ネクタイ夫婦物語
「お帰り、レックス。今日はいいものを買ってきたぞ」
株式会社グランベルに勤める自称エリートサラリーマン・レックス。
彼が家に帰ると、妻のアイラはにこにこしながらそれを取り出した。
「かわいいだろう」
レックスはワイシャツのボタンを外しながら、妻の手にだらんと垂れ下がるも
のを見つめた。
「何これ?」
「きてぃーちゃんだ。知らないのか?」
それは、今や国民的アイドル・キティちゃんのネクタイだった。青い生地に金
糸で小さな花模様が織りこまれ、ネクタイが垂れ下がる端に、ぷっくりと白い
キティちゃんの顔が刺繍してある。
化け物でも見るような顔でネクタイを見るレックスに、アイラはもう一度言った。
「かわいいだろう?」
「かわいい……かもしれないな」
実はよくわからない。アイラはうきうきと続けた。
「今日、ティルテュとミレトス百貨店で会ったんだ。その時にこのネクタイを
見つけて、お互いのダーリンにプレゼントしようということになった。
アゼルは赤いネクタイ、レックスは青いネクタイ、二人おそろいだ」
「ちょっと待て……」
レックスはくらくらとめまいがしてきた。
「おそろいって、おまえ、これをして会社に行けっていうのか?」
おまけにアゼルとペアだ。
「そりゃ、ネクタイは会社にしていくものだからな」
「お、俺は嫌だからな! こんな恥ずかしいネクタイして会社に行けるかっ」
「どこが恥ずかしいんだ。ちゃんとしたネクタイじゃないか」
「アイラ、ちょっと聞くけどな、おまえだったら、このキティちゃんの刺繍が
されたワンピースを着て近所を歩けるか?」
「そんな服を着る趣味はない」
「俺だってキティちゃんは趣味じゃないよっ!」
「でもアゼルには似合うと思うぞ」
「俺に似合うか?」
アイラはワイシャツをはだけたレックスのぶあつい胸板とネクタイを交互に見
比べ、首を傾げた。
「……似合わない……かもしれない」
「ほら、みろ」
「でも、レックスとアゼルがおそろいだったら楽しい」
「俺は楽しくないよっ。小学生じゃあるまいし、どーしてアゼルとおそろいに
しなきゃなんないんだ。そのネクタイはのしつけてアゼルにやっちまえ」
「そんな……せっかく買ったのに……喜んでくれると思ったのに……」
アイラの声は震えていた。
「レックスのばかっ!!!!!!!」
翌朝、レックスがクローゼットを開けると、20本以上あるはずのネクタイが
全然ない。あるのはキティちゃんのネクタイ1本だけ。女は怒らせると恐い。
アイラがレックスのネクタイをみんな隠してしまったのだ。レックスもこうな
れば意地である。
「俺はぜーーったいこんなぶさいくな白猫のネクタイなんかしませんからね」
ぶすっとしたままのアイラに向かってそう言い捨てると、トーストをコーヒー
で流しこんで、さっさと会社へ行った。
「あれ。レックス、どうしてネクタイしていないの」
営業部のオフィスに入ったレックスにそう声をかけてきたのは、隣の部署・経
理部のアゼルである。
「おまえなーー。半分はおまえのせいだからなー。あっ、アゼル、このネクタ
イっ!」
ずるっとアゼルのネクタイをひっぱる。彼のネクタイはキティちゃんの刺繍が
された赤いネクタイだった。
「アゼル、おまえにはプライドというものがないのか? どうして奥さんの言い
なりになってこんなぶっちゃいくな猫のネクタイなんかしてくるんだよ」
「だってティルテュがせっかく買ってきてくれたんだし。職場の女の子には評
判がいいよ」
そーかいそーかい。君は似合っているからいいよなあ、と言ってアゼルの胸ぐ
らをつかむと、ぽかん。レックスの頭が後ろから叩かれた。
「何やってんだ。朝から」
レックスの上司のキュアン課長だった。
「レックス、おまえ、ネクタイはどうした?」
「本日はノーネクタイのカジュアルデーということになっています」
「そんな日があるか。しょうがないな。忘れたのか? それとも奥さんとケンカし
たのか。どっちにしろ、そんな格好で営業に出たら、当社の信用にかかわる。
よりによって今日の商談の相手はノディオン商事のエルトシャンだ。
あいつは細かいことにうるさいんだ」
キュアンはデスクの電話を取ると、手早く番号を押した。
「ああ、私だ。ちょっとうちの部下のために、君のお気に入りのネクタイを貸
してやってくれないか。そうそう、問題児のレックス君だ。うん、あれでいい」
間もなく、人事部のシグルド課長がぱたぱたとネクタイを持って現れた。
「キュアン、これでいいかな?」
「上等だ。ほら、レックス、このネクタイを今日一日しめろ」
キュアンがレックスの首にぐるり、とネクタイをまきつける。
「ちょ、ちょっと待って下さいよ! このネクタイの柄は何ですか!!」
「やあ、よく似合うな、レックス。思ったとおり、君にはやはり青が似合う」
「本当だ。かわいいよ」
アゼルが笑いをこらえながらそう言った。
レックスが帰ったら謝ろう。
アイラはその日、ずっとそう思っていた。なんて大人げないんだろう。あんな
ことで腹を立ててしまうなんて。レックスがいつも優しくて、言うことを聞いて
くれるから、たまに自分の思い通りにいかないとかんしゃくを起こしてしまう。
こういうところがわたしの欠点だ。次からはあらためよう。
ところが、帰宅したレックスの胸元を見たとたん、そんな殊勝な気持ちはどこ
かへふっとんでしまった。
「レ、レックス、そのネクタイは何だ?」
「ああ、これ? もらったんだ。まーーーったく今日一日これをしていたんだぜ。
まあ、仕事がうまくいったからいいけどさ」
レックスは上機嫌だった。気難しくて有名なエルトシャン部長だったが、この
ネクタイを見ると『悪趣味なやつだ』と言いながらも大爆笑し、おかげで大き
な商談がひとつ、成立したのだ。
「もらった、って誰に?」
「ああ、シグルド課長から」
「シグルドだって?」
アイラの顔色が変わった。
「わたしがあげたキティちゃんのネクタイはだめで、シグルドがあげたドラねこ
はいいのか!」
「ドラねこじゃないよ、ドラえもん」
そう、レックスのしているネクタイは、ドラえもんがどら焼きを食べようとして
いる柄がおっきくプリントされたものだったのだ。
「そんなことはどうでもいい! わたしよりも、シグルドの方を大切にするん
だな?! シグルドのことが好きなんだな」
「どーしてそうなるんだよ。商談成立の記念にもらっただけだってば」
「ネクタイの贈り物は愛の証だ。昨日ティルテュがそう言った」
「そんなばかな」
「問答無用!!」
翌日。レックスは顔にひっかき傷を作って、会社にやって来た。
もちろん、ネクタイはキティちゃんである。
それからも、レックスは奥さんから「アゼルとおそろいのキティちゃんのお弁
当箱」だの「アゼルとおそろいのスヌーピーのベルト」など、わけのわからん
キャラクター商品をプレゼントされることが多々あったが、二度と文句は言わ
なかったという。
「レックスって本当に愛妻家だよなあ」とキュアンにからかわれ、「親友も大
事にするし、感心、感心」とシグルドに真面目な顔で言われ、めげそうになり
ながらも、今日も奥さんサービスと仕事の両方に頑張るエリートサラリーマン
(自称)のレックスであった。
<<こんな話でごめんなさい・おわり>>
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