対 決!  <後編>



「ここは戦場であり、わたしのことは敵だと思うことだ。手加減は無用だ」
「あなたを斬っていいのね?」ティルテュが剣を見つめて呟く。
「そういうことだ。斬れるものなら」
ティルテュはすぐに彼女に向かって剣を振り下ろした。
アイラの剣が素早くそれを受ける。
剣をはねかえすと、一瞬の後にティルテュの脚のつけ根をアイラの剣が打った。
「脚を斬られたら終わりだぞ」
アイラの剣先が執拗にティルテュを追いまわし始めた。ティルテュは必死で逃
げた。彼女が持っているのは模造剣であったが、打たれるのはかなり痛い。
アイラを斬るどころではなかった。またもや彼女に翻弄されている。
逃げても逃げてもアイラが追ってくる。息が切れ、脇腹が痛くなる。

「そんなにわたしが憎いのっ?!」
気がつけばティルテュは叫んでいた。
「あなたにわたしが勝てるわけないじゃないっ!」
足がもつれ、ついに転んでしまった。その頭上にアイラの剣が落ちる。
ティルテュは必死で細身の剣をかざして受けた。
「ティルテュ、言ったはずだ。わたしは敵だと」
「イザークの剣士相手に勝てるわけない!」ティルテュは半分涙声で言った。
「イザークの剣士、か」
アイラはティルテュの体から離れ、静かな声で言った。
「だが、グランベルにもわたしくらいの剣士はいるだろうな。いくらでも」
「……アイラほどじゃなくても剣士はいるわ。フリージにもいたわ」
「その剣士がお前相手に向かってきたらどうするのだ? 戦って勝てるわけない、
と言って斬られるのか?」
ティルテュの顔色が変わった。
「わたしは……わたしはグランベルの人間と戦ったりはしないわっ! フリージ
の者とは戦わない!」
アイラの顔が、一瞬、歪められる。――これがこの少女の本音か。
「おまえが戦いたくなくても向こうは斬りつけるかもしれない。どこまでもおま
えを追って殺すかもしれない――例え祖国の人間であろうとも。殺された方が
ましだった、と思うような目にあうかもしれない。それでもおまえは戦ったり
しないというのか」
「ひどいわ……」
ティルテュの目からたちまち涙があふれた。ひどいことを言っているのはアイ
ラもよくわかっていた。自分だってイザークの者と戦うことになったら、心が
引き裂かれる思いがするだろう。
だが、この少女には、どこかで覚悟が必要なのだ。戦う覚悟が。
ティルテュは剣を置き、座りこんで泣いた。
アイラの心に苦いものが広がっていく。
 
多分、わたしはレックスに恨まれるだろうな。
彼の大切な宝物を傷つけてしまった。
彼に憎まれるのは、やはり、辛い――

「もう、今日は終わりだな」
ホリンが動かなくなったアイラとティルテュを見て、そう言った。
レックスが頷く。ティルテュは泣いているようだった。何を泣いているのかは
わからない。心が痛む。こんな光景は耐え難い。
多分、ホリンの言う通り、自分は過保護なのだ。
レックスは中庭に向かって歩き出した。今度はホリンも止めなかった。
「アイラ……」
そう呟くホリンの声は誰の耳にも届かなかった。


ティルテュは泣きながら自分の未熟さを呪っていた。アイラにかなわない。
剣でアイラに勝てないのは当然だ。だが、今ここにトローンを持っていたとし
ても、やはりアイラには勝てなかっただろう。何かが決定的に違う。
それが何なのか、はっきりとはわからない。わからないことが悔しい。
ふと、自分の右手が熱くなったような気がした。ほんの一瞬。
泣くのをやめて顔を上げると、アイラが自分を見つめていた。
とても、辛そうな寂しそうな顔……。
が、その表情はたちまち消え失せた。
目の前にいるのは、やはり厳しい顔と口調を持った剣士、だ。
「おまえは戦場でも敵の前でも、泣くのか? 殺して下さいといわんばかりに」
「もう、いいわ。どうだって。殺されてもかまわないわ」
「どうしてそんな勝手なことが言えるのだ!!」
アイラの激しい一喝がティルテュの心臓を震わせた。
「少しはレックスのことを考えろ」
「どうしてあなたにレックスのことを言われなきゃならないのっ?」
アイラは静かに言葉を続けた。
「いいか。この世で一番不幸なことは愛する者を失うことだ。……よく覚えておけ!」
ティルテュの心臓が、右手が、かっと熱くなった。
そうだ――レックス
わたしが死ぬということは、彼がわたしを失い、わたしが彼を失うということ。
――そんなことは許さない!
ティルテュは剣をつかんで立ち上がった。右手がさらに熱を帯びる。
地を蹴り、アイラに向かって躍りかかった。

