、本気になってもらおうか。ティルテュ」
アイラは、そう言って抜き身の剣をティルテュに握らせた。
「ホ、ホリン、ティルテュが持っている剣、あれは、真剣に見えるんだが――」
レックスは青ざめて指さした。
「細身の剣だ。アイラが護身用に持っているものだ。軽いからあの子でも扱える
だろう」
「誰もそんなこと聞いちゃいないっ。なんだってアイラはあいつに刃物を持たせる
んだ!!」
レックスは今度こそ走りだそうとした。が、すぐにホリンの足にひっかけられ、
見事なくらいにひっくり返った。
「やあ、すまない。脚が長いもので」
「きっさまーーーふざけんな!!」
レックスは椅子ごとホリンを押し倒し、胸ぐらをつかんだ。
殴ろうとする拳を素早くホリンが受けとめる。
「――きみは、本当にあの子が可愛いんだな」
「悪いか!!」
「そして全然、アイラの気持ちがわからない――」
「わかるわけないだろう!アイラの気持ちがわかる奴なんてお前一人で充分だ」
「それはそうだ」
その端正な口元に再び笑みが浮かぶ――が、すぐにそれは消え、今までになく
生真面目な表情のホリンが現れた。
「レックス、彼女はレプトール卿の娘なのだろう?そして、紛れもなく神族の血を
ひく娘。シレジアを一歩出れば、彼女を利用したい人間はいくらでもいるのでは
ないか?」
「え?……」
「男なら殺せばすむ。だが、女となると、殺さずに利用する方法がある――。
違うか?」
ホリンの胸ぐらをつかんでいたレックスの手がゆるんだ。
彼が何をいいたいのか。わかるような気がした。けれど、理解することを心が
拒んでいる。神族の血は貴重なものだ。それを後世に伝えていくには子供を残す
しかない。子供は、女性しか、産めない――。
神族の血は、神族の女は、貴重なのだ。
「レックス、アイラはイザークの王女として見くびられないように、利用されない
ように今まで最大限の努力を払ってきた。だからこそ、アイラはあの少女を心配
しているのだ。私たちはあの子の剣の練習風景をずっと見ていた。そして、気が
ついた。彼女はあまりに幼すぎる。戦士にあるべき闘気がない。オーガヒルの
海賊相手ならそれでも良かった。だが――次に戦場に出た時、君の恋人は
死ぬか、もっと悪いことになるかも――」
レックスはホリンから離れ、立ち上がった。
戦士にあるべき闘気がない――それでいいのだ。ティルテュは。戦士である必
要などない。剣を持つ姿が一番美しい女、アイラ。彼女とは違う。
かつて、レックスは剣士としてのアイラを愛した。
戦場という天体を駆けめぐる星座、アイラ。どれだけ彼女に焦がれたことか。
しかし、彼女との恋は長く続かなった。運命の糸はどこかで切れてしまい、心は
痛みながらも離れ、彼の星座はホリンのもとへと落ちた。
確かに今から思えば、戦場以外の場所で、剣士でないアイラが何を思い、何を
考えていたのか、理解していたとは言いがたい。
ティルテュは、星座を追うことをやめたレックスが初めて地上で見つけた宝石
だった。はかなげな光を放つ小さな宝石の中に、彼が求めてやまない、懐かし
く、優しい風景の全てがあった。
彼女を血で汚したくない。
レックスはいつか柱に拳を打ちつけていた。
けれど、戦場では戦わずに自分の身を守ることなどできはしない。
レックスがいくら守ってやりたいと思っても、おのずと限界はある。
シグルドの妻、ディアドラでさえ消えてしまったではないか。
こんなことに気がつかないくらい、盲目になっていたのか。ティルテュに。
「レックス、アイラは」
「もういい、わかった。――それ以上、言わないでくれ」
後編へ続く
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