不意をつかれて、アイラは少しひるんだ。
ティルテュの右手は今や燃えるように熱い。
この熱さは、魔法を、いかづちを起こす時に感じる熱さだ。
少女の体内を駆けめぐる魔法騎士トードの血の熱さだ。
なぜ魔道書を持っていない今、それを感じるのか。
血の熱さは右手から腕、胸、足へと全身に伝わっていく。
ティルテュの全身が熱くなる。
「ティルテュ、もうやめろ!!」
意識のどこかでレックスの声が聞こえた。
だが、体はもう戦う目的でのみ動いている。
白い、首筋。それまで見えなかったアイラの首筋が、はっきりと見えた。
あそこだ。
アイラの懐にとびこむと、その白い喉に一直線に剣先を向けた。
この首をかき切る!
アイラはぎりぎりのところでかわした。
剣先はアイラの頬をかすめ、ピアスの一部をはじきとばし、耳たぶを切り、
黒い髪を一筋、散らせた。
アイラの呆然とした顔が、ティルテュの瞳に映る。
もう一太刀、斬る――踏み込もうとした時、レックスに肩をつかまれた。
「やめろ、ティルテュ」
その声で、ようやく我にかえった。

「今日は終わりだ。もう、陽が暮れる。いいだろう?アイラ」
「あ、ああ。そう、だな。今日はここまでにしておこう」
レックスは落ちたピアスを拾い、アイラに手渡した。アイラの、頬に、耳に、
細い筋を作って血がにじんでいた。レックスが心配そうに覗き込む。
「耳と頬を切ったか?きれいな顔がだいなしだな。ま、ホリンに舐めてもらえ。
すぐに治るぞ」
アイラがぷっと吹き出す。彼にこんな風に軽口を叩かれるのは久しぶりだ。
「そうするよ」
「おてんばのお相手、ご苦労様。……一応礼を言っておこうかな。ありがとう」
アイラは驚いてレックスを見た。
まさか、礼を言われるとは思わなかった。

アイラは、突っ立ったままのティルテュから剣を取り、鞘に収めた。その瞬間、
二人の女の目が、かっちりとぶつかった。アイラの目に、少し翳りが見えたよ
うな気がして、ティルテュは、思わず血の流れる頬に手をあてていた。
「アイラ、……ごめんなさい。ケガをさせて」
「謝ることはない。わたしが言い出したことだ。それに、戦場で敵に情けをかけ
る必要はない」
「でも、アイラは敵じゃないわ」
アイラはとまどうような笑みを浮かべた。
「ありがとう」ティルテュの手を取ると、少し恥ずかしそうに言った。
「さっきの突きは良かった。あの気合いを忘れないように……ティルテュは
もっと強くなる。きっと」
――ああ、やっぱりこの人にはかなわない。
中庭を立ち去るアイラの後ろ姿を見ながら、ティルテュはそう思っていた。
何がかなわないのか、よくわからないのだけど。

アイラは城に入ろうとして、既に薄暗くなったテラスにホリンがいることに
気がついた。
「気がすんだか?」
ホリンはアイラのそばに寄り、その血をぬぐった。
「見てたのか……」女剣士は低く笑う。
「怖いくらいに可愛い子だった。ホリン。……かなわないよ」
ホリンは微笑み、アイラを抱きしめると、血のにじむ頬にそっと唇を押し当て
た。アイラはホリンの腕の中で感謝していた。どれだけ迷っても待っていてく
くれる相手がいることを……。

「アイラはこれを教えたかったのかしら?」
ティルテュは自分の右手を開いたり閉じたりした。
さっきまで熱かった手は、今はもうひんやりとした夜の気配を帯びていた。
「おい、中に入るぞ」
レックスがそう言って振り向くと、ティルテュは、再び地面にしゃがみんでいた。
「何してんだ」
「疲れちゃった」
「疲れたも何もないだろう。ちょっと歩くだけだ」
「おんぶ」
「はあ? おんぶだぁ? 何甘えているんだ」
「じゃ、だっこ」
「おまえなあーー。アイラに何を教わったんだよ。仮にも戦士の端くれなら人に
頼るんじゃない。立ち上がってきりきり歩け」
そう言ったレックスだったが、しゃがんだまま、疲れた疲れた動けないを連発
するティルテュについに負けてしまった。ティルテュを抱き上げると彼女は嬉
しそうにレックスの首に腕を回した。
「生きててよかったわ」
「なんだそりゃ……」
「ねえ、レックス、わたし、今度はちゃんと戦えそうな気がするわ」
レックスは心の中でこっそり、ためいきをついていた。
戦わなくていい、とは言えなかった。
歴史の針は今も刻々と動き、二人を望まぬ運命の潮流へとおしやっているのだ。
その音に気がついてしまった以上、ティルテュを無垢で無力な少女のままにお
いておくことはできない。
「ますます、手に負えなくなるなあ」
「なーに、それ、どういうこと?」
彼の腕の中に、強さと輝きを増した、かけがえのない宝石があった。


<<END>>


